Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『美澄の小部屋』『ほんとうのうた〜朗読劇「銀河鉄道の夜」を追って

 何の因果かマッポの手先とつい何の因果って書いたら言いたくなってしまっただけだけど、本当に因果っていうかたまたまな偶然な事はよくあって受け手である僕が偶然だと思うか必然だって思うかだけの違いでしかないが、去年の12月同様に二日連続で同じ流れで楽しみにしていたイベントが連チャンになるということが発生、ほぼ三ヶ月後なんでワンクールに一回かということなのだけど。


 流れで言えばB&Bで小説家・窪美澄さんの『美澄の小部屋』が前の日にあって翌日が小説家・古川日出男さんがやっている朗読劇『銀河鉄道の夜』関連のイベントがあったというのが去年の12月と昨日今日の今年3月にあった。


 まずB&Bでの窪美澄さん関連のイベントについてブログに残していなかったみたいなのでツイッターのツイートから諸々と。
 最初は去年の7月にあったことからだったと思う、というか僕が色々と窪さん司会でイベントやったらいけるじゃんと思ったのが、
窪美澄×山内マリコユリイカ」女子とエロ・小説篇発売記念トークイベント〜エロの豊饒、小説の愉楽〜』http://bookandbeer.com/blog/event/20130721_eureka/ だった。この日のツイートを↓。


B&Bでの窪美澄×山内マリコトークを観に行った。窪さんが話を進めながら山内さんの魅力というかキャラがよくわかる感じで『ここは退屈迎えに来て』がだからああいう作品になったんだなって勝手に納得。山内さんの書き下ろしの新作もどういうものになるのか期待が上がる。
↑この時の新作が最新刊『アズミ・ハルコは行方不明』だった。
B&Bで窪さんが言っていた事で印象深いのはフィクションの中では現実ではイヤな事だったりも面白ければ読めるしいいと思うって言われていたこと。今連載してる『さよなら、ニルヴァーナ』では少年Aがモデルであろう青年を巡る物語だが彼がなぜあんなことをしたか考える手段でもあるはず。
・山内さんが窪さんに言われていた妖精の話。物語とかクリエイティブなものを運んでくる妖精。トム・ウェイツが高速を運転中に鳴り出したメロディを書き留めれないしどうにもできねえって時に誰かの所に行ってくれ〜みたいな話が出てて窪さんは感覚としてわかると言われていた。
・水道の蛇口を捻るように自分が容器みたいになって書いてる感覚の話を窪さんは言っていて、以前に古川日出男さんと柴田元幸さんがトークの時に言っていたのは古川さんは空中に浮かんでいる物語の断片を掴むんだと、日出男お前なら書けるって声がしてそれを掴んで孕んで生み出すと言われていて。
・柴田さんが古川さんとスティーヴ・エリクソンは書いているものとかが似ている、同時多発的だと言われていた。古川さんの話だと物語の断片は浮かんでいてそれを同時多発的に異なる作家が掴んだりその声を聞ける。アウトプットは微妙に異なるがやろうとしていることは近かったりする。
・異なる作家やクリエイターが一時期同じテーマや思考の果てにあるものを同時代、同時多発的に世に出すのは真似ているからじゃなくて同時期に掴んだものが各自それぞれのやり方で作り上げるからなんだと古川さんのその話を聞いて思った。
・最近それを感じたのは窪さんの『アニバーサリー』といとうせいこうさん『想像ラジオ』に木皿泉さん『昨日のカレー、明日のパン』に古川さんの『南無ロックンロール二十一部経』が近い時期に出された事だった。


 山内さんが話してるのをきちんと見たのはこの日。だけど最初にお見かけしたのは大盛堂書店渋谷店で『ギャルと不思議ちゃん論 女の子たちの三十年戦争』 出版記念トークショー 松谷創一郎宇野常寛 特別対談(http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20120915)の時だったと思う、山内さんがその後団地団のイベントとか出られていたりして『文化系トークラジオ Life』界隈の人ともお仕事されていたりするので勝手な親近感はある。
 窪さんの司会というかトークイベントの運びがうまいなあと思いながら見ていた。山内さんという作家さんのよさが凄く出ていてやっぱり元々ライターさんだし人の話を聞いて時々方向とか言ってもらい事について聞き出すというか上手いなって思った。それを見ながら『ここは退屈迎えにきて』自体も非常に面白かったし山内さんの容姿といいキャラといいこれは強いなと思った。
 昨日の3月8日のイベントの後にイベントに来られていた大盛堂の山本さんと軽く飲みながら話していて自分で思った事だが、山内さんデビュー作もだけど地方のことを小説でうまく書いていて面白いしキャラといい容姿といい編集者や出版業界の人がめっちゃ推す人になるよなあ、連載とかもフィガロとかだしツボをことごとく押さえてる感、なんか誰かに近いなって思ってて誰だっけって思ってて、ゼロ年代本谷有希子的なポジションじゃね?って。
 本谷さんは演劇の人だけど小説も書いててゼロ年代的な自意識の痛さについてだったり地方的なものを小説で書かれていたんだけど今だったらその本谷ポジション空いてるし、そこに山内さんって入っていってるような、そのままメインになって天下取るタイプなんじゃないかなってビール飲みながら思った。うん、思っただけなんで。


 で、去年の12月7日に窪美澄×彩瀬まる『美澄の小部屋』vol.1(http://bookandbeer.com/blog/event/20131207_misuminokobeya/)があった。僕は告知があってから以下のツイートをしている。
・おお、これか窪さんプレゼンツなイベント。まあ、前回の山内さんとのイベントの時もほぼ司会というか話を降り続けてたからなあ。
・窪さんの司会は前回の山内さんとのトークでわかっているので安心です。B&Bってふらっとよしもとばななさん来るからそういうニアミスないかなw


当日のツイート↓
B&Bで『美澄の小部屋vol.1』窪美澄×彩瀬まるさんのトークイベント。彩瀬さんの本も読まないと、窪さんの司会スキルが高いしかなり充実なトークR-18文学賞出身作家の勢いと時代を作るんだろうな
R-18文学賞出身作家の勢いの隆盛が肌で感じるぐらいだと言うことは彼女たちの時代がくるんだろう。と同時にその次に現れるなにか共通項を持つ作家群の萌芽も始まってるはずなんだよ。たぶん。
・『美澄の小部屋』お土産は料理家の本田よう一さんのお菓子。ホントだ!時間経ったら綿菓子が縮んでた。どっちも美味い。


 のちに彩瀬まるさんの『骨を彩る』を読んだ。心の隅にある触れないし届かないもの、でもあるのはわかっているその想いとか気持ちについて丁寧に書かれていて、一作ごとが連なっているのでやはり巧いなというのと言葉遣いがきれいな感じを受けた。
 僕は元々連作短編というか短編が連なって長編になっている作品が好きなんだけどR-18文学賞受賞作家陣は短編で応募して賞を取って本になるまでが各人でだいぶ時間が違うんだけど窪さんの『ふがいない僕は空を見た』なども受賞作を含めた連作短編として一冊にまとめるのがベストというのもあるんだろう。
 今、主人公の視点が変わらずの長編ってどうなんだろう、流行とか流行じゃないとかじゃなくて読みやすさだったりネットが当たり前になっていろんな個人が今まで以上に見えて、情報過多な世界だと複数の主人公視点から語られてる物語の方が違和感がないってのもあるのかな。


 このイベントの翌日の12月9日は福島の郡山に朝から出かけた。連載させてもらっている『水道橋博士のメルマ旬報』vol.28の『碇のむきだし』では『朗読劇 銀河鉄道の夜』郡山・安積高校(安積歴史博物館)公演とその安積高校出身者繋がり&福島繋がりの回について書いた。かなりドキュメンタリーなものになった。


『朗読劇 銀河鉄道の夜』を古川日出男さんの母校である安積高校内にある歴史博物館に観にきた。夏に『ただようまなびや』でお世話になった方々もいらして、どんだけ日出男先輩慕われてんだよと思う。


 ↑今日、ユーロスペースでの最速プレミア上映された『ほんとうのうた〜朗読劇「銀河鉄道の夜」を追って』(http://milkyway-railway.com/movie/)の中でも古川さんの母校である安積高校での公演の映像は何カ所か使われていた。最後に『朗読劇 銀河鉄道の夜』郡山・安積高校(安積歴史博物館)公演をメルマ旬報連載より再録してます。


 3月8日B&Bにて窪美澄×蛭田亜紗子 ×山本文緒×吉川トリコ 『美澄の小部屋』vol.2に行ってきた。
 司会進行お手の物の窪さんに天然というか独自の感じの蛭田さんに担任の先生みたいにしっかりとした山本さんに元気だけど他の人に気を使っている吉川さんのトークはあっという間だった。
 『文芸あねもね』読んでないので読まないとなって思ったのと2011年3月11日から三年経って、あの時の事を東京にいた作家と北海道、名古屋にいた作家さん各自の当時のことなんか聞けたのもよかった。
 山本さんの地震の日に猫が初めて見せた顔見て爆笑したとか地震津波で世界がもう崩れていく中で爆笑してしまった事は言っちゃうと不謹慎だと思うけどと山本さんは言われていたけど、それは悪い事でもなくてそんなもんなんじゃないかなって聞きながら思った。蛭田さんは実家にいてお家がパン教室しててけっこう北海道も震度4ぐらい揺れて教室に来てる人の子供が仙台にいるから電話しても繋がらないって言っててネットでいろいろ情報を見ていたと言われていた。吉川さんは名古屋に在住でCSかなんかで『木更津キャッツアイ』見てて終わってからテレビ見てたらすごいことになっていた。だから『木更津キャッツアイ』見てた自分が申し訳ないと今でもみたいなことを言われていて、当事者がそう感じているのはしょうがないんだろうけど、もうどうしようもないよね。物理的な距離とかの問題は大きかったし。窪さんは幻冬舎ジンジャエールの官能小説の依頼があって書き始めてて、震災もあって書いてる場合じゃないよなって締め切りとか伸びるよなって思ったら普通に締め切りそのまんまだったみたいなお話をされていた。

 
 で、『文芸あねもね』が作られた経緯とかの話で窪さんが参加していない理由はチャリティーで書くという事や編集者がいないとか自分は参加しなかったことを話されて答えはまだ出ていないけどと少し辛そうに言っていた。これは個々人の問題というか思いとか考えが尊重されるべきなんでそれをきちんとあねもねチームに言えた窪さんもだし、わかったって言ったあねもねチームもすごいなあというか信頼関係があるからなんだなって感じた。
 一時間過ぎて、休憩前に山内マリコさんがama projectについて説明されに来たりしてやっぱりすごいメンツだなって思った。R-18文学賞強すぎる。
 『文芸あねもね』はツイッターのDMとか掲示板とかでやりとりしてみたいな話があったけど、R-18文学賞のパーティとかで数回しか会ってなかったとかって言われてて彼女たちはこの賞で世に出たっていう仲間意識が強くあるから他の賞取った作家さんよりも結びつきが強固な感じがした。
 『メルマ旬報』連載陣もそれに近くて、あんなにもまだ強くはないだろうけど。水道橋博士さんという軸で繋がっている各人が同じメルマガで連載している。それぞれに繋がりがあったりなかったりでメルマ旬報フェスの時に初めて実際に会って名前と顔が一致するみたいな感じだったからこれからどういう風に結びついていくんだろうなって徳を聞きながら思ってたりしてた。
 次回の『美澄の小部屋vol.3』は六月開催でゲストは某Y木さんにほぼ決まりらしい。R-18出身者やその界隈の人がゲストで窪さんと話をするっていうのはトークイベントしてきちんと面白くていいなって思う。窪さんが人の魅力を引き出すのがうまいのはかなりデカい。


 今朝起きてから『新潮』四月号掲載の古川さんの連載開始『女たち三百人の裏切りの書』読む。『アラビアの夜の種族』を読んでいた時に似た幻惑的な雰囲気がある。語り部としての物語る感じとかも近いものもあって、これから先に書かれている登場人物たちがいかに関わり大きな物語としてどこに辿り着くのか見届けたいと思った。紫式部の怨霊というか霊が源氏物語の続編について書いたものと違うものになっていることについてシャーマン的な女童に入って語り直すというのは『アラビアの夜の種族』が元々あった小説を古川さんが翻訳したものであるというフェイク的な語り部を彷彿させる。瀬戸内海の海賊の話とか島の話なんかは『黒いアジアたち』をどことなく感じもさせる。だからこそ、この作品は最後まで書かれて一冊に綴じられてほしいと思った、いち古川日出男ファンとして。


『ほんとうのうた〜朗読劇「銀河鉄道の夜」を追って〜』先行プレミア上映@ユーロスペース http://www.eurospace.co.jp/detail.html?no=542

監督:河合宏樹
出演:古川日出男管啓次郎、小島ケイタニーラブ、柴田元幸、青柳いづみ


2011年12月24日、朗読劇「銀河鉄道の夜」が誕生した。


震災後、宮澤賢治の声を手がかりとして、小説家・古川日出男と仲間たちが見つめ続けた世界の2年間の追う。


古川が賢治のヴィジョンを震災後の視点から戯曲化した「銀河鉄道の夜」。詩人・管啓次郎、音楽家・小島ケイタニ―ラブ、翻訳家・柴田元幸と共に作り上げた声の舞台は、東北をはじめ全国各地をめぐり、土地ごとの変容をとげました。失われた人々への鎮魂と、未来への希望。どこまでも続く線路の旅に伴走するロード・ドキュメンタリーです。


監督は、2年間に渡り彼らの旅を追った河合宏樹。独自の視点で切り取ったドキュメント映像、出演者のインタビュー、そして、そこに朗読劇の観客の一人である女優・青柳いづみが、彼らの訪れた東北の土地を裁縫する”新たな視点としてが加わります。レールに導かれるように乗車し、その土地で賢治を朗読する彼女を通して、銀河鉄道が土地から受け取ったメッセージをみつめます。


◇本上映会は<東京国際文芸フェスティバル2014>正式参加企画です
東京国際文芸フェスティバル2014 2月28日〜3月9日
公式サイト:http://tokyolitfest.com/


監督:河合宏樹/撮影:森重太陽、新見知哉、渡邉有成、近江浩之、瀬川功仁/美術:サカタアキコ(Diet Chicken)/音楽:小島ケイタニーラブ/主題歌:ANIMA「サマーライト」(WEATHER/HEADZ)
製作・宣伝:浦谷晃代(Diet Chicken)/宣伝美術:牧寿次郎/WEB:仮屋千映美/協力:朗読劇「銀河鉄道の夜」実行委員会(ユーロスペースサイトより)


 出演者四名と河合監督の舞台挨拶で七月からユーロスペースで上映されることが発表されていた。映画は観ながらいろんな感情が沸いてぐるぐるして途中で気持ち悪くなった。僕はときおり映画を観ていて自分の内部がぐちゃぐちゃになることがある。たぶん、自分の抱えているキャパを越えてしまったり感情が異様なまでに大きく揺らされた時は酔うようになる。今回も途中から少しそうなった。だから、はっきりと届いて、届きすぎて僕は観ながらやはり古川さんが言われていたように観た人それぞれのこの映画があるのがわかったし、言葉にうまくできないものが渦巻いて僕の気持ちをまわしていた。


 朗読劇『銀河鉄道の夜』を追いかけていた河合さんだからこその映画になっていてそれが本当に素晴らしかった。ドキュメンタリーである部分がもちろん多いがピンときたから四人以外の出演者としてチェルフィッシュやマームとジプシーなど演劇で活躍されている青柳いづみさんが出ているんだけど彼女が入る事によってもうひとつの視線があって映画としてうまく構成されていたように思う。
 彼女は古川さんや菅さん小島さん柴田さんスタッフの皆さんが訪れた場所を再訪するような形で現地でロケをして朗読をしているシーンがあって、彼女の存在は僕ら観客に近くて朗読劇には実際参加してなくても朗読劇と繋がる要素だし、古川さんを始めとする出演者や関係者スタッフとは違う視線、立ち位置でそれが半歩ぐらいズレた立ち位置だからいいんだろうなって思った。


 舞台挨拶は今朝フランス、イギリスから帰って来た古川さんと菅さんに、柴田さんと小島さんに監督の河合さん。小島さんのライブから始まって『フォークダンス』『サマーライト』を。最後は小島さんが歌う『ベルカ、吠えないのか?』に古川日出男+菅啓次郎+柴田元幸英語版『ベルカ、吠えないのか?』朗読コラボだった。古川さん英語だけどやっぱり朗読で伝わってしまうものがあって、僕がはじめて古川さんの朗読を観たのが『ベルカ、吠えないのか?』文庫刊行イベントだったので嬉しかったし、英語版でもカッコ良かった。終わってから英語版『ベルか、吠えないのか?』買って皆さんにサインしてもらって古川さんに挨拶して握手してもらって帰った。古川さんの手はいつも温かいというよりもなにか熱くてしっかりとしている。
 歩いて帰りながら自分が何をどうして行くのか考えながらいつもの帰り道を帰っていった。


「サマーライト 」ANIMA with 益子樹ROVO)+古川日出男@SHIBUYA O-nest 2012/10/13



水道橋博士のメルマ旬報』vol.28 『碇のむきだし』より


 僕は見知らぬ土地を歩いていた。その頃、美羽さんは風邪で寝込んでいた。兄さんはたぶん仕事をしていた。渋谷駅から大宮まで湘南新宿ラインに乗り、新幹線やまびこに乗って二時間もしないぐらいで郡山までやってきた。名前とかを知っていてもその距離感だとか実感みたいなものは体感するとよりはっきりする。
 駅前商店街でみそラーメンを食べた。一人で食べていると五十過ぎぐらいの夫婦がやってきて店主やその奥さんに声をかけていた。常連さんなのだろう、客の夫よりも妻の方が店主に話かけていた。そのイントネーションは福島弁だった。おおまかに言えばその中でも地域ごとで色もあるだろうけど僕にはそれは福島弁だなということしかわからなかった。もう一人、五十過ぎぐらいの女性が入ってくると妻の方が「○○ちゃん」と声をかけて三人で並んで話しだした。懐かしい再会だったらしい。震災の事なんかを話していた。僕は意識をあまり向けないようにしてラーメンをすすった。興味はあるが聞き耳を立てるべきではないと思った。
 土地固有の方言やイントネーションを聞くと違う場所に来たんだなと強く思う。気候や風土、文化が大きく起因している言葉。僕がこれから向かおうとしている場所では僕が異邦人であり彼らが標準であると感じさせる割合になっているはずだった。食べ終わってスマフォで目的地までのルートを見る。歩けば一時間もかからないだろう。
 商店街から大通りに出ようとすると右のずっと先の店の前に猫が見えた。僕は何気ない感じで歩いていく。商店街にいる猫なら多少は人間に慣れているはずだと予想して。近づくと白メインで多少ガラが入った猫は店と店の隙間に入って安全を確保して強い目で僕を見ていた。さらに奥の方には仔猫が一匹いて猛ダッシュして走っていった。母猫もスマフォで写真を撮ろうとしていると奥に逃げていった。
 奥州街道に出て陸橋の階段を上っていく。右手の空は寒空で曇っていた。どことなく雨が降りそうな気配だった。左手の空は大きな白い雲の向こうから太陽が差していてそちら側の体は暖かく感じられた。左右の空の違いは雨が降りながら日も照るような狐の嫁入りみたいな事になるのかな、なんて僕に思わせた。
 晴天と曇天の境目を僕はマップアプリを頼りに歩いていった。


 アプリの矢印の示す方に歩いて行く。日曜日のお昼過ぎで大通りには車が多く走っていたが、細い路地に入ると人気はなくなった。たまに自転車に乗った人が通りすぎたりしたけど歩いている人はほとんど見かけなかった。
 看板の寂れた印刷店や交差点にある大きなラーメン屋とか知らないはずの土地はなにか懐かしさを感じさせた。地方によくある光景なのかもしれない。僕の地元は郡山のように大きな都市ではないが戦後日本が辿った流れの痕の景色にひょっとしたら懐かしいと感じられるものがあるのかもしれない。
 はやま通りに入ると目的地まではほとんどこの道を直線であるいて途中で左に折れてまた左にまっすぐ行くと辿り着ける事がわかったのでスマフォで「安積高校」とググる。最初はなんと読むのかわからなかったので安いに積読と打っていらない「い」と「読」を消して高校と打った。
 Wikiには正式名称「福島県立安積高等学校」と出て「あさか」と読む事がわかった。通称は安校、あんこうらしい。2001年より男女共学化に従い制服が廃止された。以前は男子校だった。目的地でもある安積歴史博物館(旧福島尋常中学校)は1977年に重要文化財に指定された。東日本大震災で内部の漆喰壁が多量に崩れ落ちたために休館になっていたが復旧し十月に仮オープンが始まった。
 著名な出身者にはこのはやま通り沿いにある「こおりやま文学の森資料館」近くに「久米正雄記念館」というのがあって、小説家であり劇作家であり俳人久米正雄という人もいた。僕がこれから観に行く『朗読劇 銀河鉄道の夜』を上演する小説家の古川日出男さんの名前ももちろんあり、母校がある郡山で震災後に休館していた安積歴史博物館にて無料で行なう公演だった。古川さんの名前の数行下には『トップランナー』でも司会をしていたクリエイティブディレクターの箭内道彦さんの名前もあった。それで合点がひとついった事があった。
 古川さんの最新刊である『小説のデーモンたち』という私小説でもあり創作論でもある作品の帯に箭内さんのコメントがあった。箭内さんは古川さんの高校の先輩という繋がりがあったのだ。箭内さんは同じ福島出身のサンボマスター山口隆さんとTHE BACK HORN松田晋二さんとTOKYO NO.1 SOUL SET渡辺俊美さんとバンド「猪苗代湖ズ」を組んでいて2011年にNHK紅白歌合戦に出場している。


 僕が最近、箭内さんを意識したのは「シブカル祭。2013 フレフレ!全力女子!編の「世界がつまんないのは君のせいだよ。」という画像(http://www.parco.co.jp/parco/love_human/ad2013_02.php)だった。すごくいいなと思ったらクリエイティブディレクターは箭内さんだった。まさしくその通りだと僕も思っていることだった。
 面白いことないかなとか言ってるなら自分が面白いと思ってる人や所にいくしかない。
そこで受け入れてもらえるかはわからないし辿り着けるかはわかんないけどそうやって自分が動かなきゃ面白くなんてならないから。僕らなんか面白いわけないんだから面白そうな人や場所みたいな花に吸い寄せられるミツバチみたいに動き廻って受粉を無意識に手伝ったりするかもしんないけど面白い人や場所はいくらでもあるし、たいていそういう人や場所は繋がっている、だから僕は今こうやって郡山を歩いている。
 目的地である安積高校についたが開場時間の14時半までは三十分以上もあったからそのまま大通り沿いを歩いて時間を潰そうと思った。コンビニでペットボトルを買ってずっとまっすぐ歩いていた。朗読劇を観るのは初めてだからワクワクしていたし好きな作家さんの母校に来るとは思っていなかったから不思議な気持ちではあった。本来は美羽さんが来る予定だったのだ。新幹線のチケットも取っていたけど風邪でダウンして代わりに見届けてきてとお願いされた。僕もそう言われて断る理由はなかった。トイレに行きたくなったらコンビニやスーパーのを借りればよかった。インナーイヤフォンから流れる音楽に合わせて歩を進めた。左側は陽が差しているのに右側はやはり灰色の雲に覆われていた。
 目の前をなにか白いものがひらひらと通り過ぎっていった。まさかと思って空を見上げた。かすかに、ほんのわずかだが白いものが舞っていた。今年の冬になって初めて僕が見る雪が降ってきた。それなのに陽が差していてこの大通りを境にして世界が割れているみたいだった。本当にわずかな白い雪が舞っている。スマフォで撮ろうと思ったが撮りようがなかった。電線と太陽を代わりに撮ってみた。僕はその時、古川さんが震災後に出した『馬たちよ、それでも光は無垢で』という作品のタイトルを思いだしていた。
 もしかしたら朗読劇を観ている間に雪が舞って世界が白に染まったりするのだろうかと思いながら来た道を戻って高校を目指した。





 安積歴史博物館に入ると袋を渡されて靴を入れてスリッパを履いた。予約していたので名前をいうと整理番号をもらった。関連書籍の販売もしていたがすでに多くの人が館内にはいた。歴史もののドラマで見るような建物だなと思った。なぜか『はいからさんが通る』だなと脳裏に浮かんだ。生まれてない頃のだから懐かしのドラマ特集で見たのかもしれない。
 木造の建物で壁は漆喰なのだろうか白色だった。床の木は年期を感じさせる光沢があった。色んな人が歩いていった跡だなと思った。多くの人生がここを経てそれぞれの人生を進んだに違いない。一瞬、いろんな通りすぎていった人たちの残像が見えたように感じられたのはたぶんこういう歴史のある建物には時間が宿って堆積しているからなんだろう。建物は二階建てで二階の大広間みたいな部屋で公演が行なわれるみたいだった。



 整理番号順で開場して部屋の中に入っていった。かなり大きな部屋でここも白が基調となっていた。部屋の真ん中にはマイクや機材、スピーカーなんかが置かれていてその左右にパイプイスが置かれていた。最終的には四百人近くの観客がつめかけてこの『朗読劇 銀河鉄道の夜』を観賞することになった。両親に連れてこられたであろう小学生の子供から中学生や高校生の子供、僕のように東京から来た客に、古川さんと同年代の方々、お年寄りまでと年齢層も多様だった。
 なんとなく置かれている四本のマイクの位置から古川さんがメインに使うであろう場所の正面にあたる二列目の席に座った。次第にお客さんが集まりだしてパイプイスが埋まっていく。いろんな声が聞こえてくる。ほとんどは当然ながら福島弁で古川さんの事を昔から知っている人たちの声も聞こえている。
 東京に行って小説家になった古川さんは、呼ばれる時は古川さんっていうのが当たり前になったけど震災があってこっちに帰ってくることが多くなってくると郡山にいた時の<日出男>に戻れたような気がすると言われていた。
 ここには古川日出男という作家として知られる前の<日出男>として知っている人がたくさんいる場所なのだと僕にもわかった。人は場所によって人生の時間によって呼ばれる固有名詞も変化していき、呼び名は関係性や場所によって決まる。
 当然だ。僕だって大沢家がある地元では大沢とはほぼ呼ばれなかった。ずっと海斗だった。親しくなれば下の名前でも呼ばれるようになる。でも、ある土地を離れると人はまた違う関係性の中で生活していくから呼ばれ方が異なる。
 そう考えると不思議だ。
 出演者の一人であるミュージシャンの小島ケイタニーラブさんが出てきてギターで場をあっためますと歌を歌いながら他の出演者の紹介も兼ねるというオープニングが始まる。
 自己紹介代わりにと小島ケイタニーラブさんが歌を歌えば、次に呼ばれた詩人の菅啓次郎さんは自分の詩を詠んだ。三人目は翻訳家の柴田元幸さんで翻訳家は他人のふんどしで飯を食べてますからと場内を笑わせてから宮沢賢治雨ニモマケズ』を英語で朗読する。最後は古川日出男さんが紹介されて自分の小説を朗読して出演者が全員登場して『朗読劇 銀河鉄道の夜』が始まった。
 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を元に古川さんが設定や台詞を活かしながら朗読劇として再構築した作品。小説家も音楽家も詩人も翻訳家もそれぞれに登場するが役を演じたりしながら物語は銀河ステーションから始まる。
 <日出男>に戻れた古川さんは物語の中で標準語から福島弁で語り出す。左右に分かれた客席を挟んだ演者のいる場所が銀河鉄道の空間として機能している。
 大きな窓の外は次第に日が暮れていって、雪は降っていなかったが夜が忍び込んできていた。その窓から見える景色のグラデーションと朗読劇の雰囲気はマッチしていてこれは「時間」を描いているのだと見ながら感じていた。斜め前の父親に連れてこられてただろう小学低学年ぐらいの男の子はうとうとしていて次第に眠りの側にいってしまっていた。この物語が眠りを誘うというよりもここではない銀河の空間にいざなっている。それも大部分が声によるものでだった。人は声によって違う世界を体感することができる。
 銀河鉄道に乗った僕らは時間を体感しながら異なる世界とこの現実の狭間を行き来していた。終わった頃には窓の外は夜になっていた。館内は暖かく観客はすぐにこちら側に戻って来れないような感じになっていた。だけど、僕はどこかで初めての東北の夜に親しみを覚えた。
 終わってからこの『朗読劇 銀河鉄道の夜』の脚本決定稿を書籍化した『ミグラード』を買って出演者の方々にサインをしてもらった。僕は古川さんに新幹線の中で『小説のデーモンたち』を読んでいて郡山に着く頃に菅さんからこれをやらないかと言われた辺りだったんですよと伝えると「現実とシンクロしてるんだね。これ小説を書こうと思ってる人にはわりとつらい本かもしれないよ」と言われた。
 僕は安積高校を後にしてまた歩きながら郡山駅に向かった。なんだかバスを使って帰ろうという気がしなかった。歩きながら興奮を沈めたいという気持ちともう少しこの町にいたかったのかもしれない。また、スマフォを見ながら歩く、なんだか僕が移動しているのか世界が移動しているのかどちらなんだろうと思えてくる。
 知らない町の夜、ロードサイドを歩いているのは僕ぐらい、三人の中学生ぐらいが自転車に乗って通りすぎていった。僕の横をスッと走っていく車は僕と断絶されているようで実はそうとも限らない。さっきまでいた安積高校出身者だって乗っているだろう。そう思えた。

よるのふくらみ

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アズミ・ハルコは行方不明

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骨を彩る

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文芸あねもね (新潮文庫)

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人肌ショコラリキュール (講談社文庫)

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ぶらりぶらこの恋

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なぎさ (単行本)

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ミグラード 朗読劇『銀河鉄道の夜』

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小島敬太

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新潮 2014年 04月号 [雑誌]

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小説のデーモンたち (SWITCH LIBRARY)

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