Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年11月1日〜2023年11月15日)

10月下旬の日記(2023年10月16日から10月31日分)


11月1日
日付が変わって11月に、前の月の下旬の日記をはてブにアップして、noteに半年前の日記をそのままアップしてから寝る。寝つきが悪いのか、二時間ぐらいすると目が覚めてスマホをちょっと見て寝るというのを繰り返した。


7時過ぎに目が覚めたけど、朝活がてら読書をした。長嶋有著『トゥデイズ』は数日前の発売した時に買っていたが冒頭を少しだけ読んだ程度だった。
長嶋作品は不思議なテンポとおだやかさ、その中に日常の機微というか着眼点のリアリティがある。読んでいると書かれている世界に同化しやすいというか、主人公たちに寄り添える感じがして、そこが特異だし長嶋作品の素晴らしいところだと思う。

リモートワークを開始。水曜日はいつも火曜深夜にやっているラジオをradikoで聴きながら作業をしているのだけど、「オールナイトニッポン」シリーズというか、星野源さんが体調不良で休養、あのちゃんはアメリカライブ帰りからのヤバTとの対バンなどのスケジュールの都合でお休みだった。いつものお楽しみ二番組がなかったのでとてもさみしかった。代わりの番組も放送されていたが、正直興味が沸かないので聴かなかった。Spotifyで『83 Lightning Catapult』の最新回を聴き忘れていることに気づいたのでそちらを聴いてちょっと補完する形にした。


休憩中に散歩がてら駅前に行って気になっていた書籍が出ていないか確認したが見当たらなかった。残念。帰ってからこちらも先月末に買って読んでいなかった竹屋まり子著『あくたの死に際』を読んだ。
サラリーマンだった主人公の黒田がオーバーワークというか、急に会社に行けなくなってしまい、かつて大学の文芸部時代の後輩で今や売れっ子の小説家になった黄泉野と再会し再び小説を書き始めるという内容。
出版業界ものなので興味もあるし、どういうふうに展開していくのか、タイトルにもあるけど「芥川龍之介賞」を取るということが目標になるだろうから、純文学を黒田は書いていくということになると思うので、どういう風に物語を紡いでいくのか続きを期待したい。


仕事終わってからニコラで猪の赤ワイン煮込み、なると金時のスパゲティと赤ワイン(CHANTI)をいただく。毎年この時期には猪のこの料理をいただいている。
たぶん四年連続ぐらいかな、ジビエというのは獣という感じが濃厚ですごく血になっていく感じがして体がホカホカしてくる。赤ワインとも非常によく合ってとても美味しかった。美味しいものを食べていい月初スタートにしようと思ったので、これで大丈夫。

Deepest Impact - KAKATO(環ROY×鎮座DOPENESS


月曜日の『空気階段の踊り場』で鈴木もぐらがかけた曲。
環ROY鎮座DOPENESSも好きだけど、Dragon Ashの『Deep Impact』を元ネタにした曲は正直知らなかった。二人の音源も出して欲しいしライブも東京でまたしてほしい。

 

11月2日
明日が文化の日で祝日なため、普段は休みな木曜日だが仕事。
リモートワークするまでは朝活がてらミシェル・ウエルベック著『滅ぼす』上巻と古川日出男著『の、すべて』の続きを読んだ。
リモートワークは急ぎの仕事はないので平常運転。昨日深夜のラジオだと『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』ぐらいしか朝に聞くものがなかった、僕が普段聴いているものはないので聴き終えてからはBGMがてらTVerで『あちこちオードリー』『上田と女が吠える夜』『かまいガチ』を流した。
昨日の夜に来週飲みにいく予定の友人にお店なんかどうするかというラインを送った時に、行ったこともなくて食べたこともない国の料理とか彼の住むエリアにあったりするかなと聞いて送られてきたお店がシリア料理のお店だった。ちょうどその時にTVerで見ていた『ラヴィット!』の内容が、見取り図がいろんな国の料理を食べにいくという毎週やっている企画だったのだが彼らが行った店が友人が教えてくれたそのシリア料理の店だった。これはご縁があるのでは?と思ったのだけど、テレビに出たらしばらくは混むかもしれないから年明けにそこは行こうかなと話をした。


休憩中に本日から小山義人さんの個展『HAPPINESS vs VIOLENCE』が始まったのでトワイライライトへ。
明日のトークイベントにも行くつもりだけど、のんびりと先に見ておこうと思った。絵にインパクトもあるし、小山さんだってパッと見てわかるというのはすごいなって思うし、作家性だよなって思う。


東京国際映画祭で『哀れなるものたち』観に行ったらいつも試写状を送ってくださる宣伝会社の方がいたなあ、と思ってたんだけど、今作のパブリシティ担当だったみたいで試写状送ってもらったのが届いた。
映画祭は海外の方がかなりいたのもあって、性的なことに関するシーンでは皮肉が効きまくっていて大爆笑が何度か起きていた。感想のひとつに『バービー』でわたしたちが観たかったのはこれだというものがあったんだけど、それはよくわかる気がする。
これからのマスコミ試写や一般公開されて、海外の映画好きが観るからその辺りは通じるとは思う。劇場がどんな雰囲気になるかはたのしみ。笑う人が多いと劇場もかなり笑う人が増えるんだろうけど、その時の客層次第かも。


夕方に少し用事があったので外に出た時に寒すぎず暑すぎずでちょうどいい気温だった。リモートワークが終わってからは来週火曜日に提出予定のライティング作業を開始。
明日からの三連休はわりと予定をいれてしまったので、できるだけ早めに終わらしたい、というか終わらせないと詰まってくるものもあるし、いい加減に手をつけないといけないものをやらないといけない。

 

11月3日

7時過ぎに起きてから8時半ぐらいまでダラダラして家を出た。日差しが強くて11月の午前中にしては暑いと思える気温だった。
TOHOシネマズ渋谷で本日より公開の山崎貴監督『ゴジラ-1.0』を鑑賞。事前に試写を見ていた知り合いの人たちが思いのほか褒めていたので気になっていた作品。その人たちが山崎貴監督作品を評価していそうにない人たちだったこともあり、かなり出来がいいのだろうなと思えたのも大きかった。
初日の最初の回だったのでほぼ満席だった。親子連れもいたし海外の人もいたし、世代も特に偏った印象はなくて若い世代が観に来ていた印象だった。

日本が生んだ特撮怪獣映画の金字塔「ゴジラ」の生誕70周年記念作品で、日本で製作された実写のゴジラ映画としては通算30作目。「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズをはじめ「永遠の0」「寄生獣」など数々の話題作を生み出してきたヒットメーカーの山崎貴が監督・脚本・VFXを手がけた。

タイトルの「−1.0」の読みは「マイナスワン」。舞台は戦後の日本。戦争によって焦土と化し、なにもかもを失い文字通り「無(ゼロ)」になったこの国に、追い打ちをかけるように突如ゴジラが出現する。ゴジラはその圧倒的な力で日本を「負(マイナス)」へと叩き落とす。戦争を生き延びた名もなき人々は、ゴジラに対して生きて抗う術を探っていく。

主演を神木隆之介、ヒロイン役を浜辺美波が務め、2023年4~9月に放送されたNHK連続テレビ小説「らんまん」でも夫婦役を演じて話題を集めた2人が共演。戦争から生還するも両親を失った主人公の敷島浩一を神木、焼け野原の戦後日本をひとり強く生きるなかで敷島と出会う大石典子を浜辺が演じる。そのほか山田裕貴青木崇高吉岡秀隆安藤サクラ佐々木蔵之介と実力派豪華キャストが共演。(映画.comより)

ちゃんと『永遠の0』の反省が活きているなと感じる部分がかなりあった。第二次世界大戦で生き延びた者たちの物語。
敗戦の理由をちゃんと語ってたし、兵士たちは実際には病死や飢餓でたくさん死んだし、命を捨てろという命令(空気)に従った。そもそも勝てないことはわかっていたが止められずに原爆が投下されたが、軍の上の者たちは責任を取らなかった。
アメリカの傀儡になることで東京プリズンから出してもらったA級戦犯容疑の岸信介が首相になり、その孫が安倍晋三だったわけで与党がアメリカの意向に反することはない。ジャブジャブと兵器を買わされる。
アメリカの庇護の下で本音と建前を使い分けてきた中で経済成長してきたのが日本。でアベノミクスで失われた30年の責任も取らずにさらに致命的なダメージを与えた。
本音と建前というネジレとともに育ったのが日本のサブカルチャーゴジラは出自から政治性からは逃れられない。
今回は特攻隊を美化することに加担した『永遠の0』でやらかしたことにフォーカスしてやり直していると思えた。「生きろ」というメッセージは伝わったし作品としてちゃんと作られていた。

シン・ゴジラ』の成功が鍵だった? 『ゴジラ-1.0』が良い映画になった2つの理由【宇野維正のMOVIE DRIVER】 


宇野さんが言われているように主人公の敷島と一緒に住んでいる典子ってわりと時間が経過しても寝室別なの?で僕も驚いた。戦争から逃げ出したという負い目がある敷島は悪夢を毎晩見ている、おそらく典子とも性的な関係を結べない不能になっているという設定なのだろう。そして、銀座を蹂躙したゴジラの全能感と光線のような放射は射精のメタファという対比に見える。敷島はその後あることもあって立ち上がってゴジラを仕留めて自分の戦争を終わらせようと動き出して物語はクライマックスに向かっていくというものになっている。
震災孤児の親(父)になるっていうのは『トップガン マーヴェリック』『カモン カモン』にも繋がる父になることを選ばなかった男性がどう父性を身につけるかっていう現代的なものもあったような気がする。焼け野原になった戦後の日本と現在の日本を多分重ね合わせてもいるだろうし、物語としてもわかりやすいし、感動もしやすいのでけっこうヒットするんじゃないかなって思う。


帰ってから来週〆切のライティングの作業の続きを少し進めてからトワイライライトで昨日から始まった小山義人 個展『HAPPINESS vs VIOLENCE』を記念した小山義人+坂内拓+横山雄トーク『全然違う絵』を観にいく。
イラストを描いている三人それぞれが何で描くか、何を使うか、身体性と作られるもの(サイズ)はどう関わっているのかという話もよかったし、三人だからこその間とか醸し出す雰囲気があってよいトークになっていた。
僕は絵とかまったく描かないけど、世界堂に行って絵の具とかを買う時に色によって値段が違うとか蛍光色は普通のよりも価格が高いからあまり使わないようにしているという話が小山さんからあって、彼の絵ではその蛍光色がインパクトあるのだけど、多く使っていない理由とかを聞いてみるとパソコンでソフトやアプリケーションを使ってイラストを描くのと実際にアナログで絵の具を使うことでは、そういう色の配色や使う量も物理的なものも含めて変わるんだなっていうのは新鮮というか、あまり考えたことがなかったのでおもしろかった。
トークイベントが終わって三階のトワイライライトから二階のニコラへ移動。普段ランチに行く友達と久しぶりに会ってお茶する約束をしていたのでそこから長い時間込み入った話もできた。全部含めて文化の日だなって一日だった。

 

11月4日
8時過ぎに目が覚めてから朝風呂に入ってのんびり。今日は家で作業するので午前中に散歩に行こうと思って代官山蔦屋書店まで歩いていく。気温は温かくて11月ぽくなさすぎる。Tシャツだと寒いかなって思ってカーディフガンを羽織っていたらだいぶ汗をかいた。
radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』をお供に歩いた。たいてい外を歩く時にスマホで聴いて、家でPCでも聴くので大抵最新回は二回聴いている。
バチボコプレミアムリスナーのファンクラブの方ではアーカイブで過去の放送分を一番古いものから聴いているが今は2017年10月に突入している。カーソルで時期を指定してアーカイブを選択して放送したものを聴けるようになっているが、2017年10月から12月は現在二つしかなく、この次の時期は2021年3月から6月に飛んでいて(そこから現在まではある)、その間はまだアーカーブが上がっていない。一気にアップして聴かれてファンクラブ解除をされるのを防ぐためなのかもしれないけど、三四郎のリスナーは何回も同じものを聴く人たちではあると思うからそこは気にしなくてもいいのかなと個人的には思う。
代官山蔦屋書店に着いたが特に気になるものがなかったので来た道を戻って帰りに昼ごはんの具材を買おうと思ったので246沿いを歩いて帰っている時に池尻大橋駅のところにあるあおい書店にも顔を出したら新刊で古川日出男著『平家物語 2』文庫版があったので購入した。今回の装幀イラストは平清盛だった。

家に帰って昼ごはんを食べたからちょっと昼寝をしてから夕方から作業を開始。とりあえず、明日で提出分は終わりそうなので問題なければいつもより早めに提出できそう。

 

11月5日
目が覚めて喉にちょっと違和感、イガイガする感じがした。
僕は風邪をひき始める時はたいて喉からくるので、やばい久しぶりに風邪をひくかもしれない。火曜日が健康診断だから熱とか出ないでほしい。実施日を延長したりするのはめんどくさい。
ひとまず作業の続きを開始。火曜日に提出する予定のライティング作業だが、思いのほか進まない。いつもよりも文量があるわけではないが、入り組んでいる構造のところなので他の部分も見ながら調節していくとけっこう神経を使うし、どうしても時間がかかってしまう。
夕方に家を出て渋谷方面へ。道玄坂ユニクロのところから地下に入ろうと思っていたが、三連休の最終日で人がたくさんいていつもよりも混み合っていた。

新宿三丁目駅で降りてから歌舞伎町へ向かった。TOHOシネマズ新宿の前のところに警察官が何人かいて、植えられている樹の周りがバリケードというかテープで柵が作られていた。ケンカでもなにかあったのかなと思って通り過ぎる。帰ってからそこはどうやら飛び降り自殺したところらしく、血らしくものはちょっとあった気がするものの、TOHOシネマズが入っているビルって上の方から飛び降りられるものなのだろうか、そして下に誰かがいたら巻き込まれて死んでしまう可能性もあるし、繁華街で賑わっているところに自殺した人が急に降ってきたら大騒ぎになったんじゃないかなと思うのだけど、どうだろう?

名前だけは聞いていた新宿に新しくできたカブキタワーへ。なんか建物の一階部分みたいなところがステージになっていてK-POPのライブみたいなものをやっていた。目の前の広場、あれがトー横だっけ?そこにたくさんの観客がいた。
僕の目的地はそこの地下にできたZepp Shinjukuだった。ご縁もあって「cinema staff debut 15th Anniversary Japan Tour 2023 “We are Phenomenal”」にご招待してもらった。彼らがメジャーデビューした頃にアルバムの二枚目ぐらいは普通に聴いていた。ライブは観たことがなかったので、初cinema staff&初Zepp Shinjukuとなった。


キャパが1500人ぐらいで二階席もあった。ゲストで入ろうとする時に二階でも一階でもどちらで観ても大丈夫です、と言われたので初めての箱だし一階のスタンディングで観ることにした。
僕はPA卓の前のところに陣取って、そこが一番低いところで段差があって後ろの方も多少見やすくなっている作りみたいだった。
二階席の前に突き出ている側面部分もモニターになっていて、ライブが始めるとスクリーンの映像とあったものが流れるようになっていた。
かつて残響レコードのレーベルに所属していたのがわかる轟音感もあったし、ゼロ年代初頭のUKプロジェクトあたりのインディーロックとかを彼らも聴いていたんじゃないかなと思える音が鳴っていた。どこか懐かしくもあったが演奏に勢いもあったし、音源で聴いているとちょっとおとなしい感じを受けていたが、ライブバンドとして荒々しくもあるが全体的には調和があってカッコよかった。
MCがメンバーそれぞれにこの15年について自分の言葉でしっかりとファンに話しかけているのもすごく好感が持てた。
来年は八週間連続でLIQUIDROOMにて対バンライブをやったり、地元の岐阜で自分たちが主催する『オオパーツ 2024』を開始するなど精力的に活動するみたい。LIQUIDROOMには今度は自腹で観に行こうと思った。

cinema staff - 陸の孤島 



二階席にいたらご挨拶できたっぽいのだが、一階から二階へどういくかわからないので、流れに逆らわずに歩いていたら外に出てしまった。
新宿三丁目駅まで戻って中目黒駅まで乗った。中目黒から歩いて帰っても渋谷から歩いて帰ってもさほど違いはない。喉の痛みはさほどライブ中も感じなかったが家に帰ってから思いのほか疲れているのがわかったのでそのままシャワーも浴びずに寝た。

 

11月6日
起きるとちょっと体がダルい。熱は測ったが36℃ちょっとだった。風邪の引き始めなのだろうなと思うとちょっとやる気ができない。
コロナパンデミックが猛威を奮っていた時期も扁桃腺が腫れて高熱が出たことが二回あったけど、風邪やインフルにはなっていなかった。今年はインフルが流行するとは聞いていたが、ワクチンは接種していないのでそちらは不安だったけど、普通に風邪をひき始めているっぽい。
とりあえず、リモートワークだったので、昼前に薬を買ってきたのを飲んでからちょっと仮眠をする。午後にちょっと熱が出始めたけど、夜にはほとんど下がっていた。問題は喉がまだちょっと痛いことで、咳が出るようになるとしんどいのでこのまま治ってほしい。


昨日帰ったら届いていた『エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論』を読み始めたら最後まで一気に読み切ってしまった。先月末に発売したのにどこの書店でもまったく見かけずに、諦めてアマゾンで頼んだらすぐ来たので、ちょっとモヤモヤするが。
90年代やゼロ年代サブカル史における単館系やB級やZ級映画のこと、それらにまつわる当時の人たちと「おもしろい人だよ」と言われていた叶井さんとの関係性がよくわかる一冊。
むちゃくちゃな人でおもしろがられていた人だけど、対談の中では宣伝の人としてちゃんと電話やメールで〆切とかリマインドもしているし、一人で売上の配分とかもしていたわけだし、仕事量は凄まじいものだったんだろう。それを平気な顔してやっておきながらバイタリティがあるから人とどんどん会って呑んで、女性と関係持ちまくって、という破天荒だった人。余命半年って言われても落ち込んだり、あわあわしないのはやりたいことをやってきていたから、死ぬ時は死ぬし、成功率もほとんどないなら延命治療もしませんって感じになっていた。こういう人なんだろうなっていう。亡くなったらすぐに彼の人生を映画とかドラマでやりそうだよね。

今年のMATSURI SESSIONでも今年中にニューアルバムを出したいと向井さんが言われていたが、今年には間に合わなかったけど来年一月に12年ぶりに発売が決定した。めでたいね。今月豊洲ピットにライブにいくけど、このニューアルバムがメインになるんだろうね。
僕がZAZEN BOYSのライブに行き出した頃に前作『すとーりーず』がリリースされて、立川志らく師匠との対バンとか観に行っているので、この12年はひたすら既存の曲をねりにねりまくって、ねりねりとまくりあがって、ねりねりと昇り龍状態だったので音源で聴いていたものよりもすごい音になってしまっていた。今後は『らんど』の曲がそうなっていくはずだ。

 

11月7日
寝る前に37℃台だったので、健康診断難しいかなって思っていたが起きてから熱を測ったら38℃台だった。こりゃ無理だ。と思ってまずは健康診断のキャンセルと日程変更をお願いしようと思ったが、電話が8時半から受付だったのでそれまで横になりつつ、『週刊ダウ通信』の永野さんゲスト回をうたた寝しながら3回ほど繰り返して見ていた。
永野さんと蓮見さんの相性の良さは前回でもわかったが、今回もそれがわかるやりとりが何度もあった。来週にはダウ90000の単独ライブに行くので楽しみ。
8時半に健康診断を受けに行くところに電話をして本日のキャンセルと日程変更をしてもらった。
そのまま近くの風邪とか引いたら健診を受ける内科へ。普段平熱が低いのもあって38℃というのはちょっと怖い。インフルエンザも大流行しているというし、コロナに感染もありえるし、ということで診てもらうことにした。今週中に出かける時に人に迷惑をかけてしまう可能性もあるので、今の状態が風邪なのかインフルエンザなのかコロナなのかを知っておかないといけなかった。
待ち時間もなくすぐに診てもらったが、今は熱がある人は普通の患者さんとは違う動線じゃないとダメと都から言われているというので、いつもとは違う場所で待って、そこで先生に診てもらってから検査キットで鼻の奥に棒をつっこまれて結果が出るまで待った。
一本だけ青い横線が入っていて陰性という結果で、インフルでもコロナでもなかった。ちょっと一安心。
扁桃腺が腫れやすくて、高熱が出ることがあるのだけど、いつも診てもらっている先生なので、早めに治るように抗生物質も出してもらった。
処方箋をもらってから薬局で薬を出してもらって、今日はこのまま家にずっといることになるので帰りにスーパーで食べ物や飲み物を買った。


書店に寄った時に目に入った小池真理子選『精選女性随筆集 向田邦子』を購入。向田さんの作品は好きだし、選集というのもいいなと思った。


前にニコラの曽根さんに寺山修司の競馬エッセイをオススメしてもらって借りて読んでいた。河出から競馬エッセイである寺山修司著『旅路の果て』が文庫になるので読もうと思って買っていたものだが、家で安静にしていないといけないので色々と読書していてこちらも少し読み進めた。
買う時にも思ったけど、帯が『ウマ娘』で推したいのも時代的にはわからんではない。だけど、寺山が書いたアウトサイダー的なもの、社会から落ちこぼれてしまったものたちが競馬に託した気持ちとか愛憎とかって、『ウマ娘』ユーザーに引っ掛かるかなとちょっと疑問。でも、『ウマ娘』の帯をつければ出せるってことなのかもしれない。文化を舐めんなよとは思うが、それがそもそも文化ってもんなのかもしれない。

昼過ぎにご飯を食べてから出してもらった薬と抗生物質を飲んだらかなり体がラクになった。普段の70%ぐらい、だけど、まだ時折咳が出るし、鼻水も治りかけの風邪の時のねばっと粘液っぽい感じなのでもう少しかかりそう。
健康診断を変更したので、その時にはもう風邪は引きたくないので気をつけないといけないなと思う。家にいると来年のことに関するとあることのお誘いとライティング作業に関するメールが来て、休んでるタイミングでこういうのが来るのがおもしろかった。

 

11月8日
寝てすぐの深夜1時3分に目が覚めた。起きてすぐに目覚ましで時刻を確認した。
夢の中で僕は外から帰ってきて寝ようとしていた。そこにはすでに誰か一人寝ていた。何人かが雑魚寝するような部屋だった。寝ようとすると僕のスマホが急に鳴り出した。なにかのスマホゲームが始まっていた。音を下げようとしてもなぜか下がらない。寝ている人のスマホも同様に鳴っている。聞こえてくる音声は同じゲームをしていると感じられるものだった。おそらく同じゲームであろうということがわかった。その人はまったく起きない。どうなってるんだと僕が戸惑っていると誰かがやってきた。男性だ。モデルっぽい長身の執事のコスプレをしているような風貌だ。彼にこのことを伝えようとする。こんなゲームは入れた記憶もない、と告げる。彼からある女性の名前を言われて、そういえば彼女が昔プレイしていたような気がした。だが、その子はもういなくて、どこにいったのかもわからなくなってしまった人だった。気まぐれですからとその男が言う。ゲームは終わって音は鳴り止む、男が出ていった。すると祖母と母がやってきて、その部屋で雑魚寝をすることになって、二人に挟まれて僕は寝付く、そして現実の世界で目が覚めた。祖母と母が夢に出てくることはないのでちょっと心配になって時計を見た。でも、すぐに次の眠りに入った。メモとして書いたものを書き写した。

起きてから昨日病院で出してもらった処方箋の薬を飲んだ。だいぶ治ってきた感じもあって、微熱はあるもののいつもの生活に支障はないぐらいに復活している。時折咳き込んだりしてしまうが、痰が絡むのでそれが終われば治るはず。
リモートワークは急ぎの仕事があまりないので助かった。いつもの通常運転でなんとかなった。
前日の『あののオールナイトニッポン0』の二回目を聴いてから、『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を作業用BGMがてら流した。あのちゃんの方では髭の『MR.アメリカ』が流されていて、すごい懐かしい気持ちになった。やっぱり髭とつくバンドはOfficial髭男dismではなく僕には「髭」だと思った。

髭(HiGE)「ロックンロールと五人の囚人」 Official Music Video




作業中に岩井俊二著『キリエのうた・檸檬色の夢』愛蔵版が届いた。
文春文庫版は購入していたんだけど、やっぱり装丁にこだわった特別仕様がどんなものなのか手に取ってみたかった。ズシリと重い、まさに貯蔵するみたいな感じの一冊。これからこういう限定発売する愛蔵版って増えると思っていたので、岩井さんのものなら買ってみようかなと。
愛蔵版も文藝春秋から出されてはいるが、岩井さんのオフィシャルサイト「円都市場」でのみ購入ができるものとなっている。

書籍自体もどんどん価格帯も上がってきている(紙代とか輸送費とかもろもろ複合的に上がってる)ので、昔だったら手に取って500円台ぐらいかなという文庫版が800円台とかも増えてきた。
もちろん刷り数が単価に反映するので、刷り数が少なければさらに単価は上がる。書店に行って例えば、東野圭吾伊坂幸太郎の新刊がわりと太くても1500円台だったりする時に、すげえ刷ってるんだな(売れる作家はそうだよな)といつも思う。もちろん、そういうものがないと困るわけだが。
紙の本自体は値段が上がっていくし、というか日本人の所得がずっと上がってねえからより強く感じてるんだけどね! でも自民党公明党にずっと投票してきた人たちやそもそも投票にすら行かなかった人たちは、本(じゃなくても物価が)高くなったとか文句言うなよとは思いはするが、これはもう止まらないので、一部のものが紙の本にはなるけど、部数はどうしても減るし単価はさらに上がるんだろうなと思う。そういう時にネームバリューのある作家さんとかはこういう愛蔵版みたいなものを限定数で出すことで装丁とかにこだわったものを出すっていうのはファンビジネスとしても増えるだろうなと思っていた。
というか近代的な出版ビジネスが昔の形に戻るんだろう。
単価の高い愛蔵版のようなものと、商業出版というよりはセルフィーな自主出版なインディーのものへ。一番いいのは価格帯もグラデーションがちゃんとあることだけど、それが中間層が消えた世界では一番難しいのかもしれない。

出版に関係のない個人的なことを言えば、『if もしも』の一作で放送された岩井俊二監督のドラマ『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』をリアルタイムで見た。たぶん野球中継が台風かなにかで飛んで、一週繰り上げになったはずだ。そして、その作品は当時の僕と同学年の子供たちが主人公だったし、設定上でもそうだった。
奥菜恵が神だったプールサイドのシーンとか、その前の世代における『台風クラブ』の影響とかがあるんだろうけど、僕らやその下の世代がいろんなメディアの作品でプールサイドの場面描きがちなのは『打ち上げ花火〜』の影響だと思う。書いている時は気づかなかったけど、ノベライズ『リアル鬼ごっこJK』の終盤がプールサイドなのはたぶんその無意識の反映だと思う。
もちろん、当時は岩井俊二監督のことは知らなかった。高校時代に認識するようになってから、レンタルビデオ屋で『PiCNiC』や『スワロウテイル』を借りて見ていたので、早い時期に作家と作品が一致していた映像作家だった。
映画学校を出てシナリオスクールに通っていた頃に岩井さん主宰の「プレイワークス」にシナリオを応募して一応何作かのひとつに選ばれ。映像化に向けて開発を少ししたが当時の僕はダメダメすぎて諦めた。でも、僕の書いたもので応募とかして一応上に進んだのはそれがはじめてだったしうれしかった。
岩井さんとは震災後になってからトークイベントに行った時にご挨拶してようやくお会いすることができるのだけど、作品をずっと観てきた。
僕が最初に商業誌に書かせてもらったのが『音楽誌が書かないJ-POP批評』のコブクロ編の冒頭の掌編だった。これも『文化系トークラジオLife』の見学に行った時に一緒になった編集者さんと渋谷まで一緒に帰った時に話していたら、彼が岩井さんの大ファンだったということがわかって、「プレイワークス」にいたと話したら、掌編を書きませんかとお声がけしてもらったことがきっかけだった。
僕が文章でちょっと認められたり、きっかけになる場所にいたのが岩井さんだったりするというのは僕の中ではデカい。
今回の愛蔵版はすべての本に名入れが入るんだけど、僕の名前で「さま」とか「さん」とかではなく、「くん」というのは岩井さんが認識はしてくれているってことなのかってちょっと思った。違うかも知んないけど。

 

11月9日
木曜日は急ぎの仕事がなければ基本的には休みにしていて、一件午前中にオンランミーティングをしたけど、夕方過ぎまで寝転んで同時に読んでいる何冊かの書籍をちょっとずつ読み進めたり、薬を飲んだら昼寝をしたりして休養みたいにしていた。


18時前にニコラに行ってガトーショコラとアルヴァーブレンドをいただく。18時半ぐらいにはお店を出てそのまま家に帰らずに歩いて代官山方面へ。


散歩コースの代官山蔦屋を通り越して恵比寿駅の方へ。いつも恵比寿に来るとこの神社に寄ってお参りをするのが恒例になっている。
親友のイゴっちとご飯&飲みだったので20時にhakoniwaという一緒に何度も行っているダイニングバーで集合して飲んだり食べたり話したりして、お店を出たのは深夜の2時半過ぎていて、一時間ほど歩いて帰った。

 

11月10日
4時前には寝て、というかずっとビールを飲んでいたのでほぼ気絶に近い感じでベッドに入ってすぐにドロン。8時過ぎに目覚ましをセットはしていたので起きてからポカリをたくさん飲んで、吐くほどではなかったけどちょっと気持ちが悪かったがリモートワークを開始。
前々日に健康診断に行く予定だったので有給を使おうとしていて申請を出していたが、健康診断はみなし労働扱いになるらしく、有給使う必要がなかった。とりあえず、月末に健康診断の日程をスライドしてもらったので、申請した有給申請を取り消してもらった。せっかくだから今月別のところで有給使おうと思ってこちらも月末に使わせてもらうことになった。

あっという間に師走になってしまう。今年もあと七週間ぐらいしかない。来年のこともちょっとはしていっているけど、具体的にもう少し違う仕事でもいいから増やしたいなと思いつつ、週三でやってるリモートワークのほうで年末調整申請書を出した。その時に今年の収入とか記入したのでそういうことを思ったりしたのだけど。
インボイスはそもそも反対だしやるつもりもないけど、財務大臣がやっている会社が税金滞納を四回して差押になってたとか、すごいよね。なんでそんなやつらにインボイスとか強制されねえといけないのか、普通に辞任しかねえし、更迭すべきだけど、自分からやめねえし説明もしねえし、総理大臣はすぐに首にもしない、ほんとうにこんなのが政治家って笑えてくる。責任を取る政治家って絶滅したのかな。真面目にやっている人バカバカしいよ、でも、こんな人たちが大臣だったり政権与党でずっといるのは当然ながら僕ら国民の責任だということ、いやあ、次の選挙で自民党公明党の数が減ったからまともになるわけでもないだろうなとは思うけど、それでもその数だけは減らさないとどうにもならない。


休憩中に前に買っていた伊藤潤一郎著『「誰でもよいあなた」へ 投壜通信』をちょっと読み始めてみる。なんとなく読み感が前に読んだ『まとまらない言葉を生きる』に近いのかな。

だいたい会議というものは、何かを発想しているような体裁をとりながら、じつは「すでにあるスタイル」のどれを選ぶか、程度に終始している。要するに既存のスタイルをあっちから、こっちから拾ってきて、ひとまず検討して、そんでペーストしている。そういう作業だったら、私は、3分で終わる。なんで会議をするのだ? 問題は、オリジナルなスタイルを創出するのがどれほど困難かということで、それは1時間の会議では無理で、数十日ずっと呻吟することが要るということで、つまり会議では達成できないということで、たぶん「そんなふうなスタイルの創出は、その内容の創出とパラレルでもある」との真理だ。つまりコンテンツに傾注する必要がある。そしてコンテンツというのは、誰かがパパッと発言して埋まる、ということはない。ずっと書きつづけたり、ずっと書きつづけて捨てたり、ずっと書きつづけて捨てて改稿に改稿を重ねて、でもゲラ(刷り出し)も真っ赤にして捨てて、それから、みたいなところからしか埋まらない。

古川日出男の現在地「あと3週間」

古川さんブログが更新されていた。そう、たしかになにかを、自分でオリジナルなことをするために、作ろうとするのは会議とかではなく一人でうんうんと唸りながら、そのことについてずっと考える時間がいる。そのために自分が入れているスケジュールを動かしたくなかったり、増やしたくない、散歩するのも僕にとってはそういう時間だったりするから、仕事してないと思われるんだろうけど、そういう時間がないとやっぱりアイデアはでてこない。
土日でずっと出しそびれているライティング作業をとりあえず終わらして、というか先方に見せられる形にしてから、次の展開になるんだろうけど、これもいろんな事情があったけど、考える時間はほしかったし、どういうものにしてほしいと言われてもそれに自分がうまく重なるというか合うまでの時間が思いのほかかかっているということなのだけど、言い訳か。
でも、そういうことはあって、せめて明確な〆切とか作業に対しての対価とかなかったらそりゃあ急がないし、フォーカス合わないよなって思う。このことって正社員というかサラリーを毎月決まってもらっている人たちってあんまりわからない、わかろうとしない部分かなって思わなくもない。

 

11月11日
風邪は完治までいかないがほぼ治ってきた感じではあるものの、一回咳き込むと連続で咳が出てしまって辛いことがまだある。起きてから8時過ぎまで横になってダラダラとしていた。
今やっているライティング作業のひとつの12月以降の話を編集者の人と少しした。
春先までは基本的には自分の作品にも集中できそうだし、伸び伸びになっている仕事の方を終わらせにいかないといけない時期になりそうだなと思った。
スケジュールも3月末ぐらいまで修正して組み直したりしてから、土日で終わらす作業の資料を読んだ。


13時過ぎに家を出て、radikoの『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながら渋谷へ。バチボコプレアムリスナー限定のバスツアーのことを三四郎の二人が話していた。僕は抽選で外れてしまったのでちょっと悔しさはあった。彼らの長年のリスナーがちゃんと教育されている感じも話にでていたりして、当たっててもその雰囲気に飲まれるというか楽しめなかったかもしれないと思ったりもした。バスツアーの次はないかもしれないけど、ラジオのイベントをしてほしい、それならぜひ行きたい。
渋谷は週末ということもあって人手がすごかった。PARCO渋谷もゲーム関連のフロアは海外の人も多いし、わんさかしていた。
ホワイトシネクイントでマーティン・スコセッシ監督『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』を鑑賞。上映時間が約3時間半という長尺。映画館じゃないと僕の集中力は持たないと思ったので劇場で。お客さんはわりと入っていた。

マーティン・スコセッシ監督がレオナルド・ディカプリオロバート・デ・ニーロジェシー・プレモンス、リリー・グラッドストーンら豪華キャストを迎え、実話を基に描いた西部劇サスペンス。

1920年代、オクラホマ州オーセージ郡。先住民であるオーセージ族は、石油の発掘によって一夜にして莫大な富を得た。その財産に目をつけた白人たちは彼らを巧みに操り、脅し、ついには殺人にまで手を染める。

ジャーナリストのデビッド・グランがアメリカ先住民連続殺人事件について描いたベストセラーノンフィクション「花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」を原作に、「フォレスト・ガンプ 一期一会」などの脚本家エリック・ロスとスコセッシ監督が共同脚本を手がけた。(映画.comより)

主人公である白人のアーネスト(ディカプリオ)と結婚することになるモーリー(リリー・グラッドストーン)はオーセージ族の富豪ともいえる一族の女性であり、アーネストの伯父で「キング」と呼ばれているヘイル(ロバート・デ・ニーロ)はオーセージ族と長年信頼関係を築いていた裏では彼らを全員亡き者にしてその莫大な金や石油の利権を白人のものにしようとしていた。
モーリーの母や姉妹たちはキングたちの工作などによってどんどん死んでいってしまう。それにアーネストも加担していってしまう。オーセージ族の登場人物がどんどん死んでしまうし、葬式のシーンが何度もあるという映画だが、これが実話を元にしていることもあって、権力を持っている人間が町やある一部の地域を支配していくとこういうことができるんだなと感心すらする。
FBIの誕生の直接のきっかけかどうかはよくわからないが、発足したばかりのFBIの捜査官がキングやアーネストの前に現れて、彼らが今までやってきたことを次第に暴いていくことになる。
3時間半は確かに長い。だけど観てはいられるものの、観客に集中力や物語への没入なんかをかなり強いる作品だと思う。禁酒法時代が舞台だったりするので最低限時代背景とかわかってないとなにも頭に入ってこないかもしれない。
最後の方でスコセッシ自身が自分たち白人が加害者であるということを強く訴えようとしているようなシーンが出てくる。歴史としてもかなり埋もれかけになっていたこの連続殺事件を描くことで負の歴史を抹消させないという強い意志も感じられた。
スコセッシとデニーロのタッグもこれが最後になってもまったくおかしくはないので観たいという気持ちもあった。でも、やっぱり長いのと登場人物がかなり多くなってしまうので集中するのが難しくはある。あと最後の方のFBIが出てくる方はテンポアップしていくので、そこはもう少し観たかったかな。
キングがフリーメイソンに所属していたり、モーリーやその母の元にフクロウがやってきて死を知らせにくるという描写とかはイルミナティとかその辺かなとちょっと思ったけど、オーセージ族の守護みたいな存在だったりするのかな、その辺りは詳しい人が動画とかで解説はしてくれてそう。
日本人だとその辺のディテールがどういう意味合いなのかちょっとわかりにくい。オーセージ族も白人文化を受け入れているし、モーリーはクリスチャンだったりする。キリスト教という文化が背景にあるのでその辺に詳しいといろんなメッセージの深読みができるんだと思う。


映画鑑賞後にカウンターで来年一月公開『哀れなるものたち』のポストカード付きムビチケを買った。原題が『POOR THINGS』なので四枚セットのポストカードには「P」「O」「O」「R」の文字が主人公のベラ(エマ・ストーン)の背中の写真に入っている。ファッションも色とりどりで魅力的な作品だったので、こういう統一したデザインとかもさすがだなと思う。これが第一弾で第三弾まであるらしい。
公開時には女性ファッション誌で衣装についても特集組んだりするだろう。映画祭で観ても作品が描こうとしているものと世界観を決めるビジュアルが凄すぎたし魅力的すぎる。

川島明 そもそもの話 | TOKYO FM | 2023/11/11/土 17:00-17:55 

帰りは『川島明 そもそもの話』を聴きながら帰った。ゲストは俳優の小手伸也さん。高校時代に早稲田で旗揚げしたばかりの劇団カムカムミニキーナの舞台を観て、そこで演劇やってみたいと思って二浪して早稲田に入る。そこでカムカムの役者であり制作もやっていた八嶋智人さん(八嶋さんは早稲田ではなくインカレ劇団だったと判明)と会った時に、「いつもアンケートたくさん書いてるのはお前か!」と言われて認識されていたこともあって、そこから舞台にも、という話をされていた。
学年は違うが同じ年の堺雅人さんは「小劇場界のプリンス」と呼ばれるほどの演劇で有名な人物で、当時も話もしていたが堺雅人主演『真田丸』で共演を果たすことになったという。
小手さんのアンケートに関しては当然と言えば当然のことで、役者やりたい人が舞台を観に行ったら感想はできるだけ書いていたほうがいい、他のジャンルでも同じだと思う。もちろん悪口とかは書かないのが前提だけどSNSであろうが、その作品とかに対して自分が感じたことを素直に書いていたら、当人には届かなくても、その人に近い関係者とかスタッフ系の人がエゴサした時に見たり聞いたりして最終的には届くというか認識はされていくものだと思う。
で、なんらかのタイミングで当人や近い人と話をした時に、「あっ! お前か」となる可能性が高い。批判的なことを書いていても芯を食っていればしっかり受け止めてくれたと相手側は思うし、無下にはしない。本当ならば一番いいお客というか、欲しい言葉だったりするから。
そういうことが出会いのきっかけになって、「あっ! お前か」となったあとはさらに縁の問題となってしまう。どんなに相手のことが好きでも作品に惹かれていても、人間が、相性が合わないことにはどうしようもない。その先はたぶんない。稀にそこにい続けていたり続けていたら、何年かあとに再び縁が繋がることもあったりする。でも、大抵の人はいなくなる。そこに至る過程のひとつとして、自分が好きなものに関しては自分の言葉で感想なりなんなりを言葉にして届くかもしれないところに置けているほうがいいとは個人的な経験上思う。
僕はSNSの牧歌的な時代に間に合ったから、好きなものに関しては好きと言っていたら、基本的に会いたかったり影響受けた人にはほとんど会えた。別アカも作ることもなく、2ちゃんねるその後みたいなものも触れないでこれたのはよかった。

 

11月12日
起きたら思いのほか寒くてしばらく布団の中で『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながらうとうとと寝たり起きたり。熱はないけど、時折咳が出ると連続で出るのが辛い。まだ完全には治りきっていない。ちょっと痰がからんだようなものになるのでその痰が一旦喉奥から飛ぶような感じで咳をしないとしんどい。
作業をしないで昼過ぎまでは読書をしていた。古川日出男著『の、すべて』はまだ第一楽章でもうすぐ第二楽章という感じだ。連載で追いかけていたので流れはわかっているが、素戔嗚尊須佐之男命という荒ぶる神がこの作品には大きな存在となっていて、主人公である大沢光延はスサノオ都知事と呼ばれることになる。しかし、都庁でテロに遭ってしまうのだが、彼のエピソードにもスサノオの語られているものが随所に反映されていたのだなと改めて単行本で読んでいくと感じる部分がたくさんあって、連載時にあまり気付けていなかったんだな。


14時半過ぎに家を出た。確かにこれはもう冬の風だ。寒い。まあ、30分ぐらい歩くから多少寒くてもちょうど良くなったりはする。これよりも寒いとさすがにもう少し着込まないとダメだなって思うんだけど、まだTシャツの上にカーディガンを羽織っているぐらいでいける。
鈴木清順監督の生誕100周年ということで浪漫三部作の『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『夢二』が4Kリマスターで公開となっていた。『夢二』に関しては映画館で観た記憶がなくて、他の二作品は劇場で観ているのは間違いないし、沢田研二さん主演ということもあって観ようと思った。かなり席は埋まっていて年齢層はさすがに高かった。五十、六十代の女性が多かった印象。浪漫三部作は大正時代が舞台だったりするので着物も色鮮やかだったりするのも関係しているのかな、どうだろう。鈴木清順ファンでリアルタイムで観ているのは僕よりはかなり上の世代なのでどういう人たちが観ていたのかちょっとわからないところもある。

ツィゴイネルワイゼン」(1980)、「陽炎座」(81)に続く鈴木清順監督の「浪漫3部作」の完結編で、大正から昭和にかけて活躍した画家・竹久夢二の半生を幻想的に描き出す。

恋人の彦乃と駆け落ちするため夢二は金沢の湖畔へやってくるが、そこに彦乃は現れず、さらには静かで小さな村に突然の銃声が鳴り響く。妻を寝取られた男・鬼松が、妻と妻を寝取った男を殺して山に逃げ込んだようなのだが……。

夢二役は「カポネ大いに泣く」(85)に続き清順監督作の主演となった沢田研二。2012年、「ツィゴイネルワイゼン」「陽炎座」とあわせてニュープリントでリバイバル上映。2023年には鈴木清順監督生誕100年を記念した特集上映「SEIJUN RETURNS in 4K」にて、4Kデジタル完全修復版で公開。(映画.comより)

浪漫三部作は内容的には理解は無理だけど、観ても正直意味がわからん。画としてのイメージとかショットが先行しているんだと思うし、そこに一般的な常識があったら確かにおもしろくないわけで、ヴィヴィッドな色彩が急に叫んだりするし、とかあの世なのかこの世なのかどちらかわからなくなっていて混ざり合っているような不思議な世界になっており。幻惑的だとも言えるし、理解不能だとも言える。
故に魅力的であり、エログロナンセンスとも言われるがそれを覗いてみたいと思う。踏み入れてはいけないとわかっているからこそ惹かれる、そういう映画を鈴木清順は撮っていたという理解が素直なんだと思う。
スクリーンに映るものは艶やかで色気しかない。同時にグロさみたいな生々しさがあるのだけど、生と性と死がずっと横たわっているということでもある。だから、そこにはセックスがあるし、男女がまぐわって愛憎を育んでいく。
衣装もたかだか百年前の大正時代なのに現在とはまるで違う色彩があって、目にも艶やかで実際の大正時代の現実とは別もんだとしても魔術(マジック)だなと思わされる。
歌舞いてるやつにしかない色気や艶やかがある。経済的に貧しくなると粋なものと歌舞くものが減っていってしまう。基本的に金持ちや権力側の生まれだとそうは感じないのだろうけど、自分の努力ではどうにもならない世界があるということを知っているかどうか、その差もある。
午前中に読んでいた『の、すべて』においては主人公の光延の父は東京副都知事であり、義母は新興宗教団体のトップ側の家筋である。だからこそ、光延たち主要人物たちは金持ちや権力側しか持たない色気や品の良さがある。それはやはりサラブレッドしかいない世界であり、一般的な人たちの世界とはまったく違う世界線でもある。
旨いもん食べて美味しい酒飲んで性的な欲望が毛穴から出てるような人じゃないと醸し出せない色気は間違いなくある。今の社会や文化はそれを手放していっている。そもそも格差が広がってしまうと中間層がいなくなるので、グラデーションが弱まっていく。
下のところから上にいく側の人が歌舞くほうがおもしろいのも間違いない。みんなが大人しくなっていく&監視社会になっていくと目立つことは叩かれることを意味するので、メンタルが強いか戦略的に炎上したりして名を売ろうとする奴がそういうことをやるんだろうなと思うのだけど、結局そこに粋であるとかないとか、そういうものがわかっているかどうかで下品がどうかになってくる。歌舞くことにも上品か下品かはあると思う。
ただ数字が取れればいいみたいなことになると新自由主義がそういうものなので、粋とか上品とか関係ねえんだよってことになりがちだけど、やっぱり悪名は無名に勝るとはいうけど、無粋な人は生き残らないとも思う。
鈴木清順監督のエログロナンセンスアヴァンギャルドなものって今の時代の悪名でのし上がる人たちのものとはやっぱり違うんだよな。

 

11月13日
起きた瞬間にさむっと思う気温。電気毛布とかそろそろ出す頃合いだが、線の中の動線か何かが切れているのか去年の冬から壊れている。さすがに買わないとエアコンの暖房だけだと余計に体調を崩しそうだ。悩みどこ。
普段の生活に支障はあまりないぐらいに回復した。リモートワークは適度にこなして17時まで仕事をして少し早めに上がってから歩いて下北沢へ。


ダウ90000単独ライブ『20000』をザ・スズナリにて鑑賞。
座席をマックスに出していたのでパンパンになっていた。先月他の舞台観た時はまだ真ん中に通路作ってあったり、人が通れる隙間があったが、今回は一回席に座ったらもう動けない。指定席なので入り口から反対側の壁のほうの番号の早い席に行くのはめっちゃ大変というここって最大限人入れるとこんな感じなんだなってわかった。
もともと100分ぐらいの予定だったものが、作・演出の蓮見さんの筆が走りまくった結果、140分ぐらいになっていた。
全部で8ネタ、途中で休憩というか長めの幕間VTRがあったが大満足の内容だった。終演後にネタ順が舞台のスクリーンに出ていたが、入り口近くの方の席だったので僕らが出ないと番号早い人が出られないのでそれを写真撮れずに出てしまった。

ネタ順を書いてくれている人がいたので、それを書き出すと、1「仕事着」、2「異世界」、3「手術後」、4「幼馴染」、5「大親友」、6「旅館裏」、幕間、7「役者魂」、8「寂しい」という流れ。
個人的にはFAXを持ち出して展開した「幼馴染」がかなりツボだった。この前観たテアトロコントで披露して今はYouTubeにアップされている『3年経つということ』にも近いものを感じた。何度か会っていてそのうち好きになって。と彼女が催眠術師の彼(蓮見)のことを疑っていて、その時に好きになるという催眠をかけられているんじゃないかと疑心暗鬼になっている時に、彼氏が「それが恋だよ」とツッコミにも近いセリフをいうのがすごくツボにハマったんだけど、そういうものがあるタイプのネタだった。
「役者魂」も昨今のコンプラに対してのアイロニーも含めつつ、被害者と加害者ではないが、ある事柄に関して非難していたほうが、急に立場が入れ替わってしまったり、自分の主張のせいで追い詰められていくというもの。
「寂しい」はディベート合戦とはいかないけど、ある人の講演に集まった人たちと、その講演者のどこか気持ち悪さを派遣バイトである蓮見が論破しまくっていき、相手のファンを奪っていくというものであり、展開も素晴らしかった。
幕間ではネタが全部繋がっていて、最後に伏線回収的に繋がるんだろうと言い合っている配信を見ている男女の映像が映されて、それはないよ、違うよ、とメンバーの一人が入ってきて苦言をいうような、素人の考察なんてやめてくれという感じのメッセージになっている。最後の長いネタでそのコントライブの総決算というかまとめてパッケージにするというのがバナナマンラーメンズ以降にできあがっていたので、それが当たり前になっているお笑いファンに対しての皮肉でもあるし、そんなふうに見なくてもいいよ、という感じでもあって、ひねくれているように見えるけど、そのぐらいコントの単独ライブというものが成熟しているということなのかもしれない。

ずっと座っていてちょっとケツは痛くなったがずっと笑いっぱなしでそんなことはどうでもよくなってしまった。これほんとうにつまらなかったらもっとケツが痛いって方に意識が持っていかれていたと思う。僕も何度か自然と拍手笑いもしていた。
隣の二十代後半ぐらいの男性の笑い声がデカすぎて、そんなに笑うかと思ったりはしたが、彼が笑ったあとに小声で設定とかに対して「すごい」とか「そんなものが」みたいな合いの手を入れていて、そっちにもビックリした。こういう人っているんだなあ。そこまで迷惑ではなかったのでよかったけど。
全体的にダウ90000への期待の高さもあったと思うけど、場内の温度感は高くて、終始笑い声がずっと聞こえていた。これはやっぱりすごい。あんなに拍手笑いが起きているお笑いの単独ライブはそこまでない気もするし。
あと自分が中年になったことで若くてすごい才能とかにもはや嫉妬もしない。このまますごいことになってくれ、という純粋な楽しみになっている。自分が三十代前半とかで彼らを見ていたらむちゃくちゃ嫉妬したりしそうな、俺にだって何かの可能性がみたいなことがあったと思うけど、今は自然に面白いから笑えるという状態だと思う。

お笑いでも演劇でも多少関わっていて、エンタメ関連の仕事をしていて彼らを知らないというのはもう勉強不足でしかないので、今後このライブの配信も始まるし、彼らのYouTubeとか見たほうがいいと思う。エンタメ関連の業種で映画館にも劇場にもライブハウスにも行かない人や、本も読んでいない人のことを僕は信頼はしていない。
facebookとかを見る限り、僕の友達になっている人はエンタメに関係する仕事が多いのに現場に足を運んでいる人は年齢が高くなっているのもあるけどあまりいなくて、初期高齢者手前のおじさんおばさんの自画自賛とそれを褒め称えるようななんかあまり関わりたくない場所に年々なってしまっている。
Xという名前になってしまった旧Twitterも宣伝とかばっかりで飽き飽きはしていて、Instagramはストーリーズにアップしても24時間で消えるからそこに自分が思ったこと書いて、その文章をコピペしてこの日記に反映とかさせている感じで、SNSが牧歌的な時代を知っているとなんだかなと思ったりもする。TikTokとは興味がまったくわかない。足が運べなくなるまではしっかり自分の目で見ておきたい。


ザ・スズナリを出て一緒に観に行った友人と旧南口のマクドの前あたりにできた複合施設ミカンの中にある三茶のマルコ系列だと思うんだけど、下北六角へ。23時までだったので、21時半に終わったので軽く飲んで食べるのはちょうどよかった。

The Smile - Wall Of Eyes 

家に帰る途中にThe Smileのニューアルバム『Wall Of Eyes』が出るというニュースを見た。
ヨーロッパツアーも発表されていたが、やっぱり日本にはフェスとかじゃない限りは来ないのかな。ファースト出した時も来てないから今回も来ない可能性が高そうだけど。ファーストアルバム同様にこのセカンドアルバムのジャケットもちょっと気持ち悪い不穏さがあって、彼ららしすぎるなと思う。音源が出るのがたのしみ。

紅白出場者の発表があって、anoとしてあのちゃんが初出場という発表があった。オールナイトニッポンの火曜日の深夜帯のANNX(クロス)は緑黄色社会の長屋晴子、一部のANNが星野源、ANN0(ゼロ)があのなのだが、三番組のパーソナリティー全員が紅白出場だった。そういうのを見るとすごい強いメンツなんだなと思うし、逆に今のANNの本放送のほうでパーソナリティーをやれる人ってほんとうにブレイクしていたり、売れている人しかできないんだなってわかる。

 

11月14日
起きてから上旬中に出す予告編を見て原稿を書く作業を開始。今回の12月に取り上げる四作品は珍しく全部海外の作品だった。大抵日本の作品と海外のもので半々ぐらいになるのだけど、来月自分が観たいなと思える日本の作品はあまりなかった。
一旦、書いてから家を出る。radikoで『フワちゃんのオールナイトニッポン0』を聴きながら歩いて新宿三丁目駅方面へ向かった。
2月に数年ぶりに行ったタロット占いをまた予約していた。3月以降の大きな変化とかについて前に占ってもらってけっこう合っていたものもあるし、今やっているライティング作業のものがリリースされるのが2025年以降というのはわかっていたので、じゃあ、来年2024年ってどうなんだろう?と思ったのでどんなこと言われるのかなって気になっていた。
前にも言われてたんだけど、僕は2025年以降にならないといろんなことが動き出さないらしく、来年もそこまで心配ないよと言われたのでそれを真に受けることにした。
帰りは流石に電車に乗って渋谷ではなく、中目黒で降りてから歩いて帰った。
夜から午前中にやっていた作業を見返して修正してから請求書と一緒に添付して送った。たくさん歩いたからすぐに寝落ちした。

 

11月15日
起きてからリモートワーク前に毎週やっているミーティングをオンラインで開始。
僕以外の二人は編集者としてなんか手応えがあった感じだったので、たぶん問題ないというかうまくいくんだろうなとちょっと他人事に思いつつも、いい流れに入れそうでよかった。

ミーティングが終わってからリモートワークを開始。『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』をradikoで流しながら作業。
爆笑問題はハライチの岩井の結婚に関してと小川哲著『地図と拳』の話をしていた。
星野さんはレコードでビートルズの曲を長めに流したあとに「音楽にちゃんとお金を払ってください」と言っていたのが印象的だった。売れていて知名度もあるミュージシャンがそういうことを言わないといけない、という時代でもあるし、文化というものは無料では沈没してしまう。大阪万博みたいな中止しかないだろってものに無駄なものを300億とかかけて作ろうとしているのを擁護する元維新の橋下が文楽とかいろんなものを無駄だと言ったその口で「文化」とか言っていて本当に反吐が出る。こういう人たちを文化に関わっている人たちは支持してはいけない。まあ、関西は吉本と維新とか繋がりもあるし、メディアからどっぷりなんでもう無理なんだろうけど。
あのちゃんは紅白初出場の話からいつもとちょっと違うキャラとかをやったりもしながら、テンション高い感じもあって、純粋に紅白出場が嬉しかったんだと思えた。ほんとうに今年の活動がすごい勢いだったし、ブレイクするというのを体現している。『あのちゃんの電電電波』の清竜人ゲスト回もすごくたのしそうだった。粗品が10代の頃から清竜人と知り合いだったこと、仲がいいこともいつものゲストとは違う和やかさにつながっていたとは思う。

実写映画「違国日記」16歳の新人・早瀬憩が新垣結衣とW主演、夏帆瀬戸康史も出演 

映画化発表の時に主演が新垣結衣さんというのが発表されて、僕はこの漫画はタイトルぐらいしか知らなくて読んだことがなかったのだけど、たくさん読んで観ている女性の知り合いからすごく評判がいい漫画だなってことを感じて、同時に新垣さんがその主人公の一人とイメージが違うみたいなことも見たりしていた。個人的には夏帆さん出るなら観たいなと思った。
監督が『PARK パークス』『ジオラマボーイパノラマガール』の瀬田なつきさんということで、正直『PARK パークス』はおもしろいとはまったく思えなくて、『ジオラマボーイパノラマガール』はかくれんぼみたいに入り込んだ作りかけのマンション群みたいなところが東京オリンピックの選手村、のちに売り出された晴海埠頭近くのものだったので、そのシーンがすごく時代を切り取った感じで印象的だった。岡崎京子ファンなのでやっぱり実写化での違和感は拭えなかった。ということがあるので瀬田監督が大ヒット漫画をどう映像化するのか、三度目の正直でたのしみにしたい。


午前中に田島昭宇著『GOD OF THE AZTECA TEZCATLIPOCA』届いた。デザインと装幀凝りまくっている。すげえカッコいい。

たまに咳が出ると連続で咳き込んでしまってちょっとつらい。夜はSTUTSのライブがZepp Diver cityであるので行くつもりだったけど、遠いのがネック。咳はしょうがないのだけど、なんかこのところお腹がしばらく下っているのでそっちが怖い。ABEMAで生中継もあるみたいなのでそれでいいかなって思ったりもした。めんどくさくなった&生中継されるとちょっと損した感じもする(興醒めまでいかないがちょっとそんな気もするのは整理番号が1600番台とかなり遅いのもある)&『水曜日のダウンタウン』の名探偵津田も見たい、ということからライブにはいかないことにした。
それも決めたのが昼過ぎの休憩前だったので、書店に行った時にゲーム特集の『ブルータス』と横尾忠則著『老いと創造 朦朧人性相談』という新書が気になったので購入。

 三島事件の割腹自殺は、三島さんの幼児性をもっとも象徴する出来事だったと思います。まさに、子どもが衝動的に行動したようなものです。あの事件の根本にあったのは、三島さんの演劇性で、演劇性というのは幼児性とも言い換えられます。つまり、自分が主役になって、人に注目されているなかで何かをやるというのは、子どもの精神から生まれるのです。三島さんも、誰もいない部屋の片隅では、割腹することはできなかっただろうと思います。彼のいちばん子どもらしいところが現れた結果が、割腹だったのです。その幼児性が、三島さんの天才性に繋がっているのだと思います。天才は皆、子どもです。大人の天才なんて、一人もいません。 
 今の世は、天才と秀才が混同して語られがちです。秀才は非常に頭のいい人たちですが、天才は必ずしも頭がいいとは限りません。むしろ、常識や通念では理解できな突飛な発想をします。人は、そのような言動に恐れを感じることもあれば、大勢から圧倒的な人気を得る場合もあります。いわゆるオーラのある人です。
P131 Ⅳ 芸術について

 旅をすると、意識は外に向かい自分から離れていくように思えますが、実際には、旅先では常に自己と対話を続けています。だから僕は、旅は自己への回帰ではないかと思っています。映画や演劇を観たり、小説を読んだりするのも一つの旅かもしれませんが、これらは肉体を移動させない旅です。やはり、肉体を移動させるほうが観念から離れやすく、知らず知らず感性が研ぎ澄まされ、未知の事柄を吸収しやすいんじゃないでしょうか。
 旅によって日常からいったん離脱して、自分を俯瞰すると、ふだんの生活では一面的にしかとられなかった自分が、まるでキュビズムの絵画のように三次元的、立体的にとられるようになる。未知の自分を知って、思わぬ自己発見をするかもしれません。
 旅は、人生という名の旅のシミュレーションです。 その後の人生を、旅するように生きられるかもしれませんよ。
P168 Ⅶ 自分について

上記の引用箇所は気になった部分。人生相談なので質問者の質問に横尾さんが答えていき、自分の作品でその回答とかにリンクするものが掲載されるという構成になっていた。それもあって割と読み始めるとすぐに読み終えてしまえる文量だった。
親友についての質問のところで横尾さんが最後に出した著名なイラストレーターの人の名前を見た時に、僕は彼らのつながりなどを知らなかったので、すごいなっと思ったし、その相手の人もいろんな人から愛されていたんだろうなと思っていたけど、自分の中でもさらに人格者だったんだなって株が上がった。

22時からリアルタイムでTVerで『水曜日のダウンタウン』の「名探偵津田」第二弾の後編を視聴。助手的な役割のみなみかわと津田のコンビがちょうどよく、みなみかわの補佐がちゃんと効いていた。途中、あることがわかってから津田の自我が崩壊しかけてパニックになるシーンがあり、バラエティのドッキリ企画であり、ミステリー世界にいることで彼の立ち位置を見失いそうになった辺りはザ・ノンフィクションになっていた。
これをゲストとして見ていた伊集院光さんのコメントがかなり真相に迫っていたこともあって、次回呼ばれそうな雰囲気が強い。「名探偵津田&助手みなみかわ vs 名探偵伊集院」みたいな感じで正月とかに五時間とかの特番でやってほしい。

今回はこの曲でおわかれです。
idom, peko & 鈴木真海子 - あなたを愛するように