Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年4月1日〜2024年4月15日)

3月下旬の日記(2024年3月16日から3月31日分)


4月1日
日付が変わって4月になった。桜はまだ満開ではないのに今年の四分の一が終わった。六時過ぎに起きて可燃ゴミを出しにいく。風は冷えていて気温も低い。まだカラスの鳴き声は聞こえなかった。
とりあえず、6月末までに書き終えるスケジュールにした『鱗粉と忘却』というタイトルの作品について朝少し早く起きた時間にすることにした。もともといろいろと設定とか考えていたもので、キャラクター表は作っていた。
僕は妄想キャスティングという形で登場人物ごとに映像化した場合のイメージの俳優さんの画像をキャラ表に貼っている。改めてそのキャラ表を見ながら、それぞれのエピソードや設定を見ているとなんかもう違うなって気になった。
主人公と数人のキャラに関してはそれまで貼っていた画像を削除して新しい人の画像を貼った。今書くならその人たちをイメージしたほうが合うだろうなと思えた。
大抵の場合はその俳優さんの身長を設定にも書いている。そうすると話している時とか何かしている時の視線の位置みたいなものが決まる。そうすれば見えるものと見えないものが自然と把握できる。作品の核みたいなものがまだ揺らいでいる。身体と記憶について書きたい、それはタイトルに出ている。その鱗粉感がもうちょっとうまく掴めない。

8時半過ぎにコンビニに行こうと部屋を出たら可燃ゴミの集積所の辺りにゴミ袋から飛び出たゴミが飛び散っていた。カラスが鳴いている声もしたし、最近は寒かったから行動をあまりしていなかったけど、春だしカラスの子育ての時期で活動的になるから徐々にゴミ袋を破いて中の生ゴミとかを持っているみたい。
なぜか空いたゴミ袋からは生ラーメンの麺らしきものとマロニーが散乱していた。ゴミの集積車がゴミを持って行っていった後にはわずかにマロニーとかが残っていた。
お昼過ぎに買い物から帰ってきたら大家さん代理のおじちゃんが水を撒いて掃除をしていた。水を含んだマロニーがぷるぷると膨らんでいて、それをなにかあったんですかと言いたげな顔をしているような鳩が食べてキレイにしていた。

radikoで昨日の川島さんのねごとも有吉さんのサンドリは聴いてしまっていたので、『三四郎オールナイトニッポン』ファンクラブ「バチボコプレミアムリスナー」で過去のアーカイブを聴きながらリモートワークをしようと思ったが、いくつかの番組をTVerで流してから、永野さんとアンジャッシュの渡部さんが『チャンスの時間』に出演していたのを知ったのでそれを流しながら作業。


『チャンスの時間』#263:90分拡大SP!永野が渡部に噛み付く!!第4回行列のできるブチギレ相談所

永野さんが渡部さんにどんどん噛みついていき、声を出して笑ってしまう。非常にいい組み合わせなんじゃないかな。おもしろかった。永野さんやっぱり今年もっと売れるし、求められる存在になっていくとより確信した。

昼休みに外に出たら、家の近所で知り合いのHさんとばったり会った。実印をはんこ屋さんに取りにいくというので、そこまで話しながらご一緒させてもらった。
この三ヶ月ぐらいのことを聞いてもらった。話すことで癒えていく、気持ちが安定してくる感じはあって、何人かの人に話して聞いてもらえることで僕はだいぶ助けられている。

19時前にリモート作業は終わったので、散歩がてら池尻大橋駅にあるあおい書店へ。恩田陸著『spring』と安倍公房著『題未定』を買った。
4月になったし新しい小説を買いたかったし、『鱗粉と忘却』は「日本ファンタジーノベル大賞2025」に応募するつもりなので、選考委員である恩田さんの新刊というのもあるし、春に「spring」というタイトルの本はいいなって。
安倍公房作品はたくさん読んでいないけど、短編集ぽいのと満州にいた時期のことが書かれているみたいなので気になった。

【MV】Creepy Nuts - 二度寝(Nidone) 


朝も雨が少し降っていたが、お昼過ぎにも降っていてあおい書店へ行く時に外は肌寒かった。雨のせいなのか、昼過ぎにすごく眠かった。気圧の変動かなにかだったのだろうか、「春眠暁を覚えず」はこの場合では意味は違うけど、春はやっぱり眠い。

 

4月2日
一度起きて、radikoで『空気階段の踊り場』を聴きながら二度寝して、起きて途中から聴き直してから洗濯とか掃除をしながら『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』を聴いた。

ガブリエル・ガルシア=マルケスの歴史的傑作『百年の孤独』文庫版を2024年6月26日に発売決定! 今年の「新潮文庫の100冊」の目玉新刊として刊行いたします。 

昨日出ていたニュース。単行本も買って持っているけど、文庫版も買う。だからお願いだからまともでカッコいい装幀デザインにしてほしい。

老舗文芸誌「新潮」を21年率いた純文学界のカリスマ編集長の矢野優氏が退任…「作家は星、文芸誌は星座」

矢野さんがいない『新潮』が始まる。僕が読み出したのは2008年とかなんで矢野さん編集長の時しか知らない。
古川日出男さんのトーク&サイン会の時に少しお話しさせてもらって、古川さんの15周年イベントの時にDJをされていたのを見たぐらい。あと水道橋博士さんの中学の後輩だって話は博士さんがされていた。
今は新潮文庫になっているチャールズ・ブコウスキー著『町でいちばんの美女』『ありきたりの狂気の物語』も単行本の時から矢野さんが担当編集だったはず。その時点で信用できる。何はともあれおつかれさまでした。

家を出るまでは作業をやっていたが、なんせ眠い。でも、とりあえず資料読んだりキーボードを打ったりしつつ、『キタニタツヤのオールナイトニッポンX』『山田裕貴オールナイトニッポン』『フワちゃんのオールナイトニッポン0』とオールナイトブランドを流していた。
フワちゃん以外は新番組で、キタニタツヤさんはレギュラーになって初、山田裕貴さんは一部昇格&結婚後初というタイミング。
タニタツヤさんは声が低いし落ち着いているので聴きやすい。山田さんはテンションが高いのでやっぱり苦手だ。でも、この枠を引き継いでちゃんとやっていくという意思は感じられた。
二週間後のスペシャルウイークのゲストが前々々パーソナリティーだった菅田将暉と発表。僕のようにコロナパンデミックで巣ごもり的にリモートなんかがきっかけでラジオを聴くようになった人は多いと思う。その時にパーソナリティーだった人たちへの思い入れなんかはあるだろうから、後任の人たちはきびしいところはあるかもしれない。その意味で菅田将暉ゲスト回が今後の分水嶺になるのかもしれない。


満開ではないけど緑道の桜がやっと咲き始めた。


二日前にポイントが貯まったので鑑賞チケットと引き換えていたマヒトゥ・ザ・ピーポー監督『i ai』をホワイトシネクイントで鑑賞。17時からの回だったが若い人たちがほとんどで十数名は観客がいた。
最後に主人公が観客に語りかけてくるところがあって、「第四の壁」を超えてくるような話というかメッセージがあった。それがやりたかったことなんだろうな。異物な部分があったと思うし、でもこれを作りたいという熱意みたいなものが過剰に溢れてもいた。森山未來が演じたヒー兄はマヒトゥ・ザ・ピーポーというよりも躍ってばかりの国の下津っぽかった。

【FUJI&SUN】ライブ映像(2022年):踊ってばかりの国ニーチェ」【WOWOW】 



終わってからスマホを取り出したら前に仕事をしたことがある人から連絡が入っていた。折り返して電話をしながら家に向かって歩きながら話をした。
新しい仕事になるかもしれないし、こういうご縁やタイミングを大事にしたいけど、諸々と確認することもあるのでどうなるのかはまだわからないけど、声をかけてもらってありがたい。

“かっこいい”はぜんぶ、やりすぎなひとから教わった。芸人 永野の道を照らす、前向きな「過剰さ」。

『ラヴィット!』は「令和の笑っていいとも!」と呼ばれるようになったけど、永野さんが「令和のタモリさん」的な存在になっていくと個人的には思う。

 

4月3日
6時前に目が覚めて、ペットボトル回収の日なので集積所に持っていく。かなり肌寒い、あの暖かさはなんだったんだ。今日はずっと雨と天気予報に出ていたけど桜も咲き始めたばかりなのに、これだと週末に満開になる前に散ったりしそう。
週一のMTGは今週リスケになったので、そのままリモートワークを。台湾のほうで大きな地震があったというニュース。住んでいる知り合いはいないが、知り合いのパートナーが出身だったり、今年台湾に行こうとしている人もいたりするので、そういう人の顔がよぎる。
知り合いが増えていくということはその人と関わり土地が他人事ではなくなっていく。

作業中はいつも通りradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を流した。
星野さんは先週休養で休みだったが復帰。声がまだ本調子ではなかった。
あのちゃんは番組スタッフをチームメンヘラという名前で呼びつつ、メンヘラ感を出しつつトーク、その辺りはすごくうまいし、ひとりでどんどん展開させていけるのはやっぱりすごい。演技ともいえるけど、メンヘラが言いそうな言葉や語彙や声の大きさみたいなものが異常にリアル、でも、言いながらすぐにフッと抜けてそのキャラとは距離を取るトークをやれる人ってそうそういないんじゃないかな。
あとスペシャルウイークのゲストが銀杏BOYZの峯田さんだった。すごいいい組み合わせだから、おもしろいトークになってほしいし期待したい。

親の描いた道とは真逆の人生を送ることを決めた三四郎小宮の人生とは?【鬼越トマホーク】 


ラジオを聴き終わってからはYouTubeTVerで気になるものを流していたが、前回の相田さんに引き続き、小宮さん登場してがっつり話をしていた。ありがとう鬼越トマホーク!

昼休憩の時には傘を差して外へ。ずっと家にいるのは嫌だから、駅前のスーパーやツタヤへ。『東京オルタナティヴ転-チェルノブイリ編-』が出ていた。
大塚英志原作/西川聖蘭漫画『東京オルタナティヴ』 「起-東京原爆編-」「承-天安門編-」「転-チェルノブイリ編-」「結」は今年後半連載再開ということなので楽しみに待つことにする。


仕事が終わってからニコラに行って、ほたるいかと菜の花のリングイネロゼワインをいただく。
昨日皮膚科に行って症状を診てもらった際に、ステロイドの薬はもう飲まなくてよくなったので、個人的にはいつも通りにお酒も解禁したし、食べたかったけどワインと一緒に注文したかったので食べていなかったこのリングイネを。
やっぱり美味しい。毎年春の時期にはこの料理をいただいている。季節のものを食べるのは本当に大事だなってニコラで食事をするようになって感じるようになった。
ラナンキュラスの花がお店には置かれていて、わからなかったので名前を聞いたけど、僕はピンとこなかった。この時期のお花みたいでGoogleでその場で検索したら花言葉が出てきて「とても魅力的」「晴れやかな魅力」「光輝」という明るくて前向きなものだった。

帰りに寄ったお店でバッグから長ネギが出ている人を見かけた。
そういえば、亡くなった友達と最後に会った時に朗読劇を観たシアターマーキュリー新宿が入っている新宿マルイ本館を待ち時間にブラブラしている時に、ガチャガチャのエリアがあった。その中に長ネギを入れる専用の袋のガチャがあって、彼女はそれを一回ガチャしたら一発で欲しいネギ入れ袋をGETしていた。あの袋って何回か使えたのだろうかと不意に思った。

 

4月4日
木曜日は基本的には休みにしている。でも、6時前に目が覚めたので可燃ゴミを出してからまた寝転んだ。
TVerで昨日放送した『あちこちオードリー』を流しながら寝る。一度見ているけど、事務所繋がりのゲストたちの中でも永野さん無双というか、永野さんにスポットが当たっている感じの内容だった。


スケジュールには予定を入れていたので8時前には家を出て246沿いを歩いていく。赤坂御所横の豊川稲荷赤坂別院を通ったのでお参りをして、花まつりというのをやっていて置かれていた甘茶というのをいただいた。熱くてほんのりと甘かった。ここまで一時間半以上は歩いていたので疲れに効いている気がした。


東京国立現代美術館で開催中の「中平卓馬|火―氾濫」を観ようと思って、散歩がてら歩いてきた。ちょうど開館する10時少し前に着いたので数分待って中へ。こういう場合はウェブでチケットを取っておくと本当に楽ちん。
中平さんに関して名前はさすがに知っているが、展示などは観たことがなくて、会期が日曜日までだったので平日に来ようと思っていた。多くはないが平日の午前中にしては海外からの人も含めてそれなりに観にきていた。

 「なぜ植物図鑑か」には次のような一節があります。「都市は氾濫する。事物は氾濫し、叛乱を開始する。大切なことは絶望的にそれを認めることなのだ。それが出発である。」
 世界と対峙することとは、世界の側からの視線が私に向かって投げ返されることであり、「私の視線と事物の視線とが織りなす磁気を帯びた場、それが世界なのだ」と中平は記しています。《氾濫》は、あるがままの世界に向き合うことの困難さを再確認する試みだったのかもしれません。

唯一読んでいる『なぜ植物図鑑か』に関するエリアの紹介文のところにこの文章があった。プリントしたものだけではなく、写真が掲載されていた雑誌もかなり多く展示されていた。
小説家・中上健次と一緒に行っていた連載が掲載されている雑誌もあったりして、何十年と月日を経たものだから展示物にもなるんだなって思った。これってウェブでの連載とかだとどうなるんだろう、たぶん展示しても味もでない(色も褪せない)し、無駄にディスプレイがいるだけだもんな。
プリントはモノクロのものがかなりインパクトがあって、強いなって感じる陰影にどこか時代的なものなのか暗さみたいなものを感じた。こういう写真が使われた書籍とか今あるほうが目立つしカッコいい。

九段下駅まで歩いてから半蔵門線一本で家に帰って昼ごはんを食べて、読みかけだった本の続きを進めたり、うとうとしながらまた夕方になって家を出て渋谷へ。朝同様に宮益坂の下まで歩いてル・シネマへ。

氷室冴子原作/中村香脚本/望月智充監督『海がきこえる』をル・シネマで鑑賞。
友達から話には聞いていたがお客がかなり入っていたし、七割ぐらいは大学生ぐらい、二十代前半という感じで若いお客さんばっかりだなという印象。作品の主要人物の子供世代に届いてるといったところか。
スタジオジブリ作品だが劇場公開ではなくテレビアニメとして放映されたものらしく、1993年の作品なので約30年前のアニメ作品である。
そういう時代を飛び越えて、今の若い世代に届いているのはシティポップの世界的なリバイバルヒットと無縁ではないだろうし、それによるネオシティポップというジャンルが流行っているのもあるだろうし、平成レトロ消費という側面もあるのかもしれない。実際に観てみると確かに古くて新しい、ジブリの可能性の一つだったんだなあ、と思った。
大学一年生時に高校の同窓会で当たり前に酒を飲んでタバコを吸っているシーンがあるので、今だと地上波(日テレ)で放送は難しいだろう。
僕らが高校時代でさえ、90年代末期は文化祭の打ち上げで酒を飲んだり、タバコを吸う奴は隠れて吸っていたぐらいで、自販機酒もタバコも普通に買おうと思えば買えた。今の二十代が生まれ育った環境ではそれらは無くなっていった時代でもあるので、新鮮かもしれないし、昔ってこんなにゆるかったのと思ったりもしているのかもしれない。

僕がスタッフをしている「monokaki」は小説投稿サイト「エブリスタ」のオウンドメディア。「エブリスタ」ではいろんなコンテストをやっていて、その中のひとつが『海がきこえる』の原作者である氷室冴子さんの名を冠した「氷室冴子青春文学賞」だったりする。
メフィスト賞」「R−18文学賞」とある種新人賞がレーベルのようになり、多種多様で才能豊かな小説家を世に出してきたが、それに続くのは「氷室冴子青春文学賞」になるだろうなと思っている。
海がきこえる』が大学生ぐらいに届いているとなるとこれはマジでさらに新しい才能が出てくる呼び水になるんじゃないか、と妄想してる。たぶん、これ当たる。当たってほしい。

【ネオシティポップとか】Neo City Pop etc. Mix + Video 

 

4月5日
曇り空の金曜日、雨が降りそうで降っていない。肌寒くて春という感じがまたしなくなった。リモートワーク開始までにライティング関係のオンラインでミーティングをする。もうしばらく僕がやる作業はなさそうだなという感じなので、しばらく待つしかしない。
リモートワーク開始してからはいつもの深夜ラジオをradikoで流して作業。昨日寝る前には23時から25時の『四千頭身 都築拓紀 サクラバシ919』を聴いていたので、朝から『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』を。

新年度ということもあって、それぞれのラジオでは新しく聞き始めるリスナーがいるので番組のことやパーソナリティーの話をしていた。
なんだか微笑ましい感じもあり、卒業入学、就職等で聴いていたリスナーも同じような環境や時間帯で聴けなくなっていく人もいるし、新規というか新たに聴き始める人もいて入れ替わっていく。「マヂラブANN0」でも四年目で他の番組はもっと長いので、そのことをわかっているんだなって感じた。
僕はコロナパンデミックになってからリモートワークで自宅で仕事をするようになってから、基本的な生活のリズムはパンデミックが終わったように見える現在も変わらない。だから、同じようにタイムフリーで深夜の番組を仕事をしながら聴いている。こういう日常やルーティンというのはあまり変えられない。だけど、こういうものは突如終わったり、変わらざるを得ない状況になることもあるというのは頭のどこかではわかっている。


休憩がてら外に出たら四月の頭にしてはやっぱり寒くてフーディの上にもう一枚着ないといけないぐらいの気温だった。
千葉雅也著『センスの哲学』という書籍が出ているのを新TwitterことXで見ていたので購入。まあ、『センスの哲学』という本を買う時点でセンスがないと思われる気もするのだけど、千葉さんの本だから気になるということが勝った。

岩井俊二作品を彷彿? 号泣必至の恋愛映画『パスト ライブス/再会』を解説【宇野維正のMOVIE DRIVER】 


アカデミー賞授賞式の前日に先行上映で観ていた『パスト ライブス/再会』についての宇野さんの動画。確かに岩井俊二監督ぽさもあるし、動画の中で触れているけど、『花束みたいな恋をした』の二人と今作の二人は重なる部分はあるなと話を聞いていて改めて感じた。やっぱりもう一回観に行こうかなと思った。

仕事が終わってからはライティング作業の仕事で送られてきた修正原稿を読んだ。一回この後に改めて打ち合わせをしてこういうラインみたいなものを確認して、方向性が決まる形なのかなって思う。
個人的にはもっとライトでもいい気はしているけど、それは僕の決めることではないので、著者や編集者がどうしたいのかに任せればいいし、決まったことの方向に僕は構成原稿を寄せていくしかない。僕の本ではないので仕事としてはそうするべきだし、求められていることができるようにはなりたい。

 

4月6日
6時前に目が覚めたけど、すぐに布団から出たくなくて寝転んだままMacBook Airを開いて新TwitterことXを開いたら『三四郎オールナイトニッポン』のイベントが武道館で行われるということを知った。バチボコプレミアムというファンクラブに入っているので、すぐにファンクラブ先行を申し込んだ。一人一枚だったが、一番最初の先行でゲットできるならしたいという気持ちが強かった。
そのままradikoを立ち上げて、『バナマンのバナナムーンGOLD』を流して聴いていた。気がついたら二度寝していた。再び目が覚めると9時40分だった。観に行くつもりでチケットをウェブで撮っていた映画の開始が10時25分からだったので、すぐに顔を洗って家を出たのが50分過ぎ。渋谷まで普通に歩いたら40分かかるかかからないぐらい、微妙な時間。
三四郎オールナイトニッポン』を聴きながらできるだけ早足で渋谷へ向かった。10時15分過ぎにはTOHOシネマズ渋谷に着いた。自分でも思っていないぐらい早く着いたのでアイスコーヒーを頼んで劇場に入るぐらいの余裕があった。

AWA世界ヘビー級王者のフリッツ・フォン・エリックに育てられたケビン、デビッド、ケリー、マイクの四兄弟は父の教えに従ってプロレスラーとしてデビューする。しかし、フォン・エリック家は次々と悲劇に見舞われて「呪われた一族」と呼ばれるようになっていった。
実話をもとにした物語であり、僕よりも上の世代の人からすると実際にケビンや日本で悲劇に見舞われることになるデビッドなどは知っているプロレスラーのようだ。僕はプロレスに関してはまったくわからない。幼少期に父と一緒に新日本プロレスを見ていたが、その頃には闘魂三銃士の頃で、その番組の前に『鎧伝サムライトルーパー』や『獣神ライガー』のアニメがやっていてそのセットな感じで見ていた記憶がある。
上の世代はプロレス直撃世代で原理主義というか、プロレスというカルチャーに多大な影響を受けているので、共通言語として知っておいたほうがいいなと思って、プロレスに関する書籍などは読んでいるが実際に観に行ったことはないし、強い興味を持ったことはなかった。

『アイアンクロー』はA24制作というのもあり、前から気になっていた作品だった。お客さんはやはり年齢層は高くて当時のプロレスを見ていた人たちが多かった。
実は四兄弟ではなく、ケビンの上に幼少期に亡くなっている長兄がいるので彼は実は次男なのだが、ずっと長兄としての役割を果たしてきていた。作中では彼が主人公ということもあるが、恋人を見つけ家庭を持つことになる。しかし、他の兄弟はそうはならない。
次男は痛みを隠して王座決定戦のために各地で試合をし、日本のホテルで急死する。腸が破裂したことによるものだが、その前兆はケビンと恋人のパムの結婚式のあるシーンで出てきていた。そして、彼の弔い合戦となるチャンピオンベルトをかけた王座決定戦にはケビンではなく三男ケリーが挑戦することになる。
ケリーはモスクワオリンピックアメリカが出なかったことでひとつ夢を潰されていた。急成長していた彼はチャンスをものにして王者になるのだが…。そして、ケリーの悲劇のあと音楽好きだったマイクもプロレスラーとしてリングに立つものの…。本来は五人兄弟だったが、最終的にはケビンのみが生き残ることになってしまう。
プロレスによって子供や家族を守ろうとした父、信仰によって子供や家族を守ろうとした母だったが、ケビン以外の子供たちを失ってしまう。ケビンは失ってしまった兄弟たち、強権な家父長制に君臨する父から離れていくことで、自分の家族を持つことで自分なりの弱さを受け入れて家族を大切にしようと変わっていく。呪いは解かれたのだろう、ケビンは子供に恵まれ、孫たちに囲まれている現在の写真がエンドロールに出てくる。
フォン・エリック家に悲劇が起きていく様は「フォークナーの小説みたいだな」と途中から思えるものだった。それにしてもすごい話だし、役者である彼らが肉体を鍛え上げて本物のレスラーに見劣りしない体を作り上げて演じていることもすごい。

赤えんぴつ(バナナマン)の武道館ライブに行ってから、今年この先武道館に来るとしたらあの(ano)ちゃんが初武道館やる時ぐらいかなと思っていたけど、三四郎のラジオイベント『三四郎オールナイトニッポン 10周年記念 バチボコプレミアムライブ in 日本武道館』になるとは思わなかった。
起きてすぐに申し込みをしていたので、映画を見終わって家に帰ってからラジオ好きの友人Hにファンクラブ先行は一人一枚なので、申し訳ないと伝えた。彼とは『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』の際に誘ってもらって、現地のチケットは取れなかったが、LINECUBE渋谷でのライブビューイングに一緒に行っていた。

radiko、20代・30代ランキング」というのがアップされていた。男女ともにオードリーが圧倒的に強い。男性で見ると世代が上がると『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』の順位が上がっている。おそらくこれは40代男性も30代男性と上位は同じだろうなと思ったんだが、実際に見てみると一位は『ショウアップナイター』、二位は『オードリーのオールナイトニッポン』、三位は『ナイツ ザ ラジオショー』となっていた。
後から出てくるが三四郎もアルピーも40代男性では10位以内には入っていない。おじさんといえるランキングになっていた。僕がそういう社会人の40代的なものとズレているから聴いているものが違うんだろうなと思う。
でも、佐久間さんの時代はあと10年ぐらい続くんじゃないかな。下の世代に聞かれているのがやっぱりデカい。
佐久間さんの凄さはアウトプットだけではなくインプットの量であり、オススメするものに説得力がある。舞台も映画もちゃんと忙しくて観に行っている(もちろん趣味であり好きだから)ことで、新しい才能を見つけている。
岸井ゆきのさんだとブレイク前にオードリー若林さんの相手役でドラマに出していたが、それも観に行った舞台ですごかったからと話していた。
東京03おぎやはぎ劇団ひとりという才能に出会えたことが今につながっているが、それもテレ東という辺境で吉本など大手には相手にされないから、バラエティを作る際にはまだ見つかっていない若手や同世代の才能を見つけて一緒にやってきたことが大きかった。
諸行無常なのか、当然何十年かすれば王者は王者ではなくなり、権力は腐敗を生んでいく。辺境にいたものが中央に躍り出ることはままある。そういう意味でも佐久間さんは第一希望には入れなくて、バラエティが皆無な辺境の地から始めたことで(例えば初期は吉本興業にほぼ相手にされていなかったので彼らがメインになるものは多くなく、あっても若手であり、ダウンタウンとも仕事をしたことがない)時代と共に共に戦った人がメインに育っていき、かつての強者が勝手に堕落していくので自然と上にいくという感じになっていると思う。

三四郎とアルピーは男性ではどちらも10位以内には入っていてラジオスターとしての人気の高さを物語っている。彼らはテレビタレントとしてよりもラジオでの人気があり、彼らの影響を受けた世代がメディア関連に就職していくことで露出が明らかに増えている。どんなジャンルでも大事なのは自分よりも年下に影響を与えることというのはここでもわかる。
20、30代男女なのでその上の世代になるとジェーン・スーさんとかも入ってくるんじゃないかな。これだと女性のパーソナリティーはランキングに入ってきていない。

TBSラジオ・松重暢洋さん「この絶望を、誰かに味わわせるまで」<U30~新しい風>⑩

今自分が10代や20代でラジオ好きなら「オールナイトニッポン」ブランドに憧れるだろうし、出役ならばそこでパーソナリティーをしたいと思うのだろうけど、ここで松重さんが書いていることも確かになと思う。というかそれしかない。
『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』はラジオの一つの完成形であり、「オールナイトニッポン」ブランドはイベントもやってちゃんと収益を出すことができるようになっている。これはコロナパンデミックによる配信文化も後押しをしたと思う。で、数年前から明らかに「オールナイトニッポン」は不動化し始めた。
佐久間さんが言うように若手時代の伊集院光さんのような「どこの馬の骨」だかわからない存在は抜擢されない。入れ替わりの激しかった時代を経て、パーソナリティーは売れっ子ばかりになった。

オールナイトニッポン2024年度パーソナリティ決定!

お笑い芸人、俳優、ミュージシャンと武道館クラス、M-1王者というもうちゃんとブレイクしきっている人たちが並んでいる。もちろん、集客しやすいイベントができるメンツでもある。完全なレッドオーシャンなのでものすごい実績やあり得ないプッシュがないと入ることはできない。

TBSラジオの「JUNK」は山里さん以外は聴いている。なぜか山里さんの声が苦手で聴けない。同様にANNも霜降り明星は声が合わなくて聴けない。「JUNK」も周年イベントが前にあった時に配信で観たけど、やっぱりジジイしかいないという気持ちになってしまった。
若者がいなすぎる。どこかで世代交代をしないといけないとみんなわかっているけど、人気も実力もあるからできない感じ。なんか政治の世界と同じだなって。だからこそ、一回大きな変動、入れ替わりの時期が来たりすると一気に新しい風が吹いて、TBSラジオの逆襲が大逆転が始まるのかもしれないとも思う。
その時にもやっぱり、上の世代の時代が長くて30代後半と40代の世代が育てられることもなく挑戦すらもさせてもらえなくて、プレイヤーの数がそもそもいないから、バトンタッチされる時はそこを通り越して20代や30代前半になるんだろうなって気もする。だからこそ、山里さんがいかにすごい才能と能力の持ち主かという証左にもなっている。
その就職氷河期世代の絶望や愛憎を持ち得ているのが永野さんだなって思う。だから、彼にはもっとブレイクしていろんなものをぶち壊してほしい。そして、彼がそういうものからは解き放たれた若手である令和ロマンやダウ90000の蓮見さんに期待するのもわかる。そこに希望があることは明白だから。
同時に自分を持ち上げる人、信者化するファンに対して苦言をちゃんと言っている永野さんのスタンスというか、その辺りの距離感はちゃんとしているなと思う。

夕方に散歩したくなったので目黒川沿いの桜もこの週末が見ごろで満開かなと思ったので足を運んだ。
花見客がたくさんいたが、提灯が気になった。企業やお店の名前は前から入れてあったけど、アイドルの名前の入ったものを多く見かけた。推しの名前を入れている提灯が思ったよりもたくさんあって、前からこんな状態だったっけと思った。前からあったのかもしれないけど、あまり僕が気にしていなかっただけかもしれない。

syrup16g - Sakura 

 

4月7日
起きてから昨日夜にやったライティング作業の続きをする。来週以降にいろいろと止まっているものが動き出すのかなという予感というか、流れだなって感じる。
『新潮』2024年5月号に掲載されている朝比奈秋さんの『サンショウウオの四十九日』を昼過ぎに読み始める。もう半分残っているが、結合双生児を描いた小説。主人公はその双生児の姉妹であり、それぞれの視点で物語っていく形式になっている。彼女たちの叔父と実父との関係が彼女たちの状況よりも先に描かれるのだが、その関係性もかなり特殊なものであり、ちょっとビックリするものになっていた。
朝比奈さんはすでに三島由紀夫賞を受賞しているのだが、今作は芥川賞候補になるだろうし、たぶん取るんじゃないかな、取ろうとしている意欲みたいなものを感じる。
今まで気にはなっていたが朝比奈作品は読んだことがなかった。話に聞いているものだと『あなたの燃える左手で』では移植された人種の違う他人の左手のことを描いていようだし、『私の盲端』では20代で人工肛門となった女子大生の物語だという。もちろん著者が医師であるからこそ描けるものでもあるのだろうけど、今回の「サンショウウオ」も含めて人体に起きたこと(あるいは変化や欠損、それを補うこと)による自分と他者の境界線や、心はどこに宿っているのかということを描こうとしているのかなと思ったりする。


13時過ぎに家を出て渋谷へ。ユーロスペースの大きな宣伝用のスペースが小路監督の最新作『辰巳』になっていた。
PARCO渋谷で久しぶりにライブに行く友人Aと待ち合わせして、地下の寿司屋に行って昼飲みがてらいろいろと近況報告をしながら話す。


LINE CUBE SHIBUYAで『SYNCHRONICITY’24』特別企画のツーマンライブで凛として時雨×syrup16gのライブへ。
一階の真ん中よりも前の方だったので見やすかった。最初は凛として時雨だったが、彼らのファーストアルバムが出たことにフェスやライブで観て以来だった。好きな曲も何曲か聴けたが、思ったりよりも音が小さかった気がした。
syrup16gは最初の三曲はまったく聴いたことがないもので、新曲をやっていた。その後ももう二曲ほど新曲だった。

syrup16g
01. Need Somebody To Me(新曲)
02. セブンティーン(新曲)
03. 気遣いピエロ(新曲)
04. Sonic Disorder
05. 生活
06. センチメンタル
07. 負け犬
08. Breathe(新曲)
09. Feel Dead(新曲)
10. coup d'Etat~空をなくす
11. 落堕
<アンコール>
12. 真空

新曲をいきなりやるのもsyrupらしいなって思っていたが『Sonic Disorder』のイントリが始まると一気に場内が沸いた。『生活』『センチメンタル』『負け犬』もよかったけど、『クーデター〜空をなくす』が最高によかった。全体的に20代が多い気がしたけど、彼や彼女たちはどういう経緯でsyrupを知って聴いているのだろうか、と思ったり。新曲以外ではかなり盛り上がっていて、知っているし聴けたという反応だったように思えたから。
Syrupを聞き出した二十代中頃から僕の情緒は彼らの曲で形成されていったんだろうなと思ったし、やっぱり五十嵐隆の咆哮に僕は救われてきた部分が大きい。僕にとってのロックスターは五十嵐さんだし、ロックバンドとしてsyrup16gが一番好きなのかもしれない。

 

4月8日
昨日のライブは楽しかったし、去年の日比谷野外音楽堂でのMATSURI SESSIONに行って以来だった友人Aとも飲みながらいろいろ話したので気分的にもスッキリした。
起きて朝活がてら作業をしようと思ったけど、やる気がなんせ出ない。無理はしないで寝転んだままTVerで『オールスター後夜祭』を見た。テレビがなくてリアルタイムで見れない。この番組だけはリアルタイムで見れないことが悔しい。
日曜日に家に帰ってからradikoで川島さんと有吉さんの番組はタイムフリーで聴いてしまっていたので、今朝聴くものはなかったので、『三四郎オールナイトニッポン0』をバチボコファンクラブのアーカイブで流しながらリモートワークで作業をしていた。
アーカイブももう2023年10月とかに入ってきてしまったので、早かれ遅かれ最新回に追いついてしまうだなとちょっと不安。過去の放送分もまだ配信していないのもあるけど、アップしているものはその度に聴いているのですぐに聴いちゃうってのもある。


昼休憩の時にちょっと下北沢の方に用事があって歩いて行った。緑道沿いの桜が咲いていたが、夜から明日のお昼にかけてはかなりの量の雨が降るらしいいので散ってしまうのかな。雨も傘がいらないぐらい、ずっと曇っているみたいな春らしくない天気だった。
戻ってからTVerで『ラヴィット!』のオープニング部分を再生したら、休養していたなすなかにし那須さんがサプライズ出演と復帰をしていて、川島さんと抱擁している場面とかで泣いてしまった。もう涙腺はずっとゆるゆるだから感動的な部分でもすぐに泣くし、悲しいシーンでもすぐに泣いてしまう。もうこれはどうにもならないよなって。

 

4月9日
起きてから朝比奈秋さんの『サンショウウオの四十九日』の残り半分を読む。
結合双生児の話だけど、読んでいる時は気づかなかったというか完全に忘れていたけど、萩尾望都さんの『半神』とそれを元にした野田秀樹さんがやっていた「夢の遊民社」の舞台(専門学校の時に授業で見せられた)も同じく結合創成時の物語だったことを少し時間が経ってから思い出した。
朝比奈さんの他の作品のことを聞いている感じと今作を読んでみると、自分の肉体だけど他者や外部性との関わりの中での「自我」についてこの人は書きたいのだろうし、軸というか中心にあるんだろう。


ずっと使っていたMacBook Airがちょっと前から怪しくなってきていた。ニューモデルも出たタイミングだったり、金銭的なことも含めてちょうどうまく噛み合ったので雨の中、表参道のアップストアに行って同じく13インチのMacBook Airを買ってきた。前機種はシルバーだったが、今回はミッドナイトブルーと暗めのモデルにした。
書き始めたけどほとんど進んでいない自分の作品についても、このMacBook Airでどんどん書き進めたい。道具を変えて心機一転、というように道具を変えることで自分のモードを意識的に変えるようと思っていたこともある。


アップルストアに行く前に「今日ランチ行かない?」と友人Sさんからラインが入っていたので、表参道から帰ってセットアップをある程度してから松陰神社へ。
大雨だったけど、電車に乗るとみんな濡れてるしなあ、とか思っていたので25分ほど傘を差して歩いて行ったらズボンが膝上までびしょ濡れになった。
僕が「魚が食べたい」と言ったので、「炭火焼き魚弁当 すみさわ」という店内は五席、基本的にはお弁当みたいなお店に集合することになった。季節商品「桜鯛の桜塩焼き」を頼んだ。身がほろほろであっさりしていた。塩味が強くなくてほんのり甘いような、美味しいお魚だった。


食べ終わってからSさんがよく行くカフェに行く。去年の年末から会っていなかったので、その期間に起きたことをお互いに話しては聞いた。たくさん話したし、話せる相手がいるというのは本当に大事。Sさんはいつもいいタイミングで誘ってくれるから会えるし、そこで話ができるのでありがたい。長く友達付き合いするのに必要なことの一つには確実にタイミングが合う合わないがある。

家に帰ってからも新しいパソコンのセットアップの続きをした。文字を記入するとかなり反応が早いし、変換もすぐに行われるのでちょっとその速さと文字を打つ感じがまだうまく噛み合っていない。その辺りがうまく反応し始めるともっとスラスラと文章を書けるし、長く書いていけるようになるはず。反応が良すぎるんだよなあ、前のがだいぶ悪くなっていたからギャップがかなりある。

 

4月10日
日付が変わってから『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴きつつ寝落ち。6時過ぎに起きてから、前のMacBook Airを下取りに出す前にやっておくことはないかなと検索などをしていて思い出した。
元々iTunesのデータがかなり重くなっていて外付けHDにデータを移行していた。それが壊れてしまってから二年ほどはiTunesにデータがほとんどない(ダウンロードしたものとそれ以降に取り込んだもの)だったので、次第にSpotifyを聴く&よりradikoを使う頻度が増えていた。
壊れていた外付けHDのUSBケーブルをハブに繋いでみたら、データのコピーとかができそうだったので、好きなアーティストのものをある程度選んでデスクトップに落としてからMUSICのiTunesの方にデータをダウンロードした。
おかげでずっと聴けなくなっていたDC/PRGの七枚セットのボックスのライブ演奏とそれについていたダウンロードだけでしか手に入れられなかったラストライブとなった新木場 USEN STUDIO COASTでの『Hey Joe, We’re dismissed now/PARTY 2-TOKYO』もそこに残っていた。
菊地成孔さん関連のDC/PRGやぺぺ・トルトメント・アスカラールの音源も全部データが揃ったので執筆中に聴けるのでこれでかなりいい状況だ。発表した年代順に聴きたかったりするのにSpotifyとかだとそれができない(僕にはやり方がわからない)ので作業用BGMにしにくかった。

リモートワークを開始して、そこからは『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』とradikoで流しながら作業。
「爆笑カーボーイ」で太田さんが今回の本屋大賞は『成瀬は天下を取りにいく』だろうといっていた。僕は読んでいないのだけど、書店でのプッシュの感じや評価の高さからいっても他の作品から一つ上をいっている印象があったから、そうなるんだろうなっておもっていた。実際に夕方ぐらいに受賞したとニュースで見た。いいことなんだろうけど、なんだかこの数年はもう本屋大賞に興味がわかない。
「あのANN0」で『オールスター感謝祭』の裏話をしていた。二位になった理由とかだったけど、粗品とのワンツーフィニッシュに二人のカップリング萌えにはたまらなかったのだろう。僕はそういうあまりわからないけど、カップルを愛でるみたいな心境になるのは、なんかいいなって気持ちで安らぐのかな。知らんけど。
あのちゃんが桜ソングを歌っていたりしたけど、その中でsyrup16g の『Sakura』に触れていた。あとゆらゆら帝国のベーシストだった亀川千代さんが亡くなったこともあってか、ゆらゆら帝国の『ゆらゆら帝国で考え中』を流していた。

ゆらゆら帝国ゆらゆら帝国で考え中」(Official Music Video)



休憩時間になってから前使っていたMacBook Airとその前に使っていてリサイクルに出しそびれていたMacBook ProApple Store渋谷へ持って行った。昨日は表参道店に行ったけど、渋谷店は潰れたとか閉店していると勘違いしていたから、表参道に行ったわけだが、近くに残ってた。前にお店のリニューアルか何かで工事していたんだろうけど、それを閉店作業みたいに思って、もう無いこととして考えていたので目の前にあるPARCO渋谷にあんなにも行っているのに目の前のApple Store渋谷店を意識の外に置いていたということなんだと思う。
2台のノートパソコンはそれなりの重量に感じた。昨日の雨は嘘みたいに晴れていてTシャツの上にカーディガンでも汗をかいた。お店について下取りとリサイクルをスタッフさんに聞いたらその場ですぐに対応してくれた。
リサイクルの方はすぐに終わって、下取りのMacBook Airは起動してデータ削除を目の前でやるところまで、価格も多少ついたのでその金額分をApple Gift Cardに入れて渡してもらうという形だった。待ち時間とか含めてそれなりに時間がかかるのかなって思って行ったけど、リサイクルと下取りが終わるのに二十分ぐらいしかかからなかった。ありがたい。Macを使っているのはApple Storeに行けば色々と対応してくれるというのがやっぱり大きい。

『異人たち』予告編│2024年4月19日(金)公開 


仕事が終わってから散歩がてらBOOKOFFへ。山田太一著『異人たちとの夏』単行本がかなり美品であったので購入。
1987年の初版だから35年前のもの。紙だから残っているし味が出ている。これを元にしたイギリスでのリメイク映画『異人たち』も映画館で何度も予告編を観て期待しているので、読み返せたらいいなとも思った。

映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』特報 2024年10月11日(金)公開 


半年後に公開か、楽しみでしかない。レディー・ガガが二作目となる今作からハーレイ・クイン役として登場。
前作のこともあるので、ジョーカーの妄想なんじゃねと思ってしまうが、それだと『ファイトクラブ』みたいになっちゃうから流石に実体はあるのかな。

「親の無い子は嘘の歴史を創るのに向いている」「自分がどこから来たか空想するからな」
『東京オルタナティヴ 転-チェルノブイリ編-』にあったセリフ。
日本民俗学の祖である、柳田國男折口信夫、そしてラフカディオ・ハーン三者に共通して見られる、「来歴否認」についてずっと書いている大塚さんらしい。大塚さんの先生が千葉徳爾で柳田門下生、KADOKAWA初代の角川源義は国文学を学び、柳田や折口に師事していた。
ある時期まで角川書店のメディアミックスや源流には民俗学があったし、そこには都市伝説や偽史なんかがギミックになっていた(僕らみたいなのが影響を受けた)。でも、フェイクニュースが流れ、歴史改竄を平気でしようとする奴らが跋扈するとフィクションが難しくなる。
ワールドカップに湧いているけど、外国人差別や日本人だということを殊更誇るみたいなバカが増えるだろうと世紀末に大塚さんが書いていたが、ほんとうにそうなった。僕がヘイトしたり、なんにもない自分を国家に重ねたりしないで、下からのポピュリズムに危機感を覚えたりするのは大塚さんの影響だろうな。

 

4月11日
少し前から鼻が痛くなっていた。左側の鼻の穴の上の、なんというか鼻の厚みの間にできたニキビか吹き出物が皮膚の上の方でもなく、穴の方に下へでもなく、その間にできて腫れている感じで存在感を異様に出してきていて、尚且つ痛い。
穴の方にはかさぶたみたいな感じで鼻くそが固まっているみたいになっている。下の方にニキビか吹き出物が出てきてそこから出てきた汁みたいなものが凝固しているみたい。触ると痛いし、表面は赤くなっている。
『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をradikoで聴きながら家を出る。


10時40分からイメージフォーラムで上演するフルーヌル・パルマソン監督『ゴッドランド』を観るために渋谷へ。なんとなく気になっていた作品。
主人公の若き牧師のルーカスはデンマークから植民地のアイスランドの辺境の村に教会を建てるために布教の旅に出ることになる。そこで案内人の一人である老人のラグナルはデンマーク嫌いで二人は対立をしていく。過酷な旅の中でアクシデントに見舞われながらもなんとか村へ辿り着く。
観たくなった理由としてはアイスランドが舞台であること、そしてデンマークからというのは僕がずっと読んでいる幸村誠著『ヴィンランド・サガ』の奴隷編の後に主人公のトルフィンたちが自分たちの居場所として旅立っていく姿と少し被るものがある。
異文化に入っていくことの困難さだけではなく、やはり牧師であるルーカス自身が心身ともに打ちのめされるような体験の中で確実に壊れていく様を描いていた。
神を信じる存在は人を救えるのか、そして異文化であり言葉が通じない人との交流をどうしていけばいいのか。老人ラグナルが最後に明かすことは、ある種植民地を支配している帝国主義側の人間が陥りやすい、要するに自分たちよりは下だと差別し見下していることで足元を掬われるような出来事になってしまう。
ルーカスは牧師だがかなりの重さの写真機を持ってきていて、人々や風景を撮っていく。ここで撮るという行為とその暴力性や魔法のようなものが原因で起こる不幸というものも感じさせ、それは19世紀後半が舞台といえど現在にも容易に置き換えて考えることができることだと思った。
お客さんは平日の午前中だったけど10人ちょっといた気がする。


帰りに真造圭伍著『ひらやすみ』7巻を購入した。『違国日記』をもう少しマイルドにしたような、作品だなって、ベクトルは絶対に同じ方向だと思う。それでも登場人物たちの日常や関係性が変わってきているので、もうひと展開でラストに向かうんじゃないかな。


夕方からニコラに行ったら、今日から始まったというパンチェッタとホワイトアスパラのカルボナーラ 白トリュフの香りと白ワインを頼んだ。
ホワイトアスパラがたくさん入っていて、香川産らしい。白トリュフの香りも良いし、パンチェッタの香ばしさと少しある焦げた部分の塩味とホワイトアスパラの食感と甘みが相性がよくて、カルボナーラにするとすごく合うんだなって。とても美味しいし、ビオワインはちょっとフルーティさが強い目だけどあっさり。
カルボナーラってどういうワインを合わせたらいいのか問題というのがあるらしい。僕みたいに普段飲まないし強くない人だから、由賀さんが僕でも美味しく飲めるものを選んでくれた。
鼻が赤いから鳴いているのかと思ったと言われたけど、そのぐらい鼻はまだ赤いし、ニキビか吹き出物が鼻の肉幅の中でジンジンしている。

 

4月12日
6時ごろに目覚ましで起きる。寝る前に『四千頭身 都築拓紀サクラバシ919』を前半一時間ぐらい聴いていたので続きを聴きながら意識を通常運転に戻して行こうと思ったのだけど、異様に眠い。すぐに寝落ちしてしまった。
結局、リモートワークが始まる少し前の8時半近くに目が覚めた。合わせれば8時間近く寝ているはずなのに、頭がスッキリしていない。まだどこかで眠い。
仕事はいつも通りの時間から開始。別件で返答が欲しかったものが返ってきていたので、その件でお待たせしている人に連絡をした。これでうまくいくと今年の下半期に新しいライター仕事ができるのだけど、これもいろんな情勢や関係性、お金の問題があるからどうなるかは正直わからない。


休憩時間になってから歩いてPARCO渋谷へ。ホワイトシネクイントで明日のお昼上映の『哀れなるものたち』のチケットをポイントが四つ貯まったポイントカードと引き換えた。これはネットではできないので劇場に行くしかない。
ヨルゴス・ランティモス監督の新作『憐れみの3章』がカンヌ国際映画祭で上映されるらしいので、そちらも早く観たい。日本でも年内公開ということにはなっているので、そのために余韻を感じたいから、観ようと思った部分もあるのかもしれない。

行き帰りには『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』をradikoで聴いていたが、ゆらゆら帝国の曲が流れた。あの、佐久間宣行、マヂラブと「ANN0」で三日連続曲がかかった。
あのちゃんと佐久間さんは音楽好きだし、なんとなくわかるんだけど、マヂラブもそうなのか、あるいはディレクターの趣味なのか。それでも一般的に超メジャーなアーティストではない、音楽好きなら知っているしどちらかというとミュージシャンズミュージシャン的なバンドな気もする。でも、こうやってベースの方が亡くなって三日連続同じ枠で流れたことがちゃんと届いて響いていたんだなと思わされた。

きちんと〈歴史〉を駆動させている小説は、……いいや、ここでは「きちんと〈歴史〉に接触している小説は」と言い直そう、そういう作品は、ひとつひとつの時代や世界には、もしかしたら〈現実〉感をもって触れられていない。それはまさに目立つキズである。しかし、たとえば西暦1221年を、これは和暦だと承久3年であってこの年にこそ承久の乱が勃発するが、そこをきちんと〈現実〉の迫力で描出できたとして、承久の乱を題材にしているのに〈歴史〉に接触していない文学が、どんな〈力〉を持つのか?

私はそこを考える。私はそれを考えているのだ。

古川日出男の現在地「新世界、新生活、シン怒濤」

古川さんのブログが更新されていた。今取り掛かっている。これから執筆する作品への想いやどう超えていくのかという意思表明でもあると伝わってくるものだった。

夜はNetflixで配信されている韓国版の『寄生獣』を見ようかなと思っていたら、6月末に書き終わりたい作品の核になるアイデアが浮かんできた。『寄生獣』のように別の生命体が人間に寄生するのはメタファでもあるし、原作でもある漫画でも実写にしてもインパクトが大きい。僕は目に見えないけど人間に寄生というか入り込んで離れないものを物語の核にしたら、それを描きたいんじゃないかなって閃いたというかイメージが浮かんだ。
実際に書き進んでいくと変わっていくかもしれないけど、なんか確信のようなものがあるのでたぶんいけるはず。


SPANK HAPPY『ethic』

 

4月13日
7時過ぎに起きてから『バナナマンバナナムーンGOLD』を聴きながらちょっとずつ目を覚ます。昨日夜にやっていたライティング作業の続き。一晩寝かせたものをもう一度必要なものをもう一回見て、文字数や単語を入れ替えたりしながらなんとか出来上げる。請求書のPDFと一緒に原稿データを送って一旦は終了。
友人にもオススメしてもらっていて、昨日見ようかなと思ったNetflixの韓国版『寄生獣』一話を見る。
ちゃんと怖いぞ、あと寄生獣って顔にしか寄生しないんだっけ? 漫画『寄生獣』とか日本版の映画とかミギーの存在があるから手のイメージだけど、あれがイレギュラーというか異端なんだっけ。土日で六話見ちゃったほうが良さそうだし、見ないとこのまま最後までいかないパターンになっちゃうんだよな。

11時過ぎに家を出る。Tシャツ一枚だとまだ肌寒いけど、そこそこ暖かい。桜はだいぶ散っているので葉桜になっていて、地面や道路にピンク色の桜が敷かれていた。春先でちょうどいい日差しなので家族連れや一人よりも誰かと一緒に歩いている人が多く、渋谷はさらにカオスな人出だった。
行き来は『三四郎オールナイトニッポン0』をradikoで聴いていたけど、小宮さんが韓国版『寄生獣』の話をしていたのでちょうど、なんかリアルタイムな感じだなって。
次週のスペシャルウイークは武道館イベントのチケット発売も兼ねている放送なので、誰をゲストに呼ぶかみたいなトークになっていたが、そこで何度か笑ってしまった。果たして僕はファンクラブ先行チケットをGETすることはできるのだろうか。

ヨルゴス・ランティモス監督『哀れなるものたち』をホワイトシネクイントで鑑賞。後方の一段上にある席はほとんど埋まっていたし、前の方もかなりお客さんが入っていて、七割近く埋まっていたんじゃないだろうか。1月末に公開してエマ・ストーンが主演女優賞などアカデミー賞でいくつかの賞を取ったこともあるが、だんだん上映回数も減っているし、そろそろ上映も終わる感じがあるので集中しているのかもしれない。
シネクイントのポイントカードが貯まったので昨日引き換えていた。ありがたいことに四回鑑賞すると一回無料券として引き換えられる。シネクイント&ホワイトシネクイントなら二ヶ月だとギリギリだけど、三ヶ月あれば四回は劇場に行くので一回は無料になる。今月になってから二枚貯まっていた。
一枚はこの前、マヒトゥ・ザ・ピーポー監督『i ai』に使った。もう一枚をどうしようかなと思っていて、昨日から公開のエルヴィス・プレスリーの元妻のプリシアをソフィア・コッポラ監督が撮った作品もありかなとは考えたが、個人的にソフィア・コッポラ作品は合わないのでやめた。だったら、配信になったら観ないので、もう一回劇場で観たいなと思っていた『哀れなるものたち』にした。
去年だと『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』と『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』は四回スクリーンで観たけど、配信が始まっても観ていない。「エブエブ」に関してはA24オフィシャルで特別版のDVDを買ったけど、観ていない(リージョンが違うのでそもそも見れない)。配信オンリーだと仕方ないけど、映画館で映画が観たい人なので仕方ない。
と言うわけで去年二回(東京国際映画祭&オズワルドシアターでの試写)+今年三回(ホワイトシネクイント)ということになって、今日で五回目になった。
観客の反応が一番良かったは最初の東京国際映画祭だった。国際とつくこともあるけど、海外からの観客も多く映画自体もほとんどの国で観ている人はいないに近い状態だったので、ヨルゴス・ランティモス監督への期待値も高かった。
映画がある時点からモノクロからカラーになってから、主人公のベラが幼い少女から大人の女性へと成長していく。ベラを何かで縛ろうとする男たち(この映画はベラと男たちの関係性を描くことで女性自身の肉体はその当事者のものであり、家父長制による長である父に縛られない自由さを獲得していく。同時に成長して知識と経験を得たベラは何も知らずに残酷なことをしていた時代とは異なり、その自由さと力を行使する暴力性すらも描いている)との関係性の中で、彼らが求める女性像や家父長制的なものや男性優位社会における男性性を見事に皮肉っていくセリフや行動で場内は割れんばかりの爆笑が起きた。ほんとうに痛快だった。
知らぬ間に進められていた「共同親権」のことも、統一教会の根本にある家父長制を持続させたいということを自民党は無理矢理に周知もしないで進めている。政治家も主権者もバカしかいない(共同親権は離婚できなくなるし、あんなもんさらに子供作らないし、結婚しなくなるが、そうしないと守れないものがあるとしたら本当にバカバカしい。同性結婚だって知っている人であろうが知らない人であろうが、その人たちの幸せに誰かが文句言うのはおかしいし、幸せな人が増えたほうが社会はよりマシになるはずだ。でも、彼らが重んじるどうでもいい伝統や社会の根本は今の世界で、日本で生きている人たちを幸せにすることはない。僕のような結婚もしてなくて子供もいなくて、ヘテロセクシャルでもそんなもんおかしいと思うし、幸せになってほしくなくてたまらないんだなって思う)けど、そういう後ろ向きで前時代的な考え方もベラは吹っ飛ばしていく。そういう意味でも今見られるべき映画だと思っている。
終盤にベラが「モンスターたち」と言った後のゴッドとのやりとりではまた泣いてしまった。フランケンシュタインがベースにあるし、ベラ自体も一度は死んでしまった女性をゴッドや再生させた存在である。
ここでのベラとゴッドのやりとりは創作物と創造主の関係性であり、作品と創作者すべてに当てはまる。作った側がコントロールしようと思った創作物が自らの意志でそこから出ていく。その自由意志を作り手は認めて背中を押すのか、認めずに狭い箱の中に閉じ込めてしまうのか。親と子供の関係性も重なってくる。
作られた存在であるベラが創造主のゴッドに思いの丈を伝える。真実を知って許せなかったこと、怒っていること、それでも感謝していること、あの場面に生への肯定がしっかりと刻まれていて、僕はそこに惹かれているし感動してしまう。

夕方に散歩に出た時にコンビニに寄ったら、『GINZA』の最新号が目に入った。特集は「映画とファッション」で、『哀れなるものたち』の現場で写真を撮っていた写真家のjimaさんによる記録のページもあった。A24特集というかファッションに関することや新作関連の監督インタビューなどちゃんとページ数がさかれていた。
「映画スタイリングという仕事」というページでは、北村道子さんや伊賀大介さんたちのインタビューも掲載されていた。『哀れなるものたち』をオズワルドシアターで試写を観終わった後に北村さんとは少しだけお話をさせてもらったので、ここでもリンクしている気になった。
水道橋博士のメルマ旬報』で同じく連載陣だった伊賀さんは最近はお会いしていないけど、ヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』でもスタイリングで伊賀さんの名前を見て嬉しかった。僕らの世代にとって大切な映画だといえる渡辺あやが脚本を手がけた映画『ジョゼと虎と魚たち』で伊賀さんが最初に映画に関わったというのも僕には大きなことだったりする。

【検証企画】大喜利の逸材 福留光帆はトンツカタン森本を相手に、ボートレース場でのロケをうまく回せるのか? 


『佐久間宣行のNOBROCK TV』で大喜利が強く、元AKB時代は活躍ができていなかった福留さんが大好きなボートレース場でロケを回すという企画。これがお見事すぎるし、僕のようなボートレースをまったく知らない人にもかなりわかりやすく紹介しながらロケができていた。
佐久間さんも驚いていたけど、やっぱり好きなものを語ったり紹介する時に人は笑顔にもなるし、その好きさが溢れ出ていてより魅力が増す。
アメトーーク!』でも「古着好き芸人」の回で出ていた芸人さんたちが本当に古着を好きなのが伝わってきたし、それぞれの好みやこだわっている部分がわかるものになっていた。
どちらも好きなものをテーマにしているからみんないいオーラというか雰囲気になっているのも大きいんだろう。誰かが自分の好きなものを語るのを見るのは心地いい。

 

4月14日

起きたけどやっぱりまだ眠い。気圧のせいなのか、春だからなのか、現実逃避したいからかわからないけど快眠って感じにならない。横になったままで『ゴッドタン』をTVerで見て、『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』をradikoで聞いた。
散歩をしようと家を出る。昨日スマホradikoでは途中まで聴いていた『三四郎オールナイトニッポン0』の残りを30分ほど、あとの行き帰りは『オードリーのオールナイトニッポン』をお供に。
桜はかなり散っていて、葉桜状態に移行している。歌野晶午著『葉桜が咲く頃に君を想うということ』という小説のタイトルを桜が散り始めると思い出す。何にも知らないまま読んだ方が驚きの多いミステリーであるが、確か三軒茶屋が舞台だった気がする。


代官山蔦屋書店に着いて書店エリアをぶらぶら。特にこれというものもなかったので二階の音楽フロアに行くとヴァンパイア・ウィークエンドの5作目となる新作アルバム『Only God Was Above Us』が展開されていた。何曲かはすでにYouTubeにも動画がアップされていたが、アルバムのジャケも動画にあったような電車内でクリストファー・ノーラン監督『インセプション』見たいな時空というか、空間が地球上の重力を無視しているようなものになっていた。

Vampire Weekend - Hope (Official Visualizer) 




写真関係のフロアになんで昔のアイドルや女優の写真集があるんだろうと思って手にしてみると、ヴィンテージ写真集と値札があり、発売時の倍ぐらいの四千とか三千円くらいの価格になっていた。日を浴びすぎたのか結構色焼けというか色が淡くなっている。彼女たちは今は40代や30代になっていて、写真集は10代の終わりや20代前半ぐらいだろうから二十年近く経っていたりすると考えればそのぐらいの価値になっていても違和感はない。

家に帰ってから昼ごはんを食べて、作業を開始。あまり集中ができないけど、来週か再来週にミーティングすることがありそうなので、原稿をもう一回読んだ。あとは話の中でどう進めていくか決まるだろうし、個人的にはもっとシンプルな方がいいかなと思うけど、それを決めるのは僕ではないのでいち意見としては言えばいいだけかなあ。
夕方になんとなく外に出た。どこに行くかは特に決めていなかったけど茶沢通りは歩行者天国になっているから人手が多かった。平和だなって思った。
TwitterことXは朝起きて見た時にトレンドワードのところに「第三次世界大戦」と出ていた。イランがイスラエルを攻撃したことでそういう言葉が出ていた。第二次世界大戦終戦から75年はすでに経った。100年、一世紀まで持たないものなのだろうか。そもそも「第三次世界大戦」と言わないだけで世界中で戦争や紛争は起きているとも言えるのだろう。
軍事費を拡大していくのはそういうことを見越しているかもしれないが、敗戦国である日本は抑止力になるべきだし、外交力や海外支援によっていろんな国となんとかやってきた。だから、ある時期まで日本人が海外に行っても好印象だったりしたし、敵国ではないという扱いをされていた。
祖母の兄の大叔父で初生雛鑑別師だった新市さんはイギリスで鑑別の仕事をしていたが、日本とイギリスが敵国になった瞬間に捕まってマン島の収容所に入れられた。日本国内にいる人にはすぐに影響は出なくても、海外に住んでいる日本人やその家族はある線を越えた瞬間に敵国民として扱われる。だからこそ、外交が大事だし、海外支援は大きなものだった。そんなことを考えながら気温がまだ下がらない茶沢通りを歩いて下北方面に向かった。サミットで夕食用の食材を買って帰るとちょうど歩行者天国の時間が終わって、道路に溢れていた家族連れや恋人たち友達同士や親子たちが歩道に戻って車が走るいつもの風景になっていた。
春先は桜の季節で気温もちょうどいいから家族連れや恋人たちや友達同士なんかをたくさん見ることになる。独り身としては羨ましいし、笑顔が溢れているのはいいなと思う。桜が咲く頃に集まろうと話していた友達は一月末になくなってしまったから、いつもメンバーで集まることはできなかった。たぶん、そのことがあるからいつもの年よりも羨ましさは増すし、この時間を大事にしてほしいと思ってしまう。時間があっという間に過ぎていく。

 

4月15日
寄生獣―ザ・グレイ―』

日付が変わってから最終話である第六話を見終わった。映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』のヨン・サンホ監督と言われたら納得な内容だった。ジョージ・A・ロメロ監督『ゾンビ』(原題は『Dawn of the Dead』)のゾンビたちはショッピングモールに集まった。今世紀に入ってからゾンビものが増えたのはグローバル化新自由主義が加速する世界において、人間は経済を回すために消費するだけの存在になったメタファとして有効だったのだろう。
今作ではゾンビではなく寄生獣。寄生生物に乗っ取られた人間は人間ではなくなってしまう。主人公のチョン・スインのみが脳を乗っ取られず寄生生物と共生する変異種となったことで、人間からも寄生生物からも狙われることになってしまうという物語になっていた。

個人と集団(家族)について今シリーズでは描いていて、教会が出てくるのは韓国らしい。キリスト教が浸透している韓国では神の存在や聖書的なモチーフが使われることが多い。日本だと西欧の作品におけるキリスト教的なものがあまりわからなかったり、モチーフに使われていてもその理解は難しいけど、韓国の作品にはそういうものがわりとあるなと思う。神という概念があるかないかで、人間の行動や考え方はかなり違うものになるし、見られているという視線は行動を左右する。

内容とは関係ないけど、メトロポリタン美術館に所蔵されているサルバドール・ダリによる『超立方体的人体〈磔刑〉』は一度この目で観てみたい。

寄生生物たちは生存のために組織化していく(生殖では彼らは増やせないらしい)。彼らは自分たちの最も適した生存方法として、誰に寄生するのがいいのか、という考えのもとにある人物を狙う。韓国の大統領が罪を犯したら罷免されて捕まるなどのニュースは見たことがあるぐらいには、市民革命で政治を変えたことがあるからこそのディテールだなって。今回は大統領ではないけど、政治的な権力者に成り代わろうとする。
政治家が腐敗していくこと、権力を正しくない使い方をすることなどを寄生生物に寄生されているのでは、と思わされるのはちゃんと皮肉だし、これは日本だと中々描かれないものだなって思った。
これに近いのはAmazonプライム白石和彌監督『仮面ライダーBLACK SUN』では政治の話も入っていたからそれぐらいかな。にほんだと明治維新は侍のクーデターだからトップの顔がスライドしただけなので、その支配層はずっと変わっていない。市民革命が成功したことない日本と成功経験のある韓国ではフィクションにしても政治性などのコミットや意識が違うのしっかりと作品に現れているなと思った。
最後の最後に原作である漫画版の主人公・泉新一を演じる菅田将暉が登場して、右手を特殊部隊「ザ・グレイ」のチーム長チェ・ジュンギョン(イ・ジョンヒョン)に差し出す。シーズン1で終わりそうにないし、続編のシーズン2をやるとしたらミギーが活躍するのかもしれない。個人的には戦うシーンがどうしても首が伸びて戦うから単調になってしまうから最後の二話ぐらいはちょっと飽きてしまった。

6時過ぎに起きて可燃ゴミを出しに行く。少し経った後ぐらいにカラスの鳴き声が聞こえるようになった。カラスたちにとってのご飯の時間でもあるし、巣を作って子育ての時期だからより活発的になっている。数年前よりもカラスがゴミを漁る回数や被害というかゴミ袋を破いて中を物色することが増えているように思える。
野良猫たちは地域猫として生殖能力を削がれて、もはやあんなにも鳴いていた町中を走って飛んでいた猫たちはすっかり姿を消した。代わりにカラスたちは勢力を伸ばしているような気がしてならない。人間社会と動物たちの生態系とバランス、何かが削がれたり減っていけば偏ったりおかしなことになる。それをこの十年ぐらいで目の当たりにしているのかもしれない。

漫才師としての活動休止について〜シングルファーザー日記最終回含む〜|ハチミツ二郎

リモートワーク開始前に『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』を聴いていたら、有吉さんがハチミツ次郎さんのnoteの日記に触れていたので購入して読んだ。
マイ・ウェイ東京ダイナマイト ハチミツ二郎自伝―』は買って読んでいたけど、その先の話だった。終活として残りの人生をどう過ごすかということを、壮絶な内容が書かれていた。
僕が初めて漫才を見たのは日比谷野外音楽堂行われた東京ダイナマイトの単独ライブだった。映画学校の撮影の授業などで出演してくれたりと手伝ってくれていたAV女優さんか何かの繋がりで東京ダイナマイトの単独ライブゲストで入れるから行きたい人は申し込んでみたいなことだったと思う。そう考えれば僕の初めての日比谷野音東京ダイナマイトだった。
ハチミツさんが岡山出身と知って親近感を覚えた。あの頃岡山出身の有名人は少なかった。甲本ヒロト稲葉浩志という日本のロックを変えてしまった真のカリスマと売上で記録を作っていったヒーローがいるから充分ではあったけど、芸人だと水道橋博士さん、森末慎二さんに有森裕子さんに川相昌弘さんに星野仙一さんに辰吉丈一郎さんとスポーツ選手が多かった。この時点でもクセは強い人ばかりだった。

高校の先輩である千鳥は東京ダイナマイトを観た2002年の時点ではまだ全国では知られていないし、「M-1グランプリ」決勝に進んでいない。翌年から決勝に進出し、最下位を2年連続取ることになる。しかし、今はあの世代の筆頭株になった。
千鳥の活躍もあり、岡山出身の芸人たちは空気階段が「キングオブコント」、ウエストランドが「M-1グランプリ」で王者となり、「シン・オカヤマ芸人」が『アメトーーク!』でできるほどになった。あと里庄から突然変異というか完全に両親の影響によるのだろうけど、藤井風が出てきてある種完成系というか、これ以上の才能もう出てこないだろう状態になった。
これは県民性もあるのだけど、中央(王道)が過密になった(レッドオーシャン)時に辺境(ブルーオーシャン)からやってきたものがやがて中央(王道)になっていく流れだったと思う。
岡山は新喜劇とかは普通にお昼に放送していたし、たかじんさんや紳助さんの番組も普通に日曜日とかやっていた。関西弁には馴染みがあるし、ノリはわかる。実際にできるかどうかは別で小さな頃から慣れている。だから、大阪に行く人が多かった。近いからすぐに帰れる距離というのもデカい。
千鳥の岡山弁は備後弁と関西弁のミックスであり、さんまさんの関西弁のようなもので、実際に住んでいる人とも僅かなズレがある。新しい方言であり、それが武器になって全国区になる要因になったと僕は思っている。
千鳥の大阪時代の後輩たちは岡山出身でもないのに千鳥の影響で岡山弁っぽい話し方をする人たちがそれなりにいたらしい。で、彼らも東京に進出してくると、それらの流れが千鳥と全国区でできるようになっている。

岡山県出身者でもう一人エポックメイキングとなったのは完全にオダギリジョーさんだった。平成仮面ライダーシリーズ第一作でクウガを演じて、その後役者として国内外と活躍するようになった。今の変身ヒーローものから役者として売れていく流れを彼が作った。
そして、どう見ても雰囲気や面構えは正統派ではない(でも異様にカッコいい)、まさにクセが強い。
関西に行かずにすぐに東京に出る岡山県民はかなり我(個性)が強いと思うのだけど、その代表格だと思う(東京ではなく最初にアメリカに行ってるのは、甲本ヒロト以降のロックのカリスマだったkjこと降谷建志の元妻のMEGUMIとも被る。)。
これはお隣の広島県の成り上がり志向とも関係していて、広島県民は大阪には行かずに東京というパターンが多いので東京にいると広島出身者にはわりと会うなということに繋がっていたはず。

この日記を読むとハチミツさんは残りの人生の時間を考えていて、その決意表明をしている。人間だからいろんな愛憎があってそのこともしっかりと書かれていた。
マイ・ウェイ東京ダイナマイト ハチミツ二郎自伝―』も書かれていたが、たとえ人生の終わりが見えたとしても、いや終わりが見えたからこそよりはっきりとするのかもしれない。許せないものは許さないという決意も見えた。
単純さと複雑さどちらも兼ね備えているのが人間であり、それがプリズムのように当てる光の角度や量や色で目まぐるしく変化していく。僕にはある側面しか見れないけど、他の人は違う側面が見えている。誰もがそうであって、相手との関係性の中で多種多様な自分(個人)が存在している。
短い文章や動画ではどうしてもそれらは伝わらないし難しい。小説は紙やデジタルと媒体は変わっていくとしてもなくならないだろうなと思えるのは、そういう人間のどうしようもなさとか答えのなさは簡単には理解できないし、そのためにはかなりの文量がないとその最初のところにすら辿り着けない。そして、それは答えがあるとか簡単だとかわかりやすいみたいなこととは真逆であって難しいしわかりにくい、でもそれが人間の本質でもあるし、それを求め続ける人はいると思うから。

いつも通りの時間からリモートワークを『川島明のそもそもの話』(ゲスト:銀シャリ橋本直)と『川島明のねごと』(ゲスト:チャンス大城)をradikoで聴きながら作業を。二つで二時間もないので、あとは『三四郎オールナイトニッポン0』のバチボコプレミアムリスナーのアーカイブを流していた。これももう今年の1月に突入してきた。
聴いたことあるっていうか、内容も聴くとなんとなく思い出すぐらいのもの。三四郎のラジオのいいところは内容を覚えないというか、聴いている時は楽しいけどすぐに忘れてしまうその軽さみたいなものだと思う。もちろん、聴いている時はすごくおもしろいし楽しい。でも内容をしっかりは覚えていないぐらいの話題。過去の話を二人が話をしていると「ああ、そんなんあったなあ」ぐらいで思い出す感じ、それが僕は好きだし聴き続けられる理由だと思う。

ニコラの曽根さんが書いた小説『死者のテロワール』が発売される。その告知が出ていた。発売されるの楽しみ。

リモートもが終わってからニコラに行った。アルヴァーブレンドとアアルトブレンドを飲みながら、上田岳弘著『旅のない』文庫版を読んだ。
単行本の時に読んでいたので、小説家の父親が息子と『鬼滅の刃』について話す件は「ああ、そんなんあったなあ」と思い出した

今やっているものと少し前に声をかけてもらったライティング関連の仕事についての連絡が来た。すべてのことはスムーズにはどうせ行かないけど、5月から忙しくなっていくといいな。

今回はこの曲でおわかれです。
米津玄師 - さよーならまたいつか! Kenshi Yonezu - Sayonara, Mata Itsuka !