Spiral Fiction Note’s diary

ライター&Webサイト編集スタッフ。「水道橋博士のメルマ旬報」で「碇のむきだし」、「BOOKSTAND」で「月刊予告編妄想かわら版」、「PLANETS」で「ユートピアの終焉ーーあだち充と戦後日本の青春」を連載中です。

Spiral Fiction Note’s 日記(2021年5月24日〜6月23日)

水道橋博士のメルマ旬報』連載「碇のむきだし」

 
ずっと日記は上記の連載としてアップしていましたが、5月からは「碇のむきだし」では短編小説(原稿用紙80〜100枚)を書くことにしました。そのため、日記というか一ヶ月で読んだり観たりしたものについてものはこちらのブログで一ヶ月に一度まとめてアップしていきます。

「碇のむきだし」2021年6月掲載 短編小説『東京』


先月の日記(4月24日から5月23日分)



5月24日
f:id:likeaswimmingangel:20210623185823j:plain日付が変わった頃に『新潮』掲載の千葉雅也さんの『オーバーヒート』を読み終えた。デビュー作となり野間文芸新人賞を受賞した『デッドライン』と繋がっている作品だった。
物語におけるハラハラドキドキといったものは基本的にはないが、「言葉」による思考について書いている。千葉さんを彷彿させるゲイをカミングアウトしている哲学者の主人公とその家族や恋人的な男性への思いや気持ちと彼の肉体が物語に非常にうまくシンクロしていて、読んでいる側も自分が他者に話していないものについて見つめることになる。これ芥川賞取るんじゃないかな、と思う。
また、その前の日に文筆家の栗原裕一郎さんがツイートされていたことを思い出した。

先日の話題以降時折「純文学」で検索をかけていて、「小説家になろう」に「純文学」という「ジャンル」があり、短編集『余命3000文字』が同ジャンル年間1位だと知った。「これぞ純文学」と保証するツイートに誘われ数編読んだが、所謂芥川賞的純文学とは接点のない作品だった。

https://www.shogakukan.co.jp/books/09406849

このすれ違いは「純文学」を「ジャンル」と考えることに起因しているだろう。佐々木敦も「純文学はいまやジャンル小説だ」みたいなことを言っていたが違うんじゃない。「純文学」は「制度」であり「ジャンル」ではない。『余命3000文字』も筒井康隆が書き文芸誌が載せれば名実ともに「純文学」になる。


確かに「純文学」は「ジャンル」ではなく、「制度」と考えたほうが腑に落ちる。

水道橋博士」のメルマ旬報連載「碇のむきだし」2021年5月24日号配信。
短編小説『ヴェイパー』
5月更新用に書いていた『東京』がいつもの〆切の23日に間に合わなかったので、プロトタイプというか、こんな感じのものを書いていきますというお知らせも兼ねて、去年の3月に書いた短編をさらにカットしたものをアップしてもらった。
毎年正月に歩いている晴海埠頭を舞台にしたもので、晴海埠頭近くには東京オリンピックの選手村があるので、そのことを含めて短編で書いてみたいと前から思っていたことが最初の発端だったもの。
村上春樹さんの最初期に『中国行きのスロウ・ボート』という作品があって、それをオマージュした古川日出男さんの『二〇〇二年のスロウ・ボート』という作品がある。意識的にそれらを僕なりにオマージュしたものでもあり、コロナ禍でこの先どこにもいけない寓話として書いてみた作品です。


5月25日
「PLANETS」連載中の『ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春』最新回はオムニバス漫画『冒険少年』を取り上げました。
「大人を再生する装置としてのノスタルジー」がどう描かれたのかを論じました。ここからようやく2000年代に入ります。次回は『いつも美空』を取り上げます。


明日発売予定のトマス・ピンチョン著『ブリーディング・エッジ』が一日前だけど、出ていないかなと思って散歩がてら代官山蔦屋へ。やっぱり出てなかった。そのまま東急百貨店内にあるジュンク堂書店渋谷店を覗いてみるがやはりなし、渋谷モディに入っているHMV&BOOKS SHIBUYAにも行ってみたがこちらもなし、西武百貨店に入っている紀伊國屋書店もやっぱりない。
ぐるぐる歩いていたらせいで、家に帰ったら12キロ以上歩いていた。夕方からリモートワークなので、メルマ旬報に掲載する予定の短編を書く時間、集中できそうにないので「週刊ポスト」連載の「予告編妄想かわら版」の原稿をすることにした。3週分(3回分)まとめて書いて、2日ほど置いておく。もう一度読み返して最終チェックしたら原稿を提出することにした。

f:id:likeaswimmingangel:20210623190005j:plain『大豆田とわ子と三人の元夫』第七回からかごめと入れ替わるように出てきた小鳥遊(オダギリジョー)。オダギリジョーは同じく坂元裕二脚本『花束みたいな恋をした』にも出ていたが、その際には絹が働くことになるイベント会社の社長役だった。そのせいで絹にも会社とプライベートは別人だったんじゃないか?と思わせるパラレルワールド感。
かごめに小鳥遊と鳥に関する名前のとわ子に関わる男女、鳩に豆鉄砲的な意味で、豆使いたくて大豆田って名字にしたんじゃないかな。坂元さんが登場人物につける名前はわりと響きで決めてる気もするが。

5月26日f:id:likeaswimmingangel:20210623190048j:plain15時過ぎから休憩になったので歩いて代官山蔦屋まで往復してトマス・ピンチョン著『ブリーディング・エッジ』をGET。毎年年末年始にひとシリーズずつ買い足していた全集。あとは一番最初に出た『メイスン&ディクスン』を揃えればコンプリート。
ピンチョンはボヘミアン生活を送ってるしヒッピーが身近だった世代だろうから、カルフォルニアイデオロギーみたいなものは親和性があるのかなあ、となんとなく思う。9.11とITについて陰謀論と後期資本主義社会を描くとなれば、今までの作品よりはたぶん自分達に近しいものがありそう。
できれば、6月になる前に一気読みして、6月末までに書き終える予定の『インターレグナス』へ勢いをつけたいが、読み始めて終わる頃には夏すぎているかもしれない。

リモートワークで作業中はずっとradikoのタイムフリーでラジオをBGMにしていた。ニッポン放送の『菅田将暉オールナイトニッポン』『ファーストサマーウイカオールナイトニッポン』『YOASOBIのオールナイトニッポン』『星野源オールナイトニッポン』までを休憩に入るまで流していた。
星野源さんと新垣結衣さんの結婚に関して、「オールナイトニッポン」ファミリーはどんなかんじなのだろうかと思って通して聴きたかった。
星野源オールナイトニッポン』はほとんどいつもどおりな感じで下ネタもこれからやっていくって感じがしながらほっこり。今の「オールナイトニッポン」は24時からの「オールナイトニッポンクロス」「オールナイトニッポン」「オールナイトニッポンゼロ」という三番組の流れが非常によい。バラエティに富んでいるのと男女率は半々ではないが、女性のパーソナリティも何人かいる。

TBSラジオ「JUNK」も聴いているが芸人さんが多いのでかなり対象的な感じがする。どちらも好きだけど、「オールナイトニッポン」のほうが幅広い層を狙っている感じはして、それが効いているような気がする。
土曜日深夜に4回目だったのかな、「鬼越トマホークのオールナイトニッポンゼロ」がやっていて前回同様におもしろかった。鬼越トマホークはレギュラーになればいいのになと思うけど、今の盤石な体制だと入れ替えはしばらくないのだろうか。
休憩がおわってからは「Creepy Nutsオールナイトニッポンゼロ」を聴いたけど、最初は新垣結衣に関すること(ドラマの役柄)でずっとR-指定が話していたけど、彼ら世代だと彼女は思春期にリアルタイムで見ていた女優さんなんだろうなあ。僕らだと広末涼子さんだろうか。


5月27日
リモート作業中に今日はradikoのタイムフリーで『フワちゃんのオールナイトニッポンオールナイトニッポンクロス』から『佐久間宣行のオールナイトニッポンオールナイトニッポンゼロ』を聴いてから、TBSラジオに移行して『アルコ&ピース D.C.GARAGE』から『爆笑問題カーボーイ』へ、そして見取り図が今月担当した『24時のハコ』の最終回。
見取り図のリリーさんは岡山出身だが、トークの中で「千鳥」が大阪で勢いがあった時に大阪なのに若手の吉本芸人たちがいっとき岡山弁になっていたという話があった。去年の「M-1」グランプリには大阪出身者はほぼいないのに、岡山出身者が4人ぐらいいた。
大悟さんの「わし」を続けたことはその性格も表しているし、「〜なんよ」という岡山弁が浸透している話などをしていたけど、誰かがブレイクして全国区になって名前と顔が一致するということはこういう状況を起こすということなんだろうなと聴きながら思ったりした。
岡山出身の有名人と言えば、甲本ヒロトさんと水道橋博士さん、次長課長オダギリジョーさんなど個性的な人が多い。そして、近年では間違いなく千鳥であり、あの世代では東京で一時失速しかけたが、東野幸治さんの企画「帰ろか千鳥」で息を吹き返して、そこから大逆転劇が始まって、今に至る。
千鳥のお二人は高校の先輩であり、僕が一年時に三年生だったので、文化祭でカラオケ大会かなにかで二人が司会しているのをテレビかなにかで見たが、その場所に僕もいて見ている。僕らの通っていた笠岡商業高校はちょっと坂の上にあり、その下には進学校の笠岡高校があったが、そこの別称が「千鳥」であるので、彼らが「M-1」グランプリで出てきたときには「なんでその名前?」と思ったし、エロ漫才とかしていたから笠岡高校には迷惑がかかったりしたのかもしれない。まあ、今ここまでブレイクしたから多少は許してくれているのかも、と思うけど、進学校だから結局嫌だろうな。

f:id:likeaswimmingangel:20210623190333j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623190338j:plain菊地成孔曰く「星野源ひとりクレイジーキャッツ」説、『粋な夜電波』が続いていたら存命だった犬塚さんをお呼びしたいと言ってたし、書籍にも書かれたが「もう星野源に託すしかない」という話があり、一度「クレイジーキャッツ」の面々が出ている作品をスクリーンで観たかったので、シネマヴェーラにて『ニッポン無責任男時代』を鑑賞。よくも悪くも今や失われたものしかスクリーンには映し出されていなかった。
観終わって劇場出たら、隣のLOFT9でやっていたイベントに出ていた元THEE MICHELLE GUN ELEPHANTチバユウスケさんが会場から出てきたから、植木等からチバユウスケってなんだかおもしれえな、と笑いそうになった。
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTは解散ライブの最後にデビュー曲『世界の終わり』を鳴らして終わったが、あの時のチバユウスケは笑ってしまうぐらいに色気がありカッコよかったし、それは今も健在だった。スクリーンで動き回って歌う植木等も色気があってカッコよかった。その佇まいが、その芝居やセリフのリズムが。
『おげんさんといっしょ』が生放送で音楽ありきな番組をしているのは戦後の日本における黎明期の姿であり、先祖帰りだ。だからこそ、星野源にすべて託されてしまう。星野源が最後の遺伝子であり、終わりである。終わりであれば、そこからまたなにかが始まる可能性もゼロではないと思いたい。
同時に星野源が戦後に進駐軍のどさ回りをしていたことから始まることになる芸能プロダクションの始まりとテレビ番組におけるバラエティを作り上げていったミュージシャンに繋がっていく。吉本興業の芸人たちにバラエティが席巻される前の黎明期のバラエティを今の時代に幻視さえさせる。その芸能プロダクションという堅固だったシステムはSMAP解散によってほころびが一気に加速し始めた。
「令和」は「平成」が上皇生前退位と象徴的な存在であったSMAP安室奈美恵が引退して、死にきれなかったんだからグズグズになるに決まってた。「平成」は「昭和」のゴーストみたいなもんだから、きちんと成仏させないままで今戦後以降の「昭和」と「平成」の期間にたまりにたまった膿が、人々をなぶり殺しにする腐臭放ちながら今コロナ禍の中、降りかかってる。

f:id:likeaswimmingangel:20210623190438j:plain『ニッポン無責任時代』をせっかく観るのだし、小林信彦著『決定版 日本の喜劇人』を買おうと上映前に渋谷の書店を四件回ってもどこもなくて、金額のことを考えるとかなり刷り数がそもそも少なく、買う人が最初に買っちゃってるから書店で見たことないんだろうなって思った。結局、シネマヴェーラ渋谷の窓口で購入したら、小林さんのサイン入りだった。


5月28日f:id:likeaswimmingangel:20210623190540j:plain岩泉舞作品集『MY LITTLE PLANET』を読む。約30年前に出ていた『七つの海』に最新作を追加したものだが、『七つの海』に収録されていた作品を読むと話をかなり覚えていて驚いた。「少年ジャンプ」掲載作だが、それぞれの短編を読むと複合的に『ライブ・ア・ライブ』感があり、『YAIBA』などの風味の和風ファンタジーから幽霊を専門にする刑事の洋風ファンタジーなどの作品であり、今に繋がっているような気がする。新作『MY LITTLE PLANET』は新井素子チグリスとユーフラテス』を彷彿させるその惑星の最後の少女ふたりの話。30年前の作品とかなり絵のタッチや線が違うので、一緒に掲載されてないと同じ作者だとは思えないかもしれない。


5月29日
『今ここにある危機とぼくの好感度について』
 最終回までお見事様でした。映画『ジョゼと虎と魚たち』はシネクイントで公開時に観てかなりえぐられてしまって、自分にとってもかけがえのない青春映画だし、僕と近い世代の人はあの映画にやられた人や影響を受けた人はたくさんいる。その脚本の渡辺あやさんは『火の魚』をNHKのドラマを書いてから、阪神・淡路大震災15年目を描いた『その街のこども』を手掛けたあとには、朝ドラ『カーネーション』と一気に全国区の脚本家へと駆け上がっていった。
天然コケッコー』公開前にNHK教育でやっていた『トップランナー』のゲストに渡辺あやさんが出た時に観覧希望応募して行ったけど、その頃くらいからNHKで脚本をいう話は出ていのかもしれない。その後はちょっと時間が空くけど、同じくNHKで放送された『ワンダーウォール』が間違いなく今回の『今ここにある危機とぼくの好感度について』に繋がっていく。
大学組織を描きながら、同時に閉塞しきった今の日本社会を大学で起きる出来事がメタファとして、同時に起きている問題として、主人公たちが翻弄されていく様を描く。今作は間違いなく、組織が「腐敗」していることを認めるしかないという立場を取ることでしか組織の再生はない、その決断と覚悟を描いていた。まさにコロナ禍における東京五輪と安倍政権になってからの腐敗しきった政治への批評になっている、素晴らしいドラマだった。


5月30日
『決定版 日本の喜劇人』読了。凄まじい記録、そして残されておくべき記憶。由利徹さんとか顔や名前が一致していてもどういうポジションの人だったのか、この本で初めて知った。
植木等さん藤原寛美さんといった人たちと彼らの前にいた日本の喜劇人の連なりを知っておくこと、それはもちろん二度の世界大戦に翻弄されたかつての若者たちの歴史でもある。そして、小林信彦さん自身は直木賞候補になったような小説家でありながら、このような喜劇人の系譜の大著を残されている。
小林さんも植木等さんのテレビ番組などにも関わっているからこそ書けるものがある。やはり今でいうとライターの九龍ジョーさんがそこに一番近いという意味がこの本を読んでよくわかった。
何十年か経って九龍ジョーさんが「平成」と「令和」版の「日本の喜劇人」のアップデート版としての「古典芸能」と「サブカル」の大著を著しているのかもしれない。もちろん、その前にこの『決定版 日本の喜劇人』があるからこそ連なる「芸能」の歴史となるのだろう。


5月31日
星野源 – 不思議 (Official Video)


祖母の誕生日、今日で彼女は100歳になった。コロナになってからは一度も帰っていないが、上京する時の条件が週に一度は電話することだったので29日に電話したばかりだった。その時もおめでとうと告げたがぼんやりしているのかあまり伝わっていないようだった。
足腰が丈夫だったから90歳近くになっても健康で頭もしっかりしていたが、次第に歩かなくなって寝ることが増えていくとどうしてもボケやすくなってくるみたいで、一緒に住んでいない僕にはわからないけど、実家の父や母は祖母がかなりボケてきたと話す事が増えてきた。
100歳というライン、境界線というか目標まではという気持ちもあるのかもしれない。となるとこの先彼女はなにをイメージして生きていけるのか、と思うと少し不安というか急に眠ったまま亡くなってしまうことも可能性としては今までよりも高くなるのかもしれないとも思う。ただ、安らかに最後を迎えてほしいし、それまでは安らかに過ごしてほしい。次に会いに行けるのがいつになるかわからないし、いい報告ができるかもわからないけど、次に会えるまで元気で生きていてほしい。

Thundercat - 'Fair Chance (feat. Ty Dolla $ign & Lil B)' (Official Audio)


コロナで6月30日に延期されていたThundercatのライブがやっぱり再々延期になった。アメリカが日本への渡航について4段階で最も高い4の「渡航中止の勧告」になったのだから仕方ない。で、この状況で「東京五輪」へアメリカの選手団を派遣するのだろうか、とかはもはやどうでもいい。
このまま行けばなにがなんでも「東京五輪」はやるのだろう。戦後にアメリカの属国として、その力に守られて言うことを聞いてきた敗戦国と戦勝国の関係性。戦後における経済成長で先進国へ舞い戻って世界中でさまざまな活動を通じて国際貢献してきたことで「日本」はそのブランドを維持してきたが、失われた30年でそのブランドを自ら捨て去り、もう海外に行っても「日本」ということで慕われることもなく、下手すれば嫌われるほうの国へとなってしまった。もはや、「東京五輪」は失敗するために行われるような気すらする。二度目の敗戦、世界中から嫌われる存在となる。政治家はなぜそんなことを強行したいのだろう、ほんとうに私利私欲だけなのか。
敗戦後に近いほどの状況に「東京五輪」が終わった後にコロナが日本から世界中に新たに広まって感染爆発すれば、またアメリカの傘の下で、今より扱いやすい操り人形にできるという考えももしかしたらあるのかもしれない。そんな風に没落していった先にはアメリカにおけるコロンビアとプエルトリコが新たな州に昇格する可能性と同じぐらい、日本をアメリカの州へと差し出そうと考えている、あるいはそんな契約がどこかであったとしてもさほど驚きはない。
日本がアメリカの最後の州に加わるという話は阿部和重さんの「神町」サーガでも描かれていたが、そんな陰謀論的なものすらありそうだなと思えるほど、「東京五輪」を辞めたがらない人たちの気持ちがわからない。
2045年まであと24年、四半世紀を切った中で「日本」がそのまま存続しているなんて誰にもわからない。今日で実家の祖母は100歳になった。1945年敗戦の年には24歳で、父が生まれたのは1947年だった。僕は1982年生まれ、2045年まで生きているとしたら僕だけだ。

水道橋博士のメルマ旬報」連載「碇のむきだし」最新号が配信されました。
今月公開分の新作短編は6月にスライドして、短編小説『dance alone(in,out)』をアップしました。最近書いているものはここから始まっている気がします。


6月1日
f:id:likeaswimmingangel:20210623191136j:plain金原ひとみ著『アンソーシャル ディスタンス』読了。読み終えたら日付が変わって6月になっていた。最後に収録されている『テクノブレイク』が最高。これはまさに金原ひとみでしかないなって思うし、やっぱり固有名詞とかセックスとかの描き方は村上龍に通じているものがあるんじゃないかなと感じたり、それもあって好きなんだけど。
付き合っていた恋人と自分たちの居場所やスマホのバッテリー残量がわかるアプリを入れたあとに別れた芽衣、新しくできた彼もそのアプリを入れることを了承する。その彼氏とはお互いに辛いものが好きで意気投合し付き合うようになる。辛いよりももはや痛みでしかない激辛の料理をひたすら食べた後に汗だくのままラブホで更に汗だくになってセックスをしていた。激辛ばっかり食べているからウンコをする時はめっちゃ痛いっていう、食べること排泄することセックスすること、ギュギュッと詰め込んで人間が一つの管であるのが意図的に書かれている。次第にそのプレイを互いのスマホで撮るようになって、ふたりはひたすらその流れのデートを楽しんでいたが、コロナがやってきてしまう。元々幼い頃に喘息を患っていた彼女は彼にも細かいことを言い出すようになる。彼はそういうことには頓着しないため...。
テレワークとなって次第に彼ともセックスができなくなると彼女は録画した動画を再生してそれを流しながら仕事をしてオナニーをする。そして久しぶりに彼がやってくることになるのだが。
金原節というような思考の連鎖と行動が囃し立てられるように加速的に描写されていく、恋人に触れなくなってセックスができなくなっていくその距離感とどうしようもなく満たされない体、アプリで示される相手の居場所はゴースト機能によってずっと自分を偽っているのがわかる、自前の性行為を録画したものでオナニーをして仕事のBGM代わりにしていく彼女、リアルタイムなコロナ禍文学として『テクノブレイク』オススメです。

f:id:likeaswimmingangel:20210623191223j:plain映画の日&TOHOシネマズ再開つうことで関和亮監督『地獄の花園』をば。これでもかとトッピングした一枚のピザにポテトにサラダにガーリックシュリンプ、飲み物はやっぱりコーラ。途中で食べるのやめてしまいそうになるけど、その膨大なカロリーをただただ食す、胃のなかに放り込む、満腹中枢ももうマヒる。
送り手も受け手ももう満腹すよと思いながら、ひたすら過剰に送り続け受け止める、そうそれがエンタメ、バカバカしい(褒め言葉としての)エンタメ、カロリー過剰で中身はなんにもないけどポップなエンタメ。ストレスフルな今に笑ってしまうほどバカバカしさと過剰さは救いになる。
永野芽郁はとてもポップな人なんだと思う。本来は根あかでマイルドヤンキー的な資質があるんだろう、それをあの整っているがどこか自信なさげな顔つきに騙される。抜群のポップさが爆発するとその顔が生き生きしだして画面に鮮やかに映える。コメディエンヌ寄りな気もする。
脚本はバカリズム。コントが書ける人は間違いなく脚本が書ける。『地獄の花園』も金のかかったコントでもある。コント職人たちの台頭と認知度、コントができる芸人さんたちが俳優として活躍していることを考えると、映画学校やお笑いスクールではコントを作らせ実演させる授業があったほうがいいと思う。
コントは脚本の勉強になるし、演技のことも考える。脚本家や俳優への可能性も視野に入るほうがいい。金を取るならその可能性を少しは拡げてあげたほうがいい。漫才のほうがコントより上だということになっているのは単純にM-1があり、それをやっている吉本興業とその所有する劇場舞台の花形が漫才だからだ。つまりシステムの問題。
とんねるずダウンタウンウッチャンナンチャンに影響を直接受けたのがロスジェネ、最後のガラケー世代なので、それ以降、20代とかはその呪縛がないから自由だし、ただお笑い好き、お笑いマニアみたいな人が芸人になっているから頼もしい。同時に呪縛から完全に解き放たれていないから、その新しい笑いがうまく咀嚼できないでもいる。ただ、漫才かコントか論争のようにコント的なものは漫才と融合もしているし、違和感もない。これからすべてはシステマチックになっていく、すべてが管理されていく、我々はそれに従うコントの日々を送る。逸脱した存在ややりとり、現象が起きる、そのためには日常を、当たり前を知らないとギャップは伝わらないし笑えない。
原始時代、獣にやられそうになった時、泣いたり、恐怖が相手に伝わるとたちまち牙の餌食になった。だから、人は恐怖を噛み殺して、震えを転化させて笑った。その笑いを見て獣は後ずさりした、それならまだ勝負は終わらない。人は生きるために笑った。という話をどこかで信じてる。
クソみたいな時代でも世界でも、それはいつ生まれて死のうが関係ない、いつも時代や世界は理不尽で笑えなくてクソまみれだから、笑え、笑うために批評性と客観性と自尊心だけは手放すな。連想的に書いてたら長くなってしまった。


6月2日f:id:likeaswimmingangel:20210623191330j:plain末井さんの『素敵なダイナマイトスキャンダル』が映画化される時に、『素敵なダイナマイトスキャンダル』を文庫版で読んだ。映画公開時に神藏さんの『たまもの』文庫版が出たから読んで、坪内さんが亡くなった後に出た『玉電松原物語』を読んで、今回佐久間さんの『ツボちゃんの話』を読むという流れ。
映画公開時に『素敵なダイナマイトスキャンダル』と『たまもの』を読んで、小林秀雄中原中也長谷川泰子的なことなの?と思った記憶がある。『ツボちゃんの話』を読み終えて、買った積読にしていた『ストリートワイズ』を引っ張り出した。そろそろ読みどきかな。

f:id:likeaswimmingangel:20210623191410j:plain「KISS」のメンバーであるジーン・シモンズ著『才能あるヤツはなぜ27歳で死んでしまうのか?』を仕事の休憩中に行ったTSUTAYAで購入。最初はやっぱりブルースで悪魔と契約したと言われるロバート・ジョンソンから。

マーケティングという意味においては、ジョンソンは驚くことにフェンスのこちら側、つまり、私のいるほうに立っていたらしい。悪魔のイメージをまとえば、「レコード購買層やジューク・ハウスの遊び人のあいだで評判になる」ことをわかっていたわけだ。この法則には確かな効力がある。以来、私を含めた多くの音楽業界人がこの戦略にヒントを得てきた。私の「悪魔」のペルソナ。アリス・クーパーマリリン・マンソンのフェイス・ペイントや歌詞やステージ・マナー。ブラック・サバスジューダス・プリーストのイメージ作り。レッド・ツェッペリンの異教のシンボルやアレイスター・クロウリーへの傾倒。ローリング・ストーンズの示した「悪魔への共感」。すべては、同じ種の神話、同じ危うさとの戯れを示唆している。私たちの大半は超自然など信じていない。それは言うまでもないことだろう。しかしながらイメージが魅惑的であり、神秘的であり、危険なものだーー私たちのイメージは当然ながら親を震えあがらせ、レコード購買層のティーンエイジャーを喜ばせた。モダン・ミュージックのほとんどがそうだが、私たちはこの法則に関して、ロバート・ジョンソンのようなブルースマンから多くの恩恵を受けている。すべての始まりは彼らだった。

 

6月3日f:id:likeaswimmingangel:20210623191719j:plainニコラの小冊子「ニコメ」に寄稿しました。古川日出男著『ゼロエフ』に書かれている「家」について考えていたら一気に書けました。わりと今回書いたことで四月からどう動いていこうかが見えた気がします。
ニコラ10周年、コロナ禍でイベントとかできなくなってますが、今回執筆陣として声かけてもらえたのはほんとうにうれしかった。僕のエッセイのタイトルは『years』で、「家=いえ」を複数形にして適当に「いえ〜す」みたいな連想で、そこから10周年だし「years」でいいかもって思って、サカナクションの曲の中でいちばんぐらい好きな曲で、歌詞も寄稿した文章とリンクしてるから『years』にしています。ニコラでお茶しながら、「ニコメ」を購入して読むのもよい一服になるかも。

サカナクション「years」


f:id:likeaswimmingangel:20210623192007j:plain西島大介著『世界の終わりの魔法使い 完全版 3 影の子どもたち』が発売、全6巻なので折返し。「影」について描かれた3巻は「オリジナル」と「コピー」という西島さんがデビューからずっと描いてきたものでもある。フリッパーズ・ギターとかオザケンがリアルタイムだった西島さんは「サンプリング」という方法、それによる「オリジナル」なき時代になにとなにを掛け合わすという創作、n次創作について考えてきたと思うし、庵野秀明の『エヴァ』に対しての気持ちもそれらのものが関係してたんだと思う。
26年かかって庵野秀明が描いた『シン・エヴァ』の結末よりも先については庵野さんたちのことを描いた『I Care Because You Do』ですでに描いていた。プロダクションの大きさや関わる人の数も違うから一緒にはできないけど、この辺りはコミュニティに属しているかとかリア充であるとか、諸々の要素も関係してた気がしなくもない。
「せかまほ」「ディエンビエンフー」はネトフリかアマプラでアニメ化してほしいすね。


6月4日f:id:likeaswimmingangel:20210623192056j:plain松本直也著『怪獣8号』を休憩中に西友に行くついでに購入。一気読みしてしまった。「ジャンプ+」で追いかけていないのでコミックスが出るのを待つ感じだが、帯にあるように「ジャンプ+」史上最速で250万部突破したのはなんら不思議ではない。『スパイファミリー』『地獄楽』に続いてこの『怪獣8号』がこれからどう大ヒットして『鬼滅の刃』に続いていくかがかなり「ジャンプ」としても大きそう。
進撃の巨人』も終わり、アニメでは『ゴジラ S.P<シンギュラポイント>』という流れもあり、「怪獣」や「巨大化」など『ウルトラマン』や『デビルマン』的なものを現在の世界でどう描いていくのか、「怪獣」は世界規模の自然災害やコロナだってメタファーにもなっているように見える。その際、主人公のカフカが仲間たちと共に自らは「怪獣」になって、「怪獣」たちと戦うことはどういう意味をもたらすのか、それすら「特異」点であるのだから。個人的には『怪獣8号』においてカフカ以外は「怪獣」にならないほうが物語としてはおもしろいと思うので、他のメインキャラは人として人のままで「怪獣」と戦ってほしい。

f:id:likeaswimmingangel:20210623192140j:plain昨日『永遠のフィッシュマンズ』を読んだので今日は久しぶりにアルバム『Long Season』を聴きながら外に出た。ライブの動画があったので夜のリモート作業しながら大きめの音で聴いた。やっぱりこのアルバムの流れはとても好きだし、気持ちいい。

Fishmans - Long Season | LIVE 1998.12.28 @赤坂BLITZ




6月5日f:id:likeaswimmingangel:20210623192239j:plainるろうに剣心 最終章 The Beginning』を鑑賞。
漫画読んだことありませんし、今までの劇場も観たことないです。安藤くん(安藤政信)出てるから観ようと思ったのが本音。まあ、劇場版ラストで物語の最初、剣心の頬の十字傷はいかにつけられたのか、ということを描くなら僕みたいな一見さんでも大丈夫かな、と。高杉晋作安藤政信)と桂小五郎高橋一生)と豪華な組み合わせもあったけど、高杉は冒頭だけだね、話的に。
薩摩や長州なんかの尊皇攘夷掲げて明治維新後に政府の中核になっていった歴史的な人も含めて、そいつらの子孫がそのまま政府や大企業のお偉いさんとして代々権力を持ってたら、そりゃ腐りますよ、腐敗しないほうが難しい。とか観ながらつい考えてしまう。
最終章の第一弾『The Last』ですべて終わり(巴(有村架純)の弟が姉の敵として剣心に立ち向かう、みたいなことだよね、確か)、その次の本当の最後が第二弾『The Beginning』で円環の輪となるように物語が終わる(剣心が巴と出会ったことで、殺戮マシーンだった彼が徐々に人間らしくなっていく。そして巴をなぜ殺してしまったか、頬の十字傷の理由が明かされる)構成はすごくちゃんとしている。過去を扱ったからか、全体的に彩度が低く灰色がかっていた。作品からしたらプロローグだから無駄に登場人物出てこないし、ストーリーもシンプルだからわかりやすかった。
ラスト近くに「愛してる」って出てくるところがあるんだけど、江戸末期に「愛してる」って存在してたんだっけ? 「I love you」を訳すために「愛してる」ができたんじゃなかったっけなあ、と思って。それまでは「愛でる」とかで使っただけで、「愛してる」は明治維新後の近代的な想いじゃないんだっけ、まさにモダン的な。
「愛してる」ってそこにはもろに「神」がいるよね、うち祖父母が途中で改宗するまでキリスト教だけど、その概念あんまりないんだよなあ。そう、考えること自体がキリスト教っぽいのかな、八百万の神々の国だからなんでも受け入れてミクスチャーしちゃうから仕方ないかとも思ったり。と考えてたら『愛なんていらねえよ、夏』ってドラマのタイトルが好きな理由がわかってきた気がする。
『花束みたいな恋をした』を4回観たので、有村架純を今年スクリーンで5回観てる。巴ってなんで髪の毛が青いんだろう。剣心が切った分飛び散った血の対比なんかもだけど、着物に青っぽい髪の毛だとせっかく作り込んだ世界がやっぱりフィクションじゃんてなるけど、最初は感情出さないから冷たい感じをわかりやすくしたかったのかな。


6月6日
f:id:likeaswimmingangel:20210623192338j:plain

 歩行は人間の行為のもっとも簡単なものである。おそらく、茫然自失している者にせよ、新たな一歩を望む者にせよ、何処かへの出発を思う者にせよ、その最初の行為とは、この歩行ということであるに相違ない。それは、おそらくまた、人が自分の生存を自己に向かって証明しようとして行なう、もっとも簡単な、そして最初の行為であるに違いない。

 歩くというこの簡単なものの連続のなかには、どんな劇もなかった。劇を成立させるための生の現実的な動機というものが欠けていた。その生の理由を彩る、どんな人間的な意味の連鎖というものも欠けていた。まして歴史というものなぞどこにも見当たらなかった。いや、ほとんど時間とか生活というものさえ見当たらなかった。
 ただ一つ、そこにたしかに在ると感ぜられるのは、歩行の内部で次第にその度を高めてくる何かしら窮乏するものの意識であった。その意識が刻々にその精度を増す。そして、その精度が或る一定の水準に達すると、いわば自分の限度に達すると、いつも、その時その場所で、自分がただの一点の存在であるという、強い現在感に照らし出されるような気がした。偶然の、任意の一点とはいわぬまでも、裸のもの、外部の理由によって的確にされる性質とか役柄を何一つ所有していない、ただ単純にそこに在るものを、歩行の内部から発する光が照らし出すように思われた。これは明晰な、また極端な感覚の一瞬であった。
小林秀雄『地獄の季節』の「悪胤」より


秋山駿著『小林秀雄中原中也』を読み始める。上記は冒頭に引用されていたもの。
歩くことと考えること、歩行と思考。『ゼロエフ』で僕が体験し考えていたことに通じている。ただ、文章的にはかなり難しく睡魔に襲われる。気がつくと意識が飛んで寝落ちしかけるということが数度あったが、その際には女性の裸や行為のイメージなどが浮かんできた。その度に目が覚めた。しかし、なぜそのエロティックなイメージだったんだろうか、不思議だ。


6月7日
朝6時に目が覚めたのでランニング。30分近くなんとか走ってから残りは歩いた。普段使わない筋肉が走っているとよくわかる。無駄な贅肉が揺れて、そこがやけに自己主張してくる。半年続けたら12月か、そこまで続けるしかないだろうし、体力がほんとうになくなってきているからこそのランニングを。
9時からリモートワークを始めたが、そう言えば今年の健康診断の予約をしないと行けないなと思って、4ヶ月後の10月に電話して予約した。まずそこまで週に3か4回走っていたらなんとか無駄な肉を減らして体力をつけれるか。そういうことをいつも書いてはすぐにやめてしまう。健康診断で血とか調べるからコレステロールもわかるし、そのためのゲームみたいな感じでやっていこう。毎年行っているからこそ、出ているデータの数字をいかに下げるかゲーム。

f:id:likeaswimmingangel:20210623193708j:plain安田理央著『ヘアヌードの誕生』を休憩中に行った本屋で見つけて、『新潮』との一緒にゲット。これ絶対おもしろいでしょ。近代化以前以後で日本における裸体や陰毛の価値観や考え方はかなり変わってるはずなんだよな。


6月8日
f:id:likeaswimmingangel:20210623193744j:plain『猿楽町で会いましょう』を観ようと歩いて渋谷に向かっていたら、道玄坂で仕事に行く途中の燃え殻さんとばったり、ちょっと立ち話。着いてからビール飲みながら映画観ようと思ったけど、今ビール販売してなかった。次にホワイトシネクイントで観る予定の作品はA24製作『ライトハウス』だが、ポイントカードが貯まった(四回観た)から次回は無料で鑑賞できるのでうれしい。
『猿楽町で会いましょう』は若手カメラマンと何者かになりたい女の子の青春恋愛を描いた物語。撮る・撮られる関係は逆転移のように、誰かの嘘や悲しみやさしさや性欲や関係性が交差しながら二人の時間を描く。章仕立てになっていて、二人が出会うきかっけや彼女の過去なども二章で描かれていき、一筋縄ではいかない感じになっている。その見せ方でちょっとホラーというかサスペンス的な怖さが終盤に感じられる。
大切なものを失う(あるいは自分の代わりに損なう)ことで人は大人になる。刺さる人には深く突き刺さるだと思う。そういう意味では『リリイ・シュシュのすべて』や『少女邂逅』などのように誰かを失うことで人は大人になっていく、境界線を越えていくというタイプに分類できるのかもしれない。彼は彼女のことを思い出しても、彼女との日々は愛おしく大事なものとして在る種のノスタルジーみたいなものになっていくだろう。きっと、もう会うこともない、そんな予感だけ残して物語は終わる。

『猿楽町で会いましょう』観る前に燃え殻さんに会って、映画館で前の作品観終わって出てきた大倉孝二さん見かけた。映画終わって下りのエスカレーター乗っていたら上りのエスカレーターに次の回観にきたニコラの曽根夫妻が乗っていてすれ違った。その帰りに代官山蔦屋に行った帰りに家に向かって青葉台のあたりを歩いてたら撮影隊いたから、まあこの辺りでよく見るファッション誌の撮影だろうなと思って通るときにモデルさん見たら水原希子さんだった。最近ネトフリで『彼女』観たばっかりだった。偶然知り合いに連続して会う日とか芸能人見かける日とかってたまにある。そういうリンクする時間。

ユカ役の石川瑠華さんの顔つき見ていて、なんか昔見たことある感じの雰囲気のある子だなって思った。浅野いにおさんの『うみべの女の子』の映画化でも主演で主人公の小梅役なので、こちらも脱いだり絡んだりするシーンがあるのだろう。体を張るという言い方はたぶん違うのだと思うし、どちらの作品にも大事なシーンであり、『うみべの女の子』は山本直樹作品を彷彿させる「性春物語」の要素が強いので、実写化する以上はそれをなしにしてしまうとあの作品の大事なものが失われてしまう。
石川さんの笑ってるけどどこか泣いているような、その表情を見て90年代のAVの企画女優のロリ四天王と言われた人たちのことをちょっと思い出したりした。僕がメンヘラ顔って言う時の無意識化の基準って笑ってるのに泣いてるような人だなって、『猿楽町で会いましょう』を観てわかった気がする。他の人の基準は知らないけど。
そういう顔だからこそ、恋愛ドラマであるのにちょっとホラーというかサスペンス的な心境風景を感じられる作品にもなっているのかも。
石川さんwikiを見たら僕と誕生日が同じだったのでちょっと親近感。この日に生まれた有名人って丸山眞男マルセル・マルソー草間彌生大橋巨泉とかクセがすごい。


6月9日
f:id:likeaswimmingangel:20210623193825j:plain昼間の休憩で外に出た時に駅前のTSUTAYAで気になっていた若松英輔著『小林秀雄 美しい花』文庫版を購入。
夏に〆切がある新人賞に出そうと思っている作品の資料にはなるかなって思って、小林秀雄って人がどういう人だったのか気になっている。
この数日、今月末〆切の作品の登場人物表を作っている。僕は役者とかのイメージがあったほうが書きやすいので、ある意味ではキャスティングして作品に出るキャラクター同士の関係性を考えつつ、物語のある程度考えていた軸に肉付けしながら書いていくやり方があっていると思う。キャスティングだけならかなり最強。あとは肉付け。

朝ちょっと早めに起きて走ろうと思ったけど、気が乗らなかったのでリモートワークが始まるまで寝てから作業。夜は予定がなかったので18時に仕事終わってから夕方ランニングをした。週3日の「monokaki」仕事がある日は朝か夕方にランニングする感じにしたら、ちょっとはいいサイクルができそう。まず、走れなくなっているので体力をつけねば。


6月10日
f:id:likeaswimmingangel:20210623193914j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623193920j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623194152j:plain勅使河原宏という天才』特集の中の上映されている『他人の顔』をシネマヴェーラシブヤにて鑑賞。なんか先日ドミューンでこの特集してた(見てはいない)というのと、朝起きて渋谷行けば観れそうな時間帯だったの観ようと思った理由。
勅使河原監督作品は1回も観たことなくて、安部公房原作&脚本というのもシネマヴェーラのサイトで見るまで知らなかったし、原作小説も読んだことがなかった。主演が仲代達矢さんで、最近チェコの作家アンナ・ツィマの『シブヤで目覚めて』を読んでいて、そこに「仲代」というキャラクターが出てくる。日本好きの女性の主人公は『七人の侍』などが好きで、その「仲代」はもちろん仲代達矢から取られている設定だったので、渋谷で仲代だし観ようかな、という脳内連想。
座席はほぼ埋まり、二、三十代は二、三割いたか。大学生ぐらいの女の子もいた。ドミューンで勅使河原作品特集したからか、別の要因かはわからないけど、老人ばっかりじゃなくてよかった。
事故で顔を損傷した男が精神科医が作ったマスクをつけて、別人のように振る舞うのだけど、しかし、みたいな物語。実存、自分とはなにかという話なので今の時代のほうがシンクロするかも。マスクはある意味で別人格だし、アバターSNSのアカウントみたいなもんだから。インターネットが当たり前になる前に多重人格が流行ったけど、あれはSNS時代に細分化(分人化)していく世界の予兆だった気がする。SNSでわかりやすくなっただけで、個人のなかにはいろんな自分がいるし、相手によって違う面があるから多面体じゃないほうがおかしい。
映像の見せ方もカッコよかったし、精神科医平幹二朗さんの声と透明な診療室とあっていた。最後のあの群像は流れていく無個性とそれを遡る固有性みたいな感じだけど、他人の顔になった男の実存として最後の行動は物語の終わりにはありだけど、そんなことでは無名性から逃れられないしただ袋小路に陥るだけなんじゃないかな、と思ったり。小説版はたぶんラスト違うんじゃないかな、明らかに映像的な結末に見えた。帰りに文庫版を買って帰った。


6月11日
f:id:likeaswimmingangel:20210623194006j:plain園子温総監督『東京ヴァンパイアホテル』が今までアマゾンプライムのみの配信だったのですが、先月末からゲオでレンタル開始されたらしくサンプルを日活さんから送られてきた。
脚本クレジットしてもらっている四巻と五巻だけだったので、一から三巻がないよ~と思ったけどアマプラで見ればいいのか。これは最初に配信されたドラマ版なんだけど、一から三巻ぐらいの内容を映画版にしたバージョンが存在している、園監督によるディレクターズ版というか。それは一度東京フィルメックスで上映されていて、そのバージョンもアマプラで配信している。そっちはレンタルしてるのかどうかわからないけど。
今をときめく森七菜さんの女優デビュー作品が『東京ヴァンパイアホテル』だったりして、最初に見たときにこの美少女誰だ?と思ったら一気に天辺近くへ駆け上がっていきましたね。
脚本の二次使用料の振込先を教えて下さいという連絡もあったけど、四話分だけど、監督と脚本ヘルプ入ってくれた方がいるのでそれぞれ三人クレジットされているので三等分されるとしてもそこまでの金額にはならないだろう。でも、いただけれるだけありがたい。


6月12日
f:id:likeaswimmingangel:20210623194054j:plainTOHOシネマズ渋谷にて菅田将暉主演『キャラクター』を鑑賞。
日付が変わった時にチケットをネットで取ろうとしたら全然繋がらなかったが、『シン・エヴァ』の新しいバージョン&劇場特典が付く初めての土曜日ということで回線がパンクしていたっぽい。
SEKAI NO OWARI」のボーカルであるFukaseが映画出演ということもあり、漫画について描かれたものなので興味があった。内容は売れない漫画家・山城(菅田将暉)が殺人事件の目撃者となり、その殺人犯・両角(Fukase)をモデルに漫画を描いてヒットしたら、というもの。山城の妻の夏美は高畑充希、事件を追う刑事のコンビの上司の真壁(中村獅童)と部下の元ヤンらしい清田(小栗旬)の五人がほぼメインキャストという感じで展開していった。
ちょっと懐かしい気もするサイコサスペンスものでもあり、謎がすごいとかではないけど猟奇殺人を扱っているので血が飛び散っていたりして、最近こういう作品観ていなかったなと思った。
主人公が漫画家であるため、漫画という要素が大きく、また同時に映画など映像にするときには画になるのが大きい。かつては作家といえば小説家だったが、今は漫画家だ。もちろん売上や影響力や人気を考えれば日本の出版業界を牽引しているのは漫画というジャンルであり、同時に若い世代にとってもイメージができるクリエイターなのだと思う。
このところ、漫画家を主人公にしたり、出てくる映像作品がたくさんあるのはそれらの要因が大きいのだろう。小説家だと今どき原稿用紙に書いている作家はほとんどいない(稀にいるが超ベテランのプロ作家ぐらいで、新人でそういう人は聞かないし、基本的にその原稿を渡されると誰かがPCで結局打つ作業が出てくるので、そのスタイルが認められていない人以外はまず原稿を受け取ってもらえない)し、PCに向かってキーボードを打っている姿は映像的に画になりにくいし、動きがほとんどない。漫画は絵というものが、作品の内容を示唆していたり、関係していたりするので非常に有効だ。
終わり方はなぜ両角がそんな殺人鬼になったのかを深堀りせずに終わっており、自分って誰だ?みたいな問いを投げかけるようにぶつ切れな感じでエンドロールになる。2時間ほどの上映時間だったが、両角を深堀りする時間はなかったのかもしれない。スタッフロール見ていたら企画に「川村元気」ってあったので役者とかいろんな座組に納得した。 


6月13日
f:id:likeaswimmingangel:20210623194206j:plain野呂邦暢著/岡崎武志編集『愛についてのデッサン 野呂邦暢作品集』の最初の一編を読む。先日の映画帰りにかったもので「野呂邦暢」という作家についてはまったく知らなかった。夭折した小説家の方で芥川賞を受賞している人らしい。
筑摩書房ちくま文庫はわりと過去の作家を再評価というかリユースして新しくパッケージすることで新しい読者に届けようとしている。ブコウスキーもそうだったし、その際には表紙を開けた帯のしたに僕が行った際に撮影したブコウスキーの墓の写真が使われたが、これらの作家は権利問題で浮いていたり、あまり遺族がうるさくない人だったりするのかもしれないが、表紙を変えて新しくすることで届かなかった人や、知らなかった人には届くものになる可能性はある。
KADOKAWAだって、戦前と戦後ではまるで違った出版社になったけど、二代目角川春樹の時代になってから横溝正史のかつての小説をリユースしてなおかつ角川映画としてメディアミックスしたことで新しい時代を作ったりした。
『愛についてのデッサン 野呂邦暢作品集』は表題作にもなっている古書店の店主である佐古啓介が主人公となった短編がまず6つあり、その1つを読んだだけだがかなりおもしろかった。これは時代を変えると難しいかもしれないが深夜ドラマとかの元ネタにして映像化とかできそうな気がする。風景描写は登場人物の内面を表していたりするものだが、映像的な部分がかなりあって、画が浮かびやすいんじゃないだろうか。
内容もセンチメンタルなものもあり、時代を選ばずに読まれそうな短編だなとも思うので、リユースという形で復刻させた岡崎武志さんという編集の方がかなりセンスあるんだろう。


6月14日
朝から晩までリモートワーク。
職場の全体メールでコロナのワクチン注射の希望日が来ていた。渋谷で受けるとなると二つ候補があり、一回目を受けてから期間を開けて二回目の日程も一緒にセットされていた。こういうのはありがたいのだが、結局副作用とかわからないけど、打っておいたほうがまだかかりにくくなるのだから、打っておいたほうがいいんだろうなと思って希望日を記入して送った。
今の所リモートワークだから、候補のうち片方は出社する形になるけど、その日は仕事になるのだろうか。一日は平日でもう一日は土曜日だった。ということは土曜日だと副作用とか出たら土日が潰れる。どちらになってもいいですよという返信にはしておいた。もう、向こうに任せて、来いと言われた日にワクチン接種をしたほうが気楽な気がする。


6月15日f:id:likeaswimmingangel:20210623194308j:plainヒューマントラストシネマ有楽町にて、ホン・サンス監督『逃げた女』を鑑賞。ヒューマントラストシネマ渋谷には月に1回か2回ほどの頻度で行っているが有楽町ははじめてだった。場所も有楽町駅真ん前だし、1回でも来ていれば絶対に忘れるような場所ではないので、上京してから19年で一度も行っていないはずだ。
ホン・サンス監督作品は『夜の浜辺でひとり』『それから』を劇場で観ているだけなので今回で3回目。すべて、監督の公私にわたるパートナーであるキム・ミニが出演している。彼女は『お嬢さん』で知ったので、それで彼女が出ている映画ということで『夜の浜辺でひとり』を観たんだと思う。
正直なことを言うと今回も含めて全3回鑑賞した際に、全部途中で寝てしまった。大きな出来事が起きないということもあるのかもしれないが、どうも僕はキム・ミニが誰かと話しているのを観ていると睡魔に誘われてしまう。おそらく十分か二十分程度寝てしまっている感じなのだが、物語が大きく動いているようには感じられない。今回は主人公が夫ガルスの5日間に先輩などの知人を3人訪ねていくというものだが、1人目が終わる頃から2人目が始まってちょっと間だと思う。2人目の先輩のところに詩人が尋ねる前には起きていた。
タイトルの『逃げた女』というのは主人公のことなのか、訪ねていった彼女たちなのか、いろんな解釈ができそうな作品である。キム・ミニの表情や仕草には吸い込まれるように見てしまうのだが、そのうち安心してしまうのか寝てしまう。とても不思議だ。


f:id:likeaswimmingangel:20210623194438j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623194507j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623194458j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623194519j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623194453j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623194512j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623194524j:plain映画が終わってから次の予定がる豊洲ピットに行くまで時間があったので、いっそのこと有楽町から豊洲まで歩けるかスマホで確認したら、ほぼ一直線で1時間もかからずに歩いていることが判明したので歩こうと思った。途中で月島を尽きっ切る形になるので、ついでに晴海埠頭と付近の東京五輪の選手村がどうなっているか見てこうと思った。
そんなわけで上記の写真が現在の東京五輪選手村。元旦に神田川沿いを歩いて柳橋から隅田川沿いを歩いて晴海埠頭に行って以来なので、約半年ぶり。警備が厳重になっていたし、気持ちあたりの雰囲気がキリキリしているように感じた。正月同様にゴーストタウンのままだったけど、自転車でもあれば銀座まで20分もかからないだろう。そう考えると五輪出場選手がコロナ禍でなければ、銀座とかで飲み食いしたり、買い物をできたんだろうなと思うが、今やそれも無理になっている。石原慎太郎都知事時代から東京五輪招致反対だったけど、このまま行けば強行して、無理やりな感動を押し付けて選挙で勝っていろんなことをごまかすことしかあいつらは考えていないだろう。

『ウィンターバケーションEP 2021』 元旦に歩いた際の写真などはこちらから。

f:id:likeaswimmingangel:20210623194818j:plainf:id:likeaswimmingangel:20210623194830j:plain晴海埠頭からも20分もかからずに豊洲ピットに到着。いつもライブに行っている青木と待ち合わせだったが、早めに着いたのにすでに到着していた。
スタンディングではなく、イスが置かれており各自の場所も決まっていた。イスは30列ほど、一列に50席ぐらいなのでたぶん1500席、スタンディングなら倍の3000人は入れていると思う。酒も出せないのでコーラにした。
ライブが始まるとファーストアルバムからフォースアルバムへ、そして新曲という感じに発表順で披露された。ZAZENBOYSは最高なんだけど、やっぱり立って酒を飲みながら踊りたい、のだけど。あとはそれだけだ。
2010年以降で間違いなく、ライブを一番観ているのはZAZENBOYSだ。この10年はずっと「This is 向井秀徳」のリズムに揺れてきた。これからもゆれてゆれていきたい。


6月16日f:id:likeaswimmingangel:20210623194857j:plainアンナ・ツィマ著『シブヤで目覚めて』読了。
チェコの作家であるアンナ・ツィマさんは村上春樹著『アフターダーク』を読んだことで日本文学に興味を持ち、大学で日本文学を学び、在学中には日本の大学に留学をして、現在は東京を拠点としたチェコ語作家として執筆と翻訳に取り組んでいる作家。
物語は「現在、チェコにいるヤナ」と「渋谷に来たことでこのまま帰りたくないと思ったことで分裂したもうひとりのヤナ」の章が交互に展開していく。
「分裂したヤナ」は渋谷から出ることもできず、幽霊のように誰かに声をかけても届きもしないし、その姿も他者には見えない、というそんな状態で過ごしている。チェコで日本文学を研究しているヤナは「川下清丸」という作家を知り、自身でも翻訳して彼について論文を書こうとするのだが、「川下清丸」は日本文学から存在がほとんど消えている謎の作家だった。そして、「分裂したヤナ」は渋谷で「仲代達矢」似の「仲代」とあだ名をつけたバンドマンに惹かれて彼の行動を追いかけるようになっていく。
この小説を読んだことで村上春樹作品が世界に届いているんだなっていうことと、村上春樹作品は「構造」があるから翻訳されても世界に届く、いや、「構造」飲みが届いているというのを昔大塚英志さんの本で読んだような記憶があるんだけど、それを改めて考えた。まず、「チェコ」編と「渋谷」編という二つの場所(あるいは分裂した主人公のA面とB面)で進めていく展開は懐かしい『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を彷彿させる。そして、この小説でいちばん重要なのは実際には存在しない小説家である「川下清丸」であり、『風の歌を聴け』における「デレク・ハートフィールド」に通じている。勘がいい人なら物語の概要を読んだだけでわかるんだろうけど、僕はわりと途中までそういうことを完全に忘れていた。
村上春樹を知ったことで日本文学に興味を持った少女がやがて、村上春樹の小説にある「構造」を用いながら書き上げた小説がこの『シブヤで目覚めて』であるだろうし、また、現実と夢(虚像)、チェコ語と日本語、母国語と外来語、小説と翻訳、などの著者の中にある事柄がA面とB面という二層に表出されながら、やがて「川下清丸」と「仲代」によって繋がっていく。
村上春樹フォロワーの作家として見ることもできるので、村上春樹ファンは好きなんじゃないだろうか、逆にハルキストだとイラつく可能性もあるが。村上春樹作品が翻訳されて外へ出ていったことで蒔いた種が咲いたという感じもする。

プラハからシブヤへ。アンナ・ツィマの軌跡(前編)


6月17日
f:id:likeaswimmingangel:20210623194951j:plain発売をたのしみにしていた阿部和重著『ブラック・チェンバー・ミュージック』が出ていた。川名潤さんの装幀もカッコいい。まだ読んでいないけど、色々含めてニコラス・ウィンディング・レフン監督作品と通じるところがありそうな。


f:id:likeaswimmingangel:20210623195014j:plainハーモニー・コリン監督『ビーチ・バム』をヒューマントラスト渋谷にて鑑賞。緊急事態宣言のせいで都内では公開していたが観れなかった作品でもある。やっぱり、観ておかなきゃなって思って。
主人公の詩人・ムーンドッグが最高。スヌープ・ドッグもほぼ本人みたいな役で出てきてた。ムーンドッグの妻が大金持ちって設定なのもあるんだが、やっぱりアメリカの金持ちは日本とはレベルは違いすぎて、出てくるものや家とか船とかパーティーシーンとかが本物やんってわかる。
自由に生きているムーンドッグだったが、ある一件でホームレス状態になってしまうけど、そこでもビールもドラッグもセックスも、犯罪じゃんみたいなことしまくってるけど、ひたすらタイプライターを打ちまくって詩を書いていた。根っからの詩人だった。
コロナによって不条理がよりあらわになった閉鎖的世界にいるから、余計に彼の自由で破壊的で開放的でありチャーミングさにやられる。酒にドラッグにセックスに音楽に詩。最後の花火とあるものが燃えて空から舞い散るシーン、詩人にそんなものはいらないのだ、と。酒とドラッグがあればいい。猫も連れて行ってたのもよかった。ほんとうにムーンドッグは最低で最高で最高だった。


6月18日
朝から晩までリモートワーク。途中休憩でニコラ行って一息。東京都はまん延防止等重点措置に移行する21日から2人以内、90分以内なら酒類の提供はOKというニュースを見た。まったくこれだったら前からこれでよかったし、集団で来なければ問題はないし、ひとりで飲む人だっていたし、それだけでも飲食店は助かったのに。もう、都内はふつうにみんな外で飲み始めてるし、飲食店も酒出している。コロナはそうそうワクチン打ったからといって終結するとは思えない。政府が信用できず、まともな答弁も説明もしないのであれば、勝手にやるしかない。東京五輪見たら文句言ってても感動する人はいるだろう。我が家にはテレビはないし、見る機会も興味もないからいいのだけど、これから秋にかけて何が起きてしまうのか怖くもありちょっとたのしみだ。何が崩壊して終わっていくのか、見届けはしたい。
ゴジラ S.P<シンギュラポイント>』も最終回を迎えたが、「特異点」となるもので世界は終末を迎えるのか、あるいは再生するのか、ということを描いたが、今の日本の「特異点」ってなにになるのだろうか。

f:id:likeaswimmingangel:20210623195104j:plain『パンケーキを毒味する』試写状が届いた。
「パンケーキ政権」ってあるけど、小麦粉からの連想で『シンセミア』と『ラーメンと愛国』が浮かんでくる。結局アメリカの傀儡政権なんだから、といつも思ってしまう。A級戦犯岸信介巣鴨プリズンから出さずにおけば、安倍政権も誕生してなかったんだろうけど。最近政治ドキュメンタリー増えてきたけど、逆にテレビではできなくなってきてるんだろうな。

f:id:likeaswimmingangel:20210623195129j:plain数日前にブックオフに行った時に見かけた単行本が気になったが、文庫版が欲しいと思ったのでAmazonで頼んでした森博嗣著『喜嶋先生の静かな世界』が届いた。森さんの自伝的な小説らしいので読むのがたのしみ。


6月19日
f:id:likeaswimmingangel:20210623195218j:plain村上春樹著『女のいない男たち』収録『ドライブ・マイ・カー』を再読。この短編は濱口竜介監督によって映画化され、8月20日には公開される。
批評家の佐々木敦さんが試写を見た感想をツイートしていたので、気になってまた読んでみようと思ったのだ。内容はほぼ忘れていたので、新鮮に読めた。
先月には村上春樹さんの『象の消滅』『めくらやなぎと眠る女』という海外で出された短編集の逆輸入的な作品集を、自分の短編を書くための勉強というか、参考にしたいと思って読んでいた。今作の『ドライブ・マイ・カー』もそうだが、僕は村上さんの短編集のリズムがかなり好きだ。まあ、もともと短編小説が好きになったのは、彼が訳したレイモンド・カーヴァーだし、そういうこともあるのだろう。
映画版は3時間もあるらしく、短編(原稿用紙80枚ぐらい)をどうやってそこまでの作品にしたのか、ということについて佐々木さんが書いていたけど、イ・チャンドン監督が『納屋を焼く』を映画化した『バーニング』に近いものがあるらしい。その時点でクオリティがかなり高いのは期待できる。
映画版の『ドライブ・マイ・カー』は濱口竜介監督が、原作の短編にある構造と骨格、作品の基本設定を用いながら、自分が描いてきたテーマや描きたかったものをそこに入れ込んで新しい作品にしているという。これはかなり期待ができそうだ。また、『バーニング』同様に映画が村上春樹への批評的な側面があるというのもすごくいい。映像化するなら本来はこういうことなんだが、そういう作家性を発揮できる機会は大きな枠組みの中でやっていると難しいだろう。
カンヌ国際映画祭にも出品されているそうなので、金獅子賞の可能性もゼロではない。だが、僕は思うのだけど、もし、映画『ドライブ・マイ・カー』が金獅子賞を取ったら、ほんとうに「ハルキ・ムラカミ」の時代は終わるんじゃないだろうか。すでに「ポストムラカミ」として海外では村田沙耶香さんと川上未映子さんの評価と期待値がかなり上がってきている。そう考えると金獅子賞みたいな世界的な賞を『ドライブ・マイ・カー』が取ってしまえば、大きな物語としての「ハルキ・ムラカミ」は終焉して、次世代へ完全に移り変わるきっかけになるんじゃないだろうか。思い過ごしかもしれないが。
文春から『猫を棄てる』で父親とのことを書いてしまったから、作家としてはもう書くべきことは残ってないからもしれない。あれは出さないほうがよかった気はする。村上春樹があえて書かないことで現れてしまっていた「父」という存在との関係性や距離感や思いは読者もわかっていただろうし、そのことをあえて書かないことで小説を書けていたということはあったんだろうけど。となるとこれから残された時間でどんな長編を出すのかというのは気になる。ピンチョンだってこの間翻訳されて出た『ブリーディング・エッジ』を76歳の時に書いているし。

寝る前に『まっちゃんねる』をTVerで観てしまった。「女子メンタル」でもかなり笑ってしまったが、「イケメンタル」で山田孝之さんのど等の攻撃で笑いすぎてしまった。久しぶりに家で声を出して笑ってしまった。
僕はツボにハマるとひき笑いのようになってしまう。しかし、この番組はアマゾンプライムでの『ドキュメンタル』のパッケージをTV用にしたものだが、このパッケージを考えてフジテレビでやれるというプロデューサー的な資質が「お笑い芸人松本人志」という存在がずっと頂点に入れるという事に繋がっている。プレイヤーであり、プロデューサーであることでしか勝てない世界にどんどんなっていってはいる。そう考えると山田孝之という役者もそのふたつの顔がある。


6月20日

f:id:likeaswimmingangel:20210623195348j:plainかつてのこと、今に続いているもの。例えば、未来について何かを託そうとして、伸ばそうとして、前に前になにかを4つ進めようとしても2つしか進めなかったりしたとして、その時に進められなかった2つをどうするか。未来に進めないのであれば、あるいは演算が不可能であれば、過去へその2つに伸ばす、演算させる場所を求めるという考えがあるとして、その点は現在から見ればマイナス2だとしても未来へのプラス2があるから点の幅は4つになる。その幅のことを考えたいと思うようになってきた。
過去のことを知ることは、いなくなった人のこと知るのは、その幅を増やすことなんじゃないか。ということをこの本を途中まで読んで考えたりした。


f:id:likeaswimmingangel:20210623195414j:plainスパイク・リー監督『デイヴィッド・バーン アメリカン・ユートピア』をホワイトシネクイントにて。
なぜスパイク・リーがこれを撮ったのかは観ると納得しかなく、いつかこの舞台を生で観たいと思わずにはいられない。
気になっていたが、観れていなかったのだが、「古川日出男のむかしとミライ」の中で古川さんが『アメリカン・ユートピア』について書かれていたのもあって、観といたほうが絶対にいいなと思った。朝9時からの回だったがほぼ満席だった。ホワイトシネクイントが入っているパルコは11時開店なので、映画が終わって数分後にオープンしたので一階へだけ繋がっているエレベーターを使って地上に出たらオープン待ちの人がめちゃくちゃいた。
ミュージシャンが曲を作って録音して世の中に出してから、ライブなどでプレイすること。詩や小説を書いて書籍になったり、どこかで発表するとほとんど場合はそれで終わる。だが、朗読をすることはミュージシャンがライブでプレイすることとかなり近しい。古川さんの朗読や朗読劇を観てきた僕は古川さんが自分のサイトで書かれたことの意味がわかると思えた。

古川日出男の番外地】#3 アメリカン・ユートピア


映画館に向かうときから右の横腹から背中にかけて鈍痛がしていて、映画を観終わってから家に歩いて帰っている時はもっとその痛みが重くなってしまった。なんとか家に帰って、靴を脱ごうと靴紐を脱ごうとすると右側のほうが前にほとんどかがめない。ギリギリ手が届いてなんとか靴を脱いで部屋に上がって寝転んだら、さらに痛みがやってきて寝転ぶだけでも体勢次第ではかなりいたくて脂汗が出る感じになった。
1、2時間ほど横になったけど、痛みはそこまで引かなかったので無理して家から10分ちょいのドラッグストアに行ってフェイタスの湿布を買ってきた。ネットで色々調べると肝臓やすい臓系の病気か、肉離れか、いろんな症状が出てくるがどれだか検討がつかない。もしかするとこれがぎっくり腰の可能性もある。明日になって痛みが引いてなかったら、病院も考えないとダメなのかもしれない。寝る前に『まっちゃんねる』で笑いすぎたせいでなっているとしたら、お願いだからすぐに治ってほしい。


6月21日
腰は最悪だ。起き上がるのも大変だし、右腰後ろを殴られたような痛みが動きの際に訪れる。ほっといてもどうにもならないだろうと思い、朝いちで近くの接骨院に向かう。どうやら内臓系の病気ではなさそうだ。だが、ソックスも履けないし、ひつ紐も結べないほど腰が曲がらない。しばらくは通いながら、少しずつ痛みが取れていくのを待つしかなさそうだ。
といえど、朝と晩リモートワーク。床に敷いた座布団に足を伸ばして座って、ベッドに背中をつけて、透明で床に座っているぼくの胸辺りの高さになる机にPCを置いて作業をしている。おそらくこの体勢のせいで年々蓄積していた腰への圧などが痛みになって爆発したみたいだ。イスはあるが、2000円もしない木のイスだが、これに座って本棚化している机で作業をするしかなさそうだ。
寝ても起きても痛みのせいで動きたくないが、動かなくても痛い。これだと集中力は続きにくい。月末の執筆作業がかなり困ったことになってしまった。


6月22日
f:id:likeaswimmingangel:20210623195557j:plain日曜夜に右腰の後ろ側が半端なくいたくなって寝転んでも痛いし、起き上がろうとしても痛いし、前屈もできないからソックスも履けないし、というなんだこれっていう状況になった。いろいろ調べると尿管結石とかもありえるし、親父そういうのやってたしなあと不安になった。月曜起きてから家の近所の整体に行って診てもらったら、内臓系の問題というよりは普段からの姿勢の悪さとかで骨格のズレとかが徐々に高まって爆発したらしかった。
今日も朝起きて一番で整骨院に行き、可動域を広げてもらって電気を流してもらったらかなり動きやすくなった。靴紐は結べないのでずっと履いている紐を結ばなくてもいいスニーカーを履くしかない。ソックスはまだ無理だ。もちろん太っているせいで余計にそれらを難しくしているのもわかっている。いろんなことにガタがきているのを知らんぷりしていたせいだろう。まずは、腰の痛みを治してから、その辺りを改善しないと生活がしにくくてしょうがない。
三宿整骨院から歩いて下北沢へ。歩くのはできるけど、力の入れ方とか重点を間違うと右腹後ろ側をグーパンされたような重い痛みが走る。大便する時も最後に拭く時はかなりの地獄である。便座に座ったままならギリギリ拭けるが、体の曲げ具合で時折グーパンを喰らうので悶絶する。


f:id:likeaswimmingangel:20210623195613j:plain下北沢のトロワ・シャンブルで編集者さんと打ち合わせをしていて、整骨院終わっても遅く歩いていっても時間があるだろうと思って、残りわずかに残っていた『僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ』を持ってきていた。編集さんが来るまで読もうと思ったのは、この本には下北沢が何度も出てくるし、生前の佐藤伸治にゆかりのある地だからだ。
30分近くは早く着いたのだが、編集さんも迷子になるかもしれないと早く着いたのでほとんど読書はできなかった。編集さんと話をはじめたら柄本明さんが来て隣の、窓があるほうの一角で新聞を読みながらコーヒーを読んでいた。下北沢の柄本明三軒茶屋古田新太。住んでいたり、その町によく来る人であればもはや見慣れている光景だが、久しぶりに見た。
編集さんと一時間ほど話をして、今後のこと色々考えないとダメだなと思ったのだが、まず腰を治さないと文章書くのも大変。やっぱり体が資本だ。

歩いて三茶に戻ってきてから買い物とかして、ご飯を食べてから『僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ』を最後まで読み切った。僕は2002年に上京してきたので、90年代の渋谷の風景は知らない、渋谷系にもハマったことがない(ゼロ年代後半に出会った人たちはその影響下にある人が多かった。この本には黒幕こと長谷川さんの名前もあるし、前に一度『文藝』のインタビューをさせてもらった坂上さんの名前もある)けど、ここで書かれている著者の川﨑さん自身がフィッシュマンズと関わることになり、佐藤さんが亡くなるまでのその9年のドキュメンタリーは渋谷という街の変容とCDが一番売れた時代を克明に描いている。
フィッシュマンズはベストアルバムが出てから聴いていたが、めちゃくちゃハマったわけではなかった。ただ、ceroを聴くようになってある種の先祖返り的に聴くようになったこと部分もあった。
マーク・フィッシャー『わが人生の幽霊たち』が出た当時に、ヴェイパーウエイブなんかのワードとともに、90年代日本ポップスがアメリカなど海外で高い評価をされているという話があり、フィッシュマンズのライブ盤『男達の別れ』がベスト100に入っていたのを見たのがなにげなく聴いていたのに、意識的に聴こうと思ったきっかけだった。
日テレで『スタンド・バイ・ミー』『グーニーズ』が放送され、かつて小学生時代に見ていた僕らの世代が親となり、子供と共に見ていたというのもSNSで見た。『ストレンジャー・シングス』の大ヒットと世界的なコンテンツになった背景には、それらの80's映画がベースにあり、後期資本主義とグローバリズム化した世界に明るい未来は想像できにくなり、誰もが戻りたいレトロ・フィーチャーとして80's的なもののリバイバルはあったんだと思う。近年になり80'sと90'sの日本のポップスがアメリカで受けていた理由も、その頃のアメリカはどん底であり、当時の日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」でブイブイいわせていた。つまり、逆説的に見るとその頃のアメリカからすればその日本のポップスは「ここではない何処かで鳴っている楽しい可能性に満ちた」音だった。それが現在の最低な世界ではない、もしもやり直せたら「あの頃」に鳴っていてほしかった、鳴っていたかもしれない音楽であった。という考え方ができる。
フィッシュマンズは佐藤が健在でそのまま続いていれば、アメリカでも成功していたかもしれない。だが、時代性とは関係なくカッコいい音だから、この数年でアメリカで再発見されたというほうが正しいのかもしれない。日本ポップスの再評価もありつつ、そこに孕まれる形となって。
『Long Season』は本読む時に好きでBGM的に流しっぱなしにしてる。僕がこの数年好きで聴いている向井秀徳菊地成孔関連の音楽と共通しているとこがけっこうある気がしている。


6月23日
朝起きると8時半だった。8時前には家を出て渋谷のオフィスに向かっていたはずだったのだが、ちょっと寝過ごしてしまった。起きようとすると腰に重い痛みが、わずかだが徐々に治ってきていると言っても、体勢や体の軸の方向、力の入れ具合で右腰の後ろに鈍い痛みがくる。このせいで熟睡は遠く、寝ては起きてを繰り返したせいで一度目が覚めたのに目覚ましを止めて、また寝てしまっていたようだ。
一ヶ月以上出社していなかったが、今日は午前中にコロナウイルスのワクチン接種の第一回目がオフィスが入っているヒカリエであり、2日候補日があったが早いほうである23日に回されていた。会社での大規模摂取の初日なので、おそらく混み合うだろうなと思いながら、渋谷まで歩いていく。
始業開始は10時からだが、9時半にはたぶん着くだろうといういつもよりはちょっと遅い歩みだった。ときおり、腰が痛くなるのでいつ右手で右腹の後ろを抑えてしまい、腰が痛いという無言のアピールをしてしまう。
会社について1時間ほど業務をして、集合時間にヒカリエの集団ワクチン摂取に指定されている階にいくとエレベーター前にすでに長蛇の列ができていた。自分がいる部署の人は見当たらず、こんだけ人いても知り合いがいないというよそ者感はあったが、会社が大きいし、東京だけではなく近隣の県などからもおそらく来ているのだろう。帰り際にスタッフらしき人が、今日だけで2000人ぐらい来ると言っていた気がする。夫婦だったり、ベビーカーを押している人もいたから、家族分は出ていたのかな。でも、親世代みたいな人はいなかったし、まあ、夫婦で社員だったりしたのかな。赤ちゃんには打たないだろうし。
その階にはワクチン接種に来た人たちをスムーズに進めさせる動線がしっかりできていた。待っている間に渡された記入用紙を部屋に4人ずつぐらいで入って記入し、検温しメールで送られてきたそれぞれの摂取番号を確認してもらい、4箇所ほどパーティションでわけられた場所でお医者さんに書類の再確認とワクチン接種についての質問などができた。打った日よりも翌日のほうが腕がだるかったりなど症状が出るらしい。対応してくれた先生も2日目のほうがだるかったですね、と言っていた。そこでOKが出ると違う部屋に入り、10箇所ほどパーティションに分かれたところに呼ばれたら入ってワクチンを打ってもらう。痛みはほぼなく、あっという間だった。
注射が終わると書類に第一回目の摂取したワクチンのメーカーなどが書かれているシールが貼られ、その時間から15分後の時間を書いた付箋が貼られた。もう一箇所の第二回目が空いており、次回約一ヶ月後に持ってきてくださいといわれた。住んでいる世田谷区からはワクチン接種のクーポンみたいなものは届いていないが、それが来たら送るようの封筒(折りたたむと封筒になる紙)も渡されているので、今後の区からの対応にもそうやって対処することでワクチンを無駄にしたり、一人が何度も打たないようにしていた。
さらに隣の部屋ではワクチンを打った人たちが待機していた。さきほどの付箋は接種後15分後という意味であり、その時間になるまでは一旦待ってくださいということだった。その間になにか起きれば対処するということだ。僕は痛みもなく、とくになにもなかったので面するガラスの向こうに見える原宿方面には目もくれず、スマホで読まないといけない仕事上の文章をひたすらスクロールしていた。

昼前に渋谷を出て、家に帰ってリモートワークで作業を続けようと思ったら、かなりの大雨だったので書店に寄り道もせずに電車に乗って三茶まで帰った。駅すぐのTSUTAYA梅崎春生著『ボロ家の春秋』の中央文庫が出ていて、帯にこの間読んだ『愛についてのデッサン』の著者の野呂邦暢の名前があったので手に取った。野呂のペンネームは梅崎春夫の作品の登場人物から来ていると解説にあった。こういう導線で今は読まれなくなった作家をリユースして知らなかった層に届けようとしている姿勢はすごく正しいし、素晴らしいと思ったので購入して家に向かった。その途中も雨が振っていたのでなんとか濡れないようにPCや文庫が入ったトートバッグの口の部分を脇で強めに挟んで隙間を作らないようにして進んだ。腰がやばいので滑ったら怖すぎるので慎重に歩いたのでかなり濡れてしまった。でも、文庫も大丈夫だった。第二回目の摂取まではたぶんリモートワークのままだろう。

今月はこの曲でおわかれです。
black midi - Full Performance (Live on KEXP at Home)



古川日出男著『ゼロエフ』刊行記念の大盛堂書店さんのオンライントークイベント有料配信中(配信期限は6月末日予定)です。まず単行分の『ゼロエフ』を読んでもらえれば、と思います。
去年夏の国道6号線と、晩秋の阿武隈川を同行させてもらったことについて古川さんとお話させてもらってます。