Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『死神の系譜』


水道橋博士のメルマ旬報』vol.19(2013年08月10日発行)「タモリ特集」より



『死神の系譜』(伊坂幸太郎著『死神の浮力』刊行記念かってにスピンオフ<伊坂さん文藝春秋さんすいません>)

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「人間は、その日を摘むこと、日々を楽しむことしかできないんだ。というよりもそれしかないんだよ。なぜなら」
なぜなら、人間はいつか死ぬからだ。
伊坂幸太郎著『死神の浮力』より

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 数えきれない人間たちが青信号になった瞬間に前に歩き出した。
 空はもくもくの灰色の雲が浮かんでいた。風が出始めてきて一雨来そうだった。今にも降り出しそうだったが自生する巨大な街はそれに抗うように様々な電飾やライトがすでに点いていた。
 私はスクランブル交差点を渋谷駅を背にして歩き出していた。巨大なビジョンに映るミュージックに惹かれながら前方からくる笑顔の者や疲れ果てた者、老若男女の群れを避けて進んでいた。
 交差点の真ん中辺りでなんとなく視線を感じたのでそちらに視線を移すと正面から歩いてくる四十にも三十にも二十代にも見える輪郭がぼやけているような女性がいた。彼女は私の正面で止まり話かけてきた。
「あなた、人間ではないでしょ」
 そう言った彼女の額には第三の目というかチャクラが開いてその目が私をガン見していたのでそちらを見ながら答えた。
「なぜわかる? その目か」
「そうよ、この世の者でもないのにどうしてこんな所にいるのかなって思って、ちょっとした興味というか好奇心かな」
 君も半分はこの世の者ではないよと言おうとしたがやめた。笑う彼女は二十代のようにも見えるから不思議だった。目尻や肌の質感は四十代ぐらいの感じがする。
「今から仕事なんだ」
「仕事ってなに?」
 第三の目は私の手元を見ていた。どうやら黒の革手袋をしているのが気になるらしい。
 真夏に長袖のシャツにジーンズに革靴、それに黒の革手袋とはやはり違和感があるのだろう。私の見た目は三十代前半ぐらいで爽やかな見た目の青年風になっている。私たちは毎回調査する相手に接しやすい風貌を設定される。だがいつも手袋はかかせない。
 私たちが素手で人間に触るとその人間の寿命は一年縮んでしまうからだ。だいたい調査する相手の人間はかなりの確率で近々亡くなるのでさほど問題はないのだが。
「人間を観察して「可」か「見送り」を決定し報告する」
「へえ、人間にとっては重要な役割なのね」
「まあ、そうだとも言えるだろうな。信号が点滅しているぞ」
「じゃあ、さようなら死神さん」
 彼女が足早に走り出す。私も反対側に走り出すとポツリポツリと雨が体を打ち始めた。渡りきって地下鉄の入り口に入る。私が仕事の時にはあまり雨は振らないので久しぶりの雨の匂いだった。そういえば同僚の千葉はいつも仕事をする時は天候に恵まれないと言っていたのを思い出した。
 千葉が言うには「死を扱う仕事」であるだけに悪天がつきものなのかと勘ぐったこともあったらしいのだが私の場合はたいてい晴れている。だからそれはただの偶然だろう。千葉に晴天を見たことがないと言われた時にはそれは信じがたいという顔をするとそれは事実なのだから仕方がないと千葉が雨降りの空を見上げたのを思い出した。


 情報部から渡されたスケジュール表に書かれていた書店を目指していた。時計を見ると19時16分だった。目的の書店を見つけると中に入って店内を見渡す。
 入り口近くに展開されているコーナーの場所にその調査対象の女性はいた。
 黒ブチ眼鏡をして髪も染めておらず、背は高くも低くもない。化粧気もあまりなく服装は仕事帰りなのか地味な感じだ。一言でいうとまるでモテそうにない。もう少し明るい色や疲れた表情でなければそれなりに可愛いのかもしれないが彼女がそれをしそうには見えなかった。私は彼女の後の方で他のコーナーの本を見ているフリで観察していると時折、彼女はレジの方を伺っていた。
 レジには二十代ぐらいの背の高いキリッとした顔立ちの青年と四十代ぐらいの主婦に見える女性と背が低く頭部が薄くなっている社員らしい三十代後半に見える男性の三人がいた。彼女の視線は背の高い男性に向いているように思えた。私は彼女がいるコーナーの隣りに立つ。これでもかと店員の想いが溢れているコーナーだった。
 平台に積まれた本のタイトルは『タモリ論』とあった。帯には黒サングラスのようなデザインがされていて「やっぱり凄い!」とデカデカと書かれている。
 サングラスの下には「異才の小説家が、サングラスの奥に隠された狂気と神髄に迫る、革命的芸人論。」とあった。ふと私は手に取って冒頭から読み始めてみた。まだ隣りの彼女は動き出しそうになかったからだ。冒頭の「はじめに」を読み終わり<第一章 僕のタモリブレイク>を読みかけてすぐに彼女は一緒に積まれていた紫色の文庫を持ってレジに向かった。
 レジは並んで二つあって青年と主婦がいて主婦の方はサラリーマンの会計をしていた。彼女は青年の方に向かうと青年は大学生ぐらいの男に問い合わせをされてレジを離れてしまった。その大学生と私は目が一瞬合い、オヤっと思ったのだがレジは中年の社員に変わって彼女は会計をすることになった。その表情は見えなかったがきっと笑顔ではなかっただろう。
 書店から出て行く彼女の後を少し離れて追いかけていく。鞄からイヤフォンを出して耳に装着した。心なしか彼女の足下がリズムに乗っているような気がした。同時に鞄から鍵が落ちたのだがそれに彼女は気付いていなかった。私はそれを雨が濡らした道路から拾うと早歩きで彼女の前に立って鍵をみせた。後から肩を叩こうと思ったがミュージックを聴いている彼女の顔を少し見たいと思ったのだ。鍵を見て彼女は驚いたようで自分の鞄の中を探ってないことを確かめた。
「それ私の」
「さっき君が落としたのを見て拾ったんだ」と私がそう言うと「ありがとうございます」と言って手のひらを出した彼女に鍵を渡す。普通に渡しだけなのに鍵はなぜか手のひらから零れ落ちそうになって瞬時に反応して手を出すと彼女の手に触れた。
 しまった、と思った時にはすでに遅かった。
 書店で本を読む時に黒の革手袋を外していた。彼女の顔は悲鳴をあげそうな顔になった。まるで死神を見たかのように、まあ実際には目の前にいるのだけども、血の気のひいた青ざめた顔になってその場にへなへなと座り込んだ。やってしまったと後悔しても時は既に遅し、とりあえず周りには誰にいない。同僚には見られてはいないだろう。人間を素手で触ってしまうのがバレるとペナルティが課せられてしまう。手袋をつけて座り込んでしまった彼女を抱えて私は歩き出した。

「本当にいただいていいんですか?」
 目の前のパフェにさっきまでとは違う目の輝きと笑顔の彼女は言った。
「これも何かの縁だろうし、きっと急に倒れるってのは疲れすぎているからだ。糖分を取ってないからだろう。そういえば君の名前は?」と一応名前を確認しておいた。
「柊みちるです」
 彼女はひらがなでみちるです。『青い鳥』の兄妹のチルチルミツルの妹のミチルですと言った。母親が青い鳥を見つけれるようにって名付けてくれたんですと照れながら言う。
「で、青い鳥はいたのか」
「変な人ですね。簡単に見つけることができたら本当にいいのに。あっ、名前聞いてなかったですね、お名前は?」
「岡山というんだ」と私は答える。人間は対する相手の名前を聞かないとどうも不安らしい。
 仕事で送り込まれてくる私たちには、決まった名前が付けられている。姿や年齢などは毎回変わるのにその固有名詞は変化しなかった。きっとそうほうが管理しやすいという理由だろう。
 話は後でいいからパフェを食べてしまったほうがいいよと言うと彼女は美味しそうに食べて始めてぺろりと平らげてしまった。
「ごちそうさまでした。いやあ、本当に美味しかったです。ここまた来たいな、パフェ食べに。会社も退屈で毎日がしんどくて死にたいっていつも思ってるんですけどこういう美味しいものを食べていると至福というか生きていたいと思えますね。でも日々仕事に追われて何やってんだろうって思ってため息ついてはもう消えたいなって思ってるんです。ここは退屈迎えに来てって感じです。死にたい、でも誰か迎え来てみたいな」
 私たちが担当する相手は促したわけでもないのに、「死の話」を口にすることが多い。死という暗闇に脅えながらもそれすらも救いだという顔をする。私たちが調査している間に相手の人間が死ぬことはない。私は、「残念ながらまだ死ねないんだ」と彼女に対して少し申し訳ない気持ちにもなった。自殺や病死は死神の管轄外なのでそれがいつ起きるかはわからないが調査中に起きるということはない。
 私が相槌を打たないでいると彼女がコーヒーを一口飲んでから言った。
「『ここは退屈ここは迎えに来て』って小説があって凄い良かったんです。私も地方出身だからわかるなって部分があって」
「そうか君は東京出身じゃないのか。しかし君は本が好きなんだな」と知らない感じで言ったが情報部からの資料で彼女に対する大抵のことは知っていた。
「はい、大好きなんです。岡山さんもさっき書店で本読んでたじゃないですか」
 彼女はデザートと本が好きでその事を話し出すと顔が活き活きして見えた。鞄の中からさっき買った紫色の文庫を袋から出す。
 黒い帯には「ババアが死んだ。俺は雑司ヶ谷の神になる。」とある。ほほう、神になるのなら私も死神だから同類といったところだ。彼女はその文庫を手に取ると私にさらに話かけてきた。
「さっき岡山さんが読んでいた新書の『タモリ論』書いたのがこの『雑司ヶ谷R.I.P.』って小説を書いたのが樋口毅宏さんって小説家さんなんです」
「そうか、はじめの部分しか読まなかったんだが今後の参考にその『タモリ論』の感想聞かせてもらってもいいかな?」
「いいとも! いやそういうノリではなくてですね。岡山さん冷静で落ち着いてるような顔をしてそういうの仕掛けてくるんですね。やりますね」
「いや、よくわからないのだが。とりあえず聞かせてくれ」
「これはつまりタモリについて語るときに樋口毅宏の語ることってことなんです。この新書は「タモリ」という存在について樋口さんの記憶や資料などから語られます。あれ? 話が脇道にそれて、ああそっちから攻めて来た!な展開で飽きさせない感じで読んでいけるんです。樋口さんの語るタモリ論ですからつまり樋口毅宏という作家のこれまでとオーバーラップさせながら語るという自分語り部分も入ってくるわけです。だからこれは論じゃないとかいう批判もあるんですがそれは本質を捉えていない。ひとりひとりのタモリという存在について考えさせられる本なわけです。そして「タモリ」を語る事は「たけし」を語る事であり、「さんま」を語る事になっていくのは至極当然です。いわゆる三位一体ですかね、違うか。ロラン・バルトのいう所の空虚な中心みたいなものでタモリさんはお笑い界の空虚な中心として樋口さんは語るわけです。まあBIG3というテレビにおけるお笑いの祝福であり同時に呪縛として未だに君臨し続ける彼らについて樋口さんは「たけし」は誰である説や「さんま」は誰である説を巧妙に語っていきます。『いいとも!』に起きた乱入事件なんかとともに。小説家としての樋口毅宏ファンである私は期待と不安がありつつ、読みながら感じたのは樋口作品においてオマージュという先達や影響を受けた人へのシンプルな尊敬と愛をぶちこんできた樋口さんのそれらがタモリさんやたけしさんにさんまさんにも注がれていて読んでいくうちにはなんだか嬉しくなってきたんです」
 まくし立てるように話した彼女はコーヒーを一気に飲んでさらに水も一気に飲んでから店員に水のお代わりをお願いした。私は飽きれながらも、いや感心しながら話を聞いていた。
 人間というものはあんなに死にたいとか退屈だとか言っているすぐ側から目を輝かせて自分の好きなものを語る時は水を得た魚のように振る舞える。そんな強さがもちろんこの大人しそうな彼女にもあった。
 唇を舌で軽く舐めるように濡らすとまた話し出す。
「『パピルス』で連載していて未だに書籍としては発売されていない『アクシデント・リポート』って作品があって、それを連載中に読んで思ったのは樋口さん本当にタモリさん好きなんだなって、そういうシーンが出てくるんですよ。テレフォンショッキングな場面ですごいショッキングなシーンをぶち込んでくるの。たぶん、『タモリ論』と同時期に執筆していたようなそんな気がするんです、違うか、でもいっか。新書の中でも書かれていたあの事故との繋がりとか。だから新書を面白く読んでいるのに小説が読みたくなってくる不思議遊戯感が満載なんです。だから、私は『タモリ論』を楽しく読みながらも早く『アクシデント・リポート』読みたいって気持ちがしてきて読み終わったらテレビでは『タモリ倶楽部』が始まっていつものオープニングの曲が流れているそんな金曜深夜もとい土曜日の午前〇時だったんです。で、私とタモリさんというとね、ひとつだけあって。私は中学時代に卓球部だったんだけどその頃は学校の卓球台とかも黒に近い緑色みたいな台だった。でもタモリさんが卓球はネクラのスポーツだとかテレビで言って卓球協会もやばいみたいな感じになっていろいろそれまでの物からモデルチェンジしていくことになったそうです。私が市の大会に出ると今まで通りの緑色の卓球台の方が多かったんだけど新品というか新しい水色の台とかが何台か入るようになってそれが次第に増えていったの。ボールの色もユニフォームも今のオリンピックとか世界大会とかテレビで見るようなカラフルなものが増えていった。それって実はタモリさんの発言の影響で変わっていったんだよね、そのくらい影響力が大きかった。私が中学の頃はそうやって卓球が変わろうとしてた、でも『稲中』のマンガがあったからネクラよりも変態的なイメージもあったんだけどね」
「なるほど、そうやって聞くときちんと読んでみたいと思える」と私は言ったが自分語り的な要素が孕まれているとなると私の場合は死神とタモリになるわけだ。私がタモリブレイクするとタモリが死んでしまう、そんな気もする。
「この樋口って人間の小説も面白いのか」
「好きか嫌いかみたいな、DEAD or ALIVEっていうか。好きか嫌いかが両極端に分かれる作家さんではあるかも。私は大好きですけど。樋口さんは編集の金さんに依頼されてこの『タモリ論』を書いたんです。それは金さんの慧眼だと思います。そしてこのお二人は確実にこの新書が話題になるっていう手応えがあったはず。処女作の『さらば雑司ヶ谷』でのタモリさんがオザケンについてのあの箇所の件はこの新書に確実に繋がっています。そして続編のこの『雑司ヶ谷R.I.P.』の文庫が『タモリ論』が出た後に発売されるタイミングとかは新書が話題になって一作目も続編もきっと読むに違いないと今まで樋口作品あんまり刷ってくれなかった新潮社さんYO! と二人がサングラス越しにニヤついて乾杯しているように思えるんです。そしていつか出るだろう『アクシデント・リポート』にまで連なる流れなんですよ、たぶん。そこまで長期的に考えていたんじゃないかなって私は最近疑っているんですけどね」
「そうか君にとっては面白くない日常の、死にたい平凡な日々に刺激をくれる作家なわけだ。でも、もし『アクシデント・リポート』が出なかったらどうするんだ」
「その時は死にますね」と彼女は笑いながら言った。残念ながらその願いはすぐにでも叶うのだがと少し申し訳ない気持ちになった。


 彼女と別れて246沿いを歩いて道玄坂まで出てそのまま宮下公園の方に向かう。目的地は大型CDショップだった。私の足取りは早かった。今回の仕事も順調で仕事自体は気楽なものだ。私たちは人間の姿になって調査対象の人間について一週間の調査が終わると、担当部署に結果の報告を行う。
 その結果が大半は「可」であるのだが、その翌日のつまり八日目に、「死」が実行される。ようするに私たちはその実行を見届けて仕事を終了したことになる。
 担当した人間がどのような形で死ぬのかを私たちは情報部から聞かされてはいない。だから見届けの時が来るまでは彼らがどのように死ぬのかは知らない。たいてい仕事で人間の姿になるとCDショップを探す習慣がついている。
 人間の世界は行列など最悪なものが多いがミュージックだけは格別に最高なものだといえる。
 21時を過ぎている平日の店舗はほどほどの客でこれはのんびり視聴できるぞと顔が自然とニヤけてきた。邦楽ロックのコーナーの階を見渡していると視聴機の前でヘッドフォンをして音楽誌を読んでいる男がいた。書店で問い合わせをしていた大学生だったので近づいて肩を叩いた。大学生はヘッドフォンを外すと私を見て頷いた。
「やはり千葉か」
「ああ、さっき気付いたよ。俺は二日前からだが。お前はいつから?」
「今日からだ。雨が降ってるから千葉のことを思い出したがまさか同時期に仕事とは。仕事は順調にいきそうか?」
「最後まできちんと見て報告するよ」
「でも、「可」だろ」
「たいていの場合はな。お前はどうなんだ?」
「まあ限りなく「可」だよな。なんかオススメのミュージックないか。今日来たばかりだからな」
 千葉は肩にかけていたヘッドフォンを外して私の頭にかけて再生ボタンを押して「じゃあな」と言った感じで上りのエスカレーターがある方に歩いていったが途中で立ち止まり私に向かって左手でピースをして右手は指を全部開いて何かを示そうとした。私も同じようにして視聴期を指差すと千葉はグッドラックみたいに指を立てて角を曲がって消えた。私は再生される音楽に身を預けるように目を瞑った。
 特徴的な声と物語のワンシーンを描くような詞の世界と重すぎず軽すぎないほどよく疾走するロックが鳴っていた。千葉が読んでいた音楽誌の表紙に聴いているアルバムのバンドが載っていて私も手に取って彼らのインタビューを読みながらずっと視聴機から流れるミュージックを聴いていた。千葉の示していた七曲目になった。やっとメジャーデビューして出したシングルがオリコン七位になったこと受けて作られた曲のようだった。
 中心人物でボーカル・ギターで作詞をしている人物の名前が尾崎世界観と書かれていた。詞の世界観がいいですねと言われたことに対してつけたものらしい、かなりひねくれているが面白い。


 私は閉店になるまでミュージックを楽しんだ。夜になると良いミュージックが鳴っている店を探すか深夜までやっている書店にでも行ってさっき聞いた小説でも読もうかと思った。CDショップで視聴機の前で真剣な顔をして立っているのがいたらたいていの場合は死神だ。次に仕事でこっちに来るのがいつになるかわからないから来た時はできるだけ浴びるようにミュージックを聴いている。
 私は小説も読むというと千葉や同僚には変わったやつだなと言われるが仕方ない。天使はたいてい図書館にいるらしい。そんな映画があると同僚が教えてくれた事があった。だが、私は恋のキューピッドではない。あと一回か二回程彼女に接してみよう、こう見えてもわりと仕事はきちんとするほうなのだ。
 とりあえず深夜遅くまでしている書店に向かう事にした。私たちは死神だから寝る事もないので人間が活動を控える深夜帯は店が閉まるので地方に行くと大変手持ち無沙汰になる。だから朝日を見ると安心する。やっと人間たちの活動が始まっていくのだと。
 さっき読んでいた音楽誌『MUSICA』のインタビューでバンドのボーカルである尾崎世界観は衝撃的な体験のひとつとしてラジオを聴いていて初めて朝になる瞬間を見た事だとインタビューで答えていた。
 自分の窓から見える夜明けを見るのが好きになった。だけどそれは寂しいという感覚だったらしい。夜明けにだけ見る、自分にとって特別な景色だが遠くのほうでは小さく車が動いている音がして、この景色も今もずっと動き続けている世界の一部だなって現実に引き戻された。ただその気持ちは常に持っておきたいと思ったと彼は語っていた。


 三日目に書店で彼女があの長身の大学生風の男にレジで会計してもらっているのを見る。大学生が文庫にカバーをかけているようだった。
「僕もこの作家さん好きなんですよ。お待たせしました。どうぞ、ありがとうございます。またお越し下さい」
 青年にそう言われた彼女は恥ずかしそうな笑顔になって書店を出て行った。好意があるのならば言えばいいのにと内心思った。昔担当したことのある男がよく言っていた言葉を思い出す。
「出会いに照れるな」とそのキャップを被った男は死神の私にさえそう言う豪快な男だった。
 店内を見渡すと大学生ぐらいの姿になっている千葉がまたいた。私は彼女を追いかけるように読みかけの小説を棚に戻して店外へ出た。彼女は私には気付かないようで、それもそのはずイヤフォンをしているのでミュージックを聴いていた。私の興味は彼女がどんなミュージックを聴いているかどうかだったかとりあえず距離を持って見失わないように歩く。
 彼女と私、そしてもう一人私の後を歩いている者がいた。彼女がコンビニに入っている間は遠くから私は待っていた。
 うしろから来た男は私を追い越してコンビニの前のガラス越しに彼女を見ると踵を返して私の前を走って通りすぎた。エプロンぐらいは外せばいいのにと私はその男を見て思った。人間という者は本当に愚かだなと思わずにはいられない。
 ここまで追いかけてきて声もかけずに帰っていく、時間と労力の無駄遣いとしかいいようがない。
 六日目、コンビニで偶然を装って彼女と居合わせた感じで声をかける。
「こんばんは」
「よかった岡山さんだ」と彼女はふっと緊張していた顔から安心したような顔になる。
「よかったって、なにか悪いことでもあるのか」
「誰かに後をつけられているような気がして。怖くてずっとここで立ち読みをしてたんです」
 この間、私も君の後をつけていたがまったく気付かれなかったがと言いそうになるのを抑えた。一度お茶したぐらいの関係で安心感を持つような危機感のなさがそうさせるのだとも言いたかったが。
「あの〜、もしよかったら家の近くまでついてきてもらったりできませんか? わがままなお願いで申し訳ないんですけど。ひとりだと怖くて」
「まあ、いいよ。ここから近いのか」
「五分ぐらいなんですけど街灯があんまりなくて暗がりなんで」
「それじゃあ、行こう」
「ちょっと待ってください。それなら買い物します。すぐに終わるんで」
 さっきまで怖がっていた彼女は発泡酒二本とつまみを買っていた。本当に怖いのか疑問になった。安心して食い気が戻ってきたのかもしれない。
 確かに彼女のアパートに続く道は街灯があまりなく静かな閑静な場所と言えば聞こえはよいが夜の女性の一人歩きには向かないかもしれなかった。
「まだ後をつけられているような気はするか?」
「わからないですけど岡山さんいるしさっきみたいな怖さはないです」
 彼女は暗がりの方を振り返って凝視しているが何も見えないだろう。私にはかなり遠くに男性が息を沈めるようにして立ち止まっているのが見えたがそれを彼女にわざわざ教える必要があるとは思えなかった。そしてその男が私たちとは反対側に走り出したのが見えた。
 歩き出した彼女の横に並んでアパートの方に向かう。仕事の愚痴を聞かされる。
「なんで私こんな仕事してるんだろうっていつも思うんです。給料日に銀行残高が増えて家賃払って公共料金支払ってってしてたらどんどん残高減って、あれ? わたしの価値ってなんなんだろうって思って寂しくなってきて。ずっと死ぬまでこれが続くのかなって思うとなんか狂いそうっていうかただただ怖いっていうか。こんな運命なのかなって思ったりして。死ぬまで、寿命が来るまでこんな毎日なのかなって」
「寿命はあるさ。当然。だがみんながみんな寿命で死ぬわけじゃない。それを待っていたらバランスが崩れてしまう」
「バランスって?」
「人口とか、環境とか世界のバランスだ。寿命の前に死んでしまう事もある。突発的な事故や事件に巻き込まれるような。それは寿命とは別だ。火事とか溺死とかそういうものは後から決まるものだ」
「誰が決めるんですか?」彼女が私に問いかけてくる。
「死神とか呼ばれるそういうものだ。おおまかにいう神様みたいなものだろう」
「まるで死神に知り合いがいるみたいな話し方ですね」
「そう聞こえたのならそれでもいいが」
「神様なんているんですかね。じゃあ、もっと私の人生楽しくてもいいはずなのにね、そう思わない岡山さん。私は退屈で死にたいって思ってるけど、もっともっとなにか良い事があるんじゃないかとも思ってるんです。そうじゃないとこんな生活続けていけない」
「この生活が終われば楽になれるとも聞こえるが」
「でも、やっぱり生きていたら楽しい事や嬉しい事があったり、ときどき何年とか何十年に一度ぐらいは美しい景色とかが見えるかもしれないじゃないですか、やっぱりそれを信じて生きていたいです私は、信じるぐらいはいいですよね」
 私は答えずにただ頷いた。三階建てのアパートの前に来ると彼女は頭を下げて丁寧にお礼を言った。「おやすみなさい」と言って彼女はアパートの階段を上っていった。
 来た道を引き返して歩き出した。大型のCDショップか書店に向かおうと思った。コンビニを過ぎてしばらく経った交差点で警察車両が停まっていた。
 ガードレール沿いに千葉が立っていた。見届けにやってきたのだろう。私に気付くと軽く手を挙げた。
「見届けが終わったか」
「ああ、車に轢かれた。女性の後を追いかけていたんだが急に振り返って走り出して無我夢中で信号も無視して車に撥ねられた」
「お前の担当だったのかあいつは」とエプロン姿の背の低い男の事が浮かんだ。
「そうだ。仕事は終わりだ。最後にミュージックを聴いておこうと思ったがどうやら時間がないらしい。次はいつになることやら。この間のはどうだった?」
「すごくよかった。面白いとも思った」
「岡山も結果の報告を出す頃だろう。どうするんだ、いつも通りか」
「今、ちょっと考えてる。でも、おそらくはいつも通りにするだろうが。まあもう少しはこちらでミュージックと小説を楽しむよ」
「それは羨ましいな。じゃあ、また。そういえばさっき死んだ男が言っていたが私達のことを書いてある小説があるらしい」
「ほお、それは興味あるな、なんてタイトルだ」
「『死神の浮力』というやつらしい。俺は読んでないが時間があればどうだ。じゃあ」
「ああ、また」
 私は千葉と別れて歩き出す。私たち死神は人間がどうなってもさほど関心はないが彼らが死に絶えてミュージックが無くなってしまうことは、つらい。
 報告をどうしようか私は考えながら私は街を歩いている。千葉に言われた小説をとりあえず読もうと書店に向かった。



エピローグ
 久しぶりにこちらに来たのでミュージックが聴けると嬉しくなっていたが情報部から渡されたスケジュールではすぐに接触しなければいけないらしく、しばらくはお預けのようだった。だが、すぐ近くに 大型の書店があったのでスケジュールに記されている時間まで私はそこで時間を潰そうと思った。
 一階の部分では新刊が広く展開されていた。以前、聞いた事のあった著者名とタイトル名の置かれている本を一冊手に取って冒頭を読んでみた。
 何人かの人間が置かれているその本を手に取ってはレジに向かっていった。すると私の視界の隅に一人の女性が目に入った。
 髪の毛も少し明るい色になって黒ブチ眼鏡はそのままだが明るい柄の服を着ている、そう彼女は柊みちるだった。もちろん彼女は姿など変わった私に気付くこともなく積まれた本を手に取ってパラパラめくるとその分厚い、まるで聖書のような樋口毅宏著『アクシデント・リポート』をレジに持っていった。
 私は時計を見ると予定の時間に近づいていたので本を戻してすぐ近くのアルタ前に歩いて行く。しばらくすると情報部からのスケジュール通りにアルタ前に停まったタクシーの中から四十過ぎの男が降りてきた。
 さあ、仕事だ、と私が調査対象の男の方に歩き出そうとした刹那、黒いサングラスをした決して狂わない男が私の目の前を通りすぎようとしていた。しかし、黒いサングラスの上の額に第三の目が現れて私をガッと見つめてすぐに閉じてそれは消えた。黒いサングラスの男は何事もなかったかのようにそのままアルタの中に入っていった。