Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年10月1日〜2023年10月15日)

9月下旬の日記(2023年9月16日から9月30日分)


10月1日

前日に月曜日に提出したものの修正等のコメントがあったものを見直して、こちら側の修正をして再提出。確認する人が三人いるのでそれぞれがチェックして、日曜日中に一旦その箇所は終了ということになっていたが、全員からの確認のコメントなどがなく、夕方まではその作業用に時間を空けておいた。
昼間から観たい映画もあったが、時間帯的に無理だったので諦めた。その代わりに散歩がてら『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら渋谷まで行った。ポイントカードが貯まっていたので、その作品の火曜日の昼間の回のチケットと交換だけしておいた。
帰る前にスクランブル交差点前にある大盛堂書店によってマーク・フィッシャー著『K-PUNK 夢想のメソッド──本・映画・ドラマ』を購入。何件か回ったがなかったのであってよかった。お会計後に領収後をもらったら店員さんにインボイスの番号が記載されているのでと説明されて、「ああ、インボイス始まったのか」とイヤな気持ちになった。店員さんにではなく、もちろん制度とか政府とかもろもろについてだけど。


マーク・フィッシャーの著作『わが人生の幽霊たち──うつ病、憑在論、失われた未来』『奇妙なものとぞっとするもの──小説・映画・音楽、文化論集』と『K-PUNK 夢想のメソッド──本・映画・ドラマ』は同じくP-VINEから出版されている。
もともと『わが人生の幽霊たち』が新刊で発売されていた時に、棚差しされていてタイトルになにか引っかかって取り出して装幀を見て、いいなと思って買った。その時はマーク・フィッシャーという名前も知らなかった。あとから書店で何度か見たことのあった『資本主義リアリズム』を書いている人だとわかった。
ある時期からイラストの装幀がかなり増えてきたこともあって、正直自分が好きな漫画家さんやイラストレーターでないと惹かれないし、イラストに頼りすぎてるなって思うデザインが多いので、正直装幀で惹かれるものが年々減っている。それもあって装幀で惹かれるものだったら買ってみると僕に合うものの確率がかなり高いという経験則がある。

先方からコメントが返ってくるのを待ちながら、上田岳弘著『最愛の』を最後まで読み終わった。「最愛の村上春樹」と言っても問題のない、村上春樹作品の要素に『ノルウェイの森』を下敷きにしたであろう作品世界は僕にはすごくおもしろく感じられた。

大塚さんの漫画評論集『「14歳少女の構造』を読んでいて、『めぞん一刻』についてのところでアジールとして「めぞん一刻」、下宿というものが書かれている際に言及していたのが『菊坂ホテル』だったので、Amazonで中古を頼んだのが届いた。
菊坂ホテル主人の娘・八重子が主人公ではあるが、メインとして谷崎潤一郎が、狂言回し的に竹久夢二とお葉がいる。谷崎がいるから菊池寛とか斎藤茂吉とか芥川龍之介とか、お葉をモデルにしていた画家である伊藤晴雨とか出てくる。
関東大震災が起こる二、三年前の東京を舞台にしていて、物語は国税調査が始まるという時に谷崎がホテルを出ていくことで終わる。
仮の住まいである下宿、そこには本名や本当の身分を隠して生息する場所であり、国税調査はすべての国民がどこに住んでいるのかを明らかにしてしまうものだから、谷崎は仮の住まいから出ていくことになる、というのが大塚さんの見立てだった。
実際の人物がモデルであり、史実を取り込んでいるので物語としてもおもしろいし、キャラが非常に立っている。
「大正」ものがある程度人気だったりするし、映像化には非常に向きそうな、谷崎と夢二が主要キャラなので男女のエロティックが濃厚だし、色気として作品に漂っているのでそれがないと意味はないのだろうけど。
上村一夫さんは阿久悠の宣弘社時代からの友人だし、阿久悠が原作を手がけた『悪魔のようなあいつ』の漫画も手がけている。僕は長谷川和彦監督から入って、『悪魔のようなあいつ』のドラマを見てから、二人の関係を知ったような気がする。

夕方過ぎには確認のコメントも戻ってきて、一旦今回の提出した部分はOKになったので、下北沢駅直結のK2シモキタエキマエシネマでエドワード・ヤン監督『エドワード・ヤンの恋愛時代』4Kレストア版を鑑賞。

「クー嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」「ヤンヤン 夏の想い出」などで知られる台湾の名匠エドワード・ヤンが1994年に手がけた青春群像劇。

急速な西洋化と経済発展が進む1990年代前半の台北。企業を経営するモーリーは、自分の会社の経営状況も、婚約者アキンとの仲も上手くいかずにいる。モーリーの会社で働く親友チチは、モーリーの仕事ぶりに振り回され、恋人ミンとはケンカが絶えない。そんなモーリーとチチの2人を中心に、同級生・恋人・同僚など10人の男女が2日半という時間の中で織りなす人間模様を描き、心に空虚感を抱える彼らが自らの求めるものを見いだしていく姿を映し出す。

1994年の金馬奨脚本賞助演男優賞助演女優賞を受賞し、第47回カンヌ国際映画祭にも正式出品。第79回ベネチア国際映画祭にてワールドプレミア上映された4Kレストア版で2023年にリバイバル公開。(映画.comより)

エドワード・ヤン作品だと『クーリンチェ少年殺人事件』『台北ストーリー』は観ていたが、今作は観たことがなかった。恋愛時代というように結婚していたり、婚約していたり、付き合っている男女が、徐々に違う誰かという風に思い人や関係性が変わっていく群像劇なものだった。
映像とかも約30年の経済発展が進む台北というのを観れるのもよかったが、気持ち長い。ただ役者さんたちの画力もあるので観てはいられる。一般市民というよりはハイクラスなエリート層の登場人物や芸能界に近いような世界で働いている人たちなのでバブリー感がある。日本のトレンディドラマ時代にも雰囲気は似ていて、インターネット登場前の経済が豊かになったアジアの国の似たものも感じた。

終わってから家の近所のセブンイレブンでなにか食べ物を買おうと思ったら、知り合いとばったり会ったのでそのままニコラに行ってビールを飲んだ。

 

10月2日
昨日も涼しかったが今日も起きてから可燃ゴミを出しにいったら秋っぽい風と気温だった。残暑は終わったのか、たまたま涼しい日が続いているのか、どうなんだろう。
酔いは残っていなかったけど、眠かったのでリモートワーク開始一時間前まで二度寝。ちょっとだけ読みかけの小説の続きを読んでから仕事を開始。
新しい月だけど、作業はいつも通りなのでのんびりとマイペースで。今年も残り三ヶ月だからあっという間だ。
スケジュールを再確認したが、年内までは今やっている仕事とかは継続しているだろうから、年末年始の休みの期間がどういうスケジュールになるのか、休みとかも先方の休みに合わせる感じになるのだろうか。


仕事が終わってから、昨日に引き続きニコラに行ってスコーンとアルヴァーブレンドをいただく。もともと今日お店に行こうと思っていたので、昨日がイレギュラーだった。まあ、いいイレギュラーは大歓迎。

家に帰る前に安田佳澄著『フールナイト』第7集を購入。巻を増すごとに描かれていることが、現在の世界とリンクし読者の中で鮮明に繋がっていく。
想像力と知識が今回はキーワードだけど、貧困化する世界でそれを最初から奪われた子供たちが増えていくこと、それによってなにが起こるのか、その絶望が前面に出てきた。
寄生獣』『亜人』の令和版ともいえるし、同時代的にいうと『怪獣8号』とのシンクロ性もある。
地球規模の自然災害や新自由主義が行き着いた未来をメタファを入れ込んで描いている。こちらでは「ぶ厚い雲に覆われ陽が差さなくなった遥か未来の地球。植物が枯れ酸素も薄くなった世界」で貧しいものたちは体を植物にして一時的な金を得て人間ではなくなってしまう。環境問題と貧困と政治、利害関係の敵対が描かれていく。
『怪獣8号』では自然災害のメタファ的な怪獣と戦う集団に入った主人公がその怪獣の種が入り込んで殲滅すべき敵の能力を持ちながらも仲間に隠して戦うという『ウルトラマン』『デビルマン』的な系譜にある作品。『フールナイト』個人的にはもっと評価されて大ヒットしてもいいと思うんだけどなあ。

Oneohtrix Point Never - A Barely Lit Path (Official Music Video)


昨日から読書中はOneohtrix Point Neverのニューアルバム『Again』をずっと聴いている。

 

10月3日

 あたしはテレビで見た靖国神社の前で日の丸を熱心に振っているおばさんたちを思い出した。あの人たちは人気者が大好きだから、人気者の首相が何かをすれば全て大喜びする。でも何十年か前もああやって何も考えず日の丸を振った人たちが本当は戦争を起こした一番の張本人で、その意味ではこの国の人たちはもう一度戦争を起こして勝たないと気が済まないのかもしれない。
「でも勝てないけどね」
P227

 さて、笹山徹が気を失ったところで、今回は「試作品神話」はお休みである。アメリカの同時多発テロについて君たちはどう考えるべきかを笹山徹でなく作者であるぼくが語る。編集部の連中はこういう原稿が自分の雑誌に届くことを全く知らない。言ったところで反対されるだけだから言いもしない。だから何でもいいからとにかく載せなければ頁が真っ白になる、というぎりぎりのところでこの文章は編集部に届けられ、うまくいけば印刷され読者である君たちのところに届けられるだろう。タイトルも見出しもそしてイラストさえも「試作品神話」のままなのはつまりはそういうわけだ。「試作品神話」を読むつもりでこの頁の文字を追い始めた君たちはだから既に困惑したり、あるいは未だにこれはいつもの笹山徹の説教なのだろうかとうんざりしているかもしれないがこれはもはや小説でも物語でもない。たった今、君たちが直面する現実についてどう考えていくべきかについての文章だ。
 君たちが読んだことがあるかどうかぼくにはわからないが、ぼくはまんがの原作やノベルスを書くこととは別に世の中で起きた出来事についての文章を長い間、書いてきた。それらの文章を発表してきた場所は新聞やあるいは君たちが手にはとりにくい論壇誌という種類の雑誌だった。
 今回のアメリ同時多発テロについての文章はそれこそ新聞やそれらの雑誌に溢れ返っているし、そういう種類の雑誌からぼくもまた文章を求められたりもした。だからいつものように君たちの目の届かないところで別の大塚英志としてこの出来事について意見を述べることももちろん可能だった。
 けれどもぼくはわざわざ頼まれもしないのにアニメ誌の自分の小説の頁の中身を勝手に差し替えて君たちの許に無理やり届くようにこの文章を書いている。理由は簡単だ。これ は多分、たった今、君たちがきちんと考えておく必要のある問題だからだ。けれどもこの問題について君たちが読むアニメやゲームの雑誌は何も語ってはくれないだろうし、テレビや新聞やかつてぼくが書いていた論壇誌のことばは逆に君たちには全く向けられていないのだ。だからこういうゲリラ的な文章の発表の仕方をぼくは選択することにした。
P234-235より

 あと変わったことと言えば、徴兵制が採用されて、でも自衛隊は新憲法では国連軍に統合されちゃったんで彼らが派兵されるのは中東だとか東欧だとかアフリカだとかの泥沼化した民族紛争の前線で、国際貢献とか、日本が一人前の国家になるためとかいう名目で他人の国の戦争に若者たちは日夜、放り込まれている。ワールドカップで日の丸のペインティングなんかして喜んでるから、ついうっかり国家、背負わされても逆らえないんだよな。まあそれも全て自己責任だ。
P266より

 って、この小説の中でもワールドカップあったのかって? 日本占領されてんのにって?
 あったんだよ。
 こういう時だからこそ、日本人の心を一つにってやつだよ。しかしサッカーにちょっと勝ったぐらいで一国の国民の心が一つになるなら、エヴァ作って人類補完計画なんかやろうとしたネルフってバカみたいだよな。それともFIFAネルフか。
 ま、そういうわけで街中を日の丸を顔にペイントした若者が跋扈していたよ、この間まで。それって実は目玉の中にバーコードがあるってどっかのまんがが象徴的に描いていた事態と全く同じことなんだけど、ま、いいや。日の丸とバーコードと国民総背番号で、私が私であることを国家が保証してくれる素敵な時代がSFでも何でもなく実現してるってのがこの小説の中の現実だが、それはお前たちのいる現実とそう離れちゃいない。
P283より

朝起きてから作業開始前に数日前から読んでいた『多重人格探偵サイコ 試作品神話』を読了。
講談社の亡くなった宇山さんに依頼されて講談社ノベルスで出版された小説「サイコ」はマンガとは違う世界観というか、書かれていない部分を前面出していた(主人公の雨宮一彦と伊園磨知が赤軍派セクトの女性が産んだ姉弟だったとか、連合赤軍の話が設定に組み込まれていた)もの、こちらがベースになってWOWOWでのドラマ版の「サイコ」ができていて、その終わったあとの物語として『試作品神話』は書かれた。そして、宇山さんの弟子筋といっても差し支えはない太田克史さんの星海社から20年経って書籍化されたことも時間が経ったんだなと思えるものだ。
改めて読んでみると大塚さんもアジってるなあ、と今なら思うし、実際に何度もお話を聞いてるからいろいろと思うこともあるけど、W杯とかなんでもいいけど日本代表戦みたいなもんを同じユニフォーム着て国旗を掲げて日の丸振って応援してるのをずっと気持ち悪いと僕は思ってるわけだけど、大塚作品の影響だよなと改めて思った。
同じユニフォーム着て気持ちを一つに、国家の勝利を信じて、みたいなのはマジですべてが溶け合って個の境界線が消える世界だから気持ちいいでしょ、まさに人類補完計画だなってずっと思ってるから、あの時のアスカみたいに「気持ち悪い」と言い続けないといけないなと思ってる。だって、実際に気持ち悪いじゃん。
日本代表が勝ったから応援してるお前や日本がすごいわけじゃない。みたいなね。時代や価値観が目まぐるしく変わると「私」の根拠が見出しにくくなる、その時に「私」の根拠を国家とかに見出すとネトウヨレイシストになりやすい。もちろん、今の政権与党である自民党はそういうものを支持母体にするためにいろいろと余計なことを国民の金を使ってやっている。アメリカのプアホワイトがトランプを支持したのと同じ原理だ。トランプと殺された安倍が仲良かったのはボスのアメリカとその犬の日本という関係性だけでなく、彼らを支持している人たちの傾向も同じようなものだったからだ。
もちろん新自由主義が加速したから、もあるがサッカー日本代表がW杯出場してから日本のナショナリズムも加速した部分が間違いなくある。かといってリベラルは金の話をしない(できない)し、「私」の根拠を国家や政権与党に見出す人に届く言葉も持てていない。結局、「中道」が増えないとなんともならないが、加速主義によって貧富の差はますます開き、分断されて中間層がいなくなっているから難しい。
小学生の頃に兄が読んでいた『魍魎戦記MADARA』で出会い、高校生の時には『多重人格探偵サイコ』をリアルタイムで読んでから、大塚さんの評論なども読むようになった僕はもろに影響を受けているし、大塚さんの作品を通して大江健三郎中上健次に出会ったような読者だから、大塚節というか彼の皮肉的な部分は自分の中にもちろん入っている。

二日前にスタンプが貯まったので引き換えていた『コカイン・ベア』を観るために渋谷のシネクイントへ。平日の昼過ぎにどう見てもB級映画をたくさんの人が観にくるわけもないのだけど、十人ぐらいいたような。
家で『JUNK 伊集院光の馬鹿力』を聴いていて、渋谷への行き帰りは『フワちゃんのオールナイトニッポン0』を聴いていた。
「フワちゃんのANN0」は放送開始前にアクシデントがあり、冒頭4分ほど彼女がパニクっている感じで放送がされていて、the生放送という感じが濃厚だった。ラジオなんだけど、映像配信も「ANN0」シリーズはやっていて、フワちゃんはスポブラしているイメージだが、この日はノーブラで服を着ていたのか、どうも映像で乳首の形が映っていたらしく、放送始まった瞬間にいつもとは違う感じで、乳首がみたいな話をしていて、トラブっていた。そのあとはいつも通りにはなったけど、これをradikoの僕みたいなタイムフリーではなく深夜放送でリアルタイムに聴いていた人はハプニングを心配しつつかなりたのしんだのではないかなって思えるものだった。

コカインを食べて凶暴化したクマが巻き起こす騒動を実在の事件に着想を得て描き、アメリカでSNSを中心に大きな話題を集めたパニックアドベンチャー

1985年。運び屋アンドリューはセスナ機に積んだ大量のコカインをジョージア州の森に投下するが、自分自身も誤って落下し死んでしまう。雇い主の麻薬王シドは、信頼するフィクサーダヴィードにコカインの回収を命じる。一方、絵を描くことが大好きな13歳の少女ディーディーは友人と学校をサボって森へ向かうが、そこで大量のコカインを食べて凶暴になったクマに遭遇。麻薬王一味、子どもたちとその母、警察、レンジャーら、それぞれの思惑が絡みあい、事態は思わぬ方向へと転がっていく。

出演は「猿の惑星:新世紀」のケリー・ラッセル、「ストレイト・アウタ・コンプトン」のオシェア・ジャクソン・Jr.、「ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー」のオールデン・エアエンライク、「グッドフェローズ」のレイ・リオッタ。監督は「ピッチ・パーフェクト2」のエリザベス・バンクス。(映画.comより)

途中で何度も笑い、ヒャッとなりつつも楽しんだ。見てる最中に鼻が痒くなってくしゃみをしてしまった。コカインもだしドラッグもしたことがないが、異様に鼻がむずむずしてしまったのだけど、外に出ても変わらず、これはもしや秋の花粉なのでは?
80年代が舞台となっていてメインの一人である少年が『グーニーズ』『スタンド・バイ・ミー』に普通にいそうな雰囲気があった。全体的にキャスティングもよかったと思う。 すごくマジメにふざけてる作品はいいなって思った。
ポップコーンムービーというか、昼間からビールとか飲みつつ観るタイプの作品なんだけど、しっかり作ってあるのもわかる。ご都合主義ではないとはさすがに言えない展開とか、登場人物たちではあるけど、そういうことは気にしないで楽しむタイプの作品。


渋谷から帰る時に代官山蔦屋書店に寄って、二階の音楽フロアに行ったら、Oneohtrix Point Neverのニューアルバム『Again』が売られていた。Spotifyの三ヶ月で980円みたいなお試し期間に入っているが、たぶん三ヶ月後には更新しないで無料に戻るし、このアルバムのデザインもいいので買うことにした。
BEATINKで取り扱っているアーティストのものはわりとこのフロアでは棚を作っていることも多いけど、しっかりBEATINKの人が営業をしているのかな。
サンダーキャットとかカッサオーバーオールとかはここで買ったのは、ちゃんとCDとか前の作品とかも発売時に特集コーナーみたいなものを作っていたから。

帰ってからは夕方まで一休みしてからライティング作業を開始。
来週頭の〆切のものをギリギリになってやらないようにちょっとでも早めに手をつける。10月も9月みたいなスケジュールになるのはわかっているので、ひとつでも早めに進めておくに限る。

 

10月4日
肌寒い、目が覚める。横になったままradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴きながら、朝活がてらの読書を開始。
同日に買った大塚英志著『多重人格探偵サイコ 試作品神話』と古川日出男著『の、すべて』。前者を読み終わって、『群像』連載で最初から最後まで読んでいた後者を読み始めた。前者の終わりと後者の始まりは、昭和の終わりの日となった「Xデー」で通じていた。もちろん崩御したから「平成」が始まったのだけど、「平成」は現上皇が生前譲位し、時代を象徴したSMAPは解散し、安室奈美恵は引退した。「昭和」が終わると手塚治虫美空ひばりが逝った。みたいなことが「平成」にはなかったし、終わりらしい終わりを先延ばしにした。
「昭和」の亡霊みたいな「平成」はきちんと終わらず、「令和」に前のふたつの元号が残したものが腐敗し悪臭と共に吹き出しているみたいだな、と思う。大塚さんも古川さんも日本や歴史(あるいは偽史)を描くから「天皇小説」の側面がある。二人に共通するのが大江健三郎中上健次なのもよくわかる。
それもあって『多重人格探偵サイコ 試作品神話』もとい、「サイコ」だけでなく、あの頃に大塚さんが書いていた『摩駝羅 天使篇』なども「終わらない昭和」シリーズだったことを思い出した。
『の、すべて』は令和のコロナパンデミックと主要人物が若者だった平成初期も描いている。「平成」は「昭和」の亡霊みたいなだなって思うのはマーク・フィッシャー著『わが人生の幽霊たち』の影響もある。

リモートを開始して部屋で作業していると佐川さんがカドカワストアで前に注文していた田島昭宇×大塚英志著『【愛蔵版】多重人格探偵サイコ COLLECTION BOX 2』を届けてくれた。
前回の田島さんの開封動画をお手本にビニールをカッターで開けた。これで半分、あと「3」「4」だ。コミックス7巻「雨宮一彦の帰還」からコミックス12巻「NIGHT WATCH」までを収録。 「BOX 1」で「あれ?記憶と違う」とコミックスと比べたりして、加筆修正箇所に気づいたのでそれもたのしみ。

作業中は『JUNK 爆笑問題カーボーイ』と『星野源オールナイトニッポン』を続けて聴いた。TVerで『イワクラと吉住の番組』と『あのちゃんの電電電波』とあのちゃんが出演している番組を見てから、『あののオールナイトニッポン0』を聴いた。二週間後のスペシャルウィークのゲストが共演NGにされたベッキーだと発表。ラジオの半分ぐらいはベッキーとドラマ『VIVANT』の話になっていた。また、昨日からSpotifyで『あのと粗品の電電電話』というポッドキャスト番組が始まった。『あのちゃんの電電電波』のコンビのラジオ版といったものだが、あのちゃん働きまくっているなと思うので、大丈夫なんだろうかと心配にはなる。売れっ子というのはこういう時期があって、その後どうなっていくかなんだろうけど、個人的には『あののオールナイトニッポン0』はできるだけ続けてほしい。

先月と先々月にやった作業をリモートワークで今月もやることになったのだが、それをやっていたらまだ半分ぐらいしか終わっていないけど、19時を越えていた。単純な作業だけど、記入するところが多すぎて続けてると精神的にしんどい。
X、やっぱり恥ずかしいが旧TwitterでRTとか引用RT、今はリポストや引用ポストするのを数えてそのアカウントの情報を記入していくのはめちゃくちゃ時間がかかるし、本来の募集要項に達していないものが多い、だいたい条件反射でRTとか引用RTをユーザーはするから書かれている文字を読んでいない、というか目には入っても理解する前に反射でRTとかしちゃっていると感じる。条件に当てはまらないユーザーの情報が多くて確認作業にかなり時間がかかる。人はちゃんと文字を読まない、というかSNSでは条件反射してしまうのでやっぱりよくないなと思ってしまった。

 

10月5日
目が覚めてから、facebookの過去の投稿を見たら、4年前にこんなことを書いていた。

『ジョーカー』をTOHOシネマズ渋谷で鑑賞。満席だった。しかし、この映画をポップコーン食いながら観てるやつの気が知れない。
コメディアンになりたかった道化師(ピエロ)のアーサーがジョーカーになっていく様を観ながら、何度も泣けてきた。
関係ないけどNetflixで見てるドラマ『アトランタ』出演者が二人出ていて嬉しかった。
アーサーと自分の小説をパクられたと京アニを燃やし、殺戮をした青葉が重なる。彼が小説家志望だったのか、原作者になりたかったのかは知らないが、彼は物語を作ろうとしたがなれなかった。
宮崎勤にしろ、少年Aにしろ彼らの部屋には書きかけの、終わらすことができなかった小説があったと言われている。
僕が今、週三でスタッフをやってる「monokaki」はエブリスタのオウンドメディアだ。エブリスタにしろ、カクヨムにしろ、なろうにしろ、小説を簡単に書ける小説投稿サイトのプラットフォームだ。
小説を、文章を書くことはセラピーになる。しかし、一部の人間には被害妄想などの精神的なダメージを与え、最悪な場合は深刻なことになる。しかも、小説を書くプラットフォームは読者(ユーザー、ユーザーとかコンテンツと言い出した時に出版業界界隈は大事なものを失ったと思う)から直接反応がある。普通に精神がタフでないとそもそも耐えきれない。
表現なんて恥ずかしいものを人に晒す、自意識と自己顕示欲が否定される、その時、アーサーのように大事なものがどんどん崩壊していく。コンテストで賞を取ったり、編集者から声をかけられてデビューできるような人間は文章も書けるし、比較的精神がタフだ。そうじゃない人は負のスパイラルに陥る。まあ、デビューしてから病む人ももちろんいるが。
負のスパイラルに入った人たちは作品をパクられた、誰々さんにSNSで誹謗中傷を受けているなどの被害妄想がますます増して精神が壊れていく。実際に作品がパクられたり誹謗中傷をされている人もいるからさらに複雑に問題が入り交じり多層化してしまう。
小説投稿サイトというプラットフォームは大塚英志的に言えば、アガルタの門を開いたという感じだろうか。門を開いて神≒悪魔に願いを叶えてもらえば、同じぐらいの罪を背負うことになる。例えば、転生し七回愛するものを自らの手で殺めるという罪を。
ジョーカーとなったアーサーはゴッサムシティにカオスを解き放つ。
ただ、暴力がそこにはある。
貧しいものたちが富むものたちから奪う。残念ながら今の世界とリンクしている、いやしてしまっている。そして、わかっていたけど見ないようにしていた青葉の問題は僕らではなく、僕の問題に直結してしまう。その感覚。
僕は運がいいというだけでダークサイドに落ちていない、という認識がずっとある。出版関係の知り合いが増えれば増えるほどに、ほとんど高学歴で名前の通るいわゆる一流な出版社とか大手企業な人たちの知り合いが増えていく。僕に大概優しいのは、本来的な資質なのか、余裕があるからなのか、自分が舐められてるだけなのか。
ただ、そこにたいしてさほど怒りもなく憤りもないのは、壊れてしまうほどにはたぶん落ちていないから。ただ、たまに思うのは精神的にタフすぎるのか、そもそも最初から壊れている可能性も頭をよぎる。
アル中みたいなもんで、体が丈夫じゃないとアル中になる前に人は死ぬように、壊れていても体が丈夫すぎれば気づかないままかもしれない。
ジョーカーから青葉を見いだした以上は、このジョーカーみたいにダークサイドに堕ちて尚且つ時代性ともリンクしても、ほとんどの人には共感されることもない彼に向かい合えってことだろうか。
SNSをずっとしていると酩酊状態になっているから、みんなアル中だ、まともな判断も議論もできるわけもないのに、とこの頃思う。

まあ、人間は舐められてるぐらいがちょうどいい(生きやすい)なと思うぐらいで考え方はさほど変わっていないなと読み返して思った。
青葉の裁判は始まっているが、アニメ会社であろうが出版社であろうが、一次で落ちるような作品のアイデアをパクるようなことはない。文章がそこそこでもアイデアがこいつしかないものだと思ったら、一次通す気がするし、文章のレベルは上げられるけどアイデアの出し方は個人の個性や発想なので編集者からの指導とかでどうにかなるものでもない。
青葉は「何にもなれない」ことに耐えきれなくて、それが自分のせいだと思えないから京アニへ悪意を向けた時点でダメなのだが、タチが悪いのはその逆恨みを行動に起こしてしまったことだ。彼に必要だったのは自分の作品を客観的に読める力や、そういうことを言い合える友人だったと思う。そういう意味でも批評というものを読んだりしていたら多少は違ったのかもしれないし、批評の言葉がアニメ好きや物語を作る人に届かなくなっていることも問題なのだろう。

夏帆麻生久美子宮崎あおいが出演、松任谷由実の楽曲×小説家の物語がドラマ化(コメントあり) 

好きな女優(女優よりも役者or俳優って今は言う方がいいんだっけ?といつも悩む)さんしかいないドラマ。NHKの夜ドラは役者陣も有名な人が出ているけど、おそらくNHK側と一緒にやっている制作会社とかのスタッフ、脚本家や演出する人を育成する枠みたいな部分もあるのだろう。
昔のフジテレビの深夜帯で『美少女H』とかアイドルとか若手を使うことで、役者も制作側も若手を育てていたような、それがなくなってAKBとかのMVとかに監督や脚本家や演出家みたいな人が関わっていくみたいな流れになったような。
結局のところ、育成する場所がなければ、数年後ではなく10数年後に台頭するプレイヤーの数が減り、質が下がる。もちろん関係するスタッフの人たちも同様に。


午前中に予定されていたミーティングがなくなったので、散歩がてらradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら代官山蔦屋書店へ。
古川日出男著『平家物語 1』が入荷したばかりみたいだったので、そこから一冊もらって購入。文庫版では全四巻の一冊目。

羊文学 - 光るとき (Official Music Video) 【テレビアニメ「平家物語」OPテーマ】 


平家物語』はアニメも素晴らしかったなと改めて思う。

夕方過ぎまで少しだけ作業を進める。土日で終わらせて提出するものだけど、8月から進めているのもあって慣れてはきた。ただ、所々設定がしっかりしていない部分などもあったので、誤差みたいなものが生じているので前の部分も修正しないといけない。一旦最後まで進めてから大枠ができてから微調整したほうがいいんだろうなと感覚ではわかる。

前にロロの舞台を観て以来ぶり久しぶりザ・スズナリ。というわけでPANCETTA第十四回公演『ゾウ』を鑑賞。
スズナリってこんなに狭かったんだと思い出すほど座席の上下の間隔がないので、奥に誰かが入ろうとすると立たないと人が通れない感じだった。来月もここで観る舞台があるので座席をチェックした。今回は自由席だったが次回のは指定席だったが、次は壁際の端っこなのでちょっと開放感はほかよりありそうでよかった。
初日だったが満席だった。僕は知り合いの人と話をしていて知ったぐらいなので、どういう舞台なのか、過去の作品も知らないままで鑑賞。
演者は五人、生演奏で舞台上で演奏している人が三人(ピアノ、バイオリン、ユーフォニアム)という構成だった。最初は男性三人が体形を組んで象とそれを観に来た少年というところから始まった。
ずっと同じ話が続いていく、というよりは短編ぽい物語がいくつか繰り広げられて最終的にそれが結ばれていくという内容だった。タイトルの「ゾウ」は最初は「象」の姿だが、観ていると「像」として描いていることがわかる。「理想像」だったり「想像」だったり「心像」なんかをいくつかの短編的なストーリーを交差させて重ねることで描き出そうとしていた。音楽の響きも効果的だった。
最後のあるシーンで、音楽のいいメロディで気持ちを乗せるといえばいいのか、もうちょっとセリフでしっかり二人の気持ちみたいなものを出してからなら納得はできたかもしれないけど、説明したくないのか、当事者ではないから難しいからか、音楽に頼って逃げたように感じるところはあった。僕だけなのかもしれないけど、いくつかの断片を結び合わせて物語にしているから最後はしっかり締めてほしいなっていうのが僕にあったのかもしれない。

 

10月6日

最近は起きると朝活がてら読書をしている。何冊か同時並行で読み進めているから一気に一冊が進むことはないけど、この読み方が小説とエッセイやノンフィクションを一緒に読む時にはちょうどいい気がする。
いつも通りリモートワークを始めて、作業量が多い仕事の〆切が近いのが二つあるので一つを集中的に進めた。来週の月曜日がスポーツの日で祝日じゃなかったらもう少し作業進めるのが楽だったのに、月曜祝日だとちょっと嫌だ。
寝る前に『四千頭身 都築拓紀のサクラバ919』を聴いていたので、作業開始前の読書の時からradikoで『ハライチのターン!』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナイティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』を作業用BGMがてら流して聴いた。いつも通りの金曜日。
昼休憩の時に池尻大橋駅のほうに向かって、ふたば書店へ『群像』と『文藝』を買いに行ったら『群像』がなかったので『文藝』だけを。散歩の時のBGMはくるりのニューアルバム『感覚は道標』を。

――こうして作られたアルバム『感覚は道標』ですが、タナソウさんの第一印象は?

田中:「太鼓のレコード」だと思った。そして、最後にバラッドはあるけど、基本リズムのレコードだし、リフのレコード。つまり、まごうことなきバンドのレコード。「俺、ロックンロールって、こういうところが好きだったんだ」ってちょっと思い出しました。

岸田:それを言わせたかった。

一同:(笑)。

田中:ここ10年間、バンドではない音楽ばかりに夢中になっていたけど、ここ2~3年バンドが再定義されつつあるみたいな感覚も自分自身の中にあって、繁くんと「バンドめっちゃありやで」みたいな話もしてるんですよ。

――アメリカのメインストリームな音楽を見ても、ロックが再注目されているのは明らかですよね。

田中:でも、バンドといってもバリエーションがあるし、今のロックバンドって2010年代のデジタルなプロダクションに最適化した後に、もう1回バンドサウンドに回帰するためのストラグルをしているタイミングなんですよね。そんな中、くるりの新作は「50年代や60年代にやってきたことを、今の時代に、今のフィーリングと今のソングライティングと今のアンサンブルでやればこんなものができるんだ」と感じるものになっていた。

岸田:嬉しい。まさにそうだと思います。

くるり×田中宗一郎が語り合う『感覚は道標』が2023年に生まれた意味 オリジナル編成で見出した“原点回帰ではない新しさ”

タナソーさんが聞き手でくるりの三人にインタビューしている記事を読んだ。アルバムがめちゃくちゃいいので、アルバム収録の時を撮影した映画もより楽しみになった。やっぱりすごいぞ!くるりだなって。


杉江松恋の新鋭作家ハンティング どぶどろの中に突如として星が輝く小説『金は払う、冒険は愉快だ』

『群像』を買うために三茶の駅前に戻って、帰りにトワイライライトに寄って、杉江さんがオススメされていておもしろそうだなって興味を持っていた一冊をトワイライライトで。
エッセイぽいタイトルだけど小説らしい。文芸誌が出る日に他の書籍を買うと一気にお金がなくなる。でも、いい。読みたいから買うし、読み終わったら家に置いておかなくてもいいなと思えるものだったら手放す。を繰り返しているから本だけが増える。火事になったらすぐに火が回るのが目に見る。

リモートワークが終わりかけの時にメールが届いた。『オードリーのオールナイトニッポン』の東京ドームライブの最速先行落ちていた。誘ってくれた友達も落ちていた。
Twitterを見たら多くの人が落選していた。当選した人がツイートしてないだけなのか、実際に申し込みがすごかったから多くの人が落ちたのか、その辺りがいまいちわからない。
お風呂に入ってから、ライティング仕事を進める。明日の分をちょっとは減らしておきたかったから。

 

10月7日
7時ぐらいに目が覚める。タオルケット一枚だと朝方は寒くなってきた。寝転んだままradikoで『JUNK バナナマンのバナナムーン』を聴いていたら再び寝落ちして、30分ぐらい寝ていた。
起きてから昨日やっていたライティング作業の続きを9時前までやってから家を出る。Tシャツ一枚という気温ではなくなっているので、薄いカーディガンを羽織っていく。春と秋はだいたいこのパターンで過ごしている。
渋谷までの行き帰りで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴いた。火曜深夜の『あののオールナイトニッポン0』でもRSK山陽放送で聴けるようになったということから岡山の話題を話していて、最終的にはウエストランド井口の歯の話になっていた。三四郎はずっと番組のトークイベントの一回目を倉敷でやったという嘘を番組内でネタとして話しているが、二人とも岡山では放送されていると思っていたらしいことが判明していた。


ヒューマントラスト渋谷で冨永昌敬監督『白鍵と黒鍵の間に』を観にきた。この映画館でも月に二回ほどは映画を観ていることもあって、何度も予告編を見ていた。サックス奏者の松丸契さんは菊地成孔さん関連で一度は演奏を観ているんじゃないかな。
ジャズドラマーの石若駿さんや松丸さんの若いジャズプレイヤーがすごいというのは菊池さんが話をしているのもあって知っているが、いろんなライブでもそのプレイを観る機会があって、ほんとうなんだなって実感している。そんな松丸さんが映画にも出ているというのもちょっと観ようかなと思ったポイントだった。

池松壮亮が1人2役で主演を務め、昭和末期の銀座を舞台に2人のジャズピアニストの運命が交錯し大きく狂い出す一夜を描いたドラマ。「素敵なダイナマイトスキャンダル」の冨永昌敬監督が、ミュージシャン・南博の回想録「白鍵と黒鍵の間に ジャズピアニスト・エレジー銀座編」を大胆にアレンジして映画化した。

昭和63年。銀座のキャバレーでピアノを弾いていたジャズピアニスト志望の博は、謎の男からのリクエストで“あの曲”こと「ゴッドファーザー 愛のテーマ」を演奏する。しかし“あの曲”をリクエストできるのは銀座を牛耳るヤクザの親分・熊野会長だけで、演奏を許されているのも会長お気に入りのピアニスト・南だけだった。未来に夢を見る博と、夢を見失ってしまった南の運命は絡みあい、多くの人々を巻き込みながら事態は思わぬ方向へと転がっていく。

共演には仲里依紗森田剛高橋和也クリスタル・ケイ松尾貴史ら個性豊かな顔ぶれがそろう。(映画.comより)

仲里依紗さんの役は原作にはいなかった登場人物らしく、映画のために作ったキャラクターっぽい。そうしないと主要登場人物が男性だらけになるというのもあったんだろう。

細田守監督がジブリで『ハウルの動く城』を作っていたけれど諸々あって頓挫して、その後に起死回生として作ったのが『時をかける少女』だった。公開時期が同じだったのがジブリ宮崎吾朗監督『ゲド戦記』だった、それが2006年。
時をかける少女』はテアトル新宿をメイン館として単館系で公開して口コミから広がって細田守のブレイクポイントになった。あれは細田守の復讐戦であり、ポスト宮崎駿に名乗りを上げることになる一作となった。
仲里依紗は『時をかける少女』の主役の声優をやり、のちには実写版で主演している。細田守版『ハウルの動く城』が完成していたら、仲里依紗は世に出ていない、あるいは出ていてもまったく違う形だったはずだ。仲里依紗を見ると細田守ジブリのことを思い出す。バタフライエフェクトのわかりやすい一つの事例として。ジブリが日テレに買収される流れは細田守監督が降板してからは変えられないものだったんだろう。

映画としては原作者の南博さんのキャラを南と博で二分割して池松壮亮一人二役を演じている。冒頭の方は一人は過去でもう一人は現在みたいな感じで叙述トリック的な見せ方をしているのかなと思ったらそうではなかった。まあ、そのわかりにくさとはそこまで気にならないんだけど、終盤の『ゴッドファザー 愛のテーマ』をめぐっての熊野組長と「あいつ」との因縁みたいなもの、それによって引き起こされる悲劇、ビルとビルの合間の空間、地獄のようななにかこの世とはズレたような場所でのシーン。正直その辺りの描写が観ていてしんどかった。
なんか最初から最後までチグハグな印象を受ける映画だった。別の主軸があったけど、それをカットして繋げたのか、あるいは原作のエッセイのエピソードを繋げていく時の繋ぎ目にするものを間違えているのか、なんだか音だけがいい映画だった。

帰ってからバリューブックスで売る本をまとめた段ボールの回収で佐川さんを待っていた。祭りもやっているっぽい音が外から聞こえてきていたので道が混んでるかもなってのんびりしていたら16時過ぎに来てくれたので持って行ってもらってから、くるりのニューアルバム『感覚は道標』を聴きながらもう少しだけ外に出て散歩。
夜から仕事するのもあったし、涼しくなったのもあって音楽を聴きながら歩くのはちょうどいい。最近、寝たらぐっすりで夜中に目が覚めないのは歩いているから体が疲れて深い睡眠になっている気がしている。

戻ってきてから朝の作業の続きを休憩をちょこちょこ挟みながら進める。Googleカレンダーで今後のことを確認していたが、12月末や1月頭の正月をどう過ごすかを決めないといけないなって思った。朝の週三のリモートワークはカレンダー通りだからもう年内最終営業日すらわかればそちらのほうの予定はすぐにわかる。
問題は今やっているライティング作業の〆切とかミーティングがどうなるかで決まるところが多いんだけど、なかったらなかったでまた執筆料とか変わったりするのも嫌だけど、その辺りのことについても次ぐらいにミーティングで話をしておかないといけなさそう。

 

10月8日
7時に目覚ましをセット、寝ながらTVerで『ゴッドタン』の最新回を見ていた。「ラジオ芸人サミット 新世代ラジオ芸人SP」ということで四千頭身の都築とフワちゃんとマユリカの三組がゲストだった。都築とフワちゃんのラジオは聴いているけど、30分番組で短かったのもあるんだろうが、物足りなさがすごかった。なんかエンジンがかかる前に終わったような印象を受けた。誰もトークでハネてなかった。

メールとかもろもろをチェックしてから散歩へ。『オードリーのオールナイトニッポン』をいつもなら聴く感じだったけど、昨日から川島さんの『川島明 そもそもの話』という新番組が始まっていたのでそちらを聴きながら歩く。

先週までは「SUBARU」がスポンサーだったが、契約が終わったのか終了して川島さんと枠はそのままで新番組になった。スポンサーのCM的な件とか話がなくなったからかかかる曲数が増えていた。
先週の最終回のゲストは小沢健二、今週の初回のゲストはスピードワゴン小沢一敬という小沢繋がりだった。


開店してすぐの代官山蔦書店で新刊コーナーとか文芸書とか写真やアートのフロアをうろついて、音楽フロアに後藤正文著『朝からロック』があった。新聞連載したものをまとめたもので、時折TwitterなどでURLがアップされていてウェブで読んでいた。
時事ネタを扱ってはいるが文字数は毎回多いわけではないエッセイだったので、これからが朝起きてから少しずつ読んでいくのがいいなって思った。

Gotch – Heaven



帰ってから昼ごはんを食べたり、ちょっと読書をして『平家物語』を進めたりしてからライティング作業の続きを。夕方に買い物に出たら三茶の駅前もだったし近所の通りもお神輿と法被を着た人たちが練り歩いていた。この三連休はお祭りがいろんなところや商店街や町内会で行われているみたい。
昼間から酒が飲めるとかそういう無礼講的な、非日常が生活には必要だよなって他人事のようには思う。僕も子供の頃は参加させられていたけど、参加しないという選択肢は与えられていなかったし、もし参加しないと決めて家でゲームしていても自分で招いた疎外感で寂しくはなってしまったんだろうなと今だと思える。
大人になってから参加したとは思わないけど、家族がいたり近所の付き合いが避けられないと参加したほうが生活する上では楽ちんというか顔がわかるっていうのが大事なことにはなるんだろう。

東日本大震災が千年に一度の、と言われるものだったから古川さんは千年前の日本初と言える小説家である紫式部に向き合おうと依頼されてないけど現代語訳を始めていた。すると『平家物語』現代語訳の依頼が河出書房新社から来たということを前に言われていた。
去年はこの現代語訳したものをベースにしたアニメ『平家物語』、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、アニメ映画『犬王』があった。これらは平家の滅亡、源氏の復興と滅亡、北条氏の繁栄から足利幕府時代と繋がっていた。
来年の大河ドラマ紫式部が主人公の『光る君へ』、だから読売文学賞を受賞しているのに文庫化されていなかった『女たち三百人の裏切りの書』も紫式部関連で刊行されるのだと予想できる。『女たち三百人の裏切りの書』は『アラビアの夜の種族』の系譜にあるのでアラビアで驚愕した人には本当にオススメ。

死者双方で700人超に ハマス攻撃、イスラエルが報復―ヒズボラも加勢、情勢緊迫化:時事ドットコム 

朝起きてから旧Twitterを見るとトレンドワードのところに「第三次世界大戦」というものがあって、なにが起きたのかといろいろ見ていたら上記のニュースのようなことが起きていた。なんとなく和平に動いているがうまくいかないままの均衡状態みたいな旧線状態だと勝手に思っていたが、いきなりの攻撃だったらしい。これに加えて台湾有事という言葉もいくつか見つけた。
ウクライナとロシアの戦争が「第三次世界大戦」を引き起こすかもと最初の頃は懸念されていたが、最悪な場合は本当に「第三次世界大戦」の始まりとなってしまう可能性が今回の件で高くなっているみたいだ。実際にはすでに「第三次世界大戦」は始まっているという見方もあるのは知っている。
食糧や物資だけでなく環境問題も含めて、どこが主権を利権を握るかということがよりシビアに急激に進んでいるのだと思う。旧先進国とかつての第三世界と呼ばれていた発展途上国の立場はだいぶ変わりつつある。コロナパンデミックはどこにもいける世界において、あっという間に世界中に広がっていった。そして、それが沈静化すると今度は戦争がということになると、ウイルスは悪意とかではない存在だが、人間が人間を悪意や殺意を持って殺して制圧するという地獄絵図が世界中で起きてしまう。
対話と外交というものをしっかりしないといけないのだけど、正直それで世界平和へ向けて動き出すようなやりとりができる首相や大統領でリーダーシップを取れるような人がいるようにも思えない。
ただ、諦めの中で戦争が起きるのは仕方ないなどとは思いたくはない。できるだけ早く戦争状態も終わり、戦禍にいる人たちに日常が訪れることを願うしかない。そして、もし日本が戦争に加担するように動くとしたら反対する意志を見せ続けるしかない。

 

10月9日
寒くて目が覚めて、時計を見たら朝の7時だったので寝落ちのために見ていたネトフリの『トークサバイバー』をもう一度続きから再生して、目覚めしのセットを解除して横のままでいたらもう一度寝落ちしてしまった。9時半過ぎに目が覚めた。
ちょっとだけ作業をしてから散歩に出ようと思ったら雨が降っていた。傘はぎりぎり必要な感じの振り方だったけど、とりあえず傘を差して家を出た。昼ごはん用の惣菜を買って帰ってきたらズボンがかなり濡れてしまっていた。まだ仕舞っていないサーキュレーターを室内で干しているズボンに向けて回したら、思いのほか早く乾いた。

syrup16g - (I'm not) by you 


ふいに五十嵐さんの声が聴きたくなる時がある。syrup16gでアルバムを一枚選ぶとしたらやっぱり『HELL-SEE』になる。昼からの作業は昨日の川島さんや有吉さんのラジオを聴きながらも、途中からsyrup16gを聴いていた。

映画.comの今週末公開の作品リストを見ていたら13日(金)から公開開始のもので観たい作品が何作品もあった。岩井俊二監督『キリエのうた』、宮藤官九郎脚本『ゆとりですがなにか インターナショナル』、クリストファー・ボルグリ監督『シック・オブ・マイセルフ』、大江崇允監督『鯨の骨』、佐藤岳利監督『くるりのえいが』など。今週末の土日で観るとしても一日一作だから全部は無理かなって。来週も予定は詰まっているのでなかなか悩ましい。

明日の午後までに提出するライティング作業はなんとか本日中に終わったので、あとは送る前にケアレスミスチェック。確認作業する人たちからのフィードバックとコメントを元に修正したものを出せば今回分は終了。そうすれば次の土曜〆切のものの作業へうまく移行できる。そういうことを繰り返している2023年の夏以降。

 

10月10日
前日が祝日だったので普段はリモートワークのない火曜日だけど、出勤というかリモートワークを開始した。
radikoで『空気階段の踊り場』と『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』と『フワちゃんのオールナイトニッポン0』を聴きながら。明日には〆切のある作業が二つ重なっていたのでできるだけ集中して進めていった。

休憩中に駅前のTSUTAYAに行ったらガブリエル・ゼヴィン著/池田真紀子訳『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』が出ていた。気になる装幀&内容だったので読みたいなと思っていた一冊。
ゲーム関連の小説ということも大きいけど、英語圏では100万部超えるベストセラーにもなっている。と言うことは早かれ遅かれ映像化はされるんだろう。


仕事は16時には早上がりをして渋谷に向かう。かなり黒に近い灰色の雲が空を覆っていて、すぐにでも雨が降りそうな気配だった。道玄坂に着く前には降り出してきた。雨粒は思いのほか大きく、地面の敷石みたいなものどんどん色を濃くしていった。早足でユニクロが入っているビルのところから地下に入って副都心線に乗って池袋駅へ。

東京芸術祭2021では、死(者)との向き合い⽅をテーマに創作した『Every Body feat. フランケンシュタイン』でカンパニーとしての新境地を披露したロロ。
本作は、主宰の三浦直之が、各地の⼤学⽣、および公共劇場での市⺠参加作品のために書き下ろす群像劇の東京芸術祭バージョン。
50名以上の登場人物のプロフィールと、”彼ら”にまつわる短いエピソードをもとに構成された、ロロ初のオムニバスストーリーを上演する。
日常の一コマを何遍も積み重ねた先に浮かび上がるのは、時代や街、あるいは、わたしたちが生きている世界そのものかもしれない。

ロロ『オムニバス・ストーリーズ・プロジェクト(カタログ版)』をシアターイーストで友人のパン生地くんと鑑賞。尺の長さの違う35の物語がポンポンポンとどんどん展開&接続されていく、まさにカタログ的な見せ方だった。
歌人の上坂あゆ美さんの歌集『老人ホームで死ぬほどモテたい』にインスパイアされた物語群だとアフタートークで主宰で作・演出の三浦さんが言われていたが、歌集を演劇的にやったら、という感じも言われてみると納得できるものだった。
ひとつひとつの物語(の破片)の心地よさは登場人物である彼らの、彼女たちの走馬灯に出てくるかもしれない日々や瞬間の表出のようでもあり、彼や彼女たちにはなにげない日常のワンシーンかもしれないが、こうやって舞台として見るとなんというかとても素敵な瞬間なのではないかと思えてくる。
そこにはロロ的な、三浦さんのポップさとエモさと役者さんたちが見事に融合していた。アフタートークでは三浦さんがこのところ長編が書けない、悪意などを描きにくいという話があった。今作はいい人のいい場面の詰め合わせになっていたので途中緊張感がなくなっていた部分は正直あった。もちろん心地よく笑いもどんどん起きていたが、登場人物たちは聖人とはいわないけど、どこかにいそうないい人たちであるので、目を離してもまた近しい温度のあるシーンが舞台では展開されていた。『ドラえもん』『21エモン』『キテレツ大百科』『パーマン』『おばけのQ太郎』のそれぞれワンシーンが流れても、藤子不二雄ワールドだから、世界観や肌触りのような、見てる時に感じるものはあまり離れていないので、さほど違和感はないと言うことに近いんじゃないかなって。
悪意に引っ張られない、描かないという選択肢はもちろんある。今作が以前までにやっていた「いつ高」のバージョンアップではあるとしたら、ロロとしての長編が、三浦さんが優しさの裏側にある悪意をどう描くのかはいつか観たいなと思った。上坂さんとのアフタートークでいろいろ合点がいったところもけっこうあった。

ロロの新作を観てから、パン生地君と芸術劇場近くのちょうどいい感じにくたびれた味のある美味しい居酒屋さんで赤星の大瓶を何本か飲みながら近況報告。
10時でラストオーダーだったので飲み終えて中目黒駅まで副都心で帰ってから駅近くのセブンイレブンで缶ビール買って二人で座って飲んでいたら、警備員に私有地なんでって言われて注意されるまで飲んでいた。舞台や映画や小説の話たくさんした。僕が前に書いていたものをパン生地くんが添削して削りまくるからそこから書いてみたらと提案されたのでそれをやることにした。

 

10月11日
深夜前に家に帰ってきて、ネトフリの『トークサバイバー2』が配信開始されていたので見ながら寝落ち。
起きてからもちょっとだけ見たけど、深夜に放送されたラジオ『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』があるので、それだけでもわりと時間があるのに、TVerも見たらいくつか毎週見ているものもあったりと盛りだくさんだった。
『あのの電電電波』はYOASOBIがゲストだったので、『あののオールナイトニッポン0』とセットで最後に見たり聞いたりすることにした。
リモートワークで今日中に提出しないといけないものが二つあったので、radikoを聴きつつ作業、であのちゃん関連に行こうとしたらビュロー菊地チャンネルの『大恐慌へのラジオデイズ』最新回もアップしていた。なんなんだ今日は。


昨日のロロ『オムニバス・ストーリーズ・プロジェクト(カタログ版)』のアフタートークに出演されていた上坂あゆ美さんの歌集『老人ホームで死ぬほどモテたい』がトワイライライトにはあるかなと思って昼休憩の時に行ったらあった。昨日のシーン構成表を一度見てから、読んでみようと思って。


リモートワークが終わってからニコラで黒いちじくとマスカルポーネのタルトとアルヴァーブレンドをいただく。

ライティング作業の編集さんたちからのコメント戻しを確認して、コメント戻しと修正をしてもう一度戻し、別のライティング作業も明日には出したいので夜のうちにやってしまう。
日舞台を一緒に観たパン生地君に寝る前に前に書いた原稿を送っていて、三分の一ぐらいの長さに添削されてストーリーライン以外を削り落としたものが戻ってきた。ラインで何度かやりとりをしていたら、このリライトする作品の方向性の輪郭がしっかりしてきた。とりあえず、残り半月で形にしてみる。

 

10月12日
2時過ぎまで眠れなかったので読みかけの本を読み進める。
今は古川日出男著『の、すべて』『平家物語 1』、ミシェル・ウエルベック著『滅ぼす』上巻、菊地成孔著『戒厳令下の新宿 菊地成孔のコロナ日記』、後藤正文著『朝からロック』、中平卓馬著『なぜ、植物図鑑か』、大塚英志著『「14歳」少女の構造――大塚英志まんが評論選集80’s-90’s』、荒川洋治著『忘れられる過去』を読んでいる。
一冊につき一日10分だったり読めそうな短いものなら一章分とか、一気に進んでいるのは『平家物語 1』なんだけどおそらく単行本の時に一回は読んでいるのもあるかもしれない。


起きてから散歩がてら中目黒のドンキへ。諸々買いたいものがあったので値段を見ようと思ったからだが、その前に代官山蔦屋書店に寄って新刊とかを見てから旧山手通り沿いから坂道を下って山手通りのドンキへ。
行き帰りのBGMはradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を、その後も最寄駅方面のスーパーに行ったりして10キロ以上は歩こうと思っていたので、昨日聞きそびれていた『あののオールナイトニッポン0』も聴いた。TVerの『あのちゃんの電電電波』のゲストがYOASOBIで、スポティファイのポッドキャスト番組『電電電話』でもあのちゃんと粗品トークと、ほんとうにものすごい本数だし働きまくっているなって思う。ポッドキャスト粗品から「実際にいくら貸してくれると聞いたらなんぼ?」と聞かれた際の返答は彼女がすごく粗品を信頼している、気の許せる存在なんだなってわかるものだった。

―今作はWarpからのリリースですが、同レーベルの作品や所属アーティストからも影響を受けていたりしますか?

カッサ:もちろん! まずはフライング・ロータス。彼は俺のキャリアと逆で、先にプロデュース業で名を馳せたあと、ミュージシャンとしての活動が徐々に増えていった。一方、俺はミュージシャンとしてキャリアを始めたあとにプロデュース業もやるようになった。これはあくまで推測だけど、彼の意図は俺と似ていて、電子音楽のなかにオーガニックなサウンドを見出しているんじゃないかな。そして、そういったオーガニックなサウンドを電子機材というツールを駆使しながら表現しているんだと思う。フライング・ロータスからは、「音楽の可能性」って部分で刺激を受けている。

カッサ・オーバーオールが明かす、ジャズの枠組みを逸脱する「異端児」の思想 

ちょうど一週間後にWWW Xでライブのあるカッサ・オーバーオールのインタビューがアップされていた。スペシャルゲストはフライング・ロータスのレーベルに日本人初で所属することになった長谷川白紙なので、今から楽しみで仕方ない。

家に帰ってからいつも上旬中に出している映画の予告編に関する原稿を書いた。四作品分だから、書いたあとはちょっと時間を置こうと思ってもう一度散歩に出た。書店で安藤政信さんが表紙の雑誌『KiNARI』があったので読んでみると、安藤さんがカメラマンとしてラッパーのライブとかをかなり撮影していることがわかった。あとクローズではないオープンな方のインスタのアカウントも書いてあったのですぐにフォローした。

安藤さんのストリーズを見てOMSBの新譜についてアップしていたから、そのあとはスポティファイで新譜を聞いたらめちゃくちゃカッコよかった。

OMSB 『喜哀』



帰り際にセブンイレブンでパン生地くんが添削してくれた原稿をPDFにしていたのをプリントアウトした。40字×40行設定でも61枚、応募するには枚数は一度数十枚削ってからここまでの枚数を戻せればいいなと思う。紙にプリントアウトする物質化されるのも体感としてわかるのもあるけど、赤入れというか読みながら再構成するには紙の方が僕はまだやりやすい。

昨日提出したライティング作業の戻しも問題なかったので今回分はOKになったのでひと安心。夕方にちょっと仮眠をしてから四作品分をもう一度見直して加筆修正して提出した。
ネトフリで配信中の『トークサバイバー2』を最後まで見終わる。前作もそうだったのだが、見ていると心地良くなるのか寝入ってしまうので、何度も寝落ちしながら見た。テレビがあった時には、録画したバラエティを流しながら寝ていた。たぶん、人の声が聞こえる方が僕は安心できる。それもあってバラエティがちょうどいいし、トークしているとふわっと寝落ちしやすい。おもしろくて2回ほど声を出して笑った箇所もあったけど、全体的に爆笑するかと言われたらそういうこともなかった。おもしろいけど、ふつうにおもしろい感じ、司会というかノブさんが大吾さんとほかの芸人さんたちがトークをしている時に、コメントいうか色々と話しているものは、『すべらない話』で松本さんが「滑らんんなあ」っていうことでおもしろいんですよ、すべってないからねみたいな空気にするのにもちょっと似ている。そういう意味でもお笑い、バラエティというのはチームプレーなんだと思える作品だった。

 

10月13日
「なんとなくクリスタル」って今でもすごいパワーワードだ。「なんとなく」と書こうと思ったら続けて「クリスタル」と繋げてしまっただけなのだが、起きてから読書をちょっとしてからリモートワークを。

 誰から教えられることもない。おもてだっては、話題にならない。でも文学を語るときに欠くことのできない人物、文学の話題をするとき、その名前を知らないと話そのものが成立しにくい、そういう人物がいっぱいいるのである。そういう人物とことがらで文学の世界はみたされている。いつもいつも目にしないが、それがないとこまる。いわば空気のようなレベルにあるもの、それを知ることが知識なのだ。本を読まなくなると、人は有名だとかいま話題だとか、そういう一定のレベルでしかものを感じとれなくなる。いろんなレベルにあるものを知る。興味をもつ。それが読書の恵みなのだ。
荒井洋治著『忘れられる過去』P219

8月からちょっとずつ読んでいる『忘れられる過去』でこういう文章があった。小説だけではなく本を読んでいくと自分はなんてものを知らないのだろうか、といつも思う。そして、どんどん読んでみたいものが出てくる。町にあるような個人でやっている一軒の書店にある本だけを読もうと思っても一生かかるかもしれない。それが大きめの書店だったり、図書館あたりになると絶望というか、無理だということしか思えない。そういうものの中から興味があるもの、読んだものと関連するものなど、別の事柄で知ったものを読んでいったり、新刊も出続けるわけだから追いつきようはない。だけど、その上で本を読んでいくことで知れることもたくさんあるが、単純に読書というものに惹かれる。
紙の本は今後は減っていくだろうし、単価はどんどん上がっていく。基本的には電子書籍になっていくとは思う。もちろん、加齢によるものもだし、身体的に紙の本で読むことに負担がある人からすればどんどん電子化されることを願っているはずだ。僕もそれに関してはそうしたらいいと思う。その上で紙の本も残っているといいなという気持ちだ。結局のところ、形として紙はかなりしぶとい。単一でハードとソフトを兼ねている。電子書籍はそれを読むデバイスが必要となるから、サービスの停止やインターネットが使えなればそもそもデバイスにも取り込めないという難点がある。紙の本にはできれば電子書籍で読めるダウンロードコードみたいなものはつけてほしいし、音楽のレコードでPCやスマホでダウンロードできるコードがついているものが新作ではちょこちょこあるが、あの形になればいいんだけどな。

リモートワークは昼過ぎにオンラインミーティングを二件やって、今月中にやる作業のスケジュール感も決まったので、残り半分はそれをやる感じだな、とどこか他人事のように思いながら先に終わらしておきたいものをやっていた。

仕事が終わってから、読みかけていた『平家物語 1』と『朝からロック』を読み終えた。文庫で四冊で刊行される現代語訳『平家物語』はいわゆる源平合戦というのは、後半にあるので序盤は平家の、平清盛の隆盛と一族の驕りなんかが書かれている。文庫版の最後には後白河法王についての文章がそれぞれ記載されるようで、一巻目のラストにあったものを読んでみると、『平家物語』を最初から最後まで通してずっと出てくるのは後白河法皇であることが書かれていた。また、後白河法皇は芸能、歌を詠んだり、編纂などをしていた人だったという僕が知らなかったことも書かれており、俄然興味が出てきた。
『朝からロック』は朝日新聞に連載されていたものをまとめたものなどで一編ずつはさほど長くはない。時事ネタというかその時にGotchさんが感じたこと、出来事に対して考えたことが素直に書かれていて、読みながら「ああ、あの時そういうことがあったよな」と思い出され、自分はどう思っていたのかを考えることにもなった。まとめることでより射程距離が伸びた連載に、エッセイになったんじゃないだろうか。

ザック・エフロンが実在レスラー役、A24『アイアン・クロー』米予告編 ─ 「呪われた」プロレス一家の勝利と悲劇

A24のメーリングリストに登録しているので、プロレスの映画を今度はやるんだなって知っていたものについての記事。主人公のケビンの恋人役がリリー・ジェームズらしく、予告編を見ながら「あれ? 誰だっけ、絶対に見たことある人なんだけど」と思っていたが、『ベイビー・ドライバー』のヒロインをしていた人で、『イエスタディ』にも出てたなって思い出した。この人の笑顔はなんとなく、『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』のヒロインのレイチェル・マクアダムスの笑顔にも似ているような気がする。かわいらしくてポップな笑顔というか。

 

10月14日
起きてからradikoで『EXITのオールナイトニッポンX』と『JUNK バナナマンのバナナムーン』を聴きながら読書を二時間ほどした。

追悼・神田沙也加
2021年12月22日 午前7時記す(前回から22日経過)

 何か全てが遠い過去のようだ。僕は神田沙也加氏とスパンクハッピーをやろうとして動いたことがある。まだマネージャーが長沼ですらなかった頃だ。
 全てがもう時効という感じがするので、そして今、夜明けの一番日差しの強い時間なので、とても自然に書いてしまうけれども、僕は1998年に大病して入院し、退院したら原みどりさんがスパンクハッピーを辞めて(河野伸君はその前に辞めていた)、1人になってしまった。 
 以下、初めて書くことが続くが、僕はファーストスパンクハッピーと全く別に、セカンドス パンクハッピーの構想を練っていて、最初はポップな作曲のパンクバンドだった。
菊地成孔著『戒厳令下の新宿 菊地成孔のコロナ日記』P176より

このページに載っている文章自体は菊地さんのニコニコ動画の「ビュロー菊地チャンネル」に登録しているので、2年前に読んでいたけど完全に忘れていた。読んだこともだし、神田沙也加さんが亡くなったということも。松田聖子という彼女の母の名前も亡くなってしばらくはいろんなところで見たが、最近はあまり見なくなっていたから、連想というか娘さんが亡くなったという事実が僕の中でも薄れていたのだと思う。僕がもう少しアニメとかアニソンとかに興味があれば違ったのだろうけど、そうではないので神田沙也加の活動というものに、存在を失ったことに直結するものがあまりないというのも大きいのだろう。
ファイナルスパンクハッピーはCDも買ったしライブにも行った。ファーストとセカンドの時期には菊地さんの活動を知らなかったので、間に合うはずもなく、音源も手に入らなくなっていたので聴いたこともなかった。この文章を読んでいると神田沙也加がスパンクハッピーに加入していた世界観もあったのかもしれないな、と思う。そういう可能性が、可能世界がインターネットという電脳空間と現実、多層世界が当たり前になったことで『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』みたいなマルチバースを描いた作品が受け入れられるし、その根本にある。


9時半過ぎに家を出て、『三四郎オールナイトニッポン0』を散歩のお供にして渋谷へ向かった。さすがにTシャツ一枚ではない気候になってきたので、上着を着ていてもそこまで汗をかかないほどの気温だった。これから一気に寒くなっていくんだろう。昨日は喉がかなり乾燥していたというか、声が枯れている感じだったが今日はそこまでひどくなかった。なんだろう、風邪引き始めていたけどなんとかなったのかどうなのか。

強烈な承認欲求に取りつかれた女性の破滅的な自己愛をシニカルかつコミカルに描いた北欧発の寓話的ホラー。

ノルウェーの首都オスロ。人生に行き詰まっている女性シグネは、長年にわたり競争関係にあった恋人トマスがアーティストとして脚光を浴びたことで激しい嫉妬心と焦燥感にさいなまれる。シグネは自身が注目されるための「自分らしさ」を手に入れるため、ある違法薬物に手を出してしまう。薬の副作用で入院することになり恋人からの関心は得たものの、シグネの欲望はさらにエスカレートしていき……。

主演は「ホロコーストの罪人」のクリスティン・クヤトゥ・ソープ。本作が長編第2作となる新鋭クリストファー・ボルグリが監督・脚本を手がけた。(映画.comより)

『ミッドサマー』のアリー・アスター監督がプロデュースし、今作のクリストファー・ボルグリ監督によるニコラス・ケイジが演じる男が多くの人の夢に出てくるというA24新作映画『 Dream Scenario』が公開される予定になっている。それの期待もあるが、シネクイントで映画をよく観ているので予告編を何度も見ていてすごく気になっていた『シック・オブ・マイセルフ』。

観終わって脳裏に浮かんだのは、岡崎京子さんの『ヘルタースケルター』だった。こちらではシグネは違法薬物の副作用で肌がすごいことになっていくのだが、彼女はこれを見せつけるようにしていくことで自己顕示欲を、自己承認欲求を満たそうとしていく。その部分に関しては整形ロボット的に作られた『ヘルタースケルター』のりりこはその傷跡を隠すようにしていたので正反対に感じられるがベクトルは真逆なだけで同じラインにある。終盤のシグネの壊れていく感じもりりこに通じる部分があった。
今作は身体的な欠損する場面とか血が苦手な人は多分無理なものだと思う。最強のナルシストは美しい、誰から見ても美形のその顔をナイフとかで切り刻む、美が損なわれていくその刹那が最高潮のナルシズムを感じるやまたいなことを聞いたことがあるが、それもちょっと関係していると思われるストーリーがどちらにも感じられる。
シグネという自己承認欲求のモンスターの行き着いた場所にあったものは絶望しかないが、現代の寓話であり我々への警告のようにもなっていた。
鏡は人間のナルシズムを助長する装置である。鏡になり撮影もできるスマホを手放せない僕たちの哀しい現実の一つを描いた映画だといえる。自己承認欲求は自分でなんとかしないとどんどん膨れ上がって、他者から承認されようとするとその危険な欲望は他人との関係性だけでなく、自分自身を壊してしまうということを教えてくれる。本当に怖い映画だった。

家に帰ってから諸々やってから16時前からパソコンの前で待機していた。東京国際映画祭の目玉の一つ『哀れなるものたち』ジャパン・プレミアのチケットの販売が16時からだったから。だがサーバーがまったく繋がらなかった。15分ぐらい諦めずに何度もリロードしていたら繋がった。もう売り切れたのかと思ったら、チケットはまだ半分ぐらい残っていた。トニー・レオン特集が人気がありすぎて単純にサーバーが重くなってしまっていたみたい。
ヴェネチア映画祭金獅子賞を取って、来年のアメリカのアカデミー賞でも有力視されているけど、「どう考えてもこれって純文学じゃね?」と思った『ロブスター』のヨルゴス・ランティモス監督作だから期待値は高いし、そもそもビジュアルが良すぎる。


夕方から作業するために必要な資料を読もうと思っていたけど、帰りに買った新書の東浩紀著『訂正する力』の最初の方を読み始めたらその資料として読む本のタイトルが出てきてちょっとしたシンクロを感じたので、先にそちらを読み切ってしまうことにした。

 

10月15日
昨日の夜はスケジュールに入れていた作業を結局せずに『訂正する力』を最後まで読んでしまった。この新書すごくよかった。ニコラの曽根さんもたぶん読むと思うんだけど、この本について話をするんじゃないかなと思う。訂正というのは歴史修正を肯定するわけではないよと冒頭に書いてあって、そのことも含めてのちほど書かれていた。年齢を重ねることと変わっていくことはもちろんだけど、ネトウヨであろうが、リベサヨであろうが、相手の意見を聞いて自分の意見を変えることをしない、頑固で受け入れない状態でないと支持者が離れてしまうということもあってどちらも意見を変えないから意見を聞かない、だからこう着状態で対話になっていかないという話とかなるほどなと思えるものばかりだった。
東さんが「ゲンロン」という会社とゲンロンカフェを続けていくことで考え方も昔とはだいぶ変化しているのがよくわかる。中小企業の社長、おじさんとして商いをすること人とどう関わっていくか、大学の教授とかしている時にはわからなかったものが身に染みたことがしっかり文章として書かれていた。あとこれ語りおろしなのでそれもちょっと勉強しようと思ったんだけど、このぐらい澱みがないものにするのは難しいだろうなと思う。

目が覚めてから、radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を流しながら意識がちゃんとするのを待っていたら普通に寝落ちしていた。9時過ぎに目が覚めてからスケジュールに入れていた作業を開始。
お昼前には終わらしたかったが、全然おわらねえ、ってことで映画のチケットは取っていたので13時前には家を出る。雨は小雨だったが帰る頃には止む感じの天気予報だったので傘は持たずに歩いた。渋谷に着いた頃も雨はわずかだが降っていたけど、やっぱり傘はいらなかった。
タワレコに寄って、旧twitterで見て気になっていたタワレコのフリーマガジン「intoxicate vol.166」があるかなと思って探したら一階にすぐあった。

表紙のあのちゃんが見事に赤い衣装で映えているのが印象的だったが、彼女のインタビューだけではなく、Oneohtrix Point Neverや菊地成孔さんのインタビューもあったので個人的にはツボしかねえっていう。


13日から劇場限定公開とデジタル配信が始まった『くるりのえいが』をヒューマントラスト渋谷にて鑑賞。シアター1は音響システム「odessa」が導入されているので、音楽系のものはここで観るのがベストだなと思っていた。配信で観たところでMacBook Airしかないので音はもう諦めるしかない。だからこそ、できるだけ映画館で映画は観るようにしている。お昼過ぎの時間だったが二、三十人はお客さんはいたと思う。わりとカップルや夫婦って感じの男女の二人連れが多かった印象、年齢は僕よりも上の人が、おそらく四十代中頃から上が多めだったんじゃないかな、くるりのメンバーと同世代というか。

ロックバンド「くるり」のアルバム制作現場に密着したドキュメンタリー。

1996年、立命館大学の音楽サークル「ロック・コミューン」に所属していた岸田繁佐藤征史森信行によって結成されたくるり。2022年、バンドを2002年に脱退した森を含む結成当時のオリジナルメンバーが伊豆のスタジオに集まり、バンドにとって14枚目となるアルバムの制作を開始した。メンバーのインタビューや、オリジナルメンバーで活動していた当時の映像、さらに京都でのライブ映像などを織り交ぜながら、普段は見ることのできない音楽制作現場を映し出す。

監督は、「Reframe THEATER EXPERIENCE with you」「NO SMOKING」などの音楽ドキュメンタリーで知られる佐渡岳利。(映画.comより)


くるり『感覚は道標』



くるりのえいが』はくるり結成時のオリジナルメンバーが森さん脱退後、約20年ぶりに集まり三人で作ったニューアルバムの制作のドキュメンタリーであり、アルバムがそりゃあ、抜群にいいわけがよくわかった。あとレコーディングっていうのはこういう感じで進めていくんだなっていうのも理解できた。
最初にくるりをライブで観たのは5thアルバム『アンテナ』以降の武道館の時で、その前からギターの達身さんはすでに加入していて、ドラムはクリストファー・マグワイアだった。森さんがいた三人編成の時にはライブを見ていないし、くるりもちゃんと聴いていなかった時期なので、正直三人組の思い入れはない。
それでもオリジナルメンバーというのは長い頃そのバンドを聴いていると神格化とは言わないけど憧れみたいなものを含んでくる。実際に『アンテナ』リリース以降のアルバムツアーには何度も行っているが、くるりはメンバー編成がどんどん変わっていくことで有名だが、岸田&佐藤の二人以外はメンバーになっても脱退していくのが当たり前になっているため、サポートメンバーも含めて同じメンバーでずっとライブをやっているという印象がない。そのため、変わり続けていることもあってか、最初の三人編成だった時期のレア感も上がった部分はあると思われる。

ニューアルバム『感覚は道標』の制作過程のドキュメンタリーだが、ほんとうに森さんが脱退してから20年近く経っているのかと思うほどに息がぴったりと合っている。森さんはベースの佐藤さんの存在のことに触れていて、レコーディングの際の声入れなどのジャッジを佐藤さんがしていて、岸田さんがそれを全面的に信頼して任せているのが最初の頃とは違うものだという話があった。フロントマンであり作詞をしているボーカルの岸田さんのバンドだと思われがちだが、くるりは佐藤さんがもし辞めるようなことがあれば終わるというのは長年聴いているだけでも感覚としてわかる。つまり岸田さんと佐藤さんがいればくるりであり、どちらかが欠けたらくるりではなくなるというものが出来上がっている。佐藤さんは焼き回しという言葉はあまり好きではないが、そういうことをずっとやらずに進んできたのがくるりであり、今回森さんと久しぶりにやることで最初の頃の感覚に近いものを三人で焼き回し的にやってみるとどうなっていくのかを見たいと話していたと思う。
たしかにくるりでしかないニューアルバムだが、なにかが断トツにいい、その不思議な感覚が三人だからこそできる音楽であり、演奏になっているから聴いていて感動し、心が高揚するのだろうと感じた。

くるり - ロックンロール | Live 


最初にくるりを観た武道館で聴いたのはクリストファー・マグワイアがドラムを叩いていた2004年なのだが、今でもこの映像を見るとカッコいいなと思う。

くるり - すけべな女の子 


くるりを聴き始めた頃が『アンテナ』とかB面曲なのに人気があった『すけべな女の子』とかがリリースされた時期だったが、やはりこの四人編成の時はゼロ年代前半におけるくるりの最終形のひとつだったと思う。

『ロックンロール』はフジファブリックの志村さんが亡くなってすぐの「クラブスヌーザー」のゲストだった岸田さんが彼に捧げると行って弾いたとされる動画がその頃に上がっていたのを聴いた記憶がある。その年末の「カウントダウンジャパン」にはくるりの武道館に誘ってくれてその後一緒にいろんなライブに行くようになった専門学校時代からの友人の青木と当時付き合っていた彼女はサカナクションが目当てだったか別にチケットを取ってきていて、フジファブリックはアースステージに出演予定だったが、メンバーは誰もステージには現れずに志村をはじめとするメンバーの楽器のみが置かれ、モニターにロッキンオンジャパン関連のフェスに出た際の演奏が繋がれたものが彼らの持ち時間中に流されていた。多くの人が亡くなった志村さんのことを思いながらフジファブリックの曲を聴いていた。その光景が岸田さんが歌ったという『ロックンロール』で僕の中で結ばれている。Dragon Ashミッシェル・ガン・エレファントももうオリジナルメンバーとしてはステージに立てない、欠けたピースは誰にも埋めることができないから。オリジナルメンバーがまた集まれることが、いろんな時代や世代のファンにはうれしいことだと改めて思える映画でもあった。

帰ってから映画を観る前までやっていた作業に戻ってなんとか最後まで資料を完成させる。自分で書いているとこれいいのか、とちょっと疑心暗鬼になってしまうが一旦送って読んでもらった人からの反応はまずまずだったので、明日以降に打ち合わせをしてもう少し練っていく形になるはずだ。仕事になるかどうかわからないけど、少しでも新しいことができる可能性にかけるというのもあるけど、おもしろそうなことに首をつっこんでいたい。今年から始めた新しい仕事はすぐには結果ができないし、形にはならないものだから、何年か後みたいな未来へのイメージが大事だし、そのためにも今までとはちょっと仕事への向き合い方が変わってきた。年齢のこともあるから、この数年でしっかり形にしたいという気持ちも強いのもあると思う。それでも、水ものというか時代やその時の流行みたいなものによっても左右されるから、できたら運任せみたいなものにもなる。

朝起きた時に『ボクらの時代』もTVerで見ていた。トークゲストが佐久間宣行×オードリー・若林正恭×ハライチ・岩井勇気だった。
岩井さんが結婚していない話から、相方も子供が三人いて、後輩とかも結婚して子供が生まれたりしていく中で、自分はいったいなにをやっているんだろうと思うことがあるという話をしていた。自分と同世代や下の世代の友人や知り合いたちが自分の経験していない、できないことをしていく中で取り残されているような気持ちになる、だけどそれはどうしようもないというものだった。その感覚は30代中頃からずっと持っている。
昨日、ご飯を部屋で食べている時に20年後、60才を越えてもこのまま、部屋とかはもっと悲惨なことになっているだろうし(そもそも東京にいない可能性が高い)、シワやシミは増えて皮膚もどんどんハリがなくなっていくのに、肉体の老化と精神のあり方のズレは年々大きくなっていく、その時に今以上の孤独や寂しさを感じるのだろう、と思った。

今回はこの曲でおわかれです。
くるり - California coconuts