Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年11月16日〜2024年11月30日)

11月上旬の日記(2024年11月1日から11月15日分)


11月16日
日付が変わる時にはAmazonプライムで配信が始まっていたリドリー・スコット監督『グラディエーター』を観ていた。16日になってからこの日記の11月上旬のものをはてブにアップして、半年前の日記をnoteにアップしてから映画の続きを最後まで観た。

主人公のマキシマスを演じたラッセル・クロウがひげの生え方もあるのかもしれないけど、すごく妻夫木聡さんっぽいなって思いながら見ていた。まだ二十代半ばのホアキン・フェニックスが彼の敵となるローマ皇帝コモデゥスを演じていて、ここから彼の俳優人生が輝き出したのがわかったような気がする演技だった。


7時に起きてからすぐに家を出る準備をする。寝る前に『グラディエーター』を観ていたのは10時から上映される『グラディエーターⅡ 英雄を呼ぶ声』のチケットをとっていたので前作のおさらいだった。
土曜日の朝に日比谷まで歩く時はradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴く。他の曜日の「ANN0」は深夜3時から4時半までの放送だが、「三四郎ANN0」だけは5時までの二時間放送になっている。家からTOHOシネマズ日比谷が入っているミッドタウン日比谷まで歩いて約二時間前後と行きの時間のお供にちょうどいい。
武道館ライブが24日と一週間と少しになってきたのもあって、ちょっとずつイベントで何をやるのかみたいな話も出てきた。番組でやっているコーナーもやるみたいだし、配信もやることになっていてその副音声は四千頭身の都築さんということも発表された。これは当日武道館に行くけど、配信も買って副音声も聴きたい。
と都築さんの「サクラバシ919」も聴いているリスナーとしては思う。そうか、だからゲストに彼は入っていなかったのか、ちゃんとビジネスやってるじゃんニッポン放送。ラジオイベントでマネタイズする際にリスナーが何を求めているのかよくわかっている。


グラディエーターⅡ 英雄を呼ぶ声』IMAXでTOHOシネマズ日比谷にて鑑賞。客入りはそこそこ。前作が20年ほど前なのもあってか客層の年齢は少し高め。
グラディエーター』から十数年後を描く物語。ローマ帝国は傍若無人な双子の皇帝が支配しており腐敗が蔓延していた。前作の主人公のマキシマス(ラッセル・クロウ)同様に今作の主人公であるルシアス(ポール・メスカル)も戦士だったが奴隷になってしまい、コロシアムでの決闘で勝ち上がっていく(鯨の胎内or象徴的な死〈奴隷になって〉から剣闘士として勝ち続けていきやがて民衆に尊敬される真の王となる)という英雄神話構造そのままのシナリオだった。
この作品では腐敗したローマ帝国で先々代の帝王の娘であり、ルシアスの母であるルッシラとその夫で現在のローマ軍の英雄的な戦士であるアカシウスを中心として、昔を知る元老院たちがクーデターを企んでいるのだが、合言葉のように「かつての偉大なるローマ帝国を」みたいなことを言っている。これはトランプ大統領の言うところの「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」と実は変わらない意味にも取れる。そう思うとこのフィクションのローマ帝国(史実ではない)の物語が今の時代とシンクロしてくる。
コロシアムに決闘を見にきている市民たちは暴政に対して不満を持っているが、それが皇帝に向かわせないように巧妙に仕組まれていることに気づいていない。いや、知らないフリをしているのかもしれない。そして、市民は血を見ることで興奮して冷静さを失う。
映画を観ているとこれは現在のSNSにおける炎上にも似ている気がしてきた。彼らは自分たちよりも下の存在を欲しがっている、生贄を欲しがっている。それに不満や怒りを発散することで不満があるけれど、その生活、統治している現状は続いてしまう。

ルシアスは前作の主人公で英雄であるマキシマスと皇女ルッシラの子どもなので、実は正当な皇位継承者。その意味で前作よりももろに英雄神話構造そのものだといえる。だが、その物語の定番すぎる設定もふと思うのは、皇位継承者は王の系譜であるエリート中のエリートであるということ。
ルシアスを奴隷として買って剣闘士として戦わせる人物がマクリヌス(デンゼル・ワシントン)。彼は元奴隷で剣闘士から成り上がっており、ルシアスの祖父だった皇帝と共に戦争に行ったりしていたが、皇帝の所有物だったようだ。
マクリヌスは政治的な人間で皇位継承ではない自分がローマ帝国を統治しようと成り上がってきた人物であり、出自も含めて彼の野心の方がいわゆる大衆に近い(日本でもアメリカでもスタートアップ企業を立ち上げて成り上がった若いのに金を持って横柄な態度の人間とかいるけど、どちらかというとそういう人たちをイメージさせる。
ただマクリヌスは非常に策略家であり知的な人物なので横柄な態度などを取らずに皇帝たちの王座を話術と情報を用いて手に入れようとする。この映画でマクリヌスがどんどん王座に近づけるのは金と情報を持っているからに他ならない。それは現在のこの世界でも変わらない)。だが、英雄神話構造に慣れていて当たり前になっている僕たち観客はルシアスという皇位継承者が奴隷から王の座につくことを期待してしまう。
母の現在の夫であるアカシウスは殺すべき象徴的な父ではなく、その態度と姿勢によって尊敬すべき戦士だと認めることになる。最終決戦はルシアスとマクリヌスとなるが、奴隷を所有していたマクリヌスはルシアスにとってはある種「父」のような存在であり、倒すべき最後の敵になりえる。
ということは頭ではわかるんだけど、奴隷からのし上がってきた人物を皇位継承者が倒さないといけないし、偉大なローマ帝国を再びというのもあって、2024年現在のこの世界に生きている人間としてはめっちゃいい作品でした、とはストレートには言いにくいなって思ってしまった。
フィクションのローマ帝国でしょうと言われるかもしれないが、作っている監督やスタッフや演じている役者は僕たち同様にこの混沌とした世界を生きている。それが反映はされている。ゆえに諸々と浮かんでくる事柄をどう捉えるべきなのか、考えるべきなのかという問いが観客に示されているように感じた。

帰る時には銀座線から半蔵門線に乗り換えて渋谷駅で降りて家まで歩く。radikoで『きしたかののブタピエロ』を聴いていたら、来年一月末に草月ホールで番組イベントを開催するらしい。自主でやっていた『バナナのてんぷら』初回からレギュラーになった今の番組まで全部聴いたし、会場が草月ホールだから帰りに青山一丁目駅にある銀座ライオンで一杯やりたいとかそういう流れも含めて行きたい。
30分番組なので渋谷に着く前には終わったのでそのまま『バナナマンバナナムーンGOLD』に移ると、生放送ではなく今回は収録だったがゲストにラブレターズが出ていて、ほんわかとした雰囲気でトークが進んでいた。
本当に『キング・オブ・コント』王者になってよかったと思えるし、芸人の先輩やスタッフの人たちが本当に喜んでいるのがいろんな番組から伝わってくるのもかなり珍しいことだと思う。
彼らがずっと挑戦し続けてきたこと、もっと売れてもおかしくないと思えるほどおもしろいということを知っている人たちからすれば、やっと報われたという気持ちがあって、二人もそのことをありがたく感じている。そういう人間的なやりとりもだし関係性はとてもうらやましい。


家に帰って夕方前に佐川急便で頼んでいた『ニッポン放送開局70周年 三四郎オールナイトニッポン10周年記念 バチボコプレミアムライブ in 日本武道館』のグッズが届いた。トートバッグとステッカーとホタルイカペンライトの三つ。
公式パンフレットはイベント当日に販売される。事前に注文していても当日引き渡しになるので、その時の気分次第でトートバッグに付けられる十手キーホルダーと一緒に買いたいと思っている。並ぶのは諦めるしかないが、一人で行くから時間をどう潰すか。


晩御飯を買いに出たついでに駅前のTSUTAYA書店によって、最近ちくま文庫から出ていて気になっていた生島治郎著/日下三蔵編『悪意のきれっぱし 増補版 』を購入。生島治郎という作家は今まで読んだことがないけど、この装幀デザインがいいなと思っていた。
生島治郎早川書房の編集者から作家になって直木賞も受賞している人物で、日本に正統ハードボイルドを移植した功労者と紹介されている。僕があまり触れていなジャンルだし、知らないからこそ読むのが楽しみ。

夜からはライティング作業を開始。〆切まで時間がさほどないけどそれが問題というわけではなく、ユニットバスの工事とかがいつ始まるのかということ、その日程によっては応募〆切が近づいた時にいつものような執筆環境ではなくなっている可能性がある。

寝る前に読書。中上健次著『鳳仙花』に収録された二編目『川』を読む。この短編はフサが主人公で年の離れた兄と奉公先というか働いているところにいる少し年上の女性との交流を描いているのだけど、『地の果て 至上の時』や『異族』を読んだ後だとすごく読みやすいし正直出来がいいと思える。偉そうなことを言うと中上健次短編うまいじゃんって。
『岬』『枯木灘』『地の果て 至上の時』三部作の主人公である竹原秋幸の母、フサを軸にした連作短編集。サーガの一つでもあるが、この形で『地の果て 至上の時』も書いた方が良かったんじゃないかな。

 

11月17日
7時過ぎに起きてTVerで昨日深夜前後に放送された『さんまのお笑い向上委員会』と『ゴッドタン』を見る。朝のルーティンの一つであるトマトジュースを飲もうと思ったらなくなっていて、昨日買うのを忘れたことに気づく。そういえば、ブルーベリーと肝臓エキスのディアナチュラのサプリもあと数日で切れるぐらいになっていた。なぜかいつもこういうものは月末まで持つと思っているけど、給料日前には切れて新しいのを買いに行く羽目になる。
8時半ぐらいまで作業をしてから朝の散歩へ。radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら代官山蔦屋書店まで。
僕はゲームをほとんどやらないけど、若林さんがリメイクで出た『ドラクエⅢ』の話をしていて、同学年の春日さんがすぐに食いついた。二人は兄と同じ年か一つ下の学年だろう、うちの兄も『ドラクエⅢ』を親に買ってもらってプレイしていた。その時はまだ小学一年とかぐらいだったから僕にはRPGなんかできるわけもなく、ファミコンを独占されていたような記憶だけある。今の40代後半に入りかけの人たちがリアルタイムで小学生の時に『ドラクエⅢ』を体験して遊んだはずだ。
僕は「ドラクエ」や「FF」もいくつかプレイしたけど、そこまでハマらずにRPGは小学三年生の時に発売になった『MOTHER』がリアルタイムだったし、衝撃的だった。それもあって僕の中でRPGといえば『MOTHER』ということになっている。あとはゲームボーイとかで遊んでいたから『聖剣伝説』の第一弾とか、『半熟英雄』とかは好きだったけど、PRGの正統派的な二大タイトル「ドラクエ」「FF」には何も思い入れがない。

現在話題となっているエッセイがある。小原晩の『これが生活なのかしらん』(大和書房)だ。小原氏が自らインディー出版として発行した『ここで唐揚げを食べないでください』が独立系書店や読者家たちの口コミによって話題を集め、1万部を超えるヒットとなり、ついで発表された本作も話題を集めて、重版につぐ重版で着実に部数を伸ばしている。 そんな小原氏の2冊の書籍に注目しているのが佐久間宣行氏だ。

佐久間宣行のYouTubeチャンネル「NOBROCK TV」や自身のXでも小原氏の書籍を紹介。その才能を高く評価している。今回はそんな佐久間氏と小原氏によるリモート対談が実現。小原氏の書籍の魅力に触れながら、2人が思う「言葉」と「創作」について語り合っていただいた。

佐久間宣行が注目する若手作家・小原晩対談 話題作『これが生活なのかしらん』と「創作」について 

ちょうどお店に着いたら9時でオープンしたので、お客さんもほとんどいないし、店内も静かだった。新刊が平台に置かれているコーナーに以前から気になっていた小原晩著『ここで唐揚げを食べないでください』があった。前にもトワイライライトにもあって読みたいなと思っていたエッセイ集。
小原さん個人によるインディーズ出版されていたものが今回は実業之日本社から17篇を新しく加えて商業出版という形で出ているものになっていた。
YouTubeチャンネル『佐久間宣行のNOBROCK TV』でダウ90000の蓮見さんが嫉妬する同世代ということで小原さんの名前を出してこのエッセイを紹介していた。その後ぐらいにトワイライライトに寄って話をしていたら、動画が公開された後に問い合わせもあったり20代ぐらいの若い人たちが買っていくのが増えたと言っていた。
佐久間さんに蓮見さん、今回の商業出版では又吉直樹さんとオススメしている人たちがすごいし、彼らのファン層はこの人が言っているなら読んでみようかなという人が多いと思う。そうやってどんどん広がっていき、一気にメジャー(普段本とか読まない人たちにも届くという意味合い)になる機会を得るという流れになりそう。

夕方までは長嶋有著『ルーティーンズ』とソ・イジェ著/原田いず訳『0%に向かって』を読んでいた。
前者は単行本の時に読んでいるし、文字数もページ数も多くないのでわりとすぐに読み終わった。コロナパンデミックの中でのある夫婦と幼い娘の三人の暮らしを描いた作品で、家庭、家族で生活するというのはこういうことの積み重ねというかルーティンを続けることなんだなって思うし、一つ一つのエピソードが何気ないものだからこそより彼らの生活が立体的に感じられる。やっぱり長嶋有という作家が描いているものを読むと誰かのことを好きになって想いたいなとか、誰かと一緒にめんどくささも楽しみながら生活してみたいなとか思わされる。

ミドリって名前も素敵ですよね。ミドリサワーが飲みたくなる名前だし。あの娘は首を振った。シンガーソングライターYozoh の名前は太宰治の『人間失格』に出てくる葉蔵で、わたしは村上春樹の『喪失の時代』に出てくるミドリなんです。小説を読まない俺には何言ってるのか一切分からなかった。けど、名前が文学的ですねと言っておいた。
『0%に向かって』収録『SoundCloud』P186より

え? 今何て言いました? そう聞くと、あの娘は答えた。『喪失の時代』、元々の題名は『ノルウェイの森』なんですよ。ビートルズの曲からとったタイトルです。だから、音楽はいつか小説になるんです。俺は頷きながら耳を傾けた。ところでハルキって誰ですか? 金持ちスワッグをプンプンさせた日本の小説家です。スワッグ? 俺は首を傾げた後、すぐにその言葉を理解した。ああ、swagのことか。でも、文学とヒップホップ に何の関係があるんですか? あの娘は、スワッグという言葉はシェイクスピアの戯曲から出てきたもので、だから文学はいつかヒップホップになるんですと言った。
『0%に向かって』収録『SoundCloud』P187より

後者は前にジャケ買いに近い感じで買った韓国の若手小説家の短編集。二編目の映画にまつわるものが思ったよりも長くて、エピソードごとに主人公視線が変わりながら展開していくというもの。著者のソ・イジェさんは映画を学んでいたということもあってか、日本と韓国で違うところもあるけど、どこか馴染み深いものがある。日本だと映画学校出身で小説家として書き続けている第一人者というと阿部和重さんになるのだろうけど、彼女も韓国でそういう存在になっていくのかもしれない。
引用したのは三つ目に収録されていた『SoundCloud』から。他にも松田龍平という名前が出てきたりと日本人の名前が出てくるのは、ネットとかで気になっていれば検索して知ることができるというのも大きいのだろう。
前に韓国小説の翻訳者である斎藤真理子さんにインタビューした際に、80年代ぐらいに村上春樹吉本ばなななどの作品が韓国語に翻訳されて韓国でも読まれていて、訳が直訳のような感じだったらしく、その影響を受けた韓国の作家も出てきていたと言われていた。韓国の人でも小説好きなら上の世代が村上春樹とかは読んでいたり知っていたりするし、近くの日本の一番有名な作家という認識なのだろう、たぶん。

ユニットバスのことで担当してくれている方からメールが来た。取り替えるユニットバス自体は三週間ほどで届くのだが、それを取り付ける業者さんのスケジュール等が確保できないので今調整をしているけど、場合によって年内は難しくなるかもしれませんというものだった。
僕としては来年でも問題はないけど、工事中は仕事をする時には空室になった隣の部屋を日中は使わせてもらうことになっているので、工事が終わるまでは新しい住居人を募集できない。大家さんがそれでもいいというのであれば僕は特に言うことはない。
文面からするとおそらく年内は業者さんのスケジュール的に難しいのだろう。届くのが三週間となると今から注文しても12月上旬でそこから工事となると、一つの業者さんだけでなくいくつかの業者さんに頼まないといけないと言われていたので下手すると工事が終わらないまま年末年始になってしまう。それなら年始以降ということにすると思う。だから、今書いている新人賞の〆切まではユニットバスの工事はないだろう。今のうちに書くしかない。

 

11月18日
I's - Past Die Future 


日付が変わって配信されたI's最後の楽曲、あのちゃんも出演しているドラマ『推しの子』の何話目かの主題歌になっている。

寝る前に小原晩著『ここで唐揚げを食べないでください』を読み始めて最後まで読み終わった。読んでいてこれは評判になるしどんどん作品が広がっていくわ、と思えた。その肌触りというか読み触りのようなものは小原さんの見て聞いて食べて飲んで感じたものを虚飾せずストレートに描いている、エモいというのとまた違う。だけど、センシティブさはある。たぶん、近しいのは燃え殻さんのエッセイなのだろうと僕には思えた。
二人とも飲んだり食べたりするシーンだったり、誰かと一緒に居た時の記憶のことを描いていて、他人事なのにどこか自分の記憶を照らされているような、君は誰と時間を過ごして居たのと聞かれているような気持ちになる。
僕の世代だと燃え殻さんが描いている固有名詞や時代背景、もう若さもなくなって四十代を越えて中年になって人との別れも嫌でも増えていく日常にリアリティを感じるし、自分ごとだと感じる。
燃え殻さんのエッセイを若い世代の人が共感したり近しいものと思ったり、小原さんのエッセイを僕だったり彼女の親に近い世代の人が読んで優しい気持ちになったり、誰かのことを思い出すということはあると思う。
ダウ90000の蓮見さんが佐久間さんのYouTubeでオススメしていて、彼らの舞台やコントを観ている二十代の人が買って読んでみたらドンピシャだという気持ちになっているところもあるだろうし、出てくる場所の名前は僕も知っているところだったりするし、帯文を又吉さんが書いているけど、彼の小説『劇場』に出てきた場所がこのエッセイにはいくつか出てくる。
きっといいエッセイというのは読んだ人の記憶の扉を開けて、少しだけ時間旅行ではないけど、かつての日々や誰かとのことを蘇らせる。それだけだと過去を懐かしむだけになってしまうけど、今をこれからも生きていこうと思えるちょっとした何かも読者に感じさせるものなのだろう。

昨日夜にradikoで『川島明のねごと』『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』を聴いていたので、起きてからのリモートワークのお供はSpotifyで配信されているポッドキャスト番組『平均的恋愛のススメ』を初回から流した。
さらば青春の光東ブクロカカロニの栗谷の二人が一応恋愛についてトークするという内容だけど、本編の街頭で女性百人にインタビューを取ったものなんかを元に話すのもいいのだけど、おまけということでやっているアフタートークみたいな後編は恋愛のことではなく栗谷が芸人の先輩である東ブクロに普通に芸人としての悩みを話して聞いてもらっていて、そっちの方がおもしろいしドキュメンタリー感があってよかった。


昼休憩で池尻大橋駅の方に歩いていたら緑道のところの電線に青鷺かなと思ったけど小さいから小鷺なのか、止まっていた。
たまに緑道沿いを歩いていると大きな青鷺がいるのだけど、こういう鳥ってそこまで数がいないと思うのだけど交配するためのオスならメス、メスならオスを見つけるのすごく難しそう。どうやって見つけているんだろう。

【超VIP】ハリウッド俳優ポール・メスカルとデンゼル・ワシントンにインタビューしたら、寿司屋の話で盛り上がった 


リモートワーク終わってから「NOBROCK」のサブチャンネルを見る。『グラディエーターⅡ』の宣伝を兼ねた動画で、この裏側を「佐久間ANN0」でも話していたのでラジオを聞いてから動画を見るとより楽しめる。
大事なのは寿司屋をたくさん知っていることではなく、一流店は予約が取れないけど、そこに近い味なのに予約が取れるようなお店を知っていること、そういう情報を教えてくれるような食通の知り合いがいることだとよくわかる。これはデンゼル・ワシントンが寿司屋のことをかなり聞いていていて、本当に日本に来たのは美味しいものを食べるためなんだろうなとわかるし、それに応えられたことがデカい。
ただ情報を知っているだけだとデンゼル・ワシントンには教えるのは躊躇してしまうが、佐久間さんが色々と食べるのが好きで知り合った信頼できる人からの情報だから伝えることができている。
海外の人と仕事をする際にはただ高級で予約困難な美味しい店を知っている以外にも、ふらりと行ける美味しい店をたくさん知っているとか、情報を持っていることが信頼に繋がってくるんだろうなって思えた。

明日は朝から健康診断なので19時台で晩御飯を食べ終えて、あとは水だけに。今年からはバリウム検査ではなく胃カメラにしたので、今から憂鬱だ。今年ピロリ菌の検査のために初めて胃カメラをしたけど、かなりきつかった。結局、見つかったピロリ菌の除菌が失敗して、除菌を継続しなかったので健康診断の時には胃カメラにしてくださいと言われていた。胃カメラをするということだけが憂鬱だ。

Spotifyで最新回が配信された『83 Lightning Catapult』を寝る前に聴く。次回が最終回という話があって、そういえば半年の限定で復活したのだった。それを毎週普通に聴いていたからか忘れていた。スポンサーがついたりとか諸々の条件が揃ったら続くみたいだったけど、どうも難しいらしい。やっぱりもったいないなって思ってしまう。

 

11月19日
6時前にセットしていた目覚ましで起きてから第一と第三週火曜日はペットボトルの回収日なので集積所にペットボトルの入った袋を持っていく。かなり肌寒くて風も冷たくて強い。
検便と検尿を採取して6時半前には家を出る。渋谷駅まで歩いていくつもりだったけど、ギリギリになってしまうそうなので池尻大橋駅から電車に乗って渋谷駅で副都心線に乗り換えて新宿三丁目駅で降りる。新宿ゴールデン街近くの地上出入り口から出て歩いて10分以内のところにある日本健康管理協会新宿検診プラザへ。
7時30分からの健康診断を予約していたので、そのまま6階へ。早く来たので四番目ぐらいだった。20分過ぎぐらいに受付で説明を受けてから着替えて身体検査から始めていくが、僕の前に一人いたのかいないのかぐらいだったためどんどん進んでいった。
毎年胃はバリウム検査をしていたが、去年ピロリ菌があるかもしれないと言われて今年初頭に胃カメラをしたらピロリ菌があった。そこから除菌をしたが薬疹が出て失敗してしまい、続けて二次除菌をする気は起きなかった。先生にはそれなら毎年の健康診断では胃カメラを受けてくださいと言われていたので、今年はオプションで胃カメラにしてもらった。
ありがたいことに会社が健康診断の費用を持ってくれるので、追加のオプション検査は自費だけど、最後に会計したら胃カメラはプラス二千円だった。
今年二回目の胃カメラはもちろん慣れるわけもなく、口から胃にカメラが入っていくと吐きそうになるし、知らないうちに涙が流れていて本当にきつかった。産卵している海亀が涙を流しているシーンを思い浮かべるように、涙がずっと出ていた。
胃カメラが終わったら9時過ぎだった。早すぎる。口の中と喉がまだ麻酔がかかっている状態だったけど、それ以外は問題なく、予定も入れてなかったからとりあえず暇つぶしも兼ねて渋谷まで歩いて帰ることにした。
行き来ではradikoで『空気階段の踊り場』『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴いた。


明治通りを歩いているときにちょっとトイレ行きたくなってきて、途中で『PERFECT DAYS』にも出てきたこちらに寄った。めちゃくちゃキレイではなかったけど、そこまで汚いわけでもない感じ、清掃が入る前だったのかなあ。
結局、そのまま家に帰ることにしたけど、途中で昨日夜から食事を抜いていたのでご飯はちょっと豪華にしようと思って成城石井に寄ってパクチーと海老入り餃子とえんがわキムチと焼いて食べる用のお肉を買って帰った。えんがわキムチは『佐久間宣行のNOBROCK TV』のサブチャンネルである『BSノブロック』の方でおつまみ選手権というのをやっていて紹介されていたのでこの前買ってみたらすごく美味しかったのでまた買ってみた。美味しいけど、量的には多くないので気持ち割高に感じるところはあるので、少し贅沢をする気持ちで。



家についてから駅前のTSUTAYA書店で野崎まど著『小説』と中島佑著『巡る遊星』を購入。野崎さんは『know』『タイタン』ぐらいしか読んでいないけど、この『小説』は装幀もいいなと思っていたのと小説に関する話みたいなので読もうと思った一冊。『巡る遊星』はとなりのヤングジャンプで連載中らしいが、この著者の漫画を読んだことがないものの、芸人が主人公というので気になった。
昼ごはんを食べたら眠なってしまったので夕方まで寝る。体調が悪いわけではないけど、そこそこ歩いたので疲れもあったのだろうけど、時間が空いてご飯を食べたこともだし、白米をちゃんと食べたので血糖値が上がって眠くなったのだと思う。


夕方過ぎまで寝てから、晩御飯の買い物に行ってからSpotifyポッドキャストアルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:野村泰紀)、『あのと粗品の電電電話』最新回がアップされていたので、聴きながら『巡る遊星』を読む。
「アルピーしくじり」のゲストの野村さんの宇宙に関する話もおもしろかったのだが、平子さんがそちらの分野かなり好きらしく、どんどん質問していくので話が高度な内容になっていった。野村さんの書いた『なぜ宇宙は存在するのか』『なぜ重力は存在するのか』という新書を読んでみたくなった。
「あの粗品」は粗品のライブにあのが行こうと思っていたライブはドラマの収録とかで行けなくなったので花を出したということなんかを話していて、粗品も今度は花出すわって返していた。豊洲ピットのanoのライブに彼から花が出ていたのはこの流れだったんだなってわかった。
今日はもう夜は読書するモードにすることにした、休日モード。野崎まど著『小説』は小説を読むという行為についての物語みたいなのだが、今はまだ小学生時代で少し時代が経って高校時代に入ったところだが、主人公の二人がどうなっていくのか今のところまったく想像ができない。

 

11月20日
寒さで目覚める午前6時前。昨日の健康診断から歩いて帰ったからかちょっと疲れている気がする。横になったままradikoで『アルコ&ピースD.C.GARAGE』を聴きながら布団の中で丸くなる。
続けて『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を聴いていると太田さんが忌野清志郎さんにことでかなり熱く話をしていて、本当に清志郎さんが好きだったんだなってわかる勢いと声だった。太田さんは自分が読んだり見たりしておもしろかったものについて、損得関係なくただ伝えたいというモードの時や今回は清志郎さんだけどサザンの桑田さんとか好きで影響を受けてきた人について話す時のモードは聴いていて、他人事なのになぜか嬉しくなるようなものがある。好きという気持ちがちゃんと伝わってあたたかい気持ちになるからなんだと思う。
「爆笑カーボーイ」の途中ぐらいからリモートワークを始めるが、部屋が冷えている。外は雨が降っていて、起きてちょっとした時に洗濯物を取り込んだけどTシャツやパーカーの右肩や右袖が少し濡れてしまっていた。家の中に入れ込んでサーキュレーターで風をおくって乾燥させているせいで、冷たい空気が回っているからこの冬はじめてエアコンの暖房を入れた。秋らしい秋はほとんどなかったけど、もう冬だ。この寒さは。

作業中はそのままradikoで『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』をBGMとして流していた。「星野源ANN」で2025年1月1日元旦になると水曜日だけど、ラジオ的には火曜日深夜ということで普通に紅白出場終わりの星野さんがラジオを生放送でやると話していた。
去年の年末はそれまでずっと三四郎が何年か続けて年越しラジオをやっていたのに担当しなくて、今年の年末はどうなるんだろうと言っていたけどないみたい。その後の番組である「あのANN0」でも生放送で元旦からやるの?ってあのちゃんが言っていたが、星野さんがやるって言い出すとやらないと行けなくなっちゃうじゃんって言っていて、これは星野源―あののラインは間違いなくやるのだろう。
来年の元旦はどうしようかなって思っていたけど、せっかく生放送をやるなら深夜1時からの『星野原のオールナイトニッポン』と続けて『あののオールナイトニッポン0』聴きながら歩いてみてもいいかもしれない。毎年元旦は起きてから神田川沿いを歩いたり、今年は目黒川沿いを歩いて天王洲アイルまで行ってからレインボーブリッジを渡って豊洲に行ったりしていたけど、深夜のうちに歩いてどこかで初日の出を見てもいいかもしれない。雨が降らなければ、の話だけど。
リモートワーク終わってから、ご飯を食べたり風呂に浸かったあとから自分のライティング作業をする。そのあと金曜日に原カントくんさんがパーソナリティーをしている「渋谷のほんだな」というラジオに出してもらうので、その時に紹介する書籍のことを考えたりしていたらあっという間に時間が経ってしまった。寝る前に併読している読書の続きをしていると寝落ちした。

 

11月21日
木曜日は基本的にはリモートワークはない日だけど、明日金曜日に有給を使ったので代わりに木曜日出勤という形になった。起きてから仕事だと思いつつも寝転んだままでTVerとかを見ていたら、すぐに8時を過ぎた。
昨日寝る前に読んでいた小説の気になったところをスマホでメモがわりにページを撮っていた。それをGoogleフォトからGoogleレンズで文字を指定してコピペしたものが下記の文章。

 赤ん坊は決して虫と同じものではないが、生命は水たまりにわいてくるボウフラのようになんの大仰な手続きもなく甘い香りを放つ白い夏芙蓉の一夜の夢のような路地の中に次々とわき出し、その度にこれが食う事もかなわぬ親たちによって昔の事ならつかの間の明りを見ただけで闇にもどされたのだと思い、何よりも手足を振って泣く赤ん坊そのものが貴い小さい仏の化身のような気がし、虫のようにわく生命そのものが有難いものだとオリュウノオバは手を合わせたかった。
 人の生命は消えるもの、うたかたの夢はさめるもの、と知り、礼加さんにも教えられ、死んだ者を畏れうやまう気持に変りはなかったが、オリュウノオバは時々、自分が万年も億年も生きてきたように思え、路地に息をし生きる者が生きつづけ増え続けてせきを切ったようにこの地上にこぼれ散らばって朝鮮にも中国にもアメリカにもブラジルにも増え続けるのを想い描いた。オリュウノオバにその事を言ったのはブラジルのサンパウロにつてを頼って子供を二人連れて移民した藤一郎だったが、サンパウロというどこまで行っても山の形も見えないところで、同じようにうたかたの夢の中にいて生命が増え続けているのを想うと、オリ ュウノオバは何者か大きなものが自分を救けてくれている気がして気持が安らぐ。
中上健次著『千年の愉楽』P62-63より

今併読している何冊かの中で中上健次の小説は『千年の愉楽』と『鳳仙花』なのだけど、前者は性的な描写が本当に生々しくてエロティックでどこか谷崎潤一郎のような艶かしさを感じられる。
後者は『岬』から始まる三部作の主人公の秋幸の母のフサが主人公なのだけど、サーガの始まりでもあるが、連作短編集のように15歳のフサが故郷から出ていき成長していく姿を描いている。この短編は見事だとしか思えない。『地の果て 至上の時』や『異族』みたいな作品で失われてしまったエッジというか中上健次の文章の鋭さがある。

リモートワークを開始。寒いので暖房を入れるが、足元が冷たい。でも、家の中や部屋でソックスを履きたくない。履けばいいのだろうけど、なぜか昔から部屋の中でくつろぎたい時はソックスを脱いでしまう。
radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を作業をしながら聴いた。今年の紅白出場者の話から、初出場になったCreepy Nutsの話題に。日曜日の三四郎の武道館ライブに普通にゲストで稼働しているR-指定のことを言っていたけど、おそらくRさんは今の奥さんと初めてデートする時に相田さんに教えてもらったお店に連れていったということがあるので、その辺りで恩を感じているんじゃないかなって思う。
佐久間さんが入ったバーでの常連さんとマスターのやりとり、そしてその後にきた二人組の女性とのマスターの会話からアンジャッシュのすれ違いコントみたいになっていた話とか出来すぎだと思うけど、語りはうまくて聞き入ってしまう。


昼休憩の時に駅前のスーパーに行って惣菜を買ってきてから、昨日TVerのリアルタイムで見た『水曜日のダウンタウン』の「電気イスゲーム」の劇団ひとり岡野陽一をご飯を食べながらもう一度見た。正直この下半期で一番笑ったと思う。
岡野さんの読みとかギャンブラー気質がすごいのだけど、劇団ひとりさんが普通ならすべきことをまったくしない、できていないためにありえない展開になってしまい、最後の方でお互いの読み合いではないところでの勝負になっているのがバカバカしくもあり、謎に感動しかけてしまう爆笑を生んでしまっていた。この二人だからこそできたものだと思う。この後には千原ジュニアFUJIWARAフジもん、今田耕司東野幸治という豪華すぎる対決もある。この一回戦の後の二回戦以降はスペシャルでやってほしいぐらい、いや、スペシャルで一気に見たい。


リモートワークが終わってからニコラに行って、アルヴァーブレンドをば。平日だけどテーブル席の方はほとんど埋まっていて忙しそうだったので、曽根さんたちとはあまり話はできなかったけど、ファッションブランド「oira」をやっている高橋雄飛さんがカウンターにいたので相手してもらった。

「僕はその瞬間に、一歩も外に出られなかった学生時代の時のことも思い出して。僕は、音楽は人を救えないと思っているし、今日も救うつもりでは(ステージに)立ってないんですけど、僕は自分が鳴らす音楽に救われたというか、スプーンで掬うみたいに心が軽くなった感情になって。音楽はやっぱりいいなと思った瞬間でした」

「ムカつくこと、全部、音楽でぶち壊したいなと思ってて。もう、それしかできないんですよ」「音楽だったら負けない。音楽だったら、僕が僕であることを許してくれるから」と、その思いはどんどんあふれていく。そして最後に、「あのちゃんがついてるからって思ってほしい。それは僕にとっての音楽がそうだから。みんなも、音楽でもいいし、僕でもいい。なんでもいいから、次に会う時までも必ず生きててほしい。それだけです。今日は来てくれてありがとうございます」とまっすぐに伝えた。

<ライブレポート>ano「次に会う時まで必ず生きて」――ツアー追加公演完走、音楽でたどり着いた“絶対聖域”

先日の豊洲ピットでのanoのライブレポート、15時過ぎに来年1月にNHKホールで開催されるライブチケットの先行が取れたメールが来ていた。
今年の紅白はanoと幾田りらで『絶絶絶絶対聖域』をやってくれると思っていたのだけど、二人とも出場ではないので残念だが彼女たちのシャウトは大晦日に響かないらしい。

 

11月22日
有給を使ったのでいつものリモートワークはお休みだったので、radikoで『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』が終わる午前1時まで聴いてから、TVerでバラエティを流しつつ眠る。
「都築サクラバシ」では日曜日の「三四郎武道館ライブ」のゲストではないが、配信の副音声をやることになった話なんかをしていた。あとは三四郎が第二子が生まれて紅白出場も決まった今回のゲストであるCreepy NutsのR-指定の扱いが雑という話をしていた。みんなそう思っているよ。当日は武道館に行くけど、やっぱり都築の副音声があるなら配信も買っちゃうだろうし、楽しみではある。
8時前に起きて、野崎まど著『小説』を読みながら『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』を流していた。
10時前に友人Sから連絡があって、前に小原晩著『ここで唐揚げ弁当を食べないでくささい』を貸してほしいと言われていて、最寄駅に用事がある時に取りに行くと言われていた。でも駅前のデニーズで仕事をしているというので届けに行った。少しだけ話をして家に戻ってからちょっと掃除とかをしてから再び家を出た。


家から歩いて池尻大橋の方で246沿いをマクドナルドの前の信号を渡って反対側に、そのまま渋谷方面にまっすぐ歩いていくとセルリアンタワーが見えてくる。その通りを進んでいくと新しくできたサクラステージがあるけど、そのまま横の歩道を歩いていくと渋谷川が見えてくる。川の方に折れると渋谷ストリームがあって、川沿いにあるのが「渋谷のラジオ」、ここには二年ぶりぐらいにきた。

水道橋博士のメルマ旬報』で編集をしていた原カントくんさんがパーソナリティーを務めるラジオ「渋谷のほんだな」に出演してきた。
生放送だけど昼間から少し早めの忘年会ということでビール飲みながらのトーク。あっという間だった。選んでいた四曲のうち二曲しかかけられなかったぐらい、話もどんどんしていたけど時間が足りないぐらいだった。そういえば、今回で二回目の出演なんだけど、一回もスタジオ内の「渋谷のラジオ」のマスコットの犬の前で写真を撮ったことがない。他の人たちの記事とか見るとたいていそのマスコットのところで撮ってるんだよなあ。
上記のnoteの記事はちょこちょこ誤字脱字ありますが、スタッフさんが時間がない中で早く仕上げてくれたのでご愛嬌ということで。

星野源 - 光の跡 (Official Video) 



Childish Gambino - Lithonia (Audio) 


四曲リクエストで選んでいたけど、この二曲はトークが盛り上がって流せなかった。


ラジオが13時に終わって、原さんも次の予定があったのでストリーム前で別れて、そのままヒューマントラストシネマ渋谷まで歩く。
A24制作のクリストファー・ボルグリ監督『ドリーム・シナリオ』を鑑賞。お客さんは十人ちょっとはいたかな、公開日だけど平日のお昼だし、満席に近く入るような作品でもないし。
ニコラス・ケイジ演じる主人公の大学教授のポール・マシューズは平凡な生活を送っていたが、ある日、何百万人ものの夢の中にポールが現れるという不思議な現象が起こり、一躍時の人となるのだが、夢の中でポールが悪事を働くようになって現実のポールは大炎上して嫌われ者になってしまうのだが…というストーリー。
昼間からビールを飲んでいたのもあるけど、夢の中の話とかが展開されていくので途中で思いっきり寝てしまった。おそらく中盤ぐらい、だから終わりの方は見たけど、それだけだとおもしろくないし、起きて観ていてもそこまでおもしろくなった可能性があるようにも思えなかった。でも、寝ていたから最初から最後までちゃんと観ていたらいい作品だったと思えるのかもしれない。でも、もう一回観に行きたいか、観に行こうと思うかと言われたら別にいいかなって。


映画を観終わってから歩いて家まで帰る。行き来では「おぎやはぎメガネびいき」の残りと『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』を聴いていた。
家に帰って一時間ほどしてから再び「渋谷のラジオ」に向かった道順で日が暮れた中歩き始める。友人Tと南平台にあるネパール料理屋のネパリコ渋谷店で晩御飯を食べる約束をしていた。
18時半から始まって、たくさん飲んで食べて話をした。ネパール料理というのは初めてだったけど、けっこうスパイスの効いたものが多くてビールが進んだ。Tが渋谷に用事があったのでお店に二時間ほど滞在した後に歩いて渋谷へいき、用事を済ましてから中目黒のドンキ近くまで一緒に帰って、そこでコンビニで買ったビールを路上で飲みながらさらに話をした。
創作のこともだし、個人的なことを踏み込んで話ができる、他の人には言わないようなことをお互いに言えるという関係性だから、話し出すと止まらない。
ラジオでも映画も映画館で観たいし、本も読みたいからまだ東京にいたいですねって言ったけど、こういう話ができる友達も東京にしかいない。まあ、人生の半分以上をこちらで過ごしているのだから自分のホームはもう東京になっているし、二十代以降の季節はここで見てきていて、多くはないけど知り合って気の許せるような友達とも出会って、未だに飲んだりしながら話ができる。そういうことをありがたいと思いながら、実家に帰ることになったら肉体は年相応で老いていくだけだろうけど、精神的には一気に弱りきるなってわかる。それだけは間違いなく。だから、東京にいれるようにやっていかないとなって。

23時前に解散して家に向かって帰る時にはSpotifyポッドキャストで最新回がアップされていた『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』を聴きながら歩く。風は冷たいけど、ネパール料理屋で食べたものに使われていたスパイスが効いているのか、お腹の中はあったまっているというか、自分の吐く息にも少しスパイス的な香りがあった。

 

11月23日
7時過ぎに起きて、横になったままradikoで『きしたかののブタピエロ』を聴く。来年1月31日の草月ホールでの番組イベントの先行申し込みが千件を越えているらしい、これはヤバい。申し込んだけど、草月のキャパを考えたら一般販売も多少残すとしても抽選になる。取れるかなあ、取れると思うんだけど、ちょっと心配。
でも、そのぐらいこの番組もきしたかのの二人も人気があるんだな。『水曜日のダウンタウン』とかでもドッキリ仕掛けられて高野さんの好感度が上がっていたりするし、有名な番組にも出る機会が増えたことで知名度も前よりも高くなっているのも相乗効果になっているんだと思う。ちゃんとブレイクする人のいい流れに入っているように見える。
夕方から東京ガーデンシアターでトム・ヨークのソロライブがあるから、午前中の散歩に行かないままライティング作業と読書を。いつもは散歩のお供な明日日曜日に武道館ライブがある『三四郎オールナイトニッポン0』を作業用BGMとして流す。また、テニスプレイヤーのナダルの話、そして都築も話をしていたR-指定のことをトーク。明日の武道館が楽しみすぎる。


渋谷まで歩いて、埼京線に乗って直通だったので大崎からりんかい線でお台場方面へ。国際展示場駅までは思ったよりも早く着きそうだったので、一つ手前の東京テレポート駅で降りて東京ガーデンシアターが入っている有明ガーデンを目指して歩く。地図アプリでは三十分ほどだが、それでも17時の開場よりもかなり早く着く計算だった。着いたら16時半前だったけど、すでに開場を待っているお客さんがたくさんいた。
元旦に目黒川沿いを歩いて天王洲アイルまで行って、そこから北上してレインボーブリッジを渡って降りた場所がお台場のエリア。そこから豊洲前を通って晴海客船ターミナルがあった場所、オリンピック選手村があった場所まで行った。
かつての夢の島という名の埋立地がお台場、フジテレビの凋落とともに存在感と魅力がなくなってしまう場所でもある。江戸時代から東京湾を埋め立てて人が住める場所を拡張してきたのが東京の湾岸地区、かつては海だったところを歩いているのが現在の僕ら。


今日、23日と翌日の24日に『Thom Yorke: everything playing work solo from across his career』が行われる東京ガーデンシアター。ここには初めてきたけど、かなりデカいのだけど、場所がすごく中途半端な印象を受ける。国際展示場駅から10分ほどだと思うけど湾岸地域って行くのはまだいいけど帰りがどうしても混み合う時に都心部に出る選択肢がないので混雑が避けられない。
S席だったが、下のアリーナではなく二階席だけど、ここは「第一バルコニー」という名称になっていて、上に上がるにつれて数字が増えるので「第三バルコニー」まである。S席はアリーナと「第一バルコニー」の真ん中よりも前でそれ以降はA席という区分になっていた。
「第一バルコニー」のBブロックの一列目だったので見やすいといえば見やすい。実際にライブが始まってからはアリーナの人たちはほとんどスタンディングになっていたが、バルコニーは着席したままの人がほとんどだった。角度や距離的なものがあるし、前の方が立つと後ろが見えないので、遠慮してしまう。
ここの座席はなんというかそこまでいいものに思えなくて、前に舞台を観に行った新宿にある歌舞伎タワーに入っている「THEATER MILANO-Za」の時にも感じたけど、そこそこの出演者を呼んでチケット代も一万とか越える箱のわりに椅子がしょぼくて座っているとケツが痛くなる。
商業施設に入っているから採算とか予算の問題もあるんだろうけど、本当に舞台やライブを観るのが好きな人が設計したのかな、影響受けたり人生を変えるような体験をした人たちが関わっているのかな、と思えるものだったりする。ここの東京ガーデンシアターもとりあえず大きな箱物を作ってそこに観客たくさん入れられるイベントホール作ればいいか、と思っている人たちが作っているように思えてしまった。

radiohead自体は『Kid A』『Amnesiac』リリース後の武道館ライブの初日、サマソニ2003と『In Rainbows』リリース後の2008年のさいたまスーパーアリーナでライブを観ているので、トム自体も16年ぶりに観ることになった。
個人的にはこの数年彼がやっているプロジェクトというか新バンド「The Smile」の曲がすごく好きなのでバンドで観たかったという気持ちが強かった。
今回のトムの今までのキャリアを総括するソロライブでは「The Smile」の曲はやっていなくて、radioheadAtoms For Peaceとソロでリリースしたものとサウンドトラックなどで提供した曲を演奏している。
二曲目が『OK computer』収録の『Let Down』だったりして驚いたし、本当にステージにはトムしかいなくて演奏も歌もすべて一人で行っていた。一曲かな、新曲があったものの他の曲は知っているものばかりだし、最初に観に行った武道館では聴けなかった『Fake Plastic Trees』もやってくれた(あの時は代わりに『Ture Love Waits』を演奏していて、今思うとレアだった)し、終盤の『Idioteque』『Everything In Its Right Place』が続いたのはうれしかったし、踊っているような動きのトム・ヨークもなんかかわいかったし、音も低音が効いていてよかった。アリーナだったらスタンディングで踊っていたのになって思うけど、あっという間に終わってしまった。
ソロアルバムの一枚目に収録されていて『Cymbal Rush』がライブで聴けたのも満足。会場だけもっと違うところで観たかったというのが本音。

終わってからは導線が良くないので会場の外に出るまで時間がかかる。そこから国際展示場駅まで歩いてとりあえず大崎駅へ。埼京線に乗り換えて渋谷に出ようと思ったら、人身事故の影響か何かで電車が遅れていた。その辺はどうしようもないから待つしかない。
行き来で『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』と本日二回目の『三四郎オールナイトニッポン0』を聴いた。バナナマンの二人は割と食に関するトークが多い気がする。聴いていると食べてみたいなとか思うし、そういうものがあるんだなって知れるからリスナーの人も聖地巡礼ではないけど、行ったりしている人もいるみたいで、やっぱり人生の一部になっているんだろう。

春に『現代詩手帖』のために短詩を書き下ろして以来の詩作を行なった。また、この期間は同時に3府県を短期間に移動するという行動も採った。それらふたつは似ていた。私は今回は長詩を書いて、それは「水霊」という題名を具えているのだが、この「水霊」のためにビジョンを見つづけることは、そのビジョンの〈内側〉を旅することだった。

簡単に説明すると、ある詩作にダイブしようと願いながら、しかし適当に「こんな感じのイメージでいいや……」と思った途端、私が幻視する世界のリアリティは崩れるということだ。すなわち、真の〈詩的イメージ〉とは徹底的にリアリティを有したものである、と、これは私に限定される文学観かもしれないけれども、いずれにしても明確に言い換えられる。

古川日出男の現在地〉腰を据えること≒移動しつづけること 2024.11.09 – 2024.11.22 東京・大阪・京都・福井

家に帰ってから古川さんのブログの最新回を読む。来年の二月、デビュー27年目突入の時期にこの長詩を発表されるのだろうし、プラス何かのアート的なものと一緒に展示なのかアクションがあるっぽいので楽しみ。

 

11月24日
『THE PENGUINーザ・ペンギンー』は何が画期的? DCの時代到来を予感させる傑作ドラマシリーズを解説【宇野維正のMOVIE DRIVER】 


宇野さんの動画を見て、Paravi勢だったけどU-NEXTに買収されてからプラットフォームが使いにくくなって契約を切っていたけど、再加入した。
一話だけを見たが、確かに映像もカッコいいしマフィア映画っぽさもある。主人公のオズと彼の車のホイールを盗もうとしていた少年たちの一人だったヴィックのバディ感は、『ブレイキング・バッド』のウォルターとジェシーのコンビも彷彿させる。彼ら以降な感じの年の離れた男性同士のバディは父と息子にも近いし師弟関係のようでもあるし、今っぽいのかもしれない。

7時過ぎに起きる。今日はようやく待ちに待っていた三四郎の武道館イベント、気持ちとしては休み。昨日もほとんど休みみたいなものだったけど。
一日前の23日は勤労感謝の日で祝日だった。Googleフォトで11年前の画像が出てきて、当時の彼女さんの誕生日のお祝いの時のものだった。
前日にライブ前に実家に電話した際に、母が病院に行った時に小学校の時の僕の同級生の女の子と会って話をしたと言っていた。その子はお父さんを連れて病院に来ていたらしいが、「学くんのお母さんお久しぶりです」みたいな感じで話しかけてきたみたい。家も近いし彼女のお父さんやお母さんは実家にいるけど、結婚して福山かどこかに住んでいるらしい。で、興味深かったのは母がその子のことをおばちゃんになっていたと言っていて、可愛くて男子からモテていたような子だったけど、同級生で早生まれじゃなかったら43歳だから、当然だ。元カノさんも同学年だから昨日で43歳だ。僕もおじさんだし、中年だ。人生は折り返してる。元カノさんも43歳かあと思うとなんか不思議だ。10年以上会っていないから正直今の顔もどんなふうになっているかわからない。会うこともないだろうけど、会うことがあったらお互いに老けたねって笑ったりするんだろうか、と昔の画像を見て思った。きっと、彼女は僕に気付いても無視して通り過ぎるだろうけど。

8時半過ぎに散歩がてらいつもの代官山蔦屋書店までradikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら歩く。新刊コーナーも他のアートとかのエリアも見たけど気になるものはなかった。
午前中だけど、歩いてみてそこまで寒すぎるという感じではなかったのと天気予報を見る限りではそこまで気温も上がらなさそう。昼からの武道館は待ち時間があるからどのくらい着込んでいくかを考えながら家に帰った。


三四郎オールナイトニッポン10周年記念 バチボコプレミアムライブin日本武道館』は15時開場で16時開演になっていた。
事前にトートバッグとホタルイカペンライトはネット通販で購入していたが、公式パンフレットはこのライブ当日販売か受け渡しだった。パンフは記念にやっぱり欲しかったので、当日販売の物販に並ぼうと思っていた。
14時前には武道館について当日物販の列に並んでradikoで『星野源オールナイトニッポン』を聴いていた。日差しを遮るものがなかったので、最初並んでいた時は暑くて汗が出てき始めた。紅白出場する12月31日から新年になってからの深夜一時に生放送をするとアナウンスを番組内で星野さんがしていた。来年ラジオは10周年だし、新年早々に生放送をするから、何かしらの発表があるんじゃないかなと期待している。
30分近く並んだと思うけど、順番が来たので公式パンフと十手キーホルダーとランダムのアクリルキーホルダーを購入したらちょうど5000円。ラジオができるだけ続いてほしいし、イベントは祭りだから多少はお金を使わないとなって思う。知り合いも誰もいないし、SNSとかでも三四郎のリスナーと交流もしていないので一人で開場を待っていた。
番組のファンクラブ先行で最初にチケットを取っていたのでアリーナ席だったが、 A11の一列目6番という席番で「A11」ってどこだよって思っていたら一番右のエリアで、しかも僕の席が一列目の右から一番目、つまり一番端っこだった。



一番下の画像が僕が座った場所から見えるステージの様子。三四郎の二人とゲストが座っているブースみたいな場所は首を左に45度回したら見える感じ。前なのに、これだったらもう少し後ろで真ん中寄りがよかったと思ったけど、どうにもならない。まあ、ステージ上にある巨大なモニターも見えるし、真ん中にある花道も見えにくいがライブを楽しむしかない。そのために初めてペンライトも買っていたわけで、ホタルイカペンライトはホタルイカみたいな青白く光るライトで、一色しかないのだけど、これが会場にいる人たちの多くが購入していて最初から光らせていた景色はとてもキレイだった。

三四郎小宮浩信相田周二)がパーソナリティを務める、ニッポン放送三四郎オールナイトニッポン0(ZERO)』(毎週金曜27時~29時)。番組開始10周年を記念したイベント『ニッポン放送開局70周年 三四郎オールナイトニッポン10周年記念 バチボコプレミアムライブ in 日本武道館』が11月24日(日)に開催された。ゲストに金田哲(はんにゃ. )、KAƵMA(しずる)、レイザーラモンHG、R-指定(Creepy Nuts)、なかやまきんに君、大木祥資を迎え、「超絶スピン副音声配信」を都築拓紀四千頭身)が担当。9,000人のリスナーが集結した武道館が“爆湧き”した。
9,000人のリスナーが集結! 武道館がバチボコに爆湧き! 「三四郎オールナイトニッポン10周年記念 バチボコプレミアムライブ in 日本武道館」 

最初は大河俳優になった金田が登場して、しばらくしてから不良ことKAƵMAが自転車で登場するというこの組み合わせ楽しいなって流れから、副音声をやっている続きのところに不良が向かってステージに連れてきて、ゲスト三人と三四郎の組み合わせ。ラジオで聴いていたようなくだらなくてダメなところもあるけど、もうリスナーとしてはたまらない組み合わせ。都築がいるからこそ成り立っている気もする、いや、いなかったらたぶん成立していない。
そこから三人と入れ替わりで番組にはゲストで今年一回出ただけなのに今回呼ばれているレイザーラモンHGさんが登場。ガタイがいいから舞台映えするし、「フォー」ではなく「フィー」をホタルイカペンライトを持ったまま会場のみんなでやるという謎の光景、ホタルイカペンライトはこのためにあったわけだが。
古典トーク3選で「鳥人間コンテスト」の年に一回以上は話しているミスター鳥人間こと大木祥資さんの「飛び降りろっ!」ネタから、ご本人登場。シークレットゲストだけど、一般人なのにこの日一番に近い歓声。
忙しい中、断ってもいいのにちゃんと来てくれたCreepy NutsのR-指定が最後のゲストとして登場。ビルボードで一位になろうが、世界的な大ヒットを飛ばそうが、紅白出場が決まろうが三四郎とは彼らが「オールナイトニッポン」をやっていた時の関係性と変わらないまま、雑な扱いをされている今や世界的なラッパー、この温度感は三四郎Creepy Nuts菅田将暉オールナイトニッポンにいた時のもので懐かしさもあるし、三四郎だけが残っているというのも彼らっぽい。そこからシークレットゲストの二人目として毎年年末にゲストで来ては噛み合わないトークしかしてくれないなかやまきんに君が登場して、R-指定とも噛み合わず、『クリスマスキャロル』を急に歌い出し、ラジオで聴いていたいつも通りのノリだった。最初からずっと笑いっぱなしだったけど、やっぱりきんに君が出てきてからはより加速度的に笑いまくってしまった。結局、今年一番笑ってしまったのがすぐに更新されてしまった。
最後はアリーナに作られていた花道の先にある場所で三四郎の二人がノリだけのどこに着地するかわからないトークを。いつものラジオみたいに小宮さんのノリに付き合わされる相田さん。これだね、これが三四郎のラジオだ。
もし、五年後もラジオが続いていて、二人の気が向いたら15周年イベントやってほしい。それにも行きたいし、そこまで元気でいたいし、生きていたいなあ。できれば三四郎のラジオの話もできる友達とかもほしい。

武道館を出てから九段下駅までは大渋滞をかましていたので、あえて一駅歩こうと思って半蔵門駅まで15分くらい歩いた。半蔵門駅から電車に乗ったけどすでに乗客も混み合っていなかった。九段下駅からいろんな方面に行けるからバラけているのだろうか。
池尻大橋駅で降りて帰り際にスーパーに寄って晩御飯を買って帰る。
川島明のねごと』を聴いてから、『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』をといういつもの日曜日だったけど、「サンドリ」を聴き始めた頃には22時を回っていたので明日に回して、TVerで『海に眠るダイヤモンド』最新回を視聴。
ようやく現代で会社を経営している老婆のいずみの正体が最後にわかった。僕はずっといずみは初回の冒頭で端島から船で逃げているようなシーンがあったリナが抱いていた子どもだったと思っていた。
1955年に大学を卒業して端島に鉄平たちが戻ってくるところから始まるから、彼らは1933年前後生まれ、現代は2018年だから現在は85歳前後のはず。いずみを演じている宮本信子さんがまだ80歳ではないので、もう少し若い設定で子ども世代かと僕は思っていたがそれが勘違いだったみたい。
となると鉄平にそっくりな現在のホストであり、両親のこともよくわからない玲央(神木隆之介一人二役)といずみは血縁関係にはないと出ているが、鉄平の兄の進平とリナの距離が近づいていることもあり、その二人の子どもが玲央の父か母であれば彼は鉄平の血筋になる。という感じなのかなあ。

 

11月25日
深夜3時に目が覚める。トイレに行った後に先週木曜日に出し忘れていつもよりも重くなっている可燃ごみを集積所に出しに行く。誰もいない深夜の道路の上、まだ息は白くはなっていないけど、吸い込む空気は心地いいぐらいに冷たさ。
「サンドリ」を聴きながらまた眠る。6時前に起きてから寝落ちしたぐらいのところから「サンドリ」を聴きながら朝のルーティン。
リモートの方の給料日なのだが、前に構成をやった書籍の原稿料というか印税が入ると編集の人に言われていたのだけど、リモートワークを始めてから給料の方は振り込みのお知らせメールが届いたもの、そちらの入金のお知らせが来ない。
ネット上で覚書のサインしてるけど、先月出版されてから何日にいくら入金されるかというお知らせすらない。本来であれば原稿料(印税)に消費税が足されて、源泉徴収でいくら引かれるので実際の振込金額はこの額ですって伝えていないこと自体が意味わからない。そもそも発注書もないからこちらも請求書を出すこともない、言いたいことはたくさんあるけど、出版社自体の問題だし、そこで働いている人はそれが当たり前になっているので言ったところで意味がないのはわかっている。
昨日放送の聴いているラジオはすでに聴いてしまっていたので、自分のMacBook Airの方で何かを流したかったけど、何にしようか迷う。U-NEXTで『THE PENGUINーザ・ペンギンー』を二話から、という手もあったが字幕で見ているので音声が拾えないというか、英語を聞いても僕はセリフを理解できない。今週中に見ておきたいと思っていたドラマがもう一つあった。

フジテレビでは、10月9日(水)22時スタートの水10ドラマ<毎週(水)22時~22時54分 ※初回15分拡大>にて、藤原竜也さんが主演を務める完全オリジナルドラマ『全領域異常解決室』を放送することが決定しました。藤原さんがフジテレビ制作の連続ドラマで主演を務めるのは本作が初となります。完全オリジナルとなる本作は、脚本・黒岩勉さん、演出・石川淳一さんによる実力派スタッフでお贈りする、手に汗握る本格ミステリードラマです。身近な現代事件×最先端の科学捜査では解明できない“不可解な異常事件”を「全領域異常解決室」という捜査機関が解決していく1話完結型ドラマです。その扱う事件の対象は、まさに“あらゆる領域”におよび、「神隠し」「シャドーマン」「キツネツキ」といった“超常現象”など、現代科学の常識では考えられない“異常”に挑んでいきます。そして、全話通して描かれる“ある大きな事件”は予測不能で、ハラハラドキドキの展開で描かれるので最終話までお見逃し無く。これまで『ガリレオ』(2007年ほか)や『ミステリと言う勿れ』(2022年)など、数々のミステリードラマを手がけてきたフジテレビが、2024年の秋、全く新しい上質なミステリードラマをお届けします。ミステリー作品をはじめ、コメディーやシリアスな社会派ドラマなど、数々の作品で定評がある演出・石川さんと、サスペンスミステリーの名手である脚本・黒岩さんが紡ぐ独創的な世界観と予想のできない展開や衝撃のどんでん返しに是非ご注目ください。

『全領域異常解決室』という今フジテレビの水曜日22時から放送中のドラマ。なんか変なドラマらしいというのはネットで見ていたが詳しくは知らず、先週オンラインミーティングをした際に世間話の中でこのドラマをオススメされた。
TRICK』『SPEC』あたりが好きならきっと気にいると思うと言われて、そこは大好物なので作業用BGMがてら流し始めた。確かに『TRICK』『SPEC』のいいところが組み合っているような設定、キャストはフジっぽい感じだけど内容的にはフジっぽくないというか。
TRICK』では主人公のマジシャンの山田奈緒子と物理学者の上田次郎のコンビが超常現象や奇妙な事件に隠されたトリックを暴いていくというミステリーだったが、シリーズが増すごとに山田自身が本物の能力者だということがわかるという展開になっていった。その本物の能力者同士が戦ったりするのが『SPEC』だったわけだが、その要素が入っていると言えるし、近年の時事ネタや実際に起きた事件などもドラマに組み込んでいるけど、ポップさもちゃんとあるのが『全領域異常解決室』というドラマだった。
世紀末や終末感があった90年代後半やゼロ年代前半辺りを今にバージョンアップしているし、五話まで見たら山田的な「本物」だという設定も明かされたりして、これは好きな人はどっぷりハマるだろうなって。
脚本の黒岩勉さんという人は『ストロベリーナイト』とかミステリーものもいくつもやっているけど、『グランメゾン東京』や『TOKYO MER』などの最近のヒット作だけでなく、映画『キングダム』『ゴールデンカムイ』シリーズも手掛けている凄腕だった。だからこそ、この設定のドラマでしかもオリジナルを書いているのがちょっと不思議だけど、本当はこういう作品がやりたかったのかな。

「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2024年12月号が公開されました。12月は『冬物語』『はたらく細胞』『聖☆おにいさん THE MOVIE~ホーリーメンVS悪魔軍団~』『私にふさわしいホテル』を取り上げました。

 

リモートが終わってから自分のライティング作業をするまでSpotifyで最近聴き出したポッドキャスト番組『平均的恋愛のススメ』の本編とおまけを聴いたら、さらば青春の光の森田さんがちょっと出演というか話に入ってきていた。この番組は10回限定ということらしいけど、東ブクロカカロニ栗谷コンビのトーク聴き心地がいいから、何かの形で続けてほしい。

毎週月曜日配信していた『83 Lightning Catapult』は前回、次回が最終回という話をしていたが、配信さえしなければ最終回は来ないし終わらないとか、納得いくものが録れるまで出さないとか言っていたけど、本当に最後の回を先伸ばしたのかって思わなくもないけど、実際は相田さんが「三四郎ANN」武道館ライブがあるからスケジュールがなかっただけなんじゃないかなって思うけど、どうなんだろう。

入社して初期の頃に、『出川とWHYガール』という番組で出川(哲朗)さんとご一緒させてもらったのですが、出川さんが収録をすごく面白がってくれて、その後もいろんな人に会うたびに私のことを「この子イカれてるんだよ!(笑)」って紹介してくれたんです。ずっとテレビの第一線でやって来た人が、自分と仕事をして面白いと言ってくれたことで、「テレビで頑張ろう」とちょっと自信を持てた最初の機会でした。出川さんとの出会いは結構大きくて、それが今番組をやらせてもらってるホリケンさん(ネプチューン堀内健)との縁にもつながってる気がします。

特に加地さんは、スタッフと演者さんの両方から信頼されていると思います。大げさかもしれないけど、自分のチームだけでなく、関わった人全員に信頼されているのを感じますね。自分のコンテンツだけでなく、テレ朝全体を、業界をもっと良くするためには、という広い視点でいろんな物事を考えていて、なおかつ『アメトーーク!』や『ロンハー』で次に何をやろうかと考えていて。それでずっと現場に立って、いまだにオフライン(編集)もして、そんな忙しさの中でも私の番組を見て毎回アドバイスをしてくれる面倒見の良さも含め、改めてすごい人だなと思います。超人です。

一緒に地下アイドルをやっていた子が、(アイドルグループ・)ゆるめるモ!に加入するというのでデビューライブを見に行ったら、そこで新メンバーとして一緒に踊っていたのがあのちゃんだったんです。ゆるめるモ!の曲もパフォーマンスもすごく良くて、友達が入ったということもあって、そこからどんどんゆるめるモ!に箱推しでハマっていくんですけど、あのちゃんって当時から変で(笑)。MCとかでもポツンと言った一言がもうキレキレで面白くて、ライブパフォーマンスも目を引く異端な存在。動物的で衝動のままに生きているような危なっかしさもあって、どうしても気になっちゃうんですよ。

あのちゃんはもちろん最初から特異な存在で面白いんですけど、どんどん進化しているんです。私はずっとそばで一緒に番組を作りながらそのドキュメンタリーを見ているようでもあって、彼女の生き様を感じて自分ももっと頑張ろうって奮い立つし、彼女が発表する音楽や映画、今出ているドラマ『民王R』もそうですが、忙しい中でクリエイティブで毎回最高を更新していくタフさがあるので、すごくリスペクトしています。

『あのちゃんねる』小山テリハ氏、番組を守り続けて異例の地上波復活 あのちゃんとの“物語”で受ける刺激とリスペクト - テレビ屋の声

『あのちゃんねる』レギュラー復帰の第一回のゲストが出川さんだったのを見た。出川さんテレビ好きで見て面白かったものを人に伝えているという話は聞いていたけど、やっぱり自分のセンサーで感じたものを人に損得関係なく勧めている。そして、出川さん自身も好かれているしその意見を聞いた人たちも注目するようになるといういい波状効果を生んでいるみたいな感じかな。
加地さんも下の世代のスタッフに尊敬されている、仕事もできるしちゃんと業界のことを考えている視野もあるんだろうけど、面白いものを作り続けているということが信用を生むし、小山さんが『アメトーーク!』でスタッフしていたのは大きなことだったのもよくわかる。
あのちゃんとの出会いは「ゆるめるモ!」時代から知っているというのもすごいし、確かにそこから顔見知りだったのは大きかったんだろう。でも、小山さんがあのちゃんの個性を楽しみながら面白いことができないかなって思っていたからこその『あのちゃんねる』なんだと思うとあの面白さはちょっとした時間なんかではできない時間の結晶なんだなって。あとあのちゃんの成長をドキュメンタリーで見ているというのは、ラジオも単発から聴いているだけでもそう感じるのだから、近くで見ている人はより強く感じているのだろう。

 

11月26日
昨日昼前にネトフリで見始めた『全領域異常解決室』を最新話の七話まで見終わってしまった。深夜1時半を過ぎていた。最新話で明かされたのはどんでん返しとは言えないだろうけど、主人公の一人である雨野小夢(広瀬アリス)に隠されていたこと、物語の一話が始まる前に何が起きていたのかが明かされる展開だった。
今まで説明されていなかったこと、裏側で起きていたことが一応明かされており、辻褄が合わない、説明がなかった箇所が捕捉された。これはやり方としても上手いと思う。また、小夢が新しく配属されたことで、「全領域異常解決室」という部署の仕事だったり特異なことが何も知らない彼女の視点からの質問や疑問を興玉雅(藤原竜也)たちメンバーが答える形で視聴者にも説明されていくのは複雑な設定なんかがあるドラマでは正しいし王道でもあった。やっぱりこのドラマは見応えがあっておもしろい。
この数年は熱心にドラマを見続けるということから離れていたけど、今クールは『海に眠るダイヤモンド』『全領域異常解決室』を見ているし、U-NEXTで『THE PENGUINーザ・ペンギンー』も見ていて、自分の中では久しぶりにドラマを楽しめている。

朝7時過ぎに起きてからradikoで『空気階段の踊り場』を聴きながらも、完全に目が覚めないままウトウトしていた。気がついたら8時を過ぎていて目を覚ますために散歩に行くことにした。
昨日単発というかスペシャル的に放送されていた『仲野太賀のオールナイトニッポン』を聴きながらいつもの代官山蔦屋書店まで歩く。寒いけど、厚手のコートとか着込むほどではない。歩いていたらどうせ汗かくし体も暖まるのでそこまで厚着はしないほうが散歩には向いている。
菅田将暉ANN」なんかにゲストで出ていた仲野太賀が単独でラジオをやっていたが、旅行が好きみたいでその話や今度出る旅行でネパールとかに行った時に話題、「二世なめんなよ!」みたいな今の彼にしか言えないようなワードも何度か出ていた。この辺りはトークも普通にできているのもすごいけど、やっぱり東京生まれ東京育ちのシティボーイ的なスマート感がありつつも、持ち合わせている無邪気さと都会的な陽気さがある一定の人にはそれが憧れであり嫉妬の対象になることも客観的にわかっているような頭の良さも感じる。


代官山蔦屋書店に行くと新刊のところに海猫沢めろん著『海猫沢めろん随筆傑作選 生活』が出ていたので購入。めろんさんとは『文化系トークラジオ Life』で知り合ったが、「monokaki」でも連載してもらったりと直接的に飲みに行ったりという付き合いとかはないけど、お世話になっている。この装幀はいいよね。

25日振り込みされるという原稿料が10時を過ぎても入っていなかったので編集さんに何日に入るか聞かないといけないと思って帰り際にメール。確認してもらったら28日に振り込みとの連絡が返ってきた。とりあえず、何日かわかってホッとしたけど、なぜ振り込み日と実際に入金する金額の詳細が届いていない、というかそういう手続きがないのかが謎でしかない。

安部公房 消しゴムで書く』刊行記念 安部公房生誕100年企画 3回連続トークセッション ABE工房(KOBO)への誘い 第三弾「文学篇」(鳥羽耕史さん&古川日出男さん)を観に、聞きにジュンク堂書店池袋本店へ。
渋谷駅まで歩いた時は曇り空だったが、池袋に着くとぽつりぽつりと雨が降ってきた。こちらの書店には古川さんのイベントがある時ぐらいで、前に来たのも古川さんと角田光代さんのトークイベントだった。池袋は映画をグランドシネマサンシャインか舞台を東京芸術劇場に観るときぐらいしか来ていないから年に三、四回ほどで未だに馴染めない。
お客さんは三十人ぐらいで満席になっていて、客層も普段古川さんのイベントで見る人は少なかった。やはり今回のメインである『安部公房 消しゴムで書く』を書いた鳥羽さんと安倍公房ファンの人が大多数だったのだろう。
著書の『安部公房 消しゴムで書く』で安倍工房がデビューしてから10年ぐらいのディケイドごとに彼の創作スタイルなどの変化を書いているようで、その説明から。
最初は詩を書いていたこと、実存主義の影響もあったこと、それがやがて小説に変化していったこと、満州で父親が病院を開いており長男である彼は跡取りとして期待されていたこと、満州という場所と日本、戦争で亡くなってしまった親友のことなど、彼の軸にあるものの話も興味深かった。
安部公房は初期に書いた作品を後にリライトというか加筆修正して語り直しているということから、安部公房の師匠である石川淳は一度出版したものは書き直すことはしないというスタイルだったらしい。さらに石川が師匠的に思っていた本居宣長のライバルだったという人物(誰かわからなくなってしまった)が本居のように弟子を作り、本として残すということをしなかったため、後世にちゃんと残らなかったことを安部公房は知っていたから、自分は師匠の石川とは違う形になったのではないかと古川さんがコメントしていた。
半分以上は安部公房のことで、彼の文章の変化であったり、後に戯曲を書いて舞台などに向かっていくことも触れていたが、最後の方の『カンガルー・ノート』とかで病院が出てくることはかつて安部公房が離れようとしていた故郷のようなもの、父が自分に求めていたものが老齢になって嫌でも病院に行かないと行けなくなってしまったことで、それが近づいてくるということを描いていた部分もあるのではないかという話もあったりして、安部公房作品はあまり読んでいないけど読みたくなった。彼が小説家として実験的なこともしていながら多くの読者に読まれていたのは60、70年代という時代もあったのだろうけど、それゆえに未だに読まれ続けているようにも思えた。
そこからは古川さんの作品について鳥羽さんが初期作品からピックアップしたものを聞いていくみたいな感じで、古川さんは初期の作品を今の経験を重ねた状態でリライトというか書き直したいと思えるようになったと言われていた。昔だと表現できなかったというよりは、書いていてもっと深くや奥に今ならいけるからそれを描くことができるというのが大きいみたい。あと初期の作品の方だと最初の一行とかに詩的な文章、まさしくポエティックなものがあるというのは安部公房の初期にも通じる部分だったりした。
古川さん自身も演劇の戯曲から小説に移行したので、安部公房が詩から小説に移行したのはわかるそうで、どちらも小説も戯曲も詩も書いているので小説家だけど、いろんなジャンルに小説を拡大させていった部分もあるし、精神的にはどちらも詩人の部分があると僕には思える。
終わってからサインに並んで古川さんに『超空洞物語』に名前を入れてもらって、少しお話をさせてもらう。今年はイベント登壇がこれで最後らしいで、良いお年をとお伝えしてお店を出たら、けっこう雨が強くなっていた。


帰りはSpotifyポッドキャストアルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:KEI前編)、『あのと粗品の電電電話』に二週間に一回のお楽しみな『ランジャタイ国崎の伝説のひとりぼっち集団』が配信されたので聴きながら帰る。
池袋駅から副都心線で渋谷駅まで出て、そこから大雨ではない雨粒は大きめだけど小雨な感じの中で歩いて家路に。
「アルピーしくじり」のゲストの人はアメリカの刑務所に10年以上いて、アメリカ最大のギャング集団にも認められたというKEIさん、最初は話声がちょっと聞き取りにくいと思ったけど、話が進んでいくとすごく聞きやすくなっていったし、アルピーの二人は素人の人や普段そこまで人前で話さない人を乗せるのが上手いなって思う。
「あの粗品」は粗品が愛の告白ではないけど、あのちゃんには音楽が必要だし、音楽にはあのちゃんが必要だと真剣に話していて、ちょっと感動してしまった。「国崎のひとりぼっち集団」は帰りにお金がなくてタクシーに乗れなくてお笑い芸人のしんいちと一緒に長距離を歩いた話で芸人のちょっといい話&青春の続きみたいでこちらもよかった。
家に帰ってから近所のコンビニで買った晩ご飯を食べてから横になって、『THE PENGUINーザ・ペンギンー』三話を見ていたら寝落ちしてしまった。

 

11月27日
で、目が覚めたのが深夜1時で一時間も寝ていなかったのだけど、前日から星野源さんのSNSで早朝4時に何らかの発表があるとアナウンスがあったので、そのままradikoで生放送中の『星野源オールナイトニッポン』を聴いていた。そのまままた寝落ちするだろうなって思っていたら最後まで聴いた。再来週のスペシャルウイークのゲストが松重豊さんだった。

そのまま眠れずに『あののオールナイトニッポン0』もリアルタイムで聴いた。四時になった時にSNSを見たら星野源さんのニューアルバムと6年ぶりの全国ツアー決定のお知らせだった。「あのANN0」のスペシャルウイークゲストは今一緒にドラマ『民王R』で共演している遠藤憲一さんで、番組グッズのパジャマを作るぞってトークした時にゲストで来ていた紅しょうがの熊本プロレスさんがパジャマ完成&販売が始まったので来週のゲストになっていた。
フリートークでは親友だと思うけどメイプル超合金の安藤なつの家にご飯を食べにいったら、もう一人友人であるヤバイTシャツ屋さんのありぼぼ以外に佐藤栞里がいて、どう接したらいいんだみたいな話を、しかも今回の放送では最後まで行かずに来週も話みたいな感じだった。その友達とのやりとりや過ごし方みたいなものも含めて、あのちゃん自身にとって大切な場所だし、彼女がすごく人間として成長しているのを感じる。結局、最後まで聴いてしまって、8時に目覚ましをセットして寝た。

起きてから朝のルーティンをやっている余裕はなくて、そのままリモートワークを開始。いつも聴いている「星野源ANN」「あのANN0」は深夜にリアルタイムだったので、radikoで『アルコ&ピースD.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を流しながら作業。
先月終わりから退社する人の経理関連の引き継ぎがあって、それをやるようになったのだけど、さらに派遣の人に引き継ぐという無理ゲーが発生しており、自分が引き継いだ経理関係の処理なんかでパニくるし、ちょこちょこミスしているのが発覚。それでもやった部分を新しい人に引き継ぐという混乱の中、あっという間に時間が過ぎていく。
今日はラジオの音声もあんまり入らないし、TVerとかで映像を流しても把握する余裕もない。のんびりできる時がそれなりにあるからやることが多い時はなんとかこなすしかない。
ただ、思うのは辞めた人は派遣からやってきていて6年ほど会社のある作業に関することを一手に引き受けてやってくれていた。その人がやりたい仕事があって、転職しようと決めていたから早めに会社には辞めると伝えていた。だったら、もっと早く次の派遣の人だったり引き継ぎができたのに、ギリギリまで新しい人を会社が入れなかった。で、入ってもらったらその人が引き継ぎをされても苦手なことが判明して、さらに新しい人を、その人に僕らが引き継ぎみたいなことになっていて、もう後手後手。
これって会社のことでもあるけど、転職した女性は僕と世代が近い。要するにロスジェネ世代の派遣社員とかがずっとそのままの状態で雇われていて、仕事はめちゃくちゃできるし、正社員で入ってきた下の世代よりも色々知っている、けど給料は安いまま。その人たちに任せっきりで安心しているから、いなくなったらその業務誰もできなかったり、普通に一人で正社員の二、三人ぐらいの仕事をやっていたが判明したりする。
たぶん、今僕らが巻き込まれているのはそういうことの一環なんだろうし、いろんな会社で仕事はできるけどずっと派遣だった人が個人のことや家族のことだったりして仕事を急に辞めると危機が訪れる。
いやあ、うんざりするな、転職した人には何にも思わないというか、やりたい仕事に就けたし最高じゃんって思う。ムカつくのは組織やシステムとかで人を安く飼い慣らしていくことで損なわれていくもの、なんか派遣とかを増やして潤った奴らや会社とかそのおかげで正社員でいられた上の世代、でも、ここで書いても何も変わらないし、こんな状況や社会で人に優しくできるかってことになる。優しい世界がいいんだけどなあ。
リモートワークが終わったのが19時半を過ぎていた。ここまでずっと作業をしていると夜に自分のライティングをやるぞって気持ちになれない。

22時からTVerで『淳×ジュニア×有吉 40歳-50歳 〜10年観察〜』をリアルタイムで見る。三人のこの10年を追ったバラエティー、芸能界で勝ち続けてきた人たち、お金や家族のことも出てくるけど、こうなりたくてなれない芸人さんたちが九割九部九厘ぐらいいる。ピラミッドの頂点にいるわけだけど、四十代に入って三人とも結婚して子どもを持ったという共通点とか、そうなれない、結婚もしないだろうし子どもも持たないだろうなって気持ちで見ていると何か悲しいような、でもそういう人生を選んでるしなみたいな諦めも感じる。たぶん、今日はそういう一日。

寝る前に『全領域異常解決室』最新話の8話を見た。主人公の一人である興玉(藤原竜也)の正体も判明したり、メンバーである宇喜之民生(小日向文世)と怪しい男の寿正(野間口徹)が最後に話したことなんかは、もしかすると『沙粧妙子-最後の事件-』のように身内がラスボスみたいになる展開なのかなって思ったりした。
7話まで一気に見るほどおもしろかったけど、今回はそこまで楽しめていないのは終わりが近づいてどんどん秘密が明かされているからなのかな。

 

11月28日
7時過ぎに起きて、radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を寝転んだまま聴きつつ、30分ぐらい過ぎてからベッドから起き上がってトマトジュース飲んだり朝のルーティンを。
一応休みの日なのだけど、朝の執筆するモードにはなれず、10時20分からテアトル新宿での映画のチケットを取っていたので、地図アプリで歩いてどのくらいか検索すると一時間四十分ほど10時前に着けばいいやと思って8時を過ぎてから家を出た。


近所の広場は子どもの三輪車とかがそのまま何台も置かれていた。こういうものって家に持ち帰らないものなのだろうか、盗まれるということもないってことなんだろうけど、朝の広場に放置されたそれらを十数台ぐらい広場の至る所に置かれているのを見ると子どもの三輪車たちの墓場みたいだった。
家から北上する形で池之上を通過して東北沢を通り過ぎてそのまま甲州街道の方に歩いていく。甲州街道に出ると幡ヶ谷駅を少し過ぎたところで、そのまま初台から西新宿法目にまっすぐ歩いていくとルミネ新宿に出るので、そこからは伊勢丹方面に向かっていくとテアトル新宿に辿り着く。9時50分前に着いたら映画館は10時からだったので暇つぶしがてら花園神社に。


ちょうど酉の市の時期らしく神社の周りには屋台がたくさん出ていて、演技クマでも売っていた。ちょうど現金がないので露天にもあまり近づけなかったけど、以前『三四郎オールナイトニッポン0』で相田さんが毎年買いに来ていて、ウエストランドの河本とあともう一人いたと思うのだけど、河本さんお金がほとんどなかったから相田さんに借りたのか小さな熊手をそれで買ったら「M-1グランプリ」で優勝してしまったというトークがあった記憶がある。
今書きながら銀行でお金を下ろして買いに行けばよかったかな、と言いたいところだけど、ここに来る前に銀行に寄って家賃を振り込んでいたのだった。こういう時はタイミングなんだろうな。

川沿いの芝生の真ん中に一つのベンチが佇んでいる。ある日の夕方、そのベンチには久しぶりに再会する幼馴染の男女が座っている。彼らは小さなベンチで、どこかもどかしいけれど、愛おしくて優しい言葉を交わしていく。

この場所には他にも様々な人々がやってくる。別れ話をするカップルとそこに割り込むおじさん、家出をした姉とそんな姉を探しにやってきた妹、ベンチの撤去を計画する役所の職員たち。

一つのベンチを舞台に、今日を生きる人々のちょっとした日常を切り取るオムニバス長編作品。

TCGメンバーカードの割引になって1200円で観れる日だったのもあるのかもしれないが、平日にしてはそこそこお客さんは入っていたが、年齢層は高かった印象。
以前、Vimeoで今回の映画のエピソード1と2が配信されていたのを見ていた。そこに三編が追加されたオムニバス長編映画『AT THE BENCH アット・ザ・ベンチ』として劇場公開。
カメラマンとして著名な奥山由之さんが監督を務めており、実弟の奥山大史監督『ぼくのお日さま』も今年公開されている。兄弟揃って映画監督として劇場公開されているのってかなりレアなんじゃないだろうか。
エピソード1は広瀬すずと仲野太賀の二人のみが出演。ずっと前から好意を持っている二人の会話で、途中アンジャッシュのすれ違いコントみたいな感じでセリフがいれ違うが、お互いに実はちゃんと聞いているのでほのぼのとした終わりになる。最後のエピソード5もこの二人で締めていて、この1の後に関係性が変わった二人もほのぼのとかわいらしい。
エピソード2は岸井ゆきの岡山天音荒川良々の三人が出演で脚本はダウ90000の蓮見翔、個人的にはこのエピソードの会話劇が一番おもしろかった。ずっと彼氏の小さな嫌なことを我慢してきた彼女がそのことについてベンチで昼ごはんを話していると、いつもそのベンチに座ってパンを食べているおじさん(荒川)が彼女の肩を持つように会話に参加してくるというもの、蓮見翔のセンスが光っている。
エピソード3は今田美桜と森七菜の二人が姉妹として登場、最初から喧嘩している場面であり、どうも姉の今田美桜が好きな人を追いかけて仕事を辞めて東京にやってきてベンチがあるところでほぼホームレスのような生活をしており、妹の森七菜が大丈夫かとやってきたというもの。姉のファッションがちょっとファンシーというかポップな感じがしてどこかゆるさがあり、年齢よりも下に見えるような色使いなのは彼女の性格なんかが出ている、思いたったら後先考えずに動き出してしまう、ある種の幼さが出ているように思えた。妹はほぼスーツみたいにちゃんとしている。監督の奥山さんと同じ事務所に所属しているスタイリストの伊賀大介さんがこの映画では衣装を担当しているので納得というか、やっぱり伊賀さんのスタリングって人間性がちゃんと出るし観てる人に伝わるなって。
エピソード4は草彅剛と吉岡里帆神木隆之介の三人なのだが、草彅と吉岡がベンチを撤去するかどうかを確認に来た市役所の職員ということでやりとりをしていくが、二人は実は宇宙人で兄と妹であり、そのベンチが父が姿を変えたものだった、とわかる。と思いきやそういう撮影をしており、監督が神木であるという展開に。このエピソードは奥山さんが脚本を書いているみたいだが、一番こんがらがっているように思えた。でも、こういうのがやりたかったんだろうな。だからこそ何か他と温度感が微妙に違って伝わってきた。

帰りは紀伊国屋書店本店に寄って新刊コーナーを見てから副都心線に乗って渋谷駅まで戻って、そこから家まで。寒過ぎず歩くのにはちょうどいい気温だった。

Scene♯2(後編) トーキョー・シネマテック 「来てるね、未来 デザインにシビれるSFコスチュームから、技有り着こなしSFルックまで」


昨日宇多丸さんと伊賀大介さんの第二弾後編がアップされていたようだが、ちょうど伊賀さんがスタイリングした映画を観たばかりだからタイムリー。

アルファ55周年特集 村井邦彦インタビュー|YMOユーミンを世に送り出したポップマエストロの美しい矜持 - 音楽ナタリー

お気づきだろうか、チャイルディッシュ・ガンビーノ『This is America』MVやドナルド・グローヴァーと組んで『アトランタ』を監督しているヒロ・ムライさんが村井邦彦氏の息子だということを。
YMOが成功して、村井父がアメリカに渡らなかったら『アトランタ』が存在していないということに。


夕方までライティング作業と読書をしてからニコラに。アルヴァーブレンドを飲みながら一服。お店もオープンしてからわりと混んでいて曽根さんたちも忙しかったのでほとんど話す余裕がなかった。
もう一杯アアルトブレンドをおかわりしてから18時過ぎた頃にちょっと忙しさがおさまった時に二人と色々と話ができた。去年も食べたクリスマスコースの予約をお願いした。

 

11月29日
四千頭身都築拓紀のサクラバシ919 [ 2024年11月28日放送 ] 


寝る前にradikoで『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』をほぼリアルタイムで聴いた(大阪の地方局なのでYouTubeで見れるようにもしている)。23時から25時までの二時間だが、日曜日に開催された『ニッポン放送開局70周年 三四郎オールナイトニッポン10周年記念 バチボコプレミアムライブ in 日本武道館』に配信用の副音声を担当し、途中にも武道館のステージに出ていた都築が金曜日深夜の三四郎のラジオ前に当日のことを話しちゃうぜ、みたいなスタイルで最初から最後までトークを。
三四郎ANN」リスナーにとっても武道館に行ったり、配信を見た人にも楽しめる内容になっていた。最後は相田さんと金田さんと打ち上げに行った話をしようとしたら時間切れになった。「三四郎ANN」でももちろん武道館について話すだろうけど、一週では語り足りないだろうから何週ぐらい引っ張るのか、でもノリでやっている番組だから、来週以降は通常運転に戻りそうな気もする。


6時過ぎに起きたけど、寒くて布団から出る気がしない。横になったまま『ハライチのターン!』を聴きながらネットを見ていた。朝風呂に入ろうと思ってユニットバスに湯を張ってあたたまる。風呂に入っている時が一番落ち着くかもしれない。でも、すぐに熱が冷めてしまうので長居しにくい、あと長い髪が濡れるとより寒くなるので10分ほど浸かったら外へ出て長い髪をタオルドライしていた。その時に今日は最終金曜日だから『朝日新聞」に古川さんの「文芸時評」が掲載されるんだと思って、朝食を買うついでに近所のコンビニへ。
今回取り上げている小説はどれも読んでいないものだった。ウクライナの作家で『ペンギンの憂鬱』を書いたアンドレイ・クルコフの新刊『灰色のミツバチ』のことも取り上げられていたので、それはちょっと気になった。

11月の最終営業日なのでちょっと早めにリモートワークを開始。『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』をradikoで作業用BGMで流し、お昼前には二つを聴き終えたので、前に料理研究家の友人にオススメされていたJ -WAVEの『GURUGURU』という番組で福留光帆とティモンディの前田コンビがレギュラーの日のものを聴いた。この二人のトークのリズムとか声の大きさとか、若いというのも大きいと思うのだけど、長く続きそうなコンビネーションだなって思う。
仕事は思ったよりは立て込んでいなかったけど、やっぱり忙しいし他の人も作業が詰まっているから確認とかに時間がかかる。月末って感じだ。部屋に一人なのにそれがPCから伝わってくる。

昼休憩で駅前に出る。キャロットタワーの地下の東急のスーパーは改装中で来週までお休み。この数ヶ月ぐらいで利用するようになったけど、惣菜とかが美味しいしボリュームもある。
反対に駅前の西友の惣菜がしょぼくなっているような気がするし、種類も少なくなっているような、なんかうまく行っていないのかなと比べるところがあると感じてしまう。揚げ物も前はもう少し季節ごととかのレパートリーがあったけど、最近は定番のものばっかりだし、なんだろう。客目線で感じる惣菜売り場の物悲しさというか、体力落ちているような雰囲気は。


TSUTAYA書店で真造圭伍著『ひらやすみ』8巻と荒川洋治著『ぼくの文章読本』を購入。『ひらやすみ』最新刊はゆっくりだけど、主人公の生田ヒロトと従姉妹のなつみはそれぞれの人生に進み始めているし、恋愛的なこともちょっぴり展開があったりといつも通りのほのぼの感もありつつ、どこか終わりに向かっているんだろうなっていう謎の寂しさもある。
ヒロトの恋敵になるかもしれない小説家の石川リョウが彼の俳優時代のファンだったことで、もう一度役者をやってみないかと誘われるものの、もう未練はないと、やりたい気持ちがないヒロトは素直にその気持ちを伝えて断る辺りとかも無理にドラマを作ろうとしていないのも好感が持てる。
『ぼくの文章読本』は来月応募したい太宰治賞の選考委員の一人が荒川さんというのもあるが、この前ネパール料理を一緒に食べに行った友人Tに荒川さんの前の書籍をオススメされていて、まだ読んでいないのもあって目に入った新刊から読もうと思った。

休憩から帰ってきて寝る時に一度聴いていた「都築サクラバシ919」を再び流してBGMに。先輩である三四郎が10年ラジオをやって武道館に立った姿を見たこと、出演している芸人の中で唯一若手であり、一番の後輩である都築がその光景を見れたことは彼の中でラジオをがんばっていきたいというモチベーションがさらに増しただろうし、オードリーの東京ドームも目指したいだろうけど、三四郎が立った武道館というのは自分がイベントに関わったことでリアリティは増してるはず。ニューラジオスター都築は今回のことをきっかけにしてより意欲的になっていくと思う。


リモートが終わる前にはSpotifyポッドキャストで『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回がアップされていたいので聴きつつ、思ったよりも終わらない作業をしていた。ゲストにクリープハイプ尾崎世界観さんがきて、番組のテーマソングを作ってきていた。トム・ブラウンの二人とも仲がいいし、三人でのやりとりも聴いていて賑やかでいい。

まあ、そうやって東京での生活が始まったわけやね。そしたらある日、EMIの部長だった子安(次郎)さんという方から、話したいことがあると連絡が入った。みんなで会議室に集まって、デビューにあたってのレクチャーを受けたね。子安さんが作った手書きのパンフレットみたいなのを渡されて。そこには「EMIへようこそ!」って書いてあった。コピー用紙で全部手書きよ(笑)。「EMIへようこそ! 君たちはこれからデビューするにあたって十分にその才能を発揮して我らと一緒に新しい音楽を作り上げよう」みたいなことが書いてあった。あとCDが世に出るまでの仕組みとか、CDが発売されたらミュージシャンがどのように収益を得るかとかの仕組みを教えてくれた。「音楽出版社とは」「著作権とは」とかね。お金の配分も、わかりやすく円グラフで書いてあった。最初にそういう説明があったね。

──面白いですね。デビュー講義みたいな。

社風というより、子安部長がそういう方だったんだと思う。非常に真摯にバンドのことを考えてくれた。そして全然偉そうじゃない。これも大きかった。

──まさにそこにメジャーっぽさに対する抗いがあった。

EMIスタジオの音はすっきりしすぎていた。音の分離がよすぎるといいましょうか。薄いなと思った。もっと渾然一体となった音像を求めていたんだね。まあ、それしか知らないから。ライブハウスやリハスタで鳴らしているときって音がグチャグチャですからね。そっちのほうがリアリティを感じるわけですよ。すっきりさせて聴きやすくすればいいだろうというものに対して、我々は「いやこれは足らない」と。空気を全部音で埋め尽くすようなあのドキュメント感、あの混乱状態のロックサウンドをドキュメントしたいと思った。メジャーのプロダクションじゃ無理だと思ったわけよ。そして、それを了承したわけですよ、当時のEMIは。

──加茂さんが決断した?

子安部長も含めて全員が。なぜ了承したかっていうと「Automatic」予算があったから。

──あ、宇多田ヒカルの特大ヒットの。

そう。東芝EMIに余裕があった。その恩恵でね。普通に考えたら、そんなこと許されるわけないんですよ。なんの実績もない福岡のローカルバンドがリハスタで録らせてくれって。「メジャーの言いなりになってなるものか!」という反抗期みたいなことではなく、単純に音を録ってみてスカスカだなって思ったわけですよ。絶対に俺が福岡で録ったほうが生々しくなると思ったし、結果的にそうしたことで今がある。宇多田さんには本当に感謝してます(笑)。

向井秀徳が振り返る上京~メジャーデビュー | あの人に聞くデビューの話 第6回 後編 

リモートワークが終わって一息ついているとZAZEN BOYSのライブにいつも一緒に行く友人Aからこの記事のURLとコメントがラインで送られてきた。
タイトルはチラッと見たけど読んでいなかったものだったので、最初から最後まで読んだ。
CDの収益のこととかをデビュー前のバンドマンを集めて話をするってすごく大事なことだし、そういう会社の人がいたらクリエイターも安心だなって。90年代末のことだけど、こういう当たり前のようなお金の話もちゃんとしないレコード会社や出版社が多いだけにここを読んでちゃんとしているなって思えてしまった。
あと宇多田ヒカルの大ヒットのおかげで会社に余裕があったからナンバーガールというか向井さんのわがままも通ったし予算も使えたというのは落語じゃないけど、メジャーなもので大ヒットしたものがあるおかげで潤った分、実験だったり挑戦できる余裕が生まれた。そして、その結果ナンバーガールB’zとか見たいな大ヒットを生んだり、ミスチルスピッツみたいに世間的に知られるような存在ではなかったけど、のちに多くのフォロワーや影響を与えた。ミュージシャンズミュージシャンみたいな存在になった。それも宇多田ヒカルという日本の音楽シーンを変えた存在がいたから、というのは実際には言われないとわからない世界の理というか、つながりのように見える。

NUMBER GIRL - 透明少女 

 

11月30日
6時過ぎに目が覚めて、radikoで『きしたかののブタピエロ』を横になったまま聴く。来年の1月末の草月ホールのイベントの先行抽選は1300件を超えていたらしい。抽選で一緒に行く友達(彼はこのラジオを聴いていないが、聴いていないラジオのイベントに行ったら楽しめるのか観てみたいというノリ)と自分のチケットは無事取れていた。
先行抽選で全席を出すわけではないので、実際にどのくらいの席数を出したのかはわからないけど、多くの人が落選しているのであれば一般販売は発売開始後にすぐに売り切れるはずだ。
朝のルーティンをしてから、ライティング作業を始めて『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』を作業用GBMがてら流す。『2024 FNS歌謡祭』に今年2月に武道館で2Daysライブを行ったバナナマンこと赤えんぴつが出演するという話題に。初めてのライブイベントが武道館で、初テレビがFNS歌謡祭というのがすごいけど、一般的には知られていないだろうけど、バナナマンだとわかれば問題はないのだろう。この出演が決まった時に武道館ライブに一緒に行った亡くなった友達のお母さんにメッセージを送ったら、お母さんもニュースを見てテンションが上がっていた。
それからバナナマンの二人が最近流行った、一般的になったクリスマスソングって何があるんだろうとトークをしていたけど、実際どうなんだろう。Back numberの曲が流れていたが、その曲もたぶん10年以内だと思うけど最近の曲とは言いにくい。
クリスマスを恋人と過ごすという昭和的な価値観がなくなっている昨今、バレンタインデー同様に男女のカップルであったり、異性愛者同士のイベント毎が年々影を潜めていく時代においては、世代を超えて知られるようなクリスマスソング自体は存在しにくく、かつて流行ったもの定番のものだけが残っている状況なんじゃないだろうか。


(お昼過ぎにファンクラブの方から『バチボコプレミアムライブ in 日本武道館』に関する「振り返りクイズ企画」を実施中というメールが来て、何度か挑戦して10問正解したら出てきた画像)
8時半過ぎに家を出ていつもの散歩へ。金曜深夜放送の『三四郎オールナイトニッポン0』をradikoで聴きながら代官山蔦屋書店へ。武道館ライブが終わって最初の生放送だけど、木曜日に副音声担当の都築が大抵のことを話している。このことに最初から二人が触れていて、副音声の評判が良すぎると怒っていた。
プラス武道館での開始前のバッドナイス常田のアナウンスで静まり返っていた観客、三四郎が「軍人」と呼んでいるリスナーは騒がないということをずっと言われていたのもあって、ワーキャーいう人が皆無に近かったことにも苦言というか雑魚どこが、といつもの小宮節。都築がタクシーで武道館に着いたときもだし、相田さんがマイカーで武道館に着いた時もグッズに並んでいたファンが数名気づいたがまったく騒がずに、すぐに目を逸らしたということもあり、そういう時は騒いでテンション上げてくれよって言っていた。
今回のメインである相田さんを見ても騒がないファン、異質ではあるがしっかりラジオを聴いてきた結果だけど、二人とも震えた、コロナって終わっていないのかなって思ったというぐらい落ち着いている「軍人」リスナー。まあ、武道館という大きさにみんな緊張していたというのもあったのだろうけど。
都築サイドはまさしくサブの視線なので三四郎サイドのメインではどんな風に武道館ライブが見えていたのかを素直に話していて、大きなイベントが終わってホッとしているんだろう。打ち上げの話とかも含めて、二時間では足りないかなって思える内容だけど満足。

あと武道館でライブが終わって帰る時に「はて?」と思ったのがスクリーンに映っていた今回のライブの「紙版DVD」が来年発売というもの。「紙」なのか「DVD」なのかなんなのか、と思っていたが、DVDケースをあしらったパッケージの「本」でイベントの書き起こしで、さらに三四郎の副音声(これから収録するらしい)の書き起こしになるらしい。
まあ、僕としては映像よりは読める方がありがたいのだけど、映像版にすると何か権利問題とかあってめんどくさいからこっちの「紙」にしたんじゃないかなって思わなくもない。


代官山蔦屋書店に着いて新刊のところデビュー作『貝に続く場所にて』(群像新人文学賞を受賞して芥川賞を受賞している)を読んでいた石沢麻依さんのエッセイ集『かりそめの星巡り』があった。
ドイツに住まれている石沢さんがどんな日常のことを描かれているのかが気になったし、僕の何かに引っ掛かる装幀は名久井直子さんだった。

家に帰る前に近所のセブンイレブンでアイスコーヒーを買おうと思って寄った。カップルや家族連れが時間帯のわりに多く感じられたのだけど、レジ前に置かれているカップ麺をほとんどの人が手に取っていた。どうもYouTuberのヒカキンのカップ麺が発売らしくて一人一個らしい。
ヒカキンという名前も顔もわかるけど、彼の動画は一度も見たことがないし、これは興味がないのでどうにもならないが、世間的にはカップ麺が発売になったらこのぐらい反応される知名度だし人気なんだなって。そういう無邪気さというか、どこかでそういうものへの反射とか反応みたいなものを僕は捨てたんだろう、でもそういうものがあるから裾野が広がるしジャンルが拡大していくとおもしろいこともロクでもないことも起きるのは頭ではわかっているつもり。
ヒカキンという人は僕みたいな門外漢のところに届くぐらいにはちゃんとしている人格者らしいし、フロントランナーとしてずっとYouTuberの第一線にいるのだから歴史に名前を残すような人という印象。で、彼が本気で作ったらしいカップ麺、マネタイズの夢、自分が好きなものにはお金は使いたいけど、知らないものへはどこか胡散臭さを感じてしまう。
iPhoneスマホ)自体がキリスト教をはじめとする三大宗教の次に現れた人類が帰依してしまった新しい宗教、神だと思うのだけど、それがあるからこそYouTubeTikTokなども広まって資本主義としてお金が回っている。そう考えるとヒカキンはその新しい宗教の大天使とか使徒のひと柱に数えられていいのかもしれない。もちろん、天使や使徒がいれば闇堕ちしたり資本主義に染まって悪魔とかになってしまう者もいるだろう。なんか『ビックリマン』とかもYouTuber版作れそう、もうコラボしてそうだけど。

お昼ご飯を食べてから、「三四郎ANN0」を聴いたことにより、もう一度「都築サクラバシ919」が聴きたくなったのでYouTubeで再生しながら読書タイム。夕方にスーパーに買い物に行って帰ってきてから、今書いている自分の作品は説明だったり、余計に感じる部分が多いのですでに書き終わった箇所や簡単なプロットに記入していたパートなんかを削除して整頓した。もっとシンプルな方がいいというのが書いているとわかる。だけど、一回書いてみないといるかいらないかわからない。
それから『かりそめの星巡り』を少しだけ読んでから、この半月分の日記を加筆修正していたらあっという間に時間が経ってしまった。

今回はこの曲でおわかれです。
秦 基博×草野マサムネ「ringo」Music Video 

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年11月1日〜2024年11月15日)

10月下旬の日記(2024年10月16日から10月31日分)

 

11月1日
木山捷平著『駄目も目である』に収録されている『苦いお茶』という短編を読み終わったぐらいで日付が変わった。講談社学芸文庫に同作が収録されていたので前に読んでいた。主人公が戦中に満州に渡って、終戦後にすぐ日本で帰れずに住んでいたホテルがあり、そこに住んでいた幼かった少女と東京で再会したという短編。
少女は当時まだ幼くて幼稚園児ぐらいだった。日本人の成人男性が一人で城内を歩いているとソ連兵に捕まってシベリアに送られてしまうということがあったらしい。子ども連れだと捕まえられないということがあり、主人公を初めてとする日本人男性は子どもがいる女性に少しお金を渡して、子どもを借りるということがあった。主人公は自分の商売に必要なものを買いに行く際に子どもを何度か借りていて、その時に数回ほど貸してもらっていたのが現在は大学生になったその娘だった。
当時のことを回想しながら、大学生になったその娘と主人公は居酒屋で飲みながら話をするという内容になっていて、満州での生活での描写も生々しくていいし、大人になった少女があることで啖呵を切るシーンもすごくいい。
日付が変わる時に10月下旬の日記をはてなブログにアップして、半年前の日記をnoteにアップした。


radikoで『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』を聴きながらアップの作業をしていたが、23時からの放送直後は野球好きの都築が大谷とか野球の話をずっとしていた。興味がないとかおかしいみたいなことを言っていたが、興味がないのでその手のトークは音としてだけ聴こえてきて内容は入ってこなかった。番組は25時に終わるので最後まで流していて、そのあとはもう寝ようと思って目を閉じた。

7時過ぎに起きてからradikoで『ハライチのターン!』を聴きながら朝のルーティンをしてから、リモートワークを開始。午前中のお供はそのままradikoで『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』を聴きながら作業をしていた。
Slackで連絡が来ていた。今使っている会社から支給されているPCの電源ケーブルが貸し出しの時にちゃんと処理されていなくて、貼られている管理番号がそれぞれ違っていた。僕が使っている電源ケーブルは退職する人が使っていたPCのものだったので、揃えてレンタル先に返却しないといけないらしく、できるだけ早めに会社に持ってきてほしいとのことだった。
12時半ぐらいまでに引き継ぎで教わった作業がひと段落したので、来週行くとか悩むよりは早めに終わらせてしまおうと会社に行くことにした。
曇っていて夜から雨予報だったが外は寒くなかった。池尻大橋駅まで歩いていき、そこから半蔵門線九段下駅まで。日曜日にZAZEN BOYSのライブで日本武道館に行ったばかりだったので、珍しく一週間で二回もその駅を使うことになった。


パレスサイドビルの中にあるオフィスで午前中に連絡をくれた社員さんに連絡したら30分待ってくださいということだったので、とりあえずPCも持ってきたので作業をちょっとばかりしていた。
担当の人が来てくれたので持ってきたアダプタを自分のナンバーのものと交換して一件落着というか、会社に来た目的は終了。社員さんとPCのこととかちょっとだけ話をしてオフィスを出て、再び九段下駅へ。


最寄駅で降りてからTSUTAYA書店に寄ったら、ジャンプコミックスの中では『ギャグマンガ日和』以外では発売するたびに読んでいる松本直也著『怪獣8号』14巻が出ていたのと、新潮文庫の新刊のところにあった一條次郎著『チェレンコフの眠り』を一緒に購入。
一條次郎さんは新潮ミステリー大賞を受賞してから、基本的には作品を新潮社で発表していて、単行本と文庫になっているのは四作品あるが、デビュー作『レプリカたちの夜』からずっとこの『チェレンコフの眠り』の表紙のイラストのように動物が描かれているし、背後の色は青やピンクや黄色や赤とほぼ単色というのも統一されている。すごく異色の作家という印象があって、文庫では四作品全部持っているのはやっぱりこのデザインでシリーズっぽくなっているのも大きい。

ano - 絶絶絶絶対聖域 feat. 幾田りら / THE FIRST TAKE 


家に帰ったら小学館から封筒が届いていて、前に『ビッグコミックスピリッツ』にあのちゃんが出ていた時に買ってQUOカードを応募していたのが当たっていた。
その前に映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』公開時にあの&幾田りらが巻頭&特集で出ていた時も応募したら当たったので、二分の二で当たっている。思ったよりもみんな応募していないのかもしれない。でも、昔から懸賞運はいいから、送れば何かしら当たるし、当たる時は大抵応募したことすら忘れている。

リモートワークを終了してから、Spotifyポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回を聴きながら晩ご飯というか、昼ご飯との兼用の食事を。
昼間に会社に行く時にはポッドキャストの『きしたかののブタピエロ』を聴いていたが、彼らの自主で配信していたポッドキャスト番組『バナナのてんぷら』の二年近くのものと、『きしたかののブタピエロ』になってからは他の芸人さんたちと順位を争って、一位になるまでを全部聴いたことで、帰る時にはついにレギュラー番組に昇格(事務所の先輩の三四郎ANN0の裏)の初回まで辿り着いた。
『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』も初回から聴き始めて毎週更新されるものに追いついたが、『きしたかののブタピエロ』も今月中にはそうなると思う。ラジオでコンビのトークを聴いているから、勝手に親近感もあるし彼らの漫才も見てみたいなと思うようになってきた。
今月末には『三四郎オールナイトニッポン10周年記念 バチボコプレミアムライブin日本武道館』があるので、それを思いっきり楽しみたい。月が変わったので武道館グッズを当日受け取りで申し込もうとアプリの方で決済に進んで行ったら開場に近い時間帯はすでにいっぱいになって申し込めなくて、一番遅い時間帯でも13時15分から30分しかなかった。それももうすぐなくなるという三角のマークがついていた。開場は15時からで開演は16時だから微妙だ。
事前通販だと公式パンフレットが買えないのがネックだった。パンフはイベントの内容に触れるのだろう、それで武道館でやる当日からしか買えないことになっている。当日受け取りならそれも一緒で、ということなのだが悩む。
パンフ以外の欲しいグッズは事前通販して、パンフだけ当日の会場販売に並んだ方が逆に時間も潰せるという結論に至る。一人で行くので時間を持て余してしまうとたぶんイベント開始前に帰りたくなってしまうから。

ニッポン放送圧縮計画」を聴いて少し読書をしてから、ライティング作業を開始。12月上旬にある〆切まで時間はそこまでない。一つは友達から僕の日記を形にしてみたらと言われたのでそれをやってみる。すでに日記はあるからどう組み立てるかみたいな感じなので時間はそこまでかからないだろう。

 

11月2日
寝る前に市街地ギャオ著『メメントラブドール』を読み始めた。筑摩書房のサイトにある作品紹介には、

「私」にはいくつか顔がある。マッチングアプリでノンケの男を釣って喰っては「たいちょー」として行為シーンを裏アカに上げ、平日昼間はSIer企業の院卒若手正社員「忠岡」として労働しながら、新宿区住まいの家賃のために「うたちょ」の姿で男の娘コンカフェのキャストとして立つ元“高専の姫”ポジション――ペルソナたちがハレーションする、どうしようもない人間のどうしようもない梅雨明けまでの一ヶ月。

とあるが、読んでいて脳裏に浮かんだのは『別冊ele-king 日本の大衆文化はなぜ「終末」を描くのか――漫画、アニメ、音楽に観る「世界の終わり」』で浅野いにおさんがインタビューで答えていた

2000年代から2010年代にかけてのオタクブームの周辺を見てると、オタク文化もいろんなものを生み出してきて、いい作品もたくさんあるけれど、もうそれじゃ満足できない若い人たちがこれから増えていくんだろうなって感じる。そういう若い人たちが好むエンターテイメントって何だろうと考えています。自分としては、露悪的で過激なことだと思い、長らく描くことを避けていた表現を今、揺り戻しのように描いています。そっちに僕はリアリティを感じている。自分自身はそういう粗野な人間ではないんですけれども。『デデデデ』での俯瞰したものの見方は、さすがにもう通用しなくなってきた感じがある。

ということだった。
まさに「露悪的で過激なこと」を描いている(ただ、作中ではいわゆる本番行為はしていなくて、男性相手に主人公がフェラチオをしているぐらいで、それを動画にしてアップして身バレするとかなので、その先にあえて行かない、描かないという判断を市街地さんはしていると思うし、故にあの長さで物語が終われているのだろう)。
そもそも単行本の帯コメントが太宰治賞の選考委員ではなく、金原ひとみさんっていうのがその「露悪的で過激なこと」に通じていると思うし、そういうことを望む人たちが手に取る確率は上がっているのだろうから、ナイスチョイスとしか言いようがない。
かつて村上龍さんはSMについて小説で書いていたけど、彼が今二十代なら女性にペニバンで犯されたり、トランスジェンダーの人との三角関係とか書いていただろうな、と思わなくもない。
たぶん、ヘテロのシスジェンダーの男性が主人公なら犯される側に配置しないと加害性をなくせない(実際に無くなるわけもないが、読み手にそのことを忘れさせる、薄めることはできる)し、語ることも難しい気がする。今の純文学系の流れや勢いのある書き手の人たちはヘテロのシスジェンダーの男性は減っているし、「平成」以降に小説家として名が上がる人たちは女性の作家になっている。
と考えたりしていた。もっと深いというか固有名詞をどんどん出すということは日記では書かないし、しない。そういうことはちゃんと意識的にも共有できる人とクローズな場所でしか話さないに限る。今度そういう話をしながらご飯を食べる日も決まったのでもう少し自分の中に溜め込んでおく。

6時半の目覚ましで起きる。radikoで『きしたかののブタピエロ』最新回を聴きながら朝の諸々の準備をしたので内容はあまり入ってきていない。まあ、レギュラー初回からポッドキャストで聴いているので、早かれ遅かれ今回の内容もわかるはず。
7時10分ぐらいに家を出る。小雨が降っていて、天気予報でもずっと雨だったので仕方なく傘を差して歩きだす。すぐにスニーカーやズボンが濡れてしまう。お供としてradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながら日比谷へ向かう。


この間も通った道、渋谷から青山墓地を抜けて乃木坂と赤坂、首相官邸と国会議事堂を横目に日比谷公園を抜ける。公園に入ったら大きなトレーラーが入っていて、何かのライブの準備を始めるようだった。この雨の中、ライブか。中止にはならない方がいいけどスタッフさんもだけどお客さんも濡れちゃうなって思って通り過ぎた。
あとから調べたらsyrup16gのライブだった。行きたい気持ちはあったが、ZAZEN BOYSの武道館を日曜日に観て、そこから六日後にsyrup16gの日比谷野音はちょっと難しいので諦めていた。行かないと決めたら日程はすっぽりと抜けて忘れているものだなあ。最初にsyrup16gのライブを観たのは日比谷野音公会堂だった。


TOHOシネマズ日比谷が入っている東京ミッドタウン日比谷まであと数分という、日比谷公園を渡ったところで家を出て約二時間が経っていた。ずっと歩きながら聴いていたのは「三四郎ANN0」だったけど、地図をふと見て思ったのはザ・ペニンシュラ東京の横ぐらいに番組を放送していたニッポン放送がある。
無意識に番組を聴きながら数時間前まで生放送をしていたところに歩いてやってきていた。聖地巡礼か、と雨の中、心で小さく自分にツッコんだ。

ジャーナリストのエディ・ブロックに地球外生命体シンビオートが寄生したことで生まれたヴェノムは、強靭で真っ黒な肉体と鋭い牙を武器に、長くのびる舌で人を喰らう恐るべき存在でありながらも、エディと一心同体となって強敵カーネイジを倒し、世界の危機を救った。エディとヴェノムは深い信頼関係で結ばれたバディとなり、見事なチームワークで敵を倒していく。そんな彼らは、シンビオートを極秘に研究する施設に侵入したことで特殊部隊に追われる羽目になってしまい、さらには新たな脅威が地球外から飛来する。

『ヴェノム ザ・ラストダンス』をIMAXで9時45分からの上映回を鑑賞。雨も降っていたけど、金曜日からの公開で三連休の初日にしてはそこまでお客さんは入っていなかった印象。TOHOシネマズ日比谷では東京国際映画祭もやっているから、お客さんもそちらに流れているのかもしれない。
シリーズ三作目で終章というのは公開前から言われていたので、最後まで見届けようと思っていた。エディとヴェノムのバディもので、最後と言われたらもう二人は一つではなくなって、最後の別れを描くのだろう、と予想していたがそれをどう描くのかが興味あった。
ネバダ州にある「エリア51」にシンビオートの研究をしている施設があり、ヴェノムの仲間たちもそこで研究対象になっているという設定。今回は最終決戦がそこで行われた。『E.T.』のオマージュなんかもあったし、他にも宇宙人ものの映画からの引用やオマージュもあるのだろう。
エディは一度死んでいて、ヴェノムが寄生したことで蘇生したことで二人は一つになっていたのだが、その際に生まれた「アル物質」が暗黒世界の支配者で今は囚われの身になっているヌルをその牢獄から出すための鍵らしい。そのことで今回エディたちはヌルの支配下にあるシンビオートに狙われるという話になっていた。
どちらかが死んでしまうとその物質は壊れてしまうらしく、エリア51にいる特殊部隊たちもヌルの手先に襲われていく中で、エディかヴェノムを殺してしまう方がいいと判断するものも出てくるのもわかる。だが、物語の終盤ではドラマティックに二人で一つだった彼らの本当の別れがやってくる。思ったよりもヴェノムが選んだ方法が自己犠牲であり、涙を誘うようなものだった。
ヴェノム以外のシンビオートも研究員に寄生して、ヌルの手先と戦うシーンが後半の見どころなんだろうけど、ちょっとCGぽいというかこういうスーパーヒーローもののバトルシーンって何が起きているのか、わかりにくかったりするし観ていると正直飽きが来てしまう。それでいいシーンがあっても感動しにくくなるところがある。もうフィクションじゃんっていう頭になっている。なんかそこがもったいなかったように思えた。
三部作の最後にバディものとして締めるならやっぱりメインの二人の別れを描くのが一番の落とし所になるし、終わりとしても申し分がない。その意味ではしっかりと物語を畳んでいたのはすごく良かった。

外に出ても雨はまだ降っていて天気が悪かったので、銀座線に乗って渋谷方面に。土曜日だけどめちゃくちゃ混んでた。海外からの旅行者らしい人も多かったけど、東京ちょっと色々とパンクしかけてるなって思うことが最近増えてきて、これがオーバーツーリズムって言われるのもわかる気がする。
電車の中で脳裏に浮かんでいたのは前に観た『ジョーカー︰フォリ・ア・ドゥ』のことだった。批判的な意見が多いが、かつて庵野秀明監督がオタクに現実見ろ、と言ったことと今作は基本的には同じだし、誠実だと思う。だからエモさはないし、代わりにミュージカル風なシーンを入れている。「ぼくの表現はすべからく、夢を見せるためではなく、夢から醒めさせるためにある、と言える」という大塚英志さんの言葉にも通じている。

13時から舞台のチケットの劇団先行があったので、時間を気にしながら家に向かった。池尻大橋駅で降りてスーパーで昼ごはんを買う。時間にはまだ余裕があった。
前に夏帆さん目当てで観に行った舞台の脚本・演出が「た組」の加藤拓也さんだった。加藤さんが岸田賞を受賞した『ドードーが落下する』の改訂版をKAATで上演するというのを知って、チケットを取っていこうと思っていた。
先々週ぐらいの『情熱大陸』の生田絵梨花さんの回を見て次は誰かなって思っていたら加藤さんだった。おお、これは演劇に興味ない人にも知られてしまうやないか!
チケット争奪戦にはならないだろうけど、土日はすぐに埋まりそう。加藤さんを特集する『情熱大陸』の放送は3日(日)の遅くで、先行抽選とかあるかなって思ったら劇団先行が2日(土)13時から行われるということだった。これはたぶんきっとおそらくオンエア前に知っている人には買えるようにしてるっぽいぞ、と思って買えるようにスマホで時間を気にしながら帰っていたら、家に着く数分前に13時になってしまった。歩きながら公式サイトからローチケに飛んで行こうと思っている土曜日の昼の回を取った。
一緒に行こうと誘った友人とは来月も同じくKAATで『品川猿の告白 Confessions of a Shinagawa Monkey』を観る予定なので、来年一月に『ドードーが落下する』という流れ、タイトルが動物ものばっかりだ。

昼ごはんを食べてから、ライティング作業は夜やることにしていたので『ニッポン放送開局70周年記念 佐久間宣行のオールナイトニッポン0 リスナー超感謝祭2024~新時代~』を配信で購入して見始めた。毎週無料で聴いている番組だし、今後も続けてもらうためには何かしらお金は払いたい。でも、横浜アリーナには行かなくてもいいかなっていう人にとって配信はありがたい。
ゲストのキングコングの西野さんとのトークも、アンジャッシュの渡部さんとのトークのパートも佐久間さんだからこそのやりとりだし、最後のパートの少し長めのトークは最後の方でうるってきた。出会いがあれば別れはあるし、番組もいつか終わるという話。本当に会える時に会うしかない。


映画館のサイトを色々と見ていたら明日の昼からヒューマントラストシネマ渋谷フアン・ルルフォ著『ペドロ・パラモ』が上映されるというのを知ってチケットを取った。この作品はNetflixで配信するというのは前に見ていたけど、「ラテンビート映画祭」というものの一貫で特別上映されるらしい。大きなスクリーンでいい音で観た方がいいに決まっているし、3日の昼の一回だけの上映らしい。
昔、古川さんにオススメしてもらって、フアン・ルルフォの作品は『燃える平原』と『ペドロ・パラモ』を読んでいた。ラテンアメリカ文学を代表する作家であり、ガブリエル・ガルシア=マルケスなどに多大な影響を与えている存在。
本棚から取り出して久しぶりに読み返してみたが、『百年の孤独』を先々月ぐらいに読み終えたばかりだったのもあって、比較してしまうが読みやすいし、生者と死者が混交する世界もよりシームレスに感じられた。
メジャーリーグで活躍している大谷がすごいのは野球にあまり興味がない僕でもわかるほどにニュースになっているが、それによって野茂英雄のすごさ(日系移民が排日運動の後に敵国民として強制移住させられて土地や財産を奪われたロサンゼルスの地で、日本からやってきた野茂英雄ドジャーズのユニフォームを着てマウンドに立ち、トルネード投法で野茂旋風を巻き起こしたという歴史的な意味、何よりも日本メジャーリーガーとしての先駆者であったこと、彼が活躍したことで日本人がメジャーに行きやすくなったということに関してはもっと評価されるべきだと思う)を改めて認識させられるのに『ペドロ・パラモ』を読んで感じることは近い。

 

11月3日
寝る前にAmazonプライムの『ゴールデンコンビ』(全五回)を見始めて、四話の途中で寝落ちしていた。起きてからその続きを見たら、ゲストで吉岡里帆さんが出ていた。個人的にはネプチューンの堀内さんとニューヨークの屋敷のコンビが一番好きだったのと、最初の方で落ちてしまったダイアンの津田さんと永野さんのコンビはもっと見たかった。

7時に起きた。今日は天気がいいみたいだからまず洗濯機を回した。radikoで『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』を聴いて、TVerで『ゴッドタン』と『ボクらの時代』を流しながら朝のルーティンを。
11時前には家を出るつもりだったので、それまでに『月刊予告編妄想かわら版』の原稿を進める。一回最後まで書いておいて数日置いてから最後の仕上げをする方がいいのだけど、まず最初に書くところが億劫になって遅くなるとどんどん余裕がなくなってしまうので、月初に一旦取り上げる作品については初見で書いておくことにしている。今月末にアップされる原稿なので、12月に劇場公開されるものになっている。
早い。来月の原稿は2025年01月公開の作品になる。もう少しで今年が終わるからあっという間だなとも思いつつも、まだ二ヶ月あるのかとも思う。いろんなことが不安だし、ポジティブシンキングでいられるような状態でもない、だけど、もうダメだから全部諦めてしまおう、やめちゃおうみたいなモードにもなれない。

ヒューマントラストシネマ渋谷までは50分はかからない。カーディガンを着ていてもちょっと寒いなと最初は感じるぐらいだったが、すぐに日差しは強くないものの汗ばんできた。
歩きながらradikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いた。今週は春日さんがロケか何かの関係でおやすみらしく、日向坂46の松田好花さんという人が代わりに若林さんとラジオをやっていた。ああ、「オールナイトニッポンX」を今年度から新しく始めた日向坂の人みたい。確かに若林さんとも普通にトークもできてるし、話も上手で最後の方にあったエピソードトークもちゃんとしていて、パーソナリティーとしてやってきてる人なんだなって感じ、春日さんよりもしっかりと話せてる。
若林さんも一緒に日向坂と番組をやっているのもあってか、若い女の子だからと構えず、わりと自然体な感じで話しているみたいだった。それでも四十代のおじさんが二十代の女性と話す時はどうしても偉そうにしていなくても、ちょっとだけそう感じる部分は出てしまうし、気を使っている部分もなんかわかる。
若林さん自体は普通に話しているが、おじさんはどうやったらニュートラルに年下の女性だけでなく男性や、もうセクシャリティはどうでもいいのだろうけど違和感なく話せるんだろうと思いつつ聴いていた。まあ、違和感なく話せないんだろうな、でも、気をつけられる範囲で気をつけるしかない。

「ラテンビート映画祭」で6日からNetflixで配信される『ペドロ・パラモ』が一回限りスクリーン上映ということでヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞。お客さんは十人ほどだったかなあ。
ラテンアメリカ文学の先駆者フアン・ルルフォの小説を、マジックリアリズムを映像化したらこういう感じのイメージのものだった。あと時間軸も現在と過去が交差していくので、現在は朽ち果てた暗い感じのコマラの町の残骸が、主人公の「おれ」の父だと母から聞かされていた男の少年期から亡くなるまではカラフルというか町が栄えている状態で対比も大きい。
というか観ている(昨日小説も読んだのもあるけど)とガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』の直径の先祖というかマルケスフアン・ルルフォのこの小説を読んで参考にしたのがよくわかる。これなら同じくNetflixで映像化される『百年の孤独』も大丈夫そうだし、この路線で行くんだろう
マジックリアリズムというのは生者と死者がシームレスに混交する世界だし、そこにかつて居たものが死んでもなおそこに居たりする、だから過去・現在の時間軸が重なっている。でも、それって生きていると人生における時間は過去の比率が多くなっていくので、今を生きていても過去のことに支配されてしまうこともあるし、いなくなった人をいるように扱ったり、会話している人もいるのでそういうものなのではないか、と思うようになってきた。
マルチバースもそういう意味ではマジックリアリズムの中の亜種みたいなものだし、「35歳問題」みたいに未来がどんどんなくなって失われた可能性や自分にありえたかもしれない可能性へ思いをはすという想像力と結びついているので、どちらも僕には違和感はない。年齢を重ねて失ったものが多い人はマジックリアリズムマルチバースも普通に受け入れやすいんじゃないかな。
ただ、二時間ちょっとの映画だけどすごく魅せるシーンがあったかと思ったら説明もなく、誰やねんこいつみたいな人とか、ある人のその後とかが出てくるのでちょっとコンフューズする、で、その流れもあって眠くなる。映画は眠くなるものなので仕方ない、特にこの手の時間軸がいくつかあったり、重なる作品はほぼ夢の追体験に似てしまうので睡魔を呼びやすい、寝て起きても話はわかるといえばわかるし、わからなくてもさほど問題はない。時間もシームレスだし。
思ったよりも「おれ」の父親であるペドロ・パラモのキャラクターが傍若無人で横暴な権力者みたいな設定だったけど、そうなった理由がちょっとセンチメンタルすぎる。その裏でやっていることは酷いことばかりだけど、そこはオブラートに語られている気もする。
革命軍みたいなのがやってくるのは、ある時期のラテンアメリカにあったものだろうし、代表する作家たちも描いているように大きすぎる現象だったし、社会が変動していたからこその表現としてマジックリアリズムの小説は広まって読まれたんじゃないかな。

観終わってから「オードリーANN」の続きを聴きながら帰る。三連休の中日の渋谷は人がたくさんいた。平日でも多いので慣れてきた感じもする。でも、海外からの観光客を見ると何を目当てにしにきてるんだろうなと一瞬不思議に思うというか、魅力的なものそんなにあります?みたいな問いが心に生まれてしまう。
『ペドロ・パラモ』は現在と過去、生者と死者がシームレスに混交しているマジックリアリズムの作品だったけど、これを今書いている小説に持ち込んだらどうなるだろうか、ということを帰り道で思って考えていた。
著者に生み出されたある意味ではその分身(オルターエゴ)であるキャラクターが生み出したもう一人の自分を語り直すというスタイルだけだと自叙伝の見方の角度を変えただけになってしまう、でも、『ペドロ・パラモ』や『百年の孤独』みたいなマジックリアリズムとそれが組み重なったらどうだろう。
一回生まれてから作品の終わりのある時点まで時間の流れで書き終えてから考えた方がいいような気もするし、プロットで完璧に固めた方がいいのか。ただ、キャラクターの一人称と、彼が語る三人称で分けた方がいいのはわかる。

radikoで『川島明のねごと』と『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』を聴きながら自分のライティング作業を。日記を元にした方を進める。

 

11月4日
6時過ぎに目覚ましで起きて、文化の日の振替休日で休みだったけど月曜日なので可燃ごみを出しに行く。カラス避けの緑のネットはずっと可燃ごみの日には集積所に出されているが、もうカラスの被害はしばらく出ていない。やっぱり春先のカラスの子育ての時期に餌とかの問題でカラスたちがゴミを食いあさっていて、ゴミ袋が破れて中がばら撒かれていたのだろう。冬になってきたし、春先まではカラスたちもおとなしいはず。
Spotifyポッドキャストでレギュラーになった『きしたかののブタピエロ』を最新回に向かって聴いているが、高野さんが歩いていると急に頭を誰かに強烈に叩かれたかと思って周りを見たら誰もいなくて、犯人がカラスだったというエピソードを話していたことがあった。しかも、その一回だけではなく二回あったらしい。彼はハゲていて髪の毛はないからきっと頭皮が太陽とかで光ってそれに何かしらカラスが反応して襲ってきたのかもしれない。

部屋に戻ってきて横になっていたらそのまま寝てしまって、気がついたら9時前だった。あぶねえ、これリモートワークがある普段だったら遅刻しかけていた。
午前中にやる予定だったライティング作業はお昼以降に回して、まずはトマトジュースとサプリを飲んで散歩に出ようと思ったらトマトジュースがなかった。帰りにスーパーに寄る理由もできたし、いつもの休みみたいに歩いて代官山蔦屋所までラジオを聴きながらの散歩へ。
昨日放送されたものは聴き終わっていたので、『きしたかののブタピエロ』の続きをSpotifyで聴きながら歩こう。と思ったのだけど、寝る前になんとなくイエモンの曲を久しぶりに聴きたくなったので、Spotifyで三曲を選んで聴いてInstagramのストーリーズにあげていたのをその流れで聴くことにした。

真珠色の革命時代 [Pearl Light Of Revolution] -Live Version- (2013 Remaster) 



THE YELLOW MONKEY – BRILLIANT WORLD 



THE YELLOW MONKEY – バラ色の日々 



THE YELLOW MONKEYでマイベスト3を選ぶならこの三曲になると思う。解散なのか活動休止なのかわからないけど、その前の僕らリアルタイムで聴いていた頃の後期のシングルカットされた二曲とライブバージョンがカッコ良すぎる『真珠色の革命時代』はなんかラテンアメリカ文学に合う気がするのは、パーティー的なもの着飾っている印象もあるし、スパンコールが輝く感じとか生者と死者が一緒にいるような歌詞みたいなことも僕にはそう思わせる。
三曲を聴いてからは「ブタピエロ」の続きを聴きながら歩いて代官山蔦屋書店へ。一応休みの日ということもあって午前中だけど、そこそこお客さんはいた。

市場における観客占有率が「0%に向かって」減少の一途をたどっている独立映画をテーマとした表題作ほか、映画のシーンナンバーをつけられた章が散らばる「セルロイドフィルムのための禅」、公務員試験予備校のあつまる鷺梁津(ノリャンジン)を舞台に、勉強はそっちのけで恋と音楽にのめり込む〈俺〉の物語「SoundCloud」など。

若者たちの苦い日々がオフビートに展開する7篇。
〈李箱文学賞〉優秀賞、〈若い作家賞〉受賞作家による注目のデビュー作!

海外小説の韓国コーナーのところにあったソ・イジェ著/原田いず訳『0%に向かって』という小説を手に取ってみた。帯コメントがライムスターの宇多丸さんに三島賞をデビュー作で受賞した大田ステファニー歓人さんだったのでおもしろそうだなって思った。あと映画関連の短編もあるっぽかったので購入。
買う時にどこの出版社かなって思ってみたら左右社だった。左右社の書籍はたまに購入するんだけど、ニッチすぎないけどメジャーでもないぐらいのところを抑えているイメージの出版社で装幀とかのセンスもいいと思えるところ。それもあって読もうと思えたところもある。

家に帰ってから昨日放送された『海に眠るダイヤモンド』二話をTVerで視聴。『正三角関係』にも繋がる長崎県に落とされた「ピカ」の話もあり、クリスチャンの家系である百合子(土屋太鳳)の家族は原爆の被害に遭っているのだろう。それもあって映画館でのシーンで百合子は子どもがいらないと言っている可能性がある。
1955年の端島では主人公の鉄平(神木隆之介)とトリプルヒロイン(朝子:杉咲花、百合子:土屋、リナ:池田エライザ)が主軸になっているが、現代(2022)ではホストの玲央(神木隆之介)と謎の老婆であるいづみ(宮本信子)という軸があるドラマだが、二つの時代を描いているのでトリプルヒロインのうち誰かが後のいづみなのだろう、しかし、誰がという謎を作ることで視聴者の興味を引っ張っていると一話を見た時には思っていたし、今回もそう思っていたけど、よくよく考えたら1955年に朝子も百合子も哲平が大学卒業後に端島に戻ってきているのだから22歳ぐらい、彼女たちは戦中生まれだから2022年だと1932年か1933年生まれだとすると90歳前後、さすがにいづみは70代ぐらいにしか見えない。
それで思い出したのが一話の冒頭でリナらしき女性に抱かれていた赤ん坊がいづみなのだろう。そう考えれば、父親が鉄平かもしれないが、1955年の端島はいづみの父と母たちの物語にということになるので、ちょうど映画を昨日観たばかりの『ペドロ・パラモ』と同じ構造ともいえる。

I's活動終了。椎名林檎がブレイクして東京事変で活動したように、anoもブレイクしてからバンド活動したら違ったのかもしれないが、この何年かでパンク魂を一番感じたバンドはI'sだった。
渋谷系に対して新宿系と名乗った椎名林檎。その新宿トー横にはあのちゃんのファッションに通じるような地雷系の女の子たちがたくさんいた。
椎名林檎は思想がないから思想があるようにも見えた。思想もなくて空っぽな器だからその都度、時代性をインストールしているようにも見えた。いや、もっと言えば時代性や大衆が欲しがっているものを察知してそのコスプレをしていたようにも思える。さらに日本の伝統文化的なものもミクスチャーして行ったが、それもコスプレと言えるのかもしれない。大衆の受け皿となる存在は何か空洞を抱えていないと受け皿にはなれない。
あのはゼロ年代以降のマンガ・アニメカルチャーやアイドルや自分が影響を受けてきたロックなどの音楽性をアノニマスという匿名性の中に入れてミクスチャーさせていった。椎名林檎からあのというラインで誰かポップカルチャー論書けばいいのに。

風呂に入っている時にSpotifyで最新回が配信された『83 Lightning Catapult』を聴いたら、ちょっと長風呂になってしまった。寒くなってくると湯船にのんびり浸かる。もしかしたら湯船に浸かっている時間は衣食住の中でもかなり上位に入るぐらい好きかもしれない。風呂キャンセル界隈みたいな言葉も聞いたりするけど、風呂に入るのめんどくさいなって思うことがない。

 

11月5日
7時に起きてからradikoで『空気階段の踊り場』を聴きながら朝のルーティンを。リモートワークまでは読書の続きをしていて、中上健次著『地の果て 至上の時』の終わりが見えるところまできた。長かった。『岬』『枯木灘』とこの小説で三部作を成しているが、主人公が竹原秋幸ということは変わらない。改めて亡くなった青山真治監督の「北九州サーガ」における白石健次のモデルだなというのがよくわかる。
リモートワーク開始前に『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』に移っていたが、伊集院さんの野球に関する話と奥さんとの高級ホテルの朝食を食べに行った話など、本当に毎週聴いていてこんなにトークができるのもすごいけど、興味あることにしっかりと向き合うというかおもしろがっていることで人生が豊かになっているのだろうし、それがリスナーにいろんな影響を与えているのだろう。
長く続いてずっと聴いているリスナーがいる番組はその人たちの生活の一部になっているし、何らかの影響は確実に与えることになる。僕もラジオをコロナパンデミック以降聴くようになったことで明かに聴かないのが普通だった時よりも何かは変わっているはずだ。それが何かという自分ではよくわからないけど、前からの知り合いの人たちからすればわかりやすい変化はあるんじゃないかなって。

月初が三連休だと社員の人たちは前月末の締め作業関係が忙しいこともあるし、退職する人の引き継ぎ関連のこともタイミングもあって個人的にはさほど忙しくなくのんびりと作業ができた。
「伊集院深夜の馬鹿力」を聴き終えてから、フワちゃんの後釜の枠は毎月月替わりでパーソナリティーが変わるということに今のところ放っていて、11月は『ロングコートダディオールナイトニッポン0』だった。アマプラで配信されている『ゴールデンコンビ』に出ている堂前が内容のことを話していたが、相方の兎が全部ちゃんと見ていると話していて、仲がいいしお互いの仕事にちゃんと興味あるんだなって思って聴いていた。

近年のアメリカの映画やテレビシリーズで政治的題材を扱って高い人気や評価を集めた作品に共通しているのは、製作者たちの本音は別として、少なくとも作劇においては党派性を前面に出していないことだ。ドナルド・トランプはアンチ・エリート主義を掲げ、それによって大衆からの広い支持を集めてきたわけだが、ハリウッドの業界人はそこで典型的な「エリートたちの勢力」の筆頭と見なされている。映画やテレビシリーズが広範な人気を得るためにはそうした人々も作品に巻き込む必要があるし、もしまだ「フィクションの力によって現実を変えること」を少しでも信じているならばなおさら、リベラル同士がお互いうなずき合うような作品ではなく、その外側に働きかけることに意義を見出しているのかもしれない。

さらに、ミもフタもないことを言ってしまうなら、映画は本質的に「見せ物」であり、観客はそこに啓蒙ではなく刺激を求めているという原則に、2010年代後半の「アイデンティティ・ポリティックスの時代」を経てハリウッドは立ち返ったという見方も可能だろう。人々が自分の時間やお金を費やしてまで(TikTokYouTubeのショート動画ではなく)長いフィクション作品で見たいのは、それが悪夢的な未来像だとしても、密かに抱えている願望だとしても、ドナルド・トランプ的なるものが勝利した後の世界なのだということが、ここ数年のヒット作の傾向からははっきりと伺える。

「現実はフィクションを超えてしまった」のか…アメリカ映画が大統領選を描けなくなっている、深刻な現実

宇野維正さんが寄稿した「現代ビジネス」の記事を読んだ。僕は取り上げられているテレビドラマシリーズはほとんど見ていないので、実際にどのくらいトランプが大統領になって以降変化があったのかわからないのだけど、こうやって定点観測している人が書いてくれているとありがたい。しかし、アメリカ大統領選挙のその結果はどうなるのか。
日本に関係ないわけがなく、かなり大きく関係してくる事柄だけに気になっている。トランプは実業家だから戦争をしない、という話もそうだよなって思えるところもある。カマラ・ハリスが女性初の大統領になったら何が変わっていくのか、どんな変化がアメリカにそして世界に起きるのかも見てみたい気持ちもある。接戦という話だけど、どちらになってもまた世界は揺れる。

リモートワークが終わってから、Spotifyポッドキャストアルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:東出昌大)、『あのと粗品の電電電話』最新回がアップされているのを聴きながらベッドに横になったり、休憩ではないけど晩御飯食べるまではグダグダしていた。
「アルピーしくじり」のゲストは東出昌大さん。「アルコ&ピースオールナイトニッポン」のガチリスナーだったとわかるエピソードを冒頭から話し出していて、アルピーの二人も嬉しそうだった。不倫騒動とかやらかしたという印象があったり、山での生活など近年はいろんなことが話題になっている彼だけど、話を聞いていると人間力というか魅力たっぷりな人なんだろうし、会ったら好きになっちゃうタイプだろうと思えてしまう。今回は前編ということだったけどちゃんとおもしろくて後編も楽しみになった。
「あの粗品」は粗品が『オールスター感謝祭』とか休んだ後ぐらいの収録らしく、あのちゃんに体調を心配されていた。『民王R』の二話を見なきゃと思いつつも、二人が話しているのをカプ押し的な消費をする人もいるんだろうけど、ただいいコンビだなってうれしく思う。今日の深夜は「あのANN0」はお休み、ツアーの追加で大阪公演があり、9日土曜日は豊洲ピットで東京公演がある。豊洲ピットでのライブはチケットを取っているので今日はラジオを休んで無理をしないでライブを完走してほしい。

 

11月6日
7時過ぎに起きてから朝のルーティンをして洗濯機を回す。今日は15時に早上がりする予定だったので8時にリモートワークをスタート。radikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』を作業用BGMとして流す。
「アルピー」は平子さんから酒井さんへの誕生プレゼントして松茸を渡して、そこから料理も含めての話。
「爆笑カーボーイ」はこの前の台風で名古屋まで行く際のエピソードを太田さんが話していた。海外からの旅行者も増えているし、新幹線が走らないかもしれないとか、遅れている時のみどりの窓口とか改札まで並んだりする際にもう少し上手く混雑しない方法とかないのかなって思う。そういう状況で新幹線とかに乗るということは今のところないから遭遇はしてないけど、周りがイラついている中で待つのはほんと嫌だろうな。
星野源ANN」は『ドラえもん』の主題歌を星野さんが歌ったものだったけど、その曲が新しいテーマソングになって終わるということからメールも来ていたりした。僕は『ドラえもん』の漫画もアニメも読んだり見たりしていないので正直みんなドラえもん好きなんだなっていうぐらいの気持ちしかないけど、長年曲が使われていたことで、星野さんのことを知ったり、このアニメといえばみたいに曲がなっていたことはすごい影響力だなって思う。

ガブリエル・ガルシア=マルケス著/鼓直訳『族長の秋』が来年二月に文庫で出るらしい。新潮社のマルケスの全集を数冊持っていて、その中に『族長の秋』もあるけど、装丁がカッコよかったら買いたい。
15時にリモートワークを早上がりさせてもらって渋谷まで歩いて向かう。そこから銀座線に乗って浅草へ。


先月頭に亡くなった友人が樹木葬されているところへ参ってきた。彼女の地元の秋田県に初めて行って、お昼は実家に呼んでもらってきりたんぽをご両親と一緒にいただいた。
お二人が11月頭に東京に来られるということだったので、もう一人仲の良かった友達がご夫婦でやっている焼肉屋さんに一緒に行こうという約束をしていた。
新宿や渋谷で待ち合わせして中央沿線にあるそのお店に行くという話だったが、入れ違いとか上手く待ち合わせできなかったから困るなと思って泊まっているところまで迎えに行って、一緒にお店に行くのが一番安全というか、いいかなって思って迎えに行った。
浅草は海外旅行者が多くて賑わっていた。
ホテルでお二人と合流して浅草線浅草橋駅まで乗ってから総武・中央線に乗り換えて目的地へ。その途中でお父さんがトランプが勝ったみたいとスマホのニュースを見て言った。日本もアメリカも変わらないというか、都市部に住んでいる人はリベラルだったら左翼寄りだけど、他はそうではない。アメリカに住んでいる日本人もほとんどが今回ハリスが勝った州に住んでいるという統計もその後出ていた。
女性の中絶問題や体の権利を訴えている人たちはリベラルな人たちで、そういうことはどうでも良かったり、キリスト教原理主義が多い南部の州とかはやっぱりトランプが勝っていた。僕らは思ったよりもフィルターがかかっていてハリスが勝つんだろうな、と思っていたが実際は日本で裏金があろうが何やらかそうが自民党が政権与党であるみたいなことと一緒だし、新自由主義が加速したことでより都市部ではない地域の鬱憤やどうにもならない怒りみたいなものが溜まっているとかも根底にあるんだろうか。
東中野駅で降りて友達が夫婦でやっている焼肉店へ。友達も時間が空いている時にテーブル席に来てくれてご両親と話したりしてくれて、お二人も楽しそうだった。
総武・中央沿線で新宿駅までご一緒してから別れた。渋谷に出てもう一回乗り換えるのがめんどくさかったから小田急線に乗って下北沢まで。たくさん食べて飲んで話せていい一日だった。

 

11月7日
家に帰ってすぐに寝たけど、一度深夜4時に目が覚めた。二日酔いにはなっていなかったが、喉と体の節々にちょっと違和感がある。風邪の引き始めかもしれない。可燃ごみの日だったのでゴミ出しして戻ってからまた眠った。
目が覚めたのは9時過ぎていた。休みの日だったのでしっかり寝て体力回復。朝の散歩をしようと家を出る。 BGMとしてradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら。昨日もそうだったけどかなり肌寒い。


代官山蔦屋書店に着くと『群像』最新号が出ていた。耳元から聞こえてくる佐久間さんの新刊『その悩み、佐久間さんに聞いてみよう』というビジネス峰の第二弾も出ていたので一緒に購入。前の本は20万部を超えているらしい、すごい大ヒットだ。ビジネス本って売れるものはそういう数字になると思うと、小説とかでそのぐらい売れるものはあまり多くないのでビジネス本を読むような人が仕事か教養ではなく、単純に小説を楽しく読んだりする習慣があったらなあ。
昔はビジネス本よりも仕事ができる人は小説も読んでいただろうし、教養だった部分もあるだろうけど、そこから今の世界を読み取ったりしていた部分はある。でも、今はメディアも作品も多すぎるし、個人の時間はスマホをはじめとして奪われ続けていって、ただの娯楽としての読書に時間を割く人が減っているのもわかる。その結果が今の社会の光景を作っているだろうし、戻らないんだろうなとも思う。


家に帰ってきて銀行とかで用事を済ませてから、今日発売だった詩人の菅原敏さんの詩集『珈琲夜船』(雷鳥社)を買おうとトワイライライトに寄った。午前中に来る予定だったのが遅れているというので選書フェアの準備をしていたイラストレーターの横山さんと一緒にコーヒーを飲んだりして時間を潰した。
届いたものを購入することにした。トワイライライトで詩集とコーヒーを一緒に購入すると特典のポストカード以外にもポスターがもらえるということになっていた。
寒くなってきたからあたたかいコーヒーを飲みながらページをめくって、ゆっくり一篇ずつ読んでいく冬のはじまり。

家に帰って昼ごはんを食べて前に買っておいた風邪薬を飲んで昼寝をしようと思ったけど、眠れなかったので前日買っていた安田佳澄著『フールナイト』9巻を読む。浅野いにお著『MUJINA INTO THE DEEP』同様に格差について描かれている作品で、絵のタッチもすごく好きだし、こういう作品は地上波のドラマでも配信用の作品になってかなりいいと思うのだけど。
そのまま『その悩み、佐久間さんに聞いてみよう』を読んだ。ビジネス本は一回目は流し見みたいにさらーと読む。時間をおいて気になるワードのところを改めて読んでみるというやり方をしている。一回目を読み終わって少し眠なってきたので夕方過ぎまで眠った。

じつはこれは驚異的な事実である。8月15日、の、天皇、と聞いて〈華やかな宴〉を連想する読者がかつて数多いた。むしろ、それを連想する読者しかいなかった。だがしかし、現在の読者は、同じ二つのデータ(日付と名詞)を聞いて、〈敗戦〉だの〈終戦〉だの政治的なもろもろだの権力だの責任だの平和だの未来だの過去だの、そういったものを想い描いてしまう。しかも、(いま言った)その過去には〈華やかな宴〉とその主催者の帝、は登場しないに近いのだ。

これだけで、その『超空洞物語』の読者が全員、現代にいることがわかる。

読者が現代にいることが証明される。

古川日出男のセルフ解説>超空洞、スーパーホロウ日本文学 #03 現代からその小説を生む

『超空洞物語』において始まりである「8月15日」の話。

『群像』2024年12月号に掲載されているいとうせいこう×古川日出男対談「バトンを勝手に拾う──古典と相生する文学」とエッセイ・シリーズ〈本の名刺〉特別編「超うつほ創作秘話」を読む。そのために今月号は購入した。
せいこうさんと古川さんは共に小説を書く、古典に取り組んでいる、そしてパフォーマーでもある。共通点というよりは向いている方法性や大きな意味での文学あるいは芸術に向き合っている人だからこその対談になっていた。前に『ミライミライ』が刊行された際にお二人のトークイベントに行ったが、小説に書かれているニップホップ(戦後ソ連支配下だった北海道を得て生まれたヒップホップ)の話は日本のヒップホップの黎明期、始まりにラップをしていたせいこうさんだからこそのやりとりがなされていた。こういう対談は文章に残しておくといいし、もっと長くてもいいけどね。

23時からradikoのリアルタイムで『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』を聴きながら読書の続きをしていた。喉の痛みもあって風邪薬を飲んでいたからラジオの音も小説の文字もどちらもあまり頭に入ってこなかった。早く寝落ちすればいいのにと思っていたが、日付が変わって少し経つまで落ちなかった。

 

11月8日
寒さで目が覚める。6時過ぎだった。空き缶とビンの回収日なので外に出しに行ってから7時までは布団の中でまるまる。radikoで『ハライチのターン!』を聴いていたが、喉のイガイガした感じはおさまっていない。前みたいに熱は今の所はなく、喉が腫れているだけみたいなので金曜日の今日に近所の内科クリニックで処方箋を出してもらっておくほうが悪化しないなと思った。
リモートワークを始めてから、クリニックが開く少し前に家を出て診てもらって処方箋を調剤薬局でもらって帰ってくるまでだいたい30分ぐらい。その時間昼休みから使ったことにしてリモートを再開。
同じ事業部の人たちも体調を崩していたり、諸々あって週に一回のオンライン定例は無くなったので、誰とも話すことなく作業をのんびりと進めた。
お昼はざるそばをコンビニで買ってきて食べる。飲んだり食べたりすると飲み込む時に喉の部分が痛みとはいかないけど強い違和感がある。
午前中の作業からのお供は『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』と『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』を、14時台は『中川家 ザ・ラジオショー』のゲストが三四郎だったのでそこだけ聴いた。残りはSpotifyで『きしたかののブタピエロ』の続きを。今日のリモートが終わるまでになんと本放送の一週間前までたどり着いた。もう、本編に至っては普通にタイムフリーで土曜日朝に聴いたことのある内容だった。

私は、原稿は書けるが、それを物体にはできない。「それを物体にする人」が批評性を具えて、かつ〈美〉に対する徹底した思考(にして嗜好)を具有する時にのみ、こうした物体は現出する。私はひたすら感謝している。私はひたすら感動している。

しかし、「私は、原稿は書けるが、それを物体にはできない」という通常のモードを、あえて裏切る作業をたぶん来月には実行する。たぶん来年の2月には、それを他者の目に見える形にする。ただし、その「目に見える形に」なった際には、その物体はそもそもの形態をとどめていない、ことになるはずだ。これはアートの領域での創作ともなる。

たぶん私は、来週から現実的な準備に入り、再来週から長い詩を書き出すことになる。

古川日出男の現在地>デザインが書物を生む 2024.10.26 – 2024.11.08 東京・埼玉・福島

リモートが終わってから更新されていた「現在地」を読む。『天音』に続いて長い詩を、アート系の創作を始めるんだ、そして2月には見える形になるというのは、古川さんの作家デビューが2月25日だからその月に合わせて何かしらのイベントや発表する機会があるのかなって思う。いとうせいこうさんとの対談でも感じるし、作家活動をずっと見てきていると小説を書くことが軸にはあるけど、文学であり芸術であること、小説以外の創作が増えているのは納得しかない。
古川さん自身が受けてきた影響なら、舞台(戯曲)とかも含めて総合的なものに向かっておかしくない。文学の拡張というのも違うか、そもそも歌と詩があって文学も舞台も生まれているから文字でできることから身体性の伴うもの、個人だけではなく複数人での創作といろんなグラデーションを行き来すること、そのことで軸の小説はより時代を越える強度も持たされるだろうし、そうしたいという気持ちが年々増しているのかなっていち読者としては思う。

Spotifyポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回を聴きながら残し少なくなった中上健次著『地の果て 至上の時』を読み終わる。三部作最後が終わった。『百年の孤独』のマコンドのように、路地も消えていく。きっとそういう物語の終わりしかなかったんだろうなと思う。
主人公の竹原秋幸とモンぐらいしか心情がわからないように描かれている三人称であり、秋幸の父である龍造に関しては貴種流離譚的な物語であり、オイディプス的な面もあるにも関わらず、父殺しをするのかと思っていたがそれは成されない、というか、物語自体が父殺しを避けて終わる。
ただ秋幸や龍造の出自でもある路地は焼かれて消えていくという終わり方なのはこれを書いた時の中上の環境や考えがかなり反映されているのだと思う。父殺しをしない貴種流離譚の新しい形を模索していたのだろうし、その後に書く失敗作と言われてもいる『異族』でもそれを感じた。だが、失敗して中上健次は病気で若くして亡くなってしまった。

これまで、松本人志は裁判を進めるなかで、関係者と協議等を続けてまいりましたが、松本が訴えている内容等に関し、強制性の有無を直接に示す物的証拠はないこと等を含めて確認いたしました。そのうえで、裁判を進めることで、これ以上、多くの方々にご負担・ご迷惑をお掛けすることは避けたいと考え、訴えを取り下げることといたしました。

TwitterことXを見ていると松本人志さんが訴えを取り下げたという報道が出ていた。一部のメディアではすぐに復帰に向けてという話なども出ていたりした。
裁判で明らかにすると言っていたにも関わらず、訴えを取り下げたのは勝てないからか提示した賠償金も無理だと判断したのだろう。
明らかにすべきだったことを明らかにしないままであり、これで復帰するとしたら思春期の頃からダウンタウンに影響を受けてきた人間としてもカッコ悪い、ダサいとしか言いようがない。松本さん側を擁護する人たちがすでに被害師の女性へのセカンドレイプのようなことをSNS でもしていたが、事実を歪曲して文春が松本さんが無実だと認めたので訴えを取り下げたということをポストしていたりする。地獄でしかない。
僕自身は影響を受けていた映画監督の性加害問題が出てからは内容を知っていく中で擁護できないと思ってから名前も出さないようにしている。実際に起きた加害に直接関与していないし知らなかったけれど、彼のファンで応援してきたことでそういう加害性を強めた部分は少なくともあるかもしれない(実際どうこうではなく、ファンとして応援してきた人が何かを起こした時にそのことをどう受け止めるかは個人個人で違うのだろうけど、僕はそういう考えになった)と思うので、加害者側だという認識になっている。
今回のことも松本人志という日本のお笑いの世界における最重要人物が犯したこと、それのことに耐えきれないファンが行う二次加害やセカンドレイプ的なことをしていることが、どれほど正気ではないか、客観性を失っているのかがわからなくなっていることも怖い。お笑いの才能としての松本人志のすごさと今回のことは別にして考えないといけない。そこには好き嫌いではなく、法的にセーフかアウトかだったり、報道が出たあとに彼側が行っていた行動などを含めて擁護できない。特にファンの人や影響を受けた人は擁護もだし、被害を訴えている女性に攻撃するとか問題外で恥ずかしくないのかと自分に問いただしたほうがいい。
自分がどれだけ好きで影響を受けている人でも、何か過ちを犯したり間違ったことをしてもそれを否定したり怒ったりもせずに、そのことについて批判している人たちを逆に批判するとかは残念ながら客観視できていないし世界が見えてないのだと思うし、その人を最終的にはより孤独な裸の王様にするだけなのに、と思ってしまう。
今年の『M-1グランプリ』で松本さんが審査員復帰みたいなことがもしあるとしたら、僕はもう見ないと思うし、そもそも今回の件があって今後もしも復帰したからといって昔みたいには笑えないのはわかっている。そして、事務所の後輩だけではなくほとんど多くの現役の芸人たちはダウンダウン以降、影響下にある人が表立って批判できるはずもない。そんな勇気がある人はそもそも事務所から出て自分でちゃんと発言ができる場所にいる。
松本さんが復帰してしまうと一緒に出演する芸人たちは絶対に復帰を喜ばないといけなくなる、そうしてまたクローズな空間ができていく。それも考えると復帰しないことが一番お笑い界にとっていいことなんじゃないかなって思ってしまう。


友人Sとお茶をする予定だったので20時半過ぎにニコラへ。アルヴァーブレンド和梨マスカルポーネのタルトをいただく。三時間ぐらい仕事の話とか諸々としながら、生きるの大変だよねってことを話したりとのんびりお茶タイム。
Sも色々と大変なことがあるから話すことで少しぐらいストレスが減ったりしてくれるといいのだけど、誰かに話せるかどうかって大きいことだと思うし、溜め込んでしまうと自分の中で毒みたいに悪いものが染み出してしまうから、話せる人がいるなら話したほうがいいし、僕もそうしている。

 

11月9日
radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながら散歩がてら代官山蔦屋書店へ。今週の芸人さんのラジオでは流行語大賞の話と学祭での手抜き問題の話が多かったが、三四郎の二人もそのことについて話をしていた。
アサイーボウルについては何年も前に流行ったじゃんって色んな人が言っていたが、TikTokあたりでそれを知らなかった若い世代に知られてヒットしたらしい。世代格差というか情報格差みたいな気もする。もちろん僕も知らなかったけど。
あとは学祭での話とかもしていたけど、武道館イベントのゲストで出演するCreepy NutsのR-指定の扱いのひどさについてリスナーからのメールで本当にそうだよなって話しながらも雑な扱いをしそう。
僕は来年のCreepy Nutsの東京ドームで彼らのライブ自体は初めて体験するけど、『東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館「なんと括っていいか、まだ分からない」』の際にR-指定のラップもDJ松永のDJプレイも観ている。R-指定を観るのが二回とも武道館だけど、今回の三四郎の方は普通にトークとかだろうからどういうやりとりをするのを楽しみにしている。裏でピザ作らされたらさすがに可哀想だけど。


代官山蔦書店に寄ったら山田詠美著『もの想う時、ものを書く』というエッセイ集が出ていたので気になって購入。芥川賞の選考委員をやっていた時に選評も掲載されていた。
家に帰ってから昼ごはんを食べてからちょっとだけライティング作業をしてから家を出る。
渋谷まで歩いて半蔵門線に乗って永田町で有楽町線に乗り換えて豊洲駅まで。歩いて10分ほどの豊洲ピットへ。ano TOUR 2024 追加公演「絶対聖域」のライブだったが、開場の30分以上前に着いたがグッズを購入する人たちもいたし、すでに開場を待っている人たちが多くいた。整理番号は1016番と早い方ではないが豊洲ピットはスタンディングで3000人ほど入るキャパなので悪いとは言えない番号。
あのちゃんに憧れだったり好きだからと彼女のファッションに近い格好や髪型の若い女性が多かった。僕みたいなおじさんもいたけど、若い男性はカップルで来ている人が目に入った印象だった。

ステージ前の最初のエリアというか、だったその後ろのエリアは少し高くなっていて区切るような柵がある、その柵の前に陣取った。あのちゃんが立つであろうステージの真ん中にみんな集まっていて、背の高い男性も多かったので見えるかなと不安にはなるがライブが始まればどうせその人たちはさらに前に詰めかけるので観やすくなるだろうなと思っていた。実際に始まるまではかなりパンパンだったが、ライブが始まって少しスペースができたし、画像にあるようにスクリーンで時折歌っている姿なども見えた。目視でも見えたがあのちゃんの体全体は無理で、上半身は見えるぐらい。
二曲目がクリープハイプの『社会の窓』だったのでちょっとビックリした。聴けるとは思っていなかったのとやるとしても序盤ですぐだと思わなかった。

愛してる、なんてね。[Unplugged]
社会の窓
ンーィテンブセ
デリート
Peek a boo
アパシー
(MC)
SWEETSIDE SUICIDE
AIDA
(MC)
涙くん、今日もおはようっ
普変
コミュ賞センセーション
スマイルあげない
F Wonderful World
猫吐極楽音頭
絶対小悪魔コーデ
ちゅ、多様性。
許婚っきゅん
(MC)
YOU&愛Heaven
<アンコール>
絶絶絶絶対聖域

『ちゅ、多様性。』がおそらく世間的にも一番有名な曲だと思うけど、ライブだと生音でちょっとドラムが走っていたような気もしたが、盛り上がりということに関してはアルバムに入っている『猫吐極楽音頭』の時のお祭り多幸感みたいなものはとてもライブ映えするし合っているなと思った。
アンコールで『絶絶絶絶対聖域』やる前の最後のMCで、メディアに出るようになってお茶の間に大衆に知られることで傷つけられることの話から、音楽で人を救えるとは思わないけど一瞬でも自分が救われること、おもしろくないから笑いたくない、クソみたいなジジイどもが搾取して、ズルいアイドルたちがいる世界、全員死ねばいい、みんなキモいと言いたいのに言えない、なんで思ったことを言っちゃダメなのということ、彼女自身がSNSなんかで誹謗中傷も含めて言われていることでえぐられてしんどい思いをしていることもしっかりと伝わってきた。自分は音楽にそういうものをぶつけるし嘘をつかないという意思表示をしていた。
クソみたいな生きにくい世界で素直に生きている人たちはズルい人たちによって傷つけられてしんどい思いをしている。そういう人たちが気持ちを叫べるような場所を、最後の方はモニターに映った彼女の瞳からいくつもの涙の筋が流れていた、彼女が作り上げた「絶対聖域」の中で何度も叫びながら世界へ咆哮しながら観客を鼓舞するかのように歌い、彼女はみんな生きてまた会おうと言って最後に泣きながら笑った。
最後のMC と『絶絶絶絶対聖域』はすごく感動もしたし、その姿を見て歌を聴いて体感した人たちの生きる糧に、生き延びようと思えるものだったと思う。とても優しくて強くて儚くてまっすぐな彼女の願いだった。

【緊急】遂に対面!RadioheadAphex TwinThe SmithsThe StrokesArctic Monkeys…数々のご無礼お許しください


行きと同様に帰りも有楽町線から半蔵門線に乗り換えて、池尻大橋駅で降りて歩いて家へ。YouTubeを開いたらこの動画がアップされていた。
レディオヘッドの悪口を言っていたら、レコード会社(BEATINK)がやってきたというもの。もう永野さん最高だな。前に取り上げたヴィンセント・ギャロ監督『ブラウン・バニー』Tシャツ着てる。この映画シネライズで観て最後がもうひどすぎて笑っちゃったんだよな。
タモリさんはジャズプレイヤーなりたかったけどなれなかったジャズメン気質なタレントだったけど、永野さんはロック気質のタレントなんだよな。タモリさんはすでに終わっていたジャズを引き連れて昭和と平成を、永野さんはヒップホップの台頭で一度死んだロックを令和に、だから令和のタモリさん的な人は永野さんイメージ。最初出てきたときどちらも気持ち悪がられてたけど、文化的に博識。

午前中に歩いている時になんとなく考えたこと、あのちゃんのライブを見てそれでいいんじゃないかなって思ったことがあったのでメモというかスケジュールも含めて変更することにした。来年の予定も含めてだけど、さすがにこれ以上はもうスケジュールは変えられないだろうから、やりたいようにやろう。

 

11月10日
7時過ぎにセットしていた目覚まし時計で起きる。喉の腫れは昨日のライブでほとんど声を出していなかったこともあるだろうし、薬も効いたのかほとんど違和感は消えていた。
radikoで『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』聴いてからTVerさらば青春の光が出ていた『ゴッドタン』を見てから、昨日夜やっていた『さんまのお笑い向上委員会』を流しながら山田詠美さんのエッセイの続きを。
8時半前に家を出て渋谷へ。radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら歩く。先週は春日さんがいなかったがニューヨークに仕事で行っていたらしい。40分もかからないうちに道玄坂にあるTOHOシネマズに到着。今日はシネマイレージデイだったから1300円でチケットを一昨日購入していた。


一ヶ月前に鑑賞した『室井慎次 敗れざる者』に続く後編『室井慎次 生き続ける者』を鑑賞。公開日は11月15日からみたいだが先行上映ということになっていた。
前編の最後に室井が引き取って育てている男の子のリクの実の父親(加藤浩次)が刑務所から出てきたが、今回はリクのことと日向真奈美(小泉今日子)の娘である日向杏(福本莉子)という二人の子どもと室井慎次柳葉敏郎)が家族になっていく、彼が「父」になっていく姿を描いていた。
映画『カモン カモン』や『トップガン マーヴェリック』をはじめとしたかつての先進国における「父性」の問題、僕のように「中年」以上の結婚もせず子どももいない男性は果たして「父」になれるのか、「父性」は芽生えるのか、時間は限られている「家族」を築けるのかという主題を「踊る大捜査線」シリーズで室井慎次でやったのが今作だったと思う。
キーマンの一人である日向真奈美は室井の「父性」に対する「母性」の負の部分を担っているのだと思うし、室井は人を信じろと子どもたちに言い、真奈美は娘の杏に人を信じるな憎めと言って洗脳していた。その辺りは対照的だけど、悪のカリスマというか人を洗脳できてしまう日向真奈美という存在が2020年代に描くとどうしてもリアリティに欠けてしまう部分があると思った。
一週間前の先行上映にしたのはあるネタバレをして、シリーズのファンだった観客の呼び水にしたいんだろうなと思った。最後まで観ていればこの「踊る大捜査線」シリーズは青島をメインにリスタートするんだろうなというのがわかる。それこそが大事な部分なのだろう。
極楽とんぼの加藤さんがリクの父親役として後編にも出演しているが、北海道の出身だよな。この作品って舞台の秋田県出身の人がわりと出ている印象だったのでそこが違和感あって、最後にエンディングでかかる曲を歌っている大物歌手の方も北海道の人だから、そこも秋田県出身の人とかにした方が良くないかなって、いないのであれば「踊る大捜査線」シリーズの音でも良かったような。
二作品で「父」になろうとする室井慎次を描き、彼の人を信じろという教えは三人の子どもたちにしっかり引き継がれた。あとある青年が室井さんのおかげで帰ってくるシーンがエンディング近くにあって、その人は某有名コントユニットのメンバーなので秋田出身なのかなって思って今wiki見たら東京出身だった。そういうところはもうこだわらないのね。
これは「踊る大捜査線」シリーズファンが求めていたものかと言われるとたぶん違うし批判や否定もたくさん出るだろうけど、「父」になれるかということを描こうとしていることを僕は評価したい。


昼ごはんを買って帰った。ご飯を食べてから一息したらライティング作業をしようと思っていた。メガネの目尻のところにある金属パーツがちょっと前からゆるんでるなって思っていたので小さなマイナスドライバーで金具とフレームを繋いでる部分を締め直そうとしたらもう締まりきっていた。これはどうなってるんだと思ってよく見てみたら左側のフレーム側の金属パーツが金属疲労なのかほぼ折れかけていて触っていたら折れてしまった。
前使っていたメガネは度数が違うし、コンタクトレンズは使っていないのでこのメガネがないと色々と支障が出てしまう。買ったのはミッドタウン日比谷の中にあるEYEVANのショップだったけど、今から日比谷は遠いなって思っていたらそういえば前に青山の骨董通りを歩いていたらEYEVANのお店があったような気がするなと思い出して、ウェブで検索するとお店はあったので一度電話して修理できそうか聞いた。実際に見てみないとわからないとは言われたのだけど、すぐに持っていくことにした。

TOHOシネマズ渋谷まで歩いて行って帰ってきたばかりだったけど、骨董通りなら歩いて片道一時間もかからないし、日曜日の電車とかあんまり乗りたくないから歩いていくことにした。昨日の永野さんのYouTubeチャンネルを見ていたのでradioheadの『Kid A Mnesia』をSpotifyで聴きながら向かった。
対応してくれたスタッフさんが折れたパーツを一旦取り外してフレーム自体は破れたりしていないので、目尻の金属パーツを変えるだけで大丈夫と判断してくれた。一つは折れたものを修理に出して金属加工で繋げてもらうもの、二つ目は新品の同じフレームパーツと取り替えるというもの。一つ目は時間もかかりそうだし折れているものを修復してもすぐにダメになりそうだから二つ目にしてもらった。
前にも片方のフレームが割れてしまって交換してもらったことがあったが、その時同様に一つのパーツ交換だと定価の20%かかる。取り替える前に持ってきてもらった新品のフレームについていた値段を見て、この値段だったんだって思い出した。一万円は超えなかったけど、フレーム本体が十万とかしたらパーツ交換だけで二万とかするんだなって。
このブランドはミッドタウン日比谷もそうだし、今回対応してもらったスタッフさんも対応がすごく丁寧だから、次のメガネもここにしたいと思う。そういうことがブランドの価値だったりするんだろうな。

帰っていると大家さんからユニットバスの改修工事をやることにしましたとメッセージが来た。業者さんから連絡が行くように連絡先を教えてもいいですかとのことだったので承諾した。今月の後半ぐらいからちょっと僕の生活は変化することになるっぽい。
家に帰ってからようやくご飯を食べたけど、15時を過ぎた昼ごはんはなんか早めの夕ご飯みたいな気もするし、なんかこの後の晩御飯をいつ食べればいいか微妙になる。

「タイパ」という言葉が大嫌いだと書いた。何故なら、私の作家生活は、それとは対極にあるものだと思うから。
 私は、一貫して、美しい無駄が文化を創ると信じている。美しくて、役に立たないと思われるものに、あえて、手間をかけること。そういった行為こそが文化だと思うし、贅沢だと感じる。そのはしっこに文学というものが存在しても良いのではないか。世界を動かす読み物とは、また別の位置で。
 そんなふうに思って、自分の書いたものを読み返してみると、尊敬する先人たちの手による「美しい無駄」が、驚くほど私に染み込んでいて、そして、多大な影響を与えているのが解る。それを自覚し、理解し、後の人たちに伝えようとすること。美しい無駄という伝統の火を消さずに、先人に敬意を払いつつ前に進むこと。 
「文学をやる」とは、そのことに他ならないのではないか、と小説家デビュー四十周年の節目を前に痛感している。
山田詠美著『もの想う時、ものを書く』P410より

ライティング作業をradikoで『川島明のねごと』と『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』を聴きつつ進めて、寝る前に『もの想う時、ものを書く』が最後まで辿り着いた。
芥川賞の選考委員でもある山田詠美さんの毎回の選評も載っていてそれを通して読んでみるのもおもしろかった。最後まで今までのエッセイをまとめたものを読んでみると、最後のあとがきに書かれた「美しい無駄」というものが山田作品を読めばわかるし、「文学をやる」という姿勢だからこそ、彼女の影響を受けた作家たちが多くいるし、山田詠美という小説家はこれからも次世代に読まれていくのだと思える。

 

11月11日
日付が変わってすぐに寝たはずだが、トイレに行きたくて目が覚める。二時過ぎだった。そのまま可燃ごみを出しに行く。地面が雨で濡れていて風も冷たい。喉はほとんど治ってきたが、昨日から上はTシャツだけではなくユニクロで前に買ったパーカーを寝巻きに追加した。
寒くなってくると実家にいた時から電気毛布を使っていたのだけど、去年ぐらいに電源の部分かにかが壊れてしまって使えなくなってしまってるはずだ。買おうと思いつつ去年はエアコンの暖房とかを使ったはずだけど、今年はどうしようか。
TVerで『有良クイズ』を見ながら寝ようとしたができずに、『夜明けのラヴィット!』を流しながら目を閉じた。やっぱり電気毛布あった方がいいかなあ。

7時過ぎに起きた。今日は11月11日と1が並ぶ日、たぶんポッキーの日とかそういう感じの日になっている。寝る前に読書をしっかりしたし朝の読書はしないでリモートワークの準備をしながら8時半ぐらいまでのんびり。
radikoでは日曜日の分は聴いてしまっているので、Spotifyでアップされた先週のラジオのポッドキャストをいくつか聴きながらリモートワークをする。一度聴いているから既視感ではなく、既聴感(という言葉もあるらしい)的なものがあって、Aさんがこう話したらBさんがこう返してみたいなことがわかる。何度も好きなラジオの同じ放送回を繰り返して聴いている人はもう内容ではなく会話のリズムとか声質の変化とかを楽しんでいるのかもしれない。
午前中に一件、仕事とは別件で個人的なことの連絡をしたが、ダメだった。仕方ないので返信をもらったらなんかスッキリした。返信が返ってくるまでちょっと心配というか嫌なドキドキ感もあったりしたが、こちらが勝手に思って考えたことを伝えても先方的にはNOみたいなことは当然起きるし、そうなったらという考えも一応していた。
しかし、人間というのは自分が可愛いのでいい返事をもらったパターンの方で脳が想像していく。で、ダメだったらそれが急激に萎んで消えていく。その可能性が潰えたら別のことを考えて行動するしかなくなる。
本当は夜に友達とネパール料理屋でご飯をする予定だったけど、ご家族が風邪を引いてしまって行けそうにないと前日言われたのでお店に予約のキャンセルをしていた。もちろん、家族の体調が大事だしそういう時に家を出て友達とご飯とかしてたら恨まれるというか捨てられてしまうかもしれない。そうなっては僕も困るというか、申し訳がない。
ちょっとだけ今日のことを飲みながら聞いてほしかったと思ったりしていたらお昼になった。


休憩時間中に池尻大橋駅方面のスーパーに行ったついでに駅のところにあるあおい書店に寄ったら、光文社古典新訳文庫からガブリエル・ガルシア・マルケス著/寺尾隆吉訳『悪い時 』が出ていた。寺尾さんはバルガス・ジョサ著『街と犬たち』などいろんなラテンアメリカ文学を訳されているし、一度古川日出男さんとのトークイベントに出演されていた時に話を聞きに行ったこともある。
百年の孤独』文庫化ヒットによってガブリエル・ガルシア=マルケスブームが再びきたらいいのだけど、彼の名前を知っている年長の人たちが懐かしくてまた手に取っていたりすることのほうが若い人が読むよりは明らかに多いのだろう。しかし、こうやって他の作品も新しく出たりするのはありがたい。

夕方過ぎてからリモートワークもそろそろ終わるかなって思っていたら、この前退職した人から引き継いだ作業がどうも僕のところで途中で止まっていることがわかり、なんとか進めてみたものの、諸々の問題があって思ったよりも進まなかった。それでも20時まえぐらいまで珍しく作業をしていた。よかった家での仕事で。これで出社していたら家に帰ったら21時とか過ぎていたかもしれない。ありがとうリモートワーク。
その仕事中に前にユニットバスの工事の下見にきた業者さんから電話がかかってきた。まだユニットバスが届いてから出ないと正確な工事日程が出ないらしいが、早ければ11月末に遅くても年内には終わる工事が始まるらしい。
引っ越しして空いた隣の部屋でリモートワークをする時間は使わせてもらって仕事をして、工事が終わってから夜は自分の部屋を使えるということになっている。だけど、机も椅子も隣に動かせないし、ベッドも冷蔵庫もそのまま。作業用のノートパソコンは持っていけるが他の生活用品は動かせないのでかなり不便になる。
大家さんが費用を全部持ってくれるので文句は言えないが、これから寒くなるけど、家具も何もない部屋で座布団ぐらいは持っていってダンボールか何かで簡易的な机で作業すると思うとなかなか大変になるだろうな、と思う。


Spotifyで最新回が配信された『83 Lightning Catapult』をお風呂に上がってから聴いた。ユニットバス交換するまで普通にこの風呂に入り続けてやる、と決めているわけではないけど、寒くなってきたら湯船に浸かりたい。

 

11月12日
朝起きてからradikoで『空気階段の踊り場』『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴きながらルーティンの読書を開始。小林秀雄著『作家の顔』がようやく最後まで読み終わった。正直後半の方は読んでいても僕がわからないのもあるけど、おもしろみを感じなかった。
そのままブコウスキー著『詩人と女たち』の続きを。タイプライターを前カノに路上に投げられたりするチナスキー、女性が去っては新しい女性との関係が始まっていくのがずっと繰り返されている。やっぱり女性たちが能動的だけど、時代もあるのかもしれないが詩人ってそこまでモテるのかという不思議な気持ちに。まあ、盛っていてもいいんだけど、ある種の私小説だからそういうものに書かれたいという欲望を持っている人も少なからずいたのかもしれない。
9時前に家を出て歩いて10分ほどの歯科クリニックへ。上の左一番奥の歯がかけたのが舌で触るとわかるほどだったので、これはただ欠けただけなのか虫歯なのかを診てもらおうと日曜日夜に予約をしていた。
先生に診てもらったら前に詰め物をしていたらしく、その記憶がなかったけど欠けた部分のところから虫歯になっているとのことだった。とりあえず詰め物を取ってみて神経まで虫歯が進行していたら神経を取ってとかしないといけない。そもそも親知らずだから抜くという判断もありえるのだけど、削ってもらったら神経に届いていなかったようで新しく詰め物をしてもらってこの一日だけで大丈夫ということになった。
歯をチェックしてもらったら歯石をとったほうがいいよ、と言われたので近いうちに行くことにした。いやあ、ナイス判断だった。これを放置しておいて虫歯が進行していたら歯を抜くか神経取ってからの対応になっていた。
元々今日は10時15分から駅前の皮膚科クリニックの予約を入れていたので、その前の時間に歯科クリニックを入れていた。虫歯の治療がすぐに終わったので一旦家に帰ってから時間潰して駅前へ。
予約していても混んでいるみたいで30分過ぎたぐらいに呼ばれた。胸近くにできているできものというかニキビみたいなものがなかなか治らないのだけど、もうええでしょ、と言いたくなるぐらい治っていかない。薬を塗り忘れていることも多いけど、普通治るよねって思う。塗り薬も同じやつを出してもらって次の予約は来年一月初旬になった。吹き出物は潰したほうが早く治るんじゃないかなって思うけど、そこは悩む。


15時半から虎ノ門ヒルズにあるオズワルドシアターで映画の試写があったので、13時ぐらいに家を出た。月替わりで11月担当の『ロングコートダディオールナイトニッポン0』を聴いて歩き出したけど、そこまで乗れない。声が自分に馴染んでいないからなんだろうけど。
オズワルドシアターまでは約二時間、その間に聴くものをどうしようかなって思ったけど、今日夜にSpotifyで配信される『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』『あのと粗品の電電電話』『ランジャタイ国崎の伝説のひとりぼっち集団』の前回配信分をおさらいがてら聴きながら歩く。着く前に終わってしまったので、そこからは音楽を選んで聴いていた。

ジェシー・アイゼンバーグが監督『リアル・ペイン~心の旅~』をオズワルドシアターで試写鑑賞。ジェシー・アイゼンバーグが監督だけでなく、脚本、制作、そしてマコーレー・カルキンの弟のキーラン・カルキンとのダブル主演作。
ニューヨークに住むユダヤ人のデヴィッド(ジェシー・アイゼンバーグ)とベンジーキーラン・カルキン)は、亡くなった最愛の祖母の遺言で、ポーランドでのツアー旅行に参加する。従兄弟同士でありながら正反対の性格な二人は、時に騒動を起こしながらも、ツアーに参加したユニークな人々との交流、そして祖母に縁あるポーランドの地を巡る中で、40代を迎えた彼ら自身の“生きるシンドさ”に向き合う力を得ていく。

という内容だが、ジェシー・アイゼンバーグ自身がユダヤ人系アメリカ人で自らのルーツに触れる旅路がインスピレーションの源となっているらしく、実際の祖母がポーランドに住んでいたのかはわからないがよくポーランドを訪れていてポーランド語も堪能らしい。
同じ年生まれのいとこのデヴィッドとベンジーが祖母の生まれ育ったポーランドを訪れてツアーに参加する。そのツアーではユダヤ人の悲しい歴史である強制収容所を訪れることになる。
正反対の性格の兄弟のように育った二人、しかし現在の生活も真反対であり、誰にでも好かれる社交的なベンジー、しかし問題もよく起こしてしまう。彼の影に隠れるような大人しい性格のデヴィッドはこの旅の中でそれまでベンジーに抱えていた気持ちを吐き出すことになる。祖母、ユダヤ人の歴史を知ることで彼ら自身の痛みとも向き合おうとする物語になっていた。
ジェシー・アイゼンバーグキーラン・カルキンは41歳と43歳と僕の下と上の年齢であり、この世代の祖父祖母世代は第二次世界大戦の時代に生まれていて、戦争を体験している人もそれなりにいる。祖父母と孫は隔世遺伝的に仲良かったりするようなもので、戦争の話を聞かされていたりする。
ちょうど祖父母世代が第二次世界大戦経験者というのも僕らぐらい40代までぐらいだろうから、彼や彼女が味わったこと思い出したくないこと、墓まで持って行こうとしたこと、そういう痛みを知ろうとするのも僕もわかるし、ジェシー・アイゼンバーグが描いていることにすごく共感できた。
全編作中でかかっているのはポーランド出身のショパンだった。それが作品のムードを作っているのもよかった。
日本でやるとしたら日系移民の子孫の人がアメリカとかから広島や長崎にやってきて原爆ドームや旧浦上天主堂を訪れたりするような物語になるだろうか。
実際に強制収容所のシーンではそこにいた人たちの靴が一箇所に集まっているところも映されていたが、『関心領域』にも同じようなシーンがあった記憶がある。
アメリカのロサンゼルスのリトルトーキョー近くにある全米日系人博物館に行った時にも強制移民させられた人々のものだった鞄や靴がたくさん展示されていた。その膨大な靴の数、どれだけ多くの人たちが命を奪われたのか、そのメッセージだけでも強く奥の方に響いて何かを鳴らし続けることになる。
ジェシー・アイゼンバーグが監督をするのは今作が二作目、前作である監督デビュー作『僕らの世界が交わるまで』は母と息子の関係性を描いていた(父も出てくるけどほぼいないに等しい)し、『リアル・ペイン~心の旅~』は祖母と孫(男子)という関係性であり、どうもジェシー・アイゼンバーグの作品は息子と母(あるいはグレートマザー)との関係性を描こうとしているっぽい。まあ、まだ二作品だからわからないじゃんということになりそうなものだけど、デビュー作にすべてが詰まっていると言われるけど、作家性の主軸はそこに出ていると思うので、このパターンで彼が物語を作っていく、語っていくんじゃないかな。
キーラン・カルキンがとてもよかった。ベンジーという人間の魅力と弱さ、ある種のトリックスター感も含めて素晴らしい演技だった。


帰りは電車でもいいかなって思ったけど、上映が終わったのが17時でこれから電車に乗って渋谷方面に向かうと混みそうだなって思ってまた歩いて帰ることにした。

帰る時に『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:東出昌大後編)がいいタイミングでアップされていたので、それを聴きながら帰る。不倫とかがあってから山での生活を始めた東出さんの狩猟生活とかの話になっていった。
臭いが強いからビジエが苦手だという人がいるけど、それは仕留めてすぐに処理をしていない肉だとそうなってしまうとか、本当にいろんなことを勉強もしているし、その上での実際の狩猟経験があるのですごく聞いていておもしろいし、この人の魅力がより伝わる内容になっていた。
聴き終えたぐらいで『あのと粗品の電電電話』がアップされていたので聴いて、『ランジャタイ国崎の伝説のひとりぼっち集団』を待っていたけど、家に着くまでは更新されなかったのでCreepy Nutsとか星野源さんとかの音楽を聴きつつ、やってきた道を引き返すように戻って行った。
日が暮れるのは早いけど、まだ夕方になっても寒くはなかった。汗も出てるなって感じるほどでもなかったのでこのくらいが歩くのにはちょうどいい。
「ひとりぼっち集団」は千鳥の大悟さんとの飲み会の話をしていて、やっぱり国崎さんは一人で充分話せちゃってるし、トーク能力も高い。伊藤さん本当に帰ってくるのだろうか、あとダウンタウンチルドレンと言える影響下にある世代の千鳥さんや国崎さん辺りは松本さんが復帰するかどうかをどう思っているのだろう。特に同じ事務所の千鳥は否定できないだろうし、芸人にとって彼の復帰問題は踏み絵になってしまっているように見えてしまう。

浅野いにおさん作詞・作曲でanoと幾田りらが歌う新曲『SHINSEKAIより』がリリースされるらしい。ほう、二部構成の映画を18話のアニメシリーズに再構築したものがボックスに入るという話だったが、そのための新曲。なんだか『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』は終わらないみたい。「デデデデ」ファンにはうれしい一年だった。


寝る前に何冊か併読しているものの中に、中上健次著『鳳仙花』を加えた。少し読んでからwiki中上健次のページを見て刊行された年などを見ると『鳳仙花』は1980年で僕が生まれるよりも前だった。この前読み終わった『地の果て 至上の時』は1983年で生まれてはいた。たった3年の違いだけど、『鳳仙花』の方が読みやすいと僕には感じられた。
『群像』でのいとうせいこうさんと古川日出男さんの対談の中で、

古川 僕の中では中上の重要な作品の系譜は、『紀州 木の国・根の国物語』があって、『千年の愉楽』があって、『奇蹟』がある。一方で『宇津保物語』とか、『南総里見八犬伝』を踏まえて大失敗した『異族』とか、読者からもこれは無惨な失敗だと思えるさくひんに対して、どう向き合うか。自分がやっても失敗するかもしれないという恐怖を持ってやることが、読者としてのお返しかなと思ったんです。
いとう なるほど、それは面白いですね。つまり、バトンを勝手に渡されていくということですよね。勝手に渡されていくことにすごく意味がある。

というやりとりがあった。それで『千年の愉楽』も並行して読んでみることにした。中上健次の作品はある程度は揃えているが、読もうと思えるタイミングとかもあるし、実際に読んでみようとチャレンジしてもその時には読めなかったものもあったりする。今は読める時期に入ってきているはず。
『異族』は執筆中に亡くなっているので未完の作品だけど、やはり漫画原作として書かれていた『南回帰船』同様に紀州からもっと広くアジアに目を向けようとしているし、それまでの彼自身のドラマツルギーを更新しようと企んだけど失敗したと言われても不思議ではない内容だったし、実際に読んでみて傑作だとは言えるものではなかった。
中上健次自身も50歳になる前に死んでしまうとは思っていなかっただろうし、それらの失敗を踏まえて辿り着くであろう小説や物語がたぶんあったはずで、そういうものを古川さんやいとうせいこうさんたちが引き継いでいるのだというのはわかる。読者として彼らの小説を読んでいるから。

 

11月13日
6時半に目覚ましで起きる。寒い。トイレに行ってから布団に戻ってから朝活がてらライティングモードに移行したいが無理。radikoで[『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴きながらもう少し惰眠を貪る。平子さんが『ラヴィット!』で買った絵の話とか関西弁の話をしていた。
8時前に布団から出て、とりあえず朝のルーティンとしてトマトジュースやサプリを飲んだり、仕事前の一連のことをやってから机に向かってリモートワーク開始。作業用 BGMがてらradikoで『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を流していた。
先週お休みだった「あのANN0」は藤田ニコルの結婚式には行けなかったが二次会に行った話とか、仕事が多忙な中プライベートなトークがあったりした。端っこにいて華やかなモデルたちと絡むこともせずにメイプル超合金の安藤なつさんとずっと一緒にいたというあのちゃんらしいエピソードもあるけど、交流がある藤田ニコルをお祝いしたいという気持ちはちゃんとあるし、あのちゃん自身も成長なのか変わってきている印象を受ける。

リモートでは引き継ぎで教えてもらったことの続きをやっていたらすぐに時間が過ぎていった。ZOOMで手順とかは見せてもらったけど、実際に自分でやるとなると合ってるのかどうかわからないし、問題はやり方の流れを書いてもらったものを見ていてもそれにリンクしてあるサイトというかページに自分に権限がなかったりして入れなかったりして進まないとかがちょこちょこある。
親会社が変わってからレンタルしているPCも変わったり、組織が変わったりしていくと前は使えたものや権限があったものが使用すると費用が発生するとかで、あまり使わなくなったりしているといつの間にか僕のアドレスでは使えなくなっていたりしていた。そのことを知るためにはその作業をしないといけないので気づかない。
経理関係とかのことだったり、支払関係のことをしばらく外部発注していなかったのもあって、使えなくなっていることにまったく気づかなかった。で、引き継ぎで今回やることになった作業でそれらが必要だと知る。また、申請して承認を待つみたいな感じになる。
今までいた人がいなくなって、その仕事をやっていなかった人たちが引き継いでいく。慣れるまでの時間もあるし、すぐできる人も何回説明されてもできない人もいたりする。
一人の人がある作業を重点的にしていて、他の人がまったく関わっていなかったり、作業の流れを認識していないとその人がいなくなってからこんな風に困ったことになる。
辞めて転職して行った人とこの前会社に行った時にちょっと話していたらだいぶ前に辞めることは伝えていたけど、人件費とかの問題ですぐに引き継ぎの人を入れたりしなかったことで今回混乱しているのもわかった。
まあ、どこだってそんなもんだと思うけど、正社員が少なくて派遣が多くてちょっとアルバイトだったりすると派遣の人が長年やっている仕事ってその人しかできないものが多かったりするし、ただ別の人が派遣されたからなんとかなるわけでもない。わかっているはずなのにね、企業ってやつは。まあ、僕はバイトなんで特に発言権もないし、やることが増えても労働時間がちょっと増えるだけなのでさほど問題はない。他の人がしんどくなったりすると働きにくくなったりするからそれだけが心配。



A24の公式オンラインショップで購入していた『Everything Everywhere All At Once Screenplay Book』が作業中に届いた。先月末にアメリカから発送されていて、なぜか先週ぐらいから成田空港で止まっていた。連絡先を教えてくれって輸入配送手続きをする業者さんからメールが来て伝えていたけど、その後連絡がなくて急に届いた。
思ったよりも大きい! あとタイトルと監督名(ダニエルズ)の書体がいい(他のScreenplay Bookはこういう書体ではない)。発送用の段ボールケースもA24仕様なのもいい。
購入手続きした時は本体が$60で発送料が$24で、一ドルが140円だったから約12000円いかないぐらい。朝ニュースを見ていたら一ドルが155円台になっていた。そのレートだと13000円をわずかに越えるぐらいになる。
個人でアメリカから商品を買ってもそれだけの差は大きいなと思うと、海外から輸入したらこの円安によってどんどん厳しくなっているだろうし、日本自体が貧しくなっているから昔だったら普通に海外輸入していたものも他の国に買い負けるとか起きてくる。
いいものだけじゃなくて、中ぐらいの食品とかが買い負けるとどんどん普通の家庭や大きな企業じゃない飲食店なんかはもろに影響を受けてしまう。給料は上がらないのだから余計に外で買い物したり食事をするのも減っていくなど、結局不景気が長引くという悪循環に陥っていく。こんな景気にした人たちに責任を選挙で取らせないのだから、どうにもならないのだけど。

ヒロ・ムライとA24がサムライ映画『Bushido』製作へ ─ 『ミッドサマー』アリ・アスターもプロデュースに 

アトランタ』シリーズやその主演のドナルド・グローヴァーが音楽活動する際に名乗っているチャイルディッシュ・ガンビーノのMVなども作っているヒロ・ムライさんがA24と組んでサムライ映画を撮るらしい。なんか実写版『サムライ・チャンプルー』みたいになりそうな、なってもいいんだけど。日本で撮影するのかもしれないし、日本人俳優も出るかもしれない。そう考えるといろんな役者さんがヒロ・ムライ作品に出れる可能性もあるし、そこからアメリカへ、世界へのチャンスを掴めるかもしれない。

最近『アトランタ』シリーズを見直していて、シーズン3の4話でアーン(ドナルド・グローヴァー)たちメインキャラが誰も出ず、ある白人男性と娘が住んでいる家に黒人女性がやってきて、自分のひいひいひいお爺さんたちはあなたの祖先に奴隷として使われていたからその金を、賠償金を払えと抗議しにくる。そのムーブメントはどんどん広がっているようで白人系の人たちは自分たちの先祖が行った奴隷を搾取したことを償わされていくという内容で、かなりインパクトがある。
白人からすれば先祖が行ったことを言われても、ということなのだけど彼らがある程度豊かな生活をしていい大学に行っているのもそういう歴史の連なりにあるのだから、責任はあるだろうという皮肉であり、このドラマは時折メインキャラが出てこないがこういう世相を反映したエピソードを入れてくるのがシーズン毎に増すようになった。
そういう作品の監督がヒロ・ムライさんなので、『Bushido』がどうなるのか怖くもあるが観たい。

 

11月14日
目覚めが悪い、何か夢を見ていような気がするがまったく思い出せない。今日は休みでお昼から予定を入れているのですぐに起きなくてもいい日。横になってradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴く。
佐久間さんがYouTubeの案件で『グラディエーターⅡ』に出演しているポール・メスカルとデンゼル・ワシントンのインタビューをすることになった話をしていて、ちょうど土曜日にIMAXで観るつもりでチケットを取っていたのでナイスタイミングな話題だった。
どういうことをインタビューで二人に聞いたのかはラジオで聞けばいいのだけど、終わった後にデンゼル・ワシントンが好きらしい寿司について、オススメのお店を聞かれた佐久間さんがいくつかお店を伝えてその場にいたスタッフさんがメモをしていたらしいのだけど、佐久間さんみたいにいろんなお店に通っていて、さらには食通の人と知り合いで教えてもらっている情報から先に出したお店は予約がおそらく取れないから人聞きではあるが聞いた情報をデンゼル・ワシントンに伝えると大喜びだったらしい。
トークの中で10年ぶりとかに日本に来たらしいデンゼル・ワシントンについて、日本の食事が好きじゃないと来るわけがない(トム・クルーズは別として)と言っていた。実際に円安で洋画がヒットしなくなっている日本に海外のスター俳優が来るメリットはもはやない。あるとしたら本当に日本が好きだったり、食事で好きなものがあるかだけ、というのもそこまで大袈裟ではないのだろう。
佐久間さんはここで情報としてデンゼル・ワシントンにある寿司屋のことを伝えた。もちろんインタビュー自体がうまく行っていて、二人がかなりテンションを上げて話してくれたことも大きいだろうが、トドメというか食という武器が最後に出た。食というツールでデンゼル・ワシントンは完全に機嫌をよくしている。
仕事ができる人だから食にも詳しいとは限らないけど、こういうことを聞くとやっぱり知識だけではなく実際に足を運んでいるとか、そのことで知り合った人からのネットとかには出ていない情報を知っていることが大きいんだなってわかる。


12時半ぐらいに外苑前駅近くのGAGA試写室に着くイメージで11時半前に家を出る。「佐久間ANN0」でも曲をかけていたとんねるずの『一番偉い人へ』を聴いたり、Creepy Nuts星野源さんの曲で好きなものを選択して聴きながら初冬の散歩を。渋谷の宮益坂を上って青山方面に向かって歩く。青山通り沿いで行列が出ているなって思ったら「I'm donut ?」だった。やっぱり今でも並んでるんだなあ。
GAGAの前に着いた時にはまだ試写の受付も始まっていなかったので、青山墓地をぶらぶらと歩く。僕が好きな『アンダー・ザ・シルバーレイク』という映画には墓地が出てくる。そこからインスピレーションを受けて日本を舞台にする赤坂と青山メインで墓地なら青山墓地だなと思っているし、日比谷とかに行く際にはここを抜けて乃木坂に出たりするので知っている人のお墓があるわけではないけどちょくちょく足を運んでいる。
GAGA横の通りをまっすぐに歩いていくと僕が日比谷に抜ける時に歩いている十字路に出る。そんな風に地図というよりも歩いて位置を体で把握している。『アンダー・ザ・シルバーレイク』はGAGAが配給していたから冒頭では「GAGA」のロゴが出る。そういうことが僕の中では繋がっている。

1974年に映画化作品が全世界を熱狂で包んだ官能文学の傑作「エマニエル夫人」を、ヴェネチア映画祭金獅子賞を受賞した新鋭監督オードレイ・ディヴァンが、新たな解釈で現代に甦らせた作品。主演は、『燃ゆる女の肖像』(20)、『TAR/ター』(23)のノエミ・メルラン。2024年、スペインのサン・セバスティアン国際映画祭にて、オープニング作品としてワールドプレミアを迎えた話題作。エマニュエルは仕事でオーナーからの査察依頼を受け、香港の高級ホテルに滞在しながらその裏側を調べ始めるが、ホテル関係者や妖しげな宿泊客たちとの交流は、彼女を「禁断の快感」へといざない――。

オードレイ・ディヴァン監督『エマニュエル』試写で鑑賞。『エマニエル夫人』を観たことがない実はない。だが、今作は『エマニエル夫人』のリメイクではないとのこと、元々は小説があってそれを1974年も映像化している。今回も原作を元にオードレイ・ディヴァン監督が現在の香港に舞台を移して描いているのが今作ということらしい。
主演のノエミ・メルランは魅力的なのだけど、なんだろうな裸のシーンや性行為のシーンもあるけど官能的っぽいとは思うけど官能的ではない、というか。エロティックさが感じられない。
監督があえてそういう作りにしているのかもしれない、フェミニズム的な解釈でそういう演出になっているのかもしれない。だとしてもジェンダーで違いがあるのかもわからないけど、これって女性は観て官能的でエロティックだなって思えるのだろうか。
僕はまったく思えなかったし、香港を舞台にしているけど前半はずっと高級ホテルの中でのシーンが続いて、最後の方でようやく香港らしい場所が景色になっている。ヨーロッパから来た白人であるフランス人女性が仕事でホテルのことを調べている、働いているのはアジア人がほとんどで、見方によっては白人に支配されているアジア、というか、昔の香港そのもの感もあるのでその辺りはエキゾチックな雰囲気を出したかったのだろうけど、もう少し撮り方はあったのかもしれない。
一番気になる存在がケイ・シノハラというホテルにずっと滞在しているけど謎の人物であり、観ている間ずっと最近どこかで見たばかりの人だなって思いつつ思い出せずにいた。帰ってからネットで調べたら二日前に試写で観た『リアル・ペイン』にも出演していたウィル・シャープさんという俳優だった。二作品で受ける印象がまったく違うから同じ人だとすぐにはわからなかった。
もちろん、昔の『エマニエル夫人』のような官能的なエロティックなものを現在でやるとしたらという挑戦なんだろうけど、もっと踏み込んでもいいような気がした。単純にこの監督と僕の考える官能的なものやエロティックというものが違いすぎるだけかもしれない。


歩いて帰っている時に池尻大橋駅にあるあおい書店に寄ったら明日発売の講談社文庫がすでに出ていて、書こうと思っていた長嶋有著『ルーティンズ』を購入した。
長嶋さんの小説は誰かを好きになったり、思いたいなという気持ちだったり、家庭とかを持って誰かと一緒に生活をしたいなと思わせるものが多い。そういう気持ちにさせられる小説家だと僕は長嶋さんぐらいしか思い浮かばない。


夕方過ぎてからニコラに行って、アルヴァーブレンドと黒いちじくとマスカルポーネのタルトをいただく。タバコを三本ぐらい吸って一服して曽根さんたちと少し話をする。一週間のうちでのんびりしていて落ち着く時間。

 

11月15日
SHINSEKAIより / ano × 幾田りら


日付が変わってから浅野いにおさんが作詞作曲した『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』のアニメ用の主題歌が配信でリリースされた。
凛として時雨のTKが作曲した『絶絶絶絶対聖域』と比べるとインパクトはあまりないけど、幾田りらとanoがそれぞれアーティストというより声を当てた門出と凰蘭として歌っているような楽曲だった。

 世界初のコンピュータのバグは一九四七年、ハーバード大学のテストコンピュータに紛れ込んだ一匹の蛾によってもたらされた、とされる。ここにも別種の、二つの異なる位相にあるレベルの、他方から他方への侵入、言い換えれば異なる二つのレベルの〈交流〉が見られる。コンピュータからすれば、蛾とは思考不可能な、語り得ない対象だ。一匹の蛾(バグ)、それはコンピュータに不可逆な全的変容をもたらすかもしれない、予測不可能な外的要因、すなわちコンピュータにとっての〈外部〉に他ならない。

木澤佐登志著『終わるまではすべてが永遠:崩壊を巡るいくつかの欠片』P298-299より

 シミュレーション世界を変容させるバグ、それはもしかしたら霊や怪異のような存在としてこの世界に現象するのかもしれない。この視点を一九九八年の時点で取り入れていた瞠目すべき小説作品こそが鈴木光司の『ループ』に他ならない。『リング』三部作の掉尾を飾るこの作品は、コンピュータで再現された三次元の仮想世界が重要な役割を果たす。そこでは、『リング』と『らせん』の舞台であった世界が実はシミュレーションの世界であったことが明かされる。この、『ループ』 と名付けられた仮想世界を律するのも、メタレベルとオブジェクトレベルという存在論的に異なる相容れない二つの秩序と、それら秩序の間の断絶である。作中、シミュレーション世界を制作した研究所のスタッフが次のように発言する場面がある。

 研究所のスタッフにとって、この仮想世界「ループ」は認知可能です。でも、「ループ」に生きている知的生命が、創造主であるわれわれを認知するのは、絶対に不可能なのです。彼ら にとって、われわれはまさに神そのものでしょうねえ。ループの内部にいる限り、彼らは世界 の仕組みまでは理解できない。唯一可能になるとしたら、外部に出ること。ほかにはあり得ません。

木澤佐登志著『終わるまではすべてが永遠:崩壊を巡るいくつかの欠片』P311より

寝る前に併読していた小説を読んでいる時にふと目に入ったこちら。残り四分の一ぐらいになったまま放置していて、寝るまでに読み終わろうと何故か思えて最後まで読んでいたら深夜一時半ぐらいになっていた。

木澤さんが最後のあとがきで書いていることは「外部」が消えてしまった世界のことなんかを考察しているのだけど、その中に鈴木光司さんの『ループ』を引き合いに出している。以前に僕も『ループ』のことをもう少し考えたら「平成」というものがもう少しわかるんじゃないかなって思ったことがあった。そもそも書こうと思った作品のことを考えていくと構造的には「リング」シリーズにおける『ループ』みたいな設定になるなって感じたのだった。その頃にはマーク・フィッシャーの著作も読み始めていたし、「幽霊」という概念のことを考えていた。
貞子(リングウイルス)がビデオテープを再生して見てしまうと一週間後になくなってしまうという呪いだったのに、映画シリーズのヒットによって本当にコンピューターウイルスの方に拡散されていく存在となってしまった。映画シリーズにおける「貞子(リングウイルス)」と鈴木光司さんによる「リングシリーズ」の貞子はまったく同じではないというのが実は大きなことだけど、ほとんどの人がイメージする貞子は映画の井戸やテレビから出てくる存在になってしまっている。
小説の方ではネタバレしているが引用したように『リング』『らせん』の物語はシミュレーション世界での出来事であり、それを作った世界が現実世界になっている。『リング』の映画を観たり、小説を読むとホラーなのだけど、シリーズを読んでいくとSF 作品だった、SF的な構造で作られていることがわかる。僕はそれがすごく面白く感じたし、ちゃんと語られていないけれど「平成」という時代を表象する作品の一つだと思っている。
『終わるまではすべてが永遠:崩壊を巡るいくつかの欠片』の装幀はいいなと思っていたが、蝶ではなく蛾(バグ)が描かれているのもとてもこの書籍をしっかりと表している。小説でもいいし、映画でもいいけど、舞台となっている世界以外の別の時間軸の世界や可能性世界も描く際に蛾を出してみるというのは最初のコンピュータバグ的な意味合いとしていい。蛾を潰してしまったあとに手で触ってみたりするとわずかに残ってしまう鱗粉、それが他の世界や可能性世界を仄めかすのはいい入り口だなって。

8時前に起きてからちょっと朝のルーティン。来週頭に健康診断があるので検便のためにトイレで設置して二回のうち一回を取ろうとしたが、難しい。なんだろうなあ、毎回検便のやつって取れたなと思ってもケースに入れると思ったよりも取れてない気がしてしまう。便が柔らかい人や下痢気味の人にとっては難し過ぎないか、検便で取るの。
リモートワークを開始。昨日寝る前の読書タイムで『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』を聴いていたので、『ハライチのターン!』から開始し、『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』といつもの金曜日の作業用BGMを作業のお供に。
引き継ぎされた作業を流れを書いてもらっている資料を見ながらやっていたらあっという間に時間が過ぎていく。お昼になって休憩がてら駅前のスーパーの惣菜を買いに行った時に書店を覗いたが、昨日『ルーティンズ』文庫版を買っていたのでめぼしいものはなかった。
夕方から引き継ぎ関連の作業をオンラインで繋いでやっていたが、思ったよりも時間がかかってしまった。でも、人に伝える時に再確認できていることで多少は自分の中で固まってくる感じもする。ただ、本当に合っているのかという疑問は頭から離れない、自信は回数をこなしてOKが続かないと出てこない。

リモートワークが終わってからSpotifyポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回を聴きながら小休憩。得意なものが一番トークとかでも話せるし語れるということから、ロン毛の方の布川さんが「風俗」にはメチャクチャ行ってるからって話出してから何故か「風俗」を「風(ふう)」と言い出すくだりはなんかよかった。
風俗関係のお仕事をしている人からのメールとか多かったりするのは、二人が「風俗」とかに行くのも普通に話していることで親近感があったりするのかな。

自分の作品用のライティング作業をするが、『終わるまではすべてが永遠:崩壊を巡るいくつかの欠片』を読み終わったこともあって、「蛾(バグ)」が出てくるシーンと蛾が潰れて手についた鱗粉というエピソードを入れることにした。〆切まで一ヶ月を切っているけど、そういうネタも入れつつ進めていく。

今回はこの曲でおわかれです。
千葉雄喜 (Yuki Chiba) ー 誰だ? (Dareda?)  [Official Music Video]

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年10月16日〜2024年10月31日)

10月上旬の日記(2024年10月1日から10月15日分)


10月16日
日付が変わるまでブコウスキー著『くそったれ! 少年時代』の続きを読んでいた。16日になってから10月上旬の日記をアップして、半年前の日記をnoteの方にアップした。24時から放送されていた『アルコ&ピース D.C.GARAGE』をradikoで聴きながら眠る。


6時過ぎに目が覚めるが、寒くなってきたからか布団の中にいたい感じが強くなっていたので7時前まで寝転んだままで「D.C.GARAGE」を聴きながらのんびりしていた。
そのまま『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を聴きながら少しだけ朝の読書をしてからリモートワークを始める。
太田さんはTBSの『お笑いの日2024』の即興漫才のシークレットゲストで登場してかまいたちの濱家さんの相手だったが出てからずっと暴れていて、何度もケンコバさんに絡みに行って落とされかけるという件をやっていた。漫才らしい漫才にはなっていなかったけど、ここまで大物で年長者の漫才師が暴れているという光景を事務所が違う(人数的にも吉本興業が半分以上を占めている)人たちはどう感じていたのだろう。
吉本興業に対して「犯罪者ばっかりの事務所じゃねえか」とテレビで言えるのも太田さんしか正直いないはずだ。彼がそういう発言をすることである意味ではガス抜きにもなるし、自分たちでは触れらない話題をそんな感じでネタにしてくれる他事務所の先輩というのは彼らにとってもかなりありがたいのではないだろうか。いかにケンコバが受けてくれてうれしかったということをラジオで話していた。

作業中に構成をお手伝いしたモーリー・ロバートソン著『日本、ヤバい。「いいね」と「コスパ」を捨てる新しい生き方のススメ』(10月25日発売)の見本が届いた。
電子書籍版も出るけど、パッと見で目に入ってくるピンクのタイトルに惹かれて書店で手に取ってもらえるとうれしい。やっぱりこのピンク色のタイトルはインパクトもあるし、でも黄色とかみたいに目に痛くない優しい感じもあっていい。

「爆笑カーボーイ」を聴き終わってからそのままradikoで『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を作業用&外出時BGMとして聴く。
星野源ANN」では劇団☆新感線の舞台を大阪に観に行った話やエッセイが重版決定したこと、スペシャルウイークのニセ明のことなんかを話していた。
「あのANN0」はひろゆきの「それってあなたの感想でしょ」が小学校とかで禁止になったというニュースから、あのちゃん自体はひろゆきとロケもしていたりするのでちょっと彼に対してはやさしさが出ていた。小学生がそういうことを言い出すと諸々教育にも支障が出るから仕方ないけど、ひろゆき自身のことはいい人なんだけどなって感じで話をしていた。この番組のスペシャルウイークのゲストはファーストサマーウイカさんなのでとてもたのしみ。


休憩で外に出たので駅前のTSUTAYA書店で楡周平著『サンセット・サンライズ』文庫版と『MONKEY』最新号を購入。
『サンセット・サンライズ』は明日映画のマスコミ試写に行くのでちょっとでも読んでおいて、原作をどう映像化したのか知りたいなと思ったから。読めなくても試写を観た後に読んだらいろいろと発見はできそう。
『MONKEY』vol.34は連載シリーズ『百の耳の都市』が読みたくてGET。今回は中島敦の同名の作品を基にした第18回「文字禍 The Mega Letter Disaster」が掲載されている。この作品については、

再来月に発売される「MONKEY」誌のために私は自分の連載『百の耳の都市』の最新話を書いて、つい昨日(2024/08/08)入稿したのだけれども、そこではパレスチナ問題をガザという語もイスラエルという語も出さないで書いた。だから、それはパレスチナ問題の小説ではない。しかしパレスチナ問題の小説なのだ、と感じる人は感じるだろうし、そうした認識につらぬかれて愕然とする読者も生まれるかもしれない。それはもちろん政治的行動だ。しかし、この小説はもちろん政治的行動を意識させる小説ではない。単に〈行動〉を感じさせるだけ、だろう。

古川日出男の現在地』 到着・出発 2024.07.27 – 2024.08.09 東京・埼玉・京都・福島

と前に書かれていた。実際に読んでみるとこれまでの『百の耳の都市』とは違うとか異質というわけではなく、このシリーズで世界中のいろんな都市が描かれているので違和感はなく、パレスチナ問題をこうやって小説として描けるのだ、読者に提示できるのだ、ということがわかるものだった。

リモート作業が終わってから晩御飯を食べてから自分のライティング作業をする。寝る前に『サンセット・サンライズ』を少し読んでおこうと思ったけど、プロローグと第一章の部分だけ読んだらうとうとし始めたので無理せずに寝た。

 

10月17日
起きてから朝の読書をしてから近所の整骨院へ。普段は月曜日とかに行っているのだけど、スポーツの日で休みだったし、火曜日は出社したりして来るのが珍しく木曜日になってしまった。
足首が硬いのでちゃんとストレッチというか、動かしてから歩かないと固いままで歩いているので可動域が狭くなってしまい、筋とか腱とか全身に繋がっているからそのせいでより僕の身体の固さに繋がってしまっている。この一週間はほとんど風呂上がりにストレッチや家を出る前の運動とかしていなかった。そうすると結局肩甲骨が固まってくるし、最終的にはまた腰に来たりするのでもうちょっと気をつけないといけないなと思う。

家に帰ってから10時半前までライティング作業をしてから渋谷方面に向かう。起きてからパソコンの方で聴いていた『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をもう一度スマホアプリの方のradikoで最初から聴きながら歩く。目的地は虎ノ門近くのワーナー・ブラザーズ映画内幸町試写室。
場所は虎ノ門駅と新橋駅の間ぐらいで日比田公園も近い場所にある。今までも何度かは行った場所であり、六本木駅を過ぎて俳優座の前を過ぎていくとなんとなく場所を思い出した。
マップアプリでは徒歩だと二時間十分ほどだったので、「佐久間ANN0」は九十分で終わってしまうのでそこからはSpotifyで『きしたかののブタピエロ』に変更して歩く。13時からの試写だったので12時半から受付で数分前に着いたので近くのコンビニに行ってコーヒーを買ったりしてから受付をした。

楡周平原作の「サンセット・サンライズ」(講談社)を菅田将暉主演で映画化。書いたドラマは必ず注目を集めるといえるほど、期待と信頼を一身に浴びる宮藤官九郎が脚本を手がけ、『正欲』(23)の岸善幸監督との異色のコラボレーションから生まれた本作。都会から移住したサラリーマンと宮城県・南三陸で生きる住民との交流や、人々の力強さや温かさをユーモアたっぷりに描き、その背景にあるコロナ禍の日本、過疎化に悩む地方、震災などの社会問題と向き合いながら豊かなエンターテインメントに転化させたヒューマン・コメディ。

Story
新型コロナウイルスパンデミックで世界中がロックダウンに追い込まれた2020年。リモートワークを機に東京の大企業に勤める釣り好きの晋作(菅田将暉)は、4LDK・家賃6万円の神物件に一目惚れ。何より海が近くて大好きな釣りが楽しめる三陸の町で気楽な“お試し移住”をスタート。仕事の合間には海へ通って釣り三昧の日々を過ごすが、東京から来た〈よそ者〉の晋作に、町の人たちは気が気でない。一癖も二癖もある地元民の距離感ゼロの交流にとまどいながらも、持ち前のポジティブな性格と行動力でいつしか溶け込んでいく晋作だったが、その先にはまさかの人生が待っていた—?!

観る前は映画『釣りバカ日誌』的な釣りをメインにしたコメディ要素のある物語かなと思っていた。実際は東日本大震災以後の三陸に住んでいる人たちと東京に住んでいた主人公が交流するだけでなく、コロナパンデミックの最中が舞台なのでその時に盛んに言われていたソーシャルディスタンスであったり、東京から来た人はコロナを持っているから来ないでください、みたいなことがあったこともちゃんと描いていた。
数年前のことなのにもうだいぶ前みたいなことのように思えてしまうけど、こういうことは映像や文章に残していないと残っていかないし、よほど被害に遭ったりしていない人以外は忘れてしまう。
作中で登場人物の一人が「東京から来る人はコロナを持ってくる」というのは誤解だと正論で話すものの、それを聞いていた別の人物は「田舎の人はイメージなの。テレビとかで見たイメージで東京の人のことも見ているの」みたいなことを言った。この辺りの感覚は実際にそうだろうし、特にテレビとか限られたメディアで情報を得ている高齢者なんかは受け取ったイメージが真実のように感じてしまって、誤解が生まれたりすることになる。
東日本大震災以後であり、コロナパンデミックを描いた映画の中でもトップクラスの出来だと思う。実際に菅田将暉演じる晋作は釣りがしたくてテレワークになったことで三陸の町にやってくるが、よそ者の彼に対してコロナパンデミック中だったこともあるし、彼に家を貸した百香井上真央)とかの関係を疑われたり(誤解に誤解が加わったり)しながら、町の人たちとの交流の中で少しずつ関係を築いていく。
そこまでだったら今までにもあったようなものだが、そこからもう一つ展開があり、そこは原作者の楡さんが経済小説を書いていることも関係していて、地方再生とビジネスの話が入ってきてもう一捻りあるのでそこからさらにブーストがかかる。

宮藤官九郎脚本でいうと同じく三陸と東京を舞台にした『あまちゃん』があるが、そことは違う角度や方向性で三陸(および人口が減っている地方自治体)の復興やこれからの取り組み、そして地方と東京との関係性がクドカンらしいセリフとテンポで進んでいく。
終盤近くで僕はかなり泣いてしまった。そこまでに笑う部分もたくさんあったけど、晋作と百香の関係性においても新しい関係性を模索しているのも素晴らしい。ここは原作とは違うみたいで、クドカンと監督が公開の2025年に見ても違和感のないものにしたのではないだろうか。
そして、東京からやってきた今までほとんど感情を露わにしてこなかった晋作が感情を爆発させるところ、それを受けての町の人である人物が三陸を、東日本大震災で被害に遭った地域の人間として心の底を見せて話すシーンはもう気がついたらどんどん涙が流れていて止まらなかった。
もちろん東日本大震災で被害にあった人たちや近い人はこの映画を観ても現実はそんなに簡単じゃないよというかもしれない、でも、こういう希望の見せ方もあるだろうし、被災地だからとどこか後ろめたさとかある人たちが感じている気持ちを実際に宮城県出身宮藤官九郎山形県出身の岸善幸監督が東北の人間として東京に、そして日本全国に伝えたいものだったんじゃないかなと思った。
観終わって公開したらヒットしていろんな人に届いてほしいと思えたし、こういう笑えて泣ける、その上で働き方や生き方を考えるきっかけになる作品が多くの人に影響を与えるんじゃないかなって、届くといいな。きっと届くはず。
あとスタッフロールを見ていたら衣装が伊賀大介さんだった。伊賀さん本当に映像も舞台もドラマもいい作品にどんどん関わられている。

観終わってからスマホを見ると西田敏行さんが亡くなったというニュースが入ってきていた。『釣りバカ日誌』のことを少し考えていただけになんかビックリした。
福島県郡山に何度か行っているけど、「ミューカルがくと館」という多目的音楽ホールには郡山出身の西田さんが『もしもピアノが弾けたなら』でレコード大賞を受賞したときにゴールドディスクが寄贈されていた。


15時半前に試写が終わった。夕方からもう一件予定があってその場所が目黒駅付近だった。料理研究家Hさんに誘ってもらったイベントだったのだが、電車に乗ってしまっても18時前集合まで時間をかなり持て余すのはわかっていたので、試写室があるビルから目黒駅まで歩くことにした。
マップアプリで見てみると一時間半ほどの距離、今月頭は体調を崩していてあまり歩けなかったのでこの機会に距離を稼ごうと思ったのもある。
きしたかののブタピエロ』を聴きながら東京タワーを横目に三田方面から白銀台をまっすぐ進んでいくと目黒駅近くに出て、目的の目黒ホリックホテルに着いた。
17時過ぎだったが、まだ時間があったのでマップアプリを見ているとそのホテルのある通りをまっすぐ歩いていくと目黒川に出るのがわかったのでそこまで行ってみた。そこで「ああ、ここに出るんだ」と見たことのある川沿いの場所だった。その通りにはビジュアル系バンドの聖地である鹿鳴館があったりして、こうやって普段こない所に来ることで聞いたことのあった場所がわかったり、位置関係がわかるのも歩いていく楽しみではある。
18時前に料理研究家Hさんがやってきて、開場は18時からだったけど、ライブ自体は19時だったこともあり、お互い腹が減っていたので通りを歩いてすぐのところにあった焼き鳥屋に入ってライブが始まるまで飲んで食べた。ほどよく食べたものも美味しかったし、しっかり歩いてきたらビールが美味しくて三杯も飲んでしまった。

7月に初のソロアルバム「dive into」をリリースした Smooth Aceの重住ひろこがリリース記念ライヴを開催。 ライヴ音響に YMO高橋幸宏矢野顕子らの数多くの作品で知られ、 今回のアルバムのプロデューサー、エンジニアの飯尾芳史、 演奏には Smooth Aceデビュー当時から録音、ライヴで多数共演している 旧知のギタリスト石成正人、 初顔合わせとなるキーボード松本圭司、 そして「dive into」でも素晴らしいソロを聴かせる サックス矢口博康を迎えて 「dive into」の歌世界をライヴで聴かせる「live into」。

“1st album 「dive into」 リリース記念” 重住ひろこ(Smooth Ace) ソロライヴ 「live into」

僕たちのチケットはテーブル席だったが、他のほとんどの席やソファ席とかも埋まっていた。年齢層は僕らよりも上の五十代とか六十代が多かくて、若い人はほとんどいなかった。メインである重住さんがベテランで長く活動されていることもあって、そういう客層だったのだろう。Hさんと重住さんがだいぶ前からの知り合いということでライブに、で僕が誘われたという形だった。
申し訳ないけど、重住さんの曲とかをちゃんと聴いてきていなかったが、さすがに歌もうまいし表現力も豊かでYMO関連や CMなどの商業系のお仕事を長年されてきた人の実力というか凄さを見せつけられた。あと演奏陣三人もめちゃくちゃ演奏が素晴らしくて知らない曲でもやっぱりリズムに乗ってしまう。こういうまったく知らなかったミュージシャンの人のライブでここまで気持ちよくなるっていうのはプレイヤーの人たちの実力がすごいということなんだな、とわかる。やっぱり商業の第一線でやっている人ってすごいんだなって改めて思う。


ライブ終わった後にHさんがここ数年行きたくても行けていなかった飲み屋さんが中目黒にあるというのでタクってそのお店へ。
美味しいつまみをつつきながら飲んで話す。今日は久しぶりにビールたくさん飲んだし話もしたし、楽しかったなあ。こういう感じで飲んだり本音を話せる人がいるのはありがたい。何人かそういう人がいて、たまに飲みながら話せるというのはすごく幸せだし、大切な時間だなって思う、っていうかわかる。お店の前で別れて僕はちょっと酔いどれのまま歩いて帰った。一日で21キロちょっと歩いていた。さすがに歩き過ぎた。

 

10月18日
日付が変わった頃に家に着いてそのまま泥のように寝る。6時過ぎにちょっと肌寒くて起きたので、ビンと缶の回収日なので外に出しに行く。ビールを飲み過ぎたのか腹がくだっていた。食べるよりも飲む量が多かったから仕方ない。体調を崩した時用に買っておいたポカリを飲んで横になって、radikoで『ハライチのターン!』を聴きながら目覚ましを8時前にセットし直す。
目覚ましで再び起きたら二日酔いでもなく、いつも通りな感じ。ポカリありがとう。『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』を聴きながらリモートワークを開始。最近は同じ事業部で来月仕事を辞める人がいるので、その人がやっていた作業を何人かで引き継ぐことになったので教えてもらっている。
画面共有して流れを見せてもらうとなんとなくはわかるのだけど、結局自分で時間をかけてやらないと覚えられないし、何度かやっていかないと覚えられないな。すでに一回やってみたけど、僕がやることになる作業も思ったより時間がかかってしまった。どのドライブに必要なデータとかがあるのか、データを格納するのかとかその辺りは慣れるまでやるしかない、というわけで今週は教えてもらうことが多くてちゃんと疲れる。

マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』も聴いたけど、作業が溜まっているから内容はあまり頭に入ってこなかったが、来週のスペシャルウイークのゲストがリボルバーヘッドとFUJIWARAフジモンさんだった。
一年前かな、本当はこの組み合わせでスペシャルウイークのゲストだったが、フジモンさんが車でのことがあってゲスト発表する手前で出られなくなって、代わりにきしたかのの高野さんが出るということがあった。その時からマヂラブの二人が話している内容からゲストがフジモンさんだったのはわかっていたので、今回ようやくという形になるみたい。

仕事が終わってからニコラに行ってアルヴァーブレンドとガトーショコラをいただく。コーヒーをおかわりしてタバコで一服。喉をやりがちなのでやっぱりタバコを吸うならニコラとかに来た時にコーヒーを飲む時だけにしよう。

家に帰ってからSpotifyポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』を聴きながら、併読している本をちょっとずつ読んだ。ライティング作業もしないといけないけど、昨日飲んであんまり寝てないせいか、歩いた疲れがどっと出たのかやる気が起きずに読書をしていたら寝ていた。

 

10月19日
6時過ぎに起きる。もうちょっと寝たい。7時に目覚ましを再セットしてradikoで『きしたかののブタピエロ』最新回を聞きながら横になっている。少し肌寒い。30分番組だから寝落ちする前に聴き終わってしまい、続けて『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』を流していたら寝ていた。すぐに目覚ましで起きることになったけど、ちょっと追加で寝ただけ気持ち的にはスッキリした。
夕方から雨予報だったが昼間は30℃近くまで気温が上がるというのを見たのですぐに洗濯機を回す。洗濯が終わるまで「バナナムーンGOLD」を聴きながら、木山捷平著『駄目も目である』とブコウスキー著『詩人と女たち』をそれぞれ読み進める。
『駄目も目である』は選集なので収録されているものはすでに読んでいるものだが、二回目になるともう少し味わいを感じる。なんだろうなあ、地味なんだけどあるといいなって、季節でいうと秋っぽい、きのこ類が鍋とかに入っていると美味しくなるみたいな、メインではないけどあるといいなみたいなものが木山捷平作品にはある。
ブコウスキーは50歳を過ぎて女性とは四年ほど性的な関係がなかったチナスキー(ブコウスキーの分身)が朗読会とかで出会った女性と、みたいな話でほとんど私小説に近いと思うのだけど、ブコウスキーのイメージとかはこういう作品で広まった部分はあるんだろうな。しかし、酒飲みまくっていたのに長生きしたよなあ、体強かったのはデカい。

洗濯が終わって急いで干して家を出る。radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながら宮下公園近くのヒューマントラスト渋谷へ向かう。マップアプリだと徒歩だと50分ぐらいかかることになっている。
家を出たのは9時前、観に行こうと思っている映画の上映開始が9時45分からで微妙に間に合わない感じだが、いつも歩いている感覚だと40分前後ぐらいなので間に合う。でも、ちょっと気持ちは早足な感じで「三四郎ANN0」を聴きながら急ぐ。

冒頭からラブレターズの『キング・オブ・コント2024』優勝に関してのトーク三四郎らしいイジり方や小宮さんの話の展開の感じも嬉しいのも伝わってくるし、弾けていてよかった。そして、来週のスペシャルウイークのゲストはふっての都築さんだけは決まっていたが、もう一人(一組)は未定だったけどラブレターズになったと発表。すごくいい、楽しみだなあ。でも、この三人って今のところ11月の三四郎の武道館ライブのゲストではないというか、名前が出ていない。スペシャルウイークで武道館ゲストとして発表するような気もする。
昨日、YouTubeで見たさらば青春の光のサブチャンネルで、『キング・オブ・コント2024』を見ないで予想するみたいな動画で最後にラブレターズが優勝したとわかったら森田さんはモルックで溜口さんが同じチームだし古い付き合いということもあって、感動していた。
東ブクロさんはファイナルに残っていたファイヤーサンダーのこてつが従兄弟でもあり、複雑な気持ちだったと思うがその収録をしている飲み屋に集まっていたさらばと動画スタッフたちはみんな喜んでいた。
ずっと辞めずにやってきた仲間、知っている人が苦節を乗り越えて優勝したこと、もう芸人だけでなく佐久間さんとかお笑いに関係している業界人もラブレターズの優勝に感動して喜んでいた。それは彼らの「人(にん)」というのが一番なのだろう、おもしろいけどテレビとかでブレイクしないとか、ずっとコントをやり続けているとか、あとは本当に二人が嫌われていない時点でいい人なんだろうし、人間として好かれているということが本当にわかる王者誕生だった。

創作関連の何かを続けることは難しいし、辞めたらそれがいけないということでもない。ただ、辞めない人はいわゆる売れたり結果を出して飯が食える少数の人で、あとは辞めたら他に何もやることがない人、辞めることを放棄した人ぐらい、他の人はどうしても家族や個人の人生を考えて食べられないと辞めていく。
僕も後者のタイプだから同じように辞めない人に感情移入しやすい。前者の残っている人たちはその難しさがわかっているからこそ、余計に応援するし結果が出れば自分のことのように喜んでいる。
いろんなジャンルで起こっていることだけど、自分がどうにもならないままで辞めないでいる側だから、ラブレターズのことで感動してしまう部分も正直あったと思う。彼らみたいに戦えてないということはわかっているけれど。

Story
目まぐるしく変わりゆく世界で、変わらない友情など存在するのだろうか―。!
今からXX 年後、日本のとある都市。
ユウタとコウは幼馴染で大親友。いつもの仲間たちと音楽や悪ふざけに興じる日々を過ごしている。こんな幸せな日常は終わらないと思っていた。
高校卒業間近のある晩、いつものように仲間と共にこっそり学校に忍び込む。そこでユウタはどんでもないいたずらを思いつく。「流石にやばいって!!」と戸惑うコウ。「おもろくない??」とニヤニヤするユウタ。
その翌日、いたずらを発見した校長は大激怒。学校に四六時中生徒を監視する AI システムを導入する騒ぎにまで発展してしまう。この出来事をきっかけに、コウは、それまで蓄積していた、自身のアイデンティティと社会に対する違和感について深く考えるようになる。その一方で、今までと変わらず仲間と楽しいことだけをしていたいユウタ。
2人の関係は次第にぎくしゃくしはじめ...。

予告は何度か劇場で観ていた空音央監督『HAPPY END』をヒューマントラストシネマ渋谷のシアター2で鑑賞。週末とはいえ10時前の上映で30人ぐらいは入っていたので単館系作品としては注目度があるんだなと思った。年齢層はかなりバラバラだったし、男女率も半々に近いように見えた。
映画の公式サイトでの著名人からのコメントのところで批評家の佐々木敦さんが「ここには『キッズ・リターン』の北野武と『牯嶺街少年殺人事件』のエドワード・ヤンがいる。」とコメントされていたが、確かにそれがこの映画の説明としてはわかりやすいのかもしれない。

高校が舞台なので、主人公のユウタとコウにとっての敵というか理不尽なシステムや理解してくれない大人というのが学校&校長(佐野史郎)みたいな構造になっているが、物語が進んでいくとそういう簡単な方向に向かわないのもちゃんとしていた。
高校の中に監視システムのようなものが導入されてしまい、それに反抗する撤回するように声を出すメンバーの一人に普段からデモ活動などをやっているフミ(祷キララ)がいて、コウ(日高由起刀)は彼女に感化されるようにその行動に加わっていく。コウは在日3世であり、母は選挙権がないと言っている場面もあるし、永住権の証明書を持っていないということで警察に夜歩いているだけで家まで同行されてしまうなど、理不尽な思いをしていたこともあり、一緒に音楽をやっていてユニットを組もうと話していたユウタ(栗原颯人)と次第に距離や思想のズレが出てくることになる。
この二人の少年は空音央監督の父である坂本龍一の二つの側面の体現者のように見えた。ユウタは音楽家としての部分を、コウは社会活動家としての部分を担っているように思えたが、さすがに意図的にそういうキャラクター配置にしていると思う。その二人が一人になっていた存在が日本を、世界を代表する音楽家だった坂本龍一だった。
ユウタとコウの家庭には母親はいるが、父親の存在はない。おそらくどちらもシングルマザーで母一人子一人という家庭設定だろう。監督の父である坂本龍一の二つの側面を子どもたちが受け継いでいる、体現するように見える展開だが、ここには父性がない。監督自身は坂本龍一の息子ではあるが、ユウタやコウのような環境だったのではないかと、それが投影されているのかもしれないと思った。実際のところどうなのかはわからないけれど。

物語自体は近未来を舞台ということにしているが、ここで空音央監督は父である坂本龍一の影響をしっかりと出し、自分の作品に落とし込んでいる。それだけだったら天才の息子でクリエイティブな人なんだなって話になりかねないが、この映画はショット(画)がいいし、作中に鳴っている音楽も良かった。
佐々木さんがコメントしていたようにエドワード・ヤン的な映像美や構図の素晴らしさがある。そして、メインの二人がそれぞれの道を歩み始め、それでも十代の終わりで18歳になった彼らはまだ終わっていない、何かは終わってしまってもまだ未来がある、可能性があるのだという終わり方はやはり『キッズ・リターン』を彷彿させる。そういうところでもエモーションがあり、エターナルな青春映画になっていた。
メインの二人以外で仲良し五人組の中にいたアタちゃんは『ロストサマー』で主演をしていた林裕太さんでお調子者の良いポジションだったし、ミン(シナ・ペン)とトム(ARAZI)など日本だけでなく、多様な出自を持つ人たちがキャスティングがされている。クラスの同級生もどのくらいか、10人以上は多国籍な出自の生徒たちがおり、それは確かに東京の現在でもあり、近未来ではもっと馴染みがあるものとなっていくものだろう。
実際に東京を歩いていると小学生たちが何人かいると親御さんのどちらかが日本以外の国の出身なんだろうなと思えるミックス(最近はハーフとは言わなくなった)の子どもがいることが多い。そういう同級生がいることが当たり前の子どもたちは幼い頃から僕らよりも多様性が近しいものだし、差別的なことを見たり、友達が置かれている状況などで感じることはあるのだろう。そういう環境にいるから差別的な人間にならないというわけでもないし、そういう環境にいたからこそ差別的になる人もいるかもしれない。でも、そういう子どもたちが未来を担うし、僕らみたいな古い世代なんかではわからないものや繋がりを提示できるんじゃないかなって思う。この映画はそういう部分でもちゃんと未来に向かっている。
あと校長の秘書的な役割の平という役どころを以前は「ぺろぺろ」(会田誠さんによる命名)という名前で活動していた矢作マサルさんで、けっこういろんなシーンに出ていたので、ちょっとした顔見知りなので良かったなと思った。いい映画に出てるのは大事だよね。

夕方駅前のキャロットタワーに行こうと家を出たら今日明日は「三茶de大道芸」だったので、近所の商店街でもパフォーマンスが行われていて、駅前は大きなステージと人だかりができていた。
住み始めて10年以上経っていて、自分が積極的に参加したりするわけではないけど、サンバもだしこういう祭りみたいなことがある町はいいなって思う。個人がやっている飲食店もまだ多いし、住んでみたら下町感も多少あって人工的な味気ないところでもない。こういう町の魅力ができるだけ続いてほしい。

Scene♯2(前編) トーキョー・シネマテック 「来てるね、未来 デザインにシビれるSFコスチュームから、技有り着こなしSFルックまで」


家に帰ったら宇多丸さん×伊賀大介さんの第二弾がアップされていた。本当に前の時にも日記に書いたけど、編集者はこのトークを対談本にして出したほうがいい。映画とファッションのいい教科書にもなるし、それぞれのジャンルを目指している若い人には本当に知らないことを知るきっかけになるし、絶対にやったほうがいい。

夜はもうライティング作業。今やっているものをしっかり最後までやる。月末まで決めたスケジュールでなんとかする。あとは体調崩さないとかそういうことをしっかりやる。


夕方に駅前に行った時に買った燃え殻著『明けないで夜』を寝る前に読む。燃え殻さんのエッセイは日中というよりは夜にのんびり読みたいような感じがする。日常に起きる事柄や誰かとの関係性ややりとり、忘れられない光景や言葉は日中というよりは陽が沈んでから、世界が暗闇に染まっていくと自分の中に蘇ってきたり、不意に現れたりする。そんな読者の孤独と寄り添ってくれるエッセイになっていると感じる。
燃え殻さん自体が体験したこと、忘れられないことが綴られているのに、どこか他人事ではないように思えるのは彼の視線や人との接し方や距離が文章として伝わってくることも大きいのだと思う。
どこか頼りないような、ずっと抱えてきたものが決して晴れることはないような、どうしてこんなことになってしまったんだというような諦めに似たような、そんなものもエッセイから感じられるが、それでも時にはどこかの温泉街に仕事をブッチしてでも逃亡して、あるいは馴染みの飲食店やバー、知り合いに会うことのない場所へ燃え殻さんは逃避行する。そうやって日々を乗り越えていく、それを読んだ読者は逃げられなくてしんどくなって、ギリギリのところでいる人には逃げていいんだという希望にもなる。
ずっと逃げ続けることはできないけど、死んでしまうかもしれないほど追い詰められていたら逃げたほうがいい、誰かに迷惑はかけるとしても誰もが誰かに迷惑をかけて生きている。もちろん、そういう時に「仕方ないな」と言ってくれる人がそばにいればいいのだけど、そんな人がいてくれる状況なら逃げたいと思うほど追い詰められないかもしれない、だから、背中を押されるのだろうし、いざとなったら「ここから」出ていけばいいんだと思える。そういう優しさと夜に忍び込むような自分を消したいと思う時に、孤独だなって感じる時に寄り添ってくれるのが燃え殻さんのエッセイだと思う。

 

10月20日
7時過ぎに起きる。肌寒いので布団に入ったままでradikoで『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』とTVerで『ゴッドタン』を流しながら朝読書。

 ずっと若いときには、現実は一つしかなく、未来はさまざまな変容を孕んで見えるが、年をとるにつれて、現実は多様になり、しかも過去は無数の変容に歪んでみえる。そして過去の変容はひとつひとつ多様な現実と結びついているように思われるので、夢との堺目は一そうおぼろげになってしまう。それほどうつろいやすい現実の記憶とは、もはや夢と次元の異ならぬものになったからだ。
 きのう逢った人の名さえ定かに憶えていない一方では、清顕の記憶がいつも鮮明に呼び起されるさまは、今朝通った見馴れた町角の眺めよりも、ゆうべ見た怖ろしい夢の記憶のほうがあざやかなことにも似ていた。人の名は三十歳をすぎると、剝落する瀝青のように次々と忘られてゆく。それらの名が代表している現実は、夢よりもはかない無用のものになって、日々の生活からこぼれ落ちてゆくのである。

三島由紀夫著『奔馬豊饒の海・第二巻―』P10より

『春の雪』が読み終わったのでそのまま「豊饒の海」シリーズ第二巻『奔馬』に突入。冒頭すぐにこういう文章があった。「過去は無数の変容に歪んでみえる」という文章もだが、未来は可能性や輝かしいものには見えず、過去に可能性などを求めてしまうというレトロピア的な感性がここでは語られているように見える。
豊饒の海」を執筆している時点で小説家の三島由紀夫としては最後の作品だと決めていたはずだし、書き終わったら本名の平岡公威として死のうとしていたのだから、ここで書かれている事柄は彼の死生観だけでなく、残り続けるものにしようと思っていたのだろう。実際に三島由紀夫という名は残り、作品も読まれ続けている。
第一巻である『春の雪』ラストで主人公の松枝清顕が死んでしまい、彼を京都に迎えに行き東京に連れ帰った親友の本多は今作では20年の時が経ち、38歳で子どもはいないが所帯を持ち、大阪控訴院(高等裁判所に相当)判事になっている。
第二巻以降から本多は清顕の生まれ変わりのような存在に出逢いながら、しかしその人物はなんらかの出来事で死んでしまうという展開になっていく。三島は本多ではなく、松枝清顕の方が近いとは思ってしまう。ただ、三島にとっての本多はいたのだろうか。

8時半過ぎに家を出る。肌寒いので薄手のカーディガンを着たけどそれでも風は冷たくて秋というよりも冬に近づいているようだ。数日前に30℃越えの観測史上一番遅い真夏日だと言っていたのに、寒暖差が激しすぎる。みんな体調を崩してしまう。結局、夏場にまた流行りかけたコロナはどうなったのだろうか、今年のインフルエンザは大丈夫なのだろうか、もちろん選挙は投票もするけど、そういう情報が入ってきていない気がする。
radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら、いつものように代官山蔦屋書店まで朝散歩。この前オードリーがメインでやったライブがあって、事務所の先輩である原口あきまささんとはなわさんも出てくれたらしく、ライブや打ち上げの話なんかをしていた。
オードリーの二人が「M-1グランプリ」で敗者復活からの準優勝をしてからブレイクしていくまでの売れない時に可愛がって面倒を見てくれていたのがその二人と亡くなった前田健さんだという話はラジオでも何度もしているし、多少オードリーの番組を見たりしている人がいたら知っている。
打ち上げの時にマエケンさんと「今、しゃべりたいなあ」と若林さんが言ったら、先輩二人も涙したっていう話があって聴きながら泣きそうになってしまった。今年に入ってから僕の涙腺はあまりにもゆるすぎる。
蔦屋書店について小説とかを見ても欲しいものはなかったのだけど、今月末に応募するために書いている小説の主人公のイメージにしている人に関係する書籍があったのでこのタイミングかなと思って購入した。脳内では勝手にその人の写真が使われた装丁が浮かんでいた。このイメージが実体化したら、そうなればいいなと思う。

家に帰ってから昼ごはんを食べてライティング作業をしようかなと思っていたら、友人AからLINEがきた。Aが数日前に旧TwitterことXに『SUPER HAPPY FOREVER』という映画をたまたま時間が空いたので観たらすごく良かったとポストしていて、それを見ていたのだけど、その映画に関して僕が好きであろうということと監督と感性が近いと思うから観に行ってみてというものだった。というわけで映画館のスケジュールを見たら16時半ぐらいからの上映があったのでチケットを取った。
下北沢駅のところにあるK2エキマエシネマは歩いて30分もかからないので16時になる前に家を出た。昨日から「三茶de大道芸」が始まっていて、演奏をしていたり、緑道沿いの道では露天というか工芸品などの出店が出ていて人で溢れていたので茶沢通りに出るまでいつもより時間がかかってしまった。

Story
2023年8月19日、伊豆にある海辺のリゾートホテルを訪れた幼馴染の佐野と宮田。まもなく閉館をするこのホテルでは、アンをはじめとしたベトナム人の従業員たちが、ひと足早く退職日を迎えようとしている。佐野は、5年前にここで出会い恋に落ちた妻・凪を最近亡くしたばかりだった。妻との思い出に固執し自暴自棄になる姿を見かねて、宮田は友人として助言をするものの、あるセミナーに傾倒している宮田の言葉は佐野には届かない。2人は少ない言葉を交わしながら、閉店した思い出のレストランや遊覧船を巡り、かつて失くした赤い帽子を探し始める。

夕方からの上映だったがお客さんが半分以上は入っていた。二十代ぐらいだったりと若い人が多かった。二日続けて「HAPPY」がタイトルにつく映画を観ることになるとは思わなかった。
昨日の『HAPPY END』は近未来を舞台にしていることもあるけど、少年たちが未来へ向かう物語であり、その舞台においては現在進行形で進んでいった。今日の『SUPER HAPPY FOREVER』は現在の妻を亡くした主人公の佐野とその友人の宮田が熱海のホテルに宿泊している所から始まり、五年前にそのホテルで佐野と妻となる凪が出会った時間軸になり、最後には現在に戻って凪との思い出の赤い帽子を探しているが見つからない佐野の姿と、その赤い帽子の行方が描かれるという構成になっていた。
そのため、今作の方が過去に物語の比重が置かれていて現在の佐野はメランコリックな感じがあり、過去の彼はロマンティックな感情を抱き始める、恋の始まりを感じている若さに溢れた姿であり、凪を失ったことで彼の青年期が終わったかのようにも見える。オススメしてくれた友達はそういう感覚の部分が僕の感性に近いと思ったのかな、たぶん。
佐野と凪が出会って時間を共にするわずかな時間、凪は佐野からもらった赤い帽子を翌朝散歩に出た時に無くしてしまい、探し続けるが見つからない。二人ともその日に帰ることになっていて朝食を一緒に食べようと約束していたが、探し続けていた凪がホテルに戻るとチェックアウトを過ぎた11時になっていたのだが、その後に佐野と再び会うという偶然だけどそれが運命のように感じられる瞬間が訪れる。そして、そのホテルには五年前からベトナムからやってきて働いているアンという従業員がいて、凪は滞在時に彼女と会話を何度かして交流をしていた。そして、現在佐野と宮田がやってきた時にはホテルは月末で閉館が決まっており、ベトナム人の彼女たちは佐野たちが滞在した翌日に退職することが決まっていた。
凪はホテルを出る時にアンに赤い帽子がもし見つかったら持っていてほしいと頼んでいた。いつかこのホテルにまた来るからと。物語の終盤では佐野と凪の出会いの日とその翌朝を描いてからホテルを退職するアンの物語になっていく。その終わり方がとても良かった。赤い帽子がキーアイテムだったのでヴィム・ヴェンダース監督『パリ、テキサス』ぽくもあるなと思えた。
刹那と永遠の中に想いは残る。偶然が重なることで人は出会うし別れていく。登場人物たちがなんだか気になってしまう。彼らが佇んでいるシーンはどこか詩的であり、現在から過去、そしてそれを繋ぐ赤い帽子という構図がどこか物悲しくも美しい、
でも、僕らもそんな時間を生きているし、触れたことはある。だけど、それはもう手には触れられなくて記憶の奥底にしかない、いつか大切な人の顔も声も後ろ姿も薄れてぼやけていく、それでもどこかに残ると信じている、いや残っていると思わないとこの現実はあまりにも辛い。だから、僕たちは物語を作り、言葉を紡ぎ、音を奏でる。そして果てる。

ドレスコーズ【LIVE】「スーパー、スーパーサッド」(from 『ドレスコーズ+柴田聡子inFIRE』) 


タイトルからの連想でこの曲のことが浮かんだので帰る時に聴いた。
スマホにメッセージが届いていて、アパートのことに関することだったので折り返して大家さんと電話。もしかするとユニットバスを交換するかも知れず、その場合は隣の部屋が来月退去するので工事期間は隣の部屋を使ってもらうかもしれないと言われる。そういえば、たまに見る占いで10月のところで「居場所が動く」とあって、引っ越しとか何らかの「生活環境の変化」を感じるイベントが起きそうですとあったのを思い出した。もしかしてこれ当たるのでは?

 

10月21日
目が覚めてトイレに行って時計を見たら深夜の2時過ぎだった。寝てから一時間も経っていなかった。部屋が思ったよりも寒いからそれでトイレが、ということもありそうな。そのまま日付は変わっていたので可燃ごみを出しに行く。布団に入って目を閉じていたら今度はぐっすり。
7時前に目が覚めたので朝のルーティンがてら読書を少ししてから朝食がてら飲んでいるトマトジュースを一杯飲んだ。一年ほど飲んでいるので今年の人間ドックの時にちょっとは血液の状態がいいといいけど、今年になってからタバコを吸うようになったのでプラスマイナスで考えたらマイナスなのかもしれない。
いつもの時間からリモートワークを開始。と日記で書いていて僕はずっと「リモートワーク」としているけど、人によっては「テレワーク」という、結局違いってあるんだっけ。そんな疑問が沸いたのは映画『サンセット・サンライズ』で主人公の会社がコロナパンデミックに入って「テレワーク」を社員にするように促したのを見たからだと思う。
調べてみると「テレワーク」も「リモートワーク」も意味はほとんど変わらない。だけど、「テレワーク」は厚生労働省によって定義されているが、「リモートワーク」は定義されていないらしい。どうでもいい情報。

昨日夜にradikoで『川島明のねごと』と『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』は聴いてしまっていたので、作業用BGM はSpotifyで『きしたかののブタピエロ』の続きを流していた。でも、ずっと同じ声が聴こえているとつまらないというか、飽きちゃうのでYouTubeのダウ90000の動画とかTVerで『やりすぎ都市伝説』を流して凌いだ。
昼休憩で駅前に行ったけど、気になる本はなかったので帰り道のから揚げ屋さんでカレーと一緒に食べる惣菜のメンチコロッケを買った。

昭和の高度経済成長期と現代を結ぶ、70年にわたる愛と青春と友情、そして家族の壮大な物語!

本作は、1955年からの石炭産業で躍進した長崎県端島と、現代の東京を舞台にした70年にわたる愛と友情、そして家族の壮大な物語だ。

戦後復興期から高度経済成長期の“何もないけれど夢があり活力に満ちあふれた時代”にあった家族の絆や人間模様、青春と愛の物語を紡いでいく。同時に、現代の“一見して何でもあるけれど若者が夢を持てない時代”を描き、過去から現代に通じる希望を見つけだす、時代を超えたヒューマンラブエンターテインメントである。

昼ごはんを食べながら昨日から始まった日曜劇場『海に眠るダイヤモンド』一話を見る。塚本あゆ子監督×野木亜紀子脚本で現在の物流問題を扱った映画『ラストマイル』は大ヒットして興行収入でもよい成績が上がっているが、このコンビによる初めての日曜劇場は戦後日本の高度経済成長を支えたエネルギーを産出していた端島と2018年の東京を、70年のスパンで描くというある種の「サーガ」ものになっていた。
「サーガ」は三世代ぐらいを描く、人間生きてもたかたが百年、祖父母・父母・自分、父母・自分・子供、自分・子供・孫、その想像力が必要だし、物語ならそれを伝えられる。大江健三郎中上健次が「サーガ」的なものとして、現在読まれることは減っているだろうけど、僕が好きなのは彼らの物語は百年を超える想像があるから。
冒頭の2018年に出てくる謎の婦人であるいづみ(宮本信子)が、1955年の端島にいる朝子(杉作花)と百合子(土屋太鳳)とリナ(池田エライザ)というスリーヒロインのうちの誰の後の姿なのか、色々と匂わせつつ今のところは誰かわからない演出がされている。ただ、最初に羽島から子どもを連れて船で逃げようとしているリナの姿があったので、普通に考えれば彼女なのだろうけど、その謎も今後の楽しみになりそう。
このドラマはぜひヒットしてほしいし、オリジナル作品で戦える人たちが結果を出してほしい。原作ものが悪いわけではないが、原作ありきではないと企画が通らないとかそういうことをしていては誰も幸せにならないと思う。今クールはこのドラマは最後まで見る。


先週出社した時に神保町の東京堂書店に寄った時に大江健三郎著『懐かしい年への手紙』を買っていたので、最近の併読の中に入れて読み始めていた。
大江健三郎さんの擬似自伝と言われている作品で、「ギー兄さん」という人物が出てくる。「ギー兄さん」は他の作品でも出てくるし、大塚英志著『摩陀羅 天使篇』でもここから取られたであろう「ギー」という青年が出てくる。だから、僕は先に「ギー」の方を知った。
『海に眠るダイヤモンド』の2018年の時代に出てくるいづみを演じているのは宮本信子さんだから、伊丹十三監督のことがちょっと脳裏に浮かんだ。
「ギー兄さん」のモデルは伊丹十三監督と言われている。大江さんの妻が伊丹さんの妹なので義理の兄弟であり、高校時代に大江健三郎は年上の伊丹十三によってランボーの原語の詩集を与えられるなどの文化的な手ほどきを受けたとwikiにも載っているほどであり、人生で大きな影響を受けている。偶然だけど、僕の現在の読書とドラマが何かシンクロしているような気がした。

リモート終わってからSpotifyポッドキャスト番組『83 Lightning Catapult』最新回を聴きながら少し読書。ラインギフトを受け取れなかったというリスナーからの相談メール、そういうのをあんまりしたことないけど、ナマモノだと受け取り期限が少ないんだなということを知った。PayPayかも使ってないし、お会計する時に割り勘にして半分とかぺいぺいで相手に送るみたいなこともないんだよなあ。

それからライティング作業に。夕方にリモートワークで作業している時に思いついたことがあって、昨日観た『SUPER HAPPY FOREVER』の構造みたいなものって、自分の作品でもできるだろうし、前に書いて新人賞に応募しても一次選考は通過したけど二次にはいけなかった作品をその構造に当てはめてリライトできそうだった。
何年か前に書いているので使えるのは登場人物とエピソードだけだし、それ自体もコロナパンデミック前の出来事を描いていた。だから、最初はまず現在のことを追加で書いてから、過去のことをアレンジしてリライトして、最後にその物語に通じる、映画だと赤い帽子だったけど、そういうアイテムでもいいしメインの登場人物と関わりのあった人物で締めるというのもありだなって。とりあえずその作品をその構造に分けて登場人物たちのキャラクター表を新たに作成した。今書いているものが一番だけど、これは来年とかに執筆できたらいいかな。

 

10月22日
6時過ぎに目覚ましで起きるけど、疲労が取れていない感じがした。昨日そんなに歩いてないし、どういう疲労なのだろう。トマトジュースとビタミン剤を飲んでから布団に戻ってradikoで『空気階段の踊り場』と『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴きながら寝転んだまま読書。
井伏鱒二著『荻窪風土記』を読んでいると「阿佐ヶ谷将棋会」という集まりのことや太宰治も出てくるが、木山捷平の名前もちょこちょこ出てくる。この前どのくらいぶりかわからないけど、『山椒魚』を読み返したし、実は読んだことのない『黒い雨』もこの次ぐらいには読まないとなって思うようになった。
続けて木山捷平著『駄目も目である』である収録の『下駄にふる雨』を。こういう短編集とかは読める時には一編全部を読むようにしている。木山捷平作品は講談社学芸文庫に収録されていたものをわりと読んでいるけど、彼の短編は確かに噛めば噛むほど味が出るというか派手さはないものの、市井における生活の色や匂いや音がちょうどよく届いてくるし、ユーモアがあって温かみも感じられる。
その後に三島由紀夫著『奔馬』、中上健次著『地の果て 至上の時』、大江健三郎著『懐かしい年への手紙』を読むとこちらは重厚で読んでいると疲れてしまうような描写や展開だったりする。
興味がある小説や作家から興味が広がっていき、いろんな小説家の作品に触れるようになると好き嫌いや合う合わないということはあっても、いろんな作品があることが素晴らしい。現在進行形の作家たちもこれから出てくる作家たちもいるし、すでに作品を残して亡くなった作家たちもいるし、よりどり緑で興味の赴くままに読書という終わりのない趣味は自分が死ぬまでは続くだろうなって思う。


10時を過ぎたのでとりあえず、今回の選挙の投票日である27日はZAZEN BOYSの武道館ライブということもあり、いつも投票日より前に期日前投票しているので行ってきた。僕の投票する選挙区の候補者を見ると選択肢は一人しかいなかった。政党に関してはこのエリアには出馬していないところに入れた。そこがこれ以上その政党の議員を減らすと自民党公明党や維新とかヤバいところにちゃんとしたことを言える人が減ってしまうのだけはどうしても避けたい。
脱税とかしている政党に入れる意味もわからないし、禊も何にもしてないけど、それでも投票に行く人の多くは今までのように彼らに入れて政権与党のままにするのだろうな、とは思う。
失われた30年がさらに終わらなくなり、誰も責任も取らないままだ。安倍政権は僕にはオウム真理教と裏表の関係にしか見えなかった。オウム真理教がやったのは日本国に住んでいる人たちへのテロリズムだったが、安倍政権もそれをやっていたと思っているし、今でも国賊だと思っている。
しかし、国賊が政権与党なら是正されることもないし、そもそも第二次世界大戦による敗戦以降、この国はアメリカの属国でしかないのだからアメリカに逆らわない政治家や政党に権力が集まるようにできている。その構造やシステムはもう変わらない。結局、明治維新も侍のクーデターだったわけだし、国民の諦めや意識が変わらないのは民衆による民主的な革命が起きたことのない国だからなんだろうなって韓国の映画や小説に触れると思う。でも、諦めないし大きなものに何も考えずに従うのだけは嫌だ。


13時までライティング作業をしてから渋谷へ。最近は前日深夜放送のラジオを聴き終わっていたら、Spotifyポッドキャストで『きしたかののブタピエロ』を聞いて散歩している。今は2023年10月放送分、やっと一年前までたどり着いた。
シネクイントのポイントカードが一枚溜まっていたのでPARCO渋谷内のホワイトシネクイントでヨルゴス・ランティモス監督『憐れみの3章』の鑑賞チケットに交換。
オズワルドシアターの試写で観て、公開日の夜とその翌日朝に観ているのでこれでスクリーンで観るのは四回目。同じキャストが三つの章ごとに違う人物を演じているのだけど、昨日思いついた作品はこの映画とは違うけど、現在―過去―現在みたいな流れにしようと思ったのでなんかイメージが沸きやすいかなって思った。
ということで最初の章が上映中はずっとそのアイデアのことを考えていたので話をちゃんと観ていなかった。でも、もう内容はわかっているので問題はない。個人的にも3、2、1という順番で物語としては好きということもあった。やっぱりラストでの悲劇的すぎるが故に喜劇になってしまう件で笑ってしまった。
文章だと役者が同じだけど違う役をやるという表現はできないから、まったく違う三つの物語だけど、出てくる登場人物の名前は同一のものを使うみたいなことになるのだと思う。そう考えると叙述トリックみたいになりかねない。

家に帰る頃にSpotifyポッドキャストアルコ&ピースのしくじり学園放送室P』、『あのと粗品の電電電話』最新回がアップされていた。
「アルピーしくじり」は特別編ということでこれまでの過去回を振り返るというもの、一回ブレイクみたいな感じなのかな。「あの粗品」は粗品も前回よりは元気な感じに聴こえたけど、ずっとポケモンのキャラクターの話だったのでポケモンを通っていない人間としては知らない固有名詞の連発だった。やっぱりポケモンとハリポタはちょっと下の弟妹世代が第一世代なんだよなあ。だから、まったくわからないまま

寝る前に今日からテレ朝で始まったドラマ『民王R』をTVerで見る。前作を見ていないけど、今の政治状況への皮肉にあってコメディとしても楽しめた。このドラマにあのちゃんが出ていて、一話ではかなり大事な役割で前に出る状況が多かったけど、この人演技もできちゃうしどんどん進化しているように感じる。
火曜日はテレビではこのドラマにMCの音楽番組『あのの電電電波』に、Spotifyでは『あのと粗品の電電電話』が配信されて、深夜帯で『あののオールナイトニッポン0』とあの無双状態になっている。
次にツアーする時にはもう武道館クラスでやるんじゃないかと期待している。そういう大きな区切りの後に一度芸能活動休止とかちょっと休みをとるタームに入るんじゃないかなって思ったりもする。
ここまで露出して働いているのって異常だし、肉体的もだけど精神的に大丈夫なのだろうか、とちょっと心配になる。でも、彼女は音楽をやりたくて活動しているのはわかっているから、ある時期に音楽活動だけに移行したりするかもしれない。
ファンとしてラジオとか色々と楽しませてもらっているので、大きな力や思惑にではなく、あのちゃんが選んだ方向に向かえるといいし、そのために今死ぬほど仕事をしているのかもしれないなって思う。

 

10月23日
6時過ぎに起きるけど、今日もなんだかすぐ起きて何かやるっていう感じではなかった。寝転んだままradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴いていたら寝落ちして8時前に起きた。『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を聴きながら朝読書を少ししてから、リモートワークを開始。
「爆笑カーボーイ」は亡くなったピーコさんの話を太田さんがしていて、「あれほど優しい人いない、残酷なほど優しい」と語っていた。その後には西田敏行さんの話になっていて、太田さんが好きな人やものを語る時、なんでこんなに心に刺さるんだろう。太田さんも優しい人には違いない。

何かの番組でピーコさんと対談した時に、「今こうしてたくさんテレビに出始めて、とんでもなく忙しいでしょ? でもね、消費される側に回るとね、たとえどんなに暮らしが豊かになってもね、5年もすれば枯渇するのよ。それは覚悟しておきなさい。あなたが30年以上かけてインプットしてきた経験や知識も、一度すべて空っぽになるから。私もそうだった。全部の引き出しがすっからかんになった。だけど忙しいとインプットが追い付かない。それからが勝負なのよ」と言われたことを、今でも折に触れて思い出します。

追悼・ピーコさんとの記憶「人として、男として、オカマとして」 ミッツ・マングローブ

TwitterことXのタイムラインにこの記事のことがポストされていた。こうやって亡くなった時に優しいって言われるような人にはなれないだろうけど、それでもちょっとは優しい人になりたいって、一番難しいよね。

部屋の中はちょっと寒いぐらいで窓の外も曇っているのかなんだか薄暗い気がする。天気予報を見ると午後から雨っぽい。家で作業をするし、休憩時間も自分で自由に決めているから雨ができるだけ降っていない時間に出ることができるのはありがたい。
「爆笑カーボーイ」の後はいつもの『星野源オールナイトニッポン』ではなく、『ニセ明のオールナイトニッポン』(ゲスト:雅マモル)を。星野さんのオルターエゴ的な存在のニセ明で番組をずっとやるというスペシャルウイーク企画で声優の宮野真守でもある雅マモルと一緒に放送するというものだった。
僕は正直ニセ明をあまり楽しめていないのもあるのだけど、そこにもう一人加わることでよりカオティックさも出ていたし、真面目にふざけているんだろうなと思えた。でも、好きか嫌いかというよりも合うか合わないかと言われたら合わない。でも、最後まで流して聴いた。


傘がいるかいらないかぐらいの雨の中、休憩に出て駅前に向かう。本日発売になった古川日出男著『超空洞物語』をTSUTAYA書店で購入。『群像』掲載時に『うつほ物語』というタイトルで読んでいたが、この新しいタイトルと装幀で完全体になったように思える。
パッと見で装幀が水戸部功さんだとわかるが、『群像』で連載していた『おおきな森』以降で単行本化した四冊(『おおきな森』『ゼロエフ』『の、すべて』『超空洞物語』)全部を水戸部さんが装幀を手掛けている。
古川さんのデビュー10周年記念(2008年)でもあったメガノベル『聖家族』単行本は菊地信義さんが装幀を手掛けていた。そして、それ以降のデビューから2013年(『南無ロックンロール二十一部経』)、2018年(『とても短い長い歳月(THE*MEGA MIX 作品集 PORTABLE FURUKAWA)』)、2023年(『の、すべて』)という周年時には古川さんも代表作になるような作品を執筆して刊行しているが、2013年以降は菊地さんの弟子筋である水戸部さんが手掛けている形になっている。それだけでも特別な時には水戸部さんが装幀をやっているという認識だった。『群像』に掲載した四作品が単行本化される際には水戸部さんが装幀をやっていると考えたら、その作品たちは古川さんにしたら記念となる周年の時に出すほど力を入れている作品ということでもある。

家に帰ってきてからお昼ご飯を食べながら、『あののオールナイトニッポン0』を聴き始める。スペシャルウイークはフワちゃんの前に月曜「ANN0」を担当していたファーストサマーウイカがゲストだった。
後者は大河ドラマの二番手になり俳優としても世間的に知られるような存在になった。前者はポストひとつで芸能界から葬られた。フワちゃんの件におけるXの炎上はなんというか、かつてミゼットプロレスのことでいろいろと文句を背景もわからずに言って、それを食い扶持にしていた小人の人たちの仕事を奪ったことに似ているようにも思える。ミゼットプロレスに関しては差別とかがあるから違うのだろうけど、他者や外部が勝手な正義感で当事者たちを苦しめるという構造は変わらないと思うし、そういう陰湿さみたいなものが政治とか社会への不満として権力に向かわないところが日本らしくて最悪。
あのちゃんとファーストサマーウイカの二人はアイドル時代からの知り合いであり、なんか地下芸人が売れて地上波のバラエティに一緒の番組に出てるみたいな戦友意識も感じる内容だった。
ファーストサマーウイカが「ANN0」をやっているときはわりと下ネタが多かったけど、ゲストでやってきてそのテンションが久しぶりに聞けたのも嬉しかったし、あのちゃんとの凸凹に見えるようなやりとりは不思議と耳心地が良くて、下ネタもどんどん話すし、共通言語がある人たちなんだなってわかるのもよかった。90分ぐらいあっという間だったなあ、またゲストというのもあるけど、「あのANN0」のイベントやることがあったらファーストサマーウイカをぜひ呼んでほしい。


リモートワークが終わってからニコラでアルヴァーブレンドで一服。カウンターで小一時間ぐらい、アイノブレンドもお代わりして、タバコもちょっと吸った。
前に来ていた常連さんが8年ぶりに来たという話をうれしそうに曽根さんが話していて、その人も色々と大変なことがあったけど、だいぶ期間が空いても来てくれたことがうれしかったのも伝わってきたし、最悪なことが起きてもやっぱり生きていればまた会えるし、話せるということだけが希望というか、なんかそういうことだと思う。

【祝!KOC優勝】ラブレターズ 芸人人生を変えた言葉ベスト5!太田光代社長からの衝撃の一言・憧れのバナナマン設楽から得た教訓・師匠大竹まことから授かった金言の数々


家に帰ってからYouTubeで『佐久間宣行のNOBROCK TV』のラブレターズゲスト回を。いやあ、一位から五位まで本当にすごいなって思う言葉だったし、その人が言ったからこそラブレターズの二人に届いて響いたんだと思えるものだった。しかし、一位と二位の二人の言葉はしびれるし、特にその人たちの影響を受けている二人には金言であり、指針になったのもわかる。
いやあ、ずっとコントを作り続けてきて形ができあがったけど、コンテストで勝ち抜けない、芸人として売れきれない理由を突破する言葉もかけられていて、その言葉にハッパをかけられてこの数年で溜口さんがどんどんキャラクターを強くしていった。それが優勝に結びついているとか、長くやっている人ということだけでもすごいのに、周りにいた人たちの言葉をしっかり受け取って実行する人たちだから栄光が微笑んだんだろうな。

 

10月24日
7時過ぎに起きて朝のルーティンの読書をしながら、radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を流す。今週スペシャルウイークのゲストは手越祐也さんだったが、出てくるエピソードが豪快だった。佐久間さんが「松方弘樹さん」の名前を出していたけど、その場にいた身も知らない人と飲んだり、その人たちの飲み代を奢ったりと昭和の映画スターみたいな豪快なことをしているという話とか、人間・手越祐也の魅力が伝わってくる内容になっていた。
僕は元NEWSでアイドルというぐらいの認識しかなかったけど、これを聞いちゃうと気になるというかファンになってしまうような人だった。このラジオ自体がマスコミ関係やエンタメ業界の人たちもたくさん聴いているから、手越さんの露出どんどん増えるんじゃないかな。

横軸だけを意識していると相対的になる。要するに「誰が・誰よりも・何々だ」の罠に落ちる。それでは駄目だ。絶対的な芯が欠かせない。そういう絶対性に自分を(あるいは自分以外のいろんな人たちを)触れさせるのは? ひとまず縦軸だ、と私は直観しているのだった。それは同時代性ではないのだから、時間が前か後ろに伸びる。未来あるいは過去。実際にたどれるのは? 過去だ、と即答できる。

だからこそ、と振りかぶりはしないけれども、私は日本最古の長篇小説である『うつほ物語』(かつては『宇津保物語』との表記で紹介されることも多かった)に直接に対峙した。しかし、それだけでは「古典やってる」のひと言で、やはり同時代アディクトの趨勢からは黙殺される……はずだろう。だったら「古典やってる」を「超・古典やってる」に変えるという手しかない。

古川日出男のセルフ解説』【超空洞、スーパーホロウ日本文学 #01】

発売になったばかりの『超空洞物語』の著者解説がアップされていた。菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの楽曲をSpotifyでリリース順に流しながら、単行本を読み始める。
半分過ぎたところで一旦読むのをやめて、お昼のご飯を買いに外に出る。夕方から天気が崩れるみたいなことだったけど、曇り空でちょっと湿気があるけど暑くはない。
昼ごはんを食べてからも菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールを聴きつつ、15時までライティング作業をする。元々長編にするつもりでその第一章にする予定だったものをそこだけ独立させて成立させようとしているから、当初作っていたキャラクター表も他の章と関わる人物とかも減らしたりしてできるだけシンプルにしようと思っていた。やっぱり内容に関わる人物はちょっとだけでも出さないとエピソードが作れないので、登場人物はそこそこ多くなってきた。
長編にするときのタイトルはすでに決めていて、それぞれの章タイトルは菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールのアルバムから取っていた。しかし、今回独立させたのでそこも変えた。個人的には今つけているタイトルから伝わる「喪失」というか何かが損なわれた感じがちゃんと伝わるようになるといいのだけど。

15時過ぎに家を出る。目的地は有楽町だったのでTOHOシネマズ日比谷に行く時の道程で計算したら二時間半以内には着くイメージ。湿気があるせいで一応寒くなると思ってきてきたカーディガンのせいで汗ばんでくる。
最初の一時間はまた『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴いていた。聴き終わってからは菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの最新アルバム『天使乃恥部』を聴きながら歩く。いつもの青山墓地、乃木坂に赤坂に首相官邸に国会議事堂を通り過ぎる。


日比谷公園を横切っていたらずっと工事中で中が見えないようにしていた壁がなくなっていた。結局、噴水もそのままだし、大開発って感じではなかったのかな。緑の芝生の部分はなんか思ったより面積がない感じがした。両脇とかの通路がわりと広いせいなのか。


有楽町駅近くの目的地に着いたのが17時過ぎで、開場が18時15分と約一時間ほど余裕があったので周りをブラブラしていた時に、そういえば八重洲ブックセンターが新しくなったけど一度も行っていないと思ったので行ってみることにした。
大通りを東京駅方面に向かって歩いていく。海外から来た人が有楽町も多いけど、このエリアだと彼らは何を求めているんだろうか、ほんのたまにしか来ないし、来ても映画関連の時か有楽町ホールのライブぐらいなのでよくわからない。
途中、地下通路を降りると地下街が広がっていた。奥の方に八重洲ブックセンターの新店舗があった。やっぱり何階もあって自社ビルなのかデカい建物だった時の大きさを知っているとこんなに小さいのって思えるサイズになっていて、在庫数もまったく違うし、駅を利用する人がよって新刊とかを買うみたいなお店なんだろうな。

18時を過ぎる頃には有楽町の方へ戻っていて、有楽町マリオン別館七階にある「I'M A SHOW」に開場時間が来てエレベーターで上る。今日は『天使乃恥部』リリースのレコ発的な菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール公演を鑑賞。
ずっと楽しみにしていたので来れてよかった。初めての会場だったけど、天井も高くて作りはホールみたいな感じに近い、座席は前から三列目の真ん中エリアの通路寄りの場所だったので弦楽四重奏チームの正面に近い、真ん中に立っている菊地さんもすごく見えやすいいい席だった。
エレベーター出てすぐに「I'M A SHOW」になっていて、そこでチケットの確認とワンドリンクのお金を払って引き換えたドリンクチケで飲み物を頼んでから中に入るという導線だった。やっぱり開場すぐは人がたくさんいるから追いついていなくて、正直この導線はあまりよくない。入り口付近が渋滞していたからそこはちょっとストレス溜まりそうだし、そこだけは気になった。
お客さんはさすがに年齢層が高くてやっぱり四十代五十代が多くて、二十代とかは少なかった。女性は着飾っている人が多いのも菊地さん関連のライブの特徴だなって思う。ドレスコードがあるわけではないけど、菊地さんの音楽を好きな人はやっぱり衣食住にこだわりがあったりするのだろうし、特に色気のある菊地さんだからこそ女性はよりオシャレをしてきているんじゃないかな。


『色悪』という曲は以前は『機動戦士ガンダム サンダーボルト』のサントラに入っていたものだったが、今回のニューアルバムではサルサ風にリアレンジされていて菊地さんが歌っているバージョンになっていた。
前のはわりと激しい印象があったが今回のものはサルサ的なリズムだし菊地さんの歌い方も艶やかっぽさがあってよりエロティックであり悲惨さも増しているように感じた。うーん、色っぽい。


アンコールの一曲はテレビドラマ『岸辺露伴は動かない』のエンディング曲である『大空位時代』が演奏されて、この曲の題名を英語にしたものを長編のタイトルにしていたりして、そこから独立させた作品には今はこのタイトルをつけているので今聴けたことはうれしいというか、聴けるかどうかは僕には大きかった。
そして、最後はアルバムでも最後に収録されている『天使乃恥部』が演奏された。座ったままでの鑑賞だったけど、ライブハウスとかスタンディングで聴いたらお客さんすごく踊って楽しめただろうな、どちらもペペのライブではやるので今度はスタンディングでずっと踊っていたいなとも思う。

昼前にモーリー・ロバートソン著『日本、ヤバい。「いいね」と「コスパ」を捨てる新しい生き方のススメ』の編集者の目崎さんからお声をかけてもらっていたので、コンサートが終わってすぐにエレベーターで一階に降りてから丸の内線に乗って四谷三丁目駅まで。
スナックアーバンに着くとなぜかアニソン括りのカラオケが始まっており、目崎さんと乾杯して他のカウンターのお客さんが歌っているのを聴いたり、ちょっとお話をさせてもらった。アニソンということで徳永英明さんの『夢を信じて』とH2Oの『想い出がいっぱい』を歌った。カラオケしたのいつぶりだろう、たぶんコロナパンデミックが始まるよりも前だ。

もう一軒、荒木町猫目というバーに目崎さんに連れて行ってもらった。名前だけは聞いたことがあったのは文壇バーだからなんだと思う。新宿にあるけど、このお店はその二軒目らしい。すごくシックな作りになっていて落ち着いた雰囲気だった。
文壇バーと言われる所には初めてきたのかな、作家さんのエッセイとかでもうなくなってるんだろうけど風花とか名前ぐらいは聞いた事ある程度、実際に今も飲みながら交流している作家さんもいるだろうし、編集者さんも足を運んでいるんだなって思いつつ、ある種のロマンみたいなものが残っている場所って印象がある。
ナミビアの砂漠』のポスターが貼ってあって、山中瑶子監督が前に働いていたらしい。おお、めっちゃ今注目されまくってる人だ。文化的な場所にいてちゃんと作り続ける人ってすごいな、大抵その雰囲気だけを満たされちゃたり、いろんな人の話を聞いてしまって勘違いとかすることもあると思う。たぶん、僕はそういうタイプだ。
ほどよく飲んで話してから目崎さんと一緒にタクシーで三茶方面へ。そういえば、スナックアーバンに行くし、と思ってタバコを持ってきていたけど、どこでも吸わなかった。一軒目も二軒目もスタッフの女性以外、ご一緒した男性は僕と同世代かその上だったけど誰も吸ってなかった。とりあえずタバコを吸いながら歩いて家に帰った。

德永英明 - 夢を信じて 

 

10月25日
帰ってすぐに寝たが、二時間ほどで目が覚める。気持ち悪い。普段はビールしか飲まないけど、スナックでジャックダニエルソーダ割りとか飲んだからだと思う。飲んだのも三杯程度なんだけど、単純にウイスキーが合わないのだろう。冷蔵庫にあったポカリを一気に飲んでトイレ行ってからまた寝る。
7時過ぎに起きたら気持ち悪さはほとんど消えていた。でも、まだ怠かったので朝のルーティンはせずにもう一時間寝ることにして、radikoで『ハライチのーターン!』を流して聴いていたらすぐに落ちた。


リモートワークを始めてもろもろの作業をしていた。その時に今日朝日新聞を買う日だったと思い出した。昼まではオンラインミーティングとかあったりしたので昼休憩の時に買うことにした。
昼休憩で外に出て惣菜をスーパーで買った帰りに最寄りのコンビニに寄って朝日新聞の朝刊を購入。最終金曜日に古川さんの文芸時評が掲載されるのでそのためだけに月に一回新聞を買っていて、もう一年以上は経っている。
古川さんがご自身の近況を書いているブログでこの時評を書くために月に四十作品近く新作小説(単行本として刊行されたもの、文芸誌に掲載されたもの)を読んでいるということを書かれていた。その大変さとかかっている時間を考えると本当に頭が下がるし、続けられていることがほぼ奇跡みたいなものだと思う。この時評は少し経ってからウェブでも見えるようになるのだけど、やっぱり最初に形になったもので僕は読みたい。

休憩の時に駅前のTSUTAYA書店に寄ったら、モーリー・ロバートソン著『日本、ヤバい。 「いいね」と「コスパ」を捨てる新しい生き方のススメ』が新刊コーナーに置かれていた。関わった書籍を書店で見るとなんか早く誰かに手に取ってもらいたいなと思うし、マジで売れてほしい。

リモートワークは仕事も溜まっていなかったのでのんびりと進めていた。午前中からradikoで『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』(ゲスト:パンサー 向井慧)、『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』(ゲスト: FUJIWARA 藤本敏史リボルバー・ヘッド)、『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』と続けて聴いていた。
おぎやはぎの二人と向井さんの組み合わせはもう向井さんがおもちゃにされている(悪い意味ではない)感じで、終始楽しそうで何度か笑ってしまった。「マヂラブANN0」は一年前にゲスト予定だったけど車でやらかしたため来れなかったフジモンさんが登場、でこぼこというかぼこぼこなリボルバー・ヘッドとのやりとりも楽しかった。「都築サクラバシ」では明日ゲスト予定の「三四郎ANN0」の話もしていたけど、本当に彼はラジオでの存在感がどんどん大きくなっている。

仕事が終わってからSpotifyポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』を聴きながら、昨日書いていなかった日記を書いたりした。
そこから自作のライティング作業に取り掛かる。書いているうちにラストの方の展開が浮かんできたのでなんか最初と最後が繋がる感じになったらいい。円環の輪に見えるけど、角度を変えたらそれは螺旋だったというのが望ましい。

ラストシーンに関することで地元の井原市にあるリニューアルされた平櫛田中美術館のサイトを見ていたら、「鏡獅子」が今年の二月から展示が開始されていた。その期間が5年半の予定で、予定ってどういうことだと思って見てみたらこの「鏡獅子」は国立劇場に展示されていたものだから、建て替え期間の間は田中さんの地元にある平櫛田中美術館に貸すということらしく、建て替えも色々と問題があったりするのでいつまでかかるかわからないから予定になっているみたい。



僕が知りたいのはここにおそらく展示されているであろう「転生」のことだったが、ウェブ見る限りではちょっとわからなかった。
前に帰郷したのは2022年11月でその時にはまだ平櫛田中美術館はリニューアル工事中で館内には入れず、コロナパンデミックも終焉していなかったこともあり、本来美術館で展示されているものが井原駅構内に一部展示されていて、そこに「転生」もあった。そのことを小説に組み込みたいと思ったのだけど、どうしようか。

190枚の小説に対して、何を、幾つ掘って書けるのかはわからない。しかし、言いたいことがある時には、届けたい。そもそも小説であってもなんであっても、私は届けるためにやっている。時には届かないが、そうしたら自分の全表現のひとつひとつを〈うつほ舟〉に入れて流す。その〈うつほ舟〉とは何か? それは『超空洞物語』内に書いてある。また簡単に調べることもできるだろう。

私は〈うつほ舟〉に入れて、いま現在ではない時間に、たぶん未来に、それからここではない場所に、それは国外かもしれないし彼岸かもしれないが、全部を流す。そして信じる。信じて、籠もって、眼前にある(かなり膨大な量の)仕事をこなして、しかし来年(とは2025年だ)そして来年度(とは2025年4月からだ)へ、自分を「執筆する運動体」にと変じられるように、飛ばす。

古川日出男の現在地』Super Hollow Japanese Tales 2024.10.12 – 2024.10.25 東京・山梨

寝る前に最新回がアップされていたので読む。「うつほ=空洞」のことを『超空洞物語』を読んでから考えている。空虚なのもの、損なわれてしまったもの、人が生き続ける限りは抱えていくもの、そして東京の空虚な中心のこと。

 

10月26日
寝ようとしたらメールが届いていた。A24からのお知らせのものだったが、ポッドキャストをアップしたという内容だった。

A24ポッドキャスト「Episode 42: Andrew Garfield & Harris Dickinson」

A conversation between A24 leading men and resident Brits, Andrew Garfield and Harris Dickinson, stars of We Live in Time and upcoming Babygirl.

The A24 Podcast | Child's Play with Andrew Garfield & Harris DThe A24 Podcast | Child's Play with Andrew Garfield & Harris Dickinson | Official Video HD


A24制作の映画にそれぞれ出演するアンドリュー・ガーフィールドとハリス・ディキンソンのトークポッドキャストYouTube動画で配信されていた。定期的に配信されA24のポッドキャストは映画に出演している俳優や監督の二人がトークするもので、エマ・ストーンなど豪華な顔ぶれが今までにも出ている。
フローレンス・ピューとアンドリュー・ガーフィールドが共演している『We Live in Time』は予告編観てかなり気になっているが、アメリカとかで秋公開だったのでそろそろ観れるのだろうけど、現在のところ日本公開は発表されていない。
もし、アカデミー賞候補に作品賞や主演男優賞や主演女優賞で入りそうなら日本でも3月か4月に公開になる可能性もあるけど、お願いだから日本で公開してほしい。

目覚ましで6時過ぎに起きたけど、まだ惰眠を貪りたかったので8時にセットし直して再度寝る。その間にすごく変な夢を見たような気がする。BLっぽい内容だった気もするし、少し不思議な世界観だった気もするし、夢だから摩訶不思議で辻褄が合っているはずもないのだけど、もしかすると寝る前に読み終わっていた古川さんの『超空洞物語』の物語に何か影響されたんじゃないかなって思う。
『超空洞物語』は『うつほ物語』を古川さんがマッシュアップしながら、新しい物語に生み直しているのだけど、作品の構成としては「光る筆」と「琴が鳴る」というパートが交互にあり、その間に著者である古川さんがこの作品について補足している「超空洞」というパートも入ってくる。
この小説は何の話かと言われたら、「芸術」についての物語だと言える。ここでの「芸術」には音楽と美術があり、鳴っているし視えてくるものがあり、最終的には古川さんの名前を多くの読書の好きに認識させて唸らせた『アラビアの夜の種族』にも接続するような展開になっていく。つまり幻視者としての古川日出男が日本文学の黎明期に存在した『うつほ物語』を現在、2024年に新たな語り口で現出させたと言える。そういう作品を読んだ後には僕自身の「うつほ=空洞」の中に陥っていても何もおかしくない。

noteに「書籍ミニ感想」という感じで短い感想を書いたものをアップするようになったので上記のことを含めてアップしてみた。

9時を過ぎてからいつものように散歩へ出る。土曜日のお供はradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を。楽しみにしていたスペシャルウイーク。
三四郎オールナイトニッポン」10周年記念の武道館ライブまであと一ヶ月。先行でチケットを取ったのが4月ぐらいだが、開催の3日前にならないとスマチケのダウンロードが可能にならないのでアリーナというのは分かってるけど、どの辺りなのかわからないけど楽しみ。
武道館でライブを観る機会は何度もあったけど、一人で行くのはDragon Ashの初武道館以来だと思う。たいてい誰かと行っているから。
スペシャルウイークのゲストは最初に二席の都築だけが発表されていて、もう一人(一組)は決まっていなかったが、「三四郎ANN」ファミリーのラブレターズが『キング・オブ・コント2024』王者になった瞬間に内田Dがマネージャーさん(たぶん、大竹さん。『ゴッドタン マジ歌ライブ』に出て演奏して歌っている、大竹まことさんの息子)に連絡して出演が決まった。
ファミリーなんだから、優勝すると思ってなくても最初から出演オファーしろよって最初の時に言ってたけど、そりゃあそうだよなって思う。都築さんはラブレターズとの絡みは今までなかったみたいだったけど、ネクストラジオスターに、もはや「ラジオ」になろうとしてる彼がいることでラブレターズの二人もどんどんテンションが上がっていくし、三四郎の二人がちょこちょこちょこちょこ導火線に火をつけるように誘導していくのでどんどんバカバカしくなる。これが「三四郎ANN」の一番の魅力だし、ノリだけで10年やれていることが謎だし、すごい。
『オードリーのオールナイトニッポン』は若林さんの成長の記録でもあったからどんどんリスナーを惹きつけて、共感を得ながら熱心なファンを生み出していった。『三四郎オールナイトニッポン』は小宮さんのMC 能力も向上してるし、やったらとりあえずのことはできてしまう相田さんというお笑い能力は明らかに上がっている二人だけど、それが世間的には理解されていない、されないようにしているのかラジオでのトークは成長を感じさせないことが強みになっていると思う。めちゃくちゃおもしろい時とそうでもない時の落差がここまで激しい芸人のラジオもそうないだろうし、内容も大抵ちょっとしたら忘れてしまう。そのぐらいのラフさも含めて僕はたのしめているし好きだと思える理由だったりする。
今回も最後の方で五人のトークが加速していって、都築がいることでラブレターズの二人も爆発していった。都築がゲストで一番生きるのはやっぱり「三四郎ANN」だなあ、バカバカしすぎる(褒)。このまま武道館ライブにこの三人呼んでほしい。

代官山蔦屋書店に着いたらお客さんがたくさんいて、星海社のミステリーカーニバルという作家さんが来てサイン会をやるという催しが開催中だった。開始の少し前だったみたいで建物の間の通路のところにテントみたいな感じで、それぞれの作家さんごとのエリアが作られていてお客さんが開始するのを待っていた。
阿部和重さんの『ブラック・チェンバー・ミュージック』が文庫上下巻で出ていた。単行本の時の装丁の方が良かったなあ。急いで今買わなきゃってことでもないので月末過ぎたら買おうかなって思う。
帰り道にあるスーパーに寄って昼ごはんのようの惣菜を買って、「三四郎ANN0」を時折笑いを堪えながら、何度か普通に笑ってしまいながら家に帰っていく。思ったよりも寒くなってきていて、汗はかくけどやはりもう秋らしい風だったりして歩くのはちょうどいい。
家に帰ってから昼ごはんを食べて14時からライティング作業を開始。もう今日はこれだけの予定。できるだけ進めることと、昨日のアイデアをどう組み込むかを考えつつ。

ジャンプ作品なのに表紙が“花一輪”。担当が「編集部に衝撃が走った」と語る、マンガ『夏の終点』作者の素顔は?

夕方過ぎに休憩しようと思ってスマホを見ていて気になった記事。読んでみたらこの『夏の終点』というマンガが読みたくなったので30分ぐらい散歩がてら外に出ようと思って池尻大橋駅の本屋に行ってみたが置かれていなかった。諦めきれずに三茶駅前のTSUTAYA書店にも寄ってみたがなかった。こんなにないのかって思ってもう一度記事を見たら上下巻で下巻が出たのが7月ぐらいだったから、新刊コーナーはどちらもあるが、新作以外の作品の在庫はどちらもそこまで多くないから置かれていないということなんだろうな、と勝手に理解した。

――いよいよ10月になって、武道館公演があと3週間後に迫っています。向井さんが武道館に立つというのは、まったくもって初めてのことですよね。今回、どういった経緯で武道館公演に至ったんですか? 

向井 ライブ制作をずっと一緒にやってもらってる人がいるんですけど、その人から「この会場がとれました」とか、「この会場でやってみませんか」と連絡があるんですね。今回に関して言うと、「日本武道館の日程がとれるかもしれないけど、申し込んでみませんか?」というふうに、ライブ制作のプロフェッショナルとして提案があった。ライブというのは、そうやって始まることが多いんですね。たとえば日比谷野外音楽堂ではほんとにずっとライブをやってますけど、「何月何日にライブをやりたいんですけど」っつっても、できないわけよ。野音は週末しかライブができなくて、せっかくなら過ごしやすい季節にやりたいと思う人が多いから、抽選になるわけよ。その抽選に申し込んで、とれた場合にはライブをやりましょう、と。今回の日本武道館も同じような形で、現時点で空いてそうだから、エントリーしてみましょうという話になったんです。 

――それがいつ頃のことだったんですか? 

向井 もう、1年くらい前にはそういう話があったんだけど、それがちょうど『らんど』の大詰めの時期だったんですよね。「これ、予定通りリリースできんのか」って状況だったから、ライブツアーをどうするかとか、そういう組み立てはまだ曖昧な時期だったんだけど、でも、ぶち込んどくか、と。 

――せっかく話があったんだから、と。 

向井 12年ぶりのアルバム『らんど』を、2024年の初めのうちにリリースしたとして、その年の秋口ぐらいに日本武道館があれば、なんか楽しいじゃない、と。そういう具合のもんです。本来なら、もっとストーリーを作っていくものかもしれないんだけどね。アルバムならアルバムをリリースして、ツアーを組んで、その最終公演を日本武道館でおこなう――これだとわかりやすい物語としてヤマが作れると思うんですけども、そんな先のビジョンはまだ見えてなかったんですね。だから、何とも言えないところもあるんだけど、抽選にエントリーしてみるかってことが、今回の始まりです。結果的には、アルバムを無事リリースすることができて、日本各地でワンマンのツアーをおこなうことができて、夏が過ぎてひんやりしてきたっていう、まさに季節の移り変わりにあわせて日本武道館公演ができるというのは、ストーリーをつくることができたなと思っていますけど。 

向井 上京のときはもう、ひとりでも多くの東京の人間をぶち殺すぞっていう思いで出てきたはずなんだけど、ある線を越えると、すごく遠ざかっていくような気がずっとしてるんですね。あるラインを越えると、こちらに興味があるのかないのかよくわからない、そんなぼんやりとした人たちがその場にいるだけではないかって感じがするんです。手応えを感じることが出来なくなる。だから、ほんとはリキッドルームぐらいのサイズ感がやりやすいし、届いていると思えるし、コミュニケーションができているような気がするんですね。こんなことを話してたら、「売れないバンドマンがそんなことをほざきやがって、1万人入れてみてから言えや」って言われるかもしれんけどさ。1万人の人たちが興味を持ってくれるというのは、すごいことだと思います。すごいとわかっているからこそ、言ってるんだけどね。

Zazen Boys - 永遠少女 Live at 日比谷野音 5.26 2024 


帰ってきてからライティング作業の続きをして、途中で休憩して明日の武道館行くので関連する向井秀徳さんへのインタビュー記事を読む。
武道館でやるとしてもすぐにやろうとしてもできず、申し込みして取れたらということなんだ、と初めて知ったこともあったし、だからこそ明日の武道館ライブでのZAZEN BOYSを楽しみまくって堪能しまくろうと思った。
あと引用した後ろの方でリキッドルームぐらいのサイズ感がやりやすいってのは観客として観に行っているだけでステージに立ったこともないけど、よくわかる。聴いている側としてもリキッドルームでのライブが一番楽しめるし、コミュニケーションできていると感じる。実際にZAZEN BOYS以外のライブでも個人的にはリキッドルームが一番体感としてライブを楽しめる場所だったりする。

 

10月27日
6時過ぎに一度目が覚めた。トイレに行ってから布団に戻る。室内の温度が下がっていてもう少し寒くなってきたら冬に突入する感じなのだろう。今のところはまだ布団に入っていれば暖房もいらないけど、リモートワークで机に向かって椅子に座っていると少し肌寒いと日中でも思うようになってきた。
寝転んだままで TVerで『ゴッドタン』を流して、radikoで『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』を聴いていたらもう少し寝たくなってきたので再び寝る。
寒くなってきたこともあるのだろうけど、最近は一発目の目覚めですぐに行動に移せない。何か気だるいというかめんどくさいというか、そういうものが確実にある。でも、このままだと諸々進まないこともわかる。
8時過ぎにもう一度起きる。朝のルーティンはしないで20分過ぎに家を出る。薄手のカーディガンを羽織っていても寒いが、10分も経てばちょうどいいぐらいになってくる。とりあえず、いつもの日曜日の朝の散歩は『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながらということが多いのだけど、月に一回放送の『ヤーレンズオールナイトニッポン0』(ゲスト:コットン)が深夜に放送していたのでそちらをお供に。


9時ちょうどに代官山蔦屋書店に到着。昨日同様に星海社のミステカーニバルリーのイベントのテントみたいなものが通路のところに置かれていた。さすがにまだ作家さんたちもいないし、星海社のスタッフさんが数人いて準備を始めはじめたぐらいだった。
昨日も来ていて小説で気になるのはなかったし、土日なので新刊はないことはわかっていたけど、昨日夕方に書店で探していた『夏の終点』がもしかしたら二階のコミックフロアにあるかもと思っていたらあったので購入。
自動レジになっているのでTポイントではなくVポイントになったポイントをちょっと使って現金で購入した。袋はいつも使っているバッグに入っているのでそれを使うことにして、会計をした。お釣りがちょうど550円になるように支払いをした。そうすると小銭が出てくるところにお釣りの500円と50円が出てくるのだが、なぜかそのコインが出るところの底の丸くなっている箇所が一部開いていてコインが二枚そのままそこを勢いよく通過して床に落ちていった。500円玉は足元に落ちてきたのですぐに捕獲できたが、50円玉は弧を描くように自動レジの下に入っていった。
会計を始めた時に近くにいたスタッフさんがちょうどお客さんからの電話に出て注文についてのやりとりをしていたのを横目で見ていた。自動レジの下を覗くとどうも50円玉みたいな銀色の輝きをしたものは見えるが手を伸ばしても微妙な距離だった。スタッフさんは電話対応をしていた。これはどうすべきか、悩む。もし500円玉だったら声をかけて回収するけど、50円玉っていうのは微妙だ。しかもVポイントで80円ぐらい使ったからそれを考えると諦めても損はしていないような気もするし、ああ、どうしよう。とそのスタッフさんを見たらファイルを見ながらその対応の続きをしていた。諦めよう。うん、粘りたくないって気持ちが勝ってしまった。

「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2024年11月号が公開されました。11月は『ヴェノム:ザ・ラストダンス』『本心』『ドリーム・シナリオ』『正体』を取り上げました。


家に帰ってから少しだけライティング作業をして昼ごはんを食べて、家を出るまでもう少し作業の続きをした。
13時半過ぎに家を出る。渋谷までのお供はradikoで『オードリーのオールナイトニッポン』にした。スペシャルウイークで若林さんの愛車のマウンテンバイクを欲しいと手を挙げた人たちが数人出演するという企画で、芸人さんとテレビスタッフさんが参加するというものだったが、最初にオープニングから聴き始めた時に若林さんと春日さんの声の通りがいつもと違う感じがした。なんというかいつものスタジオよりももっと広い場所で音を録っているのかなって思えた。
毎週聴いているというのもあるんだろうけど、ニッポン放送の地下にあるイマジンスタジオという大きめのイベントでも使う(「三四郎ANN 」爆湧きステッカーをもらいにいったけどそこそこデカかった)場所で今週は放送をしていることがわかった。広い空間での音の広がりとラジオのそこまで広くないスタジオでの音の広がりはやっぱり違うし、慣れていくというのはそれがノーマルな状態になるからちょっとでも違うとその差みたいなに違和感を持ちやすいのかもしれない。


半蔵門線渋谷駅から乗って九段下駅で降りて日本武道館へ。今日はZAZEN BOYSの初めての武道館でのライブだった。いつも一緒にザゼンとかのライブに行く友人A と合わせて二枚チケットを取っていた。残念ながらアリーナではなくスタンド一階席だったが、南東エリアのC列という前の方だったので見やすいので問題はなかった。
先に着いていたAからラインをもらっていたが物販がかなり並んでいるみたいだった。僕は事前に会計だけして当日受け取りにしていたのだけど、着いてから事前受け取りは全く人が並んでいなくて、すぐに頼んでいたDANBIRA黒Tシャツを受け取れた。来月の三四郎ANN武道館も事前に支払って当日受け取りがあったので、これなら待たなくていいからまた利用しよう。
早めに集合していたので近くのコンビニでビールを買ってきて、開場まで待つエリアに座ってビールを飲みながら今回のライブのこととか諸々話していた。前回一緒に行く予定だったアジカンリキッドルームライブは僕が体調不良で行けなくなってしまい、二人でライブに行くようになって初めて僕が行けない日だった。お互いに年齢的にも体に気をつけないと行けないおじさんになっているので、そういう話題も増えてきた。


いつもZAZEN BOYSのライブに行くと僕たちは周りにザゼンのファンってほぼいないというか、会わないのになんでライブにはこんなにいるんだろうって話をするのだけど、今回はさらにキャパが大きな武道館がソールドアウトしている。
日本中から、さらには海外の人もこの数年ライブで見る回数は増えてきているのでそういう人たちが集まってきていた。本当にこういう人たちと普通に出会うってことがないのが生きていて不思議だ。
古川日出男さんとThis is向井秀徳さんは一緒にコラボもしていたりするから、古川さん界隈の人はZAZEN BOYSも好きだし聴いている人がいるけど、そういう関係がない場所でZAZEN BOYS大好きみたいな人に僕は会ったことがほぼない。まあ、Aともよく言うけどZAZEN BOYS好きな時点でいわゆるマジョリティ的なものとか好きじゃないだろうし、HENTAI寄りな人が多いのだろうから普段から好きとは表立っていっていないだけかもしれない。
ライブは17時過ぎに開始されて終わったのが20時半前だった。三時間半近くセトリを見ると37曲もやってくれていた。ニューアルバム『らんど』の曲はほとんどやったと思うが、それにしても過去の曲だったりここ数年の単独ライブでも演奏しなくなったような曲もやってくれたのはうれしかった。
『MABOROSHI IN MY HEAD』『I Don‘t Wanna Be With You』『安眠棒』『6本の狂ったハガネの振動』辺りは久しぶりに聴いたと思うし、『Honnoji』からの『半透明少女関係』の流れはめちゃくちゃ盛り上がっていたし、最高に楽しかった。最後はこちらも久しぶりな『KIMOCHI』で回るミラーボールに反射するライトが作った光の珠が武道館の中を照らしていた。

ZAZEN BOYS初の日本武道館ライブの映像と音源を完全収録!ボックスセット発売 

終演後に外に出たら今日のライブのボックスセット発売のお知らせをもらった。Blu-rayにCD三枚組らしい。Blu-rayは見れないけど、CDあるならちょっと欲しいかも。
九段下駅に行くまでに外は小雨が降り始めていて、予報をちゃんと見ていた人たちの傘が開いてしまったのもあって混雑もしていて歩くのも遅いのでそこそこ時間がかかってしまった。駅でAと別れて電車で池尻大橋駅まで乗ってから、帰りにスーパーで晩御飯を買って帰った。
今日はZAZEN BOYSのライブが良すぎて楽しすぎたし、ライブ終演後にスマホを見たら今回の選挙で自民党公明党過半数我の見通しだったのでぐっすり寝れそう。いい日だった。

 

10月28日
6時過ぎに目が覚めて可燃ごみを集積所に出しに行く。地面が雨で濡れていて、風もひんやりとしていた。憂鬱な月曜日、出社しなくていいのはありがたい。でも、もう少し眠っていたい。8時過ぎまでTVerで『有吉クイズ』流しながらウトウトだらだら。
リモートワークを開始して少し経ってから昼休憩を前借りというか先に使うことにして近くの整骨院へ行くことにした。
昨日の武道館ライブは開始してすぐに僕たちスタンドもアリーナの観客も立ち上がったが向井さんが「座って座って」みたいなジェスチャーをしたのでほとんどの人は着席する形でライブを観た。This is 向井秀徳からすれば椅子があるんだからのんびり座って楽しんでくれ、長丁場だからということだったのかもしれないし、そもそも映像を撮影していたから観客が着席してくれている方がやりやすいということもあったのかもしれない。
途中で休憩のような佐内さんの写真スライドが舞台のスクリーンに写っている時間以外はほとんどの人は座っていて、一部の人は立って観ていた。人それぞれだし自由でいい。ただ、立っている人がいると後ろの人は観にくいということもあったりするし、音に揺れているとそれなりに幅をとるなど左右の人に迷惑をかけることも起きてしまう。この辺りは確かに難しい。
僕らは座ったままでリズムをとって体を揺らしていたけど、三時間を越える時間椅子に座ったままというのはそもそも背中にも良くないし、動いているのでダメージはそれなりに蓄積する。それで整骨院に早めに行って座ったままで固まってしまった部分とかをほぐしてもらった。

すぐに戻ってからリモートワークを再開。来月公開する記事の準備をしたり、いつもやっている業務をやっているとすぐにお昼になった。整骨院帰りにコンビニに寄っていたのでそれで昼食を取って家にいた。
14時過ぎに大家さんと業者さんがユニットバスを見にきた。以前、僕が湯船に浸かっている時に伸びをしようと足に力を入れて少しヒビが入ってしまった。そのことはお伝えしていたのもあって、隣の部屋が空くのでユニットバス交換しませんかというお話をもらっていた。
僕が住む前に住んでいた人も10年以上住まれていたと聞いていたし、僕も12年越えているので住んでいるアパートはおそらく30年近くは経っているのだと思う。昔は畳の部屋だったのを今のフローリングとユニットバスの部屋にリフォームしたとも聞いていたので、ユニットバスとかもそれなりに時間は経過しているはずだ。
施工する業者さんとその窓口になる会社の人に大家さんに僕とおじさん四人が狭いところで、施工する業者さんが色々とサイズを計ったりするのを見ていた。実際に今のユニットバスを取り外して、新しいものを入れてもそれぞれ業者さんが別々らしく、うまく作業が組み込めても五業者さんが仕事をして最低でも五日はかかると言われた。
水回り関係の人もだし、ユニットバスを取り外して新ものを入れる業者さん、玄関すぐにユニットバスはあるが、出し入れするために壁の一部を取り払って入れて修復する業者さんなど作業する人が五人(五業者)必要とのことだった。
大家さんと窓口の人と施工業者さんが話していたけど、そもそも今入っているタイプと同じサイズのユニットバスがあるかどうか、あってもそれが納品されるが二、三週間はかかるらしい。在庫があったらあったで見積もりが出て大家さんが工事するかどうか決めて(今の所僕には負担はないことになっている)、OKが出たら注文して、届く時期に合わせて作業をする業者さんに作業の依頼をする。でも、その依頼がそれぞれの人たちがすぐ来れるかもわからないから、実際に工事すると決まってからでないとどのくらい今あるユニットバスを外して新しいものにして工事が完了になるか期間がわからないらしい。
もし、作業をすることになれば、その工事時間は隣の部屋を使わせてもらってリモートワークをするということになる予定だけど、でも、生活するために必要なものである冷蔵庫とかベッドとかは自分の部屋にあるから夜は工事中の部屋に戻らないとご飯も食べれないし寝ることも難しい。
自分がどうしたいというよりも大家さんが見積もりを見て決めることだし、うちの部屋にあるユニットバスと同じサイズのものが在庫なければ工事もできないのでこちらとしてはとりあえず風まかせというか、お任せしますとかし言いようがない。


リモートワークが終わってからスーパーに行くついでに池尻大橋駅にあるあおい書店に寄ったら、太宰治賞受賞作の市街地ギャオ著『メメントラブドール』が出ていた。12月にある今年の太宰治賞の〆切に間に合うようにスケジュールは組んでいる。やっぱり応募するので前年の受賞作は読んでおこうと思っていた。
ページあたりの文字数も多くなくてページもそこまで多くないので薄いなって思ったけど、税別で1400円だったからそこそこ刷っているのだろう。選考委員ではない金原ひとみさんが帯文を書いているのは題材的に彼女にコメントもらう方が届く人には届くという判断だろうな、これわりと珍しいことだ。

 バスタオルで頭を拭きながらテレビをつけると、選挙速報がやっていた。ああ。なんだ。なんだよー。なーんだ。<街1番の中華屋から人がいなくなる>とは、さながらラジオ版の「君の名は」のような話だ(新海誠関係ないよ)。

 この週末にライブやパーティーを行ったミュージシャン、DJ、パーティーオーガナイザーは、心中がどうだったかは別として、尊敬すべきだし、この週末を「選挙があるからなあ」と言って、ライブブックから外したミュージシャンは、心中がどうだったかは別として、呪われるべきだ。あの選挙の決定よりも、「天使乃恥部」のレコ発は先に決まっていた(当たり前だが)。またしても引いたわけだ。

 与党の連立が過半数割りした。良いんじゃないの。09年のアレの二の舞でなきゃさ。蓮舫にまた仕分けされるのはマゾヒストには楽しいだろうけど。というか、政治に入れ上げる人々は、どれだけ舌鋒鋭くても全員マゾヒストだ。政治家というのは公約を守ることが原理的にできない(全政治家が公約を守ったら、政治は5年間で必要なくなる)、故に、公約を信じ、裏切られることが政治に没入する原動力となる。マゾヒズムは最強だ。「遊園地に連れてってくれるって約束したじゃない!裏金はもう貰わないって約束したじゃなあああああああああああい」と泣きながら直訴する。こんな気持ちの良いことがあるか。

菊地成孔の日記2024年10月28日記す>

菊地さんの日記最新回。冒頭から引用した最後の箇所前まではこれから執筆されるという『刑事コロンボ』についての話だった。
「政治に入れ上げる人々は、どれだけ舌鋒鋭くても全員マゾヒストだ」というのはそうかもしれないな、と読んで思ってしまった。でも、マゾの方が生きている感覚は強いんじゃないかなあ、精神的にも肉体的にも。100%マゾなんて人はいないし、対峙する人や状況によってマゾとサドの度合いは変わるだろうけど、それでも比較的どういう状況でもマゾ度が高い人の方が痛みにどこかしら快楽を得るとするなら生において生き残りやすいのかもしれない。

Spotifyポッドキャスト番組『83 Lightning Catapult』を聴きながら夜のライティング作業。とりあえずこの番組は半年の復活だったが、スポンサーとか付くかどうかで継続するかみたいな話は最初にあったのを毎週聴いていてすっかり忘れていた。色々と難しいらしくて、どうもこのままだと終了しそうな雰囲気がある。続いてほしい。

 

10月29日
7時に起きてからradikoで『空気階段の踊り場』と『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴きながら朝読書のルーティンを。ブコウスキー著『詩人と女たち』はブコウスキーの分身である50歳を越えたチナスキーがいろんな女性との関係を描いているほぼ自伝なのだが、日本だとわからないし時代的なこともあるのだけど、どんだけ詩人モテるんだよ、と思わずにはいられない状態になっている。まあ、ページをめくるたびに酒を飲んで女性とセックスして喧嘩して別れて、また仲良くなって別の女性と出会って関係を持ってバレて修羅場になって、を繰り返している。
チナスキー自身ももう若くないこともあって、そこに哀愁みたいなものもあるし、ずっと郵便局で働きながら詩や小説を書いて発表していたブコウスキー自身が郵便局をやめて文章を食えるようになったのが50歳ぐらい。彼の破天荒さは文章にも出ていたからそれに惹きつけられる女性もそれなりにいたのだと思う。
実際に出会った女性にいつか君のことを僕の小説に出すよみたいなことを言っている。流石に名前を変えて出しているのだろうけど、著者の分身を出した私小説系の作品はその辺りの塩梅が作家によってかなり違う気がする。ノンフィクションとは違う以上本当にあったことばかりを書けないし、実存する人物をそのまま出すのは気をつけないと後々エライことになる。

あなたが動けば世界が変わる。ザ・ゾンビーズ・シリーズ最新作!
オチコボレ男子高校生だった南方は、仲間たちとのある約束のために大学に進学した。「君たち、世界を変えてみたくはないか?」高校の生物教師のこの言葉をきっかけに、仲間たちと周囲の不条理に立ち向かった彼らは、「殺しても死ななそうだから」という理由で「ザ・ゾンビーズ」と呼ばれていた。だが高校卒業を機にメンバーはそれぞれの道に進み、チームは解散。南方は大学でどこか物足りない日々を送っていた。
そんな折、同級生の結城から「友人の北澤と、その家族が行方不明になったので探してほしい」との依頼が。胸に秘めていた本能を揺さぶられた南方の前に、学内最大のサークルを仕切るカリスマ志田、志田を狙う謎の女子、そして北澤を追う男たちが現れる。大学に迫る危機、そして北澤失踪の真相とは?


TwitterことXを見ていたら金城一紀さんのポストで13年ぶりの書き下ろし小説が出るというものだったが、「大学生になった南方が活躍する物語です」という一文、「ザ・ゾンビーズ・シリーズ」じゃん!!! えええ、復活するの! まさかシリーズ最新作が読める日が来るとは。
もともとシリーズ一作目『レヴォリューションNo.3』と二作目『フライ、ダディ、フライ』は講談社から刊行されていたが、『フライ、ダディ、フライ』が岡田准一堤真一主演で映画化された頃に一作目と二作目が角川書店から新装版になって刊行されて、三作目『SPEED』が刊行された。のちに『レヴォリューションNo.0』というゾンビーズの結成前夜のものも出た。僕は講談社で刊行された時からリアルタイムで読んでいて、青春小説といえばこの「ザ・ゾンビーズ・シリーズ」だった。
金城一紀さんはデビュー作『GO』で直木賞を受賞して、その作品が宮藤官九郎脚本&窪塚洋介主演で映画化されたことで当時二十代前後の人にも届いていて、その流れにこのシリーズがあったというのは多かったし、同世代から少し下の世代は二十代前半から十代後半で読んでいて影響を受けているのではないかと思う。この新作は12月に刊行されるらしいので『GO』から読み直そうかな。

12時過ぎまで作業をしてから家を出る。夕方から雨予報だったけどまだ雨は降っていなかったので傘は持たずに渋谷駅へ。ニコラの曽根さんからお誘いしてもらった舞台を観るために山手線に乗って鶯谷駅まで。鶯谷駅で降りたことが今までなかったような気がする。13時半過ぎに南口改札まで曽根さんと待ち合わせしていたけど、早く着いて待っていたら徐々に小雨が降り出してきた。
集合したので駅から8分ほどの距離にある「SOOO dramatic!」というイベントスペースへ。行く途中に東京キネマ倶楽部があって、昔二回ほど来たことがあったのでその時は地下鉄入谷駅を使ったのかもしれない。

明日のアーは5年目で一度それまでの整理をしました。
以降、超ショートコントを乱れ打ちする時期に入り、昨年”出し物”という形で完成を迎えました。10年目の今年、ここらでまた一度整理をすることにしました。

アーは草野球みたいな市井のコントユニットだと思ってました。でも年を経て言語化が進むとこれは「ユーモア(くだらなさ)の探求」なのだと分かってきました。ユーモアとは何か。それは「入ってきた情報が期待を下回ったときの喜び」です。
であるなら、ここは自己表現ではなく「ただユーモアがある」場が望ましい。そう考えて現代のユーモアの雄である漫画家・芸人のおほしんたろう氏を脚本協力に迎えました。今はおほさんとネタを出し合って脚本の会議をしています。

新しい情報が入ってきてはそれが期待を下回る、そんなことが目の前で繰り返されることはあなたの人生でそうありません。ぜひその喜びを一度体感してみてください。

この公演はこれまでのアーの成果を整理して発表する公演です。ユーモアとは何かがわかるような内容になっています。その一端を今話すとすれば、それは生きることに他ならないんです。過剰だとお思いでしょう。どうか私達に期待をしてください。

私達はあなたの期待を軽々と下回ってみせます。
それがユーモアに他ならないのですから。

明日のアー主宰 大北栄人

開演の15分ぐらい前に会場について着席して待っていたけど、最終的には四十人ぐらいは平日の昼間なのに入っていたので、まずそれがすごいなと思った。観客は全体的には若くておしゃれな人が多かった印象を受けた。
ニコラの常連のピアニスト山田の知り合いの俳優さんが出ているということで、曽根さんがチケットを取って、一人行けなくなったので代わりに僕が誘ってもらった。
舞台美術デザインをしているファッションブランド「sneeuw」の雪浦聖子さんが手がけていて、雪浦さんとニコラも昔テイクアウトの時に一緒にやっていたりとチケットを取ってから色々と関係がある人が関わっているとわかったらしい。
僕はほぼ前情報は入れずに『整理と整頓と』を観に来ていた。Instagramを数日前に見ていたら知り合いのライターさんがこの公演を観に来ているというのを知って、「明日のアー」ってわりと注目されているのかもと思ったぐらい。
ただユーモアがある場所、コントの乱れうち&ある種哲学的な問いが混ざり合ってカオティックになっていく。過剰だけど不意に入ってきた情報が期待を下回る時の緊張と緩和の差で思いがけず笑ってしまう。
観ているとコントでのやりとりがくだらないなって思い始めるぐらいで次の出演者がさらに畳み掛ける、あるいは荒唐無稽なことを言い出したりする、叫び出したり、小道具で小ボケを続けたりとくだらなさ≒ユーモア満載だった。最初はどういう感じなのだろうとちょっと構えていた部分はあったから僕自身の反応は鈍かったところがあったかも。
脚本・演出の大北さんが作ったというぬいぐるみを動かしながらちょっと進行のように最初は笑いについて自身の考えを話していた。コントが始まって繰り広げられていく中でも、時折ぬいぐるみから発せられることはちょっと哲学っぽいような問いでもあり、ユーモアについて語っているスタイルで、その組み合わせも緊張と緩和みたいでより観客がコントに入りやすいものになっていた。
ショートネタをどんどん披露していく、TikTokみたいなショートネタが流行っているように短いものをひたすらやられるとインスタのリール動画みたいに見始めると目が離せなくなる感覚にも似ている。大事なのは観ている人が飽きないこと、集中力を切らせないこと、それが90分の公演でやれてしまっているのがすごかった。
活動して10年と言われていたけど、試行錯誤があって今の形になっているとしたらこの形はすごく現在進行形で今時代に届くものになっていると思った。
途中で出てきたネタでインティマシー・コーディネーターを取り扱っているもので、女優のマネージャーが性被害を受けるシーンだからインティマシー・コーディネーターを呼んでくだい、そうじゃないとできないですみたいなことを言う。それを言われた監督とプロデューサーが「じゃあ呼ぼうか」となって、元左官のインティマシー・コーディネーターとか前職が全然違う男性のインティマシー・コーディネーターを呼ぼうとするとそのマネージャーが困惑するというか、差別ではないけどその前職でインティマシー・コーディネーターってみたいなミニコントは印象的だった。皮肉的だし確かに今は少ないけど映像業界でインティマシー・コーディネーターと取り上げられる人って女性だけだし、そういうところを突いているのもインパクトがあった。他はわりとバカバカしくてあんまりいい意味で覚えてないんだけど、おもしろかったのは間違いなくてすごく楽しめた。


終わってからせっかく鶯谷に来ているのだから、地元の店でも行こうということで駅にもわりと近い喫茶デンというタバコも吸える喫茶店へ。コーヒーを飲みながら曽根さんと感想とか、日曜日の選挙のことなんかを話しつつのんびりした。
帰りはもう普通に雨が降っていて、池尻大橋駅で電車から降りて歩いて帰っていたらかなり濡れた。


家に帰ってからびしょ濡れになっていたので湯船に浸かってから、Spotifyで『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:JOJO)、『あのと粗品の電電電話』と二週間に一回になった『ランジャタイ国崎の伝説のひとりぼっち集団』が更新されていたので作業をしながら聴いた。
「アルピーしくじり」は世界各国の風俗に行っているJOJOさんがゲスト、日本でもいろんなプレイとかしてその好奇心が海外に出ていったみたいで、こういう時は興味はあるけど潔癖症でそういうお店には行けない平子さんがわりとマジで話を聞いている印象がある。
「あの粗品」はちょっと粗品が元気ないような気もしなくもないけど、この二人のトークのコンビネーションは好きなのでこのポッドキャストとテレビの『あのの電電電波』は続けていってほしい。
「国崎ひとりぼっち」は二週間に一回の更新になっているけど、二人でやっている時とほぼ変わらないし、国崎一人でも二人の時とあまり変わらないという謎な現象が起きているし、トーク能力もすごいじゃんってことだけがわかってしまっていて、相方が復帰したらどうするのだろうと他人事ながらちょっと心配になる。

 

10月30日
広島行きの新幹線に走って間に合うかどうか、車体のドアが閉まろうとしてその隙間に手に持っていたバッグを滑り込ませて強引に開けようとしたが開かず、新幹線は勢いを増して走り出す。このままバッグを持ったままで走っていてもプラットフォームの幅も無くなってしまい、レールがある方に落ちてしまうとわかる。もう手を離すしかないと諦める。ドアが完全に閉まって新幹線は速度上げていく。
という場面で目が覚めた。どうして広島行きだったんだろうか、とは思った。そもそもどの駅から乗ろうとしていたのか覚えていないし、こだまなのかひかりなのかのぞみなのかもわからない。
地元に一番近い新幹線が乗れる駅は福山駅だから、東京から西日本に向かって乗れば福山駅以降は広島方面になる。なんかわからないけど、まだ帰ってくるなとか帰りたくないみたいな心理的なことなのかもしれないし、今月頭に新幹線に乗って東北に行ったから、その時の新幹線のイメージが残っていたのかもしれない。夢を見ていてその途中で目が覚めると何かが少しだけブレているような気がする


寝る前にradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴いていて、それでも眠れなかったので『JUNK 爆笑問題カーボーイ』も少しだけ聴いたのだけど、内容的に夢に関係しているとは思えないし。起きてからは「爆笑カーボーイ」を途中から聞き直しながら朝読書で三島由紀夫著『奔馬』の続きを少し読んだ。
18歳で亡くなった親友だった松枝清顕の生まれ変わりではないかという青年に出会った38歳になった本多。彼がそう思うようになったのは清顕が死ぬ間際に本多に言った「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」という言葉通り、その青年と滝の下で出会ったことと清顕と同様の場所に三つのほくろがあったことで、彼を清顕が輪廻転生した姿ではないかと思うようになっていく。
同時に冷静な頭もあるので、裁判官の自分がそんなことを言い出したら頭がおかしくなったと思われてしまう。また、清顕の最愛の人だった聡子に彼が生まれ直したと言いに行こうとしても、それはすべてを絶って仏門に入った彼女の迷惑でしかないのだと考えるなどまだどこか客観視できている部分がある。
やっぱりどうしてもこの作品「豊饒の海」シリーズは三島由紀夫の最後の小説だということはもう頭から追い出すことはできないし、そのことを知った上で読むのだから、描かれている宗教的な概念などはただのフィクションとは言い難いというか、死ぬことを決めた書いた人間の想いの強さやその先に求めていたものが、この作品に何らかの特殊な膜のようなものをまとわせているようだ。それを込みで読むという不思議な小説だし、魅力でもある。
三島が手がけた舞台『サロメ』のエナカーンの生首、自決した後に首を切り落とされた三島由紀夫、その生首たちが見ていた世界、視線、あるいは次元とその膜は繋がっているのだろうか。

—『地面師たち』で大根監督にインタビューをした際、人道的な撮影スケジュールとお話されていましたが、通常製作時間はおおよそどれくらいなのでしょうか?

髙橋:作品ごとに適正な撮影期間を求めるようにしているので、当然一概には言えないのですが……直感的に申し上げると4か月〜6か月ぐらいがドラマシリーズにおいては多いかもしれません。

僕が入社する前から、Netflixは1日の撮影時間の上限を12時間に決めたり、撮影をしない日を必ず週1回いれたりしていて。そのためほかの現場と比べて撮影期間はどうしても伸びてしまいますが、それは業界全体を底上げしていくために必要なコストだと思っています。

Netflixが日本ではじめて『彼女』で導入したインティマシーコーディネーターがいまやあらゆる作品に参加したり、業界全体にポジティブな影響を与えていると感じていたのですが、やはり意識していたんですね。

髙橋:日本の映像業界に良くなってほしいと考えているのは業界のみなさんも同じなんですよね。ただ、そのなかでNetflixはグローバルカンパニーならではの視点で「日本の製作現場のために、こんなことができるんじゃないか」という提案ができている部分があるのではないでしょうか。

インティマシーコーディネーターや、17歳以下の未成年の撮影参加者(演者)へのケアをはじめ、現場ごとにどのようなサポートが適しているのかは日頃から考えていることですし、後学のため一緒に仕事をしたクリエイターに話を聞くこともつねにしています。俳優やスタッフの方が働きやすい環境を可能な限り提供することは、良い作品づくりのために必要なことですから。

Netflix話題作に関わるプロデューサー、髙橋信一の思考。『地面師たち』『ONE PIECE』製作の裏側

リモートワーク開始前にこの記事を読んだ。この高橋さんというプロデューサーさんが岩井俊二監督の製作プロダクション「ロックウェルアイズ」にいたということでちょっと親近感。少しだけ「プレイワークス」に関わっていただけだけど、岩井さんのところから日活に入って、Netflixという流れらしいけど、白石和彌監督と一緒に作品を作ってきたのが大きかったのかなあ。
ネトフリの撮影環境は働く人たちにとってすごくいいものだし、撮影期間中にも週に一回は休みがあったり、インティマシーコーディネーターや未成年のケアなど制作会社としてすごく正しい状態になっている。そうなると余計にそうではない日本の映像業界との落差が出てくるし、良くなってほしいという言葉は嘘ではないはずだけど、ヒット作が出ないので利益が出ていないという経営状態だとスケジュールはほとんど取れずにスタッフや演者は寝ずに撮影みたいなままというのは続いていると思う。
ネトフリみたいに環境を整えて撮影しようというテレビ局や映画制作会社ってあるのだろうか、製作委員会方式の弊害もありそうだし、株式会社なら働いている人よりも株主の意向が大事だとしたら、そういう人たちが製作環境をよくしようと動かない限りは改善されない気がする。そして、そういう不満がある人はよりネトフリでの作品に参加したいと思うようになるだろうから、人気も実力もある人のスケジュールは配信系に持っていかれる、という悪循環をどこが破って正せるか、一気にやってしまえばその会社の株式ではなく、株が上がるんだろうけど、どこかやってほしい。そうすれば嫌でも他は追従するはずだし、東宝あたりがこの手の問題しっかり取り組めば業界も多少良くなるんじゃないかな。

リモートワークを開始。部屋の中はちょっと肌寒いし、外を見たら地面はまだ濡れていて小雨が降っていた。週末の連休は台風が来るとか来ないとかで雨っぽいし、もう少し寒くなりそう。体調崩さないようにしないとだ。radikoで『星野源オールナイトニッポン』と『あののオールナイトニッポン0』を休憩するまで作業BGMとして流す。

星野源ANN」では、正月に放送される野木亜紀子脚本スペシャルドラマ『スロウトレイン』の話もちょっと出た。『オードリーのオールナイトニッポンin 東京ドーム』の頃に撮影が忙しいという話が出ていて、その収録が突如亡くなった日があって、それでスケジュールが空いたから東京ドームのイベントに出れたという話をしていたのだけど、このドラマの撮影だったんだ。どうも舞台的には冬っぽいから今年の二、三月辺りで撮影していたと考えると放送は一年とは言わないけどわりと時間が経ってからになる。
その前に映画『ラストマイル』も撮影があって夏終わりに公開だったわけで、その結果が出る前にはスペシャルドラマを撮っているし、そのまま今放送中の『海に眠るダイヤモンド』も撮影しているということになる。TBSが全面的に野木亜紀子さんの脚本を信頼して、一緒に新しい作品を作り上げようとしている、託しているんだなって決意みたいなものも感じる。『スロウトレイン』は松たか子さん主演だし、土井さんが演出らしいので楽しみでしかない。
「あのANN0」はドラマをさっきまで撮影していたというあのちゃんがそのまま深夜の生放送。渋谷のハロウィンやりません宣言について諸々とトークをしていたが、個人的にも渋谷には行くし、昨今の海外からの旅行者の増加で人が多すぎるのは辟易しているけど、渋谷区がやっていたイベントでもないし、行政とかがハロウィンやるなとか言い出すのはちょっと違うんじゃない?とは思う。実際にお祭りっていうのは政治とかそういうものを入れたら意味合いが変わってくるし、もう自然発生で渋谷に集まってくるゾンビたちのことで警察とか出したくないみたいなことなんだろうが、だったらちゃんとした広場を日本の中心に作るべきだった。でも、ないからスクランブル交差点に集まるわけで日本の首都が都市設計を間違えているというお話。


昼休憩で外に出て駅前のTSUTAYA書店を覗いたら、『別冊ele-king 日本の大衆文化はなぜ「終末」を描くのか――漫画、アニメ、音楽に観る「世界の終わり」』&浅野いにお著『MUJINA INTO THE DEEP』第3集が出ていたので購入。「ムジカ」が月末発売だった気はしていたが、前者の方はいつ出るか知らなかったけど、ちゃんと浅野いにおさんのインタビューがあるからコミックスの発売日に合わせたんだな。僕みたいな人が買う層だし、それが正しいと思う。
「ムジカ」第3集を読むと人権のことが軸になりながら疑似家族のことも出てくるので、前作『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』とはその辺りは意識的に扱いを変えているように感じる。「デデデデ」は少女たちの青春譚がメインだったから、最初のうちは主人公の門出の家族の問題はあったけど、そこまで深掘りはしていなかった。浅野さんが結婚して離婚したことが今回の疑似家族を取り扱っていることに何か影響はしているのかもしれない。とあるキャラが大事なものを守るためにボコボコにされるシーンでそう感じた。


リモートワーク終わってからニコラに行ってアルヴァーブレンドで一服。昨日まで雨が降っていたせいか、お店が火曜日は休みだったのか、そういう要因が集まったのかはわからないけど、予約が数件入っていて忙しそうだった。

Bro (V-GOD Remix) (feat. JJJ & VaVa)


夜は読書をせずにライティング作業をする。31日に応募するのは無理なので、太宰治賞にスライドさせたこともあって、ちょっとだけ余裕はできた。
来月以降の予定に関してラインをしたけど、まだ先方の都合もあって日時は決まらなかった。でも、連絡が来ないなと思ってラインしたら、向こうは送ったつもりになっていたりしたことが判明したりするから、やっぱりリマインドは大切だなと思った。

 

10月31日
6時過ぎに眼が覚めて、トイレに立った流れで可燃ゴミを外に出しに行く。風がひんやりとしていてTシャツだと肌寒い。
昨日、寝る前に少しだけ喉に違和感があったが、悪化していないらしく大丈夫みたいで安心した。午前中は予定はなかったので横になったままでradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴いていたら布団の魔力で、包容力に負けて寝てしまった。起きたら8時半を過ぎていた。
午後から予定が入っていたけど、木曜日は基本的には休みだということにしているので散歩に出る。寝落ちしたので最初から「佐久間ANN0」を聴きながら代官山蔦屋書店へ。佐久間さんラジオの横浜アリーナイベントが週末に終わったばかりだったのでその話題が大きかった。まだ配信を買っていないが、週末の三連休のどこかで買って見るつもり。

書店についても気になる最新刊は出ていなかった。新刊の平台のところにノーベル文学賞を受賞したハン・ガンさんの重版した小説が並んでいた。これを機会に読む人が増えるといい。
実際にノーベル文学賞を受賞したということでその作家の小説を手に取るというのは本好きで小説を読んでいるはいても、そこまで本を読まない人がどこまで関心があるのか、実際に読んでみようと思うのか、僕には予想がつかない。
K-POP韓国映画Netflixなどの配信系で韓国の作品に触れているような人たちが小説も読んでいるのか、興味を持っているのか、これで多少可視化されるのだろう。


家に帰って昼ごはんを食べてから12時半に家を出て渋谷に向かう。明治通り沿いにあるBS12が入っているビルの前集合ということだったので歩いて50分ぐらいだから、聴こうと思ったままでまだ聴いてなかったCHARLI XCX『BRAT AND IT'S COMPLETELY DIFFERENT BUT ALSO STILL BRAT』をお供に向かった。


YouTubeで配信している「BOOKSTAND TV」の収録があり、編集者の人から見学も兼ねてお声がけしてもらっていた。13時半に着いて時間が多少あったので、近くにある映画『PERFECT DAYS』にも出てきたトイレに行ったりしていたが、半になっても編集者さんが来ないのでラインしたら、収録が始まるのは13時半ではなく15時半だったらしく、メールで伝えるときに間違えていたことがわかった。バッグには財布しか入れていないし、今日は暇な時間はないだろうと思って読みかけの小説とかも持ってきていなかった。これではさすがに二時間は時間を潰せないので、とりあえず帰ることにした。
編集者さんからライン通話があったが、近くで救急車が走っていてあんまりよく聞こえなかった。でも、謝っているのはわかったし、時間は戻らないので気にしないことにした。
というかこういう時に(待ち合わせ時間に相手が遅れるのは慣れているし、なぜか僕と待ち合わせすると人は遅れがちになるので)僕は怒ることもないし、自分は言われた通りの時間にちゃんと集合場所に行っているので何ら責任もない。それ以外の要因で起きたことは僕のせいではないし、怒ったところでいいこともあまりない。
僕が出演者なら時間を潰す以外ないけど、そもそもただの見学だし、夕方から別件があったので帰るという選択肢しかなかった。
帰り道でも『BRAT AND IT'S COMPLETELY DIFFERENT BUT ALSO STILL BRAT』の続きを聞いていたので二枚組のニューアルバムを通して聴きながらの散歩になった。

書くという行為は、相当に複雑だ。そこに紙があるから、その紙を意識する。ペン先にインクをつけるから、インクを意識する。私は今回は『超空洞物語』執筆用にガラスペンを使用しているのだけれども、そのペン先の溝のうねり(そこにインクが保持される)を意識するし、ペンの軸も当然ながら意識する。

それは運動をすることに似る。というか、運動そのものだ。私はつまり、その『超空洞物語』を手書きで生み出そうと努めながら、〈書く〉というその瞬間には、1)運動していた、2)思考していた、3)表現していた。これらが融合する時間があった。また、ペンを走らせていると、その音がある律動のような感覚をもたらす。つまり私は書きながらずっと「聴いていた」のだし、もちろん書かれた文字を紙上にそのまま確認しつづけていたから「視ていた」という行動もずっと伴われていた。

古川日出男のセルフ解説』【超空洞、スーパーホロウ日本文学 #02】

家に帰ると『超空洞物語』についての古川さんのセルフ解説02がアップされていた。平家物語』現代語訳もそうだったし、『紫式部本人による現代語訳』であったり、昔書かれた物語に関する執筆の際には古川さんはPCでの入力ではなく、自らの手で文字を原稿用紙に書いているというのは言われていた。
僕自身はメモ程度はするが、執筆する際に手で書いたことはない。そもそも文章を書き始めた時にはPCでキーボード入力することとほぼ同義語だった。
ペンや筆で文字を書いて執筆するのでは体の使い方も変わるし、文章のリズムも違う。『平家物語』は口承文学ではあるが、一つにまとめられた際には筆で紙に書かれたし、『源氏物語』だって『うつほ物語』だってそうだった。キーボードで打つこと、フリック入力することはたかだかこの数年、数十年のことでしかない。
文章を書くことと体の動かし方、その前後、最中での思考の動き、五感を使うことについて古川さんほど現役の作家でやっている人はいないだろう。PCを使わずにデビューからずっと手書きという人はまだ現役で残っているかもしれないけど、基本的にはPCで書いていて、作品によって手書きという人はあまりいないはずだ。

20代のクリエイターの子たちに話を聞いても、 本当に何も希望を感じてない。その中で無理やり前向きなメッセージを発信していくのは難しいので、正直に思ってることをそのまま言う。これこそ冷笑なのかもしれないですが、個人で何をしたところで何も変わらないんだから、自分が変わるしかないんだよって。それを、僕は昔から描いている。だから自分を変えるのが一番手っ取り早いとしか言いようがない。
 ものすごく具体的なことを言っていいですか。僕の場合ですが、ちゃんと仕事をすることが重要です。仕事をするのが、全ての解決方法になる。もっと端的に言っちゃうと、お金だと思うんです。お金を得るには仕事、仕事をしていればお金は得られる。だから自分の人生で大きな部分を占めるのが仕事なんですよ。それ以外のことに目を向けると、解決しようもない問題があまりにも多すぎて、病気になるかもしれないとか、将来が怖いとか、それって解決しないじゃないですか。
『別冊ele-king 日本の大衆文化はなぜ「終末」を描くのか――漫画、アニメ、音楽に観る「世界の終わり」』P28-29より

 2000年代から2010年代にかけてのオタクブームの周辺を見てると、オタク文化もいろんなものを生み出してきて、いい作品もたくさんあるけれど、もうそれじゃ満足できない若い人たちがこれから増えていくんだろうなって感じる。そういう若い人たちが好むエンターテイメントって何だろうと考えています。自分としては、露悪的で過激なことだと思い、長らく描くことを避けていた表現を今、揺り戻しのように描いています。そっちに僕はリアリティを感じている。自分自身はそういう粗野な人間ではないんですけれども。『デデデデ』での俯瞰したものの見方は、さすがにもう通用しなくなってきた感じがある。『MUJINA』の描き方は、 かなり主観で内部に入り込んだ描き方になっていってます。『デデデデ』が俯瞰的だった理由の一つに、震災があったときに東京にいたから、被災当事者じゃなかったということもあるんです。でも、今って、誰もが世の中全体がやばい世界観の当事者になっているから、主観目線での混沌とした世の中にリアリティを感じてくれる読者がいるんじゃないかなって。
『別冊ele-king 日本の大衆文化はなぜ「終末」を描くのか――漫画、アニメ、音楽に観る「世界の終わり」』P30-31より

浅野いにおさんのインタビュー部分を読む。「そういう若い人たちが好むエンターテイメントって何だろうと考えています。自分としては、露悪的で過激なことだと思い、長らく描くことを避けていた表現を今、揺り戻しのように描いています」というのは読んでいてわかるというのはおこまがしいけど、露悪的で過激なことというのはそうなんだと思う。
昔でいうところの「セックス、ドラッグ、ロックンロール」ではないけど、そういうものの現在進行形のもの、でも、そういうものが今一つはアートと融合したり、アイドルとかそういうカルチャーに入っていくと露悪的にはなりにくい気はする。
ドラッグで廃人になるのもスマホで廃人になるのも結果は変わらないとしても刺激を求め続けてより強いものを求めるようになったら基本的には壊れてしまうか、途中で逃げるしかなくなる。その手前でエンタメにできるようなもの、になっていくのかな。


いつもは14時ぐらいまでにTVerに長すぎるオープニングが配信される『ラヴィット!』だが、今日はハロウィンパーティーだったらしく夕方過ぎても配信されずに20時過ぎてほぼ全編があがっていた。
キングコングの西野さんがスペシャルゲストで登場し、「イジリNG」という言葉によってより前回よりもさらにイジるという展開。西野さんはプロデューサーなら佐久間さんであったり、この番組のMCである川島さんだったり、東野幸治さんみたいな人たちの企画や番組だったりするとよりおいしくイジることができるし、西野さんも嫌がりながらもそれを楽しんでいるように見える。

水道橋博士のメルマ旬報』で連載している時に、西野さんが中心になっていた「渋谷ゴーストバスターズ」についてインタビューをさせてもらったことがある。
本当に気さくなおもしろくてカッコいい人だった。今や芸人さんでもオンラインサロンやクラファンをするのは普通になってきたが、西野さんは誰もやっていない時にやっていたので批判もされたりしていた。でも、最初にやっていないことをどんどんやっていったからこそ、お金もちゃんと集めてクオリティの高い作品を作ることもできている。
先日、ニコラの曽根さんと喫茶店で話をしていた時に「ファン」と「信者」についての話を少しした。オンラインサロンとかクローズな場所だとどうしても外部から見えないこともあって、「ファン」がどんどん「信者」化していくことはあると思う。「信者」はお金も出すしイベントとかにもしっかり足を運んでくれるので、主催者は彼らの意見や言動を無視しにくくなるし、彼らが求める教祖になっていくということもある。トップが動かしているように見えて、「信者」たちによって動かされていく集団や団体というものになる可能性はあるんじゃないかなって。
「ファン」は気まぐれだから、ちょっとしたことですぐに離れてしまう。でも、健全さを考えたら減ったり増えたりする「ファン」をできるだけ増やすことがカルト化しないためには必要なんじゃないかなって。「信者」が増えていくとその集団はどうしても暴走してしまうのではないかと思う。
西野さんはいろんなことをやっていることで、一つずつの顔であるし代表でも教祖にはならずに済んでいるだろうし、集まっている人も「信者」にはならないバランスでいるんじゃないだろうか。プロジェクトがどんどんデカくなっているし、動くお金も大きくなったら関わる人たちが増えるから「信者」ではなく仕事仲間や理解者が増えているなら、それが一番いいことだろう。

ライティング作業関連の進捗と今後のことについてことで連絡を待っていたが、まだ諸々と詳細については検討中でもう少し時間がかかるということだった。こちら側としては待つしかないし、特に何もできない。
今日は編集者さん関連では時間を間違えられる、今後についてまだ決まらないという、月末だし来月以降に関してのいい流れができたりしたらいいなと思っていたけど、そんなに甘いものではないらしい。
明日から11月突入、後厄もあと二ヶ月。短いようで長いけど、太宰治賞に二作品応募することだけが優先順位で一番高いものとしてやっていく。

今回はこの曲でおわかれです。
【MV】Creepy Nuts - オトノケ(Otonoke)