Spiral Fiction Note’s diary

ライター&「monokaki」編集部スタッフ。「水道橋博士のメルマ旬報」で「碇のむきだし」、「週刊ポスト」で「予告編妄想かわら版」、「PLANETS」で「ユートピアの終焉ーーあだち充と戦後日本の青春」を連載中です。

「ロリータ℃の素敵な冒険〜クォンタム・ファミリーズ」

 昨日は東浩紀著「クォンタム・ファミリーズ」を真ん中まで読んだ。量子化学だとか僕にはピンとこない言葉も多いのだけど、そういう事は大事だけども物語を構成するもので、なんとなく理解できれば物語は進められる。物語としての強度が強いと思った。
 平行世界の違う世界、ありえた可能性だった世界に住んでいる、いたかもしれない可能性、子供だったり、別の人生だったり、それが量子的に交ざって関わる物語、SF的な感じもするけど先が気になって進んだ。


 途中まで読んでいていろんな人物が現れて関わる。村上春樹的な、フィリップ・K・ディック的な世界観、作中でこれらの作家の名前は出てくる。僕が途中で思ったのは大塚英志著「ロリータ℃の素敵な冒険」に通じるものがあると感じた。「ロリータ℃の素敵な冒険」はある種のラノベ的な書かれ方をしているが、そこにある物語構造と「クォンタム・ファミリーズ」はまったく別物ではないと読みながら感じた。


 僕はずっと大塚英志作品を読んできて、彼が自身の原作漫画のノベライズとして小説を書いていてそれもたいがい読んでいるが、それらはあえて彼の手によってラノベ的なものとして消費され届けるべき人へ届かすスピードを持つ書物として書かれていた。


 大塚英志多重人格探偵サイコ No.2阿呆船」文庫あとがきより


 速度。そう、重要なのは消費される小説だけが持ちうる速度だ。屑さえも書物に仕立て上げる速度だ。その速度に乗せなければ届かない言葉がある。
 その速度に乗せなければ届かない遠い場所に読者がいる。十四歳の、それこそちょっと前ならポケットのバタフライ・ナイフを握りしめて、世界中を呪詛しているようなそんな少年に最初に届かなかったら「サイコ」は止めるよ、とぼくは連載を始める時に編集者たちにいった。 
 別に十三歳でも二十三歳でもいいのだけど、例えば、「エヴァンゲリオン・完結編」を最後までやっていた新宿の小さな映画館で、思いつめたように階段を降りてきた高校生の女の子とか、十年前、糸井重里の若者番組の片隅に座って一言も話せなかった、まだ幼女を殺していない時のぼくの今の文通相手とか、つまり、そういう連中にだ。
 彼らにことばを届けるのは消費される小説の速度が必要だ。
 かつてのぼくもそうだったから。速度。


 大塚英志「僕は天使の羽根を踏まない」文庫版あとがきより


 少し前、物語の中途で現実を突きつける類の小説が嫌いだ、と、ある優れたノベルズ作家が書いているだか発言したらしい、と誰かのコラムで読んだ記憶がある。ああ、それは例えばぼくの書いてきた小説のようなものを指すのだろう、と思った。作者は読者が小説のページを開いている間は読者が現実ではない世界を生きる権利を保証すべきだ、というのが多分、その作家の考えるプロとしての作家なのだ、と思う。それはそれで正しい。しかし、ぼくは中途でしばしば物語ることを放棄するし、読者に小説の外側の世界をいつも突きつけようとする。なるほど、しばしの間、夢を見ていた読者にとってぼくは迷惑で無責任な小説家なのだろうが、しかし、ぼくにとって小説は夢を見せるためではなく、醒めさせることのためにある。
 それは小説だけではなく、まんがや批評めいた文章や、あるいは大学の教壇で授業をすることを含めて、ぼくの表現はすべからく、夢を見せるためではなく、夢から醒めさせるためにある、と言える。


 東さんの名前を知ったのは「新現実」vol.1が東浩紀×大塚英志責任編集で出たときだった。その後、東さんは離れ大塚さんと一時は距離を置いた。数年後和解なのか対談を「新現実」でして、過去のものやそれらがまとめられて「リアルのゆくえ」が出た。
 大塚さんは「おたく」世代として宮崎勤の事件に関わった。東さんは世代は違うが秋葉原事件が起きてから意識的に変わったような事を対談の中でも話していたはずだ。


 大塚作品にはラノベ読者が小説に出会う仕掛けがほどこされていた。小説「多重人格探偵サイコ」の各章タイトルが大江健三郎の小説のタイトルだったり、中上健次の小説のタイトルだったりした。
 宮崎勤をモデルにしたような連続幼女殺害犯として大江公彦というキャラクターが何作か登場している。同名タイトルがあるが出版されていない「サイコ」の後の物語の「試作品神話」ではイラク戦争の話になったり、これが「僕は天使の羽を踏まない」のあとがきにある「ぼくは中途でしばしば物語ることを放棄するし、読者に小説の外側の世界をいつも突きつけようとする」部分の代表的なものだったはずだ。


 「クォンタム・ファミリーズ」には物語としての強さがあり、ある種の「小説の外側の世界をいつも突きつけようと」している感じが、感覚がした。僕にとって小説はフィクションであるけども現実と地続きなものである。まったくかけ離れていない場所にある物語だから、人は小説を書き続けるし読み続けるのだと思う。


 まだ、最後まで読み切っていない。しかし今日中には読み終わる。この作品の中に大塚英志作品を見てしまうような人間は少ないのか、多いのかわからないが。僕には難しい単語や大学をすぐに辞めた僕が知る事のなかった知識群の言葉が溢れていてもこの世界観に入っていけたのは僕が大塚英志作品を読んでいたからだと思う。


さよなら2008年@エクス・ポナイトvol.3
 東さん初めて見たのは一年前だったなあ、大塚英志ファンですって言ったら「殺すぞ」って言われたって思ってたら、ブログ見たら大塚英志ファンですって言ったら「ディスってんの?」って言われてた。記憶って曖昧だなあ。


 朝、帰ってからランニングした。「文化系トークラジオ Life」の「文化系大忘年会2009」予告編Podcastで聴きながら走った。めっさ、寒い。走り終えてから風呂に入って加ト吉のたこ焼きを食べた。温めすぎて口の中をやけどしてしまった。
 予告編にはcharlie、黒幕、萱野さん、齋藤君や外大の学生さんが出てた。なんとなく聞いてたけど齋藤君就職決まったのか、おめでとうございます、だなあ。charlieと萱野さんは↑「さよなら2008年@エクス・ポナイトvol.3」で東さんとトークしてたんだよなあという微妙な繋がり。


 「Life」繋がりだとサブパーソナリティーの佐々木さんと東さんのトークがあるみたい。「ジュンク堂トークに東浩紀さんをお迎えします」、「ニッポンの思想」の事は話さないかな〜。


 昨日のブログは「M-1」での笑い飯の「鳥人」は梅図かずお著「14」のチキン・ジョージ博士みたいなことを書いたらいつもよりもアクセスが多かった。恐るべし「鳥人」めっ。

クォンタム・ファミリーズ

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僕は天使の羽根を踏まない (徳間デュアル文庫)

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新現実 Vol.1 (カドカワムック (156))

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ニッポンの思想 (講談社現代新書)

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