Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

Spiral Fiction Note’s 日記(2024年10月16日〜2024年10月31日)

10月上旬の日記(2024年10月1日から10月15日分)


10月16日
日付が変わるまでブコウスキー著『くそったれ! 少年時代』の続きを読んでいた。16日になってから10月上旬の日記をアップして、半年前の日記をnoteの方にアップした。24時から放送されていた『アルコ&ピース D.C.GARAGE』をradikoで聴きながら眠る。


6時過ぎに目が覚めるが、寒くなってきたからか布団の中にいたい感じが強くなっていたので7時前まで寝転んだままで「D.C.GARAGE」を聴きながらのんびりしていた。
そのまま『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を聴きながら少しだけ朝の読書をしてからリモートワークを始める。
太田さんはTBSの『お笑いの日2024』の即興漫才のシークレットゲストで登場してかまいたちの濱家さんの相手だったが出てからずっと暴れていて、何度もケンコバさんに絡みに行って落とされかけるという件をやっていた。漫才らしい漫才にはなっていなかったけど、ここまで大物で年長者の漫才師が暴れているという光景を事務所が違う(人数的にも吉本興業が半分以上を占めている)人たちはどう感じていたのだろう。
吉本興業に対して「犯罪者ばっかりの事務所じゃねえか」とテレビで言えるのも太田さんしか正直いないはずだ。彼がそういう発言をすることである意味ではガス抜きにもなるし、自分たちでは触れらない話題をそんな感じでネタにしてくれる他事務所の先輩というのは彼らにとってもかなりありがたいのではないだろうか。いかにケンコバが受けてくれてうれしかったということをラジオで話していた。

作業中に構成をお手伝いしたモーリー・ロバートソン著『日本、ヤバい。「いいね」と「コスパ」を捨てる新しい生き方のススメ』(10月25日発売)の見本が届いた。
電子書籍版も出るけど、パッと見で目に入ってくるピンクのタイトルに惹かれて書店で手に取ってもらえるとうれしい。やっぱりこのピンク色のタイトルはインパクトもあるし、でも黄色とかみたいに目に痛くない優しい感じもあっていい。

「爆笑カーボーイ」を聴き終わってからそのままradikoで『星野源オールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を作業用&外出時BGMとして聴く。
星野源ANN」では劇団☆新感線の舞台を大阪に観に行った話やエッセイが重版決定したこと、スペシャルウイークのニセ明のことなんかを話していた。
「あのANN0」はひろゆきの「それってあなたの感想でしょ」が小学校とかで禁止になったというニュースから、あのちゃん自体はひろゆきとロケもしていたりするのでちょっと彼に対してはやさしさが出ていた。小学生がそういうことを言い出すと諸々教育にも支障が出るから仕方ないけど、ひろゆき自身のことはいい人なんだけどなって感じで話をしていた。この番組のスペシャルウイークのゲストはファーストサマーウイカさんなのでとてもたのしみ。


休憩で外に出たので駅前のTSUTAYA書店で楡周平著『サンセット・サンライズ』文庫版と『MONKEY』最新号を購入。
『サンセット・サンライズ』は明日映画のマスコミ試写に行くのでちょっとでも読んでおいて、原作をどう映像化したのか知りたいなと思ったから。読めなくても試写を観た後に読んだらいろいろと発見はできそう。
『MONKEY』vol.34は連載シリーズ『百の耳の都市』が読みたくてGET。今回は中島敦の同名の作品を基にした第18回「文字禍 The Mega Letter Disaster」が掲載されている。この作品については、

再来月に発売される「MONKEY」誌のために私は自分の連載『百の耳の都市』の最新話を書いて、つい昨日(2024/08/08)入稿したのだけれども、そこではパレスチナ問題をガザという語もイスラエルという語も出さないで書いた。だから、それはパレスチナ問題の小説ではない。しかしパレスチナ問題の小説なのだ、と感じる人は感じるだろうし、そうした認識につらぬかれて愕然とする読者も生まれるかもしれない。それはもちろん政治的行動だ。しかし、この小説はもちろん政治的行動を意識させる小説ではない。単に〈行動〉を感じさせるだけ、だろう。

古川日出男の現在地』 到着・出発 2024.07.27 – 2024.08.09 東京・埼玉・京都・福島

と前に書かれていた。実際に読んでみるとこれまでの『百の耳の都市』とは違うとか異質というわけではなく、このシリーズで世界中のいろんな都市が描かれているので違和感はなく、パレスチナ問題をこうやって小説として描けるのだ、読者に提示できるのだ、ということがわかるものだった。

リモート作業が終わってから晩御飯を食べてから自分のライティング作業をする。寝る前に『サンセット・サンライズ』を少し読んでおこうと思ったけど、プロローグと第一章の部分だけ読んだらうとうとし始めたので無理せずに寝た。

 

10月17日
起きてから朝の読書をしてから近所の整骨院へ。普段は月曜日とかに行っているのだけど、スポーツの日で休みだったし、火曜日は出社したりして来るのが珍しく木曜日になってしまった。
足首が硬いのでちゃんとストレッチというか、動かしてから歩かないと固いままで歩いているので可動域が狭くなってしまい、筋とか腱とか全身に繋がっているからそのせいでより僕の身体の固さに繋がってしまっている。この一週間はほとんど風呂上がりにストレッチや家を出る前の運動とかしていなかった。そうすると結局肩甲骨が固まってくるし、最終的にはまた腰に来たりするのでもうちょっと気をつけないといけないなと思う。

家に帰ってから10時半前までライティング作業をしてから渋谷方面に向かう。起きてからパソコンの方で聴いていた『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』をもう一度スマホアプリの方のradikoで最初から聴きながら歩く。目的地は虎ノ門近くのワーナー・ブラザーズ映画内幸町試写室。
場所は虎ノ門駅と新橋駅の間ぐらいで日比田公園も近い場所にある。今までも何度かは行った場所であり、六本木駅を過ぎて俳優座の前を過ぎていくとなんとなく場所を思い出した。
マップアプリでは徒歩だと二時間十分ほどだったので、「佐久間ANN0」は九十分で終わってしまうのでそこからはSpotifyで『きしたかののブタピエロ』に変更して歩く。13時からの試写だったので12時半から受付で数分前に着いたので近くのコンビニに行ってコーヒーを買ったりしてから受付をした。

楡周平原作の「サンセット・サンライズ」(講談社)を菅田将暉主演で映画化。書いたドラマは必ず注目を集めるといえるほど、期待と信頼を一身に浴びる宮藤官九郎が脚本を手がけ、『正欲』(23)の岸善幸監督との異色のコラボレーションから生まれた本作。都会から移住したサラリーマンと宮城県・南三陸で生きる住民との交流や、人々の力強さや温かさをユーモアたっぷりに描き、その背景にあるコロナ禍の日本、過疎化に悩む地方、震災などの社会問題と向き合いながら豊かなエンターテインメントに転化させたヒューマン・コメディ。

Story
新型コロナウイルスパンデミックで世界中がロックダウンに追い込まれた2020年。リモートワークを機に東京の大企業に勤める釣り好きの晋作(菅田将暉)は、4LDK・家賃6万円の神物件に一目惚れ。何より海が近くて大好きな釣りが楽しめる三陸の町で気楽な“お試し移住”をスタート。仕事の合間には海へ通って釣り三昧の日々を過ごすが、東京から来た〈よそ者〉の晋作に、町の人たちは気が気でない。一癖も二癖もある地元民の距離感ゼロの交流にとまどいながらも、持ち前のポジティブな性格と行動力でいつしか溶け込んでいく晋作だったが、その先にはまさかの人生が待っていた—?!

観る前は映画『釣りバカ日誌』的な釣りをメインにしたコメディ要素のある物語かなと思っていた。実際は東日本大震災以後の三陸に住んでいる人たちと東京に住んでいた主人公が交流するだけでなく、コロナパンデミックの最中が舞台なのでその時に盛んに言われていたソーシャルディスタンスであったり、東京から来た人はコロナを持っているから来ないでください、みたいなことがあったこともちゃんと描いていた。
数年前のことなのにもうだいぶ前みたいなことのように思えてしまうけど、こういうことは映像や文章に残していないと残っていかないし、よほど被害に遭ったりしていない人以外は忘れてしまう。
作中で登場人物の一人が「東京から来る人はコロナを持ってくる」というのは誤解だと正論で話すものの、それを聞いていた別の人物は「田舎の人はイメージなの。テレビとかで見たイメージで東京の人のことも見ているの」みたいなことを言った。この辺りの感覚は実際にそうだろうし、特にテレビとか限られたメディアで情報を得ている高齢者なんかは受け取ったイメージが真実のように感じてしまって、誤解が生まれたりすることになる。
東日本大震災以後であり、コロナパンデミックを描いた映画の中でもトップクラスの出来だと思う。実際に菅田将暉演じる晋作は釣りがしたくてテレワークになったことで三陸の町にやってくるが、よそ者の彼に対してコロナパンデミック中だったこともあるし、彼に家を貸した百香井上真央)とかの関係を疑われたり(誤解に誤解が加わったり)しながら、町の人たちとの交流の中で少しずつ関係を築いていく。
そこまでだったら今までにもあったようなものだが、そこからもう一つ展開があり、そこは原作者の楡さんが経済小説を書いていることも関係していて、地方再生とビジネスの話が入ってきてもう一捻りあるのでそこからさらにブーストがかかる。

宮藤官九郎脚本でいうと同じく三陸と東京を舞台にした『あまちゃん』があるが、そことは違う角度や方向性で三陸(および人口が減っている地方自治体)の復興やこれからの取り組み、そして地方と東京との関係性がクドカンらしいセリフとテンポで進んでいく。
終盤近くで僕はかなり泣いてしまった。そこまでに笑う部分もたくさんあったけど、晋作と百香の関係性においても新しい関係性を模索しているのも素晴らしい。ここは原作とは違うみたいで、クドカンと監督が公開の2025年に見ても違和感のないものにしたのではないだろうか。
そして、東京からやってきた今までほとんど感情を露わにしてこなかった晋作が感情を爆発させるところ、それを受けての町の人である人物が三陸を、東日本大震災で被害に遭った地域の人間として心の底を見せて話すシーンはもう気がついたらどんどん涙が流れていて止まらなかった。
もちろん東日本大震災で被害にあった人たちや近い人はこの映画を観ても現実はそんなに簡単じゃないよというかもしれない、でも、こういう希望の見せ方もあるだろうし、被災地だからとどこか後ろめたさとかある人たちが感じている気持ちを実際に宮城県出身宮藤官九郎山形県出身の岸善幸監督が東北の人間として東京に、そして日本全国に伝えたいものだったんじゃないかなと思った。
観終わって公開したらヒットしていろんな人に届いてほしいと思えたし、こういう笑えて泣ける、その上で働き方や生き方を考えるきっかけになる作品が多くの人に影響を与えるんじゃないかなって、届くといいな。きっと届くはず。
あとスタッフロールを見ていたら衣装が伊賀大介さんだった。伊賀さん本当に映像も舞台もドラマもいい作品にどんどん関わられている。

観終わってからスマホを見ると西田敏行さんが亡くなったというニュースが入ってきていた。『釣りバカ日誌』のことを少し考えていただけになんかビックリした。
福島県郡山に何度か行っているけど、「ミューカルがくと館」という多目的音楽ホールには郡山出身の西田さんが『もしもピアノが弾けたなら』でレコード大賞を受賞したときにゴールドディスクが寄贈されていた。


15時半前に試写が終わった。夕方からもう一件予定があってその場所が目黒駅付近だった。料理研究家Hさんに誘ってもらったイベントだったのだが、電車に乗ってしまっても18時前集合まで時間をかなり持て余すのはわかっていたので、試写室があるビルから目黒駅まで歩くことにした。
マップアプリで見てみると一時間半ほどの距離、今月頭は体調を崩していてあまり歩けなかったのでこの機会に距離を稼ごうと思ったのもある。
きしたかののブタピエロ』を聴きながら東京タワーを横目に三田方面から白銀台をまっすぐ進んでいくと目黒駅近くに出て、目的の目黒ホリックホテルに着いた。
17時過ぎだったが、まだ時間があったのでマップアプリを見ているとそのホテルのある通りをまっすぐ歩いていくと目黒川に出るのがわかったのでそこまで行ってみた。そこで「ああ、ここに出るんだ」と見たことのある川沿いの場所だった。その通りにはビジュアル系バンドの聖地である鹿鳴館があったりして、こうやって普段こない所に来ることで聞いたことのあった場所がわかったり、位置関係がわかるのも歩いていく楽しみではある。
18時前に料理研究家Hさんがやってきて、開場は18時からだったけど、ライブ自体は19時だったこともあり、お互い腹が減っていたので通りを歩いてすぐのところにあった焼き鳥屋に入ってライブが始まるまで飲んで食べた。ほどよく食べたものも美味しかったし、しっかり歩いてきたらビールが美味しくて三杯も飲んでしまった。

7月に初のソロアルバム「dive into」をリリースした Smooth Aceの重住ひろこがリリース記念ライヴを開催。 ライヴ音響に YMO高橋幸宏矢野顕子らの数多くの作品で知られ、 今回のアルバムのプロデューサー、エンジニアの飯尾芳史、 演奏には Smooth Aceデビュー当時から録音、ライヴで多数共演している 旧知のギタリスト石成正人、 初顔合わせとなるキーボード松本圭司、 そして「dive into」でも素晴らしいソロを聴かせる サックス矢口博康を迎えて 「dive into」の歌世界をライヴで聴かせる「live into」。

“1st album 「dive into」 リリース記念” 重住ひろこ(Smooth Ace) ソロライヴ 「live into」

僕たちのチケットはテーブル席だったが、他のほとんどの席やソファ席とかも埋まっていた。年齢層は僕らよりも上の五十代とか六十代が多かくて、若い人はほとんどいなかった。メインである重住さんがベテランで長く活動されていることもあって、そういう客層だったのだろう。Hさんと重住さんがだいぶ前からの知り合いということでライブに、で僕が誘われたという形だった。
申し訳ないけど、重住さんの曲とかをちゃんと聴いてきていなかったが、さすがに歌もうまいし表現力も豊かでYMO関連や CMなどの商業系のお仕事を長年されてきた人の実力というか凄さを見せつけられた。あと演奏陣三人もめちゃくちゃ演奏が素晴らしくて知らない曲でもやっぱりリズムに乗ってしまう。こういうまったく知らなかったミュージシャンの人のライブでここまで気持ちよくなるっていうのはプレイヤーの人たちの実力がすごいということなんだな、とわかる。やっぱり商業の第一線でやっている人ってすごいんだなって改めて思う。


ライブ終わった後にHさんがここ数年行きたくても行けていなかった飲み屋さんが中目黒にあるというのでタクってそのお店へ。
美味しいつまみをつつきながら飲んで話す。今日は久しぶりにビールたくさん飲んだし話もしたし、楽しかったなあ。こういう感じで飲んだり本音を話せる人がいるのはありがたい。何人かそういう人がいて、たまに飲みながら話せるというのはすごく幸せだし、大切な時間だなって思う、っていうかわかる。お店の前で別れて僕はちょっと酔いどれのまま歩いて帰った。一日で21キロちょっと歩いていた。さすがに歩き過ぎた。

 

10月18日
日付が変わった頃に家に着いてそのまま泥のように寝る。6時過ぎにちょっと肌寒くて起きたので、ビンと缶の回収日なので外に出しに行く。ビールを飲み過ぎたのか腹がくだっていた。食べるよりも飲む量が多かったから仕方ない。体調を崩した時用に買っておいたポカリを飲んで横になって、radikoで『ハライチのターン!』を聴きながら目覚ましを8時前にセットし直す。
目覚ましで再び起きたら二日酔いでもなく、いつも通りな感じ。ポカリありがとう。『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』を聴きながらリモートワークを開始。最近は同じ事業部で来月仕事を辞める人がいるので、その人がやっていた作業を何人かで引き継ぐことになったので教えてもらっている。
画面共有して流れを見せてもらうとなんとなくはわかるのだけど、結局自分で時間をかけてやらないと覚えられないし、何度かやっていかないと覚えられないな。すでに一回やってみたけど、僕がやることになる作業も思ったより時間がかかってしまった。どのドライブに必要なデータとかがあるのか、データを格納するのかとかその辺りは慣れるまでやるしかない、というわけで今週は教えてもらうことが多くてちゃんと疲れる。

マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』も聴いたけど、作業が溜まっているから内容はあまり頭に入ってこなかったが、来週のスペシャルウイークのゲストがリボルバーヘッドとFUJIWARAフジモンさんだった。
一年前かな、本当はこの組み合わせでスペシャルウイークのゲストだったが、フジモンさんが車でのことがあってゲスト発表する手前で出られなくなって、代わりにきしたかのの高野さんが出るということがあった。その時からマヂラブの二人が話している内容からゲストがフジモンさんだったのはわかっていたので、今回ようやくという形になるみたい。

仕事が終わってからニコラに行ってアルヴァーブレンドとガトーショコラをいただく。コーヒーをおかわりしてタバコで一服。喉をやりがちなのでやっぱりタバコを吸うならニコラとかに来た時にコーヒーを飲む時だけにしよう。

家に帰ってからSpotifyポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』を聴きながら、併読している本をちょっとずつ読んだ。ライティング作業もしないといけないけど、昨日飲んであんまり寝てないせいか、歩いた疲れがどっと出たのかやる気が起きずに読書をしていたら寝ていた。

 

10月19日
6時過ぎに起きる。もうちょっと寝たい。7時に目覚ましを再セットしてradikoで『きしたかののブタピエロ』最新回を聞きながら横になっている。少し肌寒い。30分番組だから寝落ちする前に聴き終わってしまい、続けて『JUNK バナナマンバナナムーンGOLD』を流していたら寝ていた。すぐに目覚ましで起きることになったけど、ちょっと追加で寝ただけ気持ち的にはスッキリした。
夕方から雨予報だったが昼間は30℃近くまで気温が上がるというのを見たのですぐに洗濯機を回す。洗濯が終わるまで「バナナムーンGOLD」を聴きながら、木山捷平著『駄目も目である』とブコウスキー著『詩人と女たち』をそれぞれ読み進める。
『駄目も目である』は選集なので収録されているものはすでに読んでいるものだが、二回目になるともう少し味わいを感じる。なんだろうなあ、地味なんだけどあるといいなって、季節でいうと秋っぽい、きのこ類が鍋とかに入っていると美味しくなるみたいな、メインではないけどあるといいなみたいなものが木山捷平作品にはある。
ブコウスキーは50歳を過ぎて女性とは四年ほど性的な関係がなかったチナスキー(ブコウスキーの分身)が朗読会とかで出会った女性と、みたいな話でほとんど私小説に近いと思うのだけど、ブコウスキーのイメージとかはこういう作品で広まった部分はあるんだろうな。しかし、酒飲みまくっていたのに長生きしたよなあ、体強かったのはデカい。

洗濯が終わって急いで干して家を出る。radikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を聴きながら宮下公園近くのヒューマントラスト渋谷へ向かう。マップアプリだと徒歩だと50分ぐらいかかることになっている。
家を出たのは9時前、観に行こうと思っている映画の上映開始が9時45分からで微妙に間に合わない感じだが、いつも歩いている感覚だと40分前後ぐらいなので間に合う。でも、ちょっと気持ちは早足な感じで「三四郎ANN0」を聴きながら急ぐ。

冒頭からラブレターズの『キング・オブ・コント2024』優勝に関してのトーク三四郎らしいイジり方や小宮さんの話の展開の感じも嬉しいのも伝わってくるし、弾けていてよかった。そして、来週のスペシャルウイークのゲストはふっての都築さんだけは決まっていたが、もう一人(一組)は未定だったけどラブレターズになったと発表。すごくいい、楽しみだなあ。でも、この三人って今のところ11月の三四郎の武道館ライブのゲストではないというか、名前が出ていない。スペシャルウイークで武道館ゲストとして発表するような気もする。
昨日、YouTubeで見たさらば青春の光のサブチャンネルで、『キング・オブ・コント2024』を見ないで予想するみたいな動画で最後にラブレターズが優勝したとわかったら森田さんはモルックで溜口さんが同じチームだし古い付き合いということもあって、感動していた。
東ブクロさんはファイナルに残っていたファイヤーサンダーのこてつが従兄弟でもあり、複雑な気持ちだったと思うがその収録をしている飲み屋に集まっていたさらばと動画スタッフたちはみんな喜んでいた。
ずっと辞めずにやってきた仲間、知っている人が苦節を乗り越えて優勝したこと、もう芸人だけでなく佐久間さんとかお笑いに関係している業界人もラブレターズの優勝に感動して喜んでいた。それは彼らの「人(にん)」というのが一番なのだろう、おもしろいけどテレビとかでブレイクしないとか、ずっとコントをやり続けているとか、あとは本当に二人が嫌われていない時点でいい人なんだろうし、人間として好かれているということが本当にわかる王者誕生だった。

創作関連の何かを続けることは難しいし、辞めたらそれがいけないということでもない。ただ、辞めない人はいわゆる売れたり結果を出して飯が食える少数の人で、あとは辞めたら他に何もやることがない人、辞めることを放棄した人ぐらい、他の人はどうしても家族や個人の人生を考えて食べられないと辞めていく。
僕も後者のタイプだから同じように辞めない人に感情移入しやすい。前者の残っている人たちはその難しさがわかっているからこそ、余計に応援するし結果が出れば自分のことのように喜んでいる。
いろんなジャンルで起こっていることだけど、自分がどうにもならないままで辞めないでいる側だから、ラブレターズのことで感動してしまう部分も正直あったと思う。彼らみたいに戦えてないということはわかっているけれど。

Story
目まぐるしく変わりゆく世界で、変わらない友情など存在するのだろうか―。!
今からXX 年後、日本のとある都市。
ユウタとコウは幼馴染で大親友。いつもの仲間たちと音楽や悪ふざけに興じる日々を過ごしている。こんな幸せな日常は終わらないと思っていた。
高校卒業間近のある晩、いつものように仲間と共にこっそり学校に忍び込む。そこでユウタはどんでもないいたずらを思いつく。「流石にやばいって!!」と戸惑うコウ。「おもろくない??」とニヤニヤするユウタ。
その翌日、いたずらを発見した校長は大激怒。学校に四六時中生徒を監視する AI システムを導入する騒ぎにまで発展してしまう。この出来事をきっかけに、コウは、それまで蓄積していた、自身のアイデンティティと社会に対する違和感について深く考えるようになる。その一方で、今までと変わらず仲間と楽しいことだけをしていたいユウタ。
2人の関係は次第にぎくしゃくしはじめ...。

予告は何度か劇場で観ていた空音央監督『HAPPY END』をヒューマントラストシネマ渋谷のシアター2で鑑賞。週末とはいえ10時前の上映で30人ぐらいは入っていたので単館系作品としては注目度があるんだなと思った。年齢層はかなりバラバラだったし、男女率も半々に近いように見えた。
映画の公式サイトでの著名人からのコメントのところで批評家の佐々木敦さんが「ここには『キッズ・リターン』の北野武と『牯嶺街少年殺人事件』のエドワード・ヤンがいる。」とコメントされていたが、確かにそれがこの映画の説明としてはわかりやすいのかもしれない。

高校が舞台なので、主人公のユウタとコウにとっての敵というか理不尽なシステムや理解してくれない大人というのが学校&校長(佐野史郎)みたいな構造になっているが、物語が進んでいくとそういう簡単な方向に向かわないのもちゃんとしていた。
高校の中に監視システムのようなものが導入されてしまい、それに反抗する撤回するように声を出すメンバーの一人に普段からデモ活動などをやっているフミ(祷キララ)がいて、コウ(日高由起刀)は彼女に感化されるようにその行動に加わっていく。コウは在日3世であり、母は選挙権がないと言っている場面もあるし、永住権の証明書を持っていないということで警察に夜歩いているだけで家まで同行されてしまうなど、理不尽な思いをしていたこともあり、一緒に音楽をやっていてユニットを組もうと話していたユウタ(栗原颯人)と次第に距離や思想のズレが出てくることになる。
この二人の少年は空音央監督の父である坂本龍一の二つの側面の体現者のように見えた。ユウタは音楽家としての部分を、コウは社会活動家としての部分を担っているように思えたが、さすがに意図的にそういうキャラクター配置にしていると思う。その二人が一人になっていた存在が日本を、世界を代表する音楽家だった坂本龍一だった。
ユウタとコウの家庭には母親はいるが、父親の存在はない。おそらくどちらもシングルマザーで母一人子一人という家庭設定だろう。監督の父である坂本龍一の二つの側面を子どもたちが受け継いでいる、体現するように見える展開だが、ここには父性がない。監督自身は坂本龍一の息子ではあるが、ユウタやコウのような環境だったのではないかと、それが投影されているのかもしれないと思った。実際のところどうなのかはわからないけれど。

物語自体は近未来を舞台ということにしているが、ここで空音央監督は父である坂本龍一の影響をしっかりと出し、自分の作品に落とし込んでいる。それだけだったら天才の息子でクリエイティブな人なんだなって話になりかねないが、この映画はショット(画)がいいし、作中に鳴っている音楽も良かった。
佐々木さんがコメントしていたようにエドワード・ヤン的な映像美や構図の素晴らしさがある。そして、メインの二人がそれぞれの道を歩み始め、それでも十代の終わりで18歳になった彼らはまだ終わっていない、何かは終わってしまってもまだ未来がある、可能性があるのだという終わり方はやはり『キッズ・リターン』を彷彿させる。そういうところでもエモーションがあり、エターナルな青春映画になっていた。
メインの二人以外で仲良し五人組の中にいたアタちゃんは『ロストサマー』で主演をしていた林裕太さんでお調子者の良いポジションだったし、ミン(シナ・ペン)とトム(ARAZI)など日本だけでなく、多様な出自を持つ人たちがキャスティングがされている。クラスの同級生もどのくらいか、10人以上は多国籍な出自の生徒たちがおり、それは確かに東京の現在でもあり、近未来ではもっと馴染みがあるものとなっていくものだろう。
実際に東京を歩いていると小学生たちが何人かいると親御さんのどちらかが日本以外の国の出身なんだろうなと思えるミックス(最近はハーフとは言わなくなった)の子どもがいることが多い。そういう同級生がいることが当たり前の子どもたちは幼い頃から僕らよりも多様性が近しいものだし、差別的なことを見たり、友達が置かれている状況などで感じることはあるのだろう。そういう環境にいるから差別的な人間にならないというわけでもないし、そういう環境にいたからこそ差別的になる人もいるかもしれない。でも、そういう子どもたちが未来を担うし、僕らみたいな古い世代なんかではわからないものや繋がりを提示できるんじゃないかなって思う。この映画はそういう部分でもちゃんと未来に向かっている。
あと校長の秘書的な役割の平という役どころを以前は「ぺろぺろ」(会田誠さんによる命名)という名前で活動していた矢作マサルさんで、けっこういろんなシーンに出ていたので、ちょっとした顔見知りなので良かったなと思った。いい映画に出てるのは大事だよね。

夕方駅前のキャロットタワーに行こうと家を出たら今日明日は「三茶de大道芸」だったので、近所の商店街でもパフォーマンスが行われていて、駅前は大きなステージと人だかりができていた。
住み始めて10年以上経っていて、自分が積極的に参加したりするわけではないけど、サンバもだしこういう祭りみたいなことがある町はいいなって思う。個人がやっている飲食店もまだ多いし、住んでみたら下町感も多少あって人工的な味気ないところでもない。こういう町の魅力ができるだけ続いてほしい。

Scene♯2(前編) トーキョー・シネマテック 「来てるね、未来 デザインにシビれるSFコスチュームから、技有り着こなしSFルックまで」


家に帰ったら宇多丸さん×伊賀大介さんの第二弾がアップされていた。本当に前の時にも日記に書いたけど、編集者はこのトークを対談本にして出したほうがいい。映画とファッションのいい教科書にもなるし、それぞれのジャンルを目指している若い人には本当に知らないことを知るきっかけになるし、絶対にやったほうがいい。

夜はもうライティング作業。今やっているものをしっかり最後までやる。月末まで決めたスケジュールでなんとかする。あとは体調崩さないとかそういうことをしっかりやる。


夕方に駅前に行った時に買った燃え殻著『明けないで夜』を寝る前に読む。燃え殻さんのエッセイは日中というよりは夜にのんびり読みたいような感じがする。日常に起きる事柄や誰かとの関係性ややりとり、忘れられない光景や言葉は日中というよりは陽が沈んでから、世界が暗闇に染まっていくと自分の中に蘇ってきたり、不意に現れたりする。そんな読者の孤独と寄り添ってくれるエッセイになっていると感じる。
燃え殻さん自体が体験したこと、忘れられないことが綴られているのに、どこか他人事ではないように思えるのは彼の視線や人との接し方や距離が文章として伝わってくることも大きいのだと思う。
どこか頼りないような、ずっと抱えてきたものが決して晴れることはないような、どうしてこんなことになってしまったんだというような諦めに似たような、そんなものもエッセイから感じられるが、それでも時にはどこかの温泉街に仕事をブッチしてでも逃亡して、あるいは馴染みの飲食店やバー、知り合いに会うことのない場所へ燃え殻さんは逃避行する。そうやって日々を乗り越えていく、それを読んだ読者は逃げられなくてしんどくなって、ギリギリのところでいる人には逃げていいんだという希望にもなる。
ずっと逃げ続けることはできないけど、死んでしまうかもしれないほど追い詰められていたら逃げたほうがいい、誰かに迷惑はかけるとしても誰もが誰かに迷惑をかけて生きている。もちろん、そういう時に「仕方ないな」と言ってくれる人がそばにいればいいのだけど、そんな人がいてくれる状況なら逃げたいと思うほど追い詰められないかもしれない、だから、背中を押されるのだろうし、いざとなったら「ここから」出ていけばいいんだと思える。そういう優しさと夜に忍び込むような自分を消したいと思う時に、孤独だなって感じる時に寄り添ってくれるのが燃え殻さんのエッセイだと思う。

 

10月20日
7時過ぎに起きる。肌寒いので布団に入ったままでradikoで『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』とTVerで『ゴッドタン』を流しながら朝読書。

 ずっと若いときには、現実は一つしかなく、未来はさまざまな変容を孕んで見えるが、年をとるにつれて、現実は多様になり、しかも過去は無数の変容に歪んでみえる。そして過去の変容はひとつひとつ多様な現実と結びついているように思われるので、夢との堺目は一そうおぼろげになってしまう。それほどうつろいやすい現実の記憶とは、もはや夢と次元の異ならぬものになったからだ。
 きのう逢った人の名さえ定かに憶えていない一方では、清顕の記憶がいつも鮮明に呼び起されるさまは、今朝通った見馴れた町角の眺めよりも、ゆうべ見た怖ろしい夢の記憶のほうがあざやかなことにも似ていた。人の名は三十歳をすぎると、剝落する瀝青のように次々と忘られてゆく。それらの名が代表している現実は、夢よりもはかない無用のものになって、日々の生活からこぼれ落ちてゆくのである。

三島由紀夫著『奔馬豊饒の海・第二巻―』P10より

『春の雪』が読み終わったのでそのまま「豊饒の海」シリーズ第二巻『奔馬』に突入。冒頭すぐにこういう文章があった。「過去は無数の変容に歪んでみえる」という文章もだが、未来は可能性や輝かしいものには見えず、過去に可能性などを求めてしまうというレトロピア的な感性がここでは語られているように見える。
豊饒の海」を執筆している時点で小説家の三島由紀夫としては最後の作品だと決めていたはずだし、書き終わったら本名の平岡公威として死のうとしていたのだから、ここで書かれている事柄は彼の死生観だけでなく、残り続けるものにしようと思っていたのだろう。実際に三島由紀夫という名は残り、作品も読まれ続けている。
第一巻である『春の雪』ラストで主人公の松枝清顕が死んでしまい、彼を京都に迎えに行き東京に連れ帰った親友の本多は今作では20年の時が経ち、38歳で子どもはいないが所帯を持ち、大阪控訴院(高等裁判所に相当)判事になっている。
第二巻以降から本多は清顕の生まれ変わりのような存在に出逢いながら、しかしその人物はなんらかの出来事で死んでしまうという展開になっていく。三島は本多ではなく、松枝清顕の方が近いとは思ってしまう。ただ、三島にとっての本多はいたのだろうか。

8時半過ぎに家を出る。肌寒いので薄手のカーディガンを着たけどそれでも風は冷たくて秋というよりも冬に近づいているようだ。数日前に30℃越えの観測史上一番遅い真夏日だと言っていたのに、寒暖差が激しすぎる。みんな体調を崩してしまう。結局、夏場にまた流行りかけたコロナはどうなったのだろうか、今年のインフルエンザは大丈夫なのだろうか、もちろん選挙は投票もするけど、そういう情報が入ってきていない気がする。
radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら、いつものように代官山蔦屋書店まで朝散歩。この前オードリーがメインでやったライブがあって、事務所の先輩である原口あきまささんとはなわさんも出てくれたらしく、ライブや打ち上げの話なんかをしていた。
オードリーの二人が「M-1グランプリ」で敗者復活からの準優勝をしてからブレイクしていくまでの売れない時に可愛がって面倒を見てくれていたのがその二人と亡くなった前田健さんだという話はラジオでも何度もしているし、多少オードリーの番組を見たりしている人がいたら知っている。
打ち上げの時にマエケンさんと「今、しゃべりたいなあ」と若林さんが言ったら、先輩二人も涙したっていう話があって聴きながら泣きそうになってしまった。今年に入ってから僕の涙腺はあまりにもゆるすぎる。
蔦屋書店について小説とかを見ても欲しいものはなかったのだけど、今月末に応募するために書いている小説の主人公のイメージにしている人に関係する書籍があったのでこのタイミングかなと思って購入した。脳内では勝手にその人の写真が使われた装丁が浮かんでいた。このイメージが実体化したら、そうなればいいなと思う。

家に帰ってから昼ごはんを食べてライティング作業をしようかなと思っていたら、友人AからLINEがきた。Aが数日前に旧TwitterことXに『SUPER HAPPY FOREVER』という映画をたまたま時間が空いたので観たらすごく良かったとポストしていて、それを見ていたのだけど、その映画に関して僕が好きであろうということと監督と感性が近いと思うから観に行ってみてというものだった。というわけで映画館のスケジュールを見たら16時半ぐらいからの上映があったのでチケットを取った。
下北沢駅のところにあるK2エキマエシネマは歩いて30分もかからないので16時になる前に家を出た。昨日から「三茶de大道芸」が始まっていて、演奏をしていたり、緑道沿いの道では露天というか工芸品などの出店が出ていて人で溢れていたので茶沢通りに出るまでいつもより時間がかかってしまった。

Story
2023年8月19日、伊豆にある海辺のリゾートホテルを訪れた幼馴染の佐野と宮田。まもなく閉館をするこのホテルでは、アンをはじめとしたベトナム人の従業員たちが、ひと足早く退職日を迎えようとしている。佐野は、5年前にここで出会い恋に落ちた妻・凪を最近亡くしたばかりだった。妻との思い出に固執し自暴自棄になる姿を見かねて、宮田は友人として助言をするものの、あるセミナーに傾倒している宮田の言葉は佐野には届かない。2人は少ない言葉を交わしながら、閉店した思い出のレストランや遊覧船を巡り、かつて失くした赤い帽子を探し始める。

夕方からの上映だったがお客さんが半分以上は入っていた。二十代ぐらいだったりと若い人が多かった。二日続けて「HAPPY」がタイトルにつく映画を観ることになるとは思わなかった。
昨日の『HAPPY END』は近未来を舞台にしていることもあるけど、少年たちが未来へ向かう物語であり、その舞台においては現在進行形で進んでいった。今日の『SUPER HAPPY FOREVER』は現在の妻を亡くした主人公の佐野とその友人の宮田が熱海のホテルに宿泊している所から始まり、五年前にそのホテルで佐野と妻となる凪が出会った時間軸になり、最後には現在に戻って凪との思い出の赤い帽子を探しているが見つからない佐野の姿と、その赤い帽子の行方が描かれるという構成になっていた。
そのため、今作の方が過去に物語の比重が置かれていて現在の佐野はメランコリックな感じがあり、過去の彼はロマンティックな感情を抱き始める、恋の始まりを感じている若さに溢れた姿であり、凪を失ったことで彼の青年期が終わったかのようにも見える。オススメしてくれた友達はそういう感覚の部分が僕の感性に近いと思ったのかな、たぶん。
佐野と凪が出会って時間を共にするわずかな時間、凪は佐野からもらった赤い帽子を翌朝散歩に出た時に無くしてしまい、探し続けるが見つからない。二人ともその日に帰ることになっていて朝食を一緒に食べようと約束していたが、探し続けていた凪がホテルに戻るとチェックアウトを過ぎた11時になっていたのだが、その後に佐野と再び会うという偶然だけどそれが運命のように感じられる瞬間が訪れる。そして、そのホテルには五年前からベトナムからやってきて働いているアンという従業員がいて、凪は滞在時に彼女と会話を何度かして交流をしていた。そして、現在佐野と宮田がやってきた時にはホテルは月末で閉館が決まっており、ベトナム人の彼女たちは佐野たちが滞在した翌日に退職することが決まっていた。
凪はホテルを出る時にアンに赤い帽子がもし見つかったら持っていてほしいと頼んでいた。いつかこのホテルにまた来るからと。物語の終盤では佐野と凪の出会いの日とその翌朝を描いてからホテルを退職するアンの物語になっていく。その終わり方がとても良かった。赤い帽子がキーアイテムだったのでヴィム・ヴェンダース監督『パリ、テキサス』ぽくもあるなと思えた。
刹那と永遠の中に想いは残る。偶然が重なることで人は出会うし別れていく。登場人物たちがなんだか気になってしまう。彼らが佇んでいるシーンはどこか詩的であり、現在から過去、そしてそれを繋ぐ赤い帽子という構図がどこか物悲しくも美しい、
でも、僕らもそんな時間を生きているし、触れたことはある。だけど、それはもう手には触れられなくて記憶の奥底にしかない、いつか大切な人の顔も声も後ろ姿も薄れてぼやけていく、それでもどこかに残ると信じている、いや残っていると思わないとこの現実はあまりにも辛い。だから、僕たちは物語を作り、言葉を紡ぎ、音を奏でる。そして果てる。

ドレスコーズ【LIVE】「スーパー、スーパーサッド」(from 『ドレスコーズ+柴田聡子inFIRE』) 


タイトルからの連想でこの曲のことが浮かんだので帰る時に聴いた。
スマホにメッセージが届いていて、アパートのことに関することだったので折り返して大家さんと電話。もしかするとユニットバスを交換するかも知れず、その場合は隣の部屋が来月退去するので工事期間は隣の部屋を使ってもらうかもしれないと言われる。そういえば、たまに見る占いで10月のところで「居場所が動く」とあって、引っ越しとか何らかの「生活環境の変化」を感じるイベントが起きそうですとあったのを思い出した。もしかしてこれ当たるのでは?

 

10月21日
目が覚めてトイレに行って時計を見たら深夜の2時過ぎだった。寝てから一時間も経っていなかった。部屋が思ったよりも寒いからそれでトイレが、ということもありそうな。そのまま日付は変わっていたので可燃ごみを出しに行く。布団に入って目を閉じていたら今度はぐっすり。
7時前に目が覚めたので朝のルーティンがてら読書を少ししてから朝食がてら飲んでいるトマトジュースを一杯飲んだ。一年ほど飲んでいるので今年の人間ドックの時にちょっとは血液の状態がいいといいけど、今年になってからタバコを吸うようになったのでプラスマイナスで考えたらマイナスなのかもしれない。
いつもの時間からリモートワークを開始。と日記で書いていて僕はずっと「リモートワーク」としているけど、人によっては「テレワーク」という、結局違いってあるんだっけ。そんな疑問が沸いたのは映画『サンセット・サンライズ』で主人公の会社がコロナパンデミックに入って「テレワーク」を社員にするように促したのを見たからだと思う。
調べてみると「テレワーク」も「リモートワーク」も意味はほとんど変わらない。だけど、「テレワーク」は厚生労働省によって定義されているが、「リモートワーク」は定義されていないらしい。どうでもいい情報。

昨日夜にradikoで『川島明のねごと』と『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』は聴いてしまっていたので、作業用BGM はSpotifyで『きしたかののブタピエロ』の続きを流していた。でも、ずっと同じ声が聴こえているとつまらないというか、飽きちゃうのでYouTubeのダウ90000の動画とかTVerで『やりすぎ都市伝説』を流して凌いだ。
昼休憩で駅前に行ったけど、気になる本はなかったので帰り道のから揚げ屋さんでカレーと一緒に食べる惣菜のメンチコロッケを買った。

昭和の高度経済成長期と現代を結ぶ、70年にわたる愛と青春と友情、そして家族の壮大な物語!

本作は、1955年からの石炭産業で躍進した長崎県端島と、現代の東京を舞台にした70年にわたる愛と友情、そして家族の壮大な物語だ。

戦後復興期から高度経済成長期の“何もないけれど夢があり活力に満ちあふれた時代”にあった家族の絆や人間模様、青春と愛の物語を紡いでいく。同時に、現代の“一見して何でもあるけれど若者が夢を持てない時代”を描き、過去から現代に通じる希望を見つけだす、時代を超えたヒューマンラブエンターテインメントである。

昼ごはんを食べながら昨日から始まった日曜劇場『海に眠るダイヤモンド』一話を見る。塚本あゆ子監督×野木亜紀子脚本で現在の物流問題を扱った映画『ラストマイル』は大ヒットして興行収入でもよい成績が上がっているが、このコンビによる初めての日曜劇場は戦後日本の高度経済成長を支えたエネルギーを産出していた端島と2018年の東京を、70年のスパンで描くというある種の「サーガ」ものになっていた。
「サーガ」は三世代ぐらいを描く、人間生きてもたかたが百年、祖父母・父母・自分、父母・自分・子供、自分・子供・孫、その想像力が必要だし、物語ならそれを伝えられる。大江健三郎中上健次が「サーガ」的なものとして、現在読まれることは減っているだろうけど、僕が好きなのは彼らの物語は百年を超える想像があるから。
冒頭の2018年に出てくる謎の婦人であるいづみ(宮本信子)が、1955年の端島にいる朝子(杉作花)と百合子(土屋太鳳)とリナ(池田エライザ)というスリーヒロインのうちの誰の後の姿なのか、色々と匂わせつつ今のところは誰かわからない演出がされている。ただ、最初に羽島から子どもを連れて船で逃げようとしているリナの姿があったので、普通に考えれば彼女なのだろうけど、その謎も今後の楽しみになりそう。
このドラマはぜひヒットしてほしいし、オリジナル作品で戦える人たちが結果を出してほしい。原作ものが悪いわけではないが、原作ありきではないと企画が通らないとかそういうことをしていては誰も幸せにならないと思う。今クールはこのドラマは最後まで見る。


先週出社した時に神保町の東京堂書店に寄った時に大江健三郎著『懐かしい年への手紙』を買っていたので、最近の併読の中に入れて読み始めていた。
大江健三郎さんの擬似自伝と言われている作品で、「ギー兄さん」という人物が出てくる。「ギー兄さん」は他の作品でも出てくるし、大塚英志著『摩陀羅 天使篇』でもここから取られたであろう「ギー」という青年が出てくる。だから、僕は先に「ギー」の方を知った。
『海に眠るダイヤモンド』の2018年の時代に出てくるいづみを演じているのは宮本信子さんだから、伊丹十三監督のことがちょっと脳裏に浮かんだ。
「ギー兄さん」のモデルは伊丹十三監督と言われている。大江さんの妻が伊丹さんの妹なので義理の兄弟であり、高校時代に大江健三郎は年上の伊丹十三によってランボーの原語の詩集を与えられるなどの文化的な手ほどきを受けたとwikiにも載っているほどであり、人生で大きな影響を受けている。偶然だけど、僕の現在の読書とドラマが何かシンクロしているような気がした。

リモート終わってからSpotifyポッドキャスト番組『83 Lightning Catapult』最新回を聴きながら少し読書。ラインギフトを受け取れなかったというリスナーからの相談メール、そういうのをあんまりしたことないけど、ナマモノだと受け取り期限が少ないんだなということを知った。PayPayかも使ってないし、お会計する時に割り勘にして半分とかぺいぺいで相手に送るみたいなこともないんだよなあ。

それからライティング作業に。夕方にリモートワークで作業している時に思いついたことがあって、昨日観た『SUPER HAPPY FOREVER』の構造みたいなものって、自分の作品でもできるだろうし、前に書いて新人賞に応募しても一次選考は通過したけど二次にはいけなかった作品をその構造に当てはめてリライトできそうだった。
何年か前に書いているので使えるのは登場人物とエピソードだけだし、それ自体もコロナパンデミック前の出来事を描いていた。だから、最初はまず現在のことを追加で書いてから、過去のことをアレンジしてリライトして、最後にその物語に通じる、映画だと赤い帽子だったけど、そういうアイテムでもいいしメインの登場人物と関わりのあった人物で締めるというのもありだなって。とりあえずその作品をその構造に分けて登場人物たちのキャラクター表を新たに作成した。今書いているものが一番だけど、これは来年とかに執筆できたらいいかな。

 

10月22日
6時過ぎに目覚ましで起きるけど、疲労が取れていない感じがした。昨日そんなに歩いてないし、どういう疲労なのだろう。トマトジュースとビタミン剤を飲んでから布団に戻ってradikoで『空気階段の踊り場』と『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴きながら寝転んだまま読書。
井伏鱒二著『荻窪風土記』を読んでいると「阿佐ヶ谷将棋会」という集まりのことや太宰治も出てくるが、木山捷平の名前もちょこちょこ出てくる。この前どのくらいぶりかわからないけど、『山椒魚』を読み返したし、実は読んだことのない『黒い雨』もこの次ぐらいには読まないとなって思うようになった。
続けて木山捷平著『駄目も目である』である収録の『下駄にふる雨』を。こういう短編集とかは読める時には一編全部を読むようにしている。木山捷平作品は講談社学芸文庫に収録されていたものをわりと読んでいるけど、彼の短編は確かに噛めば噛むほど味が出るというか派手さはないものの、市井における生活の色や匂いや音がちょうどよく届いてくるし、ユーモアがあって温かみも感じられる。
その後に三島由紀夫著『奔馬』、中上健次著『地の果て 至上の時』、大江健三郎著『懐かしい年への手紙』を読むとこちらは重厚で読んでいると疲れてしまうような描写や展開だったりする。
興味がある小説や作家から興味が広がっていき、いろんな小説家の作品に触れるようになると好き嫌いや合う合わないということはあっても、いろんな作品があることが素晴らしい。現在進行形の作家たちもこれから出てくる作家たちもいるし、すでに作品を残して亡くなった作家たちもいるし、よりどり緑で興味の赴くままに読書という終わりのない趣味は自分が死ぬまでは続くだろうなって思う。


10時を過ぎたのでとりあえず、今回の選挙の投票日である27日はZAZEN BOYSの武道館ライブということもあり、いつも投票日より前に期日前投票しているので行ってきた。僕の投票する選挙区の候補者を見ると選択肢は一人しかいなかった。政党に関してはこのエリアには出馬していないところに入れた。そこがこれ以上その政党の議員を減らすと自民党公明党や維新とかヤバいところにちゃんとしたことを言える人が減ってしまうのだけはどうしても避けたい。
脱税とかしている政党に入れる意味もわからないし、禊も何にもしてないけど、それでも投票に行く人の多くは今までのように彼らに入れて政権与党のままにするのだろうな、とは思う。
失われた30年がさらに終わらなくなり、誰も責任も取らないままだ。安倍政権は僕にはオウム真理教と裏表の関係にしか見えなかった。オウム真理教がやったのは日本国に住んでいる人たちへのテロリズムだったが、安倍政権もそれをやっていたと思っているし、今でも国賊だと思っている。
しかし、国賊が政権与党なら是正されることもないし、そもそも第二次世界大戦による敗戦以降、この国はアメリカの属国でしかないのだからアメリカに逆らわない政治家や政党に権力が集まるようにできている。その構造やシステムはもう変わらない。結局、明治維新も侍のクーデターだったわけだし、国民の諦めや意識が変わらないのは民衆による民主的な革命が起きたことのない国だからなんだろうなって韓国の映画や小説に触れると思う。でも、諦めないし大きなものに何も考えずに従うのだけは嫌だ。


13時までライティング作業をしてから渋谷へ。最近は前日深夜放送のラジオを聴き終わっていたら、Spotifyポッドキャストで『きしたかののブタピエロ』を聞いて散歩している。今は2023年10月放送分、やっと一年前までたどり着いた。
シネクイントのポイントカードが一枚溜まっていたのでPARCO渋谷内のホワイトシネクイントでヨルゴス・ランティモス監督『憐れみの3章』の鑑賞チケットに交換。
オズワルドシアターの試写で観て、公開日の夜とその翌日朝に観ているのでこれでスクリーンで観るのは四回目。同じキャストが三つの章ごとに違う人物を演じているのだけど、昨日思いついた作品はこの映画とは違うけど、現在―過去―現在みたいな流れにしようと思ったのでなんかイメージが沸きやすいかなって思った。
ということで最初の章が上映中はずっとそのアイデアのことを考えていたので話をちゃんと観ていなかった。でも、もう内容はわかっているので問題はない。個人的にも3、2、1という順番で物語としては好きということもあった。やっぱりラストでの悲劇的すぎるが故に喜劇になってしまう件で笑ってしまった。
文章だと役者が同じだけど違う役をやるという表現はできないから、まったく違う三つの物語だけど、出てくる登場人物の名前は同一のものを使うみたいなことになるのだと思う。そう考えると叙述トリックみたいになりかねない。

家に帰る頃にSpotifyポッドキャストアルコ&ピースのしくじり学園放送室P』、『あのと粗品の電電電話』最新回がアップされていた。
「アルピーしくじり」は特別編ということでこれまでの過去回を振り返るというもの、一回ブレイクみたいな感じなのかな。「あの粗品」は粗品も前回よりは元気な感じに聴こえたけど、ずっとポケモンのキャラクターの話だったのでポケモンを通っていない人間としては知らない固有名詞の連発だった。やっぱりポケモンとハリポタはちょっと下の弟妹世代が第一世代なんだよなあ。だから、まったくわからないまま

寝る前に今日からテレ朝で始まったドラマ『民王R』をTVerで見る。前作を見ていないけど、今の政治状況への皮肉にあってコメディとしても楽しめた。このドラマにあのちゃんが出ていて、一話ではかなり大事な役割で前に出る状況が多かったけど、この人演技もできちゃうしどんどん進化しているように感じる。
火曜日はテレビではこのドラマにMCの音楽番組『あのの電電電波』に、Spotifyでは『あのと粗品の電電電話』が配信されて、深夜帯で『あののオールナイトニッポン0』とあの無双状態になっている。
次にツアーする時にはもう武道館クラスでやるんじゃないかと期待している。そういう大きな区切りの後に一度芸能活動休止とかちょっと休みをとるタームに入るんじゃないかなって思ったりもする。
ここまで露出して働いているのって異常だし、肉体的もだけど精神的に大丈夫なのだろうか、とちょっと心配になる。でも、彼女は音楽をやりたくて活動しているのはわかっているから、ある時期に音楽活動だけに移行したりするかもしれない。
ファンとしてラジオとか色々と楽しませてもらっているので、大きな力や思惑にではなく、あのちゃんが選んだ方向に向かえるといいし、そのために今死ぬほど仕事をしているのかもしれないなって思う。

 

10月23日
6時過ぎに起きるけど、今日もなんだかすぐ起きて何かやるっていう感じではなかった。寝転んだままradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴いていたら寝落ちして8時前に起きた。『JUNK 爆笑問題カーボーイ』を聴きながら朝読書を少ししてから、リモートワークを開始。
「爆笑カーボーイ」は亡くなったピーコさんの話を太田さんがしていて、「あれほど優しい人いない、残酷なほど優しい」と語っていた。その後には西田敏行さんの話になっていて、太田さんが好きな人やものを語る時、なんでこんなに心に刺さるんだろう。太田さんも優しい人には違いない。

何かの番組でピーコさんと対談した時に、「今こうしてたくさんテレビに出始めて、とんでもなく忙しいでしょ? でもね、消費される側に回るとね、たとえどんなに暮らしが豊かになってもね、5年もすれば枯渇するのよ。それは覚悟しておきなさい。あなたが30年以上かけてインプットしてきた経験や知識も、一度すべて空っぽになるから。私もそうだった。全部の引き出しがすっからかんになった。だけど忙しいとインプットが追い付かない。それからが勝負なのよ」と言われたことを、今でも折に触れて思い出します。

追悼・ピーコさんとの記憶「人として、男として、オカマとして」 ミッツ・マングローブ

TwitterことXのタイムラインにこの記事のことがポストされていた。こうやって亡くなった時に優しいって言われるような人にはなれないだろうけど、それでもちょっとは優しい人になりたいって、一番難しいよね。

部屋の中はちょっと寒いぐらいで窓の外も曇っているのかなんだか薄暗い気がする。天気予報を見ると午後から雨っぽい。家で作業をするし、休憩時間も自分で自由に決めているから雨ができるだけ降っていない時間に出ることができるのはありがたい。
「爆笑カーボーイ」の後はいつもの『星野源オールナイトニッポン』ではなく、『ニセ明のオールナイトニッポン』(ゲスト:雅マモル)を。星野さんのオルターエゴ的な存在のニセ明で番組をずっとやるというスペシャルウイーク企画で声優の宮野真守でもある雅マモルと一緒に放送するというものだった。
僕は正直ニセ明をあまり楽しめていないのもあるのだけど、そこにもう一人加わることでよりカオティックさも出ていたし、真面目にふざけているんだろうなと思えた。でも、好きか嫌いかというよりも合うか合わないかと言われたら合わない。でも、最後まで流して聴いた。


傘がいるかいらないかぐらいの雨の中、休憩に出て駅前に向かう。本日発売になった古川日出男著『超空洞物語』をTSUTAYA書店で購入。『群像』掲載時に『うつほ物語』というタイトルで読んでいたが、この新しいタイトルと装幀で完全体になったように思える。
パッと見で装幀が水戸部功さんだとわかるが、『群像』で連載していた『おおきな森』以降で単行本化した四冊(『おおきな森』『ゼロエフ』『の、すべて』『超空洞物語』)全部を水戸部さんが装幀を手掛けている。
古川さんのデビュー10周年記念(2008年)でもあったメガノベル『聖家族』単行本は菊地信義さんが装幀を手掛けていた。そして、それ以降のデビューから2013年(『南無ロックンロール二十一部経』)、2018年(『とても短い長い歳月(THE*MEGA MIX 作品集 PORTABLE FURUKAWA)』)、2023年(『の、すべて』)という周年時には古川さんも代表作になるような作品を執筆して刊行しているが、2013年以降は菊地さんの弟子筋である水戸部さんが手掛けている形になっている。それだけでも特別な時には水戸部さんが装幀をやっているという認識だった。『群像』に掲載した四作品が単行本化される際には水戸部さんが装幀をやっていると考えたら、その作品たちは古川さんにしたら記念となる周年の時に出すほど力を入れている作品ということでもある。

家に帰ってきてからお昼ご飯を食べながら、『あののオールナイトニッポン0』を聴き始める。スペシャルウイークはフワちゃんの前に月曜「ANN0」を担当していたファーストサマーウイカがゲストだった。
後者は大河ドラマの二番手になり俳優としても世間的に知られるような存在になった。前者はポストひとつで芸能界から葬られた。フワちゃんの件におけるXの炎上はなんというか、かつてミゼットプロレスのことでいろいろと文句を背景もわからずに言って、それを食い扶持にしていた小人の人たちの仕事を奪ったことに似ているようにも思える。ミゼットプロレスに関しては差別とかがあるから違うのだろうけど、他者や外部が勝手な正義感で当事者たちを苦しめるという構造は変わらないと思うし、そういう陰湿さみたいなものが政治とか社会への不満として権力に向かわないところが日本らしくて最悪。
あのちゃんとファーストサマーウイカの二人はアイドル時代からの知り合いであり、なんか地下芸人が売れて地上波のバラエティに一緒の番組に出てるみたいな戦友意識も感じる内容だった。
ファーストサマーウイカが「ANN0」をやっているときはわりと下ネタが多かったけど、ゲストでやってきてそのテンションが久しぶりに聞けたのも嬉しかったし、あのちゃんとの凸凹に見えるようなやりとりは不思議と耳心地が良くて、下ネタもどんどん話すし、共通言語がある人たちなんだなってわかるのもよかった。90分ぐらいあっという間だったなあ、またゲストというのもあるけど、「あのANN0」のイベントやることがあったらファーストサマーウイカをぜひ呼んでほしい。


リモートワークが終わってからニコラでアルヴァーブレンドで一服。カウンターで小一時間ぐらい、アイノブレンドもお代わりして、タバコもちょっと吸った。
前に来ていた常連さんが8年ぶりに来たという話をうれしそうに曽根さんが話していて、その人も色々と大変なことがあったけど、だいぶ期間が空いても来てくれたことがうれしかったのも伝わってきたし、最悪なことが起きてもやっぱり生きていればまた会えるし、話せるということだけが希望というか、なんかそういうことだと思う。

【祝!KOC優勝】ラブレターズ 芸人人生を変えた言葉ベスト5!太田光代社長からの衝撃の一言・憧れのバナナマン設楽から得た教訓・師匠大竹まことから授かった金言の数々


家に帰ってからYouTubeで『佐久間宣行のNOBROCK TV』のラブレターズゲスト回を。いやあ、一位から五位まで本当にすごいなって思う言葉だったし、その人が言ったからこそラブレターズの二人に届いて響いたんだと思えるものだった。しかし、一位と二位の二人の言葉はしびれるし、特にその人たちの影響を受けている二人には金言であり、指針になったのもわかる。
いやあ、ずっとコントを作り続けてきて形ができあがったけど、コンテストで勝ち抜けない、芸人として売れきれない理由を突破する言葉もかけられていて、その言葉にハッパをかけられてこの数年で溜口さんがどんどんキャラクターを強くしていった。それが優勝に結びついているとか、長くやっている人ということだけでもすごいのに、周りにいた人たちの言葉をしっかり受け取って実行する人たちだから栄光が微笑んだんだろうな。

 

10月24日
7時過ぎに起きて朝のルーティンの読書をしながら、radikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を流す。今週スペシャルウイークのゲストは手越祐也さんだったが、出てくるエピソードが豪快だった。佐久間さんが「松方弘樹さん」の名前を出していたけど、その場にいた身も知らない人と飲んだり、その人たちの飲み代を奢ったりと昭和の映画スターみたいな豪快なことをしているという話とか、人間・手越祐也の魅力が伝わってくる内容になっていた。
僕は元NEWSでアイドルというぐらいの認識しかなかったけど、これを聞いちゃうと気になるというかファンになってしまうような人だった。このラジオ自体がマスコミ関係やエンタメ業界の人たちもたくさん聴いているから、手越さんの露出どんどん増えるんじゃないかな。

横軸だけを意識していると相対的になる。要するに「誰が・誰よりも・何々だ」の罠に落ちる。それでは駄目だ。絶対的な芯が欠かせない。そういう絶対性に自分を(あるいは自分以外のいろんな人たちを)触れさせるのは? ひとまず縦軸だ、と私は直観しているのだった。それは同時代性ではないのだから、時間が前か後ろに伸びる。未来あるいは過去。実際にたどれるのは? 過去だ、と即答できる。

だからこそ、と振りかぶりはしないけれども、私は日本最古の長篇小説である『うつほ物語』(かつては『宇津保物語』との表記で紹介されることも多かった)に直接に対峙した。しかし、それだけでは「古典やってる」のひと言で、やはり同時代アディクトの趨勢からは黙殺される……はずだろう。だったら「古典やってる」を「超・古典やってる」に変えるという手しかない。

古川日出男のセルフ解説』【超空洞、スーパーホロウ日本文学 #01】

発売になったばかりの『超空洞物語』の著者解説がアップされていた。菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの楽曲をSpotifyでリリース順に流しながら、単行本を読み始める。
半分過ぎたところで一旦読むのをやめて、お昼のご飯を買いに外に出る。夕方から天気が崩れるみたいなことだったけど、曇り空でちょっと湿気があるけど暑くはない。
昼ごはんを食べてからも菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールを聴きつつ、15時までライティング作業をする。元々長編にするつもりでその第一章にする予定だったものをそこだけ独立させて成立させようとしているから、当初作っていたキャラクター表も他の章と関わる人物とかも減らしたりしてできるだけシンプルにしようと思っていた。やっぱり内容に関わる人物はちょっとだけでも出さないとエピソードが作れないので、登場人物はそこそこ多くなってきた。
長編にするときのタイトルはすでに決めていて、それぞれの章タイトルは菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールのアルバムから取っていた。しかし、今回独立させたのでそこも変えた。個人的には今つけているタイトルから伝わる「喪失」というか何かが損なわれた感じがちゃんと伝わるようになるといいのだけど。

15時過ぎに家を出る。目的地は有楽町だったのでTOHOシネマズ日比谷に行く時の道程で計算したら二時間半以内には着くイメージ。湿気があるせいで一応寒くなると思ってきてきたカーディガンのせいで汗ばんでくる。
最初の一時間はまた『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴いていた。聴き終わってからは菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの最新アルバム『天使乃恥部』を聴きながら歩く。いつもの青山墓地、乃木坂に赤坂に首相官邸に国会議事堂を通り過ぎる。


日比谷公園を横切っていたらずっと工事中で中が見えないようにしていた壁がなくなっていた。結局、噴水もそのままだし、大開発って感じではなかったのかな。緑の芝生の部分はなんか思ったより面積がない感じがした。両脇とかの通路がわりと広いせいなのか。


有楽町駅近くの目的地に着いたのが17時過ぎで、開場が18時15分と約一時間ほど余裕があったので周りをブラブラしていた時に、そういえば八重洲ブックセンターが新しくなったけど一度も行っていないと思ったので行ってみることにした。
大通りを東京駅方面に向かって歩いていく。海外から来た人が有楽町も多いけど、このエリアだと彼らは何を求めているんだろうか、ほんのたまにしか来ないし、来ても映画関連の時か有楽町ホールのライブぐらいなのでよくわからない。
途中、地下通路を降りると地下街が広がっていた。奥の方に八重洲ブックセンターの新店舗があった。やっぱり何階もあって自社ビルなのかデカい建物だった時の大きさを知っているとこんなに小さいのって思えるサイズになっていて、在庫数もまったく違うし、駅を利用する人がよって新刊とかを買うみたいなお店なんだろうな。

18時を過ぎる頃には有楽町の方へ戻っていて、有楽町マリオン別館七階にある「I'M A SHOW」に開場時間が来てエレベーターで上る。今日は『天使乃恥部』リリースのレコ発的な菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール公演を鑑賞。
ずっと楽しみにしていたので来れてよかった。初めての会場だったけど、天井も高くて作りはホールみたいな感じに近い、座席は前から三列目の真ん中エリアの通路寄りの場所だったので弦楽四重奏チームの正面に近い、真ん中に立っている菊地さんもすごく見えやすいいい席だった。
エレベーター出てすぐに「I'M A SHOW」になっていて、そこでチケットの確認とワンドリンクのお金を払って引き換えたドリンクチケで飲み物を頼んでから中に入るという導線だった。やっぱり開場すぐは人がたくさんいるから追いついていなくて、正直この導線はあまりよくない。入り口付近が渋滞していたからそこはちょっとストレス溜まりそうだし、そこだけは気になった。
お客さんはさすがに年齢層が高くてやっぱり四十代五十代が多くて、二十代とかは少なかった。女性は着飾っている人が多いのも菊地さん関連のライブの特徴だなって思う。ドレスコードがあるわけではないけど、菊地さんの音楽を好きな人はやっぱり衣食住にこだわりがあったりするのだろうし、特に色気のある菊地さんだからこそ女性はよりオシャレをしてきているんじゃないかな。


『色悪』という曲は以前は『機動戦士ガンダム サンダーボルト』のサントラに入っていたものだったが、今回のニューアルバムではサルサ風にリアレンジされていて菊地さんが歌っているバージョンになっていた。
前のはわりと激しい印象があったが今回のものはサルサ的なリズムだし菊地さんの歌い方も艶やかっぽさがあってよりエロティックであり悲惨さも増しているように感じた。うーん、色っぽい。


アンコールの一曲はテレビドラマ『岸辺露伴は動かない』のエンディング曲である『大空位時代』が演奏されて、この曲の題名を英語にしたものを長編のタイトルにしていたりして、そこから独立させた作品には今はこのタイトルをつけているので今聴けたことはうれしいというか、聴けるかどうかは僕には大きかった。
そして、最後はアルバムでも最後に収録されている『天使乃恥部』が演奏された。座ったままでの鑑賞だったけど、ライブハウスとかスタンディングで聴いたらお客さんすごく踊って楽しめただろうな、どちらもペペのライブではやるので今度はスタンディングでずっと踊っていたいなとも思う。

昼前にモーリー・ロバートソン著『日本、ヤバい。「いいね」と「コスパ」を捨てる新しい生き方のススメ』の編集者の目崎さんからお声をかけてもらっていたので、コンサートが終わってすぐにエレベーターで一階に降りてから丸の内線に乗って四谷三丁目駅まで。
スナックアーバンに着くとなぜかアニソン括りのカラオケが始まっており、目崎さんと乾杯して他のカウンターのお客さんが歌っているのを聴いたり、ちょっとお話をさせてもらった。アニソンということで徳永英明さんの『夢を信じて』とH2Oの『想い出がいっぱい』を歌った。カラオケしたのいつぶりだろう、たぶんコロナパンデミックが始まるよりも前だ。

もう一軒、荒木町猫目というバーに目崎さんに連れて行ってもらった。名前だけは聞いたことがあったのは文壇バーだからなんだと思う。新宿にあるけど、このお店はその二軒目らしい。すごくシックな作りになっていて落ち着いた雰囲気だった。
文壇バーと言われる所には初めてきたのかな、作家さんのエッセイとかでもうなくなってるんだろうけど風花とか名前ぐらいは聞いた事ある程度、実際に今も飲みながら交流している作家さんもいるだろうし、編集者さんも足を運んでいるんだなって思いつつ、ある種のロマンみたいなものが残っている場所って印象がある。
ナミビアの砂漠』のポスターが貼ってあって、山中瑶子監督が前に働いていたらしい。おお、めっちゃ今注目されまくってる人だ。文化的な場所にいてちゃんと作り続ける人ってすごいな、大抵その雰囲気だけを満たされちゃたり、いろんな人の話を聞いてしまって勘違いとかすることもあると思う。たぶん、僕はそういうタイプだ。
ほどよく飲んで話してから目崎さんと一緒にタクシーで三茶方面へ。そういえば、スナックアーバンに行くし、と思ってタバコを持ってきていたけど、どこでも吸わなかった。一軒目も二軒目もスタッフの女性以外、ご一緒した男性は僕と同世代かその上だったけど誰も吸ってなかった。とりあえずタバコを吸いながら歩いて家に帰った。

德永英明 - 夢を信じて 

 

10月25日
帰ってすぐに寝たが、二時間ほどで目が覚める。気持ち悪い。普段はビールしか飲まないけど、スナックでジャックダニエルソーダ割りとか飲んだからだと思う。飲んだのも三杯程度なんだけど、単純にウイスキーが合わないのだろう。冷蔵庫にあったポカリを一気に飲んでトイレ行ってからまた寝る。
7時過ぎに起きたら気持ち悪さはほとんど消えていた。でも、まだ怠かったので朝のルーティンはせずにもう一時間寝ることにして、radikoで『ハライチのーターン!』を流して聴いていたらすぐに落ちた。


リモートワークを始めてもろもろの作業をしていた。その時に今日朝日新聞を買う日だったと思い出した。昼まではオンラインミーティングとかあったりしたので昼休憩の時に買うことにした。
昼休憩で外に出て惣菜をスーパーで買った帰りに最寄りのコンビニに寄って朝日新聞の朝刊を購入。最終金曜日に古川さんの文芸時評が掲載されるのでそのためだけに月に一回新聞を買っていて、もう一年以上は経っている。
古川さんがご自身の近況を書いているブログでこの時評を書くために月に四十作品近く新作小説(単行本として刊行されたもの、文芸誌に掲載されたもの)を読んでいるということを書かれていた。その大変さとかかっている時間を考えると本当に頭が下がるし、続けられていることがほぼ奇跡みたいなものだと思う。この時評は少し経ってからウェブでも見えるようになるのだけど、やっぱり最初に形になったもので僕は読みたい。

休憩の時に駅前のTSUTAYA書店に寄ったら、モーリー・ロバートソン著『日本、ヤバい。 「いいね」と「コスパ」を捨てる新しい生き方のススメ』が新刊コーナーに置かれていた。関わった書籍を書店で見るとなんか早く誰かに手に取ってもらいたいなと思うし、マジで売れてほしい。

リモートワークは仕事も溜まっていなかったのでのんびりと進めていた。午前中からradikoで『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』(ゲスト:パンサー 向井慧)、『マヂカルラブリーオールナイトニッポン0』(ゲスト: FUJIWARA 藤本敏史リボルバー・ヘッド)、『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』と続けて聴いていた。
おぎやはぎの二人と向井さんの組み合わせはもう向井さんがおもちゃにされている(悪い意味ではない)感じで、終始楽しそうで何度か笑ってしまった。「マヂラブANN0」は一年前にゲスト予定だったけど車でやらかしたため来れなかったフジモンさんが登場、でこぼこというかぼこぼこなリボルバー・ヘッドとのやりとりも楽しかった。「都築サクラバシ」では明日ゲスト予定の「三四郎ANN0」の話もしていたけど、本当に彼はラジオでの存在感がどんどん大きくなっている。

仕事が終わってからSpotifyポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』を聴きながら、昨日書いていなかった日記を書いたりした。
そこから自作のライティング作業に取り掛かる。書いているうちにラストの方の展開が浮かんできたのでなんか最初と最後が繋がる感じになったらいい。円環の輪に見えるけど、角度を変えたらそれは螺旋だったというのが望ましい。

ラストシーンに関することで地元の井原市にあるリニューアルされた平櫛田中美術館のサイトを見ていたら、「鏡獅子」が今年の二月から展示が開始されていた。その期間が5年半の予定で、予定ってどういうことだと思って見てみたらこの「鏡獅子」は国立劇場に展示されていたものだから、建て替え期間の間は田中さんの地元にある平櫛田中美術館に貸すということらしく、建て替えも色々と問題があったりするのでいつまでかかるかわからないから予定になっているみたい。



僕が知りたいのはここにおそらく展示されているであろう「転生」のことだったが、ウェブ見る限りではちょっとわからなかった。
前に帰郷したのは2022年11月でその時にはまだ平櫛田中美術館はリニューアル工事中で館内には入れず、コロナパンデミックも終焉していなかったこともあり、本来美術館で展示されているものが井原駅構内に一部展示されていて、そこに「転生」もあった。そのことを小説に組み込みたいと思ったのだけど、どうしようか。

190枚の小説に対して、何を、幾つ掘って書けるのかはわからない。しかし、言いたいことがある時には、届けたい。そもそも小説であってもなんであっても、私は届けるためにやっている。時には届かないが、そうしたら自分の全表現のひとつひとつを〈うつほ舟〉に入れて流す。その〈うつほ舟〉とは何か? それは『超空洞物語』内に書いてある。また簡単に調べることもできるだろう。

私は〈うつほ舟〉に入れて、いま現在ではない時間に、たぶん未来に、それからここではない場所に、それは国外かもしれないし彼岸かもしれないが、全部を流す。そして信じる。信じて、籠もって、眼前にある(かなり膨大な量の)仕事をこなして、しかし来年(とは2025年だ)そして来年度(とは2025年4月からだ)へ、自分を「執筆する運動体」にと変じられるように、飛ばす。

古川日出男の現在地』Super Hollow Japanese Tales 2024.10.12 – 2024.10.25 東京・山梨

寝る前に最新回がアップされていたので読む。「うつほ=空洞」のことを『超空洞物語』を読んでから考えている。空虚なのもの、損なわれてしまったもの、人が生き続ける限りは抱えていくもの、そして東京の空虚な中心のこと。

 

10月26日
寝ようとしたらメールが届いていた。A24からのお知らせのものだったが、ポッドキャストをアップしたという内容だった。

A24ポッドキャスト「Episode 42: Andrew Garfield & Harris Dickinson」

A conversation between A24 leading men and resident Brits, Andrew Garfield and Harris Dickinson, stars of We Live in Time and upcoming Babygirl.

The A24 Podcast | Child's Play with Andrew Garfield & Harris DThe A24 Podcast | Child's Play with Andrew Garfield & Harris Dickinson | Official Video HD


A24制作の映画にそれぞれ出演するアンドリュー・ガーフィールドとハリス・ディキンソンのトークポッドキャストYouTube動画で配信されていた。定期的に配信されA24のポッドキャストは映画に出演している俳優や監督の二人がトークするもので、エマ・ストーンなど豪華な顔ぶれが今までにも出ている。
フローレンス・ピューとアンドリュー・ガーフィールドが共演している『We Live in Time』は予告編観てかなり気になっているが、アメリカとかで秋公開だったのでそろそろ観れるのだろうけど、現在のところ日本公開は発表されていない。
もし、アカデミー賞候補に作品賞や主演男優賞や主演女優賞で入りそうなら日本でも3月か4月に公開になる可能性もあるけど、お願いだから日本で公開してほしい。

目覚ましで6時過ぎに起きたけど、まだ惰眠を貪りたかったので8時にセットし直して再度寝る。その間にすごく変な夢を見たような気がする。BLっぽい内容だった気もするし、少し不思議な世界観だった気もするし、夢だから摩訶不思議で辻褄が合っているはずもないのだけど、もしかすると寝る前に読み終わっていた古川さんの『超空洞物語』の物語に何か影響されたんじゃないかなって思う。
『超空洞物語』は『うつほ物語』を古川さんがマッシュアップしながら、新しい物語に生み直しているのだけど、作品の構成としては「光る筆」と「琴が鳴る」というパートが交互にあり、その間に著者である古川さんがこの作品について補足している「超空洞」というパートも入ってくる。
この小説は何の話かと言われたら、「芸術」についての物語だと言える。ここでの「芸術」には音楽と美術があり、鳴っているし視えてくるものがあり、最終的には古川さんの名前を多くの読書の好きに認識させて唸らせた『アラビアの夜の種族』にも接続するような展開になっていく。つまり幻視者としての古川日出男が日本文学の黎明期に存在した『うつほ物語』を現在、2024年に新たな語り口で現出させたと言える。そういう作品を読んだ後には僕自身の「うつほ=空洞」の中に陥っていても何もおかしくない。

noteに「書籍ミニ感想」という感じで短い感想を書いたものをアップするようになったので上記のことを含めてアップしてみた。

9時を過ぎてからいつものように散歩へ出る。土曜日のお供はradikoで『三四郎オールナイトニッポン0』を。楽しみにしていたスペシャルウイーク。
三四郎オールナイトニッポン」10周年記念の武道館ライブまであと一ヶ月。先行でチケットを取ったのが4月ぐらいだが、開催の3日前にならないとスマチケのダウンロードが可能にならないのでアリーナというのは分かってるけど、どの辺りなのかわからないけど楽しみ。
武道館でライブを観る機会は何度もあったけど、一人で行くのはDragon Ashの初武道館以来だと思う。たいてい誰かと行っているから。
スペシャルウイークのゲストは最初に二席の都築だけが発表されていて、もう一人(一組)は決まっていなかったが、「三四郎ANN」ファミリーのラブレターズが『キング・オブ・コント2024』王者になった瞬間に内田Dがマネージャーさん(たぶん、大竹さん。『ゴッドタン マジ歌ライブ』に出て演奏して歌っている、大竹まことさんの息子)に連絡して出演が決まった。
ファミリーなんだから、優勝すると思ってなくても最初から出演オファーしろよって最初の時に言ってたけど、そりゃあそうだよなって思う。都築さんはラブレターズとの絡みは今までなかったみたいだったけど、ネクストラジオスターに、もはや「ラジオ」になろうとしてる彼がいることでラブレターズの二人もどんどんテンションが上がっていくし、三四郎の二人がちょこちょこちょこちょこ導火線に火をつけるように誘導していくのでどんどんバカバカしくなる。これが「三四郎ANN」の一番の魅力だし、ノリだけで10年やれていることが謎だし、すごい。
『オードリーのオールナイトニッポン』は若林さんの成長の記録でもあったからどんどんリスナーを惹きつけて、共感を得ながら熱心なファンを生み出していった。『三四郎オールナイトニッポン』は小宮さんのMC 能力も向上してるし、やったらとりあえずのことはできてしまう相田さんというお笑い能力は明らかに上がっている二人だけど、それが世間的には理解されていない、されないようにしているのかラジオでのトークは成長を感じさせないことが強みになっていると思う。めちゃくちゃおもしろい時とそうでもない時の落差がここまで激しい芸人のラジオもそうないだろうし、内容も大抵ちょっとしたら忘れてしまう。そのぐらいのラフさも含めて僕はたのしめているし好きだと思える理由だったりする。
今回も最後の方で五人のトークが加速していって、都築がいることでラブレターズの二人も爆発していった。都築がゲストで一番生きるのはやっぱり「三四郎ANN」だなあ、バカバカしすぎる(褒)。このまま武道館ライブにこの三人呼んでほしい。

代官山蔦屋書店に着いたらお客さんがたくさんいて、星海社のミステリーカーニバルという作家さんが来てサイン会をやるという催しが開催中だった。開始の少し前だったみたいで建物の間の通路のところにテントみたいな感じで、それぞれの作家さんごとのエリアが作られていてお客さんが開始するのを待っていた。
阿部和重さんの『ブラック・チェンバー・ミュージック』が文庫上下巻で出ていた。単行本の時の装丁の方が良かったなあ。急いで今買わなきゃってことでもないので月末過ぎたら買おうかなって思う。
帰り道にあるスーパーに寄って昼ごはんのようの惣菜を買って、「三四郎ANN0」を時折笑いを堪えながら、何度か普通に笑ってしまいながら家に帰っていく。思ったよりも寒くなってきていて、汗はかくけどやはりもう秋らしい風だったりして歩くのはちょうどいい。
家に帰ってから昼ごはんを食べて14時からライティング作業を開始。もう今日はこれだけの予定。できるだけ進めることと、昨日のアイデアをどう組み込むかを考えつつ。

ジャンプ作品なのに表紙が“花一輪”。担当が「編集部に衝撃が走った」と語る、マンガ『夏の終点』作者の素顔は?

夕方過ぎに休憩しようと思ってスマホを見ていて気になった記事。読んでみたらこの『夏の終点』というマンガが読みたくなったので30分ぐらい散歩がてら外に出ようと思って池尻大橋駅の本屋に行ってみたが置かれていなかった。諦めきれずに三茶駅前のTSUTAYA書店にも寄ってみたがなかった。こんなにないのかって思ってもう一度記事を見たら上下巻で下巻が出たのが7月ぐらいだったから、新刊コーナーはどちらもあるが、新作以外の作品の在庫はどちらもそこまで多くないから置かれていないということなんだろうな、と勝手に理解した。

――いよいよ10月になって、武道館公演があと3週間後に迫っています。向井さんが武道館に立つというのは、まったくもって初めてのことですよね。今回、どういった経緯で武道館公演に至ったんですか? 

向井 ライブ制作をずっと一緒にやってもらってる人がいるんですけど、その人から「この会場がとれました」とか、「この会場でやってみませんか」と連絡があるんですね。今回に関して言うと、「日本武道館の日程がとれるかもしれないけど、申し込んでみませんか?」というふうに、ライブ制作のプロフェッショナルとして提案があった。ライブというのは、そうやって始まることが多いんですね。たとえば日比谷野外音楽堂ではほんとにずっとライブをやってますけど、「何月何日にライブをやりたいんですけど」っつっても、できないわけよ。野音は週末しかライブができなくて、せっかくなら過ごしやすい季節にやりたいと思う人が多いから、抽選になるわけよ。その抽選に申し込んで、とれた場合にはライブをやりましょう、と。今回の日本武道館も同じような形で、現時点で空いてそうだから、エントリーしてみましょうという話になったんです。 

――それがいつ頃のことだったんですか? 

向井 もう、1年くらい前にはそういう話があったんだけど、それがちょうど『らんど』の大詰めの時期だったんですよね。「これ、予定通りリリースできんのか」って状況だったから、ライブツアーをどうするかとか、そういう組み立てはまだ曖昧な時期だったんだけど、でも、ぶち込んどくか、と。 

――せっかく話があったんだから、と。 

向井 12年ぶりのアルバム『らんど』を、2024年の初めのうちにリリースしたとして、その年の秋口ぐらいに日本武道館があれば、なんか楽しいじゃない、と。そういう具合のもんです。本来なら、もっとストーリーを作っていくものかもしれないんだけどね。アルバムならアルバムをリリースして、ツアーを組んで、その最終公演を日本武道館でおこなう――これだとわかりやすい物語としてヤマが作れると思うんですけども、そんな先のビジョンはまだ見えてなかったんですね。だから、何とも言えないところもあるんだけど、抽選にエントリーしてみるかってことが、今回の始まりです。結果的には、アルバムを無事リリースすることができて、日本各地でワンマンのツアーをおこなうことができて、夏が過ぎてひんやりしてきたっていう、まさに季節の移り変わりにあわせて日本武道館公演ができるというのは、ストーリーをつくることができたなと思っていますけど。 

向井 上京のときはもう、ひとりでも多くの東京の人間をぶち殺すぞっていう思いで出てきたはずなんだけど、ある線を越えると、すごく遠ざかっていくような気がずっとしてるんですね。あるラインを越えると、こちらに興味があるのかないのかよくわからない、そんなぼんやりとした人たちがその場にいるだけではないかって感じがするんです。手応えを感じることが出来なくなる。だから、ほんとはリキッドルームぐらいのサイズ感がやりやすいし、届いていると思えるし、コミュニケーションができているような気がするんですね。こんなことを話してたら、「売れないバンドマンがそんなことをほざきやがって、1万人入れてみてから言えや」って言われるかもしれんけどさ。1万人の人たちが興味を持ってくれるというのは、すごいことだと思います。すごいとわかっているからこそ、言ってるんだけどね。

Zazen Boys - 永遠少女 Live at 日比谷野音 5.26 2024 


帰ってきてからライティング作業の続きをして、途中で休憩して明日の武道館行くので関連する向井秀徳さんへのインタビュー記事を読む。
武道館でやるとしてもすぐにやろうとしてもできず、申し込みして取れたらということなんだ、と初めて知ったこともあったし、だからこそ明日の武道館ライブでのZAZEN BOYSを楽しみまくって堪能しまくろうと思った。
あと引用した後ろの方でリキッドルームぐらいのサイズ感がやりやすいってのは観客として観に行っているだけでステージに立ったこともないけど、よくわかる。聴いている側としてもリキッドルームでのライブが一番楽しめるし、コミュニケーションできていると感じる。実際にZAZEN BOYS以外のライブでも個人的にはリキッドルームが一番体感としてライブを楽しめる場所だったりする。

 

10月27日
6時過ぎに一度目が覚めた。トイレに行ってから布団に戻る。室内の温度が下がっていてもう少し寒くなってきたら冬に突入する感じなのだろう。今のところはまだ布団に入っていれば暖房もいらないけど、リモートワークで机に向かって椅子に座っていると少し肌寒いと日中でも思うようになってきた。
寝転んだままで TVerで『ゴッドタン』を流して、radikoで『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』を聴いていたらもう少し寝たくなってきたので再び寝る。
寒くなってきたこともあるのだろうけど、最近は一発目の目覚めですぐに行動に移せない。何か気だるいというかめんどくさいというか、そういうものが確実にある。でも、このままだと諸々進まないこともわかる。
8時過ぎにもう一度起きる。朝のルーティンはしないで20分過ぎに家を出る。薄手のカーディガンを羽織っていても寒いが、10分も経てばちょうどいいぐらいになってくる。とりあえず、いつもの日曜日の朝の散歩は『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながらということが多いのだけど、月に一回放送の『ヤーレンズオールナイトニッポン0』(ゲスト:コットン)が深夜に放送していたのでそちらをお供に。


9時ちょうどに代官山蔦屋書店に到着。昨日同様に星海社のミステカーニバルリーのイベントのテントみたいなものが通路のところに置かれていた。さすがにまだ作家さんたちもいないし、星海社のスタッフさんが数人いて準備を始めはじめたぐらいだった。
昨日も来ていて小説で気になるのはなかったし、土日なので新刊はないことはわかっていたけど、昨日夕方に書店で探していた『夏の終点』がもしかしたら二階のコミックフロアにあるかもと思っていたらあったので購入。
自動レジになっているのでTポイントではなくVポイントになったポイントをちょっと使って現金で購入した。袋はいつも使っているバッグに入っているのでそれを使うことにして、会計をした。お釣りがちょうど550円になるように支払いをした。そうすると小銭が出てくるところにお釣りの500円と50円が出てくるのだが、なぜかそのコインが出るところの底の丸くなっている箇所が一部開いていてコインが二枚そのままそこを勢いよく通過して床に落ちていった。500円玉は足元に落ちてきたのですぐに捕獲できたが、50円玉は弧を描くように自動レジの下に入っていった。
会計を始めた時に近くにいたスタッフさんがちょうどお客さんからの電話に出て注文についてのやりとりをしていたのを横目で見ていた。自動レジの下を覗くとどうも50円玉みたいな銀色の輝きをしたものは見えるが手を伸ばしても微妙な距離だった。スタッフさんは電話対応をしていた。これはどうすべきか、悩む。もし500円玉だったら声をかけて回収するけど、50円玉っていうのは微妙だ。しかもVポイントで80円ぐらい使ったからそれを考えると諦めても損はしていないような気もするし、ああ、どうしよう。とそのスタッフさんを見たらファイルを見ながらその対応の続きをしていた。諦めよう。うん、粘りたくないって気持ちが勝ってしまった。

「BOOKSTAND映画部!」のレビューコーナー「月刊予告編妄想かわら版」2024年11月号が公開されました。11月は『ヴェノム:ザ・ラストダンス』『本心』『ドリーム・シナリオ』『正体』を取り上げました。


家に帰ってから少しだけライティング作業をして昼ごはんを食べて、家を出るまでもう少し作業の続きをした。
13時半過ぎに家を出る。渋谷までのお供はradikoで『オードリーのオールナイトニッポン』にした。スペシャルウイークで若林さんの愛車のマウンテンバイクを欲しいと手を挙げた人たちが数人出演するという企画で、芸人さんとテレビスタッフさんが参加するというものだったが、最初にオープニングから聴き始めた時に若林さんと春日さんの声の通りがいつもと違う感じがした。なんというかいつものスタジオよりももっと広い場所で音を録っているのかなって思えた。
毎週聴いているというのもあるんだろうけど、ニッポン放送の地下にあるイマジンスタジオという大きめのイベントでも使う(「三四郎ANN 」爆湧きステッカーをもらいにいったけどそこそこデカかった)場所で今週は放送をしていることがわかった。広い空間での音の広がりとラジオのそこまで広くないスタジオでの音の広がりはやっぱり違うし、慣れていくというのはそれがノーマルな状態になるからちょっとでも違うとその差みたいなに違和感を持ちやすいのかもしれない。


半蔵門線渋谷駅から乗って九段下駅で降りて日本武道館へ。今日はZAZEN BOYSの初めての武道館でのライブだった。いつも一緒にザゼンとかのライブに行く友人A と合わせて二枚チケットを取っていた。残念ながらアリーナではなくスタンド一階席だったが、南東エリアのC列という前の方だったので見やすいので問題はなかった。
先に着いていたAからラインをもらっていたが物販がかなり並んでいるみたいだった。僕は事前に会計だけして当日受け取りにしていたのだけど、着いてから事前受け取りは全く人が並んでいなくて、すぐに頼んでいたDANBIRA黒Tシャツを受け取れた。来月の三四郎ANN武道館も事前に支払って当日受け取りがあったので、これなら待たなくていいからまた利用しよう。
早めに集合していたので近くのコンビニでビールを買ってきて、開場まで待つエリアに座ってビールを飲みながら今回のライブのこととか諸々話していた。前回一緒に行く予定だったアジカンリキッドルームライブは僕が体調不良で行けなくなってしまい、二人でライブに行くようになって初めて僕が行けない日だった。お互いに年齢的にも体に気をつけないと行けないおじさんになっているので、そういう話題も増えてきた。


いつもZAZEN BOYSのライブに行くと僕たちは周りにザゼンのファンってほぼいないというか、会わないのになんでライブにはこんなにいるんだろうって話をするのだけど、今回はさらにキャパが大きな武道館がソールドアウトしている。
日本中から、さらには海外の人もこの数年ライブで見る回数は増えてきているのでそういう人たちが集まってきていた。本当にこういう人たちと普通に出会うってことがないのが生きていて不思議だ。
古川日出男さんとThis is向井秀徳さんは一緒にコラボもしていたりするから、古川さん界隈の人はZAZEN BOYSも好きだし聴いている人がいるけど、そういう関係がない場所でZAZEN BOYS大好きみたいな人に僕は会ったことがほぼない。まあ、Aともよく言うけどZAZEN BOYS好きな時点でいわゆるマジョリティ的なものとか好きじゃないだろうし、HENTAI寄りな人が多いのだろうから普段から好きとは表立っていっていないだけかもしれない。
ライブは17時過ぎに開始されて終わったのが20時半前だった。三時間半近くセトリを見ると37曲もやってくれていた。ニューアルバム『らんど』の曲はほとんどやったと思うが、それにしても過去の曲だったりここ数年の単独ライブでも演奏しなくなったような曲もやってくれたのはうれしかった。
『MABOROSHI IN MY HEAD』『I Don‘t Wanna Be With You』『安眠棒』『6本の狂ったハガネの振動』辺りは久しぶりに聴いたと思うし、『Honnoji』からの『半透明少女関係』の流れはめちゃくちゃ盛り上がっていたし、最高に楽しかった。最後はこちらも久しぶりな『KIMOCHI』で回るミラーボールに反射するライトが作った光の珠が武道館の中を照らしていた。

ZAZEN BOYS初の日本武道館ライブの映像と音源を完全収録!ボックスセット発売 

終演後に外に出たら今日のライブのボックスセット発売のお知らせをもらった。Blu-rayにCD三枚組らしい。Blu-rayは見れないけど、CDあるならちょっと欲しいかも。
九段下駅に行くまでに外は小雨が降り始めていて、予報をちゃんと見ていた人たちの傘が開いてしまったのもあって混雑もしていて歩くのも遅いのでそこそこ時間がかかってしまった。駅でAと別れて電車で池尻大橋駅まで乗ってから、帰りにスーパーで晩御飯を買って帰った。
今日はZAZEN BOYSのライブが良すぎて楽しすぎたし、ライブ終演後にスマホを見たら今回の選挙で自民党公明党過半数我の見通しだったのでぐっすり寝れそう。いい日だった。

 

10月28日
6時過ぎに目が覚めて可燃ごみを集積所に出しに行く。地面が雨で濡れていて、風もひんやりとしていた。憂鬱な月曜日、出社しなくていいのはありがたい。でも、もう少し眠っていたい。8時過ぎまでTVerで『有吉クイズ』流しながらウトウトだらだら。
リモートワークを開始して少し経ってから昼休憩を前借りというか先に使うことにして近くの整骨院へ行くことにした。
昨日の武道館ライブは開始してすぐに僕たちスタンドもアリーナの観客も立ち上がったが向井さんが「座って座って」みたいなジェスチャーをしたのでほとんどの人は着席する形でライブを観た。This is 向井秀徳からすれば椅子があるんだからのんびり座って楽しんでくれ、長丁場だからということだったのかもしれないし、そもそも映像を撮影していたから観客が着席してくれている方がやりやすいということもあったのかもしれない。
途中で休憩のような佐内さんの写真スライドが舞台のスクリーンに写っている時間以外はほとんどの人は座っていて、一部の人は立って観ていた。人それぞれだし自由でいい。ただ、立っている人がいると後ろの人は観にくいということもあったりするし、音に揺れているとそれなりに幅をとるなど左右の人に迷惑をかけることも起きてしまう。この辺りは確かに難しい。
僕らは座ったままでリズムをとって体を揺らしていたけど、三時間を越える時間椅子に座ったままというのはそもそも背中にも良くないし、動いているのでダメージはそれなりに蓄積する。それで整骨院に早めに行って座ったままで固まってしまった部分とかをほぐしてもらった。

すぐに戻ってからリモートワークを再開。来月公開する記事の準備をしたり、いつもやっている業務をやっているとすぐにお昼になった。整骨院帰りにコンビニに寄っていたのでそれで昼食を取って家にいた。
14時過ぎに大家さんと業者さんがユニットバスを見にきた。以前、僕が湯船に浸かっている時に伸びをしようと足に力を入れて少しヒビが入ってしまった。そのことはお伝えしていたのもあって、隣の部屋が空くのでユニットバス交換しませんかというお話をもらっていた。
僕が住む前に住んでいた人も10年以上住まれていたと聞いていたし、僕も12年越えているので住んでいるアパートはおそらく30年近くは経っているのだと思う。昔は畳の部屋だったのを今のフローリングとユニットバスの部屋にリフォームしたとも聞いていたので、ユニットバスとかもそれなりに時間は経過しているはずだ。
施工する業者さんとその窓口になる会社の人に大家さんに僕とおじさん四人が狭いところで、施工する業者さんが色々とサイズを計ったりするのを見ていた。実際に今のユニットバスを取り外して、新しいものを入れてもそれぞれ業者さんが別々らしく、うまく作業が組み込めても五業者さんが仕事をして最低でも五日はかかると言われた。
水回り関係の人もだし、ユニットバスを取り外して新ものを入れる業者さん、玄関すぐにユニットバスはあるが、出し入れするために壁の一部を取り払って入れて修復する業者さんなど作業する人が五人(五業者)必要とのことだった。
大家さんと窓口の人と施工業者さんが話していたけど、そもそも今入っているタイプと同じサイズのユニットバスがあるかどうか、あってもそれが納品されるが二、三週間はかかるらしい。在庫があったらあったで見積もりが出て大家さんが工事するかどうか決めて(今の所僕には負担はないことになっている)、OKが出たら注文して、届く時期に合わせて作業をする業者さんに作業の依頼をする。でも、その依頼がそれぞれの人たちがすぐ来れるかもわからないから、実際に工事すると決まってからでないとどのくらい今あるユニットバスを外して新しいものにして工事が完了になるか期間がわからないらしい。
もし、作業をすることになれば、その工事時間は隣の部屋を使わせてもらってリモートワークをするということになる予定だけど、でも、生活するために必要なものである冷蔵庫とかベッドとかは自分の部屋にあるから夜は工事中の部屋に戻らないとご飯も食べれないし寝ることも難しい。
自分がどうしたいというよりも大家さんが見積もりを見て決めることだし、うちの部屋にあるユニットバスと同じサイズのものが在庫なければ工事もできないのでこちらとしてはとりあえず風まかせというか、お任せしますとかし言いようがない。


リモートワークが終わってからスーパーに行くついでに池尻大橋駅にあるあおい書店に寄ったら、太宰治賞受賞作の市街地ギャオ著『メメントラブドール』が出ていた。12月にある今年の太宰治賞の〆切に間に合うようにスケジュールは組んでいる。やっぱり応募するので前年の受賞作は読んでおこうと思っていた。
ページあたりの文字数も多くなくてページもそこまで多くないので薄いなって思ったけど、税別で1400円だったからそこそこ刷っているのだろう。選考委員ではない金原ひとみさんが帯文を書いているのは題材的に彼女にコメントもらう方が届く人には届くという判断だろうな、これわりと珍しいことだ。

 バスタオルで頭を拭きながらテレビをつけると、選挙速報がやっていた。ああ。なんだ。なんだよー。なーんだ。<街1番の中華屋から人がいなくなる>とは、さながらラジオ版の「君の名は」のような話だ(新海誠関係ないよ)。

 この週末にライブやパーティーを行ったミュージシャン、DJ、パーティーオーガナイザーは、心中がどうだったかは別として、尊敬すべきだし、この週末を「選挙があるからなあ」と言って、ライブブックから外したミュージシャンは、心中がどうだったかは別として、呪われるべきだ。あの選挙の決定よりも、「天使乃恥部」のレコ発は先に決まっていた(当たり前だが)。またしても引いたわけだ。

 与党の連立が過半数割りした。良いんじゃないの。09年のアレの二の舞でなきゃさ。蓮舫にまた仕分けされるのはマゾヒストには楽しいだろうけど。というか、政治に入れ上げる人々は、どれだけ舌鋒鋭くても全員マゾヒストだ。政治家というのは公約を守ることが原理的にできない(全政治家が公約を守ったら、政治は5年間で必要なくなる)、故に、公約を信じ、裏切られることが政治に没入する原動力となる。マゾヒズムは最強だ。「遊園地に連れてってくれるって約束したじゃない!裏金はもう貰わないって約束したじゃなあああああああああああい」と泣きながら直訴する。こんな気持ちの良いことがあるか。

菊地成孔の日記2024年10月28日記す>

菊地さんの日記最新回。冒頭から引用した最後の箇所前まではこれから執筆されるという『刑事コロンボ』についての話だった。
「政治に入れ上げる人々は、どれだけ舌鋒鋭くても全員マゾヒストだ」というのはそうかもしれないな、と読んで思ってしまった。でも、マゾの方が生きている感覚は強いんじゃないかなあ、精神的にも肉体的にも。100%マゾなんて人はいないし、対峙する人や状況によってマゾとサドの度合いは変わるだろうけど、それでも比較的どういう状況でもマゾ度が高い人の方が痛みにどこかしら快楽を得るとするなら生において生き残りやすいのかもしれない。

Spotifyポッドキャスト番組『83 Lightning Catapult』を聴きながら夜のライティング作業。とりあえずこの番組は半年の復活だったが、スポンサーとか付くかどうかで継続するかみたいな話は最初にあったのを毎週聴いていてすっかり忘れていた。色々と難しいらしくて、どうもこのままだと終了しそうな雰囲気がある。続いてほしい。

 

10月29日
7時に起きてからradikoで『空気階段の踊り場』と『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴きながら朝読書のルーティンを。ブコウスキー著『詩人と女たち』はブコウスキーの分身である50歳を越えたチナスキーがいろんな女性との関係を描いているほぼ自伝なのだが、日本だとわからないし時代的なこともあるのだけど、どんだけ詩人モテるんだよ、と思わずにはいられない状態になっている。まあ、ページをめくるたびに酒を飲んで女性とセックスして喧嘩して別れて、また仲良くなって別の女性と出会って関係を持ってバレて修羅場になって、を繰り返している。
チナスキー自身ももう若くないこともあって、そこに哀愁みたいなものもあるし、ずっと郵便局で働きながら詩や小説を書いて発表していたブコウスキー自身が郵便局をやめて文章を食えるようになったのが50歳ぐらい。彼の破天荒さは文章にも出ていたからそれに惹きつけられる女性もそれなりにいたのだと思う。
実際に出会った女性にいつか君のことを僕の小説に出すよみたいなことを言っている。流石に名前を変えて出しているのだろうけど、著者の分身を出した私小説系の作品はその辺りの塩梅が作家によってかなり違う気がする。ノンフィクションとは違う以上本当にあったことばかりを書けないし、実存する人物をそのまま出すのは気をつけないと後々エライことになる。

あなたが動けば世界が変わる。ザ・ゾンビーズ・シリーズ最新作!
オチコボレ男子高校生だった南方は、仲間たちとのある約束のために大学に進学した。「君たち、世界を変えてみたくはないか?」高校の生物教師のこの言葉をきっかけに、仲間たちと周囲の不条理に立ち向かった彼らは、「殺しても死ななそうだから」という理由で「ザ・ゾンビーズ」と呼ばれていた。だが高校卒業を機にメンバーはそれぞれの道に進み、チームは解散。南方は大学でどこか物足りない日々を送っていた。
そんな折、同級生の結城から「友人の北澤と、その家族が行方不明になったので探してほしい」との依頼が。胸に秘めていた本能を揺さぶられた南方の前に、学内最大のサークルを仕切るカリスマ志田、志田を狙う謎の女子、そして北澤を追う男たちが現れる。大学に迫る危機、そして北澤失踪の真相とは?


TwitterことXを見ていたら金城一紀さんのポストで13年ぶりの書き下ろし小説が出るというものだったが、「大学生になった南方が活躍する物語です」という一文、「ザ・ゾンビーズ・シリーズ」じゃん!!! えええ、復活するの! まさかシリーズ最新作が読める日が来るとは。
もともとシリーズ一作目『レヴォリューションNo.3』と二作目『フライ、ダディ、フライ』は講談社から刊行されていたが、『フライ、ダディ、フライ』が岡田准一堤真一主演で映画化された頃に一作目と二作目が角川書店から新装版になって刊行されて、三作目『SPEED』が刊行された。のちに『レヴォリューションNo.0』というゾンビーズの結成前夜のものも出た。僕は講談社で刊行された時からリアルタイムで読んでいて、青春小説といえばこの「ザ・ゾンビーズ・シリーズ」だった。
金城一紀さんはデビュー作『GO』で直木賞を受賞して、その作品が宮藤官九郎脚本&窪塚洋介主演で映画化されたことで当時二十代前後の人にも届いていて、その流れにこのシリーズがあったというのは多かったし、同世代から少し下の世代は二十代前半から十代後半で読んでいて影響を受けているのではないかと思う。この新作は12月に刊行されるらしいので『GO』から読み直そうかな。

12時過ぎまで作業をしてから家を出る。夕方から雨予報だったけどまだ雨は降っていなかったので傘は持たずに渋谷駅へ。ニコラの曽根さんからお誘いしてもらった舞台を観るために山手線に乗って鶯谷駅まで。鶯谷駅で降りたことが今までなかったような気がする。13時半過ぎに南口改札まで曽根さんと待ち合わせしていたけど、早く着いて待っていたら徐々に小雨が降り出してきた。
集合したので駅から8分ほどの距離にある「SOOO dramatic!」というイベントスペースへ。行く途中に東京キネマ倶楽部があって、昔二回ほど来たことがあったのでその時は地下鉄入谷駅を使ったのかもしれない。

明日のアーは5年目で一度それまでの整理をしました。
以降、超ショートコントを乱れ打ちする時期に入り、昨年”出し物”という形で完成を迎えました。10年目の今年、ここらでまた一度整理をすることにしました。

アーは草野球みたいな市井のコントユニットだと思ってました。でも年を経て言語化が進むとこれは「ユーモア(くだらなさ)の探求」なのだと分かってきました。ユーモアとは何か。それは「入ってきた情報が期待を下回ったときの喜び」です。
であるなら、ここは自己表現ではなく「ただユーモアがある」場が望ましい。そう考えて現代のユーモアの雄である漫画家・芸人のおほしんたろう氏を脚本協力に迎えました。今はおほさんとネタを出し合って脚本の会議をしています。

新しい情報が入ってきてはそれが期待を下回る、そんなことが目の前で繰り返されることはあなたの人生でそうありません。ぜひその喜びを一度体感してみてください。

この公演はこれまでのアーの成果を整理して発表する公演です。ユーモアとは何かがわかるような内容になっています。その一端を今話すとすれば、それは生きることに他ならないんです。過剰だとお思いでしょう。どうか私達に期待をしてください。

私達はあなたの期待を軽々と下回ってみせます。
それがユーモアに他ならないのですから。

明日のアー主宰 大北栄人

開演の15分ぐらい前に会場について着席して待っていたけど、最終的には四十人ぐらいは平日の昼間なのに入っていたので、まずそれがすごいなと思った。観客は全体的には若くておしゃれな人が多かった印象を受けた。
ニコラの常連のピアニスト山田の知り合いの俳優さんが出ているということで、曽根さんがチケットを取って、一人行けなくなったので代わりに僕が誘ってもらった。
舞台美術デザインをしているファッションブランド「sneeuw」の雪浦聖子さんが手がけていて、雪浦さんとニコラも昔テイクアウトの時に一緒にやっていたりとチケットを取ってから色々と関係がある人が関わっているとわかったらしい。
僕はほぼ前情報は入れずに『整理と整頓と』を観に来ていた。Instagramを数日前に見ていたら知り合いのライターさんがこの公演を観に来ているというのを知って、「明日のアー」ってわりと注目されているのかもと思ったぐらい。
ただユーモアがある場所、コントの乱れうち&ある種哲学的な問いが混ざり合ってカオティックになっていく。過剰だけど不意に入ってきた情報が期待を下回る時の緊張と緩和の差で思いがけず笑ってしまう。
観ているとコントでのやりとりがくだらないなって思い始めるぐらいで次の出演者がさらに畳み掛ける、あるいは荒唐無稽なことを言い出したりする、叫び出したり、小道具で小ボケを続けたりとくだらなさ≒ユーモア満載だった。最初はどういう感じなのだろうとちょっと構えていた部分はあったから僕自身の反応は鈍かったところがあったかも。
脚本・演出の大北さんが作ったというぬいぐるみを動かしながらちょっと進行のように最初は笑いについて自身の考えを話していた。コントが始まって繰り広げられていく中でも、時折ぬいぐるみから発せられることはちょっと哲学っぽいような問いでもあり、ユーモアについて語っているスタイルで、その組み合わせも緊張と緩和みたいでより観客がコントに入りやすいものになっていた。
ショートネタをどんどん披露していく、TikTokみたいなショートネタが流行っているように短いものをひたすらやられるとインスタのリール動画みたいに見始めると目が離せなくなる感覚にも似ている。大事なのは観ている人が飽きないこと、集中力を切らせないこと、それが90分の公演でやれてしまっているのがすごかった。
活動して10年と言われていたけど、試行錯誤があって今の形になっているとしたらこの形はすごく現在進行形で今時代に届くものになっていると思った。
途中で出てきたネタでインティマシー・コーディネーターを取り扱っているもので、女優のマネージャーが性被害を受けるシーンだからインティマシー・コーディネーターを呼んでくだい、そうじゃないとできないですみたいなことを言う。それを言われた監督とプロデューサーが「じゃあ呼ぼうか」となって、元左官のインティマシー・コーディネーターとか前職が全然違う男性のインティマシー・コーディネーターを呼ぼうとするとそのマネージャーが困惑するというか、差別ではないけどその前職でインティマシー・コーディネーターってみたいなミニコントは印象的だった。皮肉的だし確かに今は少ないけど映像業界でインティマシー・コーディネーターと取り上げられる人って女性だけだし、そういうところを突いているのもインパクトがあった。他はわりとバカバカしくてあんまりいい意味で覚えてないんだけど、おもしろかったのは間違いなくてすごく楽しめた。


終わってからせっかく鶯谷に来ているのだから、地元の店でも行こうということで駅にもわりと近い喫茶デンというタバコも吸える喫茶店へ。コーヒーを飲みながら曽根さんと感想とか、日曜日の選挙のことなんかを話しつつのんびりした。
帰りはもう普通に雨が降っていて、池尻大橋駅で電車から降りて歩いて帰っていたらかなり濡れた。


家に帰ってからびしょ濡れになっていたので湯船に浸かってから、Spotifyで『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:JOJO)、『あのと粗品の電電電話』と二週間に一回になった『ランジャタイ国崎の伝説のひとりぼっち集団』が更新されていたので作業をしながら聴いた。
「アルピーしくじり」は世界各国の風俗に行っているJOJOさんがゲスト、日本でもいろんなプレイとかしてその好奇心が海外に出ていったみたいで、こういう時は興味はあるけど潔癖症でそういうお店には行けない平子さんがわりとマジで話を聞いている印象がある。
「あの粗品」はちょっと粗品が元気ないような気もしなくもないけど、この二人のトークのコンビネーションは好きなのでこのポッドキャストとテレビの『あのの電電電波』は続けていってほしい。
「国崎ひとりぼっち」は二週間に一回の更新になっているけど、二人でやっている時とほぼ変わらないし、国崎一人でも二人の時とあまり変わらないという謎な現象が起きているし、トーク能力もすごいじゃんってことだけがわかってしまっていて、相方が復帰したらどうするのだろうと他人事ながらちょっと心配になる。

 

10月30日
広島行きの新幹線に走って間に合うかどうか、車体のドアが閉まろうとしてその隙間に手に持っていたバッグを滑り込ませて強引に開けようとしたが開かず、新幹線は勢いを増して走り出す。このままバッグを持ったままで走っていてもプラットフォームの幅も無くなってしまい、レールがある方に落ちてしまうとわかる。もう手を離すしかないと諦める。ドアが完全に閉まって新幹線は速度上げていく。
という場面で目が覚めた。どうして広島行きだったんだろうか、とは思った。そもそもどの駅から乗ろうとしていたのか覚えていないし、こだまなのかひかりなのかのぞみなのかもわからない。
地元に一番近い新幹線が乗れる駅は福山駅だから、東京から西日本に向かって乗れば福山駅以降は広島方面になる。なんかわからないけど、まだ帰ってくるなとか帰りたくないみたいな心理的なことなのかもしれないし、今月頭に新幹線に乗って東北に行ったから、その時の新幹線のイメージが残っていたのかもしれない。夢を見ていてその途中で目が覚めると何かが少しだけブレているような気がする


寝る前にradikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴いていて、それでも眠れなかったので『JUNK 爆笑問題カーボーイ』も少しだけ聴いたのだけど、内容的に夢に関係しているとは思えないし。起きてからは「爆笑カーボーイ」を途中から聞き直しながら朝読書で三島由紀夫著『奔馬』の続きを少し読んだ。
18歳で亡くなった親友だった松枝清顕の生まれ変わりではないかという青年に出会った38歳になった本多。彼がそう思うようになったのは清顕が死ぬ間際に本多に言った「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」という言葉通り、その青年と滝の下で出会ったことと清顕と同様の場所に三つのほくろがあったことで、彼を清顕が輪廻転生した姿ではないかと思うようになっていく。
同時に冷静な頭もあるので、裁判官の自分がそんなことを言い出したら頭がおかしくなったと思われてしまう。また、清顕の最愛の人だった聡子に彼が生まれ直したと言いに行こうとしても、それはすべてを絶って仏門に入った彼女の迷惑でしかないのだと考えるなどまだどこか客観視できている部分がある。
やっぱりどうしてもこの作品「豊饒の海」シリーズは三島由紀夫の最後の小説だということはもう頭から追い出すことはできないし、そのことを知った上で読むのだから、描かれている宗教的な概念などはただのフィクションとは言い難いというか、死ぬことを決めた書いた人間の想いの強さやその先に求めていたものが、この作品に何らかの特殊な膜のようなものをまとわせているようだ。それを込みで読むという不思議な小説だし、魅力でもある。
三島が手がけた舞台『サロメ』のエナカーンの生首、自決した後に首を切り落とされた三島由紀夫、その生首たちが見ていた世界、視線、あるいは次元とその膜は繋がっているのだろうか。

—『地面師たち』で大根監督にインタビューをした際、人道的な撮影スケジュールとお話されていましたが、通常製作時間はおおよそどれくらいなのでしょうか?

髙橋:作品ごとに適正な撮影期間を求めるようにしているので、当然一概には言えないのですが……直感的に申し上げると4か月〜6か月ぐらいがドラマシリーズにおいては多いかもしれません。

僕が入社する前から、Netflixは1日の撮影時間の上限を12時間に決めたり、撮影をしない日を必ず週1回いれたりしていて。そのためほかの現場と比べて撮影期間はどうしても伸びてしまいますが、それは業界全体を底上げしていくために必要なコストだと思っています。

Netflixが日本ではじめて『彼女』で導入したインティマシーコーディネーターがいまやあらゆる作品に参加したり、業界全体にポジティブな影響を与えていると感じていたのですが、やはり意識していたんですね。

髙橋:日本の映像業界に良くなってほしいと考えているのは業界のみなさんも同じなんですよね。ただ、そのなかでNetflixはグローバルカンパニーならではの視点で「日本の製作現場のために、こんなことができるんじゃないか」という提案ができている部分があるのではないでしょうか。

インティマシーコーディネーターや、17歳以下の未成年の撮影参加者(演者)へのケアをはじめ、現場ごとにどのようなサポートが適しているのかは日頃から考えていることですし、後学のため一緒に仕事をしたクリエイターに話を聞くこともつねにしています。俳優やスタッフの方が働きやすい環境を可能な限り提供することは、良い作品づくりのために必要なことですから。

Netflix話題作に関わるプロデューサー、髙橋信一の思考。『地面師たち』『ONE PIECE』製作の裏側

リモートワーク開始前にこの記事を読んだ。この高橋さんというプロデューサーさんが岩井俊二監督の製作プロダクション「ロックウェルアイズ」にいたということでちょっと親近感。少しだけ「プレイワークス」に関わっていただけだけど、岩井さんのところから日活に入って、Netflixという流れらしいけど、白石和彌監督と一緒に作品を作ってきたのが大きかったのかなあ。
ネトフリの撮影環境は働く人たちにとってすごくいいものだし、撮影期間中にも週に一回は休みがあったり、インティマシーコーディネーターや未成年のケアなど制作会社としてすごく正しい状態になっている。そうなると余計にそうではない日本の映像業界との落差が出てくるし、良くなってほしいという言葉は嘘ではないはずだけど、ヒット作が出ないので利益が出ていないという経営状態だとスケジュールはほとんど取れずにスタッフや演者は寝ずに撮影みたいなままというのは続いていると思う。
ネトフリみたいに環境を整えて撮影しようというテレビ局や映画制作会社ってあるのだろうか、製作委員会方式の弊害もありそうだし、株式会社なら働いている人よりも株主の意向が大事だとしたら、そういう人たちが製作環境をよくしようと動かない限りは改善されない気がする。そして、そういう不満がある人はよりネトフリでの作品に参加したいと思うようになるだろうから、人気も実力もある人のスケジュールは配信系に持っていかれる、という悪循環をどこが破って正せるか、一気にやってしまえばその会社の株式ではなく、株が上がるんだろうけど、どこかやってほしい。そうすれば嫌でも他は追従するはずだし、東宝あたりがこの手の問題しっかり取り組めば業界も多少良くなるんじゃないかな。

リモートワークを開始。部屋の中はちょっと肌寒いし、外を見たら地面はまだ濡れていて小雨が降っていた。週末の連休は台風が来るとか来ないとかで雨っぽいし、もう少し寒くなりそう。体調崩さないようにしないとだ。radikoで『星野源オールナイトニッポン』と『あののオールナイトニッポン0』を休憩するまで作業BGMとして流す。

星野源ANN」では、正月に放送される野木亜紀子脚本スペシャルドラマ『スロウトレイン』の話もちょっと出た。『オードリーのオールナイトニッポンin 東京ドーム』の頃に撮影が忙しいという話が出ていて、その収録が突如亡くなった日があって、それでスケジュールが空いたから東京ドームのイベントに出れたという話をしていたのだけど、このドラマの撮影だったんだ。どうも舞台的には冬っぽいから今年の二、三月辺りで撮影していたと考えると放送は一年とは言わないけどわりと時間が経ってからになる。
その前に映画『ラストマイル』も撮影があって夏終わりに公開だったわけで、その結果が出る前にはスペシャルドラマを撮っているし、そのまま今放送中の『海に眠るダイヤモンド』も撮影しているということになる。TBSが全面的に野木亜紀子さんの脚本を信頼して、一緒に新しい作品を作り上げようとしている、託しているんだなって決意みたいなものも感じる。『スロウトレイン』は松たか子さん主演だし、土井さんが演出らしいので楽しみでしかない。
「あのANN0」はドラマをさっきまで撮影していたというあのちゃんがそのまま深夜の生放送。渋谷のハロウィンやりません宣言について諸々とトークをしていたが、個人的にも渋谷には行くし、昨今の海外からの旅行者の増加で人が多すぎるのは辟易しているけど、渋谷区がやっていたイベントでもないし、行政とかがハロウィンやるなとか言い出すのはちょっと違うんじゃない?とは思う。実際にお祭りっていうのは政治とかそういうものを入れたら意味合いが変わってくるし、もう自然発生で渋谷に集まってくるゾンビたちのことで警察とか出したくないみたいなことなんだろうが、だったらちゃんとした広場を日本の中心に作るべきだった。でも、ないからスクランブル交差点に集まるわけで日本の首都が都市設計を間違えているというお話。


昼休憩で外に出て駅前のTSUTAYA書店を覗いたら、『別冊ele-king 日本の大衆文化はなぜ「終末」を描くのか――漫画、アニメ、音楽に観る「世界の終わり」』&浅野いにお著『MUJINA INTO THE DEEP』第3集が出ていたので購入。「ムジカ」が月末発売だった気はしていたが、前者の方はいつ出るか知らなかったけど、ちゃんと浅野いにおさんのインタビューがあるからコミックスの発売日に合わせたんだな。僕みたいな人が買う層だし、それが正しいと思う。
「ムジカ」第3集を読むと人権のことが軸になりながら疑似家族のことも出てくるので、前作『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』とはその辺りは意識的に扱いを変えているように感じる。「デデデデ」は少女たちの青春譚がメインだったから、最初のうちは主人公の門出の家族の問題はあったけど、そこまで深掘りはしていなかった。浅野さんが結婚して離婚したことが今回の疑似家族を取り扱っていることに何か影響はしているのかもしれない。とあるキャラが大事なものを守るためにボコボコにされるシーンでそう感じた。


リモートワーク終わってからニコラに行ってアルヴァーブレンドで一服。昨日まで雨が降っていたせいか、お店が火曜日は休みだったのか、そういう要因が集まったのかはわからないけど、予約が数件入っていて忙しそうだった。

Bro (V-GOD Remix) (feat. JJJ & VaVa)


夜は読書をせずにライティング作業をする。31日に応募するのは無理なので、太宰治賞にスライドさせたこともあって、ちょっとだけ余裕はできた。
来月以降の予定に関してラインをしたけど、まだ先方の都合もあって日時は決まらなかった。でも、連絡が来ないなと思ってラインしたら、向こうは送ったつもりになっていたりしたことが判明したりするから、やっぱりリマインドは大切だなと思った。

 

10月31日
6時過ぎに眼が覚めて、トイレに立った流れで可燃ゴミを外に出しに行く。風がひんやりとしていてTシャツだと肌寒い。
昨日、寝る前に少しだけ喉に違和感があったが、悪化していないらしく大丈夫みたいで安心した。午前中は予定はなかったので横になったままでradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴いていたら布団の魔力で、包容力に負けて寝てしまった。起きたら8時半を過ぎていた。
午後から予定が入っていたけど、木曜日は基本的には休みだということにしているので散歩に出る。寝落ちしたので最初から「佐久間ANN0」を聴きながら代官山蔦屋書店へ。佐久間さんラジオの横浜アリーナイベントが週末に終わったばかりだったのでその話題が大きかった。まだ配信を買っていないが、週末の三連休のどこかで買って見るつもり。

書店についても気になる最新刊は出ていなかった。新刊の平台のところにノーベル文学賞を受賞したハン・ガンさんの重版した小説が並んでいた。これを機会に読む人が増えるといい。
実際にノーベル文学賞を受賞したということでその作家の小説を手に取るというのは本好きで小説を読んでいるはいても、そこまで本を読まない人がどこまで関心があるのか、実際に読んでみようと思うのか、僕には予想がつかない。
K-POP韓国映画Netflixなどの配信系で韓国の作品に触れているような人たちが小説も読んでいるのか、興味を持っているのか、これで多少可視化されるのだろう。


家に帰って昼ごはんを食べてから12時半に家を出て渋谷に向かう。明治通り沿いにあるBS12が入っているビルの前集合ということだったので歩いて50分ぐらいだから、聴こうと思ったままでまだ聴いてなかったCHARLI XCX『BRAT AND IT'S COMPLETELY DIFFERENT BUT ALSO STILL BRAT』をお供に向かった。


YouTubeで配信している「BOOKSTAND TV」の収録があり、編集者の人から見学も兼ねてお声がけしてもらっていた。13時半に着いて時間が多少あったので、近くにある映画『PERFECT DAYS』にも出てきたトイレに行ったりしていたが、半になっても編集者さんが来ないのでラインしたら、収録が始まるのは13時半ではなく15時半だったらしく、メールで伝えるときに間違えていたことがわかった。バッグには財布しか入れていないし、今日は暇な時間はないだろうと思って読みかけの小説とかも持ってきていなかった。これではさすがに二時間は時間を潰せないので、とりあえず帰ることにした。
編集者さんからライン通話があったが、近くで救急車が走っていてあんまりよく聞こえなかった。でも、謝っているのはわかったし、時間は戻らないので気にしないことにした。
というかこういう時に(待ち合わせ時間に相手が遅れるのは慣れているし、なぜか僕と待ち合わせすると人は遅れがちになるので)僕は怒ることもないし、自分は言われた通りの時間にちゃんと集合場所に行っているので何ら責任もない。それ以外の要因で起きたことは僕のせいではないし、怒ったところでいいこともあまりない。
僕が出演者なら時間を潰す以外ないけど、そもそもただの見学だし、夕方から別件があったので帰るという選択肢しかなかった。
帰り道でも『BRAT AND IT'S COMPLETELY DIFFERENT BUT ALSO STILL BRAT』の続きを聞いていたので二枚組のニューアルバムを通して聴きながらの散歩になった。

書くという行為は、相当に複雑だ。そこに紙があるから、その紙を意識する。ペン先にインクをつけるから、インクを意識する。私は今回は『超空洞物語』執筆用にガラスペンを使用しているのだけれども、そのペン先の溝のうねり(そこにインクが保持される)を意識するし、ペンの軸も当然ながら意識する。

それは運動をすることに似る。というか、運動そのものだ。私はつまり、その『超空洞物語』を手書きで生み出そうと努めながら、〈書く〉というその瞬間には、1)運動していた、2)思考していた、3)表現していた。これらが融合する時間があった。また、ペンを走らせていると、その音がある律動のような感覚をもたらす。つまり私は書きながらずっと「聴いていた」のだし、もちろん書かれた文字を紙上にそのまま確認しつづけていたから「視ていた」という行動もずっと伴われていた。

古川日出男のセルフ解説』【超空洞、スーパーホロウ日本文学 #02】

家に帰ると『超空洞物語』についての古川さんのセルフ解説02がアップされていた。平家物語』現代語訳もそうだったし、『紫式部本人による現代語訳』であったり、昔書かれた物語に関する執筆の際には古川さんはPCでの入力ではなく、自らの手で文字を原稿用紙に書いているというのは言われていた。
僕自身はメモ程度はするが、執筆する際に手で書いたことはない。そもそも文章を書き始めた時にはPCでキーボード入力することとほぼ同義語だった。
ペンや筆で文字を書いて執筆するのでは体の使い方も変わるし、文章のリズムも違う。『平家物語』は口承文学ではあるが、一つにまとめられた際には筆で紙に書かれたし、『源氏物語』だって『うつほ物語』だってそうだった。キーボードで打つこと、フリック入力することはたかだかこの数年、数十年のことでしかない。
文章を書くことと体の動かし方、その前後、最中での思考の動き、五感を使うことについて古川さんほど現役の作家でやっている人はいないだろう。PCを使わずにデビューからずっと手書きという人はまだ現役で残っているかもしれないけど、基本的にはPCで書いていて、作品によって手書きという人はあまりいないはずだ。

20代のクリエイターの子たちに話を聞いても、 本当に何も希望を感じてない。その中で無理やり前向きなメッセージを発信していくのは難しいので、正直に思ってることをそのまま言う。これこそ冷笑なのかもしれないですが、個人で何をしたところで何も変わらないんだから、自分が変わるしかないんだよって。それを、僕は昔から描いている。だから自分を変えるのが一番手っ取り早いとしか言いようがない。
 ものすごく具体的なことを言っていいですか。僕の場合ですが、ちゃんと仕事をすることが重要です。仕事をするのが、全ての解決方法になる。もっと端的に言っちゃうと、お金だと思うんです。お金を得るには仕事、仕事をしていればお金は得られる。だから自分の人生で大きな部分を占めるのが仕事なんですよ。それ以外のことに目を向けると、解決しようもない問題があまりにも多すぎて、病気になるかもしれないとか、将来が怖いとか、それって解決しないじゃないですか。
『別冊ele-king 日本の大衆文化はなぜ「終末」を描くのか――漫画、アニメ、音楽に観る「世界の終わり」』P28-29より

 2000年代から2010年代にかけてのオタクブームの周辺を見てると、オタク文化もいろんなものを生み出してきて、いい作品もたくさんあるけれど、もうそれじゃ満足できない若い人たちがこれから増えていくんだろうなって感じる。そういう若い人たちが好むエンターテイメントって何だろうと考えています。自分としては、露悪的で過激なことだと思い、長らく描くことを避けていた表現を今、揺り戻しのように描いています。そっちに僕はリアリティを感じている。自分自身はそういう粗野な人間ではないんですけれども。『デデデデ』での俯瞰したものの見方は、さすがにもう通用しなくなってきた感じがある。『MUJINA』の描き方は、 かなり主観で内部に入り込んだ描き方になっていってます。『デデデデ』が俯瞰的だった理由の一つに、震災があったときに東京にいたから、被災当事者じゃなかったということもあるんです。でも、今って、誰もが世の中全体がやばい世界観の当事者になっているから、主観目線での混沌とした世の中にリアリティを感じてくれる読者がいるんじゃないかなって。
『別冊ele-king 日本の大衆文化はなぜ「終末」を描くのか――漫画、アニメ、音楽に観る「世界の終わり」』P30-31より

浅野いにおさんのインタビュー部分を読む。「そういう若い人たちが好むエンターテイメントって何だろうと考えています。自分としては、露悪的で過激なことだと思い、長らく描くことを避けていた表現を今、揺り戻しのように描いています」というのは読んでいてわかるというのはおこまがしいけど、露悪的で過激なことというのはそうなんだと思う。
昔でいうところの「セックス、ドラッグ、ロックンロール」ではないけど、そういうものの現在進行形のもの、でも、そういうものが今一つはアートと融合したり、アイドルとかそういうカルチャーに入っていくと露悪的にはなりにくい気はする。
ドラッグで廃人になるのもスマホで廃人になるのも結果は変わらないとしても刺激を求め続けてより強いものを求めるようになったら基本的には壊れてしまうか、途中で逃げるしかなくなる。その手前でエンタメにできるようなもの、になっていくのかな。


いつもは14時ぐらいまでにTVerに長すぎるオープニングが配信される『ラヴィット!』だが、今日はハロウィンパーティーだったらしく夕方過ぎても配信されずに20時過ぎてほぼ全編があがっていた。
キングコングの西野さんがスペシャルゲストで登場し、「イジリNG」という言葉によってより前回よりもさらにイジるという展開。西野さんはプロデューサーなら佐久間さんであったり、この番組のMCである川島さんだったり、東野幸治さんみたいな人たちの企画や番組だったりするとよりおいしくイジることができるし、西野さんも嫌がりながらもそれを楽しんでいるように見える。

水道橋博士のメルマ旬報』で連載している時に、西野さんが中心になっていた「渋谷ゴーストバスターズ」についてインタビューをさせてもらったことがある。
本当に気さくなおもしろくてカッコいい人だった。今や芸人さんでもオンラインサロンやクラファンをするのは普通になってきたが、西野さんは誰もやっていない時にやっていたので批判もされたりしていた。でも、最初にやっていないことをどんどんやっていったからこそ、お金もちゃんと集めてクオリティの高い作品を作ることもできている。
先日、ニコラの曽根さんと喫茶店で話をしていた時に「ファン」と「信者」についての話を少しした。オンラインサロンとかクローズな場所だとどうしても外部から見えないこともあって、「ファン」がどんどん「信者」化していくことはあると思う。「信者」はお金も出すしイベントとかにもしっかり足を運んでくれるので、主催者は彼らの意見や言動を無視しにくくなるし、彼らが求める教祖になっていくということもある。トップが動かしているように見えて、「信者」たちによって動かされていく集団や団体というものになる可能性はあるんじゃないかなって。
「ファン」は気まぐれだから、ちょっとしたことですぐに離れてしまう。でも、健全さを考えたら減ったり増えたりする「ファン」をできるだけ増やすことがカルト化しないためには必要なんじゃないかなって。「信者」が増えていくとその集団はどうしても暴走してしまうのではないかと思う。
西野さんはいろんなことをやっていることで、一つずつの顔であるし代表でも教祖にはならずに済んでいるだろうし、集まっている人も「信者」にはならないバランスでいるんじゃないだろうか。プロジェクトがどんどんデカくなっているし、動くお金も大きくなったら関わる人たちが増えるから「信者」ではなく仕事仲間や理解者が増えているなら、それが一番いいことだろう。

ライティング作業関連の進捗と今後のことについてことで連絡を待っていたが、まだ諸々と詳細については検討中でもう少し時間がかかるということだった。こちら側としては待つしかないし、特に何もできない。
今日は編集者さん関連では時間を間違えられる、今後についてまだ決まらないという、月末だし来月以降に関してのいい流れができたりしたらいいなと思っていたけど、そんなに甘いものではないらしい。
明日から11月突入、後厄もあと二ヶ月。短いようで長いけど、太宰治賞に二作品応募することだけが優先順位で一番高いものとしてやっていく。

今回はこの曲でおわかれです。
【MV】Creepy Nuts - オトノケ(Otonoke)