Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『表現方法』


 『ダ・ヴィンチ』が落語特集なんで買ってみた。いやあ、風が吹いてる感じがするなあ。 というか確実に大きな波は来ている。年末の『赤めだか』もそうだけどこういう時にいかに流れに乗るか乗れないかは十年、二十年後に圧倒的な差とか出そう。



 そんな日に今年初のB&Bで立川吉笑×和田尚久「現在落語論特講 第一回〜『落語』という表現手法について〜」を観に行ってきた。吉笑さんが「冬」って単語があったらその情景じゃなくて単語として「冬」っていう文字としての記号が浮かぶって言われていて、あ、同じだって思った。
 『現在落語論』を刊行し二つ目の吉笑さん。著書について和田さんとお話をされていたが、和田さんの知識量がすごい。古典落語って言ってるけどそれって戦後ぐらいからで、歌舞伎とか能はそれが江戸時代にあった。
 つまり時代が変わる時に形として残しておかないとヤバいと思った人たちが残したものが古典となっている。落語はそれが戦後にきた。名人と今呼ばれている人たちは音源が残っている。それ以前のすごい人たちは文献しかないから音がわからない、今の時代はすべて残せてしまう。だから検証ができる時代でもあるという話なんかも。
 落語は伝統と大衆の文化の間にあるものだからいろんなジレンマもあったりもするのだろうが吉笑さんの落語は若い、彼と同世代のお笑い好きには届きやすいと思う。そこからもっとエンタメとして攻めるのか古典よりは偽古典をしていくんだと思うんだけど、大きな流れがある。そしてもうすこし先にあるだろう大きな変化の話もされていて今自分のいる落語というジャンルと進んで行く世界について本気で考えて取り組んでいるのがわかった。でも、落語が面白いから観に行ってみようと気軽に思うような時代になるのももちろんいいけど、どうなるのだろう。僕は吉笑さんの落語はずっと続けて観に行きたいと思う。というかふつうに行く。



『ランダム』
黒い空の中に笑っている光の束が分裂していく。
ああ、終わるのだと僕が言えば、君は始まるのだと言う。
光の細切れは大地に降り注いでランダムに人に刺さる。
赤い血が大地に流れて、息絶えた人々の口から光が放射される。
死に絶えた体は徐々に硬質になっていって新しい批評になる。
批評、いや資料、いやいや肥料だ。
刺さらなかった人々はその肥料を担いで、
光にできるだけ触れないようにして、
家に持ち帰って庭に埋める。
すると新しい太陽の芽が出てきて夜中でも生活ができた。
ランダムに死んだ人のおかげで、おかげで。