Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年2月1日〜2024年2月15日)

1月下旬の日記(2024年1月16日から1月31日分)

 

2月1日
先月下旬の日記をアップしていたら一時を過ぎていた。最後に載せているCreepy Nuts菅田将暉による『サントラ』の動画を見ていたら涙が出てしまった。
寝ようと布団に入った。寝るのは怖い。目を閉じてそのまま起きなかったらと前から思っていたけど、友達が急に倒れて亡くなってしまったことでその恐怖が増したような気がする。でも、泣き疲れたのか、すぐに寝落ちしたが三時過ぎに目が覚めた。トイレに行きたいというわけでもなく、部屋が寒いわけでもなにか夢を見たわけでもなく、ただ目が覚めた。
木曜日は可燃ごみの日だからゴミ箱からゴミ袋を取り出して集積所に持っていった。外は寒くて、空は曇りだったけど雨がちょっと降りそうな夜空だった。起きてから雨は降ってなかったから、僕にそう見えていただけかもしれない。

7時に起きたけど、作業はする気はしなかったから寝転んだまま、radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をタイムフリーで流した。ゲストはCreepy NutsのDJ松永だった。
日本という枠を飛び越えて世界で新曲がバズっている話もあったし、ラジオを辞めてメディアもほとんど出なくなったこともあったのかめちゃくちゃ喋っていた。それこそ松永だなって感じがしたし、佐久間さんとのやりとりはなんだかうれしくなって笑ってしまった。二人の波長というか信頼というか、歳の差もあるけど認め合えているからこそのトークの流れとテンポとテンション、その友達ではないけどわかっている者同士の温度感が心地よかった。

ラジオを聴きながら、僕は去年11月末に受けた健康診断の結果が入った封筒を出した。E判定で要検査になっていたものがあった。胃粘膜の萎縮の可能性があり、ヘリコバクター・ピロリ菌検査をしてくださいというものだった。
2月か3月のどこかで一緒に送付してもらった紹介状を持っていって診てもらおうと思ってはいたが、友達が急に亡くなったと伝えられたのに、それを先延ばしにはできないよなって。家から行けるところで消化器内科はどこがあるかなとネットで探していた。歩いてさほど遠くない距離に自衛隊中央病院があったのでサイトを見てみた。
紹介状があっても科によっては初診を受け付けられない場合があると書かれていたので、すぐに電話をして確認をした。消化器内科は問題なかったので来週行くことにした。亡くなった友達のお父さんが自衛隊勤務だったと聞いていたからそこにした。シンプルだけどそういう繋がりというかきっかけみたいなものが今は欲しかった。


9時過ぎに家を出て渋谷に向かった。1日は映画サービスデーで鑑賞料金が安くなるので二日前にはチケットを取っていた。26日から公開されているヨルゴス・ランティモス監督『哀れなるものたち』をもう一度観ようと思っていた。
東京国際映画祭、オズワルドシアターでの試写、26日の公開初日、今日とスクリーンで観るのは四回目になる。それほどにこの映画に僕は惹かれている。
平日の10時だがサービスデーというのもあってお客さんはそこそこ入っていて、客層は26日同様にファッションが好きそうな若い人が多めに感じられた。
冒頭の頃はモノクロだが、主人公が外の世界に冒険に出ていくとカラーになる。色彩を取り戻すというか、知るというか、彼女の服などの衣装、街の景色や船の内部なども凝ったデザインがされており、カラフルであるからこそ世界の開かれた可能性と暴力性を感じるものになっていた。だから、ファッションやデザインに興味がある人は間違いなく、惹かれるものがあると思う。
主人公であるベラは、自殺して命を絶った女性だったが天才外科医ゴッドウィンによって、妊娠していた彼女の胎児の脳を入れ替えられて蘇ったという設定になっている。だから、身体は成熟した女性だが、脳や心は胎児のものであり、精神は肉体の年齢とズレがあった。やがて、彼女はゴドウィンの屋敷の外に、世界を知りたいとい思うようになって飛び出していく。そこで自らの身体のことのことを知り、セックスなどの快楽や知識を得ていくことで成長していく。
創造主であり父でもあるゴッドウィンはベラが大事であるからこそ、屋敷から外に出ていないかないようにしていた。今作で出てくる主要人物たちはベラ以外は基本的に男性たちであり、誰もが彼女を何かで縛ろうとする。それは男性至上主義であり家父長制的なもので、女性は男性に従い、妻や娘は夫であり父の所有物という発想が根本にはある。
ベラは胎児から成長していく。その無垢さと未経験さによる発見によって、それらの男性社会的なものを蹴飛ばして蹴散らしていく。もちろん、フェミニズム的な映画であるが、女性だけでなく男性もその家父長制的な考えや役割を求められて辛い思いをしている人は世界中にいるはずで、主人公のベラを見ることでスカッとするだろうし、生き方すら変わるという人もいると思う。
ベラはセックスによって性的な快楽も知るが、自分の体は自分のものであり誰かに許可を取る必要などないのだと知り、その思いを言葉にしていく。私の体は私のものであり、誰のものでもない、というシンプルなことを。
同時にベラは本を読んで他者と語りあい、自分とは違う人たちとも触れ合っていくことで世界の複雑性を知っていく。そういう成長があったあとで、自分の秘密をゴッドウィンに確かめる行動を起こすことにもなる。
ゴッドウィンと教え子で彼女の成長を記録していたマックスにベラが「モンスターたち」という場面が後半には出てくる。だが、同時に彼女はゴッドウィンの行為を自分が考えた末に許し、彼のような医者になりたいと告げることになる。

僕は一度亡くなったベラ(ヴィクトリア)の姿を見て、昨日連絡をもらって亡くなっていたと聞かされた友人である彼女のことがよぎった。でも、彼女は自ら命を絶ったわけではない、それでも重なってしまう部分があった。
26日に観た時にはヨルゴス・ランティモス監督のブラックジョークやブラックユーモア、男性中心社会の欺瞞や女性を卑下する思想や言葉にベラは感じたままのことを言うことで強烈な皮肉となっていたシーンは笑っていたけど、今日はうまく笑えなかった。
そして、後半にベラが「モンスターたち」と告げてから一度屋敷を出て、ゴッドウィンを許すという流れまでのシーンでずっと涙が止まらなかった。
どうしてだろう、なぜ自分がこのシーンにここまで反応しているのかわからなかった。たぶん、ベラが自分で考えたことを相手に伝えて、尚且つこの先の自分の人生をどう生きるかを決めたという場面だったからだろう。もうそのことは亡くなってしまった友達がもうできなくなってしまった、ということなのかもしれない。
最後にベラが行う行為をどう受け止めるか、感じるかというものがあるが、自由を手にした彼女は同時に非道にもなるし、冷酷にもなれるという描写に見えた。自由とはただ賛美されるだけではなく、恐ろしいものなだということを最後の最後にヨルゴス・ランティモス監督は観客に突きつけてくる。だから、彼は信用できる監督だと思うし、彼が撮る作品なら観たいと思う。そういう信用があるかないかは非常に大きなものだし、僕には一つの判断基準になる。


東急百貨店本店は複合施設に建て替えられるため、元の建物を少しずつ解体している。通るたびに見ているがまだあの建物自体が無くなってしまって更地みたいな状態にはなっていない。
Bunkamuraコクーン歌舞伎とか何度も一緒に舞台を亡くなった友人と観に行ったけど、その建物すらなくなって違う新しい建物になっていく。
渋谷という街は戦争で破壊されたり、地震で壊れないから周期的に再開発をしてスクラップ&ビルドを繰り返してなんとか延命し続けている。だから、思い出を呼び起こす建物もだって生きている間に姿を消してしまう。それが悪いともいいともいえない。ただ、そういうものだから。

星野源 - 光の跡 (Official Video) 


亡くなった友達は2002年に出会った時からラーメンズバナナマンが大好きで、彼らの単独ライブにも毎回のように行っていてそのライブのDVDとかもたいてい買っていた。そういう繋がりもあって、バナナマンと仲のいい星野源さんの曲を流して帰りは歩いていた。
『光の跡』の歌詞がいなくなくなってしまった彼女を思い出させて、歩きながら泣いてしまった。もう、昨日から涙腺が壊れてしまって、なにかあると涙が出てきてしまって止めようがない。
なにか彼女について書き残したいと思って、彼女が住んでいた地域を舞台にしてもいいし、物語を僕なりに書きたいなと思った。なにかを残したいと今まで思うことはほとんどなかったけど、今はそう思う。

 

2月2日
スマホの目覚ましが鳴って起きる。顔を洗ってタオルで拭いて鏡に映った自分を見る。友達が亡くなったという事実がふいに僕の中で浮かんできて、喪失感と悲しみに襲われる。どうにもできない。このまましばらく涙腺は壊れたままでなにかと彼女のことを思い出すたびに涙が出てくるだろう。
人間の体は70%か80%ぐらいは水分でできていると聞くから、涙は枯れることはないだろう。それでも生きている僕たちの日々は続いていくからご飯も食べるし風呂にも入るし、コーヒも飲むしいつもと変わらない日常を送っていく。
作業をしたいけど、頭がぼんやりとしていた。でも、リモートワーク開始時間前には机に仕事用のノートパソコンと自分のMacBook Airを並べていつものスタイル。自分のPCではradikoを立ち上げていつも聞いている番組をタイムフリーで流した。


昼の休憩時間の時に外に出る。星野源さんの『光の跡』を繰り返して聴きながら歩いた。駅前のツタヤで大塚英志原作/西川聖蘭作画『東京オルタナティヴ 起 ―東京原爆編-』を漫画の新刊コーナーで手に取ってレジに向かおうと思ったら、スマホにメッセージが来た。
亡くなった友人のお母さんからで今度お会いすることになる日のことについてだった。メッセージを見ているとお母さんが通話ボタンを押したのか、電話が来たので取った。『東京オルタナティヴ』はとりあえず棚に戻してキャロットタワーの二階の通路部分に出てお話をした。
もう一人仲良くしていた友達から言われたこともあったし、もし可能であれば集合場所に集まる一時間前ぐらいに彼女が住んでいた部屋に伺えないかと聞いてみた。何度か遊びにおいでよと言われていたけど行っていなかった。家主がいなくなってしまったけど、その部屋を僕は見ておきたかった。彼女の居た景色をやその場所を。
お母さんはぜひいらしてくださいと言ってくれて、部屋には彼女の喉仏の骨だけは置いてあると教えてくださったので、手を合わせたいということともう一人の友達も時間が合えば一緒に伺っていいですかとお願いをした。
彼女は亡くなってすぐに火葬されてしまったから、僕らは最後に彼女の顔を見れなかった。喉仏の骨を見ても亡くなったという時間は沸かないかもしれないけど、それでも僕はその骨に会いたいと思ったし、会わないといけないと思った。
通話が終わってから、お母さんから彼女の住んでいた部屋の住所をメッセージで送ってもらった。すぐにもう一人の友人に電話をした。伺う時間のこともあるし、会うのが来ることが怖かったりもするだろうけど、たぶん、僕らが彼女の一部に会える最後のチャンスになるということだけは確かだった。あとはその友達の気持ちもあるし、無理強いはできなかったけど、一緒に行こうと誘った。
僕はキャロットタワーの二階の通路と踊り場みたいなところでお母さんの時とその友達との時も電話しながら泣いていた。もう、涙が止めるのは無理だったし、変な目で見られても気にもならなかった。
電話が終わってから店内に入って、読めるかわからないけど、もう一度手にした『東京オルタナティヴ』をお会計して建物の外に出た。その帰り道に知り合いにばったり会って少し立ち話をした。知り合いの人とこんな風に話せることはありがたい。
どうしたってしばらくはこの状態だろうからどうにもならない。彼女の家に行って、喉仏の骨をこの目で見て、お母さんと一緒に彼女が行くはずだったライブに行って、それから多少涙腺の線はゆっくりといつも通りに戻っていくのだろう。

昼ごはんを食べてからリモートの作業に戻ったけど、当然ながら作業には集中はできない。radikoで流れてくるいつもの番組のパーソナリティーの声は聞こえるけど、内容は頭に入ってこない。なにかふいに思い出しては涙が出てくるから夕方すぎると少しだけ頭が痛くなってきた。
仕事が終わってから、自分のGoogleフォトのデータを残っているものを過去から見返して、彼女が写っているものを選んだ。一緒に舞台とか行っても看板だとかは撮っても彼女を撮るということはほとんどなかったので、一緒に遊びに行った時のものがわずかにあるだけだった。それをセブンイレブンコピー機で写真としてプリントアウトした。今度部屋に行く時にお母さんたちに渡すことにした。

 

2月3日
起きてから資料を少し読む。残念ながらあまり頭は回っていない。諦めて散歩に出る。『三四郎オールナイトニッポン0』のタイムフリーを聴きながらいつもの代官山蔦屋まで歩く。冒頭から小宮さんのテンションが高く先週みたいな感じもあったが、スペシャルウィークゲストのレイザーラモンHGさんが登場してから、めちゃくちゃおもしろくて、何度か歩きながら吹き出してしまった。
三四郎の単独ライブには亡くなった友人と去年初めて行った。相田さんがアキレス腱断裂していたので、用意していたネタはできなくなってしまっていた。コントの時には車椅子に乗っていたり、漫才の時には松葉杖を使っていたりした。それはドキュメンタリーであり、そのハプニングをネタにすら小宮さんが取り入れて単独は無事に終わった。
僕らは大満足で草月ホールから青山一丁目駅のところにある銀座ライオンで飲んで食べた。去年は彼女と草月ホールでのお笑いライブを7月は三四郎、9月はハナコ、10月は岡野陽一の単独ライブを観た。三四郎の時から銀座ライオンに行くのが定番になった。
「来年は相田くんのギブス外れてるかな。それも観たいね」と笑いながらお酒を飲んでいた。毎年彼らは単独ライブはやっているみたいだから、来年の2024年も一緒に行くつもりだった。このラジオでおもしろい回があったらラインで聴いてみてよとラインしてたから、そっか、そういうことをもうできないのか、今日のレイザーラモンHGさんゲストすげえおもしろいのにこのことをラインできないなと思ったら、笑いながら泣いてしまった。
家に帰っても『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』は聴けなかった。僕が彼女のお母さんと一緒に行くライブはバナナマンのふたりが単独ライブでやっていたフォークデュオ・赤えんぴつの武道館ライブだから、普段は普通に聴いているバナナマンのラジオを聴くのをためらってしまった。

17時に友人であり、仕事を一緒にしている友達と渋谷のマークシティの裏の方にあるシーシャ屋で打ち合わせもかねて会う約束があったので16時には家を出た。道玄坂を下って行ったが異様に渋谷は混んでいた。待ち合わせまで時間があったから、宮益坂下に移転したル・シネマに行った。19時前にバス・ドゥボス監督『here』を観るためのチケットはすでに取っていた。その回では監督と主演俳優のお二人がゲストで来てQ&Aと終了後にパンフにサインをしてもらえるとサイトに書かれていたので、先にパンフを買っておこうと思った。移転してからは一度も来ていなかった。気持ちとしては今シネクイントが入っている劇場が渋谷シネパレスだったみたいな感覚に近い。
『here』パンフと去年末に二回観たけどパンフが売り切れで買えなかったヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAY』のものもあったので一緒に購入した。
偶然なんだろうけど、『PERFECT DAY』で役所広司さん演じる主人公の平山はスカイツリーのお膝元である押上に住んでいる設定で、その付近や隅田川を渡った浅草が彼の日常として描かれていた。亡くなった友達が住んでいたのはそこからほんの少し南下したエリアで、13日に会った時に『PERFECT DAY』観たけどほとんど同じエリアじゃないかなと聞いたら、「なんかそうらしいね、観てみようかな」と言っていた。なんだろう、なんでも結びつけなくてもいいんだろうけど、結びついてしまうのは。
パンフを持ったままでシーシャ屋に行って、彼はシーシャを吸い、僕はIPAのビールを二杯飲んで、打ち合わせも兼ねて話をした。映画が始まる20分前に僕だけ店を出て新生ル・シネマに向かった。


9階の劇場は天井が高く、気のせいか前のル・シネマっぽい天井の形、波打ってるみたいな感じで、座席も新しくてキレイだった。お客さんもほぼ満席になっていた。今作『here』の前の長編『Ghost Tropic』も同時に日本で初めて公開がされていて、映画好きな人にかなり興味を寄せられているのがわかる感じだった。

世界的に注目を集めるベルギーの新鋭バス・ドゥボスが監督・脚本を手がけ、植物学者の女性と移民労働者の男性が織りなす些細で優しい日常の断片をつづったドラマ。

ベルギーの首都ブリュッセルに住む建設労働者の男性シュテファンは、アパートを引き払って故郷ルーマニアに帰国するか悩んでいる。シュテファンは姉や友人たちへの別れの贈り物として、冷蔵庫の残り物で作ったスープを配ってまわる。ある日、森を散歩していた彼は、以前レストランで出会った中国系ベルギー人の女性シュシュと再会し、彼女が苔類の研究者であることを知る。シュテファンはシュシュに促されて足元に広がる多様で親密な世界に触れ、2人の心はゆっくりとつながっていく。

2023年・第73回ベルリン国際映画祭エンカウンターズ部門にて最優秀作品賞&国際映画批評家連盟賞(FIPRESCI賞)をダブル受賞した。(映画.comより)

僕はこの映画についてはほぼ書けることが実はあまりない。始まって10分もしないうちになぜか急に汗ばんできて、吐き気を催した。ヤバいと思って席を立ってトイレに行った。指を突っ込んでなんとか吐こうとしたが、胃液がわずかばかり出たぐらいだった。顔を洗ってから席に戻る。そのあとは睡魔に襲われて、時折目が覚めて美しい映像と音楽があり、また眠りに落ちて行った。
何度か歩いているシーンや雨が降っているシーンを観た。最後の20分ぐらいは戻ってこれて観れたけど、大事な部分をほとんど観ていないし、話がどういう流れだったのか理解できていない。でも、美しい映画だった。
Q&Aのあとにサイン会があった。来てくれてありがとうと伝えて、お二人にサインをパンフにもらった。土曜夜の渋谷は人混みで溢れていて道玄坂を抜けていくまでに時間がかかった。公開中にはもう一度ちゃんと観に来ないといけない。

 

2月4日
目覚ましの音で目が覚める。雨が降っているような音がしたから外を見たら、やっぱり降っていた。週明けには雪が降るかもしれないとニュースで見たが、このまま気温が下がればほんとうに雪は降りそうだった。
昨日聴けなかった『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』をradikoで流しながら次の仕事で必要な資料を読んでいた。番組の30分過ぎた辺りで設楽さんと日村さんの曲対決で、設楽さんがCreepy Nutsの新曲で、日村さんが星野源さんの『光の跡』だった。友人が亡くなったと彼女のお母さんから連絡をもらってから、その翌朝からバナナマンとも仲のいい星野さんのニューEPの一曲目『光の跡』を何度も何度も聴いていたから、不思議な気持ちだった。うれしいのかかなしいのか、よくわからない。


15時半に今日限定でやっているアアルトコーヒー×ニコラ「喫茶アアニコ」に行く。庄野さんがネルドリップで淹れたアアルトブレンドとニコラのオペラをいただく。
16時からは庄野さんとニコラの曽根さんの雑談、トークの「アアニコ」にそのままスライドして話を聞いて、打ち上げにいつもの美味しい打ち上げに参加。お店を22時ぐらいに出てまたニコラに戻ってお酒飲みながら深夜3時半ぐらいまで残ったメンツで話をしていた。

 

2月5日
8時過ぎセットしていた目覚ましで起きて、二日酔いはなかったけどお店でタバコを吸ったりしていたので匂いがついていたので一旦シャワーを浴びる。湯船に浸かりたかったけど、仕事の時間を考えるとそんな余裕はなかった。
リモートワークを開始して、月曜日朝なのでいつも通りradikoで日曜放送の『川島明のねごと』『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』をタイムフリーで聴く前に、土曜日深夜の『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いていなかったのでそちらから流しながら作業をした。

雪が降るというのは数日前から天気予報で見ていたが昼過ぎにご飯を買いに出ようと思ったら、みぞれっぽいなと思った雨は家に帰るまでに雪に近い感じの白いひらひらしたものになっていた。
TSUTAYAを覗いたら江國香織著『川のある街』という新刊が出ていた。サイン入りだったのと川沿いの物語なら読みたいなと思って買った。


19時半からLOFT9で開始される「平成ノブシコブシ徳井 #敗北からの芸人論 トークイベント vol.11 ゲスト:永野」のチケット取っていたが、雪がかなり強くなって積もり始めていたので諦めた。これから深夜に向かってもっと降るみたいなので積もるしたぶん地面は凍ったりして渋谷まで歩いていくのは危険だし、こういう時に電車に乗るのもどうせロクなことはない。
土曜日の友達の家に行くのとライブまでは僕は病気も怪我もできるだけ避けたい、その日もし行けなくなるのが一番現状で起きてほしくないことだから。コンビニに行って焼きラーメンを買うだけ買って家にすぐ戻った。


The Birthday - なぜか今日は 


家に帰ってからこの曲をなぜか聴きたくなった。

トークイベントは後日配信を買って観ることにして、家でできる作業をやることにした。ちょっとずつちょっとずついつもの生活のリズムに戻していかないといけない。
明日は新しいライティングの仕事も始まるし、でも、こんだけ雪が降ったら昼過ぎに家を出ても雪は溶けてないだろうし、時間に余裕みて動かないと遅刻したりしそう、初日からミスが起こりやすい環境なので用心していかないといけないなって思う。

 

2月6日
6時ぐらいに目が覚めて、ペットボトルの回収日だったので外の様子を見ようとドアを開けて見る。もう少し積もっているかと思ったが、これは外出れないなというほどではなかった。ペットボトルの入った袋を両手に持って集積所に行く途中に一度滑って転けそうになる、あぶねえ、やっぱり下の方が凍っている感じで油断すると滑る。
そこから今日のお昼から仕事に必要な資料を読み始める。10時過ぎに一度駅前に行こうと思って部屋を出るとアパートの隣の一件に住んでいる子供が雪だるまを作っていた。


15時から文藝春秋社でお仕事。どのくらいぶりかわからないけど、かなり久しぶりに来た。19時まで仕事をしてから編集さんと一時間ちょっと飲んでから半蔵門駅で電車に乗って家に帰る。
脳みそをフル回転する仕事だから、知らないうちにカロリーを使っているみたいで結構疲れてて、部屋に帰ってちょっと寝転んだらうとうとしてしまったので、湯船に入ってすぐに寝た。

 

2月7日
6時に起きて作業を開始。明日中には終わらしたいけど、いろいろとスケジュールが大変になってきた。今日はもともと出勤日だったけど休みにして、下旬の別日に出勤する形にしてもらったのは余裕が少しでも欲しかったから。それで明日行くつもりだった自衛隊中央病院へ行くことにした。
家から歩いて20分ぐらいのところにある自衛隊中央病院は初診なので8時半から受付とサイトを見たら書かれていたので、それよりも30分は早く行けばいいかなと思って7時半には家を出た。雪はほとんど日陰以外は溶けていて転んだりする心配はなさそうだった。
歩きながら『星野源オールナイトニッポン』をradikoで聴きながら向かった。星野さんの誕生日祝いでバナナマンの日村さんと放送作家のオークラさんが毎年恒例プレゼントを持ってやってきた。日村さんが武道館のこと、音楽についてずっと質問しているのが微笑ましかったし、土曜日のことを考えながら歩いた。


入り口で中に入る際に必要な紙に記入して、受付の人にサインと入った時間を書いてもらった。出る時には病院の受付の人とかにサインと時間を書いてもらわないと外に出れないらしい、セキュリティがちゃんとしているなと思いながら病院へ。
8時前に着いて予約なしの人用の整理番号を取ったら5番目だった。そこから終わって出るのは10時半ぐらいになった。そのぐらいの番号だったので、呼ばれるのは早かったりしたので、8時半とか過ぎて行っていたら帰るのはもっと時間がかかって12時近くになったのかもしれない。知らない場所は早く行くに限る。
消化器内科の先生には、受付で渡していた紹介状と健康診断の結果のバリウム検査の画像も見てもらったので、胃カメラで再検査する日程と検査後の説明をする日をいくつか提案されたので、都合のつく日に予約を入れてもらった。当日に胃カメラとかは元々無理なのはわかっていたので、ここがスムーズに進めばこちらとしてはありがたい。
自衛隊の人も何人か受診を待っていたりしたのもあってか、待つのが長くなっても文句とかおじさんとかおばさん言いそうだけど、結構みんな大人しくなっていた気がする。
家に帰る前にオオゼキによって昼ごはんの材料を買って帰ってから洗濯をした。昼すぎてから作業を再開した。


16時少し過ぎてからニコラに行って栗と木苺、ブルーベリーのエクレアとバレンタインブレンドをいただいた。いつものアルヴァーブレンドはこの時期はバレンタインブレンドになっていたのでそちらにした。わずかな苦味はあるけど、軽いのでさーと飲めるから、アルヴァーとアイノブレンドの間ぐらいかな。
曽根さんと由賀さんと日曜日のこととかいろいろと雑談をした。帰ってから『あののオールナイトニッポン0』を聴きながら再び作業をした。

天才バンド / 天王寺ガール【Live at LIQUIDROOM 2013.12.10】


「あのANN0」終盤でこの曲が流れた。あのちゃんがツアーで大阪でライブするというのもあって、この曲なのだろう。
奇妙礼太郎は震災後ぐらいに何度かライブで観に行っていて、その頃は奇妙礼太郎トラベルスイング楽団だったか、この天才バンドも観ていると思う。『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』や『菅田将暉オールナイトニッポン』とかにもゲストで呼ばれていて素晴らしい歌声を披露していたし、バナナマンの二人も菅田将暉もファンだけど、いつも通りな感じの奇妙さんでそれもよかった記憶がある。

 

2月8日
起きてからすぐに作業開始。今日中には出さないと行けなかったけど、自分の感覚では夕方前には終わりそうな感じだった。文量はだいぶある。もっと削ってもよさそうな気もするし、まとめてもいいところはあるけど、テーマであったり他の人の意見も正直聞いてからザクザク変更したい気持ちもあった。
いろんなことが連絡不足じゃないかなと思えなくもないけど、それは僕の仕事ではないのでまずは素材として出せるものを提出してから、判断してもらって意見をもらったほうがいい気はしている。
昼前に毎週やっているオンラインミーティングをやった。今週は僕がやる作業はほとんどなかったので、来週他の人がやった作業によってどう動くかとか決まりそう。
30日から仕事がほとんど手につかない状態ではあるけど、忙しくてそれが紛れるかというとそうでもない。仕事であったりなにか作業をするために大事なモチベーションであって、そこにはもちろんお金もあるし人間関係における信頼とかもある。小学館の漫画編集者の人たちが亡くなった漫画家さんに対しての声明を出していたのを読んだらちょっと泣けたけど、今ある程度心に響けば涙は容易に流れてしまう精神状態ではある。

15時前には作業が最後まで終えたので提出してから渋谷に歩いて散歩に行った。『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をradikoで聴きながら歩いた。番組本第三弾が出るらしい、そういえばAdoが月曜一部卒業したあと誰がなるかって話とか 「オールナイトニッポン」レーベルの番組をいろいろと聴いているけど誰も言及しないな。


19時半から『水道橋博士のメルマ旬報』でずっとお世話になっていて、現在もWebサイト「BOOKSTAND 映画部!」での『月刊予告編妄想かわら版』も担当してもらっている原カントくんさんとマルコで久しぶりに飲む約束をしていた。
最初に金のポテトサラダと前菜盛り合わせとか色々と頼んで、あとはずっとビールを何杯も飲みながら、いろいろと話をさせてもらった。回転の問題もあって二時間ぐらいでラストオーダーになったので、そのあとは原さんが「寒い、タクシー乗って帰ります」というのを邪魔しつつ一緒に歩きながら話をして大通りに向かった。
原さんは人に誘われないと飲みに行かないというので、数ヶ月に一回は飲みましょうって話になって、次誰を誘うか話をしたりした。こういうのってほんとうに会わなくなるとずっと会う機会がなくなるので、そういう感じに意図的に会うのがちょうどいいんだろう。

 

2月9日
8時過ぎに起きた。ライティング関連の作業はしないで半からすぐにいつものリモートワークを開始した。もともと水曜日は出勤予定だったけど、自分が作業をしていなかったことで切羽詰まって休ませてもらって、代わりに下旬の本来休みの日に出勤するスケジュールに変更させてもらっていた。それで火曜水曜木曜と週の真ん中三日間仕事をしていなかったので、いつもならセットしておくものを忘れていたりとかしたのですぐにそのフォローをしたりしたけど、前週から休もうと思っていたらもう少し準備してたんだろうな。まあ、大きめの作業がない時期だからこそ休ませてもらったものもあるし、タイミングとしては助かった。
radikoで『ハライチのターン』『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『ナインティナインのオールナイトニッポン』『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』『四千頭身 都築拓紀サクラバシ919』と木曜深夜に放送したラジオ番組だけで夕方までBGMは事欠かない金曜日。

内田 他者との共同生活にはもうあまり興味がないですか。

小泉 もともと無理みたい。女性は家庭を守るためにいそいそ働いて、みたいなドラマをたくさん観ていたから、自分でもできると思いたかったけど、この人じゃ無理だったな、この人でも無理だとやっていくうちに、あ、できないのは自分なんだとわかりました。

 でも樹木さんと対談したときに私へのアドバイスとして、「あのね、愛する人と手を繋ぐとか、体が触れ合うとか、そういうことをしてほしい。私はそれをしなかったから病気になった気がするの」っておっしゃったんですよ。

内田 ああ、それは本当に母の心からの声ですね。

小泉 確かに、自分の心を柔らかくすることって人と関わることでしかできない気がします。なかなか私にはできないんですが、でも樹木さんのこの言葉を胸に刻んで生きていきます。

「あなた、足を掬われるわよ」“危うい若者”にスパーンと…内田也哉子本木雅弘夫妻が見ていた“20代の小泉今日子” 内田也哉子x小泉今日子対談

ちょっと前に見かけていた記事を読んだ。小泉今日子さんが樹木希林さんに言われたこと、手を繋ぐとか体が触れ合うことの大切さを言われているのがすごく目に留まった。お互いに大切なパートナーでも普段からスキンシップしない人もいるだろうし、長年いると昔のように触れ合いが減るということもあるのも頭ではわかる。
でも、なんというかリモートワークとか出勤しなくて個人的には非常に助かっているけど、人間ってある程度の距離感や身体性を肌身で感じないと他者との関係性もだけど、自分自身のなにかが損なわれてしまうのだろう。だから、異性愛でも同性愛でも、そういうものでなくても誰かと触れ合うことはかなり生きて行く上で大切なのかなと思ったりした。まあ、その相手を見つけるのがめちゃくちゃ困難ではあるという問題が先にあるのだが。


休憩中に駅前のTSUTAYAに行くと上田岳弘著『K+ICO』という新刊が出ていた。装幀デザインの雰囲気もいいし、ウーバー宅配員とTikTokerの男女とそれを取り囲むシステムについてらしいと前に見ていたので、たぶん僕が興味ありそうなものなんじゃないかなと鼻が効いた。

今月はそのフロンティア大使の仕事を2日続けて、この2日めというのは中学1年生、2年生に向かっての講演会だった。この時はネクタイを締めず、しかし全身で対峙した。というのも、中学生たちがこちらに真摯に、全身で向き合っているのがわかったから。そして、講演後の質疑応答の時間、式のお終いに「まとめ」の言葉を口にしてくれた二人の生徒のおかげで、真剣な語りはきちんと昇華されたこともわかった(郡山ザベリオ学園中学校のこの生徒たちの理解力、受容力の高さには、いまも感動させられている)。

たぶん私は、真に新しい〈制度〉が芽生えるための地平に、こうして立ちはじめたのだと想像する。

そうやって中学1、2年生の前に立った翌日には、高校1年生から3年生までの間の十代後半の自分がしてきた活動を、高校1年生になると同時に受けとめた幾つも年少の、しかし現在は50歳となる人間に会って、たとえ幼かろうが自分が「生きてきた」ことには、消滅をまぬかれて他者に手渡された要素(もの)もあった、と実感できた。言葉を換えるならば、自分の人生はぐるりと結ばれはじめている。

古川日出男の現在地」2024年2月9日『結ばれるもの』

夕方に仕事が終わってから古川さんのブログが更新されていたので読んだ。この数年、地元福島で開催される小説賞の審査委員やこのフロンティア大使などを古川さんは地元のために活動をより積極的にされている。
今回はネクタイに関する文章だけど、ご自身の立ち位置と求められるもの、そういうものが嫌だったり、あえてそういうものに突きつけていた生理的なNOみたいなものを解除というか、関係性や関わり方で変わって行く、意識的にチェンジするような気持ちなのかなと思えるものだった。
『文藝』で連載していた『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』も最終回を迎えたので、単行本に今年中にはなると思うが、春ぐらいには新しい連載を、ということもこのブログで前に書かれていた。OSがバージョンアップされるのかもしれないし、また次なるフェーズに入る小説になるんじゃないかな。

 

2月10日
前々日からどうしようかと考えていた。15時に墨田区蔵前に行くことは決まっていたが、電車に行こうかどうか。歩いて行くなら三時間半とマップアプリでは出た。そのぐらいは歩けなくはないが、そのあとに一番大事な予定があるということもあって体力使っても大丈夫かというのが気にはなっていた。
でも、我が家からその墨田区の友達の家まではアプリでは15キロほど、そう考えると雨とか雪が降っていないし、気温が高くないのならほとんど問題はない。亡くなった友達が写った写真を入れたアルバムを持って行くつもりだった。うちから友達の家まで一緒に歩いて、その距離を経たものをご両親に渡したいと思った。それは自己満足でしかないが、自己満足でいいだろうし、まだ生きている僕のこの肉体を使う、動いて歩いてその距離を圧倒的に感じる、把握したいという気持ちがどんどん強くなっていた。
11時に家を出ればよかった。午後2時半に友達の家の最寄駅でもう一人の友達と待ち合わせをしていた。だけど、初めての道は多少不安もあるし、余裕を持って行きたかったので10時半には家を出た。
赤坂見附までは馴染みのある246沿いをApple Musicで赤えんぴつの曲を聴きながら歩いた。途中ABCが入っている建物の一階のトイレを借りて自販機でヤクルト1000を買って飲んだ。汗はそれなりに出て暑くなってきたので上着を脱いだら、すぐに汗が冷えて寒くなってきたのでまた着直したりした。日陰にいくとどうしても上着はいるぐらいにはなった。


亡くなった友達とは去年、三回赤坂御所の反対側にあった草月ホールでお笑いライブを観ていたから、その前も通りたいというのがあって、皇居の下側を通ろうと思っていた。夜は武道館に行くから、上側はそちらのラインでいいかなって。
草月ホールを過ぎて反対側に歩道橋を使って渡ってから豊川稲荷にお参りをした。参拝客はそこそこいたけど、並んでも順番はすぐに来たので滞在時間はそこまで長くかからなかった。


そのまま青山通りをまっすぐ進んで内堀通りから皇居のお堀沿いを南下していく。何十人もの皇居ランナーに抜かされていきながら桜田門のところから皇居外苑に入ってから神田方面へ向かった。
世田谷区の我が家からロラン・バルトの言うところの「東京の空虚な中心」である皇居の下側を、左寄りの半円を通ってスカイツリーがすぐの墨田区まで行くというのは僕には意味があった。


神田川を越える時の橋は見覚えのある浅草橋だった。反対側には神田川隅田川に合流する地点があり、そこにあるのは柳橋でそれもこの浅草橋の場所から見えた。
東京オリンピックが終わった翌年の元旦まで何年も続けていた元旦に井の頭公園神田川の源流から川沿いを歩いていき、柳橋の先で隅田川に合流してからは隅田川沿いに歩いていって、月島の先の晴海埠頭まで行くという古川日出男著『サマーバケーションEP』の舞台を、物語をトレースするというのをやっている時に何度も通っていた浅草橋、そう考えると友達の家はそこまで遠くない場所だとわかった。隅田川の向こう、墨田区はここからならさほど遠くはない。


浅草橋から隅田川寄りの国道6号線を北上して蔵前駅を目指した。途中で6号線だと気づいた時はびっくりした。古川日出男著『ゼロエフ』での取材の時に国道6号線を宮城県から福島県に入り、海沿いの津波被害を多く受けた、もちろん原発もあるけど、そこを通って茨城県まで古川さんと田中くんと僕の三人で歩いていたから。確かに福島でも日本橋まで何キロとあったはずで、あの道からここまで繋がっている。そう思うとなんだかいろんなものが無意識だったけど、繋がっていて僕の中で結ばれていく感覚があった。
2時前には蔵前駅の待ち合わせ出入り口に着いたので、今日お邪魔する予定の友達の家の住所を頼りに一度確認しに行って駅前に戻ってきてから隅田川テラスに降りてぶらぶらしていた。

待ち合わせしていた友達と合流して、亡くなった友達のマンションを訪れた。亡くなった友達は1月26日の昼頃に急に倒れて、翌日27日の朝には亡くなり、民間の火葬場ですぐに火葬されてご両親と実家に戻った。友達はスマホとかの暗証番号をちゃんと書き残していたらしく、それでロックを解いたお母さんから僕に連絡が来たのは亡くなって四日後だった。お母さんと電話で話したら、娘が好きだったバナナマンがやる「赤えんぴつin武道館」に一緒に行きましょうとお誘いを受けた。僕は断る理由はなにもなかったから、一緒に行きますと答えた。
そして、その後二度ほど連絡をした中で、結局一度も遊びに行かなかった彼女の家にお邪魔させてもらえませんかとお願いをした。喉仏の骨は部屋にあるからぜひと言ってもらった。だから、もう一人の二十年以上付き合いがある友達にも連絡して二人で最後に彼女に会わせてもらうことになった。
彼女のお父さんとお母さんに出迎えてもらって、僕らは彼女が写った写真のアルバムなどをお渡しした。9、10日と日本武道館で開催される赤えんぴつのライブ、昨日は彼女の会社の同僚の人と、今日は僕とお母さんは行くことになっていた。彼女が大好きだったバナナマン、彼らの単独ライブでバナナマンの二人はフォークデュオ「赤えんぴつ」に扮して歌っていた。バナナマンも三十年近くライブをやっているから、曲数は毎年の単独ライブで一曲やっていてもフルアルバム二枚分ぐらいはあった。

彼女の喉仏の骨は両手に収まるガラスの蓋つきの瓶の中にあった。話を聞いたら、東北のほうと京都の一部では喉仏の骨だけはお墓などに入れずに仏壇などに置いていると教えてもらった。火葬されたあと喉仏の骨だけはご両親が彼女の部屋の片付けをするために上京した時に一緒に持ってきていて、リビングのテレビの台に置かれているようだった。
お父さんとお母さんと僕らは彼女の話をした。たぶん、泣くだろうなと思ったけど涙はあまり出なくて、お母さんが明るい人でクヨクヨしないって言われていて、お父さんは言葉多くはなかったけど、友達のことを本当に大事にしてきたのが伝わってきて、なんとかできるだけ泣かないで話をした。
お父さんから彼女の死亡届のコピーも見せてもらった。いろんな手続きで必要だから手元にあったそれには、お母さんから連絡をもらった時には脳梗塞で亡くなったと言われていたが死因はくも膜下出血と書かれていた。
僕はお母さんからスマホを渡されて、今日のライブのチケットの分配をした。そういう手続きもペーパーレスになってきているけど、ある程度上の年齢の人には難しいし、スマホがないとどうにもならないというのは転売されないためのセキュリティというのはあるけど、やっぱり人間にやさしくない。
僕は最初からお母さんに「私を武道館に連れて行って、帰りもほとんど家に一直線で帰れるところまで送って」と言われていたので、ライブも一緒に観るけど、普段彼女がやっていたことを代わりにやるのが役目だった。
コロナパンデミックがおさまってきてから、バナナマンの単独ライブは復活したがいつも彼らが単独をやる俳優座は座席数が少なくチケットはずっと取れなかった。だから、彼女もこの数年はバナナマンを生では観ることができていなかった。それなのに、赤えんぴつの武道館ライブは9日と追加で決まった10日どちらもゲットできていた。最後に会った1月の時にも赤えんぴつの話をしていたから、すごくたのしみにしていたのはよく知っていた。
彼女とお母さんはもともと一緒に行く予定だったけど、娘がたのしみにしていたライブだけは亡くなったけど絶対に行くと決めて、両日にそれぞれ誰か娘と仲良かった人に頼んで一緒に連れて行ってもらうことにした。10日がライブとかよく行っていて、お母さんにも名前を何度か言っていたから「イカリ」として認識されていた僕になった。
彼女の自宅に滞在したのは30分ほどだった。僕はお母さんを武道館に連れて行かないといけなかったので、最後に喉仏の骨に手を合わせてから、蓋をあけて彼女の白いその骨を見た。一緒に来た友達が耐えきれなくて号泣して、僕も泣いて、お父さんとお母さんも泣いた。お父さんは自宅に残って三人で部屋を出て両国駅に歩いて向かった。友達は大江戸線一本で帰れるので、九段下駅に行くのはこのルートにした。


武道館に着いてから、お母さんは物販のカセットテープとサイリウム(ペンライト)を買おうと思っていたけど、タオル以外は全部売り切れていたので残っていたタオルだけ買った。お母さんは娘にはカセットテープ本体を、自分はそれについているダウンロードコードで音源をダウンロードして聴くからと言われたので、ネットでも販売というか再販してほしい。たぶん物販ではすぐ売り切れてしまっていて、欲しがっている人はたくさんいるだろうから本当にお願いしたい。
電車に乗っている間も武道館の開場待ちをしている間もいろんな話をした。お母さんもオールナイトニッポンやJUNKのラジオリスナーだったから、そういう話もしたし、もちろん大抵は彼女のことを話した。

昨日お母さんと一緒に武道館に来た同僚の人とは友達は家族ぐるみで仲良くて一緒に旅行も行くほどだったらしい。僕もその人のことはほとんど知らないし、なんとなく知っているぐらいで、その同僚で後輩の人も僕のことを聞いているかもしれないが、なんとなく知っているぐらいだろう。そんな風に誰かを中心にした関係性というのは蜘蛛の巣みたいに広がっていて、交わらない部分がたくさんあって知らないことも多いものなのだろう。
お母さんは友達が同僚の人たちにすごく可愛がってもらっていたのがよくわかったとおっしゃっていた。仕事中に倒れて、というのもあるから会社の人や仕事関係の人には亡くなった事は当然伝わっていて会社の人たちだけではなく、仕事関連の人たちからもいろんな話を会社の人たちを通じて聞かせてもらったと言われていた。
お母さんはロックが解除できてからもラインなどは娘と相手のプライバシーの問題だから見ていないと言われていた。実際に彼女のスマホを見せてもらったら、ラインのアイコンに未読の数字がかなり残っていた。
僕は偶然というかライブに行く相手に選ばれたから連絡をもらって、亡くなったことを知った。もう一人の友達もなんだかんだ付き合いは続いていて三人で春先に会おうと元旦にグループラインで連絡したばかりだった。おそらく、彼女の知り合いのほとんどは亡くなったことを知らない。知りようがない。
僕は上京してからすぐ知り合いになっていて、ここまで22年と付き合いの長い友達が亡くなったのは初めてだった。共通の知り合いもいないわけでもないけど、その人たちにわざわざ伝える理由も正直見つからなかった。もう付き合いはないのだからこちらから伝えるのも違う気がした。この日記を読めば彼女を知っている人には誰かわかるけど、そういう人たちは誰も読まないだろうから知る事はないだろうし、なんかそれでいい気がしている。

お母さんは前日の赤えんぴつのみが出演しているライブを観ていた。10日はゲストにchelmico乃木坂46三浦大知トータス松本が出演するという初日とは趣向の違う日になっていた。二日ともアリーナの席で、この日は五列目50番代というかなりステージ近くの席だった。
アリーナの真ん中に円状の小さなステージもあり、オープニングや時折赤えんぴつの二人はそこでも演奏をして歌った。その時は自分たちの席よりも後ろにそのステージはあったので首を180度近く後ろに向かないと見えにくい場所ではあったが、前方には大きなスクリーンが三つあったりしたので表情とかはそこで観ることができた。
少し危惧していたのはこの日のために赤えんぴつの曲を繰り返して聴いていたけど、歌詞の内容的に人が亡くなっていたり、いなくなっている内容のものがちょこちょこあり、これはこの状況で耐えれるかなと不安に思っていた。
ゲストの人たちと赤えんぴつが一緒に曲を歌ったり、トークをしたりするのも楽しかったけど、後半の方でステージにいた全員がはけたあとに中央の巨大なスクリーンにある映像が流れた。
中村倫也演じるカフェのマスター、黒木華演じるカフェのバイト、そのバイトに恋をしたいつもナポリタンをいつも頼む客のドラマ風な映像が映し出された。お母さんは昨日も観ているから、映像が映ってすぐにこれは放送作家の永井ふわふわさんの話なんだよって教えてくれた。ふわふわさんの実話であり、今の奥さん(バイトの女性)と結婚したエピソードを曲にした『よしこちゃん』に繋がるドラマだったようだがこの日はすでにその曲は披露されていた。だから、お母さんも途中から昨日と違うわと言っていた。
若い二人が店内からいなくなったカフェでマスターがアルバムを見ている悲しげな表情、帰り道で路上で演奏している赤えんぴつに彼が一曲やってくれないかなという入り方で曲の演奏が始まるという演出になっていた。
正直ヤバいと思った。赤えんぴつの知識がほぼなくても、この一週間で聴いていた感じではこの流れでいけそうな曲は『それを胸に』というものだけだった。この曲は幼稚園から一緒だった男の子と女の子、やがて二人は高校生になって付き合いだして大学を卒業して結婚する。だけど、妻はある日交通事故で突如なくなってしまうという内容だった。
どう考えてもこの曲は大事な人を亡くしたばかりの人には刺さりまくってしまう。僕ですらそう思うんだから、お母さんには響いて刺さりまくってしまう。案の定、そうなるわけだがお母さんも泣いてたし、僕もそれ見るし歌詞でも泣いちゃうし、基本的にはずっと悲しみよりも楽しいと思える素晴らしいライブだったけど、この曲だけはどうしても僕らは耐えきれなかった。
アンコールはゲスト全員と赤えんぴつで『自転車』を歌い、最後はステージから客席に向かってハート型のメッセージの書かれたものが飛行機のように飛ぶながら舞い降りてきて、金と赤のキラキラしたテープとか色々飛んできた。昨日もいくつかお母さんはゲットしていたみたいだけど、今日の方がステージには近いからたくさん取れたみたいでほんとうによかった。

映像で出演していた中村倫也さんと黒木華さんも会場にはいたみたい。



ライブが終わってから、僕はお母さんを半蔵門線押上駅まで送ることにした。ライブの最後に上から舞い飛んできたハート型の小さな紙吹雪とかはお母さんが火葬される前に少しだけ切っていた彼女の髪の毛を入れたパックに一緒に入れていた。そうやって友達の一部も武道館にお母さんは連れてきていたから、電車の中でそれを見せてもらった。小さなそれに入っている髪の毛を僕は触った。喉仏の骨を触った時みたいに実感がうまく沸かなかった。それは骨であり髪の毛であり、友達だった彼女の一部だったという認識が僕の中であまりうまく像を結べなかった。
押上駅で降りてから駅前のタクシー乗り場でタクシーに乗るお母さんを見届けて、半蔵門線で反対側にある僕の家の方の電車に乗った。

【MV】Creepy Nuts - のびしろ(NOBISHIRO) 


去年三月には『東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館「なんと括っていいか、まだ分からない」』を亡くなった友達と観に来ていた。それから一年も経たないのに初対面のお母さんとなんで僕が彼女の代わりにバナナマンを観に来てんだよと思った。あんなに楽しみにしてたのに、なんでだよって。
だけど、それが無理だから僕が代わりに誘ってもらって行くことになった。こういうイベントだったりはある種の儀式みたいなものでもあるし、区切りにもなりやすい。そう思えば一緒にお母さんとライブを観せてもらえたのはありがたかった。
最寄駅に着いてから、そのまま家には帰らずにその前にニコラに寄ってビールを飲んで献杯をした。

 

2月11日

前日の友達の家と武道館に行くのは決まっていたけど、いろんな気持ちになるだろうなって思っていたのでやさしい作品を観たいなと思っていた。とりあえず予告編の雰囲気もよかったし、三宅唱監督の新作なので観たかった『夜明けのすべて』の朝一の回を二日前には取っていたので、TOHOシネマズ渋谷にて鑑賞。
やっぱりというか、さすがに松村北斗ファンらしき若い女性が八割ぐらいだった。隣の女性は瀬尾さんの原作単行本を手元に持っていたが、始まる前にその本と松村さんの切り抜きか何かと一緒にスマホで写真を撮っていた。そういう意味でも過去作である『きみの鳥はうたえる』や『ケイコ 目を澄ませて』の三宅監督の今までの作品を観ていた層ではない所に届く座組になっているわけで、新しい観客に届くと三宅監督もまた一段と違う景色や場所に行くことになるのかもしれない。

「そして、バトンは渡された」などで知られる人気作家・瀬尾まいこの同名小説を、「ケイコ 目を澄ませて」の三宅唱監督が映画化した人間ドラマ。

PMS月経前症候群)のせいで月に1度イライラを抑えられなくなる藤沢さんは、会社の同僚・山添くんのある行動がきっかけで怒りを爆発させてしまう。転職してきたばかりなのにやる気がなさそうに見える山添くんだったが、そんな彼もまた、パニック障害を抱え生きがいも気力も失っていた。職場の人たちの理解に支えられながら過ごす中で、藤沢さんと山添くんの間には、恋人でも友達でもない同志のような特別な感情が芽生えはじめる。やがて2人は、自分の症状は改善されなくても相手を助けることはできるのではないかと考えるようになる。

NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」で夫婦役を演じた松村北斗上白石萌音が山添くん役と藤沢さん役でそれぞれ主演を務め、2人が働く会社の社長を光石研、藤沢さんの母をりょう、山添くんの前の職場の上司を渋川清彦が演じる。2024年・第74回ベルリン国際映画祭フォーラム部門出品。(映画.comより)

大きな出来事というか、例えば誰かが死んだりとかわかりやすいものがあって物語が転がっていくのではなく、藤沢と山添の二人を中心に彼らの仕事と生活を軸に日々の微細なものを描いていて、それがとても好ましく見えたし、彼らの抱えている問題や症状に対しても他の人たちも過剰にはならずに、かといって無視するわけでもなく、適度な距離で向き合ってくれているという内容だった。
あと『ケイコ 目を澄ませて』同様にフィルム撮影しているみたいで、映像に少しざらめというかフィルムにしかないものがデジタルのクリーンさではない人間らしさというか優しい感じがした。
藤沢と山添の関係も恋愛に向くこともなく、かといって友達でもなく、同僚として一定の距離がありながらほどよい向き合い方なのもとてもよかった。少し泣きそうになるような状況や場面もあるけど、二人の関係のようにある種ドライで泣かせるという意識は強くなくて引っ張りすぎない、そういう部分もとてもいいと思う。メジャーな作品だとここで泣いてくださいみたいな無粋なことをしがちだが、この作品はしっかりそこを抑えていた。

三宅「もし自分の周りの友達にパニック障害の症状が出た時に、そこで第三者としてなにができるのかが大事だなと。当事者気分を味わうみたいな方法もあるけれど、どこまでいっても第三者でしかないのが映画の限界だし、映画のおもしろさだと思うんですよね。映画なんてはなから全部他人事なわけですから。実話だろうがなんだろうが映画になればフィクションだし、でも他人事なのにもかかわらず第三者としていつの間にか巻き込まれていくっていうのがおもしろさかなと思います」

三宅「そうです。中国の本屋に行くと『えっ、こんな本の翻訳までしてるの?』と驚くわけですよ。『一体こんな本、誰が買うの?』と思っちゃうような、日本でも部数が伸びなさそうな本が翻訳されている。でも、『うちの国では、なんか出せばそれなりの人口がいるんで買う人がいるんです』と。“これをやっても売れないかもな”と思う国と、“これをやったら売れるかもな”と思う国とでは、質はともかくとして、描ける夢の量やヴァリエーションが違ってきますよね。小さい世界の大きいマスを取ろうとするのがドメスティックな仕事だと定義するなら、そうじゃなくて、大きい世界を意識しながら今まで通り質のいいものを作れば、きっとどこかに届くはずだ、と思える。大きいマーケットででっかく売ろうとすると、それは巨大資本と組まなければいけないわけですけど、日本の外にマーケット自体はあるぞと。興味を持ってくれる人が、この国とこの国とこの国に何人はいるよねっていうことさえわかっていれば、自分の比較的小さい映画でも成立させることができるかもなっていうことを、今回いろんな国で上映してもらって実感しましたね」

正解でも不正解でもない”アクション”の連鎖が物語を動かす。三宅唱監督『夜明けのすべて』を貫く映画の原理【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

宇野維正さんのこの連載というか、監督へのインタビューシリーズはいつも読み応えがあるし、取り上げられている監督の新作は観に行こうと思って観ているので信頼しているんだけど、今回の三宅監督のものも非常に良かった。
映画を観る前に読んでいたけど、観終わってから改めて読み返してみると、この映画がなぜあんなにも今痛みや辛さを抱えている人に寄り添う作品になっているのかがわかる。この映画はそういう人にとってのお守りみたいな作品になるだろうなって思う。

【ライブレポート】「赤えんぴつ in 武道館」バナナマン30周年彩るドラマチックな2日間(写真24枚 / バナナマンのコメント到着) 

前日のライブについての記事がアップされていた。やっぱり乃木坂のペンライトとか持っている人たちがたくさんいたし、僕がアイドルに興味を持っていないからわからないけど、その人気と根強いファンがいるんだなってことはよくわかった。
星野源さんも映像で出演したし、森山直太朗さんは電話で出演したし、バナナマンとゆかりのある人たちはわりと出ていた。
一緒に行った友達のお母さんと話してて、奇妙礼太郎さんも来てもおかしくないのにねって言われてていて、設楽さんが好きでゲストにも来てたし、赤えんぴつの歌も作ってくれそうな感じもするし、トータス松本さんとかもいるし、バランスのこともあったりしたのかな、わからんが。

田島昭宇×大塚英志著『【愛蔵版】多重人格探偵サイコ COLLECTION BOX 4』がカドカワストアから届いた。コミックス19巻「GO AHEAD!」からコミックス24巻「THE END + ONE」までを収録。BOXもこれで全巻出てすべて揃った。


西島大介作「ディエンビエンフー」シリーズの「フンくんぬいぐるみ計画」のクラファンをしていたので返礼品のフンくんぬいぐるみがひとつ届いた。偶然だけど、英志さん関連で僕が読んでいた漫画家さんのものが同日に届くというこの謎のタイミング。

フジエタクマ 『same』music video 


知り合いの藤江くんの新曲のMVがアップされていた。なにかちゃんと届けようとする意志というか気持ちの強さが声に出てるように感じた。


忘年会か新年会をしようと話をしていたまま、お互いにスケジュールの都合が合わないままだったけど、亡くなった友達のこともあったので長年の付き合いである親友のイゴっちと3月ぐらいに飲もうかとラインしていたら、急遽今日飲もうということになったので、飲んだで食べて話して話して、二日連続なニコラになった

 

2月12日

ストップ・メイキング・センス 4Kレストア』をシネクイントで鑑賞。正直三連休の全部なにかを観るというのはやりすぎだし、その時間分をライティング作業したらのちのちだいぶ楽になるとは頭ではわかっているんだけど、たぶん、部屋でずっと一人というのがどこか怖いというか、人混みの中にいたほうが安心する部分があるんだと思う。
この作品が気になっていたのはシネクイントによく来るから何度も予告編を観ていたのもあるけど、トーキング・ヘッズのボーカルギターであるデイヴィッド・バーンの『アメリカン・ユートピア』のスパイク・リー監督による映画版を以前ホワイトシネクイント観ていたこともあって、彼がどんなパフォーマンスを昔していたのかを観てみたかったのがデカかった。
僕はトーキング・ヘッズというバンド名を知っている程度でこのタイトルの曲はあれだなとかはわからないぐらい、そんな認識で観に行った。『アメリカン・ユートピア』の出来を観た感じであれば、曲を知らなくてもきっと楽しめると思った。もちろん、昔から知っている人ならより楽しめるはずだけど、僕みたいな人でもおそらく問題はない。
客層は1983年のライブなわけで高いといえば高いけど、僕よりも若いであろう二十代ぐらいの人たちもそこそこいたので、年齢層が高い客層だけには固まっていなかった。

1980年代の音楽シーンに変革をもたらしたアメリカのロックバンド「トーキング・ヘッズ」が1983年に行った伝説のライブを記録したドキュメンタリー。

キャリア絶頂期にいた彼らが全米ツアー中の83年12月にハリウッドのパンテージ・シアターで敢行したライブの模様を収録。バンドのフロントマンであるデビッド・バーンの躍動感あふれるパフォーマンスに、彼を象徴する衣装「ビッグ・スーツ」、エキセントリックなダンスとエキサイティングな演出による圧巻のステージを映し出す。

後に「羊たちの沈黙」でアカデミー賞を受賞するジョナサン・デミが監督を務め、「ブレードランナー」のジョーダン・クローネンウェスが撮影を担当。2023年には、1992年から眠っていた本作のネガを基に、バンドメンバーのジェリー・ハリスン自らサウンド監修を手がけた4Kレストア版としてリマスターされた。(映画.comより)

曲知らなくても日本語訳がちゃんと字幕で出てるのもあるし、何曲かは知っていたりしたので曲に関しては何ら問題なく楽しめた。トーキング・ヘッズとサポートメンバーそれぞれがよくこんだけ動けるなぐらい動いてるし、『アメリカン・ユートピア』がそりゃあ、作られることになりますわなと納得できるライブパフォーマンスだった。
もちろん演奏や歌で聴かせるものだけど、演出や動きとかで見せるという意識もあって、単純にカッコよかった。映画館だと音響システムがいいのもあって、リストアされているものあるけど音がめちゃくちゃいい。映像も本当に1983年のライブとは思えないクオリティだった。

Talking Heads - Once in a Lifetime (Official Video) 



今作はA24によって劇場公開されているので、最初と最後には「A24」のロゴが出る。今年のA24日本劇場公開作品ではこの作品を超えるような、勝てる作品というと『パストライヴス』ぐらいなんじゃないかな、大丈夫かと勝手に心配してしまった。これはGAGAが関わっているが、ファントム・フィルムハピネットが一緒になってハピネットファントム・スタジオになってから、A24の日本公開作品の配給を一気に担うという報道が去年あった。アリ・アスター監督『ボーはおそれている』以降はそうなるのではないかと思う。
アメリカ本国で劇場公開してから、その興行成績を見てから日本では半年や1年後に公開になるという話も聞いた。同時公開や少し遅れるのならリアルタイム感はあるけど、それだけ空いてから公開するとどういう作品かもわかってしまうし、A24のオフィシャルサイトではアメリカ版のソフトが出てしまうので輸入しちゃえば買えてしまうぐらいの期間なんだよなあ。なんかそういう流れは残念ではある。

 

アメリカンポップスが零落した理由は明白だ。「(扇情的な衣装や動き等々を)エロいんじゃない。かっこいいんだ」とか言い始めてから一直線に落ちている。シンプルに言うけど、エロいで良くない? ブリトニーもビヨンセもエロかったよ普通に。そして「エロいもんはカッコいい」のではないの?

K-POPが素晴らしいのは、なんてことはない。普通にエロいからだ。日本の坂の人たちもあれは普通にエロい。芸妓さんたちの舞と一緒だ。エロけりゃいいってもんじゃない。エロくてクオリティが高いので素晴らしい。アメリカのリベラルとフェミニズムは何がしたいのかマジで全くわからん。いつかはっきりするかもしれないと思って70年年代からずっと見守っていたが、やっぱ何もないことがわかって義憤に近い感情に駆られている。バイデンは「ワールドリベラリズム」をアジェンダ以上に標榜し、中国のCO2排出を抑えさせると宣言したが、結局また空爆だ。こんなことだからまだトランプ期待論が消えないのである。

単に傷ついた人主体の社会把握に僕は反対だ。ルッキズムがどうのとか多様性がどうのとか全くパワフルにもポジティヴにも聞こえない。引かれものの小唄だ。いいじゃん見た目で判断されたって。僕だってされてるし、してるし、音楽市場の多様性のなさ(特にジャズに対して)に上げたり下げたりされ続けているけれどもなんとも思わんよ笑。

菊地成孔の日記記 2024年2月5日~11日記す>

映画を観終わって帰ろうとスマホを見たら、菊地さんの日記がメールに届いていた。「エロくてクオリティが高いのが素晴らしい」ということに尽きるんだろう。カッコいいはエロさに内包されているのに、それを強調して外側に出したらダメになったという話なんだと思う。

夕方からライティング作業を開始。いろんなことが起きるし、スケジュール通りには行かないけど、ありがたいことに〆切があるからどこかでエンジンはかけないといけないし、書けば終わるという単純さもある。
この数日での体験とか思ったこともここで書いたことで多少整理はできるんだけど、それをどうにかして違うものに流し込みたいし、そのために今やるべきことを終わらしていく。しかし、この一月二月がいろんなこと起きていて月日が過ぎるのが早過ぎる。

 

2月13日
朝活がてら次のライティング仕事の資料を少し読んでからリモートワークを開始。radikoで『空気階段の踊り場』『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』『フワちゃんのオールナイトニッポン0』をBGMにして仕事を。
空気階段の踊り場』はもぐらさんがダイエットに成功したため、かたまりさんが金を出して韓国旅行に行く前に収録をしていた内容だったが、トークの中で「作家のながいさん」ってワードがあって、もしかしてこの「ながいさん」は『赤えんぴつ in 武道館』で歌われた『よしこちゃん』の元ネタになった構成作家の永井ふわふわさんなのか?と思って検索したらそうだった。この数年番組を聴いていたけど、自分が意識していなかったものとか単語って耳に入ってもするりと抜けていて、認識していないものだなって改めて思った。夕方から新宿の紀伊國屋ホールでの舞台を観に行くので一時間早めに上がらせてもらって渋谷まで歩いて副都心線新宿三丁目駅へ。

ももいろクローバーZ高城れにの初単独出演&初座長を務め、劇団ロロの三浦直之が作・演出を手がける『最高の家出』を紀伊國屋ホールにて鑑賞。
ももクロファンのニコラのお二人、いつもロロの舞台を観ている僕という三人で観に行った。それぞれに自分の推しというかずっと観てきたものがどう融合するのか、舞台うまくいくのか、大丈夫なのかという心配も正直あった。
席が一列目のほぼ真ん中であり、曽根さんが座った場所の横で高城れにが立ち止まって演技をするぐらい、近すぎる位置で観ることになった。

【あらすじ】
結婚生活に疑問を感じ、家出をした立花箒(高城れに)。
 道中、無一文になり途方に暮れていたところ、出会った藤沢港(東島京)に「住み込みの働き手を探している劇場がある」と聞き、劇場を訪れる。そこで与えられたのは、舞台上に作られた“模造街”で、ある役を演じる仕事だった。
この劇場ではたった1人の観客のために、7ヵ月間をかけてひとつの物語を上演しているのだが、港が家出したせいで、箒は代役を務めるハメに。
 舞台の主演蒔時アハハ(祷キララ)は「相手役が変わるならやらない」とゴネるが、物語の幕は上がり、箒とアハハはチグハグな関係のまま芝居を続ける。
演劇と現実の区別がつかなくなった男、眠りを忘れて働き続ける裏方、舞台上だけ雄弁な言葉を失った俳優。箒は奇妙で愉快な面々に振り回されながら、次第に劇場での暮らしに心地よさを覚え、アハハとの友情を深めていく。
 そんなある日、劇場に箒の夫・向田淡路(尾上寛之)が現れ、さらに港も戻ってきて、“模造街”の秩序が崩れはじめる……。
 舞台上と舞台裏、それぞれの”家出”が重なり合って生まれる、ファンタスティック迷走ストーリー!

ロロが以前公演した『BGM』『父母姉僕弟君』『マジカル肉じゃがファミリーツアー』という旅シリーズ三部作というものがあったのだけど、そのアップグレード版にと過去に誰もやったことのない、進んだ人がないアイドルとしての人生を歩んでいる高城れにが加わることでより身体的なものが強固になったというか輪郭がしっかりしたような印象をもった。最後まで鑑賞するとメインビジュアルの三人にとっての「家出」物語になっていることもわかる内容になっていた。

 忘れていくこと、なにか形が残るもの、跡がわずかにあるもの、日々積み重なるもの、家族に自分が含まれる前のこと、シリアスにならずにどこか懐かしくてポップさのある物語だった。

 移動すること過去と現在が交差していく。過去は地層のように重なっていき現在の足元にあるイメージ、掘り起こすとそれは化石みたい。化石はその時の想いや景色を孕んでいて、現在からの光でミラーボールみたいに光る、あるいは光らない。
 ロロ的想い出小旅行。三部作的な旅シリーズで一番好きなのは実はこれ。新しい次元に入った感じを受けた。

 白昼夢のような此岸と彼岸の境界線が曖昧になって入れ替わるように進んでいく。
 いつか会えなくなってもまたいつか会える、またね、じゃあ、こんどね、ごめんね、ありがとう、いつかまた巡りあうまでハローグッバイ、過去と現在とありえた未来がそこにあり、僕らは今日を日々を。

ロロ『マジカル肉じゃがファミリーツアー』

6年前に書いたブログだが、三部作のことに触れている。

 

東日本大震災以降の東北を巡る旅において沿岸部で津波などの被害がなかった箇所は少なくて、そのことはかつてあったものが失われてしまったことを語らずとも観客に感じさせるものでもある、前回はまだ三浦さんはそのことを台本に書けなかったという。時間が経たなければ言えない言葉もあるし、受け入れられない思いもある。そのことが強く伝わるものだった。
人間はいつか忘れてしまうし、忘れられてしまう。だからこそ、誰かといた記憶やその場所は時間の地層に埋没していく。それを掘り起こすことで過去と現在が同列に並ぶ、存在できる。それは演劇だと可能になる表現であり、演劇的な演出をすることで観客に届くものとなる。
人生においてゆるやかな風が吹いている、そんな心地のよい距離感で笑い合っている(いた)人と一緒にいた景色が観客それぞれの中に浮かんでくる、そんな舞台になっていたと思う。

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年5月1日〜2023年5月15日)

去年KAATで再演した『BGM』について書いたもの。
 


ロロを今まで観たことがなくて興味がわいたのであれば、この無料公開している「【無料公開】ロロ『BGM』(2023)」を観てほしいのだけど、『最高の家出』をすでに観た人が観たらいろんな部分での共通点やあの場所のことの意味をもっと深く感じるのではないかと思う。

今回の舞台は超メジャーなももいろクローバーZ高城れにさんが主演で座長であり、パルコプロデュースという演劇ではかなり大きな座組になっている。そこに三浦直之さんがどういう作・演出で挑んでいくのか、それらがいかに掛け合わされていくのかが楽しみだった。
ももクロスターダストプロモーションという芸能事務所の大手中の大手に所属し、日本中で名前と顔が知られているアイドルグループである。三浦さんが主宰である劇団ロロは演劇が好きなら知っている知名度のある人気劇団だ。三浦さん自身が脚本を手がけた映画やドラマも素晴らしいが、ももクロと比べればやはり一般的にはまだ知られていない。その組み合わせによって悪い方向に行ってしまったら、ロロらしさが消えてしまうのかもと思いもしていた。また、高城れにさん自体もももクロファンからすれば滑ることをやりがちであってちょっと不安な部分もあると聞いた。故に彼女が特攻隊長になって新しい壁をぶち破ってきたのだとは想像はできる。それは勇敢であるが、見守る人からすれば心配をかけるじゃじゃ馬感もあるのだろう。
それらの心配は今回の舞台を観ているうちに杞憂だとわかった。どちらのよさも出ていてそれが掛け合わされた素晴らしい作品になっていた。一緒に観ていた二人も終わった後にいい舞台で安心したと言っていたし、ロロの舞台も観たくなったということだったから、大成功だと思った。

上記で旅シリーズ三部作について書いたものは今作にも通じている。ロロは記憶と場所について描いてきたし、宮城県出身の三浦さんが再演の『BGM』で東日本大震災にやっと触れることができたのだけど、そのぐらい時間がかかるものだった。高城れに演じる立花箒たちが最後に訪れるあの場所は「夜海原」という名前で以前のロロ作品にも出ていた場所だった。
個人的な話だが、ある小説の新人賞で最終選考というか、最後の二人に残ったけど、落ちた。それで連絡をもらってその出版社にいき編集者さんたちに1月末に会った。受賞した人は僕よりも10歳近く下の大学生だと言われた。そして、その年の3月に東日本大震災が起きた。受賞作はその年の5月か6月には出た気がする。その作品に書かれた舞台はあの津波で根こそぎ流されて消えた東北地方のある町だったとのちに知ることになった。
かつてあったけど無くなってしまったもの、そういうものを形に残したり、残そうとすることは一つの創作のエネルギーにもなるし、そうしないといけない人もいる。いけない、いやそういう鎮魂の仕方もあるし、残った側の人として形にすることで癒されたりすることもある。今作『最高の家出』における「夜海原」はその記憶と場所に関するひとつの象徴にもなっていた。
高城さんはアイドルを続けて行く中でどんどんメンバーが減っていく、かつてあったものが失われて行く中で活動を続けてきて、新しいスタイルを手にしている。誰かにとってはももクロは昔の彼女たちのイメージのままだったりするだろうし、昔のメンバーがいる時の思い出やあの時がよかったみたいなことを言われてきただろう、だから今作における人の記憶と場所の問題や役柄にもかなり深くシンクロできたのではないかって、僕は観終わってから思ったりもした。
まあ、いつもロロ行く友達と来週も観に行くから、その時はこの作品の多層構造みたいなものにもう少し意識的に集中して観てみたいところもある。
最寄り駅まで帰って三人で居酒屋で感想を話しながら飲んだり食べたりして楽しかった。なんだか最近珍しく人と会って飲んでばかりだ。そのおかげでだいぶ助かっている。

 

2月14日
朝風呂に入ってから作業開始。昼からの仕事の資料読み。たくさんあるけど、今日の取材分はなんとか読み終わる。
『あののオールナイトニッポン0』を聴きながら歩いて半蔵門線渋谷駅まで行って、永田町駅で降りてから文藝春秋社へ。先週の取材の続きを14時から18時半までみっちりやった。
お相手にずっと話してもらっているけど、ここまで人と酒も飲まずに長時間話すことはないとは言わないけど、そういう場合はほとんど友達や知り合いであって、仕事相手の場合はそれなりの緊張感があるので、終わってから一気に疲れが来る。

19時前には文春を出て永田町駅まで歩いて電車で帰宅。晩御飯を食べてから「予告編妄想かわら版」の原稿を書いた。日付が変わる前に明日の日付にした請求書のPDFをセブンイレブンコピー機のプリントアウトアプリを使って、印刷して捺印したものをスキャンしてスマホにデータ保存した。
原稿は朝起きてから見直してから提出するので、とりあえず寝ることにした。最近、本は買ってはいるけど、前みたいに集中ができないから読めない。仕事の資料は読まないとしょうがないのもあるけど、たぶん今長編の小説への集中力がまるでなくなっている。でも、出ていたら買う。買わないと新刊はすぐに店頭から消えてしまう。

 

2月15日
起きてから昨日書いたBOOKSTAND映画部!で月に一回連載している「予告編妄想かわら版」の原稿を読み返して、それぞれの予告編をもう一度見直してから加筆修正。昨日作っておいた請求書にハンコを押したものをスキャンして原稿と一緒に担当の人に送付。
リモートワークをいつも通り開始して、深夜に放送した『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら作業した。
佐久間さんの後輩のディレクターとその元カノ話のエピソードについてのフリートーク。去年11月に別れたのに何度も会っている二人、その元カノが佐久間さんと後輩が飲んでいるところにやってくる。佐久間さんにその元カノがなにか相談があると後輩が言うので、帰りたいけど帰れなくなってしまう。やってきた元カノはこの人とこうやって会うのは止めたほうがいいでしょうかと佐久間さんに相談するというものだった。後輩のキャラもいいけど、だから別れることになったんだなってわかる二人の関係性の話が相談でも出てきたりして、なんかすごく人間くさい、めっちゃヒューマンだなって思うエピソード話だった。人間ってわがままで矛盾してるもんな、他人事だからちょっと微笑ましくもあった。



仕事が終わってから、三階のトワイライライトで本日発売の『MONKEY』を購入してから二階のニコラへ。マスカルポーネチーズをたくさん使ったティラミスとアルヴァーブレンドをいただく。甘すぎないけど程よい甘さのティラミスと深煎りのアルヴァーがよく合った。
今回の『MONKEY』はいつも楽しみな古川さんの連載『百の耳の都市』だけでなく、柴田元幸訳のフィリップ・K・ディック『プリザビング・マシン』が掲載されているので気になっていた。
柴田さんがディックを訳したのを他では読んだり見た記憶がないから新鮮だし、ディック作品は好きで読んでいるけど、このタイトルはピンとこなかったからどんな短編かなと思っていた。ある機械(プリザビング・マシン)に楽譜を入れると動物や昆虫が出てくるという話で、最終的にはその楽譜から生まれた特殊な生き物たちが自然に順応したり死んだりするけど、主人公たちが最後にそれを機械に戻したらどんな楽譜になるかみたいなSFぽい話、たぶん、ディックの代表作の一つである『ユービック』に近い想像力で書かれているんじゃないかな。あれはずっとものが退化していくというか時代を遡っていくものだけど、近いものは感じた。
明日から確定申告始まるし、今回の分で友達のことと「赤えんぴつ in 武道館」についても書けたから2月後半に入ったら気持ちも徐々に変わっていくかな。

今回はこの曲でおわかれです。
バナナマン−フォークデュオ・赤えんぴつ「誕生花」