Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年4月16日〜2024年4月30日)

4月上旬の日記(2024年4月1日から4月15日分)


4月16日
月末の翌日になる1日と月の半分過ぎの16日はこの日記というかブログを日付が変わってからアップする。
深夜1時過ぎには寝たが四時過ぎに一度目が覚めてトイレに行って、『空気階段の踊り場』をタイムフリーで聴きながらまた眠った。
7時過ぎに起きてから『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』を聴きながら朝活がてら、木曜日に行く打ち合わせの資料を読む。伊集院さんのが終わって『キタニタツヤのオールナイトニッポンX』を続けて聴く。資料の文字数がかなりあるしいろんな単語が出てくるので思ったよりも脳みそが疲れる。

10時半前に予約していた駅前の皮膚科クリニックに行く。いつも通り予約していても10分から20分は診察に呼ばれるまで時間がかかるので、先日買って読み進めていた上田岳弘著『旅のない』文庫版を持ってきていた。


コロナパンデミックの時期に書かれて、物語の時期もそのころだったりする。あと『鬼滅の刃』の話が何度も出てくる。登場人物や作中作に出てくる人物の名前が一緒だったりするなど共通点のある四編が収録されている。
今読む方がしっくりくるものがあるし、表題作で最後に収録されている『旅のない』で主人公の仕事関係の村上とのやりとりはどこかホラー的な怖さも感じさせるし、読み応えがあった。あと仄暗さみたいなものもあるから読み終わった後に何かが残る短編だった。これが川端康成文学賞を受賞しているのもなんか納得。

ピロリ菌の除菌薬を飲んでいたらアレルギー反応で薬疹が出てしまった。ステロイド入りの薬を出してもらって薬疹自体はだいぶ治っていたが、胸の辺りにニキビという吹き出物が出ていてそれだけがまだ完治していない。その塗り薬をもらって二週間経ったがまだ治っていないので、今回は抗生剤の飲み薬と前に塗っていた作用も入っている違う塗り薬を出してもらった。これでたぶん治るのではないかという感じらしい。とりあえず一週間飲んで塗ってみることになった。

家に帰ってから『旅のない』最後まで読んだ。単行本の時よりも好きな作品に思えたのは、時間が経ったからコロナの時期を客観的に見ることができるようになったのも影響しているのかも知れない。
Creepy NutsとAdoとこの二年でANN月曜一部担当になったパーソナリティーがそれぞれ一年で辞めた経緯があり、次に任されたのが山田裕貴だった。
Creepy Nutsの前に五年間担当していた菅田将暉が『山田裕貴オールナイトニッポン』一部昇格の最初のスペシャルウイークのゲストとして再びの一部の時間帯にやってきた。
山田裕貴も一度菅田将暉が担当時代にゲスト出演していたし、共演経験もあって二人のやりとりはバカバカしくも役者同士の話もあり、スペシャルウイークって内容になっていた。


山田裕貴オールナイトニッポン』の途中ぐらいから聴きながら歩いて渋谷へ。この気温だとTシャツ一枚でもいけそう。でも、薄着のカーディガンを羽織っていった。
平日でも渋谷は人が多くてもう若者の街とかでもなんでもなく、海外旅行者がやってくる街であって、コロナパンデミック前に増え出していた中国からのインバウンド目当ての旅行者たちがいた頃とも違う風景になっている。
火曜日はサービスデーなのでル・シネマ宮益坂下で『パスト ライヴス/再会』を観ることに。アカデミー賞授賞式の前日に先行上映した時に観ていたが、改めてもう一度観ておきたいなと思っていた。

前回はさすがにアカデミー賞を受賞するかもという期待もあったし、A24関連の作品なので観にきていた層は二十代後半から四十代ぐらいの映画好きそうな感じだった。なぜか女子高生二人組もいたが。
アカデミー賞でノミネートはされていたが受賞はしなかったものの、評判も良いのもあって平日の昼間でもお客さんはそこそこ入っていた。気持ち年齢層は高くて五十代よりも上もいたかな。
二度目なので物語はわかっていた。あと日本映画の『花束みたいな恋をした』ともちょっと被る。共に女性は自分がしたいことを優先するし夢を追っていく。男性は堅実であり現実的な判断をしていく。
『パスト ライヴス/再会』ではNYに住んでいるノラと幼馴染でずっとソウルに住んでいるヘソン、『花束みたいな恋をした』では自分のやりたい仕事をすることを優先する絹(有村架純)とかつてイラストで食べたいと思っていたが二人の生活のために会社員になった麦(菅田将暉)、ノラと絹/ヘソンと麦の関係性は近いものも感じる。僕は男性だが、ノラや絹のような生き方をしているので『花束みたいな恋をした』では絹の生き方に共感したし、麦の生き方もわかるけどできなかったと思った。
今作ではノラはユダヤ系の白人男性と結婚しておりパートナーがいる。24年ぶりの再会はお互いの心に合ったものが昂るまではいかず、会いたいけど会えなかった時間を昇華していく。

韓国語で「イニョン」という「縁」を意味する言葉が作品の軸にある。袖触り合うも他生の縁という世界観、仏教的な考え方の話が出てくる。来世では、みたいな話も二人はすることになる。「縁」以外にも「輪廻」とかの意味もあるらしい。
やっぱり一月末に急に亡くなってしまった友達のことを考えた。輪廻転生があるなら、またどこかで違う人生を歩むことになる彼女に会うこともあるかもしれない。と思えば、これでは完全に三島由紀夫の「豊饒の海シリーズ」みたいになってしまう。僕が七十や八十歳になって彼女の生まれ変わりを探して、探しては違うと落胆していき、最後には輪廻転生などないのだと言われるような、あの物語の終わりを思った。でも、もし来世があるのであれば、また彼女と知り合うこともあるのかもしれない。今世では「縁」はあったし、袖も触り合っていた。
映画で二人が抱擁して別れていくラストは切ない。だけど、生きているうちにノラとヘソンはNYなのかソウルなのかどこかで再び出会うこともあるかもしれない。そのことに僕は未来も感じるし幸福だなと思えた。

帰りは『フワちゃんのオールナイトニッポン0』でゲストがフットボールアワーの後藤さん回を聴きつつ歩く。渋谷は人混みを体験するならもってこいだ。旅行者たちはスマホを掲げてスクランブル交差点を撮っている。いつもの光景がある。ここですれ違っている前世で知り合いだった人たちもいるのかもしれない。

Bialystocks - 近頃【Music Video】


Bialystocksの新曲のMVに夏帆さんが出てるのを知って動画を見ていたら斉藤陽一郎さんも出ていた。Bialystocksのメンバーである甫木元空さんは青山真治さんの弟子筋というか、生徒で青山さんのプロデュースで長編映画の監督としてデビューしている。
青山真治監督「北九州サーガ」三部作全部出てるのは斉藤陽一郎さんだけで、彼が演じている秋彦しかいないので「秋彦サーガ」でもあったりする。そういう経緯があってこのMVに出演みたいなことなのかな。
光石研さんも三部作全部に出ているが、一作目『Helpless』の役と、二作目『ユリイカ』と三作目『サッドヴァケイション』の役は違うので、実質三部作全部同じ役として出演しているのは斎藤さんだけ。気になったから調べた。

 

4月17日

代わって登場した若い世代は、ほんとうにしっかりしているなと思う。「Z世代」とか呼ばれて、やれ自己中心的だとか、逆に自己主張がなさすぎて理解できないとか言われる彼らだけれど、僕から見ればその行動原理は割とシンプルだ。彼らは、人間関係をギブ&テイクで捉えたときに、テイクのないギブはしないけれど、ギブされたものに対してはちゃんとお返しをしなければいけないという公平性へのこだわりが強い。そしてその公平性は、社会的な立場とか世の中の通念よりも優先されるというものだ。

自分の中でこの価値観の変化を感じ始めたのはコロナ直前くらいだと思うけれど、昨年からの1年あまりが、より自覚的に「変わらなければ」と思った時期だった。「もう自分たちが若い頃の感じが通用しない時代だよね」ということを思っている人は多いだろうけど、僕の場合はもっと積極的に「年長世代として、若い人たちの感じ方を潰さないように」という意識で行動パターンや言葉の使い方をアップデートした。

それでもまだ成長期 

朝起きてから社会学者の鈴木謙介さんのブログがあがっているのに気づいて読んだ。08年にcharlie(鈴木さんとも謙介さんとも呼ばずに愛称のこちらで呼んでいたのでしっくりくる)がパーソナリティーのラジオ『文化系トークラジオ Life』に当時付き合っていた彼女さんの影響で聴くようになって、イベントやスタジオに遊びに行くようになった。
大学も一年で辞めていて、社会学とかもまったく知らなかった僕だったけど、「Life」をきっかけに出版関係の人たちとかと知り合いになっていった。それもやっぱりcharlieの人柄や番組のもっていた磁場だったりしたのだろう。集まっていたのが二十代や三十代前半が多かったから大学生の延長であり、社会人との間みたいな関係性みたいなゆるやかな距離感が心地よかった。
charlieが関西のほうに行ってから僕も次第に番組やイベントには顔を出さなくなっていった。前の周年イベントの時に顔を出して、charlieとも久しぶりに会って少し話ができたぐらいで、それ以降は時折アップされたブログを読んでいるぐらい。

ここで書かれていることは100%わかるわけではないけど、自分よりも下の世代、二十代ぐらいの人と話をしたりすると感じることだったりした。僕はここで書かれているようなアップデートは正直できていない。charlieみたいに変えれるといいのだけど。自分自身をそうするためにある時期の自分への楔を打ち込むために今書いているものを書き終わらしたいなって。
charlieのブログを読むと実際に会って話がしたいなって思った。会っても会話は弾まないかもしれないし、会ってない期間僕が全く成長してないから、もう少しがんばってからなんかのタイミングで会えたらいいな。
昨日夜に聴いたBialystocksのところで青山真治監督の名前を出したけど、青山さんと一回だけお会いしたのはライブハウスの7th Floorとかでその時charlieも一緒にいて、福岡出身の二人がご当地ソングみたいなものを下のエレベーターの中で歌っていたのを今でも覚えている。

ブログを読んだ後はradikoで『アルコ&ピース D.C.GAGE』と『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を聴きながら恩田陸著『spring』を仕事が始まるまで読み進めた。1章にあたる「跳ねる」のパートを読んでいたら『蜂蜜と遠雷』みたいだなって思った。
でも、どちらも恩田さんの小説であり、天才を描いているので似ている部分もあるのだろうし、二作品はなんというか双生児的な印象も受ける。バレエやダンスなどをしている、していた人が読むと僕よりも没入感はおそらく深いだろうし、書かれていることでわかることや納得できることそれは違うみたいな部分もあるだろうから、それがどういうものなのか知りたいなと思った。
春という天才振付師を巡る物語になっていて、「spring」だから春だし跳ねる、『2001年宇宙の旅』における「HAL」にもなる。いいネーミングだ。

リモートワークが始まってからは、引き続きradikoで『星野源オールナイトニッポン』を聴きながら作業。深夜のファミレスでラジオの生放送。その雰囲気や空気感みたいなもの、静寂ではなく周りの話し声や食器を置いたりする音やスタッフが動く音、いつも流れているBGMとかも店内のスピーカーから流れている。ファミレスで知り合いと話しているみたいな空間になっていた。


そのまま「星野源ANN」の後番組である『あののオールナイトニッポン0』のゲストが銀杏BOYZ峯田和伸さん回を聴く。「童貞の神」扱いされている峯田さん。二人の共通の知り合いもいたりして、その話からすぐに下ネタの話に展開していく初対面の二人。
まあ、馬が合いそうで会わないのかもと心配していたが、そんなこともなく和気あいあいと進んでいき、恋愛の話からNTR願望に広がっていき、あのちゃんも普段しない話しかしない、音楽の話もしたけどほとんど下ネタ話、深夜ラジオらしいトークになっていた。まあ、大満足。
最後は『ナイトライダー』を二人で歌った。Spotifyでも聴けるけど、曲は配信されないのでこればっかりはradikoで一週間のうちに聴くかyoutubeの違法アップロードで聴くしかない。

昼休憩に出る前にe+で『ニッポン放送開局70周年 三四郎オールナイトニッポン10周年記念 バチボコプレミアムライブ in 日本武道館』のファンクラブ先行の抽選が取れたか確認したらアリーナ席取れてた。やったー!

佐久間:ラジオのリスナー数は、他のメディアに全くかないません。だから、ラジオ発のコンテンツは、配信メディアと比べてもそのパワーは弱いです。でも、ラジオって、イベントをやると多くの熱心なファンが集まります。なぜかというと、普段からラジオで、2時間ライブでしゃべることを続けているからだと思います。やっぱり2時間もしゃべり続けていると、その人のうそのない本当の姿がこぼれてくるんですよ。僕自身、昔からラジオが大好きなリスナーだったので、そのあたりの感覚はよくわかっているんです。

奥:ご自身の中に、ユーザー体験があるということですね。

佐久間:もちろんメディアとイベントの連動は、テレビでもYouTubeでも大事なんですが、そのメディアや番組に視聴者が感じている価値と、リスナーとパーソナリティが共有しているストーリー、この二つを同時に考えているものじゃないと大きな動員はできないと思いますね。そしてこの二つが、ラジオの強みでもあるなと。

佐久間宣行氏に聞く、各メディアの「空気」。「2023年 日本の広告費」特別対談

佐久間さんの対談でも出ているけど、ラジオのイベントって一人一人のリスナーが熱を持って集まるので他のジャンルよりも強い意志を持ったお客さんが入るというイメージがある。実際に三四郎日本武道館の先行抽選結果も新Twitterで当選した人たちがポストしていて、それに知らない人がいいねしていたりする。そもそもファンクラブ先行が一人一枚なので誰かを誘っていくことができず、一人で参加になるのでより仲間感ができているのもある。11月末の日本武道館ライブを楽しみにもう半年がんばれる。

夜は明日お昼からの仕事の資料読んだりして準備をする。どういう話し合いになるかはわからないけど、自分が感じてることを言えばいいし、決まったら決まった方向で僕は作業をする。そうやって一つずつ仕事をしっかり終わらして形にしていく。それだけをちゃんと続けていければいい。

 

4月18日
6時過ぎに目が覚めて可燃ごみを出しに行く。まだカラスの鳴き声はきこえていなかった。トマトジュースを飲んでからピロリ菌の除菌薬に入っている抗生物質のアレルギーでできた薬疹を抑えるためのステロイドの塗り薬の影響でできていたニキビというか吹き出物を抑える薬を飲む。
なんか堂々巡りというか一つのことから何かが副作用で出てきて、もう笑いそうになる。一週間分の飲み薬と塗り薬を出してもらったけど、今のところ劇的に効いている感じもしない。治るのだろうか。

radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』(ゲスト:春と紙ヒコーキ)を聴きながら横になっていたら寝てしまった。8時過ぎにまた目が覚めたら外からカラスの鳴き声が聞こえていた。ゴミの集積車が来る時間だから、その前にごみ袋を突いていて、もう今日のは終わったという合図みたいにも聞こえる。
途中で寝てしまったのでもう一度佐久間さんのラジオを流しながら、お昼からの打ち合わせのためにもう一度資料を読んだ。気になったところをメモしながら読んだので思ったよりも時間はかかった。


14時から文藝春秋社で今やっているライティング作業に関する打ち合わせがあったので、12時半には家を出て渋谷まで歩いて半蔵門線に乗って永田町駅で降りてから歩いて会社へ向かった。
担当の編集者さんが『週刊文春エンタ+』の最新号をくれた。特集がアニメ放送の始まった『怪獣8号』だった。まだ一話を見ていないからこの機会に見ようかな。
14時から16時まで打ち合わせをして今後のスケジュール等が決まった。これで5月中のスケジュールも今入れているものを修正すればほとんど固まった。予定が見えそうで見えないなという感じだったので〆切等わかればこちらとしてはとてもやりやすい。あとは僕が〆切に遅れずにしっかりと作業をすればいいだけだ。

起きた時に野田地図の新作公演『正三角関係』が発表されていた。毎年野田地図の公演を楽しみにしているのだけど、嵐の松本潤主演となるとチケット取れる気がしない。WEB先行予約会員になっているけど、いつもはその選考で大抵チケット取れていたけど、彼のファンも登録するだろうから倍率は跳ね上がるのかな。運次第だな、どうなるのだろう。
メインの他の二人は長坂まさみさんと永山瑛太さんで二人が出ている野田地図の公演はそれぞれ観ている。
長澤さんが出演した野田地図番外公演『THE BEE』は亡くなった友達と観に行った。21年の12月でまだコロナパンデミック期間といえる時期だった。
今回の舞台も彼女が生きていたら「一緒に行く?」と誘っていただろう。こういう気持ちはずっと続くだろうし、一緒にどこかに行ったり観たりしたことって残り続けていく。
会えなくなって話もできなくなったことがただ悲しい、でも一緒に居た時間は確かにあった。でも、それも僕が死んだら消えてしまう性質のものだ。今は記憶と時間について物語に落とし込んで書きたい。その核みたいなものはこの前なんとなくわかったから、そこに辿り着くように進めたい。上半期で、いや今年僕にとってそれが一番大事なこと。

 

4月19日
社会学者の宮台真司さんが出てくる夢を見た。なんか知らんけど一緒にいた。お会いしたことは一度ぐらい、charlieこと鈴木謙介さんの師匠だから、charlieが関西に行く時の壮行会に来られて、叱咤激励の言葉を送られていた。
なんで宮台さんだったんだろうと思うと、二日前にcharlieのブログを読んだこと、TBSドラマ制作部で自身でもドキュメンタリーを手がけている佐井さんが企画・プロデュースした「TBSレトロスペクティヴ映画祭」があってお誘いしてもらったのだけど、佐井さんが舞台挨拶で登壇する三日のうち一日のゲストが宮台さんだった。たぶん、それらが脳内というか寝ている間に無意識で繋がったんじゃないかなって推理はできる。実際それぐらいしか思い浮かばない。↓charlieが作った音楽。



缶とびんの回収日だったのでそれを出してからいつも通り横になりながら一時間ほどradikoでタイムフリーを聴く。『ハライチのターン!』から『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』と繋げてリモートワークで仕事を開始。
「メガネびいき」は大沢あかねさんがゲストで美容についてトークをしていた。ちょっと前に矢作さんが美容を極めていくと離婚するって話をしていて、確かに美容のすごい女性って離婚していってる。最近だとMEGUMIとか、その流れで最近大沢あかねがめちゃくちゃキレイになったから、ピンちゃん(劇団ひとり)離婚されるんじゃないかって話をしていた。普通にゲストで呼んでいたので驚いた。
それから局を変えてあのちゃんがゲストの『ナインティナインのオールナイトニッポン』とコスプレイヤーのえなこさんと囲碁将棋の根建さんがゲストな『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』と続けて聴いた。今週はゲストがいるスペシャルウイークだけどどこも面白い。年度初めで一年間はやれるという安心感や何年目かに入っているからパーソナリティーも慣れていたり、むやみに緊張とかしないからいい感じなのだろうか。

休憩中に池尻大橋駅すぐのあおい書店に寄ったら、『SWITCH』Vol.42 No.5「佐久間宣行のインプット&アウトプット」が出ていたので買ってきた。前号は『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』特集で幾田りら × あのが巻頭表紙だったから、「ANN0」の火曜日と水曜日パーソナリティーと偶然だろうけど続いた。
もう少し発売の時期が遅れたら、きっと「NOBROCK TV」で元AKBのボートレース大好きな福留光帆さんとかもインタビューの一人に入っていたかもしれないなって思うほどに動画は回っているし、最近では一番跳ねている。
佐久間さんと仕事してきた人たちのインタビューに出ている人たちが完全に第一線に今いる人ですごく豪華なラインナップ。だけど、彼らが売れる前であったり、うまくいっていない時期に一緒に番組をしてきたことが信頼になってるんだろうし、やっぱり佐久間さんがバラエティの辺境の地だったテレ東でダウンタウンとかには相手にされない局だったのと、おぎやはぎ劇団ひとりが出始めたときにオーディションで見つけて一緒に続けてきたのは大きいんだなって思う。
東京03に関しても結局あの出来事として語られる芸人の先輩の紳助さんは業界から消えて、彼らはコントライブだけで食える唯一の存在になっている。そういう人たちと一緒にやってきたことが独立してもテレビ以外にネトフリとか配信系でもやれる強み。
あとラジオをやっているのは本当に大きい。特に自分よりも下の世代に個人的なことを伝えられるメディアだし、年々その影響力も大きくなっている。
実際にいろんな人のインタビューを読むと信頼度が高いのが伝わるものになっていた。プロデューサーとしてスタッフワークもわかっていて出役として出演する側のこともわかるという人はなかなか稀有な存在だろうから、これから出演する側が増えたことで知ったり、感じたことがどんどん製作側として活かされていくんだろう。それでどんな番組や作品を作るのかはやはり楽しみでしかない。

 

4月20日
RECORD STORE DAY (レコード・ストア・デイは、アメリカ国内の約1400の独立系レコード店と、海外の数千のレコード店を中心に、音楽とレコード店の文化を祝い、アナログレコードを手にする喜びや音楽の魅力を共有する年に一度の祭典)の日本でのアンバサダーにあのちゃんがなっていてインタビューを受けていたのを前に読んでいた。


その一環でファーストアルバム『猫猫吐吐』とYouTubeの企画「THE FIRST TAKE」で歌った二曲が収録されたものがLP化され流ということも発表されていた。「FIRST TAKE」の方に関してはLPで発売になった20日Spotifyでも配信された。こういうパターンって初めてなのかもしれない。
アルバムはCDで持っているのもあり、「THE FIRST TAKE」の方は衣装もチャイナドレス的なものをポップにしたものですごく画的も映えていて印象に残っていた。それがLPのジャケットになるのであれば欲しいなと思った。価格も曲数が少ないこともあって2200円とお買い得な気がした。


タワーレコード渋谷店ではいつもは11時からオープンだが、レコード・ストア・デイではレコードのフロアだけ9時からオープンするということだったので起きて渋谷に向かって「THE FIRST TAKE」のLPだけ買って帰っても昼になる前に帰れると計算して行くことにした。実際にお店に着いたのは8時半だったけど、すでに百人以上は並んでいた。
おお、レコード好きな人たちを侮っていたというか、やっぱりすごい人気だあ。並んだまま9時になり並んだ順で店内に入って6階のヴァイナルフロアへ。そこでも棚の間に来た順番で並んだ。
レコード・ストア・デイ限定商品のところへはきた順番で十人ぐらいが通されてレジに行って、次の人数がという感じで進んでいった。実際僕がそこに行けたのは一時間ちょっと経っていた気がする。買うものは決まっていたのですぐにお会計を終わらして店を離れた。
僕みたいにあのちゃんのLPだけを買いに来たであろう若い人たちもそこそこいたし、普段からレコードを愛用しているらしい、たくさん買い込んでいる人たちもこの機会ということもあるのだろうけど、彼女のレコードを一緒に買っている人たちも見かけた。そういう意味でもあのちゃんがアンバサダーになったことは成功だったんじゃないだろうか。

お店に行く前でと並んでいる間はずっとradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴いていた。武道館のチケット発売の応援ということで不良(KAƵMA)とボクサー(四千頭身の都築)がゲストでやってきた回だった。いつも以上にバカバカしくて最高だった。
不良とボクサーの絡みでどうしても笑ってしまって、歩いている時もそうだし自分の順番が来るまでの間普通に笑ってしまっていてヤバい人だと思われたらどうしようと思うほどだった。
KAƵMAとはんにゃの金田は武道館のゲストとして発表された。なぜか都築は呼ばれてないという、きっと呼ぶとは思うけれど、三四郎ファミリーはもちろんだけど、やっぱりANNの付き合いのあった菅田将暉Creepy Nutsも何らかの形で出てほしい。あとはアルコ&ピースと佐久間さんもちょっと期待している。

ものとして物体としてのものに引かれてしまうし、手にしたいと思う。きっとアナログな時代に育ったということだけではなくて、人間は見えないものや所有できないもに対してはやっぱり熱意や想いを向けにくいと思うし、僕はできればものとして所有したい。




ano - ちゅ、多様性。 / THE FIRST TAKE 



ano - 普変 / THE FIRST TAKE 




読書会をやっていた時の友達Tと舞台に行こうと前に話をしていた。こまばアゴラ劇場が閉館になってそのサヨナラ公演をやるというので、その一番最初に上演する『S高原から』のチケットを取っていた。
劇場で待ち合わせをしていたので歩いて向かった。家から30分ほど歩くと着くのだけど、コロナパンデミック前に来てからは来ていなかった。駅から劇場に向かう商店街にあるお店も昔あったはずのものが違うお店になっていたりした。何度かロロや範宙遊泳の舞台を観に来ていて、歩いている時に亡くなった友達と来た記憶が蘇ってきた。
たぶんロロを観に来た時で、観終わった後に近くのお店に入ってご飯を食べたことは確かだった。でも、そのお店であろう場所を通った時にそれはその時とは違うお店になっていた。でも、その中に入って一緒に食事をしたことだけは間違いなかった。
こうやって場所とかの記憶として結びつくぐらいにはいろんなものを観に行っていたんだなと改めて思い知るというか、浮かんでくる。

Tと劇場で待ち合わせをしてから観やすい席に座った。平田オリザさんや青年団の舞台は観たことがなかった。Tは10回近くこの『S高原から』を観ているという。
物語はある高原にあるサナトリウムの静養する人たちとお見舞いにくる人たちが歓談する場所のみで展開していく。それは定点カメラに映ったものをずっと観るような感じで、登場人物たちも多いのだけど、ある時点で近くのホテルに行くといった人物は普通なら戻ってきてまたやりとりなんかをするのだろうけど、出なくなったりする。その意味では伏線的なものは回収されない。そこは観客の想像に任せる部分になっていて、その一箇所だけで見えるやりとりや会話、いなくなった後のことをイメージさせるものとなっている。とてもドライであるけれど、僕たちの日常にかなり近い。
観客が席に着いている上演前の時点でステージには俳優たちがいてその人物の日常として過ごしているというのもロロなんかで観たりするものだった。そういう意味でも平田オリザ青年団の影響を受けた人たちの舞台を僕はこの十数年間観てきたんだんだなって、「祖」的なものを感じる舞台だった。

舞台を観終わってからTも時間があるというので、三茶の方へ歩いて行った。僕が大好きな居酒屋さんのカウンターで二人たくさん食べて飲みながら話をした。この前にTと会ったのが1月27日のLOFT9でのイベントの時だったので、その日に友達が亡くなった日だったこともあって、その話を聞いてもらった。

 

4月21日
起きたら9時を過ぎていた。9時10分になるかという時間で、10時から映画だということはすぐにわかって、顔だけ洗ってすぐに家を出た。いつもよりも早歩きにして、耳はradikoで『街裏ぴんくオールナイトニッポン0』を聴きながら。9時50分前には着いてしまった。家から映画館まで33分ぐらい。今まで一番ぐらい早かったかも知れない。
予告編や試写で観た人の乾燥で楽しみにしていたアンドリュー・ヘイ監督『異人たち』をシネクイントで鑑賞。お客さんは二十人ぐらいはいたんじゃないかな。日曜で10時は早いし、大作というわけでもないのでこのぐらいなのが現実的だと思う。

今年はもう僕の中では『哀れなるものたち』を越える映画はないと思ってたけど、双璧をなすというか、気がついたら泣いてるという状態がずっと続いている作品だった。
山田太一さんの小説も読んでいたし、大林宣彦監督の映画『異人たちとの夏』も観ている。
物語は舞台を日本からイギリスに、主人公は脚本家なのは同じだけどアダムはゲイという設定になっている。僕はヘテロセクシャル異性愛者)だけど、そういうセクシャリティは関係なく、現在の社会を生きる人たちに届く作品になっていた。


完成作を山田太一も見届けていた…『異人たち』は「人生に人を招き入れることを語る映画」
映画『異人たち』アンドリュー・ヘイ監督インタビュー


30年前、アダムが12歳の時に交通事故で亡くなった両親たちと住んでいた家を彼が訪ねるとそこには亡くなった当時の姿のままの両親がいて、現在のアダムと再会することになる。彼らも自分たちが死んだことは知っていて、この状況が長くは続かないことをどうやら知っているらしい。
電車で移動して実家があったところへ向かうのだけど、死者である両親がいる場所に向かう、そして気がつくと今住んでいる場所にいたりするなど、ちょっとトリップ感もあるので、生と死、此岸と彼岸の境界線が混ざり合うというか曖昧になっている世界になっていた。
脚本家として成功しているアダムはロンドンのタワマンに住んでいて、違う階に住む自分をクィアだというハリーと次第に親しくなっていく。このタワマンは人があまり住んでいない感じがするらしく、どこか物悲しい。彼の知り合いたちは結婚して子供が生まれたりして郊外へ家族で引っ越しをしていたりするので、友人も近くにはいないこともわかる。

アダムが再会した両親は亡くなった時(80年代)の価値観のままであり、宮藤官九郎か脚本『不適切にもほどがある!』もちょっと彷彿させる。息子はゲイであることを最初は母に伝えるが、その反応などはその当時のものだった。
エイズなどで死んでしまうとか孤独な想いをしている人が多いなど母はその当時の一般的な認識を話す。アダムは時代は変わったからそういう心配はないという。アダム自体もハリーとの関係性の中で自分が古い価値観に引っ張られていることを感じる。だからこそ、母の反応に傷つく。しかし、母だけでなく、そのことを聞いた父も息子には息子なりの幸せを見つけていけていければいいと共に時間を過ごす中で意識が変わっていく。そして、二人とも亡くなってしまったことでアダムが一人ぼっちになって寂しかった時に抱きしめることができなかったことを謝り抱きしめる。
アダムは寂しさとゲイであることを一緒にされるのを嫌がる。ゲイというマイノリティだから寂しいのではなく、その中心にあるのは孤独でそれにマイノリティであることなどが絡みついていたりするのだと。だけど、それは周りや他人からすれば同じように見えてしまっている。
20代のハリーからすればゲイというのは古くてカッコ悪いものになっているからこそ、クィアといっている。40代でかつてのエイズの時代を知っているからこそ挿入などのセックスを避けてきたアダムという世代の違う二人の描かれ方もかなりうまいと思った。

ハリーと出会ってすぐの時点でアダムは亡くなった両親のことを話す。「もう時間が経ったから大丈夫なんだ」とアダムが言う。「時間は関係ない」とハリーが返す。確かに時間が経てば悲しみは薄れていく、ように思えるけれど、それは心の奥底に残り続ける。薄らいだように感じるだけで、実は時間の問題ではない。
大切な人を失ったこと、残されてしまったことの孤独や悲しみは癒えない、抱えて生きる。生き延びていくしかない。そういうシーンのある冒頭近くの部分から僕は気がついたら涙が流れていて、それが終始続いている状態になっていた。
僕は両親とは不仲でもないけど、これはかつて家族において子供だった自分のことと重なってくるし、あるいは子供を持っている人なら父と母として子供と向き合うことと重なってくる。ほとんどの人が何かを重ねることになるはずで、その意味で誰にでも届く。

アンドリュー・ヘイ監督自身がゲイであるから、それが作品に投影されている。その意味でも彼の個人的な映画でもある。原作となっている小説も山田さんが幼い頃に住んでいた浅草に行って、寄席で亡くなった自分の父親にそっくりな人を見かけたということをきっかけにして書き出したものだった。そういう個人的な小説だったからこそ届いたのだろうし、それを感じたからこそアンドリュー・ヘイ監督も自分自身の体験や事柄を反映させた。その意味ではオリジナルに忠実であり、リメイクとして正しすぎるほどに正しい。セクシャリティが変わろうが国や時代が変わろうが、本質を捉えている。
父と母と別れてからの終盤部分はもう一つの驚きがあった。そのことは書かないけれど、監督なりに生きることと死ぬこと、そして孤独であることと誰かと関わることをあの場面に託したのだと思う。それも含めて心に響いた。

観終わってから、個人的なことしか届かないなと改めて感じさせられた。もちろん、マーケティングして最大公約数を見出してヒット作を作ってちゃんとお金を儲ける創作も必要だろうし、それがないと経済も会社も回らないのも事実。だけど、誰かの個人的な願いや想い、ある種の狂気や逸脱したものしか越えていかないものがある。この映画はそういうものになっていた。
生(&性)を異人(死者)たちとの関わりの中での肯定していく作品になっていた。素晴らしいとしか言いようがない。

 

4月22日
昨日の夜から降っていた雨はまだ止んでいなかった。起きてから可燃ゴミを集積所に出しに行く。カラスはまだ鳴いていないし、ゴミ袋を漁りに来ていない時刻だった。ゴミ用の防護ネットを使えばいいのだが、出しているところが一軒家の壁の横と共有道路であり、それができないらしい。
四軒並んだ一軒家はかつて大家さんの家と庭があったので、それも可能だったのかもしれない。あの頃は、10年以上前だと思うがカラスがこんなにもゴミを漁っていなかった気がする。地域猫みたいな扱いをし始めた頃だったか、野良猫たちもまだたくさんいた。そういうバランスがあったんじゃないかなと思う。だけど、地域猫ということで生殖能力を奪われてエリアの愛玩猫にされた猫たちの子は生まれ亡くなって、外に遊びに出ている飼い猫を時たま見るぐらいになった。その猫たちもそれなりの齢になっている。
カラスと猫の縄張りがあったのかどうかはわからないけど、同じ場所に10年以上住んでいて感じるのは、バランスが崩れてしまってそれはもう元に戻らないことがカラスたちのゴミ荒らしが加速した理由の一つだと僕には思える。

リモートワークを始める前にはカラスの鳴き声が聞こえた。日曜日に放送していたラジオ番組は昨日の夜の作業中に聞いてしまったので『三四郎オールナイトニッポン』バチボコプレミアムリスナー公式ファンクラブのサイトで過去のアーカイブを流していた。といってももう今年に入っているのでつい最近聴いたことのあるものになってきて、記憶にもまだ残っている。だけど、仕事中に何らかの声が聴こえている方が僕はリラックスできるのでちょうどいい。
休憩中に外に出たら知り合いにたまたま会った。たわいもない話をしたぐらいだけど、この町というか地域に住んでいるという感触というか、いいなって思う。フリーランスで仕事をしている知り合いが多いから、お昼過ぎでもばったり会うこともあるし、そのままお茶もしたりできる。そういう偶然だけどなんとなくいい時間が過ごせているのは僕には大切だ。

仕事終わってから渋谷のユーロスペースへ。小路紘史監督『辰巳』を鑑賞。去年の7月にここの建物の地下にある映画部学校で試写を観せてもらっていた。その上の階にあるユーロスペースで公開されているとアンダーグランドからオーバーグランドに上ってきた感じがする。

7月11日
目が覚めるとTシャツは汗だくだった。クーラーを消して、サーキュレーターもタイマーを二時間にして寝たら暑さでかなり汗をかいていた。梅雨明けは聞かないがもう真夏と同じだ。
この7月11日は小説家の古川日出男さんと誕生日であり、古川さんと一緒に「朗読劇『銀河鉄道の夜』」を行っている翻訳家の柴田元幸さんも誕生日だ。Facebookの過去の投稿を見ていたら、この日は映画監督の小路紘史さんとNEWSの加藤シゲアキさんも誕生日だと書いている時があった。セブンイレブンデイすごいメンツだなと思った。そして、ほんとうに偶然たまたまだが、午前中に映画の試写に呼んでもらったのが小路紘史監督の新作映画『辰巳』だったので、おお、タイミング抜群だねって思った。
昨日の作業の続きをちょっとしてから家を出て道玄坂ユーロスペース方面に下って、その建物の地下一階の映画部学校へ。友人でキャスティングをしている杉山さんが作品には関わっていないけど、個人的に小路監督を応援しているということもあって、試写の案内をいただいていた。受付で監督に何年かぶりにお会いしたので少しだけお話をさせてもらった。『水道橋博士のメルマン旬報』で一緒の連載陣だったという繋がりもあって、僕が人のことをどういう言える立場ではないのはわかってはいるけど、この作品も応援できたらいいなと思っていた。

小路監督の前作『ケンとカズ』同様に面構えのいい作品だった。クソみたいな毎日をギリギロのところで生き抜いている奴らの強い眼差しと諦めにも似た毎日とタバコの煙、そして汚れて行く衣服とその手、血まみれの復讐と欲望が交差していく。今作に出ている役者さんたちはこれで注目されて、『ケンとカズ』の主役だったカトウシンスケさんと毎熊克哉さん、今作にも出演していた藤原季節さんみたいにいろんな作品で観るようになるんだろうなと思える人たちばかりだった。もちろん役者さんたちの面構えも最高だったけど、ショットがカッコいいなと思える所がたくさんあったのも印象に残った。最初のシーンである登場人物が殴られて、へたり込んだ状態で殴った相手をちょっと見上げているような構図もいいなと思ったんだけど、そのあともそういうシーンが何度もあって、登場人物たちの顔つきもいいけど、それがさらに引き立つようなショットがたくさんあった。
セリフの多くが普通に話していることよりも怒鳴るというか声がデカく強い言い方になってやりとりするシーンが多いのに、ただのノイズにはならないで登場人物たちのキャラクターがしっかり出ていた。感情がしっかり乗っているということなんだろう。
作中ではたくさん血が流れるが、それも登場人物たちが生きてんだぞ、このヤロー、お前ら舐めんなよ、みたいな感じがあって、ちゃんと痛いのが伝わってくる。あの痛みが観ている側の身体性にも訴えくるから、他人事ではなくなっていくような、知らずと重ねてしまう感じになっていく。

前に観た試写の時よりも映像の色合いや肌触りが整っているように思えた。あの時は冒頭の港の車のシーンとかの映像が荒いというか他の部分と違う感じがしていて、試写終わりに小路監督に伝えたら修正する予定ですと話していたけど、おそらくそれも含めてしっかり映像のバランスを整えたのだと思う。
やはり役者陣の面構えが最高にいい。主要登場人物を演じた役者さんたちはこの作品をきっかけにどんどんいろんな作品に呼ばれて見かけるようになっていくことは間違いがないだろう。魅力的だし、インパクトが強いのは本当にすごい。なかなかそういう作品はないし、役者をやっていても出会えないタイプのものなんじゃないだろうか。
もちろん、役者陣の存在感がこの映画の魅力であるのは間違いない。同時に彼らがちゃんと怖くて怖いけど見てしまう、惹きつけられてしまうのは小路監督の演出とカメラマンと作り上げた画の構図が素晴らしいからだ。ちゃんと映像としてカッコいい。そのことがより役者たちを輝かせるし、物語にある暴力や血や復讐に強く輪郭を与えている。
葵(森田想)が辰巳(遠藤雄弥)に姉の京子とその彼氏との事をあっけらかんに語るシーンがあるが、死に対する生(性)の象徴のようであり、彼女が他の登場人物とは違う生き様であることを示していたように思えた。ここは前回に観た試写ではあんまり感じなかった部分だった。

 

4月23日
お昼から予定が入っていたので8時過ぎに起きてから、radikoで『フワちゃんのオールナイトニッポン0』を聴きながら散歩へ。アメリカに行って日本に帰ってきたフワちゃんが語学留学していた話などをしていたが、自分でやりたいことをどんどん楽しんでやっているアクティブさは本当にすごいし、よりトークのネタも増えているからラジオも今年よりワールドワイドに広がっていきそう。
他にこういうパーソナリティーはいないし、フワちゃんが海外に興味や意識を持っていることは芸能とかだけではなく、様々なジャンルの人たちにもプラスの影響を与えるだろう。

ゼロ年代の内篭りと言われた時代からの反転というだけでなく、アベノミクスの失敗だけでなく政権与党のやってきたことのツケがどんどん経済的にもマイナスで出てきてる。その中でもわかりやすい円安なんかは海外からの旅行者からすれば日本は天国だろうけど、輸出するにも輸入するにもよりコストがかかっている。
でも、賃金は上がらない、より貧しくなっていき、その皺寄せは一番貧しい人や保護されるべき人たちに向かう。それをなんとかするのが政治だし、国のやるべきことだけどそうならない。
公助ではなく自助という人たちはなんら責任を取ることもなく、自分たちがそもそも悪いとも思っていない。そして、政権交代でもなんでもいいけど、唯一変えられる機会の選挙ですら国民の投票率は落ちている。そうなれば裏金であろうが何やろうが、彼らの思う壺だけど、次の選挙でどうなっていくのか。とっくにある一定の部分は越えてしまったと思うけど、なんとかまともな世界や現実を求める人が動いてほしい。次の選挙で投票に行けるのに行かない(期日前だってある)人は、税金が高いだとか福祉がどうこうとか保険がという権利はない。最悪の状況になっているのは肌身に感じているのに、自分の権利を行使しないで文句を言うのはただのバカだ。救いようのないバカは死んでも直らないかもしれないが、ちゃんと文句を言うためには動いてほしい。


代官山蔦屋書店で少し前から気になっていたハン・ガン著/斎藤真理子訳『別れを告げない』が平台に置かれていたので購入。

家に帰ってちょっとだけ作業をしてから12時に近所のご夫婦が引っ越しをするので簡単なお手伝いに。前に住んでいたマンションが取り壊しになるので、思いがけず引っ越しすることになったのだけど、住んでいた場所とほとんど変わらない場所(うちにより近くなった)に空いているいい物件があってそこに越すことになった。
僕は段ボール開けたり、そこそこの量の本を本棚に並べたりした。それだけでも段ボールの箱が何箱か空くし、二人はガス栓開けてもらったり、他のことをしたりしていたので多少は役に立ったみたい。
夜は土曜日に演劇を観た後に友達と行ったばかりの居酒屋さんで二人と待ち合わせをして、引っ越し祝いも兼ねて食べて飲んだ。こんなに時間を置かないでこのお店に行くとは思わなかったので、ちょっと恥ずかしかった。この前頼んでいなかったたけのこを肉で巻いてトンカツみたいに揚げたものがすごく美味しかった。

 

4月24日
二日酔いにもならず、朝目が覚めた。仕事を始める前に目覚ましがてら湯船に浸かる。個人的には寝る前に湯船に浸かるのが一番リラックスできるけど、髪を洗わずに寝たりすると母ゆずりでちょっと脂っぽくなりやすいので、二日ぐらい髪を洗えていなかったりすると、とりあえず髪を洗ってスッキリしたくなる。
前日に飲んだりすると朝風呂に浸かって髪の毛を洗うのが一番目覚めがいいし、気持ちが落ち着く。今日は昼過ぎから雨が降るみたいだったので洗濯はできなかった。

水曜日は深夜に放送したラジオをタイムフリーで聴きながらリモートワークをするので、作業BGMには困らない。『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』をradikoで、Spotifyでは『あのと粗品の電電電話』『ランジャタイの〇〇[オールナイトニッポンポッドキャスト]』もあった。

ランジャタイのポッドキャストは今回で四回目でまだはじまったばかり。国崎がいつも荒唐無稽で不意打ちみたいな体を張るボケ(急に髪の毛切ったりとか)や鋭すぎて他の芸人が苦笑いしかできないボケ(『THE SECOND』の時に松本人志についてひたすらイジるというかネタにして話をするとか)をするくせに、トーク力自体は非常に高い。伊藤はサブカル関連の知識も豊富で下世話な話も好きらしいのに自分からはほぼ話さないで国崎の話を聞いて相槌を打っている。あと二人とも謎にズラを被っている。この番組も国崎がひたすらボケ続けるので聴いていて不意に笑ってしまう攻撃力特化型でいい。

トーク】ダウ90000蓮見 嫉妬した芸人&クリエイターベスト10!同世代の漫画家や作家から絶対的な憧れの人まで、蓮見の腹の内をみせた本気ランキング! 


ダウ90000の蓮見さんが佐久間さんだから腹を見せているランキング。ここでVandyがあるところで出てくるんだけど、その流れも面白く。そして、日芸三谷幸喜宮藤官九郎爆笑問題、蓮見、Vandyを輩出していると聞くと、『爆笑問題カーボーイ』でVandyのライブを観に行った田中さんが発したことによってコーナーができているので、後輩としてVandy呼べるんじゃない?と思った。
あと蓮見さんはラーメンズ小林賢太郎さんに影響を受けていたのか。塾の先生に「いいな、これからラーメンズを知れるなんて」と教えてもらってハマったという。こういう大人がいるだけで人生は変わる。教えてもらってもDVD見たり興味を持たない人の方が多いし、影響を受けてちゃんと世に出る人の方が少ないとしても、たったちょっとのことが人生を変えるきっかけになる。

【10/4 日本公開決定!】2週連続全米1位『CIVIL WAR』(原題)US版90秒予告


アレックス・ガーランド監督『Civil War』が何とか日本でも年内に公開決定したみたい、日本公開の時期がアメリカ大統領選前になるのもデカいかも。
去年末に配信されたネトフリの『終わらない週末』でも描かれていたようにこの近年のアメリカの中に漂う不穏な空気をこの作品も共有しているように見える。
南北戦争以降は戦場にはならなかったアメリカ国内で起きるかもしれない内戦。アメリカは他国の領地において戦争をすることで国内の暴力や軍力を使役してきた。それが内側に向かうことがあれば...という想像力を近年持っている人は増えていたのかもしれない、それを映像化しているのであればどんな風に描くのか観てみたいし、もちろんそれは日本と関係ないことではないから。
A24作品の日本公開はハピネットファントム・スタジオが配給するようになったので本国から半年以上は遅れる感じになっている。アメリカである程度ヒットしたものや反響があったもの、結果が出ているものを公開する感じにも見えて、ちょっとそれはどうかなとは思う。
もちろん、日本の劇場ですでに海外作品は一部の人(年齢層が上)しか観ていないし、海外の作品を観る土壌を育ててこなかったことも影響しているだろうから、公開してくれるだけまだマシかという状況だよなとも思う。

リモートが終わってからライティング作業を進める。5月の頭から毎週区切った箇所を提出することになっているのでできるだけど、余裕を持って進めていきたいからこのペースで行けば良さげ。

 

4月25日
夢を見た。亡くなった友達と何かを話していたけど、僕の意識は浮かんでるというか、体よりもずっと上方にあった。光景を斜め上から見ているような感じだったからどんなことを話していたのか、内容はわからなかった。二人とも普通に話をしていたと思う。激しく笑ったり怒ったりと感情が出ているような感じではなかった。なんというかいつも通り飲んでる時みたいな雰囲気。そのいつも通りがもはや失われたと書きながら気づいて、手が止まる。夢の中では意識になっていた僕はそれを見ながら、「死んでなかったんだ。よかった」と思ったけど、そうすると何か混乱してきて、でも彼女の喉仏の骨を見たし触ったし、「亡くなったはずなのに」「ああ、これって夢なんだ」とわかったら夢から覚めてしまった。彼女が亡くなってから一度も夢で見ることはなかったから、何か不思議な目覚めだった。

寝転んだままradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴いた。うつ病で活動するのが難しくなっていた山口一郎の復活したライブに行った佐久間さん。少しその話をした。番組内で自分が選んでかける曲を『ルーキー』『シャンディガフ』と二曲をサカナクションにしていた。

「病気を公開しながら、音楽を作っていく」――サカナクション・山口一郎、うつ病との闘い

極楽とんぼの加藤さんと山口さんのラジオ『加藤浩次と山口一郎のとんぼとサカナ プロデュース by 佐久間宣行』をやっている時が闘病中だったと話をしていた。
極楽とんぼとの番組を佐久間さんがやり始めてすぐに山本さんの事件が起きた。加藤さんは一人になってやがて朝番組の顔になって、そこに佐久間さんを呼ぶようになった。その加藤さんが同じ北海道出身でずっと飲んだりして仲のいい山口さんをフォローしてきた。そういう色んな関係性や信頼があったことも二人が前にゲストできた時のトークでよくわかるものだった。

先週、壊れていた外付けHDからiTunesのデータを新しいMacBook Airに移行した。サカナクションの楽曲もたいてい揃っている。僕はある時期から『years』が大好きになってしまった。
アルバム『834.194』をCDで買った時についていたダウンロードコードでダウンロードした『years Setsuya Kurotaki "NF remix"』というのがすごくよかった。だけど、この曲もだしCDの特典としてダウンロードする曲ってわりとSpotifyとかストリーミングには配信されていない。
あったのにない。再生する場所によって存在していないことになっている。だけど、データとして自分が持っておけばずっと存在はする、ただ流通や配信では見つけられない。

サカナクション / years -Music Video- 




12時半から映画美学校で試写があったので昼前に家を出る。早く着いたので周辺をうろうろ。東急百貨店渋谷本店はまだ解体中で、Bunkamuraだけが残っている状態。
シアターコクーンではいろんな舞台を観た。亡くなった友達とも松尾スズキ演出のCOCOON PRODUCTION 2021+大人計画『パ・ラパパンパン」やコクーン歌舞伎を観た。他にも観たものがあったなと思ってブログで調べてみたら違った。記憶って曖昧だ。でも、ここももうすぐ取り壊されるだろうから、もっとわからなくなる。
こんな風に何かに書いておかないといつか記憶にあったことを遡れなくなる。記憶は簡単に書き換えてしまうし、忘れてしまうから。


ヤマシタトモコさんの漫画『違国日記』を瀬田なつき監督&‘新垣結衣主演で映像化した映画の試写へ。映画化が発表されてからコミックス全巻買って読んでいた。元々漫画の評判は同世代の女性からも評判がいいんだなって感じていたけど、それがわかるものだった。
映画の方は物語の序盤で終わっているような、良くもなく悪くもない、連続ドラマの初回二時間スペシャルという感じがした。
両親を交通事故で亡くした中学三年生の田汲朝は叔母で小説家である高代槙生に引き取られて、一緒に暮らすことになる。槙生は姉であり、朝の母だった実里と確執があった。正反対に見える二人の共同生活は親でも他人でもない関係性の中でゆっくりと出来上がっていく。
朝が両親を亡くすところから始まるのだけど、その際に真っ黒の背景に彼女がいるシーンなど心象風景的なものを使ったりしていた。それがあるきっかけでなくなるとかではなく、ただ冒頭にあったり、亡くなったはずの母の姿を何度か街中で見かけるのだけど、それに関してもある一件で感情を爆発させるから見なくなるとも理解はできるけど、要らなかったんじゃないかなって、ちょっと映像的なことを入れた部分は蛇足に感じてしまった。
槙生と朝の関係性、槙生と友人の奈々や元彼の笠町との関係性、朝と友人のえみりや秀才の森本や軽音楽部の人たちが描かれていく。コミックスであった設定をいくつか改変はしてあるが、それはさほど気にならなかった。槙生と奈々は学生時代からの友人だが、漫画では奈々を含めた友人が他に二人いるので四人組だったので、奈々に集約させている。こういうことは二時間半近くにまとめるためには必要なことだと思った。
朝を演じた早瀬憩さんも魅力的だし、彼女の高校生活をもっと見せてほしいし、その対比として槙生の小説家として大人としての苦悩も描いてほしいから連ドラがよかった気はする。


気温が25度とか超えていたので汗だくになって渋谷から帰ってきた。ニコラによって今年初のアイスコーヒーを飲んだ。このまま暑くなるとしばらくはアイスコーヒーばっかり飲むことになりそう。


夜の予定まで二時間近く空いていたので、Netflixで配信が始まった『シティ・ハンター』を観た。原作漫画通りなおバカなこともやりつつ、しっかりとアクションシーンもあった。冴羽獠を鈴木亮平が演じたこと自体が成功だと思える作品だった。相棒役で安藤政信さんが出ていたが、やっぱり安藤くんが出るとそういう役柄なのか…と思ったところもある。


水道橋博士のメルマ旬報』の編集をやっていた原カントくんさんと定期的に飲みましょうという話を一月にしていたのでその二回目。窓ガラスの向こうに映っているのは原さん。で、誰か呼びましょうと声をかけていた二人のうち一人はお家に事情でこれ亡くなってしまった。もう一人は「メルマ旬報」チームでもあった作家の樋口毅宏さん、三人で飲んでたくさん話した。
おじさんの友達問題というのはある。そこでも結婚しているorしていない、子供がいるorいないでもだいぶ共通項がなくなったりするし、無意識に付き合いが変わることもあるのだろうなとこのところ考えることが増えてきた。また、男性同士が連携して少しでも社会や世界がまともなるという可能性はあるのだろうかと自分が中年になってから若者の頃には考えもしなかったことを考えるようになってきた。
例えば、『哀れなるものたち』の主人公のベラに共感すること、『違国日記』における槙生と朝の関係性やある種のシスターフッドがある物語に惹かれることとそれらは関係していると思う。
「有害な男らしさ」や現在の社会を作り上げている家父長制や男性優位社会が軸となっていることで権利や自由や可能性を剥奪されてきた女性や子供たちということをいかに考えていくか、社会をこれから機能させるために必要なことに知らないうちに加担してきたこと、知っていてもそれをどうすればいいのかと考える。
男性自身も「有害な男らしさ」や家父長制や男性優位社会において阻害されたり、そういうことが嫌だと思っている人たちは男性同士の連携(ブラザーフッド)ができると思っていないから、シスターフッド的なものであったり、ベラのようにそういう社会がおかしいと声を上げる女性に自分を重ねることになるのではないか。
「花の24年組」が作り上げた現在のBLに繋がっていった少年同士の愛憎を描いたやおい漫画にあった、作り手だけではなく当時の読者の少女たちが感じていた第二次性徴を迎えて大人の女性の体になっていく中で男性から「消費される性」として見られることへの嫌悪感や拒絶感みたいなものが、反転するかのように、少女ではなく少年として描くことで託したものがあったと思うのだけど、今の僕ら中年男性が男性同士の連携ではなく、シスターフッド的なものに自分に思考を重ねるのは、それももしかしたら近いものがあるのかもしれない。全然違うと言われるかもしれないし、それはもっと考えないといけないものかもしれないけど、そういうことが脳裏に浮かんできた帰り道。

 

4月26日
昨日は日本酒も飲んだけど、二日酔いにならずに6時ごろに目が覚めた。ビンの回収日だったのでそれを出してから7時過ぎまで横になっていた。
そういえば最終金曜日だから、古川日出男さんが朝日新聞でやっている月一回の「文芸時評」が掲載される日だと思い出してコンビニへ。


今回取り上げていた小説で読んでいるものはガルシア=マルケス著『出会いはいつも八月』だけだった。執筆やその準備なども大変だろうけど、一年以上この時評を続けているからかなりの冊数を一ヶ月で読んでいるはずだ。
同時代に発売されている作品を読むことはもちろん大切なことだけど、本当にあたまが下がる。

さて。昨日(2024/04/25)はとうとう『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』の装幀のラフができてきた。ぶっ飛んだ。いや、もう、なんちゅうの、現段階ではそのような表現で印象を伝えるにとどめるけれども、これは〈腰抜かし系〉だね。最高だね。もはや #パンオペ と叫ぶしかないね。

と騒々しい文章を記した後に、そっと記す。私はいま仕事場のデスクに原稿用紙を置いている。そしてペンと、インクを置いている。そこには平らな世界がひろがっていて、それは新世界の〈窓〉である。5月1日から私は、いっきに、俗世を棄てる。ここからは手書きで1冊、本を用意するのだ。

古川日出男の現在地』2024年4月26日「定点から逃げない」

夕方にアップされていた「現在地」を読むと『平家物語』の現代語訳をされていた時期のように手書きで新しい小説を起筆されるみたい。なんかスタートとなる5月1日から僕も書き始めたいなと思ったので、スケジュールをちょっと変更した。

前日深夜に放送された『四千頭身都築拓紀 サクラバシ919』『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』を作業BGMがてら流しながらリモートワークを。「ナイナイANN」だけは冒頭から岡村さんと矢部さんがサッカーのU23か何かのW杯予選のことについて話していた。リアルタイムでやっている試合があるみたいだったけど、その話題には一ミクロンも興味がわかないので久しぶりに最初の5分ぐらいで再生をやめた。

仕事が終わった頃にメールが届いた。『ふくすけ2024-歌舞伎町黙示録-』のチケットが第三希望の日付で取れていた。あぶねえ、ギリギリだった。この前青年団を観に行ったTと取れたら行きますかと話していたので、先行抽選を申し込んでいた。
2021年11月にCOCOON PRODUCTION 2021+大人計画「パ・ラパパンパン」を、2022年6月に日本総合悲劇協会VOL.7「ドライブイン カリフォルニア」と大人計画の本公演ではないが、松尾スズキさんが手がけた舞台は観ていた。この舞台は僕にとっては2年ぶりの松尾スズキさんの舞台になる。

 

4月27日

7時過ぎに起きて家を出る。小雨が降っていた。途中で傘はいらないぐらいになったので、途中ある場所に傘を隠して渋谷に向かった。なんとなく気になっていた『陰陽師0』の朝一の回を鑑賞。流石に8時すぐの上映会だし、前評判とか話題作というわけでもないのでお客さんは少なかった。
陰陽師といえば安倍晴明。その晴明が陰陽道の学生の頃の話という設定になっていたので「0」がつけられている。夢枕獏さんのファンであり、『陰陽師』シリーズを読んできた佐藤嗣麻子監督によって映像化されているらしい。それもあってか冒頭は陰陽道とは何か、当時の平安京のことなどをかなりわかりやすく解説するシーンがあるので、知らない人でも世界観や当時のことが頭に入ってから展開していくのすごく親切な映画だった。しかも二時間を切っていてかなりうまくまとまっていた。

陰陽師』シリーズでも共に怪事件を解決していく安倍晴明源博雅の出会いであり、最初の事件とも言える内容になっており、安倍晴明山崎賢人)&源博雅染谷将太)のバディ感を楽しめたし、それが魅力だと思った。去年大ヒットしてロングランになった『鬼太郎誕生 ゲゲゲの誕生』のゲゲ郎と水木のバディ感に萌えた人が一番いいターゲットになるだろうなと観ながら思っていた。
占いとは統計学であり、事実は一つだが真実は人それぞれ違うみたいなことを晴明がちゃんと言ってるのは好感が持てた。学生だけど安倍晴明がチート過ぎて強すぎるっていうのはあるけど、あと安藤(政信)くんまたそういう役割だった。安藤くんがそうならない映画が観たい。
陰陽師が活躍する作品が増えたのは夢枕獏著「陰陽師」シリーズがあったからだし、今かなり増えている後宮ものは酒見賢一著『後宮小説』があったからだ。そういう先駆者的な役割を果たした作品があったからある種の市場ができているのは本当にすごいなと改めて思った。
安倍晴明陰陽道を使っているシーンはCGも含めてわりとカッコよかったし、画としても見応えがあった。安倍晴明山崎賢人)&源博雅染谷将太)コンビで『陰陽師』シリーズをドラマ化とかしてもいいんじゃないかなって思えるぐらいには良いバディだった。


映画を観た帰りに代官山蔦屋書店に寄る。SFカーニバルのイベントをやっていたが、財布にお金もほとんどなかったし、まだ始まったばかりだったのでどういう人がいるのかだけちょっと見て中へ。浅野忠信さんの画集が発売になってその展示をやっていた。ちょっとだけTシャツが欲しかったけど諦めた。

行き帰りはradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴いていた。先週はゲストもいて賑やかだったけど、二人に戻ってもいつも通りのラジオでおもしろかった。11月の日本武道館のチケットはすでに先行で取っているのでこれからどんなゲストが追加になるのかを楽しみにしながら、毎週聴いていくのはなんというかとても至福な時間だなあ。
きっと『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』のリトルトゥースで東京ドームに行った人たちもこんな感じでレギュラー放送を聴いていたんじゃないかな。

今日からのGW開始としてもスケジュール通りなので三日休みで三日出勤(リモート)して四日休みという非常に疲れしかできないだろという日程。この最初の三日の休みでライティング仕事の5月の第一週に提出するものは終わらしておけば今後の予定がうまく動くはず。とりあえず、作業を夕方過ぎまでした。

トーク野田クリスタル 嫉妬した芸人ベスト10!ずっと追いつけない同い年コンビ・新世代マッチョ・かっけーと憧れるぶれない芸風・1位は一生変わらないと豪語するあの芸人!


野田クリスタルの人間味が溢れまくっていてとてもいい企画。
二位と三位は今明らかに他の芸人よりもキレまくっていて、出ている番組を見るとほとんど笑ってしまう。この二組もそうだし、他の芸人たち、いわゆる「地下芸人」と呼ばれて今活躍している人たちが地上へ出てきたのも実はマヂカルラブリー上沼恵美子とのあの出来事があり、そしてリベンジの優勝があってこじ開けたものだったんだなって思う。
同世代や同学年の芸人への嫉妬もちゃんと言っているし、言語化能力が高いのがよくわかる。

夜は読みかけだった恩田陸著『spring』の続きを。四章時仕立てで各章の主人公は天才振付師の萬春と関係のあった人物たちで、その人物から見た春のこと、彼のエピソードが語られるものになっている。天才を描くならやはり天才を主人公にして物語を進めるよりも周りの人物たちから語られた方がよりその天才の魅力や色彩が増していく。
恩田さんの小説はあまり読んでいないけど、『蜂蜜と遠雷』同様に読んでいくとどんどんその世界観と登場人物たちに魅せられていく。やっぱりすごい作家なんだなあ。
と読んでいき、最後の章になると天才振付師である萬春の目線、彼が主体になって進んでいった。最後まで第三者が彼を語る方がいいんじゃないかなって少しは思ったのだけど、最後まで読んでいくとやっぱり春の視線で描かないと見れないものが、何をしたかったのかがわからなかったのだろう。その前の三章の語り部たちももちろん出てくるし、彼との関係性がよりわかるものになっていた。第二章の語り部である叔父なども彼自身が思っている以上に春に影響を与えていたことがわかったりするのもよかった。

 

4月28日
起きてからスケジュールを確認する。ライティング作業を予定に入れていたけど、ぐうたらしたいGW。午前中はすみませんという気持ちでのんびりした。

『日本怪奇ルポルタージュ』「ルポ散歩 -夜羽エマ-《スペシャル映像》」

『日本怪奇ルポルタージュ』という番組わりと好きで初回から見ているのだけど、テレ東深夜枠でもSM嬢ってダメだったから配信オリジナル版なのか、配信の方が回りやすいネタだからこっちなのか。
「おっぱいをあげるように聖水をあげていた」とか下ネタ系のパワーワードが多いから配信向きなのかな。四人のトークの中でリーダーに向いてるのはMって話をしていたけど、確かにそうだと思う。
今までの中では二回目のZAZYの父親からの教育虐待の回がすごかった。ZAZYが親父を殺さないでお笑いに行けたのは救いだったけど、このパターンは最悪な展開を迎えることが多いだろうし、実際にそうなっている家庭もたくさんあるだろうな。

『日本怪奇ルポルタージュ』を見てからApple TVで配信している『シュガー』四話と五話を観る。ハリウッドで起きたハーヴェイ・ワインスタインの性暴力が暴かれたことがきっかけで#Me Too運動が起きたが、それを匂わすような展開も出てきた。いなくなった女性を探していたはずなのに、どうも彼女と関係はなさそうで繋がっている別の大きな事件を匂わすことも出てきてよりおもしろくなってきた。

18時前に渋谷へ歩いて向かう。radikoで『ヤーレンズオールナイトニッポン0』を聴きながら歩いていたが、渋谷は人手が多すぎる。スクランブル交差点を抜けないと宮益坂方面に出られないけど、人が多いし歩くのが遅いし、何人かで連れ立って歩くから道幅に広がっていて進むのが遅くてちょっとイライラしたけど、仕方ないので諦めてヤーレンズのボケ連発の方に意識を持っていった。


濱口竜介監督『悪は存在しない』を宮益坂下のル・シネマで鑑賞。日曜日の最終回だったので1200円とお得だったのもあるだろうし、濱口作品の期待度の高さもあってか満席になっていた。
先月PARCO劇場で観た『GIFT』の原作映画のような立ち位置が『悪は存在しない』というのは宇野維正さんが監督へのインタビューでも書かれている。『GIFT』は映画の流れとはぜんぜん違う編集で映像が作られていたのが今回観てよくわかった。『GITF』はセリフが聞こえない、音楽を作っていた石橋英子さんの演奏に合わせた映像になっているサイレントのものだったので、実際に映画を観てみるとどういうやりとりだったのかわかって印象もかなり変わった。
今作におけるグランピングをやろうとしてる芸能事務所は映画を撮影するという行為にも重なっていく。住人が元々住んでいる場所に部外者がある意味で土足で入り込むことでもある。下手すればそこの価値観や人の流れを変えてしまう可能性もある。というのはわかりやすい見方の一つだけど、濱口さんが海外でも評価されるのは自らのジャンルと自身への批評性があるところだ。しかし、部外者である芸能事務所の高橋が後半から爆笑をかっさらってた。

濱口「本当に、最初はほとんどなにも想定してなかったんですよ。石橋英子さんのライブ・パフォーマンス用の映像を撮るということになって、でも、いわゆる音楽のライブの後ろでよく流れているような抽象的なタイプの映像は、自分としてはまったくどうしたらいいんだかっていう感じで。そこから石橋さんとやり取りをしていって、どうも普段自分が作っている作品の延長でいいというか、そのほうがよいらしいっていうことがわかって。じゃあ、本当に脚本を書いて物語映画を作るという“体(てい)”で始めて、そこで結果的にいろんな素材が出来てくるはずなので、それを使ってライブ・パフォーマンス用の映像を構成しましょうっていう流れの末に完成したのが『GIFT』です。だから、この『悪は存在しない』は“本来は発表されないはずだったその原作映画”みたいな位置づけなんです」

濱口「まず基本的に思うのは、誰かを善だとか悪だとか名指すのは、思考停止の結果だということです。もちろんなにかを善で、なにかを悪としないと、社会の運営が成り立たない時というのはあると思います。でも、少なくともそういうものを誰か個人に対して確定できるはずがないとは、フィクションのつくり手としては思っていますね」

濱口「人間が鑑賞に耐えられる時間っていうのが、一般的に極端に短くなっていったら、いまみたいな映画がより成立しづらくなるかもしれないですけど、そこにも限度や、反動があるだろうな、と。だからそれでも映画は残るし、映画館もおそらく残っていくだろうと。結局のところ、やっぱりスクリーンで上映される2時間の映画というのは、映像や音響を体験する上で、既に出ているベストアンサーみたいなところがあると思うんです。率直に言って、これ以上面白いものってやっぱりそんなにないでしょう、という。だとすると、映画体験そのものがなくなることはないし、その快楽というのは、それなりに次の世代にも受け渡されていくんじゃないだろうかと楽観視しています。」

観客の度肝を抜く濱口竜介監督『悪は存在しない』。映像とせめぎあう言葉の精度と響き、その圧倒的おもしろさ【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】 

オッペンハイマー』とか三時間ぐらいの作品をこのところわりと観ることが多かったので、配信とか増えていく中で三時間の作品が映画館、劇場では増えていくのかもと思っていたけど、やっぱり二時間ぐらいが観ていてちょうどいいなと思う。集中力もそうだしじっとしていられるとか座席に座っていてお尻が痛くなり始めても耐えれる時間とか、そういうものがあって、ここでも話に出ている二時間の映画というのはよくわかる。
ベストアンサーみたいなものという話があるけど、昨日読み終わった『spring』の中にもバレエに関して色んな先人たちが試行錯誤して出来上がった型とか動きというのはベストアンサー的な考え尽くされた結果なのだということが書かれている部分があって、それに近いものだなと思う。

Metronomy x Naima Bock x Joshua Idehen - 'With Balance' (Official Music Video)

 

4月29日

起きてからTVerで昨日放送していた『情熱大陸』の岡部たかしさんの回をみる。

『エルピス』は主人公の浅川恵那がずっと飲み込めないこと、吐くという行為が最初から描かれていたが、もう一人の主人公である岸本拓朗もチーフディレクターの村井によって自分の過去と向き合わされることで吐くという行為、そして覚醒への始まりに至るという展開になっていた。
「勝ち組」という言葉に翻弄されつつもしがみつき、ずっと自分と母親は負け続けているのだという拓朗の告白、白と黒の勝ち負けの二元論では掴めない、その中にあるグラデーション、それぞれに感じるものや立場をいわゆる勝ち組と呼ばれる場所にいるはずの青年が語るシーン。その構図もテレビ局における人間関係や権力や利害関係も重なっていく。
村井役の岡部たかしさんを僕がちゃんと認識したのは小泉今日子さんの会社「明後日」の2018年の公演舞台『またここか』だった。でも、僕の感触では明らかにそれ以降にテレビドラマや映画で岡部さんを見る機会は一気に増えた気がする。映像関係の人が観に来ていてそこからキャスティングされる機会が増えたんじゃないかなと思うのだけど、実際はどうなのだろう。
『エルピス』は内容的に集中して見ないといけないと感じるし、見終わると恵那たちのような吐き気というか胃に重いものがたまるような、すぐに咀嚼できないものが現れたような気になる。それもあって何度もすぐに見返せるタイプのものではない。

小泉今日子さんがやってる会社「明後日」が企画して坂元裕二さんが戯曲を書いた舞台『またここか』を19年ぐらいに観た。「このおっさんすげえ気になるんだけど」とその時に思った中年のおじさん俳優は渡辺あや脚本ドラマ『エルピス』でハラスメント当たり前だが、真実を報道しようとしてバラエティに飛ばされた村井Pとして一気にドラマ好きにも認知度が上がった。そんな岡部たかしさんの演劇ユニットが切実だった。
『朝の人』はタイトルのままで、東中野に住んでいる男性A(岩谷)が佐渡島に来てバス停で次のバスを待っている。そこにやってきた男性B(岡部)は男性Aを毎朝見かけていた。自分と同じ経路で駅に向かって歩いていく、いつも朝見る人だったことから、声をかける。Aはずっとイヤフォンをして音楽を聴いているため、Bに見覚えがないというが、彼から聞かされることは確実に毎朝のルーティンであり、自分が住んでいる東中野でのことだった。
Bにはほぼ同じ地域に住んでいる妹がおり、彼女もAを認識していて、夜9時のサミットでいつも見かけているので「夜の人」(「9時の人」か「サミットの人」かうろ覚え)と心で呼んでいるとBから伝えられる。そして、家族で旅行に来ていたこともあり、Bの妹がやってきて、Aを見かける話をし始めるのだが、Aは兄の時とは違って妹には見覚えがあるようで…という展開だった。
3人とも俳優さんで演技が安定しているからこそ、なにげない動きとかが笑いになっていた。妹とのエピソードからAのほろ苦さが出るというホロリとくる終わり方もすごく見せるものだったし、3本目で締めとしてもしっかりと締まっていた。

上記の過去の日記でも書いているけど、僕が初めて岡部たかしさんを認識したのは2018年に上演した坂元裕二脚本の舞台『またここか』だった。それまで僕はまったく岡部さんのことを知らなかった。彼が出ている舞台とかを後に知ることになっても観たことがなかったり足を運んだことのない劇団の舞台だったりしたのもたぶん影響していた。

情熱大陸』でも最初に触れられているが、多くの人が岡部さんを認識したのはドラマ『エルピス』なのは間違いない。去年の『AREA』での「現在の肖像」で岡部さんが特集されていた記事ではドラマの佐野プロデューサーは出演していた「城山羊の会」の舞台を観て魅了されて村井役をオファーしたと書かれていた。
僕は『またここか』がターニングポイントなのかと思っていたが、その前からやはり舞台で見つかっていて業界内でも注目はされていたようだった。
役者としての実力は多分にあったから、あとは誰かがメジャーな映画やドラマに引っ張り上げて世間に見つかればブレイクという状況だったみたい。時間の問題だとしてもちゃんとそういうフィールドに行くチャンスを掴まなければブレイクはしない。どんなジャンルでも才能があっても途中で止めてしまったり、チャンスを掴み損ねて去っていく人たちはいる。
岡部さんは番組の中で売れることを40歳ぐらいで諦めた。そうするともうおもしろいことをやりたい、役者としておもしろいと思われたいしか残らなかったということを言われていた。そうなってから仕事は増えていき、今に繋がったという。もちろん役者としての演じることをどんどんやっていたことが軸にあるわけだが、その話を聞いていて色々と考えた。
売れるのを諦めるまで続けるのはとても難しいことだ。健康面や経済面で多少損なっていても、動ける持病とか首が回らなくなるほどいかない借金ぐらいならなんとかやっていけるが、それが動けなかったり回らなくなるとレッドゾーンに入ってしまって続けられなくなってしまう。なんかアル中やヤク中になる人はそもそも健康じゃないとなれないという話にちょっと近い気もする。体が弱かったりする人は酒を飲み続けられないし、ドラッグも一発で死ぬ人は死んでしまう。ある程度は元気ではないと中毒にはなれない。
実際に自分が「35歳問題」を越えて普通の中年になってしまうと、どんなジャンルであれ続けている人には敬意を持つし尊敬するようになる。そして、健康が一番であるということが身に沁みてくる。

情熱大陸』でも出てきた演劇ユニット「切実」はダウ90000目当てで行った「テアトロコント vol.64」で偶然観ていた。そう考えると観れたのは運が良かった。
実際観ておもしろかったし、コントと演劇の境界線はあまりないと思うから、演劇というと観に行かない人でもコントライブの中に演劇ユニットがいたりすると興味を持つだろうし、いい組み合わせだなって思えた。

5月の第一週つまり今週末にはライティング作業したものを提出しないといけないのでスケジュールを組んでいたけど、なんかやる気が出ないのでそのまま『三四郎オールナイトニッポン0』の過去のアーカイブを流しながら横になっていたらすぐに寝落ちした。結局、起きる何かする横になる寝落ちするを今日は夕方まで繰り返していた。まだ五月病ではないだろうけど、やる気が起きないのでダラダラした。


夕方過ぎに起きてから、少し前に読んだ木澤佐登志著『闇の精神史』に出てきたウィリアム・ギブソン著『クローム襲撃』に収録されている短編『赤い星、冬の軌道』を読んでみた。
宇宙の話であるけど、ソ連の話にもなっていて時代背景があまりわかっていないのでピンと来なかった。ウィリアム・ギブソンのデビュー作『ニューロマンサー』は今まで一度も読んだことがないし、表題作『クローム襲撃』が原型になっているらしいので、それを読んでいいなと思えたら長編を読むのもいいかもしれない。
『闇の精神史』にはフィリップ・K・ディック著『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』という作品も取り上げられていたので、ディック好きとしては気になったけど、今は早川書房のサイトにも載っていないし、中古もあまり出ていない。だけど、評価はディック作品の中でも高いし、彼の長編小説の中でもナンバーワンというコメントもあったりした。他の代表作とかはいまだに書店にもあるし、早川書房のサイトにもあるのにこれがないというのは翻訳権とかが失効したのか、なんらかの理由があるのか気になる。

ようやく夜になってからライティング作業を開始。思ったよりも作業量がまだあるけど、週末に提出するものを出せばリズムは掴めるだろうし、来月中にはその自分がやる作業はできるだけ終わらせていきたい。
5月以降はたぶん忙しくなるから夏バテしないように体力をつけたいし、仕事をしっかりこなしていきたい。でも、一番大事なことは5月1日からリスタートする自分の作品をしっかりやること、そして最後まで終わらすこと。

 

4月30日
6時過ぎに目が覚めた。寝転んだままで『空気階段の踊り場』をradikoで聞きながらちょっとずつ意識が体に馴染んでいくのを待つ。
いつもの時間からリモートワークを開始。昨日が昭和の日(祝日)だったから本来は休みと仕事が入れ替わった形、これは来週も同じ状況になる。金曜日は憲法記念日なので木曜休みなのも入れ替わる。いつもの仕事と休みのパターンが変わるのでちょっとストレス。『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』『キタニタツヤのオールナイトニッポン0』を仕事をしながら聴いた。

「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2024年5月号が公開されました。5月は『青春18×2 君へと続く道』『湖の女たち』『関心領域』『わたくしどもは。』を取り上げました。


休憩を前倒しにして予約していた皮膚科クリニックへ。いつも予約の時間から20分ぐらいは遅れて診察になる。予約時間ちょうどに行ったが待合室はGWだけどけっこう人がいたので長くかかりそうかなって思ったら10分も経たないうちに呼んでもらった。
ピロリ菌の除菌薬のアレルギーの薬疹、それを抑えるためのステロイドの飲み薬と塗り薬で抑えた後にさらにその副作用なのか、出てきたニキビというか吹き出物の状態を診てもらう。前回は一週間の飲み薬と二週間分の塗り薬をもらっていたが、ちょっと弱まった気はするが胸の辺りの吹き出物はまだ治りきっておらず、塗り薬をもう二週間続けて様子をみることになった。こんなに時間がかかるとは思わなかったけど、まあ、仕方ない。
家に帰る前に銀行に寄ったらここもそこそこ混んでいた。その帰りにTSUTAYA書店に寄ったら、ラーメンズ小林賢太郎さんの文字が目に入った。


小林賢太郎著『表現を仕事にするということ』というエッセイというか、小林さんが表現に対する気持ちや考えを記した一冊だった。

ラーメンズ』というコントブランドを「ネタに特化した職人」というイメージにしようと思い、フリートークをがんばるのをやめました。「やること」「やらないこと」が整頓できていれば「芸人なんだからフリートークができなきゃ」という他人からの押し付けに動じなくて済みます。
 例えば「声優」という職業の人の中には、アニメや洋画に声を吹き込む仕事以外にも、タレントとして活躍する人や、歌手活動をする人もいますよね。
 できることは人によって違うし、できるからと言って、やるかどうかもまた、自分で決めることです。
小林賢太郎著『表現を仕事にするということ』P32-33より

 たまに「30歳までに売れなかったら辞める」というような話を聞くことがあります。僕は「そうなんですね」と相槌くらいはうちますが、実はあまりピンときていません。というのも、僕は「売れる」とか「売れない」という言葉を、ほぼ気にしないまま表現の仕事を続けてきたからです。絶対売れる自信があった、という意味ではありません。売れるか売れないか、ということが、やるかやらないかの条件に入ってなかったんです。ただ「やりたいから」ということだけでやってきました。

 どうあれ、自分で決めなさい。

 自分がどうしたいのかを、自分で考えて、自分が行動する。自分の人生に責任を持つことは、すごく大切なことです。
小林賢太郎著『表現を仕事にするということ』P38-39より

 絶対に完成させる方法。それは、とりあえずいったん“ダメ完成”させちゃう、というものです。
 短くていいから、スカスカでいいから、とにかく、いったん完成させちゃうんです。一応、最初があって、最後がある。これはこれで、ダメダメなりに完成です。
 そして、なぜこれではまだダメダメなのか、どこがスカスカなのかを明らかにして、ひとつひとつ取り組んでいくんです。こうすることで「作品を完成させる」というでっかい一個の課題が、いくつかに分解されます。自分の作品でありながら、課題を客観的に判断できるので、だんぜん取り組みやすくなります。

 未完成品を完成品にするのではなく、ダメな完成品を良い完成品にするんです。これ、楽しいんですよ。
小林賢太郎著『表現を仕事にするということ』P93より

一月に亡くなった友達は出会った2002年の時点でラーメンズバナナマンのファンで単独ライブにも足を運んでいて、ライブのDVDも買うような熱心なファンだった。僕はその頃はまだ松本人志チルドレンというか信者であり、東京のお笑いというものがよくわからなかった。実際、松本さんから次第に離れていくようになるのは彼が鍛え始めた時期でもあるし、映画を作っても失敗していく流れと重なっていたような気がする。
彼女にはわりと早い時期から佐久間さんがやっていた『ゴッドタン』も勧めてもらっていたが何度か見ても僕はハマらなかった。実際ちゃんと見るようになるのは震災以降だった。
気がついたらバナナマンはテレビタレントとしてもお茶の間で受けいられる存在としてブレイクしていき、ラーメンズはテレビなどに出ることはせずにコント芸人たちの憧れの孤高の存在になっていった。
僕と彼女と同じバイト先にいた芸人だったUさんは「キングオブコント」の準決勝に残っていて、決勝進出者を審査するというたくさんの芸人たちの中にいたことがある。彼は最初四人組のコントユニットだったが、解散してからはそのメンバーだった人と二人でコントユニットになった。僕らは彼らの単独ライブも観に行っていたし、新しく組んだコントユニットのお披露目ライブにも行った。
彼らのコンビ名の名付け親は事務所の先輩だった小林賢太郎さんによるものだった。彼女はたしかUさんたちのライブに行った時に小林賢太郎さんとすれ違うか何かしたはずだ。僕はそう覚えている。エレベーターが一緒だったか、なんかそういう近いところで小林さんを見て喜んでいた気がする。
バイト先が一緒だったUさんは僕らにとって、ブレイクして活躍して世に出ていく最初の一人だったし、僕たちは本当に売れてほしいと思っていた。だけど、その新しく組んだユニットでの活動はあまり長続きせずに終わることになった。
赤坂見附でバイトをしていた10年ほど前に偶然、彼女さんの仕事を手伝うと芸人を辞めて地元に戻ったはずのUさんとばったり再会した。彼の大学のサークルの先輩だったジョビジョバの復活ライブが赤坂レッドシアターで開催されていて、それを観に来ていた。その時以来Uさんとは会っていないけど、僕にとって小林賢太郎という人は亡くなった友達とそのUさんのことを思い出させる。
偶然かもしれないけど、彼女と最後に観に行った朗読劇には酒井若菜さんと男性ブランコの浦井のりひろさんが出ていた。『水道橋博士のメルマ旬報』で若菜さんとはご一緒されてもらったし、博士さんがお休みだった時期は編集長代理を勤めてもらったり、忘年会でも何度かお会いしている。若菜さんが長く続けていた一人だけのメルマガの最後の方で小林賢太郎さんのことを書いていた。若菜さんはそのメルマガの中で「小林賢太郎さんという人は私にとって『2度とこない季節』なのだろうと思う」と書かれていた。
男性ブランコは演劇サークルで知り合って結成したコンビだが、二人ともラーメンズファンだったという共通点があり、それでコントを始めるようになったらしい。偶然だけど、そう考えるとラーメンズ好きだった彼女と最後に観た舞台の出演者は二人とも小林賢太郎というキーワードが共通していた。
ダウ90000の蓮見翔さんも「NOBROCK TV」に出た時に影響を受けていて最も嫉妬する存在の一位として小林賢太郎を挙げていた。一緒にダウ観た時にそういう話はでなかったけど、僕よりも彼女の方がその影響みたいなものはわかっていたのかもしれない。
おそらく彼女が亡くなっていなかったから、この本は「新しい本出したんだな」と思うぐらいで手に取っても買わなかったかもしれない。だけど、そういう事柄が僕の中で結びつくというか、呼ばれているような気がした。

今回はこの曲でおわかれです。
Thom Yorke – Knife Edge (Official Video – taken from Confidenza official soundtrack)