Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『シング・ストリート 未来へのうた』


監督:ジョン・カーニー
出演:フェルディア・ウォルシュ=ピーロ(コナー)、ルーシー・ボーイントン(ラフィーナ)、マリア・ドイル・ケネディエイダン・ギレン、ジャック・レイナー(ブレンダン)、ケリー・ソーントンほか




「はじまりのうた」「ONCE ダブリンの街角で」のジョン・カーニー監督の半自伝的作品で、好きな女の子を振り向かせるためにバンドを組んだ少年の恋と友情を、1980年代ブリティッシュサウンドに乗せて描いた青春ドラマ。大不況にあえぐ85年のアイルランド、ダブリン。14歳の少年コナーは、父親が失業したために荒れた公立校に転校させられてしまう。さらに家では両親のケンカが絶えず、家庭は崩壊の危機に陥っていた。最悪な日々を送るコナーにとって唯一の楽しみは、音楽マニアの兄と一緒に隣国ロンドンのミュージックビデオをテレビで見ること。そんなある日、街で見かけた少女ラフィーナの大人びた魅力に心を奪われたコナーは、自分のバンドのPVに出演しないかとラフィナを誘ってしまう。慌ててバンドを結成したコナーは、ロンドンの音楽シーンを驚かせるPVを作るべく猛特訓を開始するが……。(映画.comより)


 公開初日のシネクイント最初の回を鑑賞。半分近く席は埋まっていた。次や次次の回はどうやら満席だったみたいなツイートを見たので初回は雨だし時間が早かったから仕方ないかもしれない。
 「はじまりのうた」「ONCE ダブリンの街角で」と話題になって評価も高かったジョン・カーニー監督作品を二作品とも僕は観ていない。では、なぜこの映画を観に来たかと言われたらこのシネクイントが八月で休館することが決まっているからだ。渋谷パルコ自体が建て替えで三年後に新しくなるらしい、そこにシネクイントが入るかどうかは未定だから休館。目の前のシネマライズもライブハウスとしてのwwwになったしゼロ年代初頭に田舎から上京して単館系映画をリアルタイムで観れるのが嬉しかったけどあの頃観に行っていた渋谷の単館系映画館いくつもなくなってる。なくなった映画館で観た映画は僕の人生を変えたものはいくつかある。だけど、時間は止まることないし、あったものがなくなっていくのは当然だし、なんせ資本主義の世界では景色は、特に都会では変わり続けるアップデートされ続けて壊されてはまた新たなものが建てられて想い出の景色は記憶かスマホなんかのデバイスとか何かに保存されていく。
 この映画の舞台は大不況にあえぐ85年のアイルランド、ダブリンだが、今の渋谷を舞台にした映画を撮るとしたら夏以前と以後ではスペイン坂も大きく変わってしまうだろう、移りゆく景色を後から復元するにはCGなんかが必要だ。『ラブ&ポップ』だったか、シネマライズが映っていたがそれは僕が上京する前の知らないシネマライズだったように覚えている。
 シネクイントでは『ジョゼと虎と魚たち』を観たのが一番の想い出で、この作品は自分の好きな映画の中でもベスト3には入る、観終わってから僕は恒夫みたいにうなだれた。


 『シング・ストリート』はデュランデュランがテレビから流れ父は無職、両親は離婚寸前。ロンドンでモデルなりたい女の子と出会いバンドを始める主人公。80年代に思春期を過ごした人たちにはドンピシャな物語だろう、かつてインターネットが普及する前の時代の青春。アイルランドの向こう側にはイギリスがあり、ロンドンという大都市がある。そこにはまだ夢見る若者たちが向かえる希望の宮古でもあった。だけど、コナーが帰ってきたラフィーナに曲を作ってカセットテープに録音してアパートの郵便受けに入れるのはライ麦畑のキャッチャーみたいだなと思った。そして、最後の希望の旅立ちはライ麦畑のキャッチャーではなく、ふたりで未来を、希望を掴むための文字通りの船出だった。
 コナーの兄がいい味を出している。何歳も上の兄や姉がいる人は自分の世代ではない上の世代の文化を吸収したり無理やりに与えられたりして影響を受けて育つのが羨ましい。僕にも四歳ほど歳の離れた兄がいるが、直接的な影響はなかった。趣味が全く違ったから。でも彼が大塚英志×田島昭宇『摩陀羅』を買って読んでいたから僕は高校生の時に『摩陀羅』の角川コミックエース版の完全版を買って、『多重人格探偵サイコ』を読みだして大塚英志関連作品を読むようになって大塚作品に影響を受けたのだから間接的には影響があったとも言える。


 80年代に思春期を過ごした人たちにはドンピシャな物語だろうと書いたが、僕より何歳か上の世代、だから兄や四十代の人たちは懐かしくもあり当時の自分たちを思い出すタイムマシンみたいな楽曲が流れながらコナーたちのバンドの曲にも親しみを僕よりも強く持つはずだ。物語の展開はシンプルだが、思春期の男の子が好きな女の子のために始めたことが、成長に繋がり自分と社会、近い関係の人たちのことについて考えることで大人に近づいていく、そこに音楽やあり仲間たちがいたという話だからやはり心象に訴えかけてくるものは強い、そんな時期を生き延びてきた人たちにはもう手に入らない、戻らない時間たちの煌めきだから。その後にやってくる喪失や哀しみもそれらが連れてくることも知っているから。