Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年10月16日〜2023年10月31日)

10月上旬の日記(2023年10月1日から10月15日分)


10月16日
目が覚めて、もう少し寝転んでいたいなと思ったけど可燃ゴミの日だったので起きて集積所にゴミを出しにいく。こういうことをめんどくさくなってゴミとかを溜め出していくと、ある地点やラインを超えてゴミ屋敷化したり、どうでもよくなってしまうんじゃないかなという恐怖もあるのですぐに終わらす。

リモートワークを開始していつも通りの通常業務を昼過ぎまでやっていた。そこからは僕は直接関わっていないが会社の仕事の案件でオンラインミーティングがあるので、一時間半ほど声も発せずに意見を出してやり取りしている人たちの議論を聴いていた。
その人たちが決めようとしていたことは、誰かの人生が変わってしまうようなものだった。話を聞いていると選ぶ側の責任であったり、覚悟みたいなものが感じられた。その人たちもそうやって選ばれたりしてチャンスをもらって結果を出してきたから、選ぶ側にいるからこそ、選ぶという行為に責任を強く感じているし、誰かの人生ができるだけ良い方向へ動いてほしいという願いがあるように見えた。

仕事が終わってから、今やっている案件の軽い打ち合わせをやった。前回提出したものも最終チェックする人からも概ね問題なかったということと軽い修正点などを伝えられたので来週提出のものもその合格ラインを超えていけるようにしたい。

I's - " Dont@me " LIVE at 渋谷WWW X 


先月のI'sのライブから2本目となる動画がアップされていた。やっぱりあの日のライブは全体的によかったんだなと改めて思う映像であり、あのちゃんのタレント性がテレビなどの露出が増えることでさらに磨きがかかっている。あの名義の方のポップな曲とは違ってゴリゴリのロックをバンドでは鳴らしているのも素晴らしい。

夜は作業の時間をスケジュールに入れていたが、ちょっとなまけて読書の時間にした。明日はリモートワークの仕事はないけど、夜はライティング作業をするスケジュールにした。しかし、〆切が重なる時は集中力がもたない。

 

10月17日

起きてから昨日少しだけしたライティング作業の続きを。
9時前になってから家を出て池尻大橋の246を越えて目黒川沿いを天王洲アイル方面へ向かって歩いていく。前日に見た天気予報が20℃ぐらいだったけど、川沿いはわりと日差しがダイレクトで、できるだけ影になるところを歩いたが汗はかなり出てきた。
正月にも目黒川沿いを歩いて天王洲アイルのほうから東京湾岸を見て、東京タワーを横目に北上して赤坂にある豊川稲荷東京別院まで歩いた。
今回は地図アプリに住所を入れてそのラインを沿っていったので五反田過ぎ辺りから川をしれて品川と北品川を過ぎて目的地の「TERRADA ART COMLEX」に着いた。

なんとなく見覚えがあるなと思ったけど、目の前がテレ東の天王洲アイルスタジオだったので、たぶん元旦に前の道路を歩いていたんだろう。
目的の展示は11時からだった。9時前に家を出てちょうど2時間で着く予定だったので、ほぼスケジュール通りにたどり着いた。その歩いている時間はradikoで『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』を聴いていたが、番組がちょうど2時間なのでほぼ聴き終わったのでピッタリだなと思った。

散歩と潜水

毎日出会うイメージを日々合成して大きなイメージを作っていく。私はそれを仮に「地図」と呼んでいます。

地図は日々大きくなっていきます。そのデジタルイメージの中をスクリーン上で散歩して心惹かれる「部分」を探しに素潜りのようにデータに潜ってイメージを持って帰ってくる。

データの中に潜ってゆっくりとスクロールしながら画面を眺めていると、私が過去に撮ったイメージは自分を離れて、見たことのない、気づかなかった、魅力的な「部分」に出会います。

最初から写っていたものもあれば合成によって自動生成された細胞のようなディティールもある。

新しい発見と再トリミング。その作業は自分だけれど半分自分から離れていくような感覚もある。

そこからはデータを現実の世界にもう一度引き戻す作業をします。

日光により露光され、水に潜って定着されたクエン酸鉄(Ⅲ)アンモニウムと赤血塩で得られるサイアノタイプと呼ばれる紺色の画像は、知っているようで知らない、劣化のようでもあり生まれ変わったようでもある、妙な居心地の悪さと新鮮さを私に与えてくれる。
                         細倉 真弓

3階のTakuro Someya Contemporary Artで開催中の細倉真弓個展『散歩と潜水』を観にきた。オープンと同時だったこともあるし、平日だったので僕が鑑賞していた30分近くは入口のスタッフさん以外は誰もおらずいろんな角度や距離から作品を観ることができた。


最初に入ったスペース以外にももう一室あって、それが一番下のスクリーンに映し出されている灰色寄りの映像と壁にもうひと作品パネルを作った作品が展示されていた。
僕は最初のスペースにずっといたけれど、ひとつの作品を構成するパネルたちのひとつずつの青色の濃度の違い、そして表面の皺とか物体としても差異があるのがよくわかる。
青が好きっていうのもあるんだろうけど、観ているとなんだか落ち着いた。湾岸近くにあるということもあるから海のイメージとも重なっていたのかもしれない。あとタイトルにもあるように、二時間ほど歩いて行った(散歩していた)から青の深度に感応しやすかったというのもあったのか、と。
個展の会期は7日までだったが延長されて21日までになったので、観に来ることができてよかった。前に細倉さんの写真集『Jubilee』に収録されている青色が落ちてきてエメラルドグリーンに近い髪色になった人の写真がすごくよくて、それを装幀にするイメージで書いた小説が前にあった。一次選考は通過したがそれ以上にはいけなかった長編だった。
先週一緒に舞台を観にいった友人のパン生地くんとその小説の話になった時に、添削して削りまくりたいと言われて(僕の小説は固有名詞とか無駄なサブカル的な知識とか入れすぎだからということもあり、前から削ったほうがいいよとアドバイスしてくれていた)、渡したら原稿用紙換算620枚が270になって戻ってきた。
ほぼストーリーラインだけにしてくれたらしく、それを元に別のタイトルにして別の作品としてリライトしようと思っている所だったので、細倉さんの展示があるなら、リライトする際のなにかのヒントやきっかけになるんじゃないかなと思ったのも行こうと思った理由だったし、そういうタイミングなんだろうなって。


帰りは五反田まで出て電車に乗って渋谷まで出てから最寄駅もありかなと思ったけど、せっかくだし来た道を引き戻す形で歩いて帰ることにした。
帰りはradikoで『フワちゃんのオールナイトニッポン0』を聴きながら、ゲストはマヂカルラブリーの二人だったが、わざとマヂラブが噛み合わないようにしたり、フワちゃんとの相性は抜群でおもしろかった。
なんだか、片道2時間ぐらいだと僕の中では散歩の範疇に入るんだが、それを越えて2時間半とかになってくると散歩とは言えない感じがしていて、個人的な感覚なのだろうけど、たぶん深夜ラジオを聴きながら歩くことがあるからその時間と結びついているんだろうか。


家に着く前に池尻大橋駅すぐのふたば書店で木澤佐登志著『闇の精神史』が出ていたので購入。「ハヤカワ新書」は『ソース焼きそばの謎』と『2020年代の想像力』に続いて三冊目。

未来を人質にとる? イーロン・マスクを駆り立てる「長期主義」という特異な倫理観――木澤佐登志『闇の精神史』まえがき全文公開 

木澤さんの星海社新書から出した『ニック・ランドと新反動主義』も同じく黒を主体とした新書だったので、彼の著作は黒をメインカラーで統一するというのがあるんだろう。

古川日出男の最新小説『の、すべて』朗読動画を公開!第一楽章「恋愛」より。 


古川さんの『の、すべて』朗読動画がアップされていた。
書籍も四章構成になっているので、それぞれの章ごとにわけて朗読しているみたいで、あと三回アップされるらしい。土曜日までに最後まで単行本を読みたいが結構時間がない。連載時に初回から最終回まで読んでいるけど、単行本になる時に加筆修正はされているだろうから、ある種完全版の『の、すべて』を読んでからイベントに行きたいというのもある。

とりあえず、夜からライティング作業の続きを開始。スケジュール通りにはいかないけど、少しずつでも進めていく。

 

10月18日
起きてからリモートワーク前に週一でやっているオンラインミーティングを。寒くなってくると起きてから読書とか作業とかをやりたくなくなってきているなと感じる。
このオンラインミーティングはどうなるかはわからないけど、自分がやったことがない、向けていない方向に向けるものだから、アドバイスというか書いたものに関して意見をもらうとなるほどなと納得することが多い。
同時に自分があまり好きではないけど世間的にはヒットしているものとはそういう部分やポイントを押さえているんだなと思うから、個人の趣味趣向としてはやっぱりメイン的なものから外れたものが好きなのも再確認できる。
次回までに今回出した案をミーティングで出た意見を参考にして修正することにした。ライティング作業の〆切もあるし、個人的にもこの前添削してもらった原稿に手をつけたいし、行くつもりでチケット取っているイベントもいくつもあったりして、スケジュールがパツンパツンだ。そういう時に限って、試験前の掃除みたいなものでできるだけギリギリまで作業に手をつけるのを先延ばししてしまう、現実逃避。
時間があって準備をしていたり、作業を始めている時のほうが余裕なはずなんだけど、スイッチのかかり方がゆるい感じもする。この辺りのことが今年の3月以降うまく付き合えきれていない、操れていない気はしている。

リモートワークが始まって作業をしていると佐川さんが荷物を届けてくれた。去年早稲田大学の国際文学館(村上ライブラリー)で「柳生イニシアティブ」主催で行われた「レコードプロジェクト『A面/B面』〜Conversation & Music」で古川日出男さんと向井秀徳さんの二人が朗読セッションをしたものをその場でレコーディングしたものをレコードにするというイベントがあった。その時に録音したものが今月ようやく連絡が来てレコードで販売しますということだったので頼んでいたものだった。
今はレコード販売数が多いわけではないが、昔のレジェンド級のアーティストの名盤や最近のミュージシャンの新譜も枚数限定でレコードリリースすることもあって、プレスが間に合わないので時間がかかるという話を別のところで聞いていた。だから、レコードになるのが遅かったのかなと思ったりした。

リモート作業中は『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』をradikoで聴いた。
爆笑問題さんは谷村新司さんが亡くなったこともあって、太田さんが昔ラジオも聞いていたけど、曲も好きでイベントにも参加していたらしく、思い入れも強くて谷村さんの曲を何曲も歌っていた。こういう追悼のやりかたはいいなと思えた。知らない曲ばかりだったけど、太田さんが影響を受けて好きだったということが伝わるから、なんというか聞いていると沁みるものがあった。
『あののオールナイトニッポン0』は何週間か繋がっているあのちゃんを共演NGにしているというベッキーさんがゲストだった。元バラエティ女王だったベッキーと今バラエティ番組の最前線で呼ばれているあのという新旧の組み合わせであるものの、前半のわりと初期の方から引っ張ってきたドラマ『VIVANT』ネタはそうそうにやめて普通に二人が会話している感じになっていて、素というか素直な部分が出ている感じがしてそのやりとりがとてもよかった。

HAKUSHI HASEGAWA - o(__*) (Live at 'New En Showcase') 


明日のKassa Overallのライブには長谷川白紙も出るのだが、こういう演出だったら嬉しんだけど、これはショーケースだから特別なのだろうか。
YouTube関連でいうと『佐久間宣行のNOBROCK TV』のゲストが『トークサバイバー2』の終盤でも活躍していたアンジャッシュの渡部さんだった。罵倒ギャルのみりちゃむとの絡みが新しいコンビの発見みたいになっていて、みりちゃむがすごいのもあるけど、佐久間さんがおもしろいと思って仕事をしたい芸人がどんどんおじさんになっているから、相手に若い女性を組み合わせないと新しいマッチングや発見がないということもあるのかもしれない。

改めて今週末から来週末までのスケジュールを確認したが、作業をわりと組んだものでやっていかないと無理っぽいし、やらないと色々と影響が出てきそうなので明日は休みにせずに普通に作業を夕方まではやらないといけない。
夜は来週火曜日に出すライティング作業のベースとなるものをとりあえずやった。できるだけ手が動かしやすいところから終わらせていくのがたぶんいい。

 

10月19日
起きてからすぐに可燃ごみだけを出してからしばらく布団に入ったままradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聞いた。ゲストはネトフリで配信中の『トークサバイバー2』のメインである千鳥の二人。今回で三回目だったかな、佐久間さんも千鳥を、千鳥も佐久間さんを信頼しているし、おもしろいものを一緒に作ってきた関係性というのがあるのが伝わるトークだった。中堅どころだと千鳥がトップクラスで、コンビでの活躍は少ないけど麒麟の川島さんが大活躍していて、『トークサバイバー2』でも笑い飯の西田さんも芸人的な強さを見せつけていた。
20年前の『M−1グランプリ』から関西だけでなく世間的にも名前が知られていった三組だけど、生き残るというのは才能も実力も運もなにもかも持っていないといけない。
大吾さんは志村けんさんの最後の弟子というか歳の離れた友人というか可愛がってもらった芸人だったりして、昭和的なものを引き継いでいたりするのもデカいんだろう。
年上だったけど、上島さんも志村さんのあとを追うようにあちら側にいってしまって、最前線で戦う芸人でそういうものを引き継いでいる唯一の人になっている、ようなイメージもあるからカリスマ性も増してきている。もともとダウンタウンの松本さん的なイズムなカリスマ性を吉本の中では近い部分があったけど、やっぱり志村さん要素が入ったことは今の活躍に結びついているんじゃないかな。


駅前の銀行に行ったついでTSUTAYA書店に寄ったら、佐藤究著『幽玄F』の単行本が発売になっていた。装幀がいいなと思っていたのもあるし、佐藤さんの長編ということで単行本になったら読もうと思っていた作品。
河出書房新社の書籍はあんまり響く装幀デザインが個人的には多くない印象があって、こういうデザインとかどんどんしていってほしい。


オープンしてすぐのニコラでモンブランとアルヴァーブレンドをいただく。17時を過ぎて店を出て渋谷へ向かう。


WWW Xで「Kassa Overall Japan Tour 2023」のライブを観る。ソールドアウトでパンパンだった。お客さんはいろんな世代がいて男女共にバランスが良かったような気がする。ジャズ好きな人ももちろんいるはずだが、ヒップホップ的な文脈とか他の要素から入ってきている人はわりといそう。
サンダーキャットのライブもそうだったけど、クラバー的な夜遊びしてそうなオシャレな人たちも多いので、音楽好きな人はアンテナを張っていてきちんとひっかかっているのかなって。
スペシャルゲストの長谷川白紙は最初は抑えめな感じだったが終盤に向けて盛り上がる曲を持ってきてお客さんの心を掴んでいた。最初は「あれ?大丈夫か」と思ったんだけど、最後の方でしっかり客のテンションをあげていた。
カッサ・オーバーオールは序盤ではわりと中央で立って歌っていたけど、中盤以降はしっかりと座ってドラムを披露してくれていた。会場のみんなも楽しく揺れていたのもすごく気持ちよかったし、盛り上がっていた。ステージにいるプレイヤーの技術が素晴らしく、会場に心地よいグルーヴが生まれていた。こういうライブを観ちゃうとまた観たくなる。いいライブを観れた満足感のまま家に歩いて帰った。

 

10月20日
起きてから目覚めざましのシャワーを浴びてからリモートワークを開始。早上がりのためいつもより早く作業を始めて、確認を取らないといけないものとかを進めた。
radikoでいつもの木曜深夜の番組を聴きつつ、TVerも見たい番組があったりと、仕事中のBGMには事欠かない金曜日。

Kassa Overall / 繊細かつ豪胆に新しい時代を切り開いていく野心とビジョンが爆発! 

前日のライブのレポートがアップされていた。曲のこと以外にも詳細がわかるのは助かる。


16時に作業を終了してから家を出て、赤坂方面へ。
途中、信号待ちをしていたら駐輪している自転車に「オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム」のステッカーが貼られていた。誘ってくれた友人も僕も最初の先行抽選に落ちてしまったので、「まあ、もういいっか」みたいな感じになっている。蛙化現象とは違うんだけど、こういう感情ってある。いく気満々だったけどチケットがまだ今後も二次とかあるんだけど、気持ちが削がれてしまうみたいな。
目的地の草月ホールまではradikoで『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』を聴いていた。ゲストはリボルバーヘッドだったが、実際にはシークレットゲストしてお願いしていた先輩芸人が当て逃げで活動自粛になってしまって出れられなくなってしまうというハプニングが起きていた。
マヂラブがフワちゃんのANN0に出た時に先輩の名前は出さなかったものの、どうしたもんかなって感じで話をしていた。急遽前日にオファーされたきしたかののたかのがゲストで出て、リボルバーヘッドとのツッコミ対決みたいなことになっていた。ピンチヒッターとして呼ばれるかどうか、本当にデカいし未来が変わる、確変が起きる可能性がある。

古川日出男の最新小説『の、すべて』朗読動画を公開!第二楽章「疫病」より。 


草月ホールに開場少し前に着いたので友人が来るまで『の、すべて』第二楽章の朗読がアップされていたので見たりして待っていたら、時間通りに来たので一緒に中へ。


岡野陽一単独ライブ「岡野博覧会」の20日夜の回、最終回を鑑賞。今年に入ってからは草月ホールでは、古川日出男×向井秀徳「MATSURI SESSION」に始まって、バカリズム三四郎ハナコと例年にないぐらい足を運んでいる。あとお笑いの単独を異様に観る頻度が上がっている。
笑いからネタ(スープ)を作って、最後に思想という味付けをするのが普通なのに、思想からネタを作って味付けとして笑いを入れる作り方をしてしまったと終演後の挨拶というかトークで岡野さんが話をしていた。
動物園で働いている従業員が新しく入ってきた商社マンだった新人に話をする際に、動物というのがどういう存在であり、自分たち従業員はそう見ているという話をするネタなんかもみんなが思っている価値観や常識が反転するようなワードを言って、隙間をついてスッと気持ちを抉りだすような笑いをやっていた。確かに思想やアイロニーみたいなものが前面に出ている感じもして、僕はかなり好きなネタばかりだった。
子役の子に幕間の着替えの時間にパチンコ「海物語」をやらせたりとかいろいろと、ネタとネタの間の着替えや、ひとりでネタをやるから休めるように配置された時間での遊びもうまくつかっているなと思った。
あと岡野さんすげえ声が出てた。演技もすごいし、違和感もなくて岡野さんすごいんだなって。観客は男性は僕ぐらいの中年とか岡野さんぐらいの世代が多かった印象だが、女性は大学生ぐらいから僕らよりも上とか幅広い感じがあった。僕もタロット占いには何年か一度にはいくので占いのネタのやつは爆笑してしまった。
終わってから青山一丁目駅直結の地下街で飲んだ。草月ホールでライブ観るとそのまま飲むというのが定番になっていて、一緒に観た友人とお店が閉まるまで飲んで話して、電車に乗って帰った。

 

10月21日
起きてからradikoで深夜ラジオを聴きながら作業開始。
『EXITのオールナイトニッポンX』はゲストがクロちゃんだったが、りんたろー。とクロちゃんの共通点を探すみたいなトークになっていて、クロちゃんの気色悪さみたいなものとわりとりんたろー。も合う部分があっておもしろかったし、EXITとクロちゃんの組み合わせいいんだなって思った。

今日が一応〆切のライティング作業があるので夕方までに方をつけたいと思っていたが、思いの外難航してしまった。
半分近くは終わったけどタイムオーバーになったので家を出た。radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を行き来で聴いたが、ゲストがオリエンタルランドの藤森とパーパーのほしのディスコの二人だったが、藤森いじりというかみんながたのしそうにやっているのが伝わってきたし、『王様のブランチ』でMCをやるようになった藤森からするとあまりエロいネタだったりとかいう場所はなくなってきているのか、ぶっちゃけることがたくさんあって和気和気藹々としたラジオになっていて、歩いている時につい笑ってしまったりしてしまった。

渋谷から半蔵門線に乗って九段下駅で降りて武道館側の出口を出て少し靖国神社方面に歩いたところにある雑居ビルへ。本日から始まった華雪書展『そこへ』のオープニングイベントである公開制作+トーク「宙に紙に書かれる」 (古川日出男(朗読)+華雪(書))を観に。
受付まで時間があったので外をぶらぶらしていたら古川さんを見かけたんだけど、僕には本を持って練習というかなにか始まる前の準備をされているように見えたので声はのちほどかけようと思ってビルの方に戻っていたら華雪さんにもばったり会ったのでご挨拶をしてから受付に向かった。


華雪さんの展示は初めて伺ったのだけど、お二人のコラボレーションパフォーマンスは実は昔一度観ていて、そのことは後から気づいた。というか観ている気がすると思ったらやっぱり観ていることが判明した。
実際にそれから8年後になって華雪さんは古川さんとパフォーマンスをしたいと依頼というかお願いをして今回のオープニングイベントになったとのことだった。

「声を聞いているけど、いちおう書かれているのも見たいと思い、立って見てました。朗読だけなら目をつぶってもいいわけですが、目も動いているから情報量が多すぎる。朗読する古川さんがいて、書いている華雪さんがいて、聞いているみんなの気配やカメラで撮っている音とかもある。自分のなかの情報量が多すぎる状況で、物語にいるひとがしゃべっていることもわかるし、書かれてる何かも感じられる。そうなったとき、ぼんやりしたものが自分をすぅっと通過しているという感じなんです。それで思ったのは、何かが通過するってことは、通過する自分がいるからじゃないか、ここにいる自分が浮かびあがっているじゃないかと」

↑この記事のこの参加した生徒の発言は僕のもので、ブログにそう8年前に書いているのを確認した。改めて読んでみると今回感じたことに近いものを話していた。

古川さんの朗読と華雪さんの書を書くという動きが呼応していて、時に荒々しく見えるのに怖くはなくてふっと入って出ていく、強い風に吹かれて心地よいようなものを感じていた。
僕は古川さんのイベントの時の朗読の時なんかだと緊張して咳き込むということが多々あるのだけど、昨日も少し咳は出たものの、明らかにこの一年、二年は前よりも緊張しにくい感じがしていて、華雪さんと古川さんの呼応している空気感と佇まいは観ている僕がガチガチにならないものがあった。感想をお伝えする時にフラットに感じた部分は言語化したらそういうことなのかもしれない。
古川さんが選んで読まれた小説と詩、そこにすでに書かれた文章たちが現在のガザ地区のことなどの世界情勢と聞いていると結びついていて、そして武道館と靖国神社がある、挟まれているような場所で聞くことで自分のリアル、現在地の輪郭が明確になっていった。
ここで朗読を聞いていること、体験できていることが内側のことと外側のことに五感を向けないと閉じてしまう、閉じたらダメなんだなって。小説や書や芸術というものが開いていく先には世界があって、そこにみんないるんだよって。ミクロとマクロを行き来できる自由と行動する際の覚悟みたいなものをもっと考えていきたい。

新刊『の、すべて』の朗読も初めて聞けたのもうれしかった。華雪さんの動きは一瞬怖いかもって思えるんだけど同時に美しくて、筆や腕で空間の中から今回だと書かれていた「小」という文字を掘り起こすようなものだった。二人が呼応しているからこそ、あの空間をそれらが満たしているというのがすごいことだし、今回はカメラとかで撮影とか録画もしていなかったというのも二人の感覚や雰囲気がこわばらなかった部分もあるのかもしれない。
終わった後には残った人たちとお話をしながら、出してもらったお酒や食べ物をいただいた。やっぱりこういう場に来ることでしか感じられない、肌触りというか場所の空間の雰囲気であったり佇まいのような、そこにいる人たちの温度や熱みたいなものがしっかりと感じられたのもよかったし、華雪さんとも古川さんにも今回の感想をお伝えしつつお話もできてとてもうれしかった。


実は『の、すべて』とデビュー作『13』の前に書かれた『ウィザードリィ外伝Ⅱ』のノベライズとして書かれた『砂の王』もイベントに持っていっていたので、古川さんにお願いしてサインしてもらった。
『砂の王』は1994年3月に刊行されたもので、29年前のもの。でも、紙だからこそこうやって残っているし、懐かしいなってサインしてもらうというコミュニケーションをとることもできる、だからやっぱり紙は強い。僕もさすがに古本で購入したのだけど、著者に触ってもらう、触れてもらうというのはその本(商業出版というのはコピーを作ることだから)に念というかなにかが伝わるような気がする。

10時過ぎにはお先して家に戻ってから作業を再開。24時には絶対に間に合わない。『キングオブコント2023』も一分たりとも見ることがなく、結果を旧Twitterで知ってしまった。ラブレターズが取ったらいいなって思っていたけど、違うコンビが優勝していた。
そのまま深夜二時になんとか最後まで終わって確認してから送信した。その前からちょっとラインで声をかけてもらっていたので閉店後のいつものお店に行くとお久しぶりな方とその知り合いの初めましての方々もいて、4時まで楽しく飲んで話ができたので呼んでもらってよかったなと思った。さすがに朝の4時はもう寒かった。翌朝7時おきの予定だけど、多分大丈夫だと思ってすぐに寝落ちした。

 

10月22日
目覚ましが鳴って起きたけど、すぐにまた眠ってしまい。7時におきたかったけど7時半過ぎに起きた。三日前にチケットを取っていたので六本木ヒルズにあるTOHOシネマズ六本木に歩いていくつもりだけど、家を出た時間だと上映が開始してしまうのが決定的だったので、池尻大橋過ぎた辺りでタクシーを拾った。料金は映画一本と変わらなかった。
普段タクシーに乗らないから料金的にも距離的にもそんなものなのかどうかわからないけど、日曜朝だし道路空いているからすぐついた。10分ちょい。歩いたら残り一時間ちょっとあったんだけど、逆に早く着き過ぎて9時に映画館が開く感じだったので外で待つことになった。


ギャレス・エドワーズ監督『ザ・クリエイター/創造者』をTCXで朝一の回を鑑賞。お客さんは二十人ぐらいいたかな、たぶん。ほんとうはIMAXで観たかったのだけど、日比谷も新宿もお昼以降の回だったので、大画面で音響もいいTCXだし朝早い回があったのでここにした。

「ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー」のギャレス・エドワーズが監督・脚本を手がけた近未来SFアクション。

2075年、人間を守るために開発されたはずのAIが、ロサンゼルスで核爆発を引き起こした。人類とAIの存亡をかけた戦争が激化する中、元特殊部隊のジョシュアは、人類を滅亡させる兵器を創り出した「クリエイター」の潜伏先を突き止め、暗殺に向かう。しかしそこにいたのは、超進化型AIの幼い少女アルフィーだった。ジョシュアはある理由から、暗殺対象であるはずのアルフィーを守り抜くことを決意するが……。

「TENET テネット」のジョン・デビッド・ワシントンが主人公ジョシュアを演じ、「インセプション」の渡辺謙、「エターナルズ」のジェンマ・チャン、「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」のアリソン・ジャネイが共演。(映画.comより)

東南アジアを舞台に人間 vs AIの全面戦争が起きている近未来を『AKIRA』『ブレードランナー』『スター・ウォーズ』をリミックスして混ぜ込んだように描いていた。西側諸国というかアメリカと東南アジアの対立となっており、おそらくベトナム戦争を下敷きにしているのだと思う。人間 vs AIの関係をも覆していく、価値観の反転させていく内容になっていたのが新しいと思う。AIが人間を滅ぼすという印象やイメージが強くなっていると思うのだけど、今作ではAIが人間を救う可能性としてしっかりとSFテイスト満開の中物語にしていた。
監督がイギリス人だとわかるのはアメリカの描き方がアメリカ側の立場やアメリカ人だとこうならないな、と思う冷酷な侵略としてのアメリカとして敵としてその位置を固定させていることもあったし、わりと前半にあったradioheadの『Everything In Its Right Place』をあそこで爆音でかけるのもイギリス人の皮肉ぽく僕には感じられた。確かに歌詞の中にエアプレインと歌っているから、その意味で使っている可能性もありそうだけど。
脇役でAI側での登場人物として渡辺謙さんがめちゃくちゃいい役どころで出演されていたが、セリフが英語だと違和感ないのに日本語が違和感あるのはなんだろう、すごく不思議。

おそらく『ブレードランナー2046』が好きな人はたぶん好きだと思う。あの映画に通じるところがいくつかあった。あとオリジナル脚本でこのサイズの映画が撮れていることが今の世界では難しいのでよくやったなと拍手を送りたい気持ち。オリエンタリズムをいいように使っているという批判もあるんだろうけど、監督が好きな日本の作品要素が入っているし、彼が惹かれているのがそこだろうから難しいところではある。
『トップ・ガン マーヴェリック』や『カモン カモン』みたいに父になれなかった中年男性が疑似親子関係を通して、父性性を獲得していくという部分とも今作は共通している分があった。かつての先進国が抱えている現状、問題でもあり、この数年前よりもこのパターンが物語に入ってくるようになってきたし、意図的にそういうものにしているようにも感じられる。
あと悪い言い方したら新海誠みたいなセカイ系をしっかりオリジナルのSFでやりきった作品ではある。主人公とその恋人の関係性とかもろセカイ系やないか!とは思ったよ。
新海誠がダメだと思っているのはここ二作ぐらい新自由主義の成れの果て、ひろゆきやガーシーみたいなもんが大丈夫な、OKみたいなやつにされてる世界を肯定している話になっていて、あれを二十代前半とかのガキ作ったのなら仕方ないなと思うけど、いい年した大人がガキがたくさん観て影響を受けるのをわかって作っているのは大人側として肯定しちゃいけないと思うから。

帰りはさすがに朝歩けなかった分家まで歩いて帰った。途中で買い物に寄った場所でレジ済まして出入り口から出ようとした時にお店に入ってきたメガネ女子のキレイな人が僕がずっと好きな女優さんだった。メガネ女子も好きだしめちゃくちゃラッキーな一日だなと思った。まあ、人間は単純なものだ。

今日中にやる予定だったライティング作業をやって、とりあえず送ったら夜はもうなにもしたくなくなってしまった。この三日間ぐらいずっと夜に予定入れていて珍しくお酒も飲む機会が多かったから、体が疲れてるから仕方ない。

 

10月23日
朝活として読書をしたかったのだけど、うとうとしていたらすぐにリモートワークの時間になってしまった。寒いけど晴れていたのでこれから着ることになる長袖やパーカーをまとめて洗濯した。
休憩中に毎週通っている整骨院に行ってメンテナンス。左腕の手首近くの前腕部分の筋みたいなところがめちゃくちゃ痛かったので針付きのテープを貼ってもらった。そこを揉んでもらっている時涙がでるぐらい痛かった。めちゃくちゃ効果ありそうな気がする。

【公式】キングオブコント2023 オープニング楽曲 


リモートワーク中は日曜日のラジオは昨日の時点で聴いてしまったので、TVerで『キングオブコント2023』を流した。
一回戦だとニッポンの社長とゼンモンキーとファイヤーサンダーサルゴリララブレターズのネタは好きな感じだった。でも、サルゴリラの時の会場の笑い声とか反応はあきらかにほかのコンビやトリオとは違った。ぶっちぎり感があった。サルゴリラが優勝したのは納得でしかない。しかし、年々点数が上がっているからギリギリのところで明暗がわかれている。
なんというか出番とかの運もすべてもっていないと王者にはなれない、見ているほうはお祭り感を楽しむだけですむが当事者の芸人さんたちは一期一会最初で最後になるかもしれない大舞台で結果を出せるかどうかをエンターテイメントとして世間に見られてしまうわけで、ほんとうにすごいなとため息がでそうになる。あと前みたいに二本目で大失敗みたいなことがほぼなくなってきたので、最後の大番狂せみたいなところはなくなってきている。それがいいのか悪いのか。
見終わってからparaviがU―NEXTと統合してしまったので「生・大反省会」を見てみたら、出場者に話を聞いていたシソンヌ長谷川さがラブレターズの席に行って絡んでいる時が近しい距離だというのと一緒に舞台で戦ってきた同世代感が感じられてすごくよかった。


仕事が終わってからニコラに行ってブドウとマスカルポーネのタルトとアルヴァーブレンドをいただく。
カウンターでいろいろと話を曽根さんと由賀さんともできたし、気持ちもリラックスできた。ブドウが美味しかったんだけど、猪のスパゲティーニが始まってたので今度食べる。

 

10月24日
6時過ぎに目覚ましをセットしていたので起きてからすぐに作業を開始。お昼までに提出するスケジュールだったけど、11時半過ぎには家を出ようと思っていたので集中して終わらす。なんとか間に合ったのでライティング作業と今月分の請求書を出した。

その作業が終わりかけの時に玄関のドアがノックされて大家のおじちゃんが顔を出した。シンクの水道の蛇口も十数年使っているので金属疲労や中のパッキンも摩耗していた。水が出るパイプも何かの拍子で割れるというか少し欠けていたりした。
前にユニットバスの蛇口パーツを交換してもらう時に見てもらっていて、いきなりやってきてすぐに交換して出て行った。こうやってメンテナンスをしてもらえるのはありがたい。
ただ半過ぎに家を出ようと思っていたのが遅れてしまったので、すぐに着替えて早歩きで渋谷に向かった。


あのちゃんが主演なので気になっていた『鯨の骨』をシネクイントには鑑賞。さすがに平日の昼間だからそこまでお客さんはいなかった。あのちゃん好きそうな女の子がいた。髪型とかもたぶん真似ている感じの。

「ドライブ・マイ・カー」の脚本家・大江崇允が監督を務め、リアルとバーチャルの境界が曖昧になった世界でARアプリのカリスマ少女にのめり込んでいく男を描いたミステリー。

結婚間近だった恋人と別れた不眠症のサラリーマン・間宮は、マッチングアプリで知りあった女子高生と会うが、彼女は間宮のアパートで自殺してしまう。慌てて死体を山中に埋めようとする間宮だったが、気づくと死体は消えていた。やがて間宮は、スマホで撮影した動画を撮影場所に残せるARアプリ「王様の耳はロバの耳(通称・ミミ)」で、死んだ女子高生と瓜二つの“明日香”を発見する。明日香は「ミミ」内に多くのファンを持つカリスマ的存在で、間宮は彼女の痕跡を追ううちに現実と幻想の境目を見失っていく。

桐島、部活やめるってよ」の落合モトキが間宮役、ミュージシャンでタレントとしても人気を集めるあのが明日香役でそれぞれ主演を務めた。(映画.comより)

90分もない映画だが、長く感じた。正直チグハグな感じが否めないし、主人公の間宮に感情移入もしにくい。『ドライブ・マイ・カー』の脚本を書いた人が監督というのもあるのか、村上春樹が無理してアプリとか出てくる短編小説を書いて失敗したのをさらに無理やり映像化したみたいな内容だった。
あのちゃんはポイントで使う感じでもあったけど、印象には残るんだけど脚本の時点で無理があるような気はした。
上映時間が短いのに眠かったのは正直話の展開がつまらないからだと思う。これはやっぱり面白いとは言えない。

ダウ90000 コント「3年経つということ」 


先月ユーロライブでのテアトロコントで観たネタがアップされていた。家に帰る途中でYouTubeにあるのに気づいた。
ライブで観てもかなり笑ったんだけど、映像で改めて観ても笑えたし、この30分近くの長尺コントはやっぱりおもしろい。催眠術師役の蓮見が「それが恋だよ」っていうのはやっぱり笑ってしまう、展開と設定が見事に絡まって相乗効果を生んでいた。

古川日出男の最新小説『の、すべて』朗読動画を公開!第三楽章「英雄」より。 


第四楽章まで公開されるので、これであと一回朗読動画あるのだけど、これを見て聞いた人は小説『の、すべて』も手に取って読んでほしい。

 アトムは手塚治虫によって「首」を奪われ成熟の手だてを封じられる。そして永遠の子どもとして戦後社会を生きる。「成熟」という主題を封じたアトムは皮肉にも手塚作品を代表するキャラクターとなり、それは同時に戦後社会における子ども像と見事なまでに重なってくることになる。
 そう考えた時、アトムをめぐる三人の「親」の存在は実に含蓄深い。アトムを成熟できない子供として「科学」の力で作りながら、アトムに成熟を強いる父、天馬博士。子供としてのアトムを許容し庇護する「科学」者、お茶の水博士。 そして、「科学」の力でアトムに与えられた理想の両親としてのロボットの父母。例えば「科学」を「民主主義」と読みかえた時、アトムの隠された主題が明らかになる。「鉄腕アトム」の主題が 「科学」によって作られた人々、すなわちロボットの「人権」にあることは偶然ではない。さしずめ天馬博士は、日本に完璧な「民主主義」を与えながら同時に日本が「成熟」しないことにいらだつアメリカ、といったところか。
 いずれにせよ、アトムは「成熟」という命題から解放されることで戦後社会を代表するヒーローとなった。
『「14歳」少女の構造 ─大塚英志まんが評論選集80’s−90’s』P528より

夕方からちょっとだけ作業をしてから残りは読書タイム。『「14歳」少女の構造 ─大塚英志まんが評論選集80’s−90’s』を上村一夫著『菊坂ホテル』を読んだりしながら時間はかかったけど読了した。
最後の方に書かれているアトムの「首」と三島由紀夫の「首」を巡る問題、三島が死んだのは1970年だが、日本の漫画・アニメのはじまりにいる手塚治虫と成長しない身体の話、その問題は今も日本は抱えたままだなと思う。この「首」についての問題は現在だとどういうものに結びつければ批評や物語のテーマになるんじゃないかなって。

 

10月25日
午前中にやる予定だったミーティングが延期になったので、リモートワークを開始してからいつも通りradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』を流しながら作業を。
おまけに前日火曜日に放送されたテレビ番組はいつも見ているものが多くて、TVerで『ロンドンハーツ』『太田上田』『あのちゃんの電電電波』『ランジャタイのがんばれ地上波!』とどれも20分少しのものだがラジオ3本聴いてからそちらを流していた。
『あのちゃんの電電電波』の流れでスポティファイの『あのと粗品の電電電話』を聴いた。『あののオールナイトニッポン0』はお楽しみということで最後に聴こうと思った。『あのちゃんの電電電波』のゲストが神聖かまってちゃんで、トークを聴いたあとにfeat.している曲を聴くとより沁みた。

「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2023年11月号が公開されました。11月は『パトリシア・ハイスミスに恋して』『正欲』『モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーン』『ほかげ』を取り上げました。

モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーン』はもしかしたらすごいおもしろい可能性がありそうなんだけど、B級ぽさがわりとあるんだよなあ。期待はしている。


休憩中に外に出た時に緑道沿いを歩いていたら鉄柵の上をまっすぐずっとカマキリが歩いていた。近寄っても逃げなかった。
大きさ的には小ぶりな気がしたのでメスなのかもしれない。もう少し先までカマキリは生地的には見られるらしいんだけど、歩いていて視界に入った瞬間にビックリした。久しぶりだなって気持ちにもなったけど。

代官山蔦屋書店でアンドレイ・クルコフ著/福間恵訳『侵略日記』を購入。パッと見で水戸部功さんの装幀だなって思って手に取った一冊。『ペンギンの憂鬱』の著者によるロシアとウクライナの戦争について書いたノンフィクションだったので読んでおきたい。

夜は先日提出したライティング作業を先方が確認してコメント等が戻ってきたので修正をして終わらす。これで月末までは一旦〆切関係がなくなった。
残り時間は少ないけど、パン生地君に添削して削ってもらった原稿を今だからこそ書けるものに再構築して違う読みざわりの新しい作品に仕上げたい。

 

10月26日
目覚ましが鳴ってから一時間ほどうだうだと布団の中に。寒いとしかいいようがない。外に出る気がなくなる。寝転びながら読書をしたり、TVerでもう一度『水曜日のダウンタウン』を流したりして、可燃ゴミを出しにいってから朝の通常モードへ。
先週末から朝一でトマトジュースをコップ一杯飲むことを始めた。なんか朝に健康的なものを飲むという習慣をつけたいと思った。トマトは髪にもいいし、あと半年ぐらいは伸ばしてヘアドネーションしようと思っているので髪にも栄養を。

昨日やる予定だったミーティングを9時半から開始して一時間ほど打ち合わせ。確かに進んでいるので今年と来年の頭ぐらいでうまくまとまって諸々決まるといいのだけど。

木曜日は基本的には働かないことにしている。映画も行こうと思ったけどそれは来週以降に行くことにしてお昼ぐらいまでは散歩しようと思って家を出た。
radikoで昨日聴きそびれていた『あののオールナイトニッポン0』を聴きつつ渋谷へ。あのちゃんは「ビートたけし明石家さんまタモリ」という「BIG3」とも共演しているし、彼らに次ぐ4番目の大物である笑福亭鶴瓶師匠とラジオでゲストに出たりと絡んでる。そういうことも今年ブレイクという言葉がぴったりだと思わなくもない。ちょっと売れたぐらいではその人たちの番組に出たり呼ばれるということはない、間違いなくタレントとして売れたからこそその場に呼ばれているから。
あのちゃんが『Mステ』のゲストに出た時の話をしていたが、彼女がタモリさんにtついては特に思い入れがあるというのは以前にも『世には奇妙な物語』出演した際のエピソードでも話していたけれど、あのちゃんがひきこもり時代にお昼になるとずっと『笑っていいとも!!』を見ていたという経験があるからだという。
年齢非公表であるが、二十代後半だと思われるあのちゃんはそういうテレビバラエティの影響をリアルタイムで受けた最後ぐらいの世代なのかもしれない。だから、テレビをずっと見ていたからこそ、タレントとしてテレビの仕事もパンクしそうになってスケジュールがしんどくてもやっている部分はあるんじゃないだろうか。
テレビという各世代間で共有できるものが失われていく、そのぶり返しが来るのか、すでに来てんのかとは考えたりもする。YouTuberたちの断末魔の叫びと争いがニュースになっているが、それらが今後どう影響していくのか。テレ東で放送された『あのちゃんの電電電波』のゲストが10年来の付き合いのある盟友と言えそうな神聖かまってちゃんだったが、たぶん、あの時に彼らと話している感じが素のあのちゃんに一番近いのかなって思ったり。


大盛堂書店さんで木爾チレン著『神に愛されていた』をGETしてから、そのまま引き返して家方面に戻っていく。書店員さんは一階も二階も知っている山本さんではなかったので長いは無用。平日だけど人ではそこそこ旅行者はやっぱり多い。渋谷はハロウィン会場ではありませんみたいなフラッグとかが掲げられていたが、今年も渋谷にハロウィンで仮装した人たちは集まるのだろうか。
毎回サッカーの日本代表戦で勝ったりした時やハロウィンで集まる人たちがいて、確かに日本の首都には人が集まれる広場がないから、スクランブル交差点に集まってるという可能性が高いんだけど、僕は人が集まって同じような格好をしている場所に行きたいないから近寄りたくない。コロナで溜まったものが爆発していく、発散されるためにハロウィンも利用されるのだろうか。

帰ってからご飯を食べて買ってからずっと積読していたガブリエル・ゼヴィン著『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』をちょっと読んでみようと思って読み始めたら一気に一章分、約100ページ進んだ。非常にリーダビリティが高いし主人公の二人が大学生になってからの再会するところから始まり、どういう出会いだったのかという幼少期に戻っていき、なぜ二人の友情が終わってしまったのか、現在に置かれた立場はどういうものなのかがすごくわかりやすいしドラマティックな展開で先がとても気になるものだった。これはすごい。英語圏で100万部突破しているので映像化は間違いないだろうから、A24×PLAN Bで映像化してほしいなって思った。

chelmico -I just wanna dance with you- period [Official Music Video] 



そのあとも読書をしつつ自分の原稿をプリントアウトしたものを読んで赤入れをしていった。登場人物を減らした方がいいのもわかっているので、その辺りを調節しつつ物語の展開をどうしていくのか。『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』ぐらい引き込んでいきたいし、登場人物は多くなくていいから何が起きているのか、起きてどうなったのかがわかりやすく描かれるのがベストだよなあ。

 

10月27日
起きてからすぐにスマホを見てスケジュールを確認する。土日がけっこう大事ではあるんだが、土曜日の東京国際映画祭で『哀れなるもの』だけはどうしても外せない。今日は夜からOMSBのリキッドルームでのライブがあってチケットは取っていたけど、行ったら諸々詰みそうだなと思って行かないことに決めた。
寒いので布団に入ったままで『アメトーーク!』の「シン・オカヤマ芸人」の回を見る。

冒頭で出てきた「風(ふー)が悪い」って言葉が懐かしかった。服とかに穴が空いてたり、ダメージ加工のジーパンとかをおばあちゃんに「風が悪いで、縫ってやろうか」と言われた記憶があるし、「風が悪い」というのは当たり前に聞いていたけど、もちろん標準語圏系では使われないし、通用しないので久しく聞いていなかった。東京に来てからは偶然なのか、僕は岡山出身者にずっと会わなかったし、上京したら関西人以外は普通方言は使わなくなるのというのもあって、聞かなくなると話せなくなるんだなって思う。週一ぐらいで実家に電話して母と話をしても、ニュアンスとかはわかるけど僕はほとんど標準語になっていて、母や家族は岡山弁という感じになっている。僕が上京した頃はほんとに水道橋博士さんと甲本ヒロトさんやB'z稲葉さんぐらいしか有名人はいなくて、オダギリジョーさんが岡山出身というのがすごくうれしかったりした。確かにクセが強い人しかいないし、そういう人が有名になっているというのもあるんだろう。千鳥と東京ダイナマイト(ハチミツ二郎さん)が「M-1グランプリ」で狼煙をあげようとしていたのがゼロ年代初頭で、僕の上京したあとだった。千鳥は高校の先輩なので、友達が先輩が「M-1グランプリ」に出ていると教えてくれて芸人として知ったし、映画学校の繋がりもあって東京ダイナマイトの単独ライブも観ていて、おそらく僕がはじめて観たお笑いのライブだったはずだ。大悟さんが志村けんさんの最後の(弟子のような)飲み友達になったというのがお笑いの世界においてもデカかった。松本人志に影響を受けた「ごっつええ感じ」直撃世代であり、吉本のその後継にあたるのに、志村けんという日本のバラエティにおける音楽、ミュージシャンから始まった流れの最後にいてトップになった他事務所の大物に可愛がられた。そんな人は他にはいない。上島さんは志村さん追いかけちゃったけど、大悟さんは追いかけなくて済む年齢差や芸風だったのかなとも思う。


リモートワークを始めてから昼休憩で家を出た時に、そういえば今日は最終金曜日だなって思った。朝日新聞の月一回掲載されている古川さんの「文芸時評」が載る日なのでお昼ご飯買うついでに新聞も購入した。今回は「スープ」とあるが、食に関する物語、小説が多く取り上げられていて、食とは生活だからより身近なテーマでもあり、人間の生活を描かれるものとなっているんだなって感じた。江國香織さんと川上弘美さんの作品が取り上げられていて読みたくなった。

古川日出男の最新小説『の、すべて』朗読動画を公開!第四楽章「神典」より。 


ついに朗読動画も最後の四本目が公開。


休憩終わってから作業していると『岸辺露伴は動かない岸辺露伴 ルーヴルへ行く』オリジナル・サウンドトラックが届いた。菊地さんの事務所のショップサイトで注文していたので、サイン入り。
コロナパンデミックの最中、オーチャードホールのコンサートで聴いた菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールが演奏した『大空位時代』がずっと僕の中に残っている、いや響いている。そういうこともあって音源がずっと欲しかった。『大空位時代』を英語にした『インターレグナム』という小説は頓挫して、書き進められていないがこのサントラを聴きながら書き進めれたらいいなと思っていたりする。
夜はサントラを流しながら添削してもらった小説を進めていく。『インターレグナム』とは関係がないものだけど、実はその前日譚、前の段階の物語でもあったので個人的にはBGMとしても相性がいい。

 

10月28日

10月21日のことを書きたい。その日、小さい空間に30人ほどがいたのだった。そこは歴史ある建物の1室で、かつては旅館でもあったのだった。その建物は磁場のある土地に建っていて、通りを挟んで靖國神社がある、かたわらにインド大使館がある、窓から武道館が眺められる。そして、それだけではない。室内に書が飾られていた。なぜならば華雪さんの書展「そこへ」のオープニングの日だったから。私は午後、この空間に入って、華雪さんとも相談しながら、椅子やテーブルのようなものを配置して、自作の本(たいてい分厚い)を配置して、他にもライト類などを配した。床には華雪さんの制作スペースを確保した。要するに空間を作っていた。要するにインスタレーションだった。そして人びとは集まった。写真を撮るのは不可、スタッフ側も撮らず、動画も、録音もされなかった。みな、真剣に見た、聞いた。華雪さんがカンバスに字を書いていて、これは最終的に見事な〈作品〉となる、だけれどもカンバスに書かれたものは書なのか? との問いはほとんど意味をなさない。なぜならば、私は朗読をしつづけたし、それはこの日の、世界情勢的にも〈この日〉でなければならなかった文章群、エピソード群の連鎖、連結からなっていたし、華雪さんは「書く」という行為を、呼吸する・呼吸しない・動いている・動かない・気配がある・気配がもっとある、といった様相に変えつづけていて、私は私で瞬間瞬間は何も読まず、その場でしゃべっていた。「語るべきこと」があったら、そっと口にしていた、歌ってもいた、そして私もまた動きつづけていた。そして集まったオーディエンスはみな、(これはもう描写したけれども)見ていた、聞いていた、どんどんと吸い込んでいた。

凄い時間だった。意味のある時間だった。「美しい瞬間が、あって……」といろんな人に言われた。そして、それらはいっさい記録に残らない。そして、それらはごく少数の人にしか、体験されていない。分かち合われていない。この事実はこうも言い換えられる。「その日、その場に、ごく少人数が集まって、なんら記録も残らないからこそ、そのような未聞だったり未踏だったりする時空は、生じた」と。

古川日出男の現在地」 雉鳩 2023.10.14 – 2023.10.27 福島・東京・埼玉

7時過ぎに起きてから昨日更新されていたものを読んだ。先日のイベントのことが書かれていた。記録に残らない、残さないことと、記憶には残るということ。

昨日の続きの自分の作品の作業を開始。プリントアウトしたものを読みながら修正を赤入れしていく。改めて読んでみると三島由紀夫の「首」の話と空虚な中心の話を書いてたんだなって思った。
大塚さんの少女まんが批評を読んだものも大きいんだろうけど、三島由紀夫の「首」を書いているならやっぱりアトムの「首」のことも書く方がいいのか、どうなのか。昼過ぎまで作業をしてから15時からヒューリックホール東京に着くように家を出た。ヒューリックホールは時折行くTOHOシネマズ日比谷とほとんど距離は変わらなかったので散歩がてら歩くことにした。行きはradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながらだったけど、何度か声を出して笑ってしまった。


国会議事堂を横目に通り過ぎて日比谷公園を横切ろうとしたら、前まで通れたところが工事で入れなくなっていた。有楽町方面の出入り口ではこの工事に反対する市民の人が反対活動をしていた。


東京国際映画祭の「ガラ・セレクション部門」でジャパン・プレミア上映となるヨルゴス・ランティモス監督『哀れなるものたち』をヒューリックホール東京にて鑑賞。

女王陛下のお気に入り」のヨルゴス・ランティモス監督とエマ・ストーンが再びタッグを組み、スコットランドの作家アラスター・グレイの同名ゴシック小説を映画化。2023年・第80回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で最高賞の金獅子賞を受賞した。

不幸な若い女性ベラは自ら命を絶つが、風変わりな天才外科医ゴッドウィン・バクスターによって自らの胎児の脳を移植され、奇跡的に蘇生する。「世界を自分の目で見たい」という強い欲望にかられた彼女は、放蕩者の弁護士ダンカンに誘われて大陸横断の旅に出る。大人の体を持ちながら新生児の目線で世界を見つめるベラは時代の偏見から解放され、平等や自由を知り、驚くべき成長を遂げていく。

プロデューサーも務めるストーンが純粋無垢で自由奔放な主人公ベラを熱演し、天才外科医ゴッドウィンをウィレム・デフォー、弁護士ダンカンをマーク・ラファロが演じる。「女王陛下のお気に入り」「クルエラ」のトニー・マクナマラが脚本を担当。(映画.comより)

世界公開もまだなので内容については詳しく書かないけれど、性と生を肯定する開放の物語だった。公開後にはフェミニズム関連で取り上げられる可能性が高いかなと思うけど、エマ・ストーンがとんでもなく魅力的だったし、衣装とか室内や船や街のデザインもポスタービジュアルも素晴らしかった。エマ・ストーンは主演助演賞を衣装もアカデミー賞は流石に取るだろうなと思う。
ひとつだけ最後にある人物に対して主人公のベラが行う行為はちょっと疑問があって、あれは監督としてあえてあれをやっているのか、観客がどう捉えて考えるかみたいなことなのか、彼女がされたことに対しての行動だからなんら問題はないと思っているのか、その辺りだけは気になった。
トム・クルーズの映画同様に主演がプロデューサーを兼任することでできることがあって、トム・クルーズの映画が顕著だけど、普通なら主演が断る命がけなシーンを自分がプロデューサーだから責任も持てるしOKが出せる。エマ・ストーンも今作ではそれに近くて、映画に必要だからプロデューサーとしても俳優としてもOKを出してるんだと思った。俳優部が権限を持つことでできる表現は間違いなくあって、それもこの映画の魅力を増すことにはなっていた。
一月に劇場公開されるのでホワイトシネクイントで鑑賞してパンフも読んでみたいし、映画の夢のような作品なので多くの人に観てもらいたいと思った。

さすがに帰りは銀座線で帰った。夜にやる予定だったミーティングのほうは出したものが問題ないとのことだったので、ミーティングはなしということになった。提出したものも好感触だったのでうれしかった。
家に帰ってから作業の続きを。明日明後日で仕上げられるといいのだけど。

 

10月29日
7時過ぎに起きてから作業の続きを開始。読み返していくのも時間がかかるし、そこから加筆するところ削除するところ、そのためにその前後をどう繋げていくのかを考える。作業は思いのほか進まないが、自分の作品に無意識で書いていたものを感じるとちょっとたのしいというかうれしい。コアみたいなものに触れているような気になるから。
9時前に今日はこのあともずっと家にいるので散歩がてら、radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら代官山蔦屋書店まで行って帰る。
帰りに昼ごはん用のおかずを買って帰って、食べてから作業の続きを寝るまでやった。枚数的には問題はないが、いくつか修正点が見つかってしまった。

 

10月30日
7時前に目覚ましをセットしていたが寒さで6時前に目が覚めた。もう少し寝ようと思って目覚ましを30分ズラした。起きるともう秋じゃなくて冬みたいな気温なので朝風呂に入りたい気持ちにはなったけど、諦めて昨日の作業の続きを少しだけした。
リモートワークは順調にいつもの作業をしていく。しかしまったく会社に行かなくなっているけど、これで慣れてしまったので会社に来いと言われたらすごく嫌だし、抵抗すると思う。まして寒くなっていき年末年始の混んでいる電車に乗るほどの拷問はない。

休憩中に銀行に行って通帳に印字をしようと待っていたら、知り合いの人らしき人がATMを使っていたので、終わったタイミングを見計らって声をかけたら、その方だった。なんというかご縁があるというか、今やっている仕事に関連する人なのでそちらもしっかりやらないといけないなと言われている気がした。
そのあとにキャロットタワーに入っているTSUTAYA三軒茶屋店に寄ったら、前に同じ媒体で連載していた人をお見かけしたのだけど、どうしも名前が出てこなくてご挨拶するのは控えた。全然名前が出てこなかった。実際にお会いしたことも数えるほどだけど話もほぼしたことないので、向こうはこちらに気づいていなかった。まあ、その声をかけるかどうか、名前を僕がちゃんと言えるかどうかが現在と過去の差みたいだなって思えなくもない。

表紙を見て気になった薄場圭著『スーパースターを唄って。』の一巻を購入。帰ってから読んでみたが、最悪の環境で生まれ育って売人になるしかなかった少年がラッパーになっていく物語なのだが、来年辺りには台風の目になりそうな気がする。刺さる人にはブスブスと刺さりまくるだろうし、人気も出るし支持されるんじゃないかなって思う。

C.O.S.A. - Mikiura feat. KID FRESINO 



今やっているライティング仕事の関係でちょっとした展開というかうれしいお知らせがあったので、それがうまく転んでいくと来年もいい流れが続くだろうから、ぜひこのまま進んでほしいと思った。まあ、どうなるかわからないし、取らぬ狸の皮算用はしないほうがいいけど、来年再来年に広がっていくのであれば大歓迎なことだった。
リモートワークが終わってから自分の創作の作業の続き。枚数は足りているので問題ないが、内容的に散らかっているものをどう繋がるか、削るかもう少し悩んで最終形にしたい。基本的には謎は回収しない、説明はしないことにした。

 

10月31日
7時前に起きてそこから作業の続きを開始。当日消印有効だが15時には投函しておきたいと思っていた。我が家にはプリンターはないので、セブンイレブンコピー機でアプリを使ってプリントするのでその時間も考えたり、どこで投函するかなども一応計算はしておいた。
起きた出来事に対して、その謎や理由は説明はしないということにはしたので、不思議な出来事や展開が起きて巻き込まれていく。最後をどう締めくくるかみたいなことが重要だなと思った。オープンエンドな終わり方にするしかないとも思ったのでそこの部分を考えながら改めて最初から読み返しながら、追加と削除をしつつ、後半に出てくるのフリなんかを入れたりして調節していく。
添削してくれたパン生地君とラインをした際に言ってくれたことをどのくらい入れられるか考えていたが、もう少し体の動きを入れればよかったなと終わったあとに思ったが、それはもう後の祭りなので仕方ない。昼の2時半過ぎは最後まで見終わったのでセブンイレブンでプリントアウトしてから、そのまま池尻大橋にある目黒大橋郵便局で投函してなんとか本日中に応募することができた。
元々16時からの映画を観るつもりだったので、そのまま渋谷方面に向かう。ずっと家にいたから本日やっと多少長い距離を歩いて体が動かせるのもうれしかった。


TOHOシネマズ渋谷にて岩井俊二監督『キリエのうた』を鑑賞。シネマイレージデイだったので観ようと思いつつ、観れていなかったこの作品を10月最後の映画に選んだ。
客層は若い女性が多かったのは松村北斗ファンなのかなと思うけど、アイナ・ジ・エンドファンでもありそうだが、比較的若い女性が観客として多かった。岩井俊二監督のファンという感じはあまりしない。僕は『リリイ・シュシュのすべて』以降は劇場で観ている中年のおっさんだが、今の二十代や十代からすると岩井監督は親世代がファンの可能性の方がありそう。

スワロウテイル」「リリイ・シュシュのすべて」の監督・岩井俊二&音楽・小林武史による音楽映画。

石巻、大阪、帯広、東京を舞台に、歌うことでしか“声”を出せない住所不定路上ミュージシャン・キリエ、行方のわからなくなった婚約者を捜す青年・夏彦、傷ついた人々に寄り添う小学校教師・フミ、過去と名前を捨ててキリエのマネージャーとなる謎めいた女性・イッコら、降りかかる苦難に翻弄されながら出逢いと別れを繰り返す男女4人の13年間にわたる愛の物語を、切なくもドラマティックに描き出す。

2023年6月に解散した人気グループ「BiSH」のメンバーとして活躍してきたアイナ・ジ・エンドがキリエ役で映画初主演を果たし、主題歌「キリエ・憐れみの讃歌」を歌唱するほか劇中曲として6曲を制作。「SixTONES」の松村北斗が夏彦、「リップヴァンウィンクルの花嫁」の黒木華がフミ、「ラストレター」の広瀬すずがイッコを演じる。(映画.comより)

約三時間ある作品だが、音楽映画と謳われているように最初から最後までさまざまな歌が、音楽が流れているものとなっていた。それもあって、三時間が長いとは感じなかった。
岩井監督の過去作である『スワロウテイル』『Love Letter』『花とアリス』『リップヴァンウィンクルの花嫁』『ラストレター』の要素が結集しているなと思った。
ある種の孤児、貧困的な問題は『スワロウテイル』だし、アイナ・ジ・エンドが演じたキリエの要素に関しては『Love Letter』の中山美穂、『ラストレター』の広瀬すずと森七菜らが演じたようがある。同一の役者がそっくりな誰か(あるいは血縁者)を演じることで起きる映像的な魔法、手法が今作でも使われていた。キリエとイッコの二人は『花とアリス』の二人を彷彿させるし、関西弁がめちゃくちゃうまいなと思った黒木華はそもそも関西出身で京都の大学に通っていた人なので当然ではあるが重要な役で出ているし、彼女が主演を演じた『リップヴァンウィンクルの花嫁』の百合的な要素、あるいはシスターフッド感もキリエとイッコにはあった。そういう過去作の投影できる部分が見受けられた。
宮城県出身の岩井さんが描いた震災・震災以後映画でもあるし、話の構造的には少し強引だと思う箇所もあるが、アイナ・ジ・エンドの歌声の説得力と音楽で成り立っている部分はある。だが、音楽映画だと謳われているのでそれも含めて、『ラストレター』の最終形態であり、岩井俊二監督のひとつの集大成だと思った。


今作に新しい価値観や展望のようなものは正直なところない。『スワロウテイル』『リリイ・シュシュのすべて』といった音楽も世間的に認知され影響力もあった映画の後継であり、ある種のこの三十年近くのサブカル的なものだとも言えなくはない。だから、僕のように思春期から岩井俊二監督作品を観続けてきたものからすると馴染みのあるものでもあった。だから、これを観た十代や二十代の人たちはどんな気持ちなのかは興味はある。
CHARASalyuは出演していないが、鈴木慶一石井竜也大塚愛安藤裕子七尾旅人など岩井監督と縁のあるミュージシャンが出演していた。『ラストレター』では庵野秀明がお父さん役だったが、今作では樋口真嗣が父親役だったりした。『岬の兄妹』に出演されていた松浦裕也さんも出番がかなり多かったのは個人的には嬉しかった。『スワロウテイル』以来の岩井映画出演だと思う江口洋介さんが出ているなど、脇役も含めて岩井ワールドが展開していた。
『ラストレター』から続いて出演した広瀬すずはある種近年の岩井作品のミューズだったのかなと思える存在だったし、役どころでもあり、キリエを導く役割を果たすものの、その罪と罰を受けることになる。そのあたりの描写に関してはあざといというかありきたりなものにも見えた。だけど、あの真っ白な雪が積もった場所を歩いていた二人の少女たち、そして白の対比としてもあのシーンは色が先行しているように思えたし、映像的にはやりたいものだったろう。あれが岩井俊二の魔法だと言えるのだから。
自分が映画を観る前に投函した原稿が一人二役ではないが、同じ名前の人物が違う時間軸にいることを描いたものだったりしたので、観ながら映像化するほうがやっぱり向いているネタだよなとは思った。


映画館を出たら19時を過ぎていて、道玄坂にはパトカーや警察車両が停まっていた。ハレとケ。お祭りは日頃の鬱憤を晴らす儀式でもある。ハロウィンとか日本代表戦のあとに集まるのとか僕は嫌いだしやりたくはないが。やりたい人が勝手にやることを否定はしない。そもそもその祭りをやめたら鬱憤は日本の場合だと上に、お上には向かわずに違う場所や下に向くことになる。関係ないが、『キリエのうた』では警察官や児童保護司辺りの行政関係の人物が悪い人物と見える描かれ方をしているところがあって、その辺りはわからなくもないけど、短絡的に描くことはあまりしないほうがいいなとは思った。僕もそういう部分があるからだけど、それをやってしまうとやっぱり分断を生むだけになってしまう。
ハロウィンのために渋谷には来ないでくださいということになっているらしいが、そもそも渋谷に遊びに来る奴らは渋谷区民ではないので今回の区長の判断に対して評価も支持率も下がらないので、区長からすれば何ら問題はないのだろうなと思う。
ちょっとだけ喧騒気味な渋谷の道玄坂を三茶方面に上りながらKyrieのアルバムをスポティファイで聴きながら歩いて家に向かった。
帰っている時にやっぱり岩井俊二作品で最高傑作だと思うのは、小説『ウォーレスの人魚』というのはこの二十年ほど変わっていないなと思った。小説マイベスト5を選ぶなら絶対に入れる作品だ。NetflixでもAmazonプライムでもディズニーチャンネルでもHuluでもどこでもいいから岩井俊二監督で『ウォーレスの人魚』を映像化してほしい。

今回はこの曲でおわかれです。
Kyrie(アイナ・ジ・エンド) - キリエ・憐れみの讃歌 / THE FIRST TAKE