Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「大切なのは、速度だ。」

 TBS RADIO 文化系トークラジオ「Life」http://www.tbsradio.jp/life/
 深夜25時30分、日付は変わって月曜ですが今日のテーマは「秋葉原無差別殺傷事件
 ギャラクシー賞受賞後、おめでたい話題とかで展開しそうでしたが、事件後テーマも急遽変わりました。


 この事件は色んな人に語られていく事だろうし、僕みたいな一般人のブログにも度々出ては語られるでしょう。
 容疑者というか犯人はネットでも疎外感を感じて絶望していたというようなニュースも見た。
 ブログとかは基本的に「自分語り」の作用があると思うし、ネットの拡大によって近代的な自我の発芽っていうものなのかな、それが自意識と自己顕示欲と一緒くたになって咲き乱れるように至る所に花開かせたと思う。僕もまたしかり。


 彼はネットで自分を語りながら誰にも相手にされずに語れなくなって現実でも逃げ出しようがなくなって、こんな世界なら壊してしまおうと思ったのかもしれない。自分語りができなくなった彼をいろんな人が語る事になる。語れなくなった人を多数の人が語る、語る、カタルシスは存在するのか否か?


 僕がずっと読んできた大塚英志作品。
 大塚氏は同世代に死刑を執行された宮崎勤がいた。彼のことは本でもよく出てきたし、彼のマンガや小説の中で彼がモデルとされる連続幼女殺人を犯す人物として大江公彦がいる。だから僕は彼を知ったのだけども。
 大江の名字は日本が誇るノーベル文学賞を受賞されているあの大物作家からだ。「東京ミカエル」には三島の性を持つ人物が出てきたりと、大塚氏は自分の作品の中に近代文学の一部を入れて(章タイトルがまんま作品名だったりする仕掛けとか)読者をそこに導こうとしていた。


 大塚氏は宮崎勤を語れたのだろうか?作品の中に出す事によってずっと語っていくというスタンスなのかもしれないなと読みながらふと思う、いや思い返した。
 僕らの世代の作家やクリエイターもそうやって彼をまた語っていくのかもしれない。彼のことを鏡に映った自分のように感じた人はそうしていくのかもしれないし、なかったことにしていくのかもしれない。たぶん語っていくのではないだろうか。


 久しぶりに大塚英志「ロリータ℃の素敵な冒険」を読んだ。これは「多重人格探偵サイコ」のスピンオフというか、この作品自体が多重人格な所が或るので差異が違ったりする、まあ彼の作品ではいつものことだ。これは連載当時は「サイコキューブ」と言われていた作品だったらしい、記憶にはうっすらと残っているけど。


 「天使形態論にとってのウニウエルシタス」というのはこの作品の中の第六章のサブタイトル。
 ウニウエルシタスって意味わからないからネットで調べてヒットした人のブログを見ると「ラテン語の「ウニウエルシタス」は自治的な組合という意味で 英語の「ユニバーシティ」となるのだそうだ」とのこと。

 
 ラテン語なんですねえ、まず「天使形態論」ってのも初耳だ、以前読んだ時は全然気にならなかったのだけど、なんか今回ひっかかった。


 この作品の一番のオススメは文庫の後書きだったりするけども。


 冒頭には、


 大切なのは、速度だ。世界の仮想化が
 追いつけないほどの。それが、僕が
 君たちに語りうる唯一の教養だ。
 ーー大江公彦『多重人格者の時代』よりーー


 僕も届けるには速度が必要だと思う、語られる言葉は洪水のように、至る場所で、時間軸で、溢れ出している。
 言葉は溢れている、しかし全ての言葉は届かない。言葉は瓶に入った手紙のように、漂っている。
 届くにはそこから一気にスピードを上げて流れ出さないといけない、でないとその言葉を待つ人に出会うべき人には届かない。


 そんなわけで深夜のラジオに耳をすましてみよう、
 届く言葉がきっとあるから。