Spiral Fiction Note’s diary

ライター&Webサイト編集スタッフ。「水道橋博士のメルマ旬報」で「碇のむきだし」、「週刊ポスト」で「予告編妄想かわら版」、「PLANETS」で「ユートピアの終焉ーーあだち充と戦後日本の青春」を連載中です。

Spiral Fiction Note’s 日記(2021年4月24日〜5月23日)

水道橋博士のメルマ旬報』連載「碇のむきだし」

ずっと日記は上記の連載としてアップしていましたが、5月からは「碇のむきだし」では短編小説(原稿用紙80〜100枚)を書くことにしました。そのため、日記というか一ヶ月で読んだり観たりしたものについてものはこちらのブログで一ヶ月に一度まとめてアップしていきます。


4月24日f:id:likeaswimmingangel:20210522225841j:plain萩尾望都著『一度きりの大泉の話』読了。

「花の24年組」や少女漫画版「トキワ壮」としての「大泉サロン」というカテゴライズやジャンル分けをしないでほしい、という当事者の声。デビュー当時の人間関係とその過去の出来事と記憶、そこから繋がる現在について。

知ってるつもりの歴史が変わっていく。いやあ、これは萩尾望都竹宮恵子をメインとしたドラマや映画は絶対に無理だわ、ちょっといつか朝ドラとかにしてほしいって思ってたんだけど。もし、できるとしたら当事者が亡くなったあとに親族が許可出してどちらか一方の方を元にしたものじゃないと話にもできないなって読み終わって思った。

素晴らしい創作者はその作品ですべてを語ってきているわけだけど、しかし、その人物がある時代を作ったり代表するとして、双方というかひとりではなくふたりであったりするとややこしくなってくる。まず、それぞれの主観がある。その一方が書いた個人史や手記はそのジャンルにおいてはある種正当な歴史書とされやすい。もう一方がそれを認めていなかったり、なにかで仲違いしてしまっていると間違いなく総合性は取れない。というか主観同士のぶつかり合いになるので同じ出来事でもズレや違う記憶になっていたりするのが普通なのだけど。

竹宮さんの『少年の名はジルベール』をすでに読んでいると、よりその断絶というか溝の大きさにびっくりする。そして、さらに話がややこしいのは増山さんという人物がいることだろう。「花の24年組」や大泉サロンと呼ばれるカテゴライズの時には切っても切れない存在であり、竹宮さんのある種ブレーンのようになった人でもある。
萩尾さんはある時期に竹宮&増山コンビに距離を取られるような出来事が起こり、それ以来竹宮作品を一度も読んでいないし、『少年の名はジルベール』すら読んでいないと語っている。そして、噂だけが回り、その甘い蜜を運ぶのは編集者や関係者であり、より物事が複雑化していってしまったようにも思える。

今回出版されたこの本は、もうわたしに「花の24年組」「大泉サロン」「少女漫画革命」や竹宮恵子先生について、ドラマ化や映画化したいとか聞いてこないでください、わたしは関係ありません。という意思表示であり、そのことを50年近く封印していたのに、『少年の名はジルベール』が発売されてから周りがどんどん騒がしくなったことへの抗議でもあった。

僕は「PLANETS」のブロマガで連載中の『ユートピアの終焉――あだち充と戦後社会の青春』(あだち充論)であだち充さんが「少女コミック」にいた時代のことを調べるために、『風と木の詩』や「ポーの一族」シリーズなどを読み返したり、少女漫画史みたいなものを読んで参考にしたけど、この『一度きりの大泉の話』が出たことで「少女漫画史」についての語られ方はこの先どうしても変化してしまうだろう。

萩尾望都作品は「少女漫画」であるが、「BL」の始祖ではなくもっと「SF」の側で語るような流れに今後はなっていくのだろうか、ご本人的にはそちらが希望だろう。明らかにこれを読むと萩尾さんは竹宮さんや増山さんや集まってきた漫画家志望や友人たちが美少年やゲイの関係性に萌えていたけど、その少年愛的なものには興味がなかったのもわかるし、「SF」が大好きで、そういう話をできる人はあまりいなかったという話もしっかり書いている。
両雄並び立たずというか。萩尾&竹宮の関係性をこうやって読んでみると同じ小学館でほぼ同時代か少し遅れてデビューした「少年サンデー」が誇る2大巨頭となったあだち充高橋留美子の関係性は最高だったんだなと改めて思う。


4月25日f:id:likeaswimmingangel:20210522230328j:plain      
 ノンフィクションの取材をしていると、人間の記憶はあてにならないことを痛感する。時系列の順番を間違えることはもちろん、自分の都合の悪いことは忘れる、あるいは記憶を書き換えることも少なくない。また、思い込みによる事実誤認もある。こうした場合に厄介なのは、本人に自覚がないことだ。人に説明を繰り返すうちに、間違った事実関係が頭に強く刷り込まれて、しっかりと定着していることもある。
田崎健太著『真説・佐山サトル タイガーマスクと呼ばれた男』より

去年の夏、古川日出男さんの福島県での歩行と取材に同行した際に、メディアによく出ていると震災やその経験などを話をすることに慣れてしまって本人がその物語通りに語ってしまう、あるいはメディアが求めたフォームに沿ってしまうという話があった。そういうこともあって、できるだけ二時間以上は話を聞こうということになった。そのぐらい時間をかけて話を聞かせてもらって、ようやくふと本音であったり、それまで話していなかった言葉が相手から出てくることがあるからだ。
『ゼロエフ』にはそうやって聞かせてもらった本音だったりはあえて書かれていなかったりはする。それはとても個人的なことやメディアに乗せるべきではない思いや気持ちだったから。聞いたということは書けるけど、その内容については書かないという判断だった。
人前で話す機会が増える人は、話すことである意味で内容が整理され取捨選択され(相手が望むものや自分が言いたいこと守りたいこと)、それを何度も言い続けると記憶は書き換えられていく。たぶん、ほとんどの人がそういう立場になると起こりうると思う。
自分ではなく他人が言っていたことを自分が言ったことと記憶するようなことが起きる。そのため、当事者同士の話を聞いていくとズレや差異が出てくる。思い込みや思い間違い、誤解や誤認は時間が経てば経つほどにほどけなくなってしまう。『一度きりの大泉の話』と『少年の名はジルベール』を読んでみれば、同じ大泉サロンで起きたことだと思えないように。 


4月26日
朝から晩までリモートワーク。14時ぐらいに休憩で銀行に行ったら人がかなり並んでいたので諦めた。
朝から晩までradikoオールナイトニッポンとTBSジャンクの番組を聞き返していたけど、途中から元テレ東の佐久間さんのオールナイトニッポンの昔のものをYouTubeで聞き返すことにした。
ゲストが極楽とんぼの山本さんだけ(加藤さんはインフルで休み)とか千鳥の二人がゲストとか、テレ朝の加地さんの時とか。佐久間さんがもともとラジオ局入りたかったというのもあるんだろうけど、ほんとうに話すのがうまいし、時事ネタに合わせたトーク力がすごい。聞きやすい声の質ってあるんだろうし、自分に合う合わないというのもあるよね。


4月27日f:id:likeaswimmingangel:20210522231456j:plain起きてから洗濯機を回して、ほんとうは昼過ぎから予定していたことが緊急事態宣言で一旦なしになったので、どうこの休日を過ごそうかなと考えていた。休業になっていない本屋で近くにあるところだと代官山蔦屋書店なので散歩がてら歩く。なんだか歩いて近づいていくとどんどんこんな時だから高い本を買いたいという状態になった。
GWで唯一たのしみにしていたライブ「MATSURI SESSION」(NUMBER GIRL × ZAZEN BOYS)が開催中止(無観客有料生配信に変更)になってしまった。来週以降にはチケ代が返ってくるので(しかし、8,800円のチケがもろもろ手数料とか取られまくってほぼ1万って、前から思ってるけどどうかしてるぞ)その金額とほぼ同じになるピンチョンの『重力の虹』上下巻を購入した。約一万円。いい買い物だ。紙袋に入れてもらうとずっしりとした重さがある。GW中に読めるとは思わないがどこか家に置いておくだけでお守り感。この期間で読めるとは思えないが、この手の本は勢いがないと買えない。
ピンチョンはなんか読んでいると最後に辿り着く前に諦めてしまう。脳味噌が沸騰してしまうというか、知識が足りなさすぎてついていけなくなる。そういう意味でもうまくギアチェンジができない、ピンチョンの書くものに僕がうまくハマらないのか、と思うがこういうものは慣れでもある。
とりあえず、5月〜10月は執筆モードに入るつもりなので、SNSは宣伝モードにしていこうと思う。この半年間かけて途中で読むのを諦めたものも含めてピンチョン読んでみるつもりだったけど、5月末には新刊『ブリーディング・エッジ』が出るのでそちらもたのしみ。

昼過ぎから読書を始めていたら、一通のメールがきた。
自分でも少し思っていた事柄で、こちら側としてもすごく申し訳ない気持ちになったりした。メールして送る方がきっといろいろ考えたのが伝わるので、より思いが伝わってきた。これがひとつの大きな転機とかきっかけになるのだろうか。きっかけにしたほうが僕にはよいということだけはわかった。

ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』は毎回エンディングのコラボ相手を変えてきてほんとうに凝ってる。『コントがはじまる』『今ここにある危機とぼくの好感度について』と今クールは最後まで追いかけたい作品がたくさんあるからうれしい。
五月から十月ぐらいまではまずは体力つけて基礎しっかりやらないとたぶん来年以降ヤバそうな予感がする。半年は集中しよう。コロナ禍だから停滞期なのかどうかがわからないのがネックだけど。


4月28日
「PLANETS」のブロマガで連載中の『ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春』最新回が公開。

 今回は『H2』の第四回(最終回)は主人公の国見比呂とライバルの橘英雄について。超高校級選手である国見比呂と橘英雄は高校時代に『COM』に投稿した漫画が掲載され佳作になったあだち充でもあったんじゃないか、ということなんかを書きました。この同時期に『COM』に投稿作が掲載されていたのがのちに『風と木の詩』を描く竹宮恵子さんだったりする。
このあと長期連載は『KATSU!』『クロスゲーム』なので終わりが見えてきた。最後まで行ければ、『QあんどA』になるのだけど、『KATSU!』以降は兄のあだち勉さんが病気になって亡くなるのでその気配が作品にも出てくる。
死んだ兄の幽霊と共に過ごす『QあんどA』という作品で漫画の世界に自分を引っ張ってくれた兄とのお別れをしたからこそ、『MIX』に行けたみたいな流れが軸になっていくのかな、と思う。

f:id:likeaswimmingangel:20210522230535j:plain休憩中に銀行に向かっていると、少し前を歩いている女性がまったく同じスニーカーを履いていた。男女で違うとしたらサイズぐらいなものだが、間違いなく同じなのがソールの裏側とかが足が上がる時に見えるのでわかる。こちらは後ろにいて見ているが、女性はもちろん後ろに同じスニーカーが歩いているとは思っていない。少しだけ追い越す時に目線を女性がいる右側ではなく左側の斜め四十五度ぐらいを見ながらガシガシ進んだ。その女性が同じだと気づいたかどうかはわからない。
あと、この「スペースヒッピー」というサスティナブルなスニーカーは、ナイキのスニーカーの廃棄になったスニーカーのソールを元に再構成したりしている。たまたまピンク色だけど蛍光の黄緑みたいな感じもいいなと思って購入して、去年の阿武隈川沿いはこれで歩いた。このカラーリングって『エヴァ』のマリと8号機だよなって最近気づいた。


4月29日
朝から雨が降っていた。人は水でできているし、水を放出して飲み込むことができる。たとえば、セックスは入り口と出口、一本の管である人間がそれらの先端をいじったりこすったりして性的な興奮と熱を感じ、汗も唾も精液も尿もそれらの体液が溢れ出て濡れる。そのことは体が触れ合うとより他人であることを感じさせ、肉体をなめらかに滑らせていく。
管と管による熱の放出とともに水分を、液体を放出して、いつか涸れる。滑らなくなっていく。雨が濡らす世界は輪郭が少しだけボヤけていくから、どこか心地良くて芯をとらえないほうがいいのかもしれないと感じる。
雨はずっと降っていて、日が変わる頃にも強くつよく降っていた。ただただ濡らしていく。この日、たまたま避妊リングをしているという人と少し話をしたのだけど、そういう知識はなかったのでとても新鮮だった。そもそも排卵が止まるのだという。なにか示唆的なものがあったような気がするけど、それがなにかはまだわかっていない。

f:id:likeaswimmingangel:20210522231059j:plainハオ・ジンファン著『1984年に生まれて』読了。
思いの外読むのに時間がかかった。どうしてか読んでいるとその世界にうまく入れずに異様に眠くなってしまったことが何度かあった。
主人公の軽雲が父の沈智がロンドンやアメリカに渡って、会いに行ったところぐらいから少しずつ内容にシンクロし始めることができた。もともとこの小説を勧めてくれた友人は僕が大叔父で初生雛鑑別師の物語を書こうと思っていたことを知っていたのもあったから、オススメしてくれたんだと思う。その大叔父もアメリカとイギリス、最後は北アイルランドに渡って日本には帰ってこなかった。その参考にもなるんじゃないかと思ってくれたのかなと少し思った。
この作品では娘と父それぞれの対照的な生き方と中国という国の変化を、それぞれの物語が交差していく描き方をしている。そして「自伝体」小説と書かれている意味も、帯に「ジョージ・オーウェル1984』は、ありうべきもう一つの結末である」ということも最後まで読むとわかるのだが、正直そういう終わりである種SF的な形にしているのは、そこまで好きじゃないなと感じた。

たぶん、僕が好きな次元や空間を越えるものだと『インターステラー』的なものであり、日本において漫画でそれをやっているのは浅野いにおさんの『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』だと思うのだけど、確かにそれらは絵的に映える方がやりやすいものでもある。
となると僕が大叔父をモデルにして一度書いたがうまくいっていない『Spiral Fiction Notes』も複数形にしているように大叔父と主人公の僕の代わりという二世代を描こうと思っていた。
小説でやるならそのほうがやりやすいのだというのもこの作品は示していたようにも思えなくもない。しかし、やっぱりこの形式でやると歴史的な背景をかなり調べた上でどこをフィクションにするかしないか、使うか使えないかを慎重に考えないといけないから大変だ。


4月30日f:id:likeaswimmingangel:20210522231215j:plain昼過ぎに休憩時間をちょっとオーバーしてしまったけど、歩いて往復して蔦屋代官山に行って宮台真司著『崩壊を加速させよ 「社会」が沈んで「世界」が浮上する』を購入。冒頭の「アピチャッポン・ウィーラセタクン論」を読むと「森」がキーワードになるみたい。園子温作品も何作品か取り上げられている。園作品には『愛なき森で叫べ』というまさに「森」がタイトルについているものもあるが、こちらは書籍では取り上げられていない。この本で取り上げられている作品は八割方観ていた。

劇場で観てずっと余韻を残してくれた『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』も長い論考で書かれているのでたのしみ。黒沢清監督との対談と、ダースレイダーさんとの対談も追加収録されているのもけっこううれしい。版元のblueprintは「Real Sound」のメディア運営しているのもあって、菊地成孔さんといい、宮台さんといい、僕が気になる映画評を書いている人の書籍が出ていて、きちんとウェブでの連載が書籍という形になっているなと思う。

今日見てつい笑ってしまったAVのレヴュー↓

色白で形が良く、ハリも形も申し分ない素晴らしいオッパイ!
でもさー…なんでパイズリねーの?忘れちゃったの?
パイズリのこと、忘れちゃったの?
ねぇ…何で?何でパイズリないの?
彼女のスタイルをみたら、マストでしょ?パイズリ。
マストパイズリでしょ。
ねぇ何で?簡単なことでしょ?〇〇(←男優名ですが伏せます)。何で?何で出来ないの?
しっかりしてよ。もう男優長いでしょ。
アンタ、twitterに地下アイドルみてーに「欲しいものリスト」掲げてるけどさ。
俺はパイズリが欲しかったよ…。でもお前は俺にくれない訳じゃん。パイズリを。美巨乳を前にしてパイズリすらくれない男優がさ、世の中にむけて「プロテイン」やら「ワイヤレスイヤホン」やらおねだりしてさ。恥ずかしい事だと思うよ。俺はね。
タトゥー彫りなよ「パイズリ」って。
上腕二頭筋に。もう二度と忘れないように。

「タトゥー彫りなよ「パイズリ」って。」というキラーワード。これをドラマ『コントがはじまる』に出演している仲野太賀が言っていたらめっちゃおもしろいしハマるんじゃないかなって想像してしまった。それと「パイズリ」って言いたいだけかと思えてくると余計に笑ってしまう。


5月1日
f:id:likeaswimmingangel:20210522231615j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210522231627j:plainニコラの10周年目だったのでお店へ。ショップカードも新しくなっていた。通常営業はせずにお店の常連さんたちとのんびり過ごす。時たま皿を洗ったりとヘルプ。樋口一家は来なかったけど、きちんとお花を出していて、樋口さんエラいと久しぶりに思った。
いろんな人と話もできたし、身内だからこそのアットホームないい時間を過ごせた。


5月2日f:id:likeaswimmingangel:20210522231728j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210522231737j:plain先日、「e-hon」で頼んでいた田島昭宇著漫画作品集『Baby Baby』を渋谷の大盛堂書店に取りに行っていた。起きてから読み始める。
基本的には90年代後半に発表されたものなので大半は過去に読んでいたものだった。絵のカッコよさや描かれているものにどこか懐かしさも感じるのは、田島さんが巻末に収録されているインタビューで答えているように当時の映画などからのインスパイア的なものがあるからなんだろう。

発行者が「株式会社小学館クリエイティブ」の三上信一さん。「PLANETS」で連載している『ユートピアの終焉――あだち充と戦後社会の青春』でも『タッチ』の二代目担当編集者でもあり、あだち充作品に何度も出てくるのが三上さんである。『タッチ』編は全部で5回書いたので、三上さんにはメールで送って読んでもらった。その方が発行者に名前があるのはどこかうれしい。
田島さんには「水道橋博士のメルマ旬報」で連載していた「岩井俊二園子温の時代」でイラストを描いていただいた。毎月大船の居酒屋で描いてもらったイラストを受け取りに行って、そのままお酒をご一緒させてもらってファン冥利に尽きまくったこともあった。ほんとうにありがたかった。田島さんは『魍魎戦記MADARA』連載時からのファンなので30年近く読ませてもらっている。今回小学館から出たということもあるので、新作も小学館で連載したりするのかもしれない。新作を待ってます。

f:id:likeaswimmingangel:20210522231821j:plain16時から20時までニコラ のヘルプだったが、15時前にユカさんからラインが来て、燃え殻さんが来てるから早く来れたらおいで、と言われたので少し早めに家を出た。
お店に行くと10周年のお祝いの花を持ってきた燃え殻さんと音楽ライターの兵庫さんがカウンターにいらしていた(よく考えたら燃え殻さんのデビュー作『ボクたちはみんな大人になれなかった』文庫版の解説は兵庫さんだった)。オープンまでの一時間ほど話をして、お二人は帰って行った。
燃え殻さんの次に出る小説の装幀の話をしていたら、それに関わっている人がニコラ のお客さんだったこともあって、いろんなつながりや縁も感じた。その後にお店という場があるこその奇跡みたいないい再会の場面に居合わせてもらえた。ニコラの2人もほんとうにうれしそうでよかった。


5月3日
宮台真司著『崩壊を加速させよ 「社会」が沈んで「世界」が浮上する』の続きを読んでいると『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』の論考に入った。

1.社会が没人格的なシステムのマッチポンプとなり、言葉と法が支配する社会がクソ化する。
2.すると、相対的快楽しかない社会から、絶対的享楽がある世界への、離脱願望が生じる。
3.離脱後に世界から社会を視る再起的視座にとって、社会が奇蹟として現れる。
4.但し無条件ではなく、社会の軌跡化には、「視線の邂逅」が象徴するエロスの膨縮が必要。
5.言葉と法が支配する社会で、祝祭が消え、性愛が「視線の邂逅」の唯一の依代となった。

『ア・ゴースト・ストーリー』は特に3.を焦点化します。「妻の存在」→「妻と場所の記憶」→「妻と場所が確かに存在したという事実」、移行した幽霊男の視座が、社会を奇蹟として再起的に捉え、昇天します。ただし4.にあるように、妻との間の「視線の邂逅」が、再起的視座に於ける社会の奇蹟化の条件を与えます。かくして本作が名状しがたい感動の由来が理解できるようになりました。

以上の引用箇所と「社会」から「世界」への移行(社会からの幽体離脱)や時間軸の変化を考えることができると書かれている。
映画公開時にはそこまで考察できていなかったが、宮台さんの論証を読んでいるとあの作品に描かれた深さと空間や時間の長さとその視座がわかる気がしてくる。とはいえ、もう一度観ないとやはりその感触は掴みにくのかもしれない。

また、宮台さんは90年代に援交のフィールドワークだけではなく新興宗教のフィールドワークをしていて、その際に「齢を取らない人々」を目撃した話をこの『ア・ゴースト・ストーリー』のところで書いている。
40代に見える人が実際には60代とかの人たちを見て、当時の宮台さんは「輝きを諦めないからだ」と考えていたが、現在ではその先まで考え、彼らが諦めない理由は、世界の時間を生き、社会の時間を生きていないからだと推測しています、と書かれていた。
例えば、芸能人やメディアに出る人は出れば出るほどに見られていくことで輝きが増したり、見られるような顔つきになっていくから若々しいのだと思っていた。それもあるのだろう。だが、上記にあるようにそもそも彼岸であり、あの世でもあると言える「芸能界」は、社会の時間ではなく、世界の時間を生きるしかないから「齢を取らない」「取りにくい」状態になっていくのかもしれない。
そして、老いることができなくなっていく、若さに価値を求める世界ではその一般と芸能に差はなくなっていき、多くの人が「社会の時間」を生きていないとも言えるのかもしれない。


5月4日
 と、一気に話は飛ぶが、先日、仕事で「君が死んだあとに」という、戦後の新左翼運動に関するドキュメンタリーを見た。休憩を挟んで、実に3時間以上の作品だ。
(中略)
 映画の内容とか、僕が戦後の新左翼運動に関してどう考えているか、なんていうことに興味がある人なんかいないだろう。だからそこは端折るが、僕がこの作品で一番驚愕し、感動したのは、大友っちの音楽である。
 それは、大友っちのヴォイスである、ノイズギターから始まり、ゆったりしたマーチのような、アンセム的な音楽が被り、どんどん高まってゆく。というものだった。
(中略)
 同じ映画館では「花束みたいな恋をして」という映画のポスターが貼ってあった。当代の名脚本である坂元氏(誤解なきように、と念を押さずとも、この坂元氏は坂本龍一氏ではない)と僕は、夜電波とこの作品を通じてエールの交換と、実質上の軽いシェイクハンドした格好になった。この経緯の詳述は割愛するが、要するに僕は恋愛映画の中の、風俗的な小道具として採用されたということである(この作品から、OSTの依頼は来ていない。当たり前だが笑)。
菊地成孔の日記 2021年4月26日 午後5時記す>より

 

f:id:likeaswimmingangel:20210522232353j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210522232403j:plain『きみが死んだあとで』『花束みたいな恋をした』と続けてユーロスペースで鑑賞。

上記で引用したように菊地さんがブロマガの日記に書いていて、そうか『きみが死んだあとで』も大友良英さんが劇伴なのかと思って、四回目になるけど続けて、大友良英劇伴繋がりで映画を観てみた。
『きみが死んだあとで』はたしかに冒頭と最後の方でノイズギターが走るのがカッコよかったが、内容は重いものでもあった。

1967年の第一次羽田闘争で亡くなった18歳の青年を取り巻く人びとを取材し、激動の時代の青春と悔いを描いたドキュメンタリー。
1967年10月8日、当時の佐藤栄作内閣総理大臣南ベトナム訪問を阻止するための第一次羽田闘争。その中で、18歳の山崎博昭が死亡する。死因は機動隊に頭部を乱打された、装甲車に轢かれたなど諸説あるが、彼の死は若者たちに大きな衝撃を与えた。
山崎の死から半世紀以上、彼の同級生たちや当時の運動の中心だった者たち14人が語る青春の日々とその後の悔恨。彼らが年齢を重ねる中、山崎だけが18歳のままという思いの中、あの熱い時代はいったいなんだったのかが語られていく。監督は「三里塚に生きる」「三里塚イカロス」の代島治彦。(映画.comより)

山崎博昭の兄である山崎建夫のインタビューが冒頭少ししてから始まる。
博昭が生まれて大阪の大手前高校に入学するまでの流れを兄の話や写真で構成し、高校からは同級生である詩人の佐々木幹郎などのインタビューから彼が京大に入り、第一次羽田闘争に向かって弁天橋で亡くなったまでの流れを描く。

上と下と3時間近くの作品は分かれている。全学連山本義隆など当時の学生運動に関わった人たち、博昭の同級生たちも現役で合格したものたちは一緒に羽田へ向かって彼の死をすぐ近くで見ていたり、行動をともにしていた者たち、浪人して翌年に彼の仇を取るような気持ちで学生運動に参加していくものなど、それぞれの人生と安保闘争など学生運動の話が展開される。
学生運動を支援しており、核物理学者で反原発運動も支援していた水戸巌の妻で水戸喜世子の話もなどもある。このあたりは少し陰謀論的なものも入る、それは確かなことはわからないけど可能性は否定できないということも含めて監督が話を聞き出して作品の中で結びつけていたようにも思えた。博昭は当初新聞報道では仲間たちが奪った車に轢かれたとされていたが、その現場を見ていたものたちは警官たちが警棒で後頭部を何度も打ち付けていたのを目撃していたことのに関わらず、死亡は諸説あることになっている。
また、反原発活動をしていた巌は息子二人と登山に向かったが三人とも転げ落ちてきた岩によって穴が空いたテントの隙間からするりと落ちて滑落してしまったことが死亡の原因とされているが、巌は警察からも、いや国家権力から目をつけられていた存在(反原発運動をしていたことで家にも嫌がらせの電話などは当たり前にあったようだ)であり、山に入る際にも山岳警備隊にも挨拶をしており、許可を取らないと入れない山であったことから妻の喜世子さんは警察(国家権力)によって3人が亡き者にされたという疑念を抱いているのがインタビューからわかる。そういう部分も一概に権力がそんなことを、なんて思う人のほうが少ないだろう。
実際にやっていてもなんら不思議ではない。権力というものはそういうものだから。「三億円事件」も実は警察内部の息子が犯人だというものは、当時の学生運動をしていた大学生を根こそぎ検挙するためだった(あるいは事件は実際にあったが警察はそれを利用した)という説などもあるが、正直国家というものから暴力を任されている警察権力は公務員であるが、時と場合によっては法を越えてなにかを都合よく解釈したり動かしたり、あるいはそのときの政権や中央にとって邪魔な存在を消していても今更驚きようもない。

インタビューでも語られているが学生運動は過激になっていき、内ゲバによって大衆からも支持が得られなくなって自滅していった。詩人の佐々木幹郎は彼自身が活動を止めたときの話で、この先はどう考えても行き場を失ったものたちは内部で衝突し始めて朽ちていくだろう、運動が終わるのは考えればわかることだったと言っていた。
また、なにかで読んで文章から、佐賀やどこか九州の船乗りについて誰かが書いたエッセイを引き合いにして運動が成功しなかった理由を答えていた。そのエッセイに書かれているのは漁に出る船の船先の頭の部分か一番うしろの部分に元漁師だが体が動かなかったり目が見えていない、もう漁には使えない老人を座らせておく。老人は座っていくだけでなにもしない。
漁師たちがどんどん漁を進めていくが、時折老人が「もう少ししたら嵐が来る」と言えば、漁網を引き上げて陸へ帰っていく。そういう役割がいなかったことが問題だった。学生運動は当時年齢がいっていても30手前から10代後半の若者であり、どんなに偉そうなことを上がいってもそこにはさほど世代の差もなく、知見も社会というものがどういうものか知らなかった。そんな老人のような人がいたなら変わっていたのかもしれない、と。
ドキュメンタリーで語る彼らはその輝かしい時代について嬉々と話す人もいるし、山崎博昭の死を未だに抱えてこのインタビューまでずっと自分が学生運動に関わっていたことを話してこなかった人もいた。彼の高校の同級生であり、学生運動を経験したあるものは実家を継ぎ、あるものは教師や弁護士となり、あるものはライターや舞踏家になった。そう、かれが死んだあとにも彼の彼女の人生は続いていた。

『花束みたいな恋をした』は四回目であり、今回は大友良英繋がりで観たが、土曜日には菅田将暉有村架純コンビが主演しているドラマ『コントがはじまる』が放送されている。そのドラマでは映画『花束〜』同様に二人のナレーションが入り、物語の重要な場所としてファミレスまでが重なっているのである。
また、火曜日には映画の脚本を書いた坂元裕二の書いたドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』も放送されているため、「ああ、『花束〜』観たくなってきた」モードに陥ってしまうのだ。
劇場は左右一席ずつ空けてだったがかなり埋まっていたように見えた。カップルで来ている人たちもたくさんいたが、別れたら菅田将暉有村架純を見るたびに思い出すぞ。花の名前を女の子に教えてもらうとその花を見るたびにその女の子のことを思い出すと絹(有村)が言っていたように。あとは劇中で麦(菅田)と絹が一緒に映画を観に行くのがユーロスペースだったので、 ある意味聖地。なんだかんだ最後のファミレスのシーンはうるっと来てしまうのは四回ともだけど、あとは「なつかしい友達」に会うような感じでもある。

この夜に放送された『大豆田とわ子と三人の元夫』は前回で主人公のとわ子(松たか子)が社長を引き受けた際の話があったが、今回は30年来の友人であるかごめ(市川実日子)が裏主人公的に物語は進んだ。
かごめは「社会では当たり前にされているルール」がわからない、納得できないから社会に適応できない話をしている。複雑な家庭環境で育ったことが明かされるかごめはその後、幼少期に描いていた漫画を改めて挑戦しようとする中で、とわ子が「社長」になったことについて語り始める。

とわ子が社長をやっていることはとても凄いことで、あなたみたいな人がいるだけで、小さな女の子が私も社長になれるって思えるんだよ、と。

もう、この時点で坂元裕二は次の時代を見据えて明らかなメッセージとテーマを持って、しかも遊び心満載のプロデューサーと共にテレビドラマを作っているということがほんとうに素晴らしいことだと思う。
そして、恋なんかなくて一緒に住むとかだったらいいのにな、と言っているかごめはそういう関係における事柄が窮屈であり、それ故に彼女に好意を寄せても誰もその恋が成就することはないのだ。その恋に破れたひとりがとわ子の最初の夫の八作(松田龍平)であり、おそらくそのことにとわ子はこの時点では気づいていない。

あと二番目の夫の鹿太郎(角田晃広)に恋人のフリをしてほしいと言ってきた女優の古木(瀧内公美)がいるが、その演じている瀧内さんは『花束〜』で麦と絹が出会う明大前の終電が行ったあとに一緒にカフェバーみたいなところに行くサラリーマンとOLのハンドクリーム塗ったあとすぐにおしぼりで手を拭いた人として出てたし、ミスiD出身の穂志もえかも同様に映画もドラマも出演している。
あとは麦と絹の愛猫であるバロンは黒猫だけど、どんどん大きくなるとほんとうに二人の間にできた隙間というか重ならなくなった想いの体現のようで、黒猫という存在はやはり映像では圧倒的に映えるし、その意味を観たものの中に植え付ける。
コロナによって大作が公開延期などもありつつも、オリジナル脚本で大ヒットし、緊急事態宣言が発令されても、まだ劇場で公開されている今作は、たまたまだが4月クールに放映されている『コントが始まる』『大豆田とわ子と三人の元夫』との相乗効果も出ているんじゃないかな。


5月5日
朝起きるが、そのままグズグズしながら何度寝をしていたら昼になった。数日前に首から背中につながる筋をひねったらしく、痛い。
夢の中で菊地成孔さんが出てきた気がする。前の日に買っていた外付けHDにMacBook Airの容量食いまくっていたiTunesのデータを移行して、前に使っていた別の外付けHDの中に入ったままの音楽データも移行してみたが、どうもファイルが消えていたり、時間がかかりまくったのもあって無駄に疲れていた。
初期の菊地成孔DCPRGのアルバム二枚が名前はあるのに音源データがなくなっていたりしてショック。それで出てきたのかな、夢に。でも、PCの残りストレージが3GBになっていたが、データを移行したので 残りが50GBになったのでようやくOSをアップデートした。したら、なんかアイコンとか変化して違和感。

f:id:likeaswimmingangel:20210522232708j:plain今月の「ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春」では『冒険少年』を取り上げるので久しぶりに再読。こどもの日に読むにはよかったかもしれない。
あだち充の描くノスタルジーは大人を再生させるための装置である」ということを感じた。たぶん、これが今回書くテーマになると思う。しばらく脳内で書くことを考えていく。

f:id:likeaswimmingangel:20210522232757j:plain緊急事態宣言における禁酒法時代となった2021年の日本で禁酒法時代を舞台に描いたフォークナー作品を読むことは、ある意味で正しいと思う。途中止めになっていた『サンクチュアリ』を引っ張り出して最初から読み直し始めた。


5月6日f:id:likeaswimmingangel:20210522232813j:plain休憩中にニコラに行ってコーヒーとガトーショコラをば。

 

f:id:likeaswimmingangel:20210522232849j:plain兎丸愛美さんの写真展のDMは先日届いた(郵便の人が持ってきてくれた)時に雨が降っていて少し濡れてふやけていたが無事に乾いて表面が凸凹にならずに済んだ。
写真展は今週土曜日からだけど、土日は混むだろうから平日となると月曜日と火曜日が神保町画廊は開いてないので行けるとしたら木曜日かなあ。


5月7日f:id:likeaswimmingangel:20210522232948j:plain2日続けて朝夜とリモートワーク。休憩中に駅前のTSUTAYAで文芸誌『新潮』を購入。古川日出男さん連載『曼陀羅華X』を読むためだが、今号は哲学者であり小説家として活躍している千葉雅也さんの中編『オーバーヒート』が目玉として掲載されているが、同時に彼が『ことばと』創刊号に寄稿した短編『マジックミラー』が川端康成文学賞を受賞したので、そちらも掲載されていて、「千葉雅也フェスティバル」かと思うような表紙になっていた。

仕事終わってから、社会学者・開沼博さんによる古川日出男著『ゼロエフ』評と上田岳弘さんによる月末発売予定のトマス・ピンチョン著『ブリーディング・エッジ』を読んだ文章を読んだ。
開沼さんは6号線を歩いた際にお話を聞かせてもらったけど、ここで書かれた「消化」というワードは確かに年々、福島をめぐる際に意味合いが変わってきたものだなと思った。
『ブリーディング・エッジ』は9.11を前後とした作品であり、ITが大きく関わってくるということで、上田さんが適役だなと思ったし、文章を読んでいると今までのピンチョン作品の中ではいちばん馴染みのあるというか知っている世界(時代)っぽいので少しは読みやすいのかもしれないと感じた。今月のたのしみのひとつだ。
曼陀羅華X』は翌朝起きてからゆっくり読むことにした。

Zazen Boys / Soil & Pimp Sessions - Kimochi / Cold Beat May,3 2021


こんなコラボがユーチューブにアップされていて、友人の青木が教えてくれた。


5月8日
寝すぎた。起きてから体重計に乗ると体重が人生でマックスになっていた。さすがにこれは、やばい。炭水化物を抜いていくしかないか。代謝が落ちているとなると筋トレをしつつ、カロリー消費を落とすしかない。といつも思うが年々痩せなくなっていっている。

MacBook Airに接続しているHDに入れ直した音楽データ(iTunes)が一部消えていたりしたのは自分の転移の仕方のミスだとわかった。一部のどうしても入れておきたいものはレンタルしたり入れ直すしかない。どうもスポティファイとかストリーミングはどうも苦手。

荒木優太×仲俣暁生×矢野利裕『文芸誌と文芸批評のゆくえ――新人小説月評における「削除」をきっかけに』聞きながら夕方からのリモートワークの作業。


矢野さんの的確な流れや補足(人生においてあらゆる人間関係を修復してきたので、と最後の方に言っているせいか、確かにドーンと構えていて頼もしかった)、荒木さんは話しているのを初めて見たがかなり話し方がポンポンと進んでいってちょっと江戸っ子っぽいというか、思考と喋りが弾むような感じで人間としても可愛がられる、好まれる人なのだというのもわかったし、意志もしっかりしていてすごく好感を持った。
年齢がふたりよりも上な仲俣さんがふたりとは違う距離感であり、文芸に関わってきた年長者として話を聞いているような感じで非常によい三人のトークだった。

岸政彦さんに関しては僕も荒木さんたち同様に小説よりも社会学的なエッセイのほうが文学的でおもしろいからエッセイのほうが好きだ。小説は装幀とかは非常に売れる感じのいいものばかりだけど、小説を読もうという気が年々しなくなっている。それは彼への文芸の世界への多大な期待とかも含めて感じられてしまうからだろうか。そこを一気にまくっていっているのが千葉雅也だという気もするが。
確かに最後に話も出ていたけど、フェミニズム問題が語られる現在では壇上にいる三人全員が男性ということは、アフタートークでも話に出たがかなり難しい。イベントに登壇してと頼む際にも、相手との関係性もあったり、断る断れないとか、この辺りは今いろんな現場で起きている。このイベントは今後も継続してほしいな。

f:id:likeaswimmingangel:20210522233237j:plain上記のイベントの発端となった『文學界』の新人賞の選考委員でもある東浩紀さんの『ゆるく考える』文庫版が出ていた。この本はほんとうにいい本だと思う。
あと仕事で新人賞を調べていたら、「文學界新人賞」の選考委員が「青山七恵東浩紀金原ひとみ長嶋有中村文則村田沙耶香」の六人になっていて男女比が半々になっていた。そして、メンツがつええ。


5月9日
『今ここにある危機とぼくの好感度について』


渡辺あや脚本のNHKドラマの3回目をオンデマンドで見る。僕世代が影響をかなり受けている映画のひとつが『ジョゼと虎と魚たち』であり、その作品の脚本家として渡辺さんはデビューした。
元々は岩井俊二監督のサイト「円都通信」ないでのシナリオ募集コーナー「しな丼」(現「プレイワークス」)に応募したことが縁で『ジョゼ虎』を担当することになった。僕も「プレイワークス」に応募して、その作品を映像化に向けてやっていたことがあった。僕以外の人もおそらく「しな丼」から世に出た渡辺さんに憧れていたし、一番の出世頭だった。
その後に関わった『約三十の嘘』『メゾン・ド・ヒミコ』『天然コケッコー』『ノーボーイズ、ノークライ』『ワンダーウォール劇場版』は劇場公開時にリアルタイムで観ている。『合葬』は未見だが。テレビドラマは基本的にはNHKとそのキー局の作品を描けていて、室生犀星の短編を元にした『火の魚』、阪神・淡路大震災から15年後の神戸を舞台にした『その街のこども』、コシノ三姉妹の母をモデルにした朝ドラ『カーネーション』、レイモンド・チャンドラーロング・グッドバイ』を日本に置き換えた『ロング・グッドバイ』、大学学生寮をめぐる寮の学生と大学側の対立を描いた『ワンダーウォール』、芥川龍之介が上海に渡ったさいのことを描いた『ストレンジャー〜上海の芥川龍之介〜』がある。

今回の『今ここにある危機とぼくの好感度について』は大学を舞台に描いているので、『ワンダーウォール』で描いたものの精神的な続編とも言えるし、より大学という場所を描きながら、現在の日本における板挟みになる人(政府と大学や大学と民間や諸々)や、表現の自由や利害関係による忖度をうまく物語に組み込みながら描いている。もちろん、NHKで放送するため、できるだけわかりやすい表現ともなっていて、高齢の人にもわかるように、いや、今の世界ってこういうことが起きていますよと伝える役割もしっかり担っているように感じる。そして、やっぱりおもしろい。きちんと金があるところがこういう作品を作っていることはきっと正しいのだろう。だが、同時にそれを他の局ではなかなかむずかしいというのも今の不景気を体現している気もする。

第3回は表現の自由を問題にしている。あいちトリエンナーレにおける問題をフィクションの中でうまく使いながら描いているのはさすが。そして、総長が会見で取る行動とその発言への責任を取るという姿勢は今の国会や政治家にはまったくないものであり、なにかの長であったり、役職についている人は発言すること行動することについてしっかり責任を取らねばならない。
ただ、前首相である安倍や現首相の菅、森だけではないが今の日本の偉いとされるような人たちは責任を取りたくなくて、自分の都合の良い方に法律すら変えて、自分の発言によって辻褄を合わせるために下の者たちが現実や数字を歪めていく。この時代において、発言と責任がセットにならない人物はいかがなものか?と問いかけているようでもある。ただ、「自己責任」という失敗したら即ゲームオーバーな世界では誰も失敗できず、したとしてもそれをなかったことにする。それは首相だけではなく僕ら一般人においてもその意識が蔓延している。
失敗をすること、その失敗を受け溶ける余裕や幅が社会にない限りどうにもならないが、今の経済後退国でありすでに先進国ではないこの転げ落ちているこの日本ではその余裕を寛容できないのだろう。

寝る前にフォークナー『サンクチュアリ』を読み終える。
禁酒法時代的な東京に住むものとしてはかつて10年ばかり実際にあったアメリカの禁酒法時代を描いた小説を読むこと、かつてのことなのにも関わらず禁酒と差別が現在に嫌でもリンクしてくる。しかし、読みにくいと思うほどにページに隙間がないぐらいの文字量、圧倒される。このままフォークナーとヘミングウェイという20世紀アメリカ文学の巨匠の作品と現代アメリカ文学の巨匠であるトマス・ピンチョン作品をなんとか粘り強く今年は読んでいきたい。やっぱり戦後日本社会はどうしてもアメリカ都の関係があり、僕が書きたいものや読みたいものはそういうものなのだ。


5月10日
10日発売『週刊ポスト』5/21号に掲載されている「予告編妄想かわら版」では、アダム・ウィンガード監督『ゴジラvsコング』を取り上げました。

映画コーナーゲラチェックした後に公開延期になってしまったので、ズレてしまったけどしょうがない。換気も問題ないから映画館開けてほしい。と思っていたらヒューマントラストなどのテアトル系の映画館は12日から開けるとのことなのでうれしい。
あと今号から永井豪ダイナミックプロによる『柳生裸真剣』という漫画が始まりました。永井豪さんと同じ紙面というは不思議な感じ。昔、スーファミのソフトで『CBキャラウォーズ 失われたギャ〜グ』という永井豪作品のキャラクターがクロスオーバーして出てくるアクションゲームをなぜか買ったことを思い出した。


5月11日
「monokaki」掲載の「小説の書き方本を読む」第五回を書きました。
今回は松岡圭祐著『小説家になって億を稼ごう』についてです。


タイトルで勝った感があり、帯も昔のメフィストかと思いますが、このぐらいシンプルな方が目立つんだろうなとも思ったり。発売時に読んでいて、当初は周りの人もわりと読んでいた気もあするけど、これ読んでも「億」稼げる小説についての書き方は正直書かれていない。でも、出版業界で作家としてやっていくために知っといた方がいいよってことは書かれているハウツー。まあ、どの業界でも才能がある人はわりと社会性があって謙虚だし、やさしくて思いやりのある人が多い。問題はその人の近くにいたり、その家族や関係者が驕り昂り自分が偉いと錯覚したり、勘違いしていくことだと思うのだけど。

バンドが解散する理由同様に、作家自身だけではなく身内とかの異性問題と金と思想(&宗教)が知らない間に大きくなりすぎて、才能があってもダメになってしまう人もいる。この辺りの問題はイレギュラーだし、未確定すぎる未来に起きる要因なので「誰にだってどうにもできない」のだろうとは思う。
男女とかのセクシャリティでもなく、近い価値観を共有して長く付き合えて本音が言えるパートナーみたいな人がいるかいないかが大事なんだろうなって思うけど、人は生きていく内に変わっていくものだし、変わるよねって思う。
この前観たドキュメンタリー『きみが死んだあとに』に関して菊地成孔さんも自身のブロマガで書いていたり、ニコ生のフェイクラジオでも言っていたけど、かつての学生運動のあとに「右」にだったり、「左」にだったりと転んで行った人たちがいた。それが文化的なものにおいて、「左」に転んだ人が多かったりしたことは大きな影響があったんだろうけど、「おおきな物語」が終焉して、サブカル的なものが全盛になってしまうとその文脈がかき消されてしまった。
今の中国や韓国の小説にはその国の共有される「おおきな物語」と現在のテクノロジーへと移り変わる時代が「左右」の体制や思想や価値観、その反発が地続きで繋がっているから物語としての強度が強いんだろうなと思った。適当だけど、そんな気がする。

f:id:likeaswimmingangel:20210522233707j:plain尾崎世界観著『苦汁200%ストロング』文庫版で書き下ろしされた「芥川賞候補ウッキウ記」を読む。
芥川賞候補になった尾崎さんの日常についての日記。テレビでも放映された『情熱大陸』での密着もだが、バンドメンバーや事務所の方や出版社の人たちとの関係性ややりとりが書かれている。とても大胆だし繊細で読んでいると好感が増す。
世界観さんだけではなく、芥川賞直木賞候補になった小説家はこのように候補になってから発表の翌日ぐらいまで日記を書いて、それを第00回でまとめて書籍とかにすればいいのかもしれない。作家それぞれの日常における変化や周りとの関係性や賞が近づいてくる心のあり方のドキュメンタリーとしておもしろいと思うし、それなりに売れるんじゃないだろうか。そうすれば多少印税は入るだろう。
もし受賞しても50万ぐらいしかくれないし、テレビや雑誌やウェブのインタビューを受けても宣伝ということでほとんどギャラは払われないはずだ。受賞後の一ヶ月はそういう仕事の受賞後のエッセイ書かされたりと多忙を極めるらしい。それで本が売れなきゃ、やってられないだろうし、売れたら売れたで下手したらその作家の一番売れた書籍になってしまう可能性もある。
賞レースに巻き込まれてただ期待されて、落選してしまったあとには悲しみや誰かからの心無いことを言われたりするだろう。だから、せめて候補になったり受賞したから本が売れたり増刷した以外でもきちんと小説家に少しでもお金が入るようにしてあげないとダメだと思う。


5月12日
ZOOMで作家さんにインタビューするのでヒカリエに久しぶりに出社。今回の緊急事態宣言出てからは初めてだったような。
渋谷は平常運転なので人少なくはない感じだけど、緊急事態って言われても働くしかないし、僕は歩いて行っているけど電車乗らないといけない人たちがほとんどなのに減便したら余計に密じゃんっていう謎というかやっていることが裏目以前にほんとうにいろんなことを考えていないのがはっきりしてるから、国や都がなに言っても従う人のほうが減るだろう。パンデミックがより爆発していいから、一緒に東京五輪も潰したいってどこかでみんな思ってるんじゃないかな。
これで少子化も進んでるっぽいし、政治家やもろもろの人の公人が道徳心もなくて金や利権(利害)だけのことしか考えてないって大抵の人はもう思ってるから、違う意味でも崩壊はしてるし、それが承知のものとなってきている。
もしかしたら、このまま日本が壊滅していくシナリオで救いの手的にアメリカの州のひとつになるために菅首相とか自民党が動いてたりして、と勘ぐってさえしまう。そうなるとほんとうに阿部和重さんの「神町サーガ」のフィクションの現実化でしかないけど、そういうシナリオを誰か描いてたりするのかな、とふと思った。


5月13日f:id:likeaswimmingangel:20210522233835j:plain『くれなずめ』朝イチの回を観るために先日から劇場が再開したヒューマントラスト渋谷まで歩いていく。小雨、微妙すぎる小雨だけど、気持ちいいから傘は持っていかなかった。『くれなずめ』は予告編を見るとメインとなる6人の1人がすでに死んでいるということが示唆されている。

松井監督が今公開して観てもらいたいという気持ちがあるのもわかるものだった。この映画はきちんとお別れを告げるための、残された側がこの先も生きていくための物語だからだ。コロナ禍では急な別れが以前よりも起こりやすくなっていて、そして、大事な人がなくなっても葬式にも出れずに、最後の別れをすることもできないことが多くなっている。
儀式とは神話を反復することだが、葬式は亡くなった人のためというよりは残された側のために、ふんぎりをつけるための儀式である。だからこそ、そんなことになる前に会いたい人に会いに行くしかないのに、今の状況はそれすらもなかなか許してくれない。みんながそのジレンマの中でぬくもりや距離をどうしていいか悩んでいる。そういう時だからこそ観てほしいんだなって。

f:id:likeaswimmingangel:20210522234025j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210522234036j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210522234048j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210522234102j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210522234116j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210522234134j:plain神保町画廊で開催している兎丸愛美・塩原洋写真展『しあわせのにおいがする』を観に行った。オープンが13時からだったのでちょうど映画を観終わって渋谷から歩いていくとちょっと前に着く感じだったので地図マップを出して歩き出した。傘がいらないぐらいの微妙な雨、アスファルトが濡れてどこか歩いていると心地よい。ただ、その小雨も2時間ほど歩いていたらびちょびちょにはなる。


明治通りを真っすぐ進んでいってラフォーレ原宿と竹下通りを通り過ぎる。そこから神宮前と千駄ヶ谷方面に向かっていくとまえにも来たことがある場所に出た。河出書房新社の近くだ、ということは新国立競技場が見えてくるだろうと思ったら見えた。競技場の横をS字みたいな感じで進んでいくと明治神宮外苑と球場を通り向けて信濃町方面へ。そこから四谷方面に向かうと途中には赤坂御所になり、一度も通ったことのない御所横をのんびり歩く。

BGMはずっとサカナクションの『懐かしい月は新しい月』のリミックス、から『834.194』という流れ。基本的にはリミックスが好きでトム・ヨークのソロ『ジ・イレイザー』もリミキシーズのほうが心地よい。

四谷から市ヶ谷、さらに九段下と皇居の北側を歩いていく。東京の空虚な中心。その中心を守るための鉄の外濠としての環状線、とてもそのリミックスされたサウンドが合う。九段下では普段見たことのない、歩いたことない場所から靖国神社が見えた。
東京五輪の本丸である新国立競技場、明治神宮、赤坂御所、皇居、靖国神社、まさに東京の中心。そして山手線の中は歩いてみると駅同士が近く、大事なものが中央に固まっているのがよくわかる。

途中で昨日原稿を送った「予告編妄想かわら版」の確認のメールが届く。確認して返信しながら進んでいくと神保町に入る。返信した編集者が務めている小学館が見てきた。兎丸さんと塩原さんの写真展の最初に時に行っていたのでほとんど近い場所まで来たのがわかる。アプリが示す方へ向かっているとタバコ屋が見えてきた。
インスタでタバコ屋のおじちゃんが写真展を観にきてくれたと兎丸さんが書いていたのでほぼこの辺りだろう。

オープンの少し前だったので近所をぶらぶらして書店に入ったりして時間をつぶす。13時を少し過ぎてから神保町画廊に向かって中に入る。白い壁に展示された写真であり作品が飾られている。他にはお客さんがいなかったのでじっくりと見ることができた。
兎丸さんのヌードは剥き出しの魂というか、いのちだなって感じがしてとてもキレイであり、やさしい。
海辺に全裸で立っている横の写真をいちばん長く見ていたような気がする。笑っている表情も素敵だけど、兎丸さんのその凛とした、まっすぐな瞳は鑑賞しているはずの自分が見透かされているようであり、なにかを問いかけられているような、そんな気がする。
見終わって外に出ても小雨のままだった。そういう時外に出ていくと一気に体感が下がって生きてる感じがする。さすがに帰りは神保町駅に乗って帰ったけど、渋谷で降りて歩いて帰った。もうすぐで20キロになるので家についてから買い物に行ったりしてなんとか20キロ越えるまで歩いた。


5月14日
朝からリモートワークなのでradikoのタイムフリーでいくつかの番組を聴きながら作業。二日前の12日深夜にオンエアされた『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』はゲストがジェーン・スーさんだった。
テレ東でスーさんのエッセイをドラマ化した『生きるとか死ぬとか父親とか』のプロデューサーでもある佐久間さんという関係性。そしてお互いにラジオパーソナリティーでもあり、会社員経験があることも作家性というか創作に関して大きく影響していて、その言葉がリスナーに響くんだなってわかる会話だった。
男女でのやりとりでスムーズに流れながら、いい相槌のような会話の交代があってこのコンビすごくいいなと思った。一年に1回ぐらいお互いのラジオゲストで出て近況報告がてら話をするのをやってほしい。


仕事中に「monokaki」の連載『ことばと相談室』でイラストを描いてもらっている漫画家の西島大介さんから電話があった。午前中にイラストを描いてもらうための原稿についてメールをしていたのでそのことかな、と思ったら違う用件だった。
西島さんとはしばらくお会いしていないが、半年に1回ぐらい電話をしているような気がする。西島さんは漫画家でもあるし、今は自作をネットで出版販売していたり、海外にでも翻訳されて発売されていて表現に関してすごくアクティブだし、新しいことをどんどん試している。
双子のライオン堂から出版されている『電子と暮らし』という本にはそのことがわかりやすく書かれていて、今創作や表現をしている人は読んでおくと今よりももっと動きやすくなったり、考えが広がるんじゃないかなって思う。
1時間ぐらい用件から展開したはなしについて近況について電話で話をした。西島さんも思いついたことを誰かに言うことで反応であったり、自分の中で考えを固めたりしている部分もあると思うけど、こういう時に話を聞かせてもらえるのはありがたい。


5月15日f:id:likeaswimmingangel:20210522234426j:plain朝起きてから散歩がてら代官山蔦山で歩いていく。池尻大橋の246前に出るまでの緑道にはペットの散歩とランナーがかなりいた。緊急事態宣言という感じはもうない。そんな意味のないものは無視するという市民からの無言のデモとしての日常生活がそこにはある。そこだけではなく、東京中がそうなっているのだろう。東京オリンピックを遂行しようとすればするほどに、無言のデモは続き、左右であろうがどちらでもなくてもマスクをして距離を取りながらそれぞれの生活を送るだけだ。

代官山蔦屋に着くとお客さんはいつもの土日な感じで、外のテラスというかテーブルとイスのところではスタバで買ったものでお茶をしていたり、積み上げた本とノートパソコンを広げている人や、ベビーカーを横に置いた若い夫婦と子供とか、ペットを膝に乗せたマダムとか、海外から来たんだろうなとわかる人なんかがそれぞれの休みをたのしんでいた。
店の中に入って、スタバがあって旅行や食事関係の書籍が置いてあるフロアで、前日に駅前の書店で見かけた時に気になった書籍である井川直子著『シェフたちのコロナ禍 道なき道をゆく三十四人の記録』を購入。いい装幀だし、今まさに飲食店は大変な時期であり、まさかの禁酒法時代のような東京でシェフたちはどんなことを考えているのか知りたいと思った。ニコラの曽根さんとは話をするけど、他のお店の人達はどんな思いで今を生き抜いているのかをただ知りたかった。

総括・「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」──長すぎた戦後アニメ思春期の終りによせて(前編)【平成後の世界のためのリ・アニメイト 第8回】


総括・「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」(後編)──真希波・マリ・イラストリアスはなぜ昭和歌謡を歌い続けたのか【平成後の世界のためのリ・アニメイト 第9回】


ユートピアの終焉』の原稿〆切日なので朝から執筆。お昼の休憩中に原稿を見てもらっている編集者で分筆者である中川大地さんの『シン・エヴァ』論を読む。前後編とかなりのボリュームだが、なるほど評論としてわかりやすく、違う事柄(『いだてん~東京オリムピック噺~』の金栗四三)をフックにして始める。そこで時間の軸や終焉までかかった時間の長さが読み手に伝わる。

友人の鎌塚くんのエッセイが原案の漫画『僕はメイクしてみることにした』(糸井のぞ著)が始まったと「ナタリー」で知る。

Voce』でメンズメイクについてエッセイを書いていたけど、こういう形で漫画化されるとより多くの人に広まっていくだろうなと思うし、すごくいい展開だ。



5月16日f:id:likeaswimmingangel:20210522234728j:plainアップリンク渋谷がもうすぐ無くなるので、最後の記念に大島渚監督『愛のコリーダ』をば。『愛のコリーダ』や『戦場のメリークリスマス』もフィルムの権利や保管等々でこれから劇場で観ることは難しくなるかもしれない。また、『愛のコリーダ』は内容的にも上映すること事態がコンプラ的に難しくなるかもしれない。プラプラプラプラな世界だが、インテリがきちんとしてこなかったツケだとも思えなくはないが。

アップリンク自体も映画制作環境に似たような諸問題が起きて、明らかになってからあまり行かなくなった所にコロナ禍の世界になってしまった。アップリンク渋谷でいちばん回数を観たのは『アンザー・ザ・シルバーレイク』の三回だと思う。
02年に上京してから東京に住むたのしみのひとつは間違いなくミニシアター(単館系)映画をリアルタイムで観れることだった。中でも渋谷には多くのミニシアターがあったから、自然と渋谷に行くことが多くなった。その中の多くはすでに姿を消した。僕はこれから『アンザー・ザ・シルバーレイク』や『愛のコリーダ』の名前を見るたびにアップリンク渋谷のことを思い出すんだろう。

藤竜也さんのあの色っぽさはなんだ。身震いするほどの艶やかさ。そして、松田英子さんのしなやかでハリのある美しい裸体が醸し出すもの。ふたりが演じた吉蔵と定が交わっていくその刹那だけがすべてであり、永遠の快楽がそこにある。
セックスという単語ではけっして表現できない男女の交わり、まぐわっているとしか言いようのないものがスクリーンに終始映し出されていた。二人の体を流れる汗、唇からこぼれる精液、指についた経血、互いの汗腺から漂う愛欲と欲情。
まぐわっている男性器と女性器は雄弁に語るように出し入れが続いていく。ただただまぐわっている。それだけがすべてでそれ以外はいらないふたりだけの世界、ただただまぐわい、肉体からあふれるすべての汗や精液や経血や愛液が流れ落ちていった。
着物って日本的な衣服であって、明治維新以降に西洋の常識とかを取り入れたことでそれまでの日本的な性的な関わりなんかは野蛮だと消えちゃっていったと思うんですが、着物自体は非常に日本的な性交とも深い関係があったんだろうなと関係ないことも思ったりした。


5月17日
佐藤究インタビュー「話題の『テスカトリポカ』。古代アステカの人身供犠と現代社会のダークサイドが浮彫にした人間の本質とは?」
インタビュー・構成: 瀧井 朝世

佐藤 ブラックだったりグレーだったりする人も悪人とは限らない。ただ、資本主義のなかで生き残ることだけを考えている。これをフランスの哲学者のピエール・ルジャンドルはマネージメント原理主義と呼んでいますね。話せば普通だし、誰かが怪我すれば助けてくれるような人でも、とにかく原理主義なんですよね。現代に生きていると、みんなレベルの差はあれマネージメント原理主義の部分がある。そのトップに麻薬王のような人間がいて、下のほうに宇野矢鈴のような人間がいる。

 ただ、彼女は、そこに巻き込まれる善人として出したわけではないです。今、巷でたくさんドラッグの問題があるじゃないですか。芸能人のコカインくらい別にいいじゃないかという人もいるけれど、その裏でメキシコでとんでもない麻薬戦争が起きている。そうして人が死んだ結果、パッケージに入ったドラッグが日本にも届いているんだってことは伝えないといけないと思いました。

 麻薬じゃなくても、自分が買っている商品が、いろんな問題を抱える経路をたどってきたものだったりしますよね。そういうことに対しての想像力を与えるのがフィクションのひとつの仕事でもある。コカインをやったからって人格までは否定しないけれど、どんな人間にお金が流れているのかとか、そういうことは知っておいたほうがいい。それを知っていると、その道に踏み出さずに済むというのもありますから。


――読むうちに、彼らはそんなにお金を儲けてその先に何があるんだろうと思ったんです。何かのためにお金を稼ぐのでなく、金儲けが自己目的化している、それが今の資本主義なんですね。

佐藤 おっしゃる通りだと思います。昔、サッチャー新自由主義以外の選択肢はないという言い方をしていましたが、善悪に関係なく「このゲームに勝つしかない」「だからどんな手を使ってでもお金を儲けよう」、そう考える人が、現実にいる。

 厳密には後期資本主義って言うらしいですね。前期資本主義では労働者がいて工場長がいてその上に資本家のオーナーがいた。今は、SNSもそうですけれど、みんながマーケターとか、CMプランナーみたいな発想になっているじゃないですか。知り合いの社長が言ってましたけど、最近は若い人たちのビジネスの考え方がエグいらしいです。金さえ儲かればそれでいいという。迷惑系YouTuberとかもそうですよね。

 文学のような美学に属する分野でも、普通にマーケティングという言葉を使う人がいる。リサーチをしてどう売るか考えるのは間違いではないけれど、そういうことに何の恥じらいもない人が、老いも若きも、すごく多いですよね。数の力で勝つことが目的で、それ以外はもう敗北という発想を植え付けられている気がします。それはもう、マネージメント原理主義ですよ。


佐藤 これに集中するために、他の仕事をお断りするじゃないですか。他の作家に「そういうの、怖くないんですか」って訊かれたんですよ。みな仕事を断ること、忘れられていくことに対する恐怖感がすごくあるし、人の目をすごく気にしている。僕はどっちかっていうと忘れられたいほうなんですよ。「佐藤究って奴がいたけどあいつ今どうなったのかな」みたいに言われたい。でも、小説でも音楽でも、資本主義のなかで勝ち上がるのが正しいっていう風潮がありますね。実際、ある程度生活はできたほうがいいんでしょうけれど、僕は自分の作家としての人生設計なんて本当にどうでもいいんです。

 どっちかっていうと、物書きってドロップアウトして何もやることがない人間がなってきたものだと思うんです。エドガー・アラン・ポーが原因不明の野垂れ死にをしたとか、ハーマン・メルヴィルがずっと食えなかったとか聞くと興奮しますね。僕は、さっきも言った丸山ゴンザレスさんとか、ルポライターで漫画家でもある村田らむさんといった、一見すると無謀なことをしている人たちに昔の作家のオーラを感じます。飄々としながらも、酷いものをたくさん見てきている。どん底を知っている人たちは自然と他人に優しくなるんだなと、彼らから学びましたけど、僕の中の作家って、そういうイメージです。

本当は『テスカトリポカ』発売時に「monokaki」で佐藤さんにインタビューしたかったんだよな、瀧井さんがされているような深い内容は聞かなかったと思うけど、佐藤さんの話を直で聞けたらよかったのに、と思えるインタビューだった。佐藤さんは山本周五郎賞(祝)ですね。

朝晩とリモートワークをしながら、ちょっと気になっていた円城塔脚本の『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』をNetflixで流しながら作業。主人公の眼鏡男子が『銀魂』の主人公にしか見えないのけどワザとなんだろうか。話はめっちゃおもしろい。ラドンが空飛びまくってるところまで。


5月18日
Paraviの『かんがえすぎちゃん』#15「人生の転機について考えすぎちゃん」中編を見る。クリーピーナッツのDJ松永のDJの師匠であるDJ CO-MAの話をしていた。
農家の長男である彼は米を作り、年中野菜を作りながら日が暮れてからDJの練習をして2006年の世界チャンピオンになった人だった。そこに高校を辞めてから弟子入りのような形で教わったのが松永であり、その話をしっかりしていてすごくいい回だった。
師匠が世界チャンピオンだったからこそ、松永には世界が近く、手に届くかもしれないものだと思えた。まず、そう10代の男子が思えたことは素晴らしいし、とてつもなく大きなことだ。師匠はすでにDJは辞めているが米作りで日本一になっているという。芸人でも師弟関係がなくなっている現在に、こういう話を聞くと師弟関係というのは人が合う合わないもあるのだが、やはり人生に大きな軸ができるという意味で大きなものなんだと思った。

『大豆田とわ子と三人の元夫』#6「第一章完結・全員集合地獄の餃子パーティー」 


前回の終わりでスカパラ社長とどこかへ消えてしまった主人公の大和田とわ子(松たか子)。彼女の誕生日にあつまった元夫たち(田中八作:松田龍平、佐藤鹿太郎:角田晃広、中村慎森:岡田将生)、そして彼らと関係のある(好きだったり、好かれていたり)女性3人(三ツ屋早良:石橋静河、古木美怜:瀧内公美、小谷翼:石橋菜津美)がとわ子と娘の唄がいない家にとわ子の父(岩松了)に呼ばれてやってくる。父はソッコーで酔いつぶれ、六人で餃子パーティーが始まるが3人それぞれの相手への不満や思いを言い出すことになる。

一度全員がペアで家から出て別れたあとに八作がタクシーを拾うために通りに一緒に歩いていく鹿太郎と美怜の背中を見て、「二人共ちゃんと向き合うって言ってました」と口にすると、

早良「もう遅いよ。どこを好きだったか教える時はもうその恋を片付けるって決めた時だよ。せっかく自分だけが見つけた秘密だったんだから」

ああ、なんつうセリフを。坂本さん! 
すげえな、こういうセリフをここでぶちこんでくる。坂元裕二脚本『カルテット』同様にワンクールの途中で「章」が変わるというスタイルになっていて、今回で物語は大きく動いていくことになった。
亡くなった友達の家に行って、冷蔵庫に残されたもので料理をして食べるということはまさに供養だなと思うし、そういう丁寧な描写がふたりの関係をより強く伝えることにもなる。そういう描写がほんとうに沁みる。僕が今急に心肺停止なんかで死んでしまったら最初に見つけてくれるのはニコラのふたりなのかな。
物語は最後に一年後に飛び、朝のラジオ体操で新キャラとしてオダギリジョーが登場。彼がどんな風に物語に関わっていくのか、『カルテット』で言えば真紀(松たか子)の行方不明になっていた夫の幹夫(宮藤官九郎)のようなポジションかもしれない。また、同じく坂本脚本『花束みたいな恋をした』でもオダギリジョーは途中から登場してきて絹(有村架純)の人生を変えるきっかけをもたらしていた。スパイスとしてオダギリジョーは投入されている。第二章からどうなる?


5月19日f:id:likeaswimmingangel:20210522235603j:plain夕方までリモートワーク。そのあとに読みかけだった井川直子著『シェフたちのコロナ禍』を最後まで読み終える。

インタビューをうけた34店舗の店主たちのコロナ時代の飲食店の覚悟と店を続けていくこと、お客さんとの関係性とその店がある場所や地域のこと、そして生産者の人たち、お店に関わる人へどんな思いを抱きながら戦ってきたかという記録。
まだ、コロナ禍は収束しそうもないし、政府や各都道府県の遅い対応などもあって以前以後ではやはり変わってしまうものもあるし、中には廃業を決める人もいる。
禁酒法時代になってしまった今の東京、生きるために必要なものがなにか、上から制限されたりしないといけないものなのか、夏のオリンピックの開催か中止どちらになろうとも決めるべきを決めずに国民に多くの犠牲を強いてきた人たちはその反発をさせないために、より強固な施策をするのか、それに歯向かっていくのか。すべてはこれから。

資料として買った『ウーバーイーツ配達員ヘロヘロ日記』はまだ読めていない。一度もウーバーイーツを使ったことがない。どうも食事を運んでもらうということになにか申し訳ないという気持ちが出てしまう。どっちかというと運ぶ側だしなって思っていることもあるんだと思うのだけど。

『「女性向け風俗」の現場』は文春オンラインの記事を読んで興味が出たので買って読み始めた。これ正直ドラマ化できると思う。きちんと監修とか入れれば、特に女性側が感じている性の問題や男性がアダルトビデオでそれが当たり前だと思いこんでいることを払拭できる可能性もありそう。テレ東深夜ぐらいでやったらいいんじゃないかな。


金鳥の渦巻 太巻「いいもん」篇

ニコラで何度か会って知り合いでもある役者の藤江琢磨くんが「金鳥の渦巻 太巻」のCMに出ていた。昔っぽさもある意味ありげなやりとりをするCMですごくいい。
藤江くんいい顔してる。いよいよブレイクしそうだな、きっとするんだろうなと思う。浅野忠信さんが出ているルシードのCMにも出てたし、どんどん出ていてすごい。MVもメインどころで出ているのできっと映画やドラマ、舞台でもこれから大活躍するはず。

LUCIDO(ルシード)公式CM ニオイケアシリーズ「ギターショップ」篇30秒


Sunny Day Service - 春の風【Official Video】


羊文学 "ハイウェイ"(Official Music Video)



5月20日f:id:likeaswimmingangel:20210523000057j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210523000106j:plain数年ぶりに友達と東中野で会うことになり、電車に乗るは気がすすまないので徒歩ででかけた。池ノ上や東北沢方面に向かっていくと甲州街道に出る。

専門学生時代は明大前に学校があったから馴染みはあるけど、今はほとんどいくことがない。『花束みたいな恋をした』の主人公のふたりは甲州街道は明大前から調布駅のパルコへ向かって歩いた。当時は柴崎に住んでいたのでその辺りの甲州街道は知っているから昔とリンクした。当時の柴崎のゲーセンバイト時代からの友達に会うので、甲州街道の先へ意識が少し向かった。
幡ヶ谷と初台を経て、中野通りで中野坂上東中野に向かっていると途中で神田川を越える。毎年元旦に神田川沿いを歩いているので、一瞬デジャブかと思うような気がして、一度立ち止まって周りを一周して見て、いつもの場所だとわかる。神田川をそのまま右に進めば高田馬場に出るところだ。
まっすぐ通りを北上すると東中野駅の西口に出る。1時間40分ぐらいで7.5kmほどの距離。ちょうどいい運動。東口で待ち合わせして、ランチをやっている居酒屋さんに行き、ほっけの定食を食べて、そのあと近所の喫茶店でお茶をした。コロナ禍で影響を受けていない人はいないし、それぞれの仕事や環境が大きく作用してくる。もちろん、今だけじゃなく、これからどうするかということもみんな考えている。話は尽きないけど、また合う約束をして15時過ぎに解散した。さすがに帰りは渋谷までは電車に乗って、渋谷からまた歩いて帰った。

f:id:likeaswimmingangel:20210523000146j:plainニコラで「飯山産グリーンアスパラ 温泉卵と白トリュフオイル」をば。ちょうどグリーンアスパラが届いたばかりだったみたいで、カウンターに座ってちょうど見える調理場のところに長くて立派なグリーンアスパラがたくさん見えたので食べようと思った。去年も食べてほんとうに美味しかったので、そのイメージが強烈に残っていた。また今年もそういう時期なんだと思うとやっぱり食べたくなる。ワインとかのほうがいいんだろうけど、今はアルコールを出せないのでノンアルコールの白ワインと一緒にいただく。これもすごく料理と合った。
グリーンアスパラガスの青いあの感じに歯ごたえ、温泉卵につけるとマイルドにもなるし、子供の頃はベーコンに巻いたものしか食べてなかったしそこまで美味しいと思えなかったけど、大人になってからアスパラガスは好きになった。やはり味覚が変わったりする。
旬のものを食べるということの贅沢さもあるし、年中作れてもその作物の旬というものはあるから、それをその時期に食べるのってやっぱり大事なことだ。お店で食べることの意味もコロナ禍でだいぶ変わってきている。ちょうど井川直子著『シェフたちのコロナ禍』を読み終わったばかりだったので、なおさら。


5月21日
朝からリモートワーク。作業中はずっとradikoで「ジャンク」と「オールナイトニッポン」の寝て聞けなかったものを流しながら仕事をしていた。
星野源さんと新垣結衣さんが結婚してから、どちらの曲も「星野源」に関係する曲をお祝いとしてかけまくっている。どんなに愛されてるんだ、と思う。
星野源さんが出演していた園子温監督『地獄でなぜ悪い』にはエキストラで参加しているが、僕がいったのは冒頭での國村隼さんが敵対する堤真一さんの組に乗り込んでくるところだったので、僕が観た俳優さんはそのお二人だった。のちに園さんと水道橋博士さんによるお笑いライブの打ち上げに行った時に星野源さんもいらしていたが、周りは埋まっていたのでお話はできなかった。その場所には漫画家の古谷実さんもいて、すごいメンツだったのだなと思い出した。

「ひとりクレイジーキャッツ」として、音楽に役者に文筆業で活躍し、そして国民的な女優をパートナーにしてしまった男、「大人計画」第三の男、エンタメを統べる王になる資格はもう十二分にある。二度死にかけても蘇ってきた。それだけで、「英雄神話構造」の英雄物語王道のストーリーを実際に生きている。この王国はいかに続くのか、あるいは対になるようなライバルがいつか現れるのか。そんなことも思う。
しかし、あまりにもみんなが祝福する感じが強すぎて、腐すとその「祝」のベクトルが逆の「呪」となって襲いかかってきそうな感じがする。有村昆のクイズとちんこ出しただけなのに一気に叩かれることとは真逆であることについて、神田伯山師匠も『問わず語りの神田伯山』で言っていた。

星野源 - くだらないの中に(Live at Osaka Jo Hall 2016)


f:id:likeaswimmingangel:20210523000313j:plain渡辺雅史著『ウーバーイーツ配達員ヘロヘロ日記』を読了。TBSラジオ爆笑問題カーボーイ』でこの本の話をしていたので、書店で見つけたら読もうと思って先日買っていた書籍。
ウーバーイーツを頼んだことがないので、ほんとうに謎というか不思議だった彼らの実態というかシステムもわかった。しかし、働きたい時に働けるというシステム、しかし、いきなり実践という部分もあったりして、それでお客さんに怒られたりトラブルに遭ったりするのはわりと運とかの要素も大きそう。その人が慎重な人が気が利くかどうかもあるだろうけど、腹が減った人間はキレやすいという時点でトラブルの種はゼロになりようがない。
ウーバーイーツのバッグでロゴをテープとかで消している人がたまにいるけど、その理由とかも書かれていてなるほどなと思った。いかに配達の仕事を取るかという意味でも稼げる人や稼ごうと思う人はどんな世界でも頭を使っている。
一度ぐらいは頼んでみたいけど、配達員の実態を知るとちょっと僕には無理だなと思ってしまった。絶対に事故るかトラブルに遭う予感しかない。

ユートピアの終焉――あだち充と戦後社会の青春』の今月分の原稿は出したが、6月は執筆に集中したいので来月の準備も早めにするスケジュールを組んだ。
今月末に原稿はいったん初稿は書き上げるとして、久しぶりに取り上げる作品の『いつも美空』を読んだ。長期連載と長期連載の間には、『虹色とうがらし』が前にもあったが、この『いつも美空』も非常にポジションとしては近い。わりと地球の環境問題とかが出てきたり、わかりやすい適役がいたりする。また、『虹色とうがらし』の世界観が『いつも美空』ではスクリーンやテレビのブラウン管に映るというように作品内の作品という感じで使われている。
一回通して読むと『虹色とうがらし』との関連や共通点が浮かぶし、第4の壁を越えて、読者に語りかけていることなども言及できそう。また。この作品では「超能力」が出てくる。連載は2000年から2001年だが、その連載中には堤幸彦演出による『TRICK』の「第1シリーズ」が放映された。世紀末であるこの年で彼らが描いた「超能力」はこの時期から一般化していく「インターネット」とほぼ同意義であったとも言える。
TRICK』は「第3シリーズ」まで制作されるが堤演出でTBSで『SPEC』が放映されることになるが、そこでは「SPEC」と呼ばれる特殊な能力を持つ者同士の戦いになっていく。『TRICK』では超能力者はいないと主人公ふたりが見破っていくが、その一人の山田がほんとうは超能力者であるとことがわかり、物語はカオティックな展開になっていくが、それを引き継いだのが『SPEC』だった。
いつも美空』に関しての原稿では、『TRICK』と『SPEC』について取り上げながら。世紀末的な空気感と「超能力≒インターネット」の一般化と肥大化(グローバリゼーション)について書ければいいのかなと思った。

寝る前にフォークナー『響きと怒り』の第三章「一九二八年四月六日」を読み終える。前の二つの章と比べるとやけに読みにくい印象。
作中に同じ名前の人物が出てくる。コンプソン家の長年だったクェンティンは第二章のところでハーヴァード在学中に焼身自殺している。その弟である次男のジェイソン四世が主人公である第三章では、クェンティンの妹であり、ジェイソンの姉であるキャディの生んだ娘が伯父であるクェンティンと同じ名前で登場している。そんな風に一族で同じ名前のものがいたりするので読んでいると知らずに迷宮に迷い込むような、ゲシュタルト崩壊していくような不思議な感覚になる。
フォークナーもそうだが、ガブリエル・ガルシア=マルケスもある町を舞台にしており、そこでの一族の繁栄と滅亡を描いている。どちらも読んでいくと混乱してくるものがあるのだけど、同時に世界はほとんど個人の主観でしかなく、歴史とはその語り部の書き残した人間の主観によるので正確な歴史というものは存在しない。すべては偽史である。しかし、偽史も精度の高いものから低いものと幅はもちろんある。
ジャーナリズムの側の人間は幾人もの証言や資料をもとにそれを掘り下げてできるだけ精度の高いものを作り上げることで、その社会性と意義、後世へその次代を伝える事ができるし、そうすべきだと思う。ただ、フィクションや小説は正しさではないもの、しかし、その創作のなかにおいて大事なものを掘り下げて一族やある人物を抽出して表現していく。


5月22日
村上春樹さんの海外でまとめられた短編集が逆輸入する形で単行本になった『象の消失』を今月頭から読んでいた。そちらが終わったので、『めくらやなぎと眠る女』を読み進めている。こちらに収録されている『トニー滝谷』は『ねじまき鳥クロニクル』にも少し繋がっている短編なので、去年『ねじまき鳥クロニクル』を再読する際に『トニー滝谷』など関連する短編などは読んでいたが、違う短編集に入っていて読むと読み味というか読後感がだいぶ違って感じられた。


 並んでベンチに座った二人の修道尼だけがきちんと黒い冬の制服を身にまとまっていた。それでも二人はとても楽しそうに話し込んでいたので、彼女たちの姿を見ていると、夏なんてまだずっと先のことのような気がした。

『めくらやなぎと眠る女』に収録されている『螢』をかなり久しぶりに読んだ。
引用した部分を読んだ瞬間に「佐藤泰志」の文体みたいだな、と思った。『螢』が発表された頃には『きみの鳥はうたえる』は単行本になっているから、影響されたというよりは当時の彼らの空気感や感じていたものが近かったのかな、と思う。同じ49年生まれの二人は当時まだ30代前半であり、『きみの鳥はうたえる』の単行本が出たのは僕が生まれた年の生まれた月だった。
佐藤泰志は自殺により、自ら命を絶ったが作品集が出てから再評価が始まり、作品が映画化されたことで、2010年以降に映画をきっかけにそれまで知らなかった僕のような読者が新しく読みはじめた。
ずっと第一線で書き続けてきた村上春樹さんがすごいのは間違いない。だけど、死んでから評価されるぐらいなら、死ぬ前に評価してあげないとさ、と思わなくもない。
そこはただ「運」でしかない、「運」は「運」でしかないが、それがあるかないかで人生はまるで違ったものになる。
今現役の作家で40年後に読まれている作家って誰なんだろうな、その頃には「日本」があるかどうかもあやしいけど。


5月23日
NHK『今ここにある危機とぼくの好感度について』と菅首相の危機と好感度について

第2話放送後、大学の偉い人がこのドラマを観て「世の中には茶化していいものとわるいものがある。天下のNHKが大学の権力を茶化すことは許さん」などと怒りまくって「そういった考え方こそが風刺されてるのでは?」と周囲をあきれさせたという都市伝説も流れてきた。

最後には内部告発した非正規の研究員木嶋みのり(鈴木杏)のセリフ「ほんと権力持ってる人って、見下してる人間に対して想像力がないよね」で締めていて見事。

土曜ドラマ】今ここにある危機とぼくの好感度について(4)

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2021052231630?t=827

前回は「あいちトリエンナーレ」を彷彿させ、今回は「謎の虫刺され被害が続出した」というコロナ禍の現在を違う形で描いている。『ワンダーウォール』から続く今の社会のあり方を大学を舞台に表出する凄さ。


今月はこの曲でおわかれです。
Mukai Shutoku Acoustic & Electric - Omoide In My Head / 自問自答 April 22nd, 2021



古川日出男著『ゼロエフ』刊行記念の大盛堂書店さんのオンライントークイベント有料配信中(配信期限は6月末日予定)です。まず単行分の『ゼロエフ』を読んでもらえれば、と思います。
去年夏の国道6号線と、晩秋の阿武隈川を同行させてもらったことについて古川さんとお話させてもらってます。