Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年3月1日〜2024年3月15日)

2月下旬の日記(2024年2月16日から2月29日分)


3月1日
日付が変わってから2月下旬分の日記をアップする。誕生月になったので今月でひとつ年を重ねることになる。昔自分がイメージしていた大人とは程遠いが、そこまで悪くはない人生というか楽しくやってはいる。
でも、年齢だけでなく、時代や社会の変化が急激に変わる部分とゆるやかに変わる部分がある。それらに翻弄もされるし、確固たる自分というほどのものはなくても、陰謀論や宗教にハマったり、ネトウヨ化したり極左になったり、インフルエンサーに踊らされることもなく、なんとかほどほどにやっている。
現時点では自分がそうであっても周りの人たちがいつかそういう状況に陥ったり、あるいは病気になったり精神的に病んだり事故に遭うということは起きるだろうし、その時には否が応でも自分も巻き込まれたり関わっていくことになる。その時に自分にとって大事な人にはちゃんと向き合える人ではいたいとは思う。それが一番大切で難しいのだとも思う。
四千頭身都築拓紀 サクラバシ919』の追っかけ再生を聴きながら寝落ちした。

昨日の取材で疲れていたのか6時前に起きるつもりだったが、8時過ぎに目が覚めた。3月に入ったので早起きして作業をするというのを体に染み込ませたいのだけど、初日からダメだった。朝やる作業は仕事終わってからやることにした。しかし、ほんとうに3月まであっという間だった。


休憩中にTSUTAYA白倉由美著『夜明けと白と屍の病』と大塚英志原作/西川聖蘭作画『東京オルタナティヴ 承―天安門編―』を購入。
白倉さんは大塚英志さんのパートナーであるけど、大塚作品でも関わっている漫画家であり小説家。僕の家には漫画『贖いの聖者』や少女の頃の平野綾が表紙や中の写真で写っている小説『ロリータの温度』など彼女の作品があって、大塚英志名義の小説『冬の教室』『夏の教室』は白倉さんの朗読ドラマが原作になっている。それらの表紙イラストが鶴田謙二さんによるものだったが、今作も鶴田さんなので小説のテイストが近いといいなと思って、期待していたもの。
『東京オルタナティヴ 承』はコミックスとしては二巻目、「転」が来月出て「結」の連載が今年始まるとのこと。大塚さんらしい偽史であり歴史改変&可能性世界もの。フェイクがありふれる時代にフィリップ・K・ディック『高い城の男』のドラマ版とかの流れも汲んでいたり、イメージが感化されたもの。ずっと刊行を待っていたのでうれしい。

若林の良さはなにより品のあるところ、まったく卑屈にならないところ、「八丁堀だから」と深夜放送で言う江戸前なバックボーンがあるところ。東京の人間はこれが一番好きだ。大阪の“松本風”が止んだ今、根っからの東京人の私はこう思う(今まで土足で入ってきた大阪人に気をつかいすぎた。ここは東京である)。東京の文化を私はキチンと守り攻めこんでいきたい。

PS 東京の笑いは太田(爆問)、有吉、若林がいるから安心だ。

高田文夫氏が綴る、「若い」って素晴らしいとちょっぴり嫉妬したオードリーの東京ドームイベントとキチンと守りたい「東京の文化」

高田さんが書いていたエッセイ。有吉さん広島出身で、オール阪神さんの弟子だった時期も短いし、電波少年深夜特急させられる前から東京にいたから東京芸人という扱いなのだろう。書かれていることはわかるし太田、有吉、若林という並びも納得だけど、何か新鮮だった。

リモートでの仕事が終わってからライティング作業と自分の作業をする。
日曜日までに最初の部分を提出できればリズムはできそう。しかし、元々が長いから切るにしてもニュアンスとか流れをどうしていくか悩むと悩むだけ進まない。でも、いけそうな手応えはある。
自分の作業はさほど進んでいないけど、仕事のライティング作業のストレスは嫌でも溜まるから、その発散にもなればいいし、前みたいに複雑な話ではなくなったのでシンプルに書きたいことを書いてみればいいやって感じになってきた。

礼賛 - PEAK TIME 


ラランドのサーヤがやっているバンドの礼賛の曲がとてもよかった。

 

3月2日
8時過ぎに目が覚めて、眠気覚ましに散歩へ。radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きつつ、いつもの代官山蔦屋書店まで。新潮社の『波』の表紙がガブリエル・ガルシア=マルケスだったのでもらった。
来月末にガルシア=マルケスが最後まで執筆していた未完の小説『出会いはいつも八月』が出るの合わせたんだろう。また、高橋源一郎著『DJヒロヒト』の書評として菊地成孔さんの文章も掲載されていた。

書籍ページの下に菊地さんの文章が掲載されて読めるようになっていた。

一度家に帰ってから少しだけ作業をしてお昼過ぎには家を出て渋谷に向かった。半蔵門線渋谷駅からそのまま終点である押上駅まで乗った。その間、家に戻るまでは『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』を聴いていた。
三四郎ANN0」も「バナナムーンGOLD」も家で作業中に聴いた『EXITのオールナイトニッポンX』でも野球の大谷選手の結婚に関して、「結婚したねえ」というフリから入るということをやっていた。
時事ネタは生放送ならではの扱えるネタだし、彼の知名度とかももろもろ考えれば当然ではある。オリンピックもW杯もWBCの時も当然ながら世間的には気になることがネタとして話される。そういうものに興味がない、嫌いな人間としてその時期が来るとラジオのパーソナリティーが同じネタを話すのでちょっと勘弁してほしい気持ちにはなる。
でも、『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』もいろんなパーソナリティーが話してたじゃんかと言われそうだけど、そもそもラジオ番組が他のラジオ番組のイベントについて話すことなんて正直ほとんどないことだし、やっぱり向いてるベクトルは違うんじゃないかなって思うし、ラジオ聴いている時点で他のラジオのことも全く興味ない人の方が少ない、芸人がやってるラジオやポッドキャスト聴いていたらどうしても横や縦のつながりのほかのものを聴くようになるから。


先月10日に赤えんぴつ武道館ライブ終わって、友達のお母さんを送り届ける役目もあったので、その時に来て三週間ぶりの押上駅へ。亡くなった友達の形見分けを受け取るために来たのだけど、押上駅からも両国駅からも距離的にはあまり変わらない場所なので、今回は押上駅から20分ちょい歩いて行った。
部屋の退去準備をしているお父さんとお母さんに迎えてもらって、今日は来れなかった友達への形見分けのものを受け取った。お二人から僕にも形見分けということでいくつかのものを譲り受けた。
喉仏の骨と一緒に僕らが前にお渡しした写真や、会社の人が撮った写真が祭壇のような感じで置かれていた。彼女の一部だった喉仏の骨をまた触らせてもらって、スマホのカメラで画像を撮った。それは命日の時に自分が手をあわせる時に見れたらと思ったから。
部屋に行く前からひとつ決めていたのは、亡くなった彼女もご両親も喫煙者だから、お話をさせてもらうときに煙草をもらって一緒に吸うことだった。お焼香がてらの煙でもあるし、紙煙草なら一本もらって火を貸してもらうということがコミュニケーションになる。そういうことをしたいなって思っていた。

ヤングスキニー - ベランダ feat. 戦慄かなの【Official Music Video】 


煙草を吸うMVだから思い出した。

なんとなく行く前は一時間ぐらいお邪魔するつもりだったけど、気がついたら17時近くになっていて、約三時間ぐらい三人で話をしていた。ほんとうにあっという間だった。
秋田にも遊びにきてね、と言われたので行ってみようと思ってる。僕は秋田には親族とかもいなくて、縁もゆかりもない場所だったけど、亡くなった友達が出身だから彼女から秋田という場所が思い浮かぶようになったのがこの二十年近く、もう縁もゆかりもできてしまった。

 

3月3日
昨日歩きすぎたのか、思ったよりは緊張をしていたのか、ぐっすり寝入ってしまって起きたら9時前だった。
昼前に家を出るのでとりあえず、『オードリーのオールナイトニッポン』をradikoで聴きながら作業を開始。今日中に出しておきたいものの、あまり進んでいないのであやしい感じではあるが、毎週決まった範囲を出していくことにしているのでそこをクリアしていかないとのちのち自分の首を絞めるんだよなって頭ではわかってる。


土曜日に押上に行ってスカイツリーを見たら、翌日はヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』をもう一度観ようと思っていた。PARCO渋谷にあるホワイトシネクイントへ。
去年の年末に二回観たからこれで三回目なんだが、この作品に対する批判とかも目にしてるし言っていることはごもっともだと思うし、それもわかる。でも、ヴィム・ヴェンダースは自分の描きたい「妄想(理想)の東京」をそういう資本(UNIQLOとか)などを利用して(だまくらかして)作ってるわけで、パトロンの意向も無下にしない程度に、自分がやりたいことをやってる。それはなんというか最強に正しいインディーズ魂(精神)というか、商業ベースではない最も冴えたやり方なんじゃないだろうか。
288分もある『夢の涯てまでも【ディレクターズカット】』をル・シネマで開催したレトロスペクティヴの際に観た時にすごく感動した。ヴィム・ヴェンダースがそれまでやってきたものを混ぜ合わせていて、どう見てもやりたいことしかしてなかった。世界中でロケもしていて制作費もかなりかかっていたはずだけど、各国からお金も集めたりしてやりきってしまっていた。あんなもんヒットするわけない、でも最高の映画だったと思っていて、『PERFECT DAYS』もそれに近い匂いがする。

ストーリーラインはわかっているけど、やっぱりデラちゃんがタカシを探しに来て、もう仕事を辞めているから平山がいないよという意味で首を振るシーンではまた泣いてしまった。姪っ子のニコの母(妹)が迎えに来た時のやりとりでは以前に観た時よりも感動というか、知らないうちに涙がずっと流れていた。家族を巡るシーンだったからだろうし、昨日、友達のお父さんお母さんと会ったこともたぶん関係はしていたのだと思う。
僕は上京してから基本的にはずっと一人暮らしで、ある時期には友達が数ヶ月居候的にいたこともあったが、基本一人だ。一人の孤独というものには慣れてしまっている。
友達のお父さんお母さんと話をしていた時に、家族が増えてやがて子供が大人になって東京で生活を始める。両親もよく東京に遊びにもよく来ているぐらいに仲もよかった。その娘が亡くなってしまったことで家族が減る悲しみとそれによる孤独さみたいなもののことを話してもらったのだけど、その悲しみと痛みは今の僕ではちゃんと理解はできないなと思った。
僕にも実家に父や母や祖母、別のところに暮らしている兄がいるが、僕が生まれてからは祖父が亡くなっただけだ。僕が結婚したり、子供を持っていたら数は増える、そして誰かが亡くなって減ってしまう、失われたそこにいた人の記憶や思い出みたいなものが一人ではない家族だけの孤独を連れてくるのだろう。平山と妹の会話にはそれに近いものがあったのかもしれない。

ano、『猫吐極楽つあー』Zepp Hanedaで迎えたファイナル ファンとの約束のように響いた歌 

追加のZepp Shinjukuでのライブは楽しみにしていて、去年の音楽ライブでいうとSTUTSの武道館が素晴らしかったし、今年は赤えんぴつのライブにも行っていてしばらくは武道館に行くことはないかなって思っている。でも、あるとしたらano初武道館ライブかなって。今年か来年初頭にはきっとやると思うので、それには行ってどんなパフォーマンスをするのかを観たいと思ってる。

家に帰ってからは寝るまでライティング作業の続きを。しかし、進まねえ。やらないといけないと思うほどにやる気がなくなる感じ、〆切も一応あるけどなんだろうな、気力の問題か、とりあえず気圧で頭痛がするという言い訳もさすがにできないから、寝るまでは机に向かってちょっとずつ進める。

 

3月4日
起きてから朝活がてら昨日終わらなかったライティング作業の続きを。リモートワークまでに終わらなかったが少しは進んだ。夜には終わるだろうなと見当がつくぐらいにはなった。
いつもの始業時間からリモートワークを開始。なんというかいつも通りの作業の時間だけど、自分の中にあるいろんなものが混ざり合っていて、集中しにくい。
気がついたら昨日ぐらいから口唇ヘルペスができているし、ストレスがたまってるらしい。首から肩甲骨がガチガチになっていたので休憩時間を前倒していて、いつもの整骨院に行ってほぐしてもらったら少し軽くなった。


その帰りにトワイライライトに寄って、装画イラストを小山義人さんが手がけていて気になっていたリカルド・アルルフォ著/木下眞穂訳『死んでから俺にはいろんなことがあった』が新刊の平台にところにあったので購入。
店主の熊谷くんと版元の書肆侃侃房のことを話していたら、そこが経営している書店のajiroで柴田元幸さんの朗読イベントをしてきたと聞いた。この何年かで書肆侃侃房はいわゆるインディーズ系の出版社だけど短歌とかいろんな書籍を刊行されていて、本好きなら気になっている版元。
九州に福岡にあるので、そういう出版社なんだろうなってずっと思っていたので、実際に行った熊谷くんからいろいろ聞けてよかった。


Facebookで一年前のポストが出ていて、去年の今日は『東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館 なんと括っていいか、まだ分からない』を観に行った日だった。亡くなった友達と観に行ったということもあるし、そこでCreepy NutsのR-指定が歌った『のびしろ』には彼女が住んでいた家から見えたスカイツリーが出てきたりするし、とかいろいろと結びついている。
Creepy Nutsはこの武道館でのライブ二日間やったあとにはオールナイトニッポンを卒業し、ほかのメディアに出るような仕事も音楽関係以外は止めて音楽に専念した。そして、今や世界中で大バズりをしている。このライブのあとにCreepy Nutsのライブ観たいねと言っていた友達のことが思い出された。今年代々木体育館とかデカい箱で東京公演はやるみたいだけどチケット取るのは難しそうだよって言いたかったな、一緒に観に行こうと言っていたらよかった。

リモートが終わってからライティング作業の続きをして22時ぐらいに送信。
わりとすぐに原稿のチェックポイントについてのメールが返ってきた。なんだろう、一週間に一区切りずつ提出したほうがいいとは思ったけど、このペースだとちょっときびしい。

 

3月5日
6時前に目が覚めたが、なんだかダルいので8時に目覚ましを再度セットして二度寝。朝活がてら昨日の作業の続きを二時間ほどしてから、駅前の西友に行って昼ごはん用の食材を買いに出た。曇り空で昼以降は雨予報だったので、帰ってから洗濯物を取り込んだ。
14時半には池袋の映画館に着いていたかったので13時には家を出る。小雨がすでに降り始めていた。渋谷まで歩いていって副都心線に乗って池袋駅で降りた。目的地の東口まで出るまで久しぶりだったから迷ったし、思いの外時間がかかった。東口から外に出ると雨はかなり強くなっていたけど、目的地は目と鼻の先だったので助かった。

クリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマーIMAX試写をグランドシネマサンシャイン 池袋にて鑑賞。
29日にTOHOシネマズ日比谷のIMAX、今日のグランドシネマサンシャイン 池袋のIMAXがマスコミ試写だった。映画関係のことも書いているので試写状は送ってもらうけど、IMAX試写というのは初めてだった。29日の方は仕事で行けなかった。交通の便的にも池袋に行くのはちょっと嫌だけど、この二回目を逃したら公開日まで観れないから仕方ないなって思って申し込んでいた。
それで大正解だった。普段IMAXを観るのはTOHOシネマズ日比谷か新宿だけど、グランドシネマサンシャイン 池袋と大阪のどこかにあるIMAXが日本最大級だと観終わったあとに知った。日比谷や新宿のIMAX上映にも満足してたけど、ここはちょっとレベルが違う。遥かにそれらを凌駕していた。
終わって帰る時にライターの宇野維正さんと少しお話をさせてもらったが、宇野さんは日比谷でも試写を観たみたいだけど、ここはやはり別格だし、『デューン 砂の惑星 PART2』もここで観たらとんでもないよと言われたので、ここで観ることに決めた。
日本公開前(3月29日)だけど、アメリカでは去年すでに公開しているし、輸入DVDとかBlu-rayでも観れるし、史実をもとに作っているからネタバレもなにもないとは思うところはある。
物語の構造的は三つぐらいの時間軸が同時に走っている感じになっていることもあって、正直一回観ただけですべては理解しにくい。最後の方でなんとなくわかってはくるのだけど。その時間軸のことがはっきりわかっていなかったとしても、このクラスのIMAXであの映像を見せられたら今までになかったすごい映画体験をしてしまったとしかいいようがなくなってしまった。なんかもう違う次元だった。

すでに試写を観た人が原爆を広島と長崎に落としたことについて、一応オッペンハイマーが人道的にも後悔していることをアメリカ的なポーズとして描いているけど、あんなのは被爆国の日本に対してアメリカ人はなんも思っていない、人間扱いしていないとかいろいろと不満を書いていた。
クリストファー・ノーラン監督は両親がイングランドアメリカ人なのでイギリスとアメリカどちらの国籍も持っているし、アメリカ人的な思想とかで作っている感じはあまりしない。
というか、第二次世界大戦の敗戦以降、日本はアメリカの属国でありアジアにおけるコマでしかないんだから、アメリカ人が日本人を下に見ていようが申し訳ない感じで広島は長崎のことに言及したらそうなるでしょうよ、としかいいようがない。阿部和重さんの小説読めばいいのになって思った。
広島や長崎の原爆の悲劇をちゃんと描いていたら、おそらくこの映画はブレてしまっただろう。ソ連が原爆を作っていたことはアメリカも把握していて、彼らに先に使われてはマズい。アメリカが先に実験に成功して実戦で使うことで第二次世界大戦を終わらして主導権を持ち、さらに核の抑止力にしようとアメリカは思っていた。それは冷戦に向かって行くことになるのだけど、オッペンハイマー共産主義の関係も描かれるのでそちらに軸はあったなと思うし、広島や長崎のことを描くなら別軸が必要になったんじゃないかな。だとしたらドラマじゃないと無理かもしれない。

オッペンハイマートルーマン大統領に原子爆弾について懸念点を話すところでは自然と涙が出た。トルーマンは落とす都市について候補は12、いや11だな、京都だけは文化的な価値があるし、新婚旅行で行った素晴らしい街だと言って外した。そして、広島と長崎に原子爆弾は落とされたことを僕らは知っている。岡山と広島の県境で生まれ育ったから、道徳の時間で広島の原爆のことなんかも当たり前に習っていたのもあるからか、そういうシーンのところでは泣いてしまった。
確かに多くの日本人にとっては、オッペンハイマー原子爆弾は1945年夏のことがあるし、原子力としても東日本大震災原発事故のことが脳裏に浮かぶだろう。そのことを別にして観ろとは言わない。そのことに引っかかりながらでも観ればいい。そこに好き嫌いがあるのは当然だ。だけど、この映画はちょっとそういうことが頭にあったとしても、とんでもないものを観せられたと思わされる映画になっている。
しかし、クリストファー・ノーラン監督はとんでもないものを作ってしまった。劇中でオッペンハイマー原子爆弾を作って成功させてしまったように、それが作られてしまったら歴史はもう変わって戻れなくなる。ノーラン監督は映画を映画館で観るものとして生き残らすことしか考えていないのだと感じた。
この映画はIMAX用のカメラで撮影してIMAXのスクリーンと施設で観るように作られている。配信とかで家のテレビやスマホで観る人のためには作っていない。劇場に行って体験するしかないものとしての次の時代へ進んでしまった映画作品だった。

特集「震災後の世界13」の古川日出男さん「キカイダー石巻鳥島、福島」では、『ゼロエフ』で歩き、書いた古川さんが、つぎの一歩目を踏み出します。古川日出男さんと柴崎友香さんの震災と書くことをめぐる対談「書けないところから始まる」もあわせてお読みください。

おお、古川さん『ゼロエフ』の次を始めるんだ。『群像』がちゃんとサポートしてくれるならいいな。
僕は僕の歩くことを始めないといけない。村上春樹に影響を受けたならきっとランニングで東京を見たけど、僕は古川日出男チルドレンなので東京を歩いて見る。

 

3月6日
霧雨が降っていた。とりあえず、胃カメラの検査結果を担当医から説明の日だったので朝一で自衛隊中央病院へ。診断予約をしていたのですぐに順番が来て、ピロリ菌がいるのは確定なので抗生物質とかを一週間飲むということになった。その後八週間後にもう一度検査をして菌がいなくなったかを確認するという流れ。
思いの外時間がかかるものなんだな。ピロリ菌を放置しておくと胃がんになる可能性とかがあるから早めに処置したほうがいいわけで、これでも2月に入ってから検診して胃カメラの予約をしたりしてこのぐらいの時間はかかるのだから、放置しつづけたらなにがあるかわからないものだなって思った。
終わってからすぐに帰ってリモートワークを再開して作業を。昼休憩がてら家の近所の調剤薬局で処方箋を出したら、ものがないので明日になると言われた。一日ぐらいだったら、問題はないので取り寄せてもらうことにした。

仕事中はradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』、 TVerで『あのちゃんの電電電波』(ゲスト:chelmico)、Spotifyで『あのと粗品の電電電話』と『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:今泉力哉監督)と盛りだくさんで夜まで聴くものがたくさんあった。火曜深夜からあのちゃん関連は三つもあって、固め打ちみたいな感じになっているので、なんかそれを聴くと今日は水曜日っていう曜日感覚ができてきている。


仕事が終わってからニコラに行って、文旦とホワイトチョコ、マスカルポーネのタルトとアルヴァーブレンドをいただく。
土曜日に友達の家に行って形見分けしてもらった時に、お父さんとお母さんと一緒に煙草を吸わせてもらったこともあって、彼女が吸っていた煙草も開いていたのと開いていないのをもらっていた。
普段煙草吸わないから、そういえばライターがないなって思っていて、ニコラに行った時に持っていって吸おうと思っていたので一服。二年前ぐらいに下北沢で舞台を観終わったあとにその友達を連れてニコラには来たことがあったし、友達のことは曽根さん夫妻にも話していたので、ニコラで吸いたいなって思っていた。曽根さんにも一本渡して吸ってもらった。なんかそういうことなんじゃないかなって。
煙草は父親がヘビースモーカーだったから嫌いだったし、自分では吸うことはなかったけど、ニコラに来るようになってからカフェの文化というものは煙草を吸いながらワインとかを飲んで話すっていうもので、二人はそれが好きだから煙草を吸えるお店としてやっているのを知ったりした。
数年前に皿洗いの手伝いヘルプをしたあとに曽根さんから仕事終わりでもらった煙草を吸うっていうのがわりと好きで、個人的には煙草に対しての嫌悪感みたいなものはなくなった。煙草を吸ってからコーヒー飲んだらやっぱり、いつもよりコーヒーが美味しく感じられた。こういう追悼のやり方だってある。

昨日ぐらいから口唇ヘルペスが上唇にできていたものが潰れて、横に新しいのができて腫れている感じになっていて辛い。見た目も悪いから外に出る時には久しぶりにマスクをしていたけど、ニコラから帰ってきたら気持ち口唇ヘルペスの張り具合が和らいでいた。ライティング作業があるから、また腫れそうな気はしたけど、とりあえず今日中に直しがあったところは出して次へ行きたいので文句を言いつつ進める。

Naruyoshi Kikuchi y Pepe Tormento Azucarar’s 2021 in Orchard Hall 


菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの結成20周年記念巡回公演「香水」の東京芸術劇場プレイハウスでのチケットが先行で取れていた。
2021年に動画のオーチャードホールサントリーホールでコンサートを観てからはずっと観れていなかったのでうれしい。

 

3月7日
起きてから色々と連絡をしたりしてから朝活がてら作業を開始。夜は雨予報だったので家を出る前に洗濯して干してから家を出た。風は冷たくこのまま気温が下がってもおかしくない感じだった。
radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら渋谷まで歩いて、半蔵門線に乗って神保町駅まで。A9出口から出ると何度か来て歩いた記憶のある場所だった。地図アプリを見ながら見本帖本店へ。

「BOOKS 水戸部功×名久井直子
装丁に焦点を絞りほぼ同時期から活動を続けてきた、水戸部功氏と名久井直子氏。
お二人のこれまでの仕事から、それぞれ30冊を自選いただき、
その素材・造本・デザインを解き明かします。
削ぎ落としたデザインの水戸部氏、素材と加工を駆使した名久井氏、
対照的な仕事を続けるお二人の本から、〈装丁の現在〉をお楽しみください。


装幀家の水戸部功さんと名久井直子さんの手がけてきた装丁をそれぞれ30冊自選したものの実物が展示されているということだったので休みの木曜日にやってきた。12時近くだったが、十人ぐらいは展示を見ている人がいた。たぶん、デザインとか勉強したり、関わっている人っぽい人たち。
お二人の名前は書籍のデザインを見るのが好きなのでもちろん知っているし、古川日出男さんの5、10の倍数になるアニバーサリーに刊行される書籍だったり、これだという小説の装幀は水戸部さんが手がけているのでなんというか憧れもある。デビュー10周年時に刊行したメガノベルと呼ばれた『聖家族』は亡くなった菊地信義さんが手がけられていた。水戸部さんは菊地さんの弟子筋とも言える人なので、それを引き継いだという部分もあるんだと思う。
水戸部さんの装幀デザインは書店に行って新刊とかを見ていると、これって水戸部さんだろうなってわかるぐらいにはなってきた。似たようなというかパクったようなデザインもなくはないが、やっぱり細部に神が宿るというけれどなにかがまったく違うからわかる。
名久井さんのデザインされたものはどこか柔らかいというか包みこむようなものが多い印象だった。ビビッドなカラーを使っていても強烈ではあるもののどぎつくもないし、どことなくおだやかさが感じられた。


図録はお二人のものが別々になっていて赤い部分がケースではないけど、二冊が入る感じのデザインになっていて、これがすごく充実しているものだったので買ってよかった。
紙や輸送費の問題で書籍は値段が以前と比べても明らかに上がっていて、これからも上がっていくと思う。電子書籍のほうが場所も取らないし便利だという意見もわからなくはない。
でも、やっぱりこういうデザインであったり紙それぞれの色合いや素材が活かされたものの物体としての本が僕は好きだ。自分の体もいつか死んだら消える。
紙の本は燃えたり濡れたりしたら読むことは難しくなってしまうけど、それを免れたら何十年と僕は死んだあとにだって残る。やっぱり永遠ではないとしてもいつか自分が消えてしまうから、目に見える形を大事にしたいし所有していたい。


最寄駅に帰ってきた時に本日発売の文芸誌『群像』と『新潮』とハヤカワSFコンテスト特別賞を受賞して刊行が決まった間宮改衣著『ここはすべての夜明けまえ』を。
『群像』では特集「震災後の世界13」で古川日出男さんの『キカイダー石巻鳥島、福島』が掲載されていた。2000年に取材でお手伝いした『ゼロエフ』その後、というよりもその先へ、今現在に続くものとして書かれていた。『ゼロエフ』単行本の装幀は水戸部さんが手がけられていた。『新潮』に掲載している古川日出男×角田光代対談は去年の12月にジュンク堂書店池袋本店で行われたトークイベントを活字化したものだった。
『ここはすべての夜明けまえ』は大賞受賞していないけど、評価が高いらしく、自分がこの時の大賞だったらもっとこっちを応援したりSNSとかで広めてくれよというだろうなっていう感じの盛り上がり方をしている。装幀見たら恐ろしいことに名久井さんだった。今日はなんか古川さんと水戸部さんと名久井さんに関連する日になった。

本買って家に戻る前に昨日処方箋を出していた調剤薬局に行き、ピロリ菌用のお薬を受け取ってきた。今日から一週間朝夕と飲んでピロリ菌が除菌できるといいのだけど、薬剤師さんが薬について説明してくれた際にだいたい70%ぐらいで一回目では除菌できますと言われたので、微妙な数字だとは思った。

 

3月8日
夜中の3時ぐらいに一度目が覚めたので、金曜日が缶とビンと段ボールの回収なので出そうと思って玄関を開けたら、みぞれぽさも多少感じられる雪が降っていた。
結局、起きてからコンビニに行く時には止んでいたが、多少雪の残骸は残っていた。

いつも通りの時間からリモートワークを開始。これから春先にかけて公開する記事がいくつかあるけど、進み具合は問題ないので急がずに作業がでてきてありがたい。
昼の休憩時間に入ってから別件の週一回のオンラインミーティングをした。今月で四月以降の進め方とかが決まる感じ。うまいほうに転がって続くのがベストだけど、どうなるだろうか。

2024年、これを観ずに何を観る! 21世紀最重要作品『デューン 砂の惑星PART2』を解説【宇野維正のMOVIE DRIVER】 


今日からIMAXで先行上映が始まった『デューン 砂の惑星PART2』について宇野さんが話す動画を観た。
オッペンハイマーIMAX試写でグランドシネマサンシャイン 池袋に行ったばかりだったが、チケットを見たらさすがに金曜から日曜日までほとんど埋まっていて、いい席はなくなっていた。一般公開は来週の15日からなので行ける時にグランドシネマサンシャインIMAXでこの作品は観る。

私の新しい執筆プロジェクト『あるこうまたあおう』の第1話が文芸誌「群像」に掲載された。この掲載誌を、関西で移動の途上にある私はまだ目にしていないのだけれども、たぶん、きっと、いいや絶対に、ちゃんと世にドロップされているはずである。この『あるこうまたあおう』は執筆プロジェクトだが劇烈なる行動プロジェクトでもあって、とにかくここから2年前後、私はしっかりやる。あと、織田作之助賞の贈呈式がらみで乗代雄介さん(生身)に触れて、この人もまた「あるこう」な作家だったことに感銘を受けた。

『新世界はなにゆえ新世界というのか、と大阪で思う』2024.02.24 – 2024.03.08 東京・埼玉・大阪・兵庫・京都 「古川日出男の現在地」

仕事が終わってから古川さんの「現在地」を読む。昨日『あるこうまたあおう』の一話にあたる『キカイダー石巻鳥島、福島』を読んだので上記の文章のことがよくわかるというか、次なるものが始動していて続いていくんだなってわかって、それをちゃんと追いかけたいと思った。

Creepy Nuts - Bling‐Bang‐Bang‐Born / THE FIRST TAKE

 

3月9日

日付が変わる前からNHKの夜ドラで始まった『ユーミンストーリーズ』の第一週で綿谷りさ原作&夏帆主演『青春のリグレット』全四回を見始めた。一話15分と短いので四話まで見ても深夜一時を回る前には終わった。
一話は夏帆演じる菓子(かこ)が夫の浩介(中島歩)とやってきた旅先でかつて大学生時代のことを思い出し、青春時代の記憶と現在が交差していくというものだった。大学時代の彼氏が金子大地であり、現在の旅先のコテージを借りて遊んでいる大学生の中の一人の青年が青木袖という配役でバランスがすごくよかった。
夏帆さんの顔は個人的に大好きな系統であり、見てしまうのだけど、見ている時に口が少し半開きになって歯が見えるぐらいの角度になにかフェチ的なものというか、自分が惹かれる要素があるような気がしてきた。口周りの感じと全体のバランスみたいなもので自分が好きな顔なんだと思う。ドラマとは全然関係ないけど。


起きてから作業をする前に昨日買っていた早川義夫著『女ともだち-靜代に捧ぐ』を少し読んだ。書き手である早川さんと奥さんの話で、二人ともいわゆる普通の感覚とは言いにくい行動や言動だったりするけど、二人だけの中で許される許しているルールというか距離感、気持ちがあって、そういう人と出会えたことは素晴らしいことだしすごくうらやましいと思いながら読んだ。

話題作『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』が本フェスティバル招待作品としてワールドプレミア上映!
数々のヒット作を生み出し続ける漫画家・浅野いにおによる傑作漫画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(通称・デデデデ)の初アニメーション化。突如東京上空に巨大な宇宙船 通称“母艦”が襲来し、絶望的に思えた異常事態も次第に日常へと溶け込んでゆく世界で、日々の青春を謳歌する少女たちの物語。

16時半からTAAF(東京アニメアワードフェスティバル)2024招待作品として22日の一般上映前にワールドプレミア上映される『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』を観に火曜日に初めて来たばっかりのグランドシネマサンシャイン池袋へ。上映前には黒川智之アニメーションディレクターと本多史典アニメーションプロデューサーによるトークイベントがあった。
おそらく全席売り切れにはなっていたはず。僕は火曜日に『オッペンハイマーIMAX試写でここに来ることになっていたので、サイトを見ていたら偶然この上映を見つけてすぐに席を予約した。
プレミアムクラスという3700円ぐらいする真ん中近くのいい場所でシートも革張りな感じのグレードのいい席を取っていた。そのチケ代には700円分のミールクーポンというのがついていた。アイスコーヒーはそれで無料で引き換えられた。
お客さんは僕みたいな原作者の浅野いにおさん世代の40代もわりといたけど、若い女性もかなりいたし、アニメアワードということもあるのか海外から来たっぽい人も見かけた。

物語の内容としては全12巻のコミックスの半分ずつを前章と後章にわけるのではなく、門出と凰蘭二人の物語だからこそ、それを中心にしたものに再構成してあった。
驚くほどにあのが凰蘭だったし、幾田りらが門出だった。二人の声は原作好きでずっと読んできた僕にもまったく違和感はなかった。
また、この作品の肝ともいえる設定というか門出と凰蘭の小学生時代に起きたことも後章へのブリッジとして最後の方で出してきていた。原作ではもう少し後ぐらいのイメージだった。
ドラえもんのオマージュとしてのイソベやん(声は昨日亡くなったと報道が出たTARAKOさん)が作中作として出てくるが藤子・F・不二雄の描かなかった悪意とかも浅野いにお的に描いていたが、それも多くはないが映画にも出ていた。
上映前に黒川さんが「後章」のラストは浅野いにおさんが手掛けていて漫画とは違うものになるとサラッとすごいこと言ってた。あの終わり方にしないとなると、ほんとうに地球崩壊したりするのか、でも救いのない終わりにはならないとは思うけど、どうなるんだろう。
門出と凰蘭がもちろんメインだけど、ほかにも仲のいい三人がいて五人組でつるんでいた。その中の一人はあることに巻き込まれて亡くなってしまう。これは予告編にも出ているしネタバレではないと思うが、どうしても友達が死んでしまったあとの四人のやりとりのところで泣いてしまった。
東日本大震災以降の日本で僕たちが見てきたこと×(クリストファー・ノーラン監督『インターステラー』的な)SF的な想像力×シスターフッド作品が『デデデデ』という作品だと思っている。

昼頃に新TwitterことXでポストしていた柴崎友香さんの12月に出た単行本『続きと始まり』とちくま文庫で出たばかりの『百年と一日』のことを柴崎さんご本人がリポストしてくださっていて、版元の筑摩書房のアカウントもしてくれていた。
筑摩書房の紹介文のところには「東京のひがし・蔵前にある出版社です」と書かれていて、『百年と一日』の解説を書かれている深緑野分さんのインタビューをしに行った時に一度会社には行ったことがあった。目の前の隅田川テラスで写真撮影をした記憶もあった。亡くなった友達が住んでいたマンションは蔵前にあったので、歩いていける距離だった。いろんなものが繋がっていたけど、意識するようになると見えていなかったものが見えてくるのかもしれない。

家に帰る前に亡くなった友達のお母さんからメッセージが来て何往復かやりとりをした。
8日には部屋の荷物を実家に送って、9日にはお母さんもお父さんも家に戻って彼女の荷物を受け取るという話をされていた。だから、もう先週お邪魔したあの部屋にはなにも彼女と関係するものがなくなってしまっていて、がらんどうになっている。たぶん、彼女の気配だけはわずかに残っているだろう。
次に住む人がやってきて家具を置いたりして新しい生活が始まっていけばその人の気配で満たされていく。それが繰り返されていく。
形見分けの時に僕もいくつかのものを譲り受けた。アーセナルファンでイギリスにまで試合を観に行った彼女が買っていたアーセナルペンダントもそのひとつだった。
僕は個人的にはサッカーは好きではない。元カノがサッカー好きになりすぎてどんどん追いかけていくのを苦々しい気持ちで見ていたが、僕にとって大切な人はどうもサッカーにハマってしまうらしい。ほんとうに困ったものだ。だけど、このペンダントは大事にする。

syrup16g - ex.人間(MV) 

 

3月10日起きてから金曜日に放送された『不適切にもほどがある!』の最新回を見る。脚本のクドカンに直訴して出演したという岡田将生がゲスト出演しているのだけど、山下敦弘監督&宮藤官九郎脚本『1秒先の彼』に岡田さんは主演しており、そこでもバスが時間に関する役目を背負っていて、今作と繋がっている部分があった。
最初の数話が放送されて、実際の1986年とは違うものやディテールがあるという声がSNSにはあったが、やはり作中作的なものの可能性も今回濃厚になってきたような展開だなと思った。

作業を開始しようと思ったけど、どうもやる気が起きないので寝たまま第一章部分まで読んでいた江國香織著『川のある街』の続きを読もうと思った。

 二羽の頭上には太陽が輝き、寂れた道は静まり返っている。くかかか、くかかか。 瞬膜が半分閉じられた彼女の目に、日ざしにあたためられたアスファルトが、鉱物的混合色とでもいうべき色合いに燃え立つのが見えた。腐敗と荒廃の結果であるその地面が、いまの彼女にはおそろしく美しく、生命力に溢れたものに見えるのだった。
P125

第二章的なパートではカラスの視線から街や人が見られているものが入っていた。上記の引用箇所はその中でもすごいなと思ってメモした文章。こういう文章を読むとやっぱり江國香織すげえなと思う。

「そう。いずれするつもりの帰国の時期とか」
 荷物が重い上に、道が若干登り坂だった。
「おばちゃん、こういうのいつも自分で持ってるの?」
 澤が訊いたのと、
「帰国なんてしませんよ。私には帰るところなんてないもの」
 と伯母がこたえるのとが重なった。
江國香織著『川のある街』P206

第三章の異国の街で暮らしている、パートナーには先立たれた老婆が主人公のものだが、「私には帰るところなんてないのもの」というセリフはリアリティがあった。
初生雛鑑別師だった祖母の兄は戦前にアメリカのカルフォルニアに一年近く日系移民の人に呼ばれて行き、帰国してその翌年にはイギリスに渡った。第二次世界大戦が勃発し日本とイギリスは敵国になったので仕事の最中に大伯父は捕まりマン島に収容された。戦争が終わっても日本には帰らず、もう一人の仲間と共に北アイルランドの養鶏場を任されてそこで暮らして、友達を看取ってから一人で暮らしてポーターダウンという町で亡くなった。
イギリスで一緒に仕事をしていて日本に帰った同じ協会だった人たちが戦後、高齢になってから大伯父の元を何人かが訪ねた。みんなが一人になったのだから日本に帰ってはどうかと聞いたが彼は首を振らなかった。最後に会いに行った人は戦前の初生雛鑑別師たちの海外での記録を書いていて、大叔父のことも触れていた。そこで大伯父は「もう私には日本に帰る場所はない」と言ったという。それを読んでいたから、この部分は自分がなにかが知っているものと似ているような気になった。

セリーヌ・ソン監督『パスト ライブス/再会』第 96 回アカデミー賞®授賞式直前特別先行上映ということでル・シネマへ。19時からだったので17時半には家を出た。
radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら宮益坂下に向かった。春日さんが仕事でロサンゼルスにいるということで、冒頭からしばらくは若林さんの一人トーク、そこからアンガールズの田中さんがゲストで登場。二人の言い合う感じが同期であり、共にテレビで戦っていたからこその信用でできているんだろうなと思わさせるものだった。本音もたくさんあるだろうけど、丁々発止でできるやりとりはやはり相手の懐に入っていて、互いの信頼がないとできないと思うし、二人がたのしそうだった。
アカデミー賞授賞式前に候補作になっているA24制作の『パスト ライブス/再会』と『関心領域』の二作品が公開日より前に限定的に上映されるというもので、ル・シネマ以外でもやっていたが一番近いのでここにした。お客さんは二十人ぐらいだったかな、男女半々ぐらいだろうか、部活帰りっぽい女子高生らしき二人組もいた。

海外移住のため離れ離れになった幼なじみの2人が、24年の時を経てニューヨークで再会する7日間を描いた、アメリカ・韓国合作の大人のラブストーリー。

韓国・ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソンは、互いに恋心を抱いていたが、ノラの海外移住により離れ離れになってしまう。12年後、24歳になり、ニューヨークとソウルでそれぞれの人生を歩んでいた2人は、オンラインで再会を果たすが、互いを思い合っていながらも再びすれ違ってしまう。そして12年後の36歳、ノラは作家のアーサーと結婚していた。ヘソンはそのことを知りながらも、ノラに会うためにニューヨークを訪れ、2人はやっとめぐり合うのだが……。

これが長編映画監督デビュー作となるセリーヌ・ソンが、12歳のときに家族とともに海外へ移住した自身の体験をもとにオリジナル脚本を執筆し、メガホンをとった。ノラ役はNetflixのドラマシリーズ「ロシアン・ドール 謎のタイムループ」や声優として参加した「スパイダーマン スパイダーバース」などで知られるグレタ・リー。ヘソン役は「LETO レト」「めまい 窓越しの想い」のユ・テオ。2023年・第73回ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品。第96回アカデミー賞では作品賞、脚本賞にノミネートされた。(映画.comより)

ノラを演じたグレタ・リーがどうしてもMEGUMIに見えてしまった。すごく似てる。彼女のパートナーであるアーサーは同じく A24制作のケリー・ライカート監督『ファースト・カウ』や『ショーイング・アップ』にも出演していたジョン・マガロだった。ヘソンを演じた役者さんは初めて見たかもしれない。その三人が主軸であり、ノラとヘソンという二人の初恋、その後という物語。
大きなドラマはない、といっても二十四年後に実際にニューヨークで再会するのが一番のドラマであり、ノラは結婚していてアーサーというパートナーもいるので初恋の二人は会いたかったという以上のことには進めないし、進まない。もどかしくもあるが、それがリアルだしそうだろうと観ながら思った。
作中では韓国語の「イニョン」という言葉が軸のようになっていた。日本語にすると「縁」や「運命」の意味らしい。袖振り合うも多生他生の縁みたいな感じで使われていた。今世では結ばれることがない二人は前世ではどんな関係だったのかと話す場面などがある。
ノアとヘソンとアーサーの三人で食事に行ってバーに行って飲むシーンが哀愁というか大人の恋愛や付き合いの難しさであり思いやりを感じられた。とても大人しい大人の恋愛ドラマという感じだが、カップルとかで観に行くタイプではないかも。通り過ぎたかつての大事な人を思い出してちょっとセンチメンタルになるような作品。


帰りも歩いて渋谷を抜けようとしたが、日曜の夜だというのに人がたくさんいた。特に誰かと袖振り合うことはなかった。

 

3月11日

13年目、震災以降何度か福島に行って歩いた。
機会があれば、ぜひ古川日出男著『馬たちよ、それでも光は無垢で』『ゼロエフ』『あるこうまたあおう』の第一回、第一話「キカイダー石巻鳥島、福島」(『群像』四月号掲載)を読んでみてほしい。
復興とはなにかということ、人と人の生活のことを考える。終わりはない、能登のことだけじゃなく、様々な震災が起きても改善されない問題など、あれからどれだけのことが震災の経験から活かされているのか。
祈りや願いだけではどうにもならない実生活に関する問題は国や自治体を動かさないとどうにもならない。人権や個人の自由を認めない人たちを僕はこれからも選ばないし、いろんな事柄によって変わるべきだったのに変えずに変わらないままで沈没していくことに関してはちゃんとNOと言わないといけないと思う。


リモートワークの昼休憩の時に今日、3月11日がオープン日で2周年を迎えたtwililightに。twililightが刊行した大崎清夏著『私運転日記』を購入。とてもきれいな装幀デザイン。

今日発表になったアカデミー賞でのロバート・ダウニー・Jrエマ・ストーンらの受賞の際の行動が差別的だと新TwitterことXで話題になっていた。
ロバート・ダウニー・Jrキー・ホイ・クァンは撮影後に抱擁してたけど、受賞の時の無視が問題になっていた。アジア人は目に見えていないという差別だとポストが広がっていた。
主演女優賞を受賞したエマ・ストーンは前回受賞者のミシェル・ヨーからトロフィーを受け取らずにハグしなかったみたいな感じになっているが、どうもミシェル・ヨーがエマの親友のジェニファー・ローレンスにトロフィーを譲って渡すように促してるっぽいし、それでエマも彼女とハグできずにみたいな感じに見える。その後ミシェル・ヨー自体がインスタでエマと抱擁している姿もポストしていた。
この二つのことでアジア人差別だ、という声がどんどん広がっていっていた。アジア人への無意識でも差別意識が働いているとしたら、それは残念なことだ。
ただ、条件反射でその前後関係も調べず、見ないでリポストすることが差別を見えにくくするし、加担するかもしれないとは思ったほうがいいよね、とは思う。
エマ・ストーンが受賞したのはよかったと思うし、試写で観たけど『オッペンハイマー』でのロバート・ダウニー・Jrの演技が素晴らしかったのは間違いない。

サンボマスターの曲の中でも屈指の名曲だと思うし、今日この日にこの曲をやるという意味、見ていた多くの人の心に沁み渡ったと思う。
Tverで見れるので今日の前半見て、この後半でサンボのライブを見たらこの『ラヴィット!』の良さが伝わると思う。ライブだけなら後半の25分前から、31分になる少し前から始まる『ラブソング』だけでも聴いてほしい。 

ラブソング サンボマスター 


TVerで見れなくなったらこちらを。この曲がリリースされたときにアップされた「長澤こよみ」というとある有名女優さんにしか見えない人の写真で作られた動画も素晴らしくセンチメンタル。自主制作でバージョンが三つあるけど、これが一番好きかな。
美しかった時間がかつてあった。過ぎ去っていったけど、一緒にいたことは日々や景色は心のどこかに残っている。

最中(モナカじゃないよ)というのは、いろいろな事が「それどころではない」という状態になり、時間が止まってしまう。こういうのをカイロス時間(主観時間)と言う。時間は基本、止まらないので、カイロスによって止まると、ものすごく止まってしまっていたかのように思ってしまうのだが、先生も看護婦さんも、受付の女性も、診察待ちの親子などもみんな含め、何も変わっておらず、時間が再び走り出すのが手に取るようにわかる。

再開したのだ。あらゆることが。後遺症という縁(よすが)だけを残して。たった半年だったのだなあ。と思う。既に去年の夏は熟成され、甘さを発し始めた。死の覚悟までしたのに。

どんな薬であっても、常用すれば効かなくなる。処方された「昔ずっと飲んでいた抗アレルギー剤」は、物凄く効いて、あれだけ僕を七転八倒させていた花粉症の諸症状は、2錠で綺麗さっぱりなんともなくなってしまう。

深夜0時から早朝7時までスタジオに入る。ぺぺは、クラシック、ジャズ、ラテンという3つのトライブが、そのどれでもない音楽に収まるミクスチュアだ。各トライブには、各々のテクニカルターム=言語がある。

菊地成孔の日記 2024年3月4日~3月10日記す>



リモートの仕事が終わってから、SUPER DOMMUNEYouTubeを流しながらライティング作業を。余裕はあまりないけど、ちょっと中旬以降のスケジュールが読めなくなってきた。
ピロリ菌の除菌薬が効いているのかどうかわからない。確かに下痢気味な感じにはなっているが、赤いブツブツがちょっと出てきてかゆかったりするけど、その原因が抗生剤なのかもわからない。あと三日なのでとりあえず一週間早く飲み終わりたい。そうすれば二ヶ月後の菌が残っているかの検査までなにもないから。

 

3月12日
寝る前に第11回ハヤカワSFコンテスト特別賞を受賞した間宮改衣著『ここはすべての夜明けまえ』を読み始めた。死なない体になった主人公が家族史を書いていくというもので、漢字やカタカナなどはほとんどなく、ひらがなばかりが使われている文章になっていた。
正直こういう文章は思いの外読みにくいものだったりはする。だが、冒頭から主人公が置かれた立場や語り出した過去の話ということがわかっているからか、そこまで苦手意識は出ずに、こういうものだと脳が判断して読んでいる感じ。
刊行前から早川書房SNS系ではすごくプッシュしていたので気になっていた。大賞受賞作はすでに刊行されているので、どうしてもこの作品を刊行したいという気持ちにさせる作品だったのだろう。となると最後まで読むと沁みいる人もいるし、ある種拒絶する人もいるというものなのかなって気もする。

起きてからライティング作業をして、自分で決めていた〆切よりも早く提出した。ひとつずつ終わらしていくしかない。
で、昨日の時点では認めたくなかったけど、赤いブツブツはやっぱりじんましんぽい、あるいは薬疹というものなのか。しかしめっちゃかゆい。上半身の胸から上のほうにできていて、ちょっとみみず腫れっぽくもなってる。顔には出ていないが、顎ぐらいのところにもできていてかゆい。ピロリ菌とかゆみと副作用で検索したら、じんましんや薬疹が出たら薬を飲むのをやめたほうがいいと書いているし、処方箋の袋にもそれらの症状が出たら連絡くださいと出ていた。


家を出たら雨がしっかり降っていた。友達の形見としてご両親から預かっていたものを渡すために新宿三丁目へ。バルト9が入っている新宿マルイアネックスの地下にあるBrooklyn Parrlor SHINJUKUで待ち合わせを。なんか僕が好きそうだと予約をしてくれていたので、オープンすぐに入ってから料理を頼んで食べてから、形見の品を渡した。
結局、四時間近くお店にはいた。アイスコーヒーを三杯ぐらいは飲んだ。外はずっと雨が降っていて、店を出てもかなり降っていて、今の気持ちには合っている天候だなって思わずにはいられなかった。
お互いに亡くなった友達とは22年ぐらいの付き合いだったし、そのことを共有できる人もほとんどいない。ふいに彼女の形見を置いているイスを見たその友達が、今そこにいたような、三人で話してるみたいな気がしたと言って泣いた。
僕らは平日の昼間、雨がザーザー降る新宿三丁目の地下で泣いていた。僕が彼女に最後に会ったのも同じ新宿でビルは違うけど、すぐ近くのマルイ本館だった。一緒に朗読劇を観て、彼女は珍しく風邪気味だというので飲みにも行かずに違う路線だったので外で別れた。あの日は今年最初の雪だった。今日は雨だった。

家に帰ってから、新宿にいた時にはかゆみもなかった蕁麻疹がまた赤くなってかゆみが出てきた。もう、さすがに無理に薬を飲むのもいいとは思えないし、診察を受けて処方箋を出してもらった病院に電話をした。
喉がイガイガしたり、呼吸がおかしいことにはなっていなかったので緊急ではなくてよさそうだということになり、水曜日は診てもらった先生がいる日だったので明日一番で病院に行くことにした。
さすがに今日の夜はピロリ菌の除菌薬は飲まないで、一旦止めることにして明日これからどうするかは先生に聞こうと思った。もう、この状態で無理したらさすがにダメだろう。しかし、自分の内臓っていうか胃が思いのほかナイーブだった。まあ本来の機能も抗生剤で落ちてるだろうし、免疫も弱まってるだろうから、無理してひどくなったら意味ないし。これで薬の副作用じゃなかったら怖すぎる。

 

3月13日
6時に起きてからベッドで寝たままで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴きながら、ちょっとずつ起きて準備を開始。ピロリ菌の薬でじんましんが出た可能性が高いので、最初から診てもらっている消化器内科の先生に今後どうするか聞こうと思って、7時半には家を出た。8時前には自衛隊中央病院に着いた。予約が今回はないので整理券を取って8時半からの受付を待った。結局、先生に診てもらって処方箋を出してもらうまでは9時半と思いの外時間はかからなかった。
ピロリ菌の抗生剤のどちらかがアレルギー反応を起こさせている可能性が高いので、かゆみ止めの処方箋を出してもらった。除菌薬は七日間続けて飲まないといけなかったけど、僕は昨日の五日目まで、先生がいうにはワンチャンでピロリ菌が除菌できているかもしれないので、6月の菌の検査はそのままということになった。
かゆみ止めを五日間飲んでも治まらなかったら皮膚科へと言われた。上半身の胸より上の首の辺りと背中の背骨付近がかゆい。正直痒み止めが効いてるのかどうかわからないから気になる。抗生剤のアレルギーが出てしまっているのか、かゆみ止めが合わないのかがわからない。とりあえず、先生には診てもらったので一安心はしたけど。

病院への行き来の間はずっとradikoで『あののオールナイトニッポン0』を聴いていた。番組が終わるという話もしないし、明日「オールナイトニッポン」の2024年のラインナップ発表だけど、「ANN0」の五つはたぶん変わらないのだと思う。終わるという発言をしているパーソナリティーは皆無だ。このラインナップがちょうどいい。
あのちゃんも『R-1グランプリ』チャンピオンの街裏ぴんくについてトークをしていたが、彼の芸風的に言っていることが本当なのか嘘なのかわらないって話から、今回のトークの流れもできていった感じだった。そういうのが自然とできているのはやっぱりすごい。
帰ってから仕事中に流していた『JUNK 爆笑問題カーボーイ』には街裏ぴんくが短い時間だが顔を出して挨拶をしにきていた。何度か番組に呼んでもらっていたからなんだろう、義理堅い。
土曜日にTAAF招待作品で観た『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』のラストで流れたano feat. 幾田りら『絶絶絶絶対聖域』は劇場の音が大き過ぎたのかちょっと割れる様に聴こえたけど、今回のラジオでフル尺でかかったのを聴くとやっぱりあれは音割れてた。この曲のMVとか早く出ないかな。

11時前には処方箋出してかゆみ止めの薬をもらって、家出リモートワークを開始。かゆみはまだあるから気になってしまったが、朝の分はもらった時に飲んじゃっていいですよと言われたので飲んだ。副作用としてかなり眠気が出ると言われた。
14時過ぎに休憩をとって、30分ほど仮眠したが確かにすぐに眠れた。でも、夕方ぐらいにまたかゆみが出てきたりして、抗生剤のアレルギー反応なのか、かゆみ止めが逆に合わないのか効いていないのか判断がつかない。


仕事が終わってからニコラに行って、そら豆と木苺のモンブランとアルヴァーブレンドをいただく。気のせいか家を出るとかゆみが出ないんだけどなあ、ダニかハウスダストとかのアレルギーじゃないかなってまだ思っていたりする。でも、それでもかゆみ止めは効くと思うんだけど、どういう状態なんだろう、これ。
土曜日と月曜日に〆切というか提出するライティング作業があるから、集中できる状態に早くなりたい。

 

3月14日
最悪だ。起きたら首元まで赤かったものが顔にも見られる。朝8時半の一番早い時間帯に免許更新の予約を入れていた(東京都は2月から届いたハガキからウェブ予約して自分のQRコードを取らないといけなくなった)から、この顔で写真撮るのかっていう。
昨日はかゆみがあったところは冷えピタとかで冷やしてなんとかかかないようにできるだけしたのだが、結局昨日処方箋でもらったかゆみ止め効いている感じがあまりしない。ピロリ菌の除菌薬の抗生剤のアレルギー反応なのかもしれないし、あるいは除菌した際に死滅したピロリ菌が出す毒性のなにかのせいなのかはわからない。やっかいすぎる。

免許は8時半前には世田谷警察署の免許更新センターに行って、一番目に並んでいたので9時に30分のビデオ講習が始まってすぐに新しい免許を渡してもらった。
しかし、顔も赤いが輪郭が太りすぎだ。五年前の時でも一般的には太っていると言われる体重だが、それでも今と比べるとかなりスッキリしているように見えてしまう。それから十数キロ太っていて今は人生で一番太っている。顎や首に肉がついているから比べると輪郭がだいぶ違う。A24制作のブレンダン・フレイザー主演『ザ・ホイール』でフレイザーが演じた太り過ぎて家から出れなくなった主人公のことをちょっと彷彿させる。
車の運転はしないから次は五年後か、今の免許写真は戒めとして見ろと言われてるみたい。ほんとうにいろいろと変えなさいってことなんだろう。終わってから家に帰る時に手首とか手のひらも赤い斑点ができていたり、赤くなっていた。「エヴァ」で使徒に侵食されてる感じっていうか、陣地取られてる感がわかりやすくある。
自衛隊中央病院には皮膚科もあるから行こうと調べたら今日木曜日は休みだった。最寄駅で皮膚科を検索して探してみるが、一回も行ったことがないのでどこがいいのかわからない。
年賀状だけは十数年とお互いに出しているバイトが一年ぐらい一緒だった人が駅近の皮膚科のクリニックにはずっと通っていると言っていた記憶があったので、そこのサイトを見た。ウェブでの予約はいっぱいだったが、電話して訳を話すと院長先生ではない外部からの先生なら12時から予約できると言われたのでお願いした。

家に帰って服を脱いだが、やっぱり胸から首元と内腿の付け根辺りにあった薬疹の赤いものがお腹の方に広がっていた。昨日からかゆい背中も見れないけど、腰の方に広がっているのはわかる。
予約でいっぱいだったけど皮膚科に行って待っていたら30分以内には診察室に呼ばれて、ピロリ菌の除菌剤飲んでから赤くなっていったこと、除菌剤は五日まで飲んで先生に診てもらって止めて、かゆみ止めを出してもらったのを飲んだけどじんましんか薬疹が広がっていることを伝えた。
先生はじんましんではないだろうと、おそらく除菌剤のアレルギーによる薬疹か、ピロリ菌が死滅した際にだした毒性のものが原因だろうけど、特定は難しい。薬であればもう飲んでいないから治るはずだけど、これから全身に広がるということ、基本的には様子を見る感じになると言われた。かゆみはあるのでステロイドの入った昨日飲んだものよりも強めのものと胃の粘膜を保護する薬を出してもらった。
抗生剤のアレルギーでもピロリ菌の毒素によるものでも普段の皮膚の状態になるのはちょっと時間がかかると言われた。呼吸関係がしんどくなったり、粘膜系が爛れたりしたら、ほんとうに危ないのですぐに電話を言われた。ひどい場合だと最悪入院して点滴して中の毒素を出し切るみたいなことになるらしい。それはマジで嫌だし大変。
土曜日に薬を飲んで経過を診てもらうことになった。かゆみが減っていったらなんとかなるんだろうけど。今、体内にある毒素とか出し切って再生させてほしい。今年はもう体のことちゃんとメンテナンスしていく。もうそのきっかけにすると思わないとしんどい。

ステロイドの入った炎症やアレルギーを抑えるベタセレミン配合錠というのは、昨日飲んでいたものよりもさらに眠くなると皮膚科の先生に言われた。朝昼夕の一回一錠ずつだと仕事とかに支障が出るかもしれないということで夕食後に一日分として二錠飲むということにしたので、夕食を食べるまでは一旦一時間ほど横になって眠ったが赤みとはやっぱり引いてなくて腰の上とかにさらに広がっていた。ライティング作業はしないといけないけどちょっと精神的に無理。
寝転んだまま読みかけていた大崎清夏著『私運転日記』を。現実逃避というか、本読めるならライティング作業も多少できそうな気もするし、日記をこうやって書いているからできそうなんだけど、かゆみとか薬疹の広がりも気になるけど単純に仕事をやろうというテンションになれない。〆切は近いけど、今はできない。

8月20日

 シネコヤで『アフターサン』観る。薄い層を何枚も何枚も重ねて、それが溶けていくのを見ているような映画だった。忘れてしまうことばかりだった。スクリーンのそこらじゅうに、濃い死の匂いが漂っている。私たちが死ななくても、私たちの関係が毎日死ぬこと。だから記録すること。記録には何も映っていないこと。とどめようと足掻いた事実だけが再生されること。帰ってきたら午後だった。おやつのような時間に、納豆キムチ炒飯を作って食べた。夕飯は冷麺。

『私運転日記』「運転しない日々」 P105より

大崎さん日記を読んでいて、上記の部分が気になったというか、僕も『アフターサン』を観たけど、こういう書き方はすごくいいなって思った。16日からの下旬の日記はこのぐらいにシンプルにしようかな。
最後まで読み終わってから買ってきてきたナポリタンと豚しゃぶレタスサラダを食べてからもらった薬を飲んだ。ステロイドがどのくらいで効くのか、眠気はどのくらいなのかと思いながらまた横になって、20時からの「オールナイトニッポン2024年度ラインナップ」を17LIVEで見ることにした。

「ANN0」2024年ラインナップは月から金までは2023年のレギュラー陣が継続するのはすごくうれしい。この五番組は毎週聴いていて楽しみにしているしバランスもいいと思う。そこに最終土曜日にヤーレンズが月一回のレギュラーになったのもうれしい。
会見にはヤーレンズが出てきて挨拶をしていた。それもあって、去年は三四郎が司会だったけど、今年は現場に芸人がいるから彼らは司会ではなかったのかなと思ったり。
「 ANNX」の山田裕貴が一部昇格したあと枠にはキタニタツヤがレギュラーになっていた。『あのの電電電波』にゲストで出ているキタニタツヤを見たが、東大卒だが勉強ができるインテリというよりは地頭がよくて変態的なものもちゃんと好むというユニークな人、昔の頭いい人ってそっちよりだったと思うけど、この人はかなりよいのではないだろうか。
ミュージシャン枠だし、トークもいければ今後どんどん活躍の場は広がりそう。wiki見たら小学生の時にアジカンからロックを知って、高校時代にはアジカンのコピバンをしていて、ボカロPとしても活動をしていたらしい。アンダー30の人たちで曲を自作している人たちで才能豊かな人は以前にはボカロPをやっていたり、TikTokから世に出てきたりしていて、すごい時代を感じる。

 

3月15日
5時前に目が覚めた。髪の毛は二日ほど洗っていなくて気になっていた。湯船につかって温まると血行が良くなって薬疹のかゆみが出てしまうのでシャワーだけでと皮膚科の先生に言われていた。
シャワーを浴びて髪の毛を洗ってから寒いけど冷水で体全体を流した。体が冷えるとかゆみとかはなくなっていく。かゆいときは冷えピタとかで冷やしていたが、これはわりと効果があって、二度寝して7時過ぎに起きてもしばらくは大丈夫だった。
といっても仕事を9時からリモートで開始したぐらいから、かゆみが出てきた。両肘の内側に出てきたし、両太ももの足の付け根の下に広がっていたもの膝方面へ、胸の上部分に広がっていたものはお腹の方へと赤い斑点が広がっていた。
出してもらったステロイド入りのかゆみ止めを飲んでも効いている時とそうじゃない時間帯があったりする。先生が言われていたように、まずは全身に薬疹が広がってからゆっくり落ち着いていくのだろう。
顔は赤いままだし、首元も斑点みたいに赤いところと白いところがあって、明らかになにかアレルギーっぽいのが出ているのが普通に目視できる。顎の方とか瞼の上やかゆくて何度か掻いてしまった胸のあたりの皮膚は皮がカサカサになって剥けてきている。この辺りの状態は触ると皮膚やられてるなってよくわかる。
ネットで薬疹のことを調べても10日から14日ぐらいは元の状態に戻るのにかかるとあった。重症化したら毒素とかを点滴で全部流し切るとあるけど、これ以上ひどくなる感じはない。ただかゆいし赤い。二週間とかかかってもいいけど、このまま赤みが残ったり、肌が荒れたままだと嫌だなあ。もう若いわけでもないし、皮膚とかの再生能力次第なのかもしれないけど。

朝起きてからは『ハライチのターン!』を聴いて、仕事が始まってからは『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』『四千頭身都築拓紀 サクラバシ919』を流した。
都築とマヂラブは自分よりも若いけど、声が無理じゃないというかなんか馴染む。どちらかというと女性よりも男性の方が合う合わない声があるような気がする。自分と同世代や上だとあまりそれは感じないのだけど。

リモートが終わってからライティング仕事の作業を。〆切も近づいてきたのもあるけど、かゆみとかにも慣れてきたし、明日の〆切のものはアイデア次第なのでどうするかは考えていたのでそのパターンを書き始める。月曜日のものは日曜月曜でなんとかなりそうな算段。算段は算段でしかないから手を動かすしかない。
なんとか体調と共にリズムも戻さないといけないなって思ったけど、体調はよくしないとどうしようもないけど、生活のリズムとかもうちょっと考えてみよう。

今回はこの曲でおわかれです。
ゆるふわギャングと踊ってばかりの国『君の街まで』Music Video(2024)