Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『リアリティのダンス』


監督/アレハンドロ・ホドロフスキー
出演/ブロンティス・ホドロフスキー(ハイメ)、パメラ・フローレス(サラ)、イェレミアス・ハースコビッツ(幼少期のアレハンドロ)、アレハンドロ・ホドロフスキー(大人のアレハンドロ)、バスティアン・ボーデンホーファー(カルロス・イバニェス)、クリストバル・ホドロフスキー(行者)、アダン・ホドロフスキーほか



1970年代に発表した「エル・トポ」「ホーリー・マウンテン」などでカルト的人気を誇るアレハンドロ・ホドロフスキー監督が、「The Rainbow Thief」(93/日本未公開)以来23年ぶりに手がけた監督作。自伝「リアリティのダンス」(文遊社刊)を自ら映画化し、1920年代の軍事政権下にあったチリの田舎町を舞台に、幼少期のホドロフスキーと権威的な父親、息子を自身の父親の生まれ変わりだと信じるオペラ歌手の母親との暮らしや、ロシア系ユダヤ人であるがゆえに学校でいじめられて苦しんだ逸話などを、チリの鮮やかな風景と、現実と空想が交錯した幻想的な映像で描く。(映画.comより)








 アップリンクにて鑑賞。日曜日の最終回かな、ほとんど埋っていた。『ホドロフスキーのDUNE』を観て観ようと思っていたのもあったが、観た人たちもかなりの好評価だしやっぱり観とかないとねということで。



 西島大介さんの描いた『DUNE』展示されてる。描いてる時に観てたけどやっぱいい。 今作の『リアリティのダンス』はアップリンクの独自のレイティングだからボカシとかもないぜ〜。ということだったけどやっぱりそれが正しかったのだと思うというかチンコが出てようが小便してようがそういうものにモザイクをかけるというのはやっぱり違うと思う。今作でもしモザイクがかかっていたら興ざめしてしまって物語の世界に入っていけなかったに違いない。


 父親であるハイメを演じているのが監督の息子であるブロンティス・ホドロフスキーで『DUNE』で主役を演じることになっていた男、頓挫したために彼にその栄光は訪れなかった。アレハンドロ・ホドロフスキー監督の幼少期のことを描いているので息子が監督の父親である、つまり祖父をやっているとかで時間も軽く越えてしまっているように思えてしまう。
 権威的な父がどんどん後半で変わっていく辺りはキリスト的なもののモチーフだろうし、宗教というか神の存在についてのメタファーみたいなことになっている。母はずっとオペラ口調で歌うのが会話だし、なんだかいい意味で狂っている感じがするが軍事政権下の世界などはもはや狂っているのだ。カラフルな町や服と対照的な軍事政権下の暗い世界がそこにはありアレハンドロ・ホドロフスキー監督は幼少期にそれを体験しずっと嫌悪しているのだろう、そこに幻惑的な世界を持ち込むことでよりその空気を強調しているようにも見える。


 説明はしづらいし好き嫌いも分かれるはずだ。しかし、これは映画という映像と物語と音楽、美術が濃縮された小さな宇宙の爆発みたいだった。何度も笑いそうになってしまったし笑った。もうコントとスレスレなものだから、故に強く、アレハンドロ・ホドロフスキー監督の世界観は圧倒的に圧倒的すぎる。絶対に映画館で観るのがオススメ。