6月下旬の日記(2023年6月16日から6月31日分)
7月1日
下半期に入った初日、毎月1日は映画の日でもあるので2日前にチケットをウェブで購入していた。土曜日だし、作業はお昼からすることにしたので起きてから渋谷まで歩いていく。
渋谷PARCOの8階にあるホワイトシネクイントで10時から開始の映画だったが、その時間帯はPARCO自体がまだ開店しておらず、映画館のあるフロア直結のエレベーターも9時45分からしか動かない。一階の公園通り沿いのエレベーター前に20人ほどが待っていた。
時間になったら映画を観る人は上がるのだけど、一部おそらく中国人の観光客の親子連れもそのあとに乗ってきたりして、どこの階にも行けない(エスカレーターも停止しているし、他の階には行けない状態)ので、なんでだろうみたいな感じになっていたが、1階のエレベーター横にモニターに英語や中国語の案内がないからなんだろう。
ホワイトシネクイントの入り口横の壁には来週から公開される『Pearl パール』のポスターが4パターン飾られていた。
前日の金曜日から公開になっていた『マルセル 靴をはいた小さな貝』 を観に来たのだが、パンフを買おうとしたら作っていなかったと言われてアイスコーヒーだけ頼んだ。ホワイトシネクイントのロゴのところに主人公のマルセルがデザインされたものが配置されていた。こういう芸が細かいというか演出するぐらいならパンフも作ったらいいのになとは思った。今作はA24が北米で配給していて、来週の『Pearl パール』はA24制作で2週連続公開される感じになっているのは、正直 A24ファンとしてはうれしい。
実写とストップモーションアニメを組み合わせ、小さな貝のマルセルが繰り広げる冒険を描いた作品。
アマチュア映画作家のディーンは、靴をはいた、体長およそ2.5センチのおしゃべりな貝のマルセルと出会う。ディーンは彼が語る人生に感銘を受け、マルセルを追ったドキュメンタリーをYouTubeにアップするのだが……。
新進の映像作家ディーン・フライシャー・キャンプが2010年から14年にかけてYouTubeで順次公開し、累計5000万回再生を記録した短編作品を長編映画化。「ミッドサマー」や「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」などの話題作を送り出してきた製作・配給会社A24によって北米配給され、小規模公開ながら評判と話題を集めた。アニメ界のアカデミー賞と言われる第50回アニー賞では長編インディペンデント作品賞・長編作品声優賞・長編作品脚本賞を受賞、第95回アカデミー賞でも長編アニメーション賞にノミネートされた。(映画.comより)
小さな貝のマルセルと彼を見つけたアマチュア映画作家のディーンが撮影した映像を見ていくという設定のモキュメンタリー。昔からモキュメンタリー作品はいろいろとあるが、そこにストップモーションアニメを組み合わせることで本来存在しない、フィクションでしかないマルセルや彼の祖母がほんとうに現実に存在しているように描かれていくのは秀逸。さらにディーン自体が撮影者として彼らと話をしたりやりとりをすることで、より現実味が強くなっていく。
マルセルの体は実際にどうやって動いているのかとかツッコミ出したらキリがないかもしれないが、最初にマルセルが現れて動いて話し出す(カメラで撮っているディーン、そして鑑賞者であるカメラの向こう側へ)ことでこちらとしてはこういう世界なんだと納得ができればもう違和感はない。そこに引っかかる人がいるとしたら最後まで無理なんじゃないだろうか。
もともとマルセルたちは20匹ほどの集団で生活をしていた。もともと彼らが住んでいた家にはカップルがいたが、二人が口論の末別れて、安全地帯として逃げ込んでいたスーツケースにいたマルセルと祖母以外の貝たちはどこかへ連れ去られる形となってしまっていた。ディーンが撮影したものをYouTubeにアップすることでマルセルは人気者へなっていくが、家族のことに関する情報が得られなく、彼も家までやってきて自撮りをしている人たちをみながらガッカリする、という貝以前に人間社会でもSNSが隆盛して起きたことが皮肉のようにも描かれている。
祖母とよくみていた『60ミニッツ』という番組から出演のオファーが来て、出るかどうか悩むマルセル、祖母からの声もあってディーンと一緒に出演したことで……、という物語になっている。
最終的には大円団でハッピーな終わりからだし、丁寧な暮らしとは言わないけど、生活を大事にしているマルセルと祖母の姿は人生を肯定してくれるような優しさがあった。ただ、大きな出来事は起きないので途中ちょっと単調に感じられるところはあるが、マルセルが可愛いのは強い。
ホワイトシネクイントで映画を観終わってから、エスカレーターで降りていき渋谷PARCOの3階で開催中のコトゴトブックスのポップアップストアへ行くとちょうど木村綾子さんが作業をしていたのでご挨拶。木村さんとはお久しぶりだったのでいろいろと立ち話をしていたらあっという間に時間が経ってしまった。
赤染晶子著『じゃむパンの日』をコトゴトブックスで購入した。良い評判も聞いていたし、読んだことのない作家さんなのでいいかなって。木村さんにも赤染さんの文章はすごいおもしろくて、急に異次元に行くみたいな感じだよってオススメされた。日記みたいな感じらしいので寝る前とかにちょっとずつ読むとよさげ。
家に帰ってから本日中に提出しないといけないライティング作業の続きを始める。イメージとか参考にすべき文章なんかがあるので、読んでから脳みその中で浮かべて連想していく感じで、それがある程度まとまったら形にしていく、という形で進める。
0時を少し過ぎて日付は変わってしまったけど、なんとか提出できたので寝る。
7月2日
夜まで作業していたので午前中はのんびり。とはいっても家にずっといるのもしんどいので散歩に行こうと思った。代官山蔦屋書店に行ったあとに坂道を下っていき、目黒川沿いへ向かってドン・キホーテ中目黒店へ。
数年前に扇風機が壊れたままで夏場はクーラーだけになっていたのもあって、先月寄った時にサーキュレーターをいくつか見ていた。数千円で買えるものなら、クーラーで一度冷房入れてから室内の空気を循環させれば電気代の節約にもなりそうだし、いいかなと思って六千円台のものを購入。
気温は高くて雨もしばらく降らなそうだったので帰ってすぐに洗濯をして干した。この暑さならすぐに乾くだろうからありがたい。梅雨はあけてないはずだけど、もうみんな夏の気分みたいな感じで外を歩いているみたいだなって思う。
なんか今年も猛暑か酷暑なのかな、エルニーニョやラニーニャとかなんかでどうせ暑くなるだろう。いやだやだ、暑くなると外に出ると汗だくになるから、でも出なくても室内も冷房かけようが暑さからは抜け出せない、だとしたら少しでも動いておいた方がいい。
渡辺範明著『国産RPGクロニクル ゲームはどう物語を描いてきたのか?』を休憩中に読んでみる。『ドラクエ』と『FF』が発売される前のRPGゲームの始まりからしっかり書いていてくれるので非常にわかりやすい。
僕は『ドラゴンクエストⅤ』、『ファイナルファンジーⅥ』ぐらいまでしかしっかりとプレイはしておらず、それ以降の作品についてはまったくわからない。今はまだスーファミの時代のところなので、このあとのプレステが出て以降の事柄は初めて知ることばかりになるだろう。
勉強というか、ゲームというものがエンタメの大きな軸であり、影響力もそうだし、いろんなものに影響されていることを知っておくのは悪いことではない。
お昼から買ってきたサーキュレーターを回して作業を夕方近くまでしていた。アイスコーヒーでも買いにコンビニに行こうと思ってついでに散歩。
BOOKOFFで中上健次著『地の果て 至上の時』新潮文庫を見かけた。講談社学芸文庫版で持っているが、この新潮文庫版は初めて実物を目にした。すごくいいデザインだと思うし、ジャズ好きだった中上さんのイメージとも合っている。
タイトルの『地の果て 至上の時』というのも素晴らしいと前から思っていて、「地の果て」というは地平線だったり、ここではないどこかや境界線の向こうを感じさせる場所であり「空間」を、「至上の時」はこの上のない最高の時間という意味であるので「時間」や「時間軸」を彷彿させる。だから、このタイトルには「空間」と「時間」というものが入っていてそれを描くという意味にも感じられる。
どちらにも「間」があることで、人が生きる、人が人と存在していくという意味で「人間」にも通じている気さえする。ページをめくってみると最後の解説は柄谷行人だったので買うしかないでしょってことでサルベージ。
帰ってから21時までのんびりと作業をしながら、その時間から二週間に一度のミーティングを1時間ほど、今回も作業した部分で良かった箇所について話してもらったりして、自分では何気なく書いたことがよかったり、手応えがあった部分はそこまで響いてなかったりするので他人の反応はやっぱりおもしろい。二週間後のミーティングまでの課題も出たが、スケジュールはパツンパツンにはならなそうなのでよかった。
7月3日
スケジュールの管理をしてから少しだけ作業。リモートワークでいつものお仕事。今後にやることがわりとスピーディに進んでいてありがたい。まあ、こういう時はイレギュラーなことが起きる気がするので、余裕をぶっこかないで平常通りにやるのがいい。今までの経験上はすんなりいく時はパッと進むかなんでこんなことが起きるのかのどちらかになっているかなって思う。
作業中に流していたネトフリ配信されている宮藤官九郎×大石静脚本『離婚しようよ』を最後まで見終わる。松坂桃李と仲里依紗W主演だったが、松坂桃李は『シンケンジャー』という戦隊モノ出身で今やトップ俳優の一人、そういえば仲里依紗ってどこから出てきたんだっけなと調べてみたら、細田守監督『時をかける少女』の主人公の声優をやり、作品のヒットもありその後の実写版でも主人公を務めてブレイクしていた。
細田守監督は東映をやめてジブリにいたことがある。『ハウルの動く城』を制作していたが頓挫して、結局宮崎駿監督でリスタートして映画は公開された。細田さんはジブリとの諸々があって辞めてから、東映で『ワンピース』劇場版などを作った後にフリーとなって『時をかける少女』を作った。作品の評価も高く、同時期に宮崎吾朗監督『ゲド戦記』も公開されていて、人気や内容の氷解ともに細田監督に軍配が上がったことも象徴的だった。
もし、細田守監督が宮崎駿のあとを継ぐポジションになってジブリ作品の監督になっていたら、仲里依紗は今の方なポジションにはいなかっただろうし、ブレイクするきっかけもかなり違ったのだと思う。運命というのは本人の意思よりも他者の行動や思惑が知らないところで作用している。
ドラマは政治と芸能の世界は相似形であり、世襲三世の松坂、『あまちゃん』を模したドラマで国民的な女優になった仲里依紗の夫婦が離婚しようとしてもなかなかできない展開をコミカルに、時にシニカルに描いている。
クドカン風味が濃厚であるものの、時折入り込んでくる恋愛ドラマ要素はやはり大石静ぽさがある。あと政治も芸能もお盛んというわけではないだろうが、かなりメインキャラの性欲について描かれているところも新鮮だった。ただ、クドカン脚本『俺の家の話』では能楽師の一族を描き、そこには芸能と一子相伝の家について彼なりのコミカルなポップさでコーティングしながら能とプロレスという仮面(マスク)などの二重構造で見せていく巧みな脚本だったこともあり、今回の『離婚しようよ』よりも踏み込んだことをしていたような気がしてしまった。
Metro Boomin, James Blake - Hummingbird (Visualizer)
『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』の記事をいろいろと読んでいる。ラストのアース42で出てくるプラウラーのことについて自分が考えていたことではない展開が続編『ビヨンド・ザ・スパイダーバース』では描かれるのではないかという気になってきた。
プラウラーというのは「スパイダーマン」シリーズにおけるヴィランの一人であり、彼が出てくる前にテレビのニュースで「シニスター・シックス」の抗争が激化しているというものがあった。「シニスター・シックス」はそのヴィラン達が組んだチームであり、内紛が起きているっぽい。
プラウラーと出会った主人公のマイルス(スパイダーマン)は映像をみるとわかるが、対照的な存在であるため、敵対するだろうと思えるし、ライトサイドとダークサイドという部分でもバトルはあるだろうなと思っていたが、そもそもこれはミスリードではないかと思うようになってきた。
まず、このプラウラーが「シニスター・シックス」の一員とは限らない、彼らと敵対している可能性がある。ダークサイドに見えるが、彼は彼なりの正義を遂行しているかもしれない、また出会ったマイルスと共闘して「シニスター・シックス」と戦うというのもありえるかもしれないし、そうなればかなりエモいし熱い展開にもなる。もう一回は劇場のスクリーンで観ておきたい。
7月4日
起きてからライティング作業をしてから散歩へ。暑すぎるというほどではないがさすがに汗はかいてくるので早めに切り上げて帰る。
toe_MOTHER [Feat ILL-BOSSTINO, 5lack]_CASSETTE TAPE (SONOCA ダウンロードカード付き)
注文していたカセットが届いていた。toeは一度しかライブでは観れていないが、この曲はラッパー二人とのコラボで二人とも好きだったりするのでツボにきた。
toeはアルバムを出さなくても既存の曲をライブでやり続けて精度を上げていく感じは ZAZEN BOYSにも近いものを感じる。
夕方まで作業の続きをしてから渋谷まで歩いてそこから副都心線池袋へ。地下から繋がっている東京芸術劇場へ。舞台名とキャスト発表があった時からたのしみにしていたNODA•MAP 第26回公演『兎、波を走る』を専門学校時代からの友人のノンと鑑賞。
NODA•MAP(野田地図)2年ぶりの新作はストーリー自体ほとんど事前にはわからない感じだった。たのしみにしていたので初日後にエンタメサイトのステージ系のニュースで取り上げられていたものもできるだけ見ないようにしていた。去年は番外編『THE BEE』を観ることができたが、こちらは9.11が起きたことで作られた戯曲の何度目かの再演だったので新作は『Q』の初演以来になった。
2023年、野田秀樹率いるNODA・MAPが遂に2年振りの書き下ろし最新作を上演する。
新作のタイトルは、『兎、波を走る』。
何やら新鮮で、心をざわつかせるような、不思議な響きのタイトルを野田秀樹が打ち出して来た。実はこのタイトル、野田自身、とても気に入っているらしい。このタイトルから、日本古来のことわざや、「因幡の白兎」を思い出す方もいるかもしれない。果たして、本作の“兎”とは、いったい何を表しているのか?
そして野田は、どんな企みを『兎、波を走る』に仕掛けてくるのか?野田曰く、物語の設定は、「“潰れかかった遊園地”を舞台に繰り広げられる “劇中劇(ショー)”のようなもの」だという。そして、そこに“アリス”が登場するというのだ。
それはウサギ(兎)を追いかけて不思議の国へと迷い込んだ、あのアリスなのか? しかも、その上、或る“世界的な稀代の劇作家”まがいの人間までもが2人絡んでくるらしい。“世界的な稀代の劇作家”と言えば、野田が自ら強烈なインパクトのフェイクスピア/シェイクスピアを演じた『フェイクスピア』(21年)も記憶に新しいが、本作ではどんな劇作家がどのような役割を担うのか?
古今東西のファクターが複雑に絡み合い、謎が謎を呼ぶ様相を呈する物語の全貌とは……!?
公式サイトより
事前にあまり情報を入れたくなかったが、どうも以前に公演された『エッグ』や『逆鱗』の系譜であるというのを見てしまっていたので期待は高まっていた。
『エッグ』は「エッグ」という架空のスポーツを扱ったものだが、最終的にその種目は満州国における日本軍の731部隊を描いていたことがわかる。
『逆鱗』は水族館の人魚ショーというほのぼのとした日常を描きながら、人魚に乗った青年たちが行きの燃料だけで突っ込んでいく人間魚雷を描いていた。
この系譜ということでおそらく戦争や過去の出来事を取り込んだ作品なのだろうなと思っていた。遊園地と不思議の国のアリスからどうやっていくのだろう、と。
正直、2時間少しあるうちの最初の30分ほどはどうなっていくのかほとんどわからなかった、全体的にもバタバタしてガチャガチャしているし、野田秀樹特有の言葉遊びというかダジャレが何度も出てくる。ある時点で成田闘争のような映像なども流れて、よど号ハイジャックを思わせる展開などもあり、60年代後期から70年代前半にあった学生運動や革命思想について今作は描くのかなと思っていたら、その先があった。
物語自体が多層構造になっていて、正直説明が難しいし、観ていてもわからないことだらけだった。ただ、兎にも見えるし、何かに見える存在の脱兎(高橋一生)と行方不明になったアリス(多部未華子)を探すアリスの母(松たか子)の二人は劇中であることに気づく。二人にはなぜか名前がない、そしてなぜ名前がないのか? ということを。
舞台における現実世界と劇作家たちが描く劇中劇の世界があり、そして現実に起きた出来事が入り混じっていき、「もう、そうするしかない国」と「妄想するしかない国」がそれぞれに輪郭をそれぞれに強固にしていき、いつも通り野田さんの戯曲の特徴でもあるダジャレや言葉遊びのある種のくだらなさが別の意味と物語に展開していくものとなっていく。
兎は穴蔵にいる、アナグラムということから、脱兎の本当の正体も明かされていき、兎であって何かに見える存在がある名前と彼が何者だったのかを語る時、気づかないうちに僕は泣いていた。ちょっと震えて鳥肌が立っていた。ああ、この物語はそれを取り扱うのか、と心が揺さぶられた。アリスが行方不明になった理由も、アリスの母親がずっと娘を探す理由もおのずとわかってきて、現実が一気に僕を飲み込んでいた。
たしかに『エッグ』と『逆鱗』の系譜にある現実に起きたこと、歴史的なことをフィクションの中に取り込んでいる。これを野田秀樹のあざとさだとか、諸々いう人もいるだろう。でも、このセンシティブなテーマをエンタメとして商業演劇に持ち込んでしまえる、できるのが野田秀樹という戯曲家なんだよなと納得もできる。
今月号の『新潮』の戯曲が掲載されるみたいなので読むしかない。それでわかる部分も多いと思うし、あれ一回だけで観て完璧に理解できる人ほぼいないんじゃないかな、とも思った。
野田地図は第13回公演『キル』(妻夫木聡、広末涼子ほか)、第19回公演『エッグ』(妻夫木聡、深津絵里、仲村トオルほか)、第20回公演『逆鱗』(松たか子、瑛太、井上真央、阿部サダヲほか)、第21回公演『足跡姫~時代錯誤冬幽霊~』(宮沢りえ、妻夫木聡、古田新太ほか)、第23回公演『Q』:A Night At The Kabuki inspired by A Night At The Opera(松たか子、上川隆也、広瀬すず、志尊淳ほか)、番外公演『THE BEE』(阿部サダヲ、長澤まさみ、河内大和、川平慈英)と今回含めて7回、そのうち3回松たか子さんを観ていて、松尾スズキさんのシアターコクーンの舞台でも松さん主演だったりしてこの10年ぐらいで観た舞台で印象的なものに出ているのが彼女だったりする。松さんが出ている舞台なら観たいと思うし、そういう女優さんだと思う。今回は歌わなかったのはちょっと残念だったけど。
高橋一生さんは僕が舞台を観始めた最初の頃に劇団本谷有希子の公演『ファイナルファンタジックスーパーノーフラット』で主演をしていた頃はまったく今みたいな感じではなく、『カルテット』とかで見て、あの時の人なんだって思い出した感じだった。今回の『兎、波を走る』での彼の役はめちゃくちゃ難しい役所だったと思うけど、高橋一生だから説得力があるというかできたんじゃないかなって思う。全然岸辺露伴だと思わなかったぐらい、個性的な役をやってもそのイメージが作品ごとに移り変わっていっている。
この舞台は多層構造だったり、メタ的な視線とかもあって、多少ガチャガチャしている感じはある。舞台装置の使い方によってこんなことができるんだって思わせてくれる演出なんかは舞台だからこそ、舞台でしかできないものをやっている。その上で野田さんが描こうとしている次のステージに至るための実験的な要素がかなりあるんじゃないかなって気もした。となれば、これが完成系になったものが近い将来観れるかもしれない。
作品内の情報が洪水のように一気に押し寄せてきて臨界点を越えてしまった時の謎の感動というか、気づいたら泣いているあの感じも野田さんがしっかりと作り上げているのだろうなとは思う。「もう、そうするしかない国」であり「妄想するしかない国」を生きている僕には哀しいほどに響いた。
鑑賞後にノンと劇場近くの焼き鳥屋でビールを飲みながら舞台の感想と近況を話して解散。ほどよい酔いと疲労感。
7月5日
深夜の2時ぐらいまで寝付けなかったが、目覚めはわりと爽やかだった。仕事前の作業はしないで読書をしてからリモートワーク。平常運転で進んでいき、トラブルも特になく、自分の仕事を淡々と。
18時過ぎには終了して、一息ついて家を出ると小雨のような雨が降っていたが、傘がいるほどではなかった。時間には余裕があったので途中でタワレコによってアジカンの新譜が出ているかなと思ったらまだ出ていなくて、J POPとかの階になぜか吉幾三のパネルがあるコーナーができていた。客層的に彼のファンが来るように思えないのだが、どういう流れでそうなったのだろう。
イメージフォーラムについてチケットを発券したが、それでも時間に余裕があったので青山ブックセンターで書籍をみて時間を潰してから映画館に戻る。
知り合いの藤江くんも出演しているし、レイトショーしかないので、この日がいいかなと思って観にきたがわりとお客さんは入っていたと思う。年齢はバラバラだったかなあ。
「あるみち」で第37回ぴあフィルムフェスティバル・PFFアワード2015グランプリを受賞した杉本大地が監督・脚本を手がけ、転落死したスケボー少年を取り巻く若者たちの刹那的な日常を生々しく描いたドラマ。
8月31日の夜、スケボー少年・新垣が謎の転落死を遂げた。高校3年生のコウはその知らせを聞き、疎遠になっていた新垣について思い起こす。幼い頃に母を亡くしたコウは、母の葬式会場から新垣と一緒に抜け出し、親戚から不謹慎だと言われた記憶があった。その記憶と、新垣の死がどこか気になるコウだったが……。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」や映画「猿楽町で会いましょう」の金子大地がコウ役で主演を務め、新垣を村上虹郎、新垣に恋をするハナを河合優実、新垣のスケボー仲間で密かにハナに思いを寄せるフジを「PLASTIC」の藤江琢磨が演じる。(映画.comより)
80分ほどと長くはないが、観ているとかなり長く感じられてしまった。出ている役者陣が撮影時はブレイク前夜だったりしたが、今はブレイクしていたり注目株になっているというのが売りのひとつにはなっている。
冒頭からセリフがかなり聞き取りにくく、意図的かなと思っていたが終始そういう感じにあったので音声的にちゃんと音録れてなかったのか、録る気がなかったのか。
スケボーやっていた友人の一人が死んだことを巡る青春群像であり、時間軸もちょっと前後させていくタイプのものだが、いかんせんわかりにくい。それぞれの登場人物たちは今の十代や二十代前半ぽさがあるんだろうなと思うんだけど、別に不良でもないけど、ちょっと悪いことをしているみたいな。その中で男女問題ともいえない、ある女の子を巡ってその怒りや焦りが爆発したり、破壊的な衝動をする者たちがいる。映像的にはスケボーに乗っているシーンはよかったり、それを別に撮っている人たちがいるというのは構造的なメタっぽさがあるのだけど、それらがうまく結びついていない、処理しきれていない感じ。
途中から冷房も効いてなくて暑かったのもあるけど、少し気持ち悪くなってきた。長いなって、早く終わらないかなって。あの嫌な感じはなんだろうなって終わったあとに歩きながら考えていたら、おそらく自分の昔を思い出したんじゃないかなってことだった。
二十歳になって上京して映画学校に入って、卒業後もそこの友達の撮影とかを手伝ったり、人がいないから出たりすることがあったけど、あの時作っていたような作品に悪い意味で似ている。
普通に物語を撮ればいいのに、映像的なカッコよさや変なものを求めたりとか、あえて物語にしないようなものにしたりとか、作っている側は若気の至りでいいんだけど、それを実際に観てみるとかなりしんどいことがあった。だから、役者陣は今活躍している人たちが多いから、観れる部分(あるいは価値)があるけど作品としてはやりたいことができていない気がするし、物語としても親切にわかりやすくしなくてもいいけど、それでもすごいなにかがあるわけでもないから、非常に中途半端な印象を持った。爆発しそうな何かを抱えたまま水没して不発みたいな。
1986 Omega Tribe - 君は1000% (Night Tempo Showa Groove Mix)
この風景をみるとNight Tempo的な昭和グルーヴぽいな、っていつも思う。映画観ている間もかなり雨が降ったみたいで路上が濡れていた。湿度は高くないから歩くにはちょうどいい気温と湿度になっていた。
7月6日
8時前に目が覚めて、来週の木曜日に行くつもりだった国立新美術館に今日行くことにした。木曜日は基本的には休みにしているが、先月末のライティング作業の続きをやって早めに終わらそうと思っていたけど、自分以外の関係者に次回の日程に関してのメールをしても誰からも返信がないので、急ぐ必要を感じなくなった。
もしかするといくつかファイルデータを添付したから迷惑メールに入っているのか?と思ったりもしたが、以前に何度かメールしているし、ファイルも重いものではないからさすがにそれはないだろう。先月分のものを送るのを10日ぐらいと書いたから、もしかしたらそれ待ちなのか?とも。でも、誰も返信してこないとなると届いていない方がまだマシっていうか、届いていて何にも返信ないほうが怖い。
昨日観た映画のこともあって、なんだか巨大なものというか圧倒されるものを観たい、感じたいというのもあって、予定を今週にスライドすることにした。
いつもTOHOシネマズ日比谷まで歩いていく時、途中に南青山陸橋を通る時に右側に見えるのが国立新美術館だというのは認識していた。以前にも庵野秀明展にも足を運んでいたので、一時間ちょっとで歩いていける距離だし、ちょうどいいやと思って向かった。
2023 年6月29日より、国立新美術館とサンローランは国際的に大きな注目を集めてきた現代美術家、蔡國強(ツァイ・グオチャン/さい・こっきょう、1957年生)の大規模な個展「蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」を開催します。国立新美術館は、国内外の現代美術の振興に努めてまいりました。本展覧会は、館長である逢坂恵理子の企画によるものです。また、アンソニー・ヴァカレロがリードするサンローランにとって、本展を開催することは、同ブランドの使命ともいえる、ビジュアルアートや映画、音楽など、様々なクリエイティビティへのサポートの最も新しい機会となります。
1957年末に中国に生まれ育った蔡は、1986年末に日本に移り住み、1995年にアメリカに渡るまでの約9年の間に、火薬を用いた独自のスタイルを開拓しました。
蔡は数十年にわたり、東洋古来の哲学や思想に立脚しつつ、風水や占星術にもつながる宇宙、そして目に見えない世界に魅了されてきました。同時に、そうした果てしない世界への現代的アプローチとしての科学技術への興味や、現代の社会問題への感受性と省察を原動力に制作しています。蔡の芸術の大きな特徴は、火薬を創造的に用いて作品を生み出してきたことです。神話的で人類学的な壮大な世界観を表明した火薬ドローイングやインスタレーション、屋外爆発イベントなど、スケールの大きな制作は国際的に高く評価されてきました。
1991年に東京のP3 art and environment で開催した個展「原初火球 The Project for Projects」は、日本で活動した時代の最初の、そして蔡のアーティストとしての生涯のマイルストーンとなる重要な展覧会でした。展示の中心となった同名のインスタレーションでは、火薬で描いた7つの屏風ドローイングが爆発的に放射状に広がるように配置され、蔡が「外星人のため」と「人類のため」に実現しようとするプロジェクトを表現しています。「原初火球」という言葉は、蔡が宇宙物理学と老子の宇宙起源論に基づいて提示したもので、宇宙の始まりを表します。
本展覧会「蔡國強 宇宙遊うちゅうゆう ―〈原初火球げんしょかきゅう〉から始まる」は、蔡國強が30年前に発表した展覧会「原初火球」を蔡の芸術における「ビッグバン」の原点と捉え、そして、この爆発を引き起こしたものは何であり、その後今日まで何が起こったかを探求します。
宇宙と見えない世界との対話を主軸に、作家として歩み始めた中国時代、芸術家としての重要な形成期である日本時代、そしてアメリカや世界を舞台に活躍する現在までの創作活動と思考を遡る本展覧会は、宇宙が膨張するかのように拡大してきた蔡の活動をたどる壮大な旅路のような個展です。
『蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる』 公式サイトより
作品に近づいていくと爆破したあとの燃え方というか破片みたいなものがよくわかる。国立新美術館の入り口にあった大きな看板にも使われている《胎動II:外星人のためのプロジェクト No. 9》は中心に人らしき白い紙があり、そこから円状に燃えたあとが外側に広がっていて、宇宙のようでもあるし、巨大な眼のようでもある。展示をぐるぐると回っていきながら何度かこの作品の前で足をとめた。
作品の巨大さ、かつて燃えた時に出た匂いとかも含めて、もうそれはなくてもあるかのようにイメージできる。火が燃えていくこと、火が止まっていく、爆破されて吹っ飛ぶもの、そういうものが終えたあとの沈静化みたものだけを僕ら鑑賞者は観ている。そこには時間がしっかりと孕まれている。
蔡國強さんは福島県のいわき市との関わりも深くて、展示されているところの奥に彼のいわき市での活動や地元の人との関わりの写真などもあった。写真の中に金髪の人いるなって思ったらアクティビストの津田大介さんだった。そうか、いろいろとアート関連のことにも津田さんは関わっているから蔡國強さんとも交流があるのかと勝手に納得。
観終わってから出口のショップで蔡國強の作品をモチーフにした紙で作った財布が1500円ぐらいで売っていたので購入した。長年使っている財布はもう破れていてガムテープで止めているほどのありさまで、財布って誰かにプレゼントしてもらったほうがいいみたいなことも聞いていたので、それを待っていたら破れまくって見窄らしいものになっていた。それで新しい財布は買わないといけないなと思っていたけど、何を買ったらいいかわからなくて2、3年ずっとこんな有様だった。
で、安いししばらくこっちにしようと思ったんだけど、カードしか入れるところがなくて、小銭をいれるところがない。ただ、折り畳んでもかなり薄くなるし、コインケースと一緒に持ち歩けばいいかということにした。
歩いて来た道を帰って行ったら腕が異様に日焼けしてしまった。なんか肌が赤い。
家に帰ってシャワー浴びたり、洗濯をしたりして、ちょっと作業をして昼寝をして起きたら16時過ぎていた。
ニコラに行って、鮎とズッキーニのスパゲッティーニ きゅうりと肝のソースと白ワインをいただく。もうお店では白桃を使ったスパゲッティーニが出ているんだけど、時期的にはもう終わりの鮎食べなきゃと思って。コロナ期間中はやってなかったみたいなので、たぶん3年ぶりとか。
鮎とズッキーニも美味しいんだけど、途中できゅうりと肝のソースと一緒に食べだすと味変じゃないけど、もっと美味しくなった。鮎がきゅうりの匂いがするというところから曽根さんが考えたものなんだけど、来年も食べたい。
ニコラから帰ると10日発売『中央公論』2023年8月号の見本誌が届いていた。今回「あだち充の半世紀と現在地」という記事を寄稿させてもらった。
久しぶりの商業誌なので、自分の活字が雑誌に掲載されるのはうれしい。担当してもらった上林さんにはいろいろとご迷惑をおかけしたが、なんとか形になってよかった。発売前だし、特集とかもフライングして出したら怒られたら嫌なのでSNSにあげるのは発売日にしよう。
昨日青山ブックセンターで買っていた売野雅勇著『砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々』を読み始めて最後まで一気に読んでしまった。
牧野さんや速水さんと知っている方が関わっている書籍だった。ちょうど坂本龍一さんの『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』を読んだばかりだったので、なんだか不思議な気持ちに。高橋幸宏さんの話もあるし、80年代の音楽シーンだけではなく、時代背景や当時の風景や文化なんかも詳しく書いてあったのも素晴らしいなと思った。当事者として見てきたものをきちんと残すことの価値はそういう面もある。
僕はゲイシャガールズや中谷美紀さんの坂本龍一ワークを90年代の思春期に直撃しているので、そこに至るまでの話がわかっておもしろかった。
この本はコピーライターだった売野さんが作詞家になっていった実体験を元に書いたものとなっている。時代的にもY.M.O.が出てきた頃から始まるので80年代に入った直後ぐらいから始まる。阿久悠さんみたいな歌謡曲の作詞家が代表的だった時代からから沢田研二さんの『TOKIO』を糸井重里さんが作詞するというのがわかりやすい表象であり、売野さんは仕事をしていたエピックソニーのディレクターから作詞してくれない?という軽い頼みからその仕事を始めていく。ある種、適当だし緩かった時代だからこそいろんなものがシームレスにつながっていき、おもしろいことが起きていたんだなって感じる部分もある。途中からBGMは中谷美紀さんのベストアルバムにして読んでいた。
国立新美術館に行って帰る時に青山霊園の中を歩いていた時に、書いている作品のアイデアを確認しようと思って写真を撮ったりしていた。帰ってから急に脳裏に浮かんだ設定があったが、そうすると今までのアイデアが半分以上ダメになりそうな、というか元ネタというかインスパイアされたものに近づいちゃいそうな気もするが、そちらにした方がシンプルになっていいかもしれない。
7月7日
起きてからリモートワークをしていた午前中、友人がchatGPTを使って僕が影響を受けた作家さんたちの名前を入れて作品のアイデアをブレンストーミングしてくれたものを送ってくれた。。
碇本学さんの独自の視点を取り入れた作品のアイデアを考えてみましょう。
不条理な現実:古川日出男の作品に見られるような、不条理でありながらも深く人間的な物語を描く。現代社会の矛盾や複雑さを深掘りし、読者に思索を促す作品を考えてみてはいかがでしょうか。テーマは"技術の進歩と人間の孤独"で、モチーフは「AI」とします。それは、人々がAIとの交流で得た人間関係の代替と孤独感について探求する物語です。
深層心理の探求:園子温監督の映画に見られるような、人間の心の闇や深層心理を探求する物語。登場人物の内面を丁寧に描き出すことで、読者に強い共感を呼び起こす作品が良いかもしれません。テーマは"人間の恐怖と欲望"で、モチーフは「夢」を提案します。登場人物の夢を通して、その内面の恐怖や欲望を描き出すことで、深層心理を探求します。
独特の世界観:大塚英志のように、独特で鮮烈な世界観を作り出すこと。その中で登場人物が織り成すドラマを描くことで、読者をその世界に引き込む作品を書くのはどうでしょうか。テーマは"異文化交流と理解"で、モチーフは「異次元」を考えてみてはいかがでしょうか。異なる次元からの訪問者と地球人との交流を描くことで、異文化理解の重要性を伝えます。
現実と幻想の融合:リアリティとファンタジーが入り混じる物語は、読者に新鮮な驚きを与えることができます。現実の問題を幻想的な視点から描くことで、その問題について新たな洞察を提供する作品も考えられます。テーマは"高齢化社会と孤独"で、モチーフは「幽霊」を提案します。現実の高齢化社会の問題を、幽霊という幻想的な要素を通して描くことで、孤独や見過ごされがちな高齢者の問題について考えさせます。
ヒューマンドラマ:人間の弱さや強さ、喜びや悲しみを描いたヒューマンドラマ。誰もが共感できる普遍的なテーマを扱いつつ、碇本学さんならではの視点で描くことで、読者の心に深く響く作品が書けるでしょう。テーマは"家族の絆と試練"で、モチーフは「病」を提案します。一家族が直面する重病という試練を通じて、家族の絆や愛について描きます。
以上のアイデアが碇本学さんの次の作品のインスピレーションになれば幸いです。
それでは、碇本学氏が漫画原作を書くとした場合の具体的なプロットとキャスティング案を3つ提案します。
「タイムリフト」:プロット:主人公は一流の科学者で、時間を操作する装置を開発します。しかし、装置の試験中に事故が起き、彼は過去へと飛ばされてしまいます。彼は現代に戻るために、過去での生活を乗り越えなければなりません。その過程で彼は過去の自分自身と出会い、自己の成長と理解を深めていきます。
キャスティング:主人公の科学者には、俳優の阿部寛さんを想定します。彼の落ち着いた演技と存在感が、この役柄にピッタリだと思います。
「エコヒーロー」:プロット:地球温暖化により生態系が危機に瀕している世界。一人の少年が不思議な力を持つ生き物と出会い、地球を救うための冒険が始まります。少年と生き物の絆、自然との共生を描く感動の物語です。
キャスティング:少年役には、若手俳優の北村匠海さんを考えています。また、声優の悠木碧さんに、少年と共に冒険をする生き物の声を担当していただければと思います。
「シャドウ・ライフ」:プロット:普通のサラリーマンがある日、自分と全く同じ姿の別人物に出会う。その人物は、主人公が望む人生を生きていました。これは幻覚なのか、それとも現実なのか。主人公は自分自身と向き合い、人生の真実を見つけ出す旅に出ます。
キャスティング:主人公には、俳優の役所広司さんを考えています。彼の深みのある演技が、この物語に深い感動を与えることでしょう。
それぞれの作品が読者に感動を与え、かつ映画化にも適した内容となることを願っています。
こういうのを10秒ぐらいで回答してくれるらしい。
A24に売り込むなら碇本はどんな作品を書くべきですか?
質問:作家・碇本学氏がアメリカ合衆国のインディペンデント系エンターテインメント企業「A24」に提案したら採用されそうな具体的な映画プロットについて、ブレーンストーミングしてください。
回答:「A24」は、オリジナルで独自の視点を持った作品を多く生み出している企業です。その特徴を踏まえて、作家・碇本学氏が提案する映画プロットを考えてみましょう。
「ノートルダムの鐘」の現代版:ディズニーのアニメ映画「ノートルダムの鐘」を現代の都市に置き換えた物語。主人公は社会から隔絶した生活を送るホームレスの男性。彼はある日、都市開発によって自分の住む場所がなくなる危機に直面します。彼は自分の場所を取り戻すために立ち上がり、都市の中で生き抜くための戦いを始めます。
「サイレント・ワールド」:主人公は、一人の聾の青年。彼は自分の世界が音のない世界であることに対する孤独感と戦っています。しかし、彼が出会ったあるストリートミュージシャンとの交流を通じて、彼は音楽という新たな形で世界と繋がる方法を見つけます。
「スプラッシュ・アート」:ストリートアートを通じて社会問題に立ち向かう若者たちの物語。彼らはアートを武器に、自分たちの声を世界に届けようとします。しかし、彼らの活動は法律で禁じられており、彼らは自分たちの表現と社会の規範の間で揺れ動きます。
これらのプロットは、社会の中で抗いながら生きる人々の物語を描いています。それは「A24」の作品がよく取り組むテーマであり、碇本学氏の作風とも合致していると思います。
碇本学がA24の『アンダー・ザ・シルバーレイク』の舞台をロサンゼルスから東京の赤坂から青山に移した小説を書く際に必要なプロットや重要な場所について、ブレインストーミングしてください。を聞いてみてもらっていい?(この作品についてはずっとやっていて、今停滞中)
Under the Silver Lake | Official Trailer HD | A24
『アンダー・ザ・シルバーレイク』は、謎解きと陰謀論、都市の秘密を探る物語です。その舞台を赤坂や青山に移すというのは、非常に面白いアイデアです。それについて考えてみましょう。
プロット:主人公は赤坂や青山の高級住宅地で暮らす無職の若者。彼はある日、突如消えてしまった美しい隣人の女性を探す旅に出ます。その過程で彼は、裏で動く権力者たちの陰謀や東京の秘密の世界を次々と発見していきます。
重要な場所:赤坂のマンション:主人公と隣人の女性が住む場所。物語の出発点ともなります。
青山のカフェ:主人公が情報を得るためによく訪れる場所。様々な人々との出会いが織り成すエピソードが展開します。
東京タワーや六本木ヒルズ:東京のシンボルとも言える建造物。物語のクライマックスや重要な謎解きの場面がここで展開します。
東京の文化と社会:東京の文化や社会を正しく描くことは重要です。特に、赤坂や青山といったエリアの特性を理解し、それを物語に反映させる必要があります。
日本の法律や規則:映画の中で描かれるような行動が、日本の法律や規則でどのように扱われるのかを考慮する必要があります。
陰謀論の描写:陰謀論を描く際は、それが読者を不快にさせないように配慮する必要があります。また、現実離れしすぎないようにすることも重要です。
これらの視点を考慮しながら、碇本学氏が東京を舞台にした『アンダー・ザ・シルバーレイク』のような物語を描くと、新たな視点と魅力を読者に提供できることでしょう。
プロットと重要な場所のひとつめはほぼ『アンダー・ザ・シルバーレイク』のままだった。今んとこ思い描いてるのベースにあるものなので、これはこれでやり方としては間違っていないんだなって感じた。でも、天皇小説にしようとはしていて、そこが一番ネックではる。このあとは応募するならどこと聞くと「文學界新人賞」と言われて、枚数的に少ないと思うと伝えるとその応募枚数内でこのぐらいのページ数でこういうことをみたいなことが出てくるようになった。そして、自分が考えた設定を更に追加して聞いていくとプロットに近い形ができあがっていった。
ただ、そこで書かれている乗り越える試練とか秘密を暴くみたいなことを考えるのが一番難しいことではある。でも、壁打ちとしてはchatGPTは使えるのはわかった。
仕事が終わってから渋谷へ。ホワイトシネクイントで本日から公開のタイ・ウエスト監督『Pearl パール』を鑑賞。
前作『X エックス』もホワイトシネクイントで鑑賞しているので、シネクイントでも上映していたがこちらにした。A24ブランドというのもあるし、金曜日の夜なのでそこそこお客さんは入っていた。
タイ・ウェスト監督、ミア・ゴス主演のホラー「X エックス」のシリーズ第2作で、1970年代が舞台だった「X エックス」の60年前を描く前日譚。「X エックス」に登場した極悪老婆パールの若き日を描き、夢見る少女だったパールがいかにしてシリアルキラーへと変貌したかが明らかにされる。
スクリーンの中で歌い踊る華やかなスターに憧れるパールは、厳格な母親と病気の父親と人里離れた農場で暮らしている。若くして結婚した夫は戦争へ出征中で、父親の世話と家畜たちの餌やりの毎日に鬱屈とした気持ちを抱えていた。ある日、父親の薬を買いにでかけた町で、母親に内緒で映画を見たパールは、ますます外の世界へのあこがれを強めていく。そして、母親から「お前は一生農場から出られない」といさめられたことをきっかけに、抑圧されてきた狂気が暴発する。
前作で主人公マキシーンとパールの2役を演じたミア・ゴスが今作でも主演を務め、若かりし日のパールを演じてるほか、脚本と製作総指揮にも名を連ねている。(映画.comより)
前作とパンフも同じ形式を踏襲。デザインは引き続き大島依提亜さん。
三部作の第一作となる『X エックス』では1970年代だったが、第二作『Pearl エックス』は1910年代第一次世界大戦頃が舞台になっている。前作に出て来た殺人鬼婆のパールが人妻ではあるものの少女みたいだった時代を描いている。
毒母というか信仰深い母との関係性によって家に閉じ込められている形となっているパールは映画が好きで、その中に出てくるダンサーのようになりたかった。もちろん、それを母は許さない。父は自分で食事ができないほど体を動かすことができない病気になっていて、その世話と家のことに日々追われている。夫のハワードと結婚したことでここから救い出してくれると思っていたが、それは叶わず彼は前線に赴いてしまっている。
現在とリンクする部分としては当時スペイン風邪が大流行しているため、マスクをしている人が町にはいるし、母親もパールが町にお使いに行く際には病気を持ち帰らないようにと話している。
前作がヒットした要因のひとつとしてスプラッターホラー感があったと思う。今作ではパールがシリアルキラーになる過程が描かれるというのは予告編の時から出ていたが、実際にはスプラッターホラー的な要素も多くはないがあり、前作を踏まえたショットや湖にはワニがいたりと通じている部分は多いし、なぞっていることで繋がりを強調している。
パールが母親との関係性の悪化と夢に敗れていくこと、誰にも救われないこと(映写技師との関係はあるが、彼は彼女の本性に気づいたことで不幸が訪れる。そこで『X エックス』でも描かれていたパールの性欲の強さみたいなものも出てはくる)でシリアルキラーになっていくのは観ているとわかるのだが、なんだろう、ちょっと物足りない。親子関係で悩んでいる人、特に女性で母親との関係性が難しかったり拗れている人が見るとかなりパールにシンクロしてしまいそうな気はした。
『X エックス』でパールとハワードという殺人鬼夫婦の屋敷に映画の撮影に来た3カップルのうち、唯一生き残ったマキシーン(パールも同じくミア・ゴスが演じている)がハリウッドで女優として成功しようとする姿を描くのが三部作目『MaXXXine』らしい。夢が叶わずにシリアルキラーになったパール、彼女から逃げ延びたマキシーン、二人とも映画に見せられ、女優として成功する夢を持っていたわけだから、最後にマキシーンがどうなるかでこのシリーズの評価はだいぶ変わりそう。今作は僕からすると期待していたよりはちょっと淡白というか、おとなしくは感じた。
最後に戦争から夫のハワードが帰ってくるのだけど、パールはシリアルキラーとなっていくけど、彼もなぜそうなってしまったのかは描かれていない。元々そういう資質があったからパールと結ばれたのかもしれないし、彼女に恐怖で支配されてしまったのか、そういう部分謎として残った。
帰りは歩いて帰ったが、金曜日の渋谷は比較的若い世代の人たちがたくさんいた。海外からの旅行者みたいな人たちも多くて賑やかでちゃんとうるさかった。コロナパンデミックはもうほとんど終わったような顔をしているし、みんなももう気にしたくなさそうな感じだなって思う。でも、見えないものだから油断しているとわからないのが怖い。
夜の街が賑やかなのはいいことだし、卑猥な雑談もすれ違う思いも、出会うことない人と知り合ったり、夜にしかないイレギュラーが起きるのはバッドなこともあるけど、なんらかのハッピーや喜びも連れてくるんだろう。そういう足音から逃げるように家路に向かった。
7月8日
起きると7時半だった。午前中はライティング作業したくないなと思って、ネットを観ていると8時50分からTOHOシネマズ渋谷で『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』が上映だった。歩いても35分から40分で映画館にはいけるし、ちょうど散歩がてらいいやと思ってウェブでチケットを取って8時前に家を出た。幼少期に金曜ロードショーとかで「インディ・ジョーンズ」シリーズは何度か観ているはずだが、映画館で観るのはこれがはじめてだった。
ハリソン・フォード演じる考古学者インディ・ジョーンズの冒険を描くアドベンチャー映画の金字塔「インディ・ジョーンズ」シリーズの第5作。前作から15年ぶりの新作となり、過去4作でメガホンをとったスティーブン・スピルバーグはジョージ・ルーカスとともに製作総指揮を務め、「LOGAN ローガン」「フォードvsフェラーリ」のジェームズ・マンゴールド監督にメガホンが託された。
考古学者で冒険家のインディ・ジョーンズの前にヘレナという女性が現れ、インディが若き日に発見した伝説の秘宝「運命のダイヤル」の話を持ち掛ける。それは人類の歴史を変える力を持つとされる究極の秘宝であり、その「運命のダイヤル」を巡ってインディは、因縁の宿敵である元ナチスの科学者フォラーを相手に、全世界を股にかけた争奪戦を繰り広げることとなる。
宿敵フォラー役を「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」「アナザーラウンド」など国際的に活躍するデンマークの名優マッツ・ミケルセン、インディとともに冒険を繰り広げるヘレナ役をドラマ「Fleabag フリーバッグ」「キリング・イヴ Killing Eve」のクリエイターとしても知られるフィービー・ウォーラー=ブリッジが務める。そのほか、「レイダース 失われたアーク《聖櫃》」「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」にも登場したサラー役のジョン・リス=デイビスがカムバック。スペインの名優アントニオ・バンデラスも出演する。シリーズおなじみのテーマ曲を手がけた巨匠ジョン・ウィリアムズが引き続き音楽を担当。(映画.comより)
ポスト・トゥルース以後にこのシリーズを作るなら、考古学者は歴史修正主義者と戦うしかないし、歴史を変えさせないようにするしかない。マルチバースとか多次元(可能世界)の答えの一つというか、最終的にはそれしかないとは思った。
タイトルにもある「運命のダイヤル」とは数学者アルキメデスが作ったものであり、「時空の裂け目」を示すものものだった。これを今回の敵として描かれる元ナチスだった科学者のフォラーは使って、時間を遡り、ヒトラーによって失敗した戦争の時間軸を変えようとしている。また、冒頭の30分ぐらいは第二次世界大戦中が描かれ、ドイツ軍がロンギヌスの槍(レプリカだと判明する)など世界中のお宝を略奪しており、インディと友人で考古学者のバジル・ショーはその奪還のために忍び込んでいる。インディはフォラーが持っていた「運命のダイヤル」の半分(もう半分はどこかに隠されて入り、それを今作では探すことになる)を回収する。
時代がだいぶ経ってからバジルの娘のヘレナがインディを訪ねて来て彼が父親から破壊してくれと言われて渡された「運命のダイヤル」の半分を持って逃げてしまう。そして、それを奪うために生きていたフォーとその手下のナチス再建というよりも第二次世界大戦をナチスドイツが勝った世界にしようとする集団に二人は追われることになっていく。
「運命のダイヤル」が揃った時にフォラーと捕まっていたインディ、彼を追いかけて来たヘレナと今回のお助け少年であるテディは「時空の裂け目」にそれぞれの飛行機で突っ込んでいくとある場所に辿り着く。その時、もうすべてを失っていると思っていたインディは出会ったある人物にここにいたいというのだが、ヘレナが阻止をするという展開になっていく。ただ、作品において歴史は変えてはいけないというのはテーマというかメッセージとしてはちゃんとあり、今の、現実を生きるしかないという着地になるのは至極当然のことだと感じたし、それでいいと思えた。
作中では月面着陸のパレードが描かれるが、冷戦における米ソの宇宙の覇権争い、宇宙の先には電脳空間(インターネット)が次なるフロンティアになった。今やそれにより加速主義と新自由主義が広がり、既存の価値観や道徳が壊れている最中なので、始まりの一つである月面着陸の時期に舞台を設定してるのだろう。というかこのぐらいの規模作品で最初のプレゼンや企画段階でそれらのことを盛り込んでいないわけがない。
「スパイダーマン」にしろ「インディ・ジョーンズ」にしろ大作映画がきちんと時代に向き合い、この先へときちんとメッセージができていているのは素晴らしいし羨ましい。日本映画で原作ものはそういうことはどうしても難しいし、監督だってそういうことをしたくてもできないから職人的にやっていく。そうやってガラパゴス的なものは深化して個性もできるが、現実問題は取り込みにくくなる(原作漫画や小説がそれを描いていればできなくないが、時差は出てくる)。
インディの息子は志願して入隊してすでに戦死している。ヒロイン的なヘレナはインディの親友の娘であり、お宝を闇で売買しているが、父に幼い頃から「運命のダイヤル」について叩き込まれているので考古学者として申し分のない教養はあるが、リアリストというか金がすべての人になっていて新自由主義っぽい。インディとヘレナを助けてくれる人たちはエジプトからの移民であったりモロッコの少年であったりと有色人種であり、アメリカの移民的な印象がある。敵としてはナチスの残党であり、白人対白人、第二次世界大戦の因縁が元になっている。
観終わって思ったことだけど、老人インディーの息子は死んでいる。彼と妻の子供は彼だけだったので子供はいない。跡取りはいないが、考古学者としては歴史をきちんと引き継いで残していくことはできる、それが希望ではある。だが、今作でおそらく終わりのこのシリーズには彼の後継者らしき人物はヘレナとも言えなくもないが、彼の血を引くものであり白人男性は存在していない。そのことが今のアメリカらしい。
親友の娘とのバディ感というのは、『トップガン マーヴェリック』や『カモン カモン』における父親になれなかった人物が親友の息子や甥っ子との交流の中で義理の父息子関係を築くことにも通じている。
アメリカだけではなく、今の日本でも結局、父親になれない男性の問題というのは描かれる数は増えると思う。その社会においてはマジョリティであった存在(白人男性や日本では男性)が、かつての家父長制という幻想や社会構造から自分だけでなく家族やまだ社会の認識がそこから解き放たれずにいるために、時代の移り変わりともにテーマとしては輪郭をかなり持ち始めているとも感じる。
家に帰ってから『群像』で連載されていた古川日出男『の、すべて』最終回を読む。
政治と芸術と宗教をある一人の政治家「大澤光延」の伝記という形で90年代に彼が若者だった時代から描いてきた長編連載小説。『曼荼羅華X』や『文藝』連載中『京都という劇場で、パンデミックというオペラを観る』もだが、「劇場」というものが近年のキーワードにはなっているのかもしれない。
『の、すべて』を全話読んでいるが、主人公である大澤光延たちの世代がもちろん中心なのだけど、終盤にある人物が退場したことでその代わりを務める人物が彼ら主要人物たちの一員になる部分があり、彼女は光延の子ども世代であることもあって、読んでいくと現在におけるその中間となる30,40代の主要人物がいなかったなと思った。そのことでより「失われた30年」とかが描かれないことで浮き上がっているようにも感じられたのだけど、僕の年齢もあるのかもしれないし、やっぱり親子世代というものがあるので、その中間はどうしても描かれにくい部分は出てくるのかもしれない。単行本になって最初から最後まで読むと連載で読んでいた感じではないものを感じたり、印象を持つのかな。思ってもいない終わり方だったので、微笑みというか笑いそうになったけど、たぶん連載一話目とかを読み直すと受けるイメージはだいぶ変わりそうではある。
語り部の交代であったり、光延(みつのぶ)であり光延(コーエン)であり、呼び名が変わる、複数あるというのは古川作品の初期からあるものだと思うし、呼び名や名前が変わっていくということって古川作品を読み解く大きなキーワードだと思う。
渋谷への行き来の間は『三四郎のオールナイトニッポン0』をradikoで聴いていたが、相田周二がアキレス腱を切ってしまって手術を受けた話をしていた。学生時代にアキレス腱サッカー中に痛めた時に相田たち同級生がそこにいたらオフサイドになるだろうが早く動けと言われたことのある小宮が当時の恨みを晴らすようにそのことをネタにどんどんせまっていく感じもたのしかった。
前日の『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0』でも『有吉の壁』収録の時に三四郎も参加していて、相田がアキレス腱を切ったままで車椅子にオープニング乗っていた話で弄られていたので、二日続けてアキレス腱ネタが上手くつながっていてよりおもしろかった。
夕方にちょっと買い物に行ってから、あとはライティング作業を進める。ようやく僕以外の人から連絡が来たので進めておかないとまたいろいろとスケジュールがしんどくなる。しかし、追いメールしてようやく返信があったけど、それって僕の仕事ではないような気がするんだよなあ。そもそもまだ金銭とか発生してないしなあとか思ってしまうところはある。そういう連絡とか確認は編集者がすべきだと思うし、こっちに任せるなら今度の金銭的なことやスケジュールとかちゃんと決めてほしい。出版社の悪いところってそういうとこだよなあ、と愚痴を書いておく。
7月9日
起きてから目覚ましがてらradikoで深夜に放送した『オードリーのオールナイトニッポン』を検索したら出てこなくて、代わりに『SUPER BEAVERのオールナイトニッポン』というのがやっていた。今週のオードリーの番組は休みだったか、TBSラジオのさらば青春の光の30分番組とTVerで『ゴッドタン』の最新回を寝ながらダラダラと聴いて観る。
9時ぐらいには机に向かってライティング作業を開始。30分ちょっと集中して、10分ぐらい休んでを繰り返して、お昼前に昼食の惣菜を買いに外に出た。晴れてはいるけど、かなり湿度と風があるような気はしたけど、戻ってから洗濯して干した。
『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』でも紹介というかオススメされていた阿賀沢紅茶著『氷の城壁』のコミックス2巻を昨日購入していたので昼休みがてら読んだ。
人と接するのが苦手で、他人との間を壁で隔ててしまう氷川小雪。高校では誰ともつるまずに1人で過ごしていたけど、なぜかぐいぐい距離を詰めてくる雨宮ミナトと出会い──? 孤高の女子・小雪、学校の人気者・美姫、距離ナシ男子・ミナト、のんびり優しい雰囲気の陽太…。
どこかちょっとこじれた4人のもどかしい青春混線ストーリー!
公式サイトより
もともとはライン漫画だったらしく、縦スクロールのウェブトゥーン的な感じだったものを今回普通の漫画のコマ割りに直してコミックにしたものらしい。ライン漫画の時からそうなのかはわからないけど、フルカラー漫画作品でもある。
男女二人ずつの四人がメインキャラであり、陽太以外の3人は裏表というか実際に思っていることなんかを出す出さないも含めて人前での自分とのズレみたいなものを抱えている。というと尤もらしいけど、みんなそうだと思うし、この漫画が漫画ランキングで上位に来ているというのはそのことに賛同し、リアリティがあるからだろう。
四人とも幸せになってほしいなって読んでいると思うし、色恋だけではなく、その時その場所にいて同じ時間を過ごすという存在がいて、尚且つ信用できたり居心地がいいと思えるのであれば幸せなことだし、その時間というのはあっという間に消えるし、移り変わってしまう。だからこそ、貴重で大切なものとなる。同時にその反対であれば生き地獄のような時間になるから、早く終わってほしいと当事者は思うわけだが、この作品においては日々の機微を描いているのでやさしいなって思うし、このところやさしい関係性や物語が増えているような、気のせいか。
夕方からヒューマントラスト渋谷で「12ヶ月のシネマリレー」作品として上映中のデヴィッド・クローネングバーグ監督『裸のランチ』のトークゲストとして菊地成孔さんと佐々木敦さんの対談がついた上映があって、チケットは取っていたがこのままだと観終わってトーク聞いて帰ると21時過ぎるため、作業が明日には終わらしたいけど無理っぽいので行くのを諦めた。
『裸のランチ』は宇宙人?とタバコを吸っている男性の画像は見たことあるけど、映画は観たことがなかった。二人のトークがあるならと思ったんだけど、上映後のトークで30分もないから、絶対にその時間で収まらないから尻切れトンボみたいになりそうだなとも思った。原作小説を書いた作家のウィリアム・S・バロウズとデヴィッド・クローネングバーグ監督の話を二人がするのは魅力的なんだけど、監督の新作『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』の話になっていくとより終わらなそう。新作はたのしみなんだけど、かなりヤバそうな設定だし、試写を観た人から評判を聞くとエグそうだし、映画館で観ようとは思っている。自分が仕事を進めていなかったのが悪いのが一番だけど、夕方からもライティング作業の続きをする。
佐久間宣行プロデュース
— Netflix Japan | ネットフリックス (@NetflixJP) 2023年7月9日
Netflix新番組が始まります!
タイトルは『#LIGHTHOUSE』
MCは2人!だれ?
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シルエットの2人を予想しよう!#LIGHTHOUSEだれ をつけて投稿してください。@nobrock pic.twitter.com/coEZfjSBJe
ネトフリで佐久間さんプロデュースの新番組が始まるらしい。このシルエットはどう見てもオードリー若林さんと星野源さんなので、ある種「オールナイトニッポン」パーソナリティー集合みたいな感じもするが、めっちゃ楽しみだなあ。バラエティなのかな。
7月10日
起きてから30分ほどウダウダしてからとりあえず昨日の作業の続きを始める。ちょっと進んだところでリモートワークの時間になったのでそちらに移行。天気予報を見ると暑さがすごいみたいなので、できるだけ家の中にいようと思った。
本日10日発売『中央公論』2023年8月号に寄稿した「あだち充の半世紀と現在地」が掲載。久しぶりの商業誌なので掲載してもらえてうれしい。やっぱり編集さんから提案してもらったり、赤字を入れてもらって校閲さんからも事実関係や年月の正しかどうかなどをゲラで返してもらったものを確認して修正や加筆することでどんどん文章の精度が上がっていると感じた。プロとお仕事させてもらっているなと感じるし、商業誌での仕事はこういう部分でしっかり手間暇とお金がかかっているのがよくわかる。
水道橋博士、活動再開します。【活動再開SP対談①】全3話
博士さんおかえりなさい。というわけで町山さんの対談を3話全部聞きながら作業をしていた。個人的には園子温監督の性加害問題が出た時にこのチャンネルで博士さんと町山さんが対談をしていたけど、あれは正直ひどかったと思っている。
町山さんに関しては園さんとゴールデン街でたまに会って飲むぐらいの関係性ですみたいな話をしていて、性加害のことは知らなかったとしても、その程度の関係性ではないでしょとは思った。なんかそういうところで自己保身というか、この人は信用できねえなって思ったのを思い出した。
博士さんとこういう風に話せる人はいないんだろうし、町山さんが適任なんだろうけど、なんだかなって思ってしまった。とはいっても博士さんは活動再開ということなので、心身ともに気をつけながら活動をしてもらいたい。
対談の中で文章をずっと書いていないと言われていて、精神的なこともあったのだと思うけど、博士さんが文章を書けるようになると完全復活に向かうと思うし、やっぱり『ビートたけし正伝』と『百瀬博教伝』はなんとか形にしてもらいたい。それを書くことは大変だと思うし、しんどいこともあるのかもしれないけど、博士さんにとって大切なプロセスにそれらを執筆することはあるんじゃないかなと思っている。
リモート終わってからニコラに行って『中央公論』最新号をお渡し。ニコラで「あだち充論」についていろいろ言ってもらったおかげで、その一つの結果として今回の掲載に結びついたという経緯がある。家の外に出たら熱風ではないけど、暴力的すぎる日差しだったので久しぶりにアイスコーヒーを注文した。
Cornelius「環境と心理 - Environmental」Official Audio
帰ってから今日中に送れたらいいなって思っていたライティング作業の続きをやる。明日送れたらいいかなって感じ。まあ、もともと僕が送ったメールになんのリアクションも数日間なかったから作業してなかったので遅れたということもあり、最初は僕が10日には送りますって言っていたけど、作業を開始したのが最近だったから仕方ないな。まあ、向こうから言っている日より遅れたじゃんって言われたら、すいません〜とはいうけど。
7月11日
目が覚めるとTシャツは汗だくだった。クーラーを消して、サーキュレーターもタイマーを二時間にして寝たら暑さでかなり汗をかいていた。梅雨明けは聞かないがもう真夏と同じだ。
この7月11日は小説家の古川日出男さんと誕生日であり、古川さんと一緒に「朗読劇『銀河鉄道の夜』」を行っている翻訳家の柴田元幸さんも誕生日だ。Facebookの過去の投稿を見ていたら、この日は映画監督の小路紘史さんとNEWSの加藤シゲアキさんも誕生日だと書いている時があった。セブンイレブンデイすごいメンツだなと思った。そして、ほんとうに偶然たまたまだが、午前中に映画の試写に呼んでもらったのが小路紘史監督の新作映画『辰巳』だったので、おお、タイミング抜群だねって思った。
昨日の作業の続きをちょっとしてから家を出て道玄坂をユーロスペース方面に下って、その建物の地下一階の映画部学校へ。友人でキャスティングをしている杉山さんが作品には関わっていないけど、個人的に小路監督を応援しているということもあって、試写の案内をいただいていた。受付で監督に何年かぶりにお会いしたので少しだけお話をさせてもらった。『水道橋博士のメルマン旬報』で一緒の連載陣だったという繋がりもあって、僕が人のことをどういう言える立場ではないのはわかってはいるけど、この作品も応援できたらいいなと思っていた。
主人公・辰巳はヤクザ稼業で金を稼いでいたが、ある日、不良少女・葵の家族が殺害される現場に遭遇し、葵を助ける。家族を殺され復讐を誓う葵は、辰巳に助けを求めるのだが。
『辰巳』クラウドファンディングより
小路紘史監督作『辰巳』に遠藤雄弥、森田想、佐藤五郎が出演 小路「覚悟してお待ち下さい!!」
小路監督の前作『ケンとカズ』同様に面構えのいい作品だった。クソみたいな毎日をギリギロのところで生き抜いている奴らの強い眼差しと諦めにも似た毎日とタバコの煙、そして汚れて行く衣服とその手、血まみれの復讐と欲望が交差していく。今作に出ている役者さんたちはこれで注目されて、『ケンとカズ』の主役だったカトウシンスケさんと毎熊克哉さん、今作にも出演していた藤原季節さんみたいにいろんな作品で観るようになるんだろうなと思える人たちばかりだった。もちろん役者さんたちの面構えも最高だったけど、ショットがカッコいいなと思える所がたくさんあったのも印象に残った。最初のシーンである登場人物が殴られて、へたり込んだ状態で殴った相手をちょっと見上げているような構図もいいなと思ったんだけど、そのあともそういうシーンが何度もあって、登場人物たちの顔つきもいいけど、それがさらに引き立つようなショットがたくさんあった。
セリフの多くが普通に話していることよりも怒鳴るというか声がデカく強い言い方になってやりとりするシーンが多いのに、ただのノイズにはならないで登場人物たちのキャラクターがしっかり出ていた。感情がしっかり乗っているということなんだろう。
作中ではたくさん血が流れるが、それも登場人物たちが生きてんだぞ、このヤロー、お前ら舐めんなよ、みたいな感じがあって、ちゃんと痛いのが伝わってくる。あの痛みが観ている側の身体性にも訴えくるから、他人事ではなくなっていくような、知らずと重ねてしまう感じになっていく。
観終わったら、『水道橋博士のメルマ旬報』編集の原カントくんさんも試写にいらしたので、小路監督に一緒にご挨拶、杉山さんも来ていたので少しだけ四人で話ができた。
太陽が強いお昼の時間帯だったが、そのまま歩いて帰った。もちろん、汗だくになってしまった。行き帰りは『フワちゃんのオールナイトニッポン0』を聴いていたが、今回は公開生放送だったみたいで、リスナーが深夜3時に集まっていた。ワイワイとしていてなんかフワちゃんのパワーを改めて感じたし、ピースフルすぎてこの人ってやっぱり魅力的な人なんだなって。あとフワちゃん友達のトンツカタン森本さんがヘルプというか進行ヘルプ的な役割だったけど、さすがだった。
ご飯を食べてから作業を開始。MacBook Airに外付けでつけているHDが動かす時に側面を硬いところに当ててしまったら、どうやら壊れてしまったらしく、認識しなくなってしまった。問題はこれにiTunesのデータが全部入っているから、認識できないとパソコンでiTunesの音楽が聴けなくなってしまう。ほかのデータはiCloud Driveのほうにあるから今のところは問題はないのだが、HDを普及しないとずっと溜め込んでいたデータが使えないままだ。ヤバいな、復旧させるのもけっこう高いし、どうしたもんかな。
一旦作業がひと段落したので夕方の散歩にでかけた。6時前でも明るし、気温も高いままですぐにTシャツが汗だくになってしまった。
帰ってから作業を再開しようと思ったら、友達から久しぶりの電話があって話をしていたら、作業をする気がなくなってしまった。今日中に最後まで終わらせそうにないから、明日の朝に一気にやってしまうことにした。
7月12日
起きてすぐにスマホで今日の予定を確認した。リモートワークはいつも通りあるんだけど、夕方以降に行こうとチケットを取っていたライブがあった。昨日夜やらなかった作業はできるだけ早く終わらして手放したいという気持ちが強かったので、ライブは諦めてこの日には最後まで終わらすほうを優先したほうがいいな、とぼんやりと思った。
ライブのチケットを取っていても当日が近いてくると急に行く気がなくったりすることは年々増えている。仕事のことで諦めることもあるんだけど、例えばめんどくさくなったり、そのライブをやっている人たちのなにかとその時期に自分の波長が合っていないなと思うと足が遠のいてしまう。席があるとそこが空いちゃうのは申し訳なくは感じるんだけど、スタンディングで売り切れとかになっているのであれば、僕一人がいかなくてもさほど問題はないだろうなと思うところもある。
リモートワークまでちょっと作業をやってから、いつも通りの平常運転。急ぎの仕事はないのでのんびりとやっていた。
キャラクターと話のキャッチーさがタイトルに表れる|「講談社女性コミック9誌合同マンガ原作賞」白土美帆子&川崎萌美&間陽
ちょっと前にインタビューに行った記事が公開になった。この前の作家さんのインタビュー記事も作品がドラマ化ということで反応もTwitterとかの反応やプレビュー数も良い感じで、それに続いて読まれてほしいなと思う。
あとは講談社とエブリスタがやっているコンテストに関するインタビュー記事なので、作品の応募数が増えること、そしていい作品が集まればいいのだけど。受賞作がしっかり出て、コミカライズしてヒットしていくという流れができないとこういう協業のコンテストは続かない。この辺りはトレンドであったり流行りとかタイミングもあるから、企業がどうこうしようとしても無理な時もあるし、うまくハマったらどんどん作品が世に出ていくというサイクルもできたりするんだろう。
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3」本編プレビュー
休憩中にスマホを見ていたら、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー : VOLUME 3』の冒頭8分が公開されていた。こういうのは動画販売とか配信の販売促進的なものではあるけど、観たことない人にも訴求できるし、その時動画や配信を買わなくても印象に残っていれば、という思惑もあるんだろう。僕はすでに二回劇場で観ていて、初日にこのシリーズの最後を見届けようと思ったら、冒頭すぐにradiohead『Creep』のAcoustic ver.が流れ出してビックリしたし、感動もした。やっぱりこの曲は特別な、スペシャルな一曲だから。さらにはこの曲の歌詞が遺伝子操作されて作られたロケットの人生と重なっていくし、今回の物語のテーマであったことが終盤の展開を見るとわかるものにもなっていた。映画を観終わってからもこの懐かしい曲が脳内で鳴っていたのを思い出した。
水曜日は朝からずっとradikoで深夜に放送されたラジオ番組をずっと流して、聴きながら仕事をしている。スマホで予定を考えていた時には『アルコ&ピース D.C.GRAGE』を聴いていた。そのまま『JUNK 爆笑問題カーボーイ』から燃え殻さんの『BEFORE DAWN』へ。燃え殻さんは町中華が盛り上がっているけど、そういう風になる前から通っていた渋谷の兆楽と麗郷のチャーハンの話をされていた。確かに兆楽は『アメトーーク』で「兆楽芸人」とかをやってから前よりも並んでいる人の数は明らかに増えた感じがする。その辺は正直難しい。メディアで紹介されたらお客さんは増える。常連や前から行っていた人からすると複雑な思いにもなるだろうけど、お店としてはお客さんが入ることはうれしいだろうし、このなんとも言えない感じって世の中にわりとある。
休憩時間中には昼ごはん用の惣菜を買いに行く時と戻ってからは『星野源のオールナイトニッポン』を聴いていた。今回は細野晴臣さんがゲストのトークがあった。その後半の中で、細野さんが今僕は山を下ってるんだ。下ってると登ってくる人と時にすれ違って、束の間お茶をしたり話をするんだよということを言われていた。下の世代や子供世代と上の世代がコミュニケートできるのはそういうこともあるのかもしれないなあと思ったりした。
最後に『あののオールナイトニッポン0』を聴いていたら、お父さんが耳の病気を患って手術をしたことがあって今は良くなったけど、そういう心配な時期があった。今はまた音楽が聴けるようになっていて、治ったあとにクリープハイプのライブを観た父親のことを一生懸命話している時に、涙声になりながらもなんとか耐えて話をしていた。ああ、あのちゃんって本当に音楽の力を信じているんだろうし、ご両親のことが大好きなんだろうなってわかった。ここで彼女が心情をラジオで素直に語ったことは素晴らしいことだと感じた。
なんかラジオってメディアだからこそ、言える本音みたいなものがしっかりとダダ漏れしていた。あのちゃんはラジオ一年も持たないよみたいなことを言うことがあるけど、リスナーはより彼女の言葉を聴きたいと感じただろうし、パーソナリティーとしての信頼も得たんじゃないかなあ、きっと。
リモートワークが終わってから昨日からのライティング作業の続きを始めた。結局日付が変わる頃に最後までなんとか終わったので、一旦原稿を寝かせようと思って自分も寝ることにした。結局、今日中には終わらなかった。
作業中はずっとコーネリアスのニューアルバムを聴いていた。外付けHDが壊れてしまってiTunesで音楽が聴けなくなったからYouTubeやSpotifyで聴いてたんだけど、課金してないからちょくちょくCMが入るから本当に嫌だ。なんとかHDを復旧させて音楽データだけは別の何かに移行したいなあ。
7月13日
クーラーを切って、サーキュレーターもタイマーをかけて寝ていた。目が覚めてまだ外は暗いけど、流石に朝だろうと思ってMacBook Airを開いてradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら脳みそを起こそうとしたら、再生できないのでなんでだろうと思ったらまだ3時にすらなっていなかった。二時間も眠れていないのに目が覚めていた。トイレに行って、可燃ごみの日だからゴミを出してからもう一眠りした。
7時過ぎに起きてから昨日夜にやった作業の続きを開始。最後までやったものを最初から読み返して、諸々加筆修正していく。何回やっても見落とす部分がゼロにはならないとしても、できるだけ読んでみて違和感があるところを直す。10時半には最終確認してデータを送信して家を出た。暑いと思っていたけど、気持ち涼しく感じられた。曇っているのもあるし、湿度がそこまで高くもない。昼前だけど日差しも強くないので歩くのはちょうどいい。
『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を行き来で聴いていたら、今回は極楽とんぼの加藤浩次さんとサカナクションの山口一郎さんがゲストだった。佐久間さんがネトフリで配信する新番組ではオードーリーの若林さんと星野源さんというコンビだし、この芸人×ミュージシャンの組み合わせで彼らは50代から40代なので、そのさらに下の30代と20代コンビのものも佐久間さんにやってほしいなと思った。
この間、『Pearl パール』を観た際にポイントカードが貯まったので、それと引き換えでカンパニー松尾監督『ドキュメント サニーデイ・サービス』を鑑賞。年齢層はサニーデイ・サービスの曽我部さんと田中さんと同世代の50代前半ぐらいで、女性の方が気持ち多かった印象がある客層だった。そりゃあ、ファン層を考えればそりゃ、そうか。
2023年にCDデビュー30周年を迎えたロックバンド「サニーデイ・サービス」のドキュメンタリー。
1992年に曽我部恵一と田中貴らを中心に結成されたサニーデイ・サービス。94年にメジャーデビューを果たし、翌95年にはファーストアルバム「若者たち」を発表。その後、怒涛の楽曲制作と突然の解散、ソロ活動、インディレーベル設立、再結成、そしてメンバーとの死別や新メンバー加入など、波乱万丈な道を歩んできた。
「キャノンボール」シリーズのカンパニー松尾監督が、2020年春から21年秋までの活動を追う。さらに、メンバーや関係者によるバンドの歴史と解説、初公開映像を含む新旧ライブシーンを織り交ぜながら、サニーデイ・サービスの90年代から現在までを振り返る。小泉今日子がナレーションを担当。(映画.comより)
サニーデイ・サービス - 春の風 / コンビニのコーヒー [Live 2020]
曽我部さんとは下北沢で知り合いの方が作っていた(時また手伝っていた)フリーペーパー「路字」の最後の方で「路字」の歌を作ってもらった時に、メンバーと一緒にお茶をさせてもらったのがたぶん最初の出会いで、その時はたぶんサニーデイ・サービスは解散して曽我部恵一バンドやソロ活動をされていた頃だと思う。その後、再結成があって初めてサニーデイ・サービスを観たのは日比谷野外公会堂でのライブだった。
曽我部さんは共通の知り合いの人がいたりして、下北沢の喫茶店だったり、緑道沿いとかばったりお会いすることがあって挨拶程度だけどお話させてもらう感じで、気さくなお兄さんという印象がある。
また、ロロの舞台で音楽をやられていたり、ご自身もロロの舞台に出ていたのを二度ほど観劇している。今回のドキュメンタリーでわりと端折った箇所の10年代後半のほうの活動期間の所では、ロロのメンバーが出ているミュージックビデオの映像もあった。『水道橋博士のメルマ旬報』で一緒だった兎丸愛美さんがシングル『クリスマス』のジャケット写真を撮影していたのも思い出した。
活動再開してからちゃんとサニーデイ・サービスを聴くようになったので、解散前の頃はほとんど聴いていないファンだと言える。先に曽我部さんに出会ってからサニーデイ・サービスを聴くようになったんだけど、今回の映画で流れた曲はほとんど知っていたからなんだかうれしくなった。
監督がカンパニー松尾さんということもあって、彼が今までやってきたAVのハメ撮り&ドキュメンタリーのフォーマットにサニーデイ・サービスと監督が彼らを追いかけ始めてすぐに世界中を襲ったコロナパンデミックの東京と日本、そしてバンドの歴史を曽我部さんと田中さんが出会った頃から遡っていくことを合わせていっているんだけど、やっぱり生がむきだしになっていた。
あとカレーやラーメンが何回も出てくるのはカンパニー松節だなあ、と思った。曽我部さんがカレー屋さんをやっていて、田中山が大のラーメン好きということもあるとしても、カンパニー松尾作品でも食事するシーンは当たり前に出てくる。そこではAV女優さんとどこかで食事をしている場面とかなんだけど、食と性の関わりを、生命にとって切り離せないものを彼は撮影しているんだと感じる。人間は一本の管だから、食べて排出する。そこに生と性と死がある。苦痛と快楽と虚無と希望がそこを出入りする。その管が日々を鳴らして、いつか止まる。カンパニー松尾さんのロマンチック&エロティックさがサニーデイ・サービスとうまく反応しているドキュメンタリーだった。
家に帰る時もやっぱり気持ちいつもよりは日差しは優しい感じで過ごしやすい気温だった。渋谷の街はやっぱり観光客が異様に増えている感じがする。渋谷は週に何回も映画も含めてくるんだけど、彼らは何を求めているんだろうかとふと不思議な気持ちになったりする。
夕方からちょっと作業をしようかと思ったけど、木曜日は仕事は基本的にはしないことにしているので寝るまでは貯まっている本をのんびり読む。
7月14日
寝る前に読み始めた『新潮』2023年08月号掲載の野田秀樹戯曲『兎、波を走る』の続きを起きてから読む。4日にNODA・MAPの舞台で観劇した際に気になっていた箇所や実際にはなんて言っていたセリフなのかを確認したかった。文章で読んだ方が冒頭の言葉遊びの部分はよくわかる。戯曲を読んでみると改めてすげえなって思う作品だな。パンフレットの最後に来年もNODA・MAPの舞台があると予告されていたので観に行く。
いつもの時間からリモートワークを開始。まあ、穏やかな日というか大きなトラブルもなく、いつもの仕事をこなす。昼過ぎに「あっ! 月曜日が休日だ」ということに気づいて、普段月曜日にやっていることや諸々の設定などをやっていたら、なんか仕事をちゃんとした気になった。休憩中に外に出たら、湿度は高いかなと思うけど、昨日同様に曇り空で日差しは乱暴ではなくて歩いていても汗もギリギリ出ないぐらいの感じだった。梅雨明けはしていないけど、猛暑かよっていう気温になっていたのはなんだったんだろう。まあ、来週には明けて一気に真夏みたいになるんだろうか。
Twitterでは今日から公開の宮崎駿監督最新作『君たちはどう生きるか』を朝イチで観に行った人たちのネタバレを避けた感想がちょこちょこ上がっていて、比較的行為的な反応が多かった印象だった。
主題歌も声優をやっている人たちもメジャーな人たちばっかりだった。うーむ、ジブリは正直好きではないので、今のところ観に行く理由はないかなあ。TOHOシネマズのシネマイレージカードが6ポイント貯まったら一回無料で観れるから、その時に観たいものがなかったら観ればいいかなと思う。
ほんとうにこの作品が上映開始したことほとんどの人が知らないんじゃないかな、宣伝しないって方針だし、テレビCMとかも打ってないんだろうし、テレビがないからその辺りは実際どうなのかはわからないけど、内容を一切出してないからやっぱりしてないと思うんだけど。
たしかにこのやり方だと宣伝費はかからない。発表されていたイラストの鳥で大喜利とかはTwitterで多少盛り上がっていたけど、それがTwitterとかSNSをしない層には届かないとなると、いわゆるアニメとかを普段から見ないような一般層には届きにくくなって、興行的には厳しい結果になるんじゃないかな。
Q/N/K『21世紀の火星』
Q/N/Kのファーストアルバムの音源が配信リリースされていた。CDは生産限定で予約販売のみっぽい。欲しんだけど、今外付けHD壊れてiTunesが使えない状態だから微妙。このジャケットのデザインはすごくいい。CDジャケットでもいいえけど、レコードのジャケットサイズになったらもっとポップというかアンディ・ウォーホルのデザインみたいになりそう。
誕生日が来て、57歳になって、その時に想い起こしたのは37歳の頃のことだった。なんか俺は20年前にはけっこう格闘技とかやっていたよな、等、いろんなことを想い起こして、20年間って走馬灯みたいに感じられてるよな、いま、とか、20年間ってホントなんなんだろうな、とか、最後に猫のあいつに会ってから、つまり看取ってから、もう13年以上だな、とか、そういうことを考えた。57歳にもなって、誕生日に、これまでの人生でいちばん長い時間仕事をしているって状況に、愕然とした。しかし、俺はまだ猫たちに何も届けていない、そう感じた。まだまだ、ぜんぜん、足りてねえ、そう感じた。叫びたかった。
朝日新聞の文芸時評のために、睡眠時間を削って仕事をしている日々のなかで睡眠時間をさらに削って読書をしていて、もはや自分の輪郭が1日に何時間かはモワッとしている状況なのだけれども、いろんな作品が、現代を、現在を、「ここに書きとどめる」ことを意図していることを感じる。その、現代、現在は、たぶん20年が経過しても、現在、現代になりたがるのだ、という気がする。私たちにそういうことをさせているのは、意識というものであって、私たちの目の前に突然現われて私たちを翻弄して私たちの前からさっさと去るのは、現実の世界であるのと同時にむしろ括弧つきの〈時代〉だ。書きとられようとするもの、とどめられようとするものは(それぞれの作家の手で、だ)、むしろ括弧を外された時代だ、とすら感じる。それって最高じゃん、と思う。
古川日出男の現在地「誕生日も越える 2023.06.24 – 2023.07.14 東京・埼玉」より
仕事が終わってから古川さんのサイトの記事が更新されていたので読んだ。連載小説『の、すべて』が終わってもさらに加速して執筆されているのが伝わる。ほんとうに修羅だな、すげえなと思う。自分には今覚悟がないと痛感させられる。この土日でライティング作業を終わらせて提出したら、朝の執筆とかも気合い入れ直してリスタートしたい。後半でやるべきことが前倒しになっている今だからこそ、下旬で加速させないといけない。
7月15日
8時ぐらいに目が覚めて本日中に提出するライティング作業の続きを始める。ミーティングは明日ではなくリスケして明後日になったけど、最初に15日中に出すと約束したのでなんとか間に合わせる。二時間ほど作業してから家を出る。Twitterのタイムラインではジブリの最新作を観た人の感想が多いけど、興味がないので仕方ない。僕が観るべきものはそっちじゃない。
──江藤淳と村上春樹の話が出てきました(前回の記事)。僕は昔から村上春樹と宮崎駿がどうも苦手だったんです。その理由はおそらく本書に書かれているような、宮崎駿だったら「女の子が一緒にいないと飛べない」とかそういうことが本能的にダメだったんだなと思いました。しかし、日テレで毎年のように宮崎駿、ジブリ作品を放送していた時期がありました。それが今は『エヴァ』に変わっただけですが、そのことが日本における「母性のディストピア」を強化していったんじゃないかなと思ったのですが。
宇野 それはいい指摘だよね。僕が小二の時に母親と弟と一緒に『天空の城ラピュタ』を1986年にリアルタイムで観にいったんだよね。ある意味ジブリで育った最初の世代だと言えるんだけど、子供の頃は普通に好きだった。でも小学校高学年とか中学生ぐらいになってくると面白いんだけどそこまで好きな作品じゃないなって。ジブリの中でも『魔女の宅急便』や『となりのトトロ』のほうが次第に好きになっていった。それはなぜかと言うと男は強くなきゃ、女の子を救わなきゃいけないみたいなことに少し違和感があったんだよ。なんか「女の子を救う」なんて自己満足っぽくて嫌だなあ、と感じていたんだよね。頭でっかちな子供だったから、もうちょっと普遍的な社会正義とかの方が大事なんじゃないかなと思ってた。
宇野常寛が語る『母性のディストピア』Vol.2 サブカルチャーの終焉 - KAI-YOU
宇野さんの『母性のディストピア』が刊行された際のインタビューで、聞き手は僕。このインタビューの中でも僕は宮崎駿と村上春樹が苦手な理由とかを話しているというか、『母性のディストピア』を読んでうまく言葉にならなかった部分がわかったので宇野さんに聞いていたりする。
渋谷の道玄坂にあるTOHOシネマズ渋谷まで歩く。30分ちょっと暑くもないのでちょうど散歩。『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』がもうすぐ劇場公開が終わりそう&最終鑑賞プレゼントとして中国版のポスターに使われていたデザインを使ったオリジナルアートカードが配布だったので、試写を入れて四回目のスクリーンで鑑賞。
前の列にいた10代の女の子四人組が会話の感じが英語プラス何語なんだろう、東南アジアのどこかの言語、中国や韓国ではない、マレーシアとかタイとかカンボジニアかな、で話していて、始まる前までスマホで自撮りしまくって、話もしまくっていて始まって数分ぐらいまでスマホをいじって、声は聞こえない程度に前の二人が耳打ちする感じで話していた。エンドロールが始まったらもうスマホを出して話を始めていたのだけど、怒るほどでもないような気もするし、まあ、集団でいると人は愚かになるという典型的な状態だなと思った。そもそも僕が、スマホ使わないでとか話さないでと英語で伝えてもなあ、かといって席を蹴るとかはすべきでもないのでほっといた。
自分の知り合いとか関係ある人なら注意するし、そういう人間とは映画館とかには行かないだろうし、ひどい人なら縁を切る。パブリックな場所という認識がやっぱりスマホ以前以後とで違うんだろうな。映画よりも自分たちの会話とか関係性のほうが大事だろうし、でも、そういう風にしてたら結局大事なことを取りこぼそうな気がしなくもない。
そういえば、男性一人で来ていた人が『オードリーのオールナイトニッポン』東京ドームライブのTシャツの人がいた。はじめて着ている人をリアルにみた。コロナパンデミックになってからリモートで仕事をするようになってからはほぼ毎週聴いている番組だし、東京ドームに行ったことないからいい機会かなって思わなくもないけど、熱狂的なリスナーってわけでもないし、すごい熱のある人たちが集まるところに多少好きぐらいな人間が行くのもなって思ってしまう。
Annihilate (Spider-Man: Across the Spider-Verse)
TOHOシネマズ渋谷の7階のスクリーン1というたぶん小さい方のスクリーンだったのだけど、やっぱり音響がしょぼいなと思った。最初に試写を観たのはソニー・ピクチャーズ試写室だったし、公開後に観に行った二回とかもIMAXだったので音響も立体感があって素晴らしかった。二時間半近く最前端のポップアートが満開で進んでいくのでスクリーンで観るのは間違いなく正しい、となるとやっぱり音も改めて重要なんだとわかった。今回が初見の人はたぶん問題ないのだろうが、一回でもIMAXとかで観ていると音響のレベルの違いが圧倒的だとわかる。サラウンドシステムによっていかに音を立体化させるか、それが映像より引き立てるし、音響も映像によってより響くものとなっていく相乗効果。
アメリカでは脚本家と俳優がストライキに入ったので、今後の映画制作には影響がかなりでてくる。続編『スパイダーマン:ビヨンド・ザ・スパイダーバース』が来年公開予定になっているが、アニメ制作の現場でのアニメーターの大量離脱問題もニュースになっていたし、そもそも声優をやっている俳優たちもアフレコとかもできない状態になる可能性が高いので、公開が遅れるんじゃないかなと思ったり。
彼らのストはネトフリとか配信系の利益配分とかの問題を巡っているので、もちろん権利があるし交渉するのは正しいことだけど、なにかを一方に加速させてしまう気がする。音楽業界だと当たり前になった個人での配信みたいなものを映画監督自身がスタジオとかを抜かしてやっていく、というような。最終的には大手スタジオや脚本家や俳優どちら側にも特はなくて、映画というビジネスが小さくなるという可能性が高いんじゃないかなっていろんな記事とか映画関係の人の発言を読むと感じる。
『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』も『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を今年四回スクリーンで観ている。どちらもマルチバースを描いている作品だが、自分がこんなにもどハマりしているのは、結局のところ、僕自身の「35歳問題」が尾を引いているからなんだと思う。その年齢を過ぎて40代に入ったことでその問題が嫌にリアルになってきた。
コロナパンデミックが落ち着いてきたこと、その以後であるこの日々の生活のこととこの国の終わっている政治のこと、両親や家族(つまり家)のこと、そういう事柄から目を背けられなくなっているということ。そして、人生100年みたいなことを言っていても、心身ともに元気に動ける時間を考えてもその折り返し地点は過ぎてしまっている。たぶん、そういうことの中でありえたかもしれない可能性(世界)とその時間軸について逃避的に意識を向けてしまうことなんかが大きいのだろう。
菊地成孔さんが自身のインターネットラジオで『タモリ倶楽部』が終わったぐらいの時に早かれ遅かれやってくるタモリさんの死から、植草甚一さんの残したジャズレコードをタモリさんが引き継いでいるので、それがどうなってしまうかを心配していた。親交のある中居くんはやめてくれ、中居くんが悪いというよりもきちんと価値がわかる人に譲られてほしいから星野源にみたいな話をしていた。調べてみるとタモリさんのジャズレコード一万枚は北海道東川町にできる「デザインミュージアム」というところに寄贈されるらしい。これって「村上春樹ライブラリー」も同様で、継承していく、されることの中に、子供がいない/いるとかの問題が大なり小なり関わってきている。
戦後生まれで日本のカルチャーをザブザブと浴びてきた人たちがこれから亡くなっていく中でそのコレクションであったり、その当時を語り伝えていくベースとなるレコードや書籍みたいな物(としての存在)が散逸しないようにするには寄贈してどこかに保管してもらうしかなくなってきている。
継承する/しない問題なんかもそういうことで意識する。僕のように結婚していないしパートナーもおらず、子供もいない。我が家では最後に生まれた人間になっていると、大病とかしない限りは年齢順で最後に後始末しないといけないというのも頭にあったりする。
残り時間がどのくらいかなんてもちろん誰にもわからないし、一番家族の中では若いとしても僕がこの先最初に死んでしまう可能性はいくらでもある。
「35歳問題」を乗り越える、いや、うまく付き合っていくためにマルチバース的な枝分かれした自分の人生の可能性を想像することで、仮初に体験するようなことで、現実から逃避するのではなくできれば残された可能性を少しでも増やしたい、みたいな気持ちはある。
家に帰ってからライティング作業の続きをやって日付が変わった瞬間にメールしてとりあえず送信。
今回はこの曲でおわかれです。
Janelle Monáe - Water Slide [Official Music Video]