Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2021年12月24日〜2022年01月23日)

水道橋博士のメルマ旬報』連載「碇のむきだし」

ずっと日記は上記の連載としてアップしていましたが、日記はこちらに移動しました。一ヶ月で読んだり観たりしたものについてものはこちらのブログで一ヶ月に一度まとめてアップしていきます。

「碇のむきだし」2022年02月掲載(公開が遅れて2月になってしまった) 


先月の日記(11月24日から12月23日分)


12月24日
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乗代雄介著『皆のあらばしり』を購入。装丁デザインがいいのは個人的にポイントが高い。
2021年下半期の芥川賞候補作品。乗代さんは今年刊行された『旅する練習』で三島由紀夫賞を受賞している。2018年には『本物の読書家』で野間文芸新人賞も受賞しているので、芥川賞も取れば、純文学系の主要な賞である「三賞」制覇することになる。
読み始めたが、関西弁のキャラクターと高校生の朴訥な会話の微妙にズレたやりとりでなかなか味わいがある。

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岡山の高校の同級生がライブを見るためにバスに乗って上京(前日は大阪)してきたので、シャワーを貸して、その後一緒に渋谷に歩いて行って長崎飯店のちゃんぽんを食べた。『孤独のグルメ』とかにも出ているお店らしくて、終始お客さんが入っていた。特製ちゃんぽんは具沢山でとても美味しかった。

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友人はライブの開場が17時以降で時間があるというので、以前観た濱口竜介『偶然と想像』をオススメした。ル・シネマまで着いて行って、前にどこにあったのかわかっていなかった「銀熊賞」のトロフィーを撮って、そこで別れた。
18時からニコラで皿洗いのヘルプに。この日から三日間初のクリスマスコースをやるので、お客さんも予約のみだが、準備だけではなくオペレーションなど初めてのことでニコラのお二人とも疲れていた感じもした。

ひとつの転機は、バンドの人気が最初のピークを刻んだ『The Bends』(1995年)から『OK Computer』(1997年)にかけての時期だと思う。

世界中をツアーすることで目にしたさまざまな発見・理解もそこには作用しただろうし、自らの影響力を自覚した彼らは公的なプラットフォームに参加していった(たとえば戦地の子どもたちを援助する団体「War Child」のチャリティー作『HELP』への参加など)。

それに伴い歌詞の視点はパーソナルなところから外の世界へと向かい、物質主義やテクノロジーに対する恐れ、政治への疑念、ディストピアなイメージがちらばる『OK Computer』は現代人の抱くパラノイアを鋭く照射した。

チベタン・フリーダム・コンサート』出演、トム・ヨークの「Jubilee 2000」(※4)への協力など、1990年代後期〜2000年代前半にかけてRadioheadは政治性と社会意識を強めていったと言える。

このいわば漸次的な「目覚め / 発動」がより明確に作品と活動の双方に反映された成果が、先日21周年記念再発された『Kid A』『Amnesiac』(2000年 / 2001年)だろう。

再発に連動したデジタル・エキシビションに関する取材で、『Kid A』のアートワークを制作したスタンリー・ダンウッド&トム・ヨーク両名は90年代末の時点で地球温暖化〜気象変動を意識していたことを示唆している――ダンテの『神曲』地獄篇を想起させる同作のジャケットと“Idioteque”の「氷河時代がやって来る」の印象的なコーラスはその危機感を端的に伝えるものだ。

 

12月25日
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園子温監督『エッシャー通りの赤いポスト』初日舞台挨拶付鑑賞をユーロスペースにて鑑賞。まさにこれが観たかった園子温作品だった。
詩的でカオティックで繊細なくせに手に負えない、むきだしで笑っちゃうけど心に触れてしまう。走って叫ぶ、初期自主映画から繋がるものだった。出演者が多いのもあるし、それぞれのキャラクターや数人がチャプターになっているのもあって、二時間半ぐらいになっている。もっと削れる部分はあるんだろうけど、ワークショップに応募した俳優たちの見どころをできるだけ使いたかったという園さんらしい愛情も感じた。

2008年初頭に『愛のむきだし』の初日舞台挨拶付上映を同じくユーロスペースで、同じくシアター2で観たことを思い出した。園監督に、AAA西島隆弘満島ひかり安藤サクラ渡部篤郎渡辺真起子というメンツだった。座席は西島ファンの女子高生ばかりで、舞台挨拶後は映画に集中できずにご飯食べたり、動き回っていたりしたのも今ではいい思い出だ。その子たちがもう30歳前後なのだから、時が経つのは早い。また、満島ひかり安藤サクラは無名と言って差し支えのないの知名度だった。あの日から、そこから園子温監督の快進撃が始まることになった。満島ひかり安藤サクラも今や日本で知らない人がいない俳優になっている。

再びのユーロスペースからの上映、園さんもそのことを意識されていた、また、ここから始まるんだとコメントされていた。再びのユーロスペースから『エッシャー通りの赤いポスト』の上映、園さんと出演者の方々の20年代における快進撃を見れそうでワクワクする。
今回のワークショップの応募に落ちた人とパンフに入っている劇中にも出てきた『仮面』の応募用紙送った人たちから『赤いポスト2』というか、新しい映画を2022年に撮ると言われていた。
ユーロスペースのフロアは僕が観た回の観客と次の舞台挨拶付き上映を観るために待っている人と、映画関係の関係者とかがあふれて混みすぎてるし、時間がなくて園さんには直接ご挨拶はできなかった。そのあとラインで感想を送った。

渋谷から急いで歩いて帰ってニコラで17時から24時まで皿洗いヘルプ。ニコラのお二人とも前日の疲れが残っていたみたいだが、なんとかうまく流れとかいったみたいでよかった。

 

12月26日
起きて作業をしてから朝散歩がてら代官山蔦屋に行く。少し前に江國香織さんの『きらきらひかる』を読み始めたので、年末から来年にかけて江國さんの小説をいくつか読もうかなと思って棚を見ていた。
前に古川日出男さんが『とても短い長い歳月』刊行時のブックファースト系列店でフェアをしていた際に、古川さんが選ぶ「一作家三冊」という選書コーナーに江國作品があって、『がらくた』『抱擁、あるいはライスには塩を』『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』が選ばれていたのを覚えていた。
『がらくた』は前に買ってずっと積読なんだけど、『抱擁、あるいはライスには塩を』は三世代百年の物語で文庫版だと上下巻だから大晦日に読もうかなと思った。大晦日の午前中に買いに行って、そこから寝るまでは読書というのもいい。


12月27日
「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2022年01月号が公開になりました。1月は『弟とアンドロイドと僕』『ハウス・オブ・グッチ』『さがす』『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』を取り上げています。


朝から晩までリモートワーク。夜は作業しながら、菊地成孔大谷能生の「SUPER JAZZDOMMUNE♯41」& 「NEO × STREET × SALSA~サルサ第4世代到来!」を聴く。
昼間はビュロー菊地チャンネルの『大恐慌へのラジオデイズ 第59回「質問/何でも」』を聴いていた。夜は菊地さんが音楽を担当しているドラマ『岸辺露伴は動かない』が放送と、菊地成孔DAYだった。

菊地:はい。少なくとも日本のポップスの世界では例がないと思いますが、ギルドで作品を作ることは古くから行われていて。つまりレオナルド・ダ・ヴィンチ葛飾北斎も一人で描いてるわけではない、ということです。作品は代表者の名前で発表されますが、ギルドもしくは工房にいた人の名前は、よほどの研究家じゃないと知らない。そういう慣習は今もありますが、それを打ち破ろうとしているのがアメリカのヒップホップやR&Bですよね。オーバーグラウンダーのアーティストの楽曲クレジットを見ると、10人くらいの名前が並んでたりするでしょ。あれはつまり、フックを作った人、ドラムキットを組んだ人、リファレンスを提供した人、ネタを探した人を含めて、関わった人の名前をすべて並列に記しているわけです。日本は全然そこまでいっていないですよね。

「必ず、僕を超えるフェイムとプライズを手にする作家が現れる」というサブタイトルがあるが、菊地さんはある種預言者なのでそういう作家が「新音楽制作工房」から現れると思う。

 

12月28日
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キングスマン ファースト・エージェント』鑑賞。今年スクリーンで観たのはこれで90作品。
前二作を観ていると楽しめるエピソード0という時間軸の物語だった。ラスプーチンが踊りながらのオックスフォード伯爵とのバトルがいちばん見どころかな。ロシア帝国の終わりとレーニン台頭、それを裏で操る謎の集団にキングスマンが立ち向かう。
世界の「右」と「左」すらもすべてが、というエンドクレジットの辺りは蛇足に思えなくもなかった。

アトランタ』ファンとしてはペーパーボーイがMCUのヒーローになった!なわけだが。


この日の深夜にTOKYO FMで放送される『TOKYO SPEAKEASY』で水道橋博士×加藤シゲアキの組み合わせでのトークがあるので、博士さんがNOTEに前に僕が『水道橋博士のメルマ旬報』に書いた「『藝人春秋2』&『チュベローズで待ってる』&『最後のジェダイ』 について」をアップされていた。

 

12月29日
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木村綾子さんが店主の「COTOGOTOBOOKS」で注文した井戸川射子著『ここはとても速い川』が届いた。
前から書店で見て気になっていた中原中也賞を受賞した詩人の初めての小説集、装丁がどこか懐かしいというか昔の雰囲気があるのもわりと好感が持てる。


12月30日
水道橋博士のメルマ旬報』連載「碇のむきだし」2021年12月30日号が配信されました。今回は2021年の映画ベストです。スクリーンで観たものだけにしています。画像は『ドライブ・マイ・カー』ですが、一位ではないです。
今年の一位は作家性の集大成であり、正しく狂ってるなあ、と勇気をもらった作品です。


年内最後の整骨院に行ってから、そのまま渋谷方面に散歩。
芥川賞候補になっている『皆のあらばしり』の著者である乗代雄介さんの書評集『掠れうる星たちの実験』という新刊の装丁がとてもいいので買いたいと思って、数件書店に行ったがなかった。
帰りがけにAmazonで注文したので明日には届くことになった。できれば実際に手に取ってから買いたかったのだが、ないのだから仕方ない。刷り数が少ないのかなと思うし、買う人は24日の発売日あたりに既に買っちゃっている感じかもしれない。

晦日は『テスカトリポカ』を一日で再読しようと思っていたので、ちょうどいいタイミングでの対談記事が公開された。『ルポ川崎』も単行本で読んでいるけど、文庫版で新しく買い求めて再読しようかな。

毎年元旦には古川日出男著『サマーバケーションEP』聖地巡礼がてら、井の頭公園神田川の源流の始まりから川沿いを歩くのをやっている。

古川日出男のむかしとミライ』の特別寄稿「私的古川論」でも掲載してもらった『二〇一八年のサマーバケーションEP』


神田川柳橋のところで隅田川に流し込んで合流していて、隅田川として東京湾に出ていく。『サマーバケーションEP』のラストは晴海埠頭の晴海客船ターミナルになっているので、元旦はそこまで歩いている。
東京五輪が終わった翌年の元旦までやろうと考えていたのだけど、去年は延期され実際に今年開催された。もう歩かなくてもいいかなと思っていたのだけど、12月頭に『ゼロエフ』に書かれた阿武隈川沿いの取材の打ち上げで古川さんご夫婦と打ち上げをしたこともあって、やっぱり最後に2022年元旦に歩いて終わろうと思っていた。そこにこのニュースを見た。
もし、2023年元旦に歩いても晴海客船ターミナルは姿を消している。やっぱり元旦にその姿を見届けたい。それで僕の『サマーバケーションEP』が完了する気がする。

 

12月31日
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nuの2022年版「10年メモ」が届いた。今使っているのは2012年版の4月始まりで2022年の3月までだから10年ぶりに購入した。
3月生まれだから30代の10年の毎日はそれに書いていた。今日届いたのは40代の日々のことになる。毎年書いていくと一行ずつ増えるから年輪みたいな層になっていく。

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乗代雄介著『掠れうる星たちの実験』が今年最後に買った本。芥川賞候補作『皆のあらばしり』は読みかけ中だが、この書評集はタイトルと装丁が抜群だったので買っちゃおうと思った。
カバーがクリアで下の本体の金色が透けたところから見える装丁なんだけど、問題はこの手のクリア素材カバーは擦れると傷がつきやすいし白く跡がついてしまうこと。

 

2022年1月1日
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井の頭公園から始まる神田川柳橋神田川隅田川に合流する。隅田川テラスを歩いて月島へ、そして晴海客船ターミナルへ。

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↑晴海埠頭近くにそびえる東京五輪選手村だったマンション群

あけましておめでとうございます。2022年もよろしくお願いいたします。
毎年恒例な井の頭公園から始まる神田川沿いを歩く「ウインターバケーションEP」ですが、6時前にスタートして先程浅草橋と柳橋に辿り着き、神田川隅田川に合流しました。神田川の源流からはだいたい28キロぐらいでした。
隅田川テラスを歩いて月島に、そこから晴海ふ頭前の東京五輪選手村だったマンション群を見ながら晴海客船ターミナルまで歩いた。

古川日出男著『サマーバケーションEP』の聖地巡礼に近い、この「ウインターバケーションEP」だけど、本家のラストシーンでもある埠頭にある晴海客船ターミナルが2022年2月20日に閉館し、7月から解体作業に入るというニュースを年末に見た。
今年22年にもし歩かなかったとして、来年23年に歩こうと思ってもラストシーンであるこの場所はすでに無くなってしまっている。
東京五輪が終わっても人がまだ入居していない選手村がゴーストタウンのようにそびえ、そして今年後半から姿を消していく晴海客船ターミナルを見ることができる元旦は22年だけだと思うとなにがあっても最後まで歩こうと思ったし、一番いい終わり方になるとしたらやはり今年なんだろうとそのニュースを読んで確信した。

井の頭公園神田川の源流から始まるこの歩行は基本的にはいつもとほとんど変わっていなかった。川沿いのお店が無くなっていたり、新しくなっていたり、といつもと同じ多少の変化はあるけど、大きな変化はなく、いつものように自分の歩く音と川沿いの鳥たちのはばたきと鳴き声、遠くから聞こえる車の走行音、時折通り過ぎるランナーの吐息と毎日のルーティンとしての散歩がうれしい犬とその飼い主たち。
一昨年と去年はコロナで晴海客船ターミナルは閉鎖されていて入ることができなかったけど、今年は開いていたのが一番の違いだった。最後なので展望台にも上ってみた。一番上は少し潮風のような強い風が吹いていた。この「ウインターバケーションEP」が終わっていくんだなとその風が教えてくれているみたいだった。

家に帰ってから古川さんご夫妻に今年のレポートを含めた年賀メールを送ってから、少し仮眠した。起きてからニコラの曽根夫妻と毎年恒例な新年会で美味しい料理とお酒をいただいた。

 

1月2日
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22年の小説の読み初めはポール・オースター著『偶然の音楽』から。文庫裏面にある小説の説明文のところに「妻に去られたナッシュに、突然20万ドルの遺産が転がり込んだ。すべてを捨てて目的のない旅に出た彼は、まる一年赤いサーブを駆ってアメリカ全土を回り、〈十三カ月目に入って三日目〉に謎の若者ボッツィと出会った」とあった。
去年個人的によかった映画のベスト1がヴィム・ヴェンダース監督『夢の涯てまでも ディレクターズカット版』、ベスト3が濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』で、このふたつを合わせたような内容に思える説明文だったので年末に買っていた。三つに共通しているのはドライブすること。
去年から書いている小説『セネステジア』もドライブしている所から始まっている。僕自身は免許取得から今までずっとペーパードライバーであり、自分の下手な運転で車を走らせたらすぐに事故ったり、誰かを殺してしまうのではないかという恐怖心がずっとある。だからか、この所、車を運転するシーンを何度か書いているのはその意識の反転なのかもしれない。
『偶然の音楽』と『夢の涯てまでも ディレクターズカット版』はほぼ同時期の作品だし、発表された1990年前後にはインターネットは一般的ではなかった。年々ネットが断絶を広げていき、敵か味方だけにしていく中で、近過去としてのレトロな80年代はさまざまなジャンルで再び掘りこされていった。その時代にはインターネットがなかったから。
僕もそういうものがあるんだと思う。
同時に車とはなにか?ということになれば、フォードシステムによって大量生産が可能になって、庶民でも車が買えるようになったことで道路が整備され、人々はレジャーとしてドライブをたのしむようになった。
都市部や地方の道路が血脈となり、血液として車が人や物を運ぶことで第二次世界大戦後の戦勝国も敗戦国も栄えていった。そして、それはある時期を境に沈んでいくことになる。当然ながら、道路にしろ架けた橋だって何百年も、何十年ももたない。
宇宙というフロンティアをめぐる冷戦の終了、その後は人の心や精神に領域に向かおうとしたインターネットがあり、さらに拡大していくものとしてメタバースがある。人は身体を捨てることができるのか否か。
車によるドライブは物質の移動であり、当たり前だがトラブルが起きれば車は大破し人は死んでしまうし、誰か関係のない人を巻き込んでしまう。そのことはメタバースとは対極にあるようにも思う。
現代やインターネットについて書く時に補助線というか、ドライブについても同時に描くことで自分の中ではバランスを取っているような気がしてきた。そういう意味でかつて書かれたドライブする物語に惹かれているというのがあるんじゃないかと自己分析はできるのだけど。
全然関係ないけど『偶然の音楽』ってタイトルがいい。

 まだまだ本調子じゃないが、コロナで最も強い禁圧を食らったクラブカルチャーは蘇生しつつある。よく泣き、よく寝て、よく食べた僕は、なんとか元気を取り戻し、瀬川先生のご加護を感じていた。瀬川先生。お優しい先生が、どの御著書でも強い怒りの声を以て訴え続けておられた戦争に向かう事への警鐘を、僕は今までの人生でも、この後の人生でも忘れません。あらゆるナチズムによる快楽の禁圧に反逆し、フロアにダンスの力を全開放して、遊ぶことを取り戻します。見守っていてください。

 この2年間で、夜遊びは失われた。「遊ぶ」ということは神々と戯れることだ。民が遊ばない社会は、民が神々と戯れない社会だ。だがドミューンの尽力もあり、遊戯の快楽を知っている人々の欲望によって、クラブカルチャーは瀕死から急激に蘇生しつつある。僕は興奮のスイッチが入り、音楽をする直前に訪れる、全能感に似たドラッギーな気分が湧き始めるのを感じていた。少なくともオレが回す盤は全部最高級だよ。

↓より引用。

 

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2022年の映画初めは園子温監督『エッシャー通りの赤いポスト』舞台挨拶つきをユーロスペースにて。公開初日だった12月25日に観て、今回二回目。初日に引き続き、園監督が登壇する役者さんの代わりに司会をやっていた。
二回目を観ると時系列と登場人物の関係図がわかっているので、前回よりも「人生のエキストラでいいんかい!」という叫びがより響く。
今日も登壇者以外の役者さんが駆けつけていた。かつての自主映画時代や東京ガガガ時代も園さんと作品に関わる人たちの熱狂があり、園さんを筆頭にみんなで作品を広げていった。
今、近いものだと意識高い系な自己啓発やオンラインサロンだし、やりがいの搾取的なものも無意識に含んでいたと思う。今作でもそれがゼロではない、いいか悪いかは別にしたら、なにかが広まるときにそれは間違いなく介在する。
やりがいの搾取はどこでも起こるし、トップが神格化してカリスマ性を帯びていくとその直近のナンバー2とかその下で自己顕示欲とトップに対する承認欲求によって対立や内ゲバや裏切りが始まり、やがて集団は瓦解する。
園さんはある時期や周期に関わる人が入れ替わるし、カリスマ性はあるけど教祖的ではない。たぶん、だらしない部分を見たり聞いたりしてきたからというのもある。
僕のこの距離感はスタッフをやってきた人とはもちろん違うし、その愛憎に関しても違う。だから、こういう考え方も違うよ、という人がいるのもわかる。だけど、園さんが新作を取り続けられるのはその循環というか入れ替わりが大きいんじゃないかなとは思う。
園さんに終わってから新年のご挨拶して(メインこれなんだけど)パンフにサインしてもらった。還暦で僕とは20違う。お疲れだった気はするが、それでも60には見えない。僕が初めてあったのは2005年だから17年前だから、その時の園さんは今の僕よりも年上だ。改めて驚くしかないのだけど。
僕は『ハザード』観て人生が変わってしまったからわかるんだけど、『エッシャー通りの赤いポスト』観て人生変わっちゃう人がいるだろうな、とワクワクもする。だから、たぶん僕にはなんだかんだ渋谷って大切な街なんだろう。

 

1月3日
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神田明神にお参り。いつもの正月行事もこれで終わり。

 

――平清盛の娘で、安徳天皇の母となる徳子ら、女性を取り巻く描写も特徴的です。

古川 女性が主役という意識はありました。平家物語の時代の背景にあるのは、身分格差やジェンダーギャップ。わざわざ現代語訳をするならば、現代の視点で切り込んでいきたいと思った。通して訳した時に、これは戦争なんか嫌で、そんなものがない社会がいいと語り継いでいる作品なのに、意外と誰もそれを言っていないと思った。だから女の人たちに前に出てもらわないといけないと思ったんですよ。

山田 (自分自身が)女性として何かを訴えたいということは特にはありませんでした。虐げられているというよりは、女性強し、のイメージ。キャラクターたちの存在や美学を素直に見たとき、正しい場所に正しく収まったという印象です。

古川 僕も重盛以降の下の世代が印象的ですかね。清経の死は象徴的。維盛の死までつながり、あれで平家の運命は予言されていると思う。

人間って兄弟とか家族関係とか、クラスの中のメンバーとかで自分のキャラクターが決まるじゃないですか。清盛がイケイケだったから、重盛にはまともなところがあってどっしりしていく。重盛がちゃんとした人間で清盛がイケイケで、時子が超ビッグママだから宗盛がダメダメ息子になってしまうとか、そういうところって現実なんだと思う。歴史の真実だと思って、アニメでああいう描かれ方をされるとよくわかる。そこの造形が印象的だったし、好きでしたね。

山田 確かにちゃんと家族物語になっていました。

――後白河法皇や、清盛は憎めないおじさんですね。

山田 「トムとジェリー」みたいな感じで、本当に大好きです。

古川 あー、なるほど。

山田 そういう、やんちゃなおじさんたちがあれこれやっているように見えたらな、と。そこで、ギャグアニメの「ハイスクール!奇面組」に出演していた千葉繁さんに後白河法皇玄田哲章さんに平清盛をそれぞれ演じて頂きました。すごくチャーミングなお二人になりました。

↓「古川日出男×山田尚子対談 「平家物語」とあの作品の共通点」より引用。無料会員登録すれば最後まで読めます。

 

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『偶然の音楽』を途中まで読んでから、『バタフライ・エフェクト ケンドリック・ラマー伝』をケンドリック・ラマーのアルバムを流しながら読んでいる。彼の音楽性やリリックが人種問題や住んでいる街や白人至上主義や両親との関係性と深く関係し、黒人として生き延びてきたこと、そして死んでいったコミュニティの仲間や同胞のように自分がなっていた可能性、その辺りが丁寧に書かれている。
何年か前からたまたまサンダーキャットを聴くようになったのもあるし、カマシ・ワシントンとかロバート・グラスパーとかジャズの新世代も聴いたりするようになると、フライング・ロータスとかそういう人たちがコラボしているのを知るようになった。それもあって音源だけはiTunesに入れていたケンドリック・ラマーも改めて聴こうと思って評伝もいいタイミングかなと思って読み始めた。
ラップもR&Bもほとんど聴いてきていないけど、ケンドリック・ラマーやザ・ウィークエンドは音を聞くとやっぱりカッコいい。二人ともまだ30代前半だった。カマシ・ワシントンは日本で言うと一学年上でフライング・ロータスは二学年下だった。見えない。
あとサンダーキャットは『ドラゴンボール』とか日本のアニメ・漫画カルチャー好きだし、カマシ・ワシントンもアニメやビデオゲームからインスピレーション受けている辺りは世代の近さは感じる。
しかし、コロナ感染爆発前に発売になって買っているサンダーキャットの来日ライブは再延期したままで、サンダーキャットは来る気満々だから中止にはならないだろうけど、アメリカの今の現状だと今年もまだ来日怪しい気がする。
アメリカの現代史における黒人差別問題、この数年で広がって行ったBLMについてかなりページを使ってくれているのでそこを知れるのは読みながらいいなと感じた。
創作や表現は極めて個人的だけど政治的なものだし、法治国家で生きているだけで人は政治的な生き物なんだけど、どうしても日本だとそれが蔑ろというか脇に追いやられてしまう。
書類を改竄したり、破棄するような政府を支持することが自分達の尊厳や個人の自由を奪うことに繋がるってことがわからない人をちゃんと育て上げることに関しては、うまくやってるよね、彼らは。
だから、敗戦後の日本とアメリカとの関係性とか天皇制とか、そもそも勝てない戦争を軍部の上だけで決めて撤退もできなくなって焼け野原にしてんじゃねえよ、戦後もそもそもお前ら反省してねえだろとか、そういうことを個人的にずっと考えて、創作や表現で問い続けてる人にはやっぱり敬意を抱くし、尊敬する。どうしてもバランスが崩れているというか悪くなり過ぎていると他国のラッパーの評伝を読みながら改めて感じる。

 

1月4日

「この世はな、知らんことには、自分が知らんという理由だけで興味を持たれへん、それを開き直るような間抜けで埋め尽くされとんねん。せやから、自分の知っとる過去しか知らずに死んでいきよる。八十でくたばる時に考えるんは八十年間のこと、つまり頭からケツまで己のことや。己のことを考えるから苦しむっちゅうことには気付かず、今に通用する身の振り方だけを考えて、それを賢いと合点して生きとんねん。情けない話やのー。青年が、そんな退屈な奴らを歯牙にもかけんと生きていけるよう、わしは願うばかりやで」

『皆のあらばしり』が芥川賞取ってほしいな、とこのセリフ部分を読んで思った。

バイト先が株式譲渡されたので転籍することになって、明日入社する際に必要な「年金手帳」とか諸々を家にあるいろんな書類を見ながら探す。ゴミがたくさん出た。「年金手帳」以外に必要なものは前の会社の人にSlackで聞いたら解決した、あぶねえ。
たくさんいらなくなった書類が出てきた。一年も行ってない大阪商業大学のものとか東放学園専門学校入学の時に必要だった書類とか高校卒業した証明書とか、東京で最初に住んでた住所が書かれている契約書とか、今の家の前に住んでいた代田の書類とか。驚くほど昔のことは忘れている。
おばあちゃんからもらった手紙とかってやっぱり捨てられない。他の人からもらったものもだけど。僕ひとりの生活でこれほどものがあって、捨てられるものも多いけど、捨てられないものもある。一人暮らしで家族や親族と離れて暮らしていると自分がなにかあって急に死んでしまったら、このワンルームにあるものだけでも片付けるのは大変だよなって思う。
サインとか入ってない本は古本屋とかに引き取ってもらえばいいんだろうけど、名前入れてもらってるサイン本とかって処分するのに困りそうだな。

 

1月5日
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メディアドゥは竹橋のパレスビルに入っているので、休憩の散歩がてらケンドリック・ラマーを聴きながら東京堂書店神田神保町店に向かう。
青山文平著『跳ぶ男』文庫版を購入。侍×ヒップホップだから『サムライチャンプルー』だなあ、なんて思った。

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仕事帰りに新年初のニコラに。梨のマスカルポーネのタルトとアルヴァーブレンドをば。

 

1月6日
リモートワークのお供でradikoで深夜に放送していた『あののオールナイトニッポン0』を聴いた。思いのほかおもしろかった。あと自分の歌も最後に披露していたけど、いいギャップもあったし。
菅田将暉オールナイトニッポン』が3月に卒業して終わるから、あの枠は佐久間さんがやりそうな気はするけど、どうだろう。
アミューズとか大手事務所所属の役者(かミュージシャンだろうけど、星野源が前日にいるからたぶんミュージシャン来なそうな)がやりそうな気もする。でも、ひと枠は減るし、そのうちあのちゃんは「ゼロ」か「クロス」にいても面白いんじゃないかなと思った。
菅田将暉の枠で出ていた『松下洸平オールナイトニッポン』でDJを勤めていた松下洸平の声をラジオでの声だけ聞いていたら、松坂桃李の声に似ている気がした。声が似ているなら骨格も近いだろうから、顔も似ていると思うのだけど、どうだろう。

 

1月7日
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スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の最速上映(24:00~26:45)をTOHOシネマズ渋谷に観に行く。家から渋谷に歩いて向かう途中、凍結した道路を渡っているときに見事な滑り方して転けた。笑っちゃうぐらいに見事な転け方だったが、どこも痛みはなかった。不思議。
おそらく上映初日の日付が変わる瞬間からの上映を観るのは『SPEC』劇場版の最後の後編以来だと思う。あの時は終盤の世界の終わりのような戦いのシーンでほんとうに地震が起きたので、場内がちょっとざわついた。4DXではないのに4DXみたいなことになっていたし、物語とシンクロしすぎていて、それもいい思い出だ。
コロナの状況もあるし、また感染拡大していくといろんなことができなくなるから、祭りとしての最速上映を楽しみたいというのがわりとあった。あと土日、月曜も祝日で映画館は混み合うだろうけど、どうも週末の映画館はあまり好きではないというのも大きかった。

27時、深夜の3時少し前に観終わる。深夜だけど寝オチをしてられないおもしろさだった。いやあ、とんでもない作品になっていてめちゃくちゃ満足した。とりあえず、ネタバレを踏まずにみてほしい、と思った。
この日記がウェブで公開した時には公開から二週間以上経っているだろうから、問題ないと思うが、やはり中盤以降に魔術によって空いた穴からある人物がMJとネッドのいるネッドの家にやってくるところで、場内は一気に湧いて、多くの人から歓声と拍手があがった。そして、それがもう一回来るわけだが、ネタバレを踏まずにほとんどなにも知らずに初日に観に行ってよかったと心から思えた。
また、笑いどころが大きいのも今作の特徴であり、マルチバースの扉が開いてから、ピーター・パーカーにおばであるメイおばさんが「大いなる力には、大いなる責任が伴う」と告げる。そして、このセリフはサム・ライミ監督版でトビー・マグワイア主演『スパイダーマン』に通じているし、大事な人を助けられなかったという後悔はマーク・ウェブ監督版アンドリュー・ガーフィールド主演『アメイジングスパイダーマン』に通じていくという見事な展開で、観客の多くは泣いていたと思う。

2時間40分ほどで2002年から始まったサム・ライミ監督『スパイダーマン』と2012年から始まったマーク・ウェブ監督『アメイジングスパイダーマン』から今回のシリーズであるジョン・ワッツ監督によるMCU版までをある意味で網羅した集大成になっており、それが驚くべきほどの多幸感を観客にもたらせてくれた。そして、そんな作品を真夜中のほぼ満席の映画館で観れて、ほんとうによかった。期待値上げまくってる人たちの反応も最高な空間にしてくれていた。もう一回観るならIMAXで絶対観たい。

 

1月8日
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ありま猛著『あだち勉物語 ~あだち充を漫画家にした男~』2巻。
赤塚不二夫サーガのひとつとも言える天才・あだち充を世に出した破天荒な兄・あだち勉の物語。今回出てくるとある少女漫画家がその後編集者の武居さん(赤塚番&最初のあだち充担当であり、ある種父的な存在。)と関わるなら、「少女コミック」で描くことになる「花の24年組」の誰かなのかな。

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『群像』2022年2月号掲載の古川さんの連載『の、すべて』2回目を読む。この連載のために『群像』を購読しているわけだが。少し前までは『曼陀羅華X』を読むために『新潮』をずっと購読していた。
2回目でこの作品の語り部となる人物が出てきた、というかわかった。やがて政治家になるのかな、たぶん。そのコーエンについて語っている人物を早めに出した方がスムーズということなのかも。そういう役割が出てくるのは不思議だったり、特別なことではないけど、確かに今までの古川作品と気色が違う感じがする。

 

1月9日

しかし、力というのは、大きければ大きいほど周囲に及ぼす影響も大きくなる。
大いなる力を持つということは、同時に大いなる責任を伴うことでもあるのだ。
これは私が考えたフレーズではなく、映画『スパイダーマン』(02)からのパクりである。DNA操作された蜘蛛に噛まれスーパーパワーをゲットしスクールカースト最底辺のいじめられっこから一夜にして下剋上、フィーバーしまくるが調子に乗るあまり大きな選択ミスをやらかし大切な人を失ってしまう主人公、ピーター・パーカーに捧げられた言葉だ。

「monokaki」で王谷晶さんに執筆してもらっていた「おもしろいって何ですか?」の「自由って何ですか?」より。公開された『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』を観た時にもこの連載のことをちょっと思い出したのだけど、王谷さんが4日ぐらいに記事の引用ツイートをRTしていて、その日一気にGoogleアナテリックスのviewがめっちゃ伸びていた。
医者で小説家の人が「私を含め多くの創作者は『社会に影響を与えよう』などと思って作品を作っていません。エンターテイメントは読者・視聴者を楽しんで頂くことが何よりの目的です。」とツイートした件で、いろんな人が引用ツイートでコメントしたりしていて、あえて王谷さんがRTしたのが流れを見てみるとわかった。それに対して小野時系さんは「「創作で社会に影響を与えろ」と言ってるのでなく「創作は社会に影響を与えるもの」だと言ってるんです。」と引用RTで返していた。その通りとしか言えない。この辺りは各自でツイートやそれに対してのいろんな人の意見を見てもらうしかないが。

僕は個人的にあの医師作家さんの小説を読もうと思ったことはない。装丁がことごとくダサいから金を払いたくないというのが一番の理由だ。装丁というのはその作品から装幀家やデザイナーがイメージするものなので、それで表出されるものが自分と合わないものは、基本的に読んでもおもしろいなと思える可能性はかなり低い。これは経験則だ。だから、信頼している人とかが薦めてくれた場合は、自分では買わないものを読むようにしている。そこは我慢する。そうすることで、自分から手を出さないものに手を出す、イレギュラーであったり未知との遭遇が時折あるから。
でも、書店に行くとあの作家さんの新作はたいてい面出ししてあるし積まれている、エンタメ作品として売れている人というのはわかる。だから、僕の感性が世間とはズレているのだろうと思う。だが、これは仕方ない。ダサい(わかりやすい)ぐらいのほうが売れるというのはあるのかもしれない。エッジがあるものはカッコよくても売れないというのはどんなジャンルでもある。

あれだけ売れている作家なんだけど、編集者とか周りの人はなにも言わないんだろうか、それも不思議だ。
あの作家の人はコロナとかでも医者として積極的に発信しているのにもかかわらず(そういう部分はしっかりしてんのに)、創作に対しての考え方とかがわりと「?」だ。
売れているものはいやでも世の中に影響を及ぼすし、そのことに無自覚っていうのがよくわからない。漫画『ブラックジャック』が医療業界になんの影響も与えなかったのであれば、エンタメは現実に影響を与えないと言えるかもしれないけど、それはありえない。
これって貴族とか代々家柄が金持ちな人は貧しい人に寄付したりとかそういう精神があったというが成り上がりが増えていくとなくなっていく(日本だとちょっと違う部分もあるし、キリスト教圏内の文化的なものでもあるが)みたいなことに似ているような。

おそらく、批評とかに対して理解がない(ただ攻撃される、悪口を言われていると勘違いしている)表現者が増えているのもつながっている事柄なんだと思う。それは教養(教育)の問題なのか、新自由主義的ななにやっても稼いで勝ち口が正しい的な自己責任論を押しつけるような価値観の浸透のせいなのかはわからないが。
スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は超どエンタメな作品だが、「大いなる力には、大いなる責任が伴う」ということをしっかりと描き、主人公が責任を取る主体としての大人になるという見事な成長譚となったシリーズ第三作目だった。また、ヒーローというものへの批評性や過去作から連なっているものへの自問自答や新しい解釈や希望があるし、同時に批評されることを恐れていない。しっかりとそういうものを受け入れていく姿勢を感じた。
僕は早い時期に大塚英志原作漫画を読み始めて、その流れで大塚さんの批評とか自然に読むようになったのが大きかったんだと思う。そこはすごく大塚さんに感謝している。
大塚さんの本読んでなかったら、大江健三郎中上健次三島由紀夫も読まなかったし、社会学とかそういう関連の書籍への入り口もだいぶ違ったものになったと思う。たぶん、読めなかった。

『ボクらの時代』の鈴木もぐら×嶋佐和也×坂井良多(高円寺芸人)をTVerで見る。
小説で言えば、ある時期の「メフィスト賞」や「R-18文学賞」、最近だと「文藝賞」みたいに才能が集まったような感じが「高円寺芸人」にもする。ある時期そこに集まった人たちが連鎖的に台頭してくる磁波みたいな。
何人かが世に出て台頭してしまう(そのジャンルにおいて認知されてしまう)と後からそこにやってきてもレッドオーシャンみたいなものになってしまっているから、もう間に合わない。僕もそうだけど、ほとんどの人はそういう所には間に合わない。その後、なんとか形になっても「遅れてきた青年」状態になる。
だから、今芸人になりたい人が「高円寺」に住んでチャンスを、というのは違うだろうし、おそらく「高円寺芸人」の弟分にしかならずにたぶん売れない。小説家を目指す人が「文藝賞」に出しても、すでに世に出ている出身の芥川賞作家以上のインパクトは出せないし、出せる人ならどエンタメ(文藝賞は純文学でもエンタメでもいいから)の側を書く人だろう。
「遅れた」側の人はすでに王道ではないので、周辺から、僻地からじわじわと中央に向かって、王道になんとか寄生して、あるいは吸収して取り込みながら、ど真ん中に行く人か、周辺か僻地でその人だけの王国を作るしかない気がする。

 

1月10日
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スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』2回目をIMAXで観るために、前2シリーズ(サム・ライミ監督&トビー・マグワイア主演『スパイダーマン』シリーズもマーク・ウェブ監督&アンドリュー・ガーフィールド主演『アメイジングスパイダーマン』)をアマプラで見返している。
アメイジングスパイダーマン』の主役のアンドリュー・ガーフィールドとヒロインのエマ・ストーンの二人って、このシリーズが事実上打ち切りになって(MCU版が始まるため)、その後にそれぞれが出演した映画にある共通点があるよなって思った。
エマ・ストーンが出演した『ラ・ラ・ランド』とアンドリュー・ガーフィールド主演『アンダー・ザ・シルバーレイク』は共にロサンゼルスを舞台にしていて、ショービジネスの世界に関係している物語であり、舞台がわりと被っているというところだ。

ラ・ラ・ランド』日本公開後、鑑賞した翌月の三月にロサンゼルスに行った時に、『ラ・ラ・ランド』に出てきたハリウッドをネットの情報を頼りに歩いて見ていた。
ラ・ラ・ランド』はそんなに好きな映画ではない(デイミアン・チャゼル監督作品がそこまで好きではない)けど、時間もあったしいい暇つぶしになった。
その流れでロケ地になったグリフィス天文台にも行った。アスレチックコースみたいな道を歩いて上った。そこからは有名な「HOLLYWOOD」サインがよく見えた。
その翌年ぐらいに『アンダー・ザ・シルバーレイク』が公開された。都市伝説や陰謀論を描いた映画だが、個人的にこの数年で観た映画でもいちばん好きかもしれない(僕にしたら珍しくDVDソフトを買っている)。『ラ・ラ・ランド』と同じくロサンゼルスが舞台だからロケ地が被るのは仕方ないのだけど、その前に実際にハリウッドに行った時に見て歩いた場所が映画に出てくるのだから、個人的にもリアリティがすごくあった。そして、こちらでもグリフィス天文台は非常に重要な場所として登場していた。また、天文台までのアスレチックなの?と思えるかなりの山道(普通は車で行く場所らしい)も映画に出てくるので、あの都市伝説的な物語に僕はリアリティを感じた。
今、書いている新人賞へ応募しようと思っている『インターレグナム』は『アンダー・ザ・シルバーレイク』東京版みたいな意識もある。

 

1月11日
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短歌の本を先月とかに買ったのを読めてないのに、書店で『穂村弘対談集 どうして書くの?』を少し立ち読みしたら最初の高橋源一郎さんとの対談がとてもよかったので購入して読み始めた。その流れで新書で出ている高橋源一郎×斎藤美奈子『この30年の小説、ぜんぶ:読んでしゃべって社会が見えた』もおもしろいかもと思って読み始めたらそっちを先に読み終えてしまった。

穂村弘対談集 どうして書くの?』に戻って、一青窈さんとの対談を読み始めたら、感情や思いを言葉で伝えようとするときの話があった。
「情報」ははっきりした形で、コップとかの器にいれて渡すことができるけど、感情や思いっていうのものはそういう器では渡しきれないということを穂村さんが言っているのがすごくいいな、と思った。そもそも個人的な感情や思いがある文章って渡し方や入れる器が違ったりする。「情報」ではないから。
渡す方が考えた渡し方であったり器について、渡される方もイメージとかを共有できてないと受け取れないというのも大きい。それはセンスかもしれないし、感受性とかのレベルが近いとかなんだろう。
親しい人だからって渡そうとしてもそれが違えば、渡しても相手は理解できなかったりする。友人知人以前に家族でもそれはよく起きているはずだ。
ここで例えになっているように感情や思いをスポンジに染み込ませて渡していても、相手がそれを握ってくれたら水(としての感情や思い)が出てくることに気づかずに、ずっとコップを持ったままということもありえるんだろう。
コップを持って、とりあえず「情報」をくれと言っていても相手が「情報」ではなく「情緒(感情や思い)」を渡そうとしていたら、それは伝わらないわけで、逆もしかり。
小説を続けて読んでいるとちょっとしんどくなってきて、ノンフィクションとかこういう対談集とか読みたくなるのも、「情緒」を受け取るのに疲れて、「情報」がいいなとかって感じなんだと思う。コップを持ってずっと「情報」を求めていくと、たぶんスポンジを握るって発想ができなかったり、それすらめんどくさいみたいなことはあるんだろう。

 

1月12日
アニメ『平家物語』オープニングテーマ曲。羊文学のライブを一度だけ観たのは下北沢のベースメントバーでの、メジャーになる前のワンマンだったけど、きのこ帝国ぐらいにはなるんだろうなと思ったんだけど、もっと上にいきそうな気がする。



2016年末に現代語訳『平家物語』刊行&『犬王の巻』を執筆し、トランプ大統領に就任した2017年にUCLAに招聘されてアメリカに渡った古川さん。
UCLAでの朗読は小泉八雲『怪談』(英語の同時通訳)&小林正樹監督『怪談』の「耳無芳一の話」の映像が流れていた。まさに異界みたいな空間だった。UCLAでの朗読は動画を誰も撮っていないからないのだけど、2017年に高知県竹林寺で行われた古川日出男×向井秀徳×坂田明平家物語 諸行無常セッション」は撮影してあるので、なにかのタイミングで見れるといいな。
アニメ『平家物語』は本日24:55からフジテレビ系で放送開始。


講談社クリエイターズコンテスト」一次選考通過していた。次は面接だけど、コロナもあるし講談社にみんな行けるわけでもないから公平にするためなんだろうか、次の面談はウェブ面談になっていた。
ウェブで会議とかやりとりするの苦手だけど、まあ、仕方ないので自分がこのコンテストに出したことで考えている未来像とかやりたいことをしっかり伝えるしかないな。

 

1月13日f:id:likeaswimmingangel:20220114120259j:plainf:id:likeaswimmingangel:20220114120316j:plain
スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』二回目をTOHOシネマズ日比谷のIMAXで。
スパイダーマンがニューヨークをスイングで飛び回る躍動感とかはやっぱりIMAXのスクリーンで観たくて、新宿は混む可能性があるから日比谷に。街的に年齢層が高く、平日だとかなり空いているからコロナ的にもバッチリだと思ったのもある。
この作品はネタバレをしていても面白いと思うけど、何も知らずに観たときの興奮とか、劇場公開時のスクリーンでしか味わえないだろう。

アメリカだと去年末公開だから、去年観ていたらベスト2にしていたと思う。ベスト1はやっぱりヴィム・ヴェンダース監督『夢の涯てまでも ディレクターズカット版』なんだけど、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』と実は共通点がある。
二回目の今回は一回目より泣いてしまったが、それはきちんと前二シリーズ(サム・ライミ&マーク・ウェブ監督の五作品)を復習して観たからヴィランについての背景がわかったこともあり、感動が増幅し深化したのは間違いなくあると思う。内容に関して言いたいことはあるんだよ、マルチバースについてとかさ。でも、そんなのが気にならないぐらいの強度のある作品になっている。
初日の最速上映の満席の劇場はよすぎたけど、今日の日比谷もお客さんは多くはなかったけど、みんな同じ箇所で鼻をズルズルさせて泣いていた。
二時間とか三時間閉じ込められた場所で全然人生で交差したり、関係性が始まらないであろう他者と空間を共にする、その経験としての映画館が好きだし、やっぱり映画館で映画観たいんだよな。
劇場に行くのもめんどくさいし、下手したらクソな他の客とかいるけど、世界が便利になってお手軽になっても、自分や他人って手に負えないし、お気軽じゃなくてめんどくさい。たぶん、それありきの空間が好きだし、手放したくない。だから、観たい映画は観に行きたいし、ライブも聴きに行きたい、それがあるからひとりで向き合う小説も同じぐらい大事。

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日比谷から家まで歩いて帰るなら2時間程度だし、皇居のお堀沿いを歩いていけば赤坂なんで、途中にある豊川稲荷にお参りを。昼間なのにわりとお参りの人がいた。

 

1月14日
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朝から夜までリモートワーク。途中でニコラに行って、スコーンとアルヴァーブレンドをいただく。
コロナのオミクロン株が一気に拡大しているのか、東京もまた3,000人とかを越えてきた。すぐに5,000人は行くんだろうな、と思うけど、特に新たな政策や支援を政府がすると思えないし、もう運の問題でしかない感じになっている気がする。このまま行くと春先までぐらいは緊急事態宣言とか出て、制限されてしまうのだろうか。

古川日出男さんへのインタビュー記事がアップされていた。平清盛はシステムを変えて新しい時代を作ろうとしていたという話、だから、一つの方面では描けない魅力的な人物でもあり、それは革命者であり破壊者という側面を持っていた。という話などアニメをより楽しめるものとなっている。
もちろん、ネトフリなどでも配信が始まったが僕が一番願いのは古川さんが現代語訳した『平家物語』を読んでもらうことだけど。

 

1月15日
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清田隆之著『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』を読み終えた。
10人の「一般男性」が語るそれぞれのアイデンティティジェンダーに関すること、親やパートナーとの関係や仕事や学生時代のこと、みんな違うわけだが、そこに通底しているのはやはり昭和末期や平成になって生まれて育った世代という気もする。
僕もだが、彼らの親世代が戦後生まれの今でいう戦後の復興期に成長し日本がよくなってきた時代を生きてきた人たちだから、今の時代よりも安定していたり、大きな枠組みや物語があった。それが崩れている時代に、その親世代に育てられていると呪縛というか当たり前だったことが時代的にアウトになっていったりするので、うまく転向や考えを改めることができない人が多いんだろう。そこでうまく他者との関係性が取れなかったり、最終的な信頼をすることができないなどの弊害は起きているのだろう。
まったく他人事ではなかった。アメリカとかでよくある同じ悩みや症状がある人の話し合う自助グループのようなものが普及したら多少は楽になりそうだけど、なんかそこでもマウントを取り合ったりするような気もしてしまう。でも、こういう形でも誰かに聞いてもらうというのはすごく大事なことだと感じる。

 

1月16日
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リドリー・スコット監督&レディー・ガガ主演『ハウス・オブ・グッチ』をTOHOシネマズ渋谷にて鑑賞。7階のスクリーン1という小さなところだったが、金曜日に公開したばかりだからか、7割方客席は埋まっていた。
実話を基にした作品であり、グッチ家の3代目社長であるマウリツィオ・グッチ(アダム・ドライバー)が射殺された事件を裏で計画していたのが、妻であったパトリツィア・レッジャーニ(レディー・ガガ)という話であり、庶民出のパトリツィアはパーティで出会ったマウリツィオがグッチ家の御曹司だとわかると猛アプローチをして結婚する。しかし、マウリツィオの父のロドルフォ・グッチ(ジェレミー・アイアンズ)からは反対され、夫婦はパトリツィアの実家の運送業者で働くことになる。
グッチ家を捨てたマウリツィオは未練はなかったが、パトリツィアは夫を再びグッチに戻して、自身もその名門の一人になりたいという欲望を捨てなかった。そこにマウリツィオの伯父であるアルド・グッチ(アル・パチーノ)の誕生日に夫婦は呼ばれたことで、彼女は伯父に気に入られて、夫の一族復帰を画策するようになる。

はっきり言ってしまうとパトリツィアという外部の遺伝子を名門グッチに取り入れたことで、一族間での争いや権力がマウリツィオに集まり、彼は外部資本とパートナーシップを結ぶことによって新たに再生しようとするが、その時、妻ではない女性と暮らすようになり、パトリツィアと娘はグッチ家から関係のない状況になってしまう。そこで逆恨みのようにパトリツィアは夫の殺害を依頼することになる。マウリツィオが死亡し、のちにパトリツィアや彼女に殺害犯を紹介した占い師やその実行犯たちはのちに逮捕され、世界に知られるブランド・グッチはグッチ家の人間が誰一人いないという状況になって、今に至ることになる。最後ら辺でグッチを再生させる才能豊かな若いデザイナーとしてトム・フォードが出てくる。
パトリツィア・レッジャーニがマウリツィオ・グッチと出会ったことで名門は自身のブランド経営から手を引くことになる。外部資本でパートナーシップを結びグッチを再生させた人たちからすれば、自分達の手を汚さずに彼女が動いてくれたおかげでグッチが手に入ったといういろんな意味で皮肉的な物語となっていた。
最初はレディー・ガガとかファッションも素晴らしいし、魅力的なのだがどうも最後がわかっているので盛り上がりに欠けた気がして、よくもなく悪くもなかったという印象になってしまった。

 

1月17日
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中央公論社中央公論』2022年2月号を上林さんからご恵投いただきました。
友人のパン生地くんこと高畑桑名が寄稿した『Tシャツの裾から見る時代の背景 平成のタックアウトから令和のタックインまで』が掲載されているので送っていただいた。
彼の展示を一緒に見に行ったのはパン生地くんと同じく園組だった杉山さん(彼女がキャスティングで参加しているNetflix『新聞記者』もぜひ見てください)で、さきほど5代目金田一少年決まったねとラインしたら本が届いたので、すごいタイミング。さて、バディとなるみゆきは誰が演じるのか。
ではなく、この記事が気になる方はぜひ『中央公論』読んでみてください。僕もこれから読みます。

 

1月18日

2020年夏、「帰還困難区域」に元なし農家の鎌田さんと車で入ったあとに、鎌田さんと親戚なのかな、縁戚である木村紀夫さんが今日は家にいるだろうと鎌田さんが言われて、木村さんのお宅にアポなしで行くことになって、僕たちは木村さんの家に急遽お邪魔させてもらった。
亡くなった汐凪(ゆうな)さんのためにお地蔵さんが建立されているところでみんなでお参りをした。この記事の写真でも出ているけど、そのすぐ下にベンチがあって、古川さんと鎌田さんが座って話をはじめてNHKのクルーはそれを撮影し始めたので、木村さんと愛犬は家のほうに降りていった。
鎌田さんと木村さんが近い関係というのもあるんだろうけど、アポなしなのに木村さんの家なのに、木村さんを無視しているような気がして僕はなんだか嫌になってひとり撮影を見ないで坂を降りた(古川さんには僕のICレコーダーを渡していて、ずっとRECにしていたから僕がいなくても録音できていたのもあるが)。
ご挨拶をして、横に座らせてもらって犬を撫でながらお話を聞かせてもらった。残念ながらその話は僕だけしか聞けなかった。もともと国道6号線の帰還困難区域を含んだ前後ではGotchことアジアンカンフージェネレーション後藤正文さんも一緒に歩く予定だった。しかし、コロナの影響などもあって後藤さんは福島に来ることができなかった。
古川さんと後藤さんは以前に木村さんにお会いしていると聞いていたので、僕は「ほんとうはゴッチさんも一緒に歩かれる予定だったんですよ」と木村さんに伝えるとアジカンの話になって、一番好きな曲は『海岸通り』だと教えてもらった。
歌詞の中に「夕凪の最後には優しく揺らぐ風 海岸通りに春が舞う」とあり、「歌詞の中に「ゆうな」って入っているでしょう」と教えてもらった。
『海岸通り』はまさしく海岸の話であり、春の話である。この曲自体は東日本大震災前の2004年に出たセカンドアルバム『ソルファ』に収録されているから、前から木村さんが知っていたなら、その歌詞の意味も沁み入り方もあの日からだいぶ変わったのかもしれない。
その後、ツイッターでゴッチさんには木村さんが歌詞の中に娘さんの名前が入っていて一番好きだと言われていたと伝えた。彼はこれからも大事に歌っていきますと僕もリプライをくれた。
この記事を読んでそんなことを思い出した。たぶん、このことは前にも書いたと思うけど、『ゼロエフ』には書かれていない僕のエピソード。

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1月19日
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田河水泡著『少年漫画詩集(復刻版)』を読む。去年、書店で見かけて資料として買っていたもの。しかし、買っておいてなんなんだが、今これ需要あるのか謎さもある。
田河水泡については『みずのあわ』というタイトルで小説を書きたいなと思っているのだけど、全然書けないので「講談社漫画原作大賞」という賞に企画書を送ろうかなと思って、ちょこちょこやっている。田河水泡の歴史を考えれば講談社の何らかの賞に送るのがどう考えてもまっとうというか。
この詩集読み終わったけど、おそらく田河が幼少期に見たような景色とか感じたような気持ちが表現されているのだが、どこか物悲しい。彼の出自というか育った環境が出たんだろうと思う。
田河水泡は生まれてすぐに母親が亡くなり、父が再婚するため伯父夫婦に預けられて育った。伯父が落語に出てくる大家さんみたいな人だったという。彼が落語や講談が好きだった影響を高見澤仲太郎(田河水泡の本名)も受けていて、そのユーモアのセンスが『のらくろ』に活かされていると言われている。
個人的には大塚英志チルドレンなので、大塚さんに何度か新刊が出た際にインタビューに呼んでもらった時にお話を聞いていたことが田河水泡に興味を持った。
大塚さんは民俗学の始祖である柳田國男の孫弟子というかそういうラインにいて、日本の民俗学の最初にいた柳田國男折口信夫小泉八雲が出てくる「民俗学三部作」などの原作を手がけている。それをKADOKAWAから出している皮肉にKADOKAWAの社員って誰も気づかないんだよなと愚痴ってもいたが。
KADOKAWAの初代である角川源義は折口門下であり、二代目の角川春樹(この名前は島崎藤村の本名の島崎春樹から取られている)とどこかのパーティーで口喧嘩になって「じゃあ、おたくでメディアミックスやってるよ」と大塚さんが言って、デビューして間もない田島昭宇さんと藤原カムイさん連れて徳間書店から角川書店に活動の場所を移した。
結局、三代目となる角川歴彦を周辺にいたメンバーで担いでメディアワークスを作るという角川お家騒動にも関わることになる。そういうことも含めて、KADOKAWA大塚英志をめぐる物語の始まりには民俗学というものがある。
その3人の民俗学者は「捨て子」幻想を抱いていた。実母が自分の母ではない、自分には本当の母がいる、本当の故郷があるという想い、かつては「あんたは橋の下に捨てられていた」と言われていたことに通じるもの。
夏目金之助も生まれてすぐ里子に出され連れ戻されるが、すぐに養子に出される。近代文学を代表する夏目漱石もまた「捨て子」であったと言える。日本の近代って「捨て子」たちの自分探しであり、母なるものや家を再構築する物語だった。と考えるのであれば、田河水泡もまさにその一人だと言える。ポストモダンっていうのは彼ら「捨て子」たちが作ったシステムが常態化して、時代に合わなくなっていくというものだったのだろうけど、その呪縛は強すぎて歪な形だけが残骸として残ったという気もする。
漫画の神様と言われる手塚治虫でさえ、幼少期には『のらくろ』を真似て描いていた。神様の父ならば漫画のゴッドファーザー的な存在と言えなくもない。
と考えると田河水泡について描くことは日本の近代を描くことになる。彼の人生は波乱に満ちていて、いろんな創作に関わっている点もおもしろい。
仲太郎は生まれて一年ほどで実母が亡くなり、父の再婚のために伯父夫婦に育てられる。伯父の息子であり、浮世絵の複製版画の仕事をしていた従兄の高見澤遠治に絵の道具一式を買ってもらったりしたことがのちに絵描きとなるきっかけとされている。
しかし、父も伯父も彼が大人になる前に亡くなり、尋常小学校を卒業してからはすぐに働くしかなかった。その後、徴兵されて朝鮮と満州に渡る。除隊後には日本美術学校図案科に入学して、抽象画を描くようになり、前衛芸術集団「マヴォ」に参加している。このころは「高見澤路直」と名乗る。
マヴォ」は関東大震災の直前に村山知義の呼びかけで結成されており、仲太郎は熱心には参加していなかったと言われているが機関誌『マヴォ』の表紙の抽象画をデザインしたり、メンバーとパフォーマンスをしている写真などが掲載されている。つまり、なんだかんだ言って楽しんでいるし、青春を謳歌しているのが感じられる。大学時代には大御所になっていた竹久夢二を呼び出して露天で売っていた自分達の絵を買ってもらった上にお酒を奢ってもらっていたりする。
大正15年にのちに講談社となる大日本雄辯會講談社にアポなしで行って自分の書いた創作落語を持ち込み、『面白倶楽部』に掲載(採用)され、落語作家として「高澤路亭」を名乗るようになる。創作落語として『猫と金魚』という落語を残している。
創作落語を持ち込んで2年後の昭和2年講談社の雑誌に漫画を描き始めるようになる。落語の原稿の隙間にイラストとかを描いていて、美大出身だから絵が描けるし、漫画も描けるんじゃないと編集者に言われたらしい。
そんなわけで本名の「高見澤」のもじった当て字で田川水泡(た・かわ・みず・あわ→たかみざわ)を漫画家としての筆名にするが、周りは(たがわすいほう)と読み、訂正をしなかった。その後、田河水泡(た・か・みず・あわ→たかみざわ)に変更するも読み間違いと誤植が多く、結局本人もタガワスイホウと書くようになって定着した。出世魚みたいに名前が何度も変わる。
企画書に書くものをメモがわりに書いていたら長くなった。

 

1月20日
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夕方からのウェブ面談が終わったのでニコラに行く。外はかなり寒い、翌日からまん防になるということで飲食店はお酒は20時で営業時間は21時までになってしまう。もともと面談が終わったあとには行こうと思っていたのだが、ちょうどその前日になってしまった。
お腹が空いていたのでさわらと菜の花のリングイネロゼワインを最初にいただく。菜の花のわずかな苦味がさわらの甘みをより強くさせてくれるみたい。食後にはバレンタインブレンドを飲む。最近書店で見かけて気になっていた中島らも著『僕にはわからない』をお借りした。

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「あなたという存在とこの世界とは、互いに混ざり合い、溶け合っている」という印象に残るフレーズがある中島らも著『僕にはわからない』収録「がんばれダーウィンⅢ」というエッセイ。このページの前には今考えるとそれって3Dプリンターだよね、ということがコンピューターの世界も「実在」であるという話から展開されていた。最初に出版されたのが1992年だと考えると改めてすごい。


1月21日
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上空で燃料が底をつき、エンジンが一基ずつ停止を始めた航空機のコクピット。ただ独り残ったハイジャック犯である僕は、ブラックボックスに自身の半生を物語る。カルト教団で過ごした過去。外の世界での奉仕活動。とある電話を通じて狂い始める日常。集団自殺で崩壊した教団の生き残りとしてメディアから持て囃される狂騒。それら全てが最悪の方向へ転んでしまった人生を――『ファイト・クラブ』を超える傑作カルト小説

チャック・パラニューク著『サバイバー』を購入。『ファイト・クラブ』の3年後に発表された作品の新訳版、解説が北村紗衣さん。おもしろいといいのだけど。

 

1月22日
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積読していた『1920年代の東京』を読み始め、いろんな本を併読しながら読むタイプ。小林秀雄中原中也とかのことも知りたいというのはあるのだけど、やはり震災後の文学に関わる人たちの動きとモダニズムについて知りたくて買った本。

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『協奏曲』懐かしいと思って一話から見始めたが、脚本がずっと遊川さんだと思ってたけど違う人だった。なんで勘違いしたままだったんだろう。
個人的には二十代前半まで野島伸司信者だったので、田村正和主演だと『美しい人』が一番好きだし(あの時の常盤貴子さんは最高に美しかった)、最後に主人公が壊れてしまう辺りに惹かれてしまうというかシンパシーを感じる辺りが僕のダメな部分なんだろうな、と思うぐらいは時は経った。
たしか『協奏曲』はわりとシンプルな三角関係で、田村さんとキムタクはある種の師弟関係になったような気がする。この前の1995年はキムタクと浜ちゃんで『人生は上々だ』が同じくTBSでやってたけど、この頃のキムタクは年長者を相手に彼らからなにかを受け継ぎ(影響を受けて)、彼らを越えていく若者みたいなポジションだった気がする。

 

1月23日
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昨日散歩がてら行った書店で購入した穂村弘著『もうおうちへかえりましょう』を読了。穂村さんの歌集や短歌に関係する書籍を何冊か買っていて、『短歌の友人』という文庫を読み始めたのだが、どうもあまりうまく読み進められないので、このエッセイを先に読んでみようとこちらを読み始めたらすぐに読み終えてしまった。
年齢的に僕よりも20歳上の穂村さんは1970年代が思春期であり、1980年が大学生から社会人になっているので、村上春樹直撃世代だった。このエッセイにも書かれている村上春樹カンガルー日和』の話の部分における村上春樹さんの文体とその影響が穂村さんたちの世代に直撃してしまった光と闇について書いているのはおもしろしかった。
また、穂村さんの文章を読んだ人が会った際に「意外と背が高いんですね」と言われる話も興味深い。穂村さんの文章を読んでいる人は、今は違うだろうが当時は小太りの人となぜか思っていたのではないかと本人が推測している。なるほど、その人が書く文章からイメージする書き手の人物像というのは確かにあるような気がする。
固いというか隙のないような文体で小説を書いている人が意外にポップな服装で明るかったら、「へえ、意外と怖くないんですね」とか言ってしまいそうだ。

今日は「メルマ旬報」の原稿締め切りなので、元旦に行った「晴海客船ターミナル」について書いてみようと思う。

今月はこの曲でおわかれです。
Robert Glasper - Black Superhero (Official Music Video)



The Weeknd - Sacrifice (Remix) ft. Swedish House Mafia (Alternate World)



Little Simz - Point And Kill feat. Obongjayar (Official Video)