Spiral Fiction Note’s diary

ライター&Webサイト編集スタッフ。「水道橋博士のメルマ旬報」で「碇のむきだし」、「BOOKSTAND」で「月刊予告編妄想かわら版」、「PLANETS」で「ユートピアの終焉ーーあだち充と戦後日本の青春」を連載中です。

『ただようまなびや 文学の学校』2014 @郡山

 2013年の『ただようまなびや 文学の学校』については『水道橋博士のメルマ旬報』に書いたのですがブログに再録しています。ちなみに今日はメルマ旬報最新号vol.44配信日です。


『蟹に誘われて』
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20140424



 渋谷の大盛堂書店さんで選書フェアをやらせていただいた時に学校長でもある古川日出男さんの作品を五つ選ばせてもらって古川さんに我がままにもご自身から作品へのコメントいただけませんかとお願いして了承していただいたものがあります。この『ただようまなびや』について書くブログに検索なんなりで来る方は興味があると思うのでそちらも再録します。



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 大盛堂書店さんで5月いっぱい開催させていただいた碇本学選書フェアですが、40タイトルのうち5タイトル選ばせていただいた古川日出男さんの小説に関しては書店でのPOPコメントを古川さんご本人にお願いしていただいたコメントを僕が代筆してました。古川さんから了承得たので公開します。



ボディ・アンド・ソウル
昨年末に刊行した創作論『小説のデーモンたち』の10年前の古川日出男がこの内側に存在している、もはや僕には生涯書けない(し書きようがない)「奇蹟のフィクション」です。



『ベルカ、吠えないのか?』
さいわい仏語・英語・伊語・韓国語にすでに翻訳され、もうじき露語訳も刊行されます。イヌたちはみな各国の言語で「うぉん」と吠えています。



『聖家族』
これを書くことで作家・古川の第1期は終わったわけですが、しかし、ここから全てが始まっているのだとも感じます。永遠の母胎のように。正直、(声をひそめて言いますが)どこか「自伝」です。



『ドッグマザー』
愛おしい本です。2012年春に出したばかりなのに、もう「手の届かない」聖域に飛んでいってしまった気がする。ほんとうに気高い小説だなと、僕は、著者の身であるにもかかわらず思います。



『冬眠する熊に添い寝してごらん』
戯曲なんですけれど、まあ小説です。なにかもう完全に小説の領域に片足(片足以上)突っ込んでいます。蜷川さん演出で上演された舞台は4時間弱ありましたが、この「完全版」をステージにのせるとなると、まあ5時間半かなあ。

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 去年参加させてもらって楽しいんだけどそういうことだけじゃなくて郡山に行くということだとか、古川さんをはじめとする先生方の授業やWSを受けることは自発的に学びにいっているからすごく能動的に動いて脳を使っていると思った。
 スタッフの皆さんも本当に気持のいい方々ばかりでそういう雰囲気や空気もふくめてまた来たいと思っていたので今年も参加。


 前年でのことは↑のブログに書いているけど古川さんをメインで取ったので他の講師の方々の講義も取りたかったのは当然の事ながら、今の僕はやっぱり小説に関することを学びたいと思っているので今年は古川さんと川上弘美さんの講義がメインになってしまった。だから講義を受けている時に聞こえて来るとなりの講義の声だとか流れて来る音楽だとかにも意識は向いてしまうのは仕方のない事だと思う。
 吉増剛造さんも壁が薄くて隣の声が聞こえてくるのいいよねえって仰っていたけど本当にそういう感じが今年もした。


 7クラスが平行して行われていたと思うけど、ひとつを選べばほかは選べないという選択することも学びであるということだと古川さんが昨年言われていた。
 選ぶ事は当然自分の責任になってくる。誰かに選んでもらい続けていてあとから文句を言ってもどうしようもないということはさすがに幼少期を過ぎた人なら誰でも知っている。
 なにかを選ぶという事はほかのなにかの可能性を捨てるということ、だけど捨てたものが選んだものを続けているとふいにやってきて繋がったり強化する要素になったりもする。
 が、時間はとりあえず一方方向に流れていて僕らはたいていの場合、選択肢の中から自分の想いや将来の展望や諦めだったりでなにかを選ぶし選ばされる。
 そういうことでもこの時間帯はこのクラスしかありませんみたいな授業形式ではないのはこの『ただようまなびや 文学の学校』という学びの場の自由さでもあるし性格を現していると思う。



 まずは登校。渋谷から大宮に湘南新宿線で向かっていたら線路に人が入ったとかで赤羽の手前辺りで埼京線に乗り換えて結局赤羽辺りでやってきた湘南新宿線にまた乗って大宮から新幹線に乗ってGO!で郡山。
 時間には余裕を持っていたい、時間に遅れる事など性格的に無理な僕は郡山駅から初日の学校であるデコ屋敷本家大黒屋に向かうシャトルバスに乗る時間の一時間半ほど前には着いてしまい、散歩しようとしていたら早速去年もお世話になったスタッフの方に見つかりご挨拶を。
 僕はブログだとかで書いているので覚えていただいているようで嬉しいやら恥ずかしいやら。だけどなにかを書いて人様に見える場所に出していく事はそういうことだしそろそろ慣れていかないといなと思う。だからこそ僕はSNSでもブログでも本名を出しているのは匿名性での逃げはないほうが責任を持てると思うから。好きなものには好きと言って嫌いなものやダメなものはできるだけ言わないようにはしてもし言っても起こりうる責任は取ることを前提にして。



 郡山の駅前ってモータリーゼーションでバスやタクシーがきちんと乗り入れるようになっていてそれはたいていの都市の新幹線が停まるような駅前では見慣れている景色なんだけどきっと戦後にできた景色であって百年前にはなかった想像力の先にある景色の中を生きている。
 古川さんの『冬眠する熊に添い寝してごらん』の戯曲で書かれたようなことは僕の中に居座って、前から考えていたものと結びついてそういうことをよく考えるようになった。
 時間と空間におけるもの。
 古川さんの小説は間違いなく「時間」を書いているからそれは歴史でもあるんだけど。
 『LOVE』『ゴッドスター』『MUSIC』『ドッグマザー』という作品群は東京の湾岸から舞台が始まって京都に辿り着く話だった。


 東京の湾岸は江戸時代に埋め立てられた土地だ、海を侵略して住めるようにした。つまり拡張された場所(日本列島)だった。だから百年、二百年前には存在しなかった土地だったりする。しかし、今はあるね、品川だったりそういう天王洲アイルだったり埠頭、ペリーがやってきたから砲台を作ったためにできたお台場だったり。そこから物語はかつて天皇がいた京都に、平安京があった京に舞台はスライドしていく。そこで僕が読んで感じたのは古川さんは天皇小説を書こうとしているんだなということだった。
 世界文学になるために宗教がない、というと誤解はあるけどキリスト教みたいな生活基盤になるようなものはない、この国は八百万の神がいる。トイレの神様だっているぐらいだ。そういう国で世界文学になるためには他の国にはない特殊でありその国の象徴であるものを書いていくことになるから。
 去年もお話されていた福島の人がいい人ばかりだというわけじゃないし福島ノワールみたいな原発問題で金をゆするとかそういう悪いやつも出て来る小説を書くと言われていたのが『すばる』で書かれている近未来小説だと思う。
 『すばる』に掲載された『あしあと』『一つめの修羅』『多年草の南フランス』は読めばさきほどの四つの群に繋がるものだと思うし、東京を舞台にした『サウンドトラック』の続編にも思える。
 東京オリンピックが終わった後の日本が舞台。
 東京湾岸は東京オリンピックの舞台になる場所だ。だからこそ僕にはそう思えるし『冬眠する〜』での台詞「百年の想像力を持たない人間は、二十年と生きられない」とあった台詞が古川さん自身が実践しているように思える。
 

 少し前にあんまり誰々が好きだとか影響を受けてるというのを言わない方がいいよとアドバイスをもらって、それは当然ながら頭では理解できていてわかるんだけど言ったほうがプラスの要因はデカいなって思っている。出会いだとか諸々の。そのアドバイスはきっとフィルターがかかってしまうからということなんだろう。
 当然、古川さんに影響受けてますという小説家志望がいたら古川さんのイメージが先に来ちゃう。川上さんも古川さんに会う前までは怖い人だと思ってた、帽子被っているし髭だし書いてるものも怖い、ハードなものが多いからって。会って読むと全然違ったという話が対談で出てきていた。
 僕の感覚だけど古川さんの影響を受けて今出てきてる人は演劇や音楽の人たちに多くて、古川さんの朗読だとかを知っているとそうだよなって納得する部分も多々あって小説だとたぶんまだいないかいたとしても口に出してない。 
 古川さんの影響受けてるとか言ってるのになんか違うよね君みたいなことになっても面白いだろうし、僕も「時間」が書きたいというのが大きい。
 永久凍土のマンモスは取り出しちゃうと壊れてしまうけどその壊さない限りは動き出さない時間だとか永遠に限りなく近い刹那の時間だとかを書こうと思うと古川さんや川上さんのようなものの見方が絶対必要だと感じる。だからこそエンタメと純文学の狭間の小説に惹かれる。



 だいぶ『ただようまなびや』の話から逸れてしまったけど取った講義はこんな感じでした。



23日
【 授業1 】 23A 吉増剛造・小澤實・柴田元幸古川日出男『言葉は「この世」を組み替えられるか』
【 授業2 】 23E 川上弘美『最初の一行』
【 授業3 】 23O 古川日出男『短編小説の足し算と引き算』


24日
【 授業4 】 24G 古川日出男『物語のかけ算』
【 授業5 】 24H 川上弘美古川日出男『フィクションとは、何者か』
【 授業6 】 24N 大友良英大森克己古川日出男ほか『そこに1枚の写真があり、1分間の音があり、そこに言葉はあるのだろうか』


 古川・川上シフトですね、ホント。ここからはノートにメモしたものを書きだしてみますが、断片的です。
 ノートに取ると零れ落ちるものがあって結局大事なのはメモしないでも残っているものなんじゃないかとは思うんだけど。


デコ屋敷本家大黒屋

 シャトルバスからおりてデコ屋敷ついた途端、NHKラジオの番組の取材だと思うのだが作家の高橋源一郎さんから取材を受けた。
 一瞬、ビビった。古川さんとか大友さんがゲストで出られたんだっけなとか『さよなら、ギャングたち』書いた人だとか思う余裕はなく、なんとか質問に答えた。



 浦谷さんと関戸さんがスタッフの方(川上さんの講義の副担任さんというかお手伝いされていた方、社会の先生みたいな話があったような)にご挨拶されていた。







吉増剛造・小澤實・柴田元幸古川日出男『言葉は「この世」を組み替えられるか』


うつすべき現実があるか、ないか
俳人・現実→従う もの(言葉)が主 
吉増さん 瞬発力とブライアン・エヴァンソン『遁走状態』(柴田さん訳)の話。


弦のない楽器に触っている→精神  壊れたバイオリン・壊れた琵琶


吉増さん<微茫惨澹(びぼうさんたん)>
三省堂新漢和
惨澹  1 見る目もきのどくなさま
    2 心をくだき、苦心するさま
    3 ものすごいようす
    4 ものすごく気味悪く感じるようなうすぐらい状態
微茫  はっきりしないさま ぼんやりしたさま 薄暗いこと

暗黒世界


無限にさわるような 近代・技術化され


現実 イマジネーション チューニング→鳴っている音


震災後 季語の変質


翻訳家・自分が出るべきではない(原文のボイスの解像度をあげてしまうのが柴田さんと古川さん)→現実・イマジネーションの間を→小説家目指す


傷だらけの境界線 ー 人に言えないこと
ゴッホ・ラッ(プ)≒(ピ)ング=耳の包帯(吉増さん)

俳句は想像力で作ると思っていた(二十代の小澤さん)
「夢」を見る


散文が下で俳句が上だと考えている人が多い。エリート主義
散文のおそろしさ


俳文ー外国に 読むことクリエイティブにならざるえない
芭蕉を 歴史の原点 明治以降俳文なくなる 正岡子規 スピリットを失う


『遁走状態』イタリックの部分は傍点を作る。語り手の内側と外側で傍点もわける
原文出てこない 漢字ひらがなカタカナ(多層なもの)→英語


瞬発力・考えないで出てくる訳が強い 現実・言葉を置き換える→新しい現実
情報化・暴力・忘れられない
トランスレーション→遠くに届く
現実・同化・長い時間


俳句・水のあるところから生まれた 不安な状態でいることが大事
東北東日本大震災時、ニュースを写生←俳句ステレオタイプ
代弁者にならない・イマジネーションの世界の可能性


パトリック・シャモワゾー『カリブ海偽典 (最期の身ぶりによる聖書的物語) 』のことを吉増さんが話をされる。これは古川さんと書評家の豊崎由美さんのトークイベントで豊崎さんが古川さんにオススメしていた小説だった。古川さんのソウルメイトとしてこのシャモワゾーやスティーヴ・エリクソンが挙げられる。日本では共闘している人はいないように思えるけど世界にはいるということは豊崎さんや柴田さんが言われている。


小説「大きな器・価値」 言葉・一語一語・瞬間の連なり


俳句 新米(農作物)という季語にかげり ←(故郷)や(帰る)
定形のズレ→魅力

古井由吉『山躁賦』


 吉増剛造さんは去年も対談を聞かせてもらっているんだけど仙人のような子供のような自由さがあって不思議だなって思う。その後継者が大友良英さんだと皆さんが言われていた。吉増さんの声ってあんまり大きくなくて聞こえないようなことが多々あるのになんかわかるような話が届いてないのにわかるような不思議な感じになっていて、声って空気の振動で届くけど吉増さんの声は普通の音とは違うヘルツみたいな、でも届けれるっていう凄みみたいなものがあるなあと思う。
 小澤さんは皆さんの言葉をひとつずつ咀嚼しながら俳句について考えて自分の思うことをピンポイントで言うって感じですごく温和そうで秘めているものは熱そうに見えるのは言葉がしっかりしているのがあるからなのかな。
 柴田さんはほかの方々の話をすごく楽しそうに聞かれている様子で、吉増さんに翻訳したものを褒められて照れくさそうだった。柴田さんがいることで言葉が如何に翻訳されるか、言語の変化とともにそこにあったものが零れ落ちるか落ちないものはなんなのかとか翻訳家としているということが話を広げていく作用があるなあと。
 古川さんはこういう対談の時は司会というか会話を回して時折まとめて次の話題だとか話をすることに向けていく役割に徹していながらも小説家としての言葉をポンポンと出すことで他の方々を刺激する。吉増さんの自由さにはお任せしますみたいな感じでなんとかまとめていく、時間通りにというのが古川さんらしい。




お昼ご飯は頼んでいたお弁当。冷や汁つき。蒸してなかったので外で座って食べた。
食べ終わってさきほどの二階の一室に。


川上弘美『最初の一行』


一行目 ぼんやりorちょっと離れている所
離れた所から飛ぶ
短い文書き出し


内容と連なっていく
深沢七郎『樽山節考』
武田百合子枇杷
殿山泰司『三文役者あなあきいPART1』「ぐうぐう寝てやがるの」→あとの流れ
中上健次『蝶鳥』
庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』→主人公とガールフレンドの話から 携帯のない時代には電話すると彼女の母親が最初に出るという時代だったからこその始まり


謎の提示
澁澤龍彦『犬狼都市』
吉行淳之介『鮭ぞうすい製造法』


織田作之助『六百金星』→蠅まったく活かさず


生徒みんなでそれぞれに各自一行目を考える


一行目で切る・印象/イメージが変わる
文章は<断言>←無責任に


配られたプリントに載っている作品の一行目の中からどれか選んでその次というかどんな話が浮かぶかを発表。
僕はたしか稲垣足穂『SOMETHING BLACK』の「箱を開けると何か黒いものが飛び出した」を選んだ。白と黒に分けれない灰色というかそういうものを書きたいというようなことを言った記憶が、曖昧だけど。


僕の考えた一行目のやつ
・サボテンのビニールハウスが台風で少し先の墓地まで飛ばされ、親父は泣きそうな顔で取りにいき、それを見て僕は笑った。
・だいたい、まいかい、いつもそうだった。
・トイレでふんばりながらウミガメの産卵のことを思う。
・終わりのあとには始まりがあるというけれど、大切なのはその間の時間と彼女は言った。
・ラブホからマスクマンが出てきた。マスクだけして。
・雨の中で水色は目立たない。
・くりかえしが重要、それ何層?
・最初に言っときますが僕は悪くないと言った瞬間にぶんなぐろうと思ったけど大人気ないので笑いながらデコピン。
・それ、ミランダ・ジュライじゃなくてボールドの人。


最終的に僕は、
・ラブホテルからマスクマンが出てきた。マスクだけしてバッグを抱えて。


 集まったプリントからそれぞれの一行目を発表。で、自分のやつ以外なら誰の一行目のあとのものを書きたいか選んでどういう物語にするか発表。
 一行目のインパクトというのは大事だし、掴みでもあるけどそこを活かしてもいいしそのままの流れでもいい。他の誰かのものを選ぶ時に一番票が集まったのは物語が展開しやすいものだったように思えた。
 川上さんは元先生だったこともあるのかふんわりしている雰囲気なのになにかどっしりとしているというか授業慣れている感じで、パッパッパとどんどん進めていく感じだった。なんだろう理科の実験の授業みたいなと書いてwiki見たら生物の先生されていた、うん、そういう感じ。
 二階でやってたけど下の最初の座談会やってたとこで柴田さんがSHINCOさんとロボ宙さんにインタビューされている講義があってその声がけっこう聞こえてきていて「ああ、そっちも面白そうだ」と思いながら。壁の薄いというか隣や上や下の声が聞こえてくるっていうのはなんだか楽しい。



古川日出男『短編小説の足し算と引き算』

 

 移動して今建築中というか木材むきだしの所(アトリエになるのかな)で授業が、ここだと受けている最中に吉幾三だとかライムスターの音源が聞こえてきた。たぶん、ラップの歌詞を読んでみる「ナウスクールゼミナール2014」だったのかな。
 宿題というか課題として芥川龍之介羅生門』を読んで話の流れを頭にいれてくることっていうのがあった。


 古川さんからものの見方について。ボルヘス『伝奇集』の一節から。何百枚のものを数十枚にすること、じゃあ、三百枚のものを五百枚にしてみようとか。
ページ数増やすのか減らすのか 選択する→自分を反映する


配られたのは羅生門を古川さんがペラ二枚程度に短くしたREMIXが三つ。
ショート1はオリジナルと最初と最後を使う。下人キャプチャ
ショート2は老婆の部分だけを切り取り
ショート3は最初と最後を使わずに成立させる


マイナス要因
ショート1・情景の不明・作者のvoice消失・心理 motiveない
ショート2・人物に寄って・老婆ミニマリズム・話ー話
ショート3・actionない・第二の(減った)motive


プラス要因
ショート1・一行目・下人ドラマ
ショート2・老婆・会話
ショート3・立体化・アウトロ・謎


けずる→・外見の描写・時代描写


ショートの三つで自分が好きなものを選んでグループになる。自分たちのはここがほかのものより優れているからいい理由をディスカッションして探る。発表するそれについてほかのグループからの反論に答える。自分たちのここを直したらプラスしたらよくなる部分をディスカッションする。3では終わっている感じがしないのを直すといいのではないかという意見になった。


3を選んだ僕は初めが「それから、何分か後である」から「下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった」で終わるので前後の時間が流れていること、ある意味で終わっていないような終わりであることが好きな理由で3は1のプロットのような要約のものと2のような老婆のキャラクターの会話で動くものの間にあるのもいいなと思った。
古川さんは最後に自分が選んだものを最後に足りないと思った部分だったり付け足して自分なりのREMIXを作ってください、提出はしなくていいからと言われた。


僕だと「下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。」で終わる部分のあとに付け足して終わればいいのだから、前に出てきた台詞「おのれ、どこに行く」と老婆に言わせて下人と老婆が性行為をするみたいな、で老婆が子供ができて羅生門は子宝に恵まれい夫婦が訪れる場所になったみたいな終わりでできるんじゃないかなって思った。簡単なのは切り捨てて下人は立ち去るを付け足すとか。あとは民話の『姥皮』みたいに老婆の着物を剥ぎとって着ると下人が老婆になる。また下人のような男が来てそれを永遠のように繰り返したました。みたいな終わりもショートとしてはできるかなと思った。
小説は好き嫌い言い出すと話ができない。人と意見を聞いて自分の要素に足せるけどやっぱり自分の意見から引き下がりたくない。自意識というかやはりそういう部分がある人がなにかを書こうと思うんだろう。これは去年の古川さんと吉田紀子さんの対談でも出ていたけど。



 一日目が終了しシャトルバスに乗って郡山駅に戻る。ここまで前日の時点から駅周辺のホテルで空きがなくてどうしようかなって思ってて、撮影で来ていた河合さんもホテル取ってないんすよって話をして、でもどうせどっかキャンセルとか出て泊まれるっしょと余裕でいた。
 バスの中で早速ネットで去年も泊まったドーミーインEXPRESS郡山が一室空いたみたいだったので帰り道揺られながら取る。何件か空き状態になっていたので、たぶんチェックイン時間過ぎてキャンセル出てネット上にも空きが出たんだと思う。河合さんも大丈夫だろと思って郡山駅に着いてすぐに歩いてホテルでチェックインして荷物を下ろす。




 去年、同様にラーメンを食べにいく。『聖家族』は東北ラーメン小説でもあるのだから。駅前の商店街の中でなんとなく入ったお店で味噌醤油チャーシューラーメン大盛りを頼む、縮れ麺だ〜。



 コンビニで飲み物とか買ってホテルに戻る。素泊まりコースっていうかシャワーはあるけど浴槽はなくて露天風呂使ってねみたいなやつだったのでシャワーだけ浴びてベッドで横になるともう眠い、がまだ九時過ぎ。早い。小学生かと思いながら明日のミューカルがくと館&こおりやま文学の森資料館までの道をマップアプリで調べてみる。
 晴れていたらまた歩いていこうと思ったから。三十分か四十分ぐらい。十時に朝礼だから九時過ぎに着けばいいから八時ちょっとに出ればいいかと目覚ましとか設定してスマフォとか充電してたら寝落ちして目が覚めたら夜中の一時ぐらいだった。




 テレビでは『ワールドプレスリング』がしていて「G1 CLIMAX24」 優勝決定戦 Aブロック1位 中邑真輔 VS Bブロック1位 オカダ・カズチカがやっていた。最近プロレスが面白いらしいとは聞いてたし周りの人もよく観に行っている。
 親会社がブシロードになって若い女性ファンとかもどんどん増えてきているらしい。チケットは即完売になっている。その手の話を最近ちょうどしていたので見てみた。面白かった。
 昔親父と夕方にやっていたこの番組を見ていたのをちょっと思い出した。「ジャンルを殺すのはマニアだ」という言葉がある。プロレスはその最たるものだったが棚橋選手のような存在や親会社が変わり経営が変わってついていけない古参が減り、新しい客層が増えたことでジワジワと人気再熱への流れを作っていったようだ。再び寝て六時過ぎごろに起きる。




↑前日のことが記事になっていた。
 『ボクらの時代』を見終わって準備してチェックアウトして駅前のコンビニで「福島民報」を買う。講義で使うので。マップアプリでGPSを使ってミューカルがくと館&こおりやま文学の森資料館までの道順を出すが去年も歩いているのでだいたいわかったし、ある程度行くと一本道だ。




フライングクラブからの〜



飛行機雲が見えた。荒井由美さんの『ひこうき雲』が少しだけ脳裏をよぎる。




去年も取った公園の中に。
 


去年

今年
一年で除染してもその数値までは戻るということ。


 

 郡山もいま住んでる東京も実家の井原市も、北アイルランドのポータダウンも歩いてるとあまり変わらない。日曜日は通りに人も車もあんまりなくて、デジャブみたい。






 九時ちょいで着くと古川さんと柴田さんの奥さんがちょうど車から降りていらしてご挨拶をして時間潰そうとブラブラ。





 デカい球場や陸上とか大会があったみたいで体育会系の高校生がたくさんいた。たまたま通った場所が久米正雄縁のとこだった。


 ミューカルがくと館で朝礼をして各授業に別れる。久米正雄邸の一室にいく。


古川日出男『物語のかけ算』



文学・小説≒メロディー→物語ナラティブ→フィクション・自分から離れている(出尽くしていない)


空間
A≠B A←B B→A

映像・マンガ向かない
多様




時間
A→B 変容する

エンタメ
不変


物語を単純化しないで利用する


A × ( ) = B


資料・サンプルとして新聞の映画紹介欄から適当に選ばれた三作品の切り抜きが渡される。
『ソニはご機嫌ななめ』(A)『クィーン・オブ・ベルサイユ』(C)『FORMA』(B)と生徒が選ぶ。『ソニはご機嫌ななめ』になにをかければ『FORMA』になるか。


古川さんが三作品の粗筋から固有名詞や国とか場所を覗いたプロットをつけてくれている。


『ソニはご機嫌ななめ』
わたしは何人かの異性に興味を持たれている。そのことを自覚している。わたしはこの事実を利用して、自分の将来をポジティブな方向に動かそうとする。そんなわたしは、つぎつぎとネガティブな事態に遭う。たとえば鳥料理レストランで。


わたしは言う、「しかしこれが恋愛なのだ。恋愛の、本質じゃないか」ーー。


『クィーン・オブ・ベルサイユ』
わたしは世界でいちばんの金持ちになってしまった。配偶者とともに、わたしはこのお金をどうしたらいいのかを考える。そこで世界でいちばん大きな家を作ることにする。その目標にむかって突き進むのだが、しかし世界経済危機のために、わたしはお金を失いはじめる。


わたしは言う、「だが。夢は失っていないのだ。」ーー。


『FORMA』
わたしは高校時代の同級生に再会する。9年の歳月が経っている。元同級生は、自分の職場にわたしを入れた。元同級生は、わたしの恋人と親しくなった。元同級生は、わたしの人生を支配し出す。


わたしは言う、「怖い」ーー。



A(怖い・要素は再会、支配etc.) × (救出だとか共依存だとか) = B(恋愛・要素はネガティブ、本音etc.)


(救出だとか共依存だとか)×C=


それぞれAとBの要素でプロットを作る。
僕が書いたやつ・わたしは鳥料理のレストランで働いている。9年ぶりに再会した元同級生の起業した会社の子会社になってしまった。元同級生から売り上げについてや様々な難癖をつけられてネガティブになっていく



A ×(・会社で働く(僕のやつだと)・九年前・精神科医・三十歳の誕生日・同窓会をプロデュース・親の介護)←<この要素で外に出る・ブリッジになる>=B


みんなで選んだのは精神科医のブリッジ


C ×(精神科医のプロット+自分が持ってきた新聞の中の興味ある記事を足す)=B
   

僕が選んだのはこれ↓
「ALS患者の支援運動 ゲーム化 寄付強制批判も」



精神科医をやっているわたしは9年前に世界でいちばんの金持ちに出会った。彼は世界経済危機のためにお金を失い精神のバランスを崩し始めた。患者と診療以外では付き合わないことにしているがわたしに回ってきたALS患者支援である氷水バケツのバトンをその金持ちに回した。彼は氷水をかぶった。寄付は選ばなかった。


デッドエンドを越える。例えば新聞の記事だとか。
プロット 離れる 興味がある→人に説明しようとする。説明しようとすると人の興味をひく話になっていく。←→トリガーに引っ張っていく。


書こうとする物語にどうしても行けない時に外から違う要素を持ってくる掛け合わすことで越えていくということ、思いがけない方向に行くこと、広がることなど。
古川さんいつもこういうことを考えて物語を展開させて想いもよらない場所に小説を進めているのかと思うとやっぱり書く時間よりも考え続ける時間が圧倒的に多いんだと思う。生徒をこんな深い小説家のとこに連れて行くのは難易度が高すぎます。
ただ、このブリッジのやりかたはなんとなく感覚としてはわかるし下手だけど自分でもたまにやっている気はするので納得はできるけど、それでももっともっと深くふかく奥の方に行かないといけないと思うと正直こわい。





知り合いの谷口さんとその友達の落さん(藤原ちからさんの知り合いだった)の女子ーズとお昼ご飯。まあ、古川さん界隈の編集者の人とかこんだけいろんなイベントとかに僕が来てたら知り合いになるし知り合いの知り合いってことになりますわな。


ミューカルがくと館の二階の中ホールに移動。お二人とも同じやつだった。写真撮り忘れた。
川上弘美古川日出男『フィクションとは、何者か』


NYでばったり出会った川上さんと古川さん。そこには柴田さんがいるわけだけど。


川上さんのほうから
偶然が当たり前→縁(えにし) 『神様』
一般的には日常の中にファンタジー、恋愛小説を書いているとい言われているがご自身は恋愛小説だとは思っていない。


すらすら読めるのに意味わからない系の読後感
文章で喚起させるものを書きたい作家である


はじめからはじかれている 古川さんと近いけど反対



古川さんのほうは
歴史が必然とさせる
小説に巻き込まれたい
すらりと読めないが読み終わると何かがわかったような感じになるがそのなにかはわからない
システムにうまく入れないものの話

戦争・家族   マージナルなもの 境界周辺

真ん中にはいない 外的・内的にはじかれている


鉄ちゃんの例え話になる
乗り鉄←→ジオラマ


世界の大きさから犬
乗り鉄になる前に日本列島を作る


印象を受ける→変形させたい
いろんなものになりたい・自立して出たがっている

山の向こうの景色を見るために山を登るから山を登りたいわけではない

川上さんは何合目かの景色とかでここまで来たみたいなものもあり


『神様』の「夏休み」のなしってふなっしーじゃん、だからふなっしー出た当時は担当編集の人と応援団勝手に作って応援していたという川上さん。実際は次男のお子さんの言ったことを台詞に使っていた。


川上さんが古川さんの短編集『gift』について褒めていて古川さんが褒められなれてないのか照れていたというかやりにくそうだった。もっというと対談なのにどんどん古川さんを川上さんが解剖していくような感じ。


『gift』については最初にタイトル決め浮かんだら書く感じだったみたい。
収録されている「夏が、空に、泳いで」「光の速度で祈ってる」の二作が僕は大好きです。タイトルがドンピシャです。


小学三年生の頃から死後のことを考えていた。自分を包んでいる世界を切り取る、クリーンにする。


読書、読者は深読みする→共鳴する
読者の解釈が正しい・そう読まれるのが小説
↓ビジョン近い   決断する



川上さんの『真鶴』 奇妙な謎←解像度を上げていかない
言葉だけで読ませたい 「ついてくるもの」については表明しない
名前をつける レッテル


1960年頃 きつねを見なくなった 闇に見えていたもの
やみがある ひかりがある 整合性があった世界
はっきりしたものじゃないもの
『神様』わたしさえでない


『ベルカ、吠えないのか?』
犬の名前、人にはない
初期は女性一人称で書いていた→女性社会


感情移入できる方が売れるという思い込みがある→会社員とか恋愛ものとか
男性性を社会的に発揮するものは書きづらい


二人とも通年を書きたくない
恋愛・社会→こぼれてしまうものを書く←正直者


半沢→皆で共有するフィクション 


本で調べること。ネットで調べる→皆が見てる

作品が近づいてくる。本は一人の人物が書いているから触発される


小説を書く 無防備でひらいている 
裸でいるから砂粒でも感じることができる

物語が与えてくれる


川上・古川 ジオラマに使う材料が違う
解像度の違い 日常に戻る→意識して入るから戻れる


四年に一度のカタストロフィー


古川さん
千年前 源氏物語 『女たち三百人の裏切りの書』(新潮連載)
河出から出る全集での『平家物語』[新訳]

15年後 『すばる』で掲載しているもの(『あしあと』『一つめの修羅』『多年草の南フランス』)


川上さん
河出から出る全集での伊勢物語 [新訳]
『群像』で連載しているSF小説


書かれている小説の過去への射程と未来への射程が同じベクトルを目指している


人間とはどういうものなんだろう

同時代のものとフィルターとなる小説家を通して
炭坑のカナリアのように反応する
足場がふらふらするから過去と未来


川上さん「ワープロで書いてたけど壊れたからパソコンになったの」
古川さん「えっ、パソコンのことじゃなくて本当にワープロで」


ワープロで書いてた残り数少なすぎる作家さんだったが、パソコンって便利ねと言われて古川さんが順応はやっと言ってた。
でも、文章書くなら本当はワープロのほうがいいとも


ここからはお二人の対談を聞いて僕が思ったことを。
「フィクションとは、何者か」で川上さんが『真鶴』の映画化の話があって脚本を読ませてくださいって読んでみたら小説の中で出てくる“ついてくるもの”の存在が“幽霊”になっていて脚本を読んですぐに投げたというか無理だと思ったと言われていた。好きな監督だったのに残念だったって。


映像化にするとその役割が説明できないと何かにしないといけなくて、小説ではそれがなんであるか明かされてないしなんとなくわかるヒントみたいなものはあるけど明確にしていない。
闇にあるものだったり名前のつけれないものを小説では書けるという話でもあった。
伝えたい事や答えはないんだけど受け手の中で自分というフィルターを通じて読んだものから反射するように浮かび上がって来るものについて読者はこの作者の言いたかったとか伝えたかったことを勝手に導きだしていく。だから答えがないとか伝えたいことがないというとみんな困る、正解みたいなものはないのにあると思っている。


川上さんと古川さんは読者層はたぶん被ってないと思うけど僕が読んで感じるのはものの見方が似ている、幻視者の系譜というか犬の視線だとかくまがピクニックに誘いにくるとか現実を少しズラしていることで現実の細部を浮かび上がらせたりよりよく深く踏み込んでいく感じがする。
だから、お二人ともどエンタメでもないしど純文学でもなくてその中間の小説を書いていると思う。
川上さんは読みやすいのに読み終えるとわからなくなる感じ、古川さんは読みづらいけど読み終えると何かがわかった感じになるけどわかった何かはわからないみたいな、作家としてタイプは近くてアウトプットの仕方やフィルターの通し方が違うだけのような感じで、対談の中でも話す事でお二人が近い作家性を持っている事を確認されていた。そこに柴田さんの訳されているエリクソンだったりブライアン・エヴンソンも入れれば世界の捉え方や見方の指向性はやっぱり似ているなと思う。
つまり僕が好きな小説ってそういうものなんだなと改めて思ったわけです。プラスそこに時間が描かれているとさらに。
なので『真鶴』と今度出る『水声』読んでみよう。



大友良英大森克己古川日出男ほか『そこに1枚の写真があり、1分間の音があり、そこに言葉はあるのだろうか』


音・流れる 写真・止まっている
ポップス2分30秒以上 レコード(メディア)に規定される


写真≒鵺 一分間で吸収できない
最初にわかったつもりになる 細部の欠落
わかりやすい記号→じゃないものもある
写真の見方を教えてもらったことはない 教育 学ぶ


メディア(スマフォなど)の発達 
語り(口承文学)→言葉→本→印刷技術 


文学・写真・音楽
デジタル化される ウォークマン以降所有して持ち運べるようになる


本の誕生 かつては読めるものはわずか・特権階級のもの
撮るツールが変わる 録音するツールが変わる


オーケストラ→譜面 ディフォルト→今に
発展するとチープになる


歌ってる

一分間の音 複雑になっていく
意識と無意識の境界線


人間は見たいものしか見ないし見えない
みもふたもないもの(見たくなかったものも写る)←→ノイズ


大友さんの一分間の演奏
古川さんの浮かんだ言葉「untitled」から「OOTOMO」
大森さん 気持いい〜


音楽自体が言語


(近代)アイデンティティを確認する、所属している場所の表明になった音楽
昔は生まれた場所の音で踊れるかどうか
所属が音楽を決める
日本語で自我


ギター・富士山  アイコンを外した先を



大森さんの写真を見ながら同時に大友さんの音楽が鳴っている一分間
切り落とした細部(ノイズ)が浮かび上がる
古川さんは浮かぶ言葉が「ひだひだ」


草とか木とかが写っている写真、大友さんの十五秒ごとに手を動かして音をフィードさせている音が共にあると音が変わるごとに写真の細部が動くような、流れているような、確かに音は空気の振動によって伝わる。だけど音によって静止しているものでも見ると動いているように感じる。モンタージュ理論のように。


ここで呼び出された吉田さんと浜田さんも参加。


大森さんが大友さんがNHKでやった向田邦子胡桃の部屋』での音について話す。そこにはガムランが入っていて日本にはない音がドラマの中で使われている。


言葉がでない方が自然であると古川さん
音に言葉 拒絶 大友さん


大友さんが言葉の凶暴性についてイライラしているように見える。古川さんは申し訳ないと。だが、そこにいるのは小説家で音楽家で写真家でそれぞれが自分の表現の強さを自覚しながら真っ向から向かい合っていてそれぞれの凶暴性を自覚しながらどこか牽制しあっている。領域に入るな、と隣で寄り添えるが一緒には混ざることはないというように。


言葉が強い×音が強い×写真が強い
言葉の力を獲得すると暴力的になる



終わった後は「ロング・ホームルーム」各講師による「私の授業をふり返って」で閉会する。各講師陣によるこの日の授業についてなにをやったのかをお一人ずつ発表していく。終わった後に新幹線移動があった吉増剛造さんは挨拶だけするかと思いきややっぱり自由無尽な感じで普通に話をされていてたぶんスタッフの人がかなり慌てただろうなあ、間に合わねえって。


ラップとか音楽の授業はやっぱり受けてみたいと思う。でも、古川さんと川上さんの授業受けれただけで充分すぎるんだけど。古川さんの学校長としての閉会の挨拶で終わった。
僕の夏も終わった感じで、夏にあるイベント、遠出するのが『ただようまなびや』になってるのでそういう気持ちになる。



最後のロングホームルームを終えて古川さんにご挨拶しようと待っていて古川さん、柴田さんの奥さんに北村さんとお話してた。ちえさんも『クロニクル1995-』観に行かれたみたいで僕が着ていたTシャツは大竹伸朗さんのデザインした「ニューシャネル」ロゴのやつでそれもその展示会にあったのでそういう話もしたりした。
浦谷さんが一緒にいらした女性の方を紹介してくれた須藤さんって編集の方が先月まで雑誌「装苑」にいたらしくて僕がツイートしてバズった村上虹郎×SUMIREの号を作ってたみたい。今見たらリツイートが4400越えてた。
それで名刺を渡したら「あっ(笑)」ってなって当然ながら装苑編集者の人たちはそのバズったツイート見てらした。確かに装苑自体からあの2カップルの子供二人が表紙だよとは言えないわけで、そういう宣伝の仕方もあっただろうけど諸々めんどくさいことになると思うから僕みたいな関係ない人が言って広まったほうがよかったと思う。
で、ここまではよくある話というかSNSやってればあるある繋がり。さらに最後に受けた座談会の授業に古川さんと大友さんと出てらしたカメラマンの大森さんがその表紙撮影してたって言われて、世界ってほんとに繋がってるな、以前として僕は引き強いなと思いました。というか狭すぎるぞ出版界。



去年も終わった後に記念写真を撮っていただいたので今年も撮ってもらった、あっ、古川さん目閉じてるっw


関係者の方々で記念写真を撮るようだったので河合さんとタクって郡山駅に向かった。去年も一緒にタクシー乗って帰ったんだった。


帰りにもスタッフの方にブログのことを言っていただいたりしてやっぱりなんらかの形で体験したことを書いておくのはいいことなんだと思ったし、これを読んで来年あれば行きたいと思ってくれる人がいたらそれはそれで僕としても嬉しい。来年も開催されればきっと行くだろうし、また駅前とかですぐに見つかって名前呼ばれたりして恥ずかしいと思いながらも帰ってきたなと思うんだろうな。


最後に古川さんにご挨拶した時に川上さんと古川さんの小説近しいものがあると思ってんですけどって言ったら「えっ、本当に」って驚かれた。いや当人同士が気づいてないだけでお二人の作品読んだことある人はわかってると思うんだけどなあ。
種子をいかに育てていけるかどういう芽を出すかは碇本くん次第だからって古川さんに言われて、俺たちは種まきをするんじゃなくていい土を土壌を作ってあとは来てくれた人が自分で種を蒔いて育ててほしいと。いい土が必要だからって。


来年とかにひとつは芽が出ていたらいいな。
そしてなによりスタッフの皆さんの感じの良さや受け入れてくださるあの雰囲気はすごく心地よくて本当に素晴らしいなと思います。また、来年あれば郡山に行きますのでその時はよろしくお願いします。で、読んで興味ある人は来年じゃなくても岩手でも今年やるのでぜひに。


ただようまなびや 文学の学校 岩手分校
http://www.tadayoumanabiya.com/iwate/index.html

ボディ・アンド・ソウル (河出文庫)

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ベルカ、吠えないのか? (文春文庫)

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冬眠する熊に添い寝してごらん

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水声

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