Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2023年6月1日〜2023年6月15日)

5月下旬の日記(2023年5月16日から5月31日分)


6月1日
日付が変わって6月になったので5月下旬の日記をブログにあげていたら深夜1時を過ぎていた。SNSを見ていたら、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のポスターの販売がA24ショップで始まったというお知らせが出ていた。

A24のサイトにアクセスをしてみると限定1000で、このポスターデザインをしたJames Jeanの直筆サインが入るというのものだった。価格は100ドル。うう、高い。とりあえずポスターをカートに入れてみて、送料はどうなるのか見てみたら47ドルだった。合わせると147ドル、そのまますぐに今1ドル何円だったのを見たら139円、計算すると2万を超える金額だった。
ポスター一枚に2万か、高いが欲しいといえば欲しい。今月の無駄遣いを抑えれば買えなくもない。前にこのポスターのオリジナル版というか、映画を観た時にもらったポストカードのデザインのポスターも販売していたのだが、すぐにソールドアウトしていた。しかし、その時は50ドルだった。おそらく今回は直筆サイン、あと塗り絵用のイラストもついているから100ドルなのだろう。住所などを英語にしてからもう少し悩もうかと思ったが、気がついたら会計ボタンを押して購入していた。
前日の夜にA 24特集の『ユリイカ』を読んでいたのも影響した気がする。でも、いつかA24関係の仕事をしてみたいという気持ちもあるから、それに繋がったらいいな。
アメリカからなのでどのくらいで届くのかはわからないが、部屋にマルチバースの世界を描いた映画のポスターを飾る。僕の人生における他の並行世界を、それらにある可能性を引き寄せたい、という願掛けでもある。起きてからサイトを見てみるとすでにソールドアウトになっていた。

サニーデイ・サービス - 家を出ることの難しさ [Official Video]




明日〆切のライティング作業を起きてからした。それから歩いて渋谷のシネクイントへ。数日前にテレビプロデューサーの佐久間宣行さんがインスタにあげてたので気になっていた中国の3Dアニメ映画『雄獅少年/ライオン少年』を観に来た。
歩いてる時に深夜に放送された『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴いていたら少しだけこの作品について語っていてラストのほうでのシーンを絶賛されていた。

中国の伝統芸能である獅子舞の演者を夢見る少年たちの姿を描いた長編アニメーション。

2世紀ごろ魏晋南北朝時代の中国大陸が発祥とされる獅子舞。現代中国の獅子舞は、前足を担当する1人と、背中と後ろ足を担当するもう1人が獅子となり、そこに楽団も加わって、旧正月や店舗の開店祝いの場などで「招福駆邪」として演じられる。広東の田舎で暮らす少年チュンは家が貧しく、両親は長年にわたり都会の広州に出稼ぎしていた。ある時、自分と同じ名をもつ獅子舞の演者の女の子と知り合ったことをきっかけに、チュンは獅子舞の世界にあこがれを抱くようになる。かわいい女の子を目当てにチュンに誘われ参加したマオ、そしてマオの知り合いのゴウとともに獅子舞チームを結成したチュンは、若いころは町一番の獅子舞の踊り手だったという干物屋の店主チャンに師事し、獅子舞の演者として成長していく。

日本では2022年に「雄獅少年 少年とそらに舞う獅子」の邦題で字幕版が公開されて好評を博したことから、2023年5月、新たに日本語吹き替え版が制作され全国公開される。(映画.comより)

3Dアニメということで観ている感じとしては『ヒックとドラゴン』を観たときに近いイメージを持った。自分だったらこのデザインやビジュアル的に観たいとはまったく思えないけど、この人が勧めてるなら観よう、観たら絵とかは好きではないのは変わらないけど描かれている物語は最高じゃねえかパターンだった。
弱っちい猫や負け犬やノロマな豚と悪口を言われているような、ずっと惨めな思いをしてきた3人の少年が獅子舞をすることで成長していくという物語。師匠として彼らを指導することになるチャン自身もかつて獅子舞を諦めた過去があり、四人は一丸となって大会を目指していく。いじめっ子のような主人公のチェンを見下していたガキ大将のような青年も終盤でチャンの獅子舞を応援するようになるなど少年漫画の王道な感じもするが、その流れが非常に気持ちよかった。
予告編では出稼ぎに都会に出ていた父親が事故に遭ったなどが出てくるが、チェンの障害として両親の問題が一応最後まで通じている。3Dアニメは正直好きではないが獅子舞が飛び交うシーンなどをみるとやはり実写ではかなり難しいのもわかる。だからこそアニメで描くというのは間違いない判断だったと思うし、そのことがラストシーンの感動的な一場面に繋がっているというのも素晴らしい展開だった。
冒頭の墨で描かれたような獅子舞の描写を見た時にこういう感じでアニメ映画『犬王』もやっていたら違う感触になったのではないかなとちょっと思った。
お話としてもうまくまとまっているし、獅子舞の対決というのがわりとバトルっぽい感じもあり、その際に鳴らされる太鼓の音はその戦いを加速させ観るもの気持ちも鼓舞させる。伝統的なものを描きながら現在における子供達にメッセージを送っているようなセリフや展開もよかった。
師匠となるチャンに関しては妻もいるが子供はおらず、弟子が3人できたことで師匠であり、ある種父としての役割が与えられる。その部分では『トップガン マーヴェリック』『カモン カモン』同様に現在の社会において「父」になれない男がどう成熟して「父」になるかという問題を中国でも描いているのかもしれない。


数日前から近くの書店に行って探していても一向に見かけないジョージ・ダイソン著/服部桂監修/橋本大也訳『アナロジア AIの次に来るもの』。渋谷から帰って一度荷物を家に置いてから下北沢のB&Bに行ったらもしかしたらあるかなって思って行ってみたらあった。
装幀デザインからして水戸部功さんだろう、そうでない場合は誰かが真似ているのかなとネットで見た時に思っていたが実物をと手に取ってページをめくってみると装幀は水戸部さんだった。

帰ってから少しだけウダウダしながら気が熟すのを待ってからライティング作業を開始した。〆切が近くなるとどうもやる気が起きなくなるのはなんだろう、試験勉強前に掃除しちゃようなやつ、まあ現実からの逃避か。夕方前から作業を再開した。

 

6月2日
強めの雨音と肌寒さで目が覚める。天気予報で数日前からいっていたが本当に天候は悪そうで、一日中雨のようだった。日本列島の大部分が線状降水帯の影響で大雨となっていて、夜には新幹線も止まることになった。自然災害だから文句を言っても仕方ないという状況だが、大雨による土砂崩れや川の氾濫などが起きないでほしいと願うしかない。
起きてからはこの日が〆切だった原稿を見直す作業をしていた。リモートワークが始まってもずっと窓の外では雨が打ちつけていて、その音自体は嫌ではなかった。
休憩中にもう一度原稿をチェックしてから送信した。一度読んでもらって感想をもらったほうが加筆修正する箇所がわかってよくなるような気もする。それは甘えであるのもわかっているが、一回自分ではない人に読んでもらってその反応からもっと書けることや、テーマが深掘りされることはあると思う。
夕方過ぎて傘を刺してスーパーに買い物に行くとまだまだ雨と風は強く、台風みたいな街の雰囲気だった。なんというか、今日夜に出かける用事をいれてなくてよかった。

王谷晶さんの新刊『君の六月は凍る』の装幀を見た時カッコいいな、絶対に水戸部功さんの装幀デザインだろうなと思ったら今回もそうだった。
帯コメントにトワイライライトでもトークイベントをレギュラーでやっている倉本さおりさん、代官山蔦書店の間室さんだった。倉本さんはかなりの古川日出男作品と古川さんのファンであるということが何度かお話をして知っているのだが、間室さんは元々青山ブックセンター六本木店におられて、その際に「古川日出男ナイト」というイベントをされていた。
僕が初めて行ったのは『ベルカ、吠えないのか?』文庫版発売時のものだが、その後六本木店は潰れてしまった。家から散歩で行くのにちょうどいい距離に代官山蔦書店ができて足を運ぶようになったら間室さんがスタッフとして働かれていて驚いた。
王谷さんは「monokaki」で数年連載をしてもらっていたので僕は毎月発注書を作って送り、原稿をもらってチェックして媒体にアップして請求書を送ってもらうというやりとりをしていた。個人的にもっと評価される作家さんじゃないかなと思っている。そんなわけでこの新刊はかなり期待している。
今僕が装幀を誰にでも頼めるとしたら水戸部功さんか大島依提亜さんのどちらかにお願いする。好きなデザインが多いのもあるが、週に6日は書店に行くような人間で装幀デザインを見るのが好きだが、これっはいいなというものは大抵装幀家さんが同じな場合が多い。
イラストが多くなりすぎたのと発行刊数が増えているせいか、自分がこの装幀デザインで本出したら嫌だな、金かかってないんだろうなというものが以前よりも増えている気がする。その人にとって最初で最後までの一冊になるかもしれないから、装幀ぐらいはもっとやってあげてほしいなと他人事だが思ったりもする。


夕方前に郵便屋さんが配達してくれたのは数日前にAmazonで頼んでいた中古本だった。桐山襲著『パルチザン伝説』という作品で大塚英志さんのツイッターで、『シン・仮面ライダー』についての論考を書いたことをツイートしていた。その流れでAmazonプライムで配信されている『仮面ライダーBLACK SUN』のことも書いていて、その中で『仮面ライダーBLACK SUN』は『パルチザン伝説』じゃないかということが書かれてあった。それで気になって調べて注文していた。こんな大雨の中で持ってきてもらってすみませんという気持ちになった。

リモートが終わってから次に出さないといけないライティング仕事に関する資料を読んでいたら寝落ちしてしまった。最近こういうのが多い。時期的なことなのかこのところ本を読む集中力が長く持たない。

 

6月3日
昨日から軽い頭痛があったのだが、やはり台風とそれによる線状降水帯の影響で気圧の変化のせいなのだろうか。朝起きてもちょっと頭痛っぽかったので目覚ましが鳴っては止めて30分後にセットして寝て起きてを繰り返していたら9時近くになっていた。
ライティング作業は昼からすることにして、散歩にいくことにした。雨はかなり弱まっていて傘がいるかいらない微妙なライン。とりあえず持って出たが途中からいらなくなった。


池尻大橋の目黒川を覗いてみたがいつもよりも水量も多く勢いはあったが、夜のうちに出ていた警報クラスの危険な状態ではなくなっていたっぽい。ただ、この地点は始流みたいな場所なので天王洲アイル方面に向かっていくと水量はかなり多くまだ危険なのかもしれない。しかし、これでも関東はまだ梅雨入りしていのが不思議。
代官山蔦屋書店に行って帰る間はずっとradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴いていた。まあ、ラジオを聴くために歩いているという気もするし、この時間が心身ともにほんとうに心地いい。三四郎の二人のトークも好きだけど、そのラジオを好きになるとパーソナリティーの声も好きになるし安心感を覚えるようになるってことなのかもしれない。
前日『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』で野田クリスタルが芸人界隈を騒がしている「中田敦彦松本人志」問題に関してこの三四郎のラジオへムチャぶりをしていたのだが、それに対して小宮らしい、いつもの小宮節をかまして冒頭で笑いにしながらもしっかりと返しているのがよかった。

「平成」を象徴する上皇生前退位SMAPは解散、安室奈美恵は引退して第一線から退いた。松本人志が尊敬している島田紳助のように引退したいともし仮に思っていたとしても、それが許されないのは師弟関係で芸人になったのではなく、学校(NSC)から芸人になった第一世代であり、尚且つ天下を取った人だから先人やロールモデルがいないということも関係しているかもしれない。松本さんよりも上の世代がいなくなると彼は「芸人」としての象徴としてより多くの人や場所から求めれられ、結果として権威が集中する形になってしまう。
吉本興業もジャニーズも自民党も一強になればなるほどにその構築したシステムはより強化され、トップが関与していることだけでなく関与しないことでもシステムを維持するためのその下にいる人間たちが算盤勘定する。そして、プラスかマイナスかによって上の人間が何も言わなくても忖度をしていくという流れができるのだろう。彼らはトップや象徴を利用しながらその私利私欲を肥やしたりもするので、彼らは顔や名前が出ないが権威を持つ存在となって業界やジャンルで王様のように振る舞うことになり、さらにそことの関係ある人は畏怖し忖度をしていくというダメなスパイラルができあがっていく。
集団はいとも簡単に個人を踏みつけて殺してしまう。多数派でいれば踏みつけてもさほど良心の痛みは覚えにくいし、知らないうちに加担してしまうことになる。元システムエンジニアである伊坂幸太郎さんが小説『モダンタイムス』で描いたのはそんな集団対個人についての物語だった。そのことを最近思い出した。
この件に関しては松本さんの問題というよりはテレビバラエティやお笑い、吉本興業の力の強さが根元にはあるだろうし、中田さん自身売れっ子となったが賞レースなどで勝ったということがない、そういうこともかなり影響があったのだろう。僕も思うが権力がないものは権力に対して嫌悪感も覚えるが、同時にその権力に認められたい、欲しいという相反するものが同居するのは不思議でもなんでもない。中田さんはそういうものに惹かれている部分は少なからずあるように今回の件では思えてしまう。

謎に包まれた人物“風間蝮親”が、ついに姿を現す――!?『三四郎オールナイトニッポン0(ZERO)』に登場!

再来週のSPウィークゲストが風間蝮親と発表された。相田のマンションと部屋番号を特定し、彼の似顔絵と『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の映画の前売り券二枚をポストにいれた謎の人物とは誰だ?という話を何週間にわたって引っ張っていたのだけど、その謎が明かされるらしい。まあ、犯人であり風間蝮親であろう有吉弘行さんが来るとは思うのだが、珍味回になりそうな予感。

帰る時にオオゼキで焼くだけの調理で食べれるバジルの味付けがしている鶏肉を買ったのでそれを昼ごはんで食べてから、雨も上がったのでたまっていた洗濯物を洗濯して干した。
その後は今日中に送らないといけないライティング作業を寝る前までやって、なんとか送信して一安心。ミーティングの前日が毎回〆切なのでギリギリだった。あとは先方が送ったものについてどう判断してくれるか。ずっと椅子に座って作業をしていたから体がバキバキ。

アンチマン - 岡田索雲 | webアクション


イゴっちが教えてくれた漫画を読む。実際の事件がいくつか思い浮かぶし、題材になっている。この息苦しさ、主人公のミソジニー的な要素に関しては冒頭と最後の部分で多少理解ができるというかそうなってしまった部分はわかる。
もちろん中年になって恋人もおらず結婚もしていない男性(僕もだが)がかつての家父長制が当たり前だった時代の父母や祖父母がいた中で育っているとそこから抜け出すのは難しく、自分のせいにしないとなると社会や他者のせいにする、わざとぶつかっていくという加害行為に出ているのもそれらの反動という捉え方はできる。
全体的にモチーフやテーマはこれでもかと現実的なものが組み込まれており、あざとくすら感じなくもない。ただ、この漫画を描いた岡田さんなりのエンタメに寄せるための作業というか意識であざとくすら感じさせる組み合わせと状況設定にすることで読者に届く、届いてしまう物語にしているのかもしれないと思えた。
読後感は純文学の小説を読んだ時のようなものに近い。他者が自分に入り込んでくる嫌な感じとか、触れたくないものに触れられてしまって自分の中の良心や悪意や性欲や暴力性や理性なんかがないまぜになっていくような、感覚。

 

6月4日

夜にライティングの二週間に一回のミーティングがあるので、朝の作業は休みにして歩いて六本木ヒルズへ行く。1時間10分前後かかる感じだが、晴天だったので今日は汗ばんだ。
行き帰りは『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いて、聴き終わったあとはPCのradikoでは聞いていたが、スマホでは聴いてない番組を繋ぎがてら再生していた。
TOHOシネマズ六本木で是枝裕和監督『怪物』を鑑賞。カンヌでも話題になったしそこそこお客さんは入っていた。年齢層は高かったが、終わった後に小学生ぐらいの子連れの人も見かけた。この映画は作中に出てくる子供と同年代の子が見たらどう思うのだろう、というか親子で観にくるってのがすごいなと思った。正直な感想とか気持ちとか親子で話しにくくないかな。

万引き家族」でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した是枝裕和監督が、映画「花束みたいな恋をした」やテレビドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」などで人気の脚本家・坂元裕二によるオリジナル脚本で描くヒューマンドラマ。音楽は、「ラストエンペラー」で日本人初のアカデミー作曲賞を受賞し、2023年3月に他界した作曲家・坂本龍一が手がけた。

大きな湖のある郊外の町。息子を愛するシングルマザー、生徒思いの学校教師、そして無邪気な子どもたちが平穏な日常を送っている。そんなある日、学校でケンカが起きる。それはよくある子ども同士のケンカのように見えたが、当人たちの主張は食い違い、それが次第に社会やメディアをも巻き込んだ大事へと発展していく。そしてある嵐の朝、子どもたちがこつ然と姿を消してしまう。

「怪物」とは何か、登場人物それぞれの視線を通した「怪物」探しの果てに訪れる結末を、是枝裕和×坂元裕二×坂本龍一という日本を代表するクリエイターのコラボレーションで描く。中心となる2人の少年を演じる黒川想矢と柊木陽太のほか、安藤サクラ永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太、高畑充希角田晃広中村獅童、田中裕子ら豪華実力派キャストがそろった。2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され脚本賞を受賞。また、LGBTクィアを扱った映画を対象に贈られるクィア・パルム賞も受賞している。(映画.comより)

人には事前情報なしで観た方がいいよと勧めるタイプの映画だった。ニュースなどで『第76回カンヌ国際映画祭』でクィア・パルム賞と脚本賞坂元裕二氏)を受賞というものも見かけるので、クィア・パルム賞という時点で予告などに出てくる主人公らしき、メインとなる少年たちの関係性はなんらかの性的マイノリティであろうと予測はできてしまう。クィアというのは調べると「LGBTに当てはまらない性的マイノリティや、性的マイノリティを広範的に包括する概念」とあり、彼らの関係性はクィアの概念に関係あるのかなと思って観てしまうことにはなる。
物語は3章というか、同じ時間軸を異なる視線で描いていく。最初はシングルマザーの早織(安藤さくら)の主観で、二つ目は学校の先生である保利(永山瑛太)の主観で、三つ目は早織の息子である小学生の湊(黒川想矢)の主観で物語られる。そのことで実際に起きていた出来事それぞれのレイヤーが違うことで一つの出来事がまったく違うものに見えてくる。それぞれの立場や知っていることによって物事の見え方が違ってくるため、タイトルにある「怪物」とはなんのことかと思って観ていると、徐々にその「怪物」は時間と共に変化してくる。

湊と依里の関係性において隠れ家のようになる廃電車車両でのやりとりを見ていると二人は2020年代の、現在のカンパネルラとジョバンニみたいだなって感じた。坂元裕二さんは『銀河鉄道の夜』を意識したのだろうか、やっぱりカンパネルラとジョバンニの関係性に似たものもあるし、隠れ家がトンネルの向こう側あること、廃線になった場所にあることなどからも現世というかあの世に近い場所にあるようのも見えてくる。そういう総合的なイメージで僕には二人の想いのことと関係性もあってか、『銀河鉄道の夜』だなって思えた。
最後の解釈も観た人が決めればいいのだろう。電車もあのトンネルもあの台風のような嵐もすべてが作中で言われているある言葉に結びついているのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
「怪物」というワードに関して言えば、最初の章では保利がそうかと思えるが、二つ目以降では田中裕子さん演じる校長先生もあるいは早織や依里の父親もそう思えるし、依里自体もその可能性を秘めているように見える。どこから見るかでその印象はかなり違うものとなっていた。


坂元裕二著『怪物』シナリオブックは数日前に買っていたのだが、映画を観るまで読むの我慢していたので帰ってから読んでみた。校長先生のセリフや湊と依里のやりとりだけでなく、湊の隣の席のBLマンガらしきものを教室で読んでいる女の子が二人の関係を応援するというセリフや描写などが映画では削られていたのだとこの決定稿を読むとわかる。それはどちらかというとある種の確信に触れる部分だったので、映画の際に削ったような印象を覚えた。それは観客にいろんな問いについて考えてもらいたいという狙いだったのかもしれない。
最初に早織が息子の湊が担任の保利に虐められていると校長に伝えて、教頭などが同席した場で保利が謝罪するシーンがある。早織の目を見ない、感情のこもっていない先生たちの言葉などのやりとりが行われるのだが僕は何度か笑ってしまった。教頭が東京03の角田さんだったりするのだが、この不条理な状況はコントだと思えたからだ。いや、日常というのはそもそも不条理なコントなのだ。是枝監督と坂元裕二脚本が見せるもの、そして亡くなった坂本龍一さん音楽と今年を代表する日本映画だと思う。まあ、田中裕子さんがすげえなって思う、怖いもん不気味というか佇まいが、決定稿読むとだいぶ印象変わるけど。樹木希林さんが亡き今、是枝作品において重鎮というか樹木希林さんのような位置を田中さんに託すのかもしれない。

湊と依里は廃車になった電車を秘密基地にしているが、これは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』がモチーフになっているのだろう。湊と依里はジョバンニとカンパネルラであり、『銀河鉄道の夜』の物語は二人ともあの世のようなあちら側へ行ってしまい、ジョバンニは現世に帰ってくる話だが、今作ではジョバンニとカンパネルラの同性愛的な思いや気持ちの交流が描かれ、最後にまるで母親の産道のようなトンネルを抜けて台風の過ぎ去った緑豊かな場所に出て走っていく。その前に早織と保利が横倒しになった電車を見つけて中を見るが二人が見つかったという描写はない。そこを抜け出してトンネルに避難していた二人は嵐が去ってその先の廃線となった緑豊かな場所に出たようにも見えるが、観客によってはそうだし、見方を変えれば死んで生まれ変わった湊と依里の姿にも見える。
湊の亡くなった父親の話で何度か「生まれ変わり」ということが出てくるのでそう考えても違和感はない。ただ、作品としてどちらが正しいのかはわからない作りになっているし、そもそもなにが本当のなのかはそれぞれの視点で違うし、見える景色は当然違うのを提示しているので、ラストシーンは観る人に委ねられている。僕は湊と依里という新時代のジョバンニとカンパネルラは死んで生まれ変わったと思いたいなって感じた。

21時からミーティングを1時間半ほどする。ライティングして提出したものについての感想やそれを含めてこれからどう進めていくかなど話をできた。ここでしっかりと意見も言い合えているし、すごくいい流れは作れていると思う。
あとは時間がかかろうがしっかりとひとつの形になるまでできる限りのことをしていくしかない。一緒にやっている方々との理解と信頼は深まっていると思うのでそれは頼もしい。

 

6月5日
少し肌寒さを感じて目が覚める。目覚まし時計よりも1時間ほど早いので少しベッドの上でダラダラする。
MacBook AirTVerを立ち上げて横になったままで『あざとくて何が悪いの?』を見ていた。次第にうとうとしてしまって結局目覚ましに起こされた。
朝の執筆作業はできなかった。そのままリモートワークを開始。いつも通りの仕事をのんびりとやっていく。

途中母から電話があったが着信音も着信時のバイブレーションもうんとすんとも言わず、電話に出れませんという音声が流れたと折り返したら言われた。でも、留守番電話になっているわけでもないし、設定をいろいろ見たがよくわからない。
お昼すぎに先週〆切だった原稿についての連絡がきて、担当さんと少し電話で話をした。僕がいろいろと間違えている部分や文章の展開のこと、伝えるべきことの流れなどを赤ペンというかPDFに入れてもらったものもメールで送ってもらったのでそれを電話しながら見ていた。話を聞きながら初めて読む人にできるだけわかりやすく説明をしつつ、話を広げすぎないようにして(飛躍しすぎてしまって、回収できていない、それをやるなら文字数的にも無理だった)、テーマをもう一度確認してリライトすることになった。まだ、時間はあるらしいけど木曜日までには一回指摘してもらったものを反映したものを送って確認してもらえるようにしないといけない。勝手に自分の中でこんがらがったものは少しずつほどけ始めたような気はするので、しっかり言われたことを聞いて直していい原稿にしなければ。

前日の「川島さんのねごと」と「有吉弘行サンドリ」はほぼリアルタイムで聴いていたのでTVerをBGMがてら流していた。その中でオードーリーの若林さん(演じるのはKing & Princeの高橋海人)と南海キャンディーズの山里さん(演じるのはSixTONES森本慎太郎)のことをドラマにした『だが、情熱はある』の最新回を見た。
見始めたのが前回ぐらいからなのだが、メインの二人がかなり本人に似ている、顔形よりも声や話し方やそのニュアンスの使い方がすごい。今回はオードリーがズレ漫才を始めてものにしたことで敗者復活戦を勝ち抜いて本戦に出るというストーリーだった。正直感動した。見終わってから実際の決勝戦に出場した時の漫才を見た。敗者復活でやったものと同じだが、オードリーを演じた若林さん役の高橋海人さんと春日さん役の戸塚純貴さんが完璧にやっていたものもわかった。すごいことをやってる。

仕事が終わってから翌日に映画の試写に行く予定になっていたので、その前作がアマプラに入っていたので視聴。何年か前のものだけど割と設定とか登場人物の関係性みたいなものは忘れていたのでいい復習になった。
6日に試写にも行くので下北沢にある「K2シモキタザワエキマエシネマ」で21時から上映される『エブリシング・エブリウェア・オール・ワット・ワンス』のチケットを前日にウェブで取っていた。
劇場で観るのは4回目、Blu-rayとかソフト化して発売のお知らせみたいなものはSNSで見たけど、家で見るかというと僕はちょっと疑問、だからスクリーンでもう一度観ておいて、アメリカからポスターが来るのを待とうと思った。


『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』四回目を。一回目はTOHOシネマズ日比谷、二回目はTOHOシネマズ新宿(ここまではIMAX鑑賞)、三回目はホワイトシネクイントで今回はK2シモキタザワエキマエシネマと毎回違う劇場で観たのもなんか自慢できるというか、個人的にクエストをちょっと攻略した感じもある。
席は一番観やすいど真ん中を取っていたが右隣三席にもお客さんが座っていた。僕の隣は3、40代ぐらいに見える白人男性で、その横の二席はアジア系か日本人かわからないけど若い男性と50代ぐらいに見える女性二人いた。
始まる前に英語かなにかで会話していたような気がする。映画が始まってすぐに主人公のエブリンと夫のウェイモンドの会話があるのだが、中国語で話している。字幕は日本語になっていて、その後に英語セリフも増えていくが、中国語も英語ももちろん日本語訳した字幕が出る。隣の白人男性とその隣の若い男性が前半ちょこちょこ会話をしていたのが気になったけど、もしかすると白人の人は日本語がわからない可能性もありそうだなと思った。そうなると中国語はわからないし、字幕読んでも何を言っているかわからない。ここは何も言わないでおこうと思った。しばらくしたら中国語のやりとりも出てくるが英語が増えてくるのでそうしたら大丈夫だろうと思った。そうするとやっぱり隣の話し声はほぼなくなった。

終盤近くでその白人の方が泣くような音が聞こえてきた。家族の話に弱いのかもしれない。でも、その3人組はエンドロールの途中で席を立って帰っていった。最後にA24のロゴ出て明かりがついたら僕しかいなかった。なんかそれがよかった。6人ぐらいはお客さんがいたはずだが、みんなエンドロール最後まで観ないらしい。
この作品を酷評している人や嫌いな人もいるし、そういう声もたくさん聞いてる。でも、そういう人たちは僕の感じでは「何者」かにはなったりしてる(していた)人が割合的に多い気がしている。そのこともちょっと気にはなってる。でも、アカデミー賞を選ぶ会員の人たちはなってる側だしなあ、とも思う。そうするとこの考えは違うんじゃないかなって思えてくるし、なんかカオスだね、自分の中が。
明日のためにこのタイミングで観るのが自分には意味があると思っていたから、これがどう転ぶんだろう。でも、ミニシアターでスクリーンを近くに感じて音響もよいと感じられるところで観れてよかった。下北沢から歩いて帰っていると日付は変わっていた。満月みたいなまんまるとした月が異様に光って輝いていた。

 

6月6日
眠りが足りないと感じたがとりあえず起きる。先日のミーティングの時に出た次回の課題とか先方が今後どうしていくかについての内容のメールが来ていたので、文章と資料を読みながら自分の意見をまとめて返信して、一日の作業をスタート。
こちらも前日に提出してリライトしないといけない原稿の最初の部分を完全に初見の人にもわかるように、尚且つ人物的に重要な人のことや魅力的な人をいれてみたりした。木曜日には最後まで書き終わりたい。

メフィスト賞」「女による女のためのR-18文学賞」とこの20年ほどの間に特定の新人賞から出てきた小説家さんたちが活躍して認知されていった。そうするとレーベルというかその新人賞自体も影響力を持つようになって、魅力的な書き手が集まってくる。といういいサイクルができていた。
どちらもそこからしか出てこなかったであろう作家たちが世間的にも認知される&直木賞作家を輩出する、というところで一つの完結というか役割を果たしたように感じる。
僕がスタッフをしている「monokaki」は小説投稿サイト「エブリスタ」のオウンドメディアであり、エブリスタではコンテストをいろいろと開催している。
特定非営利活動法人氷室冴子青春文学賞と株式会社エブリスタが主催し、単行本は河出書房新社から刊行される「氷室冴子青春文学賞」はその次に来るものだと個人的には思っているし、実際にいい書き手が年々出てきている。
「monokaki」では第四回の授賞式のスピーチの記事が本日公開になった。選考委員である朝倉かすみさんの言葉を最初に読んだ時に正直震えがきたのを覚えている。ぜひ読んでみてください。


21時ぐらいから雨予報だったので洗濯物は早めに取り込んでおいた。作業をしてから夕方ごろに家を出て虎ノ門方向へ歩いて向かう。曇り空で湿気が多いので汗をかなりかいた。

Kassa Overall - Make My Way Back Home (feat. Nick Hakim & Theo Croker) [Official Video]


10月にWWWXで行われるライブの先行抽選に申し込んでいたら取れていた。すごく楽しみ。


スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』をソニー・ピクチャーズ試写室で鑑賞。ウェブ宣伝の佐々木さんが案内をくれたのですぐに予約をして確保してもらっていた。

ピーター・パーカーの遺志を継いだ少年マイルス・モラレスを主人公に新たなスパイダーマンの誕生を描き、アカデミー長編アニメーション賞を受賞した2018年製作のアニメーション映画「スパイダーマン スパイダーバース」の続編。

マルチバースを自由に移動できるようになった世界。マイルスは久々に姿を現したグウェンに導かれ、あるユニバースを訪れる。そこにはスパイダーマン2099ことミゲル・オハラやピーター・B・パーカーら、さまざまなユニバースから選ばれたスパイダーマンたちが集結していた。愛する人と世界を同時に救うことができないというスパイダーマンの哀しき運命を突きつけられるマイルスだったが、それでも両方を守り抜くことを誓う。しかし運命を変えようとする彼の前に無数のスパイダーマンが立ちはだかり、スパイダーマン同士の戦いが幕を開ける。

オリジナル英語版ではシャメイク・ムーアが主人公マイルス、ヘイリー・スタインフェルドがグウェン、オスカー・アイザックがミゲルの声を担当。(映画.comより)

すべての面で前作を越えてきた衝撃があった。これはどうなってんだろうか、来年公開予定の続編『スパイダーマン:ビヨンド・ザ・スパイダーバース』がさらに越えてきたら、映画史を全部乗り換えるような物語に、創作になってしまうと思った。
この日記は下旬の16日にはアップするが、その日がこの映画の公開日なのでやはりなにもネタバレに関するようなことは書かない方がいいと思うので控える。それにしても最高だった。
上映後に佐々木さんに挨拶をして外に出ると21時ぐらいになっていて、予報通りに雨が降り始めていた。『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』を観た余韻をもっと味わいたい、噛み締めたくて電車には乗らずに歩いて帰ることにした。行き帰りで17キロぐらいになった。家の近所に着いた頃にはびしょ濡れだったけど、ずっと心が高揚していた。

 

6月7日
1時過ぎに寝たのに7時前には目が覚めた。昨日雨の中を歩いて帰ってきて風呂にも入らず、シャワーも浴びずに寝たので目覚まし代わりにシャワーを浴びた。
雨の中を歩くのはわりと好きだし気持ちいいのだけど、髪が雨で濡れるとなんかシャワーを浴びた時と違う感じがする。生活水は消毒してたりするだろうから、その差なのか。雨で髪の毛濡れてから指で髪の毛をすこうとすると通りが悪いというかサッと通らない。キューティクルが際立つとかそういうことなのか、わからん。

昨日やっていた作業の続きを始める。TVerで前日見たい番組もマイページにはなかったのですぐにradikoを再生。『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴き終わる頃にはリモートワークを開始して仕事開始。
その次は『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を聞いたら冒頭から太田さんが中田敦彦の提言というか松本人志への言及したことを話し始めた。太田さんしか言えないとも思える「芸」と「芸人」についてのことだった。二人のことを言葉は選びながらだが、特に中田に対してやさしいというか批判をしないで、彼が本当に欲しいものはなんなのか? もしかしたらそれが権威というものであるならばそんなものは「お笑い」の邪魔にしかなんねえぞって。
大衆が求めるものとテレビのこと、客と芸人の話から最後まで高座に立とうとしていた立川談志師匠の姿のこと、弟子の立川志らく師匠はもうこんな体になってまで高座に出なくてもと言われていたらしい。師弟関係とか父息子と同じだから、そういう志らく師匠のこともわかった、と。でも、自分は客として高座にみっともないボロボロの姿でもいいから出ている談志が見たかったと太田さんは言っていた。客というものはそういうものなんだと。
テレビに出ている大物芸人たちはどいてと言われてもどかないけど、需要がなくなればスポンサーもなくなってやりたくても番組はできなくなる。できているということはまだ大衆が彼らを求めているということも話をしていた。そして、師弟関係ではなく学校というところで「お笑い」を学ようになったことについて、「学問」になった「笑い」についての自論をはなし、お笑いコンテストがテレビで売れるきっかけになってしまったことで「競技」になってしまった「お笑い」についても話されていて、さすがだなと思った。そのあとにランジャタイがゲストできてかき回していくのだけど、それも含めて素晴らしいほうそうだったと思った。


休憩中に本日発売の王谷晶著『君の六月は凍る』を買いに書店に向かった。休憩前とこの時間と帰ってからの作業中で『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』をどちらとも聴いた。
あのちゃんはどんどんパーソナリティーとして魅力的になっているし、まだ三ヶ月も経っていないのにすごく慣れてきていてこのまま数年はやってほしい。星野さんはとある編曲家さん縛りで番組内では曲をかけていたのだが、すべて知っている古いものだったが、改めて聴くとこんなに魅惑的で揺さぶられる曲なんだって思うえるものばかりだった。

休憩から帰ってきたら前に頼んでいた装幀家の川名潤さんによる『出版とデザインの26時』『出版とデザインの27時』が届いていた。


仕事が終わってからライティングの作業をしようと思っていたけど、寝不足なのか頭が重いので横になっていたらうとうとしてしまった。目が覚めてから『君の六月は凍る』と一緒に買ってきていた『群像』最新号掲載の古川日出男さん連載小説『の、すべて』第18回を読んだ。
今回語り部が「われわれ」になっていて、誰だ(どの視点になった)と思ったら数ページ以内にその視点人物がわかった。この作品は大澤光延というスサノオ都知事と呼ばれた人物の20代からほぼ現在のコロナパンデミックが深刻だった時期のことやそこから時間がもう少し経った頃までの長い時間を描いているが、彼自身が語るのではなく、語り部たち語るスタイルになっている。そして、今回は語り部がスイッチしたという感じでもある。
最初の語り部からバトンタッチされたある人物、彼女ではなく彼女をさらに見ている(監視している?)人たちの視線で。たぶん、あと一、二回で最終回を迎えると思うけど、今年中には一冊に纏まって発刊されるはず。読み終わったので寝ることにした。明日は早めに作業を開始しようと思う。

 

6月8日
朝4時ぐらいに急に吐き気がしてトイレに駆け込んだ。胃液があがってきたような、一瞬だけ息がつまりそうになった。何年も前にもこういうことがあった記憶がある。寝ゲロではないが、こういう感じで喉に胃のものが逆流してつまったら呼吸困難になって死んでしまうな、とよくわかる嫌な感覚が残った。
起きた後に調べたらおそらく「胃食道逆流症」と呼ばれるものだった。早食いや肥満や就寝直前の食事など思い当たることがいくつかあった。痩せると「胃食道逆流症」はかなり改善されるらしい。ということはやっぱり体重落とすしかない。
だいぶ落ち着いたので麦茶を飲んでから布団に入った。7時前に目覚ましが鳴る寸前に目が覚めた。ライティング作業に関してのメールが来ていたので一度読んで、次の作業に関しての確認をして返信をした。
30分ほど寝たままでスマホを見ていたら、ラジオ『アフター6ジャンクション』で宇多丸さんが『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』に関して話されていたものが文章化されてアップされたものがオススメででてきたので読んでみた。

宇多丸)タイミングが合わなかったんですが。これ、あんまり言うとまたハードルが上がっちゃってね。「なにを大げさなことを言ってるんだ」と言われるかもしれませんけど。もうね、オープニング数分ではっきりするのは、「えっ? 1作目をガンガン、超えてきてんだけど」っていう。

(宇垣美里)ええっ? あれを超える!?

宇多丸)もうとにかくね、「なんなの? なんなの、これは?」っていう。だから1作目って、言っても5年前ですから。ある意味、『スパイダーバース』の影響を受けた様々な作品っていうのが今、出ている状態じゃない? それをさらに10年ぐらい引き離す勢いですね。今回は。
ーーーーーー
宇多丸)うん。だからその宣伝の方向ね、もちろんこれだけ革命的な作品だと大変だっていうのはわかるし。もちろん、若年層には「スパイダーマンのアニメーションですよ」って、これでいいと思うんだけど。やっぱり大人向け宣伝として、「アニメーションの歴史的革命のさらにその先なんだ」っていう、その作品的位置づけを俺、もうちょっと宣伝で強く言っていいんじゃないかな?って。

(宇垣美里)「これが最先端なんですよ」っていう。

宇多丸)そう。だから「スパイダーマンとか、アメコミヒーロー物には興味がなくても、その映像表現の最先端としてこれは必見なんだ」っていう言い方をしていい。俺、もっとそこをすべきだっていう気がしますね。

宇多丸スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』を絶賛する

火曜日に試写で観てからずっと『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』のことが脳裏にあるんだけど、宇多丸さんも「えっ? 1作目をガンガン、超えてきてんだけど」「なんなの? なんなの、これは?」という僕も思ったことをラジオで話されていたいたみたい。ほんとうに「これなんなの?」っていうレベルでちょっと凄すぎた。


画像は中国版のポスターだが、ちょっとよすぎる。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のJames Jeanデザインのものに寄せてる感じもする。ちなみに公式サイトでもいろんなマルチバーススパイダーマンは紹介されていて、インド系のスパイダー・インディアはいるけど中華系のスパイダー・チャイナは今回はいない。

「アクロス・ザ・スパイダーバース』」は中国では本国アメリカ同様に2日から公開されているんだが、大ヒットというのは聞こえてこない。『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』もそこまでって感じっぽい。
逆に『すずめの戸締まり』や『THE FIRST SLAM DUNK』は日本同様にヒットしている。『SLAM DUNK』の海賊版が入ってバスケ人気が高まってNBA選手を輩出するようになったと言われるほどの大人気だからわからなくもない。
『すずめの戸締まり』は個人的に観た時に新海誠みたいな50過ぎた大人がたくさんの子どもが観るとわかっていてあのメッセージ(君と僕だけがいればいいというのは大人が子供に向けて作る作品としては危険だとは思う。それは世界や社会がどうなろうがいい、金や数字を稼いで勝ち組になればいいというものと通じてしまっている価値観にも思えた。『もののけ姫』でダイダラボッチの首を返して終わるのに似ていることも含めて、あの頃も劇場で観てダイダラボッチは許さずに人間滅ぼした方がいいんじゃないかって思ってしまったが、今回もちょっとそれに近い気持ちになってしまった。と公開当時書いていた)はどうよ、基本的に僕は宮崎駿新海誠もずっと好きになれないしいいとは思えない。クリエイターとしてヒット作を出し続けて第一線にいるのはすごいと思うのと作品が好きか嫌いかというのは別の話だ。
そう考えると『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』は日本ではそこまでヒットしないような気も少しだけする。この凄さってもう許容されないのではないかと。日本のアニメカルチャー的なものと向かってる方向が違う気がする。
『ワンピース』『呪術廻戦』『鬼滅の刃』というジャンプ初の漫画のアニメ映画は大ヒットしているし、日本の映画産業の中核になっている。でも、それらはその作品ごとの世界観と物語の強度が高い。創作物としては圧倒的なんだけど、ただ外部には接続しにくい。

スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』もマーベルコミックスの『スパイダーマン』を原作としている。今までに実写やアニメなど多くの作品が作られてきたのだけど、前作『スパイダーマン:スパイダーバース』からスパイダーマンとなる主人公のマイルス・モラレスは黒人の父とプエルトリコ系の母親をもち、現在のアメリカ社会が抱える問題や現実も作中で描かれている。そこにマルチバースという要素が入ってくることで、フィクションの世界と現実の世界がより強く接続される。
だから『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』はどんどん下へ下へと深く潜るというよりは左右上下どこにでも広がっていく感じがあった。そのことが僕には大事なことだと思えるし、希望のひとつだと感じた。
ジャンプ系のアニメ映画のヒットも大切だけど、そっちだけに偏るのはいいことなのか? 価値観って多様っていうけど一極集中になっていくと、結局少数派は切り捨てられない? とかいろいろと考えてしまう。でも、これもブロックバスター作品だからなあって頭を抱えるところもある。
今までの日本的なアニメカルチャーだけでなく、海外のアニメ作品にもそういう人たちが興味を持ってくれるのが一番いいのだけど、それがどんどん難しくなっているんじゃないかなって。これが杞憂になって『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』も日本で大ヒットしてほしい。なによりも現在一番進化した映像(アニメーション)表現を用いている映画なのだから、観ないのはもったいない。観たらみんなぶっ飛ぶはずだし。


9時前からライティング作業を開始して13時ぐらいまで続けてから家を出て、下北沢まで歩いていく。山田・高橋企画『wide』を下北沢の小劇場B1にて鑑賞。ニコラ友達である藤江くんが出演しているのでチケットを予約していた。
この小劇場B1はたぶんはじめてだと思うんだけど、ステージから見て正面と左手に客席がある形になっていた。僕は正面の二列目に座った。始まるちょっと前に体を動かしていたら僕の右側は壁になっていて左手の客席の壁沿いのところのニコラのふたりがいるのが見えた。ということは14時から開始して約2時間の上演時間だと言うアナウンスがあったから今日お店は16時からではないなと思った。舞台終わったらいく気満々だった。

『wide』は公式のインスタとかでも内容紹介がないのだけど、とある姉弟をメインにした物語。二人は譲り受けた祖母の家で民宿をやっている。二人がまだ幼かった頃に家族で欧州にいて、日本に帰る前にいった海で母親は亡くなってしまっていた。父親は仕事をクビなったのか辞めたのか、それを子供には言わずに酒浸りになっており、姉は高校を辞めて働き出し、弟はホームレスを怪我させて少年院に2年ほど入っていた。出所した彼を迎えにいった姉は民宿をやろうと話して、姉弟で始めることになる。そして、現在はその民宿を二人で運営させていて、海外からもお客さんが時折くるような宿となっていた。
民宿で働く姉弟の二人とお客さんとのやりとり、過去のそれらが語られていくという内容になっていた。姉弟は民宿で客が使ったブラシや髭剃りなど誰かが使ったものを売ったりして小銭を稼いでいる。冒頭で弟を演じる藤江くんが、髪の毛や爪や体から抜け落ちていくものについて語っているシーンがあった。そういういらなくなったものを売る、そういうものを欲しがる特異な人もいるからそれは売れる。そのことは二人の秘密であるらしい。
冒頭の幼少期と現在を交互に語っていくやりかたも演劇的だと思うのだが、かなり頻繁に場面転換がされていく。正直集中力がもたなくて眠くなってしまった。大きな舞台装置があるわけではないので、民宿の場面として十字路のようにあるいは桟橋のようになっているところの中央部分に机と椅子が置かれる、それを退ける、みたいなことが時間や場面ごとで繰り返される。だったら、もっと一場面長くてもいいだろうし、舞台で場面や時間軸がコロコロ前半部分で変わると物語が客にも浸透していないのでぶつ切りになってしまう。
個人的には2時間は長すぎると感じた。脚の短い椅子に簡易な座布団があるだけの席なのでステージと客席が変形的な分、視線や体を向けるのが増える。あと脚の短い椅子はずっと座っていると股関節や腰にけっこうくる。腰弱い人とか年齢上の人はきついかもしれない。
僕は股関節が硬いのもあって、長時間座っているのはちょっときつかった。もちろん2時間越える映画でも耐えられる時とそうでない時がある。めちゃくちゃ面白ければ引き込まれているので身体的な痛みはちょっと抜けるというか忘れている状態になることもあるにはあるけど、そういうのは稀だし映画館の座席はまだ座り心地はいいから比べるのも違うかもしれない。
長く感じるのは、出てくる出演者のうちメインの姉弟以外の6人のエピソードや関わり方が後半はない人はまったくないのもある。あれどうなったんだみたいな感じもあってもったいなく感じた。それだったら4人ぐらいで、2人以外は1人の役者が何役か兼ねてもよかったかもしれない。出演者も6人か4人に削れば90分か100分ぐらいまで削れただろうし、もっとシンプルなほうが最後の姉と弟のやりとりももっと輪郭が増したんじゃないかなって。
終わった後に藤江くんに挨拶をして歩いて帰った。僕は舞台は観るけど出たこともないし作るのに関わったこともないので、舞台の戯曲は書けないなと思う。劇場の広さとか出演者のことも考えないといけないけど、何もない場所をある場所に見立てるとか場面転換をいかに少なくして効率的に物語を運べるかということになるとできそうな気はしない。やっぱりドラマや映画の映像メディアとライブである舞台とかの話の作り方は全然質が違うんだろうなといろいろと偉そうな感想が浮かびながらも思った。


一回家に帰った。18時になってからオープンしたニコラに行って、飯山産グリーンアスパラ 温泉卵と白トリュフオイルと真イワシエンダイブのオーブン焼きユダヤ風と白ワインをいただいた。この時期のお楽しみ飯山産のグリーンアスパラを、ほんと美味しい。季節のものをその時期に食べられるのって幸せ。

七尾旅人 - 入管の歌(Live 2023.3) 


でも、同時にこういう幸せな時間も長く続くのかと不安になる。改悪としか言えない、すでに立法事実が崩壊しているのに入管法改正案が自民公明、日本維新の会と国民民主党の賛成多数で可決されたとのニュースを昼間に見た。これに賛成した政治家はもうダメだ。
そもそも大阪で酩酊状態のまま外国人収容者を診察していた疑惑や難民認定の審査が特定の難民審査参与員に集中していた問題が発覚しているのに、そのことについてしっかり審議もせずに可決している。その時点でもう立法的にダメだとしか言えない。それがわかっていても党内で決まったことに反対も反論もできない議員はそれにOKしているので、もはや移民問題だけではなく憲法だけでなく国民のことはどうでもいいと思っていると思われても仕方ない。
もう三権分立もだし、政治家が人権や個人の尊厳すら尊重し守ろうとしていないし、行動もできない。そんなやつらに投票しているやつらも、そもそも投票していないやつらはそいつらを助長させ、選挙で勝たせているのに加担しちゃってるという意識すらない。今移民の人たちの問題になっていることはすぐに自国民に向く、彼らは自分たちに従わない人間は権力や暴力で従わせるようになるのは目に見えている。というかすでに始まってる。
インボイス制度だってそうだ。利益の10%ではなく売り上げの10%を消費税でもっていかれたらフリーランス個人事業主はほんとうに廃業する人や会社をたたむ人が増えるのはわかってるはずだ。そうなったらさらに日本は貧しくなる。そうやって国民をどんどん貧しくさせて自由を奪うことしか考えていない政党や政治家に投票するのも、投票しないで彼らを勝たせるのは崩壊へ後押ししているだけだ。
もっともっとひどくなって何も考えられなくなってからでは遅いし、そもそも文化や芸術みたいなものは人権や個人の尊厳と結びついている。そういうものがどんどんなくなるということはひとつの豊かさを手放すことになる。
会社員で自分には関係ないとか消費税を払えとか言ってる奴は、電気代が上がる理由もインボイスであることを知っているのか、お前の周りにいる個人事業主フリーランスで働いている人はいないのか? 社会が貧しくなっていくことに気づかないのか。ほんとうに教育って大事なんだよ、そこをしっかりしないからこんな世界になってしまっている。
僕は来年も美味しい飯山産グリーンアスパラを食べたいし、個人での執筆関係の仕事もしていきたいし、東京で生活をしたい。でも、それがどんどん困難になっていく。思いのほか日本って国がどうにもならないところに落ちているってことばっかりがわかるニュースばっかりだ。

 

6月9日
ライティング作業の続きをリモートワークの前に少し進める。資料を読まないと時系列がわからないところがあったので、読んでいたらすぐに仕事の時間になってしまった。しかし、ひとつの出来事に関して各関係者が語るものを読んでみるとズレが出てくる。それぞれに見えたことと感じたことは違うので、その辺りをどう解釈して繋げて物語にしていくかで知らない人にはわかりやすくしないといけない。

仕事で急ぎの案件が入った。来週の頭はゆっくり作業ができると思ったら忙しくなりそう。Zoomで打ち合わせしてトントンと順調に決まったので、まあいいかと。でも、こちらとあちらの温度差みたいなものはないものとして進んでいた気がする。仕事ってそういうものかな。
リモートワーク終わって、ライティング作業の続きをしたが日付が変わってしまっても終わらなかったので、先方に提出が遅れるとメールしてから布団に入った。

「自分が何者なのか」を知ることは本当に難しい。たぶん、私を筆頭に、ほとんどの人間が「自分は何者なのか」を勘違いしている。こうも言える。ある種の誤解をすることで、精神をノーマルな振れ幅の内側に保っている、と。自身がイメージしている自分像というのは、大概は「自分がなりたい人物」像でしかない。私たちの大半は、そんなものになっていない。そんなものにはなれていない。これを、こういう冷酷な現実を、どうやったら知れるのか? そして、知ったのちに、「そうである自分」の置かれた次元からアクションを起こせるのか?

ここにすべてがかかっている気がする。〈客観視〉するためには、他者のふれる手が要る。<古川日出男の現在地>第102回

寝る前にスマホで最新回が更新されていたことを知って読む。「ある種の誤解をすることで、精神をノーマルな振れ幅の内側に保っている、と。自身がイメージしている自分像というのは、大概は「自分がなりたい人物」像でしかない」という文章を仕事が終わってから寝る前に読んで、心が揺れた。
客観視するために他者のふれる手、視線や言葉がいる。そのことで本当の自分に気づいたら傷つくことの方が多いのかもしれない。

 

6月10日

2日前にウェブでチケットを買っていたので朝イチで渋谷へ。『水は海に向かって流れる』は田島列島さんの原作漫画が好きだったので観ようと思っていた作品。映画化の情報が出て、主演で榊役が広瀬すずと聞いた時にはもうちょっと年齢上の俳優のほうがいいんじゃないかなって思っていて、映画で観てみるとどんな感じなのかというのもこの目で確かめたかった。

田島列島の同名コミックを、広瀬すず主演、「そして、バトンは渡された」の前田哲監督のメガホンで実写映画化。

高校に入学した直達は、通学のため叔父・茂道の家に居候することに。しかし最寄り駅に迎えに来たのは、見知らぬ女性・榊さんだった。しかも案内されたのはシェアハウスで、会社員の榊さん、親に内緒で会社を辞めマンガ家になっていた叔父の茂道、女装の占い師・颯、海外を放浪する大学教授・成瀬ら、くせ者ぞろいの住人たちとの共同生活が始まる。いつも不機嫌そうだが気まぐれに美味しいご飯を振る舞ってくれる榊さんにいつしか淡い思いを抱くようになる直達だったが、彼と榊さんの間には思わぬ過去の因縁があった。

広瀬すずが榊さん役で主演を務め、「キングダム」の大西利空が直達、「横道世之介」の高良健吾が茂道、アニメ映画「かがみの孤城」で主人公の声を担当した當真あみが直達の同級生で颯の妹の楓を演じる。(映画.comより)

今回実写化された前田哲監督『水は海に向かって流れる』と3年前に沖田修一監督で映画化された『子供はわかってあげない』両方観たものとの感想として、やはり田島列島作品は田島さんの画風や絵のタッチと物語が唯一無二の文体のようになっていたのがよくわかった。実写化はどちらも悪くないけど、原作となった漫画の素晴らしさがより際立つように思えてしまった。
この十年近く広瀬すずの成長をスクリーンで観ているから、親戚のおじさんが姪っ子の成長を見ているような感慨もある。真造圭伍さんの『ひらやすみ』もドラマか実写映画には遅かれなるだろうと一巻が出て読んだ時から思っているが、田島列島作品の実写化みたいな難しさがありそうな気がしている、こういう作品は監督と脚本家だと誰が向いてるんだろう。そもそも実写化することで損なわれるものこそがその作品の大事な魅力とも言えるのかもしれないが。
広瀬すずの次作はなんだろうと思って観終わったあとにググってみたら、『花束みたいな恋をした』の坂元裕二脚本×土井裕泰監督コンビで、広瀬すず×杉咲花×清原果耶がトリプル主演というすごい企画だった。
リトルモアは坂元さんの朗読劇と戯曲の書籍を出したりして『花束』も企画して当ててからより関係が深くなってるのだろう、この映画もリトルモアが製作に入っていた。原作ものでもIPものでもなく実写映画のオリジナル脚本で当てているのはもはや坂元裕二ぐらいか。『怪物』もオリジナル脚本だし、そりゃあ俳優は坂元裕二脚本に出たいと思うよなあ。


「Everything Everywhere Signed Print and Coloring Sheet Set by James Jean

A new collectible colorway of James Jean's Everything Everywhere All At Once poster in a signed and numbered edition of 1000. Each order comes with a 16 3/4" x 24” coloring sheet.

昨日アメリカから届いた『エブエブ』のポスター。しかし、でかい、サイズもインチだしわからないけど調べてみるとB1サイズのポスターなら入るということでアマゾンで頼んでいた額縁がお昼過ぎに届いた。
届いた瞬間に思った。これデカすぎない? やっぱりデカかった。だけど、このポスターサイズぴったりのものはなさそう。いつか額縁をこれ用にオーダーして作ってもらうしかないっぽい。デザインをしたJames Jeanの直筆サイン入り。デカいがポスターデザインはとてもカッコいいしクールだと思う。
問題は6畳ワンルームの我が家にはデカすぎる。これが置いても違和感のない部屋に越せるようになろうと見るたびに思うようになるかもしれないし、見慣れてそんなことも思わなくなるかもしれない。

渋谷から帰って昼飯を食べてから、ちょこちょこ休憩を入れつつ、22時ぐらいまで昨日のライティング作業の続きをしていた。とりあえず、文字数もほぼいけたし、前回言われた部分は直ったように思えるが、実際に読んでもらって大丈夫かどうか、それ次第。でも、とりあえず、〆切のあるものをひとつずつ終わらせていかないと月末に大変なことになる。

 

6月11日
9時過ぎに目が覚めてから、作業をするよりも散歩に出かけた。radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら1時間ほど買い物も兼ねて歩いた。雨は小雨だったが、傘がいるかいらないか微妙なライン。
読み終わった本をバリューブックスで売ろうと思って18時以降に段ボールの回収を頼んでいたのでお昼ご飯を食べてから部屋にある本をいるかいらないか、もう読まないか読むのかを考えながら選別して箱に詰めていった。
昨日一つライティング作業の提出をしたので、夕方から来週にミーティングがあるライティング作業に手をつけた。そして、今後のスケジュールもできるだけ後半に作業がたまらないように組み直した。

 

6月12日
気持ちお腹が緩い。昨日水分を取りすぎたのかもしれない。一日中ゆるい感じだったが、湿気とか気温が上がると普段から水分をわりと取っているのがさらに増えて、下痢になりやすくなってしまう。梅雨には入ったが気温が下がるわけでもなく、湿度のみ上がってほんとうに部屋の中にいてもエアコンをどのモードにするのほうがいいのかわかりにくい。たいてい蒸してきたらドライにするけど、暑さはわりとある。それで買い物とかで外に出ると雨が微妙に降っている、とてもじゃないけどテンションは上がりにくい。夏になったらなったで外に出るのはしんどくなる。春と秋がもっと長ければいいのに。
起きてから執筆作業のための資料読み。リモートワークを開始して、今週中に早めにやることになった作業を進める。以前に進めていた作業の方に関しては僕から他の人の確認に入ったが、先方からの連絡があって、なんだか予定よりズレそうだった。

スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』ファイナル予告


今週16日から公開だが、IMAXで観るとしたらやっぱり日比谷かなあ。17日土曜日は予定が入っているし、18日日曜日は夜にミーティングがあるからそれまでに、というスケジュールのイメージはあるが、土曜日中にライティング作業が終わってないとダメだし、ちょっと悩む。

前にロンドンに1週間くらい滞在したとき、リチャード・スペイヴンやロイル・カーナーと一緒にスタジオ入ったりしてたんだけど、たまたまカッサがロンドンにいて「スタジオ取ってあるから遊びに来なよ」って言ってくれて。そのとき遊びに行って弾いた演奏が、『ANIMALS』でローラ・マヴーラが歌っている「So Happy」に使われている。カッサはたまたま俺とタイミングが合ったから一緒にやるって感じで、そうでなければ別のことをやる人。絶対に無理やり決めたことをやるんじゃなくて、常に水のような感じのアーティストだと思う。

カッサのバンドに参加するにはジャズの即興感覚と、ヒップホップのアティテュードを持っていることが大事だと思います。その両方をオープンに表現できるのが彼の音楽です。ジャズもヒップホップもソウルもファンクもディスコもあるし、カッサの場合はさらにエレクトロニックな要素もある。だからリリースもWarpですよね。カッサは常にジャズの箱に入ることを望まないので、様々なものを取り入れて今の時代を反映したものを作ろうとしています。そこにはテクノロジーもそうだし、今の社会状況も含まれます。だから、カッサの音楽は様々な意味で今の時代を反映している。

カッサ・オーバーオールの革新性とは? BIGYUKI、トモキ・サンダースが語る鬼才の素顔 

アルバムを買った時に特典でもらった『Kassa Overall Handbook』に掲載されていたインタビューの一部が『ローリングストーンジャパン』にも掲載されたみたい。TBSラジオ菊地成孔の粋な夜電波』を初回から最終回までずっと聴いていて、それで菊地さん関連のライブにも足を運ぶようになったが、それで大きかったのは自分がジャズとヒップヒップというものに関して興味も持つようになった(音源でも聴くようになった)ことだと思う。
そして、このハンドブックでインタビューをしたり構成をされているジャズ批評家の柳樂光隆さんを知ったこともかなり大きかった。柳樂さんが紹介されていることもあってサンダーキャットとかも聴くようになったと思う、たぶん。僕の聴く音楽が10年代後半から変わっていくのは菊地さんと柳樂さんの影響だろう。

昼間の作業中に土曜日に再提出した原稿について編集さんから電話が来て少し話をした。修正箇所やよんでもわかりにくいところなどについて指摘された。すぐに赤入れをしたPDFを送ってもらったので、リモートが終わって寝るまではその原稿をもう一度修正していった。
電話の中で仮でつけているタイトルをちょっと変えてみる提案があって、そこに向けていくならもっと最後がバラバラにならずにまとめられそうと思えたので、なんとかなりそう。明日の夜までには戻さないといけないのでちょっと集中。

 

6月13日
5時ぐらいに一度目が覚める。寝足りていない感じがする。寝るにも体力はいるというからもしかしたら体力が減っていたりするのかもしれない。かと言ってすぐにライティング作業とかをする気もなれないのでTVerで『激レアさんを連れてきた。』を流しながら、見ていたら眠れるかなと思ったが最後まで見てしまった。radikoで『空気階段の踊り場』を流していたら30分ほどでうとうとして寝てしまった。結局目覚ましで7時半前には起きた。
『JUNK 伊集院光深夜の馬鹿力』を聴きながら本日中に提出する原稿をもう一度最初からチェックの入ったところを読み直して修正や加筆をしていく。どこかを変えれば前後が変わってくる。文字数もあるからパズルみたいな感じだなって思う。「深夜の馬鹿力」を聴き終えるぐらいで9時40分ぐらいになっていたので、一旦作業を中断して渋谷の丸山町にあるユーロスペースに向かって散歩がてら向かう。
めちゃくちゃ暑いわけではないが、やはり湿気のせいか蒸し蒸しする。Tシャツでもいいぐらいだけど、まだTシャツ一枚は早いような気がするから上に薄手のカーディガンを羽織っていった。まあ、汗はそれなりに出るが、暑さというよりはやはり湿気な感じの汗の出かただなって思う。


友人で映画や舞台のキャスティングをやっている杉山さんにお誘いをいただいて、木村知貴さんが主演で、大西諒監督『はこぶね』という映画をユーロスペースが入っている建物の地下一階にある美学校の試写室で鑑賞。

the chef cooks me 「愛がそれだけ feat. 原田郁子」- Music Video - 


杉山さんがキャスティングのお手伝いをしているMV。the chef cooks meを最初に観たのは、たぶん下北沢Queとかでアナと対バンか何組か出るみたいなライブだった気がする。
ゼロ年代前半ぐらいの下北沢のライブシーンはアジカンやアートスクール的なロックバンドと今で言うところのネオシティポップには早すぎた、フリッパーズギター(やオザケンコーネリアス)の影響を受けたポップ系サウンドのバンドやユニットがいた。アジカンがどんどん売れて大きくなっていって、10年代以降にアジカンのライブやGotchさんのソロのサポートメンバーにシェフのsimoryoがいたのを見て、なんだかエモい気持ちになったのは、ゼロ年代の下北沢の音楽シーンを多少ライブの客として観ていたからなんだろう。

主演の木村さんは知り合いの映画関係の人が知り合いという感じで、お会いしたことはなかったけど一方的に知っている感じで、いろんな作品にも出られているので最初にご挨拶できてよかった。大西監督とも名刺交換をさせてもらって挨拶をして。それから試写を。

新人監督の大西諒が、視力を失いながらも感性を失わずに生きようとする男が周囲の人々に影響をもたらす姿を描いた作品。若手監督の登竜門である第16回田辺・弁慶映画祭で弁慶グランプリ、観客賞、フィルミネーション賞を受賞し、主演の木村知貴にもスペシャルメンションが贈られた。また、第23回TAMA NEW WAVEでもグランプリおよびベスト男優賞を受賞するなど初長編作ながら高い評価を獲得した。

事故で視力を失った西村芳則は、小さな港町で、ときに伯母に面倒を見てもらいながら生活している。かつて一緒に通学していた同級生の大畑碧は、東京で役者をしながら理想と現実の狭間で憂鬱なときを過ごしていた。ある日、西村は大畑と偶然再会する。窮屈だが美しい町を眺める2人は、その景色にそれぞれの記憶と想像を重ねていく。

中途視覚障害の青年という難役でもある主人公の西村を、インディーズから商業作品まで数多くの作品で活躍する木村知貴が務めたほか、大畑役で高見こころ、西村の伯母役で内田春菊など実力派の俳優が共演。田辺・弁慶映画祭の受賞作品を上映する「田辺・弁慶映画祭セレクション2023」(23年8月4~24日=テアトル新宿/23年9月1~7日=シネ・リーブル梅田)にて劇場公開。(映画.comより)

冒頭の夜の海面に浮かぶネオンというか、明かりが揺らいでいる場面と鳴っている音楽の感じから、僕の中ではなぜか「台湾映画っぽい?」みたいな気持ちになった。エドワード・ヤン監督『台北ストーリー』のイメージが浮かんでいた。
最初に主人公の西村が伯母とスーパーのようなところに行った際に、視覚障害を持っている彼が好物のものを触って判断する場面があって、その感じがリアルというか、彼がどういう人間なのかを非常にわかりやすく提示していた。この始まりであれば、その好物のものやこのシーンでの大西と伯母のやり取りの変化が起きて、この物語は終わっていくのだろうなと思った。
西村を演じた木村さんの淡々としたものの言い方がこの作品のテンポを作っていて、静かだけど、見えないはずの西村になにか見据えられているようだった。伯母役は漫画家でもある内田春菊さんなのだけど、セリフの言い方がうまいというよりも存在感が滲み出てる。内田さんの人生というか生きてきた時間が溢れてるみたい。同じ年齢の俳優でもこういうのは演じるというのとは別のものな感じがする。男性だとリリー・フランキーさんとかみたいな、演じる以前に人生みたいなものが出ちゃってる感じで、魅力的に見えるような。
西村の同級生だった大畑を演じていた高見こころさんという人は初めて見たけど、この作品に馴染んでいたように思えた。顔の系統としては西田尚美さんぽくもあるから、天真爛漫というか笑顔が多い役も似合いそうな、逆に悪い役をするとイメージ裏切ってよさそう。大畑はやりとりなどから東京で役者をやっており、チャンスらしきものが巡ってきていたようだったが、母が倒れたことで5年ぶりぐらいに実家に戻っていて、そのチャンスを失うかもしれない状況になっていた。大畑は学生時代のことしか知らないので西村が視覚障害を持っていることを帰ってきてから知る。
西村は10年ほど前に事故で視力を失っている中途視覚障害者で、実母は5年ほど前に亡くなっている。それで伯母が時々面倒を見にやってきている。祖父は痴呆症が始まり始めているが体は元気で、伯母は施設に入れたいと思っている。祖父はボケが来ているので孫の西村が目が見えなくなっていることがいつからのか、見えないことを時折忘れているようなやりとりがあった。このコミュニケーションとしては不全というか、成り立っていないけどなぜか一緒にいれて、成り立ってしまっているように見えるのが祖父と孫の関係性だろうか、親子だとこうならないかもしれない。
観ていて、西村も大畑も「父」の存在がまったく語られていないと思った。「父性」が消失した世界のようにも見える。たとえば、西村祖父は戦後生まれぐらいだろうか、痴呆症になってもう現実がわからなくなり、何が本当かそうでないかわからず、娘やヘルパーさんの助けがないと生活は難しい。父世代は描かれておらず、存在していない。孫世代の西村は視力を失っていて見たいものはすでに見えない。自分に関わる人がちょっとしたことで自分を騙していたり隠し事をしていても見て見ぬふりを、知らないふりをしている。そのことを指摘することで関係性が壊れるのがめんどうくさいのもあるだろうし、見えない自分を助けてくれている人に怒りを向けても仕方ないとすでに諦めているようにも見える。
大畑は作中で年齢の話をされる。「若い女性」という括られ方で見られている、若いうちが旬だというようなことが当たり前だと思っている人たちが日常にはいる。例えば俳優をやるなら若い方がいいのか?ということになると始めるのは早い方がいいかもしれないが、別に年齢を重ねてから始めてもいいし、若いうちに売れたり仕事が入らなくても年齢を重ねて実力がついたり、年相応に見た目になって合う役もでてくるかもしれない。そういうことが最初からオフにされているように日本の芸能、役者界隈にはあるような感じがする。彼女はただ頑張ろうとしているのに、周りのなにげない一言(発した人は問題があるとは感じていないもの)にちょっとずつ傷つけられている。
そういう風に見えてきて、今の日本の構図でもあり、監督が感じてきたことが反映されているのかと思えた。「父性」はとっくになくなってしまい、祖父母世代はもう世界のことについては理解が追いつかない、若者でもない中年に近づいた世代は取り残されたように感じて無力さがあるが、何かを諦めるほど絶望もしきれない、ただ日常と生活が続いている。その中で、ちょっとした交流があり、そういうことがなんとか「生」のほうに止める力が本人たちは気づいていない、ような。西村が終盤に視覚障害があるにもかかわらず、ある行動に出るが、それも「死にきれない」世界のようでもあるし、ある程度の経験値は残るとも見えるものだった。
西村は漁師か漁業関係の仕事をしていたことが伺える。彼が働いていた事業所は合併されてなくなることが張り紙によって最初から提示されている。そこで働いている彼の後輩やお手伝いをしている金髪ギャルは慕っているのがわかるが、彼らもそこを失うことで違う人生が始まるが、西村にはどうにもできない。そのどうにもできない無力さが今の30代40代前半の世代の感覚であり、僕にもすごくリアルだった。
西村は暇さえあれば釣りをしているが、糸から伝わる振動から海の中をイメージしている、見えなくなっても彼は釣りをすることで海との会話をして、その水面の下と交流をしている。彼はそれがある限りは港町から出ていくことはないのだろう。
作品としては大きな出来事や事件は起きないが、淡々と進むことで、港町での西村を中心とした日々の暮らしや交流が沁みてくるような作品になっているなと思った。


試写が終わるとちょうどお昼時だったので、港町を舞台にしていた映画だったのものあって和食が食べたいねって話になったので、杉山さんとNHK方面にある、奥渋と言われているエリアにある鯖味噌煮が有名な「魚力」へ。
何年か前に一度来たことがあったけど、今回も二階に通された。僕はさばみそ煮と鮭ハラス塩焼きのハーフ&ハーフ定食を頼んだ。みそ煮はもちろん美味しいけど、ハラス塩焼きがとても美味しくて一気に食べないでちょっとずついただいた。
終わった後にスペイン坂の人間関係カフェに移動して2時間ほどおしゃべり。夕方前には解散した。
家に帰ってから午前中の続きを再開して22時前になんとか最後まで修正と加筆ができたので送った。このままでうまく進むといいのだけど。

 

6月14日
7時過ぎに起きてライティング作業の準備として見る映像があったのでそれを見ながらメモを取っていたら時間になったので、リモートワークを開始。
水曜日って感じがなぜかしない。なぜかはわからないけど、昨日火曜日木曜日に脳みそが勘違いしてるような、何かのズレのようなものが午前中はずっとあった。
お昼になった時にTwitterを見たら菊地成孔さんのマネージャーの長沼さんが昨日告知していた「菊地成孔還暦フェア」の情報をツイートしていた。ヒップホップユニットであるQ/N/Kのミュージックビデオとライブの告知もあったりして、チケットの先行販売も始まっていた。

Q/N/K-暗殺の森(official video) 


菊地成孔さんも本日還暦とのことでめでたい。いちファンとしては師匠の山下洋輔さんのようにずっとプレイヤーとしてサックスやラップと音楽活動をしていってほしい。
Q/N/Kの音源も配信やサブスクだけでなく、CDの盤でもリリースらしいのでそれとライブが非常にたのしみ。
歯と上唇付近の骨部分の手術をしてから菊地さんはサックスを吹けないままなので、秋ぐらいには「ラディカルな意志のスタイルズ」や「ペペ・トルトメント・アスカラール」のライブもできるようになって、告知も始まるのかなと期待している。

星野源オールナイトニッポン | ニッポン放送 | 2023/06/13/火 25:00-27:00 

ゲストの春日クミさんとふわちゃんと星野さんのやりとりが、なんだか昭和のホームドラマみたいなほんわかした感じがしてよかった。昔のホームドラマって最後に歌っていたと思うんだけど、出演者がずっと流してる曲をみんなで歌っているという不思議な構成ではあるが。
これを受けた次のパーソナリティーのあのちゃんのラジオの始まりもよかったな。ふわちゃんとあのちゃんの関係性というかやりとりもこの先になにかあるかもしれないし、このままスルーかもしれないけど、「オールナイトニッポン」の縦と横ラインのやりとりがあることでパーソナリティー同士の関係性が立体化していて身近に感じられる。

あののオールナイトニッポン0(ZERO) | ニッポン放送 | 2023/06/13/火 27:00-28:30

ゲストの出川さんとあのちゃんのトークが凸凸だったり凹凹だったりして、最終的に巨大な円になるみたいな、すごくいい組み合わせだった。一時間ちょいのところで出川さんがあのちゃんにアドバイスする所は笑えたし、同時にいい話もあってすごくよかった。
この前の『星野源オールナイトニッポン』の昭和のホームドラマみたいなほのぼのさのあとだから余計エッジが立っていた。

リモートワーク中はずっとradikoでラジオを聴いていた。水曜日は火曜深夜に好きな番組ばかり流れていたのでタイムフリーで聴くものがたくさんあってありがたい。しかし、星野源からあのへの「オールナイトニッポン」流れは最高だった。


休憩中に書店に行ったら金原ひとみ著『腹を空かせた勇者ども』が出ていた。かつて村上龍村上春樹という群像文学新人賞出身のW村上が時代を象徴するような小説家だったし、そのイメージがあるが、同じ期に芥川賞を若くして受賞した金原ひとみ綿矢りさの二人は彼らの次に並ぶ時代を象徴する小説家なんだろう。ずっと第一線にいて書き続けることができて、賞の受賞とかの評価もあり、次世代への影響が大きいという意味で圧倒的だと思う。
金原さんは社会風俗的なものを描くことが多いから村上龍さんの系譜というかラインかなって思うところがあるから、僕は金原さんは気になるところがある。綿矢さんも読まなきゃと思うんだけど、なんか手が出ない。

リモートが終わってから朝映像を見ていた資料に関するライティング作業の続き。とりあえず、最後まで書いたのであとはちょっと寝かせてから修正する感じでいいかなと思う。今日は曇りで雨が強く降ったわけではなかったが、結局天気予報で雨マークだから洗濯できないのがちょっとストレス。

 

6月15日
5時過ぎに目が覚めたのでトイレに行ってから、そのまま可燃ゴミを出してきた。寝転んで7時までもう少し寝たいと思ったのでradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を流しながら、ゲストの錦鯉が出てきた辺りで寝ていた。
目覚ましで7時に起きてから昨日夜にやっていたライティング作業の続きを始める。書いたものを見直しつつ、修正したり文字数を整えたりする。請求書も作成しておこうと思って、いつものエクセルに記入してPDFにしたものをグーグルのドライブに入れた。朝ごはんで食べるパンを買いに行くついでにセブンイレブンのプリンターでドライブに入れていたデータをプリントした。それにハンコを押してからスキャンして、どのデータをスマホに保存した。だいぶ前にプリンターを廃棄してからは、必要なプリント関係はこのセブインイレブンのプリンターで行っている。
11時半ぐらいまで作業をしたので家を出た。湿気は昨日ほどではない感じだが、曇り空だった。


渋谷PARCOに着いて7階のホワイトシネクイントでネットで購入していたチケットを発券したが、開場まで時間がちょっとあったので久しぶりに屋上に行ってみた。すでに見慣れた景色になりつつあるが、渋谷はいつも変わり続けているから一年後には今日なかったビルが生えている可能性もある。現在進行形で止まることができない街。
6月30日に『マルセル 靴をはいた小さな貝』、7月7日に『パール』と2週連続でA24関連作品が公開みたいなのでたのしみだ。どちらもウェブ試写のお知らせはもらっていたけど、劇場で観たいから見ないで我慢している。


公開前から観ようと思っていたがタイミングが合わずに観れていなかったサラ・ポーリー監督『ウーマン・トーキング 私たちの選択』を鑑賞。平日の昼過ぎの上映回だったが10人ぐらいは観客がいたような。男女率は半々ぐらいか。
製作会社に「PLAN B」の名前があったのも気になっていたところ。「PLAN B」はブラッド・ピットが元妻のジェニファー・アニストンらと立ち上げた会社で、有名なところでいうとアカデミー賞を受賞した『ムーンライト』などを手掛けている製作会社であり、近年では『バイス』『ミナリ』『ラストブッラックマン・イン・サンフランシスコ』『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』など僕も観ている作品がいくつもある。
#Me too運動の始まりとなったワインスタイン事件を描いた『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』があり、その流れを組んでいるだろう今作も男性による性加害によって被害を受けた女性たちが描かれている。社会的であり政治的な問題などをしっかりとしたドラマで描いている作品が多い印象がある。

「アウェイ・フロム・ハー 君を想う」「テイク・ディス・ワルツ」など近年は監督として手腕を発揮するサラ・ポーリーが、架空の村を舞台に性被害にあった女性たちが、自らの未来のために話し合いを重ねていく姿を描いたドラマ。

2010年、自給自足で生活するキリスト教一派のとある村で、女たちがたびたびレイプされる。男たちには、それは「悪魔の仕業」「作り話」だと言われ、レイプを否定されてきた。やがて女たちは、それが悪魔の仕業や作り話などではなく、実際に犯罪だったということを知る。男たちが街へと出かけて不在にしている2日間、女たちは自らの未来を懸けた話し合いを行う。

原作は、2005年から2009年にかけて南米ボリビアで実際にあった事件をもとに執筆され、2018年に出版されてベストセラーとなったミリアム・トウズの小説。主演は「キャロル」のルーニー・マーラクレア・フォイジェシー・バックリー、ベン・ウィショーらが共演し、「ノマドランド」「スリー・ビルボード」のオスカー女優フランシスマクドーマンドがプロデューサーを務め、出演もしている。第95回アカデミー賞では作品賞と脚色賞にノミネートされ、脚色賞を受賞した。(映画.comより)

男たちがいなくなった村で残った女たちは投票をしてどうするかを決めることになる。「赦す」か「戦う」か「出ていく」かの三択から投票し、「戦う」と「出ていく」が同点となり、そのどちらかにするか代表となった三家族が話し合いを始める。
実際にあった出来事をもとに執筆されてるようだが、ここで語られることの中で日本人にはあまり馴染みがないのはやはりキリスト教の一派であるこの村の人々の宗教観だろう。作中で2010年というのがわかる場面があるが、明らかにその時代のアメリカの現代的な生活をしていない。おそらくアーミッシュだと思われる昔ながらの生活をしていることがわかる。そのため、外部との交流も多くなく、教育などの問題もあって、レイプが「悪魔の仕業」であったり、被害を受けたと訴えた女性の「被害妄想」などと言われる土台にようなものになっていた。
タイトルにあるように女性たちが男たちと「戦う」のか、その村から出ていくのかを話し合いしていく。そこには動物のようにずっと扱われてきたことであったり、子どもたちの未来のことを考えた上でどちらを選ぶべきなのか、また少年たち未成年の若い男性はどうすべきなのかが話し合われていく。
時間がない中で大きな決断を決める話し合いとなるが、誰かがイニシアチブを取ろうとしたりするはしない。しっかりと意見を言い合いながら、彼女たちが考える神や信仰、赦すこととはどういうことなのかを思いやりの気持ちで伝えていく。ほんとうにこれが他者とのコミュニケーションだなって思えた。最後に彼女たちが選んだ判断は頷けるものだったし、未来が広がっていることを願いたいと思えるものだった。
観ていて「赦すとは?」というところから謝罪や反省のことがよぎり、昨日見た木下さんのことを考えてしまった。

【反省とは】TKO木下が反抗期の娘役みりちゃむを説き伏せようとしたら、「反省」について核心をつかれ感情崩壊!「第3回 娘の反抗期に備えよう選手権」


最後の方でみりちゃむに「反省」について言われたことで木下さんが完全にノックアウトされるんだが、おそらく謝れば許されるという感じで自分が犯した行動についての深慮がないということはかなりあると思うし、なんかDV夫とかこのパターンじゃないかな。
このような男性による加害性については僕も知らずにやっていることややってしまってきたこともあるはずで、それを指摘されたりなにかが起きた場合に自分がしっかりと犯してしまったことについて考えて反省ができるのだろうか、そういう部分においても男性ということで、あるいはマジョリティにいることで甘えていることはあるんだろう。あと反省なり謝罪する側がどうしたって、その加害者の人が赦す、赦さないはその人の考えや判断によるので、反省したり謝罪したから赦されるというのもやっぱり甘えではあるよなって改めて思った。

事件は、単に特殊で限定的な出来事などではない。実際、世界に拡大した#MeToo運動が物語るのは、どれほどこれまで女性たちが沈黙を強いられ、一方で加害者が大手を振って力を行使し続けてきた/いるか、ということなのだから。

タラナ・バークが性暴力被害者支援のために用い始めた「MeToo」というスローガンは、ハーヴェイ・ワインスタインに対する告発をきっかけに世界に広まったものである。

そして、まさしくこのワインスタイン告発を描いた映画『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』(2022年)が描いたのは、複数人の俳優やスタッフに対して数十年に及ぶ加害が行なわれながら、被害を公に語る人を探し出すことがいかに困難を極めたかである。多くの人々は巧妙に口を塞がれており、あるいは声を上げても聞き入れられないと絶望させられていたのだ。

だからこそこの映画は、出来事を寓話化する。

MeToo運動の精神を継ぐ『ウーマン・トーキング』。言葉を奪われてきた女性たちの、「話す」という営み


あと、朝起きて最初にTwitterを見たら、なんか恋文みたいなワードが見えてなんのことなんだろうかって思ったら、不倫報道が出た広末涼子さんが浮気をしていた男性へ書いた文章がなんか表に出ているみたいで、それについて関係もない連中がどういう言っているらしかった。
本当にバカみたいだよ。他人の完全なプライバシーじゃん、それを報道する奴らも奴らだし、それをTwitterでこの恋文はどうだこうだ、あるいはスクショ撮ってそこに自分のツイートしてる奴らも同罪だよ、ドラマ『I.W.G.P.』の窪塚くんが演じたキングのセリフじゃないけど、「『悪いことすんな』って言ってんじゃないの。『ダサいことすんな』って言ってんの。わかる?」ってことだけど、ほんとうにダサい奴が多すぎる。粋じゃないことをやってる自覚あるんだろうか。そういうことやるのがダサいってことがわからないのは残念だ。

宇野「その前にソーシャルメディアの価値がどんどん下がっていくんじゃないですか? 実際、特にTwitterは嫌気がさしてやめていった人も多いじゃないですか。北米でも有力な批評家ほど、いまでは課金制のブログやポッドキャストに閉じこもってます。自分はネット上ではポリコレという言葉を絶対に使わないようにしてるんですが、ある作品を観て『これ政治的にちょっとおかしくない?』って指摘するのは全然いいと思うんですよ。でも、ここ数年起きていることって、政治的な理由から作品をことさら強い言葉で全否定したり、ある種の不買運動に駆り立てたり、その作品を支持している人を攻撃したりと、作品を観てない人も巻き込むところまでがセットだった。それは、はっきり言いますが、2017年以降の一部の人たち――そこにはファンダムも含まれますが――の成功体験がもたらした負の側面です。だから、とりあえず指摘だけするところまで一旦戻ろうぜ、と思いますね。あと、作品を観てない人の言葉は一切相手にしないこと」

映画は死なない。でも、我々が夢中になってきた ハリウッド映画はもう存在しない。「ハリウッド 映画の終焉」著者・宇野維正、1万字インタビュー

映画を観終わって外に出ると雨が降り出していた。家を出る前に夕方ぐらいまでは大丈夫だろうと思って洗濯物を干してきたがやってしまった。小雨だったのでそのまま濡れながら歩いて帰る。
池尻大橋駅直結のあおい書店によったら宇野維正著『ハリウッド映画の終焉』(集英社新書)が出ていたので購入。週末には全部読みたい。


17時過ぎにニコラに行ってアルヴァーブレンドとガトーショコラをいただく。雨はずっと降っていた。家に帰ってからは午前中にやったライティング作業をもう一度見直してから、土曜日までに終わらせたい作業を22時ぐらいまでやった。明日明後日で作業が終わるとは思うんだけど、土曜日が予定あるから明日最後まで終わらせたい

今回はこの曲でおわかれです。奇妙礼太郎 - 「散る 散る 満ちる feat. 菅田将暉Official Music Video