Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年3月1日〜2023年3月15日)

先月下旬の日記(2023年2月15日から2月28日分)


3月1日

コトゴトブックスで注文していた西村賢太著『蝙蝠か燕か』が届いた。前に遺作となった『雨滴は続く』、そしてその際に作られた『西村賢太追悼特集』も注文していた。この未刊行小説集もコトゴトブックスで頼んでいた。西村作品の装画を数多く手がけられていた信濃八太郎さん描き下ろし絵葉書が特典でついていた。
最後の『雨滴は続く』から読み始めたような人間だけど、西村さんの小説を読んで人間の業を、自分の人生というものを私小説として全部書こうとした姿勢とその人間性には惹かれてしまう部分があった。もちろん、どうしようもねえ人だなって思うけど、そこも含めて人間らしすぎるその西村さんの分身である北町貫多のことを無視できない。そう考えるとチャールズ・ブコウスキーが自分の作品で書いていた分身的な存在であるヘンリー・チナスキーと同種のものだから、僕は惹かれてしまうのかもしれない。

朝からリモートワークをして、夕方から新しく始まる仕事があったのでそのために15時に早上がりをして打ち合わせ場所に向かう。17時から収録を含めて顔合わせして、二時間があっという間に終わってしまった。次回の日程なども決めてからオフィスが入っているビルを出て電車に乗って家の最寄駅に向かった。お仕事をご一緒させてもらった方が帰る方面が一緒だったこともあり、車内でどこかで飲みませんかとお声がけしてもらったので、僕の最寄駅で降りてその方がコロナパンデミック前に行っていたというお店に連れていってもらった。
お酒を飲みながら収録の際にできなかったお話もさせてもらった。そこから次回にもつながるようなものもいくつかでてきた。お酒もあったけど楽しく話をさせてもらえて、すごくいい時間だったし初めて会った日にしてはかなり気を許してもらえたと思った。
飲み終わったあとはニコラに寄ってコーヒーを飲んだ。アルヴァーブレンドのほどよい濃さはビールを飲んだあとに染みるというか、酔いがいい感じで抜けていく。カウンターに常連が誰もいない、という珍しい日だったらしく、仕事が終わった曽根さんと由賀さんとしっかり話もできて、とても充実した3月始まりの一日としては素晴らしいスタートダッシュになった気がする。

 

3月2日

2011年、東北の地を思いつつ、生まれた朗読劇「銀河鉄道の夜」。
小説家の古川日出男が、宮沢賢治の原作を公演ごとに新たなオリジナル脚本に仕上げ、詩人の管啓次郎、ミュージシャンの小島ケイタニーラブ、翻訳家の柴田元幸とともに、上演時期や上演する土地にあわせて脚本や演出を変容させながら、東北をはじめ全国23か所10都道府県をかけめぐり、12年にわたり上演活動を続けてきました。2021年には無観客上演として映像作品「コロナ時代の銀河 -朗読劇「銀河鉄道の夜」(監督:河合宏樹)を無料配信。本作は、第32回宮沢賢治賞奨励賞を受賞しました。

2023年、新たに書き下ろした脚本にて、音声のみでお届けする全3話構成の新作『ラジオ朗読劇「銀河鉄道の夜」』が完成しました。
銀河の常連4名に加え、古川の声がけにより、「コロナ時代の銀河」にも出演の北村恵、2016年に岩手県・種山ヶ原「KESEN ROCK FESTIVAL」で上演された「銀河ロックンロール鉄道の夜」で共演を果たした親交深いミュージシャンの後藤正文が出演と音楽で参加。
千葉県・小湊鐵道無人駅・上総鶴舞駅の駅舎にて録音されたせりふに、後藤と小島が生み出した銀河の時空をかけめぐる音が加わり、聴衆を夜空に誘うような朗読劇が誕生。出演者のコメントと、ヴィジュアルイメージをお届けします。

ラジオ朗読劇は、<ふくしまFMエフエム岩手 共同特別番組>としてラジオ電波にのせて放送されるほか、朗読劇「銀河鉄道の夜」公式WEBにて期間限定で公開。ふくしまFMでは、3月7日~9日の3夜連続、エフエム岩手では3月12日、19日、26日3週連続での放送となり、各話20分ほどの本編後に、古川日出男、小島ケイタニーラブ、後藤正文出演のインタビュートークが放送されます。(radikoにて聴取可能)銀河公式WEBでは、3月11日14時46分より期間限定で無料公開。(4月10日23時59分まで/本編のみ)ぜひあわせてお聴きください。

今夜もDJゴトウがナビゲートする銀河ラジオ。
弟ジョバンニを探している、という姉のボイスメールが届きーーー

だれの上にも瞬く星空に「本当の幸い」を探し続けながら、あらゆる思いをのせて時空をかけめぐる銀河鉄道
静かな夜に耳を傾けて、どなたさまもぜひご乗車ください。

ラジオ朗読劇「銀河鉄道の夜」三話シリーズ 放送決定

昨日、朗読劇「銀河鉄道の夜」がラジオで放送するというお知らせが出ていた。
ふくしまFMエフエム岩手 共同特別番組」ということだが、radikoもプライムに入っているからエリアフリーで聴くことができる。できれば7日から9日までのふくしまFMで聴いておきたい。その後は3月11日からは朗読劇「銀河鉄道の夜」の公式サイトでも期間限定で公開になるので、この日記がアップされた16日以降も聴ける。
銀河鉄道の物語がラジオとなる。今回は映像はなくて音だけだと思うけど、とてもいい朗読劇になっていると思うのでたのしみ。

オレのいた慶応の中3が青学、暁星、玉川なんかとチームをつくろうってなって『ティーザーズ』っていうのを組んだんだけど、それは多分、初めての中学生だけのチームだったと思う。しばらくして、明中の中3も『フリーダム』っていう『ファンキース』の予備軍を作って。そいつらとも全然友達だったしね。オレのファースト・アルバムのリリックに入ってる死んだ友達も『ファンキース』のヤツで、親友。一方で、同じ明中のHIRO君がつくった『ストリート・エンジェルス』とも仲良かったし。そういう風に、オレ等の世代はすげーフリーだった。あと、高1の頃、映画の『ウォーリアーズ』に感化されて、多国籍軍みたいのを作ろうって、色んなインターのヤツとつるんだり。そこには、アメカジもいればパンクスもいて。そう言えば、その時期からチームがストリート・カルチャーに寄っていったような気がするな。皆、スケボーとかやり出して。そのうち、センター街にたまるようになった。そこではスケボーをやってるヤツもいれば、オレはラジカセを持って行ってヒップホップを流したり。それまでも店の前に溜まるとかはあったけど、道に座ったりするようになったのはまさにオレらの世代がいちばん初め。

Tシャツをめくるシティボーイ 第16回  渋カジとは何だったのか・その4 / 文:高畑鍬名(QTV)

こちらも昨日最新回がアップされていたパン生地君こと高畑鍬名くんの連載。
今回興味深かったのは、渋カジを始めた第一世代を先輩として知る1971年生まれのZEEBRAのインタビューを記事の中で参照しているところ。それは「ヤングキング増刊 YOUNGBLOOD 渋谷不良少年20年史Vol. 2」に掲載されたものでライターの磯部涼さんがロングインタビューをしているもの。
「チーマー」ではなく「チーム」だったという当事者の話などもカルチャーとして重要な証言になっていると思う。インタビューだし盛っている部分があったり、記憶間違いとか、あとから補正していることもゼロではないだろうが、当時の空気感が伝わるものになっていた。

【予告編】『カリスマ ~国葬・拳銃・宗教~』 


現在公開中の『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』の佐井大紀監督の新作のお知らせメールが来ていた。
一月の試写の際に佐井さんとお話をしている時に、次は「カリスマ」についての作品なんですよと言われていたので、そうなんですねって話をしていた。来年とかもっと先に公開で今撮ったり、準備しているのかなって思っていたがすでに撮り終えて編集中だったということだろうか。
前作『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』同様に佐井さんが取材対象者にマイクを向けているシーンも予告編にあるので、フォーマットとしては同じ感じで作ったドキュメンタリー映画ということだろうか。

朝からリモートワーク。新しく始まることの打ち合わせとまではいかないが連絡ややりとりもちょっとありつつ、先月で終わったことの連絡もあったり、入れ替わっていく感じがすごくあるのがこの数日。
休憩中に外に出たら花粉でひどすぎてくしゃみが止まらない、ほんとうに暴力的なまでに花粉が飛んでいる気がする。目も痒いし、すぐにくしゃみは出るし、これマスクしてなかったらもう無理だわ。コロナウイルス以前にやっぱり花粉症の症状が出る人はこの時期マスク外せない。

 

3月3日

A24ファンとして去年からずっと楽しみに待っていた『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の初日をTOHOシネマズ日比谷のIMAXにて鑑賞。
今日観るために、普段休みの昨日は出勤してこの日を休みにしていた、ぐらいには期待度マックス。
TOHOシネマズ新宿のIMAXも候補だったけど、そっちのほうが混んでいる気がしたのと客層的に気持ち大人な感じもあるのでこちらを選んだが、お客さんは半分もいなかったと思う。三、四割程度か。金曜日の平日の昼間前から映画をふつうはそんなに観にこないのも理解はしている。

カンフーとマルチバース(並行宇宙)の要素を掛け合わせ、生活に追われるごく普通の中年女性が、マルチバースを行き来し、カンフーマスターとなって世界を救うことになる姿を描いた異色のアクションアドベンチャー。奇想天外な設定で話題を呼んだ「スイス・アーミー・マン」の監督コンビのダニエルズ(ダニエル・クワンダニエル・シャイナート)が手がけた。

経営するコインランドリーは破産寸前で、ボケているのに頑固な父親と、いつまでも反抗期が終わらない娘、優しいだけで頼りにならない夫に囲まれ、頭の痛い問題だらけのエヴリン。いっぱいっぱいの日々を送る彼女の前に、突如として「別の宇宙(ユニバース)から来た」という夫のウェイモンドが現れる。混乱するエヴリンに、「全宇宙にカオスをもたらす強大な悪を倒せるのは君だけだ」と驚きの使命を背負わせるウェイモンド。そんな“別の宇宙の夫”に言われるがまま、ワケも分からずマルチバース(並行世界)に飛び込んだ彼女は、カンフーマスターばりの身体能力を手に入れ、まさかの救世主として覚醒。全人類の命運をかけた壮大な戦いに身を投じる。

エヴリン役は「シャン・チー テン・リングスの伝説」「グリーン・デスティニー」で知られるミシェル・ヨー。1980年代に子役として「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」「グーニーズ」などに出演して人気を博し、本作で20年ぶりにハリウッドの劇場公開映画に復帰を果たしたキー・ホイ・クァンが、夫のウェイモンドを演じて話題に。悪役ディアドラ役は「ハロウィン」シリーズのジェイミー・リー・カーティスが務めた。第95回アカデミー賞では作品、監督、脚本、主演女優ほか同年度最多の10部門11ノミネートを果たした。(映画.comより)


観終わったあとに六本木で観てきたイゴっちと銀座にあるミスドで待ち合わせをして穴の空いているもの(ドーナツ)を食べる(イゴっちが映画の内容を知っていたり、なにかで読んだりしたからミスドかと思ったがただの偶然らしかったが、しかし、この形が映画でも重要なものだった)。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』はバカバカしくてオマージュもたくさんなのに、なにかに似ているようで似ていない、好きなものをぶちこんだのが観ている僕にちゃんと伝わってくる謎の感動があった。
中国系移民が主人公(エブリン)とその家族であり、娘のジョイはゲイであるなど社会的にマイノリティの側とされる人たちの話であり、娘の恋人も母親のエブリンからすれば白人だが、セリフの中でメキシコとのハーフだよと娘が話している。アメリカでこの作品が賞レースを席巻しているのはそういう部分もあるのだろう。マルチバースという一種のSFというかファンタジー的なギミックはあるが、軸にあるのは現代性というか今日的なアメリカにおける状況であり、そのことも追い風になっているはずだ。
ゼロ年代初頭の優れたアメリカ文学の多くは親や祖父母が移民である二世や三世たちによるアメリカ人として生まれ育ったアイデンティティと自らに流れる血の始まりの祖国と上の世代との葛藤を描く移民文学だった。それが当たり前になったかのように思えた頃には、トランプが大統領になってしまうという悪夢が起きる。

日本は敗戦以降はずっとアメリカの属国でしかないので、トランプがまだ実業家(わかりやすい新自由主義の象徴だったなって)でリップサービスで中国をディスって国内支持を得ながらちゃんと中国の富裕層から献金とかもしてもらっていているから戦争はしないという守銭奴だが、A級戦犯だった岸信介アメリカが利用するために巣鴨プリズンから助けられた人であり、その孫である安倍元首相はもちろんアメリカに逆らうこともなく、おまけにそこに統一教会もあるっていうダブル傀儡という笑えないコメディだった。
だから、野球もサッカーも嫌いというわけではないけど、侍ジャパンとかサムライブルーとか侍の意味とか考えてんのかって思う。そのことに違和感も持たずに応援してるのを見るのが気持ち悪い、そういう人は少ないみたいだけど。明治維新は侍(身分的には武士)たちのクーデターであって、ただ権力がスライドしただけであり、この国では民衆による革命は起きてないんだから。つまり、そういうことだよ。
日本はあきらかに他国と比べると移民問題だけではなく、政治家が同性婚気持ち悪いとか普通にツイートして表現の自由だと抜かすような、基本的人権とかすらも理解できてない奴らが政治しているようなお粗末な民事主義もどきな国だから、たぶん、この作品における核の部分は伝わりにくいとは思う。今敏監督とかいろんな日本アニメの影響もオマージュもあるけど、アメリカや他の移民が多い多民族国家の国のほうが共感も高いだろうし、カルト的な人気になっていく気がする。

最初は主人公にジャッキー・チェンにしそうとしたが諸事情でダメになり、ミシェル・ヨーで行くことにしたころで主人公を父親から母親に変えたとインタビューでダニエルズ(監督がふたりともダニエルだから、そのユニット)は答えているが、そこから一気に話がうまく出来上がったようだ。
移民としての母とアメリカ人として育った娘の話があり、そこには母が娘時代の父(祖父)との関係性もあるが、途中で出てくるカンフーのヌンチャク代わりに使われるふにゃふにゃのディルドはまったく役に立たず、女性器にも見えるベーグルみたいなあれは生と死における円環の輪であり出入り口になっていて、ギャグみたいなディルドもあとから意味あったなとか、母と娘じゃないと成り立たないものでもあったのがわかる。
ジャッキー・チェンが父親だったらたぶんこれ失敗してるか、成り立たないから別のテイストになっていたはずだ。
今作では父親のウェイモンドを演じたのは『グーニーズ』などで子役としてブレイクして、今作で役者として復帰した形になったキー・ホイ・クァンだったが、やっぱり彼だったからこその味があったし、ミシェル・ヨーとのコンビもよかった。また、別のユニバースで指がソーセージになっている世界ではエブリンとジェイミー・リー・カーティスが演じた国税局職員のディアドラの女性同士の関係性も描かれているし、おまけに生命が誕生しなかった世界での石になったバージョンもあったりとそのありえたかもしれない、というかこの作品においては存在している他の可能性の世界もギャグっぽさもありつつも物語を豊穣なものにしていた。

ダニエルズはニヒリストな時代がトランプ政権のときにはあったみたいな話もしていて、それは作中における娘にも反映されていたような、僕もニヒリストでシニカルな部分が強いけど、それでも人には親切にしたいって思ってる。もう、こんなカオスな世界で不条理でやりきれないけれど、人に利害とか関係なく、それが浮かんだ時点で違うんだけれど、ただただ親切にすることぐらいしかできないんじゃないかなって。これはたぶんそういう映画でもある。

ano - ちゅ、多様性。 / THE FIRST TAKE

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』とこの前観た『逆転のトライアングル』と最近続けて観た映画では吐瀉する描写があり、後者は途中で何十人吐いてんの?ぐらい吐きまくりだったが、ドラマ『エルピス』の主人公の浅川恵那も作中で吐くという行動が彼女の状況を示していたのも記憶に新しい。
吐瀉するという行為が明らかに様々なことを吐き出せない世界のメタファとして描かれているのが感じられ、トイレとか飲み屋でもいいけど吐瀉とか糞尿も含めて体内から排出するというシーンというものが、ただ人間の本能というよりも現在の社会の息苦しさに対して作り手が描かないといけないと思えているんだろうなって。

 

3月4日

九段下に行くので家から渋谷駅まで歩く、その途中の緑道の梅の木が咲いていた。天気もよくて花粉が吹き乱れている。くしゃみが出そうになるとマスクをずらして大声というか大きな音でくしゃみをしてしまう。思いの外、外なのにくしゃみが大きく響く。


東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館 なんと括っていいか、まだ分からない』を久しぶりすぎる武道館にて鑑賞。
舞台をたまに観に行く友人のノンがS席の注釈ありを先行で当ててくれたので観ることができた。実は二日目もその後に僕がS席の注釈ありを先行で取れたが二日は金銭的にもしんどいなってことで諦めた。そしたら、4日はオードリーの若林さん、5日はオードリーの春日さんが日替わりゲストということが発表されてしまった。それなら両日観たかったと思ったけど、まあ、仕方ない。
注釈ありというのは観にくいですよっていうことなんだが、写真でもわかるように普段だとアリーナの真ん中にステージと花道があり、普段のライブなんかだとステージになる場所にジャズバンドがいるという形になっていて、ステージの右横ぐらいの位置だったが、スクリーンも観やすいし、実際に出演者も顔の表情は微妙なところだったがかなり近く感じる場所だったので、まったく問題はなかった。

イントロダクション
単独公演のチケットは常に即完売、名実ともに日本を代表するコントグループ、東京03と作家のオークラが、“芸人” “役者” “ミュージシャン” “アイドル”など、様々なカルチャーシーンで活躍する人たち共に“もっと自由に”“もっとふざけて”というコンセプトで始めたエンターテイメントショー「東京03 FROLIC A HOLIC」(読み:フロリックアホリック)(=意味「はしゃぎ中毒」)。

今回、東京03が一緒に“悪ふざけ”をする相手は…様々な分野で活躍する人気ラップユニット、Creepy Nuts
さらに公演場所は、エンタメの聖地、日本武道館
さらにジャンルを超えたゲストたち集結する!

単なるコントライブともいえない、演劇ともいえない、音楽ライブともいえない…
『なんと括っていいか、まだ分からない』だけど超絶楽しい!
そんなスペシャルな公演をお届けします。

キャスト
東京03Creepy Nuts、吉住、GENTLE FOREST JAZZ BAND、佐久間宣行、
3月4日のみのゲスト・若林正恭(オードリー)、佐倉綾音
3月5日のみのゲスト・春日俊彰(オードリー)、百田夏菜子ももいろクローバーZ

東京03クリーピーナッツも生ではじめて観た。R-指定のラップすごいなって思ったし、もちろん全体的にはコントがあり、そこにラップやジャズの音楽が重なったりしていく。コントはそれぞれのコントが最終的にはつながっていることがわかったり、途中のコントが時間軸で考えると最後よりものちに起きた出来事だとわかるような構成になっており、最初の頃はバラバラだったピースが全部を観ると脳内で完成されるようなものとなっている。
ワンマンのコントライブではそれぞれのコントが最終的に最後のひとつの長尺なものに回収されていく、というものはわりと王道になっていると思う。それが物語をしっかり感じさせるものだからこそ強いし、観客も満足感が高まる。この「FROLIC A HOLIC」の作・演出は三人目のバナナマンともいえるオークラさんであり、東京03とも多くのコントライブを作ってきた人だからこその遊び心と違うジャンルの融合を目指したものとなっていた。最初から最後までずっと笑っていたので終わった頃には顎が痛いぐらいだった。

R-指定だからこそできるラップとそのテクニックにも魅了されたけど演技もふつうにうまかった、相方に対してというか演技は上手くないが世界一のDj松永はそのDjプレイを見せつけてくれたし、ある種の緩衝材的な役割もこなしていた、最後のオードリーの若林さんと一緒の時はほんとうにうれしそうだった。
戦後芸能界を作ることになったジャズをバンドで入れることでショー(孫のラップと祖父なジャズの相性の良さはロバート・グラスパーが十二分に証明してる)のレベルを上げていたし、生音というものの贅沢さ、アドリブを振られてもやってしまうテクニシャンだらけのミュージシャンたちはほんとうに縁の下の力持ち的な役割だったと思う。
そして、今回のメインである東京03は芸人としてコントライブで食べていけることを証明したコント芸人の憧れであり、それが可能なのは圧倒的な演技力とその柔軟さなのだとわかった。三人が一緒にいる時のコントは見れてよかったし、あの空気感が見るものを惹きつける。チケット取れたらワンマンのコントライブには行きたいものだが。
佐久間さんたちが以前からラジオでも今回のライブで改めてとんでもない存在だと絶賛していた吉住の爆笑の爆弾をひたすら投げつけてくるコメディエンヌとしての圧倒的さはほんとすごい。
そして、裏方が出役に反転したときに時代を変えるような存在感を持つことになると思うのだが、その代表格である佐久間宣行(令和の大橋巨泉でも青島幸男でもいいけど)とレギュラーキャストがすごすぎた。
そこに声優界トップクラスとはアイドルとしてもトップクラスであるということが体現ができてしまうのだとわからせてくれた佐倉綾音。本編最後に出オチ的にワンシーン出てきてから、最後に松永と東京03とのコント部分では事故前のたけしさんを彷彿させる面構えだったオードリーの若林、アドリブをかましまくり、最終的にはステージに出るはずのなかった佐久間&オークラを呼び出すという観客としては最高なシチュエーションを作ってくれて本当に感謝しかないし、おもしろすぎた。

終わったあとに疲れるほど笑った。最上級のエンタメを体験できたことはなんだろう、素晴らしいとしか言いようがないし、配信でも十分楽しめるはずだが、ジャズバンドの生音があるということ、そのショー的な部分がより観客にダイレクトに伝わる場所で観るのがどう考えても最上のことであり、その初日に観れたことがほんとうにうれしい。
神保町に出て、クラフトビールが多めなアイリッシュパブっぽい飲み屋で感想を言いながら飲んでから帰った。しかし、こんなに素晴らしいエンタメを続けて堪能できていろんなイヤなこととか吹っ飛んだ気がする。厄払いみたいに笑いまくってる。

 

3月5日
起きてから少し作業をしたあとに散歩がてら代官山蔦屋書店まで行って帰る。その間はradikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いていた。若林さんが昨日の『東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館 なんと括っていいか、まだ分からない』の話をしていて、その中でも吉住を絶賛していた。今日の春日さんはいったいどうなるんだろう、気になるから早かれ遅かれ配信で見てしまう気がする。
帰りに野菜炒め用の食材と肉を買ってそれを炒めて昼ごはんにした。そこから読みかけだった西村賢太著『蝙蝠か燕か』の最後の中編で作品タイトルになっている「蝙蝠か燕か」を読み終える。ああ、これを書いた西村さんはもうこの世にはいないのか、という寂しさのようなものがあった。
生前は名前ぐらいしか知っていなかったし、作品も読んでいなかったが、この人の自意識と私小説の距離感とか自分の分身である北町貫多というキャラクターを配することで小説が書けたのだろうし、世界との関係性を築いていた、あるいはさらに壊していたような、亡くなったのは早すぎるのかもしれないけど、彼の小説を読んでいると西村賢太という人の人生の終わり方はなんだか納得できてしまう。
読んでいてなにかが僕の中で疼く、その気持ちいいような悪いようなものが疼く理由も自分ではわかるような気がする。たぶん、僕は西村賢太に自分のなにかを重ねているし、近いものをはっきりと感じた。


「スーパー・ササダンゴ・マシン」さんのプラモデルを作る時にプラモ用のニッパーを買った時にヤマダ電機にあった「オルタナティブジャスティス インフィニットドラゴン」を見て、あれっ、SDガンダムってまだ「スペリオルドラゴン」っているんだって思ってその場で調べたら、二種類で合体するって書いてあった。どうみてもこちらの紫色のほうはダークサイドだなって思ってニッパーと一緒に購入して、ライトサイドの普通の「スペリオルドラゴン」っぽいほうをAmazonで頼んでいた。そちらが届いたら一緒に作ろうと思っていた。
今日ようやく届いたので「SDW HEROES スペリオルストライク フリーダムドラゴン」と「SDW HEROES オルタナティブジャスティス インフィニットドラゴン」を作った、そして、二つを合体させて「スペリオルフォーミュラーファイナルドラゴン」にした。
リアルな「ガンダム」はほとんど触れなかったし、物心ついたら「SDガンダム」のカードダス「騎士ガンダム」シリーズかBB戦士「武者ガンダム」シリーズが全盛だったので、そこからアーサー王の伝説とか知ったりしていた。
特撮も冬の時代だったし、「ガンダム」もOVAシリーズとかでテレビでは放送していなかった。ポケモンは下に兄弟がいればやる可能性もあったかもしれない、そういう意味でファミコンスーファミゲームボーイはあったけど、おもちゃや子供のカルチャーにかんしても狭間の世代だったんだろう、ミニ四駆はあったけど。
僕は小学校の頃にはBB戦士のプラモデルばっかり作っていた(塗装する凝り方はしていない)のですごく久しぶりな感じがあって、物作るのたのしいなっていう初心みたいな気持ちになったりした。たぶん、それをどこかで求めていたのかもしれない。
光と闇が合体して神というか超越的な存在になるというのは昔から好きだけど、今思うと超越的な存在って別にすべてを壊して作れる存在だからいちばんカオスだよなって。しかも、味方じゃなければすべてゲームオーバーだしとか思ったりした。

夜も引き続き作業をしたが、3月に入ってからとてもいい感じ、流れがよくなっているというか。2月までのどこか陰鬱な雰囲気はかなり吹き飛んでいると感じる。

 

3月6日

 杉本は「本当に美しいと思えるものは時間に耐えたもの」という名言をかつて残しているが、「最後の 「写真家」は写真がいかに時間に耐えられると思っているのだろうか。
「今の写真の多くは、瞬間的に消費され、瞬間的に忘れられて、何も残らない。時間に耐えられるものを作るには、たくさん作らないことですよ。みんな、たくさん作りすぎです。昔の名作はとても時間をかけて作られていたんです。作る方も、後の代まで残るものを作ろうと意識したわけですよね。僕はこのままだと世界が滅びるだろうという確信が日に日に高まっているんですね。一方でアーティストとして、この世の終わりに立ち会えるとしたら、これほど幸せなこともないと(笑)。銀塩のモノクロプリントは百年後も残ると思います。プラチナ・プリントも多分残るでしょう。インクのプリントは長い時間の中で消えますね。デジタルのジェットインクでプリントしているのは、今さえ良ければいいということ。まあ、いい気味だというか(笑)」

菅付雅信著『写真が終わる前に』P291より


昨日寝る前に読んでいた『写真が終わる前に』を朝起きてから最後まで読み終える。知っている写真家の方が少ないが、知っている方もいたりして、写真に詳しい方ではないが、2016年ぐらいからの連載をまとめたものなので、コロナパンデミックとその以前と現在が時間の流れで書かれているので写真業界がコロナパンデミックの中でどんなふうになっていたかというドキュメントにもなっている。
ここで取り上げられている日本の写真家だと塩原洋さんと細倉真弓さんの写真集は買ったことがあるが、どちらもヌードを撮っているというのが共通している。
ヌードモデルの兎丸愛美さんのヌード写真を偶然Twitterで見てから興味を持って、写真展にもちょっとずつ足を運ぶようになった。塩原さんと兎丸さんが一緒に作った写真集も展示も見に行ったけど、女性のお客さんが多かった印象もある。
いろんな制約などもあるからこれからヌードというものは減っていくかもしれないけど、僕は写真家と被写体の人がきちんと契約とかお金のことをクリアしていたらいいとは思うし、若い時のものを残したい人ももちろんいるだろうけど、裸体というものを撮る/撮られる、観る/観られるということは芸術の本質みたいなものがあると思う。


朝からリモートワークを開始して、お昼休憩の時に西友で食材を買って、その帰りにtwililightに寄ってレアード・ハント著/柴田元幸訳『インディアナインディアナ』を購入。
装幀&装画を担当した横山雄さんの展示「弱く輝く人たち 2」もtwililightで開催している。レアード・ハントの小説は同じく柴田元幸訳の『優しい鬼』を読んでいて、レアード・ハントが東京ブックフェアかなにかで来日中の際のイベントに行ったような気がする。


夕方にニコラに行って土佐文旦とホワイトチョコとマスカルポーネのタルトとアルヴァーブレンドで一服。


満月みたいに見えたけど、明日が満月らしい。夜は文字起こしの作業の続きを。

 

3月7日

起きてから作業をしてからお昼前に新宿へ。いつもはライブに一緒に行っている青木とTOHOシネマズ新宿で『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』をIMAXで二回目の鑑賞。もともと青木と行く話をしていたのもあったが、初日に観たかったの僕だけ二回目で青木は一回目。
ストーリーは一応わかっていたので初見では見逃していたり、意味がわかっていなかった小ネタも意識してみた。過剰であること混沌としていること、構造的にわかりやすくはなく(マルチバースについて考え始めると色々矛盾してないかと思うところもあるし)、なんというか口には入れてみたが噛みきれないし咀嚼も難しい、なにかが喉に刺さるような違和感もある。
たぶん、僕はこの作品について愛着というか好きだと思えるのはその辺りの要素があるからなんだと思った。その上でこの作品をおもしろくないとかつまらないとかいう人がいるのもわかる。これは分かれるし、観客それぞれの人生や家族の関係性なんかが大きく作用してしまう物語だからだ。
同時にこの過剰さと混沌さは数字を取れればいいということやわかりやすさをもとめていく今の世界へのカウンターのように思えた。人間なんてめんどくさくて、心から向き合える人なんて数えるほどしかいない、この作品はある家族の物語であり、家族だって向き合うのは困難だ。マルチバースとカンフーの融合というアイデアを用いながら移民家族とLGBTQと男性優位社会とか今直面している問題に対して、どう思うの?としっかり問いかけてきている。

終わってから青木と大通り沿いにあるガストに入って昼ごはん。ほとんどファミレスには行ったことのない人間なのでとても新鮮。隣の四人組の二十代の男女がYouTubeの数字について話していて、こういうのがリアルなんだろうなって思ったり、YouTubeか何かの動画を再生している時に普通に音を出していて、ああ、こういうバカなんだなって思って、こちらも必要以上に声を出してみたり。こういう若者に『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を薦めるのは難しいかなって思う反面、観たら観たですごく共感もするのかな、どうなんだろう。あと猫の顔がデザインされた配膳ロボットをはじめてみた。店内はお昼過ぎでもほとんど埋まっていて、多種多様なお客さんたちで映画同様にカオスな感じで、ちょっとおもしろかった。
その後は時間があったのでヨドバシカメラビックカメラに青木と行って、プラモデルコーナーを見たりした。玩具コーナーって子供もいないし最近までプラモも作らなかったしゲームもしないので行く機会がなかった。今ってこういうものが売っているというのもたまには実物を見ていないと感覚として把握できないものだなって。わりと時間も潰せたけど、ガンプラってコロナパンデミックになってから需要が増えて品薄だとは聞いていた。ほんとうに売れ筋のものはないみたいで、コロナウイルスによる影響は玩具もだし、至る所で僕らの生活を変えてしまったのだなって。

17時半ぐらいに解散して、西武新宿線高田馬場駅まで乗って、18時に約束をしていたシーシャのお店を目指す。友人の隆介くんと打ち合わせも兼ねて話をしようということになっていたので、今日は人に会うことが続くという感じだった。去年から早稲田大学にちょくちょく行くようになっていたので何度か通った大通り沿いの交差点近くの二階にあるシーシャ&占い処「極楽満月」にちょうどの時間に入った。
隆介くんにシーシャの説明をしてもらいながらスッキリするような柑橘系のフレバーをお願いして、打ち合わせと世間話をしていた。彼にたまに誘ってもらってシーシャには行くぐらいだけど、吸って吐くという行為ってリラックスにはいいんだろうな、お店に入ってからは外を歩いている時に何度かで出てしまう花粉症によるくしゃみとかもなくなったし、呼吸を意識するからなのだろうか。

21時ぐらいに隆介くんが別の打ち合わせで一度席を外したので、僕はradikoでこの日の19時にふくしまFMで放送されたラジオ朗読劇「銀河鉄道の夜」の一回目を聴くことにした。
僕らが座っていた席は向き合った二人座れるソファで素材が緑色のベルベットというか、そして交差点近くにあるので大型バスなんか通っていくと時折建物が揺れた。そして、僕はシーシャを吸って吐いていてその煙は白くてモワモワしていた。なんというか汽車に乗っているような気がして、目を瞑って朗読劇を聴きながら時折真っ白な煙を吐いていた。そのシチュエーションは古川さんたちが作り上げた作品を聴くに最高の場所のように思えた。

22時ぐらいに帰ることにして、JRの高田馬場駅に乗って渋谷まで戻ってから歩くか田園都市線に乗ろうと思ったら、ここから一番近いには副都心線西早稲田駅だと思えてもらった。副都心なら渋谷に着くし、ちょうどいいなって。今まで何度も早稲田に行く時は高田馬場駅で降りていたから、西早稲田駅を今度から使おうと思って、お店に行くまで聴いていた『Creepy Nutsオールナイトニッポン』の続きを再生しながら歩いていたら、R-指定が「今度おとんになるねん」と言い出し、松永はしっていたがラジオのスタッフは知らなかったらしく、サプライズ報告をしていた。その後に流れたのは土曜日の武道館でも聴いたこの曲だった。

Creepy Nuts / のびしろ【MV】 


打ち合わせと雑談の時にも話したこととこの曲で歌われていることがすごくリンクしていて、ちょっと笑いそうになったけど、武道館の時に知っている曲だなって思った時も響いて感動した。しばらくはこの曲を僕のテーマソングというか創作におけるBGMにしよう。
渋谷駅で降りずにそのまま中目黒駅まで乗って、そこから歩いて帰ることにした。今日は普段とは違う場所に行ったりしていたから、帰り道もいつもとは違うところを通って帰るべきだろうなって、ただそういう気持ち。


家に着いた時に夜空を見上げたら、満月がひときわ輝いていた。

 

3月8日

起きてから仕事始まる前に昨日途中まで読んでいた『群像』で古川さんが連載している『の、すべて』第十五回をもう一度最初から読む。
今回はドライビング中の車内での会話によって展開していくのだが、最後の方で「ああ、そうだ、これは恋愛小説だったのだ」と思い出させてくれるようなセリフがあった。その言葉を言うのはヒロインのひとりである谷賀見讃からのものであり、この物語の書き手であり記録者である河原真古登に知らされることになる。完全に物語のテンションというかギアが終わりに向かっていっているのを感じる。

1991年の『Non-no』と1960年の『装苑』を見ていただきました。
ファッション誌では女性モデルの相手役として男性モデルが登場します。
そんななか、女性雑誌に呼び出されたシティーボーイとして、
私の手元にある一番古い資料に登場するのは三船敏郎でした。
1950年の『スタイル』のページがこちら。

映画『羅生門』の公開と同じ年にもかかわらず、
女性ファッション誌に呼び出された三船敏郎は、ほとんど背中しか見せていません。
「アベック講座」と題されたページで、車の乗り降りにさいしての心得が書かれています。
三船敏郎ですら、恋愛マナーの最新情報を引き立たせるデート相手になってしまうのです。

Tシャツをめくるシティボーイ 第17回  渋カジとは何だったのか・その5 / 文:高畑鍬名(QTV)

友人のパン生地くんの連載の最新回。前回に引き続き「渋カジ」について取り上げているが、今回は男性がメインではなく、彼らシティボーイをデート相手にしていた『JJ』や『CanCam』の誌面から女性たちのファッションも 含めて、女性誌におけるTシャツのタックイン&タックアウトについて資料を多く掲載している。途中であきらかにモデル時代の藤原紀香がいた。

いつも通りリモートで仕事を開始する。仕事中は自分のMacBook Airradikoを開いて深夜に放送していたラジオを聴いている。『爆笑問題カーボーイ』を流していたら、冒頭から太田さんが『ブラッシュアップライフ』の脚本を書いているバカリズムさんを絶賛し、そこからテレビプロデューサーの佐久間さんのビジネス本を、劇団ひとりさんの小説を、オードリーの若林のエッセイ本を、ハライチの岩井さんのエッセイ本を、ピースの又吉さんの小説を、と次々と褒めちぎりまくっていた。
これはどういうことなんだろう、モードが変わったのかしらと思っていたら、太田さんの書いた長編小説が発売になるとのことだった。こんだけ褒めたんだからみんなよろしくって感じがかわいくも見えたが、いちばんのベテランで先輩からの優しい振りしたカツアゲみたいだなって思えたけど、太田さんのキャラクターもあるし、笑いにもなるからなりたつよなって。プラスで書評家の豊崎由美さんに今までの小説をダメ出しされていたらしく、由美ちゃん読んでね〜って言っていて、この人は創作に関して照れ隠しはしているけど本気なんだなってよくわかった。

昨日の打ち合わせの時にも話をしたりしたので、六月までのスケジュールを見直してみた。執筆スケジュールもパツンパツンではなく、しっかり書き終えて次に行けるように組み直した。ひとつひとつ終わらして完成させること、そして一人になって籠る時間を確保すること。新しく始まったライター仕事もあるので、そちらの時間も確保しながら、ということになるので多少余裕がないとこの先しんどそうだなって。
夜に今日放送だったラジオ朗読劇「銀河鉄道の夜」第二回を聴いてから、作業をした。
寝る前に読みかけだった阿部和重著『オーガ(ニ)ズム』上巻を最後まで。上巻の半分ぐらいは前作にあたる「神町サーガ」第二作『ピストルズ』におけるアヤメメソッドに関するものが占めていた。『ピストルズ』を読んでいた方がわかるっちゃわかるんだけど、読まなくてもわかるように菖蒲家(系譜などが天皇家を彷彿させるようになっている)のことなんかがしっかり書かれていた。そこが退屈といえば退屈。

 

3月9日
起きてから一時間ほど作業をしてから散歩へ。もう一度ラジオ朗読劇「銀河鉄道の夜」第一回と第二回を聴き直す。これまでに何度も観客として朗読劇「銀河鉄道の夜」を観てきたけど、今回のラジオ朗読劇はきちんとメディアを耳だけで聴くラジオとして脚本は書き直されている。
アジアンカンフージェネレーション後藤正文さんと俳優で古川さんの作品に今までに何度も出演している北村恵さんがいつもの四人(古川日出男管啓次郎、小島ケイターニラブ、柴田元幸)に加わる形だが、ラジオドラマとして再構成されていてとてもいい。
もちろん、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』がベースにあって、今まで彼らが培ってきたものがさらにそのベースに重なっている、地層というか作り上げてきた時間がしっかりと層になっていてそれを核にして新しいラジオ朗読劇の層が重なっていて、音だけの劇がシンプルなのに多彩な豊潤なものをリスナーに届けてくれている、そんな作品になっていた。

家に帰ってきてから『オーガ(ニ)ズム』下巻を少し読む。アヤメメソッドについての詳細というかおさらいも終わっていて、下巻に入ると主人公の阿部和重とCIAのケースオフィサーのラリーとのやりとりのあたりは、多くの人が指摘しているけど、伊坂幸太郎さんとの共著『キャプテン・サンダーボルト』を執筆したことが影響されているとは思う。
著者の名前を持った登場人物が出てくるというメタ要素(妻は映画監督の川上という人になっているなど現実とはズレた設定もあるが)はエンタメであろうが純文学であろうが、もう入ってくる一要素であり、そういう視点で私たちは小説や物語もだけど、自分がいる世界を見ているからそのほうがリアリティも強くなっている。フィクションとノンフィクションの境界線に立つような、そこにかかる橋みたいなものにメタ要素がなっているんじゃないかな。


新作速報!!NODA・MAP第26回公演『兎、波を走る』

野田地図の新作が今年あるというグッドニュース、しかも高橋一生さんと松たか子さんが主演、今まで観た舞台の中で一番揺さぶられたのが野田地図『逆鱗』だし、その主演が松さんだった。ほんとうに舞台で数回しか観ていないけど、舞台の松さんは素晴らしすぎて息を呑むしかない。チケット取れるといいのだけど、今年は気のせいか舞台を観に行く回数が増えてきているような、たぶん、モードが変わっているのとなにかが呼応している。

空いた時間に前回と今週放送されたNHKドラマ『大奥』を見る。こんなすごいことになってんの?みたいな展開になっていた。
徳川綱吉冨永愛)とその娘である徳川家重三浦透子)の最後の抱擁のシーンに至るまでの三浦透子のすごさ。これは彼女を家重にキャスティングした人はガッツポーズして小躍りしてるでしょ、このドラマは原作漫画がすごいと言っても配役がすごく気配りできていてこだわりが感じられる。シーズン2も主要人物を誰が演じるのか楽しみで仕方ない。

十九時から新しく始まるかもしれない執筆関連の仕事のオンラインミーティングがあるまでは、別のライター仕事の作業を進める。
先週末からエンタメ三昧をしていたので、その分やる気も出てきたし、プチ休みだった感じもある。これから先行き不安なことは多いけど、一月や二月の時よりは精神的には非常に楽ちんだしリラックスできている。今までのモードから解き放たれていくような、新しいバージョンなのかOSなのかが周りの環境が僕の意志を無視して変わったことで気づいたらインストールされていって徐々に変わっている、そんな気持ち。


オンラインミーティングはわりとうまくいったような、そんな手応え。一時間ぐらいだったけど、先方とも今後のことも話せたし、とりあえず課題というか最初にやることとのその期間が決まったので、そこに向かってスケジュールを決める。その課題次第で今後はという感じだけど、この流れはしっかり掴んで楽しめるところは楽しめるような予感。
ミーティングの中の話で出てきたラヴクラフト著『狂気の山脈にて』を買いに駅前のツタヤに行ったら、やっぱりあった。海外小説の棚は大きくはないが一冊棚差しされていた。この装幀は出た頃に非常にインパクトがあって記憶に残っていた。
会話に出てきて買い行こうと思ってそこにある、ということが僕には大事なことだった。流れを引き込むための行動であり、うまくいくイメージを膨らませる。この本を買いに行く間に友人と電話で軽く打ち合わせをしていて、そういう流れのこととか「令和の〇〇○プロジェクト」みたいな話をしていた。そうか、それだ。

帰ってから2月末にこちらには非がないのに不条理なことをしてきた夜のリモートワーク先の社員さんから謝罪の連絡があった。電話をしてきたのは知っている社員の人だったし、彼が板挟みみたいなポジションだなっていうのはわかるけど、謝罪してもらってもなんも意味ないっていうことだけは伝えた。
2月中旬に3月のシフトを出してと言われていたから提出していたが、26日には3月のシフトはゼロですって言われた。1日8時間の固定シフトで入れない人はシフトに入れることができないんですっていうのを3月直前にいきなり言われても、知らんがなっていう。で、4月もこのままですみたいなことを別の社員さんから数日前に連絡をもらっていたから、だったら実質クビと変わらないし、シフトが入らないなら辞めますよって話をしていた。
2月のシフトも1月の半分以下になっていたから、これはもう終わりも近いんだろうなって思っていたけど、いきなりゼロっていうのは怒る以前に呆れるっていうか、働いている人を大切にしないんだなっていう。その仕事における収入がいっきにゼロになるわけだから、違う仕事を探すにしても働いて給与が入るのはどんどんあとにずれ込んでいく。会社の弁護士にも確認したけど、契約中なので金銭的に補償もできませんって話だったからマジで電話で謝罪されても意味ねえなっていう。3月のシフトがゼロになるなら遅くても1月末に言わないとこっちはなんにもできないから不条理すぎて笑えてきた。
おかげでというか、この会社が不条理なことをしてくるたびに、新しい仕事というかライター関係のお話をいただいていて、ここと縁を切ることが一番この先自分にとってはいいんじゃないかなって思うことしか起きておらず、この電話をもらったのでこの前にミーティングしていた新しいライティング仕事もうまくいくだろうなと確信できた。

寝る前にふくしまFMで放送されたラジオ朗読劇「銀河鉄道の夜」第三回をradikoで聴く。耳で聴くことに特化していることで、目を瞑った先に広がっていく銀河鉄道の世界が今まで舞台で鑑賞していた朗読劇「銀河鉄道の夜」とは違うものになっていた。朗読する声の後ろで流れている背景の音もよくて世界にしっかり浸れた。
アジカンのゴッチさんがラジオパーソナリティーをやっていることで、物語の層がひとつでもないのもよかったし、北村さんの声は唯一の女性ということもあるのだろうけど、この朗読劇にやわらかさとあたたかみを増す要素になっていたと思った。そして、いつも朗読劇メンバーの四人の朗読も素晴らしかった。

 

3月10日
Nag Ar Juna - 街の終わり 


ニコラのカウンター友達というか知り合いの竜樹さんの個人的な音楽プロジェクトのMVがアップされていた。ちょっと冷たいような心地いい場所で聴きたくなるような声とリズムだった。

朝からリモートワークで仕事をしてから、夕方過ぎから20時前まで別の仕事の作業を進める。いろんな作品の固有名詞とかたくさん出てくるので、調べつつやっていると思ったよりは進みは早くはないが、wikiとかいろいろと調べて関係のある事柄を読んでいくと時代背景とか繋がりとかわかるので自分が知らないジャンルだとのちのち役立つし、理解が早まるのでこのやり方のままでよさそう。


スティーヴン・スピルバーグ監督『フェイブルマンズ』をTOHOシネマズ渋谷にて20時50分からの回を鑑賞。大きめのスクリーンだったけど、金曜日のレイトショー的な時間帯だけど、やっぱり洋画離れというか、アカデミー賞候補作品だけど注目されてないんだなって思える客入りだった。
まあ、スピルバーグ監督作品だと今40ちょっとの僕だって、90年代の金曜ロードショーとかで『E.T』とか『インディ・ジョーンズ』シリーズとかは見ていた感じだし、近年だと『レディ・プレイヤー1』や『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』や『戦火の馬』はスクリーンで観ていた。
映画史に確実に残る素晴らしい映画監督だと思うし認識はしているが、すごくファンかと言われると違うし、上の世代で20世紀の彼のフィルモグラフィーをリアルタイムで経験している人たちとはかなり温度差はある。僕よりも下の世代だとそもそも洋画を観る人はかなり少ないので、大御所だとしても名前すら知らない人の方が多いんじゃないだろうか。

ジョーズ」「E.T.」「ジュラシック・パーク」など、世界中で愛される映画の数々を世に送り出してきた巨匠スティーブン・スピルバーグが、映画監督になるという夢をかなえた自身の原体験を映画にした自伝的作品。

初めて映画館を訪れて以来、映画に夢中になった少年サミー・フェイブルマンは、母親から8ミリカメラをプレゼントされる。家族や仲間たちと過ごす日々のなか、人生の一瞬一瞬を探求し、夢を追い求めていくサミー。母親はそんな彼の夢を支えてくれるが、父親はその夢を単なる趣味としか見なさない。サミーはそんな両親の間で葛藤しながら、さまざまな人々との出会いを通じて成長していく。

サミー役は新鋭ガブリエル・ラベルが務め、母親は「マンチェスター・バイ・ザ・シー」「マリリン 7日間の恋」などでアカデミー賞に4度ノミネートされているミシェル・ウィリアムズ、父親は「THE BATMAN ザ・バットマン」「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」のポール・ダノが演じるなど実力派俳優が共演。脚本はスピルバーグ自身と、「ミュンヘン」「リンカーン」「ウエスト・サイド・ストーリー」などスピルバーグ作品で知られるトニー・クシュナー。そのほか撮影のヤヌス・カミンスキー、音楽のジョン・ウィリアムズら、スピルバーグ作品の常連スタッフが集結した。第95回アカデミー賞で作品、監督、脚本、主演女優(ミシェル・ウィリアムズ)、助演男優(ジャド・ハーシュ)ほか計7部門にノミネートされた。(映画.comより)

スピルバーグの自伝的な映画だということはある程度知っていて、観たんだけどとても奇妙な感じを覚える作品だった。ユダヤ人差別とか父が理系の天才で、母は芸術肌の人、とか彼のルーツとか映画を撮り始めた少年時代から青年期までのこともわかる。
終盤で高校生の最終学年のプラムで上映したフィルムにおいて、スピルバーグの分身であるサミーを転校早々に殴りつけて、目の敵にしていたローガンがスクリーンに映った自分に困惑して、上映後にサミーに気持ちをぶつけるというシーンがある。そこではカメラを被写体に向けることの暴力性を描いているように見えた。
スピルバーグは意識的にそのことを物語に入れ込んだのだと思った。映画にしろ写真にしろカメラの暴力性を理解してない人のものは芸術にはならないんだろうな、と前から思っていた。スマホによるセルフィーも含めて、現在はカメラの暴力性からもはや逃れることはできない。そういう時代だからこそあえて入れたのか、自分が映画監督として虚を現実に、現実よりも強力なものとして映し出してきたことへの懺悔なのだろうか。
映画『チワワちゃん』においてチワワちゃんにやらせてもらえない男はずっとハンディカムを回し続けていた。彼は当事者でありながら観察(記録)者だったから、チワワちゃんとはやれなかったと僕には思えたのだけど、なぜだかそのことを思い出した。

芸術とは作り手も受け手も癒やすし壊すよって当たり前のことも描いていた。フェイブルマン家では母のミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)とサミーが芸術肌で似たものという感じもあり、ほかの下の三人の姉妹は母には似ておらず父寄りなのだろうと感じさせる。母親の理解があったからこそサミーは映画を撮ることに没頭していくが、そのことが母の秘密を暴くことにもなってしまう。そういう皮肉も描いているが、この映画は偉大な映画監督であるスピルバーグの自伝的な内容という触れ込みで観に行くといろんな意味で思っていたのとは違う内容の作品になっていると感じるものである。
誰ひとり傷つけない創作なんて存在しない、そういう当たり前のことがわからない人が増えて、自分に不快なものは排除していく流れが加速すると本当の意味での他者性の気持ち悪さがわからなくなる。それは唯一の自己を損なうことなんだよなあって思いながら夜の渋谷から歩いて家に帰った。

 

3月11日

古川日出男著『馬たちよ、それでも光は無垢で』&『ゼロエフ』を読んでみてください、と毎年3月11日には言っていこうと思います。

ラジオ朗読劇「銀河鉄道の夜」三話シリーズ 2023年3月11日14時46分、期間限定で無料公開スタート

7、8、9日とふくしまFMで聴いていた『ラジオ朗読劇「銀河鉄道の夜」』の3回分が公式サイトでも聴ける形になっていた。4月10日まで聴けるのであと何度か聴くと思うし、聴いてない人はぜひこの機会に。

浅野 自分が作品に向き合って、それにベストを尽くせば、それに伴った結果っていうのは出るとは、思うんだけどね。そっからさらに売れたいんだったら、欲を出して······。
鳥飼 X-ファイルみたいにするんでしょ。
浅野 そういう風にしていけば、結果が出る時もあるけど······。そもそも、やっぱりすっごい売れてる人って、きっと売れてる漫画が好きなんだよ。
鳥飼 そうなのよ!  最近それがわかった。「無理してやってるんじゃない?」って思ってたけど、してないんだよ(笑)。
浅野 そう、してない(笑)。素直にそれをやってるだけなんだよ。
鳥飼 心から本当にドキドキしてやってるから、そこが違うんだなっていうことだけはわかった。萩尾先生も「キュンキュンしながら描いてます」って仰っていて·····。 浅野さんも、キュンキュンしながら描いてる?
浅野 俺が? 描いてない(笑)。
鳥飼 即答(笑)。 キュンキュンしながら描くつもりもないんですか?
浅野 うーん。まあ、もうそういうのは描かないかな······。でもやっぱりそこら辺の素直さっていうか······。
鳥詞 『うみべの女の子』とかは、キュンキュンして描いてたんでしょ?
浅野 描いてないね。
鳥飼 え、描いてないの?
浅野 うん、やっぱりもう目線が違うんだよ。年上が若い子たちを見てるって感覚だから······。

鳥飼茜著『鳥飼茜の地獄でガールズトーク』P156より

鳥飼 私も楽しかったです。でも、たまに「女だからズルい」って言われることもありますよ。古谷先生は思わないですか?
古谷 えー、そんなこと思わないよ。あなた見た目もいいから得する部分もあるでしょう、きっと。でも、それを使ってるという感じもないし、使う気もないでしょう?
鳥飼 でも、男の作家さんから「女だから怒ることがすでにあっていいな」とか言われることありますよ。「男には問題提起したり、自分の問題としてもの申せることがないからすごく苦労する。女の人って生まれた時点である意味マイノリティだから、自由にもの申せる」って。そういうこと思わないですか?
古谷 思わない。怒りはね、燃料にならないんですよ。一時は持つけど。
鳥飼 ね、ほら。こういうところ、かなわないと思うの。古谷先生にかなうところなんて何もない。
古谷 そんなことないよ(笑)。
鳥飼 怒りが原動力にならないとしたら、何が原動力になるんですか??
古谷 それはわからないけど、とりあえず怒りは使い物にはならないです。創作においてはね。政治ならいいんじゃない?
鳥飼 でも、今特にだけど、そういうコンプレックスみたいなものが読者に対する訴求力になる時代じゃないですか。「そういう強烈なコンプレックスや劣ってるものが自分にはない」って、何か童貞引きずってるみたいな感じで言われて。
古谷 なんだか耳が痛いな(笑)。ただ、今のそういう時流はわかるよ。
鳥飼 私はそんなつもりなくても、女というくくりで弱者扱いに見えてるんですかね。
古谷 いや、見えないでしょ。それにそんなの気にしてたらとっくにやめてるでしょ? そんなのにまで耳を傾けるの?
鳥飼 傾けるというより耳に入ってきてしまうので。

鳥飼茜著『鳥飼茜の地獄でガールズトーク』P237からP238より


起きてから近所のスーパーに行く前にBOOKOFFに寄ってみたら鳥飼茜著『鳥飼茜の地獄でガールズトーク』がなんとなく目に入ってパラパラと見ていたら、浅野いにおさんとのトークが収録されていて、読んでみたら僕が観に行ったB&Bでのお二人のトークイベントの文字起こしをしたものだった。その何年かあとにお二人は結婚して、去年ぐらいに離婚をした。鳥飼茜さんも浅野いにおさんも筑摩書房から日記テイストの書籍をどちらも出しているのでそれぞれの視線からの結婚生活のことが知れておもしろかったなっていう印象があって、その始まり、いや、初期の頃があの日のイベントだったのかなって。
最後に収録されていたのは漫画家の古谷実さんとの対談だったが、『わにとかげぎす』連載中に鳥飼さんがアシスタントだったという関係性があって、ある種の師弟関係の二人の話はおもしろかった。古谷さんの言葉は少なげだけどなにか見通せてしまっているような視線を感じさせるもので、作品にもそれが出ているような気がする。200円だったので買った。


駅前のツタヤによって浅野いにおさんの新連載が開始になった『スペリオール』を買ってスーパーに寄って家に帰ってから洗濯をしてご飯を食べた。
この新作『MUJINA IN TO THE DEEP』は一種のチャンバラというか新宿で刀を持った主人公と敵?が斬り合っているだけで、何の話かは一話ではまったくわからない感じだった。

夕方前から日付けが変わる前まで昨日の作業を続きをした。

 

3月12日
起きてから『オーガ(ニ)ズム』下巻の続きを読む。最後まで読み終わったが、ラストシーンの辺りはかなりインパクトがあったので覚えていたが、終盤に至るまでの展開はわりと忘れていた。
陰謀論的なものを扱っているので仕方ないのだけど、主人公の阿部和重とラリーが信じていたものや見てきたものがガラリと違う角度になっていく、アヤメメソッドの要素が大きくなり過ぎている感じもあるし、ある種の堂々巡りをしているなと。
上下巻でこの枚数で展開することで仔細な部分の枝葉が広がっていくからこそのおもしろさもあるし、サーガの三部作目として過去二作品を内包もできている。このあとに発売になった『ブラック・チェンバー・ミュージック』のほうがわかりやすいし、他の阿部作品読んでなくても楽しめると思う。それはこの作品で書き切ったからこそ行けた次の段階ということもあるんだろう。


10時になってからKAATで5月に上演されるロロ本公演『BGM』のチケットを「演劇最強論-ing」のページからGET。
チケットぴあやイープラス辺りだとビッグアーティストとかのチケットが同時間帯から発売だとサイトにそもそも繋がらないので、KAATで上演する舞台だと「演劇最強論-ing」か「チケットかながわ」から取っている。いつもロロを観に行く友人とどこに行くか決めたのでそこを狙ったが、今回は上演日数が一週間もないので土日の昼公演と千秋楽はすぐになくなりそう。

チケットは予約だけ完了の形なので近くのローソンに行って支払いをして発券してもらった。そのままお昼前まで『オードリーのオールナイトニッポン』をradiko で聴きながら散歩。先週に引き続き『東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館 なんと括っていいか、まだ分からない』のこぼれ話もしていた。なんとなく今年は舞台を観に行く一年なんじゃないかなって気はしている。コロナパンデミックが始まってからこのところは以前と比べると感染拡大がほとんどなくなってきていると言える状態だから、舞台関係だと配信もやりつつもライブでステージを見せるほうに完全に戻っていっている。
舞台の一回性というのはやっぱりエンタメとしては強いし、スポーツに興味のない僕のような人間は演劇や音楽のライブがリアルタイムで観たいと思えるものだから、観たいっていう欲求が高まるのかも。
若林さんが「日本アカデミー賞」の仕事で久しぶりに会った『ケイコ 目を澄ませて』で最優秀主演女優賞を受賞した岸井ゆきのさんの話もしていた。二人は2015年のテレ東の『SICKS〜みんながみんな、何かの病気〜』で共演していて、まだその当時は岸井さんもバイトをしていているぐらいの無名に近い状態で、プロデューサーの佐久間さんが舞台を観てフックアップして出演したという話をしていた。さすが佐久間さん舞台をたくさん観に行っている人だなって思うし、今の彼の知名度とポジションだと難しい部分もあるかもしれないけど、何年も前に一緒に仕事をしているということがのちの信頼とか眼力みたいなものに付与していくのもエンタメだなって思う。その時、そこに居てやっていることを誰かに見つかる、気になってもらえる人だったからこそチャンスは掴んで行ったとは思うけど、大事なはやっぱりその時そこに居るかどうか、それが運なのか実力なのかわからないけど、世に出る人はそれを持っているんだろう。


池尻大橋駅にあるあおば書店に寄ったら、先日購入していたラヴクラフト著『狂気の山脈にて クトゥルー神話傑作選』以外に『インスマスの影』と『アウトサイダー』とほかの「クトゥルー神話傑作選」もあった。
この前の打ち合わせの中で出てきたのは『狂気の山脈』に収録されているエピソードだった。「クトゥルー神話」という名前ぐらいは知っていたけど、実は今まで読んでこなかったので、ほかのもの読んでおくことにした。世界観ももう少し理解できていたほうがいいだろう。
そういえば「ネクロノミコン」という単語は前から知ってたなって思って、wikiで見ていたら『摩駝羅 天使篇』で出てきていたからだった。そして、「天使篇」にはラヴクラフトの苗字を持つ登場人物が登場していて、間接的に影響を受けていたんだなって。「クトゥルー神話」に影響を受けた作品で日本の作家や小説を見ていたら、どっちにしろ間接的に影響受けている人はかなりいるなっていう。SFとミステリ系は特に。

お昼過ぎから作業を開始。とりあえず、土台だけはできたので水曜日までにそこからいくつか違うフォームのものを作って提出はしたい。
20時前にどのくらいぶりかわからないほど久しぶりなランニングへ。午前中に歩いている時にそろそろ走らないと、と思ったのもあって作業でずっとイスに座っているのもしんどくなったので気分転換も兼ねて。2年以上前にランニングしていた時に着ていたものを来たら前よりも明らかにパツンパツンで自分があの時よりも太ったのを実感する。いきなりはしんどいと思ったのでまずは緑道を30分ほどゆっくりと走ることにした。太ももよりも先にふくらはぎのほうが痛みが出てきた。普段歩いている時には感じないけど、走るとお腹の辺りの揺れかたとかで改めて贅肉がついているのがわかる。この辺りをできるだけ減らしたい。今新しく始めた仕事のフィニッシュがどのくらいになるかはわからないけど、形になる頃にはせめて今よりも体重を減らしておきたい。新しいことが始まったのはいいタイミングだし、夜のシフトが入らなくなったので作業の時間もランニングする時間も自分でスケジューリングできるようになったのだから、このタイミングからがベストだと思う。しかし、体が重すぎるからできるだけ動きやすい方向に。

 

3月13日
寝る前にバカリズム脚本ドラマ『ブラッシュアップライフ』最終話を見る。友人二人(なっちとみーぽん)が遭遇して死亡してしまうことになる、デブリが旅客機にぶつかってしまう事故をあーちんと真里が防ぐという展開だが、人生を繰り返している人わりといるよね?と思ったけど、今までの伏線がしっかり回収されていくしっかりとしたラストになっていた。
このドラマにおいては主人公のあーちんはどの繰り返しの際にも結婚はしておらず、彼氏もいたことはあったが、恋愛は主軸にはならずに女友達や家族との時間を優先している。ラストも年老いた四人が仲良く老人ホームで暮らしているシーンも出てくる。それぞれが結婚したのかしなかったのかはわからないものの、シスターフッドを大切にしていて、ドラマもそこを軸にしていたことをはっきりと告げている最終回となっていた。このドラマが支持されたのはそこも大きかったと思う。恋愛をしないといけない、わけではないけどドラマだとどうしてもそこが入ってくる(もちろんそれを求めている人も多い)が、このドラマにおいては異性との関係性よりも同性の友人との関係性が大事であり、それを核にしたドラマ作りがされていた。とても今の時代にあったものとなっていて、仲良し三人組(のちに真里も加わる)のほのぼのとした何気ない日常が見る人には心地いいものとなっていたと思う。

目が覚めると軽い筋肉痛が太ももとふくらはぎと背中にあった。起きてからリモートワークで作業をしていると、アカデミー賞の速報が入ってくる。公開して1週間で2回映画館に行って観ていた『エブリシング・エブリウェア・オール・ワット・ワンス』が予想を超えていく、オスカー取りまくりとなった。まさに2023年を象徴するできごとになった。

作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞助演女優賞脚本賞編集賞を受賞!

「私の母は84歳で、家でこれを見ています。ママ、たった今アカデミー賞を取ったよ!

 私の旅はボートで始まりました。難民キャンプで1年を過ごしました。そしてなぜか、ここハリウッド最大の舞台の上にたどり着きました。このような物語は映画の中でしか起こらないと言います。これが私に起こっているのが信じられません。これが…、これがアメリカンドリームです!

 ありがとう、人生最大の栄誉をありがとうございます、アカデミー賞。私がここにたどりつくために、多くを犠牲にしてきてくれた母に感謝します。弟のデイヴィッド、僕を気にかけて毎日電話をしてくれました。愛してる。ケン、サポートのためにしてくれた全てのことにありがとう。A24、ダニエルズ、ジョナサン、ジェイミー、ミシェル、そして一生の兄弟である『グーニーズ』のジェフ・コーエン。

 そしてすべては、私の人生の伴侶である妻のエコーのおかげです。何カ月も、何年も、20年間私に、いつか私の時が来ると言い続けてくれました。夢というのは信じなければいけないものです。私は自分の夢を諦めるところでした。これを見ているすべての人、夢を信じ続けてください。ありがとう。私をふたたび歓迎してくれてありがとう!愛してる!ありがとう、ありがとう、ありがとう!」

【全訳】『エブエブ』キー・ホイ・クァンアカデミー賞受賞スピーチ

助演男優賞を受賞したキー・ホイ・クァンが名前を呼ばれた時の映像は何度見ても泣けるものだった。

──アジア人男性として、あなたがハリウッドで成功するために直面した問題を考えると、少なくとも、かつてあなたが影響を与えた多くのアジア人俳優が、今日成功しているのを見て、いくらか報われたような気がしますか?

長年にわたり、現在ハリウッドで活躍する、才能あふれるアジア人とたくさん出会ってきました。いつも会うと感謝されるんですよ。「あなたの姿をスクリーンで観たことで、自分もいつかああなれると思えました。私たちのために、ハリウッドで道を切り拓いてくれてありがとう」って。面白いですよね、言うまでもなく、僕がカムバックできたのは、彼らが道を拓いてきてくれたからなんですから。彼らがもたらした進歩のおかげで、僕は戻ってこられました。

──あと2つだけ、質問させてください。まず、『グーニーズ』でチャンクを演じたジェフ・コーエンが、今はあなたの弁護士をしているそうですね。『グーニーズ』の仲間とは今でも親しいんですか? 

グーニーズは永遠ですからね。僕たちはいつまでもグーニーズで、みんな兄弟や姉妹みたいに思っています。あの映画で結ばれた絆は不滅です。そうですね。ジェフは良い友人です。彼は僕のエンターテインメントの仕事を担当する弁護士で、頻繁に会っていますよ。『エブエブ』のプロデューサー、ジョナサン・ワンは、データ(キー)をブッキングするために、チャンクと交渉したと言って、とても喜んでいました。
コリー・フェルドマンショーン・アスティンにもよく会います。ここ数年、パンデミックの間に、グーニーズのみんなで何度か集まることができました。監督のリチャード・ドナーや、スピルバーグ、脚本のクリス・コロンバス、主題歌を歌ったシンディ・ローパーも来たんですよ。ドナーが亡くなる前に再会できたのは、本当によかった。彼の遺したもの、それに彼の人生は、本当にすごいです。またみんなで4月に集まって、彼の功績を称えたいと思っています。

『エブエブ』で俳優復帰した『インディ・ジョーンズ』の元子役、キー・ホイ・クァンの多彩な人生

キー・ホイ・クァンアカデミー賞助演男優賞おめでとうございます!
我が家では一度も映画に連れて行ってもらったことはなく(中一の時に友達と行ったのが初だった)、ビデオデッキすらなく(誰も必要ではなかったから。中二の時に親父の最高順位を抜いたら買ってくれると約束してもらって買ってもらった)、映画は金曜ロードショーとかテレビでしか見ることができなかった。
小学校の頃は『グーニーズ』が放送されたら兄と寝るのを我慢して、母におにぎりを夜食に作ってもらって食べながら見ていた。今の僕が映画は映画館でしか観ないのはその時の反動があるのだろうと思う。ちょっといつもとは違う電車に乗ってぷち逃避行はしない(東京にいることがそもそも逃避行だから、ほかには行きにくい)けど、映画館に逃げ込んでいるとも思う。
グーニーズ』に出ていたキー・ホイ・クァンが俳優に復帰したこの作品でオスカーを取ったこと、『インディ・ジョーンズ』で共演していたハリソン・フォードとの抱擁、会場にいてキー・ホイ・クァンの姿を見ていたスピルバーグ監督の優しい笑み。時間が経ていろいろあったけど、生き延びたからこその再会があり、サプライズがあったんだと思う。でも、洋画が強かった時代の今の中年よりも上の世代の哀愁でしかないのかもしれないとも思うところもある。若い人たちは伝わりにくいかもしれない。
好き嫌いがはっきり分かれるこの『エブリシング・エブリウェア・オール・ワット・ワンス』はやっぱり素晴らしい、熱狂か憤怒か、それのくらいわかれるものはどっちにしろなにかを残すのだから。

『エブリシング・エブリウェア・オール・ワット・ワンス』の素晴らしいニュースがあり、以前にお願いしていた案件は検討したがダメだったというメールが来た。まあ、仕方ないし、今は新しいライティング仕事が入ってきたりしているから今の時期ではないということだと思うことにする。


小説家の大江健三郎さんが老衰で亡くなったとニュースを見る。僕は大塚英志作品でその存在を知っていった人間なので、どうしてもこのラノベのことが思い浮かんだ。僕が影響を受けている古川日出男さんも阿部和重さんも伊坂幸太郎さんもやはり大江さんの影響はあるのを感じる。
文壇というところからは距離をおいていたというか違う場所にいて孤独に孤立しながらも文学をやっていた人なんだというイメージがある。三島由紀夫大江健三郎、そして村上春樹、その三人ぐらいだけが日本の小説、文学の世界ではやはり異質な孤高の存在だし、村上さん以降はもう存在しないんだなって思ったりもする。
ある時期大江さんの小説を集中的に読んだことがあったが、僕は『万延元年のフットボール』と『M /Tと森のフシギの物語』が好き。大江健三郎賞が開催されていた時期に本谷有希子さんが受賞して、その授賞式というか対談イベントに応募したら当たったのに、なんでか行かなかったのが悔やまれる。


夕方に一息つきにニコラに行ってアルヴァーブレンドとガトーショコラをいただく。お茶をしてから3階のトワイライライトに寄って、3月11日に開店一周年を迎えたのでおめでとうと熊谷くんに伝えて世間話をした。

仕事が終わってから昨日に引き続き30分ほどランニング。昨日のウェアを洗おうと思ったら、今日は昼過ぎまで強めの雨が降っていたため、洗濯機を回していなかったのでどうせ汗かくしと思って、洗濯機に放り込んだのを取り出して着てみたら帽子とパーカー部分(帽子の上にパーカーを被る感じにして熱を逃さないようにして汗を出しやすくしている)がすげえ汗くさかった。こんなにも1日洗わないと臭うんだという事実、帰ってから湯船に浸かって疲れをほぐす。終わってから日記を書いて、昨日の作業の続きをちょっとやる。

 

3月14日
今日中に下準備を終わらせないと今後のスケジュールに無理が出てきそうだなって思ったので、このところやっている作業の続きを早めに起きて開始する。天気がよかったので昨日のランニングウェアを含めてたまっている洗濯物を洗濯して干した。
正午を過ぎてからさすがにずっと机に向かっているのはしんどくなってきたので気分転換に散歩に出た。radikoで『Creepy Nutsオールナイトニッポン』を聴きながら歩く、あとから桜の開花宣言のニュースを見たけど、暖かすぎず寒すぎずちょうどいいぐらいの日差しで、昨日雨が降ったおかげなのか花粉やちりが空中から一掃されたのか、あまり花粉を感じずにくしゃみもいつもよりは出なかった。
ラジオの中で今月いっぱいで終わるCreepy Nutsの番組の最後のゲストが前にやっていた菅田将暉という発表があり、同時にずっと菅田将暉も含めて番組以外でもやりとりや関わりのあった『三四郎オールナイトニッポン0』の今週の放送に二人が出演することも発表された。いいね、こういうつながり、コロナパンデミックになってからラジオを聴くようになったので、彼らの絡みややりとりはリアルタイムで楽しませてもらったので、また一緒に番組に出るのは非常にうれしい。16日に「オールナイトニッポン」の2023 年度のラインナップ発表会があるだけど、司会が三四郎だからこれもう一回三四郎が一部振り返りってありえるんじゃないかなって思ったりもする。でも、二部で今のままでできるだけ長く続けてほしいと思う自分もいる。
帰ってお昼ご飯を食べたから作業の続きを。どうしても固有名詞がたくさん出てくるので、そのままにしておくとあとあと大変だなって思うから、調べてちょっとした情報を書き出していたりすると全然進まない。とりあえず最後までは行けたけど、ここから改めて言われたものに仕上げていかないといけない。
今月の下旬に入ってからのスケジュールがめちゃくちゃ詰め込みな状態になりそうだから、もう少し先にやる予定の映画の予告編についての原稿を一回夜に書き上げる。ここからは心身ともにしんどくはなりそうだけど、勢いがうまくつけば4月以降がかなりいい流れになるはず。と思いたい。

 

3月15日

朝起きてから資料を読んでからリモートワークを開始する。仕事の合間に友人と言っていいのか、長年知っている方にとある相談をさせてもらう。理由などを話したら力を貸してもらえることになった。一応詳細について最初に電話で話した際に言われていた言葉が聞いた時よりもその後にずっと僕の中で響いていた。その言葉に対して僕なりの誠意でいつか倍返しではないけど、きちんとお返しできたらと思う。
昼の休憩時間を使って表参道に。街は春めいていて、みんなおしゃれを楽しんでいる感じが伝わってくる。こういう場所は来るだけでも気持ちが軽やかなになるんだなって。こちらも今僕が悩んでいることに対して、プロの方から見て問題はないのか、今後どうしたらいいのかを前から知っている方に実際にお会いして相談させてもらった。こちらも話をしっかり聞いてもらって、今後どうするべきなのかいくつかアドバイスをしてもらった。
今の自分ではどうにもならないこと、力が足りないことに関して、恥ずかしいことでもあるのだけど恥を偲んで相談したことで力を貸してもらえた。ほんとうにありがたかった。もし、あのまま自分一人で悩んでいても解決できず、どんどん悪いサイクルに入り込んでしまっていたかもしれない。話を聞いてくれる人がいるということはこんなにも心強いのだなと改めて思えたし、今の自分は非力で人の力にはなれることがほとんどないのだけど、信用している、信用してもらっている人になにか相談してもらえた時にできるだけ力になれるような存在になりたい。

仕事が終わってから相談したことに関して、今のうちにやるべきことがあったのでその対応をしてから湯船に浸かった。なんだかほっとしていたら、別の友人から思ってもいない角度からの報告があった。そのことは僕にもちょっと関係していたけど、その友人が前に会った時に話していたことだったのでよかったなって思えた。
やっぱり今年はいろんなものが今までとは違う形に変わっていく一年なんだろう。去年が前厄で今年が本厄だけど、きっと今までの自分とは嫌でも変わるしかない状況に僕はいるように感じる。

寝る少し前に友人から二人でないとできない『違う冬のぼくら』というゲームをやろうとお誘いを受けたのでやってみた。
2人プレイ専用のパズルアドベンチャーゲームで、最初の1面というか『MOTHER』の日本版みたいな感じもする主人公二人の少年が進んでいく画面のあとに、2面に入ると僕は2Pだったようで僕の画面に映るのは機械の世界になっていた。友人の1Pの画面ではおとぎ話のようなメルヘンチックな画面になっていると画面のスクショを見せてもらった。
このゲームは協力して進んでいくパズルゲームなのだが、二面以降は同じゲームだけどそれぞれが見えている世界観がまったく違うというものらしい。パズル自体もおもしろかったが、PCでゲームをほとんどしたことがないので慣れるのに時間はかかった。ふつうにコントローラーとかがあればもっとスムーズにできたはず。ファミコンの8ビットな感じのドットで作られた世界もレトロさもある。
こういう発想でゲームを作っている人がいるんだなって関心した。問題は2人いないとプレイができないってことだけど、YouTuberの人とかは一緒にやって配信しながらプレイをしている人もいるらしくて、レトロさがありながら今っぽさにも対応しているのも新しいなって、しかしゲームもまったくしないので知らないことばかりだ。
同じことをしているはずなのに見えている世界がまったく違うというのは、寓話ぽい話だけど僕たちの現実世界でも当たり前のように起きていることだよね。

今回はこの曲でおわかれです。
boygenius – Not Strong Enough (official music video) 

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年2月15日〜2023年2月28日)

先月下旬の日記(2023年2月1日から2月14日分)

 

2月15日
寒さで目が覚めた。もう少し寝たかったがもう一眠りしたら出勤時間よりもあとに目が覚めそうな気がして、仕方なくトイレに行って用を足して冷水で顔を洗った。
会社からの支給されたノートパソコンでリモートワークを始めて、自分のMacBook Airradikoのサイトを開いた。深夜に放送された『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を聴いてから、その中でも話題がでていた先週金曜の『神田伯山の問わず語り』を聴き始める。
JUNK20周年イベントの中で神田伯山がVTR出演し、いろいろとわだかまりがある状態になっている伊集院光さんに対して武道館で二人会をしようとコメントをしていた。イベントの中では太田さんが『JUNK 爆笑問題カーボーイ』に伊集院と伯山のWゲストで呼ぶからそこで、という話になっていた。だが、神田伯山はレイティングの時にゲストというのも嫌だと、伊集院さんの落語が見たいから、武道館で二人会をしたいと話をしていた。
イベントで伊集院さんは亡くなった師匠である三遊亭円楽師匠との親子会の時に、師匠からゲストとして爆笑問題と神田伯山を呼びたいと言われたが、師匠に仕えて始めて物申すというか伯山がゲストは嫌だと言ったという話もそのトークの中でしていた。
そういういろんなことを踏まえて、武道館で講談師の神田伯山と元落語家の伊集院光として二人会をやろう、TBSラジオでイベントを組んでくれ、という伯山の言葉は伊集院さんがOKを出していないということもあるが、彼なりの舞台に立つ人としての真摯な気持ちのように聞こえた。もちろん、いろんなことがあるのでイベントが実現するかどうかはわからないけれど、もし二人会があれば観に行きたい。


昼前にスーパーに行こうと思って家を出た。やはり風がひんやりとして冷たかった。キャロットタワーに入っているTSUTAYA三軒茶屋店の文庫の新刊コーナーを見ていたら、講談社文庫の発売日だったらしく、新しい文庫本が並んでいた。その中には伊坂幸太郎著『モダンタイムス 新装版』上下巻が出ていた。伊坂さんがデビュー20周年ということらしく、先月は『魔王 新装版』が出ていて、その作品と繋がっている『モダンタイムス』も新装版としてリイシューされたようだった。
個人的には『魔王』『モダンタイムス』は伊坂作品の中でもかなり好きな作品。新装版『魔王』の装幀がイラストで僕にはしっくりこなくて、『モダンタイムス』も今回のうさぎが描かれているものもあまり趣味ではない。好きな作家には金を払いたいのだが、売れている伊坂さんの新装版の装幀がダサいなって思うと買わなくてもいいやって気持ちになってしまった。
先月発売されていた夕木春央著『絞首商會』文庫版と『MONKEY』 vol.29を一緒に購入した。『絞首商會』はメフィスト賞受賞作であり、この夕木春央さんという人は新刊『方舟』がミステリ大賞とかでも上位に入っていて、それで名前を知った作家さん。

 

一見、単なる三人称の小説のふりをしたこの『ベルカ、吠えないのか?』は、本当は僕によって語られている。作者の古川日出男によって、だ。
 いろんな小説で語り手を出したけれども、自分を語り手にしたのは、初めてだった。
 でも、どうしてそんなことをしたのか?
 二十世紀は僕の世紀でもあったから、に他ならない。ようするに、お行儀よく、じっとしているわけにはいかなかったのだ。他人事にするわけには、全然いかなかった。そんなことをしたら、嘘になる。あるいは世間的には「小説というのは嘘を書くものだ」と了解されているのかもしれない。でも、僕はちょっと待て、と言いたい。僕が本気で世間と渡りあうために書きつづけ/語りつづけている_こいつら_が、ただのフィクションだって? そんなの、冗談じゃない。たとえばテレビを観る行為、新聞を読む行為、あるいは一種類の教科書だけに歴史を学ぶ行為、そこにはフィクションがないって、誰かは本気で信じちゃっているのか? そして「小説はフィクションの側だ」って、線引きをしているのか?
 冗談じゃない。
 だから僕は書いた。二十世紀まるごとを、僕は書いた。それは戦争の世紀で、そしてイヌの世紀だ。そして僕の解釈するところ、ロシア革命ではじまり、ソビエト連邦の解体で終わった世紀だった。

古川日出男のセルフ解説>「ベルカの頃」

『MONKEY』 vol.29に掲載されている古川日出男さんの連載『百の耳の都市』の最新回「台所太平記」を家に帰ってから読む。無国籍の船とそこにいる料理人たちの物語になっていて、すごくおもしろかった。
料理人や料理について古川さんが書くのが僕はかなり好きだし、今回の話は前に出てきた登場人物も再登場していて、そのキャラもよくていつもよりもツボにハマった感じ。
で、公式サイトを見たら、『ベルカ、吠えないのか?』刊行時に書かれた文章がアップされていた。僕は1982年生まれなので、物心がついてすぐに「昭和」が終わり、「平成」という時代が幼年期、思春期、青年期、中年期がすっぽり重なっている。そう思えば、僕は18歳になった時が2000年だったから、僕にとって人生の半分は21世紀を生きていることになる。
21世紀を描こうとしたら、20世紀がどうしてもつきまとってくる。だから、僕は半世紀前のことなんかを調べないといけないし、知らないといけないのだと本能的にわかっている、のかもしれない。

とくに大事なのは、第3条ですね。

 第3条 アメリカンスクールの学生のようにシャツは裾を出す
 シャツの裾出しもありがちパターン。シャツをアウターとして着るときはもちろん、ジャンパーなどはおっている場合でもこの技を使うケースが多い。

第3条に登場する「技」という表現は見逃せません。
シャツの裾を出す。
それが一つのテクニックとして指南される。
逆にいえば、それまではシャツの裾は入れるのが大前提だったわけです。
「シャツの裾出しもありがちパターン」
「この技を使うケースが多い」といった表現からは、
ストリートでシャツを出し始めた若者たちのスタイルを、
雑誌が一生懸命おいかけて「分析」している様子が見てとれます。

なによりも重要なのは、
Tシャツの裾を出す「技」がその後30年以上も使われ続けると、
このとき誰も思っていないことです。

理解しきれない若者文化をメディアが後追いすることによって、
シャツの裾出し/タックアウトという新しい現象を「技」と捉えたことによって、
Tシャツの裾を出すという行為に、振り返りがいのある豊穣な誤解と混乱とタイムラグが生まれました。
2023年から振り返れば、なぜそんなにもテクニック、テクニックと繰り返すのか不思議ですが、
1989年のタイミングでは、裾出しは、来年には別の流行に押し流されるであろう一つの技、テクニックにすぎなかったのです。

Tシャツをめくるシティボーイ 第14回  渋カジとは何だったのか・その2 / 文:高畑鍬名(QTV)

友人のパン生地君こと高畑鍬名くんの連載の最新回。「渋カジ」を掘っていくその二。その名前のように「渋谷カジュアル」であり、渋谷に高校がある高校生たちが着崩した格好が「渋カジ」となり、それまでの雑誌が先導したものではなく街から若者から現れたスタイルを雑誌が後追いしていく形となったもの。
「渋谷」という街が若者の街であり、ファッションや音楽といったカルチャーの最先端だった時代が確かにあった。今は再開発だけの問題ではなく、ネットもあるために比べるのが難しいが街からなにかが生まれるという感じはあまりしていないように思える。実際には起きているのかもしれないけど、若者のことはやっぱり若者からの視線ではないとわからないということもある。
「渋カジ」も検証できるほどに時間が経っているし、資料も残っていることがこうやって連載でも詳しくとりあげて、そこから著者が考察できる余白もそれなりにあるのだと思う。

夜からのリモートワークは二十時からだったので、朝仕事が終わったあとに近所のコンビニに行って、お菓子とBRUTUSのジャズ特集の最新号を買った。ロバート・グラスパーが表紙を飾っていて、菊地成孔さんもその師匠の山下洋輔さんももちろん登場していていたし、星野源さんもインタビューに答えている。
菊地さん関連のライブを行くことが多くなったせいか、今回登場している日本人プレイヤーの演奏も聴いていたり、名前も知っていたりと知らない間に、菊地さん追っていればそうなるわけだが、ちょっとジャズに傾倒しつつあるような気がする。
ルイス・コールも来日時に取材を受けていたのか公園の遊具に座っている写真が掲載されている。僕がルイス・コールを観たのはサンダーキャット来日公演でドラムのサポートメンバーとしてプレイしていた時だけだが、彼のアルバムを聴いたら来日に行くべきだったと後悔した。

Thundercat - I Love Louis Cole

 

2月16日
「今ここでやらなかったらこの先やれる機会は一生ない|ウェルザード インタビュー」

久しぶりに「monokaki」で作家さんにインタビューした記事がアップされました。インタビューもある程度間隔が空かないぐらいの頻度でやってないと空気感をつかむのが難しいなと思う。もう少し踏み込んだ話もしてもらったけど、使えないものもあったのでこんな感じでまとめました。


起きてから作業を一時間ほどしてからスマホで確定申告を開始。去年までは青学近くのベルサール渋谷に設置された申告書作成所に行っていたが、令和三年分の申告は作成用のPCもなくなり自分のスマホでやってくださいという感じになっていた。そうなると最後にプリンターが使えること以外はメリットもなく、やり方も前回でわかったので今回は自宅で行うことにした。
確定申告のためにマイナンバーカードを作ったが、いろいろと便利そうに見えて不便だなと思う。カードなくなったらすぐには再発行できないし、スマホやPCがなければ申告もできないし、みんなが使えるものでもない。
四十分ほどかかってしまったが、とりあえず提出。去年はレギュラーでやっていた執筆仕事が夏ぐらいに終わってしまったのもあって、源泉徴収がさほど引かれていなかったので還付金もいつもの年と比べると三分の一ほどしかなかった。このなんというかログインボーナスみたいな還付金にけっこう助けられてきたが、仕事についてこの先いろいろ変えていないといけないなと思う。
今声をかけてもらっている執筆関係の仕事がどうなるかでほかのことも決まるんだけど、急かしてもしょうがないからもう少し待って、それからいろいろ判断するしかない。
近くのセブンイレブンで提出した書類を自分用にプリントアウトした。


還付金が思いのほか少なかったのでテンションを上げようと思って、前からオススメされていたS・S・ラージャマウリ監督『 RRR』がヒューマントラストシネマ渋谷を観ることにした。サービスデーだったので1100円とお得だったのも大きい。
ヒューマントラストシネマ渋谷は今年初めてだと思うが、サービスデーということもあり、また話題作でリバイバル上映しているぐらいの人気作なので平日だけどかなり席が埋まっていた。年齢層もわりとバラバラだったし、女性の方が多いと言えば多いけど、男性も三割はいた。

日本でも大きな話題を集め、ロングランヒットとなった「バーフバリ」シリーズのS・S・ラージャマウリ監督が、英国植民地時代の激動のインドを舞台に、2人の男の友情と使命がぶつかり合う様を豪快に描くアクションエンタテインメント。

1920年、英国植民地時代のインド。英国軍にさらわれた幼い少女を救うため立ち上がったビームと、大義のため英国政府の警察となったラーマ。それぞれに熱い思いを胸に秘めた2人は敵対する立場にあったが、互いの素性を知らずに、運命に導かれるように出会い、無二の親友となる。しかし、ある事件をきっかけに、2人は友情か使命かの選択を迫られることになる。

「バードシャー テルグの皇帝」のN・T・ラーマ・ラオ・Jr.がビーム、ラージャマウリ監督の「マガディーラ 勇者転生」にも主演したラーム・チャランがラーマを演じた。タイトルの「RRR」(読み:アール・アール・アール)は、「Rise(蜂起)」「Roar(咆哮)」「Revolt(反乱)」の頭文字に由来する。第95回アカデミー賞ではインド映画史上初となる歌曲賞にノミネートされた。(映画.comより)

バカバカしくて最高にたのしい映画だった。90年代の「少年ジャンプ」のヒーロー的な正義と友情があって、主人公のビームとラーマの関係性はもちろん友人でなのだがどこかほのかにBL感も感じさせつつ(そこに萌えている人もいるだろう)、インドの音楽と踊りが所々でバトルシーンみたいに入ってくるのだが、その多幸感たるや。笑っちゃうんだよね、知らない音楽だけどここまでやるの?みたいな、神聖な祈りみたいな歌と踊りなんだけど、インドの明るさみたいなものが爆発している。とくにエンディングは何分やってんだよって思うほど歌って踊っていた。ラーマの恋人のシーマ(アーリアー・バット)という女優さんが若い頃の小島聖さんみたいな顔で、エンデイングは特に楽しそうに踊っていてすごくキレイなんだけど可愛げのある人だなって思った。
植民地時代のインドが舞台なので、世界中を植民地にしようとしている大英帝国帝国主義)というわかりやすい悪役がいるので、ビームとラーマのそれぞれが抱えた戦う理由がすごくしっくりくる。今の時代だと複雑化しすぎていてここまで単純な構図で描いてしまうと嘘っぽくなってしまうが、1920年であるのでリアリティラインは守られている。
荒唐無稽な戦いのシーンもあってこんなことありえないよって思うんだけど、冒頭で一気に観客を味方につける描写があって、そのあとにビームとラームの超人ぶりを見せることでこの作品ではこういう人たちがバリバリ戦いますって宣言された感じになる。そのままテンションとノリで突っ切っていくので観客は二人を応援したくなる、それはとてもうまいやりかただなって思った。
あとは音楽が素晴らしいので音響システムがちゃんとした劇場で観るのがオススメ、配信されてから観てもこの音の問題がまったく違うとおもしろさがなくなりはしないけど、100%では享受できないんじゃないかな、劇場で観て笑顔になる作品かなあ。


十七時過ぎにニコラによってアルヴァーブレンドとアイノブレンドを飲んだ。バレンタインということでチョコプリンというか、前はメニューにもあった時期があるデザートをいただいた。アマレットが入っているのでちょっと大人な甘さだけど、プリンの部分と少しスポンジっぽいところがあって美味しかった。

そのあとは恵比寿駅まで歩いて行って親友のイゴっちとご飯。たこえびすという鉄板焼きのお店で二時間ほど美味しい料理とエビスビールをいただきならたくさん話ができた。今後の話というかお互いに中年になり、終活ではないけど老いていく中での話もチラッとした。そういう年齢になってきたんだなって思うけど、健康な間にこういう話はしといたほうがお互いのためにもいいんだろうなって。
そのあとに前に連れて行ってもらったハコニワというバーでのんびり飲んで、もっとたくさん話して深夜すぎてから家まで歩いて帰った。最近飲んだあとに一時間以上歩いて帰ることがちょくちょくあるが、飲みすぎてないからかちゃんと帰れていて自分で偉いなと思う。もしかしたら元々お酒を飲まないので、人と会う時しか飲んでなかったから腎臓とか肝臓とかがアルコールでやられてないからわりと飲んでも大丈夫だったりするのかな。

 

2月17日
お酒が残っていなかったけど、シャワーも浴びていないので眠気覚ましにお湯を溜めて湯船に浸かる。ほんとうに寒い時期のお風呂はいちばんリラックスできて最高の空間だと思う。シャワーでもいいんだろうけど、体の隅々まで暖かくなって血流の巡りが良くなっているのを感じる。血流の巡りが悪いと寒いし体がうまくうごかない気もする。
リモートで作業を開始、作業で読む小説を進めながら昨日出した記事のツイートを仕込んだりする。平穏な一日、良くも悪くもなんかボケーとしていても作業はいつもどおりできた。

青山真治監督『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』が3月に1週間限定DCP上映

先日、恵比寿に行った際に話にも出た復活した恵比寿ガーデンシネマで『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』なら観に行きたいけど、自分のスケジュールを見ると一日一回とかだと難しい気がする週ではある。でも、この作品は音響システムのいいところとかで観てなんぼの作品だし、こういう機会かタイミングだろうな。

去年、吹いてはいけないと言われていたサキソフォンを、結局そこそこ吹きまくってしまったツケは、やや大きく、今年は7月~8月まで、ガチンコでサックス休業することになった。でないと自己再生治療ベースにしたインプラント手術は、永遠に完成しないことになる。

 まあ半年吹かないぐらいは何てことはない。ちょうど、ぺぺもラディカルな意志のスタイルズもメンバーがノーマ(とうとう潰れた)ぐらい、つまり「予約は2~3年先」という状態になってきて、どっちにしろ春にはライブが一切できない笑、とわかっていたし(24年のスケジュールを今から切り直す笑)

菊地成孔の日記 2023年2月17日 午前0時記す>

ペペ・トルメント・アスカラールもラディカルな意志のスタイルズも夏すぎまではライブがないってことか、おお、マジか。となるとペペ・トルメント・アスカラールはアルバムを出すって話だったけどそれもかなり流れるのかな。
まあ、菊地さんのサックスを聴けるようになるまで待つっていうなら我慢できると思うし、復活をたのしみにできるか。この日記で陰毛と胸毛とヒゲが真っ白になっていたのに、下から上へと黒に戻ったっていう話を菊地さんが書いているんだけど、メラニンかな、復活するものなの? 僕も体毛のいろんな箇所に白髪が数えるほどだが生えてきていて、白いから逆に目立つから気づくけど、六十歳の菊地さん真っ黒になったらなったで怖い。


仕事が終わってからTOHOシネマズ日比谷にて本日から公開の『アントマン&ワスプ:クアントマニア』をIMAX3Dで鑑賞。

アベンジャーズ」をはじめとしたマーベル・シネマティック・ユニバースMCU)を構成する人気作品のひとつ、「アントマン」のシリーズ第3弾。未知の量子世界に入り込んだアントマンやワスプが、アベンジャーズの新たな脅威となる存在、カーンと遭遇する。

アベンジャーズ エンドゲーム」では量子世界を使ったタイムスリップの可能性に気づき、アベンジャーズとサノスの最終決戦に向けて重要な役割を果たしたアントマンことスコット・ラング。ある時、実験中の事故によりホープや娘のキャシーらとともに量子世界に引きずり込まれてしまったスコットは、誰も到達したことがなかった想像を超えたその世界で、あのサノスをも超越する、すべてを征服するという謎の男カーンと出会う。

体長1.5センチの世界最小のヒーロー、アントマンことスコット・ラング役にポール・ラッドアントマンのパートナーとして戦うワスプことホープヴァン・ダイン役のエバンジェリン・リリーをはじめ、マイケル・ダグラスミシェル・ファイファーらおなじみのキャストが集結。スコットの愛娘で大人に成長したキャシー役を「ザ・スイッチ」「名探偵ピカチュウ」のキャスリン・ニュートン、謎の男カーンを「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」のジョナサン・メジャースが演じる。シリーズ前2作「アントマン」「アントマン&ワスプ」を手がけたペイトン・リードが今作でもメガホンをとった。(映画.comより)

マーベル作品ファンはネタバレされる前に観たいという人が多いのでほとんど満席に近かった。数人の友達できている大学生ぐらいの男性とかがけっこういたような。男女も半々ぐらいで年齢層も二十代前半から五十代後半ぐらいまで幅広かった。
量子世界とマルチバースについての話であり、いわゆるMCUのフェーズ5の始まりという位置付けになっているので、時間を操れるヴィランとしてカーンが登場してアントマンたちの前に立ち塞がるというもの。量子世界とマルチバースという僕が好きな内容ではあるのだが、正直ガチャガチャしている感じがあった。映像とかはほんとうにすごいんだけど、情報量が多すぎてもはやよくわからないっていう。
スコットと娘のキャシー、パートナーのホープと彼女の両親という三世代五人の家族の物語にはなっているし、量子世界における解放の話にもなっていた。だが、最終的にカーンは過去現在未来とあらゆる時間軸とにも存在していて、その数は無数だということも最終的にわかる。今回のフェーズ5はこの無数の時間軸を正しいひとつのものにするのか、あるいはそれぞれの可能性としての時間軸は存在していても干渉させないようにする終わり方になるんだろうなって。
ただ、GW公開の『ガーディアンズオブギャラクシー:VOLUME3』の予告編を観るとこちらも『宇宙大戦争』現在版みたいな感じで、似た印象にならないのかちょっと不安になる。ジェームズ・ガン監督がDC映画の総監督(ヒーローものの統括)になったので『ガーディアンズオブギャラクシー』シリーズはこの3つ目がラストとなるのが寂しいから観には行く。
昨日の『RRR』を観た後だとカオスすぎてエンタメが渋滞していたような気がする。映画館じゃなくてもいい感じかなあ、って思うぐらいなのはなんか期待していたのと違うというイマイチ感があった。上映後の観客のテンションが明らかに上がっていなかったのは、みんな僕と同じように感じてたんじゃないかな。

夜になって寝るまでの間は「オールナイトニッポン55時間スペシャル」の『ナインティナインのオールナイトニッポン』と『オールナイトニッポン0』(フワちゃん、ぺこぱ、佐久間宣行、マヂカルラブリー三四郎)と『EXITのオールナイトニッポン』(ゲスト:Creepy Nuts)を聴きながら読書をしていた。
オールナイトニッポン0』は五組八人だったので四人ずつに分かれてという感じになっていたが、いい意味でゴチャゴチャワチャワチャしていてお祭りだなって思ったし、ふだんは一人でやっているフワちゃんと佐久間さんがめちゃくちゃたのしそうだったのもよかった。
ナイナイの二人は普段通りな気もするけど、なんで「オールナイトニッポン」だと二人はすぐ歌う感じになっているんだろう、この数年から聴き始めたのもあるけど、歌のパートはなんか恥ずかしい。
EXITとCreepy Nutsの一緒に番組もやっていた二組はそれぞれにいろいろあるけど、ひとつの青春というかブレイク以後のひとつのターニングポイントになる日だったんじゃないかな。

 

2月18日

昨日の『アントマン&ワスプ:クアントマニア』が消化不良な感じがあったので、十七日から公開で期待していたパク・チャヌク監督の新作『別れる決心』をル・シネマで鑑賞しようと思ってチケットを深夜に取っていた。
ル・シネマはBunkamuraに入っていて、四月で休館して再開発が始まるので営業は停止して、その後宮益坂をのぼるところにある渋谷東映が入っていたところに入って新しく営業を始める。その前には足を運んでおきたいというのもあった。

オールド・ボーイ」「お嬢さん」のパク・チャヌク監督が、殺人事件を追う刑事とその容疑者である被害者の妻が対峙しながらもひかれあう姿を描いたサスペンスドラマ。

男性が山頂から転落死する事件が発生。事故ではなく殺人の可能性が高いと考える刑事ヘジュンは、被害者の妻であるミステリアスな女性ソレを疑うが、彼女にはアリバイがあった。取り調べを進めるうちに、いつしかヘジュンはソレにひかれ、ソレもまたヘジュンに特別な感情を抱くように。やがて捜査の糸口が見つかり、事件は解決したかに見えたが……。

殺人の追憶」のパク・ヘイルがヘジュン、「ラスト、コーション」のタン・ウェイがソレを演じ、「新感染半島 ファイナル・ステージ」のイ・ジョンヒョン、「コインロッカーの女」のコ・ギョンピョが共演。2022年・第75回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞。(映画.comより)

前作『お嬢さん』がとても素晴らしくおもしろかったので楽しみにしていたパク・チャヌク監督の最新作。刑事のへジュンと被疑者のソレが惹かれ合うというものなのだろうなと思ってみるとそれは間違いではないが、思いの外話はストレートではなく二転三転していった。
へジュンは不眠症であり、原発で働くエリートの妻とは週末婚という状態だった。ソレは夫が転落死した事件によって、警察から被疑者として捜査対象になり、へジュンから取り調べを何度か受ける。二人の人知れない蜜月的な関係性は体を求めるようなことには至らないが、官能的で二人だけの秘密なものとなっていく。
言葉にはしていないが目を見るとわかる、そんな距離感の男女。だが、捜査が進むにつれ、ソレが夫を殺した可能性が高いことを突き止めるへジュン。問題はそれで事件が解決して蜜月は終わって、彼は仕事(正義)をまっとうするかと思いきや真逆の行動をとる。そのことでソレは捕まらないものの、へジュン自体は(精神的にも)崩壊してしまうことになってしまう。
ここで男が壊れて終わるのではなく、物語は一年ちょっと先に展開していき、精神的に病んでしまった刑事は妻が働いている原発のある土地へ赴任していた。そこにソレが新しいトレーダーの夫と共現れるのだが、その男も死体で見つかり、へジュンは再びソレと関わることになっていく。そこから物語は過去の事件も含めて様々な真相が明かされていく。

タイトルの『別れる決心』という言葉も作中でソレが言うシーンが出てくる。思い合っているが真実を知っているへジュンはソレに思いを告げることもできず、ソレも同様だった。そして、ソレが選ぶ最後の手段は言葉よりももっと重いへジュンと「別れ」るための行動となる。惹かれてはいけない男女が惹かれあったことで起きた悲劇とも見えなくもないが、前作『お嬢さん』もぶっとんでいたので衝撃はそこまではなかった。ミステリと言えなくもないんだけど、やっぱりラブストーリーなのかな。
とにかく映像が素晴らしい。ワンシーンごとが画になっている。前の『お嬢さん』は室内のシーンが多かったが、今回は野外も多くて違う作家みたいな気もするような変化が見えた。

ソレの祖父が満州の抵抗軍だった話があったり、彼女は中国から韓国へ来ているので韓国語が万能ではないので、Apple WatchiPhoneで中国語を韓国語へ変換して意思疎通をしたりもする。このボイスメモが後半に重要なものとなっていくが、韓国人であるへジュンには中国語はわからない。だから、やりとりができていても途中で彼女が何を言っているのかわからないという場面が出てくる。
『silent』など去年は手話を使う作品がいくつかあり話題になったが、ここでは手話ではないが、他国の言語というものはコミュニケーションがうまくできない、理解できないものとしてあり、それを物語に組み込んでいるんだなって思った。
手話のように覚えなくてもiPhoneなどが自動翻訳をしてくることでコミュニケーション不全になる異なる言語であっても意思疎通が可能になっている時代だということが物語に関与しているのは現在っぽさがある。
一回観ただけだとわからないところもある作品なので、もう一回観ないとシーンの意味やセリフのことも理解できない気がする。最初の落下シーンと最後の海の浜辺のシーンと、ある種冥界に落ちていく、そんな象徴的なシーンが観る度に意味を変えていきそうな、観た人の中に刻まれていく感じの映画だった。

――夏帆さんはいつも徹底された役作りと、熱量のある演技をされている印象です。普段から役作りでは何を心がけていますか?

夏帆:『silent』は特に準備が必要な役でした。ただ、作品によって役作りの方法は変わるかもしれないです。自分の中でもどういうふうに役を作っていくのがベストなのかは、作品ごとに探りながらやっています。大体は、脚本を読んでイメージしたものになんとなく近づこうとする。そんな抽象的な感じでいつもやっています。“思い込む”じゃないですけど、自分自身を洗脳するような感じ。ただ、『ブラッシュアップライフ』で言えば、役作りは全然していないんです(笑)。逆に言えば、もしかしたらそれが役作りになるのかもしれないというくらいで。

――そうだったんですね。最初に脚本を読んだときの夏希の印象はどうでしたか?

夏帆:それが、「こういう役だな」とはならなかったんです。それこそ『ブラッシュアップライフ』の会見で木南晴夏さんが登場人物たちは“没個性”だとおっしゃっていたのですが、本当にそういう感じで。でも不思議と、出来上がった第1話を観たときに「それぞれの個性がすごく出てる!」と感じたんです。最初に読んだときは「このキャラクターはこういう感じ」ってキャラ分けをしていなかったし、それこそみんな同じ色の衣装を着ていますし。なので、キャラクターが際立っているというよりは、3人で1つのような印象でした。

夏帆が語るバカリズム脚本の面白さ 『ブラッシュアップライフ』は「役作りしていない」

――そのほか何か役作りで心がけていることはありますか?

染谷:余計なことをしないように心がけています。脚本に書いてあることだけで十分面白いので、何か面白いことをしようと思わないようにしています。セリフとト書き通りにやったら、もうスタッフさんみんなが笑ってくれるので、こんなにありがたい役はないと思っています。

――視聴者は、麻美、夏希、美穂の関係性に懐かしさを感じているようです。染谷さんは自身の学生時代と重ねてノスタルジーを感じることはありましたか?

染谷:時間を忘れてとりとめもなく喋っていた頃の感覚は身体レベルで覚えていました。だからオンエアを観ていても、この時間は自分も知っているなと身にしみて感じたんです。その感覚を意図的にドラマの中で作るというのはすごいことだと思いますね。観ていて本当に面白いなと思いました。

染谷将太が語る『ブラッシュアップライフ』福田役への共感 昔は「福ちゃんみたいだった」

バカリズム脚本ドラマ『ブラッシュアップライフ』は毎週見て楽しんでいるドラマで、メインクラスが好きな俳優さんたちばかり、園子温監督の映画やドラマに出ていた人たちが多い。
夏帆さんと染谷さんは『みんな!エスパーだよ!』ドラマで一緒にやっていたなとか思ったり、すごい役者さんが世に出て行ったしそのきっかけになったのに、とかドラマ関係のないことも思ったりもする。このインタビューはドラマとしっかりリンクしている内容だしよかった。同時にそういうこともちらりと脳裏によぎる。たぶん、このことはずっと思い続けるんだろう。


二十時からリモートワークだったので、渋谷から帰ってご飯を食べてからradikoで「オールナイトニッポン55時間スペシャル」のリアルタイムで十五時から『タモリオールナイトニッポン』(ゲスト:星野源)から一七時から『秋元康と佐久間宣行のオールナイトニッポン』を聴いて、二十一時からの『菅田将暉オールナイトニッポン』までの間は、深夜の聴けてなかった『三四郎オールナイトニッポン』(ゲスト:金田哲(はんにゃ.)、都築拓紀四千頭身)、KAƵMA(しずる))を、というラジオデイ。
タモリさんと星野源さんは音楽の話が多かったが、根っこにジャズがあるからこそできる話題があってどんどん深掘りしていく本当に魅力的な対話になっていた。やっぱりこの組み合わせは的確というかタモリさんに星野さんを組み合わせた人ってすごい。これはジャズ好きの人は嬉しすぎて喜びまくってるだろう。そしてジャズを知らなくても不思議と聞けるそんなおもしろいやりとりがずっとあった。欽ちゃんと若林さんが年一で正月にラジオをやっているように、タモリさんと星野さんも年一でやってほしい。



三四郎オールナイトニッポン』は金田&都築ゲストで始まり、KAƵMAが乱入してくるというこの番組好きとしては最高にたのしかった。このメンツもそうだけど、「オールナイトニッポン55時間」スペシャルは「JUNK20周年」とは違う印象をもつのは、こちらはかつてのレジェンドパーソナリティが多数出ているけど、若手というか三十代や四十代の脂の乗ったレギュラーのパーソナリティたちもいて、そこにレジェンドやゲストが絡んでいるところ。
一部はCreepy Nutsが抜けたあとに誰が昇格するのかというのも注目されているけど、第二部の時間の「0(ゼロ)」と二十四時からの「X(クロス)」は芸人やミュージシャンの若手が挑戦できる枠があるのでうまく新陳代謝していきそうだなって感じが「JUNK20周年」で感じた終わりの始まりのように感じたことと大きな違いなんだろう。

でも、「JUNK」というかTBSラジオニッポン放送の深夜帯のこのメンツの強さとバラエティには大きな差がついているようにも感じるけど、どちらかが全盛期であったり勢いがある状態であれば、そのもう一方は叛逆の狼煙を上げることができる。そのためには体制を変えたり、今あるものを終わらしたりして次世代を育てることをしないといけない。今の現役の人たちはまだしばらくやっていくだろうけど、彼らがいなくなったあとに人が育っていなければ、あるいは急に終わる時にその座に着ける能力や実力のある人がいなければいけない。今の「オールナイトニッポン」に対して「JUNK」含めTBSラジオがどんなカウンターを放つかはたのしみである。どちらにも関わっているパーソナリティーを務めたことがある伊集院さんがキーにはなりそうな。

秋元康と佐久間宣行のオールナイトニッポン』は大ボス的な秋元康、彼は高校時代に放送作家を始めていて、『タモリオールナイトニッポン』の作家だった時代もあり、この企画のエグゼクティブプロデューサー、そして彼が見込んだ佐久間さんというタッグに黒木瞳さんが手料理の筑前煮を作って持ってくるという不思議なカオス、とんねるずが乱入するかなって期待は多くの人がしていたと思うがそれはなかった。ただ、この放送で佐久間さんがフジテレビの復活する『オールナイトフジ』のMCということが秋元さんによって情報公開前に解禁してしまう、という流れがあった。やっぱり秋元さんってエンタメの人なんだなって思った。流れを作るかどうか、そのあとのことは未知数のこともあるけどおもしろいことを作る土台は用意している感じがプロデューサーとしてAKB48とかを成功させれる人なわけだ。
好き嫌いは分かれるだろうけど、この秋元康が時代を作ったというのは間違いがなく、それに踊ったり踊らされたりしてお金が動いて人や文化も変わっていったというのは事実であり、「オールナイトニッポン」が生み出した、世に放った異能の存在のひとりだというのは間違いがない。
二十一時からはリモートで作業をしながら復活した『菅田将暉オールナイトニッポン』を聴いた。コロナパンデミックからラジオを聴くようになったので菅田さんのラジオは三年ぐらいは聴いていたので懐かしさがあるけど、まだ三十歳になる年らしい。役者としての活動も楽しみだけど、中年とかになってまたラジオをやったらすごくいいんじゃないかな、ベテランになったあとで佐久間さんみたいなおじさんポジションっていうのもありかもしれない。

 

2月19日
赤坂見附駅から近く、246沿いを挟んで赤坂御所の反対側にある草月ホールにて「MATSURI SESSION 古川日出男×向井秀徳」を友人の青木と鑑賞。
午前中に作業をしてからお昼過ぎに歩いて赤坂に向かう。途中で渋谷ロフトに買い物で寄ったが店内は人がたくさんいて、渋谷の街にもコロナパンデミック前に戻ったぐらいの人の多さだった。マスクをしている人がまだ八割とか大多数を占めているが、感覚としては人の多さ は三年前とかと変わらないような、そんな日常的な日曜日の午後の風景。
タワレコを横目に坂を上って246沿いに出れば、あとは大通りに沿って皇居方面に歩けば自然と草月ホールに着く。開場時間よりも早めに着いたので草月ホール前を通り過ぎて豊川稲荷赤坂別院に寄ろうかなと思っていたら、ファミマのイートインに青木がいるのが見えたので、声をかけて一緒に豊川稲荷赤坂別院に行くことにした。
十七時の開場時間になってから草月ホールに戻って草月ホールの中に入る。一回か二回ほど来たことはあるが、何年かぶりだった。席はB列60番台だったのでステージの真っ正面ではないが、右側から少し斜めに見る感じで古川さんが立つ所に近くてとても観やすい場所だった。

最初は古川さんひとりで登場して萩原朔太郎の『猫町』の詩を読むところから始まった。早稲田大学の国際文学館で行われたレコードプロジェクトの際に、古川さんと向井さんが一発録音録りした時の共通項として坂口安吾が出てきていたが、今回も坂口安吾がひとつのキーになっていた。古川さんのギガノベル『おおきな森』に探偵として坂口安吾が出ており、そのパートが何度か読まれた。ほかには安倍公房の文章もあった。
長篇詩『天音』からの朗読もあり、古川さん自身の小説と詩からも朗読されていき、その場でリミックスされた新しい作品が生まれていた。前半はもうひとつのキーとして「猫」が出てきていた。向井さんの歌詞にも出てくる「猫町」が萩原朔太郎の『猫町』からということなんだろうなと脳内で言葉が結びついていった。
入れ替わりで出てきた向井さんは13 日の「Flowers Loft 3rd Anniversary いとうせいこう is the poet / 向井秀徳アコースティック&エレクトリック」でも演奏した「Amayadori」をこの日も演奏していて、この曲と「Water Front」(こちらも両日演奏)が僕はとても大好きで、再度聴けてよかった。この原曲はオムニバスアルバム『極東最前線2』に収録されているが、このベーシストのMIYAさん加入後のこのLIQUIDROOMのライブでしか聴いたことがなく、その後YouTubeにアップされたが音源が存在していない。そして、ソロバージョンはこのバンドバージョンよりは『極東最前線2』に収録されたほう(このライブバージョンよりも遅い)が近い気がした。
ZAZEN BOYSは2012年の『すとーりーず』以降アルバムが一枚も出てないのに毎年何回もライブあるし、「MATSURI SESSION」というワンマンも年一はある。既存の曲がひねくりまわされてこねくりまわされて、アルバムで聴いていたものよりも何段階も上のバージョンになっているという不思議な状況になっている。この日は13日に演奏した『カラス』はやらなかった。ソロだとナンバガザゼンの曲もやるのでさらに向井節が際立っているように思える。

一回休憩を挟んでから古川日出男向井秀徳がステージに並んで立って朗読セッションが始まる。過去に何度かあった此岸と彼岸の境界線を行き来させる、あるいはそんな場所を屹立させてきた古川さんの朗読を観てきたが、This is 向井秀徳がギターを鳴らして、ふたりが音を刻むと、ただただこの現し世で笑いながら互いが認めている最高の他ジャンルの圧倒的な才能との全力の殴り合い(アドリブ)のようなセッションライブを見せてくれた。これは名付けようのないものなんだよなあ、他に存在していないし誰にもできない。
久しぶりに『ベルカ、吠えないのか?』の朗読もあって、宇宙に飛んで地球を見たライカ犬第二次世界大戦で軍基地に取り残された軍用犬から連なる系譜の犬たちがその一頭であるライカ犬を見上げていた。第二次世界から冷戦が終結するまでを犬たちの視線で描いたのが『ベルカ、吠えないのか?』。僕が2008年に青山ブックセンター六本木店で初めて聴いた古川さんの朗読は『ベルカ、吠えないのか?』とスティーヴ・エリクソンの『アムニジアスコープ』だった。
だから、前半には「猫」がいて、後半には「犬」がいた。だから、『サウンドトラック』をはじめとして「猫」や「犬」以外に古川作品に何度も出てくる動物である「鴉」がいたらなと思ったので、向井さんの『カラス』も聴きたかった。
いつもZAZEN BOYSや向井さんのライブに一緒に行っている青木ははじめて古川さんの朗読を体験した日になった。「なんて言葉にしたらいいかわからないけど、とてもすごいものを見た」と冷静に、しかし昂揚している口調で終演後に感想を言っていたのも印象に残った。彼は古川さんのパフォーマンスにも驚き、まるで演劇を観ているだと言っていた。しかし、向井さんと一緒に音を鳴らすと完璧なバンドのようだとも言っていた。
このふたりのセッションはまさに「名付けようがないエンタメ」だし、古川さんも向井さんもそれぞれの存在がジャンルだから、また二人がセッションするときは絶対に足を運んだほうがいいし、もっと多くの人に観て感じてほしい。



入場時にもらったお知らせに河合宏樹監督『平家物語諸行無常セッション』が2023年初夏に劇場公開決定と古川さんが書いたであろう文字が印刷されたものが入っていた。
劇場でまたあの興奮が観れるなら、今回の二人が観れなかった人にも観てほしい。古川さんと向井さんに加えて坂田明さんが入って三人でのセッションは彼岸と此岸の境界線に連れていく、また違う景色を見せてくれるものになっている。

公演が終わってから古川さん繋がりの知人の人たちと話をしながら、終演後の挨拶をしようと待っていた。『世界まる見え!テレビ特捜部』にも出演していて、ご自身でも映画を作っているマシュー・チョジックさんと久しぶりに再会した。去年起きたもろもろに関して少し話をさせてもらった。僕たちの共通の人は古川さんと園監督だったから。その話は今度お茶でもしながらしようと約束した。
古川さんと向井さんが関係者と一部の知り合いが残ったフロアに出てこられたので、ご挨拶して今回の感想を伝えた。古川さんへの挨拶で並んでいた最後の方だったのでマシューさんをはじめ知っている人たちの数人で話ができたのもよかったし、なんかすごく柔らかな時間になっていたと思う。
セッションの余韻を無くしたくないので歩いて帰りたいと思ったので、電車には乗らずに、radikoで『伊集院光オールナイトニッポン』を聴きながら歩いて帰った。
伊集院さんがかつて「オールナイトニッポン」二部をやっていた時代の違う曜日を担当していたパーソナリティーが集まった同窓会のような雰囲気になっていた。それぞれの方々が生き延びたからこその再会というものもあるし、なんだかとてもいい時間が流れていた。今日の「MATSURI SESSION」もいつか話して懐かしみながら盛り上がる日が来るかもしれない、だからなんとか生き延びたいなって。

 

2月20日
Daft Punk - One More Time (Official Video) 


漫画家の松本零士氏が亡くなったというニュース、代表作『銀河鉄道999』などは知っていたり少しアニメで見たことがある程度だけど、やはり僕らの世代だとDaft Punkとのコラボレーションだよね。

朝からリモートワーク。先週出したインタビュー記事は週末にもけっこう読まれたみたいでうれしい。これから月末まではできるだけ集中する時間を確保したいので、仕事上でやっておかないといけないことに早めに手をつけて少しずつ終わらせていった。
仕事中は「オールナイトニッポン55時間スペシャル」で放送された『ネプチューン土田晃之オールナイトニッポン』と『ゆずとCreepy Nutsオールナイトニッポン』と『明石家さんまオールナイトニッポン』と『aikoと井口理のオールナイトニッポン』を続けて聴いた。
ネプチューン土田晃之オールナイトニッポン』の時にネプチューンの名倉さんが『タモリのスーパーボキャブラ天国』のテーマ曲だった小沢健二 featuring スチャダラパー『今夜はブギーバッグ』の曲紹介をしていて、ある人物が脳裏によぎったんだけど、もう過去のことだから問題はないのかなっていらぬことを思った。
『ゆずとCreepy Nutsオールナイトニッポン』は二人組同士である彼らの組み合わせは予想以上によかった。クリーピーの抱えている問題や思っていることなんかを十何年前に通り抜けていったゆず、お互いにシンパシーを感じるところが多いのがわかるものだった。ゆずはDragon Ash椎名林檎aikoが同年デビューだという話をしていたが、みんながそれぞれ新しいジャンルを作るような人たちだったので仲間がいなかったという話もあった。
ゆずがメジャーデビューした当時はビジュアル系全盛期だったから、そこでの上下関係とかがきびしいのを見ていたが、そもそも同時代に彼ら以外には二人組のフォークデュオはいないから、かなり上の祖父世代みたいなレジェンドクラスの吉田拓郎さんたちに可愛がられたという話もしていた。そういう当事者しか見えない景色っていうのがあるんだなあ。
明石家さんまオールナイトニッポン』は笑福亭鶴瓶師匠がゲストでずっと二人のやりとりを聴いていたかった。『aikoと井口理のオールナイトニッポン』はそれぞれのラジオを聴いたことがなかったけど、聴いていたら好きになるコンビネーションだった。その合間とか外に買い物に行った時にTBSラジオの『川島明のねごと』を聴いて、仕事が終わってから土曜日深夜に放送していて聴けていなかった『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』を聴いたら、裏番組だった『電気グルーヴのオールナイトニッポン』をどうせみんな聴いているだろというフリで、彼らの『Shangri-la』を下ネタにして替え歌したものを放送中ずっとある女性と東ブクロさんが歌い続けるという最低で最高に爆笑できるものをやっていた。いやあ、深夜放送だね、くだらなくて最高だなあ。

気がつけば来週の水曜日には三月に突入してしまう。こちらからお願いした案件で先方から申し訳ないが、もう少しお返事に時間がかかりますという旨の大変丁寧なメールをいただいた。こういうことってほんとうに大事なことで、信用ってこういうちょっとこと下の積み重ねだし、それができない人はそもそもその積み重ねがないから信用がない。見習っていこうと思うし、そういうことにちゃんとやりとりができるのが当たり前の人でありたい。
もう一件、二週間前にお話をもらったことに関して連絡が来ていないので、これってどうなってますか?と聞いたら、僕に連絡する予定の人が連絡忘れているのでは?みたいなことになって、そちらのメアドを知らないのでSNSのDMで確認して聞いてみた。AさんとBさんで僕に伝える内容に関しての齟齬があったらしく、夜に詳細メールしますと返事がきた。すげえ両極端な感じだなと思いつつ、それでもライター仕事がもらえて形になって笑い話になるのを祈ってる。
古川さんに午前中に昨日のセッションの感想についてのメールを送ったら、お昼過ぎに早い返信があった。めちゃくちゃ疲れている時に申し訳ないなと思いつつも、感想が届いていることがうれしい。何だか今日はメールに関することがいろいろある一日。

 

2月21日


浅野いにお著『零落』が竹中直人監督で映画化したものが来月公開。『ソラニン』で種田が死ななくて、ミュージャンになって周りから見て成功していても抱えていただろう苦悩を漫画家の深澤は抱えているように見えた。
ラジオに出たときも紹介するほど好きな作品。ちふゆは河合優実さんじゃない?とか思ってたけど、斎藤工MEGUMI安達祐実という81年組な同学年がメインキャストにいる。
浅野さんは80年生まれ、80年代前半生まれって団塊ジュニアの文化には間に合わず、弟や妹世代がハマった『ポケモン』『ハリポタ』が出たときには高校生とかだったのが後にいろんな影響を与えた気もする。山上徹也の銃撃事件以後に同世代が起こした事件だから、やっぱり世代については考える。
安達祐実さんが出てた映画『REX』になぞらえて「GENERATION REX」というユニットをアナ、WEEKEND、PANORAMA FAMILYがやってたのを未だに覚えてる。


十八時過ぎまで作業してから家を出て中目黒駅に向かう。風が異様に冷たい、ちょっと寒すぎる。向かっている途中に仕事に関するメールが届いていて、いろいろと条件とか詳細が書かれていたので確認して、歩きながらスマホで返信を書いて送る、それに対してのメールがくるというのを三往復ほどして仕事が決まった。いろんなご縁もあってなのでありがたい。メールの返信を寒い中スマホで返すとなんだか正しく打てているかちょっと不安になった。
友達のパン生地くんと前に通りかかった時に行こうと話していたファイブスターカフェというシンガポール料理が出るお店に。出てくる料理は濃いめな味だと思ったがお酒がすすむ美味しい料理ばかりだった。
いつもみたいに小説のことやエンタメのこととか、彼の連載のことなんかを話ができた。時折、彼が言ってくれる僕へのアドバイスというか言葉がのちのち効いてくる、意味が理解できるようなタイミングがあるので、今回もいろんな角度がから話をしてくれてありがたかった。
三時間ほどしてお店を出てから、中目黒川沿いを散歩がてら歩いてエグザイル的なローソン(近所にエグザイルの事務所のLDHがあるので、店の壁いっぱいにTAKAHIROがチューハイをもったポスターというか宣伝があるローソン)に入って寒いと言いながら店舗前で缶ビールを飲んでいたら十一時近くになった。
パン生地くんの高校の先輩で十何年ぶりにばったり再会という感じらしく、その先輩さんは仕事先の社長と偶然僕らが立ち飲みをしている前を通りかかった。一緒にと声をかけられたので中目黒川沿いにあるバーに行って、飲みながらその社長さんといろいろ話してたんだけど、思いのほかファイブスターカフェで飲んだハイボールが徐々に聞いてきたらしく、ほどよく酔っていた。月に一回人と会う時に飲むかどうかなんだけど、ビール以外のものはわりと酔いやすい気がする。
よくわからないがご馳走になったらしい、深夜一時ぐらいを過ぎてから解散になった。酔いどれのままちょっとグロッキーな感じで歩いて家に向かった。『Creepy Nutsオールナイトニッポン』を聴きながらだったけど、内容を全く覚えていない。ただ、寒くて風が痛かった。風が冷たくて、歩いて帰るには微妙な距離だったが、ちゃんと家の近くでポカリを買っていたことを翌朝起きて気づいた。

 

2月22日
仕事が始まる少し前に目が覚める。寝転んだままだったが、何かの拍子に吐き気がやってきてトイレに行って吐いた。重くはないが二日酔いぽかった。テーブルは帰りに買っていたポカリがあったのでそれを飲んだ。

リモートで仕事を始めたが体内のアルコール濃度がまだ高いのか、気持ちが悪い。時折、気持ち悪くなって吐いてポカリや水を飲む、を繰り返す。だんだん吐いても胃液だけになり、なんというか自分の体の中のアルコール濃度がなくなったなと思うと二日酔いの感じはなくなっていった。

 ビートたけしについてずいぶん考えた。
 日本の作品でショックを受けたのはあの人のものだけだったからだ。
 まず第一にビートたけしが今のこの国では珍しく危険な存在感をスポイルされずに生きのびている芸人・役者だということがある。
 彼はそういう彼自身を映画に使える。
 でも私だって自分の言葉を使えるのだからそれは五分五分だ。
 それではなぜビートたけしは映画という容器に媚びなかったのか?
「映画なんて黙ってるとカメラマンが勝手に撮っちゃうからね」
 と、対談した時彼は言っていた。
 映画はハードを含めた強いメカニズムだから、敵意を持ってその自同律に立ち向かわないと転げ落ちるような敗北が待っているのである。
 そういうことを考えている時、浅草の舞台にいる頃のビートたけしが頭に浮かんだ。
 笑いと暴力の現場で、彼は一瞬の内にすべてを判断しなくてはいけなかっただろう。
 無名の群集を注目させ笑いをとるというのは、ある種のスピードと力だ。
 自分の性器を露出するようなプライドのない芸とはビートたけしはずっと無縁だったに違いない。
 私は、彼はきっとそういう舞台における一瞬のひらめきのようなものを、映画の現場に持ち込んだのだろうと思った。
 表現する側のアイデアと、表現を受ける側の反応ということでは、お笑いのスピードにかなうものはない。
 ジャズのインプロビゼーションだって、コードとテーマがある。
 音楽のライブだって前もって曲がある。カメラマンだって、たとえばポラロイドでも二分くらいに間がある。
 小説に至っては、作家のアイデアと読者の反応まで、五年くらいかかることだってざらなのだ。
 お笑いでは、言葉を発した瞬間、あるアクションをした瞬間にすべてが決まってしまう。
 小説の対極にある。
 だから、ビートたけしはその瞬時のひらめきで映画という容器に対したのだろう、と私はそう思ったのだ。
 それは半分間違ってると最近気付いた。
 問題は「ひらめき」というあやふやな言葉だ。ひらめきなんて信用してはいけない。感情や感覚にしたって同じだ。
 ビートたけしはおそらく浅草の頃から今まで他の人の何十倍何百倍と考え抜いてきたのだろうと思う。
 ひらめきが起こるのを待つような人は、単なるバカだ。
 ビートたけしは考え抜いたネタをナイフのようにとぎすまして舞台をうかがっていた姿勢を今も崩していない。
 いつも入念な準備があったという意味ではない。最後の最後まで、まるで飢えているように、強迫神経症のように、考えて抜いていたということだ。
 その積み重ねが、例えばテレビにおいてスポイルから彼を救っている。
 映画という容器からも自由になったのである。

村上龍著『村上龍全エッセイ 1987-1991』収録「映画という容器への距離」P451-P453

仕事が終わってからブックオフに行って読み終えた本を数冊売って、そのお金で村上龍著『村上龍全エッセイ 1987-1991』を買ってからニコラへ。上記で引用した部分はなにげなくペラペラと読んでいたら目に入った。1991年に出た文庫本だから23年前のものだが状態がかなりよくて、中にはその月の文庫本紹介みたいな折りたたみのやつも当時のままで入っていた。

仕事中に『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を聴いていたら、太田さんが今回の「オールナイトニッポン55時間」スペシャルの話や伊集院さんのことをしっかり自分の思ったことを話していた。その話の中で『電気グルーヴのオールナイトニッポン』で瀧さんが捕まった時の話とか最高だったなって話をしていて、それを聞いてまた聴きたくなってしまった。

アメリカの夜 インディヴィジュアル・プロジェクション 阿部和重初期代表作1』『無情の世界 ニッポニアニッポン 阿部和重初期代表作2』の装幀デザインめちゃくちゃカッコいい。前に出たものも持っていて出たら買うつもりだったけど、デザインがいいっていうのはほんとうにうれしい。

 

2月23日

 最初の妻は僕の普通のファンで、僕が出演したテレビ番組は全部録画しているし、全アイテムを持っています。今でも年に何度か、何かあると(だいたいそれは訃報や、2人が夫婦だった頃の思い出が失われたとき。何ですが)連絡を取ったりしますが、クイックジャパンに書いた「布団の上で裸のままテレビを見ている彼女は<いつかタモリもたけしも死ぬのかなあ、私それ信じられない>」というコラムの「彼女」とは彼女のことで、僕が出演したタモリ倶楽部を、DVDに焼いて送ってくれました。多くの人が忘れていると思うんですが、タモリさんは「笑っていいとも!」も生前退位されたので、タモリ倶楽部もいつか来るなと思っていましたけれども、タモリさんが醸し出す濃厚な「死の香り」は、実際の死より芳醇な死だと思っています。

菊地成孔の日記 2023年2月23日 午前5時記す>

そうか、『笑っていいとも!』も生前退位という言葉で合点が行った。「平成」は現在の上皇だけでなく、象徴といえるSMAPの解散、安室奈美恵の引退という形で生前退位といえる形で象徴が消えた元号ともいえる。タモリさんもそうだが「昭和」に生まれた人間が「平成」という時代を象徴する存在だった。「昭和」は長過ぎたこともあるし、そもそも第二次世界大戦以前以後ではまるで違う、だが、その終わりには象徴といえる美空ひばり手塚治虫の死があった。そのことが脳裏にあるとどうしても「平成」は象徴が死ぬことなく表舞台から消えていったというイメージとなる。
この菊地さんの日記は「天皇誕生日」ということで祝日になった朝に書かれているということ、そして『タモリ倶楽部』が三月いっぱいで終了することと結びつけていることは僕にはそういうことを彷彿される。
この日記の最初の方ではかつてプロデュースをしていたモノンクルとぷにぷに電機の対バンライブを菊地さんが普通にチケット買ってWWWに観にいった話だった。たぶん、そこがいちばんの読みどころなんだと思うけど、ちょっと香ばしい感じもした。あとぷにぷに電機というミュージシャンの名前をはじめて聞いた。知らないことばかりだ。

ぷにぷに電機×80KIDZ『Night Session』officialMV 



今回は『POPEYE』と渋カジの関係に焦点をあてていきます。
連載の初回で、渋カジにおいて『POPEYE』が果たした役割や、
雑誌がストリートを後追いしたことを裏付ける「敗北宣言」についてふれました。
あらためて問題点を確認しながら、実際の誌面をめくっていきましょう。

Tシャツをめくるシティボーイ 第15回  渋カジとは何だったのか・その3 / 文:高畑鍬名(QTV)

友人のパン生地君の連載の最新回が公開になっていた。今回も渋カジについてだが、『POPEYE』の誌面をかなり参照にしているので文字は少なめ、同時に誌面を撮影した画像が大量に投下されている。
この間飲んだ時にもこの話をしていたけど、ファッションに疎くてもあの時代の空気を知っている(ファッション雑誌とか目を通していたら)と祐真さんという名前はわかるし、「水道橋博士のメルマ旬報」でご一緒していたスタイリストの伊賀大介さんの師匠の熊谷隆志さんがやっているGDCというブランドの服は彼がよくスタイリングしていた浅野忠信さんや安藤政信さんやKj(降谷建志)が着ていたから印象に残っているなどの同時代的な思い出がある。
彼は『POPEYE』だけでなくいろんなファッション雑誌も集めて文献にしているが、雑誌というのはわりとすぐに捨てられたりもして残りにくいものだが、一個のパッケージとしてその時々の状況をしっかり保存してくれているメディアだなと思う。
いろんな企画や記事があって、それを通して読むと時代というのものがわかってくる。昔はそういう送り手から受け手への一方通行だったけど、今だと誰でも発信できるようになってくれると時代性というのはまとめにくかったり、実は形としては残りにくい。ウェブにあげたデータがどこまで残るのかプラットフォーム次第になってしまうから。そういう意味でも彼の連載はファッション雑誌論にも繋がっているのでおもしろい。

仕事の関係で一度目を通した方がいいなと思ったので、名前は知っているが読んだことのなかった矢沢永吉著『成りあがり』を池尻大橋駅のところにあるあおい書店で見つけて買って読んだ。
糸井重里さんがインタビューと構成をしているのも知っていたけど、普通にインタビューしたものを自伝的にまとめたものとは明らかに違う。YAZAWAの声が聞こえるような気がしてしまうものとなっていた。
この本自体は最初は1978年に出版されて、その後に現在の角川文庫になっているから僕が生まれる前から存在していて、明らかにこの本によって今の矢沢永吉のパブリックイメージは出来上がったのだろうと推測ができる。その意味でもコピーライターの糸井重里を使ったことは大成功だったはずで、本の中でも元キャロルの矢沢永吉と言われたくないと言っていた彼にとって、この自伝がその後の人生に大きくプラスに作用したのもよくわかる。途中から口調がどことなくTHA BLUE HARBのBOSSっぽいなって感じたんだけど、言葉の区切り方が近いからだろうか。

夜まで作業してそこからリモートワークで少し働く。夜にCSスタッフでリモートワークしている仕事の分量が減ってきているので来月から始動するライター仕事をしっかりやって、次に次に繋いでいかないといけないし、たぶんそういう移り変わりの時期なんだろうなと思い込むことにする。

 

2月24日
「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2023年03月号が公開されました。3月は『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』『ひとりぼっちじゃない』『零落』『マッシブ・タレント』を取り上げました。


リモートワークをしているとクロネコヤマトさんが荷物を持ってきてくれた。先月末に頼んでいたスーパー・ササダンゴ・マシンさんのプラモデル。

 「誰に頼まれるのでもなく、自分で設計して自分で金型を彫って、そこにプラスチックを流し込んで出てきた成形品に自分で値段を付けて売れるんですよ。夢みたいな商品ですよプラモデルって……」と語るスーパー・ササダンゴ・マシン。確かに金型メーカーは取引先から「こういうもんをこれくらいの値段で作ってほしい」と頼まれるのが常だ。要求される価格やクオリティや納期で泣いたこともあっただろう。事実、坂井精機はここ数年赤字経営だったという。

 ぶっちゃけ本人に会って話を聞くまで、オレはこのプラモを「金型メーカーが道楽でプラモを作ってみました。ちょっと出来が悪いけど、そこは冗談ということで許してちょ」みたいなナメたプロダクトだと思っていた。そして実際、出来が悪いのである。プラモデルの設計も初めてだから、何から何まで見様見真似、どうやったら安定した品質になるのか、どうすれば生産効率が上がるのかはすべて手探り。だからメーカー自ら「入手困難!組立困難!」を謳っている。

模型界の場外乱闘、スーパー・ササダンゴ・マシンのフル可動キットは「プラモデルのプロレス性」を体現した傑作です。

スーパー・ササダンゴ・マシンさんことマッスル坂井さんこと坂井良宏さんが代表取締役を務める坂井精機で作られたプラモデルであり、個人的には「水道橋博士のメルマ旬報」でご一緒していたのでプロレスをほとんど知らないけど面識のある覆面レスラーさん。
一度新宿の喫茶西武でロロの三浦さんのインタビュー取材する仕事があった際に、終わったあとに店内でパワポの作業をしているマッスル坂井さんをお見かけてしたのでご挨拶をしたら、ハンバーグのホットサンドをごちそうになった。ということがあったりして僕の中ではすごい優しい人だっていう印象が残っていて、時たまササダンゴ商会でTシャツを購入したりしていた。
このプラモデルも去年ぐらいから作っているという話があったので気になっていて、ご実家の坂井精機である種手作りされるのであれば買ってみたいと思っていた。
購入の際に記念だからサイン入りにしてもらったのだけど、これサイン入れてもらうと箱捨てにくいなっていう。そしてサイドの黄色と黒のシールは側面に伸びているので箱を開ける時にはハサミとかで切ったりしないと開かないようになっている、ようするに留め具的な役割を果たしている。
これはプラモデルだけど、開けない方がいいのではとちょっと思ってしまった。なんというか開けなかったら中ではすでに完成されたスーパー・ササダンゴ・マシンのプラモデルが存在しているが、開けたらパーツごとに戻ってしまう、そんな気が。これは「シューレンガーの猫」的な状況? だから「スーパー・ササダンゴ・マシンのプラモデル」的な、とか。
なんだかもったいないので開封してプラモデルを作るのは少し先にしよう。先日、パン生地くんと飲んだ時に、読んだり観たりするのをいっとき止めてみたらと言われたのも脳裏に残っていた。まあ、今月末の締切まで時間もないし、それでいいかなって。


仕事が終わってから外に出ていなかったので散歩がてら代官山蔦屋書店まで歩いていく。 Radioheadの七作目のアルバムが『In Rainbows [Japanese Expanded Edition] 』として復刻されて、発売日だったので蔦屋書店の二階の音楽コーナーにあるだろうなって。
すぐに新譜コーナーで見つけたのでレジで会計をしたら、購入特典のステッカー(GLAMORっていうなかなか貼るのに躊躇するデザイン)と購入者特典のくじ引きであたったワッペン(ハンティングベアっぽいやつ)をもらえた。
In Rainbows』はわりと好きなアルバムで2007年のリリース当時はたしかウェブでダウンロード方式になっていて、買う人が値段をいくらにしてもいいっていう実験的なものだったと思う。僕はいつものアルバムの感覚で2500円ぐらいにしたような記憶があるが。
家に帰ってから音源をiTunes(外付けHDに繋いだ)に取り込んでから風呂に入って、『In Rainbows』を繰り返して聴きながら寝るまで作業を進める。

Radiohead - Jigsaw Falling Into Place | Live at Saitama, Japan 2008 (1080p) 


In Rainbows』を久しぶりに聞いていたら、やっぱりこの曲好きだなって思った。たぶん、ライブでも観ている気はするんだが、この時さいたまスーパーアリーナに行ったんだっけな、覚えてないな。

 

2月25日

初めに記しておきたい。1998年2月25日に私はデビュー作『13』を幻冬舎から上梓した。書き下ろしだった。原稿用紙に換算して1111枚あった。こういう馬鹿げたスケール感の、日本とザイール(熱帯アフリカの、現コンゴ民主共和国)とアメリカ西海岸を舞台にした、いったい純文学なのかエンターテインメントなのかも不明極まりない小説を、受けとめ、刊行につなげてくれた幻冬舎の志儀保博さん(最初の担当編集者)に感謝する。どこまでもどこまでも感謝したい。そして、明日。それから25年を超えて、1歩が、1日めが始まる。

『天音』がらみで言うと、今日(2023/02/24)の読売新聞の夕刊には私の書き下ろしの詩が載り、こういう形で詩人として活動できる、というのは、明日から作家デビュー25周年に入る自分の、最大のエネルギーである。最大のエールでもある。ただただうれしい。MATSURI SESSION ではあえて脱力系の詩を披露したが、この読売紙上の詩は、たぶん〈元気〉だの〈希望〉だのといったものをチャージする。私は読者に、そういうものをチャージしてもらいたいから、書いたのだ。

古川日出男の現在地「とうとう、明日から」

日曜日の『MATSURI SESSION』のセトリというかどういうものを朗読したのかも書かれている日記だが、そう今日二月二十五日は古川日出男さんの小説家デビュー25周年目突入の日。書き続けるということはすごいことだし怖いことだと感じる。それをできるための精神力や体力や運、あらゆるものをそこに費やしているということだから。

古川さんにお祝いのメールを送って、あとはずっと執筆作業をする。夜に入れていたトークイベントに行く予定は諦めて、後日配信で見ることにしようと思ったが、古川さんの周年のお祝いもしたし、イベントの出演者の方々にも直に会って話ができたほうがいいなって思ったので、十八時ちょっと過ぎてから家を出て歩いて下北沢のボーナストラックへ向かう。


B&Bで開催された西寺郷太×伊賀大介×原カントくん「復活!『いごかんトリオ』(伊賀大介西寺郷太・原カントくん)1990年代の音楽、ファッション、そして下北沢を語る」『90’s ナインティーズ』(文藝春秋)刊行記念トークイベントに。

今回の『90’s ナインティーズ』は発売の際に担当編集者でもある文春の目崎さんに送っていただいて読んでいた。目崎さんもいらしたし、近くに予定があって偶然顔を出していた柳瀬博一さん(目崎さんの大学の同級生だと初めて知った)とも「文化系トークラジオ Life」関連以来ではお久しぶりにお会いできたし、「Life」関連の知り合いの佐々木さんもスタッフでお店に入っていた。
メルマ旬報チームでは『沢村忠に真空を飛ばせた男: 昭和のプロモーター・野口修 評伝』で「本田靖春ノンフィクション大賞」を受賞した細田昌志さんが来店されていて、郷太さんの新潮社新書で出している『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』や『プリンス論』の担当編集者の金寿煥さんなど顔を知っている人たちと会えたのもよかった。
郷太さんと伊賀さんと原さんはちょうど二歳ずつぐらい離れているけど、三人でのトークは「メルマ旬報」時代からやっていたので、話をする時に誰かが話して他の二人が聞いてから、質問や思ったことを話すテンポがすごく自然でよかった。『90’s ナインティーズ』がテーマだから、郷太さんが当時の話なんかをしていると、伊賀さんと原さんがその話のもっと深いところに行くような問いかけや疑問を話す感じだった。
伊賀さんの「ナインティーズ」として、師匠である熊谷隆志さんのところに弟子入りした際の話なんかもあって、こういう話はファッション関係の人はもっと聞きたいだろうなというエピソードだった。
郷太さんはいつもバイタリティに溢れていて、好きなものをとことん追いかけたら巡り巡って自分にとっておもしろいことが起きるよって何年か前に言ってもらったことがあったのだけど、ほんとうにそれを実践し続けているんだなって話を聞きながら改めて思っていた。
質問の時に、郷太さんから名指しで当てられたので、小説に書きたかったけど書くことができなかったエピソードをここでだけ話してくださいと僕が話したことについて、たしかに書けないよなって思う内容のことを話してもらった。それは僕が読んだ時にこれは夢を追いかけて生き延びた人の青春譚だと思ったこととも少しリンクしているものだった。
終わってから出演者の皆さんや目崎さんにご挨拶をしてきた道を戻った。残って飲みに行ってしまうと残りの三日間のリズムが壊れてしまうなって思ったから。その分帰ってから作業を進めた。

 

2月26日
朝目が覚めてからすぐに布団から出ずに、寝たままでradikoを起動して『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』を聴いた。うとうとしながらだったのでなんとなく内容を覚えていないけど、人の声、さらばの二人の会話のリズムで次第に眠さが薄れていった。布団から出たくなかったのは単純に寒いから、部屋が冷え切っていたから。
十時前に一度家を出てスーパーのオオゼキに牛乳を買いに行って、そのまま一時間ほど散歩をしながら、『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いていた。若林さんが結婚してから、子供が産まれてからのドキュメントみたいなこともどんどん話されているので、特に何年も前から聞いているリスナーには感慨深いんだろうなって思う。
おぎやはぎのメガネびいき』でも矢作さんが四十代後半でお父さんになったこともあって、子供の話とか父親になった自分の話をしている。
深夜ラジオの人気番組のパーソナリティーがある程度年齢を重ねてから結婚して親になっているから、この数年でそういう話題がかなり増えているような気がする。当事者でも関係者でもなくて第三者だけど、そういう話は聞いていて微笑ましい。
もちろん、そうなれない人たちが苛立ったり嫌いになったりすることもゼロではないと思うけど、そっちには行かないだろうし、そうなるともういろいろと無理じゃないかなって。そうなっても環境や関わる人との距離とかで苛立ったりしなくなったりもする人も中にはいるんだろうけど、不寛容な社会の一面が出やすいのが結婚と出産のことなのかもしれない。
去年のホアキン・フェニックス主演『カモン カモン』やトム・クルーズ主演『トップガン マーヴェリック』なんかは結婚や父親になっていない中年以降の男性がいかに「父」になるかという問題を、甥っ子や友人の息子との関わりの中で見出していくというものだった。そういうことは日本でももっと描かれていくようになるんじゃないかなって思っている。

――作画はともかく、ストーリーを考えるのは「手を動かしてさえいれば終わる」というものではありませんよね? ネームでアイデアが浮かばず、作業がズレ込んで苦労することはありませんか?

ピエール手塚 ネームでてこずることはありますが、期日までに出来たものをとりあえず編集さんに送るようにしています。ひとりで悩んで時間をずるずる使っちゃうよりは、「いったんここまで」と決めて、あとは客観的なアドバイスをもらったほうがいいと思っています。

――そこで「編集者にいったん渡す」という判断ができる作家は意外と貴重ですよね。ひとりでドツボにハマっていく人も多いので……。

ピエール手塚 そこは会社員としての経験が関係しているかもしれません。「完璧じゃないとしても、今あるものをいったん投げたほうが先方的には安心する」と理解しているので(笑)。

「連載2本&サラリーマン(課長)」を両立させる“ただ1人の漫画家”! 40歳の新人・ピエール手塚が「超多忙でも〆切を守る」理由

――手塚さんはデビュー前から『将太の寿司』の熱狂的なファンとしてネット上の一部の界隈で有名でしたね。

ピエール手塚 はい。2016年に開催された寺沢大介先生の原画展では、イラストをリクエストできるサイン会も行われました。普通は将太くんや味皇(『ミスター味っ子』)といったメインキャラを頼むと思うんですが、僕は大和寿司の親方をリクエストしたので、「それは誰だっけ……?」と寺沢先生を困らせてしまいました。

――『将太の寿司』に登場するアナゴ寿司の名人ですね。生き別れた息子とのエピソードなどは感動的ですが、登場シーンが多いわけではないので、たしかに作者が忘れていても仕方ないような……。

ピエール手塚 「そんなこともあろうかと大和寿司の親方の原画を購入しておきました」と原画を取り出したので、それはそれで戸惑わせてしまって(笑)。

 自分が漫画家になってから寺沢先生と対談させていただく機会があったのですが、「サイン会のあの客はお前だったのか」と言われました。サイン会で変なお願いをしてきた客、ネットで定期的に『将太の寿司』の話をしているやつ、たまたま目にした漫画の作者。その全てが同一人物とわかって驚いたみたいです(笑)。

6年かけてようやく「連載作家」に…遅咲きの漫画家・ピエール手塚(40)が明かす「チャンスを逃さない方法」

休憩中にTwitterで流れてきた記事を読んだら、かなり面白かった。このピエール手塚さんという漫画家さんのことは知らなかったのだけど、サラリーマンとしての生活があるからこそできる創作ということ、その経験が作品作りに役立っていることがよくわかるインタビューだった。
完成とは言えないものをなんとか期限内に出して、それにコメントや反応がもらえるほうが僕もいいんじゃないかなって思う派だなあ。
完璧なものを出すのは難しいから、とりあえずできたものを確認してもらって、その上で完成形を再確認したり、違う方向に舵をきったほうがいいか言われるとやりやすいことって多いと思う。これって日本人だと溜め込む人が多くてドツボに入りやすいのか、創作やっている人は完璧を目指しがちでドツボに入りやすいのか、どうなんだろう。
締切だけじゃなくてお金が発生するタイミングや権利問題なんかが日本とたとえばアメリカだと全然違うから、誰かに見せるまでの考え方も違っているって部分が大きいのかもしれない。

お昼過ぎに一件仕事関係のことに関してオンラインで打ち合わせをしたら、嫌な予感がしていたがその通りだった。あとは外に出ないで引き続き作業。
僕がやろうとしていたのは『ポータブル・フォークナー』みたいなイメージ。関係のある人物たちの中編がいくつか集まった長編みたいなものなんだけど、エンタメとしてやるならもっと大きい謎が解かれるような仕掛けがないといけないよなって思いつつも、いくつかの中編を並べて共通する人物が一番の中心であり、空洞っていうのが描きたいことだった。それはやっぱりもっと技量がいることだというのもわかる。
打ち合わせで言われたことがある意味では最悪なことでもあり、新しいことをするしかない展開になっているというか、そういうタイミングなんだって。焦らないといけないのはわかっているけど、三月の夜がだいぶ暇になったので、今書いている小説はもう一ヶ月締切をスライドさせて、「メフィスト賞」ではなく「ハヤカワSFコンテスト」のほうに送ることにした。SF寄りになっているけど、この状況なら無理して出すよりは推敲もしっかりした上で出してできるだけ可能性を高めたい。今書いているものが書けたら、そちら側が存在していたら存在しない側、の物語が書き始められる。そちらは「日本ファンタジーノベル大賞」に出す。

 

2月27日
去年、それまで10年とか長く続いてきたものが途切れたり、終わっていくのをただ見ていた。不可抗力だからどうにもできなかったし、結局のところは自分がやってきたことやそういうことの反映というか、生前の立川談志師匠は「よく覚えとけ。現実は正解なんだ」ということを言われていたらしいが、そういうことだろうと思っていた。
3月生まれからすると2月というのはなんというか区切りの月であり、新しく始まる前の古い一年の最後の月だからちょっともの悲しい。で、昨日も続いていたものについてある種の終わりを告げられて、これはかなり詰んでしまったなと思っていたら、朝に別の方向から仕事に関する話をもらった。本決まりではないけど、たぶん、決まって新しいことが始まる予感。終わりと始まりはそういうタイミングで起きるから。いやでも自分とか環境が一気に変わる時期というものがあって、この2年ぐらいはそういう時なんだろう。
部屋の更新もしたばっかりだったから生活とかやべえなって思ってたんだけど、もしも実家に帰っても(執筆関係の)仕事のことで声をかけてくれる人もいないけど、やっぱりなんだかんで声をかけてくれる人がいたりする、そういう居場所に東京はなっている。
今年のテーマは「生き延びる」だから、そのためにどんどん僕もそうじゃないものも変わっていくんだろう。

STUTS×SIKK-O×鈴木真海子 - SUMMER SITUATION (LIVE AT USEN STUDIO COAST 2021)


STUTSの6月の武道館ライブは先行で取っているから、この曲をやってくれたら最高なんだけなあ、今の気分にとても合う曲。

仕事前に昨日放送したドラマ『ブラッシュアップライフ』第八話を見た。主軸としては人生をやり直すという話だが、主人公のあーちんこと麻美(安藤サクラ)が現在4周目。それまでの人生で仲良しだったなっちこと夏希(夏帆)とみーぽんこと美穂(木南晴夏)とちょっと疎遠になっているという感じになっている。代わりに宇野真里(水川あさみ)とこれまでの人生から比べてみると親友のようになっていた。
という感じだが、前回の最後に真里が麻美に「何周目?」と聞いたところから始まった今回は、真里は麻美同様に人生を繰り返している人物であり、今回が五周目ということが判明する。
そして、真里にとっての一周目では麻美と夏希と美穂と真里が仲良し四人組だった。だが、夏希と美穂が飛行機事故に遭って亡くなってしまったという。その人生を変えるために二周目の真里はもう勉強してパイロットになることでその事故から二人を救おうとしていたため、他の三人との接点がなくなっていたこと麻美は言われる。
今回で四周目が終わって、次は人間に転生できると言われた麻美だが、もう一度人生をやり直して、真里とともにパイロットになることで残りの二人を救うことを決意して第八話は終わった。
見ていて思ったのが、麻美と夏希と美穂と真里、とくに麻美と真里の関係性ってどこかで前に見たような既視感があった。考えてみたら、おそらく『魔法少女まどか☆マギカ』のまどかとほむらの関係性に二人は近い。
ほむらはまどかを魔法少女にしないために何度も時間を繰り返していた。つまり、ほむらも真里も先に起こりうることを先に知っていたので一人でなんとかしようと動いていた。そして、主人公である麻美もまどかも後半になって、その真実を知ることになる。
おそらくだが、まどかが魔法少女になってほむらをある意味では救ったように、麻美が真里を救うことで、ほかの夏希と美穂も含めて救って最高のエンディングを迎えるという流れになるのだろう。ドラマとしてセリフとか場所やアイテムがほんとうにうまく伏線になっていて、パズルみたい。脚本のバカリズムさんもパズルを組み立てるように話を書いていってるんじゃないかなって思う。

朝のリモート仕事が終わってから吉報をくれた人との打ち合わせ、まだはっきりと決まったわけではないが、先には進めそう。精神的に楽になったというよりは今年と来年で一気に決めたい、やる気が出てきた。たぶん、今年は三月からの半年が勝負になるからバテないように体力をつけないと。

 

2月28日
起きてから読みかけていた樋口有介著『風少女』を少し読み進める。ミステリを読んでいてもあまり犯人やトリックはほとんどわからない、そうだから読んでいておもしろいというところもある。この著者はどんふうなトリックを使っているのか、犯人はこいつだろうとミステリ脳を発揮して読む人もたくさんいるのだろう。
この作品は今から30年以上前の青春ミステリであり、当時の風俗や文化なんかも描かれていて、そのことを僕はおもしろがって読んでいる。1990年に『風少女』は直木賞候補になっているので、描かれている世界はどんなに新しくても80年代のものだろうから、近過去といって差し支えはないと思う。ここで描かれている主人公の「ぼく」のどことなくぶっきらぼうで少し世界を引いてみているような視線なんかは違和感はない。
彼の初恋の人だった川村麗子が浴槽で溺死したことから彼女の妹の千里と「ぼく」は事故死ではないのではないかと周辺を探ることになっていく、というものだが、麗子や「ぼく」の同級生たちがわりと曲者揃いであり、前橋を舞台にしているがまだ何者になっていない二十代前半の彼らはすでになにかを諦めたような虚無感に苛まれている。このどことなく投げやりでゆるやかな絶望とともに生きている雰囲気は、当時のバブル景気とは無縁の世界のある種のリアリティだったのではないか、と想像もできる。この小説をおすすめしてくれたのは庄野さんだが、気がついたら庄野さんがミステリ好きなのもあるけど、今までおすすめしてくれた小説は東京創元社早川書房のものが多い。

夜の仕事までは時間があったので、今書いている作品を「メフィスト賞」ではなく「ハヤカワSFコンテスト」に出すことに変えたので郵便局にいって、レターパックプラスを買ってきた。そこのお届け先にすぐに早川書房の住所と「ハヤカワSFコンテスト」係と書いて自分の住所と名前を書いた。
メフィスト賞」は去年からウェブのみに応募に変わったが、「ハヤカワSFコンテスト」はいまだに郵送のみになっている。物理的に送るというのは時代錯誤感はあるが、プリントアウトして郵便局で出すというのは、応募したぜという感慨はある。そして、消印の問題もあるが、締切日はとにかく早く午前中ぐらいには出しておかないとあぶない。もう、一ヶ月しかないよ、と自分に言い聞かすためにレターパックというのはちょうどいい。
しかし、外出中はずっとくしゃみが出てしまって、これは花粉だ。暖かくなってきて一気に花粉が飛びまくっている。マスクをするのもしないのも個人で選んでくださいって感じになるみたいだけど、もうずっとマスクをしてきていて尚且つ花粉症の症状あったら春先はマスク外すの無理よ。


プラモ用のニッパーを買ったので、スーパー・ササダンゴ・マシンさんのプラモデルを作ることにした。三月からの予定も変えたので今月中に作ってしまおうと思って、作り始めたが、何年ぶりか覚えてないぐらい振りのプラモ作りは思いのほか楽しかった。
パーツがカチカチッと組み合わされていく、あの感触が気持ちよくて、出来上がっていくにつれちょっと寂しくなっていった。
箱の写真はスーパー・ササダンゴ・マシンさんとも仲のいいミュージシャンのラムライダーさんが完璧なまでに彩色しているものだが、ちょっと凄すぎる。彩色しないでも五つのカラーのプラパーツでスーパー・ササダンゴ・マシンさんだとわかるものができた。


先日、名前は知っているけど一度も読んだことのなかった矢沢永吉著『成りあがり』を読んだ。今度仕事をする人とのメールのやりとりの中でこの作品のタイトルがあったからだが、出されたら読んでおかないといけないよなっていう、程度の気持ちで。
新潮社の金寿煥さんが担当だってツイートしていた気がする錦織一清著『少年タイムカプセル』という自叙伝が出ていたので買って読み始めた。聞き手が西寺郷太さんなんですよ、構成が細田昌志さんなんですよ、で担当編集者が金寿煥さんなんですよ、ってこの間のB&Bで全員会った人たちじゃん!って思って。
読み始めたらどんどん進む。郷太さんが聞き手というのも大きいはずで、錦織一清さんのファンだし音楽も含めて深掘りもできるし、構成もかなり読みやすいように調整されているんだなって思いつつ、その中でけっこう大事なキーワードで矢沢永吉(錦織さんがファン)と『成りあがり』からの影響を公言されていて、おお、すごいいいタイミングで読んでるって思った。

夜のリモート仕事は短いのですぐに終わった。明日からはちょっと今までと違う時間の使い方になっていくはず。イレギュラーなことが増えるとは思うけど、新しいことが始まる時はしばらく安定なんかしないし、体調崩さないように気をつけてやっていくしかない。さて、三月からどうなっていくのかわからないけど、とりあえず巻き込まれていこう。しかし、洗濯物を取り込んだだけなのにくしゃみが連発するほどの花粉。今年は花粉がすごいということだけはわかった。

今回はこの曲でおわかれです。
ドレスコーズ「ドレミ」MUSIC VIDEO

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年2月1日〜2023年2月14日)

先月の日記(2023年1月16日から1月31日分)


2月1日

午前様で帰宅して寝たのが一時過ぎだったがいつも通り七時半に起きた。ありがたいこともお酒は残っていなかったが髪の毛とかにタバコの匂いが残っていたのでシャワーを浴びてからリモートワークで仕事を開始。
昼休憩で駅前のTSUTAYAの書店で一冊入っていた渡辺あや著『エルピス ―希望、あるいは災い―』のシナリオブックを購入。渡辺あや脚本作品のファンとしては待望の一冊。『メゾン・ド・ヒミコ』オフィシャル・ブックにはシナリオが掲載されていたし、『ジョゼと虎と魚たち』の映画パンフレットにはシナリオが掲載されていたりはしたけど、書籍として渡辺さんの脚本が出版されたのはこれが初めて、だからきちんとお金を払って買いたかった。

Mirage Collective – "Mirage Op.6 (feat. 長澤まさみ , 眞栄田郷敦 , 大友良英)" [Official Audio]



昨日会ったイゴっちからラインでおすすめの漫画のURLが来たので読んでみた。大白小蟹さんという漫画家さんの『うみべのストーブ 大白小蟹短編集』に収録されている短編漫画だった。
ある日、夫が透明人間になってしまった妻、その二人の日常を描くというものだが、人は形のあるものとないものどちらも大事であり、一方が欠けてしまうとその存在が揺らいでしまう。漫画だからこそ上手く表現できている作品だと思ったし、漫画というスタイルだから訴えかけてくるものとリアリティーが感じられた。最後まで夫が透明なままというのもよかった。

岸辺露伴 ルーヴルへ行く」木村文乃が謎多き女性・奈々瀬に、若き露伴は長尾謙杜(コメントあり) 

おお、安藤政信さんが出演するんだ。もともと映画館に観に行こうと思っていたけど楽しみが増えた。

 明日僕は、映画版の為にスタジオに入り、多くの若い音楽家と分業して、ビッグプロジェクトの行方を左右しないといけない。その翌日には、山下トリオの初代ドラマーである森山さんと共演すべく、リハをやり、翌日に本番をやる。沖野修也さんはおそらくだが、僕が今、テナーでフリージャズをやったら仮歯が抜けるだろうことを知らない。だが説明しない。翌週にはインプラントの最終手術がある。抜けてもかまうか。

 そして更にその翌日には映画版のレコーディング初日が待っているのである。テレビ版は45minだが、映画版は2h近い。僕が提案した音楽の内容については、公開まで書けないが、我ながらよくあんな提案を出したもんだと思う。監督との信頼関係は審美性が100%で、経済性について言えば、誰かが大損をする可能性と、大儲けをする可能性がある。いつだって博打の連続だ。博徒にとっては。

菊地成孔の日記 2023年2月1日午前3時記す>

昨日のオーニソロジーのライブがあったばかりだが、菊地さんが日記をアップしていた。ここで言及している映画というのは『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』のこと。映画もたのしみだが、ぺぺ・トルメント・アスカラールのニューアルバムが今年はいちばん菊地さん関連のリリースではたのしみにしている。そこに収録される予定の『インターレグナム』は勝手に自分の作品名に使っているから、音源でしっかり聴きたい。別バンドでもある「ラディカルな意志のスタイルズ」のライブも行ける場所であれば観に行きたい。こちらの音源はしばらく出さないと言われていることも大きいが。

2020年代の若者たちは、Tシャツの裾を「入れてないと笑われる」世界に生きています。
Twitterで検索すれば「Tシャツ出してんのキモい」といった若者つぶやきが出てくる世界です。

1990年代に、オタクの人たち以外がいっせいにTシャツの裾を出した時から、
電車男』『脱オタクファッションガイド』の2005年まで、ざっくり15年。
タックアウトの時と同じ現象がタックインに生じるとすれば、
2035年にはオタクの人だけがTシャツの裾を出している世界に突入します。
そして2035年の『脱オタクファッションガイド』には、Tシャツの裾を「入れましょう」とあるはずです。

Tシャツをめくるシティボーイ 第12回  電車男とは何だったのか 後編 / 文:高畑鍬名(QTV)

パン生地くんこと友人の高畑鍬名くんの連載の最新回。『電車男』のオタクファッションと現在を繋げて考察している。かつてダサいと言われていたオタク的な格好が現在ではトレンドになっているということ、実際にファッション業界の人はこの反転しているトレンドはどう考えているのだろう。連載が進んでいくとファッション業界の人にインタビューとかお話を聞くこともあるのかな。

先日問い合わせていたことについて返事をもらったので、次の展開というかやろうと思っていたことについて連絡をした。こちらも先方の返事待ちだし、ダメ元ではあるのだが大事なのはきちんとやりとりをさせてもらって、無作法にならないように義理を通しておきたい。
個人やフリーランスの人は不義理をしないことが生き延びるために大事なことだ。不義理した人ってどのみち人が離れていくので、やりたいことができなくなったりするし、いろんなチャンスや縁が遠のいていったなという人もたくさん見てきた。
連絡したことでうまく行ったらそれで最高なんだけど、それは高望みかなとは思う。

ニコラにコーヒーを飲み行ってカウンターにいた初めてお会いした詩人の道山れいんさんと詩や音楽の話をたくさんさせてもらった。先日に引き続きカウンターで共通の興味や好きなものの話ができるということも恵まれている。なにかとてもいい予感がする。

 

2月2日

少し前から決まっていた予定がキャンセルになったので、前から気になっていたロウ・イエ監督『シャドウプレイ【完全版】』を観ることにした。
下北沢駅まで歩いて井の頭線吉祥寺駅へ。駅に着いてからすぐにパルコ吉祥寺に行って、アップリンク吉祥寺を見に行った。アップリンク渋谷にはよく足を運んでいたが、吉祥寺には一度も来たことがなかった。とりあえず場所もわかったし、チケットも発券して上映まで三十分以上あったので井の頭公園へ向かった。
毎年元旦は古川日出男著『サマーバケーションEP』の聖地巡礼がてら井の頭公園に朝やってきていた。神田川の源流という立て看板をスタートにして、晴海埠頭まで歩いて東京湾を見るということを2022年までやっていたが、今年はそれをやめた最初の年だったのもあって、井の頭公園には一度も来ていなかった。

碇本学(ライター)『二〇一八年のサマーバケーションEP』vol.1

『二〇一八年のサマーバケーションEP』vol.2〜あるいは二〇〇八年のスプリングバケーションEP〜

↑「古川日出男のむかしとミライ」公式サイトの特別寄稿「私的古川論」に寄稿したもの。

神田川の源流の立て看板を見たからアップリンク吉祥寺に戻ろうかなと思った時に、近くのカフェで大塚英志さんがよくお仕事されているというのを前に教えてもらっていて、去年ロロの舞台を観に来た日が発売日だった『木島日記 うつろ舟』をブックスルーエで購入したあとにそこに行ってみたら、大塚さんが作業をされていたのでご挨拶をしてサインをしてもらったことがあった。
上旬の日記に書いたけど大塚さんのツイートが五日からなくなっていて心配していたが、前日に久しぶりにツイートされていて一安心したばかりだった。もしかしたらいらっしゃるかなと思って行ってみたら本当に作業をされていた。持ち帰り用のアイスコーヒーを頼んでから大塚さんに新年のご挨拶も兼ねてお声がけさせてもらった。
実はお店の前を通った時に一度は作業されている姿を確認だけして通り過ぎたんだけど、出逢いに照れるというのも頭によぎったし、自分からきっかけや機会を作らないとダメだなって思って引き戻してお店に入ってご挨拶をさせてもらった。これが偶然なんだけど、今日一日の流れを決めたようなものだった。

スプリング・フィーバー」「天安門、恋人たち」のロウ・イエ監督が、天安門事件が起こった1989年を起点に、社会主義市場経済が押し進められ激変する中国の30年間と、香港・台湾との離れがたい関係を、ある家族の姿を通して描いたクライムサスペンス。

2013年、広州の再開発地区で立ち退き賠償をめぐって住民の暴動が起こり、開発責任者のタンが屋上から転落死する。事故か他殺か、捜査に乗り出した若手刑事のヤンは、捜査線上に浮かぶ不動産開発会社の社長ジャンの過去をたどる。その過程で、ジャンのビジネスパートナーだった台湾人アユンの失踪事件が見えてくる。転落死と失踪、2つの事件の根本は、ジャンと死亡したタン、タンの妻のリンが出会った1989年にあった。

刑事ヤンに中国の人気俳優ジン・ボーラン、野心家の不動産会社社長ジャンにロウ・イエ組常連のチン・ハオ、夫のタンを失ったリン役に「SHOCK WAVE ショック・ウェイブ 爆弾処理班」のソン・ジア。中国当局の検閲によりカットせざるを得なかったシーンを加えた129分の完全版には、香港の人気俳優エディソン・チャンの出演シーンも含まれる。日本では2019年・第20回東京フィルメックスのオープニングでカットされたバージョンが上映され、2022年に「完全版」で劇場公開。(映画.comより)

公式サイトにあるストーリーと予告編ぐらいしか見ていなかったが、時間と都市をある家族をメインに描くというのは僕の性癖というか、ドストライクなものなので自分の書きたい作品にもきっと無意識でも影響を与える可能性があるといいなって。
時間と場所がわりところころ変わる内容になっており、前半部分はちょっと観にくい展開だなと思っていたのだが、終盤になってそれらがひとつに纏まっていきラストに集結していく。それと香港ノワール的な後半が噛み合っていく部分が非常におもしろかった。前半はちょっと大丈夫かなと感じたが、後半になってからは前のめりな気持ちで観れた。
屋上から転落死したタンと不動産会社社長のジャンとタンの妻のリンが若かった1989年のとある事件とジャンのパートナーだったアユンの失踪事件の真相は予想の範囲内ではあるのだが、男二人と女一人の友人だった三人組の愛憎劇が物語の核にあり、彼らの野望が達成していくのと同時にその精神は磨耗していったこともわかる。
タンがリンに暴力をふるっていた理由、リンが精神を病んで長い時間入院していたのは彼の暴力だけではなく、かつて三人が犯した罪がずっと内部に宿り続けいつしか膨張して彼女や彼を蝕んでいったのだろう。成り上がっていくジャンは「社会主義市場経済が押し進められ激変する中国の30年間」をまさに体現する存在であり、そこで勝ち抜いて巨万の富を得た側として描かれている。しかし、その始まりには人には言えない罪を犯していたという内容にもなっている。
瓦礫の再開発地区と超高層ビルコントラスト、現在よりは少し前の中国の景色でもあり、かつての日本も同じような経済成長があった。だが、日本はもう経済大国ではないし、かつてのアジアの発展途上国にもいろんな面で抜かれて行っている。資本主義が加速していった先に人々の幸せはそもそも存在するのか、と問われているようにも感じられる。
若い刑事のヤンが探偵というか観客と共に三人の歴史、中国の発展の光と影を見ていく役割になっており、存在感もあって素晴らしかった。彼をメインにしたスピンオフというか現在の中国を舞台に作品も作ったりできるだろうし、観てみたい気もする。

観終わってから下北沢駅まで戻って家の方に向かって歩いていると途中で先日初めてお会いした方がちょうど自転車に乗って横を通り過ぎていった。挨拶するタイミングは微妙だったけど、さきほどの大塚さんのこともあったし、映画終わってからスマホを見たら先日メールした方から返信もあったりして、今日はなんか自分から動いた方がいいなと思えていたのでそのあとすぐに携帯番号のほうにメッセージを送った。
何度かメッセージでやりとりをして三月にお茶をしましょうという約束をした。こういう日があるのはほんとうにたのしい。今年はモードチェンジや新しく知り合った人ともいろんな話をしたいと思っている。あとはそのタイミングだし、それが合う合わないかはかなり重要なことだ。


家に帰る前にトワイライライトに寄って、小川公代著『ケアする惑星』を購入してコーヒーを頼んだ。のんびりと一杯飲みながら一章だけ読んでから店を出た。家の近所でニコラのカウンター友達というか知り合いにばったり会った。今日はそういう日らしい。

もともと夜は友人と焼肉に行く約束をしていたが、そのお店が家からほんとに徒歩すぐのところにあったのでお店で集合した。二時間ほどコースで頼んでいた焼肉を食べてから、我が家に移動してもう一人を加えてオンラインでミーティング。その友達が声をかけてくれたことで広がっていく感じもあるし、今年は流れに身を任せながら気になる人には声をかけてリアルな所で会ってどんどん話をしていきたい。ある意味で種まきではあるけど、やっぱりそちらのほうがたのしいしおもしろいことが起きそう。

 

2月3日
起きると喉がイガイガする感じ、昨日夜寒かったのもあるけど珍しく人と話す時間が長かったから喉が疲れたのか乾燥したのか、ちょっと風邪を引く手前っぽい。夜に予定があったが、電車乗って行かない方がいいなと思ったので会う予定だった友人に連絡をいれて翌月に変更してもらった。
仕事は朝からリモートワークだったので、その前にお風呂に入って温まった。なんとなくダルさがある時はお風呂に入ったほうが僕は多少楽になる。たぶん、血行がよくなるのが大きいのだろう。

ナインティナインのオールナイトニッポン』の十六日のゲストが三四郎ということが発表されていた。この二組って今までそこまで絡んでないような気がするけど、「オールナイトニッポン」レーベルを長年引っ張ってきた四番打者というか、この二十年以上一部の顔であるナイナイと当たり外れはあるけど面白い時はとんでもない三四郎というコアなリスナーを持つ三四郎というのはいいのかもしれない。
矢部さんと相田さんは共に楽曲リリースしているとかそこの共通点はあるか。仕事中に『ナインティナインのオールナイトニッポン』聴いたら、やっぱり岡村さんが三四郎のことほとんど知らないし絡みがないって言われていた。

適正請求書等保存方式(インボイス制度)に関する取引したことがあるところからの封筒が届いた。その相手方の登録番号の通知と僕の適正請求書発行事業者登録番号を教えてください。あるいは所得する予定はありますか、ないですかというアンケートのようなものだった。
いまのところ取得するつもりはさらさらないし、インボイス制度は破綻というかなくなってほしいので取得するつもりはないのだが、先方は会社なので取引先に伝えないといけないのでみんなに通知をしていると思うとすごい手間だし無駄だなと思う。多くの人が疑問に思っているし、そもそも十月以降にこんな状況で間に合うわけもない。だとしたら登録する人が多すぎてこれ無理だなってことにしたほうがいい。
レギュラーの定期で書かせてもらっているライター仕事も今はひとつしかないので、もはや消費税を払う以前の問題なのもある。そのために適正請求書発行事業者登録番号取得しても無駄が多すぎて意味がない。


仕事中にradikoで聴いていた『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』の中で都築さんが恵方巻きの話をしていたので晩御飯に食べたいなと思って、仕事終わってからコンビニに行って海鮮恵方巻きを買った。喉の痛みはずっとのど飴(「たたかうマヌカハニー」)を舐めていたので軽くなった。
ついでに寄ったBOOKOFF村上龍著『超伝導ナイトクラブ』単行本の備品が二百円で売っていたので買って帰った。文庫版も家にはあるし、同じ装幀デザインだが、大きいほうがこの絵は映える。文庫で読んでいてあまりおもしろかった印象はないけど、発行日を見ると1991年で『コックサッカーブルース』と同年に出た小説だとわかった。
1987年刊行『愛と幻想のファシズム』以降の1990年代は村上龍さんが非常にアクティブで作品もたくさん発表している時期でSMを扱うものも増えていく、同時代の風俗やカルチャーがうまく作品と融合していて、下の世代の小説家やその志望者たちに大きな影響を与えたのもよくわかる作品が並んでいるのがWikiを見るとよくわかる。

 

2月4日
日付が変わる前に『ケアする惑星』と『ひとつにならない』『沓が行く。』を数章ずつというか、読み進めてから井上順さんのフォトエッセイ『グッモー!』を少し読んで寝ようと思った。フォトエッセイなので文字数はそこまで多くはなかったこともあって全部読み終えてしまった。日付も変わっていたのでそれから寝ることにした。

『グッモー!』は渋谷生まれ渋谷育ちで現在も渋谷に住まれている井上さんの今までの人生についてのエッセイ。戦後すぐの渋谷の写真などもあって、井上家は馬場だったようで馬が身近だったらしい。ワシントンハイツってこの辺りにあったんだとか、名前は聞いたことあるけど僕がいまいち場所がわかっていなかったところも写真で紹介されていた。
井上さんが芸能界に入る前のこともしっかり描かれているが、離婚はしているが父と母の影響が強く、少し上の兄や姉世代の人たちに可愛がられて時代の最先端を知っていたことは粋でおしゃれを磨くことになったし、華やかな世界で活躍できる大きな要因になったのがよくわかる。物事に対して柔軟な姿勢で面白がろうという性格が芸能界という場所に合っていたんだろうし、やさしい人じゃないと群雄割拠な世界では長く活躍はできないと思うけど、そういうものを持っている方だなと思った。エッセイに紹介してあった渋谷のお店とかは何軒か気になるところがあったので足を運んでみたい。

眠っていた時に夢を見ていた。
そこには井上順さんが給仕のようなことをしているレストランのような場所に僕がいた。給仕をしていた井上さんは、そういう役を演じていたのかわからないが、料理やお酒を僕がいるテーブル、たぶん庭のような野外に置かれている席に持ってきた。そして腰に巻いたギャルソンエプロンをとって畳んでから僕の真向かいに座った。ワインを飲みながら料理を食べつつ、僕にいろんな話をしてくれていた。
というような夢だった。話の内容はまるで覚えていないが、寝る前に読んだエッセイで感じたものがそういうシチュエーションになって僕の無意識に働きかけて物語のワンシーンを見せたのかもしれない。


起きてから散歩がてら代官山蔦屋書店まで行く。思いのほか寒さは数日前よりはマシな感じ。東急百貨店渋谷本店が閉店になり、MARUZENジュンク堂書店渋谷店も閉まってしまったので、小説だけでなくいろんなジャンルの書籍が大きなフロアに集まっている場所がなくなってしまった。これは本好きとしてはかなり痛いし、あの広さだからこそ置けていた本もたくさんあったはずなので、偶然の出会いとかが減ってしまうだろうな。
代官山蔦屋書店は建物が三つあってそこそこ広いのだけど、書籍メインではやはり稼げないんだろう、スタバとかほかのものとの併用スペースで成り立っているのもあって、豊富な品揃えとは言い難いところがある。
なにかこれ読みたいという作品がないかなとウロウロしたが出会いがなかったので、読まなきゃと思っていた佐藤厚志さんの芥川賞受賞作『荒地の家族』を購入して、フリーペーパーのところに置いてあった新潮社『波』をもらって店を出た。

家に帰る途中でイヤフォンのコードが絡んでいたので直そうと思って、スマホをポケットから取り出したらそのままイヤフォンジャックが本体から抜けてスマホが地面に落ちてヒビが入った。
本体の画面ではなく、その上に張っているガラスフィルムが実際は割れているのだが、僕はこういうふうに割れたらすぐに新しいものを注文して貼り替える。ヒビが入ったままでも使えなくはないが、それは耐えられないのですぐにアマゾンで四ヶ月ぶりぐらいに使っているガラスフィルムを注文した。個人的な性格の問題もあるんだろうけど、「割れ窓理論」というものがある。

治安が悪化するまでには次のような経過をたどる。
 1.建物の窓が壊れているのを放置すると、それが「誰も当該地域に対し関心を払っていない」というサインとなり、犯罪を起こしやすい環境を作り出す。
 2.ゴミのポイ捨てなどの軽犯罪が起きるようになる。
 3.住民のモラルが低下して、地域の振興、安全確保に協力しなくなる。それがさらに環境を悪化させる。
 4.凶悪犯罪を含めた犯罪が多発するようになる。
したがって、治安を回復させるには、
 ・一見無害であったり、軽微な秩序違反行為でも取り締まる(ごみはきちんと分類して捨てるなど)。
 ・警察職員による徒歩パトロール交通違反の取り締まりを強化する。
 ・地域社会は警察職員に協力し、秩序の維持に努力する。
などを行えばよい。

治安を自分の精神状態だと置き換えてみることも可能だろう。なにかが壊れたままにしておく(可塑性のような性質で元に戻らないものは仕方ない)とそのままいろんなものが壊れていくことに繋がっていく。ゴミを片付けなくなってあるボーダーラインを超えると片付けなくなったり、あるいは外にゴミを捨てにいくこともしなくなっていきゴミ屋敷化するとか、そういうものはこの「割れ窓理論」を心に当てはめるとわかりやすいのかもしれない。
というわけで割れたらすぐにフィルムを交換するし、もし本体が割れていたら修理に出すか機種変をするのが自分の性格である。もちろん機種変や本体を変えるのは何度もできないし金額も高いのでそのことを考えればガラスフィルムを貼っておくということは抜かりなくしておきたい、という考えになる。

もうすぐ発売になる阿部和重さんの『Orga(ni)sm/オーガ(ニ)ズム』下巻(文春文庫)の帯が大塚英志さんだった。
意外ではないのだけど、阿部和重(「神町」)の前に中上健次(「路地」)やガルシア=マルケス(「マコンド」)がいて、その始原にはウィリアム・フォークナー(ヨクナパトーファ)がいる。帯にフォークナーの名前があって、その架空の土地の名前と年代記はある種のロマン主義と共にあるし、それは現在におけるQアノンたちの陰謀論歴史修正主義となにが変わらないのか? という問いが浮かぶ。
大塚さんは「Qアノン」というのは文学の問題なんだという話はずっとしているからこそ、「Qアノン」と「フォークナー」の名前を並べているし、それを描くことのできる数少ない日本の小説家が阿部和重ということでもあるのだろう。

夜からのリモートワークは『三四郎オールナイトニッポン0』を聴いてから、Amazon Musicで「DOMMUNE RADIOPEDIA」で始まった「菊地成孔大谷能生の「XXX et XXX」」【第1巻/第1章】「マイルス・デイヴィス東宝映画」を流していた。
やっぱり菊地さんと大谷さんのカルチャーに対しての博学さもあり、そのおもしろさが伝わってくるコンビネーションんというか二人だからこその語り口と話の進みからが心地いい。

 

2月5日

仕事終わって風呂に入ってから読書をしていたら二時を過ぎていて、寝てから起きると十時を過ぎていた。夜まで空いていたのでとりあえず散歩に。
週末に発売された欲しい本があったが、代官山蔦屋書店で昨日見かけなかったのでどこか大きめの書店に行かないとないのかなと思っていた。だが、東急百貨店渋谷本店が閉店してしまったのでMARUZENジュンク堂書店渋谷店ももうなく、最悪の場合は青山ブックセンター本店に行けばあるだろうと思ったが、ちょっと距離があるのが悩みどころだったが渋谷に向かった。
閉店した東急百貨店渋谷本店をスマホで撮ってから、もしかしたらと思って渋谷モディに入っているHMV&BOOKS SHIBUYAに行ってみた。アイドルやアニメ関係のグッズが大きく展開しており、少しオタク寄りな店舗展開だが、小説もわりと品揃えがあって外文もある程度は揃っているのは前に何度か来て知っていた。実際に欲しかった書籍も入っていて助かった。おそらくアイドルやアニメ関係のグッズやイベントでしっかり稼げているのもあってか、それ以外のものもある程度は品揃えが豊富になっている。小説関係もたいていの新刊は入れているので、今後はもっと足を運ぶことになりそう。

この行き来の間は、『オードリーのオールナイトニッポン』をradikoで聴いていたが、若林さんが東急百貨店最後の日にMARUZENジュンク堂書店渋谷店に足を運んでいた話をされていた。若林さんには会ったこともないけど、同じお店が大切だったという共通項はうれしいし、閉店したことでの寂しさのようなものもよくわかる。もちろん立場とか環境は違うけど、書店という場所に救われていたり、自分の人生に影響を与えていたということが大きなものだったということを改めて感じる内容だった。

ユッシ・パリッカ著/太田純貴訳『メディア地質学 ごみ・鉱物・テクノロジーから人新世のメディア環境を考える』

気候変動に直面し、電子廃棄物の山が築かれ、マイクロプラスチックが地球規模で循環する時代、複雑な環境に取り巻かれた現代のメディア文化を十分に理解するために必要なこととはなんだろうか? それは発展的で単線的な歴史観や人間という尺度に則ってきた従来のメディア論ではなく、メディアをそれに先行する物質的現実(地球の歴史、地層、鉱物、そしてエネルギーなど)から捉える視点である。

本書では人間的なスケールから逸脱する巨視的・微視的な時空間からメディアテクノロジーの物質性を読み解くことで、メディア文化・地球・人間を貫く奇妙な関係を浮かび上がらせる。化石や元素といった地球由来の要素を利用したテクノロジーは、陳腐化してごみとなり、やがて地球へと回帰し、新たな「地球」を形づくっていく……その途上にある「今」をどのように考えられるのか──。本書はメディアテクノロジーを条件として「現在」に圧縮される過去と未来、そして迫り来る新たな「人間」と「自然」を探究する。

メディア研究の若き旗手の一人である著者による、人新世のためのメディア論に必須の一冊。

前に書籍情報を見ていて気になっていた『メディア地質学 ごみ・鉱物・テクノロジーから人新世のメディア環境を考える』をHMV&BOOKS SHIBUYAで購入してから帰宅。帯に書かれている「人類は石油を掘りスマホは化石になる」という文章を見て、
上田岳弘著『ニムロッド』のことを思い出した。
作品の概要には、

仮想通貨をネット空間で「採掘」する僕・中本哲史。
中絶と離婚のトラウマを抱えた外資系証券会社勤務の恋人・田久保紀子。
小説家への夢に挫折した同僚・ニムロッドこと荷室仁。……
やがて僕たちは、個であることをやめ、全能になって世界に溶ける。「すべては取り換え可能であった」という答えを残して。 ……

とある。

『ニムロッド』はかなり好きな小説であり、たぶん近年の芥川賞作品の中ではいちばんしっくりきた作品だった。上田岳弘さんの小説は同時代性を一番強く感じる。彼は村上春樹さんの後継者のひとりでありながら、村上さんにおけるファンタジー的なものではなく純文学にSF的な要素を入れて世界観を構築していて、それが僕にはちょうどいいリアリティになっている。嘘っぽい本当と本当っぽい嘘のバランスがたぶん心地いい。


夕方まで先日購入した佐藤厚志著『荒地の家族』を読み始めたら冒頭から見覚えのある地名が出てきた。阿武隈川沿いを歩いてたどり着いた仙台湾、亘理大橋に鳥の海。古川日出男さんの『ゼロエフ』取材時に歩いた場所だった。民宿浜まつさんでいただいたはらこ飯が美味しくて、たまにスーパーで見かけるとあの景色が浮かぶ。
民宿をやっていた若夫婦のお二人は震災時には亘理には住んでいなかったから戻って来れたと言われていた。当時いた人たちは戻ってきていなくて、目の前の空き地は松林が茂っていたがすべて津波がさらっていったと。『ゼロエフ』の「浄化論」のところに亘理のことは書かれている。
『オードリーのオールナイトニッポン』で若林さんがMARUZENジュンク堂書店渋谷店で最後に買ったのは芥川賞受賞作二作品と言われていたので、『荒地の家族』も読まれるんだろうなというちょっとした符号。

家を出る前に最後まで読み終えた。文章はわりと硬さも感じさせるものだったが、それがどこか実直で頑固なイメージのある東北を描くのには合っていたと思う。内容も東日本大震災によって奪われたものと向き合い、逃げ続けている人たちの日常を造園業を営む主人公の視線から見据えていたのもよかった。
海と津波によって奪われた場所が巨大な無機質な防波堤ができたことで逆に海から人を守るのではなく、海を人から守っているように主人公は感じている描写があった。僕も福島県宮城県の海沿いを歩いて感じたが、あの津波によって流されたあとに作られた海岸沿いの巨大な防波堤はあきらかに海を拒んでいた。
防波堤は陸と海の行き来を阻害し、此岸と彼岸を遮断し、生きている人たちと死んでしまった人をまっぷつに分けてしまったように見えてしまうものだった。それが物語の中でも何度か触れられるが、答えはもちろんなくて、生き残った人たちが抱えているものを微細に丁寧に書いている小説だった。これが芥川賞と言われたら納得だなと思う。

二十二時を過ぎてからニコラに行って、中目黒のトラベラーズファクトリーのイベントで東京に来ていたアアルトコーヒーの庄野さんが来るのをのんびりとビールを飲みながら待っていた。庄野さんが来てからちょっとして二十四時を過ぎて閉店後の店の中で常連数人で飲みながらいろんな話をした。
気がつくと四時前になっていたけど、庄野さんや曽根さんに言われたことでお酒にはまったく酔っていなかった。しっかりとした意識でいつもよりも話を聞けていて、言われた内容もしっかり突き刺さった。なんとかしようではなく、なんとかするしかないし、自分の中の無駄なものがかなり取れて身軽になったような気持ち。

 

2月6日

お酒はほとんど残っていなかったから八時前には起きて朝のリモートを開始。お昼休憩の時にスーパーに行こうかなと思ったら、深夜に庄野さんからオススメされてその場でポチっていた樋口有介著『風少女』の文庫が届いた。はやっ。解説を見たら法月綸太郎さんが書いていて、樋口さんはデビューが同年の1988年だと書かれていた。僕が小二の時だから、リアルタイムで読めていないし、ミステリにハマっていなかったのもあるからほとんど知らない作家さん。

スーパーやコンビニに行っても普通の卵も半熟卵や温泉卵も数が前よりも少ないし、値段も上がっていて、鳥インフルエンザの影響が出てるんだなと思う。卵を原材料にしているところはきついだろうな。家にある袋ラーメンに煮卵を入れたかったが今回は諦めた。

西尾 メフィスト賞には週一で原稿を送っていた時期もあるので、応募総数は自分でも把握できません(苦笑)。ある時選評で、その投稿態度をたしなめられたんです。一作にもっと時間をかけて取り組むべきと言われ、まだ素直な10代だったのでその言葉を受け止めて、そこから2カ月かけて書いたのが『クビキリサイクル』でした。

西尾 さっき話した通り、『クビキリサイクル』は腰を据えて、2カ月かけて書いたんですよ。その甲斐あってデビューにつながりました。にもかかわらず『クビシメロマンチスト』は確か3日くらいで書いたんです。反省してないじゃないか(笑)。ところが、『クビシメロマンチスト』の反響は大きかった。そのおかしな成功体験が、今に至る「最速で書いてしまうほうがいいんじゃないか?」という考えに繋がってしまいました。よくないですよ(笑)。

西尾維新デビュー20周年記念ロング・ロングインタビュー 20タイトルをキーに語る、西尾ワールドの変遷(第1回)

読めば読むほど恐ろしくなる。西尾維新作品はデビュー作『クビキリサイクル』とほかに何作品しか読んでいないが、『クビキリサイクル』シリーズのその後の新作『キドナプキディング 青色サヴァン戯言遣いの娘』はちょっと読んでみたい。
さっき名前を出した法月綸太郎さんたちが代表的な作家としての「新本格ミステリ」があって、そのあとに「メフィスト賞」ができる土台が講談社ノベルス、そして編集者の宇山日出臣さんによって作られていた。
クビキリサイクル』を二ヶ月で書いたのはすごいなって思ったけど、そのくらいで集中して一気にやる、三日は無理だけど二週間あれば一気に最後まで書けるはずだから書いてからその後に無駄を削ろう。もう、流れや辻褄があってなくてもいいから勢いで最後まで書いて、それから直した方が書きたいもの、抑えてしまわないで歪なものは残るはず。

 

2月7日

起きてから二時間ほど作業をしてから十二時半から開始される映画の試写を観るために家を出た。六本木にあるキネフィルムズまでなので歩いて一時間ちょっとなので歩いて行くことにして246沿いを歩いて渋谷から青山に、そして六本木へ。
何度か試写で来ているので場所は把握しているが、この間東京国立現代美術館から青山霊園に向かって歩いたところの近く、通り一本向こうを歩いているんだなと思いながら進んだ。受付の十二時よりも前についたので目の前にある東京ミッドタウン付近をぶらぶら。こういう大きな施設があると絶対にトイレがあるのでありがたい。

ブラック・スワン」のダーレン・アロノフスキー監督が、「ハムナプトラ」シリーズのブレンダン・フレイザーを主演に迎えた人間ドラマ。劇作家サム・D・ハンターによる舞台劇を原作に、死期の迫った肥満症の男が娘との絆を取り戻そうとする姿を描く。

40代のチャーリーはボーイフレンドのアランを亡くして以来、過食と引きこもり生活を続けたせいで健康を損なってしまう。アランの妹で看護師のリズに助けてもらいながら、オンライン授業の講師として生計を立てているが、心不全の症状が悪化しても病院へ行くことを拒否し続けていた。自身の死期が近いことを悟った彼は、8年前にアランと暮らすために家庭を捨ててから疎遠になっていた娘エリーに会いに行くが、彼女は学校生活や家庭に多くの問題を抱えていた。

共演はドラマ「ストレンジャー・シングス」のセイディー・シンク、「ザ・メニュー」のホン・チャウ。2022年・第79回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品。(映画.comより)

主人公のチャーリーの家の中でほとんど展開していく、ワンシチュエーションものであり、もともとは舞台作品だったと言われるとなるほどなと納得できるものだった。
冒頭から少し経った時には太り過ぎているチャーリーはおそらく家から出ることはないのだろうなとわかるし、舞台を観ている感じに近いものだった。同時に最後は家から出る(死ぬ)ということになるんだろうな、とはいろんな情報からわかる。

基本的にはチャーリーのいる玄関からすぐのリビングの部屋が主軸になっており、そこに恋人だったアランの妹のリズや娘のエリーやニューライフの宣教師であるトーマスなどが訪れては彼とやりとりをして去って行く。小説『白鯨』も大事な要素になっており、巨体となったチャーリーは浅瀬に迷い込んでどこにもいけなくなったクジラのようにも見えるシーンがある。タイトルのつけかたもふくめてうまいなと感じる。
最後のシーンを観て、ダーレン・アロノフスキー監督が以前作った『レスラー』や『ブラック・スワン』のことが脳裏をよぎった。その二作品も今作のラストも人間と重力の関係性、そして人間が重力から一瞬、その刹那だけ解き放たれる瞬間が共通していた。今作ではそのシーンが神々しさを感じさせるものであり、とても感動的なものとなっていた。

予告編などでも言われているが描かれている五日間の物語の中で、最期の日以外はほとんど雨が降っていたはずだ。最期の日に娘と言葉を交わし、チャーリーが動き出した時に目にするものが非常に西洋的な、キリスト教文化圏的なものに見えた。
ハムナプトラ』のイメージが強いブレンダン・フレイザーの演技は文句なく素晴らしい。大ヒット映画『ハムナプトラ』シリーズに出演してスターの仲間入りをしていると思ったが、精神的な問題などを抱えていてずっと表舞台には出れていなかったようだ。だからこそ、できた演技なのかもしれないし、チャーリーとは立場などが違っても彼の想いを自分のものとしてしっかり演じられたのだろう。
同じくA24制作『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』に出演しているジョナサン・キー・クァンも子役として有名になったがその後仕事がなくなって俳優業を辞めていた。近年のアジア系移民の俳優の活躍ぶりを見て、俳優復活をするためにオーディションを受けるようになって勝ち取った今回の役でいろんなところで助演男優賞を取っている。
A24制作映画は企画の面白さもあるけど、俳優も有名とかではなく監督が必要だと思った人が出ているのも大きな魅力になっている。ビッグバジェットではないからこそ、今回のようなワンシチュエーションで撮るような工夫もしながらこそ、映画が魅力的になる方法を模索している。だから世界中にファンがたくさんいる。

作中のテレビではトランプが大統領になる前ぐらいの選挙状況みたいなものも映っていた。福音派の宣教師が出てくるが、キリスト教というものがアメリカにおいて今もなお大きな影響力があり、キリスト教原理主義などは同性愛をはじめとするLGBTQなどを認めない(日本の与党の票田となっているあの宗教団体の考えと同じだ)というものが出てくるのは、チャーリーには妻子がいながらも元生徒の若い男性に惹かれて一緒になったという、彼のセクシャリティを描く上で必要なものだったのだと思う。その彼が亡くなったことで彼は自分ではほとんど動けなくなるほどに過食して太ってしまったという背景があった。
異形のもののように見えるチャーリーの姿よりも彼の精神の問題、抱えている思いを描こうとしているからこそ、たとえセクシャリティが違おうとも国や生活環境が違ったとしても彼が最期の五日間で娘との絆を取り戻そうとする姿は観る者に届いてしっかりと響く。

元妻のメアリーもチャーリーの元を訪れるので主要キャストは五人いるが、その中でも看護師のリズはずっとチャーリーの健康状態を診ており、彼のケアを最初から最後までしている存在でもある。
小川公代著『ケアする惑星』を読み始めていたのもあって、リズがケアする役割を終始しているということの視点から観てみると映画の感想も変わりそうだなと思った。彼女以外の人間はチャーリーとのやり取りの中でどこか心に抱えていたものから解き放たれる。もちろんチャーリーもリズもそうなるんだけど、リズだけがケアの部分からも解放されることになる。そのことを終わったあとに宣伝の方と話をした。


来た道を引き返すように歩いて帰っていたら渋谷ストリーム前の歩道橋の上にカメラをセットしている報道陣みたいな人や一般の人もスマホを向けている方向を見てみたら渋谷警察署の玄関というか入り口で、そこにも報道の人たちが大挙していた。
ルフィと呼ばれるフィリピンの刑務所から日本各地での強盗を指示していたという人物と一緒に犯罪を重ねていた二人が日本に送還されているというニュースを見たので、その二人が渋谷警察署に引き渡されるってことなのかなって思ったんだけど、今調べてみるとやはり二人は渋谷警察署に移送されたらしい。


そのまま246沿いに歩いて家に帰る前に代官山蔦屋書店によって、『群像』3月号と阿部和重著『オーガ(ニ)ズム』上下巻を購入。
『オーガ(ニ)ズム』は単行本で読んでいるけど、その時はありがたいことに文春の目崎さんから献本していただいた。好きな作家の本は自分で買いたいという気持ちがあるので文庫になったら買おうと思っていた。

家に着くちょっと前にとあるメッセージが来た。ナイキランアプリの距離はもう一キロぐらいで二十キロを越えるぐらいだったから、荷物だけ置いて駅前の方に歩きながらメッセージをしっかり読んでから返信をした。
駅前のツタヤでこちらも本日発売だった木爾チレン著『そして花子は過去になる』文庫版が出ていたので購入した。小説の装丁イラストが中村佑介さんによるもので単行本と同じもの。『オーガ(ニ)ズム』同様に今月は読む時間がなさそうだけど、出たらとりあえず買っておく人なので積読がたまるたまる。
メッセージはとあるお仕事に関するもので、いろんな縁が巡り巡っている感じもするし、十二年ぐらい前の伏線を回収しろよといわれているような案件でもあった。間違いなく何かの流れは来ている。この流れに乗るために今書いている小説を最後まで書き切って応募する、完成させろと言われているようなことが立て続けに起きている。

STUTS - Lights feat. Blu (Official Music Video) 

 

2月8日
朝のリモートワーク中に先方に書類を送る必要があったので郵便局に。レターパックを買ってセブンイレブンのプリンターでプリントアウトした請求書と返信用レターパックを入れて投函した。この費用を経費で落とすために会社に出社して領収書代わりのレシートを提出することの無駄さを思うと持ち出しでいいやって思ってしまう。
仕事が終わってからニコラにいってバレンタインブレンドといちごとマスカルポーネのタルトをいただく。二杯目にアルヴァーブレンドを飲んで、カウンター友達な知人がやってきて話が盛り上がったのでビールを飲んだ。

「群像」2023年03月号掲載の古川日出男連載『の、すべて』第十四回を読む。
語り部である河原真古登がテロに遭った元都知事の為政者であり友人の大澤光延について評伝を書いていたが、それは書物になるのではなく展示として読めるものにするということがあきらかになる。また、その際の展示はAR(オーグメンテッド・リアリティ)    によって観覧者が読むことができる(目が見えない人にはイヤーカフが提供されて音声が朗読される)ものとなる。
先月末に早稲大学で行われた展示とトークセッション「ここにいた」にも出ていたメディア・アーティストの藤幡正樹さんによる全米日系人博物館(JANM)で行われた「BeHere / 1942」展もARを使ったものだった。その時に河原真古登のモデルというか参考にしたのは藤幡正樹さんですかと古川さんに聞いたが、そうではないと言われていた。ただ、作品にメディア・アーティスト的なクリエイターを設定すると現実においてそういう人との繋がりができたり関わる、現実の方が近づいてくるから不思議だねと言われていた。もしかしたら、河原真古登がやろうとしているARによる展示みたいなものを古川さんも小説の拡張現実としてやってみたいと考えているのかもしれない。
連載の中でこの先になにが起こるかが短いが描かれていて、物語も終盤に向かっているなと感じたが、あれは唐突な感じもしたが、どうなるんだろう。

1980年代の末には、これまでのファッションをリードしてきた1960年代生まれの新人類世代から、1970年代生まれの団塊ジュニア世代にバトンタッチされて、その世代のなかから新たなファッション・リーダーが台頭し、1989年頃を端緒に、1990年代の若者ファッションをリードしていく。
ここでは、1950年代の「湘南族」や「太陽族」、1960年代の「原宿族」、「カミナリ族」、1970年代の「フーテン族」、そして1980年代の「カラス族」や「竹の子族」のような「族」の名称が取れて、単に渋カジ、あるいは渋谷系と称され、以後、裏原系、ギャル系、お姉系、お兄系、古着系といった具合に、系という呼ばれ方が一般的になっていく。
族たちのファッション行為がカウンターカルチャーもしくは、一つ上世代のファッションに対するアンチテーゼとしての意味合いが多少なりとも存在していたのに対し、系というファッション・カテゴリーでは、そうしたメンタリティーは問われることなしに、より表面的なファッションの差異に関心が向かっていった。さらにこの系の分類は、1990年代以降、より細分化し、かつ新しい系の登場から衰退までの期間が短縮化していくことになる。

「渋谷カジュアル族」から「渋谷系」へ。
「族」から「系」へ。
この大きな変化を両方とも経験した街のファッションが、渋カジとは別にもう一つあります。
それは、前回まで見てきた電車男と深い関係のある秋葉原です。
「おたく族」から「アキバ系」へ。
Tシャツをめくるシティボーイの裾のインとアウトを象徴する街である渋谷と秋葉原
この両方が「族」から「系」への移り変わりを経験しています。

Tシャツをめくるシティボーイ 第13回  渋カジとは何だったのか・その1 / 文:高畑鍬名(QTV)

パン生地くんの連載の最新回は「渋カジ」についての序章。上記の部分は渡辺明日香著『ストリートファッション論』からの引用として載っていた。
確かに「族」から「系」へと変わったという話は文化論としても面白いし、わかりやすく変化していったんだなって思った。でも、「族」という言葉はあまり使われなくなったけど、同じ意味でもある「トライブ」って言葉が出てきた時期があった。あれはラップとかからの流れだろうからシティボーイ的なカルチャーとは違う位相にあったんだろうな。

 

2月9日

↑入館時にもらったパンフレット。こちら詳細なものとなっていてこういう展示でもらうものとしては出来がとてもいいものになっていた。

前に友人が観た感想をツイートしていて気になっていた『ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台』展を東京都現代美術館に観にやってきた。最寄が半蔵門線清澄白河駅だったので渋谷前歩いてから渋谷駅から一本。
ここには何年か前に一度展示を観に来ている記憶があるが五年とかそのぐらい前だったと思う。清澄白河駅付近はおしゃれなカフェなどの飲食店が増えているというのは見たりしたことがあったが、実際用事がないのでどういう場所だったかあまり覚えていなかった。
現在は『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』展というものもやっていて、こちらはネットでも前売りが売っていなかったし、『ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台』展とのセット券もなかった。
十時半ぐらいについたら当日券売り場に二百人近くは並んでいた。当日券も買えても入場の時間ごとに分かれているらしく、すぐに展示が観れないみたいだった。お昼以降になってからわかるのだが、『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』展をやっていることもあって、おしゃれな人であったり、顔面偏差値の高い人がかなり館内には多かった。美術館にいそうな芸大生とかの感じではない、ファッション寄りな感じの客層、あとは海外の人も言葉を聞く限り多かった印象があった。
『ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台』展のほうは平日だが多少お客さんは入っていて、観にくいということもなく、閑散ともしておらず、ちょうどいい鑑賞空間になっていた。

ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ(1962年ロッテルダム生まれ、ベルリン在住)は、2017年ヴェネチア・ビエンナーレのオランダ館代表を務めるなど、オランダの現代美術を代表するアーティストの一人として、20年以上に渡り映像作品や映像インスタレーションを発表してきました。彼女の映像は、他者との共同作業を通じて人々の関係を形成すると同時に、それによって形作られるものとして試行を重ね、シナリオを設定しない撮影に、キャストやクルーとして参加する人々が現れます。撮影の場という設えられた状況で、あるテーマについて人々が対話する過程で発露する主観性や視座、関係性を捉え、鑑賞者の思考との交差を指向します。
このたび当館で開催する国内初めての個展「柔らかな舞台」では、彼女の代表的な映像作品から新作まで6点を展示します。初期作品からは、17世紀のオランダ領ブラジルで総督を務めたヨハン・マウリッツの知られざる統治をめぐり、マウリッツの手紙などを読み上げながら議論する《マウリッツ・スクリプト》(2006年)、オランダによる植民地政策にラジオがもたらした影響についての対話と、インドネシア独立運動家スワルディ・スルヤニングラットが書いた手記「私がオランダ人であったなら」を読み上げる声とが交わる《偽りなき響き》(2008年)の2作品を紹介します。《マウリッツ・スクリプト》はマウリッツの旧居でもあるマウリッツハイス美術館で、《偽りなき響き》はオランダ領東インド(現在のインドネシア)に向けたラジオ放送に使われた放送局跡地で、DJ、看護師、政治学者、ラッパー、アーティスト、ジャーナリストなどが参加する公開撮影として行われました。このように、ある場所がもつ歴史的文脈、そして異なるバックグラウンドや専門分野を持つ人々の声は、ファン・オルデンボルフの作品において豊かな多声性をもたらす重要な要素となります。


展示されていたのは『マウリッツ・スクリプト』(2006年)、『偽りなき響き』(2008年)、『ふたつの石』(2019年)、『Hier. /ヒア』(2021年)、『obsada/オブサダ』(2021年)、『彼女たちの』(2022年)の六作品でひとつのものが短くて30分ないぐらいのものですべてを観ると最低でも三時間以上かかる。
ということで十時半ぐらいに行ったわけだが、映像作品なのでひとつを見始めて終わって次に行ってもそれは最初から始まるわけではなく、途中からになる。何分の作品で今映っているものが何分ぐらいなのかの表示はないので、終わりもわからない。見ているとクレジットが出たりして終わったとわかり、最初から自分が見始めた場所まで見て一回転すると他に移る形で鑑賞した。

ジェンダーフェミニズムなどについて、あとオランダと植民地だったインドネシアとの関係性など展示されている作品には通じるテーマはあるのだが、高尚な感じだった。おもしろく見たけど、人に薦めるかというと人をかなり選ぶ。先ほど書いたようなものに興味があったり、関心がない人にこれを座って見てよとは正直言えない。
『彼女たちの』は日本で撮影されていて、林芙美子宮本百合子の二人を取り上げていた。林芙美子が戦争中はインドネシアを含む占領地に赴いて記事や詩を寄稿していたので、そこのインドネシアの流れから企画がスタートしたのかもしれない。それで今回の展示のような映像を観るとめっちゃおもしろい話を出演している人たちがしている。
ただ、これらの作品を映画館でしてもやはり日本だと受けいれられないだろうし、成り立たないと思う。アート(美術)というものとして美術館で展示することで受け取ることができる、という感じがある。
海外ならアートの文脈もあるけど、受け手のリテラシーの問題も含めて美術館でない場所の上映でも関心を持たれる可能性は高いと思う。たぶん、教育の問題だろうし、美術というものに対しての理解のなさとかもろもろが浮き彫りになっていたような気がした。

東京都現代美術館からわりと近いところに住んでいる友人に前からこの日に行くという話をしていたので、一度全部観終わってから展示室から出てから合流して二階のカフェでお茶をした。
二人とも普通にビールを頼んで飲んだこともあって、駅近くでビールでもという話になって美術館を出た。清澄白河駅方面に歩いているとどこかからか薪を焼いているような臭いがしてきた。近所で釜焼きのピザでも焼いてるのかなとか思っていて進んでいると消防車のサイレンの音、右側の方から黒々とした煙が空に昇っていた。火事が起きているようで警察が道路を封鎖していて、サイレンの音も増えていき、立ち止まった人たちが黒い煙にスマホを向けていた。
帰る時にニュースを見たら自動車工場で火事が起きて何度か爆発も起きたとのことだった。人に被害がでてなければいいけど、自動車工場だからガソリンとかオイルと可燃性のものがあるし火の勢いが一気に増すものが多いから一気に火事になったのかもしれないなあ。二人でその黒い煙を見ながら夕方から空いているクラフトビールを出す店を目指して歩いた。


「BEER VISTA BREWERY」というお店でクラフトビールを二杯をつまみを突きながら飲んだ。最初に頼んだのがキュウリの味がするもので、写真の二枚目はわりと飲みやすいラガー系のものだった。
すごくおしゃれな店内でこういう飲食店が増えたからこそ、話題のスポットみたいになってたんだなって。どこも都心からちょっと離れた場所で若い世代が集まって飲食店やカルチャー的な場所ができて人が増えてくると大手が入ってきて開発が始まって物価が上がって、そういう人たちがいなくなるっていうのをいろんな国や都市で繰り返しているんだけど、ここは大丈夫なんだろうかと余計な心配をしてしまった。

 

2月10日
雪なのかみぞれなのか、どちらとでもいえそうなものが降っていたせいか朝寒すぎて目が覚めて起きた。リモートワークだから出勤しなくてもよかったが、お昼前に不動産屋さんに行く約束があった。お昼前に家を出ると傘がないと濡れるぐらいには雪っぽいものが降っていた。時間が経つにつれ雪からみぞれへ、そして雨へと変わっていき、雪が積もるほどは住んでいる地域は結局積もらなかった。
不動産屋さんに行くのは二年ごとしか訪れない。家の更新のお知らせが来ていたので早めに払いに行った。いつも同じおじいちゃんとおばあちゃんと五十代以上は上のキリッとしているけどどこか坊ちゃん感のある人の三人、家族経営らしいから父と母と息子というふうに見えなくもないけど、どうもおじいちゃんの態度が息子に対するものではないので、長い間ずっとこの不動産屋で働いていて、坊ちゃんおじさんは先代の息子の今の社長なんじゃないかなって勝手に思ってる。実際は親子かもしれないけど、なんか雰囲気が親子感ないんだよなあ。
更新料を払って判子を押して署名をして十分以内で終わった。二年後は二〇二五年、そこまでは家賃を払っていれば住めるわけだけど、そうやって二年ごと先延ばしをしているところもある。だから、二年後は二〇二五年あっという間だ。戦後、敗戦から八十年目か。


帰る前に書店に寄ったらあだち充著『MIX』20巻が出ていて、収録されている次の回が掲載されている『ゲッサン』も一緒に購入した。毎回コミックスが出た時に出る号の『ゲッサン』にはオリジナルカバーがついている。いい商売だなと思うし、そういう販促は意味があるわけで、この時はちゃんと売り上げが伸びていたら、『ゲッサン』は少しでも延命できるし、そうすればあだちさんのようなベテランではない新人の漫画家の人にもチャンスの可能性があるわけだ。毎号買えよって話ではあるが。
『MIX』20巻はひとつ前の巻で描かれた大きな喪失のあとにメインの三人がどう過ごしているのか、というものであり、中休みというか野球はあまりメインではない感じになっていた。
音美があるイケメン有名俳優と一緒にいるところが出てくるなどあだち作品の定番なモチーフも出てきていた。ライバルっぽい系統なんだけど、そういう人は噛ませ犬にもならない状態がずっと続いている。でも、音美が芸能界に入るみたいなことはありえるかもしれない。『タッチ』の最後のアイドルと南の合体バージョンみたいなことにならないとは言い切れない。
今作ではあきらかに父性がなくなった世界を描いている。そして、モラトリアムをだらだら過ごすこともなく、大人にならないといけない環境をあだちさんはずっと描いていると思うし、僕がそういう人間ではないからあだち充作品に惹かれるのか。でも、両輪飲もう一方の高橋留美子的な世界が好きな人の方が今は多いと思うし、そういう人たちがモラトリアムを過ごさずに大人になっているかと言われると疑問ではある。人のことは言えないけど、世界中が幼児化はしているだろうし。

『新潮』最新号に掲載されていた石戸諭さんによる「〈正論〉に消された物語――小説『中野正彦の昭和九十二年』回収問題考」を立ち読みした。時系列でわかりやすく書かれているので今回の騒動というか状況がわかりやすい。
また、大江健三郎の『セブンティーン』二作品についても言及がされていた。この作品を知っていたらこの作品が浮かぶだろうし、参照にすべきだとも思う。
左翼だと思われていた大江さんが右翼の少年の中に入ってその心情から描こうとした作品であり、戦前に生まれて愛国心天皇や国家へ愛憎がある人だからこその小説的な表現であり、小説でしかできない作品になっている。第二部が長い間封印されていたということもあるので今回の騒動でもう少し言及されるかなと思っていたのだが、そこまででもなかった。
『中野正彦の昭和九十二年』は献本で送ってもらって読んだのでわかるが、ここでも指摘されているようにTwitterやウェブなどのヘイト的なものを取り込んだことよりも主人公の内面が薄っぺらく感じるものであり、その作者の没入感は大江作品のようには感じられない。あえてネトウヨのうすっぺらさをそういう表現で描いたと思えなくもない。でも、ネトウヨはかつての右翼でもないし、リベラルがかつての左翼でもない、ねじれすぎてもうみんなコンフューズしてしまっている。
作品を読んでいる者としてはこんなふうに問題になってしまって回収されることはなかったはずの小説だし、ヘイトを助長させる内容でもないとは言える。ただ、絶賛とかするものでもないし、めっちゃおもしろい小説かと言われたらそうでもない。今までの樋口さんの小説を読んできた人ならわかるはずだが、彼の小説の上位にくるような出来ではない。普通に小説の編集者が「水道橋博士のメルマ旬報」連載時からついていたらもう少し小説として面白くなったりしたんじゃないかな。というのが読んだ時に抱いた感想だった。
だけど、今作が回収されてしまったことで、そもそも読んだ人それぞれがこの作品が言われているようなヘイトを助長するかということを判断さえできなくなってしまった。しかもそれを版元の出版社の内部のいざこさで著者には事前に説明もなく回収をやってしまったことはどうしようもないし、書き手だけでなく読み手も信頼していないということをその態度で証明してしまったのはほんとうにヤバいと思うのだけど、信頼回復はたぶんできないだろうしなあ。こんな状況になって他から出すかって言われたらそりゃあ樋口さんも出したくないだろうし、文句をTwitterで書いてた編集者だけじゃないの得したの、でも会社の信頼を失ったことも加担しているから誰も得はしてないか。


『JUNK20周年記念イベント 爆笑問題カーボーイ25周年ライブ ~ついでに馬鹿力~』の配信を買って流しながら夜もリモート作業。
オールナイトニッポン」も佐久間さんのイベントの配信は買って見たことがあったけど、「JUNK」は今までなくて今回がはじめて。爆笑問題と伊集院さんの組み合わせはもっと長く聴きたかった。VTRで神田伯山が登場したことで今後、いろいろとあった伊集院さんと神田伯山さんの両氏に新しい展開が起きる感じになっていたのでそれは楽しみだし、ラジオで聴きたいなあ。
これが配信で2500円というのが高いのか安いのかはよくわからないというのはある。配信に関する料金設定ってなんだか受け手も難しい。だけど、いつもただで聴いているラジオ番組の応援ということではあるから、高くはないんだろうけど、コロナパンデミックの影響が薄くなってきた印象でライブも声出しができるようになってくると配信の価値がかなり変わってくるような気もする。この一年がその正念場というか変化の年になるんだろうな。

 

2月11日

西尾維新著『キドナプキディング 青色サヴァン戯言遣いの娘 』(講談社ノベルス)を午前中少し読む。
冒頭でメタフィクション的に今回の主人公の玖渚盾が父(戯言遣い)や母(青色サヴァン)のことや「メフィスト」に関することを語る部分があった。メフィスト賞から出てきて20年トップで書き続けている西尾維新だからこその語りにもなっているサービスみたいなものになっていた。
西尾さんはそもそも講談社ノベルスというレーベルに憧れていた人だから、この新書サイズで出すことにこだわりもあるんだろう。最近のメフィスト賞受賞作はこの講談社ノベルスは少なくなっていて、単行本サイズかタイガ文庫が多い気はする。ミステリが作品の軸にあったり、強く影響を受けている人はやっぱりこの講談社ノベルスにしたいという人もまだ多いのだろう。
ここ何回かの受賞者はミステリの人もいるけど、ミステリ要素も少しあるエンタメみたいな人と半々ぐらいかなあ、と思ったけど見てみるとミステリになにか掛け合わせた人のほうが多い感じか。『線は、僕を描く』と3月に出る『ゴリラ裁判の日』がミステリ色がほとんどなくて異色な雰囲気になっているのかも。


お昼過ぎから作業をしてから、夕方過ぎに少し散歩に行って、昨日買い忘れていたありま猛著『あだち勉物語 ~あだち充を漫画家にした男~』第四巻を買って帰って、夜仕事のリモート前に読んだ。
あだち充さんが「少女コミック」で短編を描き始めた頃の話。彼の最初の編集者ともいえる赤塚不二夫番だった武居さんがいろいろやらかして「少年サンデー」から「少女コミック」へ異動するところで終わった。この時点で萩尾望都さんたちは「少女コミック」で活躍していて、あだちさんも「花の24年組」と呼ばれる彼女たちの漫画を面白く読んでいたと「あだち充本」のインタビューで語っていた。
あだちさんも「少年サンデー」から放逐されて武居さんに拾われるように「少女コミック」に活動の場所を移したことで水を得た魚のように伸び伸びと漫画を描き始めることになり、それが最初のスマッシュヒットとなる『ナイン』に繋がることになる。そこはもちろん描かれるとして、この漫画の主人公は兄のあだち勉さんであり、この時期は弟が島流しにあった(当時は少年漫画誌から少女漫画誌に男性漫画家が行くのはそんな感じだったらしい)と思っていた時期であり、兄弟でも見えていた景色はかなり違うはず。このあとに『みゆき』と『タッチ』の頃には勉さんはあだちさんのマネージャー兼アシスタントをするようになるので、そのことが描かれるのだとは思う。
あだち充さんは1970年デビューで、画業50年を越えてもまだ現役の漫画家だが、書店の少女漫画コーナーの平台に萩尾望都著『ポーの一族 青のパンドラ』が積まれていた。萩尾さんはあだちさんよりもさらに一年前に漫画家になっている。半世紀以上描き続けているということがほんとうに素晴らしく偉業でしかないけど、お二人とも七十代に入っていることもあって、こんなふうに漫画の歴史のひとつとして語られることになる。あだち勉さんのことを描くというのは同時にあだち充さんのことを描くことにもなるから。

 

2月12日

ロロ『BGM』再演するんだ。初演の時に下北沢で観ていて、『BGM』と他の二作品が旅シリーズというか移動することと過去という時間の地層を結びつけていくものだった記憶がある。KAATに観に行こう。

ロロ『マジカル肉じゃがファミリーツアー』を観た時に旅シリーズ三作品についてブログに書いていた。

午前中からお昼過ぎまで西尾維新著『キドナプキディング 青色サヴァン戯言遣いの娘 』を最後まで読む。「戯言」シリーズも最初の一巻、デビュー作『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い』しか読んでおらず、西尾維新作品もほかに読んでいるのが『少女不十分』ぐらい。
「戯言」シリーズの新作はミステリではあるのだが、西尾維新にずっと触れてこなかったこともあるのか、これはなんなんだ?という感じがした。ゼロ年代以降のラノベとミステリの融合というかキャラクターノベルとしてこの人の影響がすごかったんだなと改めて感じる。
セリフがキャラクターごとに特徴的であり、会話のやりとりなんかはテンポがよく、ミステリを解決する能力もその異能の力(キャラクター)によるものだったはずだ。新作はかつての主人公コンビの娘である玖渚盾が主人公であり、母の玖渚友の青い瞳と青い髪を引き継いでいない、つまり特別な父と母の子供だが彼女は特別ではないということが強調されているものとなっていた。また、父と母のように盾にはコンビを組むパートナーは今の所登場していない。
読み終わってちょっと疲れていたので、ひと休憩してから夜の予定までは執筆をした。でも、キャラクターが魅力的であることセリフでキャラ付けできることは大事だなと思う。でも、僕はそれは得意ではない。

前に友人にBialystocksというミュージシャンを教えてもらっていた。青山真治監督の映画をプロデュースしていた仙頭武則さんが関わっている映画の監督がそのBialystockのメンバーであるということもなにかで知った。
甫木元空監督『はだかのゆめ』は去年シネクイントでレイトショー上映していたこともあって、何度か予告は劇場で観ていた。一時間ほどの上映時間であり、そういう場合はトークイベントなどがくっついていることも多かったのでなんとなく行くタイミングを逃してしまっていた。
文芸誌『新潮』最新号で甫木元空監督による『はだかのゆめ』の小説が掲載されていたのもあってこのところ気になっていた。下北沢駅前に新しくできた「K2 エキマエシネマ」で二十一時から『はだかのゆめ』が上映だったの足を運んだ。日曜日の二十一時過ぎの上映だったが七人ぐらいはお客さんがいた。

Bialystocks - はだかのゆめ【Music Video】


↑映画が始まったと思ったらこのMVが流れた。この映画と同名の曲の歌詞はどうやら映画の内容を表しているのだろうなと思いながら、どこかメルヘンな映像とやさしくも芯のある歌声がどこか悲しげで、彼岸と此岸の間で漂うような音色だった。

2人組バンド「Bialystocks」で音楽活動も行う映画作家・甫木元空が、2016年の劇場デビュー作「はるねこ」に続いて撮りあげた長編第2作。

高知県四万十川の流れる地に暮らす一家の物語を、若くして両親を亡くし祖父と暮らす甫木元監督自身の体験を投影しながら描き出す。四万十川のほとりで、年老いた祖父と、この地で余命を過ごすことを決意した母と暮らす青年ノロ。彼は迫り来る母の死を受け入れることができず、死者のように徘徊する。そんなノロを見守るように寄り添うおんちゃん。息子を思う母と母を思う息子は、互いの距離を測り直していく。

「うみべの女の子」の青木柚が主演を務め、「三年身籠る」など監督としても活動する女優の唯野未歩子、シンガーソングライターの前野健太が共演。(映画.comより)

四万十川の流れ。川というのは大昔からこの世とあの世、此岸と彼岸をわけるものであり、生者と死者が触れ合うことのできる場所でもある。上記に作品の概要があるが、観ている時はずっと息子のノロが死んでしまってお彼岸でこの世に戻ってきている存在のようだった。
死者のように徘徊する、とあるが徘徊しすぎていて死者にしか見えない。川に浸かっていたり、不思議な空間にぽつんといたり、おんちゃんと相撲を取ったり船に乗っていたりと、どうみても生者のようには見えない。最初はおんちゃんがノロの父親で、死んだ夫と息子が生きている妻(母)の元を訪れようとしているけど、どこか申し訳なくてなかなか家に迎えないのかなと思っていた。説明がないのでおんちゃんが何者かはまったくわからないので、僕はずっと父親かノロの知り合いのおっさんだと思っていたけど、そうやって見ても物語は成り立つ。
あるいはわざとどちらにでも取れるような撮り方をしている。一番としかさの祖父は生命力に溢れているとは言えないものの、ノロとその母よりも元気そうに見えた。

どこか曖昧なふうに見える四万十川付近の景色、土着的なものも何度も出てくる。甫木元空監督は青山真治監督に見出されてデビューしているらしく、最後のエンドクレジットにはスペシャルサンクスとして青山監督の名前があった。青山さんは中上健次の土着的な部分の影響を強く受けていた映画監督だったから、この映画を観て甫木元空監督を見出したと言われると、なるほどなと思う。
まったく説明のしないこの物語は受け手にすべて委ねるような清々しさがあり、なんでどうして?という言葉は自分の中で沈めておいて、あとからどの答えを探すような、そんな作品だったように見えた。観終わって、自分のやりたいことをしっかり突き通す、受け手を信頼してるんだなって思えた。ああ、自分もやりたいことしっかり描こうと思いながら歩いて家に帰った。
日曜日だったが、下北沢の夜はにぎやかで月曜日のことなんか考えていない人たちの笑顔が溢れていた。

 

2月13日
寝ようと思ったけど、深夜一時からradikoTBSラジオ『20周年記念「JUNK大集合スペシャル」』【伊集院光 / 爆笑問題太田光田中裕二) / 山里亮太 / おぎやはぎ矢作兼小木博明) / バナナマン(設楽統・日村勇紀)】を聴き始めたら三時までの放送全部聴いてしまった。ワチャワチャガヤガヤしていたが、お祭り感があった。
もちろん20周年記念イベントの一つであり、公開イベントも三つあったわけで大きな祭りなのは確かなのだが、一番若いのが山里さんであり全員がベテランである。これは終わりの始まりの儀式のようにも思えてしまった。
この先たとえばもう二十年みなさんが元気であればたぶんできてしまうのだろうが、長く続いたものはいつ幕を下ろすのか、次世代にバトンを渡すのかという問題はどんなものにもつきまとう。次世代が実力でそのバトンを奪えるかというとそれもなかなか難しいだろうし、長年続いた番組のあとにやるというのは恐ろしいプレッシャーにもなるのだろう。
この全員集合感が始まりではなく終わりの始まりのように感じたのは僕だけなのだろうか、そのことを今度ラジオ好きな友達と飲んだ時にちょっと話してみたい。

起きてからリモートワーク。外はずっと小雨が降っていた。昼前に外に買い物に行ったけど雨はまだ降っていて、傘を刺しながらトイレットペーパーやスーパーで買ったものを入れた袋を持って帰っている時になんで今日買ってしまったのか後悔した。
夜は映画の予告編を見てオチを妄想するという連載の原稿を書いた。今僕がやっている唯一のレギュラーのライター仕事。この仕事があるから映画の試写案内をもらっているようなところもあるし、映画にちょっとだけ関われているのはうれしい。これもいつ終わるかわからないけど、できるだけ続けていきたい。

 

2月14日
山本信太朗著『東京アンダーナイト―“夜の昭和史”ニューラテンクォーター・ストーリー』を前日から読み始めて午前中に読み終わった。
もともと赤坂のことを書く際に参考になるかなと思ってだいぶ前に買ったままだったもの。
ピカソ赤坂店で何年かバイトもしていたので赤坂見附駅付近は馴染みがあった。また、TBSラジオで放送されていた『菊地成孔の粋な夜電波』の初回からのリスナーだったので、赤坂と言えば力道山刺されたる街であり、彼が刺された場所こそがこの「ニューラテンクォーター」だった。番組にはこの書籍の著者である山本信太朗さんがゲストの回もあり、リアルタイムで聴いていた。

 長過ぎるこの曲のイントロ、長過ぎるあなたのまつげ、長過ぎるレストランのメニュー、が、 もたらす、長過ぎるセックス。長過ぎる社会主義の、長過ぎる夢、がもたらす、長過ぎる孔雀の羽根。長過ぎるあなたの幸福、長過ぎるアメリカのテレビドラマ、が、もたらす、長過ぎる 灰色の二次曲線。長過ぎる恋愛の休憩時間、長過ぎる哲学の授業、長過ぎたあなたの今週に、 お疲れさまでした。こちら東京港区は赤坂、芸者さんと外車のディーラーが行き交い、力道山が刺されたる街よりお届けしております。
 国民の皆様の、週末の憂鬱を消し去る954キロヘルツ、悲しいクールミントの電波を、帝都随一のラジオ局TBSより。1分間のイントロに続く、90分間の生放送であります。

菊地成孔の粋な夜電波 シーズン1-5 大震災と歌舞伎町篇』P182より

実際に書籍化された番組本を見てみると「力道山が刺されたる街」というワードが前口上ではじめて使われたのはシーズン3からだった。だが、このあとは定番となったので番組で最初から言っていたように勘違いしていたのだろう。

 終戦後、児玉は児玉機関が集めた資産の一部を鳩山一郎に提供し、自由党設立をバックアッ プしたといわれている。資金提供の際、鳩山に何か条件はあるかと問われた児玉は、「私個人としての条件は何もないが、ただ一つだけ、いかなる圧力があろうとも、天皇制だけは絶対に堅持していただきたい」と言って、鳩山を感激させたというエピソードが伝えられている。
 この資金提供によって、児玉はその後の保守政党に大きな影響力を持つことになり、フィクサーとして暗躍したことは周知のとおりである。
 戦後、巣鴨プリズンA級戦犯として拘留されていた児玉誉士夫は昭和二十三 (一九四八) 年末、アメリカ当局の計らいで釈放された。この釈放には、日に日に高まる共産主義勢力の脅威 (昭和二十四年一月二十三日の選挙で日本共産党の国会議員は史上最高の三十五名に急増)に対抗するため に、児玉の握る右翼勢力を利用しようとするアメリカ側の思惑があったと言われている。 

山本信太朗著『東京アンダーナイト―“夜の昭和史”ニューラテンクォーター・ストーリー』P80より

児玉機関はいろんな作品でも名前を変えて使われているので名前ぐらいは知っていた存在だが、保守政党に大きな影響力を持つフィクサーとして暗躍したこと、また児玉誉士夫岸信介同様にA級戦犯だったがアメリカからすれば使い勝手のいい人物だったこともあり、釈放されて戦後の保守的な日本を作る大きな要因となっていく。
この辺りはこのままは使えないのだけど、赤坂は政治や芸能やヤクザ(裏の世界)といった魑魅魍魎が跋扈していた場所であり、このところを抑えていないとかなりリアリティがなくなってしまう。ワードとして出すことでリアリティを出す。また現在の世界にフィクサーがいるかいないのかは陰謀論的なものが付き纏ってしまうが、匂わすほうがいい。実際に村上春樹著『羊をめぐる冒険』には児玉誉士夫の名前は出ていないが昭和に暗躍したフィクサーの話題が出てくる(と山本さんが『東京アンダーナイト』で触れていた)。

 ショーの司会は出演者に外国人が多かったため、英語が話せる必要があった。そこで一番最初はジョージ・ルイカー(一九五〇年代から六〇年代にかけて司会、DJとして活躍。俳優としても東宝の 「社長シリーズ」などに出演)が、次にE・H・エリック(デンマーク人の母と日本人画家岡田稔との間に生まれる。実弟は俳優の岡田真澄トニー谷の紹介で日劇ミュージックホールに司会として出演。のちにザ・ビートルズ日本公演の司会も務めた)が務めることになった。
 その後は歌手でもあったロシア系二世のチャーリー湯谷、さらに、同じく歌手として力道山が経営していたクラブ・リキなどでフランク・シナトラばりの美声を披露していた寺島忠夫に司会もお願いしていた。
 寺島はのちにアメリカに渡り、プロモーターとして大成功した。数年前、大きな話題となったルチアーノ・パヴァロッティらクラシック三大テノールの日本公演や、大物歌手ペリー・コモの来日を実現したのも彼である。
 以前、私が渡米した折にも、彼がチケットを手配してくれて、サンフランシスコでミュージ カル『マイ・フェア・レディ』を観劇したが、そのとき、彼は私を楽屋に案内してくれて、あのレックス・ハリスン(映画『マイ・フェア・レディ』のヒギンス教授役でアカデミー主演男優賞を受賞したイギリスの名優。ダンディとしても知られ彼の愛用したツイードの帽子は"レックス・ハリスン・ハット"と呼ばれる。主演作には『ドリトル先生の不思議な旅』がある)に引き合わせてくれた。また、数年前には二大テノール+ダイアナ・ロス福岡ドーム公演にも招待してくれるなど、つき合いは今も続いている。
 彼の成功は英語も堪能な元JALの客室乗務員であり、サンフランシスコの日本食レストラン「みどり」のオーナーでもあった、明るく社交的な奥様の内助の功が大きいと思う。

山本信太朗著『東京アンダーナイト―“夜の昭和史”ニューラテンクォーター・ストーリー』P115-116より

このサンフランシスコの日本食レストラン「みどり」のオーナーという部分を読んで浮かんだのが、去年公開されたポール・トーマス・アンダーソン監督『リコリス・ピザ』だった。この映画の中で高級日本食レストランのオーナーの日本人人妻キミコという人物が出てくる。実際にポール・トーマス・アンダーソン監督が幼少期に近所にあったレストランがモデルになっていたはずだ。

高校に写真撮影に来ていたアラナを見て、生徒のゲイリーが声をかける、という出会いの設定も、アンダーソンがずっと昔に目撃した光景にインスピレーションを得ている。日本食レストランのエピソードも同様だ。この映画に登場する「ミカド」というレストランも、ジェリー・フリックという白人オーナーも、実際に存在したのである。だが、ジョン・マイケル・ヒギンスが演じるフリックが日本人妻に日本語訛りの英語で語るシーンは、アメリカで一部の人からアジア系差別だと批判されることにもなってしまった。

「本物のジェリー・フリックは、日本に長いこと住んで、帰国後、サンフェルナンド・バレーで最初の日本食レストランとなるミカドをオープンしました。まだ寿司が何か知らない人がたくさんいた頃で、メニューはかなりアメリカナイズされていましたよ。そしてジェリーは2年ごとくらいに日本人の奥さんを取っ替え引っ替えしていたのです。それを僕はとても面白いと感じていました。これらのシーンが批判されたことは、そんなに驚いていません。そう感じる人もいるならそれまでのこと。でも、これらは事実にもとづいているのです」

映画『リコリス・ピザ』ポール・トーマス・アンダーソン監督、“究極にパーソナル”な本作を語る

当時のサンフランシスコには「みどり」も「ミカド」もあったのだろう。「ミカド」の白人オーナーのジェリー・フリックという人物は日本に長いこと住んでいたということだから、GHQであったり戦後に日本にやってきてなにか商売をやっていたのかもしれない。『東京アンダーナイト―“夜の昭和史”ニューラテンクォーター・ストーリー』に出てくる人たちと関わりがあった可能性も高そう。

 役者勝新太郎が認めていた唯一の俳優は石原裕次郎だったかもしれない。
「裕ちゃんにだけはかなわない。演技とか芝居とか関係ないんだ。あいつは素のままでいいんだ。それが本当のスターなんだよ」
 勝さんはいつもこう言っていた。
 裕次郎さんは裕次郎さんで勝さんのことが大好きだったし、役者として尊敬もしていたようだ。勝さんは裕次郎さんと一緒に飲むと、必ず裕次郎さんのヒット曲『夜霧よ今夜もありがと う」を歌った。裕次郎さんは「俺よりうめえなあ」と嬉しそうに笑いながら、その歌を聴いていた。
 石原裕次郎勝新太郎という昭和のスクリーンが生んだ二人の大スターは、お互いに認め合う良きライバルであり、良き友人でもあったのだ。

山本信太朗著『東京アンダーナイト―“夜の昭和史”ニューラテンクォーター・ストーリー』P269より

この書籍の最後は兄貴分として慕っていた勝新太郎の章だった。ニューラテンクォーターは1989年に閉店しており、平成になってすぐに畳むことになったようだが、古き良き昭和の芸能というのものと不可分な場所だったのが本を読むとよくわかる。時代の流れと共に役目を終えたということだろう。
昭和は戦前と戦後という異なる時間軸があり、昭和天皇も戦争以前以後では神様から人間になるという価値観が真逆になったというドラスティックな時代だった。平成も終わってしまって、ずっと昔のことのように思えるのだが、今起きている様々な問題の根源となるものもその時期に決められていたことや価値観を引きずっていることが大きいと思う。過去でありながら現在進行形ともなりえている。つまり、今を書くならそこは何かの形で表出されないと物語に厚さがなくなってしまう気もする。


『東京アンダーナイト―“夜の昭和史”ニューラテンクォーター・ストーリー』を読み終わってから夕方まで作業の続きをしてから、下北沢駅近くにあるライブハウス「Flowers Loft」の「Flowers Loft 3rd Anniversary いとうせいこう is the poet / 向井秀徳アコースティック&エレクトリック」のライブに行った。3周年ということなのだが、「Flowers Loft」という存在をこのライブ告知が出るまで知らなかった。たしかにこの三年間はコロナパンデミックでライブハウスも数える程しか行かなかったということもあるが、新規の箱にはほとんどいっていない。
下北沢は開かずの踏切化していた線路が地下になって再開発されたことで駅前の風景がかなり変わっていることもあって、なにが新しくできているのか把握できていなかったのも僕がここを知らなかった要因のひとつかもしれない。



まあ、思ったよりは狭かった。長方形とかの形ではなくてすごくいびつな形をしている。上のマップの「Floor」と文字がある下にある白いところが柱になっていて僕はその柱の左横に立っていたが、左右の端っこの方はステージをかなり斜めでみる形になっていた。整理番号が悪かったらけっこうしんどそうな箱だなと思った。
向井秀徳アコースティック&エレクトリックから始まった。僕がZAZEN BOYSの曲の中では一番好きな『Amayadori』をThis is 向井ソロでやってくれた。

Zazen Boys - Amayadori 7.19 2018


このバンドで演奏した際にはライブで観れているのだが、このバージョンでの音源はなく、『極東最前線』のコンピに入っているバージョンはこれとは全く違う。もし、ニューアルバムが出るのならこのライブで演奏したバージョンの『Amayadori』を入れて欲しいと四年以上は思ってる、というかニューアルバムが全く出ていないまま、既存曲をやりまくっていてどんどん進化させていっている状態。
最後はこれまた大好きな『Water Front』を演ってくれた。『Amayadori』と『Water Front』をイメージして書いた短編があったのだけど、向井さんの演奏を聴いている時にその短編が今書いているやつに使えるじゃんって、なにかのピースがカチッとハマった感触があった。

続いていとうせいこう is the poetのメンバーが出てきて演奏。いとうせいこうさんがこういう新しいバンドをやっていることも知らなかったのでどういう音楽なのか、ポエトリーリーディング+バンドセットという形かなと思っていたが、思ったよりもダブってた。レゲエ音が二回目に乗せた朗読詩のことをダブ・ポエトリーというらしく、このバンド自体がダブ・ポエトリー・ユニットというものらしい。
最初の二曲ぐらいは日本のラップ黎明期にラップをやっていたいとうせいこうさんが口ロロも経て、ポエトリーリーディングに向かっている感じなんだなって。バンドはめちゃくちゃ気持ちいい音だったが、あまり全体的な音には馴染めなかった。三曲目か四曲目ぐらいからダブのリズムとその波長と自分の体の揺れが自然と合うような感覚になっていった。最後の方に二曲はかなり心地よくて気持ちよく踊れた。
いとうせいこうさんは61歳には見えないぐらい若々しいというと嘘になりそうだが、やっぱり人前に出てパフォーマンスする人は実年齢よりもかなり若く見えるし、老いがスローリーになっているんだろうか。

いとうせいこうis the poetのツイートに向井さんも参加した最後の曲が少しアップされていた。
向井さんが歌っている「蕎麦屋の二階で」という部分はWWWで行われた『平家物語 諸行無常セッション(仮)』映画化記念 古川日出男×坂田明×向井秀徳「皆既月蝕セッション」のアンコールで向井さんがひたすら連呼していたやつなんだよなあ。終わったあとに古川さんと話してたら向井さんが急にあのフレーズ入れてきたって話をされていたはずだから、気に入ったのか、あるいはわりと前からなにかで歌おうと思っていたフレーズなのか。
いとうせいこうさんとThis is 向井秀徳が並んで歌っているのはすげえ新鮮だったし、想像以上にすごくいい組み合わせだった。帰ってからライブ見ている時に浮かんだ設定を書き加えた。

今回はこの曲でおわかれです。
Young Fathers - 'I Saw' (Official Video)