Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『イノセント15』と今年のベスト10

 20日、メルマ旬報の忘年会で松崎さんが監督と主演女優さんを連れてこられて、観に行きますよと言ったのでチケットを取った『イノセント15』が今年最後に観る映画になった。



 紅一点だった木村綾子さんが帰った後に撮った集合写真なのでおっさんしかいなく平均年齢がクソ高い。



 水道橋博士編集長と『イノセント15』主演の小川紗良さんの2ショット。少しだけお話しさせてもらったけどしっかりされてた。



 19日には『ローグ・ワン』を観たので今年の僕のベスト10をとりあえず考えてみた。


1・『ふきげんな過去』
2・『ゴーストバスターズ
3・『リップヴァンウィンクルの花嫁』
4・『ひそひそ星』
5・『ちはやふる 上の句』
6・『シン・ゴジラ
7・『この世界の片隅に
8・『デッドプール
9・『ブルックリン』
10・『モヒカン故郷に帰る


 『ふきげんな過去』は観ていてマジックリアリズムみたいな映画だなって思って、もし自分が映画を撮るならたぶんあんな感じにしたいと思うし、小説も虚実が入り混じる境界線があやふやなものが書きたいし好きだからという意味で。
 今年は海外の作品をあまり観れてないけど『ゴーストバスターズ』と『デッドプール』は観ながらワクワクしたしリズムを取りたくなるようなテンションになったので外せないなって。
 『リップヴァンウィンクルの花嫁』はもう一歩間違えたらっていう黒木華をあそこまで可愛く撮れてしまう岩井さんの視線とかさ、やっぱり狂気を孕んでると思う。
 『ひそひそ星』は一瞬カラーになる部分があるモノクロな作品だけど園さんの想いとかがうまくシンクロしていた、あと音がすごく印象深い作品で園さんの映画の中でもとても好きな作品になった。
 『ちはやふる 上の句』はかつての王道だったジャンプの友情・努力・勝利だった。広瀬すずの恐ろしいかわいさだけが正義だなと思うぐらいの、今しかない輝きの中で。
 『シン・ゴジラ』はやっぱり映画館でワクワクしたことといろんな人のゴジラ論を聞いたり読んだりしたけど、庵野秀明の成熟と天皇論で考える上で生前退位の話が出た今年を思い出す時に重要な作品なのだろうなって、『君の名は。』やっぱり個人的な思い入れをどこにも重ねられない。あとあの大ヒットで僕らが損なわれてしまうものについてはきちんと考えるべきだと思ってる。
 『この世界の片隅に』は日常はどんな状況でも場所でも続いている、あの出来事はかつて本当にあったし、今でもシリアでも世界中で起きている。あれを戦前の祖父母が体験したことだということに対しての思いと、現在の世界中で起きていることは繋がっている、そのことだけは忘れてはいけない、そういう想像力だけは奪われてはいけないし表現とはすべからく政治的で、それを排除しようとするなら本当に柳田國男が言っていたように魚の群れだ。
 『ブルックリン』地味ながら少女が大人になる成長譚、シナリオが見事だなって思った。
 『モヒカン故郷に帰る』は単純に、舞台と実家の近さと上京組で帰らない人からすると郷愁がバンバン来る、こういう作品がオリジナルでもっと作られるようになればいいのにね。


 2015年のベスト1が『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』だったのだけど、『ふきげんな過去』と通じる部分があると思うので、まあ僕の好きな作品のスタイル。



監督・脚本:甲斐博和
プロデューサー:前信介
出演:萩原利久(岩崎銀)、小川紗良(佐田成美)、影山樹生弥(ミン)、中村圭太郎(ユウキ)、信國輝彦(佐田大吾)、木村知貴(神林アツシ)、久保陽香(バレエの先生)、山本剛史(岩崎大道)、本多章一(菊池雅弘)、宮地真緒(佐田律子)ほか


それぞれが秘密を抱えた2人の15歳が織りなすラブストーリー。ぴあフィルムフェスティバルをはじめ、さまざまなインディペンデント映画祭で数多くの賞を受賞した甲斐博和の初長編監督作品。15歳の少年、銀は父親がゲイであることを知り、自分もそうかもしれないと思い始める。15歳の少女、成美は母親から売春を勧められ、母親の恋人に性を売られようとしていた。東京に暮らす父親の家に行くことを決めた成美に、「俺も行く」と言い出す銀。お互いに秘密を抱えたまま、2人は東京を目指す旅に出る。主人公・銀役に「オケ老人!」「ちはやふる」の萩原利久。成美役に、女優として活躍し、自身が主演した初監督ショートフィルム「あさつゆ」が、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2016インターナショナル・ショートフィルム・コンペティション部門に入選した小川紗良。(映画.comより)





 観に行ったのはテアトル新宿のレイトショー最終日だった。満員で立ち見も出ていた。
 『イノセント15』を観終わってから、ロビーでトークの司会されていた松崎さんに挨拶を、小川さんにはサインの列が出来ていた。帰り際に甲斐監督にご挨拶をして写真を撮ってもらう。甲斐監督と僕の友人が演劇やってた頃からの知り合いだということがわかるなど、実は近いところにいた人だったので親近感。

 
 映画を観ながら園さんの『ヒミズ』の住谷と茶沢のふたりの家庭の境遇を思い出しながらヒロイン・成美の環境の酷さについて考えていた。銀の家庭も複雑といえば複雑だし思春期の少年には理解不能なことが起きているのだが、彼は精神的な部分で痛みを覚えていて、成美は精神も肉体療法で傷ついている。それもあり彼女の方がきついと思った。
 ラスト辺りのトンネルの中でのやり取りは旧劇場版エヴァにおけるわかりあいたいがわかりあえない他者、ある種の拒絶に通じているのではないかと考えてみたり。


 銀と成美が東京に向かう電車の中の座っているふたりに差し込む光のやわらかさ、寝ている彼を微笑ましく見ている少女の顔が一瞬変わって、ずっと好きだった彼を手に入れたという女の顔になったみたいでゾクッとした。
 小川紗良さんは映画のポスターだと宮崎あおい新垣結衣を足して二で割ったような美少女だが、実際にお会いするとその少女の部分が少し薄くなっていているような気がした。女優業と監督業をしているからか、大人びてきているというか女の子から大人の女性になっている途中なのだろう。


 銀と成美の二人乗りするものが前半後半で違う。速くなればなるだけ風は冷たく二人の体温も下がり、声も届かなくなる。近づくのは生から死へ、と。自分たちの足で走ることや自転車のペダルをこぐことによる身体性から、オートマチックな機械で動いていくことは身体性が奪われていくみたい。それはまるで人が思春期に抱く幻想や怒りが社会に奪われてしまうみたいに思ってしまった。監督が意図的にしているのかどうかはわからないが、あの二人乗りのシーンはこの作品における速度にかなり影響を与えていると思った。


 大きな出来事が起きたシーンはぶつ切りのようにカットが変わる。説明過多ではないことで語るのは、きっとどちらかにするしないからだろう。説明するのであればこの作品はもっと長い尺になっていたと思うし、速度は落ちたかもしれない。
 自分ではない他人をわかりたいと思うし知りたいと願い始める季節。わかりあえないことを知る。それでもわかりあえる可能性を模索するかもう諦めるのか。無垢な時代はいつか終わる。混沌とした世界の中でかつての自分の瞳の無垢さに見つめられて、年を取ったことを知る。
 

 トークイベントの中で甲斐監督はこれでインディーズ映画はやめにしたいと言っていた。スタッフみんながきちんと食べれるようにバジェットのデカい商業映画を作りたいと、きちんと作って生活をするという気持ちを聞いて、より次回作が観たくなった。