あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いいたします。
限られた 止まらないこの時を
確かめた ほら互いの喜びを
急かされて ただ帰る夜道今日も
目が覚めて また互いの日常を始めよう
始めよう
『PROM NIGHT』より(フルサイズ↓)
http://gyao.yahoo.co.jp/player/00091/v10145/v0994000000000543099/
古川日出男著『サマーバケーションEP』
http://www.kadokawa.co.jp/product/200909000004/
去年はヴィレッジヴァンガードで西島大介さんのエンドレスサイン会からの年越しDJまほうつかいライブに行ったのでやらなかったのですが、二年前、三年前の元旦に古川さんの『サマーバケーションEP』の舞台を歩くのをやりました。この小説は井の頭公園から神田川が始まります、源流があるのですがその川沿いを歩いていって隅田川へ、そして晴海埠頭(東京湾)まで行くという内容です。それを聖地巡礼というわけではないですがやってみようというものでした。最初にしたのは08年だったと思います。古川さんの『ベルカ、吠えないのか?』文庫が出た時にはその時のことを書いたブログのコピーをお渡ししたので。
その時は春にしていたので『スプリングバケーションEP』(http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20080428)という名前にしていた。元旦だし二年ぶりにやってみようと思って朝六時に起きてまずは下北沢に向かった。井の頭線に乗って井の頭公園駅まで電車で。外はまだ薄暗かった。
下北沢駅にて
井の頭公園入口
三鷹台駅で早々に川沿いを歩けなくなるので少しだけ町の中を進む。
隅田川まであと23キロ。
三鷹市から杉並区に。
高井戸駅あたり
隅田川まであと20キロ。
三鷹市→杉並区→中野区→新宿区に。
いわもとQて24時間なのね。昔、TBS近くにあった店に黒幕と鳥山さんとチャーリーでLife前に行ったきりだ。
脳内にカーペンターズ流れてくる
文京区に、関口芭蕉庵。
江戸川駅を過ぎて。
飯田橋。
『サマーバケーションEP』では東京ドームにあるラクーアで温泉に浸かるんですが、はじめてのときに浸かって出たらドッと疲れを一気に感じたのでやりません。
『水道橋博士のメルマ旬報』は年末の12月25日配信でvol.100のはずだから絶対に原稿落とさねえ、一度も休載してなくて百回全部掲載できるのは博士さんと僕ぐらいしかおそらくいないから。
https://bookstand.webdoku.jp/melma_box/page.php?k=s_hakase
御茶ノ水。
柳橋。神田川源流から五時間ちょいで隅田川。まあ、悪くないペース。ここで実家に年始のご挨拶な電話をする。川を描いているおじさんがいた。
両国橋とスカイツリー。
中央区らしい。
『三月のライオン』でおなじみの中央大橋。いざ月島に。
月島駅。ここから晴海ふ頭公園がわりと遠いのだ。
さすがだけど元旦早々からもんじゃ食べるために並んでるのね。家族連れで正月早々にもんじゃ食べる町。
たぶん、八年前ぐらいにこれを初めてやった時にはここにはオリンピック施設予定地だった。落選しその後その看板は撤去された。
井の頭公園の神田川の源流から川沿いを歩いて隅田川南下して晴海ふ頭公園、つうか東京湾に。
東京湾に。『ウインターバケーションEP 2016』終了。あとは帰るのみ。護岸工事しててT字になってるとこには行けなかった。
十返舎一九墓。
勝どき駅。
下北から井の頭公園までは三十分弱電車に乗ってたから差し引いたら七時間半ぐらい歩いてた。フルマラソンを歩いてたようなもん。『ウインターバケーションEP 2016』完了。
古川さんの小説の世界を歩いているんだけど、古川さんはもちろんこの道を歩いて書かれているのがよくわかる。そして川はいくつか合流しやがて海に注ぐ。神田川沿いはグネグネというか町の中をまっすぐではないのでいろんな区を通りながら町を通過していくのでおもしろい。隅田川は大きすぎて川沿いを歩くと面白みはない。だから小説の中でも隅田川以降はあまり書かれてないんだと思う。
川沿いを歩いているんだけど、実際なにをやってたかと言われたらたぶんそれは、元旦の今年最初の太陽の光を浴び続けているようなものだ。ずっと歩いて歩いて歩いて東京湾に向かっていく。光だけがあり、もちろんその光によって作られる影がある。太陽を全身で浴びていると太古の世界ではこうやって太陽の光を浴びることが神聖な、日常生活と深く関わっていたのだと思うし、信仰というものはそうやって生まれていったのかもしれないとすら思う。
去年はお世話になりました。2015年は園さんのおかげで、いや棚から牡丹餅状態で編集協力した園子温監督エッセイ&詩『受け入れない』と園さん原案&僕がノベライズ書かせてもらった『リアル鬼ごっこJK』が出ました。
運が良すぎるということは自分でも十二分にわかってます。しかし、その時、その場所に居ることが人生において、その後の関係性においてどのくらい大きすぎることなのか、たまたまだけどそこに居たということが人生の次への展開(ステップ)に導くということは体感としてあります。
出会った人たちがそのジャンルでどんどん活躍していくのを見ていると僕は『多重人格探偵サイコ』の笹山のようにただの傍観者でしかないのかと時折思ったりもします。しかし、傍観者だからこそ刻める言葉や想いもあるはずです。
来年はもう単著を出すしかないんで、もう三冊ぐらい出すつもりでやっていきます〜。来年の年末にはバイトも辞めてたいし、「今年一冊も重版かかんなかったわ」と言ってたらマジで酒奢ってください。
『太陽』
眩しくて目を閉じると見えない、ただ感じている。熱さや強さを。
影が出てきて伸びて、ついてくる。分身にもならずに僕の名残惜しさみたいに。
だけどね、光の速度で祈ってみようと思うんだ。思ったんだ。
祈るってことはそれだけで強い愛、いや僕は愛なんてものはわからないから違うのかもしれない。
でも、限りなく愛に近いそんなものだ。と言い切りたい。
青空に浮かぶ太陽に届くほどの祈りはイカロスの羽のように溶けてしまうか、
しまうのならば溶けて落ちてきたロウでLOVEって形作ろうか。
でも、愛とLOVEってなにかが違っている、気がする。
たぶん、意味あいが違うのさ、だけどその意味の違いを僕は知らない。
いつか祈りが届いたらその時は、また目を閉じる。
想いが、空に溶けて、太陽に照らされて輪郭だけが、ただ、ある。