Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『葛城事件』


監督・原案・脚本:赤堀雅秋
出演:三浦友和(葛城清)、南果歩(葛城伸子)、新井浩文(葛城保)、若葉竜也(葛城稔)、田中麗奈(星野順子)ほか






「その夜の侍」の赤堀雅秋監督が同名舞台を映画化し、無差別殺人事件を起こした加害者青年とその家族、加害者と獄中結婚した女性が繰り広げる壮絶な人間模様を描いたドラマ。親が始めた金物屋を継いだ葛城清は、美しい妻・伸子と共に2人の息子を育て、念願のマイホームも建てて理想の家庭を築き上げたはずだった。しかし、清の強い思いは知らず知らずのうちに家族を抑圧し、支配するようになっていた。長男の保は従順だが対人関係に悩み、会社をリストラされたことも言い出せない。そして、アルバイトが長続きしないことを清に責められ、理不尽な思いを募らせてきた次男の稔は、ある日突然、8人を殺傷する無差別殺人事件を起こす。死刑判決を受けた稔は、死刑制度反対を訴える女・星野が稔と獄中結婚することになるが……。三浦友和が抑圧的な父・清役で主演を務めるほか、母・伸子役に南果歩、兄・保役に舞台版で稔役を演じた新井浩文、稔役に大衆演劇出身の若葉竜也ら実力派キャストが集結。(映画 comより)


 観終わったあとに思った、家族を作りたくないなと。しかし、僕自身もその家族の中で育まれ成長し現在に至っている。家族とは最小単位の社会だ。子供が犯した罪は果たして親の責任なのだろうか、ゼロではない、しかし全てでもない。今作での三浦友和演じる父はまるで今の日本社会、いや戦後の核家族化していった世界での象徴でもあるようにも思えてきて、ただただ嫌な人であり傲慢さで自分の思い通りにしたい人だ。だが、家族のことを思っていないわけではない、不器用で済むことでもない。他者に対しての想像力はやはり欠如している。戦後、日本社会は焼け野原から超高度経済成長を成しあげた。同時に失ったものもある。父性で救える世界ではない。
 安倍政権の気持ち悪さと同じだ。自分にとって都合の悪いことはひたすら隠し、それに対しての正論や真実をいう邪魔者が現れれば大声で罵倒し陥れる。マスコミは弱いものを見つけるとこれでもかと弱いものいじめをする、日本中が弱いものいじめを容認してそれを消費している。大きな声の嘘つきの権力者には逆らわない。家族は当然ながら崩壊していく、個人と個人ではないからだ。父がまずありきで母も子供たちも彼のことをもはや一人の人間として尊敬はしていない、ただ恐怖によってめんどくささによって向かい合わない、いや向かい合えない。
 今まで働いてきた場所でいろんな人を見たが人は年齢を重ねたからといって大人になるわけではない、年を取ってもクソみたいな駄々をこねて自分が正しいと思ってる傲慢な人間はたくさんいた。他人はないがしろにするのに自分のことだけは尊重する。まるで安倍のようだ。
 この作品はある家族が崩壊していった話だ。そして身近な話だ。日本という国の一つの側面だ。救いはない。やり直せるならと思っても時間は巻き戻らないし、もし巻き戻っても結末は同じかもしれない。もっと大事なものがかつてあったとしても、それを失い忘れてしまったら不幸は必ず起こりうる。そして、いつも不幸の見えない銃弾は飛び交っている。急に路上でナイフで刺されたり交通事故にあったり、いつ誰の悪意の対象にされるのかは誰にもわからない。
 人の想いは、暴発する前に伝えるしかないのだろう、最悪の結末を阻止するには。