Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『14時17分』『犬猿』『ゲット・アウト』


 9日、神谷町のワーナーブラザーズの試写室でクリント・イーストウッド監督『15時17分、パリ行き』を観る。後悔は3月1日。『アメリカン・スナイパー』『ハドソン川の奇跡』とイーストウッド監督作品は実話モノが続いている。今作のウリとなるのは主人公の3人が本当にテロを防いだ本人たちが自分を演じているということに尽きるのではないか。同時に弱さは3人がただの一般人であることで主要キャストに有名な役者がいない。それをどう捉えるか。90分少しと長くはない。公開前なのでネタバレしてはいけないのでここまで。



 10日、テアトル新宿にて最初の回で公開初日の『犬猿』を観る。『ヒメアノ〜ル』を実写化した𠮷田恵輔監督・脚本のオリジナル作品。キャストも窪田正孝新井浩文江上敬子(ニッチェ)・筧美和子と魅力的で、それぞれが兄弟と姉妹。窪田正孝新井浩文江上敬子の3人については演技力あるという感じは元々ある。ニッチェでコントをやってる江上敬子に至っては違和感なく見れるし、コントとかしっかりやってる人は演技ができると思う。それで筧美和子は作中に出てくるセリフ自体が、彼女のグラビア的な存在と女優に移行する狭間でよく言われることだと思われることを本人にぶつけられる、それはメタフィクションのようにも見えなくもないが、違和感も何もなく見れる。兄弟・姉妹でなにか問題を抱えていたり、関係がよくない人には染み入りまくる作品。舞台でできそうな感じもある。

 ゆっくりゆっくりゆっくり、しかし、確実に堕ちていくという感覚について、そのことの皮膚感覚というか、それに準ずるものみたいな、ゆっくりゆっくりゆっくり、しかし、それは妥当な道筋にあって、おだやかな破壊、破壊的再生にはならないディスラプティブ・テクノロジーみたいな技術でもなく、ゆっくりゆっくりゆっくり。



 今日はヒューマントラストで見逃していた『ゲット・アウト』を鑑賞。レイシストに対してのブラックユーモアで対抗するというか。先日観た『スリー・ビルボード』同様にこういう作品を作れるアメリカという国は日本同様にトップがお粗末すぎてレイシストみたいなヤツでも映画や創作に関して、おかしいことを作品にしていける。これって日本だとインディーズならあるかもだけど、メジャーじゃあさせてもらえないだろう。意識の問題や商業的な部分が違うと言えど、人気ある役者を出しとけば観に来るだろうというクソな大手の作り手の感覚、そのせいでしょうもない作品の予告を流して、宣伝でバラエティに出るという悪循環しかない。そういう意味で『ゲット・アウト』『スリー・ビルボード』がアカデミー賞候補になったりするアメリカのエンターテイメントは日本よりは豊饒でまともだと思う、というか、たぶん、そうじゃない日本がおかしい。
 日本だと彼女の実家に帰ると彼女の家族みんなネトウヨみたいな、地獄を描いている感じだろうか。『昭和歌謡大全集』みたいに彼女の家族たちとその地域のネトウヨ vs 彼氏と仲間たちみたいな(イラク派兵された元自衛隊とかヤクザ的な仲間たち)のバトルみたいな、北朝鮮から核爆弾落ちてきて、その瞬間だけみんな平等とか、原発爆発して争ってるやつみんな平等に死ぬんだけど、誰もシステムに対しての違和感を持ってないみたいな皮肉として描くみたいな安直なことを考えたりした。