Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年3月1日〜2024年3月15日)

2月下旬の日記(2024年2月16日から2月29日分)


3月1日
日付が変わってから2月下旬分の日記をアップする。誕生月になったので今月でひとつ年を重ねることになる。昔自分がイメージしていた大人とは程遠いが、そこまで悪くはない人生というか楽しくやってはいる。
でも、年齢だけでなく、時代や社会の変化が急激に変わる部分とゆるやかに変わる部分がある。それらに翻弄もされるし、確固たる自分というほどのものはなくても、陰謀論や宗教にハマったり、ネトウヨ化したり極左になったり、インフルエンサーに踊らされることもなく、なんとかほどほどにやっている。
現時点では自分がそうであっても周りの人たちがいつかそういう状況に陥ったり、あるいは病気になったり精神的に病んだり事故に遭うということは起きるだろうし、その時には否が応でも自分も巻き込まれたり関わっていくことになる。その時に自分にとって大事な人にはちゃんと向き合える人ではいたいとは思う。それが一番大切で難しいのだとも思う。
四千頭身都築拓紀 サクラバシ919』の追っかけ再生を聴きながら寝落ちした。

昨日の取材で疲れていたのか6時前に起きるつもりだったが、8時過ぎに目が覚めた。3月に入ったので早起きして作業をするというのを体に染み込ませたいのだけど、初日からダメだった。朝やる作業は仕事終わってからやることにした。しかし、ほんとうに3月まであっという間だった。


休憩中にTSUTAYA白倉由美著『夜明けと白と屍の病』と大塚英志原作/西川聖蘭作画『東京オルタナティヴ 承―天安門編―』を購入。
白倉さんは大塚英志さんのパートナーであるけど、大塚作品でも関わっている漫画家であり小説家。僕の家には漫画『贖いの聖者』や少女の頃の平野綾が表紙や中の写真で写っている小説『ロリータの温度』など彼女の作品があって、大塚英志名義の小説『冬の教室』『夏の教室』は白倉さんの朗読ドラマが原作になっている。それらの表紙イラストが鶴田謙二さんによるものだったが、今作も鶴田さんなので小説のテイストが近いといいなと思って、期待していたもの。
『東京オルタナティヴ 承』はコミックスとしては二巻目、「転」が来月出て「結」の連載が今年始まるとのこと。大塚さんらしい偽史であり歴史改変&可能性世界もの。フェイクがありふれる時代にフィリップ・K・ディック『高い城の男』のドラマ版とかの流れも汲んでいたり、イメージが感化されたもの。ずっと刊行を待っていたのでうれしい。

若林の良さはなにより品のあるところ、まったく卑屈にならないところ、「八丁堀だから」と深夜放送で言う江戸前なバックボーンがあるところ。東京の人間はこれが一番好きだ。大阪の“松本風”が止んだ今、根っからの東京人の私はこう思う(今まで土足で入ってきた大阪人に気をつかいすぎた。ここは東京である)。東京の文化を私はキチンと守り攻めこんでいきたい。

PS 東京の笑いは太田(爆問)、有吉、若林がいるから安心だ。

高田文夫氏が綴る、「若い」って素晴らしいとちょっぴり嫉妬したオードリーの東京ドームイベントとキチンと守りたい「東京の文化」

高田さんが書いていたエッセイ。有吉さん広島出身で、オール阪神さんの弟子だった時期も短いし、電波少年深夜特急させられる前から東京にいたから東京芸人という扱いなのだろう。書かれていることはわかるし太田、有吉、若林という並びも納得だけど、何か新鮮だった。

リモートでの仕事が終わってからライティング作業と自分の作業をする。
日曜日までに最初の部分を提出できればリズムはできそう。しかし、元々が長いから切るにしてもニュアンスとか流れをどうしていくか悩むと悩むだけ進まない。でも、いけそうな手応えはある。
自分の作業はさほど進んでいないけど、仕事のライティング作業のストレスは嫌でも溜まるから、その発散にもなればいいし、前みたいに複雑な話ではなくなったのでシンプルに書きたいことを書いてみればいいやって感じになってきた。

礼賛 - PEAK TIME 


ラランドのサーヤがやっているバンドの礼賛の曲がとてもよかった。

 

3月2日
8時過ぎに目が覚めて、眠気覚ましに散歩へ。radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きつつ、いつもの代官山蔦屋書店まで。新潮社の『波』の表紙がガブリエル・ガルシア=マルケスだったのでもらった。
来月末にガルシア=マルケスが最後まで執筆していた未完の小説『出会いはいつも八月』が出るの合わせたんだろう。また、高橋源一郎著『DJヒロヒト』の書評として菊地成孔さんの文章も掲載されていた。

書籍ページの下に菊地さんの文章が掲載されて読めるようになっていた。

一度家に帰ってから少しだけ作業をしてお昼過ぎには家を出て渋谷に向かった。半蔵門線渋谷駅からそのまま終点である押上駅まで乗った。その間、家に戻るまでは『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』を聴いていた。
三四郎ANN0」も「バナナムーンGOLD」も家で作業中に聴いた『EXITのオールナイトニッポンX』でも野球の大谷選手の結婚に関して、「結婚したねえ」というフリから入るということをやっていた。
時事ネタは生放送ならではの扱えるネタだし、彼の知名度とかももろもろ考えれば当然ではある。オリンピックもW杯もWBCの時も当然ながら世間的には気になることがネタとして話される。そういうものに興味がない、嫌いな人間としてその時期が来るとラジオのパーソナリティーが同じネタを話すのでちょっと勘弁してほしい気持ちにはなる。
でも、『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』もいろんなパーソナリティーが話してたじゃんかと言われそうだけど、そもそもラジオ番組が他のラジオ番組のイベントについて話すことなんて正直ほとんどないことだし、やっぱり向いてるベクトルは違うんじゃないかなって思うし、ラジオ聴いている時点で他のラジオのことも全く興味ない人の方が少ない、芸人がやってるラジオやポッドキャスト聴いていたらどうしても横や縦のつながりのほかのものを聴くようになるから。


先月10日に赤えんぴつ武道館ライブ終わって、友達のお母さんを送り届ける役目もあったので、その時に来て三週間ぶりの押上駅へ。亡くなった友達の形見分けを受け取るために来たのだけど、押上駅からも両国駅からも距離的にはあまり変わらない場所なので、今回は押上駅から20分ちょい歩いて行った。
部屋の退去準備をしているお父さんとお母さんに迎えてもらって、今日は来れなかった友達への形見分けのものを受け取った。お二人から僕にも形見分けということでいくつかのものを譲り受けた。
喉仏の骨と一緒に僕らが前にお渡しした写真や、会社の人が撮った写真が祭壇のような感じで置かれていた。彼女の一部だった喉仏の骨をまた触らせてもらって、スマホのカメラで画像を撮った。それは命日の時に自分が手をあわせる時に見れたらと思ったから。
部屋に行く前からひとつ決めていたのは、亡くなった彼女もご両親も喫煙者だから、お話をさせてもらうときに煙草をもらって一緒に吸うことだった。お焼香がてらの煙でもあるし、紙煙草なら一本もらって火を貸してもらうということがコミュニケーションになる。そういうことをしたいなって思っていた。

ヤングスキニー - ベランダ feat. 戦慄かなの【Official Music Video】 


煙草を吸うMVだから思い出した。

なんとなく行く前は一時間ぐらいお邪魔するつもりだったけど、気がついたら17時近くになっていて、約三時間ぐらい三人で話をしていた。ほんとうにあっという間だった。
秋田にも遊びにきてね、と言われたので行ってみようと思ってる。僕は秋田には親族とかもいなくて、縁もゆかりもない場所だったけど、亡くなった友達が出身だから彼女から秋田という場所が思い浮かぶようになったのがこの二十年近く、もう縁もゆかりもできてしまった。

 

3月3日
昨日歩きすぎたのか、思ったよりは緊張をしていたのか、ぐっすり寝入ってしまって起きたら9時前だった。
昼前に家を出るのでとりあえず、『オードリーのオールナイトニッポン』をradikoで聴きながら作業を開始。今日中に出しておきたいものの、あまり進んでいないのであやしい感じではあるが、毎週決まった範囲を出していくことにしているのでそこをクリアしていかないとのちのち自分の首を絞めるんだよなって頭ではわかってる。


土曜日に押上に行ってスカイツリーを見たら、翌日はヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』をもう一度観ようと思っていた。PARCO渋谷にあるホワイトシネクイントへ。
去年の年末に二回観たからこれで三回目なんだが、この作品に対する批判とかも目にしてるし言っていることはごもっともだと思うし、それもわかる。でも、ヴィム・ヴェンダースは自分の描きたい「妄想(理想)の東京」をそういう資本(UNIQLOとか)などを利用して(だまくらかして)作ってるわけで、パトロンの意向も無下にしない程度に、自分がやりたいことをやってる。それはなんというか最強に正しいインディーズ魂(精神)というか、商業ベースではない最も冴えたやり方なんじゃないだろうか。
288分もある『夢の涯てまでも【ディレクターズカット】』をル・シネマで開催したレトロスペクティヴの際に観た時にすごく感動した。ヴィム・ヴェンダースがそれまでやってきたものを混ぜ合わせていて、どう見てもやりたいことしかしてなかった。世界中でロケもしていて制作費もかなりかかっていたはずだけど、各国からお金も集めたりしてやりきってしまっていた。あんなもんヒットするわけない、でも最高の映画だったと思っていて、『PERFECT DAYS』もそれに近い匂いがする。

ストーリーラインはわかっているけど、やっぱりデラちゃんがタカシを探しに来て、もう仕事を辞めているから平山がいないよという意味で首を振るシーンではまた泣いてしまった。姪っ子のニコの母(妹)が迎えに来た時のやりとりでは以前に観た時よりも感動というか、知らないうちに涙がずっと流れていた。家族を巡るシーンだったからだろうし、昨日、友達のお父さんお母さんと会ったこともたぶん関係はしていたのだと思う。
僕は上京してから基本的にはずっと一人暮らしで、ある時期には友達が数ヶ月居候的にいたこともあったが、基本一人だ。一人の孤独というものには慣れてしまっている。
友達のお父さんお母さんと話をしていた時に、家族が増えてやがて子供が大人になって東京で生活を始める。両親もよく東京に遊びにもよく来ているぐらいに仲もよかった。その娘が亡くなってしまったことで家族が減る悲しみとそれによる孤独さみたいなもののことを話してもらったのだけど、その悲しみと痛みは今の僕ではちゃんと理解はできないなと思った。
僕にも実家に父や母や祖母、別のところに暮らしている兄がいるが、僕が生まれてからは祖父が亡くなっただけだ。僕が結婚したり、子供を持っていたら数は増える、そして誰かが亡くなって減ってしまう、失われたそこにいた人の記憶や思い出みたいなものが一人ではない家族だけの孤独を連れてくるのだろう。平山と妹の会話にはそれに近いものがあったのかもしれない。

ano、『猫吐極楽つあー』Zepp Hanedaで迎えたファイナル ファンとの約束のように響いた歌 

追加のZepp Shinjukuでのライブは楽しみにしていて、去年の音楽ライブでいうとSTUTSの武道館が素晴らしかったし、今年は赤えんぴつのライブにも行っていてしばらくは武道館に行くことはないかなって思っている。でも、あるとしたらano初武道館ライブかなって。今年か来年初頭にはきっとやると思うので、それには行ってどんなパフォーマンスをするのかを観たいと思ってる。

家に帰ってからは寝るまでライティング作業の続きを。しかし、進まねえ。やらないといけないと思うほどにやる気がなくなる感じ、〆切も一応あるけどなんだろうな、気力の問題か、とりあえず気圧で頭痛がするという言い訳もさすがにできないから、寝るまでは机に向かってちょっとずつ進める。

 

3月4日
起きてから朝活がてら昨日終わらなかったライティング作業の続きを。リモートワークまでに終わらなかったが少しは進んだ。夜には終わるだろうなと見当がつくぐらいにはなった。
いつもの始業時間からリモートワークを開始。なんというかいつも通りの作業の時間だけど、自分の中にあるいろんなものが混ざり合っていて、集中しにくい。
気がついたら昨日ぐらいから口唇ヘルペスができているし、ストレスがたまってるらしい。首から肩甲骨がガチガチになっていたので休憩時間を前倒していて、いつもの整骨院に行ってほぐしてもらったら少し軽くなった。


その帰りにトワイライライトに寄って、装画イラストを小山義人さんが手がけていて気になっていたリカルド・アルルフォ著/木下眞穂訳『死んでから俺にはいろんなことがあった』が新刊の平台にところにあったので購入。
店主の熊谷くんと版元の書肆侃侃房のことを話していたら、そこが経営している書店のajiroで柴田元幸さんの朗読イベントをしてきたと聞いた。この何年かで書肆侃侃房はいわゆるインディーズ系の出版社だけど短歌とかいろんな書籍を刊行されていて、本好きなら気になっている版元。
九州に福岡にあるので、そういう出版社なんだろうなってずっと思っていたので、実際に行った熊谷くんからいろいろ聞けてよかった。


Facebookで一年前のポストが出ていて、去年の今日は『東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館 なんと括っていいか、まだ分からない』を観に行った日だった。亡くなった友達と観に行ったということもあるし、そこでCreepy NutsのR-指定が歌った『のびしろ』には彼女が住んでいた家から見えたスカイツリーが出てきたりするし、とかいろいろと結びついている。
Creepy Nutsはこの武道館でのライブ二日間やったあとにはオールナイトニッポンを卒業し、ほかのメディアに出るような仕事も音楽関係以外は止めて音楽に専念した。そして、今や世界中で大バズりをしている。このライブのあとにCreepy Nutsのライブ観たいねと言っていた友達のことが思い出された。今年代々木体育館とかデカい箱で東京公演はやるみたいだけどチケット取るのは難しそうだよって言いたかったな、一緒に観に行こうと言っていたらよかった。

リモートが終わってからライティング作業の続きをして22時ぐらいに送信。
わりとすぐに原稿のチェックポイントについてのメールが返ってきた。なんだろう、一週間に一区切りずつ提出したほうがいいとは思ったけど、このペースだとちょっときびしい。

 

3月5日
6時前に目が覚めたが、なんだかダルいので8時に目覚ましを再度セットして二度寝。朝活がてら昨日の作業の続きを二時間ほどしてから、駅前の西友に行って昼ごはん用の食材を買いに出た。曇り空で昼以降は雨予報だったので、帰ってから洗濯物を取り込んだ。
14時半には池袋の映画館に着いていたかったので13時には家を出る。小雨がすでに降り始めていた。渋谷まで歩いていって副都心線に乗って池袋駅で降りた。目的地の東口まで出るまで久しぶりだったから迷ったし、思いの外時間がかかった。東口から外に出ると雨はかなり強くなっていたけど、目的地は目と鼻の先だったので助かった。

クリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマーIMAX試写をグランドシネマサンシャイン 池袋にて鑑賞。
29日にTOHOシネマズ日比谷のIMAX、今日のグランドシネマサンシャイン 池袋のIMAXがマスコミ試写だった。映画関係のことも書いているので試写状は送ってもらうけど、IMAX試写というのは初めてだった。29日の方は仕事で行けなかった。交通の便的にも池袋に行くのはちょっと嫌だけど、この二回目を逃したら公開日まで観れないから仕方ないなって思って申し込んでいた。
それで大正解だった。普段IMAXを観るのはTOHOシネマズ日比谷か新宿だけど、グランドシネマサンシャイン 池袋と大阪のどこかにあるIMAXが日本最大級だと観終わったあとに知った。日比谷や新宿のIMAX上映にも満足してたけど、ここはちょっとレベルが違う。遥かにそれらを凌駕していた。
終わって帰る時にライターの宇野維正さんと少しお話をさせてもらったが、宇野さんは日比谷でも試写を観たみたいだけど、ここはやはり別格だし、『デューン 砂の惑星 PART2』もここで観たらとんでもないよと言われたので、ここで観ることに決めた。
日本公開前(3月29日)だけど、アメリカでは去年すでに公開しているし、輸入DVDとかBlu-rayでも観れるし、史実をもとに作っているからネタバレもなにもないとは思うところはある。
物語の構造的は三つぐらいの時間軸が同時に走っている感じになっていることもあって、正直一回観ただけですべては理解しにくい。最後の方でなんとなくわかってはくるのだけど。その時間軸のことがはっきりわかっていなかったとしても、このクラスのIMAXであの映像を見せられたら今までになかったすごい映画体験をしてしまったとしかいいようがなくなってしまった。なんかもう違う次元だった。

すでに試写を観た人が原爆を広島と長崎に落としたことについて、一応オッペンハイマーが人道的にも後悔していることをアメリカ的なポーズとして描いているけど、あんなのは被爆国の日本に対してアメリカ人はなんも思っていない、人間扱いしていないとかいろいろと不満を書いていた。
クリストファー・ノーラン監督は両親がイングランドアメリカ人なのでイギリスとアメリカどちらの国籍も持っているし、アメリカ人的な思想とかで作っている感じはあまりしない。
というか、第二次世界大戦の敗戦以降、日本はアメリカの属国でありアジアにおけるコマでしかないんだから、アメリカ人が日本人を下に見ていようが申し訳ない感じで広島は長崎のことに言及したらそうなるでしょうよ、としかいいようがない。阿部和重さんの小説読めばいいのになって思った。
広島や長崎の原爆の悲劇をちゃんと描いていたら、おそらくこの映画はブレてしまっただろう。ソ連が原爆を作っていたことはアメリカも把握していて、彼らに先に使われてはマズい。アメリカが先に実験に成功して実戦で使うことで第二次世界大戦を終わらして主導権を持ち、さらに核の抑止力にしようとアメリカは思っていた。それは冷戦に向かって行くことになるのだけど、オッペンハイマー共産主義の関係も描かれるのでそちらに軸はあったなと思うし、広島や長崎のことを描くなら別軸が必要になったんじゃないかな。だとしたらドラマじゃないと無理かもしれない。

オッペンハイマートルーマン大統領に原子爆弾について懸念点を話すところでは自然と涙が出た。トルーマンは落とす都市について候補は12、いや11だな、京都だけは文化的な価値があるし、新婚旅行で行った素晴らしい街だと言って外した。そして、広島と長崎に原子爆弾は落とされたことを僕らは知っている。岡山と広島の県境で生まれ育ったから、道徳の時間で広島の原爆のことなんかも当たり前に習っていたのもあるからか、そういうシーンのところでは泣いてしまった。
確かに多くの日本人にとっては、オッペンハイマー原子爆弾は1945年夏のことがあるし、原子力としても東日本大震災原発事故のことが脳裏に浮かぶだろう。そのことを別にして観ろとは言わない。そのことに引っかかりながらでも観ればいい。そこに好き嫌いがあるのは当然だ。だけど、この映画はちょっとそういうことが頭にあったとしても、とんでもないものを観せられたと思わされる映画になっている。
しかし、クリストファー・ノーラン監督はとんでもないものを作ってしまった。劇中でオッペンハイマー原子爆弾を作って成功させてしまったように、それが作られてしまったら歴史はもう変わって戻れなくなる。ノーラン監督は映画を映画館で観るものとして生き残らすことしか考えていないのだと感じた。
この映画はIMAX用のカメラで撮影してIMAXのスクリーンと施設で観るように作られている。配信とかで家のテレビやスマホで観る人のためには作っていない。劇場に行って体験するしかないものとしての次の時代へ進んでしまった映画作品だった。

特集「震災後の世界13」の古川日出男さん「キカイダー石巻鳥島、福島」では、『ゼロエフ』で歩き、書いた古川さんが、つぎの一歩目を踏み出します。古川日出男さんと柴崎友香さんの震災と書くことをめぐる対談「書けないところから始まる」もあわせてお読みください。

おお、古川さん『ゼロエフ』の次を始めるんだ。『群像』がちゃんとサポートしてくれるならいいな。
僕は僕の歩くことを始めないといけない。村上春樹に影響を受けたならきっとランニングで東京を見たけど、僕は古川日出男チルドレンなので東京を歩いて見る。

 

3月6日
霧雨が降っていた。とりあえず、胃カメラの検査結果を担当医から説明の日だったので朝一で自衛隊中央病院へ。診断予約をしていたのですぐに順番が来て、ピロリ菌がいるのは確定なので抗生物質とかを一週間飲むということになった。その後八週間後にもう一度検査をして菌がいなくなったかを確認するという流れ。
思いの外時間がかかるものなんだな。ピロリ菌を放置しておくと胃がんになる可能性とかがあるから早めに処置したほうがいいわけで、これでも2月に入ってから検診して胃カメラの予約をしたりしてこのぐらいの時間はかかるのだから、放置しつづけたらなにがあるかわからないものだなって思った。
終わってからすぐに帰ってリモートワークを再開して作業を。昼休憩がてら家の近所の調剤薬局で処方箋を出したら、ものがないので明日になると言われた。一日ぐらいだったら、問題はないので取り寄せてもらうことにした。

仕事中はradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』、 TVerで『あのちゃんの電電電波』(ゲスト:chelmico)、Spotifyで『あのと粗品の電電電話』と『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:今泉力哉監督)と盛りだくさんで夜まで聴くものがたくさんあった。火曜深夜からあのちゃん関連は三つもあって、固め打ちみたいな感じになっているので、なんかそれを聴くと今日は水曜日っていう曜日感覚ができてきている。


仕事が終わってからニコラに行って、文旦とホワイトチョコ、マスカルポーネのタルトとアルヴァーブレンドをいただく。
土曜日に友達の家に行って形見分けしてもらった時に、お父さんとお母さんと一緒に煙草を吸わせてもらったこともあって、彼女が吸っていた煙草も開いていたのと開いていないのをもらっていた。
普段煙草吸わないから、そういえばライターがないなって思っていて、ニコラに行った時に持っていって吸おうと思っていたので一服。二年前ぐらいに下北沢で舞台を観終わったあとにその友達を連れてニコラには来たことがあったし、友達のことは曽根さん夫妻にも話していたので、ニコラで吸いたいなって思っていた。曽根さんにも一本渡して吸ってもらった。なんかそういうことなんじゃないかなって。
煙草は父親がヘビースモーカーだったから嫌いだったし、自分では吸うことはなかったけど、ニコラに来るようになってからカフェの文化というものは煙草を吸いながらワインとかを飲んで話すっていうもので、二人はそれが好きだから煙草を吸えるお店としてやっているのを知ったりした。
数年前に皿洗いの手伝いヘルプをしたあとに曽根さんから仕事終わりでもらった煙草を吸うっていうのがわりと好きで、個人的には煙草に対しての嫌悪感みたいなものはなくなった。煙草を吸ってからコーヒー飲んだらやっぱり、いつもよりコーヒーが美味しく感じられた。こういう追悼のやり方だってある。

昨日ぐらいから口唇ヘルペスが上唇にできていたものが潰れて、横に新しいのができて腫れている感じになっていて辛い。見た目も悪いから外に出る時には久しぶりにマスクをしていたけど、ニコラから帰ってきたら気持ち口唇ヘルペスの張り具合が和らいでいた。ライティング作業があるから、また腫れそうな気はしたけど、とりあえず今日中に直しがあったところは出して次へ行きたいので文句を言いつつ進める。

Naruyoshi Kikuchi y Pepe Tormento Azucarar’s 2021 in Orchard Hall 


菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの結成20周年記念巡回公演「香水」の東京芸術劇場プレイハウスでのチケットが先行で取れていた。
2021年に動画のオーチャードホールサントリーホールでコンサートを観てからはずっと観れていなかったのでうれしい。

 

3月7日
起きてから色々と連絡をしたりしてから朝活がてら作業を開始。夜は雨予報だったので家を出る前に洗濯して干してから家を出た。風は冷たくこのまま気温が下がってもおかしくない感じだった。
radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら渋谷まで歩いて、半蔵門線に乗って神保町駅まで。A9出口から出ると何度か来て歩いた記憶のある場所だった。地図アプリを見ながら見本帖本店へ。

「BOOKS 水戸部功×名久井直子
装丁に焦点を絞りほぼ同時期から活動を続けてきた、水戸部功氏と名久井直子氏。
お二人のこれまでの仕事から、それぞれ30冊を自選いただき、
その素材・造本・デザインを解き明かします。
削ぎ落としたデザインの水戸部氏、素材と加工を駆使した名久井氏、
対照的な仕事を続けるお二人の本から、〈装丁の現在〉をお楽しみください。


装幀家の水戸部功さんと名久井直子さんの手がけてきた装丁をそれぞれ30冊自選したものの実物が展示されているということだったので休みの木曜日にやってきた。12時近くだったが、十人ぐらいは展示を見ている人がいた。たぶん、デザインとか勉強したり、関わっている人っぽい人たち。
お二人の名前は書籍のデザインを見るのが好きなのでもちろん知っているし、古川日出男さんの5、10の倍数になるアニバーサリーに刊行される書籍だったり、これだという小説の装幀は水戸部さんが手がけているのでなんというか憧れもある。デビュー10周年時に刊行したメガノベルと呼ばれた『聖家族』は亡くなった菊地信義さんが手がけられていた。水戸部さんは菊地さんの弟子筋とも言える人なので、それを引き継いだという部分もあるんだと思う。
水戸部さんの装幀デザインは書店に行って新刊とかを見ていると、これって水戸部さんだろうなってわかるぐらいにはなってきた。似たようなというかパクったようなデザインもなくはないが、やっぱり細部に神が宿るというけれどなにかがまったく違うからわかる。
名久井さんのデザインされたものはどこか柔らかいというか包みこむようなものが多い印象だった。ビビッドなカラーを使っていても強烈ではあるもののどぎつくもないし、どことなくおだやかさが感じられた。


図録はお二人のものが別々になっていて赤い部分がケースではないけど、二冊が入る感じのデザインになっていて、これがすごく充実しているものだったので買ってよかった。
紙や輸送費の問題で書籍は値段が以前と比べても明らかに上がっていて、これからも上がっていくと思う。電子書籍のほうが場所も取らないし便利だという意見もわからなくはない。
でも、やっぱりこういうデザインであったり紙それぞれの色合いや素材が活かされたものの物体としての本が僕は好きだ。自分の体もいつか死んだら消える。
紙の本は燃えたり濡れたりしたら読むことは難しくなってしまうけど、それを免れたら何十年と僕は死んだあとにだって残る。やっぱり永遠ではないとしてもいつか自分が消えてしまうから、目に見える形を大事にしたいし所有していたい。


最寄駅に帰ってきた時に本日発売の文芸誌『群像』と『新潮』とハヤカワSFコンテスト特別賞を受賞して刊行が決まった間宮改衣著『ここはすべての夜明けまえ』を。
『群像』では特集「震災後の世界13」で古川日出男さんの『キカイダー石巻鳥島、福島』が掲載されていた。2000年に取材でお手伝いした『ゼロエフ』その後、というよりもその先へ、今現在に続くものとして書かれていた。『ゼロエフ』単行本の装幀は水戸部さんが手がけられていた。『新潮』に掲載している古川日出男×角田光代対談は去年の12月にジュンク堂書店池袋本店で行われたトークイベントを活字化したものだった。
『ここはすべての夜明けまえ』は大賞受賞していないけど、評価が高いらしく、自分がこの時の大賞だったらもっとこっちを応援したりSNSとかで広めてくれよというだろうなっていう感じの盛り上がり方をしている。装幀見たら恐ろしいことに名久井さんだった。今日はなんか古川さんと水戸部さんと名久井さんに関連する日になった。

本買って家に戻る前に昨日処方箋を出していた調剤薬局に行き、ピロリ菌用のお薬を受け取ってきた。今日から一週間朝夕と飲んでピロリ菌が除菌できるといいのだけど、薬剤師さんが薬について説明してくれた際にだいたい70%ぐらいで一回目では除菌できますと言われたので、微妙な数字だとは思った。

 

3月8日
夜中の3時ぐらいに一度目が覚めたので、金曜日が缶とビンと段ボールの回収なので出そうと思って玄関を開けたら、みぞれぽさも多少感じられる雪が降っていた。
結局、起きてからコンビニに行く時には止んでいたが、多少雪の残骸は残っていた。

いつも通りの時間からリモートワークを開始。これから春先にかけて公開する記事がいくつかあるけど、進み具合は問題ないので急がずに作業がでてきてありがたい。
昼の休憩時間に入ってから別件の週一回のオンラインミーティングをした。今月で四月以降の進め方とかが決まる感じ。うまいほうに転がって続くのがベストだけど、どうなるだろうか。

2024年、これを観ずに何を観る! 21世紀最重要作品『デューン 砂の惑星PART2』を解説【宇野維正のMOVIE DRIVER】 


今日からIMAXで先行上映が始まった『デューン 砂の惑星PART2』について宇野さんが話す動画を観た。
オッペンハイマーIMAX試写でグランドシネマサンシャイン 池袋に行ったばかりだったが、チケットを見たらさすがに金曜から日曜日までほとんど埋まっていて、いい席はなくなっていた。一般公開は来週の15日からなので行ける時にグランドシネマサンシャインIMAXでこの作品は観る。

私の新しい執筆プロジェクト『あるこうまたあおう』の第1話が文芸誌「群像」に掲載された。この掲載誌を、関西で移動の途上にある私はまだ目にしていないのだけれども、たぶん、きっと、いいや絶対に、ちゃんと世にドロップされているはずである。この『あるこうまたあおう』は執筆プロジェクトだが劇烈なる行動プロジェクトでもあって、とにかくここから2年前後、私はしっかりやる。あと、織田作之助賞の贈呈式がらみで乗代雄介さん(生身)に触れて、この人もまた「あるこう」な作家だったことに感銘を受けた。

『新世界はなにゆえ新世界というのか、と大阪で思う』2024.02.24 – 2024.03.08 東京・埼玉・大阪・兵庫・京都 「古川日出男の現在地」

仕事が終わってから古川さんの「現在地」を読む。昨日『あるこうまたあおう』の一話にあたる『キカイダー石巻鳥島、福島』を読んだので上記の文章のことがよくわかるというか、次なるものが始動していて続いていくんだなってわかって、それをちゃんと追いかけたいと思った。

Creepy Nuts - Bling‐Bang‐Bang‐Born / THE FIRST TAKE

 

3月9日

日付が変わる前からNHKの夜ドラで始まった『ユーミンストーリーズ』の第一週で綿谷りさ原作&夏帆主演『青春のリグレット』全四回を見始めた。一話15分と短いので四話まで見ても深夜一時を回る前には終わった。
一話は夏帆演じる菓子(かこ)が夫の浩介(中島歩)とやってきた旅先でかつて大学生時代のことを思い出し、青春時代の記憶と現在が交差していくというものだった。大学時代の彼氏が金子大地であり、現在の旅先のコテージを借りて遊んでいる大学生の中の一人の青年が青木袖という配役でバランスがすごくよかった。
夏帆さんの顔は個人的に大好きな系統であり、見てしまうのだけど、見ている時に口が少し半開きになって歯が見えるぐらいの角度になにかフェチ的なものというか、自分が惹かれる要素があるような気がしてきた。口周りの感じと全体のバランスみたいなもので自分が好きな顔なんだと思う。ドラマとは全然関係ないけど。


起きてから作業をする前に昨日買っていた早川義夫著『女ともだち-靜代に捧ぐ』を少し読んだ。書き手である早川さんと奥さんの話で、二人ともいわゆる普通の感覚とは言いにくい行動や言動だったりするけど、二人だけの中で許される許しているルールというか距離感、気持ちがあって、そういう人と出会えたことは素晴らしいことだしすごくうらやましいと思いながら読んだ。

話題作『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』が本フェスティバル招待作品としてワールドプレミア上映!
数々のヒット作を生み出し続ける漫画家・浅野いにおによる傑作漫画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(通称・デデデデ)の初アニメーション化。突如東京上空に巨大な宇宙船 通称“母艦”が襲来し、絶望的に思えた異常事態も次第に日常へと溶け込んでゆく世界で、日々の青春を謳歌する少女たちの物語。

16時半からTAAF(東京アニメアワードフェスティバル)2024招待作品として22日の一般上映前にワールドプレミア上映される『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』を観に火曜日に初めて来たばっかりのグランドシネマサンシャイン池袋へ。上映前には黒川智之アニメーションディレクターと本多史典アニメーションプロデューサーによるトークイベントがあった。
おそらく全席売り切れにはなっていたはず。僕は火曜日に『オッペンハイマーIMAX試写でここに来ることになっていたので、サイトを見ていたら偶然この上映を見つけてすぐに席を予約した。
プレミアムクラスという3700円ぐらいする真ん中近くのいい場所でシートも革張りな感じのグレードのいい席を取っていた。そのチケ代には700円分のミールクーポンというのがついていた。アイスコーヒーはそれで無料で引き換えられた。
お客さんは僕みたいな原作者の浅野いにおさん世代の40代もわりといたけど、若い女性もかなりいたし、アニメアワードということもあるのか海外から来たっぽい人も見かけた。

物語の内容としては全12巻のコミックスの半分ずつを前章と後章にわけるのではなく、門出と凰蘭二人の物語だからこそ、それを中心にしたものに再構成してあった。
驚くほどにあのが凰蘭だったし、幾田りらが門出だった。二人の声は原作好きでずっと読んできた僕にもまったく違和感はなかった。
また、この作品の肝ともいえる設定というか門出と凰蘭の小学生時代に起きたことも後章へのブリッジとして最後の方で出してきていた。原作ではもう少し後ぐらいのイメージだった。
ドラえもんのオマージュとしてのイソベやん(声は昨日亡くなったと報道が出たTARAKOさん)が作中作として出てくるが藤子・F・不二雄の描かなかった悪意とかも浅野いにお的に描いていたが、それも多くはないが映画にも出ていた。
上映前に黒川さんが「後章」のラストは浅野いにおさんが手掛けていて漫画とは違うものになるとサラッとすごいこと言ってた。あの終わり方にしないとなると、ほんとうに地球崩壊したりするのか、でも救いのない終わりにはならないとは思うけど、どうなるんだろう。
門出と凰蘭がもちろんメインだけど、ほかにも仲のいい三人がいて五人組でつるんでいた。その中の一人はあることに巻き込まれて亡くなってしまう。これは予告編にも出ているしネタバレではないと思うが、どうしても友達が死んでしまったあとの四人のやりとりのところで泣いてしまった。
東日本大震災以降の日本で僕たちが見てきたこと×(クリストファー・ノーラン監督『インターステラー』的な)SF的な想像力×シスターフッド作品が『デデデデ』という作品だと思っている。

昼頃に新TwitterことXでポストしていた柴崎友香さんの12月に出た単行本『続きと始まり』とちくま文庫で出たばかりの『百年と一日』のことを柴崎さんご本人がリポストしてくださっていて、版元の筑摩書房のアカウントもしてくれていた。
筑摩書房の紹介文のところには「東京のひがし・蔵前にある出版社です」と書かれていて、『百年と一日』の解説を書かれている深緑野分さんのインタビューをしに行った時に一度会社には行ったことがあった。目の前の隅田川テラスで写真撮影をした記憶もあった。亡くなった友達が住んでいたマンションは蔵前にあったので、歩いていける距離だった。いろんなものが繋がっていたけど、意識するようになると見えていなかったものが見えてくるのかもしれない。

家に帰る前に亡くなった友達のお母さんからメッセージが来て何往復かやりとりをした。
8日には部屋の荷物を実家に送って、9日にはお母さんもお父さんも家に戻って彼女の荷物を受け取るという話をされていた。だから、もう先週お邪魔したあの部屋にはなにも彼女と関係するものがなくなってしまっていて、がらんどうになっている。たぶん、彼女の気配だけはわずかに残っているだろう。
次に住む人がやってきて家具を置いたりして新しい生活が始まっていけばその人の気配で満たされていく。それが繰り返されていく。
形見分けの時に僕もいくつかのものを譲り受けた。アーセナルファンでイギリスにまで試合を観に行った彼女が買っていたアーセナルペンダントもそのひとつだった。
僕は個人的にはサッカーは好きではない。元カノがサッカー好きになりすぎてどんどん追いかけていくのを苦々しい気持ちで見ていたが、僕にとって大切な人はどうもサッカーにハマってしまうらしい。ほんとうに困ったものだ。だけど、このペンダントは大事にする。

syrup16g - ex.人間(MV) 

 

3月10日起きてから金曜日に放送された『不適切にもほどがある!』の最新回を見る。脚本のクドカンに直訴して出演したという岡田将生がゲスト出演しているのだけど、山下敦弘監督&宮藤官九郎脚本『1秒先の彼』に岡田さんは主演しており、そこでもバスが時間に関する役目を背負っていて、今作と繋がっている部分があった。
最初の数話が放送されて、実際の1986年とは違うものやディテールがあるという声がSNSにはあったが、やはり作中作的なものの可能性も今回濃厚になってきたような展開だなと思った。

作業を開始しようと思ったけど、どうもやる気が起きないので寝たまま第一章部分まで読んでいた江國香織著『川のある街』の続きを読もうと思った。

 二羽の頭上には太陽が輝き、寂れた道は静まり返っている。くかかか、くかかか。 瞬膜が半分閉じられた彼女の目に、日ざしにあたためられたアスファルトが、鉱物的混合色とでもいうべき色合いに燃え立つのが見えた。腐敗と荒廃の結果であるその地面が、いまの彼女にはおそろしく美しく、生命力に溢れたものに見えるのだった。
P125

第二章的なパートではカラスの視線から街や人が見られているものが入っていた。上記の引用箇所はその中でもすごいなと思ってメモした文章。こういう文章を読むとやっぱり江國香織すげえなと思う。

「そう。いずれするつもりの帰国の時期とか」
 荷物が重い上に、道が若干登り坂だった。
「おばちゃん、こういうのいつも自分で持ってるの?」
 澤が訊いたのと、
「帰国なんてしませんよ。私には帰るところなんてないもの」
 と伯母がこたえるのとが重なった。
江國香織著『川のある街』P206

第三章の異国の街で暮らしている、パートナーには先立たれた老婆が主人公のものだが、「私には帰るところなんてないのもの」というセリフはリアリティがあった。
初生雛鑑別師だった祖母の兄は戦前にアメリカのカルフォルニアに一年近く日系移民の人に呼ばれて行き、帰国してその翌年にはイギリスに渡った。第二次世界大戦が勃発し日本とイギリスは敵国になったので仕事の最中に大伯父は捕まりマン島に収容された。戦争が終わっても日本には帰らず、もう一人の仲間と共に北アイルランドの養鶏場を任されてそこで暮らして、友達を看取ってから一人で暮らしてポーターダウンという町で亡くなった。
イギリスで一緒に仕事をしていて日本に帰った同じ協会だった人たちが戦後、高齢になってから大伯父の元を何人かが訪ねた。みんなが一人になったのだから日本に帰ってはどうかと聞いたが彼は首を振らなかった。最後に会いに行った人は戦前の初生雛鑑別師たちの海外での記録を書いていて、大叔父のことも触れていた。そこで大伯父は「もう私には日本に帰る場所はない」と言ったという。それを読んでいたから、この部分は自分がなにかが知っているものと似ているような気になった。

セリーヌ・ソン監督『パスト ライブス/再会』第 96 回アカデミー賞®授賞式直前特別先行上映ということでル・シネマへ。19時からだったので17時半には家を出た。
radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら宮益坂下に向かった。春日さんが仕事でロサンゼルスにいるということで、冒頭からしばらくは若林さんの一人トーク、そこからアンガールズの田中さんがゲストで登場。二人の言い合う感じが同期であり、共にテレビで戦っていたからこその信用でできているんだろうなと思わさせるものだった。本音もたくさんあるだろうけど、丁々発止でできるやりとりはやはり相手の懐に入っていて、互いの信頼がないとできないと思うし、二人がたのしそうだった。
アカデミー賞授賞式前に候補作になっているA24制作の『パスト ライブス/再会』と『関心領域』の二作品が公開日より前に限定的に上映されるというもので、ル・シネマ以外でもやっていたが一番近いのでここにした。お客さんは二十人ぐらいだったかな、男女半々ぐらいだろうか、部活帰りっぽい女子高生らしき二人組もいた。

海外移住のため離れ離れになった幼なじみの2人が、24年の時を経てニューヨークで再会する7日間を描いた、アメリカ・韓国合作の大人のラブストーリー。

韓国・ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソンは、互いに恋心を抱いていたが、ノラの海外移住により離れ離れになってしまう。12年後、24歳になり、ニューヨークとソウルでそれぞれの人生を歩んでいた2人は、オンラインで再会を果たすが、互いを思い合っていながらも再びすれ違ってしまう。そして12年後の36歳、ノラは作家のアーサーと結婚していた。ヘソンはそのことを知りながらも、ノラに会うためにニューヨークを訪れ、2人はやっとめぐり合うのだが……。

これが長編映画監督デビュー作となるセリーヌ・ソンが、12歳のときに家族とともに海外へ移住した自身の体験をもとにオリジナル脚本を執筆し、メガホンをとった。ノラ役はNetflixのドラマシリーズ「ロシアン・ドール 謎のタイムループ」や声優として参加した「スパイダーマン スパイダーバース」などで知られるグレタ・リー。ヘソン役は「LETO レト」「めまい 窓越しの想い」のユ・テオ。2023年・第73回ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品。第96回アカデミー賞では作品賞、脚本賞にノミネートされた。(映画.comより)

ノラを演じたグレタ・リーがどうしてもMEGUMIに見えてしまった。すごく似てる。彼女のパートナーであるアーサーは同じく A24制作のケリー・ライカート監督『ファースト・カウ』や『ショーイング・アップ』にも出演していたジョン・マガロだった。ヘソンを演じた役者さんは初めて見たかもしれない。その三人が主軸であり、ノラとヘソンという二人の初恋、その後という物語。
大きなドラマはない、といっても二十四年後に実際にニューヨークで再会するのが一番のドラマであり、ノラは結婚していてアーサーというパートナーもいるので初恋の二人は会いたかったという以上のことには進めないし、進まない。もどかしくもあるが、それがリアルだしそうだろうと観ながら思った。
作中では韓国語の「イニョン」という言葉が軸のようになっていた。日本語にすると「縁」や「運命」の意味らしい。袖振り合うも多生他生の縁みたいな感じで使われていた。今世では結ばれることがない二人は前世ではどんな関係だったのかと話す場面などがある。
ノアとヘソンとアーサーの三人で食事に行ってバーに行って飲むシーンが哀愁というか大人の恋愛や付き合いの難しさであり思いやりを感じられた。とても大人しい大人の恋愛ドラマという感じだが、カップルとかで観に行くタイプではないかも。通り過ぎたかつての大事な人を思い出してちょっとセンチメンタルになるような作品。


帰りも歩いて渋谷を抜けようとしたが、日曜の夜だというのに人がたくさんいた。特に誰かと袖振り合うことはなかった。

 

3月11日

13年目、震災以降何度か福島に行って歩いた。
機会があれば、ぜひ古川日出男著『馬たちよ、それでも光は無垢で』『ゼロエフ』『あるこうまたあおう』の第一回、第一話「キカイダー石巻鳥島、福島」(『群像』四月号掲載)を読んでみてほしい。
復興とはなにかということ、人と人の生活のことを考える。終わりはない、能登のことだけじゃなく、様々な震災が起きても改善されない問題など、あれからどれだけのことが震災の経験から活かされているのか。
祈りや願いだけではどうにもならない実生活に関する問題は国や自治体を動かさないとどうにもならない。人権や個人の自由を認めない人たちを僕はこれからも選ばないし、いろんな事柄によって変わるべきだったのに変えずに変わらないままで沈没していくことに関してはちゃんとNOと言わないといけないと思う。


リモートワークの昼休憩の時に今日、3月11日がオープン日で2周年を迎えたtwililightに。twililightが刊行した大崎清夏著『私運転日記』を購入。とてもきれいな装幀デザイン。

今日発表になったアカデミー賞でのロバート・ダウニー・Jrエマ・ストーンらの受賞の際の行動が差別的だと新TwitterことXで話題になっていた。
ロバート・ダウニー・Jrキー・ホイ・クァンは撮影後に抱擁してたけど、受賞の時の無視が問題になっていた。アジア人は目に見えていないという差別だとポストが広がっていた。
主演女優賞を受賞したエマ・ストーンは前回受賞者のミシェル・ヨーからトロフィーを受け取らずにハグしなかったみたいな感じになっているが、どうもミシェル・ヨーがエマの親友のジェニファー・ローレンスにトロフィーを譲って渡すように促してるっぽいし、それでエマも彼女とハグできずにみたいな感じに見える。その後ミシェル・ヨー自体がインスタでエマと抱擁している姿もポストしていた。
この二つのことでアジア人差別だ、という声がどんどん広がっていっていた。アジア人への無意識でも差別意識が働いているとしたら、それは残念なことだ。
ただ、条件反射でその前後関係も調べず、見ないでリポストすることが差別を見えにくくするし、加担するかもしれないとは思ったほうがいいよね、とは思う。
エマ・ストーンが受賞したのはよかったと思うし、試写で観たけど『オッペンハイマー』でのロバート・ダウニー・Jrの演技が素晴らしかったのは間違いない。

サンボマスターの曲の中でも屈指の名曲だと思うし、今日この日にこの曲をやるという意味、見ていた多くの人の心に沁み渡ったと思う。
Tverで見れるので今日の前半見て、この後半でサンボのライブを見たらこの『ラヴィット!』の良さが伝わると思う。ライブだけなら後半の25分前から、31分になる少し前から始まる『ラブソング』だけでも聴いてほしい。 

ラブソング サンボマスター 


TVerで見れなくなったらこちらを。この曲がリリースされたときにアップされた「長澤こよみ」というとある有名女優さんにしか見えない人の写真で作られた動画も素晴らしくセンチメンタル。自主制作でバージョンが三つあるけど、これが一番好きかな。
美しかった時間がかつてあった。過ぎ去っていったけど、一緒にいたことは日々や景色は心のどこかに残っている。

最中(モナカじゃないよ)というのは、いろいろな事が「それどころではない」という状態になり、時間が止まってしまう。こういうのをカイロス時間(主観時間)と言う。時間は基本、止まらないので、カイロスによって止まると、ものすごく止まってしまっていたかのように思ってしまうのだが、先生も看護婦さんも、受付の女性も、診察待ちの親子などもみんな含め、何も変わっておらず、時間が再び走り出すのが手に取るようにわかる。

再開したのだ。あらゆることが。後遺症という縁(よすが)だけを残して。たった半年だったのだなあ。と思う。既に去年の夏は熟成され、甘さを発し始めた。死の覚悟までしたのに。

どんな薬であっても、常用すれば効かなくなる。処方された「昔ずっと飲んでいた抗アレルギー剤」は、物凄く効いて、あれだけ僕を七転八倒させていた花粉症の諸症状は、2錠で綺麗さっぱりなんともなくなってしまう。

深夜0時から早朝7時までスタジオに入る。ぺぺは、クラシック、ジャズ、ラテンという3つのトライブが、そのどれでもない音楽に収まるミクスチュアだ。各トライブには、各々のテクニカルターム=言語がある。

菊地成孔の日記 2024年3月4日~3月10日記す>



リモートの仕事が終わってから、SUPER DOMMUNEYouTubeを流しながらライティング作業を。余裕はあまりないけど、ちょっと中旬以降のスケジュールが読めなくなってきた。
ピロリ菌の除菌薬が効いているのかどうかわからない。確かに下痢気味な感じにはなっているが、赤いブツブツがちょっと出てきてかゆかったりするけど、その原因が抗生剤なのかもわからない。あと三日なのでとりあえず一週間早く飲み終わりたい。そうすれば二ヶ月後の菌が残っているかの検査までなにもないから。

 

3月12日
寝る前に第11回ハヤカワSFコンテスト特別賞を受賞した間宮改衣著『ここはすべての夜明けまえ』を読み始めた。死なない体になった主人公が家族史を書いていくというもので、漢字やカタカナなどはほとんどなく、ひらがなばかりが使われている文章になっていた。
正直こういう文章は思いの外読みにくいものだったりはする。だが、冒頭から主人公が置かれた立場や語り出した過去の話ということがわかっているからか、そこまで苦手意識は出ずに、こういうものだと脳が判断して読んでいる感じ。
刊行前から早川書房SNS系ではすごくプッシュしていたので気になっていた。大賞受賞作はすでに刊行されているので、どうしてもこの作品を刊行したいという気持ちにさせる作品だったのだろう。となると最後まで読むと沁みいる人もいるし、ある種拒絶する人もいるというものなのかなって気もする。

起きてからライティング作業をして、自分で決めていた〆切よりも早く提出した。ひとつずつ終わらしていくしかない。
で、昨日の時点では認めたくなかったけど、赤いブツブツはやっぱりじんましんぽい、あるいは薬疹というものなのか。しかしめっちゃかゆい。上半身の胸から上のほうにできていて、ちょっとみみず腫れっぽくもなってる。顔には出ていないが、顎ぐらいのところにもできていてかゆい。ピロリ菌とかゆみと副作用で検索したら、じんましんや薬疹が出たら薬を飲むのをやめたほうがいいと書いているし、処方箋の袋にもそれらの症状が出たら連絡くださいと出ていた。


家を出たら雨がしっかり降っていた。友達の形見としてご両親から預かっていたものを渡すために新宿三丁目へ。バルト9が入っている新宿マルイアネックスの地下にあるBrooklyn Parrlor SHINJUKUで待ち合わせを。なんか僕が好きそうだと予約をしてくれていたので、オープンすぐに入ってから料理を頼んで食べてから、形見の品を渡した。
結局、四時間近くお店にはいた。アイスコーヒーを三杯ぐらいは飲んだ。外はずっと雨が降っていて、店を出てもかなり降っていて、今の気持ちには合っている天候だなって思わずにはいられなかった。
お互いに亡くなった友達とは22年ぐらいの付き合いだったし、そのことを共有できる人もほとんどいない。ふいに彼女の形見を置いているイスを見たその友達が、今そこにいたような、三人で話してるみたいな気がしたと言って泣いた。
僕らは平日の昼間、雨がザーザー降る新宿三丁目の地下で泣いていた。僕が彼女に最後に会ったのも同じ新宿でビルは違うけど、すぐ近くのマルイ本館だった。一緒に朗読劇を観て、彼女は珍しく風邪気味だというので飲みにも行かずに違う路線だったので外で別れた。あの日は今年最初の雪だった。今日は雨だった。

家に帰ってから、新宿にいた時にはかゆみもなかった蕁麻疹がまた赤くなってかゆみが出てきた。もう、さすがに無理に薬を飲むのもいいとは思えないし、診察を受けて処方箋を出してもらった病院に電話をした。
喉がイガイガしたり、呼吸がおかしいことにはなっていなかったので緊急ではなくてよさそうだということになり、水曜日は診てもらった先生がいる日だったので明日一番で病院に行くことにした。
さすがに今日の夜はピロリ菌の除菌薬は飲まないで、一旦止めることにして明日これからどうするかは先生に聞こうと思った。もう、この状態で無理したらさすがにダメだろう。しかし、自分の内臓っていうか胃が思いのほかナイーブだった。まあ本来の機能も抗生剤で落ちてるだろうし、免疫も弱まってるだろうから、無理してひどくなったら意味ないし。これで薬の副作用じゃなかったら怖すぎる。

 

3月13日
6時に起きてからベッドで寝たままで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴きながら、ちょっとずつ起きて準備を開始。ピロリ菌の薬でじんましんが出た可能性が高いので、最初から診てもらっている消化器内科の先生に今後どうするか聞こうと思って、7時半には家を出た。8時前には自衛隊中央病院に着いた。予約が今回はないので整理券を取って8時半からの受付を待った。結局、先生に診てもらって処方箋を出してもらうまでは9時半と思いの外時間はかからなかった。
ピロリ菌の抗生剤のどちらかがアレルギー反応を起こさせている可能性が高いので、かゆみ止めの処方箋を出してもらった。除菌薬は七日間続けて飲まないといけなかったけど、僕は昨日の五日目まで、先生がいうにはワンチャンでピロリ菌が除菌できているかもしれないので、6月の菌の検査はそのままということになった。
かゆみ止めを五日間飲んでも治まらなかったら皮膚科へと言われた。上半身の胸より上の首の辺りと背中の背骨付近がかゆい。正直痒み止めが効いてるのかどうかわからないから気になる。抗生剤のアレルギーが出てしまっているのか、かゆみ止めが合わないのかがわからない。とりあえず、先生には診てもらったので一安心はしたけど。

病院への行き来の間はずっとradikoで『あののオールナイトニッポン0』を聴いていた。番組が終わるという話もしないし、明日「オールナイトニッポン」の2024年のラインナップ発表だけど、「ANN0」の五つはたぶん変わらないのだと思う。終わるという発言をしているパーソナリティーは皆無だ。このラインナップがちょうどいい。
あのちゃんも『R-1グランプリ』チャンピオンの街裏ぴんくについてトークをしていたが、彼の芸風的に言っていることが本当なのか嘘なのかわらないって話から、今回のトークの流れもできていった感じだった。そういうのが自然とできているのはやっぱりすごい。
帰ってから仕事中に流していた『JUNK 爆笑問題カーボーイ』には街裏ぴんくが短い時間だが顔を出して挨拶をしにきていた。何度か番組に呼んでもらっていたからなんだろう、義理堅い。
土曜日にTAAF招待作品で観た『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』のラストで流れたano feat. 幾田りら『絶絶絶絶対聖域』は劇場の音が大き過ぎたのかちょっと割れる様に聴こえたけど、今回のラジオでフル尺でかかったのを聴くとやっぱりあれは音割れてた。この曲のMVとか早く出ないかな。

11時前には処方箋出してかゆみ止めの薬をもらって、家出リモートワークを開始。かゆみはまだあるから気になってしまったが、朝の分はもらった時に飲んじゃっていいですよと言われたので飲んだ。副作用としてかなり眠気が出ると言われた。
14時過ぎに休憩をとって、30分ほど仮眠したが確かにすぐに眠れた。でも、夕方ぐらいにまたかゆみが出てきたりして、抗生剤のアレルギー反応なのか、かゆみ止めが逆に合わないのか効いていないのか判断がつかない。


仕事が終わってからニコラに行って、そら豆と木苺のモンブランとアルヴァーブレンドをいただく。気のせいか家を出るとかゆみが出ないんだけどなあ、ダニかハウスダストとかのアレルギーじゃないかなってまだ思っていたりする。でも、それでもかゆみ止めは効くと思うんだけど、どういう状態なんだろう、これ。
土曜日と月曜日に〆切というか提出するライティング作業があるから、集中できる状態に早くなりたい。

 

3月14日
最悪だ。起きたら首元まで赤かったものが顔にも見られる。朝8時半の一番早い時間帯に免許更新の予約を入れていた(東京都は2月から届いたハガキからウェブ予約して自分のQRコードを取らないといけなくなった)から、この顔で写真撮るのかっていう。
昨日はかゆみがあったところは冷えピタとかで冷やしてなんとかかかないようにできるだけしたのだが、結局昨日処方箋でもらったかゆみ止め効いている感じがあまりしない。ピロリ菌の除菌薬の抗生剤のアレルギー反応なのかもしれないし、あるいは除菌した際に死滅したピロリ菌が出す毒性のなにかのせいなのかはわからない。やっかいすぎる。

免許は8時半前には世田谷警察署の免許更新センターに行って、一番目に並んでいたので9時に30分のビデオ講習が始まってすぐに新しい免許を渡してもらった。
しかし、顔も赤いが輪郭が太りすぎだ。五年前の時でも一般的には太っていると言われる体重だが、それでも今と比べるとかなりスッキリしているように見えてしまう。それから十数キロ太っていて今は人生で一番太っている。顎や首に肉がついているから比べると輪郭がだいぶ違う。A24制作のブレンダン・フレイザー主演『ザ・ホイール』でフレイザーが演じた太り過ぎて家から出れなくなった主人公のことをちょっと彷彿させる。
車の運転はしないから次は五年後か、今の免許写真は戒めとして見ろと言われてるみたい。ほんとうにいろいろと変えなさいってことなんだろう。終わってから家に帰る時に手首とか手のひらも赤い斑点ができていたり、赤くなっていた。「エヴァ」で使徒に侵食されてる感じっていうか、陣地取られてる感がわかりやすくある。
自衛隊中央病院には皮膚科もあるから行こうと調べたら今日木曜日は休みだった。最寄駅で皮膚科を検索して探してみるが、一回も行ったことがないのでどこがいいのかわからない。
年賀状だけは十数年とお互いに出しているバイトが一年ぐらい一緒だった人が駅近の皮膚科のクリニックにはずっと通っていると言っていた記憶があったので、そこのサイトを見た。ウェブでの予約はいっぱいだったが、電話して訳を話すと院長先生ではない外部からの先生なら12時から予約できると言われたのでお願いした。

家に帰って服を脱いだが、やっぱり胸から首元と内腿の付け根辺りにあった薬疹の赤いものがお腹の方に広がっていた。昨日からかゆい背中も見れないけど、腰の方に広がっているのはわかる。
予約でいっぱいだったけど皮膚科に行って待っていたら30分以内には診察室に呼ばれて、ピロリ菌の除菌剤飲んでから赤くなっていったこと、除菌剤は五日まで飲んで先生に診てもらって止めて、かゆみ止めを出してもらったのを飲んだけどじんましんか薬疹が広がっていることを伝えた。
先生はじんましんではないだろうと、おそらく除菌剤のアレルギーによる薬疹か、ピロリ菌が死滅した際にだした毒性のものが原因だろうけど、特定は難しい。薬であればもう飲んでいないから治るはずだけど、これから全身に広がるということ、基本的には様子を見る感じになると言われた。かゆみはあるのでステロイドの入った昨日飲んだものよりも強めのものと胃の粘膜を保護する薬を出してもらった。
抗生剤のアレルギーでもピロリ菌の毒素によるものでも普段の皮膚の状態になるのはちょっと時間がかかると言われた。呼吸関係がしんどくなったり、粘膜系が爛れたりしたら、ほんとうに危ないのですぐに電話を言われた。ひどい場合だと最悪入院して点滴して中の毒素を出し切るみたいなことになるらしい。それはマジで嫌だし大変。
土曜日に薬を飲んで経過を診てもらうことになった。かゆみが減っていったらなんとかなるんだろうけど。今、体内にある毒素とか出し切って再生させてほしい。今年はもう体のことちゃんとメンテナンスしていく。もうそのきっかけにすると思わないとしんどい。

ステロイドの入った炎症やアレルギーを抑えるベタセレミン配合錠というのは、昨日飲んでいたものよりもさらに眠くなると皮膚科の先生に言われた。朝昼夕の一回一錠ずつだと仕事とかに支障が出るかもしれないということで夕食後に一日分として二錠飲むということにしたので、夕食を食べるまでは一旦一時間ほど横になって眠ったが赤みとはやっぱり引いてなくて腰の上とかにさらに広がっていた。ライティング作業はしないといけないけどちょっと精神的に無理。
寝転んだまま読みかけていた大崎清夏著『私運転日記』を。現実逃避というか、本読めるならライティング作業も多少できそうな気もするし、日記をこうやって書いているからできそうなんだけど、かゆみとか薬疹の広がりも気になるけど単純に仕事をやろうというテンションになれない。〆切は近いけど、今はできない。

8月20日

 シネコヤで『アフターサン』観る。薄い層を何枚も何枚も重ねて、それが溶けていくのを見ているような映画だった。忘れてしまうことばかりだった。スクリーンのそこらじゅうに、濃い死の匂いが漂っている。私たちが死ななくても、私たちの関係が毎日死ぬこと。だから記録すること。記録には何も映っていないこと。とどめようと足掻いた事実だけが再生されること。帰ってきたら午後だった。おやつのような時間に、納豆キムチ炒飯を作って食べた。夕飯は冷麺。

『私運転日記』「運転しない日々」 P105より

大崎さん日記を読んでいて、上記の部分が気になったというか、僕も『アフターサン』を観たけど、こういう書き方はすごくいいなって思った。16日からの下旬の日記はこのぐらいにシンプルにしようかな。
最後まで読み終わってから買ってきてきたナポリタンと豚しゃぶレタスサラダを食べてからもらった薬を飲んだ。ステロイドがどのくらいで効くのか、眠気はどのくらいなのかと思いながらまた横になって、20時からの「オールナイトニッポン2024年度ラインナップ」を17LIVEで見ることにした。

「ANN0」2024年ラインナップは月から金までは2023年のレギュラー陣が継続するのはすごくうれしい。この五番組は毎週聴いていて楽しみにしているしバランスもいいと思う。そこに最終土曜日にヤーレンズが月一回のレギュラーになったのもうれしい。
会見にはヤーレンズが出てきて挨拶をしていた。それもあって、去年は三四郎が司会だったけど、今年は現場に芸人がいるから彼らは司会ではなかったのかなと思ったり。
「 ANNX」の山田裕貴が一部昇格したあと枠にはキタニタツヤがレギュラーになっていた。『あのの電電電波』にゲストで出ているキタニタツヤを見たが、東大卒だが勉強ができるインテリというよりは地頭がよくて変態的なものもちゃんと好むというユニークな人、昔の頭いい人ってそっちよりだったと思うけど、この人はかなりよいのではないだろうか。
ミュージシャン枠だし、トークもいければ今後どんどん活躍の場は広がりそう。wiki見たら小学生の時にアジカンからロックを知って、高校時代にはアジカンのコピバンをしていて、ボカロPとしても活動をしていたらしい。アンダー30の人たちで曲を自作している人たちで才能豊かな人は以前にはボカロPをやっていたり、TikTokから世に出てきたりしていて、すごい時代を感じる。

 

3月15日
5時前に目が覚めた。髪の毛は二日ほど洗っていなくて気になっていた。湯船につかって温まると血行が良くなって薬疹のかゆみが出てしまうのでシャワーだけでと皮膚科の先生に言われていた。
シャワーを浴びて髪の毛を洗ってから寒いけど冷水で体全体を流した。体が冷えるとかゆみとかはなくなっていく。かゆいときは冷えピタとかで冷やしていたが、これはわりと効果があって、二度寝して7時過ぎに起きてもしばらくは大丈夫だった。
といっても仕事を9時からリモートで開始したぐらいから、かゆみが出てきた。両肘の内側に出てきたし、両太ももの足の付け根の下に広がっていたもの膝方面へ、胸の上部分に広がっていたものはお腹の方へと赤い斑点が広がっていた。
出してもらったステロイド入りのかゆみ止めを飲んでも効いている時とそうじゃない時間帯があったりする。先生が言われていたように、まずは全身に薬疹が広がってからゆっくり落ち着いていくのだろう。
顔は赤いままだし、首元も斑点みたいに赤いところと白いところがあって、明らかになにかアレルギーっぽいのが出ているのが普通に目視できる。顎の方とか瞼の上やかゆくて何度か掻いてしまった胸のあたりの皮膚は皮がカサカサになって剥けてきている。この辺りの状態は触ると皮膚やられてるなってよくわかる。
ネットで薬疹のことを調べても10日から14日ぐらいは元の状態に戻るのにかかるとあった。重症化したら毒素とかを点滴で全部流し切るとあるけど、これ以上ひどくなる感じはない。ただかゆいし赤い。二週間とかかかってもいいけど、このまま赤みが残ったり、肌が荒れたままだと嫌だなあ。もう若いわけでもないし、皮膚とかの再生能力次第なのかもしれないけど。

朝起きてからは『ハライチのターン!』を聴いて、仕事が始まってからは『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』『四千頭身都築拓紀 サクラバシ919』を流した。
都築とマヂラブは自分よりも若いけど、声が無理じゃないというかなんか馴染む。どちらかというと女性よりも男性の方が合う合わない声があるような気がする。自分と同世代や上だとあまりそれは感じないのだけど。

リモートが終わってからライティング仕事の作業を。〆切も近づいてきたのもあるけど、かゆみとかにも慣れてきたし、明日の〆切のものはアイデア次第なのでどうするかは考えていたのでそのパターンを書き始める。月曜日のものは日曜月曜でなんとかなりそうな算段。算段は算段でしかないから手を動かすしかない。
なんとか体調と共にリズムも戻さないといけないなって思ったけど、体調はよくしないとどうしようもないけど、生活のリズムとかもうちょっと考えてみよう。

今回はこの曲でおわかれです。
ゆるふわギャングと踊ってばかりの国『君の街まで』Music Video(2024) 



Spiral Fiction Note’s 日記(2024年2月16日〜2024年2月29日)

2月上旬の日記(2024年2月1日から2月15日分)


2月16日
上旬分の日記をアップして1時過ぎに寝る。この二週間ほど精神的に安定していなかったというか、思いがけないことが起きると中々いつも通りにはできないし、荒れた海原がやがて凪になるのをただただ待つしかないと思い知らされた。
時間は過ぎる。そのことを待つ。だけども、状況や気持ちは日々変化していくから待つだけでも難しい時もある。
三週間前に友達は急に倒れて、翌朝に亡くなった。まだ一ヶ月も経っていない。実際に僕が亡くなったことを知らされてからは二週間少し、付き合いの長さといろいろと話したりしてお互いのことを知っていたことだけでも僕には彼女のような友達はほとんどいない。
僕は人生の半分以上を東京で生活しているからほとんど東京の人なんだと思う。ここで出会った人たちとの関係性しかないともいえる。生活する場所とそこでの関わり合いで人は生きている。地元にちょくちょく帰ってそこの友達ともよく連絡を取ったりする人なら、多少離れていても関わりは薄くはならないのだろうけど、僕はそういうタイプではない。地元の友達や同級生というのはもう知り合いと友達の間ぐらいのものになっている。
結局のところ、僕の東京生活の一部が失われたというのがいちばんしっくりくる。そういう関係性は作ろうと思って作れるものでもないし、20年以上長く続くぐらいには僕らは友達として居心地がよかったし馬も合った。それはどこかを探したら見つかるものでもないから、どうしようもない悲しみを連れてきて僕は途方にくれる。


起きてから少しだけ宮内悠介著『国歌を作った男』を読む。宮内作品はわりと好きで読んでいるけど、今作はゲームに関わる短編集ぽかったので気になってちょっと前に買っていたもの。

リモートワークを始める前にスマホで確定申告をやる。二、三年前からスマホでやるようになった。それまでは青学近くの会場に行って設置されているパソコンで記入してプリントアウトしたものを提出していたのでちょっとイベント感があったのに、なんかそこに行ってもスマホでやってくださいみたいになってしまった。
会場ではお年寄りにも説明していたけど、どう考えても無理だろ、としか思えない光景だった。チケットの電子化同様にある世代以上には難しいし、スマホありきっていう発想ってそれができない人を排除していく暴力にしか見えない。というか暴力でしかない。
首相官邸のご意見メールみたいなやつに意見を送ろうって新TwitterことXで誰かがポストしていたので、マイナンバーに銀行口座紐付け反対って話だったけど、裏金という名の脱税している政治家は当然ながら追加徴税して政治家は辞めさせた上で、政治家の資金の流れはウェブなどで国民が見れるように透明化する。当たり前だが政治家は公僕なので彼らの給与などは税金なので国民がそれを知っている必要があるし監視もしないといけない。そうしていないからやりたい放題になっている。そういうことをしてからマイナンバーと銀行口座の紐付けとかの議論をするべきだと送った。
多くの人が意見は送ったからといってプレッシャーになるかわからないけど見てるぞって伝えるべきだし、そもそもちゃんと選挙に行くしかないんだけど、何十年に渡って諦めを完全に彼らに植え付けられているから行かないために投票率は下がっていき、組織票を持っている自民党公明党とか統一教会のがんばりで彼らが勝ってしまい、彼らの思う壺になっている。
と伝えたところで投票に行かない奴は行かないし、それで税金上がりまくって生活苦しいとかいうのはマジで愚の骨頂なのだけど。それは左でも右でもない、当たり前のものが奪われていく、奪われてから取り戻すのは難しい。ちゃんと第二次世界大戦での敗戦の理由とかその際のメディアのプロパガンダとか学校で教えろよと思うが、まあ、そんなちゃんとしたことを権力側が教えるつもりはないだろうけど。


講談社繋がりになってしまうが、昼休憩の時に「メフィスト賞」特集の『本の雑誌』を買った。ペラペラとめくってみたけど、思いの外特集ページあまりないような気がするんだが。
今月末〆切の「メフィスト賞」はどう考えても間に合わない。毎度お決まりのパターンになりつつある、2月末〆切のメフィスト賞出せそうにないので3月末〆切のハヤカワSFコンテストに出せればモード。内容的にSFぽさはあるから応募はできると思うけど、長さも内容もだいぶ変える感じだなあ。もう、いろいろと進展できていない。

【本予告】『オッペンハイマー』3月29日(金)、全国ロードショー 


クリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマー』試写のお知らせが来た。IMAX特別披露試写会という形で二回だけやるみたい、最初の日はもう仕事で絶対に行けない日だったのでどうにもならないので諦めた。もう一日の最終日は行ける。
ただ、場所が全然馴染みがないというか行ったことのない所だった。予約だけソッコーでしたからたぶん観れるはず。

 

去年の「20000」をザ・スズナリで観てほんとうもおもしろかったので待ちに待っていた本多劇場でのダウ90000の単独ライブ。
亡くなった友達と去年やった「20000」をザ・スズナリに観に行って、次はタイトルは「30000」で本多劇場で開催というアナウンスが出ていた。チケット取れたら行こうと話していた。取れるかはわからないけど先行抽選を申し込んだ。

 

2月17日
日付が変わって寝落ちしたが、すぐに目が覚めて25時過ぎから10分遅れぐらいで『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』をradikoのタイムフリーで聴く。先週の『赤えんぴつ in 武道館』について放送中はずっとバナナマンのお二人がリスナーからのメールも紹介しながら話していた。
音量を絞ってPC画面の光量も絞って横になって聴いていた。その間は眠くならなくて、最後まで放送を聴いた。この番組はいつも朝の作業中に聴いているから、ほぼリアルタイムで聴いたのは初めてかもしれない。


武道館ライブの本編最後でゲストのトータス松本さんが『笑えれば』を歌ったのを聴いて、ほんとうにいい曲なんだって泣きそうになった。


8時過ぎに起きてから頭を起こすために散歩へ。『三四郎オールナイトニッポン0』をradikoで聴きつつ代官山蔦屋書店まで。イーユン・リー著『千年の祈り』を買ったのは前から気になっていたのと、タイトルになんか惹かれたから。
バナナマンの赤えんぴつ武道館ライブや福岡では博多華丸・大吉による福岡PayPayドームでの華大どんたくや『有吉の壁』のリアルライブイベントが有明アリーナであったし、明日はオードリーの東京ドームがある。
芸人さん関連のライブイベントが以前よりも一つデカい場所や箱でやっている感じは、なんか単純にすごいなっていうのと何かの終わりなのか始まりみたいなものなのかって思ったりもする。
三四郎の二人は『有吉の壁』ライブに出演していたのでそのことをフリートークで話をしていた。お笑い好きでいろんな芸人さんが好きな人はこういう大きなイベントが立て続けだから飛び回って楽しんでいるんだろうな。

TwitterことXで「くも膜下出血」に関するエッセイ漫画がバズって広がっていて、そのことに関するポストがトレンドに入っていた。とりあえずそのエッセイ漫画を読んでみた。
亡くなった友人の死因はくも膜下出血だったが、脳卒中の原因のところでは高血圧や糖尿病と同じように、「食事」「運動不足」「喫煙」「過剰な飲酒」という生活習慣が関係していて、遺伝的な要因もあると書かれていた。ほかのものでは40歳以上の女性に多いというのも見た。確かに友達はいろいろとそれらで重なる部分があった。
生存率は初回の出血で50%が死亡すると調べると出てくる。半分の確率というのは思いのほか高い、何らかの症状が出ていて病院に行っていればかなりの確率で助かっていたはずだけど、こればっかりは後から何を言ってもどうにもならない。
この漫画エッセイが広くリポストされているのだから、何らかの症状が出たりしたらすぐに病院に行って診察してもらって、放っておいてのちに急に倒れてしまって亡くなるというケースが少なくなることを僕は願うことしかできない。

今日中に提出するライティング作業のことについてこの数日考えているけど、なかなかよいものが出てこない。昼過ぎに数十分だけ昼寝をした。このところ横になるとすぐに寝たくなっていて、睡眠を貪っている。冬季うつな気がする。
起きてから作業を開始。浮かんでいることがちょっと弱いから、唸りながら書いては消していく。

明日の『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』の翌日の月曜深夜のオールナイトニッポンCreepy NutsがAdoの代わりに出演するらしい。
めちゃくちゃうれしいけど、この時期やタイミングでピンチヒッターということならやはり四月からのAdoの後に復帰とかはないのかなって思ったり、そもそもすでに世界的にブレイクしているからそれはないのだろうけど。
オードリーの東京ドームの翌日に彼らのラジオに影響を受けたCreepy Nutsの二人が電撃的に一夜限り復活してラジオをする、というのはすごくいい。

 

2月18日
昨日散歩の帰りに代官山蔦屋書店近くのサミットでイカ墨パスタを買って帰った。前から何度見ていて気になっていたけど、今まで一度もイカスミパスタというものを食べたことがなく、イカ自体もたくさん入っていたので食べてみたかった。
晩御飯で食べたのだが、その後、深夜帯に入るころにトイレに行って大をしたら気持ちいつもよりも便の色合いが違うような、かすかに緑っぽいような、なんかイカ墨を食べるとこうなるのか。ネットで調べてみるとイカ墨とか真っ黒い食べ物を食べると腸内細菌で悪玉菌が増えて茶色や緑色の便になることがあるらしい。人体の不思議。


14時まで作業を、頭がほとんど動かなくて進まなかったけどタイムアップで家を出る。『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』のライブビューイングをLINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)で観るために渋谷へ。
もともと東京ドームイベントが発表された時に行きませんかと誘ってくれた料理研究家の友達(NHKきょうの料理』に出るぐらいちゃんと売れてる)と一次から三次先行まで二人分チケットをどちらも申し込んだけど、取れなかった。でも、その日は空けといて久しぶりに飲もうって話になっていた。
その友達が今回のライブビューイングチケットを取ってくれたので、開場前にPARCOで待ち合わせして地下の寿司屋でのんびり食べて飲みながら、数年分の近況報告をした。Xではずっと繋がっていたし、お互いにラジオで好きな番組とか彼の出身である福島県の著名人でもある佐久間宣行さんの番組(アルピーの平子さんとのやつね)とかも見ているのでそういう話題はXやDMでしていたので久しぶり感はさほどなかった。でも、実際に会うのはコロナ前に飲んだ時だから5年ぶりぐらいだった。
40代を越えて東京で生き延びたおじさん(僕は未婚で子供なしと彼は既婚で二児の父)同士は環境とか立場とかは違うけど、価値観や嗜好はかなり近いし、同じ業種ではないからお互いのジャンルで言いたい放題できる部分がわりとあったので楽しく飲んで話せたのがうれしかった。

名前がLINE CUBE SHIBUYAになってからは初だったし、僕らの席は三階席だったが角度もあったため、スクリーンもかなり見えやすかったのでなにも問題はなかった。周りにはグッズのユニフォームを着ていたり、タオルとかを持ってきている人もたくさんいて、リトルトゥースの熱量を直に感じられた。
僕は四年ぐらいしか聴いてないからリトルトゥースと言いにくい感じは正直ある。毎週聴いているけど、長年聴いている熱量のある人たちがたくさんいるのがわかっていたのもちょっと関係していた。もちろん一人で聴いている人たちもたくさん来ていただろうし、友達同士で来ている人もいたし、男女も偏りはほとんどなかったと思う。年齢もバラけていて、大学生ぐらいから僕ら40代や50代というオードリーの二人に近い世代もいて、客層がかなりバラエティで豊かだった。
オードリーの東京ドームイベントに関しては、ラジオのイベントだしそもそもラジオ聴いてないとわからない話ばかりではあった。僕ぐらいでも十分わかるネタばかりだったのでこの数年で聴いている人なら問題はなかったと思う。
東京ドームとLINE CUBE SHIBUYAと全国の映画館でのライブビューイングと同時配信視聴者を合わせると16万人ぐらいがひとつのラジオイベントを楽しんだということがすごいし、集客力もだけどやっぱりグッズをかなりみんな買っている。普段タダで聴いているラジオだから、みんな課金したい。ちゃんとお金を払いたいと思っているというのが伝わってきた。これがたぶんすごい大事なことで、番組が継続する大きな力になっていくはずだ。
基本的にはいつものラジオの構成で、フリートークが若林、春日でそれぞれ一本ずつ、若林さんが体力作りも兼ねてウーバーイーツをやっていた話、春日さんが高校時代にいっていた長楽のポークライスについての話と実際に自分で作ったのを若林さんに食べてもらっていた。キサラのものまね芸人さんたちが要所要所で出てきたり、春日さんの新車ベンツを実際に持ってきたり、ラジオ聴いていると笑っちゃうことをしっかりやっていた。
ラーメン屋の煮卵は嗜好品だから春日家では注文させないという問題に、奥さんとも仲がいい家族ぐるみの付き合いのフワちゃんが煮卵の権利をかけて、実際のプロレスリングで春日vsフワちゃんをやった。映像に映った瞬間にしっかり鍛えてるなってわかる体にフワちゃんがなっていて凛々しかった。なんだかんだいってもフワちゃんは華がある。
あとこれで『フワちゃんのオールナイトニッポン0』は4月以降も継続するだろうなって、オールナイトニッポンブランドはイベントをこの数年でどんどんやるようになったけど、そこでの貢献度というのもかなり番組継続には作用しているのだろう。いや、それが当然なのであって、尚且つラジオとしての人気も必要になってくる。
フワちゃんもあのちゃんも続けているからというのもあるし、ラジオが好きなんだろうなってわかるぐらいにトークもおもしろいし、始めた時よりもラジオパーソナリティーとして存在感が増してより魅力的になっている。もともと話せる人やおもしろいことを言えたとしても、オールナイトニッポンブランドで毎週やることの経験値がハンパないのもよくわかる。
イベント翌日の月曜深夜はリトルトゥースの申し子であるCreepy Nutsが一部の時間帯にAdo休みによる代打出演、そのあとの「0」はフワちゃんなので、深夜帯は東京ドーム話になるんだろうと多くの人が思っているはずだ。この辺りも含めてやっぱりイベントでの集客と利益も出して、ガッツリ話題を作って持続するやり方をニッポン放送がやっていると思う。火曜深夜は星野源さんの番組があるし、土曜日のオードリーまでその熱は続くことになる。ちゃんと熱は続く。
プロレスのあとは若林さんが自分のターンテーブルでDJ.WAKAとしてプレイをして、Netflix『Light House』での星野源さんとのコラボ曲を披露しようとすると星野さんが登場して大歓声、LINE CUBE SHIBUYAも大盛り上がりだった。星野さんがラジオとかでもこのイベントには出られないと前から話していたこともあったからゲストで登場はデカい。二人で『Orange』をやってYouTubeとかにも上がっている『Pop Virus』コラボ東京ドームバージョンを披露していた。
ラジオやそれぞれの活動などの伏線が一気に東京ドームで回収されていく感じもあり、最後は東京ドームで二人の漫才。僕は熱量の高いリトルトゥースではないけど、ライブビューイングでこの光景を見れたことはうれしかったし、こういうものを見れたことでもっとラジオが好きになっていくんだろうなって感じた。

松本人志の文春報道前から東京ドームイベントは決まっていたけど、出川哲朗生誕祭の横浜アリーナバナナマン(赤えんぴつ)の武道館、博多華丸・大吉の福岡PayPayドーム、『有吉の壁』の有明アリーナ、このオードリーの東京ドームとライブ動員できる芸人の時代になったと感じる。そこでマネタイズしないといけないということもあるのだろうが。今年に入ってから上記のかなり大きなキャパでのお笑い系のイベントが立て続けに公演されたというのは分水嶺になるのだと思う。
松本人志という師弟関係ではなく学校から芸人になって、天下を取るというスタイルと、それに憧れたフォロワーたちによる時代が平成は続いていって令和になって瓦解していっている。
結局「ニン」が時代とその人に合っているかが大事になっているのだろう。その「ニン」が伝わりやすく、「みんな」ではなく「あなた」に向けて届けるラジオを長くやっている人たちがより人気も増している気がする。やっぱり、松本さんが『放送室』を続けていたら、違う流れもあったのかもなと思わなくもない。
終わってからはマークシティ近くの大学生ばっかりな焼き鳥屋で飲んで話した。友達は家族だとファミレスになってしまうから、こんなにうるさくてガヤガヤした居酒屋最高だなって楽しんでいた。お互いにフリーランスの仕事もやっているし、その立場だからこそ話せることがいっぱいあった。なんだか話したいことも聞きたいこともまだたくさんあるから、東京にしがみついていたいなって思った。

いつもの緑道をSpotifyでこの曲を何度かリピートしながらほろ酔い加減で歩いて帰る。

 

2月19日
中目黒ブックセンターが3月に閉店 駅チカで親しまれた総合書店 - KAI-YOU

リリー・フランキー著『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』が本屋大賞を受賞した2006年には僕はこの中目黒ブックセンターでバイトをしていた。
本屋ということなら、文教堂書店三軒茶屋店でもバイトをしたことがあったけど、そちらはとうの昔に閉店していて、中目黒ブックセンターも閉店となればバイトしたことのある書店がどちらも消えることになる。
東京のわりと中心部に住んでいても書店がどんどんなくなっていて、欲しい本を買うのが前より難しいというか店がかなり限られてくるようになっている。
僕は書籍という形で欲しいので電子書籍はほぼ買わないし、本屋に行くのが好きだからできるだけ気になる書籍は買うようにしているが、微々たるものだ。無くなったらもう復活はしない。いろんなものが経済的な理由や後進国になってしまったことで失われていく。

春日家に平和が訪れたところで、ステージにDJブースが登場。若林がDJとなり、オールナイトニッポンのTM曲「ビタースウィートサンバ」に番組の名言をミックス。さらに、 TRFの名曲「EZ DO DANCE」にDJ KOOの名言をミックスさせて次々と披露するなど、華麗なDJプレイでリトルトゥースを魅了した。

そのまま次の曲にDJプレイは続くのだが、星野源の「Orange」(※星野と若林によるトークバラエティ『LIGHTHOUSE』主題歌)が流れ始めたかと思いきや、ステージに星野源がサプライズ登場。会場から驚きの大歓声が上がる中、星野の歌声が会場に響き渡り、同楽曲にfeat.MC.wakaとして参加している若林のラップも初披露された。

『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』ラジオ界史上最大規模! その挑戦に、合計16万人が歓喜の番組15周年記念イベント!<イベントレポート>

写真がたくさんアップされているので読み応えもあるし、状況がわかりやすいレポート。

9時からリモートワークを開始。低気圧のせいなのか、なんかすごいダウナーなモードでやる気が起きねえ、だけどなんとか終わらせないといけない作業だけは終わらした。


リモートのほうだけじゃなく、個人のライティング作業も遅れ気味になりつつあるものがあるので、やろうとは思うけど集中力が持続しない。なぜかと考えるとあることで引っかかっている部分があるのは頭ではわかっている。それでも明日には出さないとダメだろうなと思いつつ、仕事が終わってから外に出た。
ニコラに行って文旦とホワイトチョコ、マスカルポーネのタルトとアルヴァーブレンドをいただく。雨はほとんど降っていなかったので行き帰りで濡れなかった。
早く寝てしまって、早く起きて作業をすることにした。

 

2月20日
山田裕貴、4月から『オールナイトニッポン』月曜“1部”を担当!「リスナーさんたちのおかげで人生が変わっているような気がしています」

山田裕貴なのか、わかるよ、この間も横浜アリーナのイベントも成功させてたし、でも彼の担当は「X」だから「0」を現在担当している誰かか、あるいはレギュラーではない人の大抜擢だと思ってた。
星野源菅田将暉Creepy Nuts―Ado―山田裕貴だから、基本的にはミュージシャンと俳優というのがこの2016年から現在までの月曜一部ラインになっている。
山田さんがブレイクして俳優としても知名度も格も上がったのもデカいのだろう。大河ドラマで共演した嵐の松本潤がサプライズゲストで登場したりもしたし、大作とか話題作に出演するのでそのラインで普段ラジオに出ない俳優をゲストで呼べるというのも宣伝も兼ねて彼ならできるという部分はあるはずだ。
総合的に見ても納得でしかない。ただ、普段彼のラジオを聴いていないので、一部昇格して何回か聴いてみて、聴き続けるか決めようかな。

日付が変わってから寝たけど、ほとんど時間の経っていない1時30分過ぎに目が覚めたのでradikoでリアルタイムで『Creepy Nutsオールナイトニッポン』を聴き始めた。上記の山田裕貴が一部昇格は7時過ぎに起きてから友達のDMで知ることになったし、山田裕貴Creepy Nutsの二人のところに来てトークしていたのは開始すぐの頃だったのでこの時は聴けてなかった。
聴きながら寝落ちした。起きてから4月からの月曜一部に山田裕貴昇格ということを知り、作業を始めてからもう一度タイムフリーで聴き直した。
『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』についてリトルトゥースな二人が触れるのかなと思っていたが、ほぼ触れずにレギュラー時代と温度感もテンションもあまり変わらない感じで二人のトークをやっているのもなんかうれしかった。
その後の『フワちゃんのオールナイトニッポン0』は家を出てから聴いたのだけど、冒頭で放送終わりのCreepy Nutsの二人がやってきて懐かしく感じる丁々発止なやりとりをしていて楽しかった。同時期にオールナイトニッポンやってたとか仕事で絡んだりすることもあるから同志であったり友達感があるのが伝わってくる。


気温が20度近くて春通り越して夏に近い暑さになっていて、渋谷に行くまで久しぶりに汗をかいた。副都心線新宿三丁目駅で降りて、紀伊国屋書店へ。
島田雅彦著『散歩哲学 よく歩き、よく考える』という新書が出ていたので購入。いつも散歩というか歩いているので、ここでいう哲学がどんなものなのか気になったので。


先週はモノノフな二人と観て、今日はいつもロロを観に行く友達と紀伊國屋ホールで『最高の家出』を鑑賞。
紫カラーを身に纏った人たちがたくさん来ていて、主演で座長の高城れにはほんとうに愛されてるなって改めて思った。同じ舞台を上演中に二回観ることあんまりないから物語の展開はわかっているので、今回は構造を把握しようと観ていた。
劇中劇的な「模造街」である夜海原商店街があり、外からやってきた主人公の箒やその夫がいる現実の世界がある。夜海原商店街を舞台にした劇は箱庭的な世界で外部と遮断されている。そこから外に飛び出してきた(家出してきた)港から住み込みで働ける場所を紹介された家出中の箒は劇場に辿り着いて演者として舞台に出るようになる。そこには外の世界に出たことのない主演女優のアハハがいる。
港はやがて外の厳しさを知って帰ってくる。箒も再び外に出ていく、という「行って帰ってくる」という物語の基本構造はある。そして、外に出たことのないアハハは箒と共に始めて舞台のセットの外側に出ていく。これは家出とも言える。二人がたどり着いた場所は、という物語になっている。
2回目だと「夜海原」というワードだけで涙腺がゆるんだりするパブロフの犬状態になっていた。前回は一列目という近すぎる場所だったけど、今回は5列目ぐらいの左寄りの席だったので前よりは舞台の全体が見えたのもよかった。
役割を演じるということ、記憶と場所のつながりを描いている舞台だけど、一緒に観に行った友達は舞城王太郎風味は初期の頃にあったけど、今回は村上春樹風味を感じたと話していた。
村上春樹作品では主人公の「僕」の妻や恋人がいなくなり、物語が動き出して始まるというパターンが多い。今回の舞台はそのいなくなる妻や恋人の側の物語だとも言えるだろうから、そう感じたのかもしれない。


副都心線で二人の家の中間地点ぐらいな中目黒駅で降りてから目黒川近くのカフェへ。前回会ってから数ヶ月ぶりだったので二時間ちょっとお茶をして、今日の舞台の感想とか小説の話とかをした。
この一ヶ月で僕が起きたことも聞いてもらって、形にするとしたらどういうものがいいかと思ったらすごくいいアドバイスをもらった。それは思い浮かばなかったのでそのパターンで一回やってみることにした。


家に帰ったら小学館から封筒が届いていて、前に浅野いにお著『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』映画化の際に声優を務めたYOASOBIの幾田りらとあのが表紙特集号を買った時に応募していたQUOカードが当たっていた。

チャッモンチー 『世界が終わる夜に』を歌うあのちゃん 


映画の主題歌は二人のコラボ曲が二曲とすでに発表されているけど、チャットモンチーの『世界が終わる夜に』のカバーでもいいかもって思う。

元々懸賞運はいいので最近だと『MIX』とこのQUOカードと二回送って二つとも懸賞当たっている。小さい頃から『コミックボンボン』とかでも京本政樹さんがやっていた京本コレクションのフィギュアとかにも当たってたりして、宝くじとか競馬は買っても当たらないけど、懸賞系とかチケットの先行抽選とかはわりと当たっている。
このQUOカード届いて思ったけど、『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』感がまったくない。YOASOBIは世界でも知名度が広がっているし、あのちゃんもその可能性があるので、もしかすると世界市場で価値が出たりすることもあるのかもしれない。

帰ってから作業をする前にスケジュールを色々と変更。
気がついたら二月が残り十日になっていたのでこのままスケジュールで入れたものはこなせないので、自分のやりたいことを入れ替えたりして調整してみた。お願いだからもうこれ以上イレギュラーなことはしばらく起きないでほしい。心身ともに平常状態でいられないといろいろと詰む。

 

2月21日
昨日は春みたいな陽気だったのに深夜ぐらいから雨が降り始めたらしく、起きたら寒かった。仕事前のオンラインミーティングは今週はなしになったので、自分の意見とかを書いたものをとりあえず送った。この数日で書いたものが入っているといいなと思ったし、それを見たいと思ったから。
リモートワークを開始したけど、低気圧のせいなのか微妙に頭痛というかダルい、風邪とかではないのはわかる。この数年で気圧とかで軽い頭痛とかが起きている感じだ。やる気はなくても納期はやってくる。この状態でできることをとりあえず進めておく。


昼休憩の時にお昼ご飯用の惣菜を買うついでにTSUTAYAに行ったら、村上春樹著『中国行きのスロウ・ボート』の単行本復刻版が出ていた。文庫では読んでいるし家にあるけど、単行本だと安西水丸さんのイラストが大きいからいいなって。
僕は本家の『中国行きのスロウ・ボート』からではなく、古川日出男著『中国行きのスロウ・ボートRMX』を先に読んでから、オリジナルを読んでいる。どちらもある意味ではここではないどこかに行こうとはするがいけない、海の向こう側にいけないという印象がある。どちらも好きな作品。

本多劇場で公演をやるダウ90000単独ライブ『30000』の先行抽選が外れていた。25日が一般販売らしい、本多劇場の席数と彼らの今の注目度と人気を考えると取れるか微妙、たぶん取れない気はするけど、やっぱり前回のザ・スズナリで観たこともあるので、本多劇場で観たい。
リモートが終わってから〆切を伸ばしてもらっているライティング作業を開始。頭痛とダルさがなかったらもうちょっと楽なんだけど、なんとか提出してから寝る。

 

2月22日
起きてから朝活がてら資料読みをしようと思ったが、このところ小説とかが読めなくなっていたのでそちらを。ファン・ジョンウン著『百の影』と宮内悠介著『国歌を作った男』を読んでみた。『百の影』は最初の一編とかはポエティックさもあり、ハン・ガン著『すべての、白いものたちの』を読んだ時の感じに近いかなと思った。
明日が祝日で休みなので普段はリモートワークのない木曜日だけど、仕事を開始。外は強くはないけど雨が降っている。低気圧のせいなのか、微妙に頭が痛い。ちょっとでも横になったらすぐに眠れそうな気がするのでサボらずに椅子に座ったままで作業をやる。

radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をタイムフリーで聴いたら、佐久間さんも『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』を現地で観ていたのでそこで起きたこと、裏側の話をしていた。
著名人の人たちや関係者の人たちの場所で観ていたらしく、朝井リョウ加藤千恵西加奈子という小説家&Creepy NutsのDJ松永と同じところだったらしい。DJブースが登場した際に、松永がいなくなっていたのでサプライズだと思ったらトイレに行っていたらしく、戻ってきたという話をしていた。僕もライブビューイングで観た時にDJブースが出てきた時は正直松永が出てくるんだろうなって思ってた。
ずっとオードリーと仕事をしてきた佐久間さんからの視点でラジオの超特大イベントの成功について聴けたのもよかったし、ラジオという内輪話、そこだけの人にしか通じない言葉が広がって行って16万人がイベントを楽しんだことの凄さが改めてわかった。

ーー毎週一人で2時間のラジオとなると、ルーティーンのようなものができてくると思うのですが、1週間の過ごし方は変わりましたか。

都築:やっぱり休みの日ができると、ゆっくり休むというよりは「何かできるんじゃないか、どこかへ行ったほうがいいんじゃないか」と思うようになりました。元々インドアであまりアクティブではないんですが、外に行ったほうが何かがあるような気がして。そうして足取りが軽くなるのは間違いなくプラスなんですけど、やっぱりラジオが脳裏にちらつくのはちょっとだけ腹が立ちますよね(笑)。自分の後ろをラジオがついてくる感覚というか。

 普通に友だちとテニスをしに行ったり、旅行に行って美味しいものを食べたいだけなのに、電柱の後ろからラジオが俺を見てる。バレないようについてくればいいのに、俺の視界にちょっとずつ入ってくるんですよ。

ラジオ玄人の芸人たちから絶賛される『サクラバシ919』って? 木曜パーソナリティの四千頭身都築拓紀を直撃

ネクストラジオスター(ラジオモンスター)の一人である四千頭身の都築さんのインタビューがあった。彼の『サクラバシ919』は毎週たのしみにしているけど、この番組ではない他局で冠の番組とかもこれから先ありそうだし、そういうこともやってほしいなって思う。

アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』 #1 ゲスト:三代目葵マリー

アルピーの酒井さんと三四郎の相田さんのSpotifyポッドキャスト番組『83Lightning Catapult』はこの前再開するかどうかわからないと言っていたけど、アルピーの新しいポッドキャスト番組が始まった。これをやることは決まっていたから、『ライカタ』は終わったとかありえるのかな。


瀬田なつき監督『違国日記』試写状が届いた。公開までまだあるけど試写は早めに始めるということなのかも。とりあえず、3月中に観にいくつもり。原作の漫画は全部読んだし、これはみんなが推すのもわかるわって作品だったので、映画でどうなるか。

夜は月末にあるライティング仕事のために資料を読んでいくが、微妙に頭が痛いのは続いている。明日は雪が降るって数日前には天気予想が出ていたがズレたのか日曜日が雪かもってなっていたので、そこまで低気圧は続くのならしばらくは調子が悪いかもしれない。

 

2月23日

朝起きてから近くのセブンイレブンへ。最終金曜日なので朝日新聞古川日出男さんの「文芸時評」が掲載されるので、月に一回の新聞購入。
今回最初に取り上げられていたのが、江國香織著『川のある街』だった。この本は発売してすぐの時にサイン入りを買っていたがまだ読んでいなかったのだけど、古川さんの時評を読んで読みたくなったので最初の数十ページ読んだ。江國さんのサイン味があるし、なんかいい。
朝活がてら月末の仕事のための資料を読んでいく。資料読みが終わってからその日までに提出する構成作業にかかるつもりだが、春眠暁を覚えずではないけど、文章読んでいると異常に眠くなる。

散歩がてら渋谷まで『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』をradikoで聴きながら歩いていく。冒頭でナイナイの岡村さんが乱入してくるという流れがあり、この番組にしては珍しい感じがした。ビックカメラの最上階のおもちゃ売り場に行ったら「隠密ガンダムエアリアル」が出ていたので買ってみた。
最近よくグーグルのディスカバリーに上がっていて気になっていた。プラモデルは去年からちょっとだけ復活というか作ったりする(SDガンダムオンリーだけど)ようになった。
組み立てるのも一時間程度だけど、最初にキャラクターのデザインがされて、そこからプラモデルにするためにパーツごとに成型されていき、主要な色ごとにわけられていく。それが大きな一つのプラパーツとなってパッケージされる。
購入した客はパーツごとにニッパーで切ったりして組み立てていく。完成させても色を塗らないでここまでのクオリティになるのに感心もするが、最初の時点でのプラパーツが子供の時よりも今の方が技術であったり、ある種の職人技で作られたものが継承されているのを感じる。


20時からニコラで扇谷一穂×山田俊二「20時にニコラで待ち合わせ」を観にいく。
山田からピアノを演奏して、扇谷さんがギターを弾きながら歌を、最後は二人で中村八大の『夢で逢いましょう』などを披露。なんだか気持ちがやわらぐ歌と演奏だった。お客さんの雰囲気もよかったし、どちらかのファンばっかりという感じではなかったぽいのもあのやわらぐ雰囲気になっていたのだと思う。

 

2月24日
起きてから昨日放送の宮藤官九郎脚本『不適切にもほどがある!』最新話をTVerで見る。このサムネで泣ける回とは思わなかったけど、物語の分岐が1995年であるのは正しい気がした。その年に起きた様々な事柄が現在に続くし、そもそも第二次世界大戦の敗戦から50年後だから。
ジャズとヒップホップは祖父と孫の関係だから仲良くできるしコラボできる、子供であり親である息子がファンクとR&Bだが、上とも下とも関係は微妙なところ。このドラマは昭和と令和を行き来する物語であり、今回五話で描かれた(明かされた)ことで平成の話は終わっているように感じられた。それは主要登場人物に関わる出来事だったから。


三四郎オールナイトニッポン0』をradikoで聴きながら渋谷へ向かう。小宮さんが迷惑メールとかの中にあった性交渉に関するアプリの話題の時に、「前まで合意がなかったみたいな言い方してるけど、同意がなかった時代なんてねえよ!」というド正論を言っていたのを聴いて笑ってしまった。
S・J・クラークソン監督『マダム・ウェブ』を鑑賞。お客さんは多くはなかったけど、キャストも女性がメインだからか、マーベル映画だけど女性客の方が多かった印象。
座席に座ったらなんかお尻が冷たいなと思って、腰を上げたらシートがどうも濡れているみたいで、劇場のスタッフさんに言って確認してもらってひとつ席をズラしてもらった。飲み物がこぼれたって感じじゃないんだよなあ、ちょうど座ったまま漏らしたんじゃないかなっていう丸い感じで濡れていたし、深く考えると嫌すぎるけど、帰ったらすぐにズボンを洗濯しようと思った。

マーベル・コミックスのキャラクター、マダム・ウェブを主役に描くミステリーサスペンス。原作コミックでは未来予知の能力でスパイダーマンを救う役割を担い、知性を武器にする点でもほかのヒーローとは一線を画するキャラクターとして知られるマダム・ウェブの若かりし頃の物語を描く。

ニューヨークで救命士として働くキャシー・ウェブは、生死の境をさまよう大事故にあったことをきっかけに、未来を予知する能力を手にする。突如覚醒した能力に戸惑うキャシーだったが、ある時、偶然出会った3人の少女が、黒いマスクとスーツに身を包んだ謎の男に殺される悪夢のような未来を見たことから、図らずもその男から少女たちを守ることになる。

主人公キャシー・ウェブ/マダム・ウェブ役は「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」「サスペリア」のダコタ・ジョンソン。キャシーが未来を救おうとする3人の少女を、「リアリティ」のシドニー・スウィーニー、「ゴーストバスターズ アフターライフ」のセレステ・オコナー、「トランスフォーマー 最後の騎士王」のイザベラ・メルセドがそれぞれ演じる。監督はテレシリーズ「Marvel ジェシカ・ジョーンズ」などを手がけてきたS・J・クラークソン。(映画.comより)

スーパーヒーロー離れが進んでいると言われている中で、新シリーズというか新しいタイトルの作品であり、特殊能力として未来予知を持つキャシーと彼女が主人公。彼女が見た未来予知で殺されてしまう三人の少女たちを救おうと奔走する物語となっていて、三人も元からの知り合いではなく、今回の件で友人になっていくが彼女たちを率いるというか導くのがキャシーであり、シスターフッド的な物語になっていた。
前評判があまりよくない感じだったが、スーパーヒーローもののひとつではあるが、ミステリーサスペンスというジャンルになっているため、ヒーローとヴィランの激しい戦いなどはない。
最終的にはマダム・ウェブとなるキャシーと三人もスパイダーマン的なスーパーヒーローになる未来が待っているという感じで終わる。

興行的にも批評的にも苦戦!? 『マダム・ウェブ』と『ARGYLLE/アーガイル』を褒めてみる【宇野維正のMOVIE DRIVER】 



宇野さんもYouTubeで触れているが、最後に描かれるその部分が正直邪魔というか、物語としてもそうしないといけない作品だけど蛇足感があった。
未来予知自体はキャシーがどうこうできるものじゃないので、急に見えてしまう、行動する前にビジョンが見えるというものなのだが、終盤のほうだと都合良すぎるというか動こうとするとバッドエンドになる未来予知がどんどん続くのでそれとは違う行動をすることで四人は死なないで済む。それもあってか、緊張感はなくなる。未来予知でわかっちゃうから死なないだろっていう。ただ、最後にマダム・ウェブになるビジョンは見えなかったってことなのかな。聞いているほどは悪い作品ではないけど、めっちゃ褒めるかと言われるとそうでもないっていう。
ただ、こういう作品もお客さんが入らないと続いていかないし、大作オンリーになってしまうし、その大作すら難しい状況になっていくので映画館で観るという選択は必要になってくると宇野さんも話していたが、ほんとうにその通りだと思う。

帰ってから洗濯物をガッツリ。明日は雪予報だけどそれまでに乾くのか。無理そうだけど、晴れているうちにできるだけ外で乾かしたい。
作業に入る前に、ライティング資料の読み込みを進める。21時から月に一回のライティング関係のミーティング。ミーティングで来月までにやる作業について話をしたのでこれで進展しそう。まだ雨は降っていなかったけど洗濯物を取り込んで室内干しへ。

サーカスナイト|ZAZEN BOYS × 七尾旅人 (2024.01.17 / うるさがた vol.3) circus night


先月LIQUIDROOMで観た「うるさがた vol.3」の最後のアンコールでのコラボ動画がアップされていた。

 

2月25日
日付が変わって2月25日。作家である古川日出男さんのデビュー作『13』が刊行された日なのでデビュー日で、去年は25周年だった。今日からは26周年目突入なのでお祝いメールを送ってから寝る。
古川さんからはお昼過ぎに返信メールが来て、書かれているメールを読んでもっともっと世界を、物語を歩行していきたいと思えた。お祝いメールを送ったのに、エールをもらったようでうれしくなった。


8時前に起きて傘を差してしつもの散歩に出る。代官山蔦屋書店まで歩いていったが雨はそこまで強くはないが傘はいるっていうぐらいの雨。
『オードリーのオールナイトニッポン』をraikoで聴きながら歩いた。東京ドームでのイベントについての話をわりと冒頭すぐから始めていたし、そこでの若林さんと春日さんのやりとりは達成感も感じられたし、あのすごい舞台を終えた余韻がまだ二人やスタッフや関係者、そしてリスナーを包んでいるように思えて、いつもよりもやさしい放送に感じられた。


代官山蔦屋書店では『ILLUSTRATION 2024』の刊行記念でいくつかのエリアで展示がされていた。僕はこのイラスト本を購入したことはないけど、毎年出ていると手に取って見たりはしている。
小説だけではないけど、書籍の装丁イラストでよく目にするようになるイラストレーターの人は年に何人かはいて、その画風やデザインが流行っているなとわかるような流れみたいなものがやっぱり書店に行って見ているとある。
森見登美彦著『夜は短し、恋せよ乙女』の単行本が出た時は装丁イラストが中村佑介さんだった。当時邦楽ロックを聴いていれば、アジカンのジャケデザインで中村さんのイラストの雰囲気は知っているぐらいだったと思う。
そんな中で書籍での中村さんのイラストは新しかったし、それまでの文芸のものとは違う、ライトノベルでもない新しい文芸のラインをあのデザインで提示することになったんじゃないかな。それが定番化しすぎてしまってイラストだらけになったのが現在ではあるので、正直この装丁すごいみたいに僕が反応するものはイラスト過多で減っている。

月末のライティング作業のための資料読みを進める。僕が生まれた頃の話だったりもするし、思いのほか頭に入ってきにくにい。昼ごはんを食べてからまた再開してなんとか夕方過ぎに読み終わった。これから構成作業に入る感じ。

19時から先日先行抽選で取れていたなかったダウ90000の本多劇場の単独ライブの一般チケット販売があったのでスタンバっていた。ちょうどにぴあにアクセスして日にも選んでぴあのパスワードを入力したら座席がないみたいな文字列が出て、リロードしたけど、全日程売り切れていた。これはどうにもならない。
ダウは今お笑いや演劇をちゃんと舞台に足を運ぶ人たちからしたら一番観たいユニットだし、人気もどんどんあがっていて一般、お茶の間に知られる手前になりつつあるだろうから、この機会に本多劇場で観たい人はかなり多いはずで、その争奪戦にやぶれてしまった。とりあえず、リセールには申し込んだけど難しいだろうな。

 

2月26日
朝起きて可燃ゴミを集積所に出しにいった少しの時間だけど、風がすごく強かった。部屋干ししていたTシャツやパーカーをすぐに外に出した。雨は降りそうにないし、風が強いのならパーカーの乾きづらい頭の部分とかもすぐに乾きそう。
資料読みは終わったので、構成するほうの原稿を一旦最初から最後まで読んでみて、そこからいらない部分や同じ部分とかを頭に植え付けるというか、馴染ませる。自分で文字起こししていないので、どの部分にどういう事柄があったのかがわかりにくいので仕方ない。
いつも通りにリモートワーク開始。昨日の放送だった『川島明のねごと』と『有吉弘行のSUNDAT NIGHT DREAMER』と土曜日の夕方のリリー・フランキーさんがゲストだった『川島明そもそもの話』も聴き終わっていたので、作業BGMとしてSpotifyのほうのPodcastで前にradikoでは聴いている『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』のここ最近四回分と『あののオールナイトニッポン0』のここ二回分を流した。

「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2024年3月号が公開されました。3月は『ARGYLLE/アーガイル』『ゴールド・ボーイ』『デューン 砂の惑星PART2』『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』を取り上げました。


幾田りら×ano「デデデデ」主題歌ジャケットは浅野いにお描き下ろし、2枚並べて完成 

 原作者の浅野氏は、オーディションにはすべて参加し「あのちゃんは現場の雰囲気を一変させた」と即決だったと言うが、門出役が難航したそう。そんな中、プロデューサーから幾田の名前が出た際に「この組み合わせ以上のものはない。バッチリだと思った」とオファーしたと明かした。
 オーディションは2年半ほど前から始まっていたこともあり、浅野氏はこのタイミングでの2人のキャスティングに「すごく恵まれた」と満足げ。「お二人紅白出ているんですよ(笑)。オーディションの時、あのちゃんはもちろん有名になっていたんですが、ここまで有名になるとは思わなかった。幾田さんも、決まった後にYOASOBIの曲があれほど有名になって…すごいと思いませんか?同業の方に『どうやってこんなキャスティングしたの?』と聞かれるんですが、本当に巡りあい、たまたまなんです」と喜んでいた。

『デデデデ』幾田りら&あの、紅白コンビのW主演は「たまたま」 オファーした原作者も驚き「ここまで有名になるとは」

浅野氏の作品を初アニメーション化した本作。フォトセッションも終え、最後のコメントを求められた浅野氏は「ちょっと長くなります」と前置き、「足掛け5、6年、このアニメーション作業をずっと続けてきましたが、なかなか原作者と映像化というものの関係性というのはすごく難しいもので、なるべくノータッチでできるのであればいいなと思っていた」と、原作者としての立場から映像化にどれだけ携わってよいかという問題について向き合った。「蓋を開けてみると、もう、コンセプト会議から、脚本会議から、配役の会議から、アフレコ、そして曲、全て結局関わってきてしまうという状態になっていました」と制作に深く関わることになっていたと明かした。

漫画家・浅野いにお「原作者と映像化というものの関係性はすごく難しい」制作に深く関わった経緯明かす<デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション> 

同じ完成披露試写会での原作者の浅野いにおさんのコメントについて記事にしているが、ベクトルがまったく違う。原作漫画好きすぎるので、当然観に行く。
今までの浅野いにお作品の映像化って『ソラニン』『うみべの女の子』『零落』と僕が好きな作品ばかりだったけど、イマイチというか映像化してよかったことってアジカンが『ソラニン』という曲を作ったことぐらいしか浮かばない。
出来は悪くはないけど、さほど良くもないという原作ファンとしてはなんかもったいない感じがあるので、今作では期待している。このまま『おやすみプンプン』がアニメ化したりするかもしれない。『虹ヶ原ホログラフ』は10年前ぐらいに映像化していてもおかしくないミニシアター系な感じだったけど、企画が通らなかったのかもしれないとか思ったりした。
『デデデデ』のアニメ映画化が成功してくれたらいい。それで浅野さんの漫画ももっともっと売れてくれ。

昼休憩の時に外に出たら、風は依然として強くてどうも花粉が舞いに舞いまくっているらしくて、くしゃみが何回も出てしまった。寒かったり暑かったり風強かったり、どういう天気はもうわけわからない状態。
友達にLINEをした際に、亡くなった友達のアカウントとのやりとりを見たら、おそらくご両親が携帯電話の契約を解除したのだと思うけど、「Unknown」になっていてルームから退出になっていた。もう一人の友達とのグループも同様で3人だったけど2人になっていた。でも、facebookでは彼女のアカウントは残っていて、ご両親もそこまで知らないだろうし、アカウント削除するというそもそもないのかもしれない。
時折、スマホとか新しい番号にしたりする人もいて、「Unknown」になって退出する人もいるし、「人間関係リセット症候群」みたいにSNSとかのアカウントとかをすべて削除してしまう人もいる。そういう人はもう一回繋がるということもほとんどないのだけど、今回の場合は完全に彼女が使っていた携帯番号の契約が終わって、その番号と紐づけられていたものが解けたという形だということだけはわかる。
悲しみは日々少しずつ減っていくし、亡くなったことを考えない日はないけど、その濃さや深さはやわらいでいっているように思う。でも、こういう目に見える形だとやっぱり亡くなってしまったんだなとしみじみとしてしまう。


仕事が終わってからニコラでアルヴァーブレンドをいただく。明日は胃カメラの検査があるので夜は食事ができないので、一杯だけ飲んで帰った。

アートディレクター大島依提亜 知られざる映画ポスターの世界 

日本でA24が広まった理由のひとつは大島さんのポスターやパンフデザインだと思う。まずオシャレで他にはないものだったから目を引いたし、それがブランドイメージもあげていった。
単館系好きな人は何年も前からA24作品には注目していたけど、大島さんのデザインのポスターとかが効果的だった。僕は大島さんデザインなら興味ない映画でも観たりすることもある(当然外れることもある)し、わりとそういう嗅覚で反応している人はいるんじゃないかな。

The Weeknd, Madonna, Playboi Carti - Popular (Official Music Video) 



家に帰ってから朝やりかけていた文字起こししてある原稿の続きを読む。やっぱり四時間近くのものは文量がかなりある。今ある部分は三分の一ぐらいに短くするのでこれだけあると重複しているものや繋がりを考えて、まとめたりしてかなり削っていけそう。

 

2月27日

起きてから自衛隊中央病院で予約していた胃カメラの検査を受けにいった。今までバリウムは健康診断でやったことはあったけど、胃カメラは初めてだった。
カメラを入れる前に色々と説明を受けて、胃の泡をなくす薬を飲んでから喉付近の麻酔のための液体を飲み込まないようにしてガラガラとうがいした。すごくにがい。1分ぐらいやっていたら喉の感覚がどんどんなくなっていった。歯医者とかぐらいでしか麻酔をされないけど、なんだか痛みもなく死ぬ方法のひとつとして安楽死があるけど、最後にそういう死に方を選ぶ人が日本だとできないけど、海外にいるのもわかるような気がした。
すぐに検査室に入って横になって、口でマウスピースを加えて、口から内視鏡を挿入する形だった。喉から食道を通って胃の入り口に入るぐらいまでがほんとうにきつくて、ゴホゴホと咳き込んだりしたし、それで反射的に涙が出てきたりした。スタッフの人が背中をさすってくれて、呼吸のタイミングとかを教えてくれたのでなんとか耐えたけど、こんなにきついものだったのかと後悔し、早く終わってほしいとだけ思っていた。
寝転んだ先に胃カメラの機械やモニターとかがあって、メーカーがOLYMPUSでそのロゴを何度も見て、OLYMPUSが作ってるんだなって。モニターも目に入ったので胃に入ってから、呼吸も落ち着いてからは見たりできるようになったけど、自分の臓器の中を見るというのは不思議な感覚だった。
ピロリ菌感染しているかの確認もあったので胃の組織をつまむというのも何度かやったけど、それ自体には痛みはほとんどなかった。モニターで摘んだ部分から血が出ているのを見て、大丈夫なのとは思った。それも終わってから血が出た部分を守るために今日してはいけないこと(飲酒とかお風呂に入るとか、血流が良くなるとダメらしい)を説明されて、2回に分けてつまんだ部分を保護する飲み薬をもらった。
内視鏡で撮影した喉から十二指腸までの部分を見せてもらった。撮影した胃の部分ではピロリ菌によって胃粘膜がほんとうは赤い部分が白くなっていたりして、来週検査結果を聞く予定だったけど、ピロリ菌いますねとは言われた。今後は診察を受けてから抗菌薬などを処方してもらって一週間ほど飲んでピロリ菌がなくなるかどうかを診るという流れになるみたい。
抗菌薬を飲むのもいいけど、そのあとにピロリ菌がいるかどうかを確認するために胃カメラをまたやるとしたらそれだけがすごく嫌だなって思うぐらいには辛かった。
終わってからすぐに家に帰ってリモートワークの仕事を。

時間は連続しているのか、世界はほんとうにあるのか|早瀬耕 インタビュー

仕事中はradikoで『空気階段の踊り場』と『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』と『フワちゃんのオールナイトニッポン0』を聴いていた。
空気階段の踊り場』のあとにSpotifyでのポッドキャストでアフタートークも聴いてみたが、鈴木もぐらのフィリピンひとり旅のエピソードトークを聞いていたら、早瀬さんの『未必のマクベス』のことを思い出した。この取材の時に初めて早川書房に行ったはずで、「monokaki」ではわりと早川書房関連のインタビューしている気がする。


夕方に一息ついていたら佐久間宣行著『ラジオパーソナリティ佐久間の話したりない毎日~佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)2022-2023~』サイン本が大盛堂書店に入荷したとXにポストされていた。
休憩がてら渋谷に行ってお店に入ると残り一冊だけになっていた。発売日が29日になっていたからサイン本は先に書店に並ぶ形だったのかもしれないが、これが売り切れていたら無駄足になるところだったのでラッキー。帰ってからアルコ&ピースとの特別対談だけ読んだ。

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション DX COMPLETE BOX』は完全受注生産で全7巻&BOXセットで浅野さんのサインとシリアルナンバー付きで約5万らしい、価格は高いけど8月末に支払うと考えれば、しかしうーむ悩みどこだ。浅野いにおファンとしては絶対買いではある。
村上春樹著『『街とその不確かな壁』』特装版も10万だったし、これから漫画も小説もこういう特装版とかスペシャルバージョンは増えていくかなって思ってるんだけど、そこまで増えている感じはまだない。

「『リバーズ・エッジ』は当時、読んでたけど、正直怖かったです。怖いというか、なんでしょうね、その頃、自分で読んでたマンガは『笑う大天使』や『動物のお医者さん』とか、わりと平和な作品が多かったんですよ。だから岡崎さんのマンガのような胸がえぐられるような、人間の心の深いところを描く作品って、馴れてなかったせいもあって衝撃でした。だって、私当時、ものを知らない17歳でしたから(笑)。今回、改めて読み返してみて、名作だなと思いました。

 でも私が(CUTiEに)出ていたせいか当時、岡崎さんのマンガに出てくる女の子みたいなんだろうって、思われてたみたいな感覚があって。あるミュージシャンの人が「会ったら意外と普通の人だったって言ってたよ」って残念そうに言ってた雰囲気の話を聞いて、たぶんそういう期待もされていたのかもなって勝手に思っていました。直接はお会いしたことなかったけれど、人づてに「岡崎京子さんが『実和子、可愛い可愛い』って言ってたから、てっきり知り合いかと思ってた!」って聞いたことがあったんです。

岡崎京子作品『リバーズ・エッジ』『東京ガールズブラボー』も配信開始!市川実和子が振り返る90年代 


『dance alone(in,out) 〜岡崎京子さんのこと〜』 #1


『dance alone(in,out) 〜岡崎京子さんのこと〜』#2

岡崎京子さんの漫画の『リバーズ・エッジ』『東京ガールズブラボー』の配信が始まったらしく、当時『リバーズ・エッジ』が連載していた『CUTiE』でモデルをやっていた市川実和子さんのインタビュー記事がXで流れてきた。
僕は岡崎京子さんの漫画は純文学だと思っている。読み手の心の奥の方に染み込んできて侵食していく、岡崎さんという他者の存在を感じるし、そのことで自分の中のなにかが変わっていくから。そういう表現のことを僕は純文学だと思っている。『水道橋博士のメルマ旬報』連載中に岡崎さんについて書こうとしたけど、二回で進められなくなってしまったことがあったけど、その時の原稿はnoteにアップしている。

アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』 #2 ゲスト:三代目葵マリー

前回に引き続き三代目葵マリーさんがゲスト、すべてのエピソードが強い。次のゲストが映画監督の今泉力哉さんだと最後に発表されたが、このあと出るのすごい嫌だろうな。

胃カメラのせいか、胃の存在感がいつもよりあるような気がする。気圧のせいかまた軽く頭も痛い。いろいろとダウナーになりやすい一日だけど、夜は月末に提出するライティング作業の仕事の続きを進める。終わるかなあ、と不安にはなるけど、明日中には終わらしたい。

 

2月28日
起きてから昨日の作業の続きをした。閏年だから28日で2月は終わらない、四年に一度だから何かのサイクルが少しイレギュラーになりやすいのかもしれない。
リモートワークを始めた。今の会社は年度末が2月末なので今日明日と社員は大変そうだ。バイトの僕にはあまり関係がないけど。

作業中はいつもどおりradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を流していた。
D.C.GARAGE」では平子さんが『オードリーのオールナイトニッポンin 東京ドーム」を実際に観に行った話をしていて、売れる前から知っている付き合いというのもあるし、一緒に観ていた芸人たちの様子も話していたので、リトルトゥースも今回は聴くんじゃないだろうか。
爆笑問題カーボーイ」は爆笑問題が出たライブで吉本の芸人たちと飲んだことを太田さんが話していて、爆笑問題は今だに漫才をやっていてライブに出ていることで他事務所の芸人さんたちと交流もあるし、揺るぎない信頼にはなっているんだろうなって思える。太田さんに言ったことはラジオで話されてしまうわけだが。
星野源ANN」では前番組の緑黄色社会の『長屋晴子のオールナイトニッポンX』が終わることを話していたが、『EXITのオールナイトニッポンX』も終了するし、『山田裕貴オールナイトニッポンX』は一部に昇格するので、「X」だけでも3つは終了して枠が空くことになる。「0」は今のところ終了ということを言っている番組はないので、今回は「X」に新パーソナリティーがということなのだろうか。
「あのANN0」はいつもどおりの安定している感じ。『推しの子』のドラマとかの話はほとんどできないみたい、アニメ映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』のことは話してはないけど、来月の公開が近づいたら話はするかもしれない。ゲストで幾田りらは来そうだけど、原作者の浅野いにおさんがゲストでもうれしい。

ランジャタイ国崎さんの権力(吉本興業松本人志)をいじる笑いとぶっこみ、正しすぎる道化師としての芸人の姿だなって。
ジョーカーだけがキングに対等に話せる(殺せもする)、王と乞食は表裏一体。差別があるから権威と階級が成り立ち、差別される主体が存在してしまう。日本では河原乞食から始まった芸(能とか)は権力に寵愛されるか迫害されてきた。『コードギアス 叛逆のルルーシュ』のルルーシュのように権力の外側から、あるいはスザクのように権力の内側から、革命や変革をもたらすものは現れるのだろうかと考えてしまった。
ジャニー喜多川問題と松本人志問題の決定的な違いはジャニーズのほうはメディアや広告なんかの芸能に関する様々なところが旧ジャニーズ事務所がもっていた利権を奪い合ってる。だが、松本人志問題ではそういう外部の人たちが吉本興業の利権を得れるわけではないので当事者たちの問題にしたがってるように見えるところだと思う。ハイエナのように利権を奪い合っている、そういう意味でも芸能という世界は一般的な世界の常識とは違うところで動いている人たちがいる、だからこそ常識の埒外のことがブラックボックスの中で起きていて常態化もしているんだと思う。

天気予報を見たら風が強くて晴れだったので冬用の薄い毛布を洗って干した。昼過ぎには乾いたので、もう少し厚めの毛布も洗って干したが夜には乾いた。風が強い人は厚手のものがすぐに乾くので助かる。
昼休憩の時に家賃を振込に銀行に行ったらくしゃみが止まらなかった。花粉が舞い踊って飛び交っているみたいだった。目はかゆいし、鼻はむずむずする。薬を飲んだり、花粉用のメガネをつけるほどではないけど、春先にかけてもっと花粉が飛ぶだろうから、これからしんどくなりそう。


TSUTAYAを覗いたら新潮文庫の新刊のところに安倍公房著『飛ぶ男』が出ていた。安倍公房が亡くなる前にパソコンで書いていて、フロッピーディスクに残っていた未完の作品らしい。こういうテイストの装丁で新潮文庫は安倍公房作品を揃えているのはいい。

世間から代表作(古川の代表作)と目されているだろう小説は、ある。だが自分がかなり思い入れを持っていた作品が外れていたり、ほぼ誰にも注目されていなかったタイトルが入っていたりする。その、ほぼ誰にも注目されていなかった、というか実感としては「誰にも読まれていないな」と感じていたのは『ノン+フィクション』で、この作品のことを私は、あとがきで、

〈この本は旅行記でありかつ短編集である、というのが実体にいちばん近い。エッセイ集を依頼されたが、いわゆるエッセイ集には全然なっていない。なにしろ小説として構想され、書かれ、雑誌に発表された原稿が四篇も収録されているし、さらに未発表の小説が一編。おまけに戯曲まである〉

と説明している。それはまあ、エッセイ集を頼まれたのにエッセイ集になっていないし、書名もノンフィクションと言い切らずに non と fiction の間に「+」の記号が入っているし、なんとも鵺のような存在なのであって、致し方なし。しかし……しかしだ。だからこそ「古川日出男の作品だ(要約不可能だったり越境的でありつづけたりする)」と言い切れるのではないか、とは、いまとなっては言い切れる。

古川日出男のセルフ解説>
【本流探索】わが四半世紀の自著10冊

古川さんの「セルフ解説」がアップされていて、ご自身が選んだ10冊のタイトル名が載っていた。たしかに『ノン+フィクション』は読んだことあるけど、古川作品で代表作という感じはあまりない。ノンフィクションということなら、『馬たちよ、それでも光は無垢で』『ゼロエフ』があるけど、この作品を選んだことをご本人がこう書かれているともう一度読み返したくなる。

「福島芸術講」に古川さんが出品した『作文(一)〜(三)
こういう「作文」があったことを知らなかったので読んでみた。『ゼロエフ』で行ったことのある町の名前がいくつか出てきたことで親近感を感じた。今度福島に行くときはいつだろうか、きっとまた行くことがあるんだろうけど、行ったら行ったでまた歩きたい。
来月下旬には東大で「福島芸術講」成果報告会があるみたいなので行こうかなと思っている。

明日の取材までに前々回の取材の時のものをまとめて出すので、そのライティング作業を夜はやる。コンパクトにまとめる。こういうイメージでと前に言われて読んでいた書籍のことをイメージする。〆切はあるからとりあえず目の前の作業を終わらすことだけに集中する。でも、終わらないものは終わらない。

 

2月29日
起きてから昨日の作業の続きを始める。いつものオンラインミーティングを一時間ぐらいやってから、再度続きをやるが、昼過ぎまでには終わらない感じだった。
諦めて、渋谷まで歩いて半蔵門線に乗って永田町駅で降りてから今月からやっているライティング仕事で、今月3回目の文藝春秋社へ。約束時間よりも早く着いたので近所を時間つぶしで歩く。radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を行き来で聴いた。「オールナイトニッポン0」の月から金までのパーソナリティーは4月からの改変も変わらないっぽい、今の時点で誰も終了というアナウンスがないから大丈夫だろう。
15時から文藝春秋社の会議室というか応接室みたいなところで19時までインタビューというか取材で、いろいろと話を聞かせてもらう。途中で地震があってちょっと揺れた。千葉の方が震源地らしかったが、最近は四国でも珍しく地震があったし、元旦の能登地方もかなり被害があったがその報道もかなりなくなっている印象があるが、地震が多いなと感じる。

19時少し過ぎて取材が終わってから、編集者さんと会社を出て駅に向かおうとしたら小雨が降っていた。帰ってから明日3月からのスケジュールを見直して、この取材のライティング時間を加えていった。
3月は今やっている構成関連のライティング仕事が二本終わってくれたらかなり助かるんだけど、どうなるのだろう。

今回はこの曲でおわかれです。
【公式】星野源×若林正恭『Pop Virus feat.MC.waka』

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年2月1日〜2024年2月15日)

1月下旬の日記(2024年1月16日から1月31日分)

 

2月1日
先月下旬の日記をアップしていたら一時を過ぎていた。最後に載せているCreepy Nuts菅田将暉による『サントラ』の動画を見ていたら涙が出てしまった。
寝ようと布団に入った。寝るのは怖い。目を閉じてそのまま起きなかったらと前から思っていたけど、友達が急に倒れて亡くなってしまったことでその恐怖が増したような気がする。でも、泣き疲れたのか、すぐに寝落ちしたが三時過ぎに目が覚めた。トイレに行きたいというわけでもなく、部屋が寒いわけでもなにか夢を見たわけでもなく、ただ目が覚めた。
木曜日は可燃ごみの日だからゴミ箱からゴミ袋を取り出して集積所に持っていった。外は寒くて、空は曇りだったけど雨がちょっと降りそうな夜空だった。起きてから雨は降ってなかったから、僕にそう見えていただけかもしれない。

7時に起きたけど、作業はする気はしなかったから寝転んだまま、radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をタイムフリーで流した。ゲストはCreepy NutsのDJ松永だった。
日本という枠を飛び越えて世界で新曲がバズっている話もあったし、ラジオを辞めてメディアもほとんど出なくなったこともあったのかめちゃくちゃ喋っていた。それこそ松永だなって感じがしたし、佐久間さんとのやりとりはなんだかうれしくなって笑ってしまった。二人の波長というか信頼というか、歳の差もあるけど認め合えているからこそのトークの流れとテンポとテンション、その友達ではないけどわかっている者同士の温度感が心地よかった。

ラジオを聴きながら、僕は去年11月末に受けた健康診断の結果が入った封筒を出した。E判定で要検査になっていたものがあった。胃粘膜の萎縮の可能性があり、ヘリコバクター・ピロリ菌検査をしてくださいというものだった。
2月か3月のどこかで一緒に送付してもらった紹介状を持っていって診てもらおうと思ってはいたが、友達が急に亡くなったと伝えられたのに、それを先延ばしにはできないよなって。家から行けるところで消化器内科はどこがあるかなとネットで探していた。歩いてさほど遠くない距離に自衛隊中央病院があったのでサイトを見てみた。
紹介状があっても科によっては初診を受け付けられない場合があると書かれていたので、すぐに電話をして確認をした。消化器内科は問題なかったので来週行くことにした。亡くなった友達のお父さんが自衛隊勤務だったと聞いていたからそこにした。シンプルだけどそういう繋がりというかきっかけみたいなものが今は欲しかった。


9時過ぎに家を出て渋谷に向かった。1日は映画サービスデーで鑑賞料金が安くなるので二日前にはチケットを取っていた。26日から公開されているヨルゴス・ランティモス監督『哀れなるものたち』をもう一度観ようと思っていた。
東京国際映画祭、オズワルドシアターでの試写、26日の公開初日、今日とスクリーンで観るのは四回目になる。それほどにこの映画に僕は惹かれている。
平日の10時だがサービスデーというのもあってお客さんはそこそこ入っていて、客層は26日同様にファッションが好きそうな若い人が多めに感じられた。
冒頭の頃はモノクロだが、主人公が外の世界に冒険に出ていくとカラーになる。色彩を取り戻すというか、知るというか、彼女の服などの衣装、街の景色や船の内部なども凝ったデザインがされており、カラフルであるからこそ世界の開かれた可能性と暴力性を感じるものになっていた。だから、ファッションやデザインに興味がある人は間違いなく、惹かれるものがあると思う。
主人公であるベラは、自殺して命を絶った女性だったが天才外科医ゴッドウィンによって、妊娠していた彼女の胎児の脳を入れ替えられて蘇ったという設定になっている。だから、身体は成熟した女性だが、脳や心は胎児のものであり、精神は肉体の年齢とズレがあった。やがて、彼女はゴドウィンの屋敷の外に、世界を知りたいとい思うようになって飛び出していく。そこで自らの身体のことのことを知り、セックスなどの快楽や知識を得ていくことで成長していく。
創造主であり父でもあるゴッドウィンはベラが大事であるからこそ、屋敷から外に出ていないかないようにしていた。今作で出てくる主要人物たちはベラ以外は基本的に男性たちであり、誰もが彼女を何かで縛ろうとする。それは男性至上主義であり家父長制的なもので、女性は男性に従い、妻や娘は夫であり父の所有物という発想が根本にはある。
ベラは胎児から成長していく。その無垢さと未経験さによる発見によって、それらの男性社会的なものを蹴飛ばして蹴散らしていく。もちろん、フェミニズム的な映画であるが、女性だけでなく男性もその家父長制的な考えや役割を求められて辛い思いをしている人は世界中にいるはずで、主人公のベラを見ることでスカッとするだろうし、生き方すら変わるという人もいると思う。
ベラはセックスによって性的な快楽も知るが、自分の体は自分のものであり誰かに許可を取る必要などないのだと知り、その思いを言葉にしていく。私の体は私のものであり、誰のものでもない、というシンプルなことを。
同時にベラは本を読んで他者と語りあい、自分とは違う人たちとも触れ合っていくことで世界の複雑性を知っていく。そういう成長があったあとで、自分の秘密をゴッドウィンに確かめる行動を起こすことにもなる。
ゴッドウィンと教え子で彼女の成長を記録していたマックスにベラが「モンスターたち」という場面が後半には出てくる。だが、同時に彼女はゴッドウィンの行為を自分が考えた末に許し、彼のような医者になりたいと告げることになる。

僕は一度亡くなったベラ(ヴィクトリア)の姿を見て、昨日連絡をもらって亡くなっていたと聞かされた友人である彼女のことがよぎった。でも、彼女は自ら命を絶ったわけではない、それでも重なってしまう部分があった。
26日に観た時にはヨルゴス・ランティモス監督のブラックジョークやブラックユーモア、男性中心社会の欺瞞や女性を卑下する思想や言葉にベラは感じたままのことを言うことで強烈な皮肉となっていたシーンは笑っていたけど、今日はうまく笑えなかった。
そして、後半にベラが「モンスターたち」と告げてから一度屋敷を出て、ゴッドウィンを許すという流れまでのシーンでずっと涙が止まらなかった。
どうしてだろう、なぜ自分がこのシーンにここまで反応しているのかわからなかった。たぶん、ベラが自分で考えたことを相手に伝えて、尚且つこの先の自分の人生をどう生きるかを決めたという場面だったからだろう。もうそのことは亡くなってしまった友達がもうできなくなってしまった、ということなのかもしれない。
最後にベラが行う行為をどう受け止めるか、感じるかというものがあるが、自由を手にした彼女は同時に非道にもなるし、冷酷にもなれるという描写に見えた。自由とはただ賛美されるだけではなく、恐ろしいものなだということを最後の最後にヨルゴス・ランティモス監督は観客に突きつけてくる。だから、彼は信用できる監督だと思うし、彼が撮る作品なら観たいと思う。そういう信用があるかないかは非常に大きなものだし、僕には一つの判断基準になる。


東急百貨店本店は複合施設に建て替えられるため、元の建物を少しずつ解体している。通るたびに見ているがまだあの建物自体が無くなってしまって更地みたいな状態にはなっていない。
Bunkamuraコクーン歌舞伎とか何度も一緒に舞台を亡くなった友人と観に行ったけど、その建物すらなくなって違う新しい建物になっていく。
渋谷という街は戦争で破壊されたり、地震で壊れないから周期的に再開発をしてスクラップ&ビルドを繰り返してなんとか延命し続けている。だから、思い出を呼び起こす建物もだって生きている間に姿を消してしまう。それが悪いともいいともいえない。ただ、そういうものだから。

星野源 - 光の跡 (Official Video) 


亡くなった友達は2002年に出会った時からラーメンズバナナマンが大好きで、彼らの単独ライブにも毎回のように行っていてそのライブのDVDとかもたいてい買っていた。そういう繋がりもあって、バナナマンと仲のいい星野源さんの曲を流して帰りは歩いていた。
『光の跡』の歌詞がいなくなくなってしまった彼女を思い出させて、歩きながら泣いてしまった。もう、昨日から涙腺が壊れてしまって、なにかあると涙が出てきてしまって止めようがない。
なにか彼女について書き残したいと思って、彼女が住んでいた地域を舞台にしてもいいし、物語を僕なりに書きたいなと思った。なにかを残したいと今まで思うことはほとんどなかったけど、今はそう思う。

 

2月2日
スマホの目覚ましが鳴って起きる。顔を洗ってタオルで拭いて鏡に映った自分を見る。友達が亡くなったという事実がふいに僕の中で浮かんできて、喪失感と悲しみに襲われる。どうにもできない。このまましばらく涙腺は壊れたままでなにかと彼女のことを思い出すたびに涙が出てくるだろう。
人間の体は70%か80%ぐらいは水分でできていると聞くから、涙は枯れることはないだろう。それでも生きている僕たちの日々は続いていくからご飯も食べるし風呂にも入るし、コーヒも飲むしいつもと変わらない日常を送っていく。
作業をしたいけど、頭がぼんやりとしていた。でも、リモートワーク開始時間前には机に仕事用のノートパソコンと自分のMacBook Airを並べていつものスタイル。自分のPCではradikoを立ち上げていつも聞いている番組をタイムフリーで流した。


昼の休憩時間の時に外に出る。星野源さんの『光の跡』を繰り返して聴きながら歩いた。駅前のツタヤで大塚英志原作/西川聖蘭作画『東京オルタナティヴ 起 ―東京原爆編-』を漫画の新刊コーナーで手に取ってレジに向かおうと思ったら、スマホにメッセージが来た。
亡くなった友人のお母さんからで今度お会いすることになる日のことについてだった。メッセージを見ているとお母さんが通話ボタンを押したのか、電話が来たので取った。『東京オルタナティヴ』はとりあえず棚に戻してキャロットタワーの二階の通路部分に出てお話をした。
もう一人仲良くしていた友達から言われたこともあったし、もし可能であれば集合場所に集まる一時間前ぐらいに彼女が住んでいた部屋に伺えないかと聞いてみた。何度か遊びにおいでよと言われていたけど行っていなかった。家主がいなくなってしまったけど、その部屋を僕は見ておきたかった。彼女の居た景色をやその場所を。
お母さんはぜひいらしてくださいと言ってくれて、部屋には彼女の喉仏の骨だけは置いてあると教えてくださったので、手を合わせたいということともう一人の友達も時間が合えば一緒に伺っていいですかとお願いをした。
彼女は亡くなってすぐに火葬されてしまったから、僕らは最後に彼女の顔を見れなかった。喉仏の骨を見ても亡くなったという時間は沸かないかもしれないけど、それでも僕はその骨に会いたいと思ったし、会わないといけないと思った。
通話が終わってから、お母さんから彼女の住んでいた部屋の住所をメッセージで送ってもらった。すぐにもう一人の友人に電話をした。伺う時間のこともあるし、会うのが来ることが怖かったりもするだろうけど、たぶん、僕らが彼女の一部に会える最後のチャンスになるということだけは確かだった。あとはその友達の気持ちもあるし、無理強いはできなかったけど、一緒に行こうと誘った。
僕はキャロットタワーの二階の通路と踊り場みたいなところでお母さんの時とその友達との時も電話しながら泣いていた。もう、涙が止めるのは無理だったし、変な目で見られても気にもならなかった。
電話が終わってから店内に入って、読めるかわからないけど、もう一度手にした『東京オルタナティヴ』をお会計して建物の外に出た。その帰り道に知り合いにばったり会って少し立ち話をした。知り合いの人とこんな風に話せることはありがたい。
どうしたってしばらくはこの状態だろうからどうにもならない。彼女の家に行って、喉仏の骨をこの目で見て、お母さんと一緒に彼女が行くはずだったライブに行って、それから多少涙腺の線はゆっくりといつも通りに戻っていくのだろう。

昼ごはんを食べてからリモートの作業に戻ったけど、当然ながら作業には集中はできない。radikoで流れてくるいつもの番組のパーソナリティーの声は聞こえるけど、内容は頭に入ってこない。なにかふいに思い出しては涙が出てくるから夕方すぎると少しだけ頭が痛くなってきた。
仕事が終わってから、自分のGoogleフォトのデータを残っているものを過去から見返して、彼女が写っているものを選んだ。一緒に舞台とか行っても看板だとかは撮っても彼女を撮るということはほとんどなかったので、一緒に遊びに行った時のものがわずかにあるだけだった。それをセブンイレブンコピー機で写真としてプリントアウトした。今度部屋に行く時にお母さんたちに渡すことにした。

 

2月3日
起きてから資料を少し読む。残念ながらあまり頭は回っていない。諦めて散歩に出る。『三四郎オールナイトニッポン0』のタイムフリーを聴きながらいつもの代官山蔦屋まで歩く。冒頭から小宮さんのテンションが高く先週みたいな感じもあったが、スペシャルウィークゲストのレイザーラモンHGさんが登場してから、めちゃくちゃおもしろくて、何度か歩きながら吹き出してしまった。
三四郎の単独ライブには亡くなった友人と去年初めて行った。相田さんがアキレス腱断裂していたので、用意していたネタはできなくなってしまっていた。コントの時には車椅子に乗っていたり、漫才の時には松葉杖を使っていたりした。それはドキュメンタリーであり、そのハプニングをネタにすら小宮さんが取り入れて単独は無事に終わった。
僕らは大満足で草月ホールから青山一丁目駅のところにある銀座ライオンで飲んで食べた。去年は彼女と草月ホールでのお笑いライブを7月は三四郎、9月はハナコ、10月は岡野陽一の単独ライブを観た。三四郎の時から銀座ライオンに行くのが定番になった。
「来年は相田くんのギブス外れてるかな。それも観たいね」と笑いながらお酒を飲んでいた。毎年彼らは単独ライブはやっているみたいだから、来年の2024年も一緒に行くつもりだった。このラジオでおもしろい回があったらラインで聴いてみてよとラインしてたから、そっか、そういうことをもうできないのか、今日のレイザーラモンHGさんゲストすげえおもしろいのにこのことをラインできないなと思ったら、笑いながら泣いてしまった。
家に帰っても『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』は聴けなかった。僕が彼女のお母さんと一緒に行くライブはバナナマンのふたりが単独ライブでやっていたフォークデュオ・赤えんぴつの武道館ライブだから、普段は普通に聴いているバナナマンのラジオを聴くのをためらってしまった。

17時に友人であり、仕事を一緒にしている友達と渋谷のマークシティの裏の方にあるシーシャ屋で打ち合わせもかねて会う約束があったので16時には家を出た。道玄坂を下って行ったが異様に渋谷は混んでいた。待ち合わせまで時間があったから、宮益坂下に移転したル・シネマに行った。19時前にバス・ドゥボス監督『here』を観るためのチケットはすでに取っていた。その回では監督と主演俳優のお二人がゲストで来てQ&Aと終了後にパンフにサインをしてもらえるとサイトに書かれていたので、先にパンフを買っておこうと思った。移転してからは一度も来ていなかった。気持ちとしては今シネクイントが入っている劇場が渋谷シネパレスだったみたいな感覚に近い。
『here』パンフと去年末に二回観たけどパンフが売り切れで買えなかったヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAY』のものもあったので一緒に購入した。
偶然なんだろうけど、『PERFECT DAY』で役所広司さん演じる主人公の平山はスカイツリーのお膝元である押上に住んでいる設定で、その付近や隅田川を渡った浅草が彼の日常として描かれていた。亡くなった友達が住んでいたのはそこからほんの少し南下したエリアで、13日に会った時に『PERFECT DAY』観たけどほとんど同じエリアじゃないかなと聞いたら、「なんかそうらしいね、観てみようかな」と言っていた。なんだろう、なんでも結びつけなくてもいいんだろうけど、結びついてしまうのは。
パンフを持ったままでシーシャ屋に行って、彼はシーシャを吸い、僕はIPAのビールを二杯飲んで、打ち合わせも兼ねて話をした。映画が始まる20分前に僕だけ店を出て新生ル・シネマに向かった。


9階の劇場は天井が高く、気のせいか前のル・シネマっぽい天井の形、波打ってるみたいな感じで、座席も新しくてキレイだった。お客さんもほぼ満席になっていた。今作『here』の前の長編『Ghost Tropic』も同時に日本で初めて公開がされていて、映画好きな人にかなり興味を寄せられているのがわかる感じだった。

世界的に注目を集めるベルギーの新鋭バス・ドゥボスが監督・脚本を手がけ、植物学者の女性と移民労働者の男性が織りなす些細で優しい日常の断片をつづったドラマ。

ベルギーの首都ブリュッセルに住む建設労働者の男性シュテファンは、アパートを引き払って故郷ルーマニアに帰国するか悩んでいる。シュテファンは姉や友人たちへの別れの贈り物として、冷蔵庫の残り物で作ったスープを配ってまわる。ある日、森を散歩していた彼は、以前レストランで出会った中国系ベルギー人の女性シュシュと再会し、彼女が苔類の研究者であることを知る。シュテファンはシュシュに促されて足元に広がる多様で親密な世界に触れ、2人の心はゆっくりとつながっていく。

2023年・第73回ベルリン国際映画祭エンカウンターズ部門にて最優秀作品賞&国際映画批評家連盟賞(FIPRESCI賞)をダブル受賞した。(映画.comより)

僕はこの映画についてはほぼ書けることが実はあまりない。始まって10分もしないうちになぜか急に汗ばんできて、吐き気を催した。ヤバいと思って席を立ってトイレに行った。指を突っ込んでなんとか吐こうとしたが、胃液がわずかばかり出たぐらいだった。顔を洗ってから席に戻る。そのあとは睡魔に襲われて、時折目が覚めて美しい映像と音楽があり、また眠りに落ちて行った。
何度か歩いているシーンや雨が降っているシーンを観た。最後の20分ぐらいは戻ってこれて観れたけど、大事な部分をほとんど観ていないし、話がどういう流れだったのか理解できていない。でも、美しい映画だった。
Q&Aのあとにサイン会があった。来てくれてありがとうと伝えて、お二人にサインをパンフにもらった。土曜夜の渋谷は人混みで溢れていて道玄坂を抜けていくまでに時間がかかった。公開中にはもう一度ちゃんと観に来ないといけない。

 

2月4日
目覚ましの音で目が覚める。雨が降っているような音がしたから外を見たら、やっぱり降っていた。週明けには雪が降るかもしれないとニュースで見たが、このまま気温が下がればほんとうに雪は降りそうだった。
昨日聴けなかった『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』をradikoで流しながら次の仕事で必要な資料を読んでいた。番組の30分過ぎた辺りで設楽さんと日村さんの曲対決で、設楽さんがCreepy Nutsの新曲で、日村さんが星野源さんの『光の跡』だった。友人が亡くなったと彼女のお母さんから連絡をもらってから、その翌朝からバナナマンとも仲のいい星野さんのニューEPの一曲目『光の跡』を何度も何度も聴いていたから、不思議な気持ちだった。うれしいのかかなしいのか、よくわからない。


15時半に今日限定でやっているアアルトコーヒー×ニコラ「喫茶アアニコ」に行く。庄野さんがネルドリップで淹れたアアルトブレンドとニコラのオペラをいただく。
16時からは庄野さんとニコラの曽根さんの雑談、トークの「アアニコ」にそのままスライドして話を聞いて、打ち上げにいつもの美味しい打ち上げに参加。お店を22時ぐらいに出てまたニコラに戻ってお酒飲みながら深夜3時半ぐらいまで残ったメンツで話をしていた。

 

2月5日
8時過ぎセットしていた目覚ましで起きて、二日酔いはなかったけどお店でタバコを吸ったりしていたので匂いがついていたので一旦シャワーを浴びる。湯船に浸かりたかったけど、仕事の時間を考えるとそんな余裕はなかった。
リモートワークを開始して、月曜日朝なのでいつも通りradikoで日曜放送の『川島明のねごと』『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』をタイムフリーで聴く前に、土曜日深夜の『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いていなかったのでそちらから流しながら作業をした。

雪が降るというのは数日前から天気予報で見ていたが昼過ぎにご飯を買いに出ようと思ったら、みぞれっぽいなと思った雨は家に帰るまでに雪に近い感じの白いひらひらしたものになっていた。
TSUTAYAを覗いたら江國香織著『川のある街』という新刊が出ていた。サイン入りだったのと川沿いの物語なら読みたいなと思って買った。


19時半からLOFT9で開始される「平成ノブシコブシ徳井 #敗北からの芸人論 トークイベント vol.11 ゲスト:永野」のチケット取っていたが、雪がかなり強くなって積もり始めていたので諦めた。これから深夜に向かってもっと降るみたいなので積もるしたぶん地面は凍ったりして渋谷まで歩いていくのは危険だし、こういう時に電車に乗るのもどうせロクなことはない。
土曜日の友達の家に行くのとライブまでは僕は病気も怪我もできるだけ避けたい、その日もし行けなくなるのが一番現状で起きてほしくないことだから。コンビニに行って焼きラーメンを買うだけ買って家にすぐ戻った。


The Birthday - なぜか今日は 


家に帰ってからこの曲をなぜか聴きたくなった。

トークイベントは後日配信を買って観ることにして、家でできる作業をやることにした。ちょっとずつちょっとずついつもの生活のリズムに戻していかないといけない。
明日は新しいライティングの仕事も始まるし、でも、こんだけ雪が降ったら昼過ぎに家を出ても雪は溶けてないだろうし、時間に余裕みて動かないと遅刻したりしそう、初日からミスが起こりやすい環境なので用心していかないといけないなって思う。

 

2月6日
6時ぐらいに目が覚めて、ペットボトルの回収日だったので外の様子を見ようとドアを開けて見る。もう少し積もっているかと思ったが、これは外出れないなというほどではなかった。ペットボトルの入った袋を両手に持って集積所に行く途中に一度滑って転けそうになる、あぶねえ、やっぱり下の方が凍っている感じで油断すると滑る。
そこから今日のお昼から仕事に必要な資料を読み始める。10時過ぎに一度駅前に行こうと思って部屋を出るとアパートの隣の一件に住んでいる子供が雪だるまを作っていた。


15時から文藝春秋社でお仕事。どのくらいぶりかわからないけど、かなり久しぶりに来た。19時まで仕事をしてから編集さんと一時間ちょっと飲んでから半蔵門駅で電車に乗って家に帰る。
脳みそをフル回転する仕事だから、知らないうちにカロリーを使っているみたいで結構疲れてて、部屋に帰ってちょっと寝転んだらうとうとしてしまったので、湯船に入ってすぐに寝た。

 

2月7日
6時に起きて作業を開始。明日中には終わらしたいけど、いろいろとスケジュールが大変になってきた。今日はもともと出勤日だったけど休みにして、下旬の別日に出勤する形にしてもらったのは余裕が少しでも欲しかったから。それで明日行くつもりだった自衛隊中央病院へ行くことにした。
家から歩いて20分ぐらいのところにある自衛隊中央病院は初診なので8時半から受付とサイトを見たら書かれていたので、それよりも30分は早く行けばいいかなと思って7時半には家を出た。雪はほとんど日陰以外は溶けていて転んだりする心配はなさそうだった。
歩きながら『星野源オールナイトニッポン』をradikoで聴きながら向かった。星野さんの誕生日祝いでバナナマンの日村さんと放送作家のオークラさんが毎年恒例プレゼントを持ってやってきた。日村さんが武道館のこと、音楽についてずっと質問しているのが微笑ましかったし、土曜日のことを考えながら歩いた。


入り口で中に入る際に必要な紙に記入して、受付の人にサインと入った時間を書いてもらった。出る時には病院の受付の人とかにサインと時間を書いてもらわないと外に出れないらしい、セキュリティがちゃんとしているなと思いながら病院へ。
8時前に着いて予約なしの人用の整理番号を取ったら5番目だった。そこから終わって出るのは10時半ぐらいになった。そのぐらいの番号だったので、呼ばれるのは早かったりしたので、8時半とか過ぎて行っていたら帰るのはもっと時間がかかって12時近くになったのかもしれない。知らない場所は早く行くに限る。
消化器内科の先生には、受付で渡していた紹介状と健康診断の結果のバリウム検査の画像も見てもらったので、胃カメラで再検査する日程と検査後の説明をする日をいくつか提案されたので、都合のつく日に予約を入れてもらった。当日に胃カメラとかは元々無理なのはわかっていたので、ここがスムーズに進めばこちらとしてはありがたい。
自衛隊の人も何人か受診を待っていたりしたのもあってか、待つのが長くなっても文句とかおじさんとかおばさん言いそうだけど、結構みんな大人しくなっていた気がする。
家に帰る前にオオゼキによって昼ごはんの材料を買って帰ってから洗濯をした。昼すぎてから作業を再開した。


16時少し過ぎてからニコラに行って栗と木苺、ブルーベリーのエクレアとバレンタインブレンドをいただいた。いつものアルヴァーブレンドはこの時期はバレンタインブレンドになっていたのでそちらにした。わずかな苦味はあるけど、軽いのでさーと飲めるから、アルヴァーとアイノブレンドの間ぐらいかな。
曽根さんと由賀さんと日曜日のこととかいろいろと雑談をした。帰ってから『あののオールナイトニッポン0』を聴きながら再び作業をした。

天才バンド / 天王寺ガール【Live at LIQUIDROOM 2013.12.10】


「あのANN0」終盤でこの曲が流れた。あのちゃんがツアーで大阪でライブするというのもあって、この曲なのだろう。
奇妙礼太郎は震災後ぐらいに何度かライブで観に行っていて、その頃は奇妙礼太郎トラベルスイング楽団だったか、この天才バンドも観ていると思う。『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』や『菅田将暉オールナイトニッポン』とかにもゲストで呼ばれていて素晴らしい歌声を披露していたし、バナナマンの二人も菅田将暉もファンだけど、いつも通りな感じの奇妙さんでそれもよかった記憶がある。

 

2月8日
起きてからすぐに作業開始。今日中には出さないと行けなかったけど、自分の感覚では夕方前には終わりそうな感じだった。文量はだいぶある。もっと削ってもよさそうな気もするし、まとめてもいいところはあるけど、テーマであったり他の人の意見も正直聞いてからザクザク変更したい気持ちもあった。
いろんなことが連絡不足じゃないかなと思えなくもないけど、それは僕の仕事ではないのでまずは素材として出せるものを提出してから、判断してもらって意見をもらったほうがいい気はしている。
昼前に毎週やっているオンラインミーティングをやった。今週は僕がやる作業はほとんどなかったので、来週他の人がやった作業によってどう動くかとか決まりそう。
30日から仕事がほとんど手につかない状態ではあるけど、忙しくてそれが紛れるかというとそうでもない。仕事であったりなにか作業をするために大事なモチベーションであって、そこにはもちろんお金もあるし人間関係における信頼とかもある。小学館の漫画編集者の人たちが亡くなった漫画家さんに対しての声明を出していたのを読んだらちょっと泣けたけど、今ある程度心に響けば涙は容易に流れてしまう精神状態ではある。

15時前には作業が最後まで終えたので提出してから渋谷に歩いて散歩に行った。『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をradikoで聴きながら歩いた。番組本第三弾が出るらしい、そういえばAdoが月曜一部卒業したあと誰がなるかって話とか 「オールナイトニッポン」レーベルの番組をいろいろと聴いているけど誰も言及しないな。


19時半から『水道橋博士のメルマ旬報』でずっとお世話になっていて、現在もWebサイト「BOOKSTAND 映画部!」での『月刊予告編妄想かわら版』も担当してもらっている原カントくんさんとマルコで久しぶりに飲む約束をしていた。
最初に金のポテトサラダと前菜盛り合わせとか色々と頼んで、あとはずっとビールを何杯も飲みながら、いろいろと話をさせてもらった。回転の問題もあって二時間ぐらいでラストオーダーになったので、そのあとは原さんが「寒い、タクシー乗って帰ります」というのを邪魔しつつ一緒に歩きながら話をして大通りに向かった。
原さんは人に誘われないと飲みに行かないというので、数ヶ月に一回は飲みましょうって話になって、次誰を誘うか話をしたりした。こういうのってほんとうに会わなくなるとずっと会う機会がなくなるので、そういう感じに意図的に会うのがちょうどいいんだろう。

 

2月9日
8時過ぎに起きた。ライティング関連の作業はしないで半からすぐにいつものリモートワークを開始した。もともと水曜日は出勤予定だったけど、自分が作業をしていなかったことで切羽詰まって休ませてもらって、代わりに下旬の本来休みの日に出勤するスケジュールに変更させてもらっていた。それで火曜水曜木曜と週の真ん中三日間仕事をしていなかったので、いつもならセットしておくものを忘れていたりとかしたのですぐにそのフォローをしたりしたけど、前週から休もうと思っていたらもう少し準備してたんだろうな。まあ、大きめの作業がない時期だからこそ休ませてもらったものもあるし、タイミングとしては助かった。
radikoで『ハライチのターン』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』『四千頭身 都築拓紀サクラバシ919』と木曜深夜に放送したラジオ番組だけで夕方までBGMは事欠かない金曜日。

内田 他者との共同生活にはもうあまり興味がないですか。

小泉 もともと無理みたい。女性は家庭を守るためにいそいそ働いて、みたいなドラマをたくさん観ていたから、自分でもできると思いたかったけど、この人じゃ無理だったな、この人でも無理だとやっていくうちに、あ、できないのは自分なんだとわかりました。

 でも樹木さんと対談したときに私へのアドバイスとして、「あのね、愛する人と手を繋ぐとか、体が触れ合うとか、そういうことをしてほしい。私はそれをしなかったから病気になった気がするの」っておっしゃったんですよ。

内田 ああ、それは本当に母の心からの声ですね。

小泉 確かに、自分の心を柔らかくすることって人と関わることでしかできない気がします。なかなか私にはできないんですが、でも樹木さんのこの言葉を胸に刻んで生きていきます。

「あなた、足を掬われるわよ」“危うい若者”にスパーンと…内田也哉子本木雅弘夫妻が見ていた“20代の小泉今日子” 内田也哉子x小泉今日子対談

ちょっと前に見かけていた記事を読んだ。小泉今日子さんが樹木希林さんに言われたこと、手を繋ぐとか体が触れ合うことの大切さを言われているのがすごく目に留まった。お互いに大切なパートナーでも普段からスキンシップしない人もいるだろうし、長年いると昔のように触れ合いが減るということもあるのも頭ではわかる。
でも、なんというかリモートワークとか出勤しなくて個人的には非常に助かっているけど、人間ってある程度の距離感や身体性を肌身で感じないと他者との関係性もだけど、自分自身のなにかが損なわれてしまうのだろう。だから、異性愛でも同性愛でも、そういうものでなくても誰かと触れ合うことはかなり生きて行く上で大切なのかなと思ったりした。まあ、その相手を見つけるのがめちゃくちゃ困難ではあるという問題が先にあるのだが。


休憩中に駅前のTSUTAYAに行くと上田岳弘著『K+ICO』という新刊が出ていた。装幀デザインの雰囲気もいいし、ウーバー宅配員とTikTokerの男女とそれを取り囲むシステムについてらしいと前に見ていたので、たぶん僕が興味ありそうなものなんじゃないかなと鼻が効いた。

今月はそのフロンティア大使の仕事を2日続けて、この2日めというのは中学1年生、2年生に向かっての講演会だった。この時はネクタイを締めず、しかし全身で対峙した。というのも、中学生たちがこちらに真摯に、全身で向き合っているのがわかったから。そして、講演後の質疑応答の時間、式のお終いに「まとめ」の言葉を口にしてくれた二人の生徒のおかげで、真剣な語りはきちんと昇華されたこともわかった(郡山ザベリオ学園中学校のこの生徒たちの理解力、受容力の高さには、いまも感動させられている)。

たぶん私は、真に新しい〈制度〉が芽生えるための地平に、こうして立ちはじめたのだと想像する。

そうやって中学1、2年生の前に立った翌日には、高校1年生から3年生までの間の十代後半の自分がしてきた活動を、高校1年生になると同時に受けとめた幾つも年少の、しかし現在は50歳となる人間に会って、たとえ幼かろうが自分が「生きてきた」ことには、消滅をまぬかれて他者に手渡された要素(もの)もあった、と実感できた。言葉を換えるならば、自分の人生はぐるりと結ばれはじめている。

古川日出男の現在地」2024年2月9日『結ばれるもの』

夕方に仕事が終わってから古川さんのブログが更新されていたので読んだ。この数年、地元福島で開催される小説賞の審査委員やこのフロンティア大使などを古川さんは地元のために活動をより積極的にされている。
今回はネクタイに関する文章だけど、ご自身の立ち位置と求められるもの、そういうものが嫌だったり、あえてそういうものに突きつけていた生理的なNOみたいなものを解除というか、関係性や関わり方で変わって行く、意識的にチェンジするような気持ちなのかなと思えるものだった。
『文藝』で連載していた『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』も最終回を迎えたので、単行本に今年中にはなると思うが、春ぐらいには新しい連載を、ということもこのブログで前に書かれていた。OSがバージョンアップされるのかもしれないし、また次なるフェーズに入る小説になるんじゃないかな。

 

2月10日
前々日からどうしようかと考えていた。15時に墨田区蔵前に行くことは決まっていたが、電車に行こうかどうか。歩いて行くなら三時間半とマップアプリでは出た。そのぐらいは歩けなくはないが、そのあとに一番大事な予定があるということもあって体力使っても大丈夫かというのが気にはなっていた。
でも、我が家からその墨田区の友達の家まではアプリでは15キロほど、そう考えると雨とか雪が降っていないし、気温が高くないのならほとんど問題はない。亡くなった友達が写った写真を入れたアルバムを持って行くつもりだった。うちから友達の家まで一緒に歩いて、その距離を経たものをご両親に渡したいと思った。それは自己満足でしかないが、自己満足でいいだろうし、まだ生きている僕のこの肉体を使う、動いて歩いてその距離を圧倒的に感じる、把握したいという気持ちがどんどん強くなっていた。
11時に家を出ればよかった。午後2時半に友達の家の最寄駅でもう一人の友達と待ち合わせをしていた。だけど、初めての道は多少不安もあるし、余裕を持って行きたかったので10時半には家を出た。
赤坂見附までは馴染みのある246沿いをApple Musicで赤えんぴつの曲を聴きながら歩いた。途中ABCが入っている建物の一階のトイレを借りて自販機でヤクルト1000を買って飲んだ。汗はそれなりに出て暑くなってきたので上着を脱いだら、すぐに汗が冷えて寒くなってきたのでまた着直したりした。日陰にいくとどうしても上着はいるぐらいにはなった。


亡くなった友達とは去年、三回赤坂御所の反対側にあった草月ホールでお笑いライブを観ていたから、その前も通りたいというのがあって、皇居の下側を通ろうと思っていた。夜は武道館に行くから、上側はそちらのラインでいいかなって。
草月ホールを過ぎて反対側に歩道橋を使って渡ってから豊川稲荷にお参りをした。参拝客はそこそこいたけど、並んでも順番はすぐに来たので滞在時間はそこまで長くかからなかった。


そのまま青山通りをまっすぐ進んで内堀通りから皇居のお堀沿いを南下していく。何十人もの皇居ランナーに抜かされていきながら桜田門のところから皇居外苑に入ってから神田方面へ向かった。
世田谷区の我が家からロラン・バルトの言うところの「東京の空虚な中心」である皇居の下側を、左寄りの半円を通ってスカイツリーがすぐの墨田区まで行くというのは僕には意味があった。


神田川を越える時の橋は見覚えのある浅草橋だった。反対側には神田川隅田川に合流する地点があり、そこにあるのは柳橋でそれもこの浅草橋の場所から見えた。
東京オリンピックが終わった翌年の元旦まで何年も続けていた元旦に井の頭公園神田川の源流から川沿いを歩いていき、柳橋の先で隅田川に合流してからは隅田川沿いに歩いていって、月島の先の晴海埠頭まで行くという古川日出男著『サマーバケーションEP』の舞台を、物語をトレースするというのをやっている時に何度も通っていた浅草橋、そう考えると友達の家はそこまで遠くない場所だとわかった。隅田川の向こう、墨田区はここからならさほど遠くはない。


浅草橋から隅田川寄りの国道6号線を北上して蔵前駅を目指した。途中で6号線だと気づいた時はびっくりした。古川日出男著『ゼロエフ』での取材の時に国道6号線を宮城県から福島県に入り、海沿いの津波被害を多く受けた、もちろん原発もあるけど、そこを通って茨城県まで古川さんと田中くんと僕の三人で歩いていたから。確かに福島でも日本橋まで何キロとあったはずで、あの道からここまで繋がっている。そう思うとなんだかいろんなものが無意識だったけど、繋がっていて僕の中で結ばれていく感覚があった。
2時前には蔵前駅の待ち合わせ出入り口に着いたので、今日お邪魔する予定の友達の家の住所を頼りに一度確認しに行って駅前に戻ってきてから隅田川テラスに降りてぶらぶらしていた。

待ち合わせしていた友達と合流して、亡くなった友達のマンションを訪れた。亡くなった友達は1月26日の昼頃に急に倒れて、翌日27日の朝には亡くなり、民間の火葬場ですぐに火葬されてご両親と実家に戻った。友達はスマホとかの暗証番号をちゃんと書き残していたらしく、それでロックを解いたお母さんから僕に連絡が来たのは亡くなって四日後だった。お母さんと電話で話したら、娘が好きだったバナナマンがやる「赤えんぴつin武道館」に一緒に行きましょうとお誘いを受けた。僕は断る理由はなにもなかったから、一緒に行きますと答えた。
そして、その後二度ほど連絡をした中で、結局一度も遊びに行かなかった彼女の家にお邪魔させてもらえませんかとお願いをした。喉仏の骨は部屋にあるからぜひと言ってもらった。だから、もう一人の二十年以上付き合いがある友達にも連絡して二人で最後に彼女に会わせてもらうことになった。
彼女のお父さんとお母さんに出迎えてもらって、僕らは彼女が写った写真のアルバムなどをお渡しした。9、10日と日本武道館で開催される赤えんぴつのライブ、昨日は彼女の会社の同僚の人と、今日は僕とお母さんは行くことになっていた。彼女が大好きだったバナナマン、彼らの単独ライブでバナナマンの二人はフォークデュオ「赤えんぴつ」に扮して歌っていた。バナナマンも三十年近くライブをやっているから、曲数は毎年の単独ライブで一曲やっていてもフルアルバム二枚分ぐらいはあった。

彼女の喉仏の骨は両手に収まるガラスの蓋つきの瓶の中にあった。話を聞いたら、東北のほうと京都の一部では喉仏の骨だけはお墓などに入れずに仏壇などに置いていると教えてもらった。火葬されたあと喉仏の骨だけはご両親が彼女の部屋の片付けをするために上京した時に一緒に持ってきていて、リビングのテレビの台に置かれているようだった。
お父さんとお母さんと僕らは彼女の話をした。たぶん、泣くだろうなと思ったけど涙はあまり出なくて、お母さんが明るい人でクヨクヨしないって言われていて、お父さんは言葉多くはなかったけど、友達のことを本当に大事にしてきたのが伝わってきて、なんとかできるだけ泣かないで話をした。
お父さんから彼女の死亡届のコピーも見せてもらった。いろんな手続きで必要だから手元にあったそれには、お母さんから連絡をもらった時には脳梗塞で亡くなったと言われていたが死因はくも膜下出血と書かれていた。
僕はお母さんからスマホを渡されて、今日のライブのチケットの分配をした。そういう手続きもペーパーレスになってきているけど、ある程度上の年齢の人には難しいし、スマホがないとどうにもならないというのは転売されないためのセキュリティというのはあるけど、やっぱり人間にやさしくない。
僕は最初からお母さんに「私を武道館に連れて行って、帰りもほとんど家に一直線で帰れるところまで送って」と言われていたので、ライブも一緒に観るけど、普段彼女がやっていたことを代わりにやるのが役目だった。
コロナパンデミックがおさまってきてから、バナナマンの単独ライブは復活したがいつも彼らが単独をやる俳優座は座席数が少なくチケットはずっと取れなかった。だから、彼女もこの数年はバナナマンを生では観ることができていなかった。それなのに、赤えんぴつの武道館ライブは9日と追加で決まった10日どちらもゲットできていた。最後に会った1月の時にも赤えんぴつの話をしていたから、すごくたのしみにしていたのはよく知っていた。
彼女とお母さんはもともと一緒に行く予定だったけど、娘がたのしみにしていたライブだけは亡くなったけど絶対に行くと決めて、両日にそれぞれ誰か娘と仲良かった人に頼んで一緒に連れて行ってもらうことにした。10日がライブとかよく行っていて、お母さんにも名前を何度か言っていたから「イカリ」として認識されていた僕になった。
彼女の自宅に滞在したのは30分ほどだった。僕はお母さんを武道館に連れて行かないといけなかったので、最後に喉仏の骨に手を合わせてから、蓋をあけて彼女の白いその骨を見た。一緒に来た友達が耐えきれなくて号泣して、僕も泣いて、お父さんとお母さんも泣いた。お父さんは自宅に残って三人で部屋を出て両国駅に歩いて向かった。友達は大江戸線一本で帰れるので、九段下駅に行くのはこのルートにした。


武道館に着いてから、お母さんは物販のカセットテープとサイリウム(ペンライト)を買おうと思っていたけど、タオル以外は全部売り切れていたので残っていたタオルだけ買った。お母さんは娘にはカセットテープ本体を、自分はそれについているダウンロードコードで音源をダウンロードして聴くからと言われたので、ネットでも販売というか再販してほしい。たぶん物販ではすぐ売り切れてしまっていて、欲しがっている人はたくさんいるだろうから本当にお願いしたい。
電車に乗っている間も武道館の開場待ちをしている間もいろんな話をした。お母さんもオールナイトニッポンやJUNKのラジオリスナーだったから、そういう話もしたし、もちろん大抵は彼女のことを話した。

昨日お母さんと一緒に武道館に来た同僚の人とは友達は家族ぐるみで仲良くて一緒に旅行も行くほどだったらしい。僕もその人のことはほとんど知らないし、なんとなく知っているぐらいで、その同僚で後輩の人も僕のことを聞いているかもしれないが、なんとなく知っているぐらいだろう。そんな風に誰かを中心にした関係性というのは蜘蛛の巣みたいに広がっていて、交わらない部分がたくさんあって知らないことも多いものなのだろう。
お母さんは友達が同僚の人たちにすごく可愛がってもらっていたのがよくわかったとおっしゃっていた。仕事中に倒れて、というのもあるから会社の人や仕事関係の人には亡くなった事は当然伝わっていて会社の人たちだけではなく、仕事関連の人たちからもいろんな話を会社の人たちを通じて聞かせてもらったと言われていた。
お母さんはロックが解除できてからもラインなどは娘と相手のプライバシーの問題だから見ていないと言われていた。実際に彼女のスマホを見せてもらったら、ラインのアイコンに未読の数字がかなり残っていた。
僕は偶然というかライブに行く相手に選ばれたから連絡をもらって、亡くなったことを知った。もう一人の友達もなんだかんだ付き合いは続いていて三人で春先に会おうと元旦にグループラインで連絡したばかりだった。おそらく、彼女の知り合いのほとんどは亡くなったことを知らない。知りようがない。
僕は上京してからすぐ知り合いになっていて、ここまで22年と付き合いの長い友達が亡くなったのは初めてだった。共通の知り合いもいないわけでもないけど、その人たちにわざわざ伝える理由も正直見つからなかった。もう付き合いはないのだからこちらから伝えるのも違う気がした。この日記を読めば彼女を知っている人には誰かわかるけど、そういう人たちは誰も読まないだろうから知る事はないだろうし、なんかそれでいい気がしている。

お母さんは前日の赤えんぴつのみが出演しているライブを観ていた。10日はゲストにchelmico乃木坂46三浦大知トータス松本が出演するという初日とは趣向の違う日になっていた。二日ともアリーナの席で、この日は五列目50番代というかなりステージ近くの席だった。
アリーナの真ん中に円状の小さなステージもあり、オープニングや時折赤えんぴつの二人はそこでも演奏をして歌った。その時は自分たちの席よりも後ろにそのステージはあったので首を180度近く後ろに向かないと見えにくい場所ではあったが、前方には大きなスクリーンが三つあったりしたので表情とかはそこで観ることができた。
少し危惧していたのはこの日のために赤えんぴつの曲を繰り返して聴いていたけど、歌詞の内容的に人が亡くなっていたり、いなくなっている内容のものがちょこちょこあり、これはこの状況で耐えれるかなと不安に思っていた。
ゲストの人たちと赤えんぴつが一緒に曲を歌ったり、トークをしたりするのも楽しかったけど、後半の方でステージにいた全員がはけたあとに中央の巨大なスクリーンにある映像が流れた。
中村倫也演じるカフェのマスター、黒木華演じるカフェのバイト、そのバイトに恋をしたいつもナポリタンをいつも頼む客のドラマ風な映像が映し出された。お母さんは昨日も観ているから、映像が映ってすぐにこれは放送作家の永井ふわふわさんの話なんだよって教えてくれた。ふわふわさんの実話であり、今の奥さん(バイトの女性)と結婚したエピソードを曲にした『よしこちゃん』に繋がるドラマだったようだがこの日はすでにその曲は披露されていた。だから、お母さんも途中から昨日と違うわと言っていた。
若い二人が店内からいなくなったカフェでマスターがアルバムを見ている悲しげな表情、帰り道で路上で演奏している赤えんぴつに彼が一曲やってくれないかなという入り方で曲の演奏が始まるという演出になっていた。
正直ヤバいと思った。赤えんぴつの知識がほぼなくても、この一週間で聴いていた感じではこの流れでいけそうな曲は『それを胸に』というものだけだった。この曲は幼稚園から一緒だった男の子と女の子、やがて二人は高校生になって付き合いだして大学を卒業して結婚する。だけど、妻はある日交通事故で突如なくなってしまうという内容だった。
どう考えてもこの曲は大事な人を亡くしたばかりの人には刺さりまくってしまう。僕ですらそう思うんだから、お母さんには響いて刺さりまくってしまう。案の定、そうなるわけだがお母さんも泣いてたし、僕もそれ見るし歌詞でも泣いちゃうし、基本的にはずっと悲しみよりも楽しいと思える素晴らしいライブだったけど、この曲だけはどうしても僕らは耐えきれなかった。
アンコールはゲスト全員と赤えんぴつで『自転車』を歌い、最後はステージから客席に向かってハート型のメッセージの書かれたものが飛行機のように飛ぶながら舞い降りてきて、金と赤のキラキラしたテープとか色々飛んできた。昨日もいくつかお母さんはゲットしていたみたいだけど、今日の方がステージには近いからたくさん取れたみたいでほんとうによかった。

映像で出演していた中村倫也さんと黒木華さんも会場にはいたみたい。



ライブが終わってから、僕はお母さんを半蔵門線押上駅まで送ることにした。ライブの最後に上から舞い飛んできたハート型の小さな紙吹雪とかはお母さんが火葬される前に少しだけ切っていた彼女の髪の毛を入れたパックに一緒に入れていた。そうやって友達の一部も武道館にお母さんは連れてきていたから、電車の中でそれを見せてもらった。小さなそれに入っている髪の毛を僕は触った。喉仏の骨を触った時みたいに実感がうまく沸かなかった。それは骨であり髪の毛であり、友達だった彼女の一部だったという認識が僕の中であまりうまく像を結べなかった。
押上駅で降りてから駅前のタクシー乗り場でタクシーに乗るお母さんを見届けて、半蔵門線で反対側にある僕の家の方の電車に乗った。

【MV】Creepy Nuts - のびしろ(NOBISHIRO) 


去年三月には『東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館「なんと括っていいか、まだ分からない」』を亡くなった友達と観に来ていた。それから一年も経たないのに初対面のお母さんとなんで僕が彼女の代わりにバナナマンを観に来てんだよと思った。あんなに楽しみにしてたのに、なんでだよって。
だけど、それが無理だから僕が代わりに誘ってもらって行くことになった。こういうイベントだったりはある種の儀式みたいなものでもあるし、区切りにもなりやすい。そう思えば一緒にお母さんとライブを観せてもらえたのはありがたかった。
最寄駅に着いてから、そのまま家には帰らずにその前にニコラに寄ってビールを飲んで献杯をした。

 

2月11日

前日の友達の家と武道館に行くのは決まっていたけど、いろんな気持ちになるだろうなって思っていたのでやさしい作品を観たいなと思っていた。とりあえず予告編の雰囲気もよかったし、三宅唱監督の新作なので観たかった『夜明けのすべて』の朝一の回を二日前には取っていたので、TOHOシネマズ渋谷にて鑑賞。
やっぱりというか、さすがに松村北斗ファンらしき若い女性が八割ぐらいだった。隣の女性は瀬尾さんの原作単行本を手元に持っていたが、始まる前にその本と松村さんの切り抜きか何かと一緒にスマホで写真を撮っていた。そういう意味でも過去作である『きみの鳥はうたえる』や『ケイコ 目を澄ませて』の三宅監督の今までの作品を観ていた層ではない所に届く座組になっているわけで、新しい観客に届くと三宅監督もまた一段と違う景色や場所に行くことになるのかもしれない。

「そして、バトンは渡された」などで知られる人気作家・瀬尾まいこの同名小説を、「ケイコ 目を澄ませて」の三宅唱監督が映画化した人間ドラマ。

PMS月経前症候群)のせいで月に1度イライラを抑えられなくなる藤沢さんは、会社の同僚・山添くんのある行動がきっかけで怒りを爆発させてしまう。転職してきたばかりなのにやる気がなさそうに見える山添くんだったが、そんな彼もまた、パニック障害を抱え生きがいも気力も失っていた。職場の人たちの理解に支えられながら過ごす中で、藤沢さんと山添くんの間には、恋人でも友達でもない同志のような特別な感情が芽生えはじめる。やがて2人は、自分の症状は改善されなくても相手を助けることはできるのではないかと考えるようになる。

NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」で夫婦役を演じた松村北斗上白石萌音が山添くん役と藤沢さん役でそれぞれ主演を務め、2人が働く会社の社長を光石研、藤沢さんの母をりょう、山添くんの前の職場の上司を渋川清彦が演じる。2024年・第74回ベルリン国際映画祭フォーラム部門出品。(映画.comより)

大きな出来事というか、例えば誰かが死んだりとかわかりやすいものがあって物語が転がっていくのではなく、藤沢と山添の二人を中心に彼らの仕事と生活を軸に日々の微細なものを描いていて、それがとても好ましく見えたし、彼らの抱えている問題や症状に対しても他の人たちも過剰にはならずに、かといって無視するわけでもなく、適度な距離で向き合ってくれているという内容だった。
あと『ケイコ 目を澄ませて』同様にフィルム撮影しているみたいで、映像に少しざらめというかフィルムにしかないものがデジタルのクリーンさではない人間らしさというか優しい感じがした。
藤沢と山添の関係も恋愛に向くこともなく、かといって友達でもなく、同僚として一定の距離がありながらほどよい向き合い方なのもとてもよかった。少し泣きそうになるような状況や場面もあるけど、二人の関係のようにある種ドライで泣かせるという意識は強くなくて引っ張りすぎない、そういう部分もとてもいいと思う。メジャーな作品だとここで泣いてくださいみたいな無粋なことをしがちだが、この作品はしっかりそこを抑えていた。

三宅「もし自分の周りの友達にパニック障害の症状が出た時に、そこで第三者としてなにができるのかが大事だなと。当事者気分を味わうみたいな方法もあるけれど、どこまでいっても第三者でしかないのが映画の限界だし、映画のおもしろさだと思うんですよね。映画なんてはなから全部他人事なわけですから。実話だろうがなんだろうが映画になればフィクションだし、でも他人事なのにもかかわらず第三者としていつの間にか巻き込まれていくっていうのがおもしろさかなと思います」

三宅「そうです。中国の本屋に行くと『えっ、こんな本の翻訳までしてるの?』と驚くわけですよ。『一体こんな本、誰が買うの?』と思っちゃうような、日本でも部数が伸びなさそうな本が翻訳されている。でも、『うちの国では、なんか出せばそれなりの人口がいるんで買う人がいるんです』と。“これをやっても売れないかもな”と思う国と、“これをやったら売れるかもな”と思う国とでは、質はともかくとして、描ける夢の量やヴァリエーションが違ってきますよね。小さい世界の大きいマスを取ろうとするのがドメスティックな仕事だと定義するなら、そうじゃなくて、大きい世界を意識しながら今まで通り質のいいものを作れば、きっとどこかに届くはずだ、と思える。大きいマーケットででっかく売ろうとすると、それは巨大資本と組まなければいけないわけですけど、日本の外にマーケット自体はあるぞと。興味を持ってくれる人が、この国とこの国とこの国に何人はいるよねっていうことさえわかっていれば、自分の比較的小さい映画でも成立させることができるかもなっていうことを、今回いろんな国で上映してもらって実感しましたね」

正解でも不正解でもない”アクション”の連鎖が物語を動かす。三宅唱監督『夜明けのすべて』を貫く映画の原理【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

宇野維正さんのこの連載というか、監督へのインタビューシリーズはいつも読み応えがあるし、取り上げられている監督の新作は観に行こうと思って観ているので信頼しているんだけど、今回の三宅監督のものも非常に良かった。
映画を観る前に読んでいたけど、観終わってから改めて読み返してみると、この映画がなぜあんなにも今痛みや辛さを抱えている人に寄り添う作品になっているのかがわかる。この映画はそういう人にとってのお守りみたいな作品になるだろうなって思う。

【ライブレポート】「赤えんぴつ in 武道館」バナナマン30周年彩るドラマチックな2日間(写真24枚 / バナナマンのコメント到着) 

前日のライブについての記事がアップされていた。やっぱり乃木坂のペンライトとか持っている人たちがたくさんいたし、僕がアイドルに興味を持っていないからわからないけど、その人気と根強いファンがいるんだなってことはよくわかった。
星野源さんも映像で出演したし、森山直太朗さんは電話で出演したし、バナナマンとゆかりのある人たちはわりと出ていた。
一緒に行った友達のお母さんと話してて、奇妙礼太郎さんも来てもおかしくないのにねって言われてていて、設楽さんが好きでゲストにも来てたし、赤えんぴつの歌も作ってくれそうな感じもするし、トータス松本さんとかもいるし、バランスのこともあったりしたのかな、わからんが。

田島昭宇×大塚英志著『【愛蔵版】多重人格探偵サイコ COLLECTION BOX 4』がカドカワストアから届いた。コミックス19巻「GO AHEAD!」からコミックス24巻「THE END + ONE」までを収録。BOXもこれで全巻出てすべて揃った。


西島大介作「ディエンビエンフー」シリーズの「フンくんぬいぐるみ計画」のクラファンをしていたので返礼品のフンくんぬいぐるみがひとつ届いた。偶然だけど、英志さん関連で僕が読んでいた漫画家さんのものが同日に届くというこの謎のタイミング。

フジエタクマ 『same』music video 


知り合いの藤江くんの新曲のMVがアップされていた。なにかちゃんと届けようとする意志というか気持ちの強さが声に出てるように感じた。


忘年会か新年会をしようと話をしていたまま、お互いにスケジュールの都合が合わないままだったけど、亡くなった友達のこともあったので長年の付き合いである親友のイゴっちと3月ぐらいに飲もうかとラインしていたら、急遽今日飲もうということになったので、飲んだで食べて話して話して、二日連続なニコラになった

 

2月12日

ストップ・メイキング・センス 4Kレストア』をシネクイントで鑑賞。正直三連休の全部なにかを観るというのはやりすぎだし、その時間分をライティング作業したらのちのちだいぶ楽になるとは頭ではわかっているんだけど、たぶん、部屋でずっと一人というのがどこか怖いというか、人混みの中にいたほうが安心する部分があるんだと思う。
この作品が気になっていたのはシネクイントによく来るから何度も予告編を観ていたのもあるけど、トーキング・ヘッズのボーカルギターであるデイヴィッド・バーンの『アメリカン・ユートピア』のスパイク・リー監督による映画版を以前ホワイトシネクイント観ていたこともあって、彼がどんなパフォーマンスを昔していたのかを観てみたかったのがデカかった。
僕はトーキング・ヘッズというバンド名を知っている程度でこのタイトルの曲はあれだなとかはわからないぐらい、そんな認識で観に行った。『アメリカン・ユートピア』の出来を観た感じであれば、曲を知らなくてもきっと楽しめると思った。もちろん、昔から知っている人ならより楽しめるはずだけど、僕みたいな人でもおそらく問題はない。
客層は1983年のライブなわけで高いといえば高いけど、僕よりも若いであろう二十代ぐらいの人たちもそこそこいたので、年齢層が高い客層だけには固まっていなかった。

1980年代の音楽シーンに変革をもたらしたアメリカのロックバンド「トーキング・ヘッズ」が1983年に行った伝説のライブを記録したドキュメンタリー。

キャリア絶頂期にいた彼らが全米ツアー中の83年12月にハリウッドのパンテージ・シアターで敢行したライブの模様を収録。バンドのフロントマンであるデビッド・バーンの躍動感あふれるパフォーマンスに、彼を象徴する衣装「ビッグ・スーツ」、エキセントリックなダンスとエキサイティングな演出による圧巻のステージを映し出す。

後に「羊たちの沈黙」でアカデミー賞を受賞するジョナサン・デミが監督を務め、「ブレードランナー」のジョーダン・クローネンウェスが撮影を担当。2023年には、1992年から眠っていた本作のネガを基に、バンドメンバーのジェリー・ハリスン自らサウンド監修を手がけた4Kレストア版としてリマスターされた。(映画.comより)

曲知らなくても日本語訳がちゃんと字幕で出てるのもあるし、何曲かは知っていたりしたので曲に関しては何ら問題なく楽しめた。トーキング・ヘッズとサポートメンバーそれぞれがよくこんだけ動けるなぐらい動いてるし、『アメリカン・ユートピア』がそりゃあ、作られることになりますわなと納得できるライブパフォーマンスだった。
もちろん演奏や歌で聴かせるものだけど、演出や動きとかで見せるという意識もあって、単純にカッコよかった。映画館だと音響システムがいいのもあって、リストアされているものあるけど音がめちゃくちゃいい。映像も本当に1983年のライブとは思えないクオリティだった。

Talking Heads - Once in a Lifetime (Official Video) 



今作はA24によって劇場公開されているので、最初と最後には「A24」のロゴが出る。今年のA24日本劇場公開作品ではこの作品を超えるような、勝てる作品というと『パストライヴス』ぐらいなんじゃないかな、大丈夫かと勝手に心配してしまった。これはGAGAが関わっているが、ファントム・フィルムハピネットが一緒になってハピネットファントム・スタジオになってから、A24の日本公開作品の配給を一気に担うという報道が去年あった。アリ・アスター監督『ボーはおそれている』以降はそうなるのではないかと思う。
アメリカ本国で劇場公開してから、その興行成績を見てから日本では半年や1年後に公開になるという話も聞いた。同時公開や少し遅れるのならリアルタイム感はあるけど、それだけ空いてから公開するとどういう作品かもわかってしまうし、A24のオフィシャルサイトではアメリカ版のソフトが出てしまうので輸入しちゃえば買えてしまうぐらいの期間なんだよなあ。なんかそういう流れは残念ではある。

 

アメリカンポップスが零落した理由は明白だ。「(扇情的な衣装や動き等々を)エロいんじゃない。かっこいいんだ」とか言い始めてから一直線に落ちている。シンプルに言うけど、エロいで良くない? ブリトニーもビヨンセもエロかったよ普通に。そして「エロいもんはカッコいい」のではないの?

K-POPが素晴らしいのは、なんてことはない。普通にエロいからだ。日本の坂の人たちもあれは普通にエロい。芸妓さんたちの舞と一緒だ。エロけりゃいいってもんじゃない。エロくてクオリティが高いので素晴らしい。アメリカのリベラルとフェミニズムは何がしたいのかマジで全くわからん。いつかはっきりするかもしれないと思って70年年代からずっと見守っていたが、やっぱ何もないことがわかって義憤に近い感情に駆られている。バイデンは「ワールドリベラリズム」をアジェンダ以上に標榜し、中国のCO2排出を抑えさせると宣言したが、結局また空爆だ。こんなことだからまだトランプ期待論が消えないのである。

単に傷ついた人主体の社会把握に僕は反対だ。ルッキズムがどうのとか多様性がどうのとか全くパワフルにもポジティヴにも聞こえない。引かれものの小唄だ。いいじゃん見た目で判断されたって。僕だってされてるし、してるし、音楽市場の多様性のなさ(特にジャズに対して)に上げたり下げたりされ続けているけれどもなんとも思わんよ笑。

菊地成孔の日記記 2024年2月5日~11日記す>

映画を観終わって帰ろうとスマホを見たら、菊地さんの日記がメールに届いていた。「エロくてクオリティが高いのが素晴らしい」ということに尽きるんだろう。カッコいいはエロさに内包されているのに、それを強調して外側に出したらダメになったという話なんだと思う。

夕方からライティング作業を開始。いろんなことが起きるし、スケジュール通りには行かないけど、ありがたいことに〆切があるからどこかでエンジンはかけないといけないし、書けば終わるという単純さもある。
この数日での体験とか思ったこともここで書いたことで多少整理はできるんだけど、それをどうにかして違うものに流し込みたいし、そのために今やるべきことを終わらしていく。しかし、この一月二月がいろんなこと起きていて月日が過ぎるのが早過ぎる。

 

2月13日
朝活がてら次のライティング仕事の資料を少し読んでからリモートワークを開始。radikoで『空気階段の踊り場』『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』『フワちゃんのオールナイトニッポン0』をBGMにして仕事を。
空気階段の踊り場』はもぐらさんがダイエットに成功したため、かたまりさんが金を出して韓国旅行に行く前に収録をしていた内容だったが、トークの中で「作家のながいさん」ってワードがあって、もしかしてこの「ながいさん」は『赤えんぴつ in 武道館』で歌われた『よしこちゃん』の元ネタになった構成作家の永井ふわふわさんなのか?と思って検索したらそうだった。この数年番組を聴いていたけど、自分が意識していなかったものとか単語って耳に入ってもするりと抜けていて、認識していないものだなって改めて思った。夕方から新宿の紀伊國屋ホールでの舞台を観に行くので一時間早めに上がらせてもらって渋谷まで歩いて副都心線新宿三丁目駅へ。

ももいろクローバーZ高城れにの初単独出演&初座長を務め、劇団ロロの三浦直之が作・演出を手がける『最高の家出』を紀伊國屋ホールにて鑑賞。
ももクロファンのニコラのお二人、いつもロロの舞台を観ている僕という三人で観に行った。それぞれに自分の推しというかずっと観てきたものがどう融合するのか、舞台うまくいくのか、大丈夫なのかという心配も正直あった。
席が一列目のほぼ真ん中であり、曽根さんが座った場所の横で高城れにが立ち止まって演技をするぐらい、近すぎる位置で観ることになった。

【あらすじ】
結婚生活に疑問を感じ、家出をした立花箒(高城れに)。
 道中、無一文になり途方に暮れていたところ、出会った藤沢港(東島京)に「住み込みの働き手を探している劇場がある」と聞き、劇場を訪れる。そこで与えられたのは、舞台上に作られた“模造街”で、ある役を演じる仕事だった。
この劇場ではたった1人の観客のために、7ヵ月間をかけてひとつの物語を上演しているのだが、港が家出したせいで、箒は代役を務めるハメに。
 舞台の主演蒔時アハハ(祷キララ)は「相手役が変わるならやらない」とゴネるが、物語の幕は上がり、箒とアハハはチグハグな関係のまま芝居を続ける。
演劇と現実の区別がつかなくなった男、眠りを忘れて働き続ける裏方、舞台上だけ雄弁な言葉を失った俳優。箒は奇妙で愉快な面々に振り回されながら、次第に劇場での暮らしに心地よさを覚え、アハハとの友情を深めていく。
 そんなある日、劇場に箒の夫・向田淡路(尾上寛之)が現れ、さらに港も戻ってきて、“模造街”の秩序が崩れはじめる……。
 舞台上と舞台裏、それぞれの”家出”が重なり合って生まれる、ファンタスティック迷走ストーリー!

ロロが以前公演した『BGM』『父母姉僕弟君』『マジカル肉じゃがファミリーツアー』という旅シリーズ三部作というものがあったのだけど、そのアップグレード版にと過去に誰もやったことのない、進んだ人がないアイドルとしての人生を歩んでいる高城れにが加わることでより身体的なものが強固になったというか輪郭がしっかりしたような印象をもった。最後まで鑑賞するとメインビジュアルの三人にとっての「家出」物語になっていることもわかる内容になっていた。

 忘れていくこと、なにか形が残るもの、跡がわずかにあるもの、日々積み重なるもの、家族に自分が含まれる前のこと、シリアスにならずにどこか懐かしくてポップさのある物語だった。

 移動すること過去と現在が交差していく。過去は地層のように重なっていき現在の足元にあるイメージ、掘り起こすとそれは化石みたい。化石はその時の想いや景色を孕んでいて、現在からの光でミラーボールみたいに光る、あるいは光らない。
 ロロ的想い出小旅行。三部作的な旅シリーズで一番好きなのは実はこれ。新しい次元に入った感じを受けた。

 白昼夢のような此岸と彼岸の境界線が曖昧になって入れ替わるように進んでいく。
 いつか会えなくなってもまたいつか会える、またね、じゃあ、こんどね、ごめんね、ありがとう、いつかまた巡りあうまでハローグッバイ、過去と現在とありえた未来がそこにあり、僕らは今日を日々を。

ロロ『マジカル肉じゃがファミリーツアー』

6年前に書いたブログだが、三部作のことに触れている。

 

東日本大震災以降の東北を巡る旅において沿岸部で津波などの被害がなかった箇所は少なくて、そのことはかつてあったものが失われてしまったことを語らずとも観客に感じさせるものでもある、前回はまだ三浦さんはそのことを台本に書けなかったという。時間が経たなければ言えない言葉もあるし、受け入れられない思いもある。そのことが強く伝わるものだった。
人間はいつか忘れてしまうし、忘れられてしまう。だからこそ、誰かといた記憶やその場所は時間の地層に埋没していく。それを掘り起こすことで過去と現在が同列に並ぶ、存在できる。それは演劇だと可能になる表現であり、演劇的な演出をすることで観客に届くものとなる。
人生においてゆるやかな風が吹いている、そんな心地のよい距離感で笑い合っている(いた)人と一緒にいた景色が観客それぞれの中に浮かんでくる、そんな舞台になっていたと思う。

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年5月1日〜2023年5月15日)

去年KAATで再演した『BGM』について書いたもの。
 


ロロを今まで観たことがなくて興味がわいたのであれば、この無料公開している「【無料公開】ロロ『BGM』(2023)」を観てほしいのだけど、『最高の家出』をすでに観た人が観たらいろんな部分での共通点やあの場所のことの意味をもっと深く感じるのではないかと思う。

今回の舞台は超メジャーなももいろクローバーZ高城れにさんが主演で座長であり、パルコプロデュースという演劇ではかなり大きな座組になっている。そこに三浦直之さんがどういう作・演出で挑んでいくのか、それらがいかに掛け合わされていくのかが楽しみだった。
ももクロスターダストプロモーションという芸能事務所の大手中の大手に所属し、日本中で名前と顔が知られているアイドルグループである。三浦さんが主宰である劇団ロロは演劇が好きなら知っている知名度のある人気劇団だ。三浦さん自身が脚本を手がけた映画やドラマも素晴らしいが、ももクロと比べればやはり一般的にはまだ知られていない。その組み合わせによって悪い方向に行ってしまったら、ロロらしさが消えてしまうのかもと思いもしていた。また、高城れにさん自体もももクロファンからすれば滑ることをやりがちであってちょっと不安な部分もあると聞いた。故に彼女が特攻隊長になって新しい壁をぶち破ってきたのだとは想像はできる。それは勇敢であるが、見守る人からすれば心配をかけるじゃじゃ馬感もあるのだろう。
それらの心配は今回の舞台を観ているうちに杞憂だとわかった。どちらのよさも出ていてそれが掛け合わされた素晴らしい作品になっていた。一緒に観ていた二人も終わった後にいい舞台で安心したと言っていたし、ロロの舞台も観たくなったということだったから、大成功だと思った。

上記で旅シリーズ三部作について書いたものは今作にも通じている。ロロは記憶と場所について描いてきたし、宮城県出身の三浦さんが再演の『BGM』で東日本大震災にやっと触れることができたのだけど、そのぐらい時間がかかるものだった。高城れに演じる立花箒たちが最後に訪れるあの場所は「夜海原」という名前で以前のロロ作品にも出ていた場所だった。
個人的な話だが、ある小説の新人賞で最終選考というか、最後の二人に残ったけど、落ちた。それで連絡をもらってその出版社にいき編集者さんたちに1月末に会った。受賞した人は僕よりも10歳近く下の大学生だと言われた。そして、その年の3月に東日本大震災が起きた。受賞作はその年の5月か6月には出た気がする。その作品に書かれた舞台はあの津波で根こそぎ流されて消えた東北地方のある町だったとのちに知ることになった。
かつてあったけど無くなってしまったもの、そういうものを形に残したり、残そうとすることは一つの創作のエネルギーにもなるし、そうしないといけない人もいる。いけない、いやそういう鎮魂の仕方もあるし、残った側の人として形にすることで癒されたりすることもある。今作『最高の家出』における「夜海原」はその記憶と場所に関するひとつの象徴にもなっていた。
高城さんはアイドルを続けて行く中でどんどんメンバーが減っていく、かつてあったものが失われて行く中で活動を続けてきて、新しいスタイルを手にしている。誰かにとってはももクロは昔の彼女たちのイメージのままだったりするだろうし、昔のメンバーがいる時の思い出やあの時がよかったみたいなことを言われてきただろう、だから今作における人の記憶と場所の問題や役柄にもかなり深くシンクロできたのではないかって、僕は観終わってから思ったりもした。
まあ、いつもロロ行く友達と来週も観に行くから、その時はこの作品の多層構造みたいなものにもう少し意識的に集中して観てみたいところもある。
最寄り駅まで帰って三人で居酒屋で感想を話しながら飲んだり食べたりして楽しかった。なんだか最近珍しく人と会って飲んでばかりだ。そのおかげでだいぶ助かっている。

 

2月14日
朝風呂に入ってから作業開始。昼からの仕事の資料読み。たくさんあるけど、今日の取材分はなんとか読み終わる。
『あののオールナイトニッポン0』を聴きながら歩いて半蔵門線渋谷駅まで行って、永田町駅で降りてから文藝春秋社へ。先週の取材の続きを14時から18時半までみっちりやった。
お相手にずっと話してもらっているけど、ここまで人と酒も飲まずに長時間話すことはないとは言わないけど、そういう場合はほとんど友達や知り合いであって、仕事相手の場合はそれなりの緊張感があるので、終わってから一気に疲れが来る。

19時前には文春を出て永田町駅まで歩いて電車で帰宅。晩御飯を食べてから「予告編妄想かわら版」の原稿を書いた。日付が変わる前に明日の日付にした請求書のPDFをセブンイレブンコピー機のプリントアウトアプリを使って、印刷して捺印したものをスキャンしてスマホにデータ保存した。
原稿は朝起きてから見直してから提出するので、とりあえず寝ることにした。最近、本は買ってはいるけど、前みたいに集中ができないから読めない。仕事の資料は読まないとしょうがないのもあるけど、たぶん今長編の小説への集中力がまるでなくなっている。でも、出ていたら買う。買わないと新刊はすぐに店頭から消えてしまう。

 

2月15日
起きてから昨日書いたBOOKSTAND映画部!で月に一回連載している「予告編妄想かわら版」の原稿を読み返して、それぞれの予告編をもう一度見直してから加筆修正。昨日作っておいた請求書にハンコを押したものをスキャンして原稿と一緒に担当の人に送付。
リモートワークをいつも通り開始して、深夜に放送した『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら作業した。
佐久間さんの後輩のディレクターとその元カノ話のエピソードについてのフリートーク。去年11月に別れたのに何度も会っている二人、その元カノが佐久間さんと後輩が飲んでいるところにやってくる。佐久間さんにその元カノがなにか相談があると後輩が言うので、帰りたいけど帰れなくなってしまう。やってきた元カノはこの人とこうやって会うのは止めたほうがいいでしょうかと佐久間さんに相談するというものだった。後輩のキャラもいいけど、だから別れることになったんだなってわかる二人の関係性の話が相談でも出てきたりして、なんかすごく人間くさい、めっちゃヒューマンだなって思うエピソード話だった。人間ってわがままで矛盾してるもんな、他人事だからちょっと微笑ましくもあった。



仕事が終わってから、三階のトワイライライトで本日発売の『MONKEY』を購入してから二階のニコラへ。マスカルポーネチーズをたくさん使ったティラミスとアルヴァーブレンドをいただく。甘すぎないけど程よい甘さのティラミスと深煎りのアルヴァーがよく合った。
今回の『MONKEY』はいつも楽しみな古川さんの連載『百の耳の都市』だけでなく、柴田元幸訳のフィリップ・K・ディック『プリザビング・マシン』が掲載されているので気になっていた。
柴田さんがディックを訳したのを他では読んだり見た記憶がないから新鮮だし、ディック作品は好きで読んでいるけど、このタイトルはピンとこなかったからどんな短編かなと思っていた。ある機械(プリザビング・マシン)に楽譜を入れると動物や昆虫が出てくるという話で、最終的にはその楽譜から生まれた特殊な生き物たちが自然に順応したり死んだりするけど、主人公たちが最後にそれを機械に戻したらどんな楽譜になるかみたいなSFぽい話、たぶん、ディックの代表作の一つである『ユービック』に近い想像力で書かれているんじゃないかな。あれはずっとものが退化していくというか時代を遡っていくものだけど、近いものは感じた。
明日から確定申告始まるし、今回の分で友達のことと「赤えんぴつ in 武道館」についても書けたから2月後半に入ったら気持ちも徐々に変わっていくかな。

今回はこの曲でおわかれです。
バナナマン−フォークデュオ・赤えんぴつ「誕生花」