Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年6月16日〜2023年6月30日)

6月上旬の日記(2023年6月1日から6月15日分)


6月16日
目覚ましよりも早く目が覚めて、寝ぼけ眼なままradikoで『ハライチのターン』を流していた。寝る前にはラジオ大阪の『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』を聴いていたら、ゲストがマヂカルラブリー野田クリスタルで、2人の『ONE PIECE』考察のやりとりもおもしろかったが、筋肉をつけるかつけないかみたいな話もよかった。この2人は一緒になんかしてほしいなと思った。会話の速度や温度感も聴いていてちょうどいい。
起きてから前日に最後まで書いていた原稿を見直して加筆修正をしてから、原稿データと請求書を一緒に編集さんにメールした。そのままリモートワークを開始してから、『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』を。フットサルな得意な女優の眞嶋優さんがゲストでやってきていた。先週とかでも話に出ていた人だと思う。最終的に彼女とドラマで共演していてフットサルに呼んだらしいカカロニの栗谷さんも終盤にスタジオにやってきていた。
TBSラジオスペシャルウィークというか聴取率期間でも特別なことはしない方針だったと思うけど、偶然なのかゲストが来る感じなのは会社の方針は従うけど、一応スタッフや演者はゲスト呼んでおきたいという気持ちがあったりするのだろうか。
昼前には『ナインティナインのオールナイトニッポン』を聴き始めた。ゲストがモグライダーだったが、ナイナイと彼らの絡みはかなりおもしろくて、ナイナイを見て育った僕と近い世代の彼らが岡村さんとの絡みがよくて声を出して笑ってしまった。どちらも凸凹コンビ感があるが、やりとりも噛み合っていてとてもラジオの良さが出ていた


昼休憩で駅前の銀行に行った帰りにトワイライライトに寄って、発売された『MONKEY』最新号を購入した。すぐに古川さんの『百の耳の都市』の最新話「焼跡のイエス」を読んだ。今回の舞台となる都市はシンガポールだった。


午前中だったか、永山絢斗大麻所持で逮捕されたというニュースを見た。そういえば、松本清張賞を受賞した波木銅著『万事快調〈オール・グリーンズ〉』は女子高生が学校で大麻を育てる話だったけど、こういうニュースが出ると売りにくくなるのだろうか。

ASIAN KUNG-FU GENERATION  『西方コーストストーリー』Music Video 



リモート終わって、明日締め切りのライティング作業をしていたら、先日出した原稿の校閲チェックしたものが戻ってきた。PDFで送られてきたからセブンイレブンに行ってプリントアウトしてきた。これに加筆があれば赤文字で入れて、プリンターのスキャン機能でPDFにしたものを送る流れ。スキャンしてデータを送ることを考えると家にプリンターがあるとやっぱり楽だな。

 

6月17日
起きてから昨日プリントアウトしてきた原稿を読みながら赤入れされたものをチェック。OKなものは自分の書いていた原稿データのver.違うものに追加していく。一回最後まで見てから、本日〆切のライティング作業をお昼過ぎまで。考えている時間が多かったのもあったのかわりとスムーズに進む。
13時半には家を出て代官山方面から恵比寿方面へ歩いていく。気温が30度近くなのか越えていたかは忘れたが、湿度があまりなかったおかげで汗だくにはならなかった。


歩いてちょうど一時間で恵比寿ガーデンプレイスすぐの日仏会館へ。主催した明治大学理工学部批評理論研究部の詩人でもある管啓次郎さんにお声がけいただいた「原作者と翻訳者 対話と朗読」講演者:古川日出男(小説家)、パトリック・オノレ(翻訳家)を聞きにきた。


サウンドトラック』の朗読を聴けたのもうれしかった。その朗読されたシーンはカラスたちの大移動のシーンであり、その行き先へ8000羽近くが飛んでいく、それがイメージされると脳内で空が真っ黒になっていく。
古川さんは鳥の目線という話もされていて、人物の肩に乗っている鳥から見えている世界を描いている。そのぐらいの距離で物語における人物たちがどう動いているのかを見ていると言われていた。そして、他にも話に出てきたビジョンというものについては、目、視覚という印象が強いけれど、五感やもしかしたら第六感も含めたものが感じるものがビジョンなんだっていう話もあった。
多言語に古川日出男作品が翻訳されて拡張していくことで、古川さんが書いた作品の中にあるものが、それぞれの言語の中でより引き出されたり、日本語とは違う(見えにくかった)ビジョンを読者に伝えていくことになるというのは翻訳の素晴らしい一面だなって。
小説が書かれた時や国を越えていく、読者に届いてその時の当事者として読める、そういう拡張や深化が翻訳も含む小説の豊かさだなってわかる対談になっていた。
最後の『天音』の朗読の時には二つの言語が同時に聞こえてきて、言葉の意味がわからなくなる時と、混ざり合って膨らんでいるような感じになる時があった。フランス語はわからないけど、古川さんの日本語がすごくわかる時と意味が消えて音だけになって、フランス語のほうが意味はわからないのに自分に馴染んでいる時があって、不思議な時間だった。

終わった後には古川さんや管さんや知り合いの人たちにご挨拶してから、あとに軽い会食みたいなものがあったけど長居しないで帰ることにした。単純に〆切のライティング作業が出来上がっていないから仕方ない。
家に帰ってから作業を再開して日付が変わった頃に今回の作業分が終わったので先方にメールをした。寝ようと思ったけどなかなか寝つけれずに1時を過ぎてからようやく眠れた。

 

6月18日
目覚ましは6時前に鳴ったので、すぐに顔を洗ったりして家を出る準備をした。帰ってくるのはお昼を過ぎるのも事前にわかっていたので、害虫駆除用のアースレッドノンスモークを昨日買ってきていた。家を出て鍵を閉める前にスイッチを踏んだ。
ゴキブリとかが出やすくなる時期には絶対にするし、たぶんワンクールに一回はしている。部屋のなかを黒い物体が高速で走り回るのがほんとうに嫌だから、そのためにできるだけ早めの対応をしておく。


月に二回ぐらいは通っている道を歩いていく。青山墓地のところまで来ると半分近くは過ぎている(はず)なので、ちょっと気持ちが楽になる。あと墓地だから緑も多くて直射日光も強くないのでちょっとした癒しスペースみたいなウォーキングエリア。

TOHOシネマズ日比谷まで歩くとほぼ2時間。途中に総理大臣官邸や国会議事堂があるので連想ゲーム的に、属国、占領下で英語を第一公用語にしなかったことで閉じ込めることに成功した。という流れでこの曲を久しぶりに聴いた。

Childish Gambino - This Is America (Official Video) 


チャイルディッシュ・ガンビーノとして音楽活動もしているドナルド・グローヴァー、『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』を観に行くこともあってこの曲が浮かんできた。試写で観ているので、彼にまつわるあるサプライズが脳裏にあった。
僕はさほど熱狂的なMCU作品のフォロワーでもないし、ヒーロー映画もこの数年ぐらいなものだったりするので、ドナルド・グローヴァースパイダーマンシリーズの関係性ということについてはさほど詳しくはない。だが、彼が主演しているドラマ『アトランタ』のファンであり、ある場面でのサプライズの時には「おお!」と思ったし、試写に来ていた僕の後ろの席の人はちょっと声を出して驚いていた。
「スパイダーバース」シリーズの主人公のマイルスの父親であるジェファーソン・デイヴィスの声優をしているのは『アトランタ』の「ペーパーボーイ」役のブライアン・タイリー・ヘンリーであるので、今作では『アトランタ』シリーズのメインキャストの二人が出ている。
本国アメリカと日本では彼らの認知度も段違いだろうから、彼らが出ていることを喜んでいる人も多くはないかもしれない。ドナルド・グローヴァーが「スパイダーマン」シリーズのヴィランであるヒプノ・ハスラーで主演するという話があったので、その伏線にも見えるから知っている人にはちょっとしたサプライズ。


6日にソニー・ピクチャーズ試写室で観せてもらっていたけど、その12日後に再びということでTOHOシネマズ日比谷にて『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』をIMAXで鑑賞。
試写の時にこの作品が最高なのはわかっていた。この映像を満喫するためにはIMAXしかないと思っていた。現在の世界において、この作品は最先端で最高峰の映像だから、大きなスクリーンとできるだけ音響システムで体感したほうがいい。
配信で観れるのを待っている人もいるだろうけど、劇場に来るのが難しいという状況でないのであれば劇場をオススメする。配信で観てから、後悔時に劇場で観るべきだったと後悔するのが目に見えている。

ピーター・パーカーの遺志を継いだ少年マイルス・モラレスを主人公に新たなスパイダーマンの誕生を描き、アカデミー長編アニメーション賞を受賞した2018年製作のアニメーション映画「スパイダーマン スパイダーバース」の続編。

マルチバースを自由に移動できるようになった世界。マイルスは久々に姿を現したグウェンに導かれ、あるユニバースを訪れる。そこにはスパイダーマン2099ことミゲル・オハラやピーター・B・パーカーら、さまざまなユニバースから選ばれたスパイダーマンたちが集結していた。愛する人と世界を同時に救うことができないというスパイダーマンの哀しき運命を突きつけられるマイルスだったが、それでも両方を守り抜くことを誓う。しかし運命を変えようとする彼の前に無数のスパイダーマンが立ちはだかり、スパイダーマン同士の戦いが幕を開ける。

オリジナル英語版ではシャメイク・ムーアが主人公マイルス、ヘイリー・スタインフェルドがグウェン、オスカー・アイザックがミゲルの声を担当。(映画.comより)


もはやビートルズ級の奇跡!? 『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』の凄さを解説【宇野維正のMOVIE DRIVER】 


↑宇野さんも話されているが、2時間20分ずっとポップアートが展開されていき、さらにエンターテイメントとしても極上なものが合わさった作品になっている。「スパイダーマン」をまったく知らなくてもこの映像を観ると「なんかこれまでにはなかった、とんでもないものを見ている」と実感すると思う。

前作同様にマイルスが主人公ではあるけど、ヒロイン的な存在だったグウェンも今作ではもう一人の主役となっている。スパイダーマンの宿命である愛する人を救うか、世界を救うか、という選択を今作ではマルチバースである「スパイダーバース」にいるスパイダーマンたちは悲しいが受け入れていることがわかる。
かつて愛する人を助けられなかったことで彼らや彼女たちはスパイダーマンとなったという共通項があり、マイルスの未来にもそれが起こることが伝えられる。だからこそ、マイルスはそれを阻止しようと、愛する人も世界もどちらも救おうとする。その定められている悲しい運命をぶっ壊そうとする物語となっていた。
マイルスがスパイダーマンになるきっかけとなった彼を噛んだ蜘蛛は、彼のいる世界(バース)ではなく異なる「バース42」(「42は、コメディー映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』 でスパコン「Deep Thought」が750万年かけて導き出した万物の解であり、今作や「エブエブ」などのマルチバース作品において重要な数字となっている)からやってきたものである、という設定が最後に活きてくる。
バース42ではスパイダーマンを誕生させる蜘蛛がいなくなっているのだからこの世界ではスパイダーマンは誕生しないし、存在していない。そして、このバースでも違う人生を生きているマイルスはいるのだけど、というは流れになっている。
続編『ビヨンド・ザ・スパイダーバース』ではマイルスはもう一人の自分というダークサイドとも戦うことになるのだろうし、『エヴァ』の使徒っぽいデザインにも見えなくもないスポットという敵と戦うことでマルチバースを終わらすのではないかと想像している。おそらくマイルスに起きることはもう一人の主人公でもあるグウェンにも起きると思われる。
さきほどドナルド・グローヴァーのことも書いたけど、それは些細なイースターエッグのような「スパイダーマン」シリーズファンへのサプライズやおまけであり、それを知らなくてもこれが映像体験の最先端だとわかるものとなっている。やっぱり観てほしいとしかいいようがない。
今年はこの『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』と『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』が僕にとってはぶっちぎりの一位、二位の映画作品となるだろうし、これを超えるものがあるような気がしない。
あるとしたら、限りなく僕のことだと思えてしまえる、プライベートな部分に刺さりまくるような作品しかないと思う。そういう作品はほんとうに数年に一回あればいいほうだから、今年のぶっちぎりになると思う。

映画が終わってから赤坂見附駅まで歩いて戻ってから、電車で渋谷まで戻ってから歩いて帰った。久しぶりに1日で17キロぐらい歩いていた。家に帰るとアースレッドノンスモークが終わっていたので、すぐにシャワーを浴びてから部屋にあったタオルケットと着ていて汗をかいた服を洗濯した。
夕方ぐらいからプリントアウトしてあったゲラを再度チェックしてから、セブンイレブンに行って自分の赤入れ戻し原稿をスキャンして、担当さんにメール。
21時から二週間に一回のミーティングを1時間ほど、提出した課題はOKだったみたいで、この先にやることなんかを話して、うまく進んでいるみたいでよかった。明日からライティング作業がひと段落したから自分の執筆にも時間がもう少し取れそう。

 

6月19日
目が覚めたらなんとなく少し気怠い。リモートワークまでの間の作業時間は執筆しないで何か読もうと思った。積読になったままの江國香織著『がらくた』と目が合ったような、気がしたので読み始めてみる。

私は彼のすべてを望んだ、その存在も、不在による空虚さも――。45歳の翻訳家・柊子と15歳の美しい少女・美海。そして、大胆で不穏な夫。彼は天性の魅力で女性を誘惑する。妻以外のガールフレンドたちや、無防備で大人びた美海の心を。柊子はそのすべてを受け容れる、彼を所有するために。知性と官能が絡み合い、恋愛の隙間からこぼれ出す愉悦ともどかしさを描く傑作長編小説。

最初の章である「1」部分だけを読んだ。翻訳家の柊子視線で語られていくのだが、食事の場面や描写やセックスに至るまでの流れであったり、東京にいる夫との関係性などはやっぱり江國香織だなと思えるものだった。なんというかやっぱりすごいんだなって再確認するみたいな。

高橋 ここでちょっと、さっきの『ベニスに死す』に話を戻させてください。物語の終わり近くで、死に瀕した作家・アッシェンバッハが、浜辺で遊ぶ美少年タッジオの方へ手を伸ばす場面。ここでアッシェンバッハによる有名なモノローグがあります。モノローグは、プラトンが美青年パイドロスに語りかける形になっているんですが、その中で僕がすごいと思ったのはこういうことなんです――プラトンがいうには、芸術家は認識より美を選ぶべきである。認識は奈落に通じているから。しかし、結局のところ、美もまた奈落に通じている、と。
江國 すごいですね。そのとおりだと思います。ほかに言うことはないくらい。
高橋 どちらに行っても奈落が待っている。でも芸術家は美を選ぶべきだと。これは江國さんの小説のことだ、と僕は思ったんです。
江國 恋愛を選ぶべきである、でも恋愛には奈落が待っている(笑)。認識と美ということで言えば、私が描こうとしたのは、動物的な美のようなものかもしれません。いま目の前の快楽を求めることの、謙虚さというか、健やかさというか。

「究極の愛は言葉がつくる」高橋源一郎江國香織 『波』2007年6月号

新潮社のウェブサイトの『がらくた』ページに掲載されている高橋さんと江國さんの対談だが、16年のもの。この時期に江國香織さんの小説を読むきっかけがあったらだいぶハマっていた気がする。

リモートワークが終わった後に『日の丸〜寺山修司40年目の挑発〜』を手がけたTBSの佐井大紀さんの新作ドキュメンタリー『方舟のゆくえ〜イエスの方舟44年目の真実〜』を見た。

過去の映像(TBSのアーカイブや他の映像や新聞や雑誌記事とか)と現在の取材によって構成されているのは『日の丸〜』もそうなんだけど、何ていうんだろうな、リミックスとかサンプリング的な90年代の渋谷系とかとはもう違って、今の時代なら過去の映像もあれば使うし、それらを活かしながら現在に橋渡しできる(物語やパッケージできる)から、より作家性がより出るのかなって感じる。
レイヤーをどう使うか、組み合わせるかみたいなことが前の時代とは意識が違うのかなって。あと20世紀は映像の世紀だったからいろんな映像が残っているからそこから大きなニュースみたいなものは保存されている。
で、家庭用ビデオカメラが出てきてからは個人が家庭なり身近なものを撮影してmini DVテープとかに残していたりする。そうすると世間にはでなかったものが残っていて繋いでいくとあるドキュメンタリーにもなる。それは『映画:フィッシュマンズ』を観た時に思った。彼らの最初の海外でのレコーディング風景とか映像で残っていて、それが彼らの歴史のドキュメンタリー映画の素材になっていた。そんなことは家庭用ビデオカメラ普及前には難しいことだったし、映像はテレビ局なんかが映していないとなかなか残らないものだった。
『日の丸〜』同様に佐井さん自身がナレーションもやっていて、抑揚のない声色ができるだけ取材対象に感情移入させないというか、距離をとりつつもどういう人かは視聴者のあなたが判断してくださいって言われる感じもある。
構成としてはシンプル(に見える)だけど、人間ってものにすごく貪欲に興味があるんだなってわかる。もちろん、映像を編集して作品を作る以上は創り手の意志や思惑や考えは反映されるし、モンタージュ理論的に映像の組み合わせ、編集の仕方でどう受け止められるかは操作はできる。そういうことは映画もだし、今回もナレーションをしたりと自分自身が取材しているシーンが出ているあたりで覚悟とか、映像というものの凶器性を理解されていると思うので信用できる人だなって思っている。
元テレ東の上出遼平さんが『ハイパーハードボイルドグルメリポート』を書籍で出されているけど、佐井さんも早かれ遅かれドキュメンタリーに関するものか何らかの書籍は書かれるんじゃないかなって思う。そういう声がすでにかかっていそうな気もする。

『だが、情熱がある』最新回もTVerで見た。マエケンこと前田健さんがモデルのオネエ芸人を藤井隆さんがずっと好演されているのだが、前田さんがモデルということもあり、彼同様に突如亡くなってしまった。オードリーの若林さんが彼のことを思い出してラジオで話しているシーンもあった。
僕はたぶん『あちこちオードリー』の原口あきまささんやはなわさんというオードリーの事務所の先輩たちがゲストだった時にその話をしていたのを聞いた気もするし、ラジオでも僕が聴くようになってから前田さんについて話をしていただろうから、なんだかちょっとウルッときた。
藤井さんの顔が思いのほか焼きついたから、彼が歌った『アイリーン』が聴きたくなった。



 1人旅とPCはかなり大きい。何せ、一回ハードディスクが壊れて4万枚が吹っ飛んだ「13年6月14日からの写真(50歳の誕生日からの写真)」が、なんと全部復旧したのだ。「10年前が高画質で追いかけて来る」のがこんなに恐ろしいとは思っていなかった笑。ウォン・カーウァイは「過去は全て涙に濡れている」と映画の冒頭に掲げたが、「アホか香港の鬼才」と思っていたら本当だった笑。震えながら昔「i-photo」というアプリに入っていた膨大な数の写真を見るのが止められなくなりそうになってきたので、慌てて川島雄三の「晩年の大映期」の中で、一番評価が低い「女は二度生まれる」を見て、行動を逸らした。

菊地成孔の日記 2023年6月19日 午後5時記す>


Q/N/K-Life is beautiful(official video) 


菊地さんの日記がアップされたので読んでからQ/N/Kの曲を聴く。僕よりもほぼ20歳上の菊地さんは還暦になった。20年後の想像ができない、というか今のままで徐々に朽ちていくのだろうなって感じで、0.01ミリなオカモトのコンドームじゃないけど、毎時間とかそのぐらいの感じでどんどんすり減っていってる。
死に向かってのカウントダウンは止まらないからそういう感じで、ちょっとずつ減りながら、時折ドカンと一気に5メール減ったんじゃね、みたいなことなんかも起きたり、すり減っていることを止められないけどそれ時代を忘れるような嬉しいことがあって時間の減り方がスローになったりするんだろう。なんて考えていたら深夜の2時になっても眠れなかった。

 

6月20日
8時前に目が覚めたので、ペットボトルの回収の日だったので外に出しに行った。すぐに起きる感じがしなかった&気持ちダルいのもあって、横になって伊集院さんの馬鹿力を聞いていた。メールでライティング作業をご一緒にしている人から次の課題が来たので、それに対する返信と事前に用意しておいた請求書を添付して送る。

──“全ての人は救えない”という全スパイダーマンの宿命に、マイルス・モラレスが立ち向かいます。

ホアキン:マイルスは、家族に関することだけでなく、自分自身で世界をどう切り開いていくかを考え、自分らしいヒーローになる必要があることに気づいていきます。与えられた道をただ進むのではなく、どうすればいいかを自分で考える。だから、この先どうなっていくのかがとても気になる内容になっています。

ケンプ:スーパーヒーローというのは、本来はルールを破る存在であるはずなんです。しかし、スーパーヒーローのコミック文化の方が支配的な文化になったため、人はヒーローになるためのルールを守るようになったのだと思います。“ルールを破る存在になるためのルール”を作るというのは、なんだか陳腐な気もしますが、ルールを破るということを、このジャンルに取り入れたかったんです。

ジャスティン:その野心が映像にも表れています。

スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』細かすぎて伝わらない小ネタを監督に聞いてみた ─ そしたら本当に細かかった

インタビュー読むとまた映画館で観たくなる。前日見たこのサイトの記事に途中で出てくる看板に描かれていたベーグルと文字が『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』へのオマージュなのか、パロディみたいなことになっているというのが出ていたが、それはさすがにわかった。
マルチバースを描いている作品が同じような時期に出てきて(『エブエブ』はアメリカでは去年公開だが)、ヒットして評価されていることが後々にいろんな枝分かれや可能性の種を蒔くことになっていくといいなとファンとしては思う。もちろん、いい方に枝分かれしてほしい。

次第に脳みそが動き始めたけど、ダルさを抜くために散歩に出ることにした。代官山蔦屋書店まで歩くと午前中ということもあったのか、思いのほか気温は上がっていなくて汗もさほどかかなかった。
坂本龍一さんが亡くなる前書いていた日記を書籍した単行本が出ていたり、集英社文庫の新刊とかが目に入った。ちょっと給料日後でいいかなと思ったので、装幀だけ見て何も買わずに家に帰った

太古の昔から、人は自然と共生し、その恵みを受けて命をつないできました。本展は画家・牧野伊三夫が、そうした人々の営みを見つめるなかから生まれた作品と活動を紹介するものです。


展示前半の塩のパートでは、海辺の製塩所から生まれた新作絵本『塩男』(あかね書房)を取り上げます。福岡県の糸島半島にある製塩所を取材して描いた同作のスケッチや原画などの関連資料とともに、全長10mを超える壁画によって作品の世界を展示紹介します。 

展示後半の杉のパートでは、岐阜県高山市大分県の日田市で牧野さんが取り組む活動を紹介します。

家に一度着いた後にお米をセットしてから駅前の方に向かってスーパーに行く前にキャロットタワーに寄った。ちょっと坂本龍一さんの本買いたいという気持ちが出てきたので、書店に寄ったんだけど、うーむ、やっぱり今日じゃなくていいかと思ってから三階で開催している『牧野伊三夫 塩と杉』という展示を見た。
この生活工房という展示エリアは毎回こだわりが感じられるセレクトがされている感じがする。写真の後ろの方に壁いっぱいに描かれている巨大な絵の首が90度横になっている男の子みたいな人物の雰囲気がどことなく、ブライアン・エヴンソン著『ウインドアイ』の装幀に使われている少年というか男性のタッチに似ていた。


昼ごはんを食べたら郵便屋さんが来て、東浩紀著『観光客の哲学 増補版』が届いた。先月とかにゲンロンショップで注文していたけど、頼んだことを忘れていた。前の最初に刊行されたバージョンも読んでいるけど、それは手元にもうないし、8月にまた福島に行くので『観光客の哲学』を読んでおくのはいいかもしれない。
そのあとはさすがに作業を開始して前にやったインタビューの文字起こしを始めた。僕はその時も多少文字起こしをしていたので、ゼロからではないので多少気持ちに余裕がある。構成原稿まで週末ぐらいまでに終わっていたら、たぶん大丈夫。

 

6月21日
寝る時に『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴きながら落ちた。起きてからライティング作業をリモートーワーク開始までやってから、そのあとは『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を流していた。
昼の休憩で外に出た時には燃え殻さんの『BEFORE DAWN』を聴いていた。お昼休憩後には『星野源オールナイトニッポン』と『あののオールナイトニッポン0』を、というラジオデイズな1日だった。

「辺境論」て誰が書いていたか失念した。世の中のど真ん中に、王道に行くものは辺境(アジール)からやってくる。みたいな。オードリーの事務所は原口あきまさはなわ前田健らが先輩で漫才師はいなく、モノマネのショーパブに出ていた。そして、『だが、情熱はある』で描かれるようにブレイク後に中央に向かい出した。
それは吉本興業という中心があるから、成り立つカウンターでもある。ダウンタウン以降、彼らを輩出したお笑いの学校NSCが吉本の芸人になる入口となった。ダウンタウン以降でロスジェネ世代の中で全国区となって天下取りに近いのが千鳥。二人は高校の先輩だが僕らの学校は商業高校で商業科は女子七割とか、男子は女子より少なかった。そこを出て大悟さんはNSCを受けるが金払えば受かると言われるところを落ちてフリーのピン芸人に、MAZDAとかに就職していたノブさんを誘ってコンビになり、笑い飯麒麟と吉本の舞台に出るオーディションを受けて、所属芸人になる(今はそれはなくなったらしい)。システムを内側からハッキングして書き換えるのではなく、違うやり方で内部に入った。そのアウトサイダー的な三組が今や人気や知名度や実力ともに抜けていることを考えると学校とは、という疑問も出てくる。
と一昨日ぐらいメモとして書いていた。特にこれといってないけど、この感覚はずっとある。

ano「スマイルあげない」Music Video 


前の『ちゅ、多様性』が元相対性理論メンバーで今は集団行動の真部脩一、今作は水曜日のカンパネルラのメンバーであるケンモチヒデフミ。真部さんが脱退したのが2012年、でその年に水曜日のカンパネルラが結成されて、2021年にコムアイが脱退して詩羽が二代目ボーカルになった。なんとなくそのバンドやユニットの流れを経たものと今のあのちゃんが噛み合ったというか、体現する器として彼女がいたってことなのかな。

『あののオールナイトニッポン0』を初回から聴いているけど、あきらかにあのちゃんのラジオトークスキルが上がっていると思うし、きちんと自分の感情や思いを言葉にしていて、正直だなって思うし、そのトークがなんというか耳障りが良くて心地いい。
話し方やちょっと口足らずな感じが苦手な人はいると思うけど、『三四郎オールナイトニッポン』に近い感じがあって、沼にハマる人が多いとラジオになっていくんじゃないかな。
世にも奇妙な物語』でタモリさんと少しだけご一緒して、そのままさんま御殿でさんまさんと会って、別の日かビートたけしさんにも会ったらしい、BIG3に会えるって今そうそう若い人だと難しいだろう。
『スマイルあげない』はあのちゃんも作詞とかやっているみたいだけど、不登校時代にお母さんが買ってきてくれたマックを食べながら『笑っていいとも!』を見ていたとラジオで話していた。そのことをタモリさんに言いたかったらしんだけど、言えなかったって話とかパーソナルなところがけっこう出ていた。
今の「オールナイトニッポン0」は月曜から金曜まで(フワちゃん、あの、佐久間宣行、マヂカルラブリー三四郎)とみんなおもしろいし、この五組のレギュラーのバランスめちゃくちゃいいと思う。あと2年ぐらいはこのメンバーでいてほしいけど、みんなもっと売れていくと難しくなったりするのかな。

リモートワークが終わってから、ちょっとお風呂掃除。湯船とかで水を抜く時にちょっと遅いというかユニットバスだから、トイレの便器の床のところにも水が流れていく溝というか穴(ヘアキャッチ)があるんだけど、どちらかを流しているともう一方が溢れてくるみたいな感じに最近なってきていた。
考えられるのは排水溝が詰まっているか、穴のところのプラスチックの水が抜けるところがねめりとか溜まってしまって水捌けが悪くなっていること、とりあえず、湯船に多少水を溜めてから栓を抜いて水が流れ出したところでラバーカップを使って空気をどんどん押し込んでいった。
トイレのほうのヘアキャッチのほうからなんか黒いものがいくつか出てきて、ぬめりとかが固まったっぽい触りたくないやつ、これが水の流れるのを邪魔してたんだろうなと思ったのでしばらくやっていたら、一気にヘアキャッチのところの溝が水を吸い込んでいった。ラバーカップはやっぱり一家に一つはいる。

数日前から西友のお惣菜エリアで見かけるようになった「わさびでいただく合鴨ロースカツ」を買って食べてみた。合鴨パストラミにパン粉をつけてフライにしたもので衣も薄くて一つずつが分厚い。たまに合鴨パストラミを買って食べることはあったけどこれは初めて。
衣の薄い牛カツのビジュアルに近い感じもあってちょっと豪華な感じで満足感は高い。実際に美味しかった。強いて言うならついているわさびの量が少なくてもうちょっとわさびを感じたかった。

 

6月22日
目が覚めた時にちょっと喉が渇いている感じがした。寝ている時にいびきをかいているのか、あるいは無呼吸的な感じになっていて渇いているという可能性がありそうな。風邪を引く前の喉の痛みとかとは違う感じがする。体調を崩すときはたいてい喉からくるので、ヤバいなって感じはわかるが、これはやっぱり違う。
昼前に家を出るまでライティング作業を進める。週末までに終わるといいのだけど、土日の頑張り次第かな。


TOHOシネマズ日比谷に14時に着けるように家を出て散歩がてら歩いていく。雨は夜には降りそうという予報だったが、お昼前は曇り空だったが降っておらず気温もそこそこだったので非常に歩きやすかった。
途中まで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴いていた。『まつもtoなかい』出演時の裏話みたいな感じだったが、中居さんの司会力やヘルプしてくれた話とかがあって、それは自分が出演者になって当事者としてその場に居るからわかったことなんだろう。国会議事堂辺りで『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』のサントラをBGM代わりにした。聴いていくともう一回観たくなる。

Metro Boomin & Swae Lee, Lil Wayne, Offset “Annihilate – Spider-Man: Across the Spider-Verse”



Metro Boomin, A$AP Rocky, Roisee - Am I Dreaming (Visualizer) 



14時40分からの『ザ・フラッシュ』IMAX上映をニコラ友達でブランド「OIRA」のデザイナーである雄飛くんと観る約束をしていた。14時すぎに合流して劇場へ。

DCコミックス原作のヒーローが集結した「ジャスティス・リーグ」で本格的にスクリーンに登場した地上最速のヒーロー、フラッシュを主人公に描くアクションエンタテインメント。

地上最速のヒーロー、フラッシュことバリー・アレンは、そのスピードで時間をも超越し、幼いころに亡くした母と無実の罪を着せられた父を救おうと、過去にさかのぼって歴史を改変してしまう。そして、バリーと母と父が家族3人で幸せに暮らす世界にたどり着くが、その世界にはスーパーマンワンダーウーマン、アクアマンは存在せず、バットマンは全くの別人になっていた。さらに、かつてスーパーマンが倒したはずのゾッド将軍が大軍を率いて襲来し、地球植民地化を始めたことから、フラッシュは別人のバットマンや女性ヒーローのスーパーガールとともに世界を元に戻し、人々を救おうとするが……。

フラッシュ/バリー・アレン役は「ジャスティス・リーグ」から引き続きエズラ・ミラーが担当。1989年の「バットマン」と1992年の「バットマン リターンズ」でバットマンを演じたマイケル・キートンが約30年ぶりに同役に復帰して出演を果たした。「マン・オブ・スティール」でスーパーマンの宿敵ゾッド将軍を演じたマイケル・シャノンも同役で再び出演。スーパーガール役には長編映画初出演となる新鋭サッシャ・ガジェを抜てきした。メガホンをとったのは「IT イット “それ”が見えたら、終わり。」のアンディ・ムスキエティ。(映画.comより)

いろいろと雑な感じというか、DC作品のボンクラさみたいな愛すべき所もあるが、マ ルチバースに対するケジメの付け方とかは 『スパイダー マン: アクロス・ザ・スパイダーバース』 に通じるところがあった。
『アクロス・ザ・スパイダーバース』の続編 『ビヨンド・ザ・スパイダーバース』で描くんじゃないかなと思う時間軸のねじれ によって生じる問題も描いていた(ラストシーンでマイルスが出会うあの人の問題ね)。この二大ヒーロー映画は同じくマルチバースを描いているが、お互いで補 完してる感じがあって、 二作とも観たほうがしっくりは くるんじゃないかな。
『ザ・フラッシュ』では主人公のバリーは亡くなった母を救いたいという気持ちからその能力を超えてことで過去にさかのぼってしまう。そのため歴史が変わってしまうのだが、もちろん過去にはフラッシュになる前にバリーが存在している。未来から来たバリーは過去の自分にフラッシュになるきっかけを教えたり、その能力の使い方を伝える。この時間軸では母も死んでおらず、父も母を殺した容疑で捕まる前であり、家族3人は幸せに暮らしていた。
だが、バリーが過去に来たことで「ジャスティス・リーグ」メンバーの幾人かが存在していなかったり、別人になっていたりする。バットマンマイケル・キートンが演じる別のバットマンになっていたりする。
スーパーマンも存在していなくてスーパーガールはいるのだが、ちょっとスーパーガールが最初に登場した時の戦闘の描写がいかにもCGというか動きが不自然なのもあって、そこはもうちょっとがんばれよと思ってしまった。
最終的に二人のバリーがバットマンとスーパーガールどちらも殺されてしまう結末を変えようと何度か戦闘中の分岐点に戻るのだが、それを繰り返すことで過去のフラッシュになったばかりのバリーにとある異変が起きる。その描写は設定とかもろもろはかなり違うんだけど、『アクロス・ザ・スパイダーバース』のラストを彷彿させる。
マルチバースという自分がいる世界とは違う、別の自分がいる世界に干渉できるのか、してもいいのか。そもそも時間軸が混ざり合ったりすることで最悪な事態を生み出してしまう可能性と、自分だけど自分ではない自分と向き合うこと、ヒーローがヒーロでいられるのかみたいな問題をどちらも描こうとしているように見えた。
運命か自由意志か、私たちは人生を選べるのか選べないのか。マルチバースという、ここではない、ありえたかもしれないある種の可能性世界が今描かれているのは、僕らの現実があまりにも複雑になりすぎていて、いつものレイヤーに分断されていくように見えるからなんだろう。
しかし、この映画はタイムリープものだとは観るまでは知らなかったし、思わなかった。途中で何度か『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の話が出てくるのは、過去を変えると未来が変わるということを示すためなんだろう。もはやタイムスリップものの古典にすらなりそうな作品だけど、過去だって現在とは違うマルチバースとも言えるから、そこに未来からの自分や人物が現れたらどうしても分岐点ができてしまって枝分かれしてしまう。
母を救うか、世界を救うか、という今作のテーマは、『アクロス・ザ・スパイダーバース』でも愛する人を救うか、世界を救うか、という問題にマイルスもぶち当たるけど、その宿命をぶっ壊そうとする。
こちらは『もののけ姫』のラストみたいな、それでいいのか?という気持ちにはなった。それで本当に解決したんだっけみたいな気になってしまった。しかし、ハリウッドスターが最後の最後にある人物として出てくるサプライズ的なものがあるが、歴史は改変されてしまっていて元には戻っていないことが示唆されている。あれは続編作りたいっていうことなんだと思うけど、ここからやるなら「スパイダーバース」みたいにマルチバースを終わらしにかかるしかない気がするんだけど、どうなるんだろう。


雄飛は新宿に用事があるというので違うので改札で別れて、僕は銀座線に乗って途中乗り換えて最寄駅に。
その帰りにニコラに寄って、久しぶりのピスタチオのペンネとサッポロ生ビール黒ラベルを夕食としていただく。ピスタチオのペンネは塩味というか食べていて口の中にあるペンネとかを噛んでいるとそれが感じられて、ピスタチオの味もより濃厚になるし、旨みを感じさせてくれてるのかなって思ったり。


家に帰ってたら、ウェス・アンダーソン監督『アステロイド・シティ』の試写状が届いていたので、印字されていたQRコードを読み込んで日程の中から行ける日を選んでから申し込みをした。映画の公開は9月1日からみたい、とりあえず来月一足早めに観てくる。

 

6月23日
スケジュールがままならない、感じでちょっとでも早く進めようとしていても、そんなにうまくはいかない。どちらかというと執筆に関しては書く時間だけじゃなくて、考えたり発想を育てる時間の方がかかる。それを時折見誤る。おまけに心身ともダメージをくらったあとの回復が遅くなっているなって年々思う。
考えだけが進んでいって体というか、執筆する気持ちが取り残されることがある。そういう乖離というか、一致していない感じは正直空回転してるみたいで、歩いている時に妄想や考え事だけが展開していて、気づいたらワープしているみたいに体だけが動いているみたいなことになる。でも、執筆はある程度方向性を定めてないと書くと書くだけ迷路に迷い込む。
残り時間とか今居れている場所や立場にあとどのくらい居れるかと考えてしまう。今日は夜にテンションをあがる一発があるから、早上がりでリモートが上がるまであっという間だった。
15時に仕事をあがってから、17時に開場が始まるので歩いていくことにした。2日前に日比谷まで行ったけど、時間としてはあまりかわらない。外苑前近くから再開発で揺れる神宮地域を横切るように赤坂御所の上の方の部分になる元赤坂を歩いて四谷へ、そこから大通りに出て市ヶ谷から靖国神社を横目に武道館へ。

いつもライブに行っている青木と会場前で待ち合わせをしていたので合流してから「STUTS “90 Degrees”LIVE at 日本武道館」へ。
STUTSとバンドセットのメンバーだけでもすごい布陣だけど、ゲストがすごかった。当初発表されていたゲストと別に当日に会場でわかったシークレットゲストは、SIKK-O、鈴木真海子、 Kaneee、G Yamzawa、RYO-Z、OMSB、Awichという豪華さ。

↑当日までAnd Moreだったところも全員出ている。

ほんとうに最高でたのしすぎた。聴きたい曲もたくさん聴けたし、好きな曲はほぼやってくれた。もちろんシークレットゲストもすごいけど、当初から発表されてたゲストの方々もSTUTSとの絆や年月が感じられるものでそこが素晴らしかった。
ライブバンドセットの後ろに巨大な縦長のスクリーンが会場のどこからでも見えるように設置されていたが、曲によってPVが流れたり、その曲に合わせた映像や演奏中の人のリアルタイムの映像にエフェクトかけたりかけなかったりとその映像もカッコよかったし、音をより広げている感じがした。ちょっと度を超えてよかったと思う、ライブでこんなに気分が高揚したのは久しぶりかもしれない。

武道館セトリ、BIMとやった新曲や途中でのKO-neyとのセッションもあったから完璧ではないが、現在野田地図で舞台出演中の松たか子さん以外だとfeat.でやっている人たちはほぼ来てたんじゃないかな。アンコールの時にスクリーンに松たか子さんが出てきて、誕生日のSTUTSにコメントとハッピー・バースデー・トゥー・ユーと軽く歌っていた。
日本の注目されているラッパーほとんどいるんじゃない?ぐらいな集結力を見せていた。元SIMI LABのOMSBも菊地成孔関連では何度か観ているが、出てくるとやっぱり迫力もあるし、Awichははじめてライブで観れたけど、こういうところで観ることになるとは思わなかった、この人業と華がどちらも昇華された存在感というか歌を歌える表現者なんだなって。
アンコールで出てきたMirage Collectiveでボーカルを務めてるSuchmosのYONCEがプライマル・スクリームのボビーみたいな髪型と衣装ぽかったけど、色気が増しているなって思えたし、艶やかさが増していた。

誕生日これだけのメンバーが集結して武道館でライブができるというだけで、STUTSというミュージシャンがどれほど才能と人望があるのかがわかる。もちろん、音楽に魅力があるわけで、濃厚で密で笑ってしまうほどのたのしい時間だった。
途中のKO-neyとのセッションも最高だった、あんなん踊るよ、そりゃあ。あんなに気持ちのいい音は体が自然と動いて揺れる、あの感覚ってほんとうに幸せな時間と空間だと思う。

STUTS×SIKK-O×鈴木真海子 - Summer Situation (Live at USEN STUDIO COAST 2021) 



STUTS - 夜を使いはたして / Yoru Wo Tsukaihatashite feat. PUNPEE "90 Degrees" LIVE at USEN STUDIO COAST


大好きなこの二曲もライブで初めて聴けたのも最高だった。
最後にゲストがほとんど出てきてフリースタイルみたいにラップで繋げていくのもやっていて、鎮座DOPENESSが締めるに近い感じにはなっていたけど、彼は三曲かな、feat.関連でラップしていて、青木も僕も大好きなラッパーなので観れてうれしかった。しかし、鎮座はひとりだけポロシャツをシャツインしているのもあるが一人だけラッパーの中でも異様なんだけど、どう見ても一番ヤバい人なんだよね、タトゥー入りまくっているラッパーよりもなにかが異質に見てるから、それがかっこいいし笑ってしまえる強さがある。
さすがに帰りは電車に乗って帰ったけど、疲れ果てて目を閉じたらすぐに落ちた。

 

6月24日
爆睡。疲れが全部取れたわけではないが、すっきりとした目覚め。つかれすぎてグーンと深い眠りになったんだろう。スケジュールを再確認してお仕事している人に諸々と早めに対処してもらいたいことについてのメールをした。

京都から戻ると、翌日にはもう日仏会館でのパトリック・オノレさんとのイベントで、会場(とは日仏会館だ)に着いたら、「会場(とはイベント会場だ)が変更になりました」とホールに案内された。いきなりホールに拡張されていた。そしてパトリックさんとは、なぜか上昇するエレベーターの扉が開いた瞬間に会って、挨拶して、その扉は閉まって、いったん分かれて、それから再度合流して、打ち合わせをした。『平家物語 犬王の巻』の日仏の朗読をした。『サウンドトラック』もバイリンガルで朗読した。『天音』も、一部をパトリックさんが訳し下ろしてきてくれたので、いっしょに読んだ。すでに四冊もの自著が、フランス語になって刊行されているというのは、どういう事実なんだろう? 会場にはよき聴衆ばかりがいた。そういう人たちと交流でき、うれしかった。いろんな国の人がいる、言語も飛び交っている、それはどこまでも幸福な情景だ、ということ。

古川日出男の現在地」夏至を越える 2023.06.10 – 2023.06.23 東京・京都・埼玉

昨日アップされていた「現在地」最新回を読む。先週の日仏館でのイベントについて書かれていた。僕もあの日の聴衆として素晴らしいイベントだったと思うし、そういう時は場所だけではなくそこに居る人たちの温度感や態度みたいなものも大事になる。だからこそ、お二人の対談が深い話になったり、朗読のパフォーマンスも上がったんだと感じる。


散歩がてら代官山蔦屋書店まで歩く。BGMはradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を。先週が風間蝮親ゲスト回というアルコ&ピースの平子さんとなかやまきんに君の二人を同時に相手にしているような戦いだったと三四郎の二人が語るような珍味中の珍味であり、一見さんにはわかりにくくて仕方ないだろって思うんだけど最高だった。
途中で何度か昨日のSTUTS関連の曲をYouTubeで聞いたのでラジオは作業中に最初から聴き直すことにした。
で、蔦屋書店ではTACOMA FUJI RECORDSのポップアップストアみたいな展示がされていた。夏用の新しいTシャツが欲しいから来月ぐらいに行った時に買おうかなと思いつつ、何も買わずに帰った。


帰ってから帰りに買った惣菜と炊いたご飯でお昼ご飯にしてからライティング作業を開始。今日中にこれが片付くとちょっと余裕というか、考え事ができるかなと思うのでがんばる。
夕方過ぎに芥川賞候補になっている市川沙央著『ハンチバック』がトワイライライトに入荷したというツイートを見たのを思い出して買いに行く。
お店には何人もお客さんがいた。書籍を手に取って何かを考えていたり、タイトルや装丁を見ながら新しい出会いや自分との化学反応が起きるのかなと思っているんじゃないかなって思えて、好きな書店の風景だった。

【下ネタ我慢リベンジ】下ネタで笑いたくない女優二瓶有加は、AMEMIYA&天津木村の本気ネタを笑わず我慢できるのか?


ライティングを数時間して休憩中に『佐久間宣行のNOBROCK TV』の新しい動画が公開されていたので見る。下ネタとコンプラの関係性みたいなことを誰か書いてたりしないかな。
動画系で下ネタがウケるのは、潜在的な欲求もあるだろうし、ウェブ小説でも漫画アプリでもいいけど、エロ系のコンテンツは需要があるし、そこから伸びるというのはビデオデッキがAVと共に売り上げを上げていったみたいなところの延長だと思う。
スマホで見たり読んだりできるようになれば、男女問わずに誰かを気にしないで自分だけで楽しめるから、より欲望が反映されるのかもしれない。
佐久間さんが作っていることもあるし、なによりもトータルテンボスの100ボケ100ツッコミチャレンジやどぶろっくの下ネタ我慢でもいいキャラを発揮した女優の二瓶有加さん、彼女の笑い方や屈託のない雰囲気とかがかなり好印象だし、それもあって下ネタが笑ってもいいんだっていう感じになっている。これは下ネタと笑いのコンテンツだけど、二瓶さんという人がトータルテンボスの時に見つかったことで加速した感じもする。彼女のようなタイプではないとここまで視聴数も伸びていなかったのではないだろうか。
きっと一気に数字が伸びる時やなにかの沸点の先に行く時には適材適所というか必要な人がそこに居るし、見つけてくるというちょっとした奇跡があるのかもしれない。

 

6月25日
7時過ぎに目が覚めて、休みだしまだ起きようと思っていた時間よりは早かったのでTVerで深夜放送した『ゴッドタン』を見てから、radikoで『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』を聴いた。
昨日、ライティング作業のあとに下半期の執筆スケジュールを練り直した。間に合わないものに関しては、日程をずらしたりした。その中で、決めていたタイトルが変わるものもあった。元々タイトルだけ考えていたものだけど、そっちのほうがしっくりくると思えたから。
今朝は昨日のライティング作業で体がガチガチなので、先に散歩に行くことにした。執筆スケジュールで下半期に書こうと決めた作品の舞台を中目黒がいいなって思って、久しぶりに目黒川沿いを歩いてみた。
桜も散ってから二ヶ月以上経っていて、犬の散歩やランナーはいるけど人はさほどいなくてちょうどよかった。日差しも強くなくて風もわずかながら吹いていて歩くにはちょうどいい気温だった。

 

 厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、――5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。曲がった首でかろうじて支える重い頭が頭痛を軋ませ、内臓を押し潰しながら屈曲した腰が前傾姿勢のせいで地球との綱引きに負けていく。紙の本を読むたびに私の背骨は少しずつ曲がっていくような気がする。
P26-27より

 アメリカの大学ではADAに基づき、電子教科書が普及済みどころか、箱から出して視覚障害者がすぐ使える仕様の端末(リーダー)でなければ配布物として採用されな い。日本では社会に障害者はいないことになっているのでそんなアグレッシブな配慮はない。本に苦しむせむし(ハンチバック)の怪物の姿など日本の健常者は想像もしたことがないのだろう。こちらは紙の本を1冊読むたび少しずつ背骨が潰れていく気がするというのに、紙の匂いが好き、とかページをめくる感触が好き、などと宣い電子書籍を貶める健常者は呑気でいい。EテレのバリバラだったかハートネットTVだったか、よく出演されていたE原さんは読書バリアフリーを訴えてらしたけど、心臓を悪くして先日亡くなられてしまった。ヘルパーにページをめくってもらわないと読書できない紙の本の不便を彼女はせつせつと語っていた。紙の匂いが、ページをめくる感触が、左手の中で減っていく残ページの緊張感が、などと文化的な香りのする言い回しを燻らせていれば済む健常者は呑気でいい。出版界は健常者優位主義(マチズモ)ですよ、と私はフォーラムに書き込んだ。軟弱を気取る文化系の皆さんが蛇蝎の如く憎むスポーツ界のほうが、よっぽどその一隅に障害者の活躍の場を用意しているじゃないですか。
市川沙央著『ハンチバック』P34-35より

家に帰ってからお昼ご飯までの間に昨日購入した市川沙央著『ハンチバック』を読み始めた。92ページという長くないこの作品は読み始めると手が止まらなくなるもので、1時間もしないうちに読み終えてしまった。

文學界新人賞・市川沙央さん 「なにか職業が欲しかった」ままならぬ体と応募生活20年の果てに 「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」#1 

この記事を以前に読んでいたけど、小説はシリアスすぎず、かといって健常者というか読者の多くの人へのアイロニーというか、あなたたちの当たり前がそうではない人のことは想像なんかしてないでしょっていう、強く射るような視線が感じられた。
引用した部分はまさにそういう部分だと思うし、僕自身も読みながらなんというか気まずい気持ちになった。だけども、それこそが著者の市川さんという人の感情や彼女が書いた作品の登場人物である人物の想いが読者である僕の中に入り込もうとしていたからだ。それは本来気持ちいいものではない、他者性が感じられると自己の輪郭を強く意識する。その時に様々なことが脳裏をよぎる。
例えば、単行本の帯には文學界新人賞の選考委員からのコメントが並ぶが、彼女たちは健常者であり、小説家として名を成した人たちであり、登場人物が放つ悪意というか皮肉が向けられる頂点にいるようなものだ。もちろん、そういうこともわかった上で彼女たちはこの作品を推しているし、選んだはずだ。
けれど、「なにか職業がほしかった」という記事のタイトルにあるように選ばれることで市原さんもなにかになれる。これは特権的な立場になるか、なれないか、多くの人は僕もそうだが選ばれる側にはいけない。そして、彼女の療養生活という引きこもりの中で書き続けたこと、書くことが切実なツールであることなどは何もない人間からはどこか憧れさえ抱くだろうし、批判の対象にもなるのだろう。
個人的にこの作品は入り込んでくるものがあって、それを感じられたことで純文学らしい純文学だなと思えた。最後の終わり方に関しても作中で書かれるあるシーンとの流れから、とある人物へ視点が変わっていくことも含めて、今の小説の切実さがある。あのままの視点ではたぶん終われない。だから、あの終わり方は最初にあの始め方なら着地として違和感を感じなかった。
ラストの描写は作中で主人公がツイートしていた「普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です」ということが関係しているはずだ。自由にセックスをすること、そして妊娠するということ、さらにそれを自分の意志でその子どもを下ろすという判断をすること、それが自分はできないという現実があるから、ある人物の行動によって、彼女のこと、そして主人公の輪郭がより強くはっきりするようにも思えた。そういうことを突きつけてくるはっきりとした小説だし、すごいなって読み終わって感じた。

 

「ひさしぶりだね」
 夫は言い、スーツ姿のまま私におおい被さる。ごろんと、大きくて重い体が布団ごしにのっかり、夫の纏っている外気の匂いと、私がさっき手足にすりこんだローション の匂い、それに、替えたばかりのシーツの匂いがまざった。私は思うのだけれど、肌が触れあうことよりももっと、纏っている気配のまざりあうことの方が刺激的だ。動物的で、礼儀正しく野蛮で。
江國香織著『がらくた』P206より

『ハンチバック』を読み終えてから、ちょっとずつ読んでいる『がらくた』の続きを読んだ。あまりにも真逆なような作品だったこともあって、よりそれぞれの作家の資質が強く入ってくるようだった。
「私は思うのだけれど、肌が触れあうことよりももっと、纏っている気配のまざりあうことの方が刺激的だ。動物的で、礼儀正しく野蛮で。」という文章だけを読んでも、きっと江國さんが書いたものだとわかるだろう、そういうものが作家性だとわかる。


昼ごはんを食べたあとに、前に買っていた金原ひとみ著『腹を空かせた勇者ども』を読み始めた。最初の一章にあたる部分までを。
金原節は健在だが、今の高校生の女の子を主役して、彼女とその母親(結婚しているが彼氏持ちな文化系リベラルっぽい感じ)の関係性を描いていた。これを読みながら友達の娘さんが高校生なので、これ勧めたら読んでくれるかなって思ったり、読んでもプラスに働くとは限らないけど、高校生が実際に読むとどう感じるのかちょっと知りたくなった。


BiSH / Bye-Bye Show [OFFiCiAL ViDEO] 


ライティング作業を始めて17時に過ぎに一旦休憩。BOOKOFFに顔を出したり、駅前の銀行に行ったりして駅近くを歩いていた。もうすぐ解散するBiSHの看板が出ていた。
家に戻ってから寝るまでまた作業の続き、昨日終わらなかったけど今日で一旦区切りが着くところまで行けた。あとは確認してまとめれば必要な日までには間に合う、予定。これで練り直したスケジュールにうまく移行できる。

 

6月26日
週末ずっとライティング作業で椅子に座りっぱなしだったので腰や肩が固まっていた。リモートワークの休憩時間を利用して近くの整骨院に行く。悪い姿勢のままずっと作業をしているので始業前や寝る前にはストレッチや体の筋を伸ばすように言われた。それが最近できていなかったので素直な体だなと思う。
猫背というか体がどんどん内側に引っ張られていく、お腹の筋とかいろいろと張っているからそこを押してもらった時にすごく痛かった。肩甲骨もだし鎖骨や脇の下部分とは押されると声が出るぐらい痛い。普通はそこを押しても痛みはないよっていわれるほど、僕の体は固まっている。
頭の頭頂部あたりも骨がギシギシというか、つまっているみたいで隙間がないと言われた。そういうものもゆるやかになったら気分もちょっと楽になるらしい。めっちゃダウナーってわけでもないけど。そう考えるとヨガとかストレッチすると体がゆるんだり、筋とかが伸びたりして、リラックスできるというこだから、病みやすい人はそれをやったら多少は楽になるのかもしれない。僕は姿勢が悪いので、腰と肩甲骨に負担がかかっている。夏はストレッチとかを習慣づけていくことにしよう。
整骨院帰りに書店に寄ったら幸村誠著『ヴィンランド・サガ』27巻が出ていたので、コミックスだけ買って帰った。

ヴァイキング達が跋扈する11世紀北欧を舞台にトルフィンが本当の戦士を目指す物語。父親の仇を討つために過ごした幼少期、奴隷として農場で過ごした青年期を経てトルフィンはヴィンランドへの渡航を本格的に模索するようになる。北海最強の武力集団・ヨーム戦士団の居城・ヨムスボルグを中心にバルト海が戦火に包まれたヨーム継承戦争にまきこまれたトルフィンだが、辛くも戦争を生き抜いた。東ローマ帝国への交易で莫大な資金を調達したトルフィン達一行はアイスランドに帰郷。故郷のアイスランドで結婚式を挙げたトルフィンとグズリーズはヴィンランド移住計画の賛同者を募る。そして、ついに約束の地・ヴィンランドへ辿り着く。ヴィンランド開拓を進めるトルフィン達の前に、先住民族のウーヌゥ人が現れ、動揺するアルネイズ村の一行。ウーヌゥ人と友好を望むトルフィンだが、イーヴァルなど一部の人間はウーヌゥ人との交流に懐疑的。しかも、イーヴァルは禁止されている「剣」を持ち込んでいた。一方、ウーヌゥ人の長老ミスグェゲブージュは「儀式」を行い、トルフィンらノウド人がもたらす破滅の未来を予知する。そんな中、グズリーズの妊娠が発覚、そしてついに、ヒルドは憎しみを解放し、トルフィンを赦すことを決意する。大いなる希望と一抹の不安を宿し、ヴィンランドの麦は燦然と輝く。

戦争は、戦はなぜ起こるのか。そこにはまず相手のことを信用できるか、できないかという大きな溝があり、疑心暗鬼になったものはやられる前にやるという発想になってしまう。
トルフィンたち開拓団と原住民のウーヌゥ人はすでに交流もしていて、それなりにうまくやっていたが、開拓団の中にもウーヌゥ人の中にも相手への疑心を持つものが、争いになる火種を作ってしまうことになる。集団というのは一筋縄ではいかない。個人同士の考え方があり、行動があって、物事が最悪な状況に向かっていくということはいつでも起きうる。
11世紀のヴァイキングたちが暴れ回っていた時代を描いている漫画だが、かつて殺人マシーンのように人を殺しまくっていたトルフィンの再生の物語であり、彼だからこそ争いのない世界を作ろうともがく。トルフィンに影響されて変わっていくもの、反発するものなど、物語は以前のようなバトル的な展開は少なくなってきたが、より現在的な武力だけのぶつかり合いではなく、人間がなぜ争ってしまうのかを描き出している。そのリアリティがどんどん身近な問題になっているような気すらする。やっぱり、この漫画はほんとうにすごいと思うし、もっともっと読まれてほしい。

BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2023年07月号が公開されました。7月は『Pearl パール』『アイスクリームフィーバー』『PLASTIC』『658km、陽子の旅』を取り上げました。


菊地成孔が劇伴担当「岸辺露伴」シリーズのサントラ発売決定、未公開写真入りフォトブック付属 

エンディングテーマである『大空位時代』もようやく音源化されるということか。サントラは買うしかないな、菊地成孔ファンとして。

夜からは昨日一区切りついていた作業の続きをする。スケジュールも練り直したし、夏が終わるまではしっかりストレッチもして脳みそも使っていけるようにしたい。それができたら、また次へ次へと動けるだろうし、もうちょっとやれることが増えると思うんだけど、とりあえず、体を壊さないように気をつける。

 

6月27日

深夜1時過ぎに寝たのだが、6時には起きて30分前には家を出た。週末からは『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』の公開が始まる。今月TOHOシネマズ日比谷で2回IMAX上映で映画を観ていたが、その際に「運命のダイヤル」がIMAXで上映という予告を見ていた。
スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』はやはり日本で大ヒットしているという話は聞かない。本国アメリカでは公開後にまた一位に返り咲くなどの評価も人気もあるが、日本では残念ながら一部の人しか反応していない。となると大ヒットしているとかでない限り、どう考えても週末以降にIMAX上映は減るかなくなる。その前にもう一回はIMAXで観ておくべきだと思っていた。夕方から作業をすればなんとかなるという取らぬ狸の皮算用をして午前中は潰れてもいいやって気持ち。
さすがに6時台から7時台の渋谷から青山、赤坂から日比谷へというルートは通学や通勤の人がいるぐらいでそこまで人は多くなく、太陽も強く照っていないのもあって快適に歩けた。

9時からの上映回だったが10人ぐらいはいたかなあ。試写も含めると3回目の『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』をIMAXにて鑑賞。
2時間20分ほどポップアートを大画面でたのしむ、という体験でもある。物語自体には違和感はないし、始まりがグウェンであり、終わりも彼女である。ドラマーでもあるグウェンは自分に合うバンドがないと冒頭で話しているが、最後には自分と一緒にやれるマンバーを探してバンドをやる、という意味のことを言う。それで物語は最初と最後が連なってひとつの円が閉じる。終盤では主人公のマイルスは彼を噛んでスパイダーマンにしてしまったクモが本来いた「バース42」にいる。そこではスパイダーマンが誕生しなかった代わりに起きてしまっていた出来事というか、問題にマイルスは巻き込まれている形になっていた。マイルスをグウェンたちは助けにいこうとしているという所で続編『スパイダーマン:ビヨンド・ザ・スパイダーバース』に続く、となっていく。

スパイダーバースのアニメーターが「全行程で監督の承認待ち」「1日11時間週7日労働」「100人が逃げ出した」など過酷な労働環境について告白 - GIGAZINE 

前日にこのような労働環境についてのニュースを見ていた。1000人近くのアニメーターが関わっているとは言われていたが、100人逃げ出したなどの見出しがあるように過酷だったようだ。このニュースの難しいところは、今作では監督が3人いるし、あの映像を作り出すにはどう考えても時間や労力はかかるだろうということ、監督やプロデューサーは作品を作り上げて責任を持つことなので、彼らの承認がなければ先に進められないのはそうだろうと思う。
しかし、昨今の状況では労働者が過酷な環境に置かれれば声をあげたりするのは当然の権利だし、改善を求めるように自分たちの意見をいうのも然りだ。ただ、このクラスのありえないほどのクオリティを誇る作品になれば、求められる質もだし、時間もかかってしまうのはわかる。
SNSではこのニュースを見ていて、このクオリティで物語が展開されることで観ているうちにさめてしまったという意見も見かけた。それもわからないではないけど、芸術だけでなく、創作というものの制作過程がどんどん透明化していき、労働環境も健全になっていくべきだというのはわかるんだけど、人の心に届く作品ってなにかタガが外れているものだったり、創作者の狂気に近いものがなければ時代を変えるような、残るようなものはやっぱり不可能ではないかと思う自分もいる。
エヴァ旧劇場版」はあの終わり方も含めて、観ていた人をグサグサ刺しまくって多くの人の人生を変えてしまった。もちろん、当時の庵野秀明監督の精神状態がかなり反映されているとも言われているが、あれほど他者性というものが観客の中に入り込んできて気持ち悪い、と思える作品は他にはなかっただろうし、あってもこれほどの影響力をもっていたものはなかった。
僕は90年代後半における純文学的なものの代表格は「エヴァ旧劇場版」だと思っていて、それは戦後文学の代表格だった大江健三郎たちが書いてきた純文学的な遺伝子があった。「エヴァ新劇場版」は真反対というか、サプリやアプリのような作品になってしまって、あれでは誰かの人生は変わらないだろうなと思った(単純にようやく終わってよかったね、ぐらいの気持ちにはなった)。やはり「旧劇場版」が純文学なら、「新劇場版」はポップなエンタメであり、大衆化してしまったあとには興行の問題だけでなく、いろんな要因が複雑に絡みついていくだろうし、庵野監督自身にも変化があって、もはや壊れるかもしれないような危ういものを作ることはなかった。それを成長と呼ぶのかもしれないし、作品性における芸術的な後退と呼ぶのかは人によってわかれるかもしれない。
話を戻せば芸術だからって、創作物に関して人を犠牲してまで作るものではないという正論がくるだろう。でも、そういう正論を言う人は今回のアニメーターのような下請けをする側ではないし、どちらかというとそういう人たちを使役する側であることが多い気もする。そういう時になんだかな、なんともいえない気持ちになる。『スパイダーマン:ビヨンド・ザ・スパイダーバース』を含め、「スパイダーバース」シリーズは「エヴァ」のようにアニメの歴史に残るものだし、労働環境等含めて改善されて、次作『ビヨンド・ザ・スパイダーバース』が無事に完成して世界中で公開されるのを待っている。

上記のSNSのものは観終わってからだったので、僕は映画を観ている間、マイルスとグウェンが一緒に街をスイングしていくシーンに感動して心が躍ったし、この物語が語ろうとしているテーマ、スパイダーマンの宿命からいかにマイルスが解き放たれるか、みんなを解き放つか、そしてこの先はどうなっていくのかという余韻をしっかりと味わえた。
でも、ほんとうにアニメ・マンガカルチャーの国だということになっているのに、この作品が大ヒットしないような国にアニメやマンガの未来ってあるのだろうかと不安になる。でも、僕のような人は少数派だし、みんなジャンプ系のアニメの映画には足を運ぶし、外側には興味持たないんだろう、ほんとうに失われた30年というか内籠りによる悪いところばかりが目についてしまう。

 ちなみに、ぼくが最初に仲良くなった韓国人は、中上健次さんの紹介で知り合ったキム・ドクスというチャンゴ奏者で、音楽集団サムルノリを創始した彼とは同い年というこ ともあって、すぐに打ち解けました。チャンゴは朝鮮半島の伝統的な太鼓です。キム・ドクスのパートナーは在日韓国人の利恵さんで、彼女は韓国伝統舞踊を教えている。彼ら はソウルを訪れるたび、ほぼ必ず会っています。

P72より

 一度、パイクに連れられて、ジョン・ケージの家を訪ねたことがありました。3時間ぐらい話をしたのですが、このときケージから聞いたエピソードが強く印象に残っています。 彼は過去に3回、旅行中に荷物を紛失したことがあるらしい。あいにく、その3回とも荷物は戻ってこなかったものの、結果としてそれまでの人生をリセットして再出発するための絶好の機会になったのだそうです。過去に縛られる必要はない、むしろ捨てる勇気が大切なのだという、禅に大きく影響を受けたケージならではの考えを、なるほどと思いながら聞きました。

坂本龍一著『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』P109より

帰る時に坂本さんの最後の著書である『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』を購入した。昼ごはんを食べてから夕方まで読んだ。
中上さんは村上龍さんとも親交があって、彼の80年代の著書などにもよく出てきていたが、村上さんと仲のいい坂本さんもやっぱり付き合いがあり、そのことで繋がった流れもあったんだなって思った。ナムジュン・パイクジョン・ケージとの坂本さんの交流とか、やっぱり存在とその経歴や作品たちが歴史そのものなんだなって感じた。
夕方からライティング作業を開始、明日いっぱいまでに終わればなんとかなる。準備はしていたから、あとは無駄を削いで行って繋がりも時系列にしていけば問題なさそう。

 

6月28日
起きてから昨日の夜の続きの作業を開始。実際に終わったのは21時ぐらいだったが、作業終了して一旦先方にデータを送信して終了。
いつもの時間からリモートワークを開始していつもの作業をする。やるかやらないかどっちか決まっていなかった案件をやることになったので、来週はできるだけ早くその案件がスムーズに進むように動かないといけないと思っていたら終業時間になった。待ちの時間があるときはどうにもならないので、そういう時は待つしかないけど、それがもどかしくはある。


ユリイカ2023年7月臨時増刊号 総特集=大江健三郎 -1935-2023-』

休憩時間に書店に寄ったら出ていた。文芸誌『文藝』や『群像』よりも分厚くて幅がある。鈍器とは言えないがかなり重い。立ち読みで目次を見ていたら、大塚英志さん寄稿の「構造と固有信仰――大江健三郎における柳田國男の「実装」問題 」というのが掲載されていた。まあ、そのために買うのもありかなと思ったけど、装幀デザインは水戸部功さんだったのでお持ち帰り。

水曜日は前日の火曜深夜に好きなラジオ番組はたくさんあるので、リモートワーク中はずっとradikoのタイムフリーでそれらの番組を聴いていた。 

その中でも『あののオールナイトニッポン0』はゲストが南海キャンディーズ山里亮太、あのちゃんがテレビで最初にレギュラーで出た番組のMCだった(山里的には育ての親的な発言をしている)けど、あの×山里亮太の組み合わせは抜群にいい、この二人で何か番組とかやってほしいと思ったリスナーはかなりいるんじゃないだろうか。 

 

6月29日
午後からの仕事の準備で前に書いたものを読んだり、今日の準備を一通りしてから、読みかけだった『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』の続きを。読み進めていくと坂本さんがフライングロータスとの交流について書いていて、その中で元々サンダーキャットとの交流があったこと、坂本さんのトリュビュートアルバムにサンダーキャットが『千のナイフ』のカヴァーをしていたことを今更知った。
サンダーキャットは何年か前から聴くようになって、コロナパンデミックで2度ほど延期された恵比寿ガーデンホールでのライブも行ったし、オフで東京に遊びに来ていた彼を渋谷のスクランブル交差点で見つけて声をかけて一緒に写真を撮ってもらったぐらいにはファンだ。
自分が知らないだけで繋がっていることや交流があるのを知るのはなんというか自分が好きなミュージシャン同士だし、ちょっと嬉しくなる。知るのが早い遅いというよりもそっちの感情の方が強い。

THOUSAND KNIVES - THUNDERCAT REMODEL 

「自分がいつ死ぬか知らないから、わたしたちは人生を、尽きせぬ泉であると思ってしまう。しかし、物事は無限回起きるわけではない。ごくわずかな回数しか起きないのが実際だ。子どものころのある午後をあと何回、思い起こすであろうか? それがなければ自分の人生がどうなっていたかわからないほどふかいところで、いまある自分の一部になっているそんな午後であってさえ。たぶん、あと4回か5回だろう。いや、もっと少ないかもしれない。満月がのぼるのを見ることは、あと何回あるだろうか? たぶん、20回か。そして、それなのに、無限回あるかのように思っている」(拙訳)
坂本龍一著『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』聞き手・鈴木正文氏の「著者に代わってのあとがき」より

最後まで読み終わって、この後仕事に会う人に読んでもらうといろいろと参考になるのではないかと思って、MacBook Airと一緒にトートバッグに入れて家を出た。
30℃を越える暑さで湿気はそこそこだったが、渋谷に着く頃にはかなり汗をかいてしまい、Tシャツに汗で染みができてしまったので電車に乗る前にドン・キホーテによって制汗スプレーと顔拭きシートを購入した。汗かきというのもあって夏近くなってくると灰色のTシャツなんか着れないし、ほぼ白Tばかりになってしまう。


月に一回で続いているライティング作業のために江戸川橋駅で降りて、毎度同じことをしている神田川を写真に撮った。16時から作業がスタートして18時過ぎに今回の作業は終了した。一緒にお仕事をしている方と帰り道が同じなので、二ヶ月ぶりに最寄駅近くの居酒屋さんで3時間ほど飲んで食べてたくさんお話をさせてもらった。坂本さんの著書を忘れないようにお渡しした。
お互いにお酒が入るとリラックスしているので仕事に関係することから、まったくしないことなんか、とめどなく話ができてすごくたのしい時間になっている。帰る前に二人で酔い覚ましがてらニコラでアアルトブレンドのコーヒーを飲んで、そのあとにワインを一杯ずつ飲んでから解散した。
仕事の終わりに、目上の方とご一緒させてもらうのは僕からすればすごくありがたい。元々家ではお酒は一滴も飲まなく、誰かと一緒に飲み屋に行ったりした時に飲む程度なので、コロナパンデミックで誰かと飲みにいくこともほとんど減っていた。それもあってご一緒できるのはうれしい。
たのしい雰囲気で一緒にお酒を飲めるのは年齢は離れているけど、気が合うというのもあるだろうし、もしかしたら僕がわからないところで気を使ってもらって話しやすい雰囲気にしてもらっているのかもしれない。年下に偉そうな人でもなくニュートラルな人はやっぱり居心地もいいし、いろんなことを話したいし、聞かせてもらいたいと思える。おじさんになっていくと友達も減っていくし、独りよがりが増してしまうんだなって、某Facebookを見ると感じることが多いので、僕もできるだけニュートラルなおだやかさを持てるようになりたい。

 

6月30日
前日わりとビールを飲んだような気がしたが、二日酔いにもならずにいつも通りの朝だった。最終週の金曜日なので、古川さんの「文芸時評」が掲載される日だと思って、コンビニでコーヒーを買うついでに朝日新聞をゲット。


文芸時評)家族の最前線 作らない世界、生まれる世界 古川日出男

積読になっている小池水音著『息』も取り上げられていて、時評に書かれている文章を読むと表題作もだが、収録されているもう一編も読んでみないといけないなと感じた。
表題作での関係性や誰かが何年前に亡くなったということがもう一編の、おそらく新潮賞を受賞したデビュー作では反転している、あるいは前世のようなもので、表題作が現世のようにも感じるというので興味が増した。

リモートワークは僕が進められるところはやっておいて、次のステップの承認や確認を待つ時間ができたので、少し先のツイート投稿予約するための文章をマスターシートに書き込んだりしていった。
休憩中に外に出るとわずかに、ポツポツと雨が降ったりしていたが傘はいらないぐらい。だが、熱気と湿気がかなりあって長時間外にいたら倒れそうだなって思う嫌な気候だった。
夜は日曜日のミーティングまでに出すライティング作業をやる。明日で最後までは行けそうだけど、前日の作業の続きもあるから、来週のスケジュールを確認した。やっぱり上旬がわりとパツパツになる。まあ、臨機応変にやるしかないんだけど、そのためには心身ともに健康というか、詰まった時に踏ん張れるぐらいの体力や余裕をもっておきたい。

『哀れなるものたち』予告編 

原作は日本でも2008年に翻訳された、スコットランドの作家アラスター・グレイ著の傑作ゴシック奇譚「哀れなるものたち」(早川書房刊)。その類稀な世界が映画界随一の鬼才ヨルゴス・ランティモス監督の手によって映像化される。

風変わりな天才外科医ゴドウィン・バクスターの手によって不幸な死から蘇った若き女性ベラが、世界を知るために大陸横断の冒険の旅へ出る。時代の偏見から解き放たれたベラは、平等と自由を知り、驚くべき成長を遂げていく。(THE RIVERより)

予告編を見たらかなりよさげな作品なので期待できそう。

寝る前に江國香織著『がらくた』を最後まで読んだ。この先にまだ物語は続くのがわかるオープンエンド的な終わり方だった。主要人物である帰国子女の女子高生の美海は十代の頃の二階堂ふみとかが浮かぶような、ちょっとクールで大人びているけど、大人との距離感や関係性において子供に見られるのが嫌な感じがあって、一人の人間として扱ってくれる人たちとの交流を楽しんでいた。最後にその終わり方になるのかと思うところもあるけど、彼女なら違和感はない。
この作品においてはセックスというよりも性交に関することが何度かあるし、大人たちはオープンだったりするが彼や彼女たちはそのことをしっかりと享受しようとしている。食事するシーンも何度も何度も出てくるから、性交と食事というものの描き方が江國さんの恋愛小説の魅力でもあるのだろう。

今回はこの曲でおわかれです。
toe - MOTHER_Feat. ILL-BOSSTINO, 5lack 



KID FRESINO - that place is burning feat. ハナレグミ (Official Music Video)