Spiral Fiction Note’s diary

ライター&Webサイト編集スタッフ。「水道橋博士のメルマ旬報」で「碇のむきだし」、「BOOKSTAND」で「月刊予告編妄想かわら版」、「PLANETS」で「ユートピアの終焉ーーあだち充と戦後日本の青春」を連載中です。

Spiral Fiction Note’s 日記(2021年7月24日〜8月23日)

水道橋博士のメルマ旬報』連載「碇のむきだし」

ずっと日記は上記の連載としてアップしていましたが、2021年5月からは「碇のむきだし」では短編小説(原稿用紙80〜100枚)を書くことにしました。そのため、日記というか一ヶ月で読んだり観たりしたものについてものはこちらのブログで一ヶ月に一度まとめてアップしていきます。

「碇のむきだし」2021年08月掲載 短編小説『東京』(後半)


先月の日記(6月24日から7月23日分)


7月24日
f:id:likeaswimmingangel:20210822074539j:plain
呉明益著『複眼人』を読み始める。わりと長い作品なので一日一章ずつぐらい読み始めていこうかなと思って、まず第一章を読み終えた。
ある島の様子が描かれ、そこで主人公のアトレは次男坊であるため、容姿端麗で魅力的だが長男でないために島にはいられない。この島では次男以降はある種の島送り的に舟に乗って外界へ旅立たなければならない。これはある意味で通過儀礼にも見えるが、姥捨山的なものに見える。どことなく古川日出男著『サウンドトラック』のことが思い浮かんだ。

LOFT9 SHIBUYAで開催の宇野維正×柴那典「緊急イベント 強行開催東京オリンピックと2021年音楽シーン」のチケットを取っていたが、「東京オリンピック」についてできる限り映像を見たりしない、ニュースも見ないようにしないようにしようと決めたのでイベントには行かないことにした。


7月25日
f:id:likeaswimmingangel:20210822074656j:plain岩井俊二著『零の晩夏』を読み終わった。
「モデルが例外なく死に至るという“死神”の異名を持つ謎の絵師ナユタ。その作品の裏側にある禁断の世界とは。渾身の美術ミステリー」という作品紹介はほぼ合っていた。
ここからネタバレをするが、岩井作品で言えば、『ラブレター』の舞台となった北海道も出てきたりするのもあるのだが、「ナユタ」の正体に関しても『ラブレター』的な要素があるようにも感じられた。
『ラブレター』では中山美穂がひとり二役を演じていた。その系統にある『ラストレター』では広瀬すずと森七菜の二人がかつての母親たち姉妹であり、現在のいとこを演じることで、終盤の主人公の小説家の福山雅治とすれ違う際に、演劇的な時間軸が交差する表現を可能にしていた。
「ナユタ」はある人物が二役ではないが、AとBのふたりで「ナユタ」だったという正体明かしが出てくる。その設定が『ラブレター』『ラストレター』に通じるものを感じた。なんとなくだが映画にしたら二時間半以上ありそうだし、ネトフリとかで一話40分程度の長さで八話ぐらいでやったらちょうどいい気がする。
個人的な希望としては『ウォーレスの人魚』を海外資本とかでぜひ映像化してほしんだけどなあ。

f:id:likeaswimmingangel:20210822074744j:plain
『17歳の瞳に映る世界』をシネクイントで鑑賞。じつは先週の22日木曜日に観に行こうと思っていたが、その前日に2回目のワクチン接種をしていて起きたら38度ぐらいだったので、映画館に行っても検温でアウトだと思ってやめていた。というわけで気持ち的にはリベンジという感じも。
「友達も少なく、目立たない17歳の高校生のオータムは、ある日妊娠していたことを知る。彼女の住むペンシルベニアでは未成年者は両親の同意がなければ中絶手術を受けることができない。同じスーパーでアルバイトをしている親友でもある従妹のスカイラーは、オータムの異変に気付き、金を工面して、ふたりで中絶に両親の同意が必要ないニューヨークに向かう。」
非常に淡々と進む。オータムに子供の父親のことも詳しいことをスカイラーは聞かない。聞かないがそばにいて、ずっと一緒に行動をしていく。その強い信頼感と一緒にいるという行為が素晴らしい。この映画における中絶を巡る問題は日本とアメリカの違いもあるが、アメリカは州によっても中絶ができるできないなど差があるということ、また南部などの農村部に多いキリスト教福音派の存在がわかっているかどうかということもある。彼らは聖書に書かれていることがすべてなので中絶などは認めないという社会的な背景がある。オータムたちが住むペンシルベニアでは両親の同意がいるが、彼女が診察を受けた病院では生むことが前提になっているため、彼女に渡されたパンフレットは養子縁組や生んだあとの支援などになっているのはそのためだ。だからこそ、ふたりはニューヨークへ向かう。この映画は説明をできるだけ省いている。行って帰ってくるの構造にはなっているので最後はふたりは遠距離移動のバスでペンシルベニアに帰る車内で終わる。彼女たちにとって自由であり金がなければなにもできないニューヨークは彼岸であり、オータムは自分の決めたことをスカイラーの助けもあって実行し、此岸であるペンシルベニアに帰るのだ。彼女たちは大人になったのかもしれない、あるいは。

一次通過していた「ハヤカワSFコンテスト」は二次通過ならず、だった。そっかあ、ちょっと夢見ちゃったよ。8月から12月までの小説新人賞に応募できるものや、したいものを改めて考えてスケジュールを改めて組んでみた。


7月26日
f:id:likeaswimmingangel:20210822074857j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210822074902j:plain大塚英志著『物語消費論 「ビックリマン」の神話学』星海社新書を仕事が終わってから渋谷のジュンク堂書店に歩いて買いに行った。なぜか近くのツタヤ三軒茶屋店には入荷されていなかったせいで、夕方のロングウォーキングということになってしまった。
KADOKAWAから出ている『定本 物語消費論』がすでに絶版になっているようで、今回星海社新書として復刊された形。KADOKAWAの初代社長である角川源義は戦後にある種のリユースをしていたので、今回は講談社系の星海社リユースした形とも言えなくもないが、そもそも『物語消費論』は新曜社から出ていて、それが角川書店で文庫化という流れなので、この『物語消費論』は三つの会社から3ヴァージョン存在している。

朝から夕方までリモート中にいつもならradikoで前日の深夜に放送されたものなどを聴きながら作業しているのだが、たいていラジオ番組に「東京オリンピック」についての話になるので、できるだけ「東京オリンピック」に関しては見ないようにして、情報をこちら側から取りに行くようなことはしないようにしてるので、ラジオは時事ネタが一番ジャストな話題のため、ほとんどその話になっていて辛い。
それもあって、前日に「ハヤカワSFコンテスト」が二次通過しなかったのもあって、Netflixで『M-1グランプリ』を、Paraviで『キングオブコント』を改めて気になる王者が出た回を流しながら作業をしていた。そこにあるドラマとコンテストで勝つということ、王者になってもその後バラエティで活躍できるかと言われればそうではない、という現実も改めて思い知らされる。しかし、無意識のうちに自分の中で勝負事に勝ちたいという意欲が沸いてきたんだと感じる。だから、その2つのコンテスト番組を選んで見ているはずだ。バイきんぐやとろサーモンの優勝では泣いてしまったし、マヂカルラブリーが3年前の借りを返しにきて優勝するドラマとか見たら、泣くし、戦い続けて最前線にいることの凄さと意気込みに打たれてしまった。
小説の世界は華やかではないが、自分のやりたいことをなんとか自分のフォームに落とし込んで戦える場所に出ていきたい。そんなことを思うのはやはりコンテストでファイナルステージに進出しても得点が伸びずに最終決勝に進めない人たちの悔しさや涙を見たからだ。


7月27日
f:id:likeaswimmingangel:20210822075011j:plain芸人とはそもそも河原乞食であり、時の為政者に愛でられ寵愛され牙を向いたりして、利用され利用してきた。
「犬王」は「世阿弥」のライバルであったとされる。「世阿弥」は足利義満に寵愛されたことで、彼と父の観阿弥は義満に庇護されていき、ほかの座と比べても上のものとなっていった。しかし、義満が逝き、その次の足利義持の時代はまだよかった。しかし足利義持は申楽よりも田楽を好んでいた。さらに代が足利義教になると世阿弥たちには弾圧が加えられるようになる。
その流れについては古川さんの三島由紀夫トリビュート小説『金閣』で読んだ。三島由紀夫の『金閣寺』の「金閣寺」を建立したのが、「世阿弥」を寵愛した足利義満だった。

監督・湯浅政明×キャラクター原案・松本大洋×脚本・野木亜紀子×音楽・大友良英が実在の能楽師を変幻自在のイマジネーションで描く《ミュージカル・アニメーション》!

ということで古川日出男さんの小説『平家物語 犬王の巻』のアニメーション映画が来年夏公開、その特報が出た。これは期待しかない。
嬢王蜂のアヴちゃんが「犬王」、これはヤバい。一度だけ「嬢王蜂」ライブ行ったけどそこに来ているほとんど8割ぐらいは若い女性たちだった。彼女たちに届けばそれはほんとうにすごいことになるんじゃないか、とも思う。
琵琶法師の少年の友魚を森山未來ナンバーガールの無観客ライブで踊り、東京五輪の舞台でも舞った。その意味でも彼が「世阿弥」のように思えなくもない、だが、ミュージシャンである歌い手のアヴちゃんが「犬王」であり、踊れる森山未來語り部としての琵琶法師であるのは反転しているようだが、そのことでそれぞれがより身体性を持つことになって、輪郭を強くしているようみたいだ。


平家物語』現代語訳が刊行され、アメリUCLAに渡米する前に書き上げられた『犬王の巻』は帰国後に刊行されたはずだ。
高知の竹林寺での「平家物語 諸行無常セッション」を向井秀徳さんと坂田明さんと古川さんでやった際に観に行って、その時に『犬王の巻』持っていったので帰りの空港で会った際にサインしてもらったという記憶がある。
平家物語』刊行された後にアメリカのUCLA(古川さん夫妻が渡米したのはトランプ就任直後だった。僕が遊びに行った3月にUCLAで古川さんが朗読したのは小泉八雲の「耳なし芳一」で、会場のスクリーンに映し出されていたのは小林正樹監督『怪談』の『耳無芳一の話』だった)に行かれて戻ってこられてから、『犬王の巻』と「平家物語 諸行無常セッション」があったから、『平家物語』とアメリカのロサンゼルスが結びついてる。
さあ、来年の夏のたのしみができた。

f:id:likeaswimmingangel:20210822075209j:plain第二次世界大戦後のフランスを描いたアニメーション映画『ベルヴィル・ランデブー』をヒューマントラスト渋谷にて鑑賞。菊地成孔さんがかなりプッシュしていた(インターネットラジオ大恐慌のラジオデイズ」でも扱っていた)ので観に来てみた。確かにラジオでも言われていたが、フランス人がこれでどうだと言わんばかりに醜悪に描かれている。人間だけでなく建物や船などもディフォルメがすごくて、かなりいびつだった。
両親がおらずおばあちゃんに育てられているシャンピオンはいつしか自転車に興味を持ち始めて、やがてツール・ド・フランスを目指すためにトレーニングをするような若者になる。また、シャンピオンが幼少期に飼うことになった犬のブルーノも終始物語に登場することになるが、この犬まったく可愛くない。
ツール・ド・フランスに出場中のシャンピオンがマフィアに連れ去られてしまい、大会の車で彼を追いかけていたおばあちゃんとブルーノは追いかけていく。シャンピオンを追いかけていくおばあちゃんとブルーノは大都市のベルヴィルに辿り着き、そこでかつての人気歌手トリオのトリプレットの三姉妹の助けを得て、孫の救出に挑むというもの。話はかなり単純なのだが、人物からなにからデフォルメがすごいせいで、「クセがすごい」と終始言いたくなる画面で、違和感というかすごく変なものを観ているような気になってしまう。だからこそ、中毒性もあるのだろうし、拒否反応もでるのだろう。なんかすごく変なものを観たぞ、と思いながら歩いて帰ったが世界が少し歪んで見えた。


7月28日
水道橋博士のメルマ旬報』連載「碇のむきだし」が公開されました。
短編小説『マミラリアデアルバータの白い骨』』です。


f:id:likeaswimmingangel:20210822075324j:plainリモートワークが終わってから渋谷に歩いていって、Bunkamuraのル・シネマでデレク・ツァン監督『少年の君』を鑑賞。弁護士の三輪記子さんとDMしていたらオススメされたので気になって観ようと思った作品。
中国のオンライン小説が原作となっていて、2019年の中国映画興行収入9位、青春映画ジャンルとしては歴代1位になったようだ。
かなり重厚な作品だった。中国におけるいじめや大学受験競争を描いているため、見ていて何度も苦しくなるような、目を背けたくなるようなシーンが多々ある。とくに主人公の男女ふたりがすごかった。内向的な優等生で進学校に通っているチェン・ニェンをチョウ・ドンユイ、母親に捨てられた不良少年のシャオベイをイー・ヤンチェンシーが演じているが、この二人を観るだけでも価値がある映画と言える。
「孤独な二人の愚かしいほどの崇高さが絶望の闇から抜け出そうとする青春譚」という言葉が浮かんだ。
いじめなどを取り扱っていることや途中でチェン・ニェンがいじめをしている同級生からされる残酷な行為は『リリィシュシュのすべて』に通じるところはあった。ある意味で「いじめ」のテンプレ的な描写とも言えるかもしれないが、見るのがつらい。
少年少女が大人になるために、境界線の向こう側に行くために供犠のような、自分の身代わりみたいな誰かを失ったりすることで少年少女は大人になるという王道な物語の構造をしているのだが、最後あたりの展開が現代的というか啓蒙的な作りになっているのが現代の中国で作られたのだなと思えた。
チェン・ニェンはなんとなく酒井若菜さんを彷彿させる顔つき、シャオベイはフィギュアスケート高橋大輔みたいな顔だった。高橋はめちゃめちゃ似てた。
二人がバイクに乗って疾走するシーンはウォン・カーウァイ監督『天使の涙』みたいだなって思ったけど、意識はしてると思うし、青春映画の一コマとしてバイク二人乗りはとても画になる。


7月29日
「PLANETS」連載中の『ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春』最新回は『KATSU!』一回目です。
『タッチ』から繋がる編集者のバトン、ということで現「週刊少年サンデー」編集長の市原武法さんが『タッチ』編集者だった三上信一さんから託されたバトンとは?
そして、今作の登場人物たちと「選ばれた」者と「選ばれなかった」者について書いています。

f:id:likeaswimmingangel:20210822075509j:plain
燃え殻さんから『これはただの夏』をご恵投いただきました。『yomyom』連載中に読んでいたのですが、加筆修正されているようなので読むがたのしみ。「けもの」の音楽をBGMにして、この夏に読みたい一冊。
「monokaki」で燃え殻さんにインタビューさせてもらった時に、この作品のイメージとして教えてもらった映画があって、その作品もその時見返したら、なるほどなあって思ったのを思い出しました。

燃え殻『これはただの夏』PV full version


f:id:likeaswimmingangel:20210822075620j:plain
仕事終わってからニコラに行って、エンダイブのオーブン焼きユダヤ風をいただく。いつものようにカウンターにいたら、役者をやっている藤江琢磨くんが来て、久しぶりにばったりだったけどお茶しながら話をした。この間のニコラでのイベントのライブもすごくよかったけど、来月公演予定だったライブが中止になってしまったので、その話とかをした。世の中にはいろんなことがある。表で言えることとそうではないこと、外部の人間は想像したり予想することはできるが、内部で起きていることは実は単純だったり、思いの外に入り組んでいたりする。藤江くんはきっと数年以内にいろんな人から注目される役者や表現者になっていると思う、この直感は当たるはず。
帰り際に、「けもの」の青羊さんも来店してきて少しだけお話をした。青羊さんと燃え殻さんとアアルトコーヒーの庄野さんのイベントをニコラでしたのが、20年の2月とかで、そこから青羊さんにはお会いしてなかった。本当に久しぶりだった。「けもの」の『ただの夏』からインスパイアを受けて燃え殻さんが書いたのが小説『これはただの夏』だった。ニコラがなければ出会わなかったかもしれない二人。その小説の発売日だから青羊さんは久しぶりにニコラに来たかったと言われていた。藤江くんに青羊さんとたまたまお店で会えたのはうれしかった。そういう場所がひとつでもあることはとても幸せなことだ。


7月30日
f:id:likeaswimmingangel:20210822075701j:plain
イメージ・フォーラムで開催中「ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ」の『オールド・ジョイ』を鑑賞。A24の制作作品の中でケリー・ライカート監督『First cow』という作品がったのを覚えていて、気になったので観に来た。
もうすぐ父親になるマークの元にヒッピー的な生活を続けている旧友のカートから久しぶりに電話があり、二人はポートランドの外れの温泉がある山に向かうというもの。愛犬が出てくるが山に向かってからはマークとカートと犬が山を登っていく描写と温泉に浸かって二人がやりとりするというシーンがほとんどだったが、温泉に浸かっているマークに、ベンチのような腰掛ける場所でマリファナか何かを吸いながら自分に起きた出来事や夢について話すカートの場面が印象的で、その話の内容がどこか寓話的なようにも感じられた。途中動きが少ないのでウトウトしてしまったが、画的にも静の要素が強いので昼過ぎに観に行くと眠くなるかも。

イメージ・フォーラムからタワレコ方面に下っていき、ヒューマントラスト渋谷が入っているビルのところで元テレ東の佐久間宣行さんが信号待ちをされていた。ラジオの「オールナイトニッポン0」も聞かせてもらっていて、先日発売された書籍も購入して読んでいた。佐久間さんが福島県いわき市出身なので、去年古川さんとご一緒させてもらった際にいわき市も歩いていたこともあり、ルポルタージュ『ゼロエフ』を番組に宛に先々週ぐらいに送っていた。それもあって、お声がけして名刺を渡してご挨拶させてもらった。本は届いてないと言われていたので、ニッポン放送か番組のスタッフとかのところにあるのかな。でも、いきなり声をかけてしまったので失礼だったかもしれない。自分でもマスクしていて、テレビ番組とかでしか見たことないのに一発でよくわかったなと思うのだが、自分の特技のひとつが、テレビとかで見たことある人を現実で見てもパッとわかったり、一度会った人の顔はわりと忘れないというのがある。まあ、名前は忘れがちなんだけど。
映画を観に行く前に実は佐久間さんのYou Tube番組を見ていたので、それで顔を認識しやすかったのかもしれない。

トーク麒麟川島 人生でウケたベスト3 & 一番スベった瞬間



f:id:likeaswimmingangel:20210822075848j:plain
浅野いにお著『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』11巻が発売になっていたので映画見る前に久しぶりの青山ブックセンターで購入。終わらない夏休み、世界の終わり、圧巻の作画、クライマックスが近づいてきた。


7月31日
今日まで〆切だった「小説現代長編新人賞」には新作ではなく、前に書いたものをリライトしたものを送った。前は三人称だったけど、今回は一人称に変えたのだけど、大きくは変わっていないけど、下読みの人が読む時にどう感じるのだろうか。


8月1日
f:id:likeaswimmingangel:20210822080009j:plain
一日中部屋にいるのはしんどいので、朝起きて散歩がてら代官山蔦屋まで往復して1時間半程度歩く。
代官山蔦屋にはやっぱり新潮社『波』が置いてあった。燃え殻さんの『これはただの夏』刊行記念特集があったのと、佐々木敦さんによる千葉雅也さんの『オーバーヒート』の書評が読みたかったのでGET。
千葉さんの『オーバーヒート』は『新潮』掲載時に読んでいたが、芥川賞も、ほかの芥川賞予想番組でも思いの外、上の世代にはそこまで受け入れられていないように思えた。いやあ、言葉と身体性ということについて書かれているし、それが受け手自身に大きくフィードバックする作品だから素晴らしいと思っていたが、感覚の差もあるのかもしれない。ただ、『デッドライン』『オーバーヒート』と続く単行本は『オーバーヒート』の装幀はあんまり僕には響かないので買わなかった。
で、千葉さんというと学者繋がりで岸政彦さんも同じく新潮社から小説が出ている。岸さんの『ビニール傘』は装幀デザインもいいなと思って買って読んだ。その後、岸さんは小説よりも社会学とかの文章のほうが小説というかエモいと感じられて、またマッチョ的なものも僕はあまり好きではないので読まなくなった。
『ビニール傘』と同年に出たのが燃え殻さんの『ボクたちはみんな大人になれなかった』だった。どちらもタイトルと著者名が手書きの文字で表記されている。
この数年、小説だけでなく、映画でも手書きのものをよく見るようになってきた。手書きはどことなくエモい、また、その二つの小説の影響もおそらくあったのではないかと思う。岸さんはその後の『図書室』『リリアン』も同じ装幀のパターンを踏襲している。燃え殻さんの『これはただの夏』は前作と違うタイプのデザインになっている。たぶん、燃え殻さんは手書きのタイトルが増えてきたから今回は避けたんじゃないかな。
新潮社は時折、ヒットではないがブームというか装幀デザインの流れをしばらく続けている時期があると感じる。写真を使ったデザインとかもパッと見で新潮社っぽいというのがわかるから、パターンがあるのだろう。
イラスト系の装幀が流行ったら(これは中村佑介さんが装幀デザインを描いた『夜も短し恋せよ乙女』以降、一気に広まった印象)多くの出版社がそのラインに行った。出版社のサイトで発売予定の書籍の装幀を見ていると時折大きな波がやってきて、ほとんどがその流れに向かっていく時期を感じることがある。
書店に行くのが好きなのはたくさんの装幀デザインを直で見れるというのが僕の中では大きい。


8月2日
f:id:likeaswimmingangel:20210822080137j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210822080155j:plain最近読んだ漫画。話題の『スノウボールアース』は『怪獣8号』同様にアフター『進撃の巨人』+世界的な環境問題のメタファ要素があるので現在性があり、ヒットしていくだろうし、どちらもアニメなんかにメディアミックスされてより一般的になりそう。
会社に久しぶりに行ったときに同じ部署の人に教えてもらった『スキップとローファー』『水曜姉弟』は自分からは読まないタイプの漫画だったけどたのしめた。前者はドラマ化とかするんじゃないかな。後者はノンアルコールドリンクの作り方のレシピが毎回載っているので、それもお酒好きな人にも興味持たれそう。
『アブラカダブラ』は庄野さんに教えてもらって全巻揃えたのでそろそろ読み始める。

f:id:likeaswimmingangel:20210822080236j:plain国境をまたぐ大運動会はそもそも興味がなく、仕事のBGMのradikoでラジオ聴いても大抵大運動会ネタなんで、ネトフリで「M-1グランプリ」を、Paraviで「キングオブコント」を昔のから流してBGM代わりにしていた。最終的に空気階段の単独ライブ『anna』DVDを買ってしまった。


8月3日
週刊ポスト」の連載が今月で終わることになった。先々月下旬に担当さんから会って話がしたいと言われたら、まあ、いい話ではないなと思ったけどそうだった。

いまのとこ『水道橋博士のメルマ旬報』もずっと連載させてもらってるし、『ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春』も終わりが見えてきたけど続いている。
そういえば、連載が終わるのが実は今回が始めてだ。ほぼ毎週原稿送ってゲラチェックのメールを担当さんとしていたのが、終わるのでそれはちょっと寂しい。
八月最後に取り上げるのは、濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』とウエダアツシ監督『うみべの女の子』の二本。
前者は村上春樹さんの短編を元にしたもの、後者は浅野いにおさんの漫画を映像化したもの。
週刊ポスト」の読者層を考えれば、村上さんの世代だけど、最後に浅野いにお作品の青春映画をぶちこめたのでよかった。

映画『うみべの女の子』予告編 2021年8月20日公開


f:id:likeaswimmingangel:20210822124253j:plain「ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ」を先週に引き続き観に行った。今回はミシェル・ウィリアムズ主演『ウェンディ&ルーシー』を鑑賞。
この劇場プログラムが非常に豪華なメンバーだった。蓮實重彦長島有里枝町山広美、小谷田奈月、王谷晶、柴田元幸というメンツ。小谷田さんと王谷さんがいるのが偉いというかすごくいいと思う。
映画は人が生きるためには金がいるという現実を見せつけてくる内容で、不運な時には不運なことが重なり続けるが、やさしい人もいる。だが、あるものを捨てて旅立つことになるという普遍的な物語でもあった。

『ウェンディ&ルーシー』予告編



8月4日
f:id:likeaswimmingangel:20210822124357j:plain
ニコラで信濃地鶏スモークと白桃のスパゲティーニをば。地鶏も白桃も長野産でほんと美味しかった。地鶏の歯ごたえと白桃のやわらかな甘さ。

f:id:likeaswimmingangel:20210822124452j:plain榎本憲男著『ワルキューレ 巡査長真行寺弘道』を渋谷に行ったついでに購入。
シリーズ三巻目。前の二巻はインドのカースト制度を扱いながらも、日本での人種差別や格差も入れ込んでくる内容で非常に面白かった。というわけで五巻目まで読もうと思って、他の作品を調べていたら、五巻目はコロナについて書かれていて、小学館文庫から『DASPA 吉良大介』というシリーズが二巻出ているのだが、そこでどうやら「巡査長真行寺弘道シリーズ」と交差するらしい。それはシェアワールド的なものであっていいと思うのだが、なんだろう、人の名前をタイトルにつけないといけない呪縛なのだろうか、そこがどうしてももったいなく感じてしまう。
「刑事・雪平夏見シリーズ」がドラマで『アンフェア』になって大ヒットしたし、そういう可能性もあるか。
54歳でヒラな巡査長を映像化でイメージすると有名どこが浮かぶけど、そうじゃないんだよなあ。売れてない人がいい。映像化するときは阿部寛さんとか西島秀俊さんとかその辺りになりそうだけど、売れてない顔もわかんないけど、めっちゃ演技が上手い人だったらすごくおもしろいと思うのだけど。


8月5日
f:id:likeaswimmingangel:20210822124536j:plain今月20日から沖田修一監督で実写禍される田島列島著『子供はわかってあげない』上下巻を息抜きに読み始めるが、やっぱおもしろい(これだけ読んでませんでした)。
テンポというか間とか会話のリズムが絵柄にきちんと合っている感じがする。田島さんの『水は海に向かって流れる』は刊行時に読んでいるけど、あれはどこかが映像化に動いてる気がするんだよなあ、今泉力哉監督とかがやったらうまくいきそうな。オフビートというかゆるやかなリズムで日常と家族、一緒にいるということを描いていてとても好きな漫画だった。
ロロの三浦さんが脚本の『サマーフィルムにのって』は明日から公開だし、浅野いにおさんの『うみべの女の子』も20日公開だし、観たら素晴らしそうな青春映画が立て続けで公開される。まあ、年齢的には親の目線のほうが近いわけだから、10代や20代の頃とは違う見え方にもなってきてる。「あだち充論」でも『虹色とうがらし』以降はあだちさんの父的な目線というか、青春が終わった人の視線とか親子関係についてのエピソードが多くなったということを書いたけど、自分が『H2』をリアルタイムで「少年サンデー」で読んでいる時にうちの親父も「少年サンデー」読みながら主人公たちの親の方の視線だったのかなと思ったり。でも、そういう視線にならずに年齢とか性別とか関係なく、主人公に自分を投影させたりできる人のほうが多いんだろうか。僕は客観的にものを見てしまうから基本的には物語の構造とか文体(絵柄やコマ運び)とかが気になってしまう。


8月6日
f:id:likeaswimmingangel:20210822124639j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210822124644j:plain『サマーフィルムにのって』をホワイトシネクイントで鑑賞。
青春×時代劇×SF=青春恋愛映画というかなり変化球に見えるが、すばらしい映画でした。20年代の青春映画のマスターピースみたいな作品になるんじゃないだろうか。
映画『桐島、部活やめるってよ』に出ていた若手俳優がその後に頭角を現したように、この作品のキャストたちも数年後にはそんな風になっているはず(と思わせるほどみんな魅力的)。個人的には眼鏡女子のビート板役の河合優実さんという女優さんは顔の系統が石原さとみっぽいし、なにかの機会でブレイクして大きな役をやっていくような気がした。主役の伊藤万理華さんはほんとうに素晴らしかった。
脚本がロロの三浦さんなので観たかった作品だけど、また、ロロとか知らない人に三浦さんの才能がバレちゃうんだろう。

ロロの舞台を観て感じる青すぎて爽やかで心地よさ(おおざっぱにいうとエモい青春)がこの映画にもあった。この間の「いつ高」シリーズファイナルでロロの青春は一区切りついたように感じたけど、三浦さんが映画やドラマで青春ものは続けていくなら、それはこの先も観たい。
映画作りの話だけど、映画とかに関わってる人にもそうでない人にも観てほしい。自分が好きなものにこだわってなにかを成し遂げようと奮闘する姿が青春なのかもしれない、年齢や時代や社会は言い訳にはなるけど、その先に、自分の手が届かない場所に一歩踏み出せば世界は変わるし、そこには自分ではない他者が確実にいる世界がある。


8月7日
榎本憲男著『ワルキューレ 巡査長 真行寺弘道』を読んでいるが、三巻目はフェミニズムの話がメイン。
昨日の小田急線の事件の犯人が「幸せな女性が憎かった」というフェミサイド(性別を理由に女性または少女を標的とした、男性による殺人)を起こしている。
レベッカ・ソルニットの『説教したがる男たち』を前に読んだのは、自分が今まで無意識に女性に対して知らずとやってきたことやあまりにも世間におけるミソジニーなんかについて知らなかったから知らないとダメだと思ったから。
水道橋博士さんが女性アイドルについてツイートしてプチ炎上した際に大盛堂書店でお会いしたときにこの『説教したがる男たち』を渡した。
たぶん、この手の問題は教育とかしかないと思うのだが、そもそも社会というか政治が崩壊している(与党の政治家の多くが日本会議所属している時点で夫婦別姓とかLGBTQに向き合うはずがない)。そういう構造を変えるには選挙しかないのだが、投票率は低いし、投票している年寄がそいつらに入れてしまっている。
プロパガンダというか声がデカかったり、テレビに出ていたやつに投票するやつが多いから大阪は橋下が勝ってしまうし維新ができてしまった。今のコロナで大阪の医療が崩壊しているのは明らかに橋下と維新のせいだし、誰が投票しているのかわからないが東京は小池が勝ってしまってオリンピックも含めて人災のオンパレードで誰も責任を取らない有様。
でも、小池も橋下も遡れば、石原慎太郎という人物が芥川賞を取り、メディアが石原を持ち上げ、その後彼が中曽根と近づいていったことがデカい。石原慎太郎のメディアミックス的なやりかたが自民党に持ち込んだと言えるし、石原はメディアミックスの作用で都知事にまでなってしまった。
現在の笑えない状況は文学とメディアミックスの功罪でもある。第二次世界大戦から文学とメディアミックスは国民に戦意高揚するために使われてきたわけで、そういうことをせめて物作りする人は知ってないと危ないし、知らないうちに大きな力に利用されて加担させられてしまう。民主主義が形だけで根付いていないから、フェミニズムのことも広がらないし、個人の権利を尊重するという当たり前のことができていない。だから、金メダルをかじるというパフォーマンスをやってしまうような人物が市長であり続けて、辞めさせられることもない。


松本:友達の家に行ってました。その友達の家庭教師が、漫画とかCDを置いていってて。生徒に「キング」って呼ばせてる変な家庭教師だったんですけど。

一同:(笑)。

松本:そのキングが、岡崎京子の漫画とかを置いていくんですよ。『リバーズ・エッジ』とか『pink』とか。オシリペンペンズのCDとかもあったな。キングの置いていったサブカルチャーに毎日触れていました。

三浦:えー。それが原体験なんだ!

松本:キングのおかげですよ。自分がいままで触れてきた漫画や音楽とは違うって思いましたね。わけわかんないのいっぱい置いてあって。友達に「これおもしろかったから、続き借りといて」って言ったら、キングが「それなら、これも好きかも」っていろいろ貸してくれたりして。

三浦:へー!

松本:どんどんキングに教育されていったのを、いま思い出しました。キングとは結局会わずじまいだったんですけど。

三浦:いい話だな。

 『サマーフィルムにのって』はオススメなんでたくさんの人に観てほしい。


サブカルチャーって兄や姉や上の世代からなにかをバトンタッチされるように下の世代に渡されるというか、媒介者みたいな役割の人がいるってのが大事だったんだと思う。
だからそれは「未知との遭遇」に近くて、人工知能みたいなものが「オススメ」するようなものとはやっぱり違う。
オダギリジョー出てるから観てようかなって『ハザード』観に行って園子温監督の表現に出会って、作品に内面が揺さぶられて終わった後に吐きそうになったことで人生変わっちゃうとか、たまたま貸してもらった『ハル、ハル、ハル』を読んで一気にハマって、それまで出ていた古川日出男作品を全部読んだりして、『サマーバケーションEP』をひとりでやったことが『ゼロエフ』の取材の同行するのに繋がった。
できるだけ他人からオススメされたものを読んだり観たり聴いたり行ってみるとかって、本来自分が手を出さない興味がないものだから、できるだけ触れるようにするとイレギュラーなことやエラーが起きる。そうやってはじめて外部が広がるっていうのは自分が経験しているからよくわかる。
人になにかを勧めるのって難しいことだけど、スマホやPCに出てくるオススメよりも誰かの世界を拡げたり、イレギュラーを起こす要素になる。それがその人にとっていい方向に向かうのか悪い方向に向かうのかはわからないのだけど、アルゴリズムに支配される予定調和よりはよほどいい。

f:id:likeaswimmingangel:20210822125057j:plain
f:id:likeaswimmingangel:20210822125034j:plain銀座のヴァニラ画廊で田島昭宇 画業35周年記念展 <Side: A> 『Baby Baby』のサイン会に。きちんと申し込んで当てた。
以前に『水道橋博士のメルマ旬報』で「岩井俊二園子温の時代」という連載をしていた時に『多重人格探偵サイコ』最終巻のサイン会のときに連載のイラスト描いてもらえませんか?とお願いしたら引き受けていただいて六回ほどイラストを描いてもらった。
毎回田島さんと大船の飲み屋で待ちあわせして、原画を受け取りそのまま昼間から飲んでいた。
この先、作品集を出せるようにするために原画を田島さんとこに集めておきたいという話をされていたので、今回のサイン会で原画を持っていった。
5時ぐらいに僕の番は来たので、サインをしてもらって原画をお渡ししたら、原画のことで話せないかなと言われたのでサイン会が終わるのを7時ぐらいまで待つことにした。
GINZA SIXに蔦屋が入っていて、ティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』の単行本がヴィンテージということで初刷が千円で売っていた。それを同じフロアにあるスタバで読んで時間潰しをした。同じアメリカ産だが落差がひどい。
サイン会が終わってから田島さんと話をさせてもらって記念に写真を撮ってもらった。僕が丸いのはあるけど、田島さんが細いからこんな感じになってる。
『摩陀羅』や『多重人格探偵サイコ』を思春期に夢中で読んでたけど、中年になった今は田島さんと普通に話をしていたりする。不思議ではあるけど、人としてちゃんとやりとりできるぐらいの社交性があれば、たいてい好きだった人や影響を受けた人には(その人が生きていたら)会える。コロナはそれを少し難しくしてしまっているけど。


8月8日
f:id:likeaswimmingangel:20210822125238j:plain小説を何冊か並行して読んでいるので、ちょっとジャンル違うものも混ぜようと思って、與那覇潤著『平成史』を『SMAP 25 YEARS』をBGMにしながら読んでいる令和三年夏。

ceroの新曲『Nemesis』はその前の『Fdf』の流れもあって非常に好きな感じでこのまま次のアルバムが出るといいなと思う。
明日のスタジオコーストのワンマンライブはチケットを取ったのだが、今の東京コロナの状況だとチケ代はもったいないけど行くのをやめようと決めていた。さきほどナタリーを見たらサポートベースの人がコロナに感染したので明日のライブは延期になっていた。
映画館は換気もしっかりしてるし、両隣が一席ずつ空いていれば(販売をしていなかったら)ほぼ完璧だからクラスターはでない。上映中に話すことはないから飛沫は飛ばない。映画料金はこの時期は一席ずつとか空けるなら上乗せしちゃったほうがいいとは思う。一応、映画館でアイスコーヒーを買う&映画がよかったらパンフを買うということでできるだけお金を使っているけど、それも微々たるものだ。
ライブはコロナになってから今の所行ったものに関しては席ありか、スタンディングでも四角に区切られて四方が空いている感じになっていて密集を防いでいるし、お酒も出していないから基本的にはクラスターが出にくいとは思う。
ただ、出演者とかが感染してしまうとどうにもならない。だが、これはほんとうに時と運による。本人がよほど無自覚でマスクしてないとか集団で飲み食いとかしてない限りは運が悪かったとしかいいようがないかもしれない。軽めな症状らしいのでよかったが、たぶん自分のことを責めちゃうだろうから、周りがケアしないといけなかったりするんだろう。
延期された公演日時が決まったらしっかりライブを聴きに行こうと思う。でも、いい加減ライブ中にビールとか飲みたいんだけなあ、これもどのくらい先になったら解禁されるのだろう。
まずは生き延びるしかないのだけど。
一番の問題はローチケから延期とかのお知らせが一切来ていない。




8月9日
昨日から朝起きたら2時間机に座って執筆するというのを始めた。2日目の今日は祝日だったが、6時前に起きてゴミを捨てに行ったりしてから6時15分から執筆を開始した。
先々日の土曜日にとある用事でラインをした友人が、会社に行く前に朝起きてから2時間執筆する時間を作っていると話をしてくれた。このままでは今月中に書き終わりたい小説も難しいかもしれないと思っていたので、僕もやってみようかなと伝えるとしばらくの間は朝起きて作業に入る時、終わった時をラインで伝えあうことにしないかと提案された。一人でやるよりはそちらのほうが続きそうなので、友人にお願いして始めたのが昨日だった。まずは100日続けようと言われた。
人間がなにかを習慣づけるためにはそのくらい続けないといけないというのはなにかで読んだ記憶がある。ワンクール(3ヶ月)と10日ぐらいと考えると長いようで短い、11月15日がちょうど100日らしい。その時点でしっかり書き続けていれば三つほど新人賞応募の原稿が完成し、一つは途中まで書くことになる。毎日少しずつ書かないといけないとわかっているのに、どうしても休みとか時間があるときにまとめて一気に書いてしまうので、今回の習慣づけで少しでも日々重ねていきたい。


8月10日
f:id:likeaswimmingangel:20210822125417j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210822125422j:plain
DC/PRG『20 YEARS HOLY ALTER WAR - MIRROR BALLISM Tour LIVE』が届いた。完全受注生産なので、クレジットで先に支払いだけをしていた。DC/PRDGのラストライブのスタジオコーストには行った。そこで菊地成孔さんはこんなことを言った。

 

 混乱と無秩序のフィールドに於いては、意識的、知的、社会的、投機的な上半身の判断が全て無効化し、無意識的で衝動的で、反射的な、全身の判断しか残らないからだ。こんな楽しいことがあるか。俺は混乱に対してワクワクしかしない。頭がおかしいのかもしれないね。
 演奏やMCだけではなく、更にその物的証拠を出そう。我々の最後のプロダクツは、20周年ツアーを完全パッケージしたCD7枚組ボックスだが、オマケがついてる。それを買った人だけが、あれ、印鑑みたいのなんていうの?オレあれずっとネット実印だと思ってたんだけど、まあまあまあ、それによって、先週の大阪PARTY2と、今日のライブPARTY1がストリーミングできる。最新技術の、360度、天球儀式で録画された、キャッチ22が収録されているとか、いないとか。
 しかしそんなもんじゃ混乱とか無秩序なんてとても言えないね。最大のおまけを見せよう。(*ポケットの中で、指に指人形を4つはめて)ジャジャーン!!これだ。「DC/PRG元老院指人形セット」(*しばらく説明。箱も見せる)!!あまりの混乱と無秩序に、ワクワクするしかないでしょ!
 これが1000セット売れると、うちの会社は首がつながる。今はどこの音楽事務所も首の皮一枚なんだ。でもオレはクラウドファウンディングとかああいうのは絶対にしない、あれはコジキか株屋のやる事だ。コジキも株屋も立派な仕事だけれども、オレは水商売の子だ。最高の素材を集めて、調理して、お客さんに旨いもんを出して、それを喜んでもらって、もらった金はどんどん、水に流れてゆく。水はけがいいからね、調理場ってのは。詳しくは情報解禁を待って欲しい。1箱税込2万5千円でご提供いたします!!
 さて、混沌が生じさせる、集団的な無意識の集積場、行き場は一つしかない。それは、名付けるのが非常に難しいが、高い確率で、愛と呼ばれるものだ。今我々は、愛を、即物的に掴める、あるいはすでにしっかり掴んだ状態にいる。つまりこう言うことだ。諸君、ワイルドに生きよう。人生は短い。他人からの反感なんか恐れて守りに回って生きてても、チンケな想定より良いことは何もないぞ。
 そして歌うことと踊ることは、人類が言語よりはるか先に手にした、最初の教養だ。プリミティヴな教養は学校では教えてくれない。ワイルドになる事でしか、我々は祖先の姿に戻れない。音楽と完全に同化して踊っている間、人類は他の何事もできない。読書も食事も、投資もツイートも、セックスも、妄想すらできない。そのことを知ってから、オレの人生は決定したんだ。4つか5つの時だったと思うよ。
 ちょっと数を数えてみてくれ。諸君らは今いくつで、20年前、幾つだった?簡単な計算だろ。君らはこの20年間で解放されたかね、それとも拘束されたかね?我々は解放戦線に立ち続けた。
 そうやって20年もブランドを維持してれば、多くのプレーヤーが入っては去って行くのは避けられない。キューバ移民も、カンザス出身のユダヤ系も、ミックスブラッドの若いラッパー達もいた。大友が辞めた時は、「あいつらはもう終わりだ」と言われたよ。笑ったぜ。舐められたら、笑うべきだ。笑ってから、余裕で倍返しだ。俺は生まれてからずっとそうしてきた。つまり、もうこんなことは、今日の演奏を聴いて嫌っちゅうほどわかっているとは思うが、改めて言わせて貰う。
 こんなセリフは、Gラッパーかプロレスラーのビッグマウスみたいだと思われるかもしれない、だが事実だから仕方がない。DC/PRGは、いま、ここにいる最後のオレたちが最新で最強だ。もう一度言うぞ。デートコースペンタゴンロイヤルガーデンは、ここにいる俺たちが最新で最強だ。諸君らのジャッジはいかがかな?
 客席に若い音楽家がいたら、特に君達に言いたい。オレみたいなのがこんな凄い奴らを束ねてたなんて、自分でも信じられない。でもイマジネーションをしっかり持ち、原理を知り、チームワークというものさえ知れば、きっと誰だってできることなんだ。オレにできたんだから、諸君らにも必ずできる。それも知ってほしい。別に頑張らなくたっていいけど、諦めるな。
 我々はカオスの中からしか生じ得ないミュージカルやオペラを21年間上演し続けた、やろうと思えばまだできるが、博打はやめどきが肝心なのは言うまでもない。諸君らが我々の最後のフロアだ。旅路の果てに合流してくれた諸君ら全員に、シェイクハンドとキスを送りたい。この仕事をしてると、キスのやめかたがわからなくなる時が多々あるんで困るよ。感傷的になる気はさらさらないが、オレは今夜のことを一生忘れないから、諸君らにもそうして貰えると気分がいいぜ。

 <菊地成孔の日記 2021年4月4日 午前4時記す>より


ライブで上記のことをバンマスである菊地さんがステージから語った。僕はこの最高のラストライブを観てしまったのだが、思う存分楽しんだのだから、その気持ちの表明としてBOXセットを買おうと決意した。

ハヤカワSFコンテストの二次選考の講評(結局一次止まりだった)をメールでお願いしていたのが、送られてきた。わりと辛辣というかしっかりと小説について講評を書いてもらっていた。
ストーリーの起伏と構成力が水準に達しておらず、ゼロ年代渋谷系サブカル批評的なうんちくや小ネタなどで都市空間を記号として描こうとするのはオールドスタイルであり、二つの物語が交互に展開する設定が物語の面白さや驚きの演出に寄与していない、と書かれていた。読んでいてダメージをくらうというのは内心ではわかっていたことを他人からはっきり指摘されたからだと思う。
唯一褒められた?のは書き慣れているようで読ませる力はあること、これだけの分量をかきあげたのは努力の結果だと感じます、という点だった。

四年ほど連載をさせてもらっていた『週刊ポスト』の「予告編妄想かわら版」を最初に越えをかけてくださった編集者のNさん(いつもやりとりをしている編集者のTさんの上長)から今までありがとうございましたとメールが来た。Tさんに連載が終わるということを打ち合わせでされた時に、「PLANETS」で連載している『ユートピアの終焉――あだち充と戦後社会の青春』を小学館さんで書籍化とかできないですかね、とダメ元で聞いていたのだが、いくつか無料部分を読んだが編集さん自体がほとんどあだち充を読んでいないので自分が担当になってということにピンとこなかったと正直に書かれていた。

このメールが立て続けにくるのは正直しんどい。だけど、自分の力の足りなさが他者を通じて示されているだけなので、ただの現実だ。残念ながら現実はたいていしんどくてやっかいだ。問題はめっちゃ絶望というほど落ちることもなく、今の所は希望もないし先は明るくもないけど、どこかでなんとかなるだろうという気持ちがある。これがなくなったら普通に誰にも何も言わずに自殺でもすると思う。
なまぬるい絶望と希望の中で漂っている、というかたぶん今書いているやつにこの気持というか自分自身をもっと反映させちゃえばいいんだろう。なにかを創るのはある意味でセラピーだ。物語の中では死んだり生き返ったりさせることで、自分の内面の奥に行けるかもしれない。行ってしまって帰ってこれない人もいるのだろうけど、そこまで降りて戻ってくるにはまず体力と集中力がいる。朝起きて二時間の執筆が100日続けてルーティンとして定着する頃にはなにかが身についているといいのだけど。


8月11日
「佐久間宣行のNOBROCK TV」【トーク若槻千夏がハマらなかったMCとは?

佐久間さんのYou Tubeチャンネルを見るのはこのところ楽しみの一つだが、今回の若槻千夏さんとのトークもおもしろかった。若槻さんのバラエティ番組におけるひな壇での戦い方、MCにハマる方法などある種仕事論としても聞ける。第一線で戦い続ける人はやはりクレバーであり、物事を冷静に判断しているのだなと感じた。

昨日に引き続きテンションが落ちる連絡があり、いろいろとやってらんねえなと思ったけど、それもこれも今の自分の力のなさを思い知らされた形でしかない。しかし、僕の知り合いは僕がやっていることに興味がないんだなって。そのことに傷ついたほうがいいのか、気にしないほうがいいのか。


8月12日
最近は與那覇潤著『平成史』、呉明益著『複眼人』、ウィリアム・フォークナー著『土にまみれた旗』を併読していて、そのラインナップと一緒に榎本憲男著『ワルキューレ 巡査長真行寺弘道』を読んでいた。
三巻目のそれを読み終えたので、シリーズ四巻目『エージェント』と最終巻『インフォデミック』を揃えた。
山本さんからオススメされた葉真中顕著『ロスト・ケア』と前に読んだ『愛についてのデッサン』が面白かった野呂邦暢のミステリ短編集を買った。
中公文庫はわりと戦前戦後の作家のこういうリユースがうまいなと思う。こうやってパッケージが変わることで、知らなかった作家と間に合わなかった世代が出会うということもある。それはとても豊かな読書だと思うのだけど、ある時期を過ぎたらそういうものも難しくなっていくのかなと思ったり、もする。

このところ「やってらんねえなあ」と思うことが立て続けにあったのだが、かといって絶望するほどでもないし、微妙にやっていけちゃう気もするし、でも、しっかり絶望して沈みまくったほうが今後のためにはいいのか? だとしてもこの時期に精神的に落ちて身体的にも引きずられたら、生命的に危険だしなあ、と思っていたらつい部屋にある『ファイト・クラブ』を手にとってしまっていた。
ファイト・クラブ』のメッセージは「自分の人生を取り戻せ」ってことだったはずだ。取り戻せってことは奪われたということだが、コロナ以前の生活や環境にはもう戻ることはないので、取り戻しようがない。
まあ、心身ともやばくなるとさすがに耐えれそうにないので、できるだけ外に出て散歩してる。あと最近は早起きするようになった。早起きは三文の徳というけど、三途の川の渡し賃は六文銭という。2日で三途の川を渡れる。もう2日で戻しの渡し賃になる。4日で行き来できる。つまり、此岸と彼岸を。創作とかってその中間にいるようなものだから、渡し賃を稼ぐために早起きするのは都合がいい。


8月13日
f:id:likeaswimmingangel:20210822125741j:plain

私設研究機関「渡来超能力研究所」の所長・渡来暦は

世間からオカルトマニアの変人と噂されながらも、超能力の解明に明け暮れていた。

ある日、研究所の壁面からまるでテレポーテーションのように

突如出現する記憶を失った謎の少女・ノア。

ルーツを辿る唯一の手がかりは

「ノア、必ず帰ってこい。渡来超能力研究所で待つ」

と書かれた血まみれのメモ。

時を同じくして、首相官邸ではテロ組織が超能力でも無ければ

不可能な手口で総理を人質にとり、立て籠もるという事件が発生。

渡来は、ノアやテロ組織ら超能力者を、三次元の肉体を持ちながら

四次元世界に干渉できるように進化した新人類"4Dimetor"と推論し、事件の真相を追う。

一方、政府の「国立研究所」では何やら不穏な気配が立ち込めていた。

失われた記憶、血まみれのメモ、テロ組織の目的、国立研究所の闇...

あらゆる謎が、パズルのピースを埋めるように次々と解き明かされていく。

 『-4D-imetor』を観に家から紀伊国屋ホールまで歩いていった。原宿駅があんなに変わってるとは知らなかった。あとたぶん紀伊国屋ホールはじめてな気がする。来たことがあるとしたら春風亭昇太師匠の独演会なんだが、記憶がない。
『シン・エヴァ』や『TENET』や『ひぐらしのなく頃に』みたいな繰り返す日常や次元を越えて未来から現在にコンタクトするという話をできるだけわかりやすく、二時間切る尺で展開してたね。
生駒里奈さん見てたら鈴木奈々さんに見えてきて、顔似てるから骨格がスピーカーと考えると声も似ちゃうよね。
ダンスしてたから殺陣というかアクションの動きがしっかりしてた。
村田さんはメイクもあるけど、イエモンの吉井さんやドレスコーズの志摩さんみたいな雰囲気で色気あった。
お客さんリピーター多いのか笑うポイントで反応する人は早かった。
4D的な見せ方は舞台だとあんな感じになるよなあ、と思った。わりと舞台的な表現だったから、正直驚きはないんだけど、話に沿った舞台の表現で観ていてたのしかった。
主役の人とかアクションシーン終わりでタイムリープして戻っても息切らさずにふつうに演じてて、生駒さんもだけどすごいなあ、と感心。

f:id:likeaswimmingangel:20210822125832j:plainありま猛著『あだち勉物語 ~あだち充を漫画家にした男』を読んだ。「PLANETS」連載の『ユートピアの終焉――あだち充と戦後社会の青春』で勉さんについても何度か書いているけど、この漫画を読むと千鳥の大悟さん主演でドラマとかやったらすごくおもしろそうな気がしてきた。


8月14日
f:id:likeaswimmingangel:20210822125915j:plain
沖田修一監督『子供はわかってあげない』先行上映をテアトル新宿にて鑑賞。
さきに田島列島さんの原作漫画を読んでいたので期待値は高かった。予告編も良い感じだったし、監督が沖田さんということもあり、前から早めに観ようと思っていた作品だった。客入りは雨のせいもあるが、後の上映で舞台挨拶があったりと朝一の回は四割ぐらいか。僕ももう人のことは言えないが男性で中年以上が多かった印象。となると上白石萌歌のファンなのか? どういう客層なのかよくわからない。テアトル新宿付きの映画ファンというのもいそうではあるが。
結論から言ってしまうとどこか上滑りしている感じが終始してしまった。オフビートというかちょっと会話や登場人物が思っていることなんかのズレで笑いは起きるのだけど、なんというか狙いにいっている、いや、それが悪いわけではないだろうから考えられるとすれば原作である漫画から映画用の脚本にする際になにか置き換えるべきものがうまくできていなかったのかもしれない。原作漫画でのいくつかのネタは省略している。主人公の美波(上白石萌歌)の父であり、かつて新興宗教の教祖だった友充(豊川悦司)を探す際に、美波は同級生で書道部のもじくん(細田佳中太)の兄の探偵である明ちゃん(千葉雄大)に頼むというシークエンスがある。漫画では教団内部の人間もいなくなった教祖を探しており、明ちゃんに頼みに来るという探偵いらなくない?という話があったりするのだが、教団側のエピソードがなくなっている。おそらく、グダグダな展開である漫画の心地よさなどになっているそういうエピソードが時間的に削るしかなかったため、キャラクターと物語がうまく噛み合っていない印象を受けた。
田島列島さんの描く漫画、そのラインみたいなものと物語が呼応しているからこそ成り立っているともいえる。それを実在の人間が演じるとズレが生じてしまったのではないかと思った。あと、上白石萌歌は映画を撮った頃はほっぺがまんまるでちょっとリスっぽい顔であるのだが、見ていると三四郎相田周二と同一人物なのではと思えてきてしまった。すごく似ている。
冒頭が美波と再婚して新しいお父さん(古舘寛治)ともじくんと共通の趣味である共通項になっているアニメ『魔法左官少女バッファローKOTEKO』という作品が流れるのだが、それがけっこうきつい、わりと最初にこのアニメが何分か流れたことできつくなった感じがあった。このアニメでは生き別れになった父のもとに息子を主人公のKOTEKOが探し出して会わせるというエピソードで、物語における美波と実の父の友充に会いにいくという内容を最初に紹介しているわけだが、ここがけっこうさぶいと感じてしまった。沖田監督作品ではあまり人に勧めにくい気はする。上白石萌歌目当てならいいのかもしれないが。


8月15日
朝7時台に起きて二時間机に向かって小説を書く。あまり進まないが継続するためにこの起きてからのルーティンを実行する。
あだち充論」の原稿が進まず、あだちさんの父親や母親、そして兄である勉さんのことなんかをフックに『KATSU!』二回目を書こうと思ったので、勉さんの弟子だったありま猛さんの『あだち勉物語』と勉さんがかつて描いた『実録あだち充物語』を再読。昼間にちょっと昼寝をしたら最近早起きだったからか、夕方のリモートワークまでぐっすり寝てしまった。明日も早起きだけど、「あだち充論」を早めに仕上げないとやばい。〆切は今日15日だったから。


現在のコロナのことも、2011年からの東日本大震災における自然災害と人災も、東京オリンピックを誘致する際に言っていた復興五輪という嘘も、地球環境の変化による大雨による自然災害も、敗戦を終戦と言い換えてしまったことも、いろんな要素が古川日出男さんのノンフィクションの『ゼロエフ』には内包されている。このコロナ禍で開催された東京オリンピックがあった2021年にもっと読まれてほしい一冊です。
↓ノミネートされてます。

「Yahoo!ニュース|本屋大賞 2021年ノンフィクション本大賞」


と言っても発売時に実家に送っても「あんたの送ってくる本は難しくて読めない」とか言われるし、その時に送っていたお世話になってる人はなんの反応もないノーリアクションだったし、三月に古川さんとの対談させてもらった動画は笑っちゃうぐらい全然見られてなかったし、夏になってからなんだこのコンボはって感じで悪いこととかテンション下がる連絡が立て続けてやってきたので少なからずダメージをうけて「やってらんねえな」と思ったりもしていた。
今までずっといろんな友人知人知り合いとかの作品を読んだり観たり聴いたりして、SNSとかでもRTとかしていたけど、どこかで『ゼロエフ』読んでくれたり、SNSとかでRTとかしてくれないかなって期待はあったけど、それは古川さん関係や関連の人ぐらいだった。
自分がやってるから、相手もやってくれるだろうというのは甘えでもあって、自分が誰かに期待しているのと違って、自分は特に期待もされてない(興味をもたれていない)のだなとわかって、というかしっかり認められた気がする。
とりあえず、そういう状況になれば振り切っていくか、病むかというどちらかになるかもしれないけど、病むほど自分はまだ絶望できないし、絶望しきれない。まあ、自分に期待ができる状況に持っていくしかないので、一日であるルーティンを作ってやり始めた。それを続けていけば、11月の半ばには100日を越えるので習慣として完全に定着すると思う。そこからうまくいけばちょっとはおもしろくなる気がしている。


8月16日
f:id:likeaswimmingangel:20210822130228j:plain大江健三郎著『静かな生活』を読み始めた。解説は伊丹十三監督、伊丹監督による映画での「イーヨー」は渡部篤郎さんだからそのイメージだったけど、大塚英志著『摩陀羅 天使篇』の大江響のモデルだよなあ、と今更思った。


8月17日
f:id:likeaswimmingangel:20210822130256j:plainジェームズ・ガン監督『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』をヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞。平日で小雨だったが、十数人ぐらいは10時台でもお客さんは入っていた。
SNSで過去の投稿が問題となって炎上し、表舞台から消えてしまい、もう戻ってこれないかもと思っていたジェームズ・ガン復帰作。昨日一応『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』を観たけど、痛快なシスターフッド映画だった。DC映画では来年ロバート・パティンソン主演『THE BATMANザ・バットマン-』公開みたいだけど、どうなるかなという気持ちもあり前哨戦みたいな思いもあったりした。
途中から、あれこれは福田雄一監督がやらかした時の映画と同じ感じだと思い始めた。やりすぎて過剰なバカ映画(褒めてる)はエンタメとしては至極真っ当で正しい。だけど緩急がない(笑いとしてはキャラクターが不意打ち的に死ぬぐらい)し、ひたすら高カロリーなストレートを投げ続けるのでお腹いっぱい。太りすぎて動けなくなれば、あとはカロリー責めをすればいい、もうソファーから立ち上がれないし砂糖や炭水化物の依存症になっている。というアメリカ的エンタメとも言えるかもしれない。一応、アメリカという国を皮肉り、体制批判もしてちょろっと味変をしてくる。頭をからっぽにしてバカ映画が観たいならオススメかもしれない。ジェームズ・ガンが動物好きなのはわかったよ(笑)。
アメリカ的なヒーロー(彼は犯罪者ではあるが)が戦うべき敵は共産主義でもなく、中国でもない。 彼らの敵は最終的にアメリカ自身であるのだが、その姿は具現化できないため、今作では「スター・フィッシュ計画」というものがあり、アメリカが宇宙で発見したヒトデ型の宇宙生物が一応姿彼らの敵として存在する。これが微妙だった。そのため、アメリカ的な正義を行使するかどうかで仲間割れ、あるいは考えの不一致でスーサイド・スクワッド内でバトルが起きたりする。その辺りで物語ができないというのもかつての「世界の警察」だったアメリカの国力の衰退を思わせる。


8月18日
f:id:likeaswimmingangel:20210822130349j:plainスティーヴン・キング著『書くことについて』を朝少しずつ読み返している。前に読んだときよりおもしろく感じる。
最近は朝早く起きて、二時間は机に向かい、書けても書けなくてもPCの前にいる。100日続けるとそれは習慣になるというからやってみようとはじめて11日目。起きてすぐに家から出れるぐらいに寝起きはいいので、わりと向いているのかもしれない。100日目は11月の中旬ぐらいだから、すぐといえばすぐだ。その間に出したい新人賞の〆切は三つぐらいあるからちょうどいい。続ければたぶん出せる。


8月19日
f:id:likeaswimmingangel:20210822130443j:plain
NHKプラスで『コンテンツ・ラヴァーズ』を見た。『水曜日のダウンタウン』紹介のダウンタウンのふたりのイラストにおける体躯差のイジり方よいね。この番組のイラストを描いてる長場雄さんがそれぞれ紹介される番組の出演者の特徴を捉えていてすごい。

f:id:likeaswimmingangel:20210822130543j:plain休憩中に飛浩隆さんの『零號琴』文庫版を買ってきた。単行本の帯文は「想像しえぬものが、想像された。」だったけど、文庫版は「それは日本SFの呪いか、それとも希望か。」になっていた。呪いは祝いに、希望は絶望に、いつでも反転する。

単行本刊行時のインタビュー
なぜこんな物語を書こうとしているんだろう?|飛浩隆 インタビュー



8月20日
f:id:likeaswimmingangel:20210822130650j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210822130646j:plain漫画家のみなもと太郎さんが亡くなったというニュースを見た。みなもと太郎さんのことは大塚英志さんが高校生の時にまんが家だった時代のお師匠だったというのを「新現実 問題外増刊」で読んだ時に知った。
大塚さんのギャグ漫画『トマト暗殺団』はみなもとさんの影響を感じるし、ここで紹介されているみなもとさんの漫画を見た時に最初に脳裏に浮かんだのは『落第忍者乱太郎』だった。大塚さんはみなもとさんによって高校生だった自分がいきなりデビューさせられた経緯も話しており、田島昭宇さんに「あ、来週から『MADARA』ってまんが隔週で連載ね」と言って、本人の意志とは関係なく連載させたり、いきなりデビューさせている大塚さんの芸風の源がみなもとさんだということになっている。

f:id:likeaswimmingangel:20210822130743j:plain濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』をシネクイントにて鑑賞。
14時少し前の上映回だったが初日ということもあり、かなり席は埋まっていた。と言っても左右一席ずつ空けているので観る側としてはちょっと安心。原作となった村上春樹さんの『ドライブ・マイ・カー』が収録されている短編集『女のいない男たち』も読んでいたが、短編小説を元に約3時間という尺にどんな風に映像化したのかが非常に興味があった。だから、劇場で観たいと思っていた。
冒頭の主人公の家福悠介(西島秀俊)と妻の音(霧島れいか)のシーンから『女のいない男たち』収録の『シェエラザード』で書かれているエピソードが登場する。音がセックスをした後の寝起きに見た夢を家福に語るというものなのだが、その後妻はその内容のことを忘れてしまう。起きてから家福が今度はその夢の内容を反復するように妻に語り直す、そして彼女はそれをノートに書き留め、それが溜まっていくとひとつの物語=脚本になっていくということが明かされる。ここで「語り」という主題のひとつが提示されており、なおかつ夫婦には4歳で亡くなった娘がいたのだが、その後ふたりは子供を持たないと決めたこともわかってくる。
つまり、セックスと夢で見たものを妻が語り、さらに夫が語り直すという行為そのものが子供を失ったふたりの「再生」の儀式であったことがわかる。だが、妻は夫以外の男性とも寝ていたことを夫は知っていたが、見て見ぬ振りをしていた。そして、家福に今夜話があると言ったその夜に、夫が家に帰るとくも膜下出血を起こして倒れていた妻は既に息を引き取っていた。ここで妻は「いなくなって」しまう。村上春樹作品における妻やパートナーの女性が「いなくなる」というエピソードの反復とも感じられる。もう、彼女が彼の元には戻っていない、そのぽっかり空いた空洞を抱えて主人公は生きることとなる。
物語は二年後に、広島の芸術祭に家福がオーディションから上演までを演出家として『ワーニャ伯父さん』を担当することになり、愛車のサーブで広島までやってくる。芸術祭の担当から規則で滞在中は家福自身に車は運転しないでほしいこと、そして芸術祭が雇ったドライバーが運転をすると言われる。妻との思い出のある愛車を運転できないのは嫌だった家福は断るが、結局素晴らしいドライビングテクニックを持った寡黙な渡利みさき(三浦透子)が運転手となる。
舞台のオーディションには妻の音と関係があったらしい高槻(岡田将生)もやってくる。そこで音に関する話をふたりがしたりするのだが、なにかが制御不能というか逸脱してしまっている高槻は舞台に出演するために滞在中にいろんなトラブルを起こしていく。
村上春樹作品を換骨奪胎しながら(短編『ドライブ・マイ・カー』以外の『シェエラザード』『木野』の要素に音の寝物語として挿入され&『ワーニャ伯父さん』などの演劇も取り込み)、日本語だけでなく数カ国語と手話も劇中内の演劇では使われていく。そして、原作にはなかったみさきの地元へ赤いサーブで向かった際には、村上春樹作品における「いなくなる妻」への言及がされる。作品全体が村上春樹への批評にもなっているし、村上春樹作品の結晶体にも思えてくる。
というかこれ凄すぎないか。


8月21日
f:id:likeaswimmingangel:20210822130849j:plain孤狼の血 LEVEL2』の怖さとかを剥奪した宣伝ポスター。

f:id:likeaswimmingangel:20210822130949j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210822130954j:plainウエダアツシ監督『うみべの女の子』をヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞。個人的には同じく浅野いにおさんの漫画『零落』を映像化したものが観たいと思っている。
『うみべの女の子』の小梅役の石川瑠華さんは、『猿楽町で会いましょう』を観たときも思ったんだけど、笠木忍さんを彷彿させるものがある。顔は可愛らしいんだけど、同時に他者の嗜虐性を刺激するものがあるように感じる。
映画の磯辺と小梅はまさしく磯辺と小梅だった。小梅が『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』のイソベやんTシャツ着てて、その磯辺つながりかい、と笑いそうになったけど。磯辺役の青木柚さんは磯辺にしか見えなかった。あさの作品におけるあの顔を実写をやるには抜群だ、というか磯辺そのものに見えた。
初恋よりも先にセックスを重ねていく二人の青春恋愛物語。
触れ合うことで互いの空洞が擦れて熱を帯びて濡れていくからこそ、自分が個であり他者をしっかり感じることはあるし、事後のあとでしか話せない言葉っていうか言語や本音もある。占いとか相手が自分のことを知らないからこそ知り合いには言えないことが言えるのに似ているような。
個の身体が膜が重なり合うだけなのに相手を自分の一部のように思ってしまうと、いつしか心が離れていく。
うみべの生と死の狭間で死んだ兄の亡霊を見る磯辺と欲望に忠実なあまり自分の想いを気付けない小梅の性春狂想曲としての『うみべの女の子』だった。


8月22日
f:id:likeaswimmingangel:20210822131207j:plain金曜と木曜の出勤を入れ替えたので、金土日休みで朝起きて二時間はパソコンに向き合って、散歩がてら渋谷まで歩いて映画観たら、また歩いて帰る三日目。今日は「予告編」を観たときに、『レディ・プレイヤー1』みたいだし、これは観なくていいかなと思ったけど、あまりにも評判がいい『フリー・ガイ』をTOHOシネマズ渋谷で鑑賞。
NPCがある日自我を持ち始めて、ゲームのモブキャラでしかなかった主人公のガイが世界を変えていくというストーリー。
ゲームの世界と現実の世界の二層構造だけど、これがうまい組み合わせで展開していてド直球なエンターテイメント作品になっている。
また、ガイが人を傷つけない手段でレベルを上げて世界を変えようとするのぺこぱの誰も傷つけない漫才にも似ている。
自分の人生において、自分が主役のはずなのに疎外感を持っていたり、脇役みたいだな、とかいつも同じ毎日を過ごしてつまらないと感じている人には響く(つまりほとんどの人に)作品になっていて、エンターテイメント恐るべしと思う。
デッドプール』の死なない無敵のヒーローを演じたライアン・レイノルズが主人公だから、殺しても殺してもいつも通りなNPC(モブキャラ)に説得力もあるし、あいついつかやらかすなという期待も沸く。ゲームやITに関わった人は現実社会の物語もより楽しめるだろうし、誰が観てもたのしめるエンターテイメント作品だと思う。


8月23日
f:id:likeaswimmingangel:20210822215159j:plain金曜日に『ドライブ・マイ・カー』観終わった後にサントラのカセットテープも買った。
言葉で「物語る」ということと「演じる」という誰もがそれぞれの役割の中でしていることが村上春樹作品の要素を使いつつ、見事に構成されていて心地よかった。
主人公の家福は俳優でもありながら、舞台『ワーニャ伯父さん』の演出をすることになるんだけど、そのさまざまな要素が古川さんを彷彿させた。
観た感想を古川さんに送ったら、前に試写で見ていて数日前に新聞に映画評を書かれたものが掲載されたと教えてもらった。そのデータを送ってもらったんだけど(PDFだから何新聞に掲載されたかわからない)、記者の人から僕と同じように映画を観てから古川さんのことが浮かびましたって言われたというのも教えてもらった。
言葉で「物語る」って部分と朗読劇とか画廊劇で自ら出ていて、同時に演出もしているっていうのがあるから、イメージが直結した部分があると思う。
あとは「村上春樹」的なもの影響下にありながら、村上さんとは違う表現スタイル(朗読とかパフォーマンス的なもの)とかもあって、その流れがあるからそう思う部分もあるのかもしれない。




今月はこの曲でおわかれです。
Kings Of Convenience - Rocky Trail (Official Video)

Spiral Fiction Note’s 日記(2021年6月24日〜7月23日)

水道橋博士のメルマ旬報』連載「碇のむきだし」
ずっと日記は上記の連載としてアップしていましたが、2021年5月からは「碇のむきだし」では短編小説(原稿用紙80〜100枚)を書くことにしました。そのため、日記というか一ヶ月で読んだり観たりしたものについてものはこちらのブログで一ヶ月に一度まとめてアップしていきます。

「碇のむきだし」2021年6月掲載 短編小説『東京』(前半)


「碇のむきだし」2021年7月掲載 短編小説『マミラリアデアルバータの白い骨』


先月の日記(5月24日から6月23日分)

6月24日
f:id:likeaswimmingangel:20210722211953j:plain柴田元幸&村上春樹著『本当の翻訳の話をしよう』文庫版出てた。
装丁イラストはニコラの冊子『ニコメ』のデザインもやってる横ちゃんこと横山雄さん。いやあ、これは著者二人の幅広いファンが手に取るだろうから、それがすごいし、大きなことだよね。
日曜から腰がビッグバンを起こし、寝転んだら、生まれたての牛とか羊みたいに立ちあがるまでにめっちゃ時間がかかる。痛みのない左側の腕は昨日ワクチン接種したから、普通に痛くて力が入れにくいというタイミングの悪さ。ビール久しぶりに飲んだ。


6月25日f:id:likeaswimmingangel:20210722212056j:plain寝る前にNetflixで公開された『全裸監督2』を見始めたら、腰も痛いから寝れないし、朝の5時ぐらいまでかけて全話見た。ある場所にカメオ的に水道橋博士さんが出ていたりと、豪華なメンツがカメオ的に出ていたりするのも見ているとたのしい。物語はバブルが崩壊したあとの世界を舞台にしており、金というものに翻弄される村西とおるたちを描いている。そういう意味でディカプリオが主演した『ウルフ・オブ・ウォールストリート』に近いものを感じた。おそらく、参考にはしているはずだ。黒木香をはじめとした登場人物たちの駆け抜けた時代の終焉とその後のリスタートを描いているのですごくおもしろかった。國村隼さんってたいていヤクザの親分であんな終わり方をさせすぎな気もする。

9時前に月曜から通っている徒歩数分の整骨院で昨日に引き続き施術してもらう。最後は電気をあてて、ツボのところに貼るシールを数カ所貼ってもらった。その後、渋谷に出て『閃光のハサウェイ』を観ようと思っていたが、整骨院を出たのが9時33分、映画開始が10時だった。さすがに歩いても20数分でTOHOシネマズ渋谷にはたどり着かない。腰をやってなくても無理だ。どうしようかなと思ったけど、とりあえず、緑道を歩いていて車が通る道に出たらタクシーが来たので乗ってしまった。そのまま、10数分で映画館に着いて、上映時間に近づいていたのでウェブではチケット買えなかったので久しぶりに人がいる窓口で購入し2階へ上がった。
閃光のハサウェイ』の前日譚になる『逆襲のシャア』はなんとなく知っているが、観たことはなかったけど話の展開はわかったし、ガンダムなどのモビルスーツの戦闘よりも人間ドラマがかなりの割合で展開していておもしろかった。これなら三部作らしいので最後まで観に行きたいと思えた。

映画を観終わって立ち上がると腰の痛みが嘘のように消えていた。なんだ? どうして? 90分ちょっとずっと座っていたし、整骨院の先生から借りているゴムのベルトを腰に巻いているけど、その効果なのか? 渋谷から三茶まで歩いて帰ってもほとんど痛みはなkった。のちほど気がついたのだが、ツボがある場所に貼ったシールが効果てきめんということなのではないか。今まで違うのはそれしかない。明日行った時に聞いてみよう。

ハヤカワSFコンテスト一次選考結果発表

歩いて帰っている時にTwitterを見ていたら結果が出ていた。一次は通過していた。応募した『浸透圧』はフル尺バージョン。「小説現代長編新人賞」の応募規定は500枚までだから、そこから160枚ぐらい削って出したが一次通過止まりだった。SFだと思ってないけど、見方によればSFっぽい要素はある、一応この数年書いているサーガの一つだし、天皇小説ではある。
講談社から出てる『暗黒の啓蒙書』とかのニック・ランド と木澤佐登志とリンクするマーク・フィッシャーの本とかダークウェブやヴェイパーウェーブ辺りをあえて書いたから、早川関連のツイート見てたら、そういうのに興味ある社員とかいるのはわかるから、この先の先行で読んでもって引っ掛かるといいのだが。
ハヤカワSFコンテストで二次通過したら、わりとすごい気はする。
とりあえず、このサーガに連なる2つの長編を今年中に書き終えて応募して、今月残りで『ことばと』新人賞用短編書き終える。この間、編集さんからお話がありますって言われて、絶対これ縁起悪い話だと思ったら、案の定そうで、その後に腰がビッグバンして寝転ぶのも起き上がるのも激痛とやばいサイクルに入りかけてたから、こういうお知らせないとやってらんないよね。

自分の名前でエゴサすることがないので、気づいていなかったが、飛浩隆さんのツイートに自分の名前が出ていてめちゃくちゃ驚いた。


「なぜこんな物語を書こうとしているんだろう?|飛浩隆 インタビュー」

以前「monokaki」で『零號琴』発売時にお話を聞かせてもらった(飛さん島根在住なのでインタビューはメールでのやりとりで、その際には編集長の有田さんが「SFマガジン」に連載した『零號琴』も遡って読み込んで対応しているので僕は流し込みしかしてないのだけど)際に、インタビュー前だったか八重洲ブックセンターで『零號琴』発売記念トークイベントを「SFマガジン」の塩澤編集長とされた時に伺って「インタビューよろしくお願いいたします」って依頼した時にご挨拶したぐらいなんだけど、やっぱりこういう時に直で会って挨拶してるのデカイな、あと名字がペンネームっぽいという利点。



6月26日f:id:likeaswimmingangel:20210722212348j:plain阿部和重著『ブラック・チェーンバー・ミュージック』読了。
新聞連載だったものがようやく一冊に。前半の主な舞台が三軒茶屋だったので、身近でしかないが、阿部さんのパートナーの川上未映子さんの『夏物語』の舞台も三茶だった。
北朝鮮の元首が書いたとされる「ヒッチコック」の幻の評論を巡って、初監督作品の公開前に薬物で捕まってしまい落ちぶれた映画監督・横口健二と北朝鮮から「ヒッチコック」の評論を探しにきた女性の密使による物語。途中では新潟とかも出てくるし、中盤以降は三茶とは電車ですぐ行ける距離である神保町も舞台へとなっていく。
先日、野呂邦暢『愛についてのデッサン』を読んばかりだったが、こちらも神保町の古書店が舞台になっていた。
2時間では足りないだろうけど、ネトフリかアマゾンプライムで6話分ぐらいでドラマ化したらけっこうおもしろいんじゃないかな。
阿部和重作品を読んできた人ならきっとたのしめるし好きな作品だと思う。個人的には『ブラック・チェーンバー・ミュージック』は、伊坂幸太郎と共著した『キャプテンサンダーボルト』と「神町」サーガを経て、その最終作『オーガ(ニ)ズム』におけるバディものとしてのエンタメ要素を用いて、『インディヴィジュアル・プロジェクション』を新しく語り直したようにも感じられる。
作家が長く続けていくということは螺旋階段を上る進化だと思うし、一人の作家が語りたいことや書きたいテーマは限られているので、それを中心に階段を上り続けるんだと思う。
過去作をセルフリメイクしただけでは階段は上れないだろうが、続けたことで得た技術であったり、自身のテーマをもっと掘り下げることができていれば、より集大成に向かっていくのだろう。デビュー作とその作家が最後に書くものはたぶん近くなるんだけど、螺旋階段の高さがあまりにも違いすぎて、見える景色がまったく違うということになるのだろう。
『ブラック・チェーンバー・ミュージック』はかつて『インディヴィジュアル・プロジェクション』を読んだことがある人が読むと基本的な構造や登場人物の立ち位置(主人公の職業とか)ににやりとし、かつての都市伝説(今のポスト・トゥルースを巡る虚実入り交じる世界)に似た今のネット世界をやはり阿部和重は描いているのだなと思うんじゃないだろうか。阿部和重はやはりもっと評価されるべき小説家だと思うのだが。
ニッポニア・ニッポン』では日本の象徴について、『クエーサーと13番目の柱』は亡きダイアナ妃のこととアイドルとパパラッチの関係性、「神町サーガ」では日本とアメリカの関係性を描いていた。阿部和重はかつて後藤真希の大ファンだったというのを聞いた気がするのだけど、今回はブラックピンクってことなんだろうか。表紙とかもそっちに寄せてる感じだ。
天皇も日本の「アイドル」だしね、偶像として。だから、阿部和重が「アイドル」的なものを描いてきたのだろう。
花の82年組とかAKBグループをみたいにアイドルの時代が来ると、国家的にアイドルを爆発的に消費しているわけで、そこには「萌え」の要素もあると考えれば、大塚英志著『少女たちの「かわいい」天皇: サブカルチャー天皇論』はまさに時代を読んでいたのだろうと今更わかった。
「令和」は「平成」というアイドル(上皇SMAP安室奈美恵)が引退してしまったことで、押し付けられた元号でもあるので、「萌え」ないと思うんだよね、今上天皇には「かわいい」や「萌え」消費的される部分が時代的にない。そして、すでにアイドルの時代は終わってしまって、あるとしてももはや細分化しすぎてしまっている。そう考えると「天皇」の複数化、分裂が始まっているだけなのかと思ってしまったけど、そういうテーマで誰か書いてそうな、意識的であれ、無意識的であれ。


6月27日

f:id:likeaswimmingangel:20210722212552j:plain岩井俊二著『零の晩夏』をGET。この表紙の女の子ね、写真じゃなくて絵なんですよ、絵なんですよ、これ。三重野慶さんという画家の方によるものらしいけど、実物の本を見てもわかんない、写真にしか見えない。超写実主義ってことなのかな。
岩井俊二さんといえば、「映像作家」なんですが、僕は「小説家」としての岩井俊二さんもすごく好きで、小説のベスト5には『ウォーレスの人魚』絶対いれるし、昔大盛堂書店さんでやらせてもらった選書フェアでも当然『ウォーレスの人魚』は選んだのだが、僕の周りに意外と読んでいる人がいない。
ほかにも『番犬は庭を守る』もすごく好きな作品で、寓話的であるものの世界観が映像作品と同じ用に受けての中にしっかり根付くものになっている。それらの作品は映像化は難しいと思うし、「映像作家」が「小説」を書くときには、映像化できない部分や映像に向かないものが入り込んでいたりもするはずで、なぜならここには予算は関係ないから。
映像化するなら、映像化できない部分や予算でどうにもならないものを改めて処理して脚本にするので、やはり同じものにはならない。どちらもいいし、どちらもそのジャンルだからこそできるものがある。
『零の晩夏』がいつか映像化することはあるかもしれないけど、「小説」としてたのしく読もうと思う。

僕が高一か高二の時(前世紀末)に買って読んだ『マジック・ランチャー 庵野秀明×岩井俊二』のお二人が2020年も現役バリバリで尚且トップランナーであり続けてるのは不思議というか、改めてすごいなあと思う。終わらない「平成」や「世紀末」のひとつだった「エヴァ」が『シン・エヴァンゲリオン』で終幕したのはほんとに救いだったなあ。
どこかの出版社で20年代版『マジック・ランチャー 庵野秀明×岩井俊二』を企画して出せばいいのにね。この20年の日本映画とアニメ映画の歴史、そして日本だけではなく海外で戦うという意味で当事者であるお二人だからこそ話せる部分があるだろうし、そういうのを読んでみたい。そこにはジブリのことも関わってくる。宮崎駿さんと庵野さんはある種の師弟関係だし、高畑勲さんと岩井さんは遠縁の親戚でもあり、影響を受けてと公言されているし、と考えるとこの2人の対談から親世代のジブリのことも含めての話になる気がする。

先週の日曜日に腰がパンクしてしまって、ソックスも履けず靴ヒモも結べず、寝転んだら起き上がるの激痛な状態になり、翌日朝一で整骨院に行き診てもらった。僕は生まれつき股関節が悪く、補助器なんかをつけていたと言われていたが、確かにあぐらがかけないほど硬い。その股関節がさらに硬くなっていき、補う形になっていた腰が爆発してると言われた。股関節をほぐしてもらいながら、一週間で五日通ったことで歩いたりするときに腰の痛みはなくなった。
普段、仕事をするときには床に敷いた座布団に座り、足はまっすぐ投げ出し、背中はベッドに寄りかかるL字の体勢でアクリルの透明なセンターテーブルにノートパソコンをおいて作業をしていた。そのことを話すとそのせいで股関節が硬くなり、腰にもきているから椅子を買って作業しないと治らないし、すぐにまた痛くなると言われた。
二千円程度のトークイベントに行くとある木製の何個も縦に重ねられるものはあったが、座っているとケツが痛くなるのでほとんど使ってこなかった。そんなわけで、ノートパソコンで作業はしないといけないので椅子買わねばと思ってアマゾンで二万もしないゲーミングチェアを注文した。椅子とか買った記憶がほとんどないのだが、ゲーミングチェアってこのくらいの価格帯だと自分で組み立てるんだね。20分ぐらいで作れたけど、腰が完全には治ってないから、わりと重くて一瞬ヤバいと思った。物書きは高くていい椅子を買えとはよく聞くけど、マジで腰は大事。次は高くていい椅子を買えるように、この椅子でたくさん書く。


6月28日f:id:likeaswimmingangel:20210722212731j:plain今日は有給を使ったので、朝一で整骨院に行く。かなり痛みはなくなっており、股関節の可動域もだいぶ広がってきた。そのまま、東京都議会選挙の期日前投票を駅前の太子堂出張所に行って済ませる。
西友で食材を買い終わるとちょうど十時になったのでTSUTAYA三軒茶屋店に行って、発売したばかりのエムカク著『明石家さんまヒストリー2 1982~1985 生きてるだけで丸もうけ』を購入。
僕もようやく産声をあげた年から始まるのだけど、何巻まで出るんだろう。
1巻は青で、2巻はオレンジ、と色相環で向かい合う色だから、3巻は青の隣の青緑か青紫かな。3巻は2022年初春発売らしい。
エムカクさんのさんまさんについての連載は「水道橋博士のメルマ旬報」が誇る人気連載になっているし、お笑い怪獣であり「BIG3」のひとりである明石家さんまという人物をここまで詳細に書き残すことはエムカクさんにしかできない。だからこそ、この本はテレビが全盛だった時代、お笑い芸人が時代を席巻していったひとつの歴史書になる。

f:id:likeaswimmingangel:20210722212821j:plain夕方からニコラに行って、桃のイートン・メスとアイノブレンドをいただく。桃うまっ。


6月29日
「PLANETS」連載中の『ユートピアの終焉ーーあだち充と戦後日本の青春』最新回は『いつも美空』を取り上げました。
2000年代に入り、『虹色とうがらし』の精神的な続編にも見える今作は「超能力」ものでした。この「超能力」と一般的になっていくインターネット社会を、連載時期にオンエアされたドラマ『TRICK』や、鈴木光司「リング」シリーズにおける「貞子」≒「リングウイルス」というものと一緒に論じてみました。次回は『KATSU!』です。

 

f:id:likeaswimmingangel:20210722213006j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210722213021j:plain

散歩がてら歩いていった代官山蔦屋のミュージックフロアで来週から公開のフィッシュマンズの映画のコーナーができていた。
好きな色のTシャツを購入したら、ノベルティフィッシュマンズのカセットテープ(中のテープはないので聴けない)をくれた。
音楽はストリーミングの世界になって、CDも売れなくなっているのにレコードの売上はアメリカで伸びているみたいなのをだいぶ前にネットニュースで読んだ記憶がある。それは非常に示唆的な気はするけど、ノスタルジーを感じさせるカセットテープ、しかしそこに音は刻まれていない、音楽はそこにはない、空っぽのカセットテープ、物質としてのレコードやカセットテープ。
本質というか大事なのはそこに刻まれた音だけど、心身が一つの場所にあることに意味があると思ってしまう。小説だって、装幀を含めたデザインがあるのとないのではまったく違う。書籍はひとつでハードでありソフトであるからそれだけで成り立つのだけど。
音楽のソフトはそれだけでは音は聴こえてこない。だが、そのパッケージを含めて記憶に残る。手の感触や重さだけではなく、誰かに貸したことや借りたことが思い出になるから、手から手へと移動できるかどうか。
空っぽのカセットテープをもらって喜んでいいのかどうなのかわからなかった。
フィッシュマンズ』の映画はすごくたのしみだし、いいスピーカーや音量設備のあるところで観たいので映画館で観る。


6月30日
水道橋博士のメルマ旬報』連載「碇のむきだし」が公開されました。
短編小説『東京』(前編)です。タイトルは「踊ってばかりの国」の曲名から。
「ウーバーイーツ」に関しては『アラフォーウーバーイーツ配達員ヘロヘロ日記』を参考してます。


なんとか日付が変わるギリギリで「ことばと新人賞」に作品が応募できた。やっぱり余裕を持ってないとこういうことになる。
f:id:likeaswimmingangel:20210722213149j:plain『逝ってしまった君へ』読了。生きている人はすべて残された側であり、逝ってしまった人の残したものは生きているものが引き受けるか、そのまま流すしかない。カバーを外して出てくる表紙の写真は泣いてデトックス感があって、これを映像化して『余命1ヶ月の花嫁』みたいにしたがる人がこの先現れるんだろうな、と思ってしまった。


7月1日f:id:likeaswimmingangel:20210722213223j:plain『シン・エヴァンゲリオンオールナイトニッポン』を聴いてしまったので、もう一回観たくなって、前回同様TOHOシネマズ新宿でIMAX&映画の日割引で、3回目でした。
ラジオに出演した声優の女性陣は「これでエヴァンゲリオンは終わったんだ」と言うのに、コメントでゲンドウはじめ男性陣は『まだ続きがあるんじゃないか』と期待していて、ユイでありレイの林原めぐみさんがゲンドウのコメントのあとに「もう終わったのよ」って言ったのが印象的だった。それに関しては男女の恋愛観、アルバムにするか上書き保存するかみたいな差が出ているんじゃないかって話があった。
シンジを演じた緒方さんは女性でありながら男性の声を担当していたし、物語の最後を考えれば消化不良というか、一番終われていない立場にも見える。
あとは第一パートの第三村でシンジの苦悩は終わってるから、それ以降はメイン登場人物がそれぞれ片をつけていく話なんだなあ、と改めて。
片をつける、責任を取り引き受ける、ということが見事に形骸化したこの四半世紀で、『シン・エヴァンゲリオン』は賛否はあれ、終わらしたのだから、とてもよいことだった。
最後に流れる林原めぐみさんが歌うユーミンの『VOYAGER~日付のない墓標』を映画館のいい音で聴けてよかった。
『シン・エヴァンゲリオンオールナイトニッポンYouTubeにあるから、聴いたらまた観たくなるのでご注意を。
誰か庵野秀明監督×岩井俊二監督の対談本『マジックランチャー』の2020年代版企画して作ってくれ。

f:id:likeaswimmingangel:20210722213405j:plainTOHOシネマズ新宿で映画観て、次の予定がある吉祥寺シアターまで三時間ぐらい空いたから、二時間二十分くらいかかったけど歩いた。今日だけで20キロ。前々日腰が痛くて起き上がるのも辛かったけど、近所の三宿整骨院の先生の施術のおかげでなんとか回復。

 

f:id:likeaswimmingangel:20210722213319j:plainロロ『いつ高』ファイナル二本立てをで吉祥寺シアターにて鑑賞。
ロロの青春が終わったのだ、と思う。素晴らしき終焉がそれまでの伏線を回収し、確かに彼や彼女たちはそこに居たのだ。青春の青い余韻を観客に残し、届いた余韻は観客の中でハレーションを起こす。ロロの新しいステージを今からたのしみに待ってる。
僕よりもロロ作品を観ているパン生地くんと一緒に観た。コロナ渦になってから会う機会は中でもなかなかなかったけど、少しは話ができた。ビール飲みながら小説とか映画のことをダラダラ話せるようになる時期を待つ。待つしかない。


7月2日f:id:likeaswimmingangel:20210722213554j:plain『クイーンズ・ギャンビット』はネトフリでドラマまだ見ていないけど、小澤さんの訳された原作読んでから見ようと思う。

18時過ぎに友人が翌日のライブのために東京に上京してきたので、駅近くで待ち合わせしてご飯食べに行こうと思ったら、どこにかなり混んでいた。コロナに気をつけて飲食店でお金を使う、これしか自分たちの町や好きな場所の風景をなんとか押し止めることはできない、いろんなジレンマはあるけど、それでも自粛で金も出されないで閉めろと言われているよりはいい。
結局空いている焼肉屋に行ったら、19時前だったけど酒が19時でストップって言われて、先にビールだけ頼んで考えてから肉を頼もうと思ったら、全然酒がこなくて19時になるってときに店員に声かけてビール来てないけど、もう一杯分頼んでってことをして、なんだか微妙な気持ちになった。肉は美味しかったけど、やっぱり酒飲みながら食べたいものですね。


7月3日f:id:likeaswimmingangel:20210722213634j:plainザ・ファブル 殺さない殺し屋』をTOHOシネマズ渋谷にて。
岡田くんのアクションが凄すぎて驚く、それだけでエンタメとして素晴らしい。日本だとカーチェイスとか許可出ないから、派手なアクション難しいけど、団地を巧妙に使うアクションシーンは圧巻。
るろうに剣心 The beginning』に 引き続き、安藤くん出てるのも気になった理由だが、最近の安藤くんは作中で死なないな(笑)。かつては安藤くん出演=死亡フラグだったけど、『闇金ウシジマくん』でかつての事務所の後輩である山田孝之と共演して、ある種の禊が終わった感じがあって、あれ以来より自由になった気もする。
今回の敵というかラスボスは堤真一さんで、岡田くんと堤さんなら金城一紀原作映画『フライ, ダディ, フライ』で共演していた。岡田くんはそのあと金城さんが脚本を書いたドラマ『SP』で主演してからアクション俳優として今に繋がるきっかけになっていたりするから、この作品の源流みたいなとこは金城さんと『フライ、ダディ、フライ』があると思う。
『フライ、ダディ、フライ』を含む「ゾンビーズ」シリーズは映像化すればよかったのにしなかったな。『レボリューションNo.3』はゼロ年代の僕の心のナンバースリーに入る小説だったよ。角川文庫になったときの装丁のイラストが中身とまったく合ってなくて、こうやって届くべき人に作品が届かなくなるんだな、と思った。
金城さんの『GO』の映画化で主演・窪塚洋介&脚本・宮藤官九郎が始まりのホップステップ、続けざまに二人が組んだ『ピンポン』の「アイキャンフライ!」で加速したままジャンプしてゼロ年代の日本映画は、僕らの日本映画が始まった。そのもうひとつの流れが岡田准一金城一紀によるアクションへの流れだったんだろう。

f:id:likeaswimmingangel:20210722213753j:plain映画の帰りに大盛堂書店で取り置きをしてもらっていたウィリアム・フォークナー『土にまみれた旗』を購入。プチ禁酒法時代である東京五輪コロナ禍の東京。アメリカの架空の町を描いた「ヨクナパトーファ・サーガ」の舞台でも禁酒法が出てくる。実際にアメリカの禁酒法時代は1920年から1933年まで続いた。「ヨクナパトーファ・サーガ」でも禁酒法について描かれている場面がいくつもある、密造酒とかね。
プチ禁酒法の時代になったので家にあるフォークナー作品を読み返していたら、「ヨクナパトーファ・サーガ」の始まりだった『土にまみれた旗』が出るという。そもそもサーガの最初のこの作品は『サートリス』というタイトルで出ているが、これは編集者がかなりカットしてしまったものであり、今回の翻訳はフォークナーが原稿を保管していた完全版というかオリジナル。
『土にまみれた旗』の装幀は水戸部功クオリティでめちゃくちゃカッコいいのだが、たぶん紙の素材の問題で紙同士がこすれると色が薄くなったり、容易に折れやすいんだよね。そこそこ値段がする書籍は日販とかから送る時点でシュリンクとかしといてほしい。ピンチョンの『ブリーディング・エッジ』も出た頃、書店でカバーが傷んでるものがめちゃくちゃあったのが残念だった。
帯の裏面に『ポータブル・フォークナー』が池澤夏樹小野正嗣&桐山大介&柴田元幸訳で来春刊行とあった。名前だけは聞いたことがあった、「ヨクナパトーファ・サーガ」を時系列に抜粋したある意味でリミックス作品である。古川日出男著『とても短い長い歳月』は「ポータブル・フルカワ」ということで、それをイメージしていたはずだ。
小野正嗣さんのデビュー初期の『にぎやかな湾に背負われた船』とかはガルシア=マルケスの影響下やマジックリアリズムみたいなものをを感じたけど、ガルシア=マルケスだってフォークナーからの影響があったわけで、そういう意味でも小野さんが『ポータブル・フォークナー』の訳者に入ってるのはよくわかる。
戦後の日本文学では大江健三郎さんと中上健次がフォークナーの影響を受けているし、そこに阿部和重さんと古川日出男さんも連なってるから、結局そこに影響受けて好きな僕は先祖返りしていけばガルシア=マルケスウィリアム・フォークナーを読むっていうのは当然の帰結ではある。だとしてもフォークナーは読みにくい。
でも、読んでいるとちょっとずつ読めるようになっていくし、何年かかかって読み返すと前よりも読めるようになっていたりするのもたのしい。数年ぶりに『響きと怒り』読み返したら、前よりは確実に読めるようになっていたけど、それにしても容易でわかりやすいって価値基準が優先されているけど、そうじゃないエンタメってことを諦めたくはない。


7月5日f:id:likeaswimmingangel:20210722213840j:plain今月の「あだち論」はボクシング漫画『KATSU!』に突入するのだが、僕にとってのボクシングというと鬼塚勝也さんと辰吉丈一郎さんが全盛期の時であり、だいたい親父と一緒にテレビで見ていた。
『KATSU!』はあだち充さんの兄・勉さんが連載に亡くなったりしたことで、生死が関わるボクシングを描くこと、そして学生ボクシングの先のプロを描こうとしていたが、それができなくなったと言われている。もちろん、そこは大事な部分なので外せないのだが、じゃあ、なんでボクシングだったんだろう、という問いがある。
この連載前の『H2』と『いつも美空』の担当編集者だった小暮義隆さんがボクシングのプロライセンスを持っていて、実際にプロのリングに上っていたし、彼がボクシング漫画描きませんかと言っていたが、時期ではないと描かれなかった。『いつも美空』が終わってから、小暮さんが担当外れてからこの『KATSU!』は始まった。タイミングの問題だったのだろうが、あだちさんがボクシングを描いたのは彼が戦後の復興に生まれ育ったことも大きいのだろうと思ったりもする。
うちの親父が戦後すぐ生まれの74歳で、あだち充さんは70歳、勉さんは三つ半上だから親父と同学年だったと思う。戦後生まれの彼らの成長と戦後の復興は重なり、そこに野球とボクシングとプロレスというスポーツも時代と共に発展していき、彼らにとっての娯楽だったのは間違いがない。彼らが20歳前後になると「安保闘争」や学生運動が始まる。
70年代に革命は頓挫し、学生運動と共に「劇画」も終焉していく。「劇画」における三大ヒーローは『巨人の星』の星飛雄馬であり、『あしたのジョー』の矢吹丈であり、『タイガーマスク』の伊達直人だったが、彼は物語において「象徴的な死」を迎える。勝つために己の信念を曲げたり、試合に負けるが相手が死んでしまったり、子供を救うために車に轢かれてしまう。学生運動の敗北をトレースするように劇画のヒーローたちは表舞台から退場していった。
あだち充さんはその「劇画」の時代に「少年サンデー」から放逐され。「少女コミック」にいたことで生き残ることができた。彼と同世代の若い漫画家の多くは「劇画」の波に揉まれて漫画の世界から消えていったものも多かった。
『タッチ』における上杉和也星飛雄馬矢吹丈伊達直人の末裔だった。だからこそ、彼は最初から死ぬことを運命づけられていた。彼は70年代の劇画ヒーローたちの亡霊であり、メタファだった。そして、伊達直人同様に子供を助けることで自らは死んでしまった。最初から和也を殺すことだけはあだちさんは決めていたというのが、僕は無意識に上記のことあだちさんの中にあったのではないかと想像している。
和也と彼らのバトンを受け取ったのが80年代的ヒーロー像となる兄・上杉達也だった。ここで「劇画」から「ラブコメ」へとバトンは渡され、達也と和也の双子と共に育ったヒロインの浅倉南は和也の死によって、物語では野球部マネージャーをクビにされ、新体操に打ち込むことになった。和也が亡くなるまでの南は70年代的「劇画」における見守るヒロイン像の要素が強かったが、和也の死と彼の意志を引き継いだ達也が本格的に野球を始めることで、自らも表舞台に立ち成長していく主体性を持ったヒロインへと進化していく。
『タッチ』とは70年代的な「劇画」の敗れ去っていったヒーローやヒロインたちから受け取ったバトンを引き継ぎ、新しい時代を生きていくヒーローとヒロインを描いた「ラブコメ」だった。ということを「ユートピアの終焉――あだち充と戦後社会の青春」に書いている。
達也は野球部に入部しようとした際に、先に南がマネージャーになってしまったために入部届を出せずにいたところを原田に強引にボクシング部に入部させられた。また、『スローステップ』では主人公の中里美夏に好意を寄せる三人の男たちはボクサーであり、美夏の父親はプロレスラーだった。あだち充作品はちょこちょこプロレスラーや元プロレスラーは登場する。
戦後生まれのあだち充にとっては野球を描くのもボクシングを描くのも違和感はないはずだ。それを見て育ったのだから。高校三年の夏過ぎまでの青春の終わりをずっと描いているあだち充からしてみれば、プロレスは描きにくいが、野球とボクシングは部活動としては描ける。終わらない青春ではなく、終わっていく青春を描き続け、大人になる手前の季節で物語を終わらす「少年漫画家」があだち充だから。
参考文献で沢木耕太郎さんのボクシングに関連するもの、寺山修司の『あゝ、荒野』、実際にボクシングもしている角田光代さんの小説、近年ボクシングを題材にした小説で芥川賞を受賞した町屋さんの小説も読んでおこうと思った。
寺山修司の『あゝ、荒野』はずっと家にあるけど読んでなかったけど、「モダン・ジャズの手法で書いてみようと思った」と彼はこの小説のことを言っていて、あだち充の漫画の描き方はフリージャズ的なものだと連載でも書いているので、近いものは感じると思う。
寺山は競馬も好きだったので、彼の競馬エッセイも借りて読んだことがあるのだけど、ニコラの曽根さんも競馬好きでいろいろ教えてくれたことがあって、昔、地方競馬だと思うけど、隻眼の馬がいて、病気や事故で片目が見えない人とか、戦争とか事故で四肢のどこかを欠損したり、障害を持っている人がその馬に思いを託して馬券を買っていたって話をしてもらったことがあった。
今だとそういう馬は出走すらできないと思うけど、そうやって、隻眼の馬だったり、拳一つで成り上がろうとするボクサーに思いを託すという「浪漫」がかつてはあったんだと思う。そういう時代がかつてはあったはずだ。
競馬だったらほとんどディープインパクトの血筋じゃんとか、ある程度近代化して整理されていってスポーツになっていくと所謂エリートしか戦うことができなくなっていく。そこでの戦いにもドラマはもちろんあるんだけど、そうなれなかった者たちの思いを引き受ける対象はどうしても減っていく。そういうことも考えていくと、結局自分の問題になっていくんだろう。
エリートでもなくたまたまサブカル周辺にいて運良くセーフティネットに引っかかる形で、二十代後半からやってこれただけで、いつだって堕落はするギリギリのところにはいる。


7月4日f:id:likeaswimmingangel:20210722213959j:plainテレビ東京の佐久間宣行さんの著者『普通のサラリーマン、ラジオパーソナリティになる』を読み終わった。コロナになってリモートワークが始まってからの一番の変化はradiko でラジオを聴きながら作業をするようになったことだと思う。
オールナイトニッポンとJUNK系とプラス気になる芸人さんのラジオが生活の一部にはなってきている。ラジオパーソナリティの好き嫌いってネタとかその人が何を話すかってこともあるけど、自分が好きな声かどうかみたいな、声の波長が合う合わないっていうのもけっこうあるんだと思う。
佐久間さん脱サラしてもうサラリーマンではないけど、視聴しているリスナーの幅が広そうだし、もし、喫茶店や飲み屋でこの手の話をしたら店内にリスナーけっこういる可能性が高そうだなって思う。本にも出てきた予約の取りにくい寿司屋の大将がラジオのヘビーリスナーでそこのお客さんもラジオ好きって店はおもしろそう。熱を帯びて話す大将にすし握れよ!ってツッコミたくなるってどんだけだよって。


7月6日f:id:likeaswimmingangel:20210722214042j:plainゴジラVSコング』は小栗旬の顔真似をおばたのお兄さんにしてほしいが、ネタバレ感もあり、『ゴジラS.P:〈シンギュラポイント〉』のあのラストからの続き感もなくはないという。
とりあえず頭空っぽでとくに深く考えることもなくたのしめるポップコーンムービーでした。
ドラマ『アトランタ』のペーパー・ボーイ役のブライアン・タイリー・ヘンリーが出ていたのはうれしかった。『ジョーカー』にも出てたけど、『アトランタ』はシーズン3と4の撮影がコロナで延期されてたのが始まってるみたいだから見れるのは来年以降かな。

f:id:likeaswimmingangel:20210722214130j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210722214145j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210722214201j:plain代官山蔦屋で菅原敏さんの新しい詩集『季節を脱いで ふたりは潜る』出版記念フェアが始まったみたいなので見に来た。
秘密のサイダーは次に来たときに飲もうかな。このエリアは発売されたサザンの桑田さん監督『稲村ジェーン』の映像が流れていたり、『映画 フィッシュマンズ』やフライング・ロータスとサンダーキャットが組んで音楽をやってる『YASUKE』の特設展示が常設中。
日が沈んだ夜もかなりよい雰囲気になりそう。


7月7日
f:id:likeaswimmingangel:20210722214315j:plain去年、古川日出男さんが国道6号線を踏破するのに同行する前に津波被害にあった場所を歩くから書家の田川悟郎さんが書かれてデザインした「波」のポスターをBASEを通じて購入した。お守りとして。
悟郎さんは親友のイゴっちの師匠みたいな人で僕も数度恵比寿でお会いしたことがあった。それで僕のことを覚えていてくださっていて、購入完了のメールに一言書いてあっておまけを入れて送ってくれた。
「波」と一緒にその時におまけで送ってもらったのがこのボブ・マーリーの名言を書いた「Love the life you live.Live the life you love.」のポスター。今年になってから飾ってる。


7月8日f:id:likeaswimmingangel:20210722214356j:plain朝起きて三宿整骨院に行って施術をしてもらって、15時に下北沢の喫茶店「トロワ・シャンブル」で仲俣暁生さんと一年ぶり?ぐらいかお茶しながら小説のことなんかを3時間近くしゃべってた。もちろんマスクはしているが。「トロワ・シャンブル」はタバコも吸えるのだが、ほぼ満席で20代ぐらいの女性が多く、タバコを吸っている人も多かった。そういえば、今の20代のほうがタバコを吸っているがたいてい紙タバコで電子タバコはあまり見かけない。今泉力哉監督『街の上で』は下北沢を舞台にしていたが、その作品に出ている女優さんが友達と来ていたみたいで彼女たちがお会計をしているときに気づいた。『少女邂逅』の時から気になっていた女優さんだが、『大豆田とわ子と三人の元夫』にも出ていたがどんどんブレイクしていってる感じ。
帰りに茶沢通り歩いていて、ゴリラビルのゴリラってなんで作ったんだろうと思った。最初に見たらみんなそう思うのだが、見慣れすぎていてそう思わなくなっていた。

f:id:likeaswimmingangel:20210722214426j:plain木爾チレン著『みんな蛍を殺したかった』を読み始めた。チレンちゃんはコンスタントに作品を出し続けていてほんとにすごい(依頼が途切れてないということだから)。今回はミステリ作品みたいだけど、まだ蛍と部活のみんなが仲良くなり始めた辺りで約1/3ぐらいを過ぎたぐらい、これからどうなるか予想がつかないな。


7月9日f:id:likeaswimmingangel:20210722214521j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210722214536j:plain『映画:フィッシュマンズ』をシネクイントで鑑賞。手嶋悠貴監督とフィッシュマンズのメンバーである茂木欣一さんの舞台挨拶。それからの上映だったが、フィッシュマンズ結成からデビュー、レコーディング、アルバム発売、ライブと流れを丁寧に見せながらメンバーや関係者のインタビューと当時の映像とライブ映像で時系列に展開していく。
バブルの余波が残り、バンドブームがあるなど時代的な要因は大きい。だからこそ、同世代のウルフルズスピッツが爆発的に売れて、比べればまったく売れていなかったフィッシュマンズはレーベルからクビを切られず、移籍もしながらも活動が続けられたのはかなりデカい。
アマゾンミュージックで聴けるドミューンのラジオ一発目のフィッシュマンズ特集で、90年代後期のあのやな感じをもっとも表していたのがコーネリアスFANTASMA』とフィッシュマンズ『空中キャンプ』だったという話が出ていた。当時の僕はリアルタイムでは彼らの音楽には触れていないが納得できる部分があるように思える。
90年代後期の1995年という敗戦から50年、終戦じゃなく敗戦だ。政治家や軍人だけじゃなく国民も判断を間違えた。戦時中の非日常は人々の判断を狂わせ、非日常である種のお祭り気分トランスになっていた部分もある。
太宰治が戦時下で書いた作品を読めばいい、彼の代表作のほとんどは十五年戦争の時期に書かれた。だから非日常の戦争が終わればつまらない日常に耐えきれずに甘美な死に、誰かを道ずれにして死ぬしかなくなる。と考えることもできる。佐藤さんは自死などではなく、『男達の別れ』の時期からかなり調子が悪かったという話があるので、急な体調の変化で亡くなったのだろう。僕も一人暮らしで年々わかるが、急に倒れたら最悪見つかる時は死んでいる可能性が高いだろうなと思うし、このところその恐怖はましている。
今はおそらく十五年戦争に近いかもしれないが、「失われた20年」はいつしか30年になり、「平成」の期間がほぼ失われた時代となった。だから、90年代後期のやな感じがずっと続いて1995年から四半世紀が過ぎた2020年、敗戦から75年後にコロナ渦になり東京オリンピックが中止ではなく、一年延期されたことで、そのやな感じはさらに増している。そこに鳴り響くフィッシュマンズの音楽はたぶん90年代後期より切実に僕らに響いている。
パンフレットはレコードジャケットサイズでかなり充実した内容だったので購入。


7月10日f:id:likeaswimmingangel:20210722214644j:plain二日続けてシネクイント。昨日も今日も『ブラック・ウィドウ』を観終わった客と入れ違いになるのでフロアが大混雑。昨日は『映画:フィッシュマンズ』を、今日は「ジム・ジャームッシュ レトロスペクティブ2021」の一環で上映の『ミステリー・トレイン』を鑑賞。作品の名前とか知ってるけどなぜか観てなかった作品を観るマイシリーズ的な感じもある。
八割方客席は埋まってたかな、客層もわりと若かった。
映画の中の永瀬さんくそ若いし、工藤夕貴はとてもチャーミング。オムニバスで三つのチャプターでわけたことでとても観やすい。こういう話だったんなって思ったけど、今書いている作品も大きな章を二つにしようと思ってたけど、三つぐらいにしてオムニバスみたいな感じにしたほうがいいかなと思い出した。これは迷うな。
思春期の頃に映画少しずつ観始めて、ミニシアター系映画の二大ヒーローは永瀬正敏さんと浅野忠信さんだった。その後に安藤政信さんと窪塚洋介さんたちの時代がやってきて、彼らが出ている作品を追いかけるようになった。


7月11日f:id:likeaswimmingangel:20210722214717j:plain『ゼロエフ』を再読した。読み終わると日付が変わっていて古川さんの誕生日になっていた。
同行した国道6号線阿武隈川を歩いたのは去年のことで、コロナ渦だった。歩き続けていたからか、コロナだったことがどうも僕の中では印象が薄くなってる。
コロナ渦と東京五輪、大雨による河川の氾濫による被害、それらに対する政治や責任や対応、さまざまな事柄を考えるときに『ゼロエフ』で小説家・古川日出男が歩考(歩行&思考)したことはきっと前よりも響き届くものになっている。もし、僕の知り合いで読んでいない人がいたら本当に読んでほしい。

f:id:likeaswimmingangel:20210722214755j:plain小説版『リング』『らせん』『ループ』と読んでいくと物語のほんとうの意味での主人公は「高山竜司」であることがわかるし、「リング」シリーズは『リング』『らせん』『ループ』『バースデイ』『エス』『タイド』の六作品であり、『ループ』以降の世界についてはホラーというよりはSF的な世界観の物語になっている。
映画版のヒットと「山村貞子」というキャラクターが一気に伝染し拡大していったことで、「父性」の物語だったことは忘却されていく。また、「山村貞子」の過去を描いた『リング0 バースデイ』が公開される。貞子の母である「山村志津子」は小説ではある出来事から「超能力」を得たのだが、それが娘にも受け継がれているため、母と娘の物語にもなっていった。
小説版『リング』で「山村志津子」について読んでいくとある種の既視感がある。超能力者である母と娘という関係性はドラマ『TRICK』にも通じている。
00年に公開された『リング0 バースデイ』で主役の山村貞子に抜擢されたのは『ラブ&ポップ』のラストシーンの渋谷川をルーズソックスで明らかに嫌な顔をしてじゃぶじゃぶと歩き続けていた仲間由紀恵であり、この映画を見た堤幸彦は同年の10月から始めるドラマ『TRICK』の主人公のひとりである「山田奈緒子」に仲間を抜擢した。
「山村貞子」と「山田奈緒子」という超能力者を演じることで仲間由紀恵は一気にブレイクし、『ごくせん』でも国民的に知られる女優となる。『TRICK』『ごくせん』は共に何度も連続ドラマのシリーズが作られ、スペシャル版や劇場版が作られるなど作品が派生して広まっていった。
ゼロ年代初頭におけるインターネット的なものと「超能力」の関係性、それを描いてしまっていた作品において「超能力者」を演じることになった女優が花開いたのは偶然ではないかもしれない。「山村貞子」は伊豆大島から上京し女優を夢見たひとりの若い女性だったのだから。
「リング」シリーズってゼロ年代におけるインターネット的なものを描いている部分は間違いなくあって、都市伝説とか陰謀論的なものも含みながらそれらが感染していくということも予見的でもある。僕がこの作品に惹かれてしまうのはたぶん『ループ』の構造によって前二作をひっくり返すのも好きなんだけど、たぶん「リング」シリーズはフィリップ・K・ディックが最後に書いていた「ヴァリス」シリーズ(『ヴァリス』『聖なる侵入』『ティモシー・アーチャーの転生』)に構造とかが似ているんだと思う。


7月12日
窪美澄原作×今泉力哉監督『かそけきサンカヨウ』の試写状がきた。二、三年前に渋谷の書店で今泉さんとばったり会ったときに窪さんの作品の映像化に向けて脚本を書いていると言われていたのがこれなんだと思う。

朝から晩までリモートワークをしていた。少しだけ徳島で「アアルトコーヒー」をされている庄野さんから教えてもらった榎本憲男著『巡査長 真行寺弘道』を読み始めたらめちゃくちゃ面白くて最初の一章を一気に読み終えてしまった。53歳で「巡査長」でまったく出世していない刑事の真行寺が秋葉原で出会ったオーディオマニアのハッカーの若者と知り合い、彼の助言を得ながら暴走した介護ロボットが起こした事件を解決するというものだが、その二人のバディ感や物語のテンポ感が素晴らしかった。


7月13日f:id:likeaswimmingangel:20210722214949j:plainA24製作『 ライトハウス』をホワイトシネクイントで鑑賞。予告編を見る限りはダークコメディな気がしていた。だって巨大なあれが出てきてたし。孤島の灯台守としてやってきた老いた男と若い男。補給船も来なくなり大しけで島から出ることができなくなった二人は酒をひたすら飲み、狂気の世界に陥っていくというもの。若い男は『TENET』でも好演していたロバート・パティンソンだが、狂っていく様がとても画になっていた。また、人魚や巨大なタコなども出てくるが、男が狂ってしまい見てしまった幻覚なのか、島に隠された秘密なのか、虚実が入り混じっていくのだが、それらの表現の感じがやはり「A24」製作だと感じさせる。『ミッドサマー』や『アンダー・ザ・シルバーレイク』が好きな人は好きな映画だと思う。だから僕はとても好き。

f:id:likeaswimmingangel:20210722215015j:plainライトハウス』を観終わって、帰ってる途中で池尻大橋のドコモショップ前を通った時に「そう言えば家ではWi-Fi使ってるから20ギガいらないしプラン変更しよう」と思ってお店に入った。プランはすぐに変更した。
最近使っているスマホがよく操作中に固まってしまうので機種変をしようかなと思って、使用年月を聞いたら1年11ヶ月で2年の支払いにしていたのでそのまま機種変更をしてもらった。下取りできるというのでスタッフさんに渡して見てもらった。
約二年前に買った初日に落として画面の真ん中が割れてしまったと思い込んでいたが、表面の強化ガラスフィルムを剥したら割れてるのは強化ガラスフィルムだけでスマホの画面はまったく割れてなかったことが判明。おかげで下取りの価格も今回買う金額の半分近くの査定だった。
アプリなど移行して数日後に持っていけばその査定分はdポイントで戻ってくるらしい。dポイントでも書籍は買えるから、その分本を買うのもありだなあって思った。
すぐ新しい機種の強化ガラスフィルムをAmazonで注文した。データ移行の時に前回同様に間違えてラインのデータが消えたが、PCで見たら前までのやりとりは見えるからいいっか。
すげえディズニープラスを進められたが、断ったけどアマゾンプライムの一年間無料のやつはもらった。間違いなく強化ガラスフィルムマジ大事。


7月14日f:id:likeaswimmingangel:20210722215109j:plain『貝に続く場所にて』は買っているが読めてないけど、芥川賞取りそうな前評判。「群像新人文学賞」デビュー一発目で取れば諏訪哲史『アサッテの人』以来か。これで直木賞が佐藤究さんの『テスカトリポカ』なら、佐藤さん「群像新人文学賞」デビューだから、芥川賞直木賞どちらも「群像」出身になる。
と午前中にツイートしていたら、18時前には直木賞芥川賞が発表された。

直木賞は佐藤究さんの『テスカトリポカ』と澤田瞳子さんの『星落ちて、なお』に決まり、芥川賞は石沢麻依さんの『貝に続く場所にて』と李琴峰さんの『彼岸花が咲く島』に決まった。
李琴峰さんも「群像新人文学賞」優秀作デビューだから、今回の直木賞芥川賞の四人中三人は「群像」出身ってことだ。


7月15日f:id:likeaswimmingangel:20210722215156j:plain仕事が終わってからニコラに行って一服。バリー・ユアグロー『旅のなごり』サンドイッチ(3回目)とアルヴァーブレンドを一緒に。

 

f:id:likeaswimmingangel:20210722215236j:plainニコラにあった花? なんだかこれを見て昔ミスチルのライブツアー「POPSAURUS 2001」を思い出した。
あれって花(植物)によって恐竜が滅んでいったみたいなコンセプトでセットの巨大な骨組みが最後は花開いていく感じだったはず。広島公演にたぶん行ったんだよな。一番好きなアルバムが『深海』だから印象に残ってるのかもしれないけど。

POPSAURUS 2001『シーラカンス



7月16日
朝起きてから三宿整骨院に行ってから、スマホの機種変更したので前の機種を下取りに出しにドコモショップ池尻大橋に行く。対応してくれたスタッフさんが研修中の方だったがとても親切で好感の持てる対応をしてくれた。PCが固まってしまって、申し訳ないですと言われていたが、そういうのはスタッフさんのせいではないので気にしてないいいけど、立場上はそう言わないといけないから大変だなと思った。
下取りされた金額はdポイントになったので、それを使って本を買おうとそのまま渋谷のジュンク堂書店に行って7000円ほど書籍を購入。
汗ダラダラになりながら家に帰ってから、〆切が前日までだった「あだち充論」の続きを書き始める。結局18時までに送りますと連絡していたが、20時近くになってしまった。
今回からはボクシング漫画『KATSU!』を取り上げるのだが、この作品は打ち切りではないが、担当編集者が変わって、終らせて新連載をしてくださいと言ったことで、「プロ編」には進まずに最終巻の16巻分の連載を描いて終わっていることなどがあり、批評するのがわりと難しい。同時に2回か3回分に分けて書くのでそれぞれのテーマをどうするのかを考えるとどうしても時間がかかってしまっていた。

寝る前にこんな動画を発見。この吉田さんって古川さん書かれた『ゼロエフ』の「おおきな鯉の話」で書かれていた古川さんのご近所の幼馴染の方か。はじめてお顔を拝見した。全3回。
小説家 古川日出男 × スピークス 吉田博文 特別対談 Part1「復興五輪を前に福島県郡山市出身の2人が語る。「東日本大震災と家」そして家...」



7月17日
f:id:likeaswimmingangel:20210722215442j:plain細田守監督『竜とそばかすの姫』をTOHOシネマズ渋谷にて鑑賞。主人公のすずであり、仮想世界「U」におけるすずにAs「ベル」を中村佳穂さんが演じて歌うというので劇場で観とくかと思って。
エンドロールでメルマ旬報チームのスタイリストの伊賀大介さんの名前を見て、ああ、細田監督作品はアニメだけど、伊賀さん毎回「衣装」で参加してたわ、と思いだした。
毎回おんなじ事を違う角度からやるしかないわけで、その先が見たいんだけど描いてくれない、描けないのかもしれないと今回も思った。詰め込んでいるものが多いからワンクールぐらいのスパンでやったほうがいろいろ消化できた気もする。
まあ、中村佳穂の無駄遣い感もするけど、これをきっかけにもっと幅広く彼女の歌が聞かれるようになると思うから、それでいっかなあと思った。
主人公のすずの友人のネットを使いこなす毒舌メガネ女子の弘香って「YOASOBI」のボーカルのikuraこと幾田りらだったのか。毎週「オールナイトニッポンクロス」聞いてるけど全然わかんなかった。あとすずの母親の友達で合唱隊のおばさんたち五人も声優のキャスティング見たら驚くほどのネームバリュー。
日テレとかが中心で製作委員会方式で作っている以上は絶対にヒットさせるしかないわけだけど、声優のキャスティングとかもそうだけどなんだかなあ。
なんというか新海誠監督も『君の名は。』以降は持ち味の変態性とか固執するものがオブラートになって薄まったから大ヒットしたとは思うんだけど、細田監督はそれがもっとひどくてどんどん作家性が薄まってる気がするのは、たぶん、わかりやすく同じテーマを繰り返しているから余計にそう感じやすいのかもしれない。
ヒットしたり売れたら「やりたいことをしたらいい」って言うけど、資本が外部から入ってきたらそんなことできないんだよな。そのバランスも含めてセルフマネジメントが一番必要になってくるのは実写とアニメを作る映画監督なのかもなあ。

音楽ライターの柴那典さんがインタビュー&テキストの『中村佳穂が語る『竜とそばかすの姫』 シェアされ伝播する歌の姿』

 f:id:likeaswimmingangel:20210722215556j:plain柳澤健著『1974年のサマークリスマス 林美雄パックインミュージックの時代』文庫版。単行本が出た時に読んでとてもおもしろかったので、文庫版も購入。
コロナ禍になってリモートが増えてからはradikoでラジオをよく聴くようになったので、改めて読むと違う気持ちになったりするのかもしれない。


7月18日
佐藤究さんのインタビューめちゃくちゃいいな。

人間は群れの中から特別なものを選び出して熱狂することで、一時的に情念を昇華したがる。ルネ・ジラールも言ってますけど、賞で選びだされることも生贄なんですよ。たまたま今回は僕が会見したり正賞や副賞をいただく形でよかったですが(笑)。生贄とは共同体の外に出た人間で、外に出て崇められるか、外に出ることで文字通り追放されるかどっちかなんです。

f:id:likeaswimmingangel:20210722215746j:plain隅田川沿いから見える選手村(真ん中あたりにあるマンション群)。

f:id:likeaswimmingangel:20210722215802j:plain先月はザゼンボーイズ、今日はナンバーガールと二ヶ月続けて豊洲ピット。前回同様に席ありでNOTスタンディング。ザゼンボーイズを一緒にいった青木もチケットをゲットしていたので、席は離れていた。前回は一人2枚までだったけど、今回は一人1枚だったため。
座ったままで腰から下では足でドラムに合わせてリズムを取り、上半身ではベースやギターのリフに反応するような形で、座ったままでもかなり揺れていた。ああ、ビール飲みながら立ってゆれてゆれて、聴きたいなって改めて思った。
アンコールの最後は『透明少女』で、この日二回目となったが、やっぱり最後はこの曲だなって思う。帰りに古川日出男さんの映像を撮ったりしている映像作家の河合さんもライブに来ていたらしく、久しぶりに会ったというのもあって豊洲駅前でちょっと話し込んでいたら一時間ぐらい経っていた。


7月19日
藤本タツキ『ルックバック』



朝起きてFBを開くと数人の知り合いがこの作品について投稿していたので、寝起きすぐで一気に読んだ。確かにこれは『インターステラー』的な要素がある。終わらない日常、からのその繰り返しとフローチャート的なトゥルーエンド探し、あるかもしれなかった現在とは違う可能世界、そういう想像力は当たり前になったというかわかるという所に来たのかな。
叙述トリックじゃないけど、この辺りの表現は映像か絵とかの描写がいちばん強くインパクトがあって、受け手にダイレクトに届いて響くんだろう。ただ、京アニややまゆり事件などを彷彿させるし、このことを指摘している人もいた。その辺りは編集部の判断だろうが、うーむ。

今日聴き返してる人も、始めて聞く人もたくさんいそうだな。




7月20日

f:id:likeaswimmingangel:20210723191051j:plain古川日出男著『ゼロエフ』が「Yahoo!ニュース|本屋大賞 2021年ノンフィクション本大賞」にノミネートされました。うれしい、めでたい。読んでなかった方もこの機会にぜひ読んでみてください。

この件に関しては6日頃に古川さんからノミネートされたということをお伝えしてもらっていた。だから、早くこのこと言いたかった! ほんとうにこの夏に読むのにピッタリだと思う。東日本大震災から10年が経ち、復興五輪と言っていた話も、コロナ禍の現在のこともここには書かれています。


7月21日f:id:likeaswimmingangel:20210722220334j:plain2回目のワクチンdone。つうかワクチン打つためだけにしか出社していないという。

f:id:likeaswimmingangel:20210722220405j:plainヴィンランド・サガ』25巻。かつて父を殺した相手のもとで戦士となり殺すことしかで生きられなかったトルフィン。彼は仇でありもうひとりの父を失い、やがて奴隷になった。奴隷から抜け出したトルフィンは争いのない、かつての自分のような戦士が必要のない国を作るために仲間たちと海を越えて、新天地で新しい国作りを始めた。その場所の先住民たちがトルフィンの前に現れる。

f:id:likeaswimmingangel:20210722220431j:plain小澤匡行著『1995年のエアマックス』という新書が出ていたので気になって買ってみた。まだ、読んでいない。
90年代後半の「エアマックス95」を代表する「ハイテクスニーカーブーム」は十代ど真ん中だったし、未だにナイキのハイテクスニーカーは好きだし履きつぶしては新しいのを買っている。
個人的にはあの当時の『BOON』や『COOL』といったファッション雑誌を読んでいた世代からしてみると「ハイテクスニーカーブーム」は大人たちが失敗したバブルの子供版だったように思っている。
菊地成孔さんの『CDは株券ではない』で書かれていたことはのちの「AKB商法」(投票するようにCDを何枚も買う)を彷彿させるものがあった。
CDはもはやCDそのものに価値はなく、それを何枚買うと何回投票できたり握手ができたり、チェキを撮ったりするための株券になってしまったのだから、彼がその書籍で書いたことは当たっているように読めるわけだが。
90年代に十代や二十代前半で「ハイテクスニーカーブーム」や「G-SHOCKブーム」を体験していれば、そのアイテムが欲しいのではなく、そこにプレミアムな価値が出るかもしれないということを含めてそれらを買うようになっていった。だからこそ、値段はつり上がっていった。ヤフーオークションなども出始めたから個人でも売買が容易になってきたのも大きかったと思う。
大人たちの土地転がしバブルが崩壊した後に、十代の若者はハイテクスニーカーやG-SHOCKを自分が好きか嫌いかよりも今後価値が付くかどうかの観点で見始めてしまった。おそらく団塊ジュニアよりも下のロスジェネ後期がそこだったんだと思う。
僕が自分と同世代の主人公を書く際にあえてスニーカーの話とかを出したくなるのは、そういう価値観を思春期に身につけた世代という意味もあったりする。


7月22日
みんな大好き「貞子」を生み出した小説版『リング』についてネタバレマックスで書きました。
単行本が出て30年、失われた30年の間にはインターネットが当たり前のものとなり、人類には、というか日本人には早すぎたSNSのメタファのようのも見える「リングウイルス」の増殖と感染。コロナ禍における現代において『リング』で描かれたウイルスの感染も重なるので今こそ読み直す一冊としてはベストなのでは。
f:id:likeaswimmingangel:20210722220517j:plain2回目ワクチン接種の翌日、起きてから熱が出て体がだるい感じ。熱は38度行くか行かないか程度、コロナ禍になってから扁桃腺2回腫れた時は40度越えたから、あれに比べたら平熱より少し高めだなあ、ぐらい。いつもより体調が良くないときに『戦時の愛』読んでるからか、微妙なバッドトリップ感がある。


7月23日f:id:likeaswimmingangel:20210723185245j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210723185301j:plain東京芸術芸術劇場のシアターイーストで芸劇eyes番外編 vol.3「『もしもし、こちら弱いい派─かそけき声を聴くために─』弱さを肯定する社会へ、演劇からの応答」を友人のパン生地くんと鑑賞。
いいへんじ(作・演出:中島梓織)、ウンゲツィーファ(作・演出:本橋龍)、コトリ会議(作・演出:山本正典)の三団体のショーケースタイプの上映で合わせて2時間ぐらい。
いいへんじ『薬をもらいにいく薬(序章)』はバイト先でパニックに陥ってから家に引きこもって仕事を一ヶ月ぐらい休んでいる主人公を軸にした話。彼女が家から出ていくまでの話であり、まさにタイトル通り「序章」と言えるような内容。なにかがこの先、部屋の外側で起きるかもしれない、それまでの話であるが、誰もが家を出ていくまでの時間や日常は他の人には見られていなかったりする、特に一人暮らしだと。主人公は同棲しているものの彼氏がずっと出張みたいな感じで不在。その彼氏役の人も彼女がいる中心部以外の四方を自転車乗って移動したり、様々な状況を演じている。また、彼女が務めていたバイト先の人がふたりいて、その二人の女性もそこの店員以外にいろんな役柄を演じるが四方で彼氏役の人とやりとりをする感じ。バイト先でパニックを起こした時に助けてくれた渡辺くんは家が近いという理由で店長から来月のシフト記入表を女性宅に持ってくる。中心での彼女の部屋で彼女と渡辺くんのやりとりがあり、四方で彼氏役と残りの二人が時間軸を越えて物語が展開しているという舞台。物語の始まりであるが、とても人間味あふれていた。舞台的な動線を役者さんが動くので、舞台をしっかりしている感じもした。
ウンゲツィーファ『Uber Boyz』は世界が球体ではなく平面になって、何層にもなっている最下層のほうで「Uber」的な配達員をしている主人公と彼を導くホログラムを中心に、主人公が配達することになったアイテムを狙う四人組とのやりとりと冒険を描いたような作品でバカバカしいし、好きなもの詰め込みまくってる感じでたのしい。大声出して状況説明とかするけど、もう振り切ってるから見ていてたのしい。自転車やキックボードだけではなく、ミニセグウェイに乗った『ワンピース』のルフィの格好をしたホログラム役の人もアイデア勝ちじゃんって思ったけど、最後の辺りでミニセグウェイを使う下りがあるのだが、爆笑してしまった。あれがやりたかったのもあるんじゃないだろうか。『シン・エヴァ』とかいろんなオマージュとかネタにしたりしてやりきってるのが心地よかった。
コトリ会議『おみかんの明かり』は何処かの山の奥にやってきた女性、目の前には川が流れているが、彼女は泳げない。その向こう側には死んだ彼女の恋人(たぶん)が現れる。しかし、顔が見えないので、彼女は少しでも近づこうと川に入ろうとする。するとホイッスルの高い警告音が鳴り響いて彼女の側に頭にアンテナのようなものがある宇宙人の女性が現れる。生きた人間はこの川を渡ってはいけないし、入ってはいけないと宇宙で決まっていると警告する。地球人の女性と宇宙人の女性のやりとりがあり、二転三転し、地球人の女性が銃を奪い、彼の元になんとか進んでいく。死んだものと生きているものが触れ合ってしまえば、地球がちょっと削れるぐらいの爆発が起きると宇宙人の女性は警告するが、二人はなんとか触れないようにしてどこかに消えてしまう。すると、川の向こうに宇宙人の男性が現れるのだが、その男性は宇宙人の女性の最愛の人だった。しかし、彼もまた同様に死者だった。ここから地球人の女性と同じような葛藤が始まるのだが。という内容で最後は冒頭に戻るような演出となっているため、繰り返される環の中に彼女や彼らたちは抜け出せないのか?と思わせて物語は終わる。ひとつ前の『Uber Boyz』もこちらの最後の終わり方もどこか『シン・エヴァ』的な繰り返されてしまった世界や日常みたいなものと近しいものを感じた。そういう感覚はいつぐらいからだろう、ゼロ年代初頭の「繰り返される日常」が東日本大震災で終わりを告げたと思ったら、そうではなくて、誰もが「TRUE END」を目指してひたすら繰り返しているのにどうしても「BAD END」にしかならないようにしか見えない現在の日本の状況は嫌でも影響している気がしてしまう。そこから抜け出すために、動いて叫んで、違う可能性や世界にジャンプして飛びつくしかないのかもしれない。

f:id:likeaswimmingangel:20210723185401j:plain夕方前にニコラによってネクタリンとマスカルポーネのタルトとアアルオトコーヒーをいただく。

f:id:likeaswimmingangel:20210723185429j:plain「復興五輪」も消えて、「コロナに打ち勝った五輪」に置き換えられたけど、それすらも嘘だった。『ゼロエフ』が「本屋大賞 2021年ノンフィクション本大賞」にノミネートされました。ほんとうにこの夏読むのにもっとも適した、運命的な一冊になるはずです。
僕は招致の時点から反対だったので、テレビがないので見なくて済むのだけれど、この期間中は黙祷したい。五輪開催中にほんとうに友人知人の皆さん『ゼロエフ』を読んでみてください。

古川日出男のむかしとミライ』古川日出男の現在地が更新されていた。
「ちょっと怒ってみたりする」

去年のこの日はどうだったか? 去年のこの日は、福島に入ったのだった。栃木県の那須町から北上して、福島県の白河へ。それが私の、『ゼロエフ』という本のふたつめの核となる行動の、スタートだった。いま私が思うのは「ああ、去年の行動(歩行、取材、思考)でよかったな」ということだ。あれから1年を経て、東京五輪はなんとも無惨で、もしも私が今年歩いていたら(つまり1年延期していたら)、私は思索の種というのをずいぶん拾いそこねた気がする。


今月はこの曲でおわかれです。
ASIAN KUNG-FU GENERATION 『エンパシー』Music Video



ASIAN KUNG-FU GENERATION - ソラニン / THE FIRST TAKE

Spiral Fiction Note’s 日記(2021年5月24日〜6月23日)

水道橋博士のメルマ旬報』連載「碇のむきだし」

 
ずっと日記は上記の連載としてアップしていましたが、5月からは「碇のむきだし」では短編小説(原稿用紙80〜100枚)を書くことにしました。そのため、日記というか一ヶ月で読んだり観たりしたものについてものはこちらのブログで一ヶ月に一度まとめてアップしていきます。

「碇のむきだし」2021年6月掲載 短編小説『東京』


先月の日記(4月24日から5月23日分)



5月24日
f:id:likeaswimmingangel:20210623185823j:plain日付が変わった頃に『新潮』掲載の千葉雅也さんの『オーバーヒート』を読み終えた。デビュー作となり野間文芸新人賞を受賞した『デッドライン』と繋がっている作品だった。
物語におけるハラハラドキドキといったものは基本的にはないが、「言葉」による思考について書いている。千葉さんを彷彿させるゲイをカミングアウトしている哲学者の主人公とその家族や恋人的な男性への思いや気持ちと彼の肉体が物語に非常にうまくシンクロしていて、読んでいる側も自分が他者に話していないものについて見つめることになる。これ芥川賞取るんじゃないかな、と思う。
また、その前の日に文筆家の栗原裕一郎さんがツイートされていたことを思い出した。

先日の話題以降時折「純文学」で検索をかけていて、「小説家になろう」に「純文学」という「ジャンル」があり、短編集『余命3000文字』が同ジャンル年間1位だと知った。「これぞ純文学」と保証するツイートに誘われ数編読んだが、所謂芥川賞的純文学とは接点のない作品だった。

https://www.shogakukan.co.jp/books/09406849

このすれ違いは「純文学」を「ジャンル」と考えることに起因しているだろう。佐々木敦も「純文学はいまやジャンル小説だ」みたいなことを言っていたが違うんじゃない。「純文学」は「制度」であり「ジャンル」ではない。『余命3000文字』も筒井康隆が書き文芸誌が載せれば名実ともに「純文学」になる。


確かに「純文学」は「ジャンル」ではなく、「制度」と考えたほうが腑に落ちる。

水道橋博士」のメルマ旬報連載「碇のむきだし」2021年5月24日号配信。
短編小説『ヴェイパー』
5月更新用に書いていた『東京』がいつもの〆切の23日に間に合わなかったので、プロトタイプというか、こんな感じのものを書いていきますというお知らせも兼ねて、去年の3月に書いた短編をさらにカットしたものをアップしてもらった。
毎年正月に歩いている晴海埠頭を舞台にしたもので、晴海埠頭近くには東京オリンピックの選手村があるので、そのことを含めて短編で書いてみたいと前から思っていたことが最初の発端だったもの。
村上春樹さんの最初期に『中国行きのスロウ・ボート』という作品があって、それをオマージュした古川日出男さんの『二〇〇二年のスロウ・ボート』という作品がある。意識的にそれらを僕なりにオマージュしたものでもあり、コロナ禍でこの先どこにもいけない寓話として書いてみた作品です。


5月25日
「PLANETS」連載中の『ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春』最新回はオムニバス漫画『冒険少年』を取り上げました。
「大人を再生する装置としてのノスタルジー」がどう描かれたのかを論じました。ここからようやく2000年代に入ります。次回は『いつも美空』を取り上げます。


明日発売予定のトマス・ピンチョン著『ブリーディング・エッジ』が一日前だけど、出ていないかなと思って散歩がてら代官山蔦屋へ。やっぱり出てなかった。そのまま東急百貨店内にあるジュンク堂書店渋谷店を覗いてみるがやはりなし、渋谷モディに入っているHMV&BOOKS SHIBUYAにも行ってみたがこちらもなし、西武百貨店に入っている紀伊國屋書店もやっぱりない。
ぐるぐる歩いていたらせいで、家に帰ったら12キロ以上歩いていた。夕方からリモートワークなので、メルマ旬報に掲載する予定の短編を書く時間、集中できそうにないので「週刊ポスト」連載の「予告編妄想かわら版」の原稿をすることにした。3週分(3回分)まとめて書いて、2日ほど置いておく。もう一度読み返して最終チェックしたら原稿を提出することにした。

f:id:likeaswimmingangel:20210623190005j:plain『大豆田とわ子と三人の元夫』第七回からかごめと入れ替わるように出てきた小鳥遊(オダギリジョー)。オダギリジョーは同じく坂元裕二脚本『花束みたいな恋をした』にも出ていたが、その際には絹が働くことになるイベント会社の社長役だった。そのせいで絹にも会社とプライベートは別人だったんじゃないか?と思わせるパラレルワールド感。
かごめに小鳥遊と鳥に関する名前のとわ子に関わる男女、鳩に豆鉄砲的な意味で、豆使いたくて大豆田って名字にしたんじゃないかな。坂元さんが登場人物につける名前はわりと響きで決めてる気もするが。

5月26日f:id:likeaswimmingangel:20210623190048j:plain15時過ぎから休憩になったので歩いて代官山蔦屋まで往復してトマス・ピンチョン著『ブリーディング・エッジ』をGET。毎年年末年始にひとシリーズずつ買い足していた全集。あとは一番最初に出た『メイスン&ディクスン』を揃えればコンプリート。
ピンチョンはボヘミアン生活を送ってるしヒッピーが身近だった世代だろうから、カルフォルニアイデオロギーみたいなものは親和性があるのかなあ、となんとなく思う。9.11とITについて陰謀論と後期資本主義社会を描くとなれば、今までの作品よりはたぶん自分達に近しいものがありそう。
できれば、6月になる前に一気読みして、6月末までに書き終える予定の『インターレグナス』へ勢いをつけたいが、読み始めて終わる頃には夏すぎているかもしれない。

リモートワークで作業中はずっとradikoのタイムフリーでラジオをBGMにしていた。ニッポン放送の『菅田将暉オールナイトニッポン』『ファーストサマーウイカオールナイトニッポン』『YOASOBIのオールナイトニッポン』『星野源オールナイトニッポン』までを休憩に入るまで流していた。
星野源さんと新垣結衣さんの結婚に関して、「オールナイトニッポン」ファミリーはどんなかんじなのだろうかと思って通して聴きたかった。
星野源オールナイトニッポン』はほとんどいつもどおりな感じで下ネタもこれからやっていくって感じがしながらほっこり。今の「オールナイトニッポン」は24時からの「オールナイトニッポンクロス」「オールナイトニッポン」「オールナイトニッポンゼロ」という三番組の流れが非常によい。バラエティに富んでいるのと男女率は半々ではないが、女性のパーソナリティも何人かいる。

TBSラジオ「JUNK」も聴いているが芸人さんが多いのでかなり対象的な感じがする。どちらも好きだけど、「オールナイトニッポン」のほうが幅広い層を狙っている感じはして、それが効いているような気がする。
土曜日深夜に4回目だったのかな、「鬼越トマホークのオールナイトニッポンゼロ」がやっていて前回同様におもしろかった。鬼越トマホークはレギュラーになればいいのになと思うけど、今の盤石な体制だと入れ替えはしばらくないのだろうか。
休憩がおわってからは「Creepy Nutsオールナイトニッポンゼロ」を聴いたけど、最初は新垣結衣に関すること(ドラマの役柄)でずっとR-指定が話していたけど、彼ら世代だと彼女は思春期にリアルタイムで見ていた女優さんなんだろうなあ。僕らだと広末涼子さんだろうか。


5月27日
リモート作業中に今日はradikoのタイムフリーで『フワちゃんのオールナイトニッポンオールナイトニッポンクロス』から『佐久間宣行のオールナイトニッポンオールナイトニッポンゼロ』を聴いてから、TBSラジオに移行して『アルコ&ピース D.C.GARAGE』から『爆笑問題カーボーイ』へ、そして見取り図が今月担当した『24時のハコ』の最終回。
見取り図のリリーさんは岡山出身だが、トークの中で「千鳥」が大阪で勢いがあった時に大阪なのに若手の吉本芸人たちがいっとき岡山弁になっていたという話があった。去年の「M-1」グランプリには大阪出身者はほぼいないのに、岡山出身者が4人ぐらいいた。
大悟さんの「わし」を続けたことはその性格も表しているし、「〜なんよ」という岡山弁が浸透している話などをしていたけど、誰かがブレイクして全国区になって名前と顔が一致するということはこういう状況を起こすということなんだろうなと聴きながら思ったりした。
岡山出身の有名人と言えば、甲本ヒロトさんと水道橋博士さん、次長課長オダギリジョーさんなど個性的な人が多い。そして、近年では間違いなく千鳥であり、あの世代では東京で一時失速しかけたが、東野幸治さんの企画「帰ろか千鳥」で息を吹き返して、そこから大逆転劇が始まって、今に至る。
千鳥のお二人は高校の先輩であり、僕が一年時に三年生だったので、文化祭でカラオケ大会かなにかで二人が司会しているのをテレビかなにかで見たが、その場所に僕もいて見ている。僕らの通っていた笠岡商業高校はちょっと坂の上にあり、その下には進学校の笠岡高校があったが、そこの別称が「千鳥」であるので、彼らが「M-1」グランプリで出てきたときには「なんでその名前?」と思ったし、エロ漫才とかしていたから笠岡高校には迷惑がかかったりしたのかもしれない。まあ、今ここまでブレイクしたから多少は許してくれているのかも、と思うけど、進学校だから結局嫌だろうな。

f:id:likeaswimmingangel:20210623190333j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623190338j:plain菊地成孔曰く「星野源ひとりクレイジーキャッツ」説、『粋な夜電波』が続いていたら存命だった犬塚さんをお呼びしたいと言ってたし、書籍にも書かれたが「もう星野源に託すしかない」という話があり、一度「クレイジーキャッツ」の面々が出ている作品をスクリーンで観たかったので、シネマヴェーラにて『ニッポン無責任男時代』を鑑賞。よくも悪くも今や失われたものしかスクリーンには映し出されていなかった。
観終わって劇場出たら、隣のLOFT9でやっていたイベントに出ていた元THEE MICHELLE GUN ELEPHANTチバユウスケさんが会場から出てきたから、植木等からチバユウスケってなんだかおもしれえな、と笑いそうになった。
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTは解散ライブの最後にデビュー曲『世界の終わり』を鳴らして終わったが、あの時のチバユウスケは笑ってしまうぐらいに色気がありカッコよかったし、それは今も健在だった。スクリーンで動き回って歌う植木等も色気があってカッコよかった。その佇まいが、その芝居やセリフのリズムが。
『おげんさんといっしょ』が生放送で音楽ありきな番組をしているのは戦後の日本における黎明期の姿であり、先祖帰りだ。だからこそ、星野源にすべて託されてしまう。星野源が最後の遺伝子であり、終わりである。終わりであれば、そこからまたなにかが始まる可能性もゼロではないと思いたい。
同時に星野源が戦後に進駐軍のどさ回りをしていたことから始まることになる芸能プロダクションの始まりとテレビ番組におけるバラエティを作り上げていったミュージシャンに繋がっていく。吉本興業の芸人たちにバラエティが席巻される前の黎明期のバラエティを今の時代に幻視さえさせる。その芸能プロダクションという堅固だったシステムはSMAP解散によってほころびが一気に加速し始めた。
「令和」は「平成」が上皇生前退位と象徴的な存在であったSMAP安室奈美恵が引退して、死にきれなかったんだからグズグズになるに決まってた。「平成」は「昭和」のゴーストみたいなもんだから、きちんと成仏させないままで今戦後以降の「昭和」と「平成」の期間にたまりにたまった膿が、人々をなぶり殺しにする腐臭放ちながら今コロナ禍の中、降りかかってる。

f:id:likeaswimmingangel:20210623190438j:plain『ニッポン無責任時代』をせっかく観るのだし、小林信彦著『決定版 日本の喜劇人』を買おうと上映前に渋谷の書店を四件回ってもどこもなくて、金額のことを考えるとかなり刷り数がそもそも少なく、買う人が最初に買っちゃってるから書店で見たことないんだろうなって思った。結局、シネマヴェーラ渋谷の窓口で購入したら、小林さんのサイン入りだった。


5月28日f:id:likeaswimmingangel:20210623190540j:plain岩泉舞作品集『MY LITTLE PLANET』を読む。約30年前に出ていた『七つの海』に最新作を追加したものだが、『七つの海』に収録されていた作品を読むと話をかなり覚えていて驚いた。「少年ジャンプ」掲載作だが、それぞれの短編を読むと複合的に『ライブ・ア・ライブ』感があり、『YAIBA』などの風味の和風ファンタジーから幽霊を専門にする刑事の洋風ファンタジーなどの作品であり、今に繋がっているような気がする。新作『MY LITTLE PLANET』は新井素子チグリスとユーフラテス』を彷彿させるその惑星の最後の少女ふたりの話。30年前の作品とかなり絵のタッチや線が違うので、一緒に掲載されてないと同じ作者だとは思えないかもしれない。


5月29日
『今ここにある危機とぼくの好感度について』
 最終回までお見事様でした。映画『ジョゼと虎と魚たち』はシネクイントで公開時に観てかなりえぐられてしまって、自分にとってもかけがえのない青春映画だし、僕と近い世代の人はあの映画にやられた人や影響を受けた人はたくさんいる。その脚本の渡辺あやさんは『火の魚』をNHKのドラマを書いてから、阪神・淡路大震災15年目を描いた『その街のこども』を手掛けたあとには、朝ドラ『カーネーション』と一気に全国区の脚本家へと駆け上がっていった。
天然コケッコー』公開前にNHK教育でやっていた『トップランナー』のゲストに渡辺あやさんが出た時に観覧希望応募して行ったけど、その頃くらいからNHKで脚本をいう話は出ていのかもしれない。その後はちょっと時間が空くけど、同じくNHKで放送された『ワンダーウォール』が間違いなく今回の『今ここにある危機とぼくの好感度について』に繋がっていく。
大学組織を描きながら、同時に閉塞しきった今の日本社会を大学で起きる出来事がメタファとして、同時に起きている問題として、主人公たちが翻弄されていく様を描く。今作は間違いなく、組織が「腐敗」していることを認めるしかないという立場を取ることでしか組織の再生はない、その決断と覚悟を描いていた。まさにコロナ禍における東京五輪と安倍政権になってからの腐敗しきった政治への批評になっている、素晴らしいドラマだった。


5月30日
『決定版 日本の喜劇人』読了。凄まじい記録、そして残されておくべき記憶。由利徹さんとか顔や名前が一致していてもどういうポジションの人だったのか、この本で初めて知った。
植木等さん藤原寛美さんといった人たちと彼らの前にいた日本の喜劇人の連なりを知っておくこと、それはもちろん二度の世界大戦に翻弄されたかつての若者たちの歴史でもある。そして、小林信彦さん自身は直木賞候補になったような小説家でありながら、このような喜劇人の系譜の大著を残されている。
小林さんも植木等さんのテレビ番組などにも関わっているからこそ書けるものがある。やはり今でいうとライターの九龍ジョーさんがそこに一番近いという意味がこの本を読んでよくわかった。
何十年か経って九龍ジョーさんが「平成」と「令和」版の「日本の喜劇人」のアップデート版としての「古典芸能」と「サブカル」の大著を著しているのかもしれない。もちろん、その前にこの『決定版 日本の喜劇人』があるからこそ連なる「芸能」の歴史となるのだろう。


5月31日
星野源 – 不思議 (Official Video)


祖母の誕生日、今日で彼女は100歳になった。コロナになってからは一度も帰っていないが、上京する時の条件が週に一度は電話することだったので29日に電話したばかりだった。その時もおめでとうと告げたがぼんやりしているのかあまり伝わっていないようだった。
足腰が丈夫だったから90歳近くになっても健康で頭もしっかりしていたが、次第に歩かなくなって寝ることが増えていくとどうしてもボケやすくなってくるみたいで、一緒に住んでいない僕にはわからないけど、実家の父や母は祖母がかなりボケてきたと話す事が増えてきた。
100歳というライン、境界線というか目標まではという気持ちもあるのかもしれない。となるとこの先彼女はなにをイメージして生きていけるのか、と思うと少し不安というか急に眠ったまま亡くなってしまうことも可能性としては今までよりも高くなるのかもしれないとも思う。ただ、安らかに最後を迎えてほしいし、それまでは安らかに過ごしてほしい。次に会いに行けるのがいつになるかわからないし、いい報告ができるかもわからないけど、次に会えるまで元気で生きていてほしい。

Thundercat - 'Fair Chance (feat. Ty Dolla $ign & Lil B)' (Official Audio)


コロナで6月30日に延期されていたThundercatのライブがやっぱり再々延期になった。アメリカが日本への渡航について4段階で最も高い4の「渡航中止の勧告」になったのだから仕方ない。で、この状況で「東京五輪」へアメリカの選手団を派遣するのだろうか、とかはもはやどうでもいい。
このまま行けばなにがなんでも「東京五輪」はやるのだろう。戦後にアメリカの属国として、その力に守られて言うことを聞いてきた敗戦国と戦勝国の関係性。戦後における経済成長で先進国へ舞い戻って世界中でさまざまな活動を通じて国際貢献してきたことで「日本」はそのブランドを維持してきたが、失われた30年でそのブランドを自ら捨て去り、もう海外に行っても「日本」ということで慕われることもなく、下手すれば嫌われるほうの国へとなってしまった。もはや、「東京五輪」は失敗するために行われるような気すらする。二度目の敗戦、世界中から嫌われる存在となる。政治家はなぜそんなことを強行したいのだろう、ほんとうに私利私欲だけなのか。
敗戦後に近いほどの状況に「東京五輪」が終わった後にコロナが日本から世界中に新たに広まって感染爆発すれば、またアメリカの傘の下で、今より扱いやすい操り人形にできるという考えももしかしたらあるのかもしれない。そんな風に没落していった先にはアメリカにおけるコロンビアとプエルトリコが新たな州に昇格する可能性と同じぐらい、日本をアメリカの州へと差し出そうと考えている、あるいはそんな契約がどこかであったとしてもさほど驚きはない。
日本がアメリカの最後の州に加わるという話は阿部和重さんの「神町」サーガでも描かれていたが、そんな陰謀論的なものすらありそうだなと思えるほど、「東京五輪」を辞めたがらない人たちの気持ちがわからない。
2045年まであと24年、四半世紀を切った中で「日本」がそのまま存続しているなんて誰にもわからない。今日で実家の祖母は100歳になった。1945年敗戦の年には24歳で、父が生まれたのは1947年だった。僕は1982年生まれ、2045年まで生きているとしたら僕だけだ。

水道橋博士のメルマ旬報」連載「碇のむきだし」最新号が配信されました。
今月公開分の新作短編は6月にスライドして、短編小説『dance alone(in,out)』をアップしました。最近書いているものはここから始まっている気がします。


6月1日
f:id:likeaswimmingangel:20210623191136j:plain金原ひとみ著『アンソーシャル ディスタンス』読了。読み終えたら日付が変わって6月になっていた。最後に収録されている『テクノブレイク』が最高。これはまさに金原ひとみでしかないなって思うし、やっぱり固有名詞とかセックスとかの描き方は村上龍に通じているものがあるんじゃないかなと感じたり、それもあって好きなんだけど。
付き合っていた恋人と自分たちの居場所やスマホのバッテリー残量がわかるアプリを入れたあとに別れた芽衣、新しくできた彼もそのアプリを入れることを了承する。その彼氏とはお互いに辛いものが好きで意気投合し付き合うようになる。辛いよりももはや痛みでしかない激辛の料理をひたすら食べた後に汗だくのままラブホで更に汗だくになってセックスをしていた。激辛ばっかり食べているからウンコをする時はめっちゃ痛いっていう、食べること排泄することセックスすること、ギュギュッと詰め込んで人間が一つの管であるのが意図的に書かれている。次第にそのプレイを互いのスマホで撮るようになって、ふたりはひたすらその流れのデートを楽しんでいたが、コロナがやってきてしまう。元々幼い頃に喘息を患っていた彼女は彼にも細かいことを言い出すようになる。彼はそういうことには頓着しないため...。
テレワークとなって次第に彼ともセックスができなくなると彼女は録画した動画を再生してそれを流しながら仕事をしてオナニーをする。そして久しぶりに彼がやってくることになるのだが。
金原節というような思考の連鎖と行動が囃し立てられるように加速的に描写されていく、恋人に触れなくなってセックスができなくなっていくその距離感とどうしようもなく満たされない体、アプリで示される相手の居場所はゴースト機能によってずっと自分を偽っているのがわかる、自前の性行為を録画したものでオナニーをして仕事のBGM代わりにしていく彼女、リアルタイムなコロナ禍文学として『テクノブレイク』オススメです。

f:id:likeaswimmingangel:20210623191223j:plain映画の日&TOHOシネマズ再開つうことで関和亮監督『地獄の花園』をば。これでもかとトッピングした一枚のピザにポテトにサラダにガーリックシュリンプ、飲み物はやっぱりコーラ。途中で食べるのやめてしまいそうになるけど、その膨大なカロリーをただただ食す、胃のなかに放り込む、満腹中枢ももうマヒる。
送り手も受け手ももう満腹すよと思いながら、ひたすら過剰に送り続け受け止める、そうそれがエンタメ、バカバカしい(褒め言葉としての)エンタメ、カロリー過剰で中身はなんにもないけどポップなエンタメ。ストレスフルな今に笑ってしまうほどバカバカしさと過剰さは救いになる。
永野芽郁はとてもポップな人なんだと思う。本来は根あかでマイルドヤンキー的な資質があるんだろう、それをあの整っているがどこか自信なさげな顔つきに騙される。抜群のポップさが爆発するとその顔が生き生きしだして画面に鮮やかに映える。コメディエンヌ寄りな気もする。
脚本はバカリズム。コントが書ける人は間違いなく脚本が書ける。『地獄の花園』も金のかかったコントでもある。コント職人たちの台頭と認知度、コントができる芸人さんたちが俳優として活躍していることを考えると、映画学校やお笑いスクールではコントを作らせ実演させる授業があったほうがいいと思う。
コントは脚本の勉強になるし、演技のことも考える。脚本家や俳優への可能性も視野に入るほうがいい。金を取るならその可能性を少しは拡げてあげたほうがいい。漫才のほうがコントより上だということになっているのは単純にM-1があり、それをやっている吉本興業とその所有する劇場舞台の花形が漫才だからだ。つまりシステムの問題。
とんねるずダウンタウンウッチャンナンチャンに影響を直接受けたのがロスジェネ、最後のガラケー世代なので、それ以降、20代とかはその呪縛がないから自由だし、ただお笑い好き、お笑いマニアみたいな人が芸人になっているから頼もしい。同時に呪縛から完全に解き放たれていないから、その新しい笑いがうまく咀嚼できないでもいる。ただ、漫才かコントか論争のようにコント的なものは漫才と融合もしているし、違和感もない。これからすべてはシステマチックになっていく、すべてが管理されていく、我々はそれに従うコントの日々を送る。逸脱した存在ややりとり、現象が起きる、そのためには日常を、当たり前を知らないとギャップは伝わらないし笑えない。
原始時代、獣にやられそうになった時、泣いたり、恐怖が相手に伝わるとたちまち牙の餌食になった。だから、人は恐怖を噛み殺して、震えを転化させて笑った。その笑いを見て獣は後ずさりした、それならまだ勝負は終わらない。人は生きるために笑った。という話をどこかで信じてる。
クソみたいな時代でも世界でも、それはいつ生まれて死のうが関係ない、いつも時代や世界は理不尽で笑えなくてクソまみれだから、笑え、笑うために批評性と客観性と自尊心だけは手放すな。連想的に書いてたら長くなってしまった。


6月2日f:id:likeaswimmingangel:20210623191330j:plain末井さんの『素敵なダイナマイトスキャンダル』が映画化される時に、『素敵なダイナマイトスキャンダル』を文庫版で読んだ。映画公開時に神藏さんの『たまもの』文庫版が出たから読んで、坪内さんが亡くなった後に出た『玉電松原物語』を読んで、今回佐久間さんの『ツボちゃんの話』を読むという流れ。
映画公開時に『素敵なダイナマイトスキャンダル』と『たまもの』を読んで、小林秀雄中原中也長谷川泰子的なことなの?と思った記憶がある。『ツボちゃんの話』を読み終えて、買った積読にしていた『ストリートワイズ』を引っ張り出した。そろそろ読みどきかな。

f:id:likeaswimmingangel:20210623191410j:plain「KISS」のメンバーであるジーン・シモンズ著『才能あるヤツはなぜ27歳で死んでしまうのか?』を仕事の休憩中に行ったTSUTAYAで購入。最初はやっぱりブルースで悪魔と契約したと言われるロバート・ジョンソンから。

マーケティングという意味においては、ジョンソンは驚くことにフェンスのこちら側、つまり、私のいるほうに立っていたらしい。悪魔のイメージをまとえば、「レコード購買層やジューク・ハウスの遊び人のあいだで評判になる」ことをわかっていたわけだ。この法則には確かな効力がある。以来、私を含めた多くの音楽業界人がこの戦略にヒントを得てきた。私の「悪魔」のペルソナ。アリス・クーパーマリリン・マンソンのフェイス・ペイントや歌詞やステージ・マナー。ブラック・サバスジューダス・プリーストのイメージ作り。レッド・ツェッペリンの異教のシンボルやアレイスター・クロウリーへの傾倒。ローリング・ストーンズの示した「悪魔への共感」。すべては、同じ種の神話、同じ危うさとの戯れを示唆している。私たちの大半は超自然など信じていない。それは言うまでもないことだろう。しかしながらイメージが魅惑的であり、神秘的であり、危険なものだーー私たちのイメージは当然ながら親を震えあがらせ、レコード購買層のティーンエイジャーを喜ばせた。モダン・ミュージックのほとんどがそうだが、私たちはこの法則に関して、ロバート・ジョンソンのようなブルースマンから多くの恩恵を受けている。すべての始まりは彼らだった。

 

6月3日f:id:likeaswimmingangel:20210623191719j:plainニコラの小冊子「ニコメ」に寄稿しました。古川日出男著『ゼロエフ』に書かれている「家」について考えていたら一気に書けました。わりと今回書いたことで四月からどう動いていこうかが見えた気がします。
ニコラ10周年、コロナ禍でイベントとかできなくなってますが、今回執筆陣として声かけてもらえたのはほんとうにうれしかった。僕のエッセイのタイトルは『years』で、「家=いえ」を複数形にして適当に「いえ〜す」みたいな連想で、そこから10周年だし「years」でいいかもって思って、サカナクションの曲の中でいちばんぐらい好きな曲で、歌詞も寄稿した文章とリンクしてるから『years』にしています。ニコラでお茶しながら、「ニコメ」を購入して読むのもよい一服になるかも。

サカナクション「years」


f:id:likeaswimmingangel:20210623192007j:plain西島大介著『世界の終わりの魔法使い 完全版 3 影の子どもたち』が発売、全6巻なので折返し。「影」について描かれた3巻は「オリジナル」と「コピー」という西島さんがデビューからずっと描いてきたものでもある。フリッパーズ・ギターとかオザケンがリアルタイムだった西島さんは「サンプリング」という方法、それによる「オリジナル」なき時代になにとなにを掛け合わすという創作、n次創作について考えてきたと思うし、庵野秀明の『エヴァ』に対しての気持ちもそれらのものが関係してたんだと思う。
26年かかって庵野秀明が描いた『シン・エヴァ』の結末よりも先については庵野さんたちのことを描いた『I Care Because You Do』ですでに描いていた。プロダクションの大きさや関わる人の数も違うから一緒にはできないけど、この辺りはコミュニティに属しているかとかリア充であるとか、諸々の要素も関係してた気がしなくもない。
「せかまほ」「ディエンビエンフー」はネトフリかアマプラでアニメ化してほしいすね。


6月4日f:id:likeaswimmingangel:20210623192056j:plain松本直也著『怪獣8号』を休憩中に西友に行くついでに購入。一気読みしてしまった。「ジャンプ+」で追いかけていないのでコミックスが出るのを待つ感じだが、帯にあるように「ジャンプ+」史上最速で250万部突破したのはなんら不思議ではない。『スパイファミリー』『地獄楽』に続いてこの『怪獣8号』がこれからどう大ヒットして『鬼滅の刃』に続いていくかがかなり「ジャンプ」としても大きそう。
進撃の巨人』も終わり、アニメでは『ゴジラ S.P<シンギュラポイント>』という流れもあり、「怪獣」や「巨大化」など『ウルトラマン』や『デビルマン』的なものを現在の世界でどう描いていくのか、「怪獣」は世界規模の自然災害やコロナだってメタファーにもなっているように見える。その際、主人公のカフカが仲間たちと共に自らは「怪獣」になって、「怪獣」たちと戦うことはどういう意味をもたらすのか、それすら「特異」点であるのだから。個人的には『怪獣8号』においてカフカ以外は「怪獣」にならないほうが物語としてはおもしろいと思うので、他のメインキャラは人として人のままで「怪獣」と戦ってほしい。

f:id:likeaswimmingangel:20210623192140j:plain昨日『永遠のフィッシュマンズ』を読んだので今日は久しぶりにアルバム『Long Season』を聴きながら外に出た。ライブの動画があったので夜のリモート作業しながら大きめの音で聴いた。やっぱりこのアルバムの流れはとても好きだし、気持ちいい。

Fishmans - Long Season | LIVE 1998.12.28 @赤坂BLITZ




6月5日f:id:likeaswimmingangel:20210623192239j:plainるろうに剣心 最終章 The Beginning』を鑑賞。
漫画読んだことありませんし、今までの劇場も観たことないです。安藤くん(安藤政信)出てるから観ようと思ったのが本音。まあ、劇場版ラストで物語の最初、剣心の頬の十字傷はいかにつけられたのか、ということを描くなら僕みたいな一見さんでも大丈夫かな、と。高杉晋作安藤政信)と桂小五郎高橋一生)と豪華な組み合わせもあったけど、高杉は冒頭だけだね、話的に。
薩摩や長州なんかの尊皇攘夷掲げて明治維新後に政府の中核になっていった歴史的な人も含めて、そいつらの子孫がそのまま政府や大企業のお偉いさんとして代々権力を持ってたら、そりゃ腐りますよ、腐敗しないほうが難しい。とか観ながらつい考えてしまう。
最終章の第一弾『The Last』ですべて終わり(巴(有村架純)の弟が姉の敵として剣心に立ち向かう、みたいなことだよね、確か)、その次の本当の最後が第二弾『The Beginning』で円環の輪となるように物語が終わる(剣心が巴と出会ったことで、殺戮マシーンだった彼が徐々に人間らしくなっていく。そして巴をなぜ殺してしまったか、頬の十字傷の理由が明かされる)構成はすごくちゃんとしている。過去を扱ったからか、全体的に彩度が低く灰色がかっていた。作品からしたらプロローグだから無駄に登場人物出てこないし、ストーリーもシンプルだからわかりやすかった。
ラスト近くに「愛してる」って出てくるところがあるんだけど、江戸末期に「愛してる」って存在してたんだっけ? 「I love you」を訳すために「愛してる」ができたんじゃなかったっけなあ、と思って。それまでは「愛でる」とかで使っただけで、「愛してる」は明治維新後の近代的な想いじゃないんだっけ、まさにモダン的な。
「愛してる」ってそこにはもろに「神」がいるよね、うち祖父母が途中で改宗するまでキリスト教だけど、その概念あんまりないんだよなあ。そう、考えること自体がキリスト教っぽいのかな、八百万の神々の国だからなんでも受け入れてミクスチャーしちゃうから仕方ないかとも思ったり。と考えてたら『愛なんていらねえよ、夏』ってドラマのタイトルが好きな理由がわかってきた気がする。
『花束みたいな恋をした』を4回観たので、有村架純を今年スクリーンで5回観てる。巴ってなんで髪の毛が青いんだろう。剣心が切った分飛び散った血の対比なんかもだけど、着物に青っぽい髪の毛だとせっかく作り込んだ世界がやっぱりフィクションじゃんてなるけど、最初は感情出さないから冷たい感じをわかりやすくしたかったのかな。


6月6日
f:id:likeaswimmingangel:20210623192338j:plain

 歩行は人間の行為のもっとも簡単なものである。おそらく、茫然自失している者にせよ、新たな一歩を望む者にせよ、何処かへの出発を思う者にせよ、その最初の行為とは、この歩行ということであるに相違ない。それは、おそらくまた、人が自分の生存を自己に向かって証明しようとして行なう、もっとも簡単な、そして最初の行為であるに違いない。

 歩くというこの簡単なものの連続のなかには、どんな劇もなかった。劇を成立させるための生の現実的な動機というものが欠けていた。その生の理由を彩る、どんな人間的な意味の連鎖というものも欠けていた。まして歴史というものなぞどこにも見当たらなかった。いや、ほとんど時間とか生活というものさえ見当たらなかった。
 ただ一つ、そこにたしかに在ると感ぜられるのは、歩行の内部で次第にその度を高めてくる何かしら窮乏するものの意識であった。その意識が刻々にその精度を増す。そして、その精度が或る一定の水準に達すると、いわば自分の限度に達すると、いつも、その時その場所で、自分がただの一点の存在であるという、強い現在感に照らし出されるような気がした。偶然の、任意の一点とはいわぬまでも、裸のもの、外部の理由によって的確にされる性質とか役柄を何一つ所有していない、ただ単純にそこに在るものを、歩行の内部から発する光が照らし出すように思われた。これは明晰な、また極端な感覚の一瞬であった。
小林秀雄『地獄の季節』の「悪胤」より


秋山駿著『小林秀雄中原中也』を読み始める。上記は冒頭に引用されていたもの。
歩くことと考えること、歩行と思考。『ゼロエフ』で僕が体験し考えていたことに通じている。ただ、文章的にはかなり難しく睡魔に襲われる。気がつくと意識が飛んで寝落ちしかけるということが数度あったが、その際には女性の裸や行為のイメージなどが浮かんできた。その度に目が覚めた。しかし、なぜそのエロティックなイメージだったんだろうか、不思議だ。


6月7日
朝6時に目が覚めたのでランニング。30分近くなんとか走ってから残りは歩いた。普段使わない筋肉が走っているとよくわかる。無駄な贅肉が揺れて、そこがやけに自己主張してくる。半年続けたら12月か、そこまで続けるしかないだろうし、体力がほんとうになくなってきているからこそのランニングを。
9時からリモートワークを始めたが、そう言えば今年の健康診断の予約をしないと行けないなと思って、4ヶ月後の10月に電話して予約した。まずそこまで週に3か4回走っていたらなんとか無駄な肉を減らして体力をつけれるか。そういうことをいつも書いてはすぐにやめてしまう。健康診断で血とか調べるからコレステロールもわかるし、そのためのゲームみたいな感じでやっていこう。毎年行っているからこそ、出ているデータの数字をいかに下げるかゲーム。

f:id:likeaswimmingangel:20210623193708j:plain安田理央著『ヘアヌードの誕生』を休憩中に行った本屋で見つけて、『新潮』との一緒にゲット。これ絶対おもしろいでしょ。近代化以前以後で日本における裸体や陰毛の価値観や考え方はかなり変わってるはずなんだよな。


6月8日
f:id:likeaswimmingangel:20210623193744j:plain『猿楽町で会いましょう』を観ようと歩いて渋谷に向かっていたら、道玄坂で仕事に行く途中の燃え殻さんとばったり、ちょっと立ち話。着いてからビール飲みながら映画観ようと思ったけど、今ビール販売してなかった。次にホワイトシネクイントで観る予定の作品はA24製作『ライトハウス』だが、ポイントカードが貯まった(四回観た)から次回は無料で鑑賞できるのでうれしい。
『猿楽町で会いましょう』は若手カメラマンと何者かになりたい女の子の青春恋愛を描いた物語。撮る・撮られる関係は逆転移のように、誰かの嘘や悲しみやさしさや性欲や関係性が交差しながら二人の時間を描く。章仕立てになっていて、二人が出会うきかっけや彼女の過去なども二章で描かれていき、一筋縄ではいかない感じになっている。その見せ方でちょっとホラーというかサスペンス的な怖さが終盤に感じられる。
大切なものを失う(あるいは自分の代わりに損なう)ことで人は大人になる。刺さる人には深く突き刺さるだと思う。そういう意味では『リリイ・シュシュのすべて』や『少女邂逅』などのように誰かを失うことで人は大人になっていく、境界線を越えていくというタイプに分類できるのかもしれない。彼は彼女のことを思い出しても、彼女との日々は愛おしく大事なものとして在る種のノスタルジーみたいなものになっていくだろう。きっと、もう会うこともない、そんな予感だけ残して物語は終わる。

『猿楽町で会いましょう』観る前に燃え殻さんに会って、映画館で前の作品観終わって出てきた大倉孝二さん見かけた。映画終わって下りのエスカレーター乗っていたら上りのエスカレーターに次の回観にきたニコラの曽根夫妻が乗っていてすれ違った。その帰りに代官山蔦屋に行った帰りに家に向かって青葉台のあたりを歩いてたら撮影隊いたから、まあこの辺りでよく見るファッション誌の撮影だろうなと思って通るときにモデルさん見たら水原希子さんだった。最近ネトフリで『彼女』観たばっかりだった。偶然知り合いに連続して会う日とか芸能人見かける日とかってたまにある。そういうリンクする時間。

ユカ役の石川瑠華さんの顔つき見ていて、なんか昔見たことある感じの雰囲気のある子だなって思った。浅野いにおさんの『うみべの女の子』の映画化でも主演で主人公の小梅役なので、こちらも脱いだり絡んだりするシーンがあるのだろう。体を張るという言い方はたぶん違うのだと思うし、どちらの作品にも大事なシーンであり、『うみべの女の子』は山本直樹作品を彷彿させる「性春物語」の要素が強いので、実写化する以上はそれをなしにしてしまうとあの作品の大事なものが失われてしまう。
石川さんの笑ってるけどどこか泣いているような、その表情を見て90年代のAVの企画女優のロリ四天王と言われた人たちのことをちょっと思い出したりした。僕がメンヘラ顔って言う時の無意識化の基準って笑ってるのに泣いてるような人だなって、『猿楽町で会いましょう』を観てわかった気がする。他の人の基準は知らないけど。
そういう顔だからこそ、恋愛ドラマであるのにちょっとホラーというかサスペンス的な心境風景を感じられる作品にもなっているのかも。
石川さんwikiを見たら僕と誕生日が同じだったのでちょっと親近感。この日に生まれた有名人って丸山眞男マルセル・マルソー草間彌生大橋巨泉とかクセがすごい。


6月9日
f:id:likeaswimmingangel:20210623193825j:plain昼間の休憩で外に出た時に駅前のTSUTAYAで気になっていた若松英輔著『小林秀雄 美しい花』文庫版を購入。
夏に〆切がある新人賞に出そうと思っている作品の資料にはなるかなって思って、小林秀雄って人がどういう人だったのか気になっている。
この数日、今月末〆切の作品の登場人物表を作っている。僕は役者とかのイメージがあったほうが書きやすいので、ある意味ではキャスティングして作品に出るキャラクター同士の関係性を考えつつ、物語のある程度考えていた軸に肉付けしながら書いていくやり方があっていると思う。キャスティングだけならかなり最強。あとは肉付け。

朝ちょっと早めに起きて走ろうと思ったけど、気が乗らなかったのでリモートワークが始まるまで寝てから作業。夜は予定がなかったので18時に仕事終わってから夕方ランニングをした。週3日の「monokaki」仕事がある日は朝か夕方にランニングする感じにしたら、ちょっとはいいサイクルができそう。まず、走れなくなっているので体力をつけねば。


6月10日
f:id:likeaswimmingangel:20210623193914j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623193920j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623194152j:plain勅使河原宏という天才』特集の中の上映されている『他人の顔』をシネマヴェーラシブヤにて鑑賞。なんか先日ドミューンでこの特集してた(見てはいない)というのと、朝起きて渋谷行けば観れそうな時間帯だったの観ようと思った理由。
勅使河原監督作品は1回も観たことなくて、安部公房原作&脚本というのもシネマヴェーラのサイトで見るまで知らなかったし、原作小説も読んだことがなかった。主演が仲代達矢さんで、最近チェコの作家アンナ・ツィマの『シブヤで目覚めて』を読んでいて、そこに「仲代」というキャラクターが出てくる。日本好きの女性の主人公は『七人の侍』などが好きで、その「仲代」はもちろん仲代達矢から取られている設定だったので、渋谷で仲代だし観ようかな、という脳内連想。
座席はほぼ埋まり、二、三十代は二、三割いたか。大学生ぐらいの女の子もいた。ドミューンで勅使河原作品特集したからか、別の要因かはわからないけど、老人ばっかりじゃなくてよかった。
事故で顔を損傷した男が精神科医が作ったマスクをつけて、別人のように振る舞うのだけど、しかし、みたいな物語。実存、自分とはなにかという話なので今の時代のほうがシンクロするかも。マスクはある意味で別人格だし、アバターSNSのアカウントみたいなもんだから。インターネットが当たり前になる前に多重人格が流行ったけど、あれはSNS時代に細分化(分人化)していく世界の予兆だった気がする。SNSでわかりやすくなっただけで、個人のなかにはいろんな自分がいるし、相手によって違う面があるから多面体じゃないほうがおかしい。
映像の見せ方もカッコよかったし、精神科医平幹二朗さんの声と透明な診療室とあっていた。最後のあの群像は流れていく無個性とそれを遡る固有性みたいな感じだけど、他人の顔になった男の実存として最後の行動は物語の終わりにはありだけど、そんなことでは無名性から逃れられないしただ袋小路に陥るだけなんじゃないかな、と思ったり。小説版はたぶんラスト違うんじゃないかな、明らかに映像的な結末に見えた。帰りに文庫版を買って帰った。


6月11日
f:id:likeaswimmingangel:20210623194006j:plain園子温総監督『東京ヴァンパイアホテル』が今までアマゾンプライムのみの配信だったのですが、先月末からゲオでレンタル開始されたらしくサンプルを日活さんから送られてきた。
脚本クレジットしてもらっている四巻と五巻だけだったので、一から三巻がないよ~と思ったけどアマプラで見ればいいのか。これは最初に配信されたドラマ版なんだけど、一から三巻ぐらいの内容を映画版にしたバージョンが存在している、園監督によるディレクターズ版というか。それは一度東京フィルメックスで上映されていて、そのバージョンもアマプラで配信している。そっちはレンタルしてるのかどうかわからないけど。
今をときめく森七菜さんの女優デビュー作品が『東京ヴァンパイアホテル』だったりして、最初に見たときにこの美少女誰だ?と思ったら一気に天辺近くへ駆け上がっていきましたね。
脚本の二次使用料の振込先を教えて下さいという連絡もあったけど、四話分だけど、監督と脚本ヘルプ入ってくれた方がいるのでそれぞれ三人クレジットされているので三等分されるとしてもそこまでの金額にはならないだろう。でも、いただけれるだけありがたい。


6月12日
f:id:likeaswimmingangel:20210623194054j:plainTOHOシネマズ渋谷にて菅田将暉主演『キャラクター』を鑑賞。
日付が変わった時にチケットをネットで取ろうとしたら全然繋がらなかったが、『シン・エヴァ』の新しいバージョン&劇場特典が付く初めての土曜日ということで回線がパンクしていたっぽい。
SEKAI NO OWARI」のボーカルであるFukaseが映画出演ということもあり、漫画について描かれたものなので興味があった。内容は売れない漫画家・山城(菅田将暉)が殺人事件の目撃者となり、その殺人犯・両角(Fukase)をモデルに漫画を描いてヒットしたら、というもの。山城の妻の夏美は高畑充希、事件を追う刑事のコンビの上司の真壁(中村獅童)と部下の元ヤンらしい清田(小栗旬)の五人がほぼメインキャストという感じで展開していった。
ちょっと懐かしい気もするサイコサスペンスものでもあり、謎がすごいとかではないけど猟奇殺人を扱っているので血が飛び散っていたりして、最近こういう作品観ていなかったなと思った。
主人公が漫画家であるため、漫画という要素が大きく、また同時に映画など映像にするときには画になるのが大きい。かつては作家といえば小説家だったが、今は漫画家だ。もちろん売上や影響力や人気を考えれば日本の出版業界を牽引しているのは漫画というジャンルであり、同時に若い世代にとってもイメージができるクリエイターなのだと思う。
このところ、漫画家を主人公にしたり、出てくる映像作品がたくさんあるのはそれらの要因が大きいのだろう。小説家だと今どき原稿用紙に書いている作家はほとんどいない(稀にいるが超ベテランのプロ作家ぐらいで、新人でそういう人は聞かないし、基本的にその原稿を渡されると誰かがPCで結局打つ作業が出てくるので、そのスタイルが認められていない人以外はまず原稿を受け取ってもらえない)し、PCに向かってキーボードを打っている姿は映像的に画になりにくいし、動きがほとんどない。漫画は絵というものが、作品の内容を示唆していたり、関係していたりするので非常に有効だ。
終わり方はなぜ両角がそんな殺人鬼になったのかを深堀りせずに終わっており、自分って誰だ?みたいな問いを投げかけるようにぶつ切れな感じでエンドロールになる。2時間ほどの上映時間だったが、両角を深堀りする時間はなかったのかもしれない。スタッフロール見ていたら企画に「川村元気」ってあったので役者とかいろんな座組に納得した。 


6月13日
f:id:likeaswimmingangel:20210623194206j:plain野呂邦暢著/岡崎武志編集『愛についてのデッサン 野呂邦暢作品集』の最初の一編を読む。先日の映画帰りにかったもので「野呂邦暢」という作家についてはまったく知らなかった。夭折した小説家の方で芥川賞を受賞している人らしい。
筑摩書房ちくま文庫はわりと過去の作家を再評価というかリユースして新しくパッケージすることで新しい読者に届けようとしている。ブコウスキーもそうだったし、その際には表紙を開けた帯のしたに僕が行った際に撮影したブコウスキーの墓の写真が使われたが、これらの作家は権利問題で浮いていたり、あまり遺族がうるさくない人だったりするのかもしれないが、表紙を変えて新しくすることで届かなかった人や、知らなかった人には届くものになる可能性はある。
KADOKAWAだって、戦前と戦後ではまるで違った出版社になったけど、二代目角川春樹の時代になってから横溝正史のかつての小説をリユースしてなおかつ角川映画としてメディアミックスしたことで新しい時代を作ったりした。
『愛についてのデッサン 野呂邦暢作品集』は表題作にもなっている古書店の店主である佐古啓介が主人公となった短編がまず6つあり、その1つを読んだだけだがかなりおもしろかった。これは時代を変えると難しいかもしれないが深夜ドラマとかの元ネタにして映像化とかできそうな気がする。風景描写は登場人物の内面を表していたりするものだが、映像的な部分がかなりあって、画が浮かびやすいんじゃないだろうか。
内容もセンチメンタルなものもあり、時代を選ばずに読まれそうな短編だなとも思うので、リユースという形で復刻させた岡崎武志さんという編集の方がかなりセンスあるんだろう。


6月14日
朝から晩までリモートワーク。
職場の全体メールでコロナのワクチン注射の希望日が来ていた。渋谷で受けるとなると二つ候補があり、一回目を受けてから期間を開けて二回目の日程も一緒にセットされていた。こういうのはありがたいのだが、結局副作用とかわからないけど、打っておいたほうがまだかかりにくくなるのだから、打っておいたほうがいいんだろうなと思って希望日を記入して送った。
今の所リモートワークだから、候補のうち片方は出社する形になるけど、その日は仕事になるのだろうか。一日は平日でもう一日は土曜日だった。ということは土曜日だと副作用とか出たら土日が潰れる。どちらになってもいいですよという返信にはしておいた。もう、向こうに任せて、来いと言われた日にワクチン接種をしたほうが気楽な気がする。


6月15日f:id:likeaswimmingangel:20210623194308j:plainヒューマントラストシネマ有楽町にて、ホン・サンス監督『逃げた女』を鑑賞。ヒューマントラストシネマ渋谷には月に1回か2回ほどの頻度で行っているが有楽町ははじめてだった。場所も有楽町駅真ん前だし、1回でも来ていれば絶対に忘れるような場所ではないので、上京してから19年で一度も行っていないはずだ。
ホン・サンス監督作品は『夜の浜辺でひとり』『それから』を劇場で観ているだけなので今回で3回目。すべて、監督の公私にわたるパートナーであるキム・ミニが出演している。彼女は『お嬢さん』で知ったので、それで彼女が出ている映画ということで『夜の浜辺でひとり』を観たんだと思う。
正直なことを言うと今回も含めて全3回鑑賞した際に、全部途中で寝てしまった。大きな出来事が起きないということもあるのかもしれないが、どうも僕はキム・ミニが誰かと話しているのを観ていると睡魔に誘われてしまう。おそらく十分か二十分程度寝てしまっている感じなのだが、物語が大きく動いているようには感じられない。今回は主人公が夫ガルスの5日間に先輩などの知人を3人訪ねていくというものだが、1人目が終わる頃から2人目が始まってちょっと間だと思う。2人目の先輩のところに詩人が尋ねる前には起きていた。
タイトルの『逃げた女』というのは主人公のことなのか、訪ねていった彼女たちなのか、いろんな解釈ができそうな作品である。キム・ミニの表情や仕草には吸い込まれるように見てしまうのだが、そのうち安心してしまうのか寝てしまう。とても不思議だ。


f:id:likeaswimmingangel:20210623194438j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623194507j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623194458j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623194519j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623194453j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623194512j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623194524j:plain映画が終わってから次の予定がる豊洲ピットに行くまで時間があったので、いっそのこと有楽町から豊洲まで歩けるかスマホで確認したら、ほぼ一直線で1時間もかからずに歩いていることが判明したので歩こうと思った。途中で月島を尽きっ切る形になるので、ついでに晴海埠頭と付近の東京五輪の選手村がどうなっているか見てこうと思った。
そんなわけで上記の写真が現在の東京五輪選手村。元旦に神田川沿いを歩いて柳橋から隅田川沿いを歩いて晴海埠頭に行って以来なので、約半年ぶり。警備が厳重になっていたし、気持ちあたりの雰囲気がキリキリしているように感じた。正月同様にゴーストタウンのままだったけど、自転車でもあれば銀座まで20分もかからないだろう。そう考えると五輪出場選手がコロナ禍でなければ、銀座とかで飲み食いしたり、買い物をできたんだろうなと思うが、今やそれも無理になっている。石原慎太郎都知事時代から東京五輪招致反対だったけど、このまま行けば強行して、無理やりな感動を押し付けて選挙で勝っていろんなことをごまかすことしかあいつらは考えていないだろう。

『ウィンターバケーションEP 2021』 元旦に歩いた際の写真などはこちらから。

f:id:likeaswimmingangel:20210623194818j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623194830j:plain晴海埠頭からも20分もかからずに豊洲ピットに到着。いつもライブに行っている青木と待ち合わせだったが、早めに着いたのにすでに到着していた。
スタンディングではなく、イスが置かれており各自の場所も決まっていた。イスは30列ほど、一列に50席ぐらいなのでたぶん1500席、スタンディングなら倍の3000人は入れていると思う。酒も出せないのでコーラにした。
ライブが始まるとファーストアルバムからフォースアルバムへ、そして新曲という感じに発表順で披露された。ZAZENBOYSは最高なんだけど、やっぱり立って酒を飲みながら踊りたい、のだけど。あとはそれだけだ。
2010年以降で間違いなく、ライブを一番観ているのはZAZENBOYSだ。この10年はずっと「This is 向井秀徳」のリズムに揺れてきた。これからもゆれてゆれていきたい。


6月16日f:id:likeaswimmingangel:20210623194857j:plainアンナ・ツィマ著『シブヤで目覚めて』読了。
チェコの作家であるアンナ・ツィマさんは村上春樹著『アフターダーク』を読んだことで日本文学に興味を持ち、大学で日本文学を学び、在学中には日本の大学に留学をして、現在は東京を拠点としたチェコ語作家として執筆と翻訳に取り組んでいる作家。
物語は「現在、チェコにいるヤナ」と「渋谷に来たことでこのまま帰りたくないと思ったことで分裂したもうひとりのヤナ」の章が交互に展開していく。
「分裂したヤナ」は渋谷から出ることもできず、幽霊のように誰かに声をかけても届きもしないし、その姿も他者には見えない、というそんな状態で過ごしている。チェコで日本文学を研究しているヤナは「川下清丸」という作家を知り、自身でも翻訳して彼について論文を書こうとするのだが、「川下清丸」は日本文学から存在がほとんど消えている謎の作家だった。そして、「分裂したヤナ」は渋谷で「仲代達矢」似の「仲代」とあだ名をつけたバンドマンに惹かれて彼の行動を追いかけるようになっていく。
この小説を読んだことで村上春樹作品が世界に届いているんだなっていうことと、村上春樹作品は「構造」があるから翻訳されても世界に届く、いや、「構造」飲みが届いているというのを昔大塚英志さんの本で読んだような記憶があるんだけど、それを改めて考えた。まず、「チェコ」編と「渋谷」編という二つの場所(あるいは分裂した主人公のA面とB面)で進めていく展開は懐かしい『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を彷彿させる。そして、この小説でいちばん重要なのは実際には存在しない小説家である「川下清丸」であり、『風の歌を聴け』における「デレク・ハートフィールド」に通じている。勘がいい人なら物語の概要を読んだだけでわかるんだろうけど、僕はわりと途中までそういうことを完全に忘れていた。
村上春樹を知ったことで日本文学に興味を持った少女がやがて、村上春樹の小説にある「構造」を用いながら書き上げた小説がこの『シブヤで目覚めて』であるだろうし、また、現実と夢(虚像)、チェコ語と日本語、母国語と外来語、小説と翻訳、などの著者の中にある事柄がA面とB面という二層に表出されながら、やがて「川下清丸」と「仲代」によって繋がっていく。
村上春樹フォロワーの作家として見ることもできるので、村上春樹ファンは好きなんじゃないだろうか、逆にハルキストだとイラつく可能性もあるが。村上春樹作品が翻訳されて外へ出ていったことで蒔いた種が咲いたという感じもする。

プラハからシブヤへ。アンナ・ツィマの軌跡(前編)


6月17日
f:id:likeaswimmingangel:20210623194951j:plain発売をたのしみにしていた阿部和重著『ブラック・チェンバー・ミュージック』が出ていた。川名潤さんの装幀もカッコいい。まだ読んでいないけど、色々含めてニコラス・ウィンディング・レフン監督作品と通じるところがありそうな。


f:id:likeaswimmingangel:20210623195014j:plainハーモニー・コリン監督『ビーチ・バム』をヒューマントラスト渋谷にて鑑賞。緊急事態宣言のせいで都内では公開していたが観れなかった作品でもある。やっぱり、観ておかなきゃなって思って。
主人公の詩人・ムーンドッグが最高。スヌープ・ドッグもほぼ本人みたいな役で出てきてた。ムーンドッグの妻が大金持ちって設定なのもあるんだが、やっぱりアメリカの金持ちは日本とはレベルは違いすぎて、出てくるものや家とか船とかパーティーシーンとかが本物やんってわかる。
自由に生きているムーンドッグだったが、ある一件でホームレス状態になってしまうけど、そこでもビールもドラッグもセックスも、犯罪じゃんみたいなことしまくってるけど、ひたすらタイプライターを打ちまくって詩を書いていた。根っからの詩人だった。
コロナによって不条理がよりあらわになった閉鎖的世界にいるから、余計に彼の自由で破壊的で開放的でありチャーミングさにやられる。酒にドラッグにセックスに音楽に詩。最後の花火とあるものが燃えて空から舞い散るシーン、詩人にそんなものはいらないのだ、と。酒とドラッグがあればいい。猫も連れて行ってたのもよかった。ほんとうにムーンドッグは最低で最高で最高だった。


6月18日
朝から晩までリモートワーク。途中休憩でニコラ行って一息。東京都はまん延防止等重点措置に移行する21日から2人以内、90分以内なら酒類の提供はOKというニュースを見た。まったくこれだったら前からこれでよかったし、集団で来なければ問題はないし、ひとりで飲む人だっていたし、それだけでも飲食店は助かったのに。もう、都内はふつうにみんな外で飲み始めてるし、飲食店も酒出している。コロナはそうそうワクチン打ったからといって終結するとは思えない。政府が信用できず、まともな答弁も説明もしないのであれば、勝手にやるしかない。東京五輪見たら文句言ってても感動する人はいるだろう。我が家にはテレビはないし、見る機会も興味もないからいいのだけど、これから秋にかけて何が起きてしまうのか怖くもありちょっとたのしみだ。何が崩壊して終わっていくのか、見届けはしたい。
ゴジラ S.P<シンギュラポイント>』も最終回を迎えたが、「特異点」となるもので世界は終末を迎えるのか、あるいは再生するのか、ということを描いたが、今の日本の「特異点」ってなにになるのだろうか。

f:id:likeaswimmingangel:20210623195104j:plain『パンケーキを毒味する』試写状が届いた。
「パンケーキ政権」ってあるけど、小麦粉からの連想で『シンセミア』と『ラーメンと愛国』が浮かんでくる。結局アメリカの傀儡政権なんだから、といつも思ってしまう。A級戦犯岸信介巣鴨プリズンから出さずにおけば、安倍政権も誕生してなかったんだろうけど。最近政治ドキュメンタリー増えてきたけど、逆にテレビではできなくなってきてるんだろうな。

f:id:likeaswimmingangel:20210623195129j:plain数日前にブックオフに行った時に見かけた単行本が気になったが、文庫版が欲しいと思ったのでAmazonで頼んでした森博嗣著『喜嶋先生の静かな世界』が届いた。森さんの自伝的な小説らしいので読むのがたのしみ。


6月19日
f:id:likeaswimmingangel:20210623195218j:plain村上春樹著『女のいない男たち』収録『ドライブ・マイ・カー』を再読。この短編は濱口竜介監督によって映画化され、8月20日には公開される。
批評家の佐々木敦さんが試写を見た感想をツイートしていたので、気になってまた読んでみようと思ったのだ。内容はほぼ忘れていたので、新鮮に読めた。
先月には村上春樹さんの『象の消滅』『めくらやなぎと眠る女』という海外で出された短編集の逆輸入的な作品集を、自分の短編を書くための勉強というか、参考にしたいと思って読んでいた。今作の『ドライブ・マイ・カー』もそうだが、僕は村上さんの短編集のリズムがかなり好きだ。まあ、もともと短編小説が好きになったのは、彼が訳したレイモンド・カーヴァーだし、そういうこともあるのだろう。
映画版は3時間もあるらしく、短編(原稿用紙80枚ぐらい)をどうやってそこまでの作品にしたのか、ということについて佐々木さんが書いていたけど、イ・チャンドン監督が『納屋を焼く』を映画化した『バーニング』に近いものがあるらしい。その時点でクオリティがかなり高いのは期待できる。
映画版の『ドライブ・マイ・カー』は濱口竜介監督が、原作の短編にある構造と骨格、作品の基本設定を用いながら、自分が描いてきたテーマや描きたかったものをそこに入れ込んで新しい作品にしているという。これはかなり期待ができそうだ。また、『バーニング』同様に映画が村上春樹への批評的な側面があるというのもすごくいい。映像化するなら本来はこういうことなんだが、そういう作家性を発揮できる機会は大きな枠組みの中でやっていると難しいだろう。
カンヌ国際映画祭にも出品されているそうなので、金獅子賞の可能性もゼロではない。だが、僕は思うのだけど、もし、映画『ドライブ・マイ・カー』が金獅子賞を取ったら、ほんとうに「ハルキ・ムラカミ」の時代は終わるんじゃないだろうか。すでに「ポストムラカミ」として海外では村田沙耶香さんと川上未映子さんの評価と期待値がかなり上がってきている。そう考えると金獅子賞みたいな世界的な賞を『ドライブ・マイ・カー』が取ってしまえば、大きな物語としての「ハルキ・ムラカミ」は終焉して、次世代へ完全に移り変わるきっかけになるんじゃないだろうか。思い過ごしかもしれないが。
文春から『猫を棄てる』で父親とのことを書いてしまったから、作家としてはもう書くべきことは残ってないからもしれない。あれは出さないほうがよかった気はする。村上春樹があえて書かないことで現れてしまっていた「父」という存在との関係性や距離感や思いは読者もわかっていただろうし、そのことをあえて書かないことで小説を書けていたということはあったんだろうけど。となるとこれから残された時間でどんな長編を出すのかというのは気になる。ピンチョンだってこの間翻訳されて出た『ブリーディング・エッジ』を76歳の時に書いているし。

寝る前に『まっちゃんねる』をTVerで観てしまった。「女子メンタル」でもかなり笑ってしまったが、「イケメンタル」で山田孝之さんのど等の攻撃で笑いすぎてしまった。久しぶりに家で声を出して笑ってしまった。
僕はツボにハマるとひき笑いのようになってしまう。しかし、この番組はアマゾンプライムでの『ドキュメンタル』のパッケージをTV用にしたものだが、このパッケージを考えてフジテレビでやれるというプロデューサー的な資質が「お笑い芸人松本人志」という存在がずっと頂点に入れるという事に繋がっている。プレイヤーであり、プロデューサーであることでしか勝てない世界にどんどんなっていってはいる。そう考えると山田孝之という役者もそのふたつの顔がある。


6月20日

f:id:likeaswimmingangel:20210623195348j:plainかつてのこと、今に続いているもの。例えば、未来について何かを託そうとして、伸ばそうとして、前に前になにかを4つ進めようとしても2つしか進めなかったりしたとして、その時に進められなかった2つをどうするか。未来に進めないのであれば、あるいは演算が不可能であれば、過去へその2つに伸ばす、演算させる場所を求めるという考えがあるとして、その点は現在から見ればマイナス2だとしても未来へのプラス2があるから点の幅は4つになる。その幅のことを考えたいと思うようになってきた。
過去のことを知ることは、いなくなった人のこと知るのは、その幅を増やすことなんじゃないか。ということをこの本を途中まで読んで考えたりした。


f:id:likeaswimmingangel:20210623195414j:plainスパイク・リー監督『デイヴィッド・バーン アメリカン・ユートピア』をホワイトシネクイントにて。
なぜスパイク・リーがこれを撮ったのかは観ると納得しかなく、いつかこの舞台を生で観たいと思わずにはいられない。
気になっていたが、観れていなかったのだが、「古川日出男のむかしとミライ」の中で古川さんが『アメリカン・ユートピア』について書かれていたのもあって、観といたほうが絶対にいいなと思った。朝9時からの回だったがほぼ満席だった。ホワイトシネクイントが入っているパルコは11時開店なので、映画が終わって数分後にオープンしたので一階へだけ繋がっているエレベーターを使って地上に出たらオープン待ちの人がめちゃくちゃいた。
ミュージシャンが曲を作って録音して世の中に出してから、ライブなどでプレイすること。詩や小説を書いて書籍になったり、どこかで発表するとほとんど場合はそれで終わる。だが、朗読をすることはミュージシャンがライブでプレイすることとかなり近しい。古川さんの朗読や朗読劇を観てきた僕は古川さんが自分のサイトで書かれたことの意味がわかると思えた。

古川日出男の番外地】#3 アメリカン・ユートピア


映画館に向かうときから右の横腹から背中にかけて鈍痛がしていて、映画を観終わってから家に歩いて帰っている時はもっとその痛みが重くなってしまった。なんとか家に帰って、靴を脱ごうと靴紐を脱ごうとすると右側のほうが前にほとんどかがめない。ギリギリ手が届いてなんとか靴を脱いで部屋に上がって寝転んだら、さらに痛みがやってきて寝転ぶだけでも体勢次第ではかなりいたくて脂汗が出る感じになった。
1、2時間ほど横になったけど、痛みはそこまで引かなかったので無理して家から10分ちょいのドラッグストアに行ってフェイタスの湿布を買ってきた。ネットで色々調べると肝臓やすい臓系の病気か、肉離れか、いろんな症状が出てくるがどれだか検討がつかない。もしかするとこれがぎっくり腰の可能性もある。明日になって痛みが引いてなかったら、病院も考えないとダメなのかもしれない。寝る前に『まっちゃんねる』で笑いすぎたせいでなっているとしたら、お願いだからすぐに治ってほしい。


6月21日
腰は最悪だ。起き上がるのも大変だし、右腰後ろを殴られたような痛みが動きの際に訪れる。ほっといてもどうにもならないだろうと思い、朝いちで近くの接骨院に向かう。どうやら内臓系の病気ではなさそうだ。だが、ソックスも履けないし、ひつ紐も結べないほど腰が曲がらない。しばらくは通いながら、少しずつ痛みが取れていくのを待つしかなさそうだ。
といえど、朝と晩リモートワーク。床に敷いた座布団に足を伸ばして座って、ベッドに背中をつけて、透明で床に座っているぼくの胸辺りの高さになる机にPCを置いて作業をしている。おそらくこの体勢のせいで年々蓄積していた腰への圧などが痛みになって爆発したみたいだ。イスはあるが、2000円もしない木のイスだが、これに座って本棚化している机で作業をするしかなさそうだ。
寝ても起きても痛みのせいで動きたくないが、動かなくても痛い。これだと集中力は続きにくい。月末の執筆作業がかなり困ったことになってしまった。


6月22日
f:id:likeaswimmingangel:20210623195557j:plain日曜夜に右腰の後ろ側が半端なくいたくなって寝転んでも痛いし、起き上がろうとしても痛いし、前屈もできないからソックスも履けないし、というなんだこれっていう状況になった。いろいろ調べると尿管結石とかもありえるし、親父そういうのやってたしなあと不安になった。月曜起きてから家の近所の整体に行って診てもらったら、内臓系の問題というよりは普段からの姿勢の悪さとかで骨格のズレとかが徐々に高まって爆発したらしかった。
今日も朝起きて一番で整骨院に行き、可動域を広げてもらって電気を流してもらったらかなり動きやすくなった。靴紐は結べないのでずっと履いている紐を結ばなくてもいいスニーカーを履くしかない。ソックスはまだ無理だ。もちろん太っているせいで余計にそれらを難しくしているのもわかっている。いろんなことにガタがきているのを知らんぷりしていたせいだろう。まずは、腰の痛みを治してから、その辺りを改善しないと生活がしにくくてしょうがない。
三宿整骨院から歩いて下北沢へ。歩くのはできるけど、力の入れ方とか重点を間違うと右腹後ろ側をグーパンされたような重い痛みが走る。大便する時も最後に拭く時はかなりの地獄である。便座に座ったままならギリギリ拭けるが、体の曲げ具合で時折グーパンを喰らうので悶絶する。


f:id:likeaswimmingangel:20210623195613j:plain下北沢のトロワ・シャンブルで編集者さんと打ち合わせをしていて、整骨院終わっても遅く歩いていっても時間があるだろうと思って、残りわずかに残っていた『僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ』を持ってきていた。編集さんが来るまで読もうと思ったのは、この本には下北沢が何度も出てくるし、生前の佐藤伸治にゆかりのある地だからだ。
30分近くは早く着いたのだが、編集さんも迷子になるかもしれないと早く着いたのでほとんど読書はできなかった。編集さんと話をはじめたら柄本明さんが来て隣の、窓があるほうの一角で新聞を読みながらコーヒーを読んでいた。下北沢の柄本明三軒茶屋古田新太。住んでいたり、その町によく来る人であればもはや見慣れている光景だが、久しぶりに見た。
編集さんと一時間ほど話をして、今後のこと色々考えないとダメだなと思ったのだが、まず腰を治さないと文章書くのも大変。やっぱり体が資本だ。

歩いて三茶に戻ってきてから買い物とかして、ご飯を食べてから『僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ』を最後まで読み切った。僕は2002年に上京してきたので、90年代の渋谷の風景は知らない、渋谷系にもハマったことがない(ゼロ年代後半に出会った人たちはその影響下にある人が多かった。この本には黒幕こと長谷川さんの名前もあるし、前に一度『文藝』のインタビューをさせてもらった坂上さんの名前もある)けど、ここで書かれている著者の川﨑さん自身がフィッシュマンズと関わることになり、佐藤さんが亡くなるまでのその9年のドキュメンタリーは渋谷という街の変容とCDが一番売れた時代を克明に描いている。
フィッシュマンズはベストアルバムが出てから聴いていたが、めちゃくちゃハマったわけではなかった。ただ、ceroを聴くようになってある種の先祖返り的に聴くようになったこと部分もあった。
マーク・フィッシャー『わが人生の幽霊たち』が出た当時に、ヴェイパーウエイブなんかのワードとともに、90年代日本ポップスがアメリカなど海外で高い評価をされているという話があり、フィッシュマンズのライブ盤『男達の別れ』がベスト100に入っていたのを見たのがなにげなく聴いていたのに、意識的に聴こうと思ったきっかけだった。
日テレで『スタンド・バイ・ミー』『グーニーズ』が放送され、かつて小学生時代に見ていた僕らの世代が親となり、子供と共に見ていたというのもSNSで見た。『ストレンジャー・シングス』の大ヒットと世界的なコンテンツになった背景には、それらの80's映画がベースにあり、後期資本主義とグローバリズム化した世界に明るい未来は想像できにくなり、誰もが戻りたいレトロ・フィーチャーとして80's的なもののリバイバルはあったんだと思う。近年になり80'sと90'sの日本のポップスがアメリカで受けていた理由も、その頃のアメリカはどん底であり、当時の日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」でブイブイいわせていた。つまり、逆説的に見るとその頃のアメリカからすればその日本のポップスは「ここではない何処かで鳴っている楽しい可能性に満ちた」音だった。それが現在の最低な世界ではない、もしもやり直せたら「あの頃」に鳴っていてほしかった、鳴っていたかもしれない音楽であった。という考え方ができる。
フィッシュマンズは佐藤が健在でそのまま続いていれば、アメリカでも成功していたかもしれない。だが、時代性とは関係なくカッコいい音だから、この数年でアメリカで再発見されたというほうが正しいのかもしれない。日本ポップスの再評価もありつつ、そこに孕まれる形となって。
『Long Season』は本読む時に好きでBGM的に流しっぱなしにしてる。僕がこの数年好きで聴いている向井秀徳菊地成孔関連の音楽と共通しているとこがけっこうある気がしている。


6月23日
朝起きると8時半だった。8時前には家を出て渋谷のオフィスに向かっていたはずだったのだが、ちょっと寝過ごしてしまった。起きようとすると腰に重い痛みが、わずかだが徐々に治ってきていると言っても、体勢や体の軸の方向、力の入れ具合で右腰の後ろに鈍い痛みがくる。このせいで熟睡は遠く、寝ては起きてを繰り返したせいで一度目が覚めたのに目覚ましを止めて、また寝てしまっていたようだ。
一ヶ月以上出社していなかったが、今日は午前中にコロナウイルスのワクチン接種の第一回目がオフィスが入っているヒカリエであり、2日候補日があったが早いほうである23日に回されていた。会社での大規模摂取の初日なので、おそらく混み合うだろうなと思いながら、渋谷まで歩いていく。
始業開始は10時からだが、9時半にはたぶん着くだろうといういつもよりはちょっと遅い歩みだった。ときおり、腰が痛くなるのでいつ右手で右腹の後ろを抑えてしまい、腰が痛いという無言のアピールをしてしまう。
会社について1時間ほど業務をして、集合時間にヒカリエの集団ワクチン摂取に指定されている階にいくとエレベーター前にすでに長蛇の列ができていた。自分がいる部署の人は見当たらず、こんだけ人いても知り合いがいないというよそ者感はあったが、会社が大きいし、東京だけではなく近隣の県などからもおそらく来ているのだろう。帰り際にスタッフらしき人が、今日だけで2000人ぐらい来ると言っていた気がする。夫婦だったり、ベビーカーを押している人もいたから、家族分は出ていたのかな。でも、親世代みたいな人はいなかったし、まあ、夫婦で社員だったりしたのかな。赤ちゃんには打たないだろうし。
その階にはワクチン接種に来た人たちをスムーズに進めさせる動線がしっかりできていた。待っている間に渡された記入用紙を部屋に4人ずつぐらいで入って記入し、検温しメールで送られてきたそれぞれの摂取番号を確認してもらい、4箇所ほどパーティションでわけられた場所でお医者さんに書類の再確認とワクチン接種についての質問などができた。打った日よりも翌日のほうが腕がだるかったりなど症状が出るらしい。対応してくれた先生も2日目のほうがだるかったですね、と言っていた。そこでOKが出ると違う部屋に入り、10箇所ほどパーティションに分かれたところに呼ばれたら入ってワクチンを打ってもらう。痛みはほぼなく、あっという間だった。
注射が終わると書類に第一回目の摂取したワクチンのメーカーなどが書かれているシールが貼られ、その時間から15分後の時間を書いた付箋が貼られた。もう一箇所の第二回目が空いており、次回約一ヶ月後に持ってきてくださいといわれた。住んでいる世田谷区からはワクチン接種のクーポンみたいなものは届いていないが、それが来たら送るようの封筒(折りたたむと封筒になる紙)も渡されているので、今後の区からの対応にもそうやって対処することでワクチンを無駄にしたり、一人が何度も打たないようにしていた。
さらに隣の部屋ではワクチンを打った人たちが待機していた。さきほどの付箋は接種後15分後という意味であり、その時間になるまでは一旦待ってくださいということだった。その間になにか起きれば対処するということだ。僕は痛みもなく、とくになにもなかったので面するガラスの向こうに見える原宿方面には目もくれず、スマホで読まないといけない仕事上の文章をひたすらスクロールしていた。

昼前に渋谷を出て、家に帰ってリモートワークで作業を続けようと思ったら、かなりの大雨だったので書店に寄り道もせずに電車に乗って三茶まで帰った。駅すぐのTSUTAYA梅崎春生著『ボロ家の春秋』の中央文庫が出ていて、帯にこの間読んだ『愛についてのデッサン』の著者の野呂邦暢の名前があったので手に取った。野呂のペンネームは梅崎春夫の作品の登場人物から来ていると解説にあった。こういう導線で今は読まれなくなった作家をリユースして知らなかった層に届けようとしている姿勢はすごく正しいし、素晴らしいと思ったので購入して家に向かった。その途中も雨が振っていたのでなんとか濡れないようにPCや文庫が入ったトートバッグの口の部分を脇で強めに挟んで隙間を作らないようにして進んだ。腰がやばいので滑ったら怖すぎるので慎重に歩いたのでかなり濡れてしまった。でも、文庫も大丈夫だった。第二回目の摂取まではたぶんリモートワークのままだろう。

今月はこの曲でおわかれです。
black midi - Full Performance (Live on KEXP at Home)



古川日出男著『ゼロエフ』刊行記念の大盛堂書店さんのオンライントークイベント有料配信中(配信期限は6月末日予定)です。まず単行分の『ゼロエフ』を読んでもらえれば、と思います。
去年夏の国道6号線と、晩秋の阿武隈川を同行させてもらったことについて古川さんとお話させてもらってます。

Spiral Fiction Note’s 日記(2021年4月24日〜5月23日)

水道橋博士のメルマ旬報』連載「碇のむきだし」

ずっと日記は上記の連載としてアップしていましたが、5月からは「碇のむきだし」では短編小説(原稿用紙80〜100枚)を書くことにしました。そのため、日記というか一ヶ月で読んだり観たりしたものについてものはこちらのブログで一ヶ月に一度まとめてアップしていきます。


4月24日f:id:likeaswimmingangel:20210522225841j:plain萩尾望都著『一度きりの大泉の話』読了。

「花の24年組」や少女漫画版「トキワ壮」としての「大泉サロン」というカテゴライズやジャンル分けをしないでほしい、という当事者の声。デビュー当時の人間関係とその過去の出来事と記憶、そこから繋がる現在について。

知ってるつもりの歴史が変わっていく。いやあ、これは萩尾望都竹宮恵子をメインとしたドラマや映画は絶対に無理だわ、ちょっといつか朝ドラとかにしてほしいって思ってたんだけど。もし、できるとしたら当事者が亡くなったあとに親族が許可出してどちらか一方の方を元にしたものじゃないと話にもできないなって読み終わって思った。

素晴らしい創作者はその作品ですべてを語ってきているわけだけど、しかし、その人物がある時代を作ったり代表するとして、双方というかひとりではなくふたりであったりするとややこしくなってくる。まず、それぞれの主観がある。その一方が書いた個人史や手記はそのジャンルにおいてはある種正当な歴史書とされやすい。もう一方がそれを認めていなかったり、なにかで仲違いしてしまっていると間違いなく総合性は取れない。というか主観同士のぶつかり合いになるので同じ出来事でもズレや違う記憶になっていたりするのが普通なのだけど。

竹宮さんの『少年の名はジルベール』をすでに読んでいると、よりその断絶というか溝の大きさにびっくりする。そして、さらに話がややこしいのは増山さんという人物がいることだろう。「花の24年組」や大泉サロンと呼ばれるカテゴライズの時には切っても切れない存在であり、竹宮さんのある種ブレーンのようになった人でもある。
萩尾さんはある時期に竹宮&増山コンビに距離を取られるような出来事が起こり、それ以来竹宮作品を一度も読んでいないし、『少年の名はジルベール』すら読んでいないと語っている。そして、噂だけが回り、その甘い蜜を運ぶのは編集者や関係者であり、より物事が複雑化していってしまったようにも思える。

今回出版されたこの本は、もうわたしに「花の24年組」「大泉サロン」「少女漫画革命」や竹宮恵子先生について、ドラマ化や映画化したいとか聞いてこないでください、わたしは関係ありません。という意思表示であり、そのことを50年近く封印していたのに、『少年の名はジルベール』が発売されてから周りがどんどん騒がしくなったことへの抗議でもあった。

僕は「PLANETS」のブロマガで連載中の『ユートピアの終焉――あだち充と戦後社会の青春』(あだち充論)であだち充さんが「少女コミック」にいた時代のことを調べるために、『風と木の詩』や「ポーの一族」シリーズなどを読み返したり、少女漫画史みたいなものを読んで参考にしたけど、この『一度きりの大泉の話』が出たことで「少女漫画史」についての語られ方はこの先どうしても変化してしまうだろう。

萩尾望都作品は「少女漫画」であるが、「BL」の始祖ではなくもっと「SF」の側で語るような流れに今後はなっていくのだろうか、ご本人的にはそちらが希望だろう。明らかにこれを読むと萩尾さんは竹宮さんや増山さんや集まってきた漫画家志望や友人たちが美少年やゲイの関係性に萌えていたけど、その少年愛的なものには興味がなかったのもわかるし、「SF」が大好きで、そういう話をできる人はあまりいなかったという話もしっかり書いている。
両雄並び立たずというか。萩尾&竹宮の関係性をこうやって読んでみると同じ小学館でほぼ同時代か少し遅れてデビューした「少年サンデー」が誇る2大巨頭となったあだち充高橋留美子の関係性は最高だったんだなと改めて思う。


4月25日f:id:likeaswimmingangel:20210522230328j:plain      
 ノンフィクションの取材をしていると、人間の記憶はあてにならないことを痛感する。時系列の順番を間違えることはもちろん、自分の都合の悪いことは忘れる、あるいは記憶を書き換えることも少なくない。また、思い込みによる事実誤認もある。こうした場合に厄介なのは、本人に自覚がないことだ。人に説明を繰り返すうちに、間違った事実関係が頭に強く刷り込まれて、しっかりと定着していることもある。
田崎健太著『真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男』より

去年の夏、古川日出男さんの福島県での歩行と取材に同行した際に、メディアによく出ていると震災やその経験などを話をすることに慣れてしまって本人がその物語通りに語ってしまう、あるいはメディアが求めたフォームに沿ってしまうという話があった。そういうこともあって、できるだけ二時間以上は話を聞こうということになった。そのぐらい時間をかけて話を聞かせてもらって、ようやくふと本音であったり、それまで話していなかった言葉が相手から出てくることがあるからだ。
『ゼロエフ』にはそうやって聞かせてもらった本音だったりはあえて書かれていなかったりはする。それはとても個人的なことやメディアに乗せるべきではない思いや気持ちだったから。聞いたということは書けるけど、その内容については書かないという判断だった。
人前で話す機会が増える人は、話すことである意味で内容が整理され取捨選択され(相手が望むものや自分が言いたいこと守りたいこと)、それを何度も言い続けると記憶は書き換えられていく。たぶん、ほとんどの人がそういう立場になると起こりうると思う。
自分ではなく他人が言っていたことを自分が言ったことと記憶するようなことが起きる。そのため、当事者同士の話を聞いていくとズレや差異が出てくる。思い込みや思い間違い、誤解や誤認は時間が経てば経つほどにほどけなくなってしまう。『一度きりの大泉の話』と『少年の名はジルベール』を読んでみれば、同じ大泉サロンで起きたことだと思えないように。 


4月26日
朝から晩までリモートワーク。14時ぐらいに休憩で銀行に行ったら人がかなり並んでいたので諦めた。
朝から晩までradikoオールナイトニッポンとTBSジャンクの番組を聞き返していたけど、途中から元テレ東の佐久間さんのオールナイトニッポンの昔のものをYouTubeで聞き返すことにした。
ゲストが極楽とんぼの山本さんだけ(加藤さんはインフルで休み)とか千鳥の二人がゲストとか、テレ朝の加地さんの時とか。佐久間さんがもともとラジオ局入りたかったというのもあるんだろうけど、ほんとうに話すのがうまいし、時事ネタに合わせたトーク力がすごい。聞きやすい声の質ってあるんだろうし、自分に合う合わないというのもあるよね。


4月27日f:id:likeaswimmingangel:20210522231456j:plain起きてから洗濯機を回して、ほんとうは昼過ぎから予定していたことが緊急事態宣言で一旦なしになったので、どうこの休日を過ごそうかなと考えていた。休業になっていない本屋で近くにあるところだと代官山蔦屋書店なので散歩がてら歩く。なんだか歩いて近づいていくとどんどんこんな時だから高い本を買いたいという状態になった。
GWで唯一たのしみにしていたライブ「MATSURI SESSION」(NUMBER GIRL × ZAZEN BOYS)が開催中止(無観客有料生配信に変更)になってしまった。来週以降にはチケ代が返ってくるので(しかし、8,800円のチケがもろもろ手数料とか取られまくってほぼ1万って、前から思ってるけどどうかしてるぞ)その金額とほぼ同じになるピンチョンの『重力の虹』上下巻を購入した。約一万円。いい買い物だ。紙袋に入れてもらうとずっしりとした重さがある。GW中に読めるとは思わないがどこか家に置いておくだけでお守り感。この期間で読めるとは思えないが、この手の本は勢いがないと買えない。
ピンチョンはなんか読んでいると最後に辿り着く前に諦めてしまう。脳味噌が沸騰してしまうというか、知識が足りなさすぎてついていけなくなる。そういう意味でもうまくギアチェンジができない、ピンチョンの書くものに僕がうまくハマらないのか、と思うがこういうものは慣れでもある。
とりあえず、5月〜10月は執筆モードに入るつもりなので、SNSは宣伝モードにしていこうと思う。この半年間かけて途中で読むのを諦めたものも含めてピンチョン読んでみるつもりだったけど、5月末には新刊『ブリーディング・エッジ』が出るのでそちらもたのしみ。

昼過ぎから読書を始めていたら、一通のメールがきた。
自分でも少し思っていた事柄で、こちら側としてもすごく申し訳ない気持ちになったりした。メールして送る方がきっといろいろ考えたのが伝わるので、より思いが伝わってきた。これがひとつの大きな転機とかきっかけになるのだろうか。きっかけにしたほうが僕にはよいということだけはわかった。

ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』は毎回エンディングのコラボ相手を変えてきてほんとうに凝ってる。『コントがはじまる』『今ここにある危機とぼくの好感度について』と今クールは最後まで追いかけたい作品がたくさんあるからうれしい。
五月から十月ぐらいまではまずは体力つけて基礎しっかりやらないとたぶん来年以降ヤバそうな予感がする。半年は集中しよう。コロナ禍だから停滞期なのかどうかがわからないのがネックだけど。


4月28日
「PLANETS」のブロマガで連載中の『ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春』最新回が公開。

 今回は『H2』の第四回(最終回)は主人公の国見比呂とライバルの橘英雄について。超高校級選手である国見比呂と橘英雄は高校時代に『COM』に投稿した漫画が掲載され佳作になったあだち充でもあったんじゃないか、ということなんかを書きました。この同時期に『COM』に投稿作が掲載されていたのがのちに『風と木の詩』を描く竹宮恵子さんだったりする。
このあと長期連載は『KATSU!』『クロスゲーム』なので終わりが見えてきた。最後まで行ければ、『QあんどA』になるのだけど、『KATSU!』以降は兄のあだち勉さんが病気になって亡くなるのでその気配が作品にも出てくる。
死んだ兄の幽霊と共に過ごす『QあんどA』という作品で漫画の世界に自分を引っ張ってくれた兄とのお別れをしたからこそ、『MIX』に行けたみたいな流れが軸になっていくのかな、と思う。

f:id:likeaswimmingangel:20210522230535j:plain休憩中に銀行に向かっていると、少し前を歩いている女性がまったく同じスニーカーを履いていた。男女で違うとしたらサイズぐらいなものだが、間違いなく同じなのがソールの裏側とかが足が上がる時に見えるのでわかる。こちらは後ろにいて見ているが、女性はもちろん後ろに同じスニーカーが歩いているとは思っていない。少しだけ追い越す時に目線を女性がいる右側ではなく左側の斜め四十五度ぐらいを見ながらガシガシ進んだ。その女性が同じだと気づいたかどうかはわからない。
あと、この「スペースヒッピー」というサスティナブルなスニーカーは、ナイキのスニーカーの廃棄になったスニーカーのソールを元に再構成したりしている。たまたまピンク色だけど蛍光の黄緑みたいな感じもいいなと思って購入して、去年の阿武隈川沿いはこれで歩いた。このカラーリングって『エヴァ』のマリと8号機だよなって最近気づいた。


4月29日
朝から雨が降っていた。人は水でできているし、水を放出して飲み込むことができる。たとえば、セックスは入り口と出口、一本の管である人間がそれらの先端をいじったりこすったりして性的な興奮と熱を感じ、汗も唾も精液も尿もそれらの体液が溢れ出て濡れる。そのことは体が触れ合うとより他人であることを感じさせ、肉体をなめらかに滑らせていく。
管と管による熱の放出とともに水分を、液体を放出して、いつか涸れる。滑らなくなっていく。雨が濡らす世界は輪郭が少しだけボヤけていくから、どこか心地良くて芯をとらえないほうがいいのかもしれないと感じる。
雨はずっと降っていて、日が変わる頃にも強くつよく降っていた。ただただ濡らしていく。この日、たまたま避妊リングをしているという人と少し話をしたのだけど、そういう知識はなかったのでとても新鮮だった。そもそも排卵が止まるのだという。なにか示唆的なものがあったような気がするけど、それがなにかはまだわかっていない。

f:id:likeaswimmingangel:20210522231059j:plainハオ・ジンファン著『1984年に生まれて』読了。
思いの外読むのに時間がかかった。どうしてか読んでいるとその世界にうまく入れずに異様に眠くなってしまったことが何度かあった。
主人公の軽雲が父の沈智がロンドンやアメリカに渡って、会いに行ったところぐらいから少しずつ内容にシンクロし始めることができた。もともとこの小説を勧めてくれた友人は僕が大叔父で初生雛鑑別師の物語を書こうと思っていたことを知っていたのもあったから、オススメしてくれたんだと思う。その大叔父もアメリカとイギリス、最後は北アイルランドに渡って日本には帰ってこなかった。その参考にもなるんじゃないかと思ってくれたのかなと少し思った。
この作品では娘と父それぞれの対照的な生き方と中国という国の変化を、それぞれの物語が交差していく描き方をしている。そして「自伝体」小説と書かれている意味も、帯に「ジョージ・オーウェル1984』は、ありうべきもう一つの結末である」ということも最後まで読むとわかるのだが、正直そういう終わりである種SF的な形にしているのは、そこまで好きじゃないなと感じた。

たぶん、僕が好きな次元や空間を越えるものだと『インターステラー』的なものであり、日本において漫画でそれをやっているのは浅野いにおさんの『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』だと思うのだけど、確かにそれらは絵的に映える方がやりやすいものでもある。
となると僕が大叔父をモデルにして一度書いたがうまくいっていない『Spiral Fiction Notes』も複数形にしているように大叔父と主人公の僕の代わりという二世代を描こうと思っていた。
小説でやるならそのほうがやりやすいのだというのもこの作品は示していたようにも思えなくもない。しかし、やっぱりこの形式でやると歴史的な背景をかなり調べた上でどこをフィクションにするかしないか、使うか使えないかを慎重に考えないといけないから大変だ。


4月30日f:id:likeaswimmingangel:20210522231215j:plain昼過ぎに休憩時間をちょっとオーバーしてしまったけど、歩いて往復して蔦屋代官山に行って宮台真司著『崩壊を加速させよ 「社会」が沈んで「世界」が浮上する』を購入。冒頭の「アピチャッポン・ウィーラセタクン論」を読むと「森」がキーワードになるみたい。園子温作品も何作品か取り上げられている。園作品には『愛なき森で叫べ』というまさに「森」がタイトルについているものもあるが、こちらは書籍では取り上げられていない。この本で取り上げられている作品は八割方観ていた。

劇場で観てずっと余韻を残してくれた『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』も長い論考で書かれているのでたのしみ。黒沢清監督との対談と、ダースレイダーさんとの対談も追加収録されているのもけっこううれしい。版元のblueprintは「Real Sound」のメディア運営しているのもあって、菊地成孔さんといい、宮台さんといい、僕が気になる映画評を書いている人の書籍が出ていて、きちんとウェブでの連載が書籍という形になっているなと思う。

今日見てつい笑ってしまったAVのレヴュー↓

色白で形が良く、ハリも形も申し分ない素晴らしいオッパイ!
でもさー…なんでパイズリねーの?忘れちゃったの?
パイズリのこと、忘れちゃったの?
ねぇ…何で?何でパイズリないの?
彼女のスタイルをみたら、マストでしょ?パイズリ。
マストパイズリでしょ。
ねぇ何で?簡単なことでしょ?〇〇(←男優名ですが伏せます)。何で?何で出来ないの?
しっかりしてよ。もう男優長いでしょ。
アンタ、twitterに地下アイドルみてーに「欲しいものリスト」掲げてるけどさ。
俺はパイズリが欲しかったよ…。でもお前は俺にくれない訳じゃん。パイズリを。美巨乳を前にしてパイズリすらくれない男優がさ、世の中にむけて「プロテイン」やら「ワイヤレスイヤホン」やらおねだりしてさ。恥ずかしい事だと思うよ。俺はね。
タトゥー彫りなよ「パイズリ」って。
上腕二頭筋に。もう二度と忘れないように。

「タトゥー彫りなよ「パイズリ」って。」というキラーワード。これをドラマ『コントがはじまる』に出演している仲野太賀が言っていたらめっちゃおもしろいしハマるんじゃないかなって想像してしまった。それと「パイズリ」って言いたいだけかと思えてくると余計に笑ってしまう。


5月1日
f:id:likeaswimmingangel:20210522231615j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210522231627j:plainニコラの10周年目だったのでお店へ。ショップカードも新しくなっていた。通常営業はせずにお店の常連さんたちとのんびり過ごす。時たま皿を洗ったりとヘルプ。樋口一家は来なかったけど、きちんとお花を出していて、樋口さんエラいと久しぶりに思った。
いろんな人と話もできたし、身内だからこそのアットホームないい時間を過ごせた。


5月2日f:id:likeaswimmingangel:20210522231728j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210522231737j:plain先日、「e-hon」で頼んでいた田島昭宇著漫画作品集『Baby Baby』を渋谷の大盛堂書店に取りに行っていた。起きてから読み始める。
基本的には90年代後半に発表されたものなので大半は過去に読んでいたものだった。絵のカッコよさや描かれているものにどこか懐かしさも感じるのは、田島さんが巻末に収録されているインタビューで答えているように当時の映画などからのインスパイア的なものがあるからなんだろう。

発行者が「株式会社小学館クリエイティブ」の三上信一さん。「PLANETS」で連載している『ユートピアの終焉――あだち充と戦後社会の青春』でも『タッチ』の二代目担当編集者でもあり、あだち充作品に何度も出てくるのが三上さんである。『タッチ』編は全部で5回書いたので、三上さんにはメールで送って読んでもらった。その方が発行者に名前があるのはどこかうれしい。
田島さんには「水道橋博士のメルマ旬報」で連載していた「岩井俊二園子温の時代」でイラストを描いていただいた。毎月大船の居酒屋で描いてもらったイラストを受け取りに行って、そのままお酒をご一緒させてもらってファン冥利に尽きまくったこともあった。ほんとうにありがたかった。田島さんは『魍魎戦記MADARA』連載時からのファンなので30年近く読ませてもらっている。今回小学館から出たということもあるので、新作も小学館で連載したりするのかもしれない。新作を待ってます。

f:id:likeaswimmingangel:20210522231821j:plain16時から20時までニコラ のヘルプだったが、15時前にユカさんからラインが来て、燃え殻さんが来てるから早く来れたらおいで、と言われたので少し早めに家を出た。
お店に行くと10周年のお祝いの花を持ってきた燃え殻さんと音楽ライターの兵庫さんがカウンターにいらしていた(よく考えたら燃え殻さんのデビュー作『ボクたちはみんな大人になれなかった』文庫版の解説は兵庫さんだった)。オープンまでの一時間ほど話をして、お二人は帰って行った。
燃え殻さんの次に出る小説の装幀の話をしていたら、それに関わっている人がニコラ のお客さんだったこともあって、いろんなつながりや縁も感じた。その後にお店という場があるこその奇跡みたいないい再会の場面に居合わせてもらえた。ニコラの2人もほんとうにうれしそうでよかった。


5月3日
宮台真司著『崩壊を加速させよ 「社会」が沈んで「世界」が浮上する』の続きを読んでいると『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』の論考に入った。

1.社会が没人格的なシステムのマッチポンプとなり、言葉と法が支配する社会がクソ化する。
2.すると、相対的快楽しかない社会から、絶対的享楽がある世界への、離脱願望が生じる。
3.離脱後に世界から社会を視る再起的視座にとって、社会が奇蹟として現れる。
4.但し無条件ではなく、社会の軌跡化には、「視線の邂逅」が象徴するエロスの膨縮が必要。
5.言葉と法が支配する社会で、祝祭が消え、性愛が「視線の邂逅」の唯一の依代となった。

『ア・ゴースト・ストーリー』は特に3.を焦点化します。「妻の存在」→「妻と場所の記憶」→「妻と場所が確かに存在したという事実」、移行した幽霊男の視座が、社会を奇蹟として再起的に捉え、昇天します。ただし4.にあるように、妻との間の「視線の邂逅」が、再起的視座に於ける社会の奇蹟化の条件を与えます。かくして本作が名状しがたい感動の由来が理解できるようになりました。

以上の引用箇所と「社会」から「世界」への移行(社会からの幽体離脱)や時間軸の変化を考えることができると書かれている。
映画公開時にはそこまで考察できていなかったが、宮台さんの論証を読んでいるとあの作品に描かれた深さと空間や時間の長さとその視座がわかる気がしてくる。とはいえ、もう一度観ないとやはりその感触は掴みにくのかもしれない。

また、宮台さんは90年代に援交のフィールドワークだけではなく新興宗教のフィールドワークをしていて、その際に「齢を取らない人々」を目撃した話をこの『ア・ゴースト・ストーリー』のところで書いている。
40代に見える人が実際には60代とかの人たちを見て、当時の宮台さんは「輝きを諦めないからだ」と考えていたが、現在ではその先まで考え、彼らが諦めない理由は、世界の時間を生き、社会の時間を生きていないからだと推測しています、と書かれていた。
例えば、芸能人やメディアに出る人は出れば出るほどに見られていくことで輝きが増したり、見られるような顔つきになっていくから若々しいのだと思っていた。それもあるのだろう。だが、上記にあるようにそもそも彼岸であり、あの世でもあると言える「芸能界」は、社会の時間ではなく、世界の時間を生きるしかないから「齢を取らない」「取りにくい」状態になっていくのかもしれない。
そして、老いることができなくなっていく、若さに価値を求める世界ではその一般と芸能に差はなくなっていき、多くの人が「社会の時間」を生きていないとも言えるのかもしれない。


5月4日
 と、一気に話は飛ぶが、先日、仕事で「君が死んだあとに」という、戦後の新左翼運動に関するドキュメンタリーを見た。休憩を挟んで、実に3時間以上の作品だ。
(中略)
 映画の内容とか、僕が戦後の新左翼運動に関してどう考えているか、なんていうことに興味がある人なんかいないだろう。だからそこは端折るが、僕がこの作品で一番驚愕し、感動したのは、大友っちの音楽である。
 それは、大友っちのヴォイスである、ノイズギターから始まり、ゆったりしたマーチのような、アンセム的な音楽が被り、どんどん高まってゆく。というものだった。
(中略)
 同じ映画館では「花束みたいな恋をして」という映画のポスターが貼ってあった。当代の名脚本である坂元氏(誤解なきように、と念を押さずとも、この坂元氏は坂本龍一氏ではない)と僕は、夜電波とこの作品を通じてエールの交換と、実質上の軽いシェイクハンドした格好になった。この経緯の詳述は割愛するが、要するに僕は恋愛映画の中の、風俗的な小道具として採用されたということである(この作品から、OSTの依頼は来ていない。当たり前だが笑)。
菊地成孔の日記 2021年4月26日 午後5時記す>より

 

f:id:likeaswimmingangel:20210522232353j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210522232403j:plain『きみが死んだあとで』『花束みたいな恋をした』と続けてユーロスペースで鑑賞。

上記で引用したように菊地さんがブロマガの日記に書いていて、そうか『きみが死んだあとで』も大友良英さんが劇伴なのかと思って、四回目になるけど続けて、大友良英劇伴繋がりで映画を観てみた。
『きみが死んだあとで』はたしかに冒頭と最後の方でノイズギターが走るのがカッコよかったが、内容は重いものでもあった。

1967年の第一次羽田闘争で亡くなった18歳の青年を取り巻く人びとを取材し、激動の時代の青春と悔いを描いたドキュメンタリー。
1967年10月8日、当時の佐藤栄作内閣総理大臣南ベトナム訪問を阻止するための第一次羽田闘争。その中で、18歳の山崎博昭が死亡する。死因は機動隊に頭部を乱打された、装甲車に轢かれたなど諸説あるが、彼の死は若者たちに大きな衝撃を与えた。
山崎の死から半世紀以上、彼の同級生たちや当時の運動の中心だった者たち14人が語る青春の日々とその後の悔恨。彼らが年齢を重ねる中、山崎だけが18歳のままという思いの中、あの熱い時代はいったいなんだったのかが語られていく。監督は「三里塚に生きる」「三里塚イカロス」の代島治彦。(映画.comより)

山崎博昭の兄である山崎建夫のインタビューが冒頭少ししてから始まる。
博昭が生まれて大阪の大手前高校に入学するまでの流れを兄の話や写真で構成し、高校からは同級生である詩人の佐々木幹郎などのインタビューから彼が京大に入り、第一次羽田闘争に向かって弁天橋で亡くなったまでの流れを描く。

上と下と3時間近くの作品は分かれている。全学連山本義隆など当時の学生運動に関わった人たち、博昭の同級生たちも現役で合格したものたちは一緒に羽田へ向かって彼の死をすぐ近くで見ていたり、行動をともにしていた者たち、浪人して翌年に彼の仇を取るような気持ちで学生運動に参加していくものなど、それぞれの人生と安保闘争など学生運動の話が展開される。
学生運動を支援しており、核物理学者で反原発運動も支援していた水戸巌の妻で水戸喜世子の話もなどもある。このあたりは少し陰謀論的なものも入る、それは確かなことはわからないけど可能性は否定できないということも含めて監督が話を聞き出して作品の中で結びつけていたようにも思えた。博昭は当初新聞報道では仲間たちが奪った車に轢かれたとされていたが、その現場を見ていたものたちは警官たちが警棒で後頭部を何度も打ち付けていたのを目撃していたことのに関わらず、死亡は諸説あることになっている。
また、反原発活動をしていた巌は息子二人と登山に向かったが三人とも転げ落ちてきた岩によって穴が空いたテントの隙間からするりと落ちて滑落してしまったことが死亡の原因とされているが、巌は警察からも、いや国家権力から目をつけられていた存在(反原発運動をしていたことで家にも嫌がらせの電話などは当たり前にあったようだ)であり、山に入る際にも山岳警備隊にも挨拶をしており、許可を取らないと入れない山であったことから妻の喜世子さんは警察(国家権力)によって3人が亡き者にされたという疑念を抱いているのがインタビューからわかる。そういう部分も一概に権力がそんなことを、なんて思う人のほうが少ないだろう。
実際にやっていてもなんら不思議ではない。権力というものはそういうものだから。「三億円事件」も実は警察内部の息子が犯人だというものは、当時の学生運動をしていた大学生を根こそぎ検挙するためだった(あるいは事件は実際にあったが警察はそれを利用した)という説などもあるが、正直国家というものから暴力を任されている警察権力は公務員であるが、時と場合によっては法を越えてなにかを都合よく解釈したり動かしたり、あるいはそのときの政権や中央にとって邪魔な存在を消していても今更驚きようもない。

インタビューでも語られているが学生運動は過激になっていき、内ゲバによって大衆からも支持が得られなくなって自滅していった。詩人の佐々木幹郎は彼自身が活動を止めたときの話で、この先はどう考えても行き場を失ったものたちは内部で衝突し始めて朽ちていくだろう、運動が終わるのは考えればわかることだったと言っていた。
また、なにかで読んで文章から、佐賀やどこか九州の船乗りについて誰かが書いたエッセイを引き合いにして運動が成功しなかった理由を答えていた。そのエッセイに書かれているのは漁に出る船の船先の頭の部分か一番うしろの部分に元漁師だが体が動かなかったり目が見えていない、もう漁には使えない老人を座らせておく。老人は座っていくだけでなにもしない。
漁師たちがどんどん漁を進めていくが、時折老人が「もう少ししたら嵐が来る」と言えば、漁網を引き上げて陸へ帰っていく。そういう役割がいなかったことが問題だった。学生運動は当時年齢がいっていても30手前から10代後半の若者であり、どんなに偉そうなことを上がいってもそこにはさほど世代の差もなく、知見も社会というものがどういうものか知らなかった。そんな老人のような人がいたなら変わっていたのかもしれない、と。
ドキュメンタリーで語る彼らはその輝かしい時代について嬉々と話す人もいるし、山崎博昭の死を未だに抱えてこのインタビューまでずっと自分が学生運動に関わっていたことを話してこなかった人もいた。彼の高校の同級生であり、学生運動を経験したあるものは実家を継ぎ、あるものは教師や弁護士となり、あるものはライターや舞踏家になった。そう、かれが死んだあとにも彼の彼女の人生は続いていた。

『花束みたいな恋をした』は四回目であり、今回は大友良英繋がりで観たが、土曜日には菅田将暉有村架純コンビが主演しているドラマ『コントがはじまる』が放送されている。そのドラマでは映画『花束〜』同様に二人のナレーションが入り、物語の重要な場所としてファミレスまでが重なっているのである。
また、火曜日には映画の脚本を書いた坂元裕二の書いたドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』も放送されているため、「ああ、『花束〜』観たくなってきた」モードに陥ってしまうのだ。
劇場は左右一席ずつ空けてだったがかなり埋まっていたように見えた。カップルで来ている人たちもたくさんいたが、別れたら菅田将暉有村架純を見るたびに思い出すぞ。花の名前を女の子に教えてもらうとその花を見るたびにその女の子のことを思い出すと絹(有村)が言っていたように。あとは劇中で麦(菅田)と絹が一緒に映画を観に行くのがユーロスペースだったので、 ある意味聖地。なんだかんだ最後のファミレスのシーンはうるっと来てしまうのは四回ともだけど、あとは「なつかしい友達」に会うような感じでもある。

この夜に放送された『大豆田とわ子と三人の元夫』は前回で主人公のとわ子(松たか子)が社長を引き受けた際の話があったが、今回は30年来の友人であるかごめ(市川実日子)が裏主人公的に物語は進んだ。
かごめは「社会では当たり前にされているルール」がわからない、納得できないから社会に適応できない話をしている。複雑な家庭環境で育ったことが明かされるかごめはその後、幼少期に描いていた漫画を改めて挑戦しようとする中で、とわ子が「社長」になったことについて語り始める。

とわ子が社長をやっていることはとても凄いことで、あなたみたいな人がいるだけで、小さな女の子が私も社長になれるって思えるんだよ、と。

もう、この時点で坂元裕二は次の時代を見据えて明らかなメッセージとテーマを持って、しかも遊び心満載のプロデューサーと共にテレビドラマを作っているということがほんとうに素晴らしいことだと思う。
そして、恋なんかなくて一緒に住むとかだったらいいのにな、と言っているかごめはそういう関係における事柄が窮屈であり、それ故に彼女に好意を寄せても誰もその恋が成就することはないのだ。その恋に破れたひとりがとわ子の最初の夫の八作(松田龍平)であり、おそらくそのことにとわ子はこの時点では気づいていない。

あと二番目の夫の鹿太郎(角田晃広)に恋人のフリをしてほしいと言ってきた女優の古木(瀧内公美)がいるが、その演じている瀧内さんは『花束〜』で麦と絹が出会う明大前の終電が行ったあとに一緒にカフェバーみたいなところに行くサラリーマンとOLのハンドクリーム塗ったあとすぐにおしぼりで手を拭いた人として出てたし、ミスiD出身の穂志もえかも同様に映画もドラマも出演している。
あとは麦と絹の愛猫であるバロンは黒猫だけど、どんどん大きくなるとほんとうに二人の間にできた隙間というか重ならなくなった想いの体現のようで、黒猫という存在はやはり映像では圧倒的に映えるし、その意味を観たものの中に植え付ける。
コロナによって大作が公開延期などもありつつも、オリジナル脚本で大ヒットし、緊急事態宣言が発令されても、まだ劇場で公開されている今作は、たまたまだが4月クールに放映されている『コントが始まる』『大豆田とわ子と三人の元夫』との相乗効果も出ているんじゃないかな。


5月5日
朝起きるが、そのままグズグズしながら何度寝をしていたら昼になった。数日前に首から背中につながる筋をひねったらしく、痛い。
夢の中で菊地成孔さんが出てきた気がする。前の日に買っていた外付けHDにMacBook Airの容量食いまくっていたiTunesのデータを移行して、前に使っていた別の外付けHDの中に入ったままの音楽データも移行してみたが、どうもファイルが消えていたり、時間がかかりまくったのもあって無駄に疲れていた。
初期の菊地成孔DCPRGのアルバム二枚が名前はあるのに音源データがなくなっていたりしてショック。それで出てきたのかな、夢に。でも、PCの残りストレージが3GBになっていたが、データを移行したので 残りが50GBになったのでようやくOSをアップデートした。したら、なんかアイコンとか変化して違和感。

f:id:likeaswimmingangel:20210522232708j:plain今月の「ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春」では『冒険少年』を取り上げるので久しぶりに再読。こどもの日に読むにはよかったかもしれない。
あだち充の描くノスタルジーは大人を再生させるための装置である」ということを感じた。たぶん、これが今回書くテーマになると思う。しばらく脳内で書くことを考えていく。

f:id:likeaswimmingangel:20210522232757j:plain緊急事態宣言における禁酒法時代となった2021年の日本で禁酒法時代を舞台に描いたフォークナー作品を読むことは、ある意味で正しいと思う。途中止めになっていた『サンクチュアリ』を引っ張り出して最初から読み直し始めた。


5月6日f:id:likeaswimmingangel:20210522232813j:plain休憩中にニコラに行ってコーヒーとガトーショコラをば。

 

f:id:likeaswimmingangel:20210522232849j:plain兎丸愛美さんの写真展のDMは先日届いた(郵便の人が持ってきてくれた)時に雨が降っていて少し濡れてふやけていたが無事に乾いて表面が凸凹にならずに済んだ。
写真展は今週土曜日からだけど、土日は混むだろうから平日となると月曜日と火曜日が神保町画廊は開いてないので行けるとしたら木曜日かなあ。


5月7日f:id:likeaswimmingangel:20210522232948j:plain2日続けて朝夜とリモートワーク。休憩中に駅前のTSUTAYAで文芸誌『新潮』を購入。古川日出男さん連載『曼陀羅華X』を読むためだが、今号は哲学者であり小説家として活躍している千葉雅也さんの中編『オーバーヒート』が目玉として掲載されているが、同時に彼が『ことばと』創刊号に寄稿した短編『マジックミラー』が川端康成文学賞を受賞したので、そちらも掲載されていて、「千葉雅也フェスティバル」かと思うような表紙になっていた。

仕事終わってから、社会学者・開沼博さんによる古川日出男著『ゼロエフ』評と上田岳弘さんによる月末発売予定のトマス・ピンチョン著『ブリーディング・エッジ』を読んだ文章を読んだ。
開沼さんは6号線を歩いた際にお話を聞かせてもらったけど、ここで書かれた「消化」というワードは確かに年々、福島をめぐる際に意味合いが変わってきたものだなと思った。
『ブリーディング・エッジ』は9.11を前後とした作品であり、ITが大きく関わってくるということで、上田さんが適役だなと思ったし、文章を読んでいると今までのピンチョン作品の中ではいちばん馴染みのあるというか知っている世界(時代)っぽいので少しは読みやすいのかもしれないと感じた。今月のたのしみのひとつだ。
曼陀羅華X』は翌朝起きてからゆっくり読むことにした。

Zazen Boys / Soil & Pimp Sessions - Kimochi / Cold Beat May,3 2021


こんなコラボがユーチューブにアップされていて、友人の青木が教えてくれた。


5月8日
寝すぎた。起きてから体重計に乗ると体重が人生でマックスになっていた。さすがにこれは、やばい。炭水化物を抜いていくしかないか。代謝が落ちているとなると筋トレをしつつ、カロリー消費を落とすしかない。といつも思うが年々痩せなくなっていっている。

MacBook Airに接続しているHDに入れ直した音楽データ(iTunes)が一部消えていたりしたのは自分の転移の仕方のミスだとわかった。一部のどうしても入れておきたいものはレンタルしたり入れ直すしかない。どうもスポティファイとかストリーミングはどうも苦手。

荒木優太×仲俣暁生×矢野利裕『文芸誌と文芸批評のゆくえ――新人小説月評における「削除」をきっかけに』聞きながら夕方からのリモートワークの作業。


矢野さんの的確な流れや補足(人生においてあらゆる人間関係を修復してきたので、と最後の方に言っているせいか、確かにドーンと構えていて頼もしかった)、荒木さんは話しているのを初めて見たがかなり話し方がポンポンと進んでいってちょっと江戸っ子っぽいというか、思考と喋りが弾むような感じで人間としても可愛がられる、好まれる人なのだというのもわかったし、意志もしっかりしていてすごく好感を持った。
年齢がふたりよりも上な仲俣さんがふたりとは違う距離感であり、文芸に関わってきた年長者として話を聞いているような感じで非常によい三人のトークだった。

岸政彦さんに関しては僕も荒木さんたち同様に小説よりも社会学的なエッセイのほうが文学的でおもしろいからエッセイのほうが好きだ。小説は装幀とかは非常に売れる感じのいいものばかりだけど、小説を読もうという気が年々しなくなっている。それは彼への文芸の世界への多大な期待とかも含めて感じられてしまうからだろうか。そこを一気にまくっていっているのが千葉雅也だという気もするが。
確かに最後に話も出ていたけど、フェミニズム問題が語られる現在では壇上にいる三人全員が男性ということは、アフタートークでも話に出たがかなり難しい。イベントに登壇してと頼む際にも、相手との関係性もあったり、断る断れないとか、この辺りは今いろんな現場で起きている。このイベントは今後も継続してほしいな。

f:id:likeaswimmingangel:20210522233237j:plain上記のイベントの発端となった『文學界』の新人賞の選考委員でもある東浩紀さんの『ゆるく考える』文庫版が出ていた。この本はほんとうにいい本だと思う。
あと仕事で新人賞を調べていたら、「文學界新人賞」の選考委員が「青山七恵東浩紀金原ひとみ長嶋有中村文則村田沙耶香」の六人になっていて男女比が半々になっていた。そして、メンツがつええ。


5月9日
『今ここにある危機とぼくの好感度について』


渡辺あや脚本のNHKドラマの3回目をオンデマンドで見る。僕世代が影響をかなり受けている映画のひとつが『ジョゼと虎と魚たち』であり、その作品の脚本家として渡辺さんはデビューした。
元々は岩井俊二監督のサイト「円都通信」ないでのシナリオ募集コーナー「しな丼」(現「プレイワークス」)に応募したことが縁で『ジョゼ虎』を担当することになった。僕も「プレイワークス」に応募して、その作品を映像化に向けてやっていたことがあった。僕以外の人もおそらく「しな丼」から世に出た渡辺さんに憧れていたし、一番の出世頭だった。
その後に関わった『約三十の嘘』『メゾン・ド・ヒミコ』『天然コケッコー』『ノーボーイズ、ノークライ』『ワンダーウォール劇場版』は劇場公開時にリアルタイムで観ている。『合葬』は未見だが。テレビドラマは基本的にはNHKとそのキー局の作品を描けていて、室生犀星の短編を元にした『火の魚』、阪神・淡路大震災から15年後の神戸を舞台にした『その街のこども』、コシノ三姉妹の母をモデルにした朝ドラ『カーネーション』、レイモンド・チャンドラーロング・グッドバイ』を日本に置き換えた『ロング・グッドバイ』、大学学生寮をめぐる寮の学生と大学側の対立を描いた『ワンダーウォール』、芥川龍之介が上海に渡ったさいのことを描いた『ストレンジャー〜上海の芥川龍之介〜』がある。

今回の『今ここにある危機とぼくの好感度について』は大学を舞台に描いているので、『ワンダーウォール』で描いたものの精神的な続編とも言えるし、より大学という場所を描きながら、現在の日本における板挟みになる人(政府と大学や大学と民間や諸々)や、表現の自由や利害関係による忖度をうまく物語に組み込みながら描いている。もちろん、NHKで放送するため、できるだけわかりやすい表現ともなっていて、高齢の人にもわかるように、いや、今の世界ってこういうことが起きていますよと伝える役割もしっかり担っているように感じる。そして、やっぱりおもしろい。きちんと金があるところがこういう作品を作っていることはきっと正しいのだろう。だが、同時にそれを他の局ではなかなかむずかしいというのも今の不景気を体現している気もする。

第3回は表現の自由を問題にしている。あいちトリエンナーレにおける問題をフィクションの中でうまく使いながら描いているのはさすが。そして、総長が会見で取る行動とその発言への責任を取るという姿勢は今の国会や政治家にはまったくないものであり、なにかの長であったり、役職についている人は発言すること行動することについてしっかり責任を取らねばならない。
ただ、前首相である安倍や現首相の菅、森だけではないが今の日本の偉いとされるような人たちは責任を取りたくなくて、自分の都合の良い方に法律すら変えて、自分の発言によって辻褄を合わせるために下の者たちが現実や数字を歪めていく。この時代において、発言と責任がセットにならない人物はいかがなものか?と問いかけているようでもある。ただ、「自己責任」という失敗したら即ゲームオーバーな世界では誰も失敗できず、したとしてもそれをなかったことにする。それは首相だけではなく僕ら一般人においてもその意識が蔓延している。
失敗をすること、その失敗を受け溶ける余裕や幅が社会にない限りどうにもならないが、今の経済後退国でありすでに先進国ではないこの転げ落ちているこの日本ではその余裕を寛容できないのだろう。

寝る前にフォークナー『サンクチュアリ』を読み終える。
禁酒法時代的な東京に住むものとしてはかつて10年ばかり実際にあったアメリカの禁酒法時代を描いた小説を読むこと、かつてのことなのにも関わらず禁酒と差別が現在に嫌でもリンクしてくる。しかし、読みにくいと思うほどにページに隙間がないぐらいの文字量、圧倒される。このままフォークナーとヘミングウェイという20世紀アメリカ文学の巨匠の作品と現代アメリカ文学の巨匠であるトマス・ピンチョン作品をなんとか粘り強く今年は読んでいきたい。やっぱり戦後日本社会はどうしてもアメリカ都の関係があり、僕が書きたいものや読みたいものはそういうものなのだ。


5月10日
10日発売『週刊ポスト』5/21号に掲載されている「予告編妄想かわら版」では、アダム・ウィンガード監督『ゴジラvsコング』を取り上げました。

映画コーナーゲラチェックした後に公開延期になってしまったので、ズレてしまったけどしょうがない。換気も問題ないから映画館開けてほしい。と思っていたらヒューマントラストなどのテアトル系の映画館は12日から開けるとのことなのでうれしい。
あと今号から永井豪ダイナミックプロによる『柳生裸真剣』という漫画が始まりました。永井豪さんと同じ紙面というは不思議な感じ。昔、スーファミのソフトで『CBキャラウォーズ 失われたギャ〜グ』という永井豪作品のキャラクターがクロスオーバーして出てくるアクションゲームをなぜか買ったことを思い出した。


5月11日
「monokaki」掲載の「小説の書き方本を読む」第五回を書きました。
今回は松岡圭祐著『小説家になって億を稼ごう』についてです。


タイトルで勝った感があり、帯も昔のメフィストかと思いますが、このぐらいシンプルな方が目立つんだろうなとも思ったり。発売時に読んでいて、当初は周りの人もわりと読んでいた気もあするけど、これ読んでも「億」稼げる小説についての書き方は正直書かれていない。でも、出版業界で作家としてやっていくために知っといた方がいいよってことは書かれているハウツー。まあ、どの業界でも才能がある人はわりと社会性があって謙虚だし、やさしくて思いやりのある人が多い。問題はその人の近くにいたり、その家族や関係者が驕り昂り自分が偉いと錯覚したり、勘違いしていくことだと思うのだけど。

バンドが解散する理由同様に、作家自身だけではなく身内とかの異性問題と金と思想(&宗教)が知らない間に大きくなりすぎて、才能があってもダメになってしまう人もいる。この辺りの問題はイレギュラーだし、未確定すぎる未来に起きる要因なので「誰にだってどうにもできない」のだろうとは思う。
男女とかのセクシャリティでもなく、近い価値観を共有して長く付き合えて本音が言えるパートナーみたいな人がいるかいないかが大事なんだろうなって思うけど、人は生きていく内に変わっていくものだし、変わるよねって思う。
この前観たドキュメンタリー『きみが死んだあとに』に関して菊地成孔さんも自身のブロマガで書いていたり、ニコ生のフェイクラジオでも言っていたけど、かつての学生運動のあとに「右」にだったり、「左」にだったりと転んで行った人たちがいた。それが文化的なものにおいて、「左」に転んだ人が多かったりしたことは大きな影響があったんだろうけど、「おおきな物語」が終焉して、サブカル的なものが全盛になってしまうとその文脈がかき消されてしまった。
今の中国や韓国の小説にはその国の共有される「おおきな物語」と現在のテクノロジーへと移り変わる時代が「左右」の体制や思想や価値観、その反発が地続きで繋がっているから物語としての強度が強いんだろうなと思った。適当だけど、そんな気がする。

f:id:likeaswimmingangel:20210522233707j:plain尾崎世界観著『苦汁200%ストロング』文庫版で書き下ろしされた「芥川賞候補ウッキウ記」を読む。
芥川賞候補になった尾崎さんの日常についての日記。テレビでも放映された『情熱大陸』での密着もだが、バンドメンバーや事務所の方や出版社の人たちとの関係性ややりとりが書かれている。とても大胆だし繊細で読んでいると好感が増す。
世界観さんだけではなく、芥川賞直木賞候補になった小説家はこのように候補になってから発表の翌日ぐらいまで日記を書いて、それを第00回でまとめて書籍とかにすればいいのかもしれない。作家それぞれの日常における変化や周りとの関係性や賞が近づいてくる心のあり方のドキュメンタリーとしておもしろいと思うし、それなりに売れるんじゃないだろうか。そうすれば多少印税は入るだろう。
もし受賞しても50万ぐらいしかくれないし、テレビや雑誌やウェブのインタビューを受けても宣伝ということでほとんどギャラは払われないはずだ。受賞後の一ヶ月はそういう仕事の受賞後のエッセイ書かされたりと多忙を極めるらしい。それで本が売れなきゃ、やってられないだろうし、売れたら売れたで下手したらその作家の一番売れた書籍になってしまう可能性もある。
賞レースに巻き込まれてただ期待されて、落選してしまったあとには悲しみや誰かからの心無いことを言われたりするだろう。だから、せめて候補になったり受賞したから本が売れたり増刷した以外でもきちんと小説家に少しでもお金が入るようにしてあげないとダメだと思う。


5月12日
ZOOMで作家さんにインタビューするのでヒカリエに久しぶりに出社。今回の緊急事態宣言出てからは初めてだったような。
渋谷は平常運転なので人少なくはない感じだけど、緊急事態って言われても働くしかないし、僕は歩いて行っているけど電車乗らないといけない人たちがほとんどなのに減便したら余計に密じゃんっていう謎というかやっていることが裏目以前にほんとうにいろんなことを考えていないのがはっきりしてるから、国や都がなに言っても従う人のほうが減るだろう。パンデミックがより爆発していいから、一緒に東京五輪も潰したいってどこかでみんな思ってるんじゃないかな。
これで少子化も進んでるっぽいし、政治家やもろもろの人の公人が道徳心もなくて金や利権(利害)だけのことしか考えてないって大抵の人はもう思ってるから、違う意味でも崩壊はしてるし、それが承知のものとなってきている。
もしかしたら、このまま日本が壊滅していくシナリオで救いの手的にアメリカの州のひとつになるために菅首相とか自民党が動いてたりして、と勘ぐってさえしまう。そうなるとほんとうに阿部和重さんの「神町サーガ」のフィクションの現実化でしかないけど、そういうシナリオを誰か描いてたりするのかな、とふと思った。


5月13日f:id:likeaswimmingangel:20210522233835j:plain『くれなずめ』朝イチの回を観るために先日から劇場が再開したヒューマントラスト渋谷まで歩いていく。小雨、微妙すぎる小雨だけど、気持ちいいから傘は持っていかなかった。『くれなずめ』は予告編を見るとメインとなる6人の1人がすでに死んでいるということが示唆されている。

松井監督が今公開して観てもらいたいという気持ちがあるのもわかるものだった。この映画はきちんとお別れを告げるための、残された側がこの先も生きていくための物語だからだ。コロナ禍では急な別れが以前よりも起こりやすくなっていて、そして、大事な人がなくなっても葬式にも出れずに、最後の別れをすることもできないことが多くなっている。
儀式とは神話を反復することだが、葬式は亡くなった人のためというよりは残された側のために、ふんぎりをつけるための儀式である。だからこそ、そんなことになる前に会いたい人に会いに行くしかないのに、今の状況はそれすらもなかなか許してくれない。みんながそのジレンマの中でぬくもりや距離をどうしていいか悩んでいる。そういう時だからこそ観てほしいんだなって。

f:id:likeaswimmingangel:20210522234025j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210522234036j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210522234048j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210522234102j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210522234116j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210522234134j:plain神保町画廊で開催している兎丸愛美・塩原洋写真展『しあわせのにおいがする』を観に行った。オープンが13時からだったのでちょうど映画を観終わって渋谷から歩いていくとちょっと前に着く感じだったので地図マップを出して歩き出した。傘がいらないぐらいの微妙な雨、アスファルトが濡れてどこか歩いていると心地よい。ただ、その小雨も2時間ほど歩いていたらびちょびちょにはなる。


明治通りを真っすぐ進んでいってラフォーレ原宿と竹下通りを通り過ぎる。そこから神宮前と千駄ヶ谷方面に向かっていくとまえにも来たことがある場所に出た。河出書房新社の近くだ、ということは新国立競技場が見えてくるだろうと思ったら見えた。競技場の横をS字みたいな感じで進んでいくと明治神宮外苑と球場を通り向けて信濃町方面へ。そこから四谷方面に向かうと途中には赤坂御所になり、一度も通ったことのない御所横をのんびり歩く。

BGMはずっとサカナクションの『懐かしい月は新しい月』のリミックス、から『834.194』という流れ。基本的にはリミックスが好きでトム・ヨークのソロ『ジ・イレイザー』もリミキシーズのほうが心地よい。

四谷から市ヶ谷、さらに九段下と皇居の北側を歩いていく。東京の空虚な中心。その中心を守るための鉄の外濠としての環状線、とてもそのリミックスされたサウンドが合う。九段下では普段見たことのない、歩いたことない場所から靖国神社が見えた。
東京五輪の本丸である新国立競技場、明治神宮、赤坂御所、皇居、靖国神社、まさに東京の中心。そして山手線の中は歩いてみると駅同士が近く、大事なものが中央に固まっているのがよくわかる。

途中で昨日原稿を送った「予告編妄想かわら版」の確認のメールが届く。確認して返信しながら進んでいくと神保町に入る。返信した編集者が務めている小学館が見てきた。兎丸さんと塩原さんの写真展の最初に時に行っていたのでほとんど近い場所まで来たのがわかる。アプリが示す方へ向かっているとタバコ屋が見えてきた。
インスタでタバコ屋のおじちゃんが写真展を観にきてくれたと兎丸さんが書いていたのでほぼこの辺りだろう。

オープンの少し前だったので近所をぶらぶらして書店に入ったりして時間をつぶす。13時を少し過ぎてから神保町画廊に向かって中に入る。白い壁に展示された写真であり作品が飾られている。他にはお客さんがいなかったのでじっくりと見ることができた。
兎丸さんのヌードは剥き出しの魂というか、いのちだなって感じがしてとてもキレイであり、やさしい。
海辺に全裸で立っている横の写真をいちばん長く見ていたような気がする。笑っている表情も素敵だけど、兎丸さんのその凛とした、まっすぐな瞳は鑑賞しているはずの自分が見透かされているようであり、なにかを問いかけられているような、そんな気がする。
見終わって外に出ても小雨のままだった。そういう時外に出ていくと一気に体感が下がって生きてる感じがする。さすがに帰りは神保町駅に乗って帰ったけど、渋谷で降りて歩いて帰った。もうすぐで20キロになるので家についてから買い物に行ったりしてなんとか20キロ越えるまで歩いた。


5月14日
朝からリモートワークなのでradikoのタイムフリーでいくつかの番組を聴きながら作業。二日前の12日深夜にオンエアされた『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』はゲストがジェーン・スーさんだった。
テレ東でスーさんのエッセイをドラマ化した『生きるとか死ぬとか父親とか』のプロデューサーでもある佐久間さんという関係性。そしてお互いにラジオパーソナリティーでもあり、会社員経験があることも作家性というか創作に関して大きく影響していて、その言葉がリスナーに響くんだなってわかる会話だった。
男女でのやりとりでスムーズに流れながら、いい相槌のような会話の交代があってこのコンビすごくいいなと思った。一年に1回ぐらいお互いのラジオゲストで出て近況報告がてら話をするのをやってほしい。


仕事中に「monokaki」の連載『ことばと相談室』でイラストを描いてもらっている漫画家の西島大介さんから電話があった。午前中にイラストを描いてもらうための原稿についてメールをしていたのでそのことかな、と思ったら違う用件だった。
西島さんとはしばらくお会いしていないが、半年に1回ぐらい電話をしているような気がする。西島さんは漫画家でもあるし、今は自作をネットで出版販売していたり、海外にでも翻訳されて発売されていて表現に関してすごくアクティブだし、新しいことをどんどん試している。
双子のライオン堂から出版されている『電子と暮らし』という本にはそのことがわかりやすく書かれていて、今創作や表現をしている人は読んでおくと今よりももっと動きやすくなったり、考えが広がるんじゃないかなって思う。
1時間ぐらい用件から展開したはなしについて近況について電話で話をした。西島さんも思いついたことを誰かに言うことで反応であったり、自分の中で考えを固めたりしている部分もあると思うけど、こういう時に話を聞かせてもらえるのはありがたい。


5月15日f:id:likeaswimmingangel:20210522234426j:plain朝起きてから散歩がてら代官山蔦山で歩いていく。池尻大橋の246前に出るまでの緑道にはペットの散歩とランナーがかなりいた。緊急事態宣言という感じはもうない。そんな意味のないものは無視するという市民からの無言のデモとしての日常生活がそこにはある。そこだけではなく、東京中がそうなっているのだろう。東京オリンピックを遂行しようとすればするほどに、無言のデモは続き、左右であろうがどちらでもなくてもマスクをして距離を取りながらそれぞれの生活を送るだけだ。

代官山蔦屋に着くとお客さんはいつもの土日な感じで、外のテラスというかテーブルとイスのところではスタバで買ったものでお茶をしていたり、積み上げた本とノートパソコンを広げている人や、ベビーカーを横に置いた若い夫婦と子供とか、ペットを膝に乗せたマダムとか、海外から来たんだろうなとわかる人なんかがそれぞれの休みをたのしんでいた。
店の中に入って、スタバがあって旅行や食事関係の書籍が置いてあるフロアで、前日に駅前の書店で見かけた時に気になった書籍である井川直子著『シェフたちのコロナ禍 道なき道をゆく三十四人の記録』を購入。いい装幀だし、今まさに飲食店は大変な時期であり、まさかの禁酒法時代のような東京でシェフたちはどんなことを考えているのか知りたいと思った。ニコラの曽根さんとは話をするけど、他のお店の人達はどんな思いで今を生き抜いているのかをただ知りたかった。

総括・「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」──長すぎた戦後アニメ思春期の終りによせて(前編)【平成後の世界のためのリ・アニメイト 第8回】


総括・「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」(後編)──真希波・マリ・イラストリアスはなぜ昭和歌謡を歌い続けたのか【平成後の世界のためのリ・アニメイト 第9回】


ユートピアの終焉』の原稿〆切日なので朝から執筆。お昼の休憩中に原稿を見てもらっている編集者で分筆者である中川大地さんの『シン・エヴァ』論を読む。前後編とかなりのボリュームだが、なるほど評論としてわかりやすく、違う事柄(『いだてん~東京オリムピック噺~』の金栗四三)をフックにして始める。そこで時間の軸や終焉までかかった時間の長さが読み手に伝わる。

友人の鎌塚くんのエッセイが原案の漫画『僕はメイクしてみることにした』(糸井のぞ著)が始まったと「ナタリー」で知る。

Voce』でメンズメイクについてエッセイを書いていたけど、こういう形で漫画化されるとより多くの人に広まっていくだろうなと思うし、すごくいい展開だ。



5月16日f:id:likeaswimmingangel:20210522234728j:plainアップリンク渋谷がもうすぐ無くなるので、最後の記念に大島渚監督『愛のコリーダ』をば。『愛のコリーダ』や『戦場のメリークリスマス』もフィルムの権利や保管等々でこれから劇場で観ることは難しくなるかもしれない。また、『愛のコリーダ』は内容的にも上映すること事態がコンプラ的に難しくなるかもしれない。プラプラプラプラな世界だが、インテリがきちんとしてこなかったツケだとも思えなくはないが。

アップリンク自体も映画制作環境に似たような諸問題が起きて、明らかになってからあまり行かなくなった所にコロナ禍の世界になってしまった。アップリンク渋谷でいちばん回数を観たのは『アンザー・ザ・シルバーレイク』の三回だと思う。
02年に上京してから東京に住むたのしみのひとつは間違いなくミニシアター(単館系)映画をリアルタイムで観れることだった。中でも渋谷には多くのミニシアターがあったから、自然と渋谷に行くことが多くなった。その中の多くはすでに姿を消した。僕はこれから『アンザー・ザ・シルバーレイク』や『愛のコリーダ』の名前を見るたびにアップリンク渋谷のことを思い出すんだろう。

藤竜也さんのあの色っぽさはなんだ。身震いするほどの艶やかさ。そして、松田英子さんのしなやかでハリのある美しい裸体が醸し出すもの。ふたりが演じた吉蔵と定が交わっていくその刹那だけがすべてであり、永遠の快楽がそこにある。
セックスという単語ではけっして表現できない男女の交わり、まぐわっているとしか言いようのないものがスクリーンに終始映し出されていた。二人の体を流れる汗、唇からこぼれる精液、指についた経血、互いの汗腺から漂う愛欲と欲情。
まぐわっている男性器と女性器は雄弁に語るように出し入れが続いていく。ただただまぐわっている。それだけがすべてでそれ以外はいらないふたりだけの世界、ただただまぐわい、肉体からあふれるすべての汗や精液や経血や愛液が流れ落ちていった。
着物って日本的な衣服であって、明治維新以降に西洋の常識とかを取り入れたことでそれまでの日本的な性的な関わりなんかは野蛮だと消えちゃっていったと思うんですが、着物自体は非常に日本的な性交とも深い関係があったんだろうなと関係ないことも思ったりした。


5月17日
佐藤究インタビュー「話題の『テスカトリポカ』。古代アステカの人身供犠と現代社会のダークサイドが浮彫にした人間の本質とは?」
インタビュー・構成: 瀧井 朝世

佐藤 ブラックだったりグレーだったりする人も悪人とは限らない。ただ、資本主義のなかで生き残ることだけを考えている。これをフランスの哲学者のピエール・ルジャンドルはマネージメント原理主義と呼んでいますね。話せば普通だし、誰かが怪我すれば助けてくれるような人でも、とにかく原理主義なんですよね。現代に生きていると、みんなレベルの差はあれマネージメント原理主義の部分がある。そのトップに麻薬王のような人間がいて、下のほうに宇野矢鈴のような人間がいる。

 ただ、彼女は、そこに巻き込まれる善人として出したわけではないです。今、巷でたくさんドラッグの問題があるじゃないですか。芸能人のコカインくらい別にいいじゃないかという人もいるけれど、その裏でメキシコでとんでもない麻薬戦争が起きている。そうして人が死んだ結果、パッケージに入ったドラッグが日本にも届いているんだってことは伝えないといけないと思いました。

 麻薬じゃなくても、自分が買っている商品が、いろんな問題を抱える経路をたどってきたものだったりしますよね。そういうことに対しての想像力を与えるのがフィクションのひとつの仕事でもある。コカインをやったからって人格までは否定しないけれど、どんな人間にお金が流れているのかとか、そういうことは知っておいたほうがいい。それを知っていると、その道に踏み出さずに済むというのもありますから。


――読むうちに、彼らはそんなにお金を儲けてその先に何があるんだろうと思ったんです。何かのためにお金を稼ぐのでなく、金儲けが自己目的化している、それが今の資本主義なんですね。

佐藤 おっしゃる通りだと思います。昔、サッチャー新自由主義以外の選択肢はないという言い方をしていましたが、善悪に関係なく「このゲームに勝つしかない」「だからどんな手を使ってでもお金を儲けよう」、そう考える人が、現実にいる。

 厳密には後期資本主義って言うらしいですね。前期資本主義では労働者がいて工場長がいてその上に資本家のオーナーがいた。今は、SNSもそうですけれど、みんながマーケターとか、CMプランナーみたいな発想になっているじゃないですか。知り合いの社長が言ってましたけど、最近は若い人たちのビジネスの考え方がエグいらしいです。金さえ儲かればそれでいいという。迷惑系YouTuberとかもそうですよね。

 文学のような美学に属する分野でも、普通にマーケティングという言葉を使う人がいる。リサーチをしてどう売るか考えるのは間違いではないけれど、そういうことに何の恥じらいもない人が、老いも若きも、すごく多いですよね。数の力で勝つことが目的で、それ以外はもう敗北という発想を植え付けられている気がします。それはもう、マネージメント原理主義ですよ。


佐藤 これに集中するために、他の仕事をお断りするじゃないですか。他の作家に「そういうの、怖くないんですか」って訊かれたんですよ。みな仕事を断ること、忘れられていくことに対する恐怖感がすごくあるし、人の目をすごく気にしている。僕はどっちかっていうと忘れられたいほうなんですよ。「佐藤究って奴がいたけどあいつ今どうなったのかな」みたいに言われたい。でも、小説でも音楽でも、資本主義のなかで勝ち上がるのが正しいっていう風潮がありますね。実際、ある程度生活はできたほうがいいんでしょうけれど、僕は自分の作家としての人生設計なんて本当にどうでもいいんです。

 どっちかっていうと、物書きってドロップアウトして何もやることがない人間がなってきたものだと思うんです。エドガー・アラン・ポーが原因不明の野垂れ死にをしたとか、ハーマン・メルヴィルがずっと食えなかったとか聞くと興奮しますね。僕は、さっきも言った丸山ゴンザレスさんとか、ルポライターで漫画家でもある村田らむさんといった、一見すると無謀なことをしている人たちに昔の作家のオーラを感じます。飄々としながらも、酷いものをたくさん見てきている。どん底を知っている人たちは自然と他人に優しくなるんだなと、彼らから学びましたけど、僕の中の作家って、そういうイメージです。

本当は『テスカトリポカ』発売時に「monokaki」で佐藤さんにインタビューしたかったんだよな、瀧井さんがされているような深い内容は聞かなかったと思うけど、佐藤さんの話を直で聞けたらよかったのに、と思えるインタビューだった。佐藤さんは山本周五郎賞(祝)ですね。

朝晩とリモートワークをしながら、ちょっと気になっていた円城塔脚本の『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』をNetflixで流しながら作業。主人公の眼鏡男子が『銀魂』の主人公にしか見えないのけどワザとなんだろうか。話はめっちゃおもしろい。ラドンが空飛びまくってるところまで。


5月18日
Paraviの『かんがえすぎちゃん』#15「人生の転機について考えすぎちゃん」中編を見る。クリーピーナッツのDJ松永のDJの師匠であるDJ CO-MAの話をしていた。
農家の長男である彼は米を作り、年中野菜を作りながら日が暮れてからDJの練習をして2006年の世界チャンピオンになった人だった。そこに高校を辞めてから弟子入りのような形で教わったのが松永であり、その話をしっかりしていてすごくいい回だった。
師匠が世界チャンピオンだったからこそ、松永には世界が近く、手に届くかもしれないものだと思えた。まず、そう10代の男子が思えたことは素晴らしいし、とてつもなく大きなことだ。師匠はすでにDJは辞めているが米作りで日本一になっているという。芸人でも師弟関係がなくなっている現在に、こういう話を聞くと師弟関係というのは人が合う合わないもあるのだが、やはり人生に大きな軸ができるという意味で大きなものなんだと思った。

『大豆田とわ子と三人の元夫』#6「第一章完結・全員集合地獄の餃子パーティー」 


前回の終わりでスカパラ社長とどこかへ消えてしまった主人公の大和田とわ子(松たか子)。彼女の誕生日にあつまった元夫たち(田中八作:松田龍平、佐藤鹿太郎:角田晃広、中村慎森:岡田将生)、そして彼らと関係のある(好きだったり、好かれていたり)女性3人(三ツ屋早良:石橋静河、古木美怜:瀧内公美、小谷翼:石橋菜津美)がとわ子と娘の唄がいない家にとわ子の父(岩松了)に呼ばれてやってくる。父はソッコーで酔いつぶれ、六人で餃子パーティーが始まるが3人それぞれの相手への不満や思いを言い出すことになる。

一度全員がペアで家から出て別れたあとに八作がタクシーを拾うために通りに一緒に歩いていく鹿太郎と美怜の背中を見て、「二人共ちゃんと向き合うって言ってました」と口にすると、

早良「もう遅いよ。どこを好きだったか教える時はもうその恋を片付けるって決めた時だよ。せっかく自分だけが見つけた秘密だったんだから」

ああ、なんつうセリフを。坂本さん! 
すげえな、こういうセリフをここでぶちこんでくる。坂元裕二脚本『カルテット』同様にワンクールの途中で「章」が変わるというスタイルになっていて、今回で物語は大きく動いていくことになった。
亡くなった友達の家に行って、冷蔵庫に残されたもので料理をして食べるということはまさに供養だなと思うし、そういう丁寧な描写がふたりの関係をより強く伝えることにもなる。そういう描写がほんとうに沁みる。僕が今急に心肺停止なんかで死んでしまったら最初に見つけてくれるのはニコラのふたりなのかな。
物語は最後に一年後に飛び、朝のラジオ体操で新キャラとしてオダギリジョーが登場。彼がどんな風に物語に関わっていくのか、『カルテット』で言えば真紀(松たか子)の行方不明になっていた夫の幹夫(宮藤官九郎)のようなポジションかもしれない。また、同じく坂本脚本『花束みたいな恋をした』でもオダギリジョーは途中から登場してきて絹(有村架純)の人生を変えるきっかけをもたらしていた。スパイスとしてオダギリジョーは投入されている。第二章からどうなる?


5月19日f:id:likeaswimmingangel:20210522235603j:plain夕方までリモートワーク。そのあとに読みかけだった井川直子著『シェフたちのコロナ禍』を最後まで読み終える。

インタビューをうけた34店舗の店主たちのコロナ時代の飲食店の覚悟と店を続けていくこと、お客さんとの関係性とその店がある場所や地域のこと、そして生産者の人たち、お店に関わる人へどんな思いを抱きながら戦ってきたかという記録。
まだ、コロナ禍は収束しそうもないし、政府や各都道府県の遅い対応などもあって以前以後ではやはり変わってしまうものもあるし、中には廃業を決める人もいる。
禁酒法時代になってしまった今の東京、生きるために必要なものがなにか、上から制限されたりしないといけないものなのか、夏のオリンピックの開催か中止どちらになろうとも決めるべきを決めずに国民に多くの犠牲を強いてきた人たちはその反発をさせないために、より強固な施策をするのか、それに歯向かっていくのか。すべてはこれから。

資料として買った『ウーバーイーツ配達員ヘロヘロ日記』はまだ読めていない。一度もウーバーイーツを使ったことがない。どうも食事を運んでもらうということになにか申し訳ないという気持ちが出てしまう。どっちかというと運ぶ側だしなって思っていることもあるんだと思うのだけど。

『「女性向け風俗」の現場』は文春オンラインの記事を読んで興味が出たので買って読み始めた。これ正直ドラマ化できると思う。きちんと監修とか入れれば、特に女性側が感じている性の問題や男性がアダルトビデオでそれが当たり前だと思いこんでいることを払拭できる可能性もありそう。テレ東深夜ぐらいでやったらいいんじゃないかな。


金鳥の渦巻 太巻「いいもん」篇

ニコラで何度か会って知り合いでもある役者の藤江琢磨くんが「金鳥の渦巻 太巻」のCMに出ていた。昔っぽさもある意味ありげなやりとりをするCMですごくいい。
藤江くんいい顔してる。いよいよブレイクしそうだな、きっとするんだろうなと思う。浅野忠信さんが出ているルシードのCMにも出てたし、どんどん出ていてすごい。MVもメインどころで出ているのできっと映画やドラマ、舞台でもこれから大活躍するはず。

LUCIDO(ルシード)公式CM ニオイケアシリーズ「ギターショップ」篇30秒


Sunny Day Service - 春の風【Official Video】


羊文学 "ハイウェイ"(Official Music Video)



5月20日f:id:likeaswimmingangel:20210523000057j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210523000106j:plain数年ぶりに友達と東中野で会うことになり、電車に乗るは気がすすまないので徒歩ででかけた。池ノ上や東北沢方面に向かっていくと甲州街道に出る。

専門学生時代は明大前に学校があったから馴染みはあるけど、今はほとんどいくことがない。『花束みたいな恋をした』の主人公のふたりは甲州街道は明大前から調布駅のパルコへ向かって歩いた。当時は柴崎に住んでいたのでその辺りの甲州街道は知っているから昔とリンクした。当時の柴崎のゲーセンバイト時代からの友達に会うので、甲州街道の先へ意識が少し向かった。
幡ヶ谷と初台を経て、中野通りで中野坂上東中野に向かっていると途中で神田川を越える。毎年元旦に神田川沿いを歩いているので、一瞬デジャブかと思うような気がして、一度立ち止まって周りを一周して見て、いつもの場所だとわかる。神田川をそのまま右に進めば高田馬場に出るところだ。
まっすぐ通りを北上すると東中野駅の西口に出る。1時間40分ぐらいで7.5kmほどの距離。ちょうどいい運動。東口で待ち合わせして、ランチをやっている居酒屋さんに行き、ほっけの定食を食べて、そのあと近所の喫茶店でお茶をした。コロナ禍で影響を受けていない人はいないし、それぞれの仕事や環境が大きく作用してくる。もちろん、今だけじゃなく、これからどうするかということもみんな考えている。話は尽きないけど、また合う約束をして15時過ぎに解散した。さすがに帰りは渋谷までは電車に乗って、渋谷からまた歩いて帰った。

f:id:likeaswimmingangel:20210523000146j:plainニコラで「飯山産グリーンアスパラ 温泉卵と白トリュフオイル」をば。ちょうどグリーンアスパラが届いたばかりだったみたいで、カウンターに座ってちょうど見える調理場のところに長くて立派なグリーンアスパラがたくさん見えたので食べようと思った。去年も食べてほんとうに美味しかったので、そのイメージが強烈に残っていた。また今年もそういう時期なんだと思うとやっぱり食べたくなる。ワインとかのほうがいいんだろうけど、今はアルコールを出せないのでノンアルコールの白ワインと一緒にいただく。これもすごく料理と合った。
グリーンアスパラガスの青いあの感じに歯ごたえ、温泉卵につけるとマイルドにもなるし、子供の頃はベーコンに巻いたものしか食べてなかったしそこまで美味しいと思えなかったけど、大人になってからアスパラガスは好きになった。やはり味覚が変わったりする。
旬のものを食べるということの贅沢さもあるし、年中作れてもその作物の旬というものはあるから、それをその時期に食べるのってやっぱり大事なことだ。お店で食べることの意味もコロナ禍でだいぶ変わってきている。ちょうど井川直子著『シェフたちのコロナ禍』を読み終わったばかりだったので、なおさら。


5月21日
朝からリモートワーク。作業中はずっとradikoで「ジャンク」と「オールナイトニッポン」の寝て聞けなかったものを流しながら仕事をしていた。
星野源さんと新垣結衣さんが結婚してから、どちらの曲も「星野源」に関係する曲をお祝いとしてかけまくっている。どんなに愛されてるんだ、と思う。
星野源さんが出演していた園子温監督『地獄でなぜ悪い』にはエキストラで参加しているが、僕がいったのは冒頭での國村隼さんが敵対する堤真一さんの組に乗り込んでくるところだったので、僕が観た俳優さんはそのお二人だった。のちに園さんと水道橋博士さんによるお笑いライブの打ち上げに行った時に星野源さんもいらしていたが、周りは埋まっていたのでお話はできなかった。その場所には漫画家の古谷実さんもいて、すごいメンツだったのだなと思い出した。

「ひとりクレイジーキャッツ」として、音楽に役者に文筆業で活躍し、そして国民的な女優をパートナーにしてしまった男、「大人計画」第三の男、エンタメを統べる王になる資格はもう十二分にある。二度死にかけても蘇ってきた。それだけで、「英雄神話構造」の英雄物語王道のストーリーを実際に生きている。この王国はいかに続くのか、あるいは対になるようなライバルがいつか現れるのか。そんなことも思う。
しかし、あまりにもみんなが祝福する感じが強すぎて、腐すとその「祝」のベクトルが逆の「呪」となって襲いかかってきそうな感じがする。有村昆のクイズとちんこ出しただけなのに一気に叩かれることとは真逆であることについて、神田伯山師匠も『問わず語りの神田伯山』で言っていた。

星野源 - くだらないの中に(Live at Osaka Jo Hall 2016)


f:id:likeaswimmingangel:20210523000313j:plain渡辺雅史著『ウーバーイーツ配達員ヘロヘロ日記』を読了。TBSラジオ爆笑問題カーボーイ』でこの本の話をしていたので、書店で見つけたら読もうと思って先日買っていた書籍。
ウーバーイーツを頼んだことがないので、ほんとうに謎というか不思議だった彼らの実態というかシステムもわかった。しかし、働きたい時に働けるというシステム、しかし、いきなり実践という部分もあったりして、それでお客さんに怒られたりトラブルに遭ったりするのはわりと運とかの要素も大きそう。その人が慎重な人が気が利くかどうかもあるだろうけど、腹が減った人間はキレやすいという時点でトラブルの種はゼロになりようがない。
ウーバーイーツのバッグでロゴをテープとかで消している人がたまにいるけど、その理由とかも書かれていてなるほどなと思った。いかに配達の仕事を取るかという意味でも稼げる人や稼ごうと思う人はどんな世界でも頭を使っている。
一度ぐらいは頼んでみたいけど、配達員の実態を知るとちょっと僕には無理だなと思ってしまった。絶対に事故るかトラブルに遭う予感しかない。

ユートピアの終焉――あだち充と戦後社会の青春』の今月分の原稿は出したが、6月は執筆に集中したいので来月の準備も早めにするスケジュールを組んだ。
今月末に原稿はいったん初稿は書き上げるとして、久しぶりに取り上げる作品の『いつも美空』を読んだ。長期連載と長期連載の間には、『虹色とうがらし』が前にもあったが、この『いつも美空』も非常にポジションとしては近い。わりと地球の環境問題とかが出てきたり、わかりやすい適役がいたりする。また、『虹色とうがらし』の世界観が『いつも美空』ではスクリーンやテレビのブラウン管に映るというように作品内の作品という感じで使われている。
一回通して読むと『虹色とうがらし』との関連や共通点が浮かぶし、第4の壁を越えて、読者に語りかけていることなども言及できそう。また。この作品では「超能力」が出てくる。連載は2000年から2001年だが、その連載中には堤幸彦演出による『TRICK』の「第1シリーズ」が放映された。世紀末であるこの年で彼らが描いた「超能力」はこの時期から一般化していく「インターネット」とほぼ同意義であったとも言える。
TRICK』は「第3シリーズ」まで制作されるが堤演出でTBSで『SPEC』が放映されることになるが、そこでは「SPEC」と呼ばれる特殊な能力を持つ者同士の戦いになっていく。『TRICK』では超能力者はいないと主人公ふたりが見破っていくが、その一人の山田がほんとうは超能力者であるとことがわかり、物語はカオティックな展開になっていくが、それを引き継いだのが『SPEC』だった。
いつも美空』に関しての原稿では、『TRICK』と『SPEC』について取り上げながら。世紀末的な空気感と「超能力≒インターネット」の一般化と肥大化(グローバリゼーション)について書ければいいのかなと思った。

寝る前にフォークナー『響きと怒り』の第三章「一九二八年四月六日」を読み終える。前の二つの章と比べるとやけに読みにくい印象。
作中に同じ名前の人物が出てくる。コンプソン家の長年だったクェンティンは第二章のところでハーヴァード在学中に焼身自殺している。その弟である次男のジェイソン四世が主人公である第三章では、クェンティンの妹であり、ジェイソンの姉であるキャディの生んだ娘が伯父であるクェンティンと同じ名前で登場している。そんな風に一族で同じ名前のものがいたりするので読んでいると知らずに迷宮に迷い込むような、ゲシュタルト崩壊していくような不思議な感覚になる。
フォークナーもそうだが、ガブリエル・ガルシア=マルケスもある町を舞台にしており、そこでの一族の繁栄と滅亡を描いている。どちらも読んでいくと混乱してくるものがあるのだけど、同時に世界はほとんど個人の主観でしかなく、歴史とはその語り部の書き残した人間の主観によるので正確な歴史というものは存在しない。すべては偽史である。しかし、偽史も精度の高いものから低いものと幅はもちろんある。
ジャーナリズムの側の人間は幾人もの証言や資料をもとにそれを掘り下げてできるだけ精度の高いものを作り上げることで、その社会性と意義、後世へその次代を伝える事ができるし、そうすべきだと思う。ただ、フィクションや小説は正しさではないもの、しかし、その創作のなかにおいて大事なものを掘り下げて一族やある人物を抽出して表現していく。


5月22日
村上春樹さんの海外でまとめられた短編集が逆輸入する形で単行本になった『象の消失』を今月頭から読んでいた。そちらが終わったので、『めくらやなぎと眠る女』を読み進めている。こちらに収録されている『トニー滝谷』は『ねじまき鳥クロニクル』にも少し繋がっている短編なので、去年『ねじまき鳥クロニクル』を再読する際に『トニー滝谷』など関連する短編などは読んでいたが、違う短編集に入っていて読むと読み味というか読後感がだいぶ違って感じられた。


 並んでベンチに座った二人の修道尼だけがきちんと黒い冬の制服を身にまとまっていた。それでも二人はとても楽しそうに話し込んでいたので、彼女たちの姿を見ていると、夏なんてまだずっと先のことのような気がした。

『めくらやなぎと眠る女』に収録されている『螢』をかなり久しぶりに読んだ。
引用した部分を読んだ瞬間に「佐藤泰志」の文体みたいだな、と思った。『螢』が発表された頃には『きみの鳥はうたえる』は単行本になっているから、影響されたというよりは当時の彼らの空気感や感じていたものが近かったのかな、と思う。同じ49年生まれの二人は当時まだ30代前半であり、『きみの鳥はうたえる』の単行本が出たのは僕が生まれた年の生まれた月だった。
佐藤泰志は自殺により、自ら命を絶ったが作品集が出てから再評価が始まり、作品が映画化されたことで、2010年以降に映画をきっかけにそれまで知らなかった僕のような読者が新しく読みはじめた。
ずっと第一線で書き続けてきた村上春樹さんがすごいのは間違いない。だけど、死んでから評価されるぐらいなら、死ぬ前に評価してあげないとさ、と思わなくもない。
そこはただ「運」でしかない、「運」は「運」でしかないが、それがあるかないかで人生はまるで違ったものになる。
今現役の作家で40年後に読まれている作家って誰なんだろうな、その頃には「日本」があるかどうかもあやしいけど。


5月23日
NHK『今ここにある危機とぼくの好感度について』と菅首相の危機と好感度について

第2話放送後、大学の偉い人がこのドラマを観て「世の中には茶化していいものとわるいものがある。天下のNHKが大学の権力を茶化すことは許さん」などと怒りまくって「そういった考え方こそが風刺されてるのでは?」と周囲をあきれさせたという都市伝説も流れてきた。

最後には内部告発した非正規の研究員木嶋みのり(鈴木杏)のセリフ「ほんと権力持ってる人って、見下してる人間に対して想像力がないよね」で締めていて見事。

土曜ドラマ】今ここにある危機とぼくの好感度について(4)

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2021052231630?t=827

前回は「あいちトリエンナーレ」を彷彿させ、今回は「謎の虫刺され被害が続出した」というコロナ禍の現在を違う形で描いている。『ワンダーウォール』から続く今の社会のあり方を大学を舞台に表出する凄さ。


今月はこの曲でおわかれです。
Mukai Shutoku Acoustic & Electric - Omoide In My Head / 自問自答 April 22nd, 2021



古川日出男著『ゼロエフ』刊行記念の大盛堂書店さんのオンライントークイベント有料配信中(配信期限は6月末日予定)です。まず単行分の『ゼロエフ』を読んでもらえれば、と思います。
去年夏の国道6号線と、晩秋の阿武隈川を同行させてもらったことについて古川さんとお話させてもらってます。

『テレビドラマクロニクル 1990→2020』

f:id:likeaswimmingangel:20210427185433j:plain

3月27日
成馬零一著『テレビドラマクロニクル 1990→2020』が届いた。連載時からいつも読んでいたものが一冊に。
目次を見ると第1章の最初は「野島伸司とぼくたちの失敗」から始まり、第3章と第4章はゼロ年代と10年代の宮藤官九郎について。

僕自身が野島伸司脚本に影響を受けて脚本をやりたいと思うようになって、流れ流れて今の状況になっているのでピンポイントで刺さる。そして、ここで取り上げられているメインの「野島伸司」「堤幸彦」「宮藤官九郎」が活躍していた時代とは僕らが思春期のころから始まっている。そこから四半世紀を経た現在までの社会との状況と問題にリンクしながら彼らは物語(ドラマ)を描いてきた。
昨日、最終回だった宮藤官九郎脚本『俺の家の話』は一つの到達点に達した。主演の長瀬智也が表舞台から消えることとリンクしながら、見えるものと見えないものを同時に表現していた。そもそも長瀬智也とほぼ同年代であり、『I.W.G.P.』放送時にほぼ二十代前後だったのが僕らであり、ロスジェネの最後尾に位置していた。
クドカンドラマの長年のアイコンのひとりであり、クドカンのある種分身でもあり、ジャニーズのアイドルであり、圧倒的な花をもつ役者が長瀬智也だった。その彼がドラマの中において、いるけどいなくなってしまった。役者としては表舞台からマスクを脱いで去っていった。

木更津キャッツアイ』のぶっさんが余命わずかで死ぬことだけは決まっていたのにレギュラードラマの中では死ぬシーンが描かれずに、それ(遊び足りない青春)がずっと先延ばしされていた。そこから20年近く経って「平成」から「令和」になった2021年に『俺の家の話』で寿一は終われなかったぶっさんとは決定的に違う描かれかたをした。その「終わり」について、どうしても26年を経て終わった『エヴァ』と重ねてしまう自分がいる。
そう、僕らの、ロスジェネの青春は終わったのだ。いや、終わったことに気づかないフリをし続けた、その惰性の年月から目を覚ます時が来たのだと言われているようにも思える。かつて僕らに夢を見せてきた創作がその夢から醒させる装置となって。


f:id:likeaswimmingangel:20210427185644j:plain

4月11日
『テレビドラマクロニクル1990→2020』の第四章「2010年代の宮藤官九郎ーー東日本大震災後の日本社会をめぐって」を読んでいると当然ながら『あまちゃん』について語られるのだが、放送年の大晦日紅白歌合戦における本当の最終回としての157回はきちんとNHKオンデマンドできちんとアーカイブされていた。
能年玲奈がその名前を奪われてるわけだから、震災10年後に『あまちゃん』は復活することはできなかったんだろうな、ふつうに考えたらやるだろうし。
しかし、「のん」となった彼女はリアル『千と千尋の神隠し』を体現してるんだけど、『あまちゃん』における「アキ」は物語では「シャドウ」の役割を担っていた。それを演じていた彼女は「能年玲奈」であるのに「のん」として生きているわけだから、もはやどちらが「シャドウ」なのか。この混乱は日本の芸能界の問題だけど、『あまちゃん』における80年代を代表するアイドルだった小泉今日子が「のん」の活動を後押ししていく。芸能界の転機のひとつではあったんだろうね。

著者の成馬さんが書かれていたけど、『タイガー&ドラゴン』はクドカンの第一期集大成であり、虎という現実(の生き物)と龍という妄想(の生き物)を現実と落語でうまく構成していた。『木更津キャッツアイ』では野球の表と裏で、『あまちゃん』では三陸(海女)と東京(アイドル)の構造になっている。NHK紅白歌合戦での『あまちゃん』の真の最終回はフィクションであるドラマが現実と混ざる。境界線を越えてくるからこその感動がある。
クドカン作品に出てくる幽霊やある人にしか見えないもの、それは境界線を行き来する表現なんだと思う。
目に見えるものと目に見えないもの。『ゼロエフ』で古川さんが書いたものもまさしくそうだった。だから僕は本を読んだときに『ゼロエフ』に書かれたあの存在はあの時確かに僕らと共にいたのだと思えた。


成馬零一著『テレビドラマクロニクル 1990→2020』読了。「PLANETS」の先行発売で購入したので、書店での発売は23日ぐらいから。
この本においてメインで取り扱われているのは「野島伸司」と「堤幸彦」と「宮藤官九郎」であり、僕がリアルタイムで見続けてきた人たちだ。そのため、ここで書かれている批評に頷きながらも自分のことも思い出していた。

そもそも僕は1995年の野島伸司脚本『未成年』に強く影響を受けて脚本家になりたいと思ったのがそもそもの間違いであり、まさに「ぼくたちの失敗」でもあった。
当時の中二の僕は勉強なんかまったくしていなかったのもあって、『未成年』のラストでモチーフにされた連合赤軍的なものや浅間山荘事件すら知らなかった。この時点で野島伸司は臨界点を迎えていた。同時に擬似家族や仲間内の共同体における暴力が内側に向かえば内ゲバに、外側に向かえばテロになることを描いており、同時代におけるオウム真理教的なものも内包していたと言える。その後、ゼロ年代以降になれば擬似家族的なものを巡る物語は増えていくのだが、野島伸司はその嗅覚によってそれを描くことでどこにも行けなくなってしまった。

僕は『未成年』以降の野島伸司脚本をただひたすら楽しみにしていた思春期を送り、次第に世間とズレていく野島伸司へ違和感をあまり感じずに崇拝していた。野島伸司教と言ってもいい、そのひとつの到達点が『世紀末の詩』だった。
もう、自分の作品を好きだと言ってくれる人にしか向けて書かれていないこの宗教的な作品が当時の僕は大好きだった。『世紀末の詩』のあとに構想されていたという『新世紀の詩』は『世紀末の詩』の視聴率の悪さなども相まって作られることはなかったという。だから、当時の僕は脚本家になったら、『新世紀の詩』というタイトルでドラマを書きたいと思っていた。野島伸司も大学中退だし、脚本家になるのだからという安易な考えで大学も一年で辞めたほどに僕はもろに影響を受けていた。
我が家には第二回ヤングシナリオ大賞を受賞した『時には母のない子のように』のビデオテープがあるがデッキがないので見れないが、そのデビュー作のタイトルから、『愛という名のもとに』の浜田省吾、『高校教師』の森田童子、『未成年』のカーペンターズなどを主題歌に使ってリバイバルヒットさせるが、彼もまた庵野秀明とおたく第一世代であり上の世代のオリジナルと自作の距離感が作品に出ていたと言えるのだろう。

野島伸司は70年代的なドラマなどに影響を受けていて、第一回ヤングシナリオ大賞を受賞してデビューした野島より四歳年下の坂元裕二は80年代のノリノリな時代を楽しんでいた青年だった。この差が90年代における二人の脚本家における地位を決めてしまう。
坂元裕二は96年に脚本家を休業し小説家に転向しようとしたが作品は形にならず、女優の森口瑤子と結婚し子供も生まれたこともあって主夫をしていた。そう書くと彼らと同時に活躍しており、小説家としても評価されていたが自殺した野沢尚のことが浮かぶのだけど、この本では触れられてはいない。

だが、野島伸司が時代とズレていく中で、浮上してくるのが一度は脚本家として死んだはずだの坂元裕二だったというのは興味深い。
近年の坂元裕二は『東京ラブストーリー』の人というイメージはもはやない、『Mother』『最高の離婚』『カルテット』という高く評価される脚本を描き、今年には『花束みたいな恋をした』でヒットを飛ばしている。
野島伸司はずっと「母」や女性やパートナーに対する「母性」を求め続けているような作品を書いていた。それは特に詩集などでは顕著だった。
庵野秀明の『エヴァンゲリオン』におけるエヴァンゲリオン自体がシンジの母のユイによって作られて、エントリープラグが母胎でケーブルがへその緒であるというまさに母胎と胎児の関係性であったこととも近い。

戦後における「父性」の問題とも関係しているのだと思う。庵野秀明が『プロフェッショナル』で語ったような自身の父親との関係性はシンジとゲンドウそのものだが、野島伸司も『愛という名のもとに』や『未成年』で父と息子の対立を描くが、どこか「母性」的なものを求めたり、描くことで逆説的に「父性」の問題を描いてしまっていたようにも思えなくもない。

僕は20歳の時に上京して映画の専門学校に入学する。たまたまだが、卒業生で有名なクリエイターは堤幸彦行定勲であり、ふたりともドラマと映画の『世界の中心で、愛をさけぶ』を作っている。坂元裕二は行定監督『世界の中心で、愛をさけぶ』の脚本をしており、そのヒットで映画では初めてに近い商業的なヒットを収めた。

『未成年』が10月クールで始まるそのひとつ前の7月クールからは日テレで『金田一少年の事件簿』が始まる。堂本剛主演でヒロインはともさかりえだった。演出は堤幸彦
KinKi Kidsは同世代であり、『若葉の頃』や『人間・失格』でデビュー前から見ていたわけで親近感があり、漫画でも読んでいた作品のドラマ化を僕はたのしく見ていた。野島伸司企画『家なき子』は81年生まれの筆頭株の安達祐実主演だったが、このヒットにより日テレの土21時は若者向けのドラマが行けると判断され、『金田一少年の事件簿』のヒットにより、『銀狼怪奇ファイル』『サイコメトラーEIJI』『FiVE』『D×D』『ぼくらの勇気 未満都市』など映像的にも当時のPVなどの要素も入れられた視覚的におもしろい作品が十代向けに作られていった。この枠をある種形づけた堤幸彦はその後、99年にTBSで『ケイゾク』を作ることになる。

世紀末が近づいてきたあの頃、サイコサスペンスや多重人格ものが溢れ始めていた。それは世紀末と来るべきインターネット社会の予見でもあったように今では思えるけど、まだネットは一般的にはなっていなかった。
99年に『ケイゾク』があり、翌年2000年に宮藤官九郎脚本で堤幸彦演出『I.W.G.P.』が放送される。明らかにここで日本のドラマの歴史が変わっていくのだが、当時はただめちゃくちゃおもしろいと友達と言い合う程度であり、その後に宮藤官九郎がこんなビッグネームになるとはまったく思っていなかった。
『I.W.G.P.』が重要なのは、脚本の宮藤官九郎とプロデューサーの磯山晶と演出の金子文紀というのちの『木更津キャッツアイ』を作るチームが出会ったこと、『ケイゾク』のプロデューサーの植田博樹と『SPEC』の流れができ、また、堤幸彦は『TRICK』に向かっていく。

野島伸司教だった僕も『I.W.G.P.』を普通にたのしんでいた。徐々にそちらに寄せられていっていたのだが、上京したのは2002年でありその年に放映されたのが『木更津キャッツアイ』だった。
2002年1月クール放送だったので僕は2月ぐらいの途中から上京して残りを東京で見たわけだが、ここではのちに「マイルドヤンキー」と呼ばれる地元で仲良く高校までのカーストのままつるむ仲間たちが描かれていた。
カーストの上位なんかにいなく、下の方で下の方の友人と大学辞めてから戻っての一年の間は遊びながらコンビニの弁当工場で働いていた僕は、その生温いほどよい生活はこのまま続けていたらヤバイとも思っていた。
結局、上京してもモラトリアムを延長させるだけになるわけだが、日本中が「郊外化」していく中で地元は「郊外」とも言えないほどの田舎だったけど、その感触だけは肌感でわかっていた。
そして、ゼロ年代初頭はまだ東京への憧れが存在しており、ようやくミニシアターで何ヶ月も待っていなくても新作映画を観ることができた。それが田舎から上京してきたちょっとサブカル好きな人間には東京にいる、いたい理由にすらなった。それを小説としてきちんと描いたのが山内マリコさんだった。

宮藤官九郎の飛躍と同時に、大人計画やほかの小劇団系の役者さんたちもドラマや映画に活躍の幅を広げていった。当然ながら「大人計画」にも興味を持つようになって舞台を観に行くようになったが、その時点でもチケットがなかなか取れない人気劇団だった。何度か観ることができて、そのたびに主宰の松尾スズキの才能はヤバイと思わされていた。
三茶に住み始めてからは当時、三宿松尾スズキは住んでいたのでよく見かけた。その度に目が合うと「お前は俺のことを松尾スズキだとわかっているな、声かけんなよ」オーラが凄まじかったので一度も声をかけたことはない。

『テレビドラマクロニクル 1990→2020』では宮藤官九郎を取り上げるためにもちろん松尾スズキと「大人計画」についても触れている。旧劇と新劇の違いから70年代の寺山修司唐十郎、80年代の野田秀樹鴻上尚史たち、そして松尾スズキ平田オリザの話もわかりやすく書かれている。
平田オリザにはある種後継者やフォロワーの戯曲家たちがいるが、「大人計画」と「劇団☆新感線」はあまりにも独自な路線でありながらも商業的にも成功しており、真似しにくいフォロワーができにくいという側面もあったという話。
2005年の岸田國士戯曲賞宮藤官九郎鈍獣』と岡田利規 『三月の5日間』が同時受賞している。これは松尾スズキ平田オリザの後継者であるふたりが取ったことでさらにそのふたつの流れが加速していったようにも見える。

『三月の5日間』は一度しか観ていないが、演劇における身体性の流れはあったし、それは小劇場系で続いた。そして、宮藤官九郎がドラマで描くのは「マンガ・アニメ的なリアリズム」とも言えるキャラクター的な身体を俳優に演じさせるものであり、大塚英志が名付けた「アトムの命題」的なものと「アイドル」としてどこか成長しないでほしいと思われているジャニーズ事務所のタレントとの相性もよかった。
もともと松尾スズキ赤塚不二夫に憧れていてギャグ漫画家になりたかった人だった。そういう部分もあるのかもしれない。また、松尾スズキ庵野秀明とも年齢が近いが、父親が早くに亡くなっており、遺伝的に早死にだという強迫観念があった。そこにハゲも加わる。が、松尾スズキはどちらかというと髪は薄いが異様な魅力があって女性にモテる。
「あのお、すごくカッコいいんですけど何をしてる人なんですか」みたいなことを言われたということをエッセイで書いていたがそれもなんとなくわかる。
松尾スズキが描く作品はなぜ生まれたんだ、なんで死んでしまうんだ、世界はこんなにも不条理だという怒りやそこから生まれるエネルギーがエロや暴力となって描かれている。そのせいか、確かに松尾スズキは町で見てもなにかが溢れ出ていた。
大人計画」の異様な存在感は主宰で演劇界における重要人物となった「第一の男」である松尾スズキ、『I.W.G.P.』から日本のドラマ界を変えてしまい、NHKの朝ドラと大河ドラマの脚本を書くことになった「第二の男」である宮藤官九郎、そして、ミュージシャンであり役者でありラジオも文筆もこなす「第三の男」である星野源がいるということだろう。

本書では「SMAP」がいなくなったあとに星野源がその役割をひとりで負っているような存在感を放っているとあるが、星野源菊地成孔が言うように「ひとりクレイジーキャッツ」である方が正しいのだと思う。
戦後日本の芸能事務所の始まりや現在の大手の事務所の創業者がミュージシャンから始まっていること、お笑い芸人やアイドルがテレビを席巻するまえにテレビにおける音楽番組とバラエティの基礎を作ったのがバンドマンだったのはただの事実であり、『おげんさんといっしょ』が原則的に生放送であることもある種のテレビの黎明期への先祖返りでもあるが、テレビの可能性のひとつでもある。ただ、それを民放ではなく国営放送であるNHKでしかできないことが問題なのだろうけど。
星野源というミュージシャンであり役者がいることで「大人計画」は他に類を見ない劇団となっている。

宮藤官九郎はもともとビートたけしに憧れ、『ビートたけしオールナイトニッポン』のヘビーリスナーであったことでビートたけしの相手であった高田文夫のような放送作家になろうと上京して日芸に入ったが、松尾スズキと出会って演劇にいった人だった。
落語を盛り上げたいと思っていた高田文夫宮藤官九郎にパルコ劇場抑えるから三本くらい落語を書いてくれと依頼され、一年後に『タイガー&ドラゴン』の企画書を持ってきた。
宮藤官九郎長瀬智也岡田准一というジャニーズのアイドルが落語をすることで世間は驚くでしょと高田に言ったという。そして、2005年に『タイガー&ドラゴン』は正月SPを一度放送してから4月クールから連ドラが開始された。もちろん落語家さんたちのそれまでの努力や切磋琢磨はあったから土台はできていたのかもしれない。だが、このドラマが確実に現在の落語ブームと客層の変化に影響を与えている。

僕はこのドラマのあとぐらいに連れて行かれて春風亭昇太師匠の落語会を見にいったが、おもしろくなくて全然笑えなかった。観にきている八割は若い女性だったけど、彼女たちはほんとうに面白いと思っているのかは疑問だった。
その後、 ZAZEN BOYS立川志らくの対バン形式のライブがあり、 ZAZENの演奏後に彼らの音楽が出囃子となって志らく師匠の『らくだ』が始まった。渋谷公会堂の満席の客席は爆笑の渦に包まれてわきにわいた。この時、落語ってめっちゃおもしろいじゃんと思った。

立川流は「本書く派」とも言われ、「水道橋博士のメルマ旬報」でご一緒している立川談慶師匠や立川吉笑さんなども著書を書かれているが、立川談春師匠『赤めだか』と立川志らく師匠『雨ン中の、らくだ』が大きかったと思う。志らく師匠は「M-1」審査員を談志師匠同様に落語家としてつとめ、毀誉褒貶はあるがテレビのモーニングショーの朝の顔を務めて全国区となった。
『赤めだか』がドラマ化もされたことで落語人気にさらに追い風を吹かせた。ドラマでは立川談志師匠をビートたけしが演じた。でも、弟子最強説を考えると談志師匠の弟子であったのに辞めてビートたけしの弟子となったダンカンだろうと思うのだが、ドラマではビートたけし演じる立川談志が立川談かんにビートたけしに弟子入りするのを許すというメタフィクション構造になっていた。

その後、宮藤官九郎脚本『いだてん〜東京オリムピック噺〜』ではビートたけし古今亭志ん生を演じる。ビートたけしが蒔いた種の一つが巡り巡ってきているのもすごい。
震災後の表現としてテレ朝で放送していた『11人もいる!』では、前妻で死んでいるはずのメグミ(広末涼子)が見えるのが現在一家の母である恵(光浦靖子)と父の実(田辺誠)との間にできたひとりだけ他の兄弟と腹違いの才悟(加藤清史郎)だけであったというのは実はリアリティがある。この二人だけがメグミが亡くなる際に看取っておらず、死んだのを見ていなかった。
被災地と幽霊というものは震災後に幾度と語られている。ただ、宮藤官九郎の擬似家族や共同体はもはやその幽霊さえも受け入れる、しかも彼女がその二人に見えなくなってもいるという前提の家族像だった。それは多様性を求めるといいつつもひたすら正義の名の元にいろんなものを排除して、正しいものが正しいという自粛警察とは反対のベクトルでもある。

あまちゃん』では主人公の「アキ」が「シャドウ」の役割でありつつ、物語においてはかつてアイドルを目指した母の春子の「生き霊」のような18歳の春子的な幽霊(鈴鹿の代わりに歌ったことでデビューできなかった)が物語に見え隠れする。それは物語においてそれは排除されるのではなく、春子や鈴鹿ひろ美や「潮騒のメモリーズ」に歌われることで成仏していく構造であり、最終的には年末の生放送の紅白歌合戦でそのドラマにおけるフィクションが現実の歌合戦を侵食し統合された表現となって完結した。
アナログ放送が終わり、デジタル放送開始の時に僕はテレビを捨てたのでその後数年はリアルタイムでドラマを見ることがなくなっていった。
結局、2015年頃からパソコンでTVerのおかげでドラマも見えるようになったし、『SPEC』シリーズの続編である『SICK'S』を見るためにParaviを契約したのでTBSとテレ東のドラマは見れるようになった。そのふたつのおかげで野島伸司坂元裕二を輩出したヤングシナリオ大賞出身にも関わらずにフジテレビではその才能を活かすことができずにTBSに活動の場を変えた野木亜紀子作品や坂元裕二『カルテット』なんかはテレビがなくても見てたのしめた。

そして、2021年1月クールの宮藤官九郎脚本『俺の家の話』も充分満喫できた。いろんなものの終わりを感じさせるものでもあり、この20年の一つの区切りや「平成」がようやく終わっていくのを『シン・エヴァンゲリオン』同様に感じさせてくれた。
タイガー&ドラゴン』で落語ブームは来たが、『俺の家の話』によって能ブームはくるかと言われると今のところは微妙だ。しかし、『平家物語』現代語訳を古川日出男がしたことで創作された外伝的な『犬王の巻』という小説がある。この作品の主人公は世阿弥のライバルだったとされる犬王であり、アニメーションで湯浅政明監督×野木亜紀子脚本×松本大洋キャラクターデザインで今年映画公開される予定になっている。また、『モーニング』では能を取り上げた『ワールド イズ ダンシング』という漫画も始まった。すぐにではないが何年かすると能も新しい変化や躍動が訪れるかもしれないという予感はさせる。

リアルタイムで追いかけてきた人たちについて書かれた評論なのですごく楽しく読んだのだけど、同時に彼らの時代が長かったことで、下の世代であまり突出した存在が出てきていないのでは?という疑問は出てくる。もちろんかつてなら脚本家になっていたかもしれない才能が違うジャンルへということもあるのだろうけど、ここまで時代の流れが反映されてしまうジャンルで、しかも大衆の多くの人が基本的には無課金で見れるというのはテレビのドラマぐらい。ただ、それも終わろうとしているとなると、細分化されていくとますますそれぞれのジャンルで閉じてしまって、なにが起きているかわからなくなってしまう。


f:id:likeaswimmingangel:20210427185952j:plain

4月16日
成馬零一著『テレビドラマクロニクル 1990→2020』で取り上げられた堤幸彦演出作品である『TRICK』シリーズ。アマプラにあるのでシーズン1をBGM代わりに流しながら作業。
貧乳山田と巨根上田コンビが事件を解決していく。犯人は自称超能力者であり、上田たちや警察に謎が解けるか挑戦したりもする。売れないマジシャンである山田と自称超能力者たちの戦いは、シリーズが増して劇場版が増える毎に反転しはじめる。そもそも山田がシャーマン的な能力の血を継ぐ存在だった。偽物をマジシャンとして、上田の協力もありつつ見破っていくのに、当の本人が本物であるという事実。オリジナルとフェイクをめぐるものは庵野秀明堤幸彦たち世代には大きなものであった。

シリーズ自体が長期に及んだこともあり、本物と偽物をめぐる問題は、偽物だらけになり、もはやオリジナルの価値を見いださず崇拝もしないネット社会においては置き去りにされる。そして、その超能力者たち同士が戦い、国家すらも越えていこうとするなかで国家権力である警察が向き合うことになるのが、『ケイゾク』の魂的な続編『SPEC』シリーズだった。堤幸彦作品のバディは恋愛関係ではなく一個の個人として認めあえる関係性になっていくものが多い。

ケイゾク』『TRICK』『SPEC』という流れで見ていくと作品に漂う空気感として、同時代のネット的なものがあり、それまでの本物と偽物や歴史という時間に対しての考え方が反転してくのに呼応するように「超能力」者たちの戦いとシステムの問題が露になり、それぞれが抱えて信じる「正義」がぶつかりあい、負けたものは歴史の闇に消えていく。その真面目さに抗うように堤幸彦は作品の中で必要以上にくだらない小ネタにこだわり、謎に笑えないものをぶちこんでいく。
『SPEC』における餃子マンとかをあえて入れないと気が済まないところに彼のナイーブさとあまりにも真面目になりくさって相互監視していく社会に唾を吐き続けていたようにも見える。しかし、それはあまりにもわかりにくい表現でもあるのだけど。
TRICK』を見直すと出てくる人たちにすでに亡くなった方がたくさんいて、不思議な気持ちにもなる。

『すばらしき世界』『聖なる犯罪者』『花束みたいな恋をした』『バッファロー66』『風花』『あの頃。』『あのこは貴族』『三月のライオン』『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』『ミナリ』『ノマドランド』『ホムンクルス』『騙し絵の牙』『街の上で』『戦場のメリークリスマス』

f:id:likeaswimmingangel:20210427123536j:plain

1月12日
西川美和監督『すばらしき世界』試写を。今作では殺人を犯し、服役していた三上(役所広司)が戻ってきた世界でどう生きていくか、人と関わるのかが描かれる。西川監督作品はずっと観てきたが、確実に泣かせそうとしている箇所がいくつかあった。今までそんな感じはしなかったけど、ワーナーだしやり方を少し変えたのかな。まあ、普通に泣いた。条件反射だから仕方ない。

吉澤(長澤まさみ)のシーンは多くないものの、彼女はテレビプロデューサーとして、あることで逃げ出したディレクター津乃田(仲野太賀)にとても大事な事を言う。津乃田は三上を取材対象としてカメラで撮影しているわけだが、映画やドラマに出演する俳優とドキュメンタリーの被写体はまるで違う。
カメラで撮ることは暴力性をはらむ、とくに後者の場合は撮る側がしっかり意識して責任の所在をはっきりしてないと暴力性はどんどん増していく。だからこそ、津乃田は吉澤に大事な事を言われたあと、三上との関わり方が嫌でも変化していく。

三上は仕事に就こうとしても、なかなかうまくいかない。わずかだが、少しずつ心を許せる他人が増えてくる。それが居場所になるし、人が生きていくためには重要なことであり、結局、人がやり直せるかどうかのベースは居場所があるかどうかなんだろう。
ただ、今の世界では間違いが許されない。自己責任という言葉によって、冒険をしにくい世の中になり、一度やらかしたことはネットに刻まれる。昔よりも失敗からは逃げ切れなくなった。
三上が当たり前の生活をしたい、堅気として生きたいと願う思いもなかなかうまくはいかない。それは生きづらさを感じる人たちに共感されるはず。
残念なことは今の日本では、檻の中に入るべき為政者たちが捕まらないまま、のうのうと偉そうにしている。その皮肉のようにもこの映画は見えなくもない。
あと、このところ、仲野太賀出演作はハズレがない、というか、彼の時代が来てるんだろうな、と思った。

 

f:id:likeaswimmingangel:20210427123626j:plain

1月21日
PARCOにあるホワイトシネクイントにて、「週刊ポスト」連載「予告編妄想かわら版」で取り上げた『聖なる犯罪者』を鑑賞。
パッと見はトレスポ×聖職者な今作。主人公のダニエルが少年院から仮釈放なのかな、仮退所だっけな、をしたらすぐにクラブ行って酒にタバコにドラッグやって、そこのトイレで心理学専攻している大学生の女の子とセックスしてるっていう、少年院出る前に神父に酒やタバコは外出てもやるなよって言われて、はいって言ってて、すぐそれしてて、いやあ、俗物で欲望に忠実だなって思った。それは人間らしい、でも、彼には信仰心は確かにあって、物語はそれ故に展開していくことになるのだけど。
実話を基にしているのだが、日本映画で近いのは西川美和監督『ディアドクター』。嘘をついて、そのまま嘘の自分を、なりたかった何かを演じ続ける。最後辺りはキリスト教圏内だともっと深いとこで理解できるんだろうな。かなり好きな作品でした。

 

f:id:likeaswimmingangel:20210427123745j:plain

東京ラブストーリー』『カルテット』の脚本家・坂元裕二による初のオリジナル恋愛映画『花束みたいな恋をした』(1月29日)。終電をきっかけに出会った一組の男女。
彼(菅田将暉)の部屋でスケッチブックを見ている彼女(有村架純)「コンセントがギリ届いて、私の濡れた髪を乾かし始めた」という彼女のセリフも予告編で聞くことができます。また、「三回ご飯食べて告白しなかったら、ただの友達になってしまうっていう説あるし」「次は絶対に告白しようって」というセリフも坂元脚本らしさを感じます。予告編ではリクルートスーツに身を包んで就活する二人の姿もあります。
ここからは妄想です。と言っても予告編に「人生最高の恋をした、奇跡のような5年間」とあるのでこの恋は終わってしまうのでしょう。確かにスクリーンで有村架純さんをずっと見ていたいと思いますが、映画はいつか終わります。それと同じように、この作品は誰もが経験している大事な人とうまくいかなかった過去を思い出させるものになっているはずです。
おそらく、ラストシーンは駅のプラットフォームでふたりがそれぞれの家族や恋人といて、目があって微笑んで電車がやってくる感じではないでしょうか? きっとそういうベタな方が観客に沁みると思うのですが。

週刊ポスト』1月25日発売号掲載「予告編妄想かわら版」より

↑自分の連載でも取り上げた『花束みたいな恋をした』が公開になり、10時の回をTOHOシネマズ渋谷で鑑賞した。

f:id:likeaswimmingangel:20210427123911j:plain

映画『花束みたいな恋をした』は予告編を見るとなんとなくわかるんだけど、実際に本編を観ると、同じく坂元裕二脚本『カルテット』第六話の真紀と幹生夫婦が出会って付き合って結婚して、幹生が失踪するまでの流れの中にある男女のすれ違いとか我慢とか思いやりの別バージョンというか、20代の恋愛編みたいなところがある。

『カルテット』はなぜか異様に好きすぎて、各回を30回以上は見ている。Paraviを流しっぱなしでセリフをただ聞いてる。
『花束みたいな恋をした』は『カルテット』の演出だった土井さんが、野木亜紀子脚本映画『罪の声』に引き続き監督をしている。ドラマのTBSのエースが、ドラマでも組んでいる脚本家たちと映画をやっているから、出来は当然素晴らしい。そもそも野木さんや坂元さん脚本なら、誰が出ていても誰が監督していても、観に行くのは決まりだ。という脚本家さんたちだから。

画像3
『花束みたいな恋をした』の主人公のふたり(麦と絹)が意気投合するのは好きな小説家が一緒で、絹が麦の本棚見て、ほぼうちの本棚じゃんというシーンがある。
ふたりが好きな作家は穂村弘長嶋有いしいしんじ堀江敏幸柴崎友香小山田浩子などがいる。パンフレットインタビューを読むと小説家も漫画家もミュージシャンも坂元さんの好きな人ではなく、書く際に参考にした人の趣味らしい。
しかも、彼や彼女はあまりよく知らない人で、そのInstagramとかをひたすら見て深掘りした(見られてる方は知らない)。マーケティングするようにある特定の人を見続けて、その趣味が麦や絹に反映されているらしい。

上記の作家以外にも、舞城王太郎の名前も出てくる。舞台は京王線沿線の調布や多摩川だったりする。ラノベは読まないが、純文学系が好きなふたりが調布を舞台に小説を書いている舞城王太郎を読んでいるのはリアリティがある。
同時に舞城王太郎いるなら、古川日出男も入れろやとファンとしては一瞬思わなくもないのだが、その場合は阿部和重川上未映子柴田元幸の名前がないとたぶん入らない、その感じがよくわかる。

この映画で何度も出てくる小説家は今村夏子であり、あとは単行本としてキーになるのは滝口悠生だったりする。いろいろ合点がいく。就活して会社員になった麦は絹がオススメしてくれた小説を読む気力もなく、小説を読んでも頭に入らない。でも、文章を読もうと書店で手にするのが前田裕二『人生の勝算』という所で笑ってしまった。ほんとうにあるあるだなと思った。その辺りのセレクトがやはりうまい。

ふたりはいわゆるメインカルチャーではなく、サブカルチャーとされる文学や音楽や演劇を好んでいる。そして、麦と絹の出会いと別れはどこか憶えがあるものだ。
映画を観ながら、二十五歳の時から六年近く付き合った彼女とのことが何度もフラッシュバックした。きっと、僕と彼女の恋愛もこの映画で描かれていたふたりのことも、この世界ではありふれているものなのだろう。だからこそ、20代のころにしかできない恋愛があったんだと思い出せてくれる。終盤に麦と絹がかつての自分たちのような若いカップルを見たとき、その表情が泣けてしかたなかった。

映画観て思い出したけど、上京して最初に住んだのは柴崎駅近くで、最初のバイトだったナムコのゲーセン連中と深夜の多摩川でバーベキューして、朝方全裸で泳いだ。それもあって映画の舞台がもろに近過去なのよね。

2月2日
朝起きてから再びのTOHOシネマズ渋谷で二度目の『花束みたいな恋をした』を鑑賞。
先日の映画の日に僕がオススメして観に行った親友のイゴっちは「残酷な映画だった」という感想を送ってきた。僕とは真逆だったのでどうしてだろうと考えていた。
二回目は初回ほど泣かなかったのだが、主人公の山音麦と八谷絹の恋人たちを改めて見てみると、イラストレーターになる夢を諦めて就活して正社員として働き始めた麦と一度は歯医者の受付に就職するものの縁もあってイベント会社に再就職して自分の好きなものを活かせる仕事を始めた絹。麦はかつてのように小説や映画をたのしむことができない。
絹は「やりたいことはしたくない」という気持ちを持ち続けていた。その違った心の行先はすれ違いを生んでしまう。

僕は麦のようになる可能性が少しはあったのかもしれないが、絹のような人生を歩んでいる。だから、この二人は僕にはありえたかもしれない未来と現在であるのだな、と思った。観終わってからイゴっちにラインをしたら、彼は「自分は麦だ」と返してきた。その差が残酷さや好き嫌いという部分で大きな差が生まれていたのかもしれない。

どうしても、20代中頃から30少しまで付き合っていた当時の彼女のことを思い出してしまう作品だ。まあ、僕が出演したイベントに誘ったけど体調悪くて来れなくて、そのあとも自分たちにとっては大事なバンドのライブも体調悪くて来れなくて、ラインでのやりとりだけして別れた。だから、この映画のような別れの儀式とかそういうきちんとしたことができていなかったことが僕の中では根を張るように残っているんだと思う。

あの頃の僕は、相手に僕をもっと見てほしいというのもあったけど、物書きになる自分を応援してほしかった。だけど、相手のこと(感情や体調や日常)をきちんと考えたり、思いやることはまったくできていない独りよがりでわがままだった。

後悔してもどうにもならないことはこの世界にはたくさんある。だからこそ、この映画を観ると過ぎ去った季節の風が、現在の僕の頬を撫でるような錯覚がある。だからこそ、自分にとって響いてしまう映画なのだ。だって、もうだいたいのことは忘れてしまっているのに、忘れられないことと呼応するのだから。



f:id:likeaswimmingangel:20210427124131j:plain

1月29日
PARCOにあるホワイトシネクイントにて、ヴィンセント・ギャロ監督『バッファロー66』を続けて鑑賞。
高校生の時とか上京してからビデオかDVDレンタルして観ているが、スクリーンで観るのは初。観始めてから内容をほとんど覚えてないことに気がついた。今の時代に見ると主人公のビリーの不器用さ故の他者への態度はもろにアウトだなあ、と。前日にフェミニズムの本を読んでたらそうなる。
この映画の印象的なシーンを再確認したという感じだろうか。ボーリング場とかホテルでふたりが少し離れて寝転んでいるとか、ポスターにもなっている証明写真をふたりで撮るとか、最後のほうのストリップバーみたいなところでのビリーの姿とか。
ちょっと前に観た『花束みたいな恋をした』によるダメージが僕をかなり撃ち抜いてしまっていたこともあって、懐かしいものをスクリーンで観たという印象ぐらいにしかならなかった。


f:id:likeaswimmingangel:20210427124235j:plain2月12日
ベルサーレ渋谷にて毎年恒例の確定申告が終わって予定どおり、ユーロスペース相米慎二監督『風花』をば。
昔、一回ぐらいDVDで観たような気がするが、まったく内容を覚えていなかった。麻生久美子さんが出てたとか観て驚いた。
浅野忠信さんと小泉今日子さんのカップリングで、噛み合わないというか酔わないと陽気にならずに素面だと性格の悪い浅野くんと風俗嬢でいろんなものを諦めている小泉さんが北海道の彼女の娘がいる場所へ向かうロードムービー。二人ともいるだけで画になってしまう、会話がなくても成立する。


f:id:likeaswimmingangel:20210427124842j:plain2月16日
ヒューマントラスト渋谷にて西川美和監督『すばらしき世界』を試写含めて二回目をば。試写と同じところで泣く。失敗や過ちを犯した者はやり直せないのか?という極めて現代的なテーマを描いている。
公助ではなく共助でもなく自助を、自己責任を押し付けられ、生活保護はみっともないものとして生存権の行使をやりにくくする政治や社会へのカウンターとして。この映画をいちばん観るべきは政権与党の連中だと思うが、この世界はもう...。
仲野太賀のモデルは山下敦弘監督らしいのだが、観ていくとオズワルドの伊藤に見えてくる不思議。


2月21日

 ハロプロモー娘。などつんく♂が総合プロデュースを手掛けたアイドルグループや女性タレントの総称)の名曲たちが彩る、今泉力哉監督作『あの頃。』(2月19日)。
 冴えない若者・劔(松坂桃李)はある日、テレビから流れてきた松浦亜弥の曲を聞いて涙を流す。そこから彼女を始めとしたハロプロのアイドルたちにハマっていく。同時にハロプロのアイドルが好きな仲間たちとも出会い、交流を深めていきます。そのことで彼の退屈な日々が終わり、生きる希望が沸いて、たのしく過ごしているのが予告編で見ることができます。
 ここからは妄想です。藤本美貴推しの友人(仲野太賀)が天冠をつけていて、「あの頃おもしろかったな」と言っているシーンが予告編にあります。劔が「あの頃」を現在から懐かしく思い出しているというのが、この作品の核になのでしょう。ハロプロなんか知らない、という方ももしかするといるかもしれません。でも、かつてピンクレディーキャンディーズ、他のアイドルが好きだった読者の方はいますよね。時代が変わってもアイドルを応援する若者たちはいて、彼女たちに熱中したという青春があったということはきっと伝わるはずです。この映画を観て、自分が好きだったアイドルの曲をもう一度聞くのも乙なものかもしれませんね。

週刊ポスト』2月15日発売号掲載「予告編妄想かわら版」より

 

↑自分の連載でも取り上げた『あの頃。』が公開になり、土曜日の朝一の回でTOHOシネマズ渋谷で鑑賞した。

今泉力哉監督『あの頃。』をTOHOシネマズ渋谷にて鑑賞。朝一の回だがわりとお客さんが入っていた。たまたま僕の周りのお客さんたちは知り合いらしく、始まる前に挨拶とかしていた。ハロプロのファンの人なんだろうなと思った。コミュニティが可視化されていたというか。

人がなにかにハマる時、出会う人とそのコミュニティの大事さがわかる映画だった。どんなに居心地がよくても人間関係は日々変わり続けるから、コミュニティは現在進行形になる。それをしっかり描いていたのがよかった。そして、主人公の劔が「いまがいちばんたのしい」と言うことがとても素晴らしいことだと思った。

個人的なことを言えば、ファンコミュニティというのは苦手だ。最初は他人行儀だった関係性も何度も会って話をしていくと友達になって、その中心にあるもの(この映画だとハロプロ)と切っても切れなくなる。そういう風になっていくと、その対象者が好きでもコミュニティでの関係性が悪くなって、ライブとかに行かなくなってしまうことがある。

僕は個人的にはそういう深いところまで行きたくないタイプだ。コミュニティが嫌になってその対象になるもののファンをやめたくないというのもある。同時にそのコミュニティがとても大事なもので繋がりを持てるものとなるのもわかる。でも、僕がオンラインサロンとかが嫌なこととその辺りは繋がっているとも思う。

あと「萌え」とかの概念がほぼないのでアイドルとかキャラクターにまったくハマらないため、こういうファンコミュニティと出会うこともなかった。
僕が高橋留美子にはまったく興味が沸かないのに、あだち充がなぜ好きなのかという理由もその日本のマンガ・アニメ的なものであったり、アイドルとかへの「萌え」という概念のことが関係していると思う。
あとは基本的に群れない方が人は自由に好きなものにコミットできると僕は思っているところがある。


f:id:likeaswimmingangel:20210427125235j:plain

2月27日
山内マリコさん原作・岨手由貴子監督『あのこは貴族』鑑賞。東京にある階層はコロナ禍でさらに深く広く断絶したと思う。地方出身者はほぼ移民のようなもので、地元の時間軸とも、東京生まれ東京育ちの人とも違う時間軸と階層を生きているから居心地がいい。

東京生まれの華子の不自由さと地方出身者の美紀の不自由さは違う。ふたりを繋げる、共通の人物が幸一郎という華子よりもさらにランクが上の上流階級に出自を持つ男性だった。幸一郎と華子は婚約するものの、美紀との関係も続いていた。
美紀は猛勉強の末に慶應義塾大学に入学するものの、実家の関係で中退せざるを得なくなり、ラウンジで働くようになり、そこでどんどん働く店をランクアップして客の紹介で就職をすることになった。幸一郎は慶応幼稚舎出身のイケメン弁護士という最強スペック。ここで慶應が出てくるのは、この作品における「階層」のわかりやすさが出ている。
と言っても僕は進学校じゃなかったので東京の大学のランクとか全然知らなかったし、上京してからもまず六大学出の知り合いはほとんどいなかった。「文化系トークラジオLife」の界隈の人と知り合うようになって初めて、六大学出身の人たちとたくさん知り合ったし、世の中には東大とか慶應とか早稲田出てる人っていっぱいいるんだなと思った。それまではあまりに身近ではない人たちだったから。
基本的にいい大学を出て、名前が通るような有名な企業に勤めている人はほとんどの場合親切である。マイルドヤンキーでもなく、地方出身者で成り上がろうとかいう思考もなく、就職もしていないような人間はどこの階層でもない下の方でふらふらしていて居場所は特にない。僕はそんな親切な人たちのおかげで場違いな場所に呼んでもらったりして、何食わぬ顔をしていたらそのうち馴染んできた風に見えてきたんだと思う。カメレオン的な能力といいますか。
そういう意味で僕は美紀がラウンジの客の縁で就職したように、知り合った人たちの好意とやさしさでなんとなく東京でサバイブしてこれた。

ただ、そういうこともコロナ禍が始まってからはおそらくほとんど消えてしまった。長く続く経済不況もあるが、東京に憧れを抱く若者がそもそも少なくなっている。
足りない、ということが大事だった。発売日に読みたい本が書店にない、観たい映画は公開から半年ぐらい経ってから、ライブに来るのは一部の大物アーティストだけ、ネット普及前は足りていないことが欲望へ向かっていた。
今やネットとオンラインによって、都市と地方の時差はほぼなくなり、飢えのようなものは少なくなっているんだと想像する。そういうことを含めても、原作の山内さんは同世代でその感覚を小説で描き続けている。そのわずかなパイは山内さんがかさらってしまったように思える。
最近公開された坂元裕二脚本『花束みたいな恋をした』は麦と絹の年齢よりも上の2000年前後の上京組のほうが刺さりやすい気がする。

今回幸一郎を演じたのは高良健吾、『花束みたいな恋をした』で麦を演じた有村架純は高良と共に坂元脚本『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』に出演していた。

「東京は夢を叶えるための場所じゃないよ。東京は夢が叶わなかったことに気づかずにいれる場所だよ」

という印象的なセリフは『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』第二回だったが、地方出身者が気づかずにいれる場所はやはり時間軸が異なっているのだと思う。

『あのこは貴族』の最後には華子も美紀も自分の決断によって、絡み取られていた不自由から抜け出そうと動き出していた。でも、美紀のあの姿に「東京は夢が叶わなかったことに気づかずにいれる場所だよ」という部分を感じてしまう自分がいた。




f:id:likeaswimmingangel:20210427125552j:plain

3月4日
アップリンク渋谷にて矢崎仁司監督『三月のライオン』を鑑賞。
名前は聞いたことあるけど(漫画『3月のライオン』が有名になり過ぎてしまったが)、観たことなかった作品だったので、一度スクリーンで観てみたかった。そういえば、アップリンク来たのは岩井俊二監督の『8日で死んだ怪獣の12日の物語』を観て以来かな。

物語は記憶喪失になった兄、兄にずっと好意を持っている妹。彼女は記憶を失っている兄に恋人だと嘘をつく。兄が記憶を取り戻したらその前から消えることを決めて。
近親相姦の話ではあるのだが、イメージショットみたいシーンとかが多く、物語というよりは映像で進んでいくような。橋を渡って帰ってきたり、鏡に映る自分だと、ビルや家の解体など象徴的なシーンが繰り返される。
アイスという名前の妹が不思議な、ボブカットでかわいいと言えばかわいいけど、公衆電話に自分のポラロイド写真貼って、その横で待っていて写真を持ってきた男に売春していたり、その辺はちょっと岡崎京子『pink』的なものを感じたりはした。
最終的に二人は結ばれるが、記憶を取り戻してしまう兄。でも、ラストシーンはその時にできたであろう子供の出産シーンだったりして、感情移入がいろいろしにくいよと思った。しかし、観終わってあの生まれてきた赤ん坊が観客である僕たちのような気がしてきて、赤ん坊の人生の物語のプロローグがこの『三月のライオン』だったのかと思える部分もあったりした。


f:id:likeaswimmingangel:20210427125658j:plain

3月9日
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』をTOHOシネマズ渋谷にて鑑賞、そして終劇。
アニメ放送時に中二だった我らリアルシンジ生代も今年40代に突入。未完ではなくケリをつけて終わったからいいんじゃないかなあ、と思った。「平成」って、メンタル弱かったけど、まあふりかえればよい時代だった気はする、そんな『シン・エヴァ』観た感想。

やっぱりエヴァンゲリオンが好きとかではなくて、エヴァ語ってる人が、その現象がおもしろいな、と思ったんだろうな。あとかつてのリアルシンジ世代だと結婚してるしてない、子どもがいるいない、その時期とかも感情移入できるかできないかに響きそう。
観終わっていちばん思ったのは、つうか「真希波・マリ・イラストリアス」のあの設定どういうことになってんの? スタッフロールに神木隆之介の名前あったけど、なんの声やってたの? だったが、神木君に関しては下記の宇野さんのnote読んでわかった。でも、それもネタバレに含まれるっていう。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」についての雑感(今日における虚構の価値について)
https://note.com/wakusei2nduno/n/n2fd22e066c8d

宇野常寛さんのネタバレ全開の記事を読む。僕が感じた「平成」感は、ここで書かれたことがそう思わせたのだろう。
西島大介さんの漫画『I Care Because You Do』という作品は、90年代にいた3人の神(庵野秀明YOSHIKI、リチャード・D・ジェームス)についてのものだった。『シン・エヴァ』はゼロ年代の終わりに西島さんが90年代のサブカルを、自身に影響を与えたものについてのある種私小説的な作品としての『I Care Because You Do』で描いたものの、その手前で終わっていると僕には思えてしまった。だから、庵野さんにとって、いや僕らにとってようやく「エヴァ」が代表する「平成」が終わったんだということ、しかし、残念ながら僕らはもう「令和」の時代を生きている。

新劇場版エヴァンゲリヲン 真希波・マリ・イラストリアス安野モヨコエヴァンゲリオン
https://74196561.at.webry.info/201312/article_30.html


10年前に書かれた「真希波・マリ・イラストリアス」についてのブログを読んでみたら、今回の『シン・エヴァンゲリオン』のオチまでしっかり当てていた。すげええ!
と思いながらも、自分の分身(庵野監督にとってのレイやアスカも含む)ではなく他者を求めた庵野監督ということに気づいていた人はわかっていた話なのかもしれない。
同世代が『シン』を見て通り過ぎた景色だなと思うのは感覚としてはわかるものの、独り者で子供なしの自分は結局パートナーとしての安野モヨコに出会っていないのだよ、と思うわけで違った感触なわけですが。


f:id:likeaswimmingangel:20210427125815j:plain

3月20日
『ミナリ』をTOHOシネマズ渋谷にて鑑賞。
前年の『パラサイト』みたいに作品賞取れるかと言ったら取らない気はした。だが、今アメリカでアジア系の移民がターゲットにされている事件もあったりするから、その辺りの時代背景も考えるとわからない。

1980年代のアメリカのアーカンソー州に韓国系移民のジェイコブ一家が農業で成功するために引越ししてくる。
実はジェイコブってカルフォルニアとかで鶏の雛のオスメスの鑑定を仕事にしていたみたいで、初生雛鑑別師みたいなことをしていたんだというのがわかる。
祖母の兄が初生雛鑑別師で1939年にロサンゼルスに日系移民の人に呼ばれて一年過ごして、帰国してすぐにイギリスにいった。しかし、第二次世界大戦が始まると日系移民の人たちは強制収容所に移送されて、二世の人たちとかはアメリカ人として日本と戦ったという歴史がある。そのため、日系移民の人たちは土地も奪われていて、戦後に多くの人がロサンゼルスに戻ってくるというわけではなかった。一部の人が戻ってきて現在の「リトルトーキョー」を復活させたけど、かつての規模ではない。その辺りにジャニー喜多川氏の父が僧侶だった高野山真言宗米国別院も残っているが、おそらく戦前から場所は変えられていると思う。
日系移民がいなくなったのもあって、韓国系移民の人が初生雛鑑別師のような仕事をやるようになったのかな、同じアジア人だし手先が器用と思われていたりするのかもしれない。その辺りのことは調べないとわからないけど、戦前は日本の初生雛鑑別師はオスメスの正答率は世界一ぐらいで重宝されていた。
あと、観ながら「初生雛鑑別師」については描いていないので、そこのパイはまだあるなと思った。
ジェイコブが息子のデイビッドに雛のオスは美味しくもないし役に立たないから殺されるんだって話をしていて、俺たちは役に立とうみたいな話をしていた。この辺りはアメリカという現実が重なっていたのかもしれない。

この作品に話を戻せば、1980年代のアメリカだけど、希望を胸に成功しようと奮闘する移民の家族の姿に、フロンティアを求めたかつてのアメリカ移住者たちが重なるし、時代的にも近過去であることがより通じるんだろう。
物語のキーマンはジェイコブの妻・モニカの母のスンジャでもあったりして、家族の話になっている。また、子供は長女のアンと長男のデビッドがいるが、デビッドは心臓に疾患があり、走ったり無理しないように親から言われている。末っ子の彼がマスコット的な部分もあるが、健康な長女がわりとないがしろにされているように感じたりもした。
監督のリー・アイザック・チョン自身の体験がかなり反映されているみたい。彼は『君の名は。』のハリウッドリメイク版を監督するらしいので、今後名前がより知られていくと思う。
「ミナリ」というものが象徴すること、祖母とジェイコブ一家の関係、移民が母国ではない国で生きるという意志に「ミナリ」がかかってくる。そういう意味ではすごく手堅くしっかりとした作りになっている。ただ、最後の方の大きなシークエンスとかもどうも心が揺さぶられなかった。
「A24」制作のものはこの数年でとりあえず観にいくようにしているんだけど、『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』『WAVES/ウェイブス』が思いの外響かなかった。『mid90s ミッドナインティーズ』はすごく響いたけど。


f:id:likeaswimmingangel:20210427125937j:plain

3月26日
TOHOシネマズ渋谷にて公開初日の『ノマドランド』鑑賞。
金獅子賞も取ったし、今年のアカデミー賞最有力と言われているので期待値は高かったが、あまり響かず。『ミナリ』もだがこちらも開拓者であったりフロンティアを目指すという共通項はあった。
『ミナリ』はかつてのアメリカの姿を80年代の韓国系移民家族を通して見るものであり、『ノマドランド』はリーマンショック以後の新自由主義が支配している世界でかつての価値観から離れて生きる老女を中心に描いている。
どちらもトランプ政権が4年続いたからこそ出てきた作品のような気もする。トランプという国難が過ぎ去るかと思いきやコロナ禍がやってきた。日本だって安倍首相がいなくなっても腐敗したものはそのまま腐り続けながらそこにコロナ禍とどう考えても今やるべきではない東京五輪を強行したくて仕方ないのだから多難ばかりだ。日本からも『ミナリ』や『ノマドランド』的な開拓やフロンティア精神を描くものが作品として出てくるかと言われたらたぶん出てこない。そもそも国の成り立ちが違うのだから。


f:id:likeaswimmingangel:20210427130134j:plain

f:id:likeaswimmingangel:20210427130150j:plain

4月1日
映画の日なので、テアトル新宿で『花束みたいな恋をした』三回目を、『シン・エヴァンゲリオン』二回目(IMAX)をTOHOシネマズ新宿で決めてきた。
どちらもこの先観ない(配信とかでは観ない)だろうからスクリーン収めになるだろう。映画に少しは関わる仕事で原稿料をもらってるから、やっぱり好きなものは劇場でお金を払っておきたい。もちろん、サービスデーなんかでいつもより安く観る時はアイスコーヒーを映画館の中で買う。原価率的にも儲けはわりとあるはずだ。コンビニとかでドリンクを買って昔は観ていたけど、コロナになってからは完全に映画館で買うようになった。去年の今頃は「週刊ポスト」で連載の「予告編妄想かわら版」は映画館が閉まったことで休載になった。もちろん、休載中の原稿料は出ない。夏前ぐらいはほんとうに金銭的にもヤバかった。クレジットカードも使いまくったし、友達にも金を借りた。古川さんに同行するための金がまったくなかったから、ようやく先月全額返したけど。

『花束みたいな恋をした』はさすがに3回目だとラストのファミレスで泣きかけたけど、思いの外大丈夫だった。絹(有村架純)が麦(菅田将暉)の家に最初に来た時に、部屋の中に「ZAZEN BOYS」のTシャツがあって、そうだよね、そこは聴いているよね、麦は、と思った。『花束』を観ると男は有村架純と付き合っているという妄想、あるいは脳内で別の現実を作ってしまうという話があるが、僕はわりと「有村架純有村架純だ」としかならない。妄想力が足りないのだろうか。昔、付き合っていた彼女と麦と絹みたいにばったり会ったら、ガン無視されると思う。というか『リアル鬼ごっこJK』文庫版で思い出したくないエモいことを書いていたことを思い出すのだが、家にあったものは全部人にあげたのでもう確かめようはないが。

NHKで放送した『プロフェッショナル』の庵野秀明さんの回を見たこともあって、二回目になると、欠損してしまったエヴァの身体、そして復元するエヴァの身体(庵野さんのお父さんは片足を事故で失っていて、世間を恨んでいるように息子には感じられていた)、父と息子の父殺ししない物語(息子が生まれたら、父親の肩を叩くか、殺すのが役目というものから、父殺しではなく父赦しのエンディングに移行する)、人の数だけの願いと世界、26年かかった私小説の終わり(ヒロインの一人であり、『新劇場版』から登場したマリは安野モヨコ説はNHKの番組を見てると大納得)、母胎、そして初恋へのさよなら(レイとアスカというオリジナルアニメからのヒロインたち)、ゼロ年代から現実を侵食し始めた円環の終わり(エヴァンゲリオンを繰り返しの物語ですと、『新劇場』制作発表時の庵野さんのコメント、渚カヲルというキャラクターがそれを体現しているため、渚カヲルと『魔法少女まどか☆マギカ』における暁美ほむらは役割は同じ)、コピー世代のオリジナルへの願望とその体現(特撮や宇宙戦艦ヤマトとおたく第一世代としての庵野秀明の上世代への憧れ)、なんかいろんなものが観終わってから脳裏をよぎる。

個人的にはスタジオジブリというか宮崎駿作品は嫌いだ。弟子筋とも言える庵野さんやその作品は好きだとか、村上春樹作品は基本的には嫌い(作家としてすごいのはわかってる、宮崎さんも同様に)だけど、村上春樹さんとその作品に影響を受けた古川日出男さんにむちゃくちゃ影響されまくってるとか、端から聞くと矛盾してるように思われるかもしれない。
宮崎さんはちょい上だけど、村上さんは親父と年が変わらない戦後すぐ生まれで、彼らを父世代として見てる。古川さんは自分と15ぐらい年が離れてるから父ではない、年の離れた兄、中上健次的に言えば「長兄」で、親しみと尊敬がある。

例えば、庵野さんが父殺しするならスタジオジブリをカラーと合併させるかなにかして、主導権を今後握ればいいだろうけど、しない。最終的にはスタジオジブリとかは中国資本とかに買われるんじゃないだろうか、日本の優良なコンテンツを作る会社は基本的にはそうなっていくとは思う。今でももう有名な作品の原作権とかは買われているというし、まあ、親族とかが金なくなって売ったりもするだろうし。
結局のところ、スタジオジブリは宮崎&鈴木コンビが亡くなれば、基本的には終わる。殺さなくても寿命が来たら死ぬ。
宮藤官九郎脚本ドラマ『俺の家の話』で人間国宝の寿三郎をクドカンが殺さないのも同じことだったのだろう。人間国宝でもいつか寿命が来たら死ぬ。死ぬまではその技術や能力や体験を下の下の世代へ引き渡す必要がある。だから、長男で一度家を捨てて、家に戻ってきた寿一が死ぬ。就職氷河期時代、ひきこもりが問題にされる世代の、社会から負け犬だと思われて、バイトや派遣社員になるしかなかった世代でもある寿一、上が死んでももう間に合わない世代だから、下の世代になにかを託すように邪魔にならないように消えるしかない。

「さよなら、すべてのエヴァンゲリオン」のように、エヴァシリーズが消えていくのと同じように、死に損ない続けた、青春の終わりを認めなかった『木更津キャッツアイ』の主人公のぶっさんを殺せなかった(完全に死ぬシーンを描けなかった)宮藤官九郎は寿一をスーパー世阿弥マシンを確かに物語の中で死なせた。
たぶん、このことは今後の様々な創作ジャンルに影響してくると思う。

オリジナルではないコピーのコピー、さらにそのコピー、n次創作世代としての表現だと西島大介さんが漫画でやってたりする。それはとても批評的であり、もっと評価されるはずだが、あの可愛いらしい絵でみんなが舐めているのかもしれないが、西島さんは淡々と漫画の可能性を拡張していっている。それはまたの別の話か。

村上春樹さんが父親について書くようになったのはわりと最近のことだ。父親との確執みたいなものがあったと聞く。たぶん、最初から父について書いていたら、村上春樹村上春樹という作家にはならなかったし、そもそも小説を書けなかったんだと思う。古川さんも父親との関係は良好なものではなかった。古川さんが地元の福島や家族について話すようになったのはデビュー10年目の『聖家族』からだった。
僕も父親とのなにかだ。いち個人の父というよりは父世代への思いやなにかだ。キーはどうしても「戦後」になる、そして、アメリカ。戦後の日本とアメリカの関係になるから、どうしても天皇制と神話についてになる。
物語と神話はたぶんイコールではない。
メモ代わりに書いたけど、うまくまとめていければ、自分の核がはっきりするはずなので、今後の創作のテーマ。


f:id:likeaswimmingangel:20210427130356j:plain

4月3日
ホムンクルス』をヒューマントラスト渋谷にて。なんだか綾野剛のファンらしきマダムたち&エキストラかなんかで参加していた女性がめっちゃいた、みたいな会話が聞こえた。
原作漫画読んでないけど、「予告編妄想かわら版」で書いた妄想いい線行ってた。
綾野剛成田凌辺りのビジュアルだと『多重人格探偵サイコ』も行けんじゃないかな、まあ、三池崇史版はあるが。ハリウッド映像化の話も消えたが。
多重人格探偵サイコ』で刑事の小林洋介が壊れて、多重人格のひとつ雨宮一彦が誕生(主人格になる)することになるけど、恋人の千鶴子が両手足切断されながらも生きたままポカリみたいな液体に入れて送られてきて、西園伸二の人格が一時主人格になり、犯人の島津を殺害して自分は隠れるようにして雨宮に主人格を引き渡す。物語はそこから始まる。これデヴィッド・フィンチャー監督『セブン』のラストシーンから始まるような、ありふれたサイコサスペンスだった。
元々ルーシー7辺りで終わるはずだったから、二、三時間でまとめれる映画版はたぶん可能、ただ大塚さんが脚本とかに口を出すから揉める(だいたいそれで映像化は飛ぶ。飛んだけどテレ朝は何食わぬ顔で『都市伝説の女』というドラマを作ってた)。
フィリップ・K・ディックの可能世界あるいは多層(多重人格)的な物語はネット世界の予見みたいなもので、ネットが当たり前になれば個人はより分裂して複数化していくから多重人格というのは違和感がなかった。で、今だともはや当たり前になりすぎてしまった。貞子がもはやキャラクター消費されてるけど、リングウイルスはインターネットそのものであり、悪意は無尽蔵にばらまかれ、現実すら侵食して書き換える。
95年以降の平成という元号でのネット社会で『リング』シリーズと『多重人格探偵サイコ』はわかりやすい作品なんだと思う。『ホムンクルス』も映画はその延長線にあるような気はした。


f:id:likeaswimmingangel:20210427130516j:plain

吉田大八監督『騙し絵の牙』をTOHOシネマズ渋谷にて鑑賞。原作小説は去年読んでいたが大泉洋を当て書きで書いていたものだったが、内容もおもしろかった。しかし、この作品に関しては小説よりも実写のほうがおもしろかったと感じた。原作を書かれている塩田武士さんの小説は今回もだが、前回の『罪の声』と連続して映像化を担ってる人たちが凄腕だったのもあって、原作と実写ともにいい相乗効果が出てる気がする。
出版業界を舞台にした物語だけど、どんな企業でも起こりうるトップや現場でのイニシアチブの取り合いと足の引っ張りあい、伝統と革新のせめぎあいが描かれている。騙し合いを続けているという感じを出しているが、最後に笑うのは誰かみたいな話でもある。
出版業界の今だけではなく、未来に起きてくるであろう話も盛り込みつつ展開していて、エンタメとしても素晴らしい。しかし、公開のタイミングが悪いのかあまり観られてないような気がして、そこは残念。でも、連ドラでリブートもできそうだし、続編も作れそう。八重洲ブックセンターのカフェエリアや、文藝春秋で絵になるのはあそこしかない螺旋階段とかも出てきたりしていた。池田エライザの役どこというかあの役だけで出版と芸能のいろんな皮肉さと可能性を秘めてた。


f:id:likeaswimmingangel:20210427130604j:plain

4月10日
今泉力哉監督『街の上で』をヒューマントラスト渋谷にて鑑賞。ほぼ満席。コロナで公開が一年ほど延期されたがようやく公開に。コロナ前に撮られた下北沢はもう戻らないコロナ以前の世界であり、マスクが当たり前になる前の、いまとは違う距離感で人が人と接していた記録にもなっている。
何気ない会話からわかる登場人物たちの恋愛模様や人生の一部が、下北沢という町では起こりそうな偶然のコンボを起こして、笑わずにはいられない状況となる。観終わったばかりだけど、また登場人物たちに会いたくなる。
下北沢に縁があってもなくても楽しめる群像劇なんでオススメです。


f:id:likeaswimmingangel:20210427130654j:plain

4月13日
『パーム・スプリングス』鑑賞。ある結婚式の朝から寝るか死ぬまでがひたすら繰り返されるタイムリープブコメディ。毎朝同じように目覚める花嫁の親友の彼氏であるナイルズと花嫁の姉であるサラが当日の夜に結ばれかけるが、ナイルズは何者かに狙われて殺されかける。彼が息も耐え耐えに逃げ込んだ洞窟に追いかけてきたサラがやってきてしまい、彼女もナイルズ同様に目覚めると結婚式の朝をひたすら繰り返すタイムリープにハマりこんでしまう。
二人はハメを外しやりたい放題し、何度も自殺したりするがタイムリープからは逃れられない。
明日は訪れずに死ぬこともできない永遠に続く結婚式の朝。ある日からサラはこのタイムリープを抜け出すための行動を起こしはじめるのだが。
繰り返す諸行無常、終わらない日常、閉塞感に覆われた世界のメタファにもなるタイムリープ、繰り返される日常はコロナにより吹き飛んだ気もする。その意味ではタイムリープものはこれからはあまり出てこないかもしれない、『エヴァンゲリオン新劇場版』はそもそも最初から繰り返しの物語ですと言われていたから、コロナ禍で終われたのはよかったはずだ。カヲル君が月にある棺から毎回起きてはなんとかシンジをTRUEENDに導こうとしても失敗し続けたように『パーム・スプリングス』のふたりもタイムリープからは抜け出せなかった。
誰もが八百比丘尼のように身体の老化を止めて、知識や記憶を引き継ぐことはできない。繰り返される日常が急に終われば、肉体と魂の誤差が一気に出て、人は違う意味で壊れてしまう気もする。
『パーム・スプリングス』はタイムリープ&ラブコメだけど、円環から抜け出す手段はかなりsmartだった。それがとてもこれまでのタイムリープものに対して批評的でもあってよかった。


f:id:likeaswimmingangel:20210427130826j:plain

4月20日
映画のワンシーンとかは何度も観ている(「メリークリスマス!ミスターローレンス」のセリフとか)せいか、どこか観たつもりになってるけど一度も全編を観たことがない『戦場のメリークリスマス』を新宿武蔵野館にて鑑賞。
やっぱり演者の顔がよかった。ボウイにしろ坂本龍一にしろビートたけしにしろ、色気がある。坂本龍一ビートたけしはかなりセリフがアフレコになっているっぽいけど。そういうことを入れても、そこに佇んでいるだけで、この色気と知性による狂気みたいなものって今の役者や表現者にはほとんどないような気がする。居るだけで画になるというのがやっぱり異質だなあ、と。この三人は天下を取ってるわけだけど、やっぱり色気と知性なんだろうな。
今はその色気はレディー・ガガとかにはあるかもしれないけど、男性からは失われた気がする、なんとなくだけど。
戦場のメリークリスマス』観て、そのあとに『愛のコリーダ』も4K修正版が劇場公開されるから、まずは『戦場のメリークリスマス』観たのに緊急事態宣言出たら、上映どうなるかな、と帰りながら思った。まあ、また「週刊ポスト」映画コーナー休載したら夏前辺りからまた生活が死にますな。
政治にも期待できないし、芸術もクソな世界の現実に抗えないし、世界は変わらないから自分を変えようみたいな自己啓発セミナーの行く末が今の分断ネットカルチャーだし、打つ手がないのが問題だし、現状を変えてくれる英雄を待ち望んでも結局ポピュリズムに行き着くだけで東京や愛知や大阪みたいな最悪な状況になるのも目に見えてる。日本的なシステム使うなら、令和終了して改元するというリセットは現代ではもはや通用しないし、とか書いてたら阿部和重さんの『オーガ(ニ)ズム』を再読したくなってきた。『オーガ(ニ)ズム』どっかで映像化したらいいのにね。

『Swallow』『映画 えんとつ町のプペル』

f:id:likeaswimmingangel:20210109091640j:plain

1月2日
2021年の映画初めはシネクイント『Swallow』を鑑賞。
緊急事態宣言出たら、また、しばらく劇場で映画観れなくなりそうだし、「週刊ポスト」連載もそれに伴い休載になれば、また原稿料出ないし、会社から給料もらってる半分フリーな人間は持続化給付金はもらえない。そうなるとちょいと詰みそうだが、確定申告である程度は返ってくるから春先まではなんとかなるはず。だから、映画館で映画を観る。
『パラサイト 半地下の家族』から半地下の家族要素をパッと見だけ抜いて、伊坂幸太郎著『重力ピエロ』の要素がある作品のように感じた。キリスト教原理主義なんかも絡んではいるが、女性が抑圧されてきたものからの解放、選択する主体は「私」であり、あなたでないという意思表示が描かれていた。
映像はロケーションも含めて優雅で美しく洗練されているが、異物を飲み込み排泄する一連の症状に陥る主人公のハンターの表情や身体性がサスペンス的なものを作品に持ち込んでいる。それが怖い、同時に魅力的に見える。口から肛門まで人間は一本の管である。それを踏まえたフェチや嫌悪感に襲われる。
ハンターがラスト近くである人に会って会話するシーン、たぶんキリスト教的なものの直喩であり隠喩、創造主と被造物との関係であるんだろう。よって、個人という主体である「私」は「私」として生きて取捨選択していくのだ、という決意表明でもある。オススメしにくいが素晴らしい作品だと思った。

 

画像2

1月7日
早起きしてから、電車に乗って新宿ピカデリーで『映画 えんとつ町のプペル』を鑑賞。
ラスト近くでの主人公のルビッチの父・ブルーノ役である立川志の輔師匠の語り(ナラティブ)が大円団に観客を連れていくのが見事だった。原作・脚本・製作総指揮であるキンコン西野さんは「語り」に希望や夢を持っている人なんだろう、でなければあの構成にはしないはずだ。だからこそ、煙に覆われた町の上を突き抜ければ「星」=「希望」が見える(ある)ことを描いたと思った。しかし、その夢を伝えるその「語り」は、同時にこの日、海の向こう側のアメリカでは連邦議会議事堂内にトランプ氏支持者が突入するクーデターを起こした要因ともなった。

「語り(ナラティブ)」は立場を変えれば、希望や絶望がいとも簡単に反転してしまう。この映画はいろんな批評が出てくるとより輝くものとなるはずでもある。また、作中にはお金の話もあるし、SNSで炎上させて叩きにくる自警団のような存在も出てきている。
西野さんの実体験がかなり反映されているのがわかる。同時にこの舞台となっているのは、ラジオで水道橋博士さんが言っていたように軍艦島であり、石炭などを産出していたもの(エネルギーの創出)も感じさせる。そこはある種閉じられた空間であり、外部との接触がないというのも特徴的だ。

海の向こうに、空に向こうになにがあるのか? というのは島国である日本と重ね合わせることができる。えんとつ町はある真実を隠すために鎖国のような状態になっている。それはゼロ年代の内向きになった日本を彷彿させるし、部外者が入れないオンラインサロンのようでもある。西野さんはそのことを自覚しているからこそ、この町の外に行こうとする少年を描いたのだろう。冒険者はいつも狂人や変人扱いされる。それは彼らが常識では計れないからだが、いつしかその常識を変える可能性を秘めているからこそ、彼や彼女を恐るのだろう。

宮崎駿作品の少年はヒロインがいないと空を飛べなかった(呪われた豚のみが空を飛べたのは皮肉のようだ)けど、ルビッチは自分のアイデアと仲間の協力で飛ぶ。
ゴミ人間のプペルはゴミ(かつての希望や生命力)と父性(息子を抑圧せず後押しする存在として)の結晶であり、ルビッチを見守ってから境界線の向こう側で役目を終える。この作品はそのようなメタファがたくさんあり、何度見ても発見があるだろうし、観た人同士で話ができるものにもなっていて、やっぱり西野さんが時間をかけてやってきたことはすごいなと思った。