Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2021年11月24日〜12月23日)

水道橋博士のメルマ旬報』連載「碇のむきだし」


ずっと日記は上記の連載としてアップしていましたが、日記というか一ヶ月で読んだり観たりしたものについてものはこちらのブログで一ヶ月に一度まとめてアップしていきます。

「碇のむきだし」2021年12月掲載 2021年映画ベスト10


先月の日記(10月24日から11月23日分)

 

11月24日f:id:likeaswimmingangel:20211125201828j:plain
矢作俊彦著『ららら科學の子』の文庫版が届いた。注文したことを忘れていた。
Twitterで前に「ALL REVIEW」で豊崎由美さんが紹介されていたのが上がっていて、気になったのでAmazonで中古で頼んでいた。届いて帯文を見てしったのだけど、この作品って「三島由紀夫賞」受賞作だったんだ。映画化っていうのはたぶん流れたんだろう、まったく聞いたことがない。

バブル景気という誇りなき見せかけの勝利に酔った挙げ句の、行き当たりばったりの九〇年代。そして、未来に何の展望も抱けない現在。この小説で、矢作さんは「もう終わったんじゃないの、日本は」という厳しい最後通牒を突きつけている、わたしにはそう読めるのだ。

 

f:id:likeaswimmingangel:20211125201847j:plain
14時から竹橋駅直結のパレスビルにあるメディアドゥ本社に出社した。
「エブリスタ」の親会社が株式譲渡によってDeNAからメディアドゥに変わったため、転籍などの手続きがあり、すでに面談などはすんでいるが書類を持っていき、会社を案内してもらった。たまたまだが、社内には手塚治虫作品がいろんな出版社から出されたものがどんだけあるんだというぐらい陳列されていた。

f:id:likeaswimmingangel:20211125201911j:plain
竹橋駅から電車で帰ってからリモートワークをしてからニコラへ。
猪のラグーとなると金時のスパゲティとトスカーナの赤ワインをいただく。猪が山から降りてきて畑の芋とかを掘って食べたりする、からその猪とサツマイモを一緒にして食べるという曽根さんの文学的な発想の料理。
さつまいもが甘くて、猪は臭みもなくて美味しい、そこに赤ワインが口の中でくわわるととてもそれぞれの味が際立ってより美味しさが増した。

 

11月25日

作品に寄り添うとどうしてもイラストレーションが増えていくでしょう。寄り添うというのはテキストの内容にというだけではなくて、営業の方や編集者などみんなが安心するものに寄り添うという意味も含めて。どんどん角が丸くなって、個性を削いでいくことになる。後で詳しくお話しすることになるかと思いますが、僕はそうなるのがいいか悪いかで言うと悪いと思っています。

今、純文学や人文書は売れないけどビジネス書のタイトル数は増えていて、ベストセラーになるのもそういう本が多くなっています。アマゾンなどのベストセラーランキングを見ても分かる通り、そういう本にはデザイナーの作家性はほとんど必要とされていなくて、頑固に主張をしない人に仕事が行きます。そことは逆にいかなきゃいけないという思いがあって、デザイン案も一つしか出しません。電子書籍の需要が増えてきて、雑誌もウェブに移行するか休刊が相次いでいます。紙である必要がない本は電子書籍に食われていくのは目に見えています。言葉は悪いですが、作家性を獲得できていないデザイナーの仕事も電子書籍やウェブに食われてまうだろうという危機感が先ほどから申し上げている勝手な戦いを支えている感じです。ビジネス書は回転が速いので、数日〜数週間で書店に置かれなくなりますが、タイトル数が多いので受注する数も多くなります。そういう本を作り続けることが人の営み、デザイン事務所の営みとしては正しいと思いますが、そこを追いかけていてはデザイナーとしての成長はないというか、目的が変わってしまう。仕事を成り立たせるスキルは上がるけど表現者としての力はつかないと思います。

装幀家の水戸部功さんのインタビュー。古川日出男作品では『南無ロックンロール二十一部経』『とても短い長い歳月 THE PORTABLE FURUKAWA』『大きな森』『ゼロエフ』など何作品も担当されているのもあって、知っている方でもあるし、水戸部さんの師匠である菊地信義さんのドキュメンタリー映画『つつんで、ひらいて』も以前観に行っていて、その作品でも装幀について話されていて勝手に親近感を持っている。
水戸部さんが手掛けた装幀は書店でふと目をやる、手に取ってしまう、知らずと惹かれてしまうものが多く、書籍を開いて装幀が誰かを見るとたいてい水戸部さんだったりする。このインタビューを読むとよりその姿勢がカッコいいし、いつか自分のものも手掛けてもらえるようになりたいと思う。

「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」12月号が公開になりました。12月は『彼女が好きなものは』『ラストナイト・イン・ソーホー』『偽りのないhappy end』『エッシャー通りの赤いポスト』『明け方の若者たち』を取り上げています。

 

11月26日f:id:likeaswimmingangel:20211126210234j:plain
ヴィム・ヴェンダース監督『都市とモードのビデオノート』をば。ヴィム・ヴェンダースレトロスペクティブの七作品目。あとは『東京画』『夢の涯てまでも ディレクターズカット』『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』。
『都市とモードのビデオノート』はファッションデザイナーの山本耀司さんを追ったドキュメンタリー。ヨウジヤマモトの服は持ってないので、ヨウジヤマモトブランドのひとつ「Ground Y」のカーディガンを着て観に来た。

『都市とモードのビデオノート 4Kレストア版』
1989/西ドイツ・フランス/カラー/スタンダード/81分
出演:山本耀司ヴィム・ヴェンダース
企画:ジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センター
パリ、ポンピドゥー・センターからの依頼により、“黒の衝撃”で世界を席巻したファッションデザイナー、山本耀司のパリ・コレクションの準備過程を追ったドキュメンタリー。旧型のフィルムカメラとビデオカメラが入れ子状に組み合わされた大胆な構成と、監督との対話によって、山本耀司の服作りからファッションに対する真摯な姿勢が紡ぎ出される。

ビデオカメラのざらついた映像、小さな画面の再生機に映る山本耀司氏の姿、その画面の奥に大きなモニターで別の風景を映し出したり、あるいはパリの道路を固定カメラで撮っている映像だが、ヴィム・ヴェンダース監督の手にあるHi8などのモニターに映る東京での高速道路や街を映したものをさらにもう一台で撮っている映像など、現在のように映像編集が進んでいなかった時代だが、意図的にモニターが重ねられている。そして、アナログテレビなどにあった砂嵐の状態の画面が使われていた。かなり実験的な映像にしようと監督が試みていたのを感じた。彼のモノローグというか語りもよかった。
山本耀司氏のインタビューを聞いていると、服ではなく人生を着ているかどうかなど彼の話をもっと聞きたいし知りたくなった。彼が服を作る際に参考にしていたのがアウグスト・ザンダー撮影『20世紀の人間たち : 肖像写真集 1892-1952』だった。表紙の写真は有名で、リチャード・パワーズ著(柴田元幸訳)『舞踏会へ向かう三人の農夫』の装幀写真にも使われていたので僕でも知っていた。

f:id:likeaswimmingangel:20211126211856j:plainアニメ『平家物語』#11「諸行無常」鑑賞。終わった〜、先行配信を見るために入っていたFODを解約した。
2022年1月からフジテレビの深夜アニメ枠「+Ultra」で放送されるので、FOD入らなくても来年からふつうに見れるので、興味ある方はぜひ。


2016年12月に古川日出男訳『平家物語』が刊行されて、その発売の翌日ぐらいに「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」第2期完結記念トークイベント「今の言葉で古典! 枕草子から平家物語まで」というものがあった。その翌月から古川さん夫婦はロサンゼルスに行くことになっていた。古川さんがUCLAで講義をするために。その12月中に『平家物語 犬王の巻』を古川さんは書き上げて渡米した。帰国後に『犬王の巻』は発売された。
そのイベントの帰りの中の電車でロサンゼルス遊びに行ってもいいですか?と聞いて、準備を始めた。2017年1月にトランプが新大統領に就任することは決まっていたから、トランプ政権になったアメリカとはどういうものなのか見て、感じてみたかった。そう考えると4年はあっという間だった。
平家物語』も2022年からフジテレビでアニメが放映され、湯浅監督による『犬王』のアニメ映画が公開される。正直なところうれしいようなムカつくような複雑な気持ちが入り交じる。

 祇園精舎の鐘の音を聞いてごらんなさい。ほら、お釈迦様が尊い教えを説かれた遠い昔の天竺のお寺の、その鐘の音を耳にしたのだと想ってごらんなさい。
 諸行無常、あらゆる存在(もの)は形をとどめないのだよと告げる響きがございますから。
 それから沙羅双樹の花の色を見てごらんなさい。ほら、お釈迦様がこの世を去りなさるのに立ち会って、悲しみのあまりに白い花を咲かせた樹々の、その彩りを目にしたのだと想い描いてごらんなさい。
 盛者必衰、いまが得意の絶頂にある誰であろうと必ずや衰え、消え入るのだよとの道理が覚れるのでございますから。
 はい、ほんに春の夜の夢のよう。驕り高ぶった人が、永久(とこしえ)には驕りつづけられないことがでございますよ。それからまた、まったく風の前の塵とおんなじ。破竹の勢いの者とても遂には滅んでしまうことがでございますよ。ああ、儚い、儚い。
古川日出男訳『平家物語』より

 

11月27日f:id:likeaswimmingangel:20211127201225j:plain
町屋良平著『1R1分34秒』文庫版。芥川賞受賞作。単行本のときとは打って変わってポップな装丁イラストになっていた。町田康さんの解説がよかった。

f:id:likeaswimmingangel:20211127201253j:plainヴィム・ヴェンダース監督『東京画』をル・シネマにて。土曜日で15時40分からの回だったがほとんど埋まっていた。レトロスペクティブも第二部に入ったが、観に来やすい時間っていうのもスケジュールみるとわりと限られているから仕方ないのだろう。

『東京画  2Kレストア版』
1985/西ドイツ・アメリカ/カラー/スタンダード/92分
出演:笠智衆厚田雄春ヴェルナー・ヘルツォーククリス・マルケル
1983年4月、東京で開催されたドイツ映画祭のために来日したヴェンダースは、小津安二郎の描いた“東京”を探して街をさまよい歩く。撮影のエドワード・ラックマンと録音のヴェンダース二人だけの旅は、パチンコや竹の子族食品サンプルなど当時の“日本的”なる風景を写し、『東京物語』主演の笠智衆、小津組の名カメラマン厚田雄春との対話を通して、小津の“東京”と、近代化した当時の東京を描き出す。

前日の『都市とモードのビデオノート』同様に東京も舞台になるドキュメンタリー的な要素が強い作品であり、音楽がファミコン的な80年代のコンピューターゲーム的な電子音みたいな感じで、レトロフューチャーって感じがすごくした。
撮影は1983年とかだと最初にあったと思うが、街の風景が懐かしく感じてしまう。僕が生まれてすぐの頃だが、東京も今みたいになる手前でなにかいびつさを含んでいて、今よりも未来都市っぽい。

 

11月28日

NY発・クリエイティブなプロジェクトに年間約800億円(2020年実績)の支援金が集まる、世界最大のクラウドファンディングサイト[Kickstarterキックスターターは“クリエイターによる” “クリエイターのための” グローバルプラットフォーム。
バッカー(支援者)の数は世界中に2000万人超。
講談社は2019年からグローバルパートナーシップを締結しています。
2021年10月1日より講談社クリエイターズラボはKickstarterと、クリエイターが夢を実現するためのコンテストを共催いたします!
Kickstarterでプロジェクトを立ち上げて「世界デビューを果たしたい!」というクリエイターを大募集中です!!

朝起きて昼過ぎまで、この「講談社クリエイターズコンテスト」に送る用の企画書と資料を作成した。昔小説を書こうと思って集めたり、話を聞いていたものを改めて形にしたいと思ったのが大きい。「初生雛鑑別師」について以前は小説で書こうと思っていたのだが、去年取材に同行した古川さんの『ゼロエフ』体験もあり、ノンフィクションで書いてみたいという気持ちになっていた。応募したがさて、どうなるのか。
講談社の企画だけど、来年の2月にはメフィスト賞の〆切があるので、そこも応募しようと思っているし、なんらか繋がったりいい流れになるといいのだけど。

 

11月29日
水道橋博士のメルマ旬報』連載「碇のむきだし」2021年11月29日号が配信されました。今回は「『藝人春秋Diary』書評のようなもの」です。ほかにも兼近大樹著『むき出し』、加賀翔著『おおあんごう』、古川日出男著『ゼロエフ』などを取り上げています。


朝から晩までリモートワーク。
作業中はずっとParaviで『あちこちオードリー』を流していた。オールナイトニッポンチームの人はゲストで来ているからJUNKのレギュラー陣とかも出てもらいたいな。

 

11月30日
f:id:likeaswimmingangel:20211130131914j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211130155315j:plain
乙一著『一ノ瀬ユウナが浮いている』を読み始める。
若干17歳でデビューした乙一さんのデビュー作『夏と花火と私の死体』を彷彿させる花火と幼馴染の幽霊の話。もともとはアニメ映画『サマーゴースト』の脚本を乙一さんが手掛け、そのノベライズもしているのだが、その作品の姉妹作として書かれている。
だが、ややこしいのは映画の脚本では本名の安達寛高名義で、ノベライズは乙一になっている。
もともと乙一(安逹寛高)さんは山白朝子、中田永一名義でも執筆している。最近では中田永一名義のほうが発表作が多くなっているような気もする。本名の安逹寛高だと映像関係で監督や脚本をやっている。昔はいたんだろうけど、近年で複数のペンネームで作品をこれだけ発表している名前がそもそも売れてる作家というのはほとんどいない気がする。
僕が20になる手前ぐらいで小説を読み始めた時に伊坂幸太郎さんと乙一さんだったが、乙一さんはハートフルだったりホラーとラノベでも違うタイプのものも書いていた。ラノベ出身の作家(米澤穂信桜庭一樹など)が一般小説に移っていく時期だったこともあって、僕も移行したあとの彼らの作品を読んでいて、乙一さんもどっちかというとラノベから移行していったように見えた。もともと僕が読んでいたラノベ大塚英志関連作しかなく、あとは乙一さんぐらいしかいないので、スニーカー文庫電撃文庫系の作家はまったく読んでいない。
『花束みたいな恋をした』の麦と絹にとって「神」だった押井守乙一さんには義理の父だが、映画についてとかの対談とかしてほしい。

堤幸彦監督『恋愛寫眞』(主演:広末涼子松田龍平)という映画自体は失敗作だと思うが、コラボレーションした市川拓司著『恋愛寫眞 もうひとつの物語』という小説はとてもできがよくて、結局その後、それを元にして映画『ただ、君を愛してる』(玉木宏宮崎あおい)が作られた。
ということが強く印象に残っているので、この姉妹作『一ノ瀬ユウナが浮いている』も映画で公開されている『サマーゴースト』とは別にアニメなのか実写なのかわからないが、映像化したらヒットしそうな感じがする。
でも、『ただ、君を愛してる』は恋をすると死んでしまう病の女の子の話だったし、この『一ノ瀬ユウナが浮いている』は主人公の幼馴染の女の子も高校生で死んでいるが、幽霊となった彼女との交流になっている。もう、主人公とヒロインの関係性はほぼ絶対的なもので、他者は入り込めない。
わかるんだけどなあ、なんだろうなあ、エモさって喪失感とセットだったり結びついているからそういう設定としては物語としても確かだし強固なんだけど、自分が中年になってみて考えてみるとそれってレイプファンタジーに近いような、弱い男性における女性への所有欲と関係しているとかいろいろ考えちゃうんだよなあ。
『一ノ瀬ユウナが浮いている』は中盤だからどう着地するかはわからないけど。

f:id:likeaswimmingangel:20211130235459j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211130235511j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211130235525j:plain『Q』以来2年ぶりの野田地図。番外公演『THE BEE』(演出・野田秀樹、出演・阿部サダヲ長澤まさみ、河内大和、川平慈英)を東京芸術劇場シアターイーストにて鑑賞。野田さんが出演せずに演出だけに専念してる野田地図観るの初めてだな。

2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件に触発された野田秀樹が、筒井康隆の小説「毟りあい」を題材に、イギリス・ロンドンで現地演劇人とワークショップを重ねながら書き下ろした英語戯曲。2006年にロンドンで初演され、2007年には日本語版が東京で上演された。

平凡なサラリーマン・井戸が我が家の前で遭遇したのは、警察とマスコミの喧騒だった。脱獄囚・小古呂が井戸の妻子を人質に取り、井戸宅に立てこもっていたのだ。井戸は妻子を救出しようと、どこか頼りない警察と共に行動を起こすが、事態は思わぬ展開を迎える。

たった四人しかいない出演者、阿部サダヲさん以外の三人は一人何役かを兼ねる。舞台装置はほぼなく、大きな真っ白な紙が天井からぶら下がっていて、舞台の前方まである。そのうえで展開されていく。真っ白な紙にプロジェクトマッピングのように映写されるドアやテレビなど、シンプルだが紙という特質を使うことで舞台の小道具にも変わっていく。
妻と息子を人質に取られた井戸は小古呂の妻子がいる家に刑事と出向くが、小古呂の妻は夫を説得してくれるように井戸が頼んでも断る。刑事をバットで殴り倒し拳銃を奪った井戸はそれを持って小古呂の妻を脅すことになる。被害者家族であった井戸は自分の家族を人質にとった小古呂と同じことをすることになる。つまり被害者でありながらも加害者へと変貌する。俺は被害者に向いていない、と。互いに家族を人質に取って交渉をするものの、互いに引かないために暴力や悪意は人質である相手の家族に向けられる。小古呂役であり、小古呂の子供を川平慈英さんが演じているので、その一場面の中である時はどもりがひどい小古呂になって井戸とやりとりをして、そのまま泣き叫ぶ子供になる。極めて舞台らしい演出と一人の役者が複数を演じることで場面転換をせずに、二つの場面がひとつのシーンの上で共存している。これは観客が舞台というものを見る時における信頼がないと成り立たない部分だ。
小古呂の妻を毎晩犯し、小古呂の子供の指を一本ずつ切り落として警察に自分の家に立てこもっている小古呂に届けされる。相手も一本ずつ指を送り返してくる。それがルーティン化していく、子供は治療もされずに死んでしまう。小古呂の妻はその狂った環境の中で自分で股を開いていたが、その指さえも今度は井戸に折られていく。部屋に入っていたハチの羽音が複数に重なっていく、すべてが破壊されて報復が報復しか生まずに終わっていく。
9.11のアメリカ同時多発テロ事件に触発されたことで作られたというのも観ているとわかるし、マスコミというかメディアによって伝えられるものは正しさばかりではなく、好奇心や悪意など被害者であるものを苦しめて、それを見て満足する名もなき視聴者たちがいる。それがネットでも変わらない。悪意は伝播してさらに被害がただ弱いものへ弱いものへ向けられていく、その悪循環。しかし、この暴力性と悪意はある種わかる。怖いけれども暴力はいつもそこにあり、いつでも被害者になり、加害者に僕らはなってしまう。

f:id:likeaswimmingangel:20211130235541j:plain
小泉今日子著『黄色いマンション 黒い猫』新潮文庫版。
数年前にSwitchから出た単行本を読んでいたけど、今改めて文庫版を読んでみたら以前よりも沁みるというか、ほんとうにいいエッセイだなあ、と思った。
アイドルの歴史には「花の82年組」という言葉があり、小泉さんはその代表的な人だ。82年3月生まれの学年は81年組な自分は、「花の82年組」と聞くと、この人たち自分が生まれた年にアイドルになったのかぁ、と不思議な気持ちになる。彼女たちや彼らたちの全盛期は記憶にはない、脱アイドルとして生き残ったごくわずかな人たちの過去として紹介されるVTRの中で見ただけだが、たしかに自分はその時には生まれていたはずだから。
1982年生まれは来年40になる、つまり彼女や彼らのデビュー40周年である。長く続けること、生き延びること、人との出会いと別れのことがこのエッセイには書かれている。
小泉今日子さんは坂元裕二さんの朗読劇と坂元裕二さんが戯曲を担当された舞台でお見かけしたことがあるが、周りの人がキョンキョンだ!(めっちゃうれしい)となっていてスターとはこういう人なんだな、と思った記憶がある。

 

12月1日
f:id:likeaswimmingangel:20211130131948j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211130132010j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211130132025j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211130132039j:plain
12月に突入した。今月は「太宰治賞」が10日に〆切なのでそれぐらいで、あとは少しだけある原稿〆切とリモートワークでの仕事の隙間でどうやっていくかというスケジュールを組まないといけないが、後半はしんどくなりそうなので早めに処理したい。
「monokaki」で取り上げるので何年か前に一度読んでいる保坂和志著『書きあぐねている人のための小説入門』を再読し始めた。数ヶ月前にブックオフでかなり美品で見つけて買っていた『小説の自由』『小説、世界の奏でる音楽』『小説の誕生』も読み始めるタイミングかもしれない。

朝から晩までリモートワークだった。先週、口唇ヘルペスができていたので、あっストレスたまってるわと思ったので昼休憩の時にのんびり息抜き。ストレスたまるとすぐに口唇ヘルペスができる。わかりやすい身体。

 

12月2日
f:id:likeaswimmingangel:20211202135722j:plain
最果タヒ著『神様の友達の友達の友達はぼく』を休憩中の外出で購入。いい装幀だ。祖父江慎さんとコズフィッシュ。久しぶりに最果さんの書籍を買った気がする。今はなんだかエッセイとか読みたい期間なんだよなあ。
たまたまだけど、昨日から再読し始めた『書きあぐねている人のための小説入門』の著者である保坂和志さんが帯を書いていた。勝手にシンクロを感じてしまった。家に帰るまで帯文誰が書いているか見てなかった。

f:id:likeaswimmingangel:20211202135740j:plain
神田桂一著『台湾対抗文化紀行』が出ていたので購入。
台湾には行ったことないのでどんなことが書かれているのかたのしみ。
台湾というとこの数年だとそれまで観ていなかったエドワード・ヤン監督『台北ストーリー』『牯嶺街少年殺人事件』を劇場で観たり、『台北暮色』という作品も観た。小説家でいうと邱永漢著『香港』と呉明益作品は二冊ぐらい読んだぐらいだろうか。
新型コロナウイルスの新たな変異株「オミクロン株」によって、空の向こうに飛び立つこと、そして戻ってくるのは難しくなりそうだから、紀行文とか旅行記を読むっていうも乙なのかもしれない。
台湾も日本も島国だから、外界と閉ざされると簡単に孤立する。だからこそ、内側と外側への想像力が必要になるし、そこから飛び出していった人たちがいた。
先月、自分の大叔父の初生雛鑑別師のことについてまとめていたのでそんなことを思ったのかもしれない。

ササダンゴ:藤井さんって人間の悪い部分とか醜い部分を煮詰めて凝縮したような番組を作っている印象があるんですけど、それでも実は藤井健太郎っていう人間の中では社会性のある、人に見せても良い部分だけを出していて、表に出しちゃいけない部分はちゃんと隠しながら作っているんですよね、『水曜日のダウンタウン』とかも。その辺のバランスが本当に秀逸だなと思っています。

— 時代によって必殺技の流行り廃りみたいなものがあるんですね。

ササダンゴ:ありますね。けど、一番大事なのは人と被らないこと。オリジナル技が大事なんですよね。それこそ、ただのエルボードロップも魅せ方を工夫するだけで、ピープルズエルボーになる訳ですから。そういう意味では、武藤敬司さんの必殺技とかは圧倒的にオリジナリティが高いですよ。ピープルズエルボーですら、武藤さんのフラッシングエルボーをベースにしている部分はあるので。ここ30年くらいのプロレス技の基盤にあるのは、間違いなく武藤さんの技です。

藤井健太郎のoff-air 第7回:スーパー・ササダンゴ・マシンより


夜はイゴっちとニコラでおいしいお酒とおいしい料理をたのしみながらたくさん話をして、なんか憑いているものが落ちるというかよい気分転換になった。信頼している、この人には何でも言えるという人と実際に会って話をすることってほんとうに大事だ。

 

12月3日f:id:likeaswimmingangel:20211203143426j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211203143442j:plain
『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』を朝イチで観に来た(「エブリスタ」が株式譲渡されたので親会社がDeNAからメディアドゥになって転籍するから、残った有給使い切ってる)。なんかデカいカードくれたけど、ポストカードでこれで年賀状送られたい人いるかな。
映画は犯罪カップルのボニー&クライドみたいな敵キャラと戦うのだけど、話としては大味な感じで。最後にテレビでスパイダーマンが出てきたから1月公開の新作にヴェノムも関わるのかな。どうだろう。唯一いいのはMUC(マーベル・シネマティック・ユニバース)にしては短いってことかな。

『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』観た後に発売日が3日って見てたから買って帰ろうと思ってたオークラ著『自意識とコメディの日々』だが、渋谷の書店何件かアンド池尻と三茶の本屋寄ったけどなかった。
週明けの6日入荷なのか発売ってことなのかな、Twitter見たけど書籍で買えてる人いないし、早くても明日なのかも。Kindle版は出てるっぽいけど、Kindleで読んでも読んだ気がしないから、Kindleオンリーでない限りは書籍で買って読みたい。
来週の『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』にオークラさんがゲストだからそこには間に合うだろうけど、今日深夜に『バナナマンのバナナムーンゴールド』あるのに。たぶんリスナーは仕事帰りとかに買って帰って読みつつ、ラジオを聴きたいだろうし。深夜聴けなくても土日で本を読んでラジオを聴きたいはずだから、今日書店に並んでないといけない書籍ではあるんだが。
発売前重版かかったから発売にに並ばないっていうことってあるのかな。

f:id:likeaswimmingangel:20211203143728j:plain
松本直也著『怪獣8号』5巻読了。この巻から新キャラとして第1部隊隊長の鳴海玄(表紙)が登場、実生活はダメダメだが対怪獣への戦闘能力は最強クラス。怪獣8号であることが防衛隊にバレた主人公の日比野カフカは防衛隊隊長である四ノ宮功に戦力として処分されずに活かされ、第1部隊に所属することになったが、現れたのは人間に擬態できる怪獣8号だった。
5巻で累計550万部突破と破竹の勢いで『少年ジャンプ+』発のヒット作となっている。同じく『少年ジャンプ+』発のヒット作『SPY×FAMILY』が来年からアニメ化なので、この二作品がどこまで広がっていくのか。
個人的にはジャンプ作品はハマらないのだけど、『怪獣8号』だけ読めているのは不思議だ。内容もだけどこの絵を自分は受け入れれるというのもあるんだろう。

 

12月4日
f:id:likeaswimmingangel:20211204202320j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211204202344j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211204202400j:plain
ヴァニラ画廊で開催中の「田島昭宇 画業35周年記念展<Side: B>『冬暮れの金星』」サイン会に行ってきた。今回の目玉になっている画集『冬暮れの金星』は幻冬舎から出ていた『パピルス』に掲載されていたものと、同じく幻冬舎文庫で出ていた清涼院流水著『トップラン』&『トップランド』の装幀イラストなどが収録されているもの。
なつかしい。『パピルス』はたまに買っていたけど、田島さんのイラストは見てたし、『トップラン』&『トップランド』も装丁買いしていた。
田島さんにサインしてもらっている時に話したのだけど、来年『多重人格探偵サイコ』の25周年らしい。まあ、僕が高一になる時にスタートしているからそのぐらいか。
でも、田島さんに中島さんとcakesでインタビューに行く前に初めてお会いしたのは『多重人格探偵サイコ』の終わりの数巻が出るごとのサイン会だったから、連載が長かったから間に合ったところもあるんだよね。1996年スタートで2016年終了だから20年連載してた。
好きなクリエイターにはしっかりお金を払うしかないというのがずっと読者だったりの側の僕の気持ちで。だから小説だったら好きな作家は単行本持ってても、文庫版が装丁もそのまんまで解説もあとがきもなくても買うのはある種のお布施で、少しでも金を〜という感じ。
漫画家さんのこういう場所での展示会&サイン会は基本的にはアイドルの握手会的なアイドル商法に近い。アイドルと握手する話をする写真をとる、そういうことができることに価値がある。漫画家さんだと作品にサイン入れはもちろん、自身の作品のイラストなんかのグッズも展開できるし、単行本だって持っていてもサイン本をということになる。
田島さんは基本的には個展でイラストなんかをもとにしたオリジナルグッズや新しい画集を作成して販売しているし、オリジナルなイラスト原画も価格はかなりするがそれも売っていたりする。こういう時に、それは漫画家さんだからできるんだよなってなんだか思う自分もいる。
小説家ってイベントやろうがサイン会やろうが数が知れてるし、あとは漫画も小説も複製芸術で読者の手元に届くのは元のデータから作ったものだけど、田島さんだったらPC使わずに手で描かれているからオリジナルの原画が存在する。
オリジナルとコピーをめぐる問題っていうのはある時期の、ある世代には大きな問題や主題でもあったんだろうけど、大塚英志さんが原作だけど、『多重人格探偵サイコ』はまさにオリジナルとコピーをめぐる物語だった。西島大介さんの初期の作品もオリジナルとコピーをめぐる問題だった。西島さんの場合は渋谷系の影響が多いから、サンプリングや元ネタというものがどうしても作風に入ってきてた。
エヴァ』だって庵野さんが好きなものが核にあって、その影響を受けたものを考えれば、その庵野さんが『ゴジラ』『ウルトラマン』『仮面ライダー』を「シンシリーズ」でやることでオリジナルとコピーをめぐる問題はすでに飽和して無効化しているようにも思える。
まあ、小説と漫画はアプリやデバイスで読むのはやっぱり目が滑るのでできるだけ紙で買いたい。書物ってただそこに存在していることに価値があって、デバイスとかネットワークの中にデータだけあってもハードがなければ読めないからやっぱりハードとソフトを兼ねる書物には勝てないんだよね。まあ、いろんなものがフリーになっていけば飯食えなくなる人が増えるわけで、フリーになった分いろんなものが変わりに奪われていくのもなんか解せない。

田島さんにcakesでインタビューさせてもらったのが5年前だった。月日経つのはやっ。


午前中の作業中に深夜の『バナナマンバナナムーンGOLD』聞いてたら、オークラ著『自意識とコメディの日々』は初刷7,000部で予約でほとんど終わって発売増刷で+1,000部でそれもダメで増刷して倍の14,000部になって今刷っている感じらしいことを話されていた。
太田出版どんだけ絞ってたんだろう。期待値が低かったのか、あえて刷り数を少なくして増刷って感じにしたかったのか。
佐久間さんのYouTubeチャンネルでもゲストで東京芸人青春期をドラマでやったらという妄想キャスティングとかしてるし、ラジオでも今まで三回はオークラさんがゲストで話してるし、そこにバナナマンおぎやはぎラーメンズ東京03劇団ひとりザキヤマとかの若い頃の話するんだから、どう考えても売れるのになあ。
勝負は佐久間さんのオールナイトニッポン0に間に合うかどうかな気がする。そこから一気に伸びるか、書店になくて飢餓感じゃなくてがっかり感で伸びなくなるか。

 

12月5日
f:id:likeaswimmingangel:20211204231307j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211204231327j:plain
ヴァニラ画廊での田島昭宇さんのサイン会まで時間があったのでGINZA SIXに行って銀座蔦屋書店に行って時間を潰してた。

一枚の写真で人生が変わることがある。
 
写真家・藤井保による、JR東日本の広告ヴィジュアル「その先の日本へ。」という、東北の原風景を捉えた作品に心を動かされ、18歳の瀧本幹也は藤井保を師と選び、また藤井保は瀧本幹也を弟子と選びました
 
それから29年の月日が経ち、2019年春、MA2Gallery(東京・恵比寿)から二人展の開催を依頼されたことをきっかけに、二人の写真家による「写真と言葉」による往復書簡がスタートしました。新型コロナウイルスの流行など激動の社会状況の中で続けられた二年にわたる往復書簡。そこには、日常で感じた些細な事、仕事の事、写真への考え方などを互いに伝え合い、率直な意見を述べ合える関係性が紡がれています。

と紹介があったところにこの往復書簡が置かれていたので、このお二人のことはまったく知らなかったのだけど『藤井保 瀧本幹也 往復書簡 その先へ 2019年6月26日ー2021年8月19日』を買ってみた。
師弟関係の写真家が互いに「写真と言葉」を交互に送って対話していくというもの。読み始めたけど、これすごくいい。
師弟関係における往復書簡シリーズとかどこかの出版社でやったら面白いんじゃないかな。例えば、装幀家だったら「菊地信義 - 水戸部功」とかね。漫画家だったらアシスタントがいたら、そういうので師弟関係ってのもいけそうだし、いろんなジャンルでできるし、働き方っていうか思想や生き方がでてきそうで読んでみたい。

f:id:likeaswimmingangel:20211205141019j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211205141031j:plain
『皮膚を売った男』をル・シネマにて鑑賞。

2011年シリア。サムは不用意な言動から当局に逮捕されてしまい恋人アビールとも会えなくなってしまう。なんとかしてレバノンに出国した時には既にアビールは金持ちと結婚しベルギーへ。難民となったサムは、ある日偶然出会った芸術家ジェフリーから、背中にタトゥーを施し、生ける"アート作品"とならないかとの申し出を受ける。芸術品となれば大金を得ることが出来るが自由は制限される。だが、金もなく国境を越える手段も無いサムは、愛する恋人に会うためにオファーを受ける。難民としては国境を越えられない人物も、芸術品として商品になれば、自由に取引され国境を越えることが出来るのだ。だが、管理されオークションにかけられたサムは精神的に追い詰められてゆく。高額で取引されるサムにはいかなる運命が待ち受けているのか...。

予告編でずっと気になっていた作品。アートの価値、人権&難民問題をある種のダークユーモアを含めて描いてる。
最終的に起こるどんでん返しににも似た展開はシステムに関することで心地良い。社会や法みたいなシステムに組み込まれるしかない人間がシステムを破壊ではなく利用してその枠組みから出ていく。そういう意味では伊坂幸太郎著『魔王』&『モダンタイムス』にも通じてる。

ポール・トーマス・アンダーソン監督最新作『Licorice Pizza』米予告編。
日本でも公開してくれないかな。

 

12月6日
仕事早上がりして三茶から阿佐ヶ谷まで1時間50分ほど歩く。阿佐ヶ谷駅近くのイタリアンレストランで去年の『ゼロエフ』の「国家・ゼロエフ・浄土」パートの阿武隈川取材の打ち上げを古川さんご夫婦と。料理もワインもデザートもすべて美味しかった。ふたりとも久しぶりに来れたみたいでとてもうれしそうなのが見れてよかった。
いわき出身のふたりの『サクマ&ピース』をオススメしてたら二回目以降は間に合ったらしく見て、面白かったとの反応が。
コロナとかで諸々一年伸び伸びになってたけど、ようやく打ち上げできた。長かったようなあっという間だったような。古川さんが訳した『平家物語』が出たのも、そこから派生した『犬王』書き上げたのも2016年末だったから、あっという間だ。トランプが大統領に就任したのが2017年。初めてのロサンゼルス、UCLAに行ったのもその年、あっという間だ。
来年の二月三月に引越し先の東村山市に遊びに行かせてもらうことにした。年始はやっぱり東京五輪終焉後の晴海埠頭見たいから歩くかな。

 

12月7日
f:id:likeaswimmingangel:20211207135106j:plain
オークラ著『自意識とコメディの日々』読了。オークラさんが『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』に三回ゲストで話をしていた東京芸人青春期をメインとした自伝的なエッセイ。
オークラさんが組んでいたコンビ「細雪」は彼がバナナマンのコントを手伝ったりユニットライブをするようになって、相方が来なくなって終わった。そこからオークラさんはバナナマンを手伝うようになる。相方の人は「A」とイニシャルのみ記載されており、ライブに何も言わずに来ずにそのまま音信不通になった。「A」は当時大学生だったオークラさんより10歳上の元劇団員だった。オークラさんは彼に自分が知らなかったり、リアルタイムでは見れなかった夢の遊眠社など上の世代の舞台や音楽やカルチャーを教えてもらったという。
これは高校生の時に大人計画のワークショップに行った際に少し上の男性から細野晴臣や知らなかった音楽を教えてもらった星野源ともちょっと通じる。ある時期までは年上のお兄さんやお姉さんからふいに、未知との遭遇が起こされてその後の運命が変わる、そんな偶然があった。ネットが出てくると少しは変わったのかもしれない。
「A」が来なくなり、やがてコント作家に放送作家になっていくオークラさんの人生において、「A」がお笑いをやめたこと、なにかを諦めたことはオークラさんの身代わりのようなものだったようにも見える。代わりに誰かが死ぬ(そこから出ていく)ことで人は新しい扉を開く。
バナナマンラーメンズおぎやはぎ劇団ひとりバカリズムアンタッチャブルの山崎、東京03というオークラさんの同世代の近い芸人たちがいたこと、彼らが今に至るまでの青春時代とも言える若手時代のことが書かれているが、彼らは大きな波には巻き込まれなかったし、ある意味では間に合わなかったり、自ら飛び込まなかった。ボキャブラ天国ブームがあった時に彼らはコントや舞台をやることを選んだり、選ぶしかない状況にいた。
大きなムーブメントは時代を作る。しかし、勢いがなくなっていくと一部のものを除いては古いものとなってただ死屍累々の山になって、その上に生き延びた王たちが立つ。
時代を追いかけると基本的には間に合わない。そこはただのレッドオーシャンだ。どんなジャンルでも雌伏して時を待ちながら、中央ではなく周辺からジワジワと真ん中に動いていき、知らない間に中央、中心になる人がいる。その人たちは自分という時代に左右されない武器を持っているから、ムーブメントが起きて消えてもあまり影響を受けなくなる。
この本の中でオークラさんは「細野晴臣になりたい」と書いていて、「ラジカル・ガジベリンバ・システム」みたいな才能をもった人間の集合、アベンジャーズ的なものに憧れている。そういう思いでバナナマンラーメンズおぎやはぎで『君の席』を作ったり、おもしろいカルチャーの融合として『ウレロ☆未確認少女』をやったりしている。
当然だが、大事なのはその時そこに居れるかどうかであり、居なくても「あいつはさ」と認識されている、声がかかる人なのかがデカい。才能が集まる時期というのはどうしてもあって、だけど、集まらない時期のほうが多いわけでもある。たいていの人はそっち側だ。そういう問題というか現実に起きうることについて、「自己啓発本」とかはなにかを肩代わりしてるのかなとふと思った。
松本人志病を患いまくっていたオークラさんたちの世代、僕らもそこだろう。基本的にその病にかかると皮肉的で冷笑的になる。誰かがやっていることに素直な反応を示すことができなくなる。
松本人志病にまったくかかっていなかったおぎやはぎの矢作さんが当時の人力舎内のでアンジャッシュの小嶋派と渡部派に分かれていがみ合っていたところにやってきて、普通に「おもしろいね」と笑い、おもしろくないものにはおもしろくないと率直に告げることでその緊張関係を破った話はとても象徴的だ。そこから矢作さんはみんなに信頼されるようになって、人力舎は仲の良い事務所に変革された。
おそらく、松本人志をある時期からトップにした吉本興業トップダウン的な先輩後輩のピラミッド的な上下関係になった。NSC以前は芸人になるためには師匠に弟子入りするため、まず師弟関係という強固な関係性があり、そこに所属事務所があった。だから、優先すべきは会社ではなく師匠だった。そして、システムを作りゲームマスターでありプレイヤーとして松本さんが君臨することでシステムはより強固で頑丈なものとなり、下剋上は不可能となった。
キングコングの西野さんやウーマンラッシュアワーの村本さんやオリエンタルラジオの中田さんが外側に出ていくのは当然でもある。ゲームマスターに自分がなるかシステムを構築しない限りは松本人志吉本興業から自由にはなれないのだから。
矢作さんが行った変革は違う言い方をすれば、当時の人力舎にいた芸人たちを松本人志病から解放し、その呪縛を解いた。そのことが、現在の『ゴッドタン』など佐久間さんやオークラさんが関わっている番組に出ている芸人さんたちが生き延びて非吉本としてそれぞれが確固たる存在となったようにも思える。
M-1グランプリ」1回目に東京勢として唯一決勝に進出したのがおぎやはぎだった。最低点だったが、彼らがあそこに出たことは反撃の狼煙の始まりだったのかもしれない。

f:id:likeaswimmingangel:20211208005149j:plain
お昼過ぎにこのところちょっと気になっていた体のことで歩いて行ける距離にある病院にいく。なんとなく思い立ったら吉日というか15時から午後の診察が始まるのというのはネットで見ていて、そこで日中は混み合うときがあると書かれていたので散歩がてらTUTAYAによって『世界の終わりの魔法使い 完全版 5 巨神と星への旅』を購入し、トートバッグには午前中に買っていた『群像』最新号を入れていった。
着いたら14時40分ぐらいだったので表のベンチに座っていたら院内に案内されるまでに数人は並んでいた。中で十数分ぐらい待っていたら二番目に呼ばれた。その間に家で少し読んでいた『群像』で新連載が始まった古川日出男さんの新作『の、すべて』第一回を読み終わった。
『の、すべて』はバブル後の東京を舞台に主人公の大澤光延ことコーエンの「恋愛」と「時代」を描くものになっていて、どうやら帝王学というか、彼の父がある権力者のトップに近い場所におり、コーエンにはやがてその座、王の座についてほしいと願っているということがわかる。腹違いの10歳下の弟がいたりするが、その兄弟と最後に出てきた巫女の服を着ていた女性を中心に物語が動くのだろうと予感させて1回目は終わった。これから『大きな森』連載以来となるが、毎月連載を読むために『群像』を購入する。続きがたのしみだ。

名前を呼ばれて、ずっと気になっている皮膚が赤くなっている場所のことを診断してもらった。何年か前から口唇ヘルペスがストレスがたまりはじめると出るようになっていて、それとも関係があるような気がしていた。実際には感染るようなものではないという話だが、口唇ヘルペスのように身体がストレスを感じ始めるとそれに反応して赤くなっているようだった。
発疹や水ぶくれではないので特に問題はないと言われて塗り薬を処方してもらった。それだけで一安心だった。大事なのはネットで見て、こういう症状だから問題ないのだろうと安心することはできなくもないが、自分でわからないことは専門の人に見てもらって判断してもらうのが一番精神的に安心ができる。しかし、ストレスを身体が感じ始めてそれに口唇ヘルペスとかみたいに反応するっていうのは不思議なものだけど、身体と精神では身体のほうがさきに反応するっていうのがわかりやすくていいなとも思った。

f:id:likeaswimmingangel:20211207201959j:plain
西島大介著『世界の終わりの魔法使い 完全版 5 巨神と星への旅』を読む。魔法のおける複製と「影」、オリジナルとコピーをめぐる冒険。西島さんがデビューから描いている事柄であり、それはアートとも密接に関係している。だから、西島さんがアートに関するのも当然なのだなと改めて思ったり。

 

12月8日
f:id:likeaswimmingangel:20211208223232j:plain
若林正恭著『ナナメの夕暮れ』文庫版を読む。
単行本は読んでいないのでほんとうに初めて読む文章だった。自分の内面との向き合いと外界である世間との関わりの中でのあらわになる「個」をどう受け入れて、自分の疑問や不思議に思っていることと照らしわせて、納得したりしなかったり、とても人間としての逞しさのようなものを感じる。それはとてもうらやましい。
大人になるというよりもより人間味を増していく若林さんの思考と行動がまぶしい。自分だけでもよくわからないのに、自分自身のことが、でも、結婚したり家族になったり、別に異性とでなくても同性のパートナーであったりでも、他者と共にいること、より自分よりも得体の知れないけど、近いところで一緒に生活を共に時間を過ごす人がいることで進める場所もあるんだろうなと結婚した若林さんの文章や、この2年ちょっとだけど聴き始めたラジオで感じる。

f:id:likeaswimmingangel:20211208223426j:plain『新潮』2022年1月号には阿部和重著『Neon Angels On The Road To Ruin』に古川日出男現代語訳『紫式部日記』が掲載されている。僕にとっては好きな作家の上位であるお二人が並んでいるだけでも最高なのだが、古川さんに関しては現代語訳の『紫式部日記』を読む。シングル・マザーでフィクション・ライターな紫式部の日記を古川さんが現代語訳している。
約千年前と現在で通じているものがあり、日本を象徴する者たちについて、文章を書くことについて、書くことは読まれてしまうことについて、書かれてる。
紫式部に関しては『女たち三百人の裏切りの書』がかつて『新潮』で連載していたから、これが『新潮』に掲載されたのもよかった。

 

12月9日
本来は17日を有給にしていたが、その日には会社のZOOMでの月例ミーティングが入ったと昨日連絡がきた。もともと10日にそれがあったので有給を17日にしていたので、入れ替えて急遽10日を有給にすることにした。今日一日と明日の午前中に太宰治賞応募作を仕上げて投函するスケジュールにした。わりと最後に集中できる時間ができたのはよかったのかもしれない。

f:id:likeaswimmingangel:20211209122556j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211209122607j:plain
午前9時過ぎに一旦散歩がてら代官山蔦屋まで歩く。なんとなく内田百閒著『百鬼園随筆』を購入する。内田百閒は岡山出身の作家なのだが、きちんと読んだことがないので年末年始に読んでみようかなと思った。代官山蔦屋が10周年ということで周年記念の文庫本『言葉の森』も一緒にもらった。
その後はずっと加筆と修正。

 

12月10日
f:id:likeaswimmingangel:20211210142947j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211210143003j:plain
エドガー・ライト監督『ラストナイト・イン・ソーホー』をシネクイントで鑑賞。金曜日に有給使うと公開初日の映画を朝イチで観れるのがいい。エドガー・ライト監督『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』を観たのは前のパルコ内のシネクイントだったのを思い出した。
作品としてホラーなんだけど、主人公のエリーに見えてしまう亡霊がまさに『ショーン・オブ・ザ・デッド』的なゾンビの亜種というか別バージョンとも言える演出がされていた。
現代と60年代のロンドンのソーホーが重なる。都会に生きる生きづらさというよりかは、若い女性の生きにくさと性的な搾取を描いていて、それは現在でも変わらないのだと重ねることでより感じるものとなっており、エリーが見えてしまうものたちの存在がホラー要素を持ち込んでいるし、同時に性的な搾取や男性からの性的な視線のようにも見えてくる。
最後のオチをどう受け取るかで評価はわかれそうだなと思った。女優と娼婦についてのセリフとか、結局エドガー・ライトは男だし、お前も消費してる側だろうとのツッコミや批判はあるだろう。作品としては見せ方もうまくてホラー要素もうまくハマっていて、映像としてもおもしろかった。
エドガー・ライトから権利を買えば、「ラストナイト・イン」シリーズということでほとんどの国でこれは作れるはずだ。たとえば、『ラストナイト・イン・アカサカ』『ラストナイト・イン・ソウル』『ラストナイト・イン・ハリウッド』とか。芸能と関連している都市ならできる。しかし、エドガー・ライトは音楽を使うとすごくイキイキしてテンポがよりよくなる監督だ。ほんとうに音楽好きなんだろうな。

f:id:likeaswimmingangel:20211210164616j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211210164632j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211210164646j:plain
あだち充著『MIX』18巻。30年ぶりの明青と勢南対決は甲子園予選準決勝。この巻で試合は終わる。そして、同日発売の『ゲッサン』で続きを読もうと思ったら、18巻の最後が108話で今月号の『ゲッサン』では110話が掲載されており、109話だけをサンデーうぇぶりで読もうと思ったが、18巻までのものしか話売りもしておらず読めなかったので諦めて110話から読んだ。
『タッチ』の登場人物でもある勢南の西村(現在は野球部監督、息子がエース)が同じく『タッチ』の登場人物である原田正平を見かけて、過去を回想する。西村は浅倉南を思い出して、『MIX』には今の所登場していない新田と原田と自分の三人を失恋仲間だと息子に言う。今回はノスタルジー的な回なのかなと思ったら、最後の最後に109話でなにが起きたかがわかった。
あだち充作品では定番である「あの出来事」が起きており、ストーリー上では高校2年生の夏だが、これは高校3年生の夏にあれをやりたいというフラグなのだろう、たぶん。
『MIX』はあだち劇場のデータベース消費的な作品でもある。そもそもこの作品には『タッチ』と『みゆき』の登場人物が出てきている。3年の夏に『タッチ』ではできなかったあの戦いをすることになれば、『みゆき』的な要素がさらに増すことになる。
この感じだとあと2年以内には終わるんじゃないだろうか。
しかし、『MIX』18巻読んで思ったけど、あだち節というか省略の美学がより際立っている。熟練の技としかいいようがない。

 

12月11日
f:id:likeaswimmingangel:20211211230014j:plain
2021年最後に劇場で観るのはユーロスペース園子温監督『エッシャー通りの赤いポスト』になりそう。公開が楽しみ。去年も最後はユーロスペース林海象監督作を観た気がする。

f:id:likeaswimmingangel:20211211230053j:plain
ヴィム・ヴェンダース監督『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』をル・シネマにて鑑賞。土曜日だったのもあってか、6、7割方埋まってた。
タイトルも知っててレンタル屋で何度もジャケット見てるのになんだかんだ観たことなかった作品。ライブとバンドメンバーそれぞれのインタビューがわりとスムーズに流れていき、全然知らないのに老成し、忘れられていたはずのレジェンドたちが語る自身の一生によって、鳴らす音がより響いてくる。ライブドキュメントとして素晴らしかった。
レトロスペクティブあと一作品でコンプリート。

f:id:likeaswimmingangel:20211211230129j:plain
松尾大輔監督『偽りのhappy end』試写にお声がけしていただいたので、久しぶりの松竹本社に行った。松尾さんが監督された『東京ヴァンパイアホテル』で僕も一応脚本でクレジットされているのだけど、最後にお会いしたのはその撮影の時だった気がする。

ヒミズ」から10年間、園子温監督のほとんどの作品で助監督を務めてきた松尾大輔の長編監督デビュー作。それぞれ妹が行方知れずなってしまったエイミとヒヨリが事件の真相を探るミステリーをベースにしながら、姉として生きる2人の心の揺れを描いた。中学を卒業後に上京したエイミは、故郷の滋賀で暮らす妹のユウに東京での生活を勧める。最初は拒みながらも、なぜか急に東京に来ることを受け入れたユウだったが、引っ越し早々に行方不明になってしまう。そんな中、エイミは同じく妹が行方不明になっているヒヨリと出会う。やがて地元の琵琶湖で若い女性の遺体が見つかったとの連絡が警察からエイミに入るが、その遺体はユウではなくヒヨリの妹だった。エイミ役はNHK朝の連続テレビ小説なつぞら」でドラマデビューした鳴海唯、ヒヨリ役はマドンナのバックダンサーとしてワールドツアーに同行した経験を持ち、映画「ドリームズ・オン・ファイア」では主演も務めた仲万美。そのほかユウ役で「由宇子の天秤」の河合優実らが共演。

メインの女優さんたちが表情がよい(『サマーフィルムにのって』でいいなと思った河合優実さんがその撮影前にこちらに出ていたみたい。この人はなにかで一気に大ブレイクしそうな気がする、というかそう思わせる存在感がある)のだが、中盤以降にエイミとヒヨリが出会ってから滋賀を舞台に移してからが、わりと端折った感じが何度かして、上映時間が97分ぐらいなのだけど、ほんとうは120分以上あるだろうなと思った。
最後のシーンでエイミが感情を爆発させているのはいいし、謎は謎で回収していないのもありだと思うのだけど、そのために必要な箇所が切られているのか、観ていてそこまで感情移入できないのが惜しい。画はすごくいいから感情移入がもっとできたらよかったんだけど。個人的にはもっと長かったほうが余韻が増幅するんじゃないかなと思った。

試写観てる時に隣のクソバカ男が何度も何度もスマホの画面を光らせやがったので、それで気が散った部分はある。試写に来てスマホの電源切らないのはいいとして、普通はポケットとか鞄にいれないか、なんでずっと外に出して手で持ってて、画面を下に向けないで上に向けてるのかマジで謎だ。コケてスマホの画面バリバリに割れて、そのまま大怪我とかしたらいいのに。あれで役者とか映画関係とかだったらほんとうに終わってると思うけど、なんだろうなライター系かなあ、とりあえず琵琶湖に沈めばいいと思う。

家族であったり、血がつながっていても知らないこと、わからないこと、教えていないことはある。だから、家族といえど他人であり、自分ではない。わかっていると思っているとドツボにハマると言うか、知らないうちに心は離れていったり、もうどうにもならなくなってしまう。そういうものをミステリーベースで描いていて、最後に伏線回収というか作中に仕掛けていたものが繋がる部分があるのだけど、おそらくそこに至る部分がちょっと足りないというか短いので唐突な感じもした。好き嫌いがはっきり分かれる作品だろうから、好きな人はもっと長くてもいいと思うだろうし、長い方がこの作品にあるものがもっと深く届いたんじゃないかな。
終わったあとに松尾監督にご挨拶した時に聞いたら、実際はかなり長かったと聞いた。いろんな理由で短くはされたみたいだが、個人的にはその長いバージョンのほうが観たいなと思った。
最初にこの映画の設定を聞いた時に妹を探す姉っていうので、松尾さんが師事している園監督『紀子の食卓』が浮かんできて、それを意識してるのかなと思ったのだけど、実際のところはどうなんだろうか。おそらくなんだけど、園監督も主人公を女性にしたほうが感情を乗せやすい部分が初期作品の頃は多かったと思う。松尾さんも長編映画デビュー作で男性よりも女性を主人公にしたほうが自分の思っていることとか考えているものを託せたり、形にできると思った部分はあったんだろうか。
映画は12月17日(金)よりアップリンク吉祥寺から順次全国で公開。


f:id:likeaswimmingangel:20211211230255j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211211230310j:plain
ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』からの〜、『偽りのhappy end』からの〜、松竹本社から晴海通りまっすぐ歩いて豊洲ピット。今年のライブ締めはZAZEN BOYS
整理番号は900番台と遅かったが、一メートル四方をテープで囲んであって、そこにひとりずつな感じだったんで一番前のフロアの一番後ろのところ、ちょうどステージの真ん中ラインが空いていたのでそこでみた。
セトリは基本的にいつも通りだと思うし、最近だと『杉並の少年』が新しくセトリに入った感じか。年々同じ曲なのにメンバーの技術の高さと息がより合うことでとんでもない演奏になっている。向井さんちょっと声がかれていたような気がしなくもなかったが、気のせいか。今回はいつも一緒にライブに行っている青木は来なかったのでひとりでライブに行ったのだけど、やっぱり隣でアホみたいに踊ってるやつがいるほうが自分ももっとゆれたりできたのかなと感じた。でも、今年のライブ締めが ZAZEN BOYSでよかった。

 

12月12日
書評家の豊崎さんのTikTokerのけんごさんについてツイートしたことでいろいろと考えるのだけど、それをSNSに書くのは違うなと思った。揶揄してるのも違うし、老害とか言っている奴らの大多数がそもそもツイッターフェイスブック使ってる時点で中年とか老害だから、自覚してねえなとしか思えない。
たしかに読書人口を広めるためには入りやすい方がいい。だから、TikTokerが紹介することもすごく必要で大事だと思う。
その中でけんごさんが休止しますみたいなことをツイートして豊崎さんが炎上したわけだが、彼は見せるのがうまい人なのだから、傷つきましたということを表明して小説紹介やめますといえば、豊崎さんが炎上することはわかっていたはずだ。自分からは攻撃しなくても、その行動を取れば外野が勝手に攻撃してくれると思っていないはずがない。そこだけ気になった。
Twitterでやりあうのがいいとは思わないが、それぞれがエアリプのような形で応酬し、周りが勝手に引用リプやリプライで参加してしまう状況はよろしくない。ただ、正義か悪か白か黒でしか物事を判断できない、そういう形にしかならないSNSでやったってロクなことにはならない。
あと、一番の問題はけんごさん含め小説紹介のTikTokerや『アメトーーク』にフリーライドしている出版社が一番問題じゃないのかなって思うんだけど、そこはみんなどう思っているのだろう。
僕はTikTokも見たことないし(意図的にはない)、YouTuberもヒカキンって名前は知っているけど、いわゆるYouTuberと言われる人のチャンネルを見たことがない。見るのはミュージシャンのライブやMV、元テレ東の佐久間さんや水道橋博士さん、鬼越トマホークやさらば青春の光のチャンネルぐらい、あとはオールナイトニッポンの過去回とかラジオとか昔のものぐらい。
みんなそんなにYouTubeとかTikTok見てるんだなと不思議な気持ちにもなる。スマホの小さい画面で映像を見ることに耐えられない。あと無料であることで売り渡しているものについて考えてしまうから。単純にスマホにすべてが持っていかれることに危惧があって、ほんとうに森博嗣著『女王の百年密室』のミチルとロイディみたいなに人間とスマホがなってしまうのが怖いけど、みんな気にしていないみたいだ。

f:id:likeaswimmingangel:20211212183027j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211212183042j:plain© Wim Wenders Stiftung 2015

ヴィム・ヴェンダース監督『夢の涯てまでも ディレクターズカット』鑑賞。
287分の長尺。ヴィム・ヴェンダースレトロスペクティブとして公開された10作品のうち最後に観ようと決めてスケジュール組んで10作品目に観たのもほんとうによかった。

『夢の涯てまでも ディレクターズカット4Kレストア版』
1994/ドイツ・フランス・オーストラリア/カラー/ヨーロピアン・ビスタ/287分
出演:ウィリアム・ハートソルヴェイグ・ドマルタンサム・ニールジャンヌ・モロー笠智衆
1999年、制御不能になった核衛星の墜落が予測され、世界滅亡の危機に瀕していたなか、ヴェネチアからあてもなく車で旅に出たクレアは、お尋ね者のトレヴァーと運命的に出会う。目的不明の旅を続けるトレヴァーに惹かれたクレアは後を追うが、彼は父親が発明した装置を使って世界中の映像を集め、盲目の母親の脳に送り込もうとしていた……。世界を股にかけて繰り広げられるSF大作の完全版。

ロードムービー三部作や『パリ、テキサス』『ベルリン・天使の詩』だけじゃなく、今やレトロになってしまった『東京画』『都市とモードのビデオノート』辺りのビデオ画像、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』的な音楽も、全部入っていた。
休憩前のパート1はロードムービー的にいろんな都市を駆け巡る(東京も出てくる。こどもの城やカプセルホテルにパチンコ屋、竹中直人さんもカメオ的に)、パート2のオーストラリアはアボリジニ的な幻想的なものとコンピューター画像、なんかヴェイパーウェイヴが見た夢なのか?と思える。
『東京画』『都市とモードのビデオノート』で使ったビデオカメラ撮影手法が活きてる。音楽がRadioheadの『OK Computer』『Kid A』『Amnesiac』が流れていても違和感のないカオスでサイケな映像がかなり続く。
盲目の人に電気信号で映像を見せる実験がいつしか自分の夢を記録して小さな再生機で起きている時間に見るようになる。しかし、それが中毒になり、再生機を手放せなくなる。もう、スマホにしか見えない。
鏡は自己愛を増長していく、スマホはその最強装置だ。写真だけじゃなく映像も撮れる。今の世界は自己愛だけが高まり、敵か味方に白か黒かにわけるほうに加速してる。自己愛は中間を損なわせる。
映画が最初に公開されたのは日本だと1992年みたいだからバブルの最中かな。まだ、インターネットが普及してない。ここではないどこか、アメリカ大陸発見以降のフロンティアとしての宇宙開発戦争、冷戦は終わりフロンティアを宇宙ではなく精神世界、電脳空間に求めたことでインターネットが広まる素地を作ったはずだが、これ全部作品に入れちゃってる。
車移動としてのロードムービー、宇宙の話としてSF、インターネット的な夢を記憶し再生させる装置。30年後の今見たら予言的にしか見えない。でも、このディレクターズカット版は金かけて世界中を飛び回って、ヴィム・ヴェンダースがほんとうにやりたい放題してる。だから、パート2のカオスでレトロなビデオ映像的なもの見てたら笑いそうになって。最高だよ、やりたい放題、こういうもんが観たいんだよ。
作家が作りたくてたまんねえもんが形になってる。
時間とかフォーマット無視してやる。作家性とはほんらい暴力的で横暴なものだ。それを思い出させてくれた。みんなが欲しいものを、欲しがるようなものをマーケティングして作るとか愚の骨頂だよ。そんなものいつだって欲しくなかった。飼いならされたらそのわかりやすく作ったものが心地よくなる。スマホがいまはそれだから、距離は取らないとわたしがスマホと情報として搾取されるだけだなあ、と改めて。
ヴィム・ヴェンダースは物語と音楽の力を信じてるのが伝わってきた。それがわかる話でもあって、オーストラリアパートのジャム・セッション的な音楽は素晴らしいし、登場人物のひとりが再生機中毒になった主人公を取り戻すためにひたすら彼女の物語を書き続ける。ほんとうに今、この時点で観れてよかった。

 

12月13日
f:id:likeaswimmingangel:20211213144540j:plain
クロスゲーム』についての2回目は「四姉妹」の話にしようと思って、なんとなく作業BGMがてら是枝監督『海街diary』を流す。
キャスティングによるぼろガチ感が改めてすごい。
あだち充作品では「居候よりひとこと」シリーズという銭湯を営む家に主人公の青年が転がりこむ作品があって、それがおそらく最初にあだち充作品で書かれた四姉妹もの。あだちさんの地元の近所に美人な四姉妹がいて、それが印象に残っていたとインタビューで言われていた。
その後は『H2』の明和第一のマネージャーの小山内美歩が実は四姉妹の末っ子だったという設定があった。『クロスゲーム』ではヒロインが四姉妹の三女になっている。ストーリーが「逆『タッチ』」なのでヒロインの一人になるはずだった次女が亡くなってしまうのだけど、そういえば、四姉妹っていうと近年だと『海街diary』と思った。
若草物語』があるし、それを元にしたグレタ・ガーウィグ監督『ストーリー・オブ・マイライフ』は素晴らしかった。もちろん、谷崎潤一郎細雪』もあるし、なかにし礼の『てるてる坊主の照子さん』もあった。四姉妹だと日本だと季節それぞれに当てはめることができるっていうのもあるんだろう。
ほかに思い浮かぶ「四姉妹」って「ポッキー四姉妹」かなと思って調べたら、安藤(政信)くんが相手役だったような気がしていたが、そちらは奥菜恵さんとの「ポッキー恋坂物語」のほうだった。
ふと思い出したのだけど、うちのばあちゃんが四姉妹の三女だった。

f:id:likeaswimmingangel:20211213144616j:plain
『POPEYE』最新号立ち読みしてたら、松尾大輔監督『偽りのhappy end』の出演していた河合優実さんが出てて、そういえば水道橋博士さんのインタビューが掲載されてるなとペラペラめくってたら、「あれ、この子知ってるな」と思ったらドライブデートのページがBEBEちゃんと藤江くんカップルだった。赤い車だとクリスマス感もあるけど、今年だと映画『ドライブ・マイ・カー』な感じもしていい。
博士さんのインタビューは『POPEYE』ウェブ上で出てるものと一緒かな。で、そのすぐ後ろのページが元シャムキャッツの夏目さんの部屋紹介ページだった。夏目さんソロでは「summereye」っていう名義でやるのね。というわけですげえ久しぶりに『POPEYE』を買った。




浅草キッド』鑑賞。中盤以降、特に引きつけられて、ズルいよと思いながら何度も泣いてしまった。

 

12月14日
f:id:likeaswimmingangel:20211214131941j:plain
小雨の中、池尻大橋すぎて間に合いそうにないのでタクってタワレコ渋谷まで行き、そこから歩いてヒューマントラストシネマ渋谷が入っているココチビルへ。ヴィクトル・コサコフスキー監督『グンダ』を鑑賞。

ある農場で暮らす母豚GUNDA。生まれたばかりの子豚たちが、必死に立ち上がり乳を求める。一本脚で力強く地面を踏み締める鶏。大地を駆け抜ける牛の群れ。研ぎ澄まされたモノクロームの映像は本質に宿る美に迫り、驚異的なカメラワークは躍動感あふれる生命の鼓動を捉える。
そして迫力の立体音響で覗き見るその深淵なる世界には、ナレーションや人工の音楽は一切ない。ただ、そこで暮らす生き物たちの息づかいに耳を傾ける。普段誰も気に留めないようなその場所が、"無限の宇宙"に変わるー誰も観たことのない映像体験が待ち受ける。

ナレーションもないので説明もなく、音楽も農場で聴こえる自然音(車などが通る音も入る)だけであり、モノクロの映像はまさしく映像美だと感じさせるほどにキレイなものだった。
横になった母豚のグンダの乳を我先にと食いつく子豚たち、小さな小さな子豚たちは生命力に溢れていてほんとうに光そのもののようなエネルギー体であり、美しい。
農場にいる一本足の鶏の姿や集団で走り抜ける牛たち、そのフォルムはどうやってデザインしたのだろうと思えるほど、個性的で魅力的だ。しかし、神がデザインしたのか、と思いながらも、いや、自然界において生き残る術としての進化の最新版としてのその肉体があるのだと思い返す。
子豚たちも大きくなっていき、それぞれに顔や体の大きさや色などが変わってくる。それでも母の乳を求める。子豚たちと母豚の息や鳴き声が農場に響いていく。最後に子豚たちは農場のトラクターのようなものがもってきた箱のようなものに入れられて運ばれてしまう。母豚は小屋やその周りを何度も何度も回りながら、子豚が一頭もいないことに諦めようとしない、何度も何度も回り、大きすぎるその体を揺らしながら歩いて鳴く。彼女の光たちは失われてしまい、小屋の中へ入って母豚が見えなくなると物語は終わる。

 

12月15日
f:id:likeaswimmingangel:20211215212653j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211215212715j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211215215935j:plain
真造圭伍著『ひらやすみ』1巻と2巻を読む。なんだこれ、めちゃくちゃいい。
1巻の帯で田島列島さんの名前があるのもよくわかる内容でもあった。『水は海に向かって流れる』が好きだった人は確実に好きだろうし、あとはオカヤイヅミさんの『ものするひと』好きだった人もたぶん好きになると思う。
ヒロトは元俳優なんだけど、勝ち負けの世界があわずに辞めて釣り堀でバイトをしている。従兄弟のなつみは高校から美大に進学して上京してきたけど周りとうまく馴染めない。だけど、ひとり友達ができて徐々に東京の暮らしになれていく。彼女は漫画を描いていて実は漫画家になりたいという夢を持っていた。
と東京の阿佐ヶ谷でイトコの二人暮らしを中心に描いていくのだけど、エピソードがいいものばかり。
ヒロトの学生時代からの友人のヒデキのキャラもいいし、12回目の表紙のタイトルが「サマーフィルムにのっかっちゃって」とか最高だなあ、まさしく今年なタイトルだし、内容も『サマーフィルムにのって』とかかっている。
不動産屋で働くOLのよもぎも味があって、ヒロトとの距離感とか関係性がおもしろい。なんだかふいに笑ってしまうし、日常があたたかい。NHKで『阿佐ヶ谷姉妹』終わったら、これを続けて実写化しても何の違和感もなく受け入れられそうな。
真造圭伍さんって『トーキョーエイリアンブラザーズ』を描いてた人なのか、タイトルだけ知っていて読んだことなかったけど、読みたくなった。

生田ヒロト、29歳、フリーター。定職なし、恋人なし、普通ならあるはずの?将来の不安も一切ない、お気楽な自由人です。そんな彼は、人柄のよさだけで、仲良くなった近所のおばあちゃん・和田はなえさんから、タダで一戸建ての平屋を譲り受けることに。そして、山形から上京してきた18歳の従姉妹・なつみちゃんと2人暮らしを始めました。しかし、彼の周りには生きづらい“悩み”を抱えた人々が集まってきて……

 

12月16日
古川日出男・新連載】音楽が禁じられたアフガニスタンと「私」をつなげてみる
越境する力を恐れる社会、その居心地の悪さ


朝起きようとしてもうまく目が覚めない、そんな不思議な感覚があった。その間にも何度か短い夢のようなものを見た。なにかの誌面で名前が並んでいて、その中に自分の名前があったような、でも、最後に選ばれていないような、そういう字面を見たような、覚えがある。なにかの予見なのか、無意識化で作り上げたこれまで見たなにかの合成物なのかわからないが、なんだかリアリティがあった。

f:id:likeaswimmingangel:20211216201212j:plain
夕方すぎてニコラに行く。一階のパン屋の上にあるお店の窓ガラスの下にある看板というか正四方形のニコラの看板に明かりがついていた。一階のお店の営業時間の前につけないといけなかったり諸々でしばらくの間は明かりは営業時間になっても灯っていなかった。コロナがどうなるかわからないが、少しずつ前とはまるきり同じではないけど、日常が帰ってきてるように思えた。
苺とマスカルポーネのタルトとクリスマスブレンドをいただいた。

 

12月17日
昨日に引き続き夢を見た。眠りが浅いのだろう。今朝見た夢。
オードリー若林、呂布カルマ環ROY鎮座DOPENESS、と僕の五人で遊んでいるという謎の光景。
どうやら僕と呂布カルマが免許更新に行くというところでなぜか五人が集まって、坂道の多い町で遊んでいるというもの。免許更新はどうでもよくなって、知らない家に入ったりして遊んでいる。
どうやら僕はオードリー若林さんとは気心が知れていて、他の三人よりは会話が多い。
確かに寝る前には、『あちこちオードリー』の最新回をTVerで見ていたし、『Creepy Nutsオールナイトニッポン0』に呂布カルマがゲスト回をradikoで聴いてたし、最近は鎮座DOPENESSが組んでいるユニット「FNCY」ばっかり聴いてたし、その曲の合間には環ROYのアルバム『Anyways』とそこに収録されているRemix曲を聴いていた。
だから、無意識に脳が見たり聴いたりしてたものをミックスして見せた映像なのかなって思わなくもないのだが、夢の中で思っていたのが、「あっ、これ2回目だ」っていう。明日『マトリックス レザレクションズ』観るのが少し怖くなった。

 

12月18日
f:id:likeaswimmingangel:20211218180959j:plain
園子温監督のお誕生日だった。園さん今年で60歳、しかし若い。新作映画に関してのニュースで写真とか見てもやっぱり若く見えるなあ。20代とかかなり下の若い人たちと仕事をしているってのは大きいんだろうな。
「東京ガガガ」時代にいろんな人たちの夢や希望や熱狂や喪失や絶望や汗や涙や性液や経血や、若者たちから溢れ出したいろんな種類のものが園さんという杯の中に注ぎ込まれた印象があって、この時代を映画にしたのは『BAD FILM』だったと思う。
初期作品集のDVD-BOXに収録するために再編集していて、編集が終わったら編集に関わっていない人間の意見が聞きたいと真夜中に呼ばれた。で、編集全然終わらないで夜明け前ぐらいに編集が終わった『BAD FILM』観たのとか思い出した。あの頃はなんだったんだろうな、なんだか不思議な思い出だ。
25日からユーロスペースで公開される『エッシャー通りの赤いポスト』も役者志望の人たちを集めたワークショップから作られたインディーズ映画らしいので、初期の園さん作品の自主映画的な要素もあるだろうし、すごくたのしみ。
FBとかで人の誕生日とかのお祝いをしなくなった(自分の誕生日も表示してないので誰にも気づかれない)ので、園さんには久しぶりにラインしてお祝いを。公開初日の『エッシャー通りの赤いポスト』舞台挨拶のチケットを取って観に行こうと思う。



f:id:likeaswimmingangel:20211218130917j:plain
ラナ・ウォシャウスキー監督『マトリックス レザレクションズ』をTOHOシネマズ渋谷にて鑑賞。
たしかに第一作『マトリックス』の預言者の言ってたネオが救世主じゃないというのと辻褄合うんだよなあ。
マトリックス』トリロジーをトーマス・アンダーソン(ネオ/キアヌ・リーブス)がゲームクリエイターとして作ってることになってんだけど、今年『フリーガイ』というゲーム空間を舞台にしたモブキャラが自分はコンピュータープログラムであり、自分のいる世界は仮想空間であることに気づくという、現代的なリアリティを描いた素晴らしい映画があったから、『レザレクションズ』の世界がかなり古いものに見えちゃったとので絶賛とかはできない。
あと監督が性転換してるから、第一作作った時は男性だったけど、今作では女性になってる。前シリーズの監督を務めたウォシャウスキー兄弟がともに性転換してるからウォシャウスキー姉妹になっていて、リリーは今作作品に参加してないんだけど、彼が彼女になったからあのラストなのか、あるいは第一作の時点でどこまで今回のことは考えられていたのだろう。とある超有名なSF映画の何十年か後に作られたあの続編(『ブレードランナー2049』)みたいな終わり方なんだよね、救世主の存在が。「俺じゃなかったのか!」っていうオチというか。
まあ、最後に映像業界とか観客に対して皮肉を言ってるのはよかったな。

f:id:likeaswimmingangel:20211130132109j:plain
逢坂冬馬著『同志少女よ、敵を撃て』読み始め。アガサ・クリスティー賞受賞作で第166回直木賞候補作。アガサ・クリスティー賞って推理小説の新人賞だよな、冒頭と一章から一気に持っていかれてるけど、推理小説になるのか?
デビュー作で直木賞を受賞したら、『GO』の金城一紀さん以来になるのかな。

 

12月19日
f:id:likeaswimmingangel:20211219143042j:plain
濱口竜介監督『偶然と想像』をル・シネマで、満員だった。
ヴィム・ヴェンダースレトロスペクティブと『皮膚を売った男』があったから2ヶ月でル・シネマに12回来た。さすがに来すぎた。最低でも予告編を10回以上観てるんだけど、予告編からはまったく想像できない内容だった。
約40分の短編が3つ。連作短編とかではないから、3つの内容や登場人物たちがリンクすることはないけど、3作品とも笑い声がかなり出てた。
良質なコントとも言えるかもしれない。アンジャッシュのすれ違いコント(その元ネタはネプチューンになる前に名倉さんが組んでいたジュンカッツというコンビのネタだとオークラさんがラジオかなにかで言っていた気がする)にあるような登場人物たちの気持ちやセリフがある時点からズレていったり、気づかなかったこと、その差異で笑いが生まれていた。
基本的には画面に映るふたりのやり取りが展開されていく。そこに誤解や思い込み、会話から出てきてしまった感情や気持ちが相手に突っ込ませ、あるいは心の奥に触れてしまう。
観ていてすごくたのしかった。
付き合いが長かったり深い関係だから話せること話せないこと、知らないからこそ言える本音と見栄や嘘、そういうものがあった。自分の核みたいな、本人も気づかなかったり忘れたりしているものや、思い込んでいるもの内側に相手が触れたり、自分も相手に触れることができたら、それはたぶん人生でいちばん素晴らしい時間なんだろうけど、それはまさに偶然と想像からしか生まれない。
そんな人と出会えるかはわからない。でも、この世界のどこかにはいると思ったほうが気は楽だ。
年末年始に観るといいんじゃないかなあ、と思うのでオススメです。

 

12月20日
f:id:likeaswimmingangel:20211220195232j:plain
仕事終わってニコラでシュトーレンとアアルトブレンドをいただく。

「ことばと新人賞」が第4回からリニューアルというのは少し前に出ていたが、選考委員が編集長の佐々木敦さん以外に、江國香織さん、滝口悠生さん、豊崎由美さん、山下澄人さんと直木賞作家と芥川賞作家と書評家、男女率が3対2とバランスのよいメンバーになっていた。
応募枚数も原稿用紙30〜100枚だったのが、70〜200枚と増えている。この枚数なら芥川賞候補に入る長さということなのだろう。締め切りが4月15日なのでしっかり書いて応募する。

 

12月21日
f:id:likeaswimmingangel:20211221213508j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211221213523j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211221213537j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211221213555j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211221213611j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211221213626j:plain
豊洲駅に近い場所にあるチームラボ豊洲に誘ってもらったので行ってきた。場内では基本はすべての観客は裸足で進んでいく、普段ソックスに靴を履いているので足の裏の感覚が刺激されるのが新鮮だったし、エリアごとで匂いが違ったりするのも感覚を意識させるものだった。視覚への驚きもあるのだけど、そこからそのエリアごとのテーマに身体を没入させていく、境界線がなくなっていくような感覚になる。不思議だけど、わりと身体を使うのでそれなりに自分の体という枠をより意識した部分もあった。すごくたのしかったし、境界線がなくなるのはおもしろくもあり、やはり怖さもあった。

f:id:likeaswimmingangel:20211221204603j:plainf:id:likeaswimmingangel:20211221204616j:plain
古川日出男著『平家物語 犬王の巻』文庫版をGET。来年映画公開ということもあるし、1月からはフジテレビの深夜枠でアニメ『平家物語』も放送される。
文庫版の解説は池澤夏樹さん。池澤さんが「個人編集 日本文学全集」を編む際に『平家物語』現代語訳を頼むなら古川さんしかいないと編集部に言ったことで、実際に古川さんが現代語訳し、それがなければ、『犬王の巻』はそもそも生まれていなかった。だから、とても正しいというか真っ当な解説になっている。解説では湯浅監督の映画には一切触れていない。
映画化するから文庫を原作として刷るのはメディアミックスとして当たり前だし、ある時期までは宣伝も帯だけだったものが次第に全カバー帯みたいになって、映像化した際のメインビジュアルが元の装丁を覆い隠すようになってきている。
海外の映画祭などでもかなり好評な映画『犬王』だが、まさかこれがメインビジュアルなのか、これはダサいけどこのままなのか?
もともとの『犬王の巻』の装丁イラストは松本大洋さんで、カバー外すとあるんだけど、「犬王」松本大洋描き下ろしアートって前に発表してたけど、あれがメインビジュアルでよくない?

 

12月22日
「ビュロー菊地チャンネル」のブロマガ<菊地成孔の日記 2021年12月22日午前7時記す>が配信されたのを読む。


日記は「何か全てが遠い過去のようだ。僕は神田沙也加氏とスパンクハッピーをやろうとして動いたことがある。まだマネージャーが長沼ですらなかった頃だ」という文章から始まる。
僕は現在のファイナルスパンクハッピーしかライブも音源も聴いていないので、かつての「スパンクハッピー」がどういうものだったのかはわからない。ラジオなどで何度か触れられているからなんとなく知っているというぐらいだ。

僕は諦めた。当時から僕は、彼女が生きているだけでキツイだろうな、とは思っていた。彼女以上に突き抜けてダークサイドを感じた女性は、のちの宇多田ヒカルさんだけだ。

ピカピカに輝いて、元気いっぱいで、とてつもないスキルを完全にコントロールしていても、「この人は生きていて辛いだろうな」というメッセージをキャッチするアンテナが僕にあるのは確かだ。宇多田さんは全く辛そうではなかった。宇多田さんの悲しみは結晶化していて、憂いに血が通っていなかった。

二組の母と娘の物語でいえば、沢木耕太郎さんによる藤圭子さんについて書かれたノンフィクション『流星ひとつ』があり、彼女の母親、宇多田ヒカルの祖母の話も出てくる。現在の世界では宇多田ヒカルを知らない人はあまりいないわけだが、そのおかげで書かれていない孫娘まで連なるサーガとして読者には読めてしまうものにもなっている。
松田聖子さんについてはどうなのだろうか、そういう書籍とかがあるのかは知らない。でも、wikiで少し見てみた家系や両親の教育方針なんかは抑圧にはなったのだろうとも想像もできる。天才は家族の抑圧と隠し持った欲望の発露として現れる、という。それはなんとなくわかるような気がする。家族ではなくても、それが国家や社会に置き換えてもいい。
しかし、天才だったり、時代を象徴する、時代を変えてしまった才能たちの子供が引き受ける、生まれながらに刻まれたものは想像を遥かに超えているのだろう。しかも、そんな子供たちは同じ境遇のような人がほぼいないに等しいわけだから、傷を舐め合うことも難しいのだろう。

菅田将暉オールナイトニッポン

2022年3月で菅田将暉が「オールナイトニッポン」を卒業すると生放送で発表していたらしく、なにも知らずにradikoで聴いてびっくりした。コロナになってからまたラジオをradikoではあるが、聴きながらリモート作業するようになったことで、聴き始めた番組のひとつだった。
3月まではもうワンクールあるけど、裏が伊集院光さんの番組だとしても、「オールナイトニッポン」の枠がひとつ空くわけで、ほかの「クロス」「ゼロ」の枠の人が上がってくるのかもしれないし、急に誰かがこの枠をやるのかもしれないけど、リスナーによって好きな声嫌いな声、合う声合わない声っていうのがあって、そのパーソナリティーの声次第で次の人で聴くか聴かないは自然と決まってしまうんだろうな。

 

12月23日
f:id:likeaswimmingangel:20211223151219j:plain
江國香織著『きらきらひかる』を読み始める。タイトルは知っているけど、読んでなかったシリーズというか。最初に単行本が出たのが1991年で30年前。その頃はゲイという言葉は使われていなかった。主人公の笑子の夫である睦月は同性愛者だからホモという単語が使われている。当事者である睦月自身がホモと言っている。時代は変わる。でも、30年前の作品がいまだに文庫の棚にあるということの凄さを改めて感じる。

アトランタ』シーズン3と4を見るために「Hulu」に入るしかないのか。めっちゃ見たい。

渡辺ってめちゃくちゃ面白いんです。大喜利トークもネタも、全部完璧に高いレベルでできるヤツなんです。コイツ(長谷川)は、ただのゴミカス(笑)」だと2人の関係性を解説し、「たぶん、渡辺はとりあえず、まさのりにスポットをあてて、そのうち(長谷川のターンが)落ち着いたら俺が行こうかくらいに思ってると思うんです」と分析。先に目立つほうが脚光を浴び、その後ゆっくり「じゃない方」が確かな地位を確立していったオードリーやフットボールアワーの例をあげるも「それはあの方たちが若かったから」と小峠は注釈を挟みつつ、「40超えたおっさんが様子見るな!」と一喝。「悔しいんです。コイツの面白さが世間にバレてないのが!」と語る。
『お笑い実力刃』(テレビ朝日、9月15日)でも渡辺を「影のバイきんぐ」のような存在だと紹介。必ず新ネタを作った際は渡辺に見てもらい「もっとなんかない?」と、ダメなところや、ボケなどを相談していたと明かす。実は『キングオブコント』の優勝ネタのひとつ「自動車学校」の中のタイムカプセルの中から車の鍵が出てくるというボケは渡辺の発案だそう。ザコシショウの単独ライブも手伝っており、いわば「SMAの頭脳」だと評す。

『あちこちオードリー』で実は渡辺さんはオードリーのふたりと同学年で芸人としても同期で、日大付属のラグビー部同士なので高校時代に対戦している可能性についても話していた。小峠さんたちが「SMAの頭脳」だと言っているのを見たこともある。遅咲きと言われているが、結成して10年で王者になったのだから、やはり努力もあってもその才能はすごいのだろう。あと人柄もすごく慕われているのもわかるし、こういう人たちは一回上がれば強いんだろうな。


仕事をしながら『お笑い実力刃』の最新回をTVerで見た。ボキャ天で活躍した「フォークダンスDE成子坂」について特集をしていた。コンビを組んでいた桶田敬太郎さんと村田渚さんはどちらもすでに亡くなっている。
僕も当時テレビで見ていて好きだった芸人さんだったが、番組では爆笑問題の太田さん、ネプチューンくりぃむしちゅーの有田さんなど当時一緒に活躍していた面々などが彼らのコントや笑いに対して素直な感想を言っていた。フォークダンスDE成子坂綺羅星のような才能だったが、わずか9年でコンビは解散している。
天才と同期だけではなく先輩や後輩にも影響を与えた彼らがコンビでなくても生きていれば、個人でも彼らのように帯番組を持ったり司会として才能を振るったであろうとコメントされていた。
錦鯉とフォークダンスDE成子坂はどちらがいいか悪いかとはいえない。ただ、笑いを目指して世に出たということだけでもすごいことだ。芸人として生き延びること、戦い続けること、あるいはフォームを変えて違う笑いや創作に向かうのもその人それぞれだし、人生がある。人がなにかで夢中になって輝ける季節は年齢どうこうではないのだろう、その瞬間のような時間をリアルタイムで見ることができるとしたら、とてつもない幸福なことだ。

 

今年はこの曲たちでおわかれです。
古川本舗「yol feat.佐藤千亜妃 (Music Video)」


D.A.N. - Fallen Angle (Official Video)



サカナクション / プラトー -Music Live Video-



CHAI ACTION (with ZAZEN BOYS) - Official Music Video