Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『徘徊タクシー』

 今日はなぜか『ドラゴンヘッド』読みたくなった謎の一日だった。出勤の時に電車に乗っていたら『ドラゴンヘッド』の冒頭的なものが浮かんでしまうというか悲劇的な結末をどこかしら待ってしまうぐらいに日々はそれなりに表象的には穏やかで退屈な日常だということなのだろう。
 浮かんだのはコミックの装丁で内容とかは最後の方どうなったのか思えてはいないのだけど。


20140213 すっぴん「水道橋博士×樋口毅宏
http://bit.ly/1j9EssI
↑ツイートで流れてきたすっぴん「水道橋博士×樋口毅宏」を聴いてた。樋口さんが書いたラブレター≒解説載ってんの『キャプテン・アメリカはなぜ死んだか』で装丁イラストは西島大介さん。



 ブログの検索語で「片目の猿の国に来た、両目の猿」ってあるからなんだろうと思ったら前に道尾秀介さんの『片目の猿』読んだ時に書いてた事がひっかかっていたらしい。


「片目の猿」っていうのは小説の中に出てきててなんか猿がいっぱいいるんだけどみんな片目しかなくてたまたま両目の猿が生まれた。でも他の違うと言う事でのけ者にされたその両目のある猿は自ら片目を潰して他の猿と同じように片目の猿になった。
その猿が失ってしまったのは片目じゃなくてその猿が本来持ち合わせていた自尊心だったという話。世界が狂っているからといって自ら狂ってしまう必要はない、世間に無理に合わせて心を殺すのは最終的には自分を失ってしまうということ。


 一時、道尾秀介さんの小説をけっこう読んでいた。伊坂幸太郎さん同様に売れるなあって感じがするのは気の利いたエンタメ要素とどんでん返しというか最後にひっくり返されるものがあるからなんだろう。『向日葵の咲かない夏』なんかもだけどある種の叙述トリック的なオチなので映像化は基本的に無理だろうから読書体験としての驚きがある要素を初期の作品はあるイメージがいまだにある。そんな伊坂さんと道尾さんが『新潮ミステリー大賞選考委員』になっていたりする。僕はミステリーはほとんど読んでないしやっぱり書けないよなって思う。


五十嵐大介、アフタに9年ぶり登場!大ボリューム読切執筆
http://natalie.mu/comic/news/115281
↑五十嵐さんは『海獣の子供』も素晴らしかったけど伊坂さんとコラボをしている『SARU』が好きで、でもあれって上下巻に収まるような話じゃない気もしてて長編でしてほしかった想いもある。『海獣の子供』は読む度に岩井俊二さんの『ウォーレスの人魚』が浮かんだりしていた。



 先月号の『新潮』掲載だった坂口恭平さんの『徘徊タクシー』読み終わった。三島賞取るんじゃないかな、たぶん(期待を込めて)。
 徘徊してしまう痴呆の老人をタクシーに乗せて彼らが行きたい場所にという話なんだけど彼らが見ている次元とトキエさんならトキエ次元というふうに僕らが痴呆でボケていると思っている人たちが行きたがっている場所に連れて行くタクシーをやろうとする話。限りなく主人公が坂口さんが浮かんでくるのだが、ここで大事なのはというか僕が楽しめたのは記憶というものについて坂口さんが書いていることだったりする。場所と記憶の問題性について。坂口さんは躁鬱でテンションの高いときと低いときの差が激しいという話は聞いた事あるけど逆の状態のときは反対側の記憶はどういう風に感じられているのだろう、だからこそ書くという行為がセラピー的に作用もするだろうしこういう小説として浮かび上がってくるのかもしれないと思うのだけど、なんとなく坂口さんにはフィリップ・K・ディック的な次元を感じてしまう。

キャプテン・アメリカはなぜ死んだか (文春文庫)

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片眼の猿―One-eyed monkeys (新潮文庫)

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海獣の子供 5 (IKKI COMIX)

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ウォーレスの人魚 (角川文庫)

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向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)

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坂口恭平 躁鬱日記 (シリーズ ケアをひらく)

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