10月下旬の日記(2024年10月16日から10月31日分)
11月1日
木山捷平著『駄目も目である』に収録されている『苦いお茶』という短編を読み終わったぐらいで日付が変わった。講談社学芸文庫に同作が収録されていたので前に読んでいた。主人公が戦中に満州に渡って、終戦後にすぐ日本で帰れずに住んでいたホテルがあり、そこに住んでいた幼かった少女と東京で再会したという短編。
少女は当時まだ幼くて幼稚園児ぐらいだった。日本人の成人男性が一人で城内を歩いているとソ連兵に捕まってシベリアに送られてしまうということがあったらしい。子ども連れだと捕まえられないということがあり、主人公を初めてとする日本人男性は子どもがいる女性に少しお金を渡して、子どもを借りるということがあった。主人公は自分の商売に必要なものを買いに行く際に子どもを何度か借りていて、その時に数回ほど貸してもらっていたのが現在は大学生になったその娘だった。
当時のことを回想しながら、大学生になったその娘と主人公は居酒屋で飲みながら話をするという内容になっていて、満州での生活での描写も生々しくていいし、大人になった少女があることで啖呵を切るシーンもすごくいい。
日付が変わる時に10月下旬の日記をはてなブログにアップして、半年前の日記をnoteにアップした。
radikoで『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』を聴きながらアップの作業をしていたが、23時からの放送直後は野球好きの都築が大谷とか野球の話をずっとしていた。興味がないとかおかしいみたいなことを言っていたが、興味がないのでその手のトークは音としてだけ聴こえてきて内容は入ってこなかった。番組は25時に終わるので最後まで流していて、そのあとはもう寝ようと思って目を閉じた。
7時過ぎに起きてからradikoで『ハライチのターン!』を聴きながら朝のルーティンをしてから、リモートワークを開始。午前中のお供はそのままradikoで『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0』を聴きながら作業をしていた。
Slackで連絡が来ていた。今使っている会社から支給されているPCの電源ケーブルが貸し出しの時にちゃんと処理されていなくて、貼られている管理番号がそれぞれ違っていた。僕が使っている電源ケーブルは退職する人が使っていたPCのものだったので、揃えてレンタル先に返却しないといけないらしく、できるだけ早めに会社に持ってきてほしいとのことだった。
12時半ぐらいまでに引き継ぎで教わった作業がひと段落したので、来週行くとか悩むよりは早めに終わらせてしまおうと会社に行くことにした。
曇っていて夜から雨予報だったが外は寒くなかった。池尻大橋駅まで歩いていき、そこから半蔵門線で九段下駅まで。日曜日にZAZEN BOYSのライブで日本武道館に行ったばかりだったので、珍しく一週間で二回もその駅を使うことになった。
パレスサイドビルの中にあるオフィスで午前中に連絡をくれた社員さんに連絡したら30分待ってくださいということだったので、とりあえずPCも持ってきたので作業をちょっとばかりしていた。
担当の人が来てくれたので持ってきたアダプタを自分のナンバーのものと交換して一件落着というか、会社に来た目的は終了。社員さんとPCのこととかちょっとだけ話をしてオフィスを出て、再び九段下駅へ。
最寄駅で降りてからTSUTAYA書店に寄ったら、ジャンプコミックスの中では『ギャグマンガ日和』以外では発売するたびに読んでいる松本直也著『怪獣8号』14巻が出ていたのと、新潮文庫の新刊のところにあった一條次郎著『チェレンコフの眠り』を一緒に購入。
一條次郎さんは新潮ミステリー大賞を受賞してから、基本的には作品を新潮社で発表していて、単行本と文庫になっているのは四作品あるが、デビュー作『レプリカたちの夜』からずっとこの『チェレンコフの眠り』の表紙のイラストのように動物が描かれているし、背後の色は青やピンクや黄色や赤とほぼ単色というのも統一されている。すごく異色の作家という印象があって、文庫では四作品全部持っているのはやっぱりこのデザインでシリーズっぽくなっているのも大きい。
ano - 絶絶絶絶対聖域 feat. 幾田りら / THE FIRST TAKE
家に帰ったら小学館から封筒が届いていて、前に『ビッグコミックスピリッツ』にあのちゃんが出ていた時に買ってQUOカードを応募していたのが当たっていた。
その前に映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』公開時にあの&幾田りらが巻頭&特集で出ていた時も応募したら当たったので、二分の二で当たっている。思ったよりもみんな応募していないのかもしれない。でも、昔から懸賞運はいいから、送れば何かしら当たるし、当たる時は大抵応募したことすら忘れている。
リモートワークを終了してから、Spotifyのポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回を聴きながら晩ご飯というか、昼ご飯との兼用の食事を。
昼間に会社に行く時にはポッドキャストの『きしたかののブタピエロ』を聴いていたが、彼らの自主で配信していたポッドキャスト番組『バナナのてんぷら』の二年近くのものと、『きしたかののブタピエロ』になってからは他の芸人さんたちと順位を争って、一位になるまでを全部聴いたことで、帰る時にはついにレギュラー番組に昇格(事務所の先輩の三四郎ANN0の裏)の初回まで辿り着いた。
『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』も初回から聴き始めて毎週更新されるものに追いついたが、『きしたかののブタピエロ』も今月中にはそうなると思う。ラジオでコンビのトークを聴いているから、勝手に親近感もあるし彼らの漫才も見てみたいなと思うようになってきた。
今月末には『三四郎のオールナイトニッポン10周年記念 バチボコプレミアムライブin日本武道館』があるので、それを思いっきり楽しみたい。月が変わったので武道館グッズを当日受け取りで申し込もうとアプリの方で決済に進んで行ったら開場に近い時間帯はすでにいっぱいになって申し込めなくて、一番遅い時間帯でも13時15分から30分しかなかった。それももうすぐなくなるという三角のマークがついていた。開場は15時からで開演は16時だから微妙だ。
事前通販だと公式パンフレットが買えないのがネックだった。パンフはイベントの内容に触れるのだろう、それで武道館でやる当日からしか買えないことになっている。当日受け取りならそれも一緒で、ということなのだが悩む。
パンフ以外の欲しいグッズは事前通販して、パンフだけ当日の会場販売に並んだ方が逆に時間も潰せるという結論に至る。一人で行くので時間を持て余してしまうとたぶんイベント開始前に帰りたくなってしまうから。
「ニッポン放送圧縮計画」を聴いて少し読書をしてから、ライティング作業を開始。12月上旬にある〆切まで時間はそこまでない。一つは友達から僕の日記を形にしてみたらと言われたのでそれをやってみる。すでに日記はあるからどう組み立てるかみたいな感じなので時間はそこまでかからないだろう。
11月2日
寝る前に市街地ギャオ著『メメントラブドール』を読み始めた。筑摩書房のサイトにある作品紹介には、
「私」にはいくつか顔がある。マッチングアプリでノンケの男を釣って喰っては「たいちょー」として行為シーンを裏アカに上げ、平日昼間はSIer企業の院卒若手正社員「忠岡」として労働しながら、新宿区住まいの家賃のために「うたちょ」の姿で男の娘コンカフェのキャストとして立つ元“高専の姫”ポジション――ペルソナたちがハレーションする、どうしようもない人間のどうしようもない梅雨明けまでの一ヶ月。
とあるが、読んでいて脳裏に浮かんだのは『別冊ele-king 日本の大衆文化はなぜ「終末」を描くのか――漫画、アニメ、音楽に観る「世界の終わり」』で浅野いにおさんがインタビューで答えていた
2000年代から2010年代にかけてのオタクブームの周辺を見てると、オタク文化もいろんなものを生み出してきて、いい作品もたくさんあるけれど、もうそれじゃ満足できない若い人たちがこれから増えていくんだろうなって感じる。そういう若い人たちが好むエンターテイメントって何だろうと考えています。自分としては、露悪的で過激なことだと思い、長らく描くことを避けていた表現を今、揺り戻しのように描いています。そっちに僕はリアリティを感じている。自分自身はそういう粗野な人間ではないんですけれども。『デデデデ』での俯瞰したものの見方は、さすがにもう通用しなくなってきた感じがある。
ということだった。
まさに「露悪的で過激なこと」を描いている(ただ、作中ではいわゆる本番行為はしていなくて、男性相手に主人公がフェラチオをしているぐらいで、それを動画にしてアップして身バレするとかなので、その先にあえて行かない、描かないという判断を市街地さんはしていると思うし、故にあの長さで物語が終われているのだろう)。
そもそも単行本の帯コメントが太宰治賞の選考委員ではなく、金原ひとみさんっていうのがその「露悪的で過激なこと」に通じていると思うし、そういうことを望む人たちが手に取る確率は上がっているのだろうから、ナイスチョイスとしか言いようがない。
かつて村上龍さんはSMについて小説で書いていたけど、彼が今二十代なら女性にペニバンで犯されたり、トランスジェンダーの人との三角関係とか書いていただろうな、と思わなくもない。
たぶん、ヘテロのシスジェンダーの男性が主人公なら犯される側に配置しないと加害性をなくせない(実際に無くなるわけもないが、読み手にそのことを忘れさせる、薄めることはできる)し、語ることも難しい気がする。今の純文学系の流れや勢いのある書き手の人たちはヘテロのシスジェンダーの男性は減っているし、「平成」以降に小説家として名が上がる人たちは女性の作家になっている。
と考えたりしていた。もっと深いというか固有名詞をどんどん出すということは日記では書かないし、しない。そういうことはちゃんと意識的にも共有できる人とクローズな場所でしか話さないに限る。今度そういう話をしながらご飯を食べる日も決まったのでもう少し自分の中に溜め込んでおく。
6時半の目覚ましで起きる。radikoで『きしたかののブタピエロ』最新回を聴きながら朝の諸々の準備をしたので内容はあまり入ってきていない。まあ、レギュラー初回からポッドキャストで聴いているので、早かれ遅かれ今回の内容もわかるはず。
7時10分ぐらいに家を出る。小雨が降っていて、天気予報でもずっと雨だったので仕方なく傘を差して歩きだす。すぐにスニーカーやズボンが濡れてしまう。お供としてradikoで『三四郎のオールナイトニッポン0』を聴きながら日比谷へ向かう。
この間も通った道、渋谷から青山墓地を抜けて乃木坂と赤坂、首相官邸と国会議事堂を横目に日比谷公園を抜ける。公園に入ったら大きなトレーラーが入っていて、何かのライブの準備を始めるようだった。この雨の中、ライブか。中止にはならない方がいいけどスタッフさんもだけどお客さんも濡れちゃうなって思って通り過ぎた。
あとから調べたらsyrup16gのライブだった。行きたい気持ちはあったが、ZAZEN BOYSの武道館を日曜日に観て、そこから六日後にsyrup16gの日比谷野音はちょっと難しいので諦めていた。行かないと決めたら日程はすっぽりと抜けて忘れているものだなあ。最初にsyrup16gのライブを観たのは日比谷野音公会堂だった。
TOHOシネマズ日比谷が入っている東京ミッドタウン日比谷まであと数分という、日比谷公園を渡ったところで家を出て約二時間が経っていた。ずっと歩きながら聴いていたのは「三四郎ANN0」だったけど、地図をふと見て思ったのはザ・ペニンシュラ東京の横ぐらいに番組を放送していたニッポン放送がある。
無意識に番組を聴きながら数時間前まで生放送をしていたところに歩いてやってきていた。聖地巡礼か、と雨の中、心で小さく自分にツッコんだ。
ジャーナリストのエディ・ブロックに地球外生命体シンビオートが寄生したことで生まれたヴェノムは、強靭で真っ黒な肉体と鋭い牙を武器に、長くのびる舌で人を喰らう恐るべき存在でありながらも、エディと一心同体となって強敵カーネイジを倒し、世界の危機を救った。エディとヴェノムは深い信頼関係で結ばれたバディとなり、見事なチームワークで敵を倒していく。そんな彼らは、シンビオートを極秘に研究する施設に侵入したことで特殊部隊に追われる羽目になってしまい、さらには新たな脅威が地球外から飛来する。
『ヴェノム ザ・ラストダンス』をIMAXで9時45分からの上映回を鑑賞。雨も降っていたけど、金曜日からの公開で三連休の初日にしてはそこまでお客さんは入っていなかった印象。TOHOシネマズ日比谷では東京国際映画祭もやっているから、お客さんもそちらに流れているのかもしれない。
シリーズ三作目で終章というのは公開前から言われていたので、最後まで見届けようと思っていた。エディとヴェノムのバディもので、最後と言われたらもう二人は一つではなくなって、最後の別れを描くのだろう、と予想していたがそれをどう描くのかが興味あった。
ネバダ州にある「エリア51」にシンビオートの研究をしている施設があり、ヴェノムの仲間たちもそこで研究対象になっているという設定。今回は最終決戦がそこで行われた。『E.T.』のオマージュなんかもあったし、他にも宇宙人ものの映画からの引用やオマージュもあるのだろう。
エディは一度死んでいて、ヴェノムが寄生したことで蘇生したことで二人は一つになっていたのだが、その際に生まれた「アル物質」が暗黒世界の支配者で今は囚われの身になっているヌルをその牢獄から出すための鍵らしい。そのことで今回エディたちはヌルの支配下にあるシンビオートに狙われるという話になっていた。
どちらかが死んでしまうとその物質は壊れてしまうらしく、エリア51にいる特殊部隊たちもヌルの手先に襲われていく中で、エディかヴェノムを殺してしまう方がいいと判断するものも出てくるのもわかる。だが、物語の終盤ではドラマティックに二人で一つだった彼らの本当の別れがやってくる。思ったよりもヴェノムが選んだ方法が自己犠牲であり、涙を誘うようなものだった。
ヴェノム以外のシンビオートも研究員に寄生して、ヌルの手先と戦うシーンが後半の見どころなんだろうけど、ちょっとCGぽいというかこういうスーパーヒーローもののバトルシーンって何が起きているのか、わかりにくかったりするし観ていると正直飽きが来てしまう。それでいいシーンがあっても感動しにくくなるところがある。もうフィクションじゃんっていう頭になっている。なんかそこがもったいなかったように思えた。
三部作の最後にバディものとして締めるならやっぱりメインの二人の別れを描くのが一番の落とし所になるし、終わりとしても申し分がない。その意味ではしっかりと物語を畳んでいたのはすごく良かった。
外に出ても雨はまだ降っていて天気が悪かったので、銀座線に乗って渋谷方面に。土曜日だけどめちゃくちゃ混んでた。海外からの旅行者らしい人も多かったけど、東京ちょっと色々とパンクしかけてるなって思うことが最近増えてきて、これがオーバーツーリズムって言われるのもわかる気がする。
電車の中で脳裏に浮かんでいたのは前に観た『ジョーカー︰フォリ・ア・ドゥ』のことだった。批判的な意見が多いが、かつて庵野秀明監督がオタクに現実見ろ、と言ったことと今作は基本的には同じだし、誠実だと思う。だからエモさはないし、代わりにミュージカル風なシーンを入れている。「ぼくの表現はすべからく、夢を見せるためではなく、夢から醒めさせるためにある、と言える」という大塚英志さんの言葉にも通じている。
13時から舞台のチケットの劇団先行があったので、時間を気にしながら家に向かった。池尻大橋駅で降りてスーパーで昼ごはんを買う。時間にはまだ余裕があった。
前に夏帆さん目当てで観に行った舞台の脚本・演出が「た組」の加藤拓也さんだった。加藤さんが岸田賞を受賞した『ドードーが落下する』の改訂版をKAATで上演するというのを知って、チケットを取っていこうと思っていた。
先々週ぐらいの『情熱大陸』の生田絵梨花さんの回を見て次は誰かなって思っていたら加藤さんだった。おお、これは演劇に興味ない人にも知られてしまうやないか!
チケット争奪戦にはならないだろうけど、土日はすぐに埋まりそう。加藤さんを特集する『情熱大陸』の放送は3日(日)の遅くで、先行抽選とかあるかなって思ったら劇団先行が2日(土)13時から行われるということだった。これはたぶんきっとおそらくオンエア前に知っている人には買えるようにしてるっぽいぞ、と思って買えるようにスマホで時間を気にしながら帰っていたら、家に着く数分前に13時になってしまった。歩きながら公式サイトからローチケに飛んで行こうと思っている土曜日の昼の回を取った。
一緒に行こうと誘った友人とは来月も同じくKAATで『品川猿の告白 Confessions of a Shinagawa Monkey』を観る予定なので、来年一月に『ドードーが落下する』という流れ、タイトルが動物ものばっかりだ。
昼ごはんを食べてから、ライティング作業は夜やることにしていたので『ニッポン放送開局70周年記念 佐久間宣行のオールナイトニッポン0 リスナー超感謝祭2024~新時代~』を配信で購入して見始めた。毎週無料で聴いている番組だし、今後も続けてもらうためには何かしらお金は払いたい。でも、横浜アリーナには行かなくてもいいかなっていう人にとって配信はありがたい。
ゲストのキングコングの西野さんとのトークも、アンジャッシュの渡部さんとのトークのパートも佐久間さんだからこそのやりとりだし、最後のパートの少し長めのトークは最後の方でうるってきた。出会いがあれば別れはあるし、番組もいつか終わるという話。本当に会える時に会うしかない。
映画館のサイトを色々と見ていたら明日の昼からヒューマントラストシネマ渋谷でフアン・ルルフォ著『ペドロ・パラモ』が上映されるというのを知ってチケットを取った。この作品はNetflixで配信するというのは前に見ていたけど、「ラテンビート映画祭」というものの一貫で特別上映されるらしい。大きなスクリーンでいい音で観た方がいいに決まっているし、3日の昼の一回だけの上映らしい。
昔、古川さんにオススメしてもらって、フアン・ルルフォの作品は『燃える平原』と『ペドロ・パラモ』を読んでいた。ラテンアメリカ文学を代表する作家であり、ガブリエル・ガルシア=マルケスなどに多大な影響を与えている存在。
本棚から取り出して久しぶりに読み返してみたが、『百年の孤独』を先々月ぐらいに読み終えたばかりだったのもあって、比較してしまうが読みやすいし、生者と死者が混交する世界もよりシームレスに感じられた。
メジャーリーグで活躍している大谷がすごいのは野球にあまり興味がない僕でもわかるほどにニュースになっているが、それによって野茂英雄のすごさ(日系移民が排日運動の後に敵国民として強制移住させられて土地や財産を奪われたロサンゼルスの地で、日本からやってきた野茂英雄がドジャーズのユニフォームを着てマウンドに立ち、トルネード投法で野茂旋風を巻き起こしたという歴史的な意味、何よりも日本メジャーリーガーとしての先駆者であったこと、彼が活躍したことで日本人がメジャーに行きやすくなったということに関してはもっと評価されるべきだと思う)を改めて認識させられるのに『ペドロ・パラモ』を読んで感じることは近い。
11月3日
寝る前にAmazonプライムの『ゴールデンコンビ』(全五回)を見始めて、四話の途中で寝落ちしていた。起きてからその続きを見たら、ゲストで吉岡里帆さんが出ていた。個人的にはネプチューンの堀内さんとニューヨークの屋敷のコンビが一番好きだったのと、最初の方で落ちてしまったダイアンの津田さんと永野さんのコンビはもっと見たかった。
7時に起きた。今日は天気がいいみたいだからまず洗濯機を回した。radikoで『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』を聴いて、TVerで『ゴッドタン』と『ボクらの時代』を流しながら朝のルーティンを。
11時前には家を出るつもりだったので、それまでに『月刊予告編妄想かわら版』の原稿を進める。一回最後まで書いておいて数日置いてから最後の仕上げをする方がいいのだけど、まず最初に書くところが億劫になって遅くなるとどんどん余裕がなくなってしまうので、月初に一旦取り上げる作品については初見で書いておくことにしている。今月末にアップされる原稿なので、12月に劇場公開されるものになっている。
早い。来月の原稿は2025年01月公開の作品になる。もう少しで今年が終わるからあっという間だなとも思いつつも、まだ二ヶ月あるのかとも思う。いろんなことが不安だし、ポジティブシンキングでいられるような状態でもない、だけど、もうダメだから全部諦めてしまおう、やめちゃおうみたいなモードにもなれない。
ヒューマントラストシネマ渋谷までは50分はかからない。カーディガンを着ていてもちょっと寒いなと最初は感じるぐらいだったが、すぐに日差しは強くないものの汗ばんできた。
歩きながらradikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴いた。今週は春日さんがロケか何かの関係でおやすみらしく、日向坂46の松田好花さんという人が代わりに若林さんとラジオをやっていた。ああ、「オールナイトニッポンX」を今年度から新しく始めた日向坂の人みたい。確かに若林さんとも普通にトークもできてるし、話も上手で最後の方にあったエピソードトークもちゃんとしていて、パーソナリティーとしてやってきてる人なんだなって感じ、春日さんよりもしっかりと話せてる。
若林さんも一緒に日向坂と番組をやっているのもあってか、若い女の子だからと構えず、わりと自然体な感じで話しているみたいだった。それでも四十代のおじさんが二十代の女性と話す時はどうしても偉そうにしていなくても、ちょっとだけそう感じる部分は出てしまうし、気を使っている部分もなんかわかる。
若林さん自体は普通に話しているが、おじさんはどうやったらニュートラルに年下の女性だけでなく男性や、もうセクシャリティはどうでもいいのだろうけど違和感なく話せるんだろうと思いつつ聴いていた。まあ、違和感なく話せないんだろうな、でも、気をつけられる範囲で気をつけるしかない。
「ラテンビート映画祭」で6日からNetflixで配信される『ペドロ・パラモ』が一回限りスクリーン上映ということでヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞。お客さんは十人ほどだったかなあ。
ラテンアメリカ文学の先駆者フアン・ルルフォの小説を、マジックリアリズムを映像化したらこういう感じのイメージのものだった。あと時間軸も現在と過去が交差していくので、現在は朽ち果てた暗い感じのコマラの町の残骸が、主人公の「おれ」の父だと母から聞かされていた男の少年期から亡くなるまではカラフルというか町が栄えている状態で対比も大きい。
というか観ている(昨日小説も読んだのもあるけど)とガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』の直径の先祖というかマルケスがフアン・ルルフォのこの小説を読んで参考にしたのがよくわかる。これなら同じくNetflixで映像化される『百年の孤独』も大丈夫そうだし、この路線で行くんだろう
マジックリアリズムというのは生者と死者がシームレスに混交する世界だし、そこにかつて居たものが死んでもなおそこに居たりする、だから過去・現在の時間軸が重なっている。でも、それって生きていると人生における時間は過去の比率が多くなっていくので、今を生きていても過去のことに支配されてしまうこともあるし、いなくなった人をいるように扱ったり、会話している人もいるのでそういうものなのではないか、と思うようになってきた。
マルチバースもそういう意味ではマジックリアリズムの中の亜種みたいなものだし、「35歳問題」みたいに未来がどんどんなくなって失われた可能性や自分にありえたかもしれない可能性へ思いをはすという想像力と結びついているので、どちらも僕には違和感はない。年齢を重ねて失ったものが多い人はマジックリアリズムもマルチバースも普通に受け入れやすいんじゃないかな。
ただ、二時間ちょっとの映画だけどすごく魅せるシーンがあったかと思ったら説明もなく、誰やねんこいつみたいな人とか、ある人のその後とかが出てくるのでちょっとコンフューズする、で、その流れもあって眠くなる。映画は眠くなるものなので仕方ない、特にこの手の時間軸がいくつかあったり、重なる作品はほぼ夢の追体験に似てしまうので睡魔を呼びやすい、寝て起きても話はわかるといえばわかるし、わからなくてもさほど問題はない。時間もシームレスだし。
思ったよりも「おれ」の父親であるペドロ・パラモのキャラクターが傍若無人で横暴な権力者みたいな設定だったけど、そうなった理由がちょっとセンチメンタルすぎる。その裏でやっていることは酷いことばかりだけど、そこはオブラートに語られている気もする。
革命軍みたいなのがやってくるのは、ある時期のラテンアメリカにあったものだろうし、代表する作家たちも描いているように大きすぎる現象だったし、社会が変動していたからこその表現としてマジックリアリズムの小説は広まって読まれたんじゃないかな。
観終わってから「オードリーANN」の続きを聴きながら帰る。三連休の中日の渋谷は人がたくさんいた。平日でも多いので慣れてきた感じもする。でも、海外からの観光客を見ると何を目当てにしにきてるんだろうなと一瞬不思議に思うというか、魅力的なものそんなにあります?みたいな問いが心に生まれてしまう。
『ペドロ・パラモ』は現在と過去、生者と死者がシームレスに混交しているマジックリアリズムの作品だったけど、これを今書いている小説に持ち込んだらどうなるだろうか、ということを帰り道で思って考えていた。
著者に生み出されたある意味ではその分身(オルターエゴ)であるキャラクターが生み出したもう一人の自分を語り直すというスタイルだけだと自叙伝の見方の角度を変えただけになってしまう、でも、『ペドロ・パラモ』や『百年の孤独』みたいなマジックリアリズムとそれが組み重なったらどうだろう。
一回生まれてから作品の終わりのある時点まで時間の流れで書き終えてから考えた方がいいような気もするし、プロットで完璧に固めた方がいいのか。ただ、キャラクターの一人称と、彼が語る三人称で分けた方がいいのはわかる。
radikoで『川島明のねごと』と『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』を聴きながら自分のライティング作業を。日記を元にした方を進める。
11月4日
6時過ぎに目覚ましで起きて、文化の日の振替休日で休みだったけど月曜日なので可燃ごみを出しに行く。カラス避けの緑のネットはずっと可燃ごみの日には集積所に出されているが、もうカラスの被害はしばらく出ていない。やっぱり春先のカラスの子育ての時期に餌とかの問題でカラスたちがゴミを食いあさっていて、ゴミ袋が破れて中がばら撒かれていたのだろう。冬になってきたし、春先まではカラスたちもおとなしいはず。
Spotifyのポッドキャストでレギュラーになった『きしたかののブタピエロ』を最新回に向かって聴いているが、高野さんが歩いていると急に頭を誰かに強烈に叩かれたかと思って周りを見たら誰もいなくて、犯人がカラスだったというエピソードを話していたことがあった。しかも、その一回だけではなく二回あったらしい。彼はハゲていて髪の毛はないからきっと頭皮が太陽とかで光ってそれに何かしらカラスが反応して襲ってきたのかもしれない。
部屋に戻ってきて横になっていたらそのまま寝てしまって、気がついたら9時前だった。あぶねえ、これリモートワークがある普段だったら遅刻しかけていた。
午前中にやる予定だったライティング作業はお昼以降に回して、まずはトマトジュースとサプリを飲んで散歩に出ようと思ったらトマトジュースがなかった。帰りにスーパーに寄る理由もできたし、いつもの休みみたいに歩いて代官山蔦屋所までラジオを聴きながらの散歩へ。
昨日放送されたものは聴き終わっていたので、『きしたかののブタピエロ』の続きをSpotifyで聴きながら歩こう。と思ったのだけど、寝る前になんとなくイエモンの曲を久しぶりに聴きたくなったので、Spotifyで三曲を選んで聴いてInstagramのストーリーズにあげていたのをその流れで聴くことにした。
真珠色の革命時代 [Pearl Light Of Revolution] -Live Version- (2013 Remaster)
THE YELLOW MONKEY – BRILLIANT WORLD
THE YELLOW MONKEY – バラ色の日々
THE YELLOW MONKEYでマイベスト3を選ぶならこの三曲になると思う。解散なのか活動休止なのかわからないけど、その前の僕らリアルタイムで聴いていた頃の後期のシングルカットされた二曲とライブバージョンがカッコ良すぎる『真珠色の革命時代』はなんかラテンアメリカ文学に合う気がするのは、パーティー的なもの着飾っている印象もあるし、スパンコールが輝く感じとか生者と死者が一緒にいるような歌詞みたいなことも僕にはそう思わせる。
三曲を聴いてからは「ブタピエロ」の続きを聴きながら歩いて代官山蔦屋書店へ。一応休みの日ということもあって午前中だけど、そこそこお客さんはいた。
市場における観客占有率が「0%に向かって」減少の一途をたどっている独立映画をテーマとした表題作ほか、映画のシーンナンバーをつけられた章が散らばる「セルロイドフィルムのための禅」、公務員試験予備校のあつまる鷺梁津(ノリャンジン)を舞台に、勉強はそっちのけで恋と音楽にのめり込む〈俺〉の物語「SoundCloud」など。
若者たちの苦い日々がオフビートに展開する7篇。
〈李箱文学賞〉優秀賞、〈若い作家賞〉受賞作家による注目のデビュー作!
海外小説の韓国コーナーのところにあったソ・イジェ著/原田いず訳『0%に向かって』という小説を手に取ってみた。帯コメントがライムスターの宇多丸さんに三島賞をデビュー作で受賞した大田ステファニー歓人さんだったのでおもしろそうだなって思った。あと映画関連の短編もあるっぽかったので購入。
買う時にどこの出版社かなって思ってみたら左右社だった。左右社の書籍はたまに購入するんだけど、ニッチすぎないけどメジャーでもないぐらいのところを抑えているイメージの出版社で装幀とかのセンスもいいと思えるところ。それもあって読もうと思えたところもある。
家に帰ってから昨日放送された『海に眠るダイヤモンド』二話をTVerで視聴。『正三角関係』にも繋がる長崎県に落とされた「ピカ」の話もあり、クリスチャンの家系である百合子(土屋太鳳)の家族は原爆の被害に遭っているのだろう。それもあって映画館でのシーンで百合子は子どもがいらないと言っている可能性がある。
1955年の端島では主人公の鉄平(神木隆之介)とトリプルヒロイン(朝子:杉咲花、百合子:土屋、リナ:池田エライザ)が主軸になっているが、現代(2022)ではホストの玲央(神木隆之介)と謎の老婆であるいづみ(宮本信子)という軸があるドラマだが、二つの時代を描いているのでトリプルヒロインのうち誰かが後のいづみなのだろう、しかし、誰がという謎を作ることで視聴者の興味を引っ張っていると一話を見た時には思っていたし、今回もそう思っていたけど、よくよく考えたら1955年に朝子も百合子も哲平が大学卒業後に端島に戻ってきているのだから22歳ぐらい、彼女たちは戦中生まれだから2022年だと1932年か1933年生まれだとすると90歳前後、さすがにいづみは70代ぐらいにしか見えない。
それで思い出したのが一話の冒頭でリナらしき女性に抱かれていた赤ん坊がいづみなのだろう。そう考えれば、父親が鉄平かもしれないが、1955年の端島はいづみの父と母たちの物語にということになるので、ちょうど映画を昨日観たばかりの『ペドロ・パラモ』と同じ構造ともいえる。
I's終わりました!今まで有難う御座いました。
— あの (@aNo2mass) 2024年11月4日
I's活動終了。椎名林檎がブレイクして東京事変で活動したように、anoもブレイクしてからバンド活動したら違ったのかもしれないが、この何年かでパンク魂を一番感じたバンドはI'sだった。
渋谷系に対して新宿系と名乗った椎名林檎。その新宿トー横にはあのちゃんのファッションに通じるような地雷系の女の子たちがたくさんいた。
椎名林檎は思想がないから思想があるようにも見えた。思想もなくて空っぽな器だからその都度、時代性をインストールしているようにも見えた。いや、もっと言えば時代性や大衆が欲しがっているものを察知してそのコスプレをしていたようにも思える。さらに日本の伝統文化的なものもミクスチャーして行ったが、それもコスプレと言えるのかもしれない。大衆の受け皿となる存在は何か空洞を抱えていないと受け皿にはなれない。
あのはゼロ年代以降のマンガ・アニメカルチャーやアイドルや自分が影響を受けてきたロックなどの音楽性をアノニマスという匿名性の中に入れてミクスチャーさせていった。椎名林檎からあのというラインで誰かポップカルチャー論書けばいいのに。
風呂に入っている時にSpotifyで最新回が配信された『83 Lightning Catapult』を聴いたら、ちょっと長風呂になってしまった。寒くなってくると湯船にのんびり浸かる。もしかしたら湯船に浸かっている時間は衣食住の中でもかなり上位に入るぐらい好きかもしれない。風呂キャンセル界隈みたいな言葉も聞いたりするけど、風呂に入るのめんどくさいなって思うことがない。
11月5日
7時に起きてからradikoで『空気階段の踊り場』を聴きながら朝のルーティンを。リモートワークまでは読書の続きをしていて、中上健次著『地の果て 至上の時』の終わりが見えるところまできた。長かった。『岬』『枯木灘』とこの小説で三部作を成しているが、主人公が竹原秋幸ということは変わらない。改めて亡くなった青山真治監督の「北九州サーガ」における白石健次のモデルだなというのがよくわかる。
リモートワーク開始前に『JUNK 伊集院光・深夜の馬鹿力』に移っていたが、伊集院さんの野球に関する話と奥さんとの高級ホテルの朝食を食べに行った話など、本当に毎週聴いていてこんなにトークができるのもすごいけど、興味あることにしっかりと向き合うというかおもしろがっていることで人生が豊かになっているのだろうし、それがリスナーにいろんな影響を与えているのだろう。
長く続いてずっと聴いているリスナーがいる番組はその人たちの生活の一部になっているし、何らかの影響は確実に与えることになる。僕もラジオをコロナパンデミック以降聴くようになったことで明かに聴かないのが普通だった時よりも何かは変わっているはずだ。それが何かという自分ではよくわからないけど、前からの知り合いの人たちからすればわかりやすい変化はあるんじゃないかなって。
月初が三連休だと社員の人たちは前月末の締め作業関係が忙しいこともあるし、退職する人の引き継ぎ関連のこともタイミングもあって個人的にはさほど忙しくなくのんびりと作業ができた。
「伊集院深夜の馬鹿力」を聴き終えてから、フワちゃんの後釜の枠は毎月月替わりでパーソナリティーが変わるということに今のところ放っていて、11月は『ロングコートダディのオールナイトニッポン0』だった。アマプラで配信されている『ゴールデンコンビ』に出ている堂前が内容のことを話していたが、相方の兎が全部ちゃんと見ていると話していて、仲がいいしお互いの仕事にちゃんと興味あるんだなって思って聴いていた。
近年のアメリカの映画やテレビシリーズで政治的題材を扱って高い人気や評価を集めた作品に共通しているのは、製作者たちの本音は別として、少なくとも作劇においては党派性を前面に出していないことだ。ドナルド・トランプはアンチ・エリート主義を掲げ、それによって大衆からの広い支持を集めてきたわけだが、ハリウッドの業界人はそこで典型的な「エリートたちの勢力」の筆頭と見なされている。映画やテレビシリーズが広範な人気を得るためにはそうした人々も作品に巻き込む必要があるし、もしまだ「フィクションの力によって現実を変えること」を少しでも信じているならばなおさら、リベラル同士がお互いうなずき合うような作品ではなく、その外側に働きかけることに意義を見出しているのかもしれない。
さらに、ミもフタもないことを言ってしまうなら、映画は本質的に「見せ物」であり、観客はそこに啓蒙ではなく刺激を求めているという原則に、2010年代後半の「アイデンティティ・ポリティックスの時代」を経てハリウッドは立ち返ったという見方も可能だろう。人々が自分の時間やお金を費やしてまで(TikTokやYouTubeのショート動画ではなく)長いフィクション作品で見たいのは、それが悪夢的な未来像だとしても、密かに抱えている願望だとしても、ドナルド・トランプ的なるものが勝利した後の世界なのだということが、ここ数年のヒット作の傾向からははっきりと伺える。
「現実はフィクションを超えてしまった」のか…アメリカ映画が大統領選を描けなくなっている、深刻な現実
宇野維正さんが寄稿した「現代ビジネス」の記事を読んだ。僕は取り上げられているテレビドラマシリーズはほとんど見ていないので、実際にどのくらいトランプが大統領になって以降変化があったのかわからないのだけど、こうやって定点観測している人が書いてくれているとありがたい。しかし、アメリカ大統領選挙のその結果はどうなるのか。
日本に関係ないわけがなく、かなり大きく関係してくる事柄だけに気になっている。トランプは実業家だから戦争をしない、という話もそうだよなって思えるところもある。カマラ・ハリスが女性初の大統領になったら何が変わっていくのか、どんな変化がアメリカにそして世界に起きるのかも見てみたい気持ちもある。接戦という話だけど、どちらになってもまた世界は揺れる。
リモートワークが終わってから、Spotifyのポッドキャスト『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:東出昌大)、『あのと粗品の電電電話』最新回がアップされているのを聴きながらベッドに横になったり、休憩ではないけど晩御飯食べるまではグダグダしていた。
「アルピーしくじり」のゲストは東出昌大さん。「アルコ&ピースのオールナイトニッポン」のガチリスナーだったとわかるエピソードを冒頭から話し出していて、アルピーの二人も嬉しそうだった。不倫騒動とかやらかしたという印象があったり、山での生活など近年はいろんなことが話題になっている彼だけど、話を聞いていると人間力というか魅力たっぷりな人なんだろうし、会ったら好きになっちゃうタイプだろうと思えてしまう。今回は前編ということだったけどちゃんとおもしろくて後編も楽しみになった。
「あの粗品」は粗品が『オールスター感謝祭』とか休んだ後ぐらいの収録らしく、あのちゃんに体調を心配されていた。『民王R』の二話を見なきゃと思いつつも、二人が話しているのをカプ押し的な消費をする人もいるんだろうけど、ただいいコンビだなってうれしく思う。今日の深夜は「あのANN0」はお休み、ツアーの追加で大阪公演があり、9日土曜日は豊洲ピットで東京公演がある。豊洲ピットでのライブはチケットを取っているので今日はラジオを休んで無理をしないでライブを完走してほしい。
11月6日
7時過ぎに起きてから朝のルーティンをして洗濯機を回す。今日は15時に早上がりする予定だったので8時にリモートワークをスタート。radikoで『アルコ&ピース D.C.GARAGE』『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源のオールナイトニッポン』を作業用BGMとして流す。
「アルピー」は平子さんから酒井さんへの誕生プレゼントして松茸を渡して、そこから料理も含めての話。
「爆笑カーボーイ」はこの前の台風で名古屋まで行く際のエピソードを太田さんが話していた。海外からの旅行者も増えているし、新幹線が走らないかもしれないとか、遅れている時のみどりの窓口とか改札まで並んだりする際にもう少し上手く混雑しない方法とかないのかなって思う。そういう状況で新幹線とかに乗るということは今のところないから遭遇はしてないけど、周りがイラついている中で待つのはほんと嫌だろうな。
「星野源ANN」は『ドラえもん』の主題歌を星野さんが歌ったものだったけど、その曲が新しいテーマソングになって終わるということからメールも来ていたりした。僕は『ドラえもん』の漫画もアニメも読んだり見たりしていないので正直みんなドラえもん好きなんだなっていうぐらいの気持ちしかないけど、長年曲が使われていたことで、星野さんのことを知ったり、このアニメといえばみたいに曲がなっていたことはすごい影響力だなって思う。
『族長の秋』(ガルシア=マルケス/鼓直 訳)
— 新潮文庫 (@shinchobunko) 2024年11月6日
新潮文庫から刊行決定!
発売4か月で36万部という記録的なベストセラーとなり、野間出版文化賞を受賞した2024年出版界最大の話題作『百年の孤独』に続く、ガルシア=マルケスの長編第二作。
2025年2月28日発売となりますので、お楽しみに……🐮 pic.twitter.com/NKgRUVTHiu
ガブリエル・ガルシア=マルケス著/鼓直訳『族長の秋』が来年二月に文庫で出るらしい。新潮社のマルケスの全集を数冊持っていて、その中に『族長の秋』もあるけど、装丁がカッコよかったら買いたい。
15時にリモートワークを早上がりさせてもらって渋谷まで歩いて向かう。そこから銀座線に乗って浅草へ。
先月頭に亡くなった友人が樹木葬されているところへ参ってきた。彼女の地元の秋田県に初めて行って、お昼は実家に呼んでもらってきりたんぽをご両親と一緒にいただいた。
お二人が11月頭に東京に来られるということだったので、もう一人仲の良かった友達がご夫婦でやっている焼肉屋さんに一緒に行こうという約束をしていた。
新宿や渋谷で待ち合わせして中央沿線にあるそのお店に行くという話だったが、入れ違いとか上手く待ち合わせできなかったから困るなと思って泊まっているところまで迎えに行って、一緒にお店に行くのが一番安全というか、いいかなって思って迎えに行った。
浅草は海外旅行者が多くて賑わっていた。
ホテルでお二人と合流して浅草線で浅草橋駅まで乗ってから総武・中央線に乗り換えて目的地へ。その途中でお父さんがトランプが勝ったみたいとスマホのニュースを見て言った。日本もアメリカも変わらないというか、都市部に住んでいる人はリベラルだったら左翼寄りだけど、他はそうではない。アメリカに住んでいる日本人もほとんどが今回ハリスが勝った州に住んでいるという統計もその後出ていた。
女性の中絶問題や体の権利を訴えている人たちはリベラルな人たちで、そういうことはどうでも良かったり、キリスト教原理主義が多い南部の州とかはやっぱりトランプが勝っていた。僕らは思ったよりもフィルターがかかっていてハリスが勝つんだろうな、と思っていたが実際は日本で裏金があろうが何やらかそうが自民党が政権与党であるみたいなことと一緒だし、新自由主義が加速したことでより都市部ではない地域の鬱憤やどうにもならない怒りみたいなものが溜まっているとかも根底にあるんだろうか。
東中野駅で降りて友達が夫婦でやっている焼肉店へ。友達も時間が空いている時にテーブル席に来てくれてご両親と話したりしてくれて、お二人も楽しそうだった。
総武・中央沿線で新宿駅までご一緒してから別れた。渋谷に出てもう一回乗り換えるのがめんどくさかったから小田急線に乗って下北沢まで。たくさん食べて飲んで話せていい一日だった。
11月7日
家に帰ってすぐに寝たけど、一度深夜4時に目が覚めた。二日酔いにはなっていなかったが、喉と体の節々にちょっと違和感がある。風邪の引き始めかもしれない。可燃ごみの日だったのでゴミ出しして戻ってからまた眠った。
目が覚めたのは9時過ぎていた。休みの日だったのでしっかり寝て体力回復。朝の散歩をしようと家を出る。 BGMとしてradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴きながら。昨日もそうだったけどかなり肌寒い。
代官山蔦屋書店に着くと『群像』最新号が出ていた。耳元から聞こえてくる佐久間さんの新刊『その悩み、佐久間さんに聞いてみよう』というビジネス峰の第二弾も出ていたので一緒に購入。前の本は20万部を超えているらしい、すごい大ヒットだ。ビジネス本って売れるものはそういう数字になると思うと、小説とかでそのぐらい売れるものはあまり多くないのでビジネス本を読むような人が仕事か教養ではなく、単純に小説を楽しく読んだりする習慣があったらなあ。
昔はビジネス本よりも仕事ができる人は小説も読んでいただろうし、教養だった部分もあるだろうけど、そこから今の世界を読み取ったりしていた部分はある。でも、今はメディアも作品も多すぎるし、個人の時間はスマホをはじめとして奪われ続けていって、ただの娯楽としての読書に時間を割く人が減っているのもわかる。その結果が今の社会の光景を作っているだろうし、戻らないんだろうなとも思う。
家に帰ってきて銀行とかで用事を済ませてから、今日発売だった詩人の菅原敏さんの詩集『珈琲夜船』(雷鳥社)を買おうとトワイライライトに寄った。午前中に来る予定だったのが遅れているというので選書フェアの準備をしていたイラストレーターの横山さんと一緒にコーヒーを飲んだりして時間を潰した。
届いたものを購入することにした。トワイライライトで詩集とコーヒーを一緒に購入すると特典のポストカード以外にもポスターがもらえるということになっていた。
寒くなってきたからあたたかいコーヒーを飲みながらページをめくって、ゆっくり一篇ずつ読んでいく冬のはじまり。
家に帰って昼ごはんを食べて前に買っておいた風邪薬を飲んで昼寝をしようと思ったけど、眠れなかったので前日買っていた安田佳澄著『フールナイト』9巻を読む。浅野いにお著『MUJINA INTO THE DEEP』同様に格差について描かれている作品で、絵のタッチもすごく好きだし、こういう作品は地上波のドラマでも配信用の作品になってかなりいいと思うのだけど。
そのまま『その悩み、佐久間さんに聞いてみよう』を読んだ。ビジネス本は一回目は流し見みたいにさらーと読む。時間をおいて気になるワードのところを改めて読んでみるというやり方をしている。一回目を読み終わって少し眠なってきたので夕方過ぎまで眠った。
じつはこれは驚異的な事実である。8月15日、の、天皇、と聞いて〈華やかな宴〉を連想する読者がかつて数多いた。むしろ、それを連想する読者しかいなかった。だがしかし、現在の読者は、同じ二つのデータ(日付と名詞)を聞いて、〈敗戦〉だの〈終戦〉だの政治的なもろもろだの権力だの責任だの平和だの未来だの過去だの、そういったものを想い描いてしまう。しかも、(いま言った)その過去には〈華やかな宴〉とその主催者の帝、は登場しないに近いのだ。
これだけで、その『超空洞物語』の読者が全員、現代にいることがわかる。
読者が現代にいることが証明される。
<古川日出男のセルフ解説>超空洞、スーパーホロウ日本文学 #03 現代からその小説を生む
『超空洞物語』において始まりである「8月15日」の話。
『群像』2024年12月号に掲載されているいとうせいこう×古川日出男対談「バトンを勝手に拾う──古典と相生する文学」とエッセイ・シリーズ〈本の名刺〉特別編「超うつほ創作秘話」を読む。そのために今月号は購入した。
せいこうさんと古川さんは共に小説を書く、古典に取り組んでいる、そしてパフォーマーでもある。共通点というよりは向いている方法性や大きな意味での文学あるいは芸術に向き合っている人だからこその対談になっていた。前に『ミライミライ』が刊行された際にお二人のトークイベントに行ったが、小説に書かれているニップホップ(戦後ソ連支配下だった北海道を得て生まれたヒップホップ)の話は日本のヒップホップの黎明期、始まりにラップをしていたせいこうさんだからこそのやりとりがなされていた。こういう対談は文章に残しておくといいし、もっと長くてもいいけどね。
23時からradikoのリアルタイムで『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』を聴きながら読書の続きをしていた。喉の痛みもあって風邪薬を飲んでいたからラジオの音も小説の文字もどちらもあまり頭に入ってこなかった。早く寝落ちすればいいのにと思っていたが、日付が変わって少し経つまで落ちなかった。
11月8日
寒さで目が覚める。6時過ぎだった。空き缶とビンの回収日なので外に出しに行ってから7時までは布団の中でまるまる。radikoで『ハライチのターン!』を聴いていたが、喉のイガイガした感じはおさまっていない。前みたいに熱は今の所はなく、喉が腫れているだけみたいなので金曜日の今日に近所の内科クリニックで処方箋を出してもらっておくほうが悪化しないなと思った。
リモートワークを始めてから、クリニックが開く少し前に家を出て診てもらって処方箋を調剤薬局でもらって帰ってくるまでだいたい30分ぐらい。その時間昼休みから使ったことにしてリモートを再開。
同じ事業部の人たちも体調を崩していたり、諸々あって週に一回のオンライン定例は無くなったので、誰とも話すことなく作業をのんびりと進めた。
お昼はざるそばをコンビニで買ってきて食べる。飲んだり食べたりすると飲み込む時に喉の部分が痛みとはいかないけど強い違和感がある。
午前中の作業からのお供は『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』と『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0』を、14時台は『中川家 ザ・ラジオショー』のゲストが三四郎だったのでそこだけ聴いた。残りはSpotifyで『きしたかののブタピエロ』の続きを。今日のリモートが終わるまでになんと本放送の一週間前までたどり着いた。もう、本編に至っては普通にタイムフリーで土曜日朝に聴いたことのある内容だった。
私は、原稿は書けるが、それを物体にはできない。「それを物体にする人」が批評性を具えて、かつ〈美〉に対する徹底した思考(にして嗜好)を具有する時にのみ、こうした物体は現出する。私はひたすら感謝している。私はひたすら感動している。
しかし、「私は、原稿は書けるが、それを物体にはできない」という通常のモードを、あえて裏切る作業をたぶん来月には実行する。たぶん来年の2月には、それを他者の目に見える形にする。ただし、その「目に見える形に」なった際には、その物体はそもそもの形態をとどめていない、ことになるはずだ。これはアートの領域での創作ともなる。
たぶん私は、来週から現実的な準備に入り、再来週から長い詩を書き出すことになる。
<古川日出男の現在地>デザインが書物を生む 2024.10.26 – 2024.11.08 東京・埼玉・福島
リモートが終わってから更新されていた「現在地」を読む。『天音』に続いて長い詩を、アート系の創作を始めるんだ、そして2月には見える形になるというのは、古川さんの作家デビューが2月25日だからその月に合わせて何かしらのイベントや発表する機会があるのかなって思う。いとうせいこうさんとの対談でも感じるし、作家活動をずっと見てきていると小説を書くことが軸にはあるけど、文学であり芸術であること、小説以外の創作が増えているのは納得しかない。
古川さん自身が受けてきた影響なら、舞台(戯曲)とかも含めて総合的なものに向かっておかしくない。文学の拡張というのも違うか、そもそも歌と詩があって文学も舞台も生まれているから文字でできることから身体性の伴うもの、個人だけではなく複数人での創作といろんなグラデーションを行き来すること、そのことで軸の小説はより時代を越える強度も持たされるだろうし、そうしたいという気持ちが年々増しているのかなっていち読者としては思う。
Spotifyのポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回を聴きながら残し少なくなった中上健次著『地の果て 至上の時』を読み終わる。三部作最後が終わった。『百年の孤独』のマコンドのように、路地も消えていく。きっとそういう物語の終わりしかなかったんだろうなと思う。
主人公の竹原秋幸とモンぐらいしか心情がわからないように描かれている三人称であり、秋幸の父である龍造に関しては貴種流離譚的な物語であり、オイディプス的な面もあるにも関わらず、父殺しをするのかと思っていたがそれは成されない、というか、物語自体が父殺しを避けて終わる。
ただ秋幸や龍造の出自でもある路地は焼かれて消えていくという終わり方なのはこれを書いた時の中上の環境や考えがかなり反映されているのだと思う。父殺しをしない貴種流離譚の新しい形を模索していたのだろうし、その後に書く失敗作と言われてもいる『異族』でもそれを感じた。だが、失敗して中上健次は病気で若くして亡くなってしまった。
これまで、松本人志は裁判を進めるなかで、関係者と協議等を続けてまいりましたが、松本が訴えている内容等に関し、強制性の有無を直接に示す物的証拠はないこと等を含めて確認いたしました。そのうえで、裁判を進めることで、これ以上、多くの方々にご負担・ご迷惑をお掛けすることは避けたいと考え、訴えを取り下げることといたしました。
新TwitterことXを見ていると松本人志さんが訴えを取り下げたという報道が出ていた。一部のメディアではすぐに復帰に向けてという話なども出ていたりした。
裁判で明らかにすると言っていたにも関わらず、訴えを取り下げたのは勝てないからか提示した賠償金も無理だと判断したのだろう。
明らかにすべきだったことを明らかにしないままであり、これで復帰するとしたら思春期の頃からダウンタウンに影響を受けてきた人間としてもカッコ悪い、ダサいとしか言いようがない。松本さん側を擁護する人たちがすでに被害師の女性へのセカンドレイプのようなことをSNS でもしていたが、事実を歪曲して文春が松本さんが無実だと認めたので訴えを取り下げたということをポストしていたりする。地獄でしかない。
僕自身は影響を受けていた映画監督の性加害問題が出てからは内容を知っていく中で擁護できないと思ってから名前も出さないようにしている。実際に起きた加害に直接関与していないし知らなかったけれど、彼のファンで応援してきたことでそういう加害性を強めた部分は少なくともあるかもしれない(実際どうこうではなく、ファンとして応援してきた人が何かを起こした時にそのことをどう受け止めるかは個人個人で違うのだろうけど、僕はそういう考えになった)と思うので、加害者側だという認識になっている。
今回のことも松本人志という日本のお笑いの世界における最重要人物が犯したこと、それのことに耐えきれないファンが行う二次加害やセカンドレイプ的なことをしていることが、どれほど正気ではないか、客観性を失っているのかがわからなくなっていることも怖い。お笑いの才能としての松本人志のすごさと今回のことは別にして考えないといけない。そこには好き嫌いではなく、法的にセーフかアウトかだったり、報道が出たあとに彼側が行っていた行動などを含めて擁護できない。特にファンの人や影響を受けた人は擁護もだし、被害を訴えている女性に攻撃するとか問題外で恥ずかしくないのかと自分に問いただしたほうがいい。
自分がどれだけ好きで影響を受けている人でも、何か過ちを犯したり間違ったことをしてもそれを否定したり怒ったりもせずに、そのことについて批判している人たちを逆に批判するとかは残念ながら客観視できていないし世界が見えてないのだと思うし、その人を最終的にはより孤独な裸の王様にするだけなのに、と思ってしまう。
今年の『M-1グランプリ』で松本さんが審査員復帰みたいなことがもしあるとしたら、僕はもう見ないと思うし、そもそも今回の件があって今後もしも復帰したからといって昔みたいには笑えないのはわかっている。そして、事務所の後輩だけではなくほとんど多くの現役の芸人たちはダウンダウン以降、影響下にある人が表立って批判できるはずもない。そんな勇気がある人はそもそも事務所から出て自分でちゃんと発言ができる場所にいる。
松本さんが復帰してしまうと一緒に出演する芸人たちは絶対に復帰を喜ばないといけなくなる、そうしてまたクローズな空間ができていく。それも考えると復帰しないことが一番お笑い界にとっていいことなんじゃないかなって思ってしまう。
友人Sとお茶をする予定だったので20時半過ぎにニコラへ。アルヴァーブレンドと和梨とマスカルポーネのタルトをいただく。三時間ぐらい仕事の話とか諸々としながら、生きるの大変だよねってことを話したりとのんびりお茶タイム。
Sも色々と大変なことがあるから話すことで少しぐらいストレスが減ったりしてくれるといいのだけど、誰かに話せるかどうかって大きいことだと思うし、溜め込んでしまうと自分の中で毒みたいに悪いものが染み出してしまうから、話せる人がいるなら話したほうがいいし、僕もそうしている。
11月9日
radikoで『三四郎のオールナイトニッポン0』を聴きながら散歩がてら代官山蔦屋書店へ。今週の芸人さんのラジオでは流行語大賞の話と学祭での手抜き問題の話が多かったが、三四郎の二人もそのことについて話をしていた。
アサイーボウルについては何年も前に流行ったじゃんって色んな人が言っていたが、TikTokあたりでそれを知らなかった若い世代に知られてヒットしたらしい。世代格差というか情報格差みたいな気もする。もちろん僕も知らなかったけど。
あとは学祭での話とかもしていたけど、武道館イベントのゲストで出演するCreepy NutsのR-指定の扱いのひどさについてリスナーからのメールで本当にそうだよなって話しながらも雑な扱いをしそう。
僕は来年のCreepy Nutsの東京ドームで彼らのライブ自体は初めて体験するけど、『東京03 FROLIC A HOLIC feat. Creepy Nuts in 日本武道館「なんと括っていいか、まだ分からない」』の際にR-指定のラップもDJ松永のDJプレイも観ている。R-指定を観るのが二回とも武道館だけど、今回の三四郎の方は普通にトークとかだろうからどういうやりとりをするのを楽しみにしている。裏でピザ作らされたらさすがに可哀想だけど。
代官山蔦書店に寄ったら山田詠美著『もの想う時、ものを書く』というエッセイ集が出ていたので気になって購入。芥川賞の選考委員をやっていた時に選評も掲載されていた。
家に帰ってから昼ごはんを食べてからちょっとだけライティング作業をしてから家を出る。
渋谷まで歩いて半蔵門線に乗って永田町で有楽町線に乗り換えて豊洲駅まで。歩いて10分ほどの豊洲ピットへ。ano TOUR 2024 追加公演「絶対聖域」のライブだったが、開場の30分以上前に着いたがグッズを購入する人たちもいたし、すでに開場を待っている人たちが多くいた。整理番号は1016番と早い方ではないが豊洲ピットはスタンディングで3000人ほど入るキャパなので悪いとは言えない番号。
あのちゃんに憧れだったり好きだからと彼女のファッションに近い格好や髪型の若い女性が多かった。僕みたいなおじさんもいたけど、若い男性はカップルで来ている人が目に入った印象だった。
ano TOUR 2024 追加公演「絶対聖域」
— あの (@aNo2mass) 2024年11月9日
at 豊洲PIT 有難う。
断言したすこれからのanoはもっと最強です。⋆˚☆˖°⋆⭒˚。 ‧₊˚ ⭒ ˚˖°⋆ ⋆˚☆˖°⋆⭒˚。 ‧₊˚ ⭒ ˚˖°⋆ pic.twitter.com/ACdFVxH0Cu
【Thanks!!】
— あの STAFF (@ano_staff) 2024年11月9日
ano TOUR 2024 追加公演「絶対聖域」
at 豊洲PIT
お越しいただいた皆様、本当にありがとうございました!
明日は「氣志團万博2024 ~シン・キシダンバンパク~」よろしくお願いいたします🔥#絶対聖域 #ano pic.twitter.com/nvVQmdawIK
ステージ前の最初のエリアというか、だったその後ろのエリアは少し高くなっていて区切るような柵がある、その柵の前に陣取った。あのちゃんが立つであろうステージの真ん中にみんな集まっていて、背の高い男性も多かったので見えるかなと不安にはなるがライブが始まればどうせその人たちはさらに前に詰めかけるので観やすくなるだろうなと思っていた。実際に始まるまではかなりパンパンだったが、ライブが始まって少しスペースができたし、画像にあるようにスクリーンで時折歌っている姿なども見えた。目視でも見えたがあのちゃんの体全体は無理で、上半身は見えるぐらい。
二曲目がクリープハイプの『社会の窓』だったのでちょっとビックリした。聴けるとは思っていなかったのとやるとしても序盤ですぐだと思わなかった。
愛してる、なんてね。[Unplugged]
社会の窓
ンーィテンブセ
デリート
Peek a boo
アパシー
(MC)
SWEETSIDE SUICIDE
AIDA
(MC)
涙くん、今日もおはようっ
普変
コミュ賞センセーション
スマイルあげない
F Wonderful World
猫吐極楽音頭
絶対小悪魔コーデ
ちゅ、多様性。
許婚っきゅん
(MC)
YOU&愛Heaven
<アンコール>
絶絶絶絶対聖域
『ちゅ、多様性。』がおそらく世間的にも一番有名な曲だと思うけど、ライブだと生音でちょっとドラムが走っていたような気もしたが、盛り上がりということに関してはアルバムに入っている『猫吐極楽音頭』の時のお祭り多幸感みたいなものはとてもライブ映えするし合っているなと思った。
アンコールで『絶絶絶絶対聖域』やる前の最後のMCで、メディアに出るようになってお茶の間に大衆に知られることで傷つけられることの話から、音楽で人を救えるとは思わないけど一瞬でも自分が救われること、おもしろくないから笑いたくない、クソみたいなジジイどもが搾取して、ズルいアイドルたちがいる世界、全員死ねばいい、みんなキモいと言いたいのに言えない、なんで思ったことを言っちゃダメなのということ、彼女自身がSNSなんかで誹謗中傷も含めて言われていることでえぐられてしんどい思いをしていることもしっかりと伝わってきた。自分は音楽にそういうものをぶつけるし嘘をつかないという意思表示をしていた。
クソみたいな生きにくい世界で素直に生きている人たちはズルい人たちによって傷つけられてしんどい思いをしている。そういう人たちが気持ちを叫べるような場所を、最後の方はモニターに映った彼女の瞳からいくつもの涙の筋が流れていた、彼女が作り上げた「絶対聖域」の中で何度も叫びながら世界へ咆哮しながら観客を鼓舞するかのように歌い、彼女はみんな生きてまた会おうと言って最後に泣きながら笑った。
最後のMC と『絶絶絶絶対聖域』はすごく感動もしたし、その姿を見て歌を聴いて体感した人たちの生きる糧に、生き延びようと思えるものだったと思う。とても優しくて強くて儚くてまっすぐな彼女の願いだった。
【緊急】遂に対面!Radiohead・Aphex Twin・The Smiths・The Strokes・Arctic Monkeys…数々のご無礼お許しください
行きと同様に帰りも有楽町線から半蔵門線に乗り換えて、池尻大橋駅で降りて歩いて家へ。YouTubeを開いたらこの動画がアップされていた。
レディオヘッドの悪口を言っていたら、レコード会社(BEATINK)がやってきたというもの。もう永野さん最高だな。前に取り上げたヴィンセント・ギャロ監督『ブラウン・バニー』Tシャツ着てる。この映画シネライズで観て最後がもうひどすぎて笑っちゃったんだよな。
タモリさんはジャズプレイヤーなりたかったけどなれなかったジャズメン気質なタレントだったけど、永野さんはロック気質のタレントなんだよな。タモリさんはすでに終わっていたジャズを引き連れて昭和と平成を、永野さんはヒップホップの台頭で一度死んだロックを令和に、だから令和のタモリさん的な人は永野さんイメージ。最初出てきたときどちらも気持ち悪がられてたけど、文化的に博識。
午前中に歩いている時になんとなく考えたこと、あのちゃんのライブを見てそれでいいんじゃないかなって思ったことがあったのでメモというかスケジュールも含めて変更することにした。来年の予定も含めてだけど、さすがにこれ以上はもうスケジュールは変えられないだろうから、やりたいようにやろう。
11月10日
7時過ぎにセットしていた目覚まし時計で起きる。喉の腫れは昨日のライブでほとんど声を出していなかったこともあるだろうし、薬も効いたのかほとんど違和感は消えていた。
radikoで『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』聴いてからTVerでさらば青春の光が出ていた『ゴッドタン』を見てから、昨日夜やっていた『さんまのお笑い向上委員会』を流しながら山田詠美さんのエッセイの続きを。
8時半前に家を出て渋谷へ。radikoで『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら歩く。先週は春日さんがいなかったがニューヨークに仕事で行っていたらしい。40分もかからないうちに道玄坂にあるTOHOシネマズに到着。今日はシネマイレージデイだったから1300円でチケットを一昨日購入していた。
一ヶ月前に鑑賞した『室井慎次 敗れざる者』に続く後編『室井慎次 生き続ける者』を鑑賞。公開日は11月15日からみたいだが先行上映ということになっていた。
前編の最後に室井が引き取って育てている男の子のリクの実の父親(加藤浩次)が刑務所から出てきたが、今回はリクのことと日向真奈美(小泉今日子)の娘である日向杏(福本莉子)という二人の子どもと室井慎次(柳葉敏郎)が家族になっていく、彼が「父」になっていく姿を描いていた。
映画『カモン カモン』や『トップガン マーヴェリック』をはじめとしたかつての先進国における「父性」の問題、僕のように「中年」以上の結婚もせず子どももいない男性は果たして「父」になれるのか、「父性」は芽生えるのか、時間は限られている「家族」を築けるのかという主題を「踊る大捜査線」シリーズで室井慎次でやったのが今作だったと思う。
キーマンの一人である日向真奈美は室井の「父性」に対する「母性」の負の部分を担っているのだと思うし、室井は人を信じろと子どもたちに言い、真奈美は娘の杏に人を信じるな憎めと言って洗脳していた。その辺りは対照的だけど、悪のカリスマというか人を洗脳できてしまう日向真奈美という存在が2020年代に描くとどうしてもリアリティに欠けてしまう部分があると思った。
一週間前の先行上映にしたのはあるネタバレをして、シリーズのファンだった観客の呼び水にしたいんだろうなと思った。最後まで観ていればこの「踊る大捜査線」シリーズは青島をメインにリスタートするんだろうなというのがわかる。それこそが大事な部分なのだろう。
極楽とんぼの加藤さんがリクの父親役として後編にも出演しているが、北海道の出身だよな。この作品って舞台の秋田県出身の人がわりと出ている印象だったのでそこが違和感あって、最後にエンディングでかかる曲を歌っている大物歌手の方も北海道の人だから、そこも秋田県出身の人とかにした方が良くないかなって、いないのであれば「踊る大捜査線」シリーズの音でも良かったような。
二作品で「父」になろうとする室井慎次を描き、彼の人を信じろという教えは三人の子どもたちにしっかり引き継がれた。あとある青年が室井さんのおかげで帰ってくるシーンがエンディング近くにあって、その人は某有名コントユニットのメンバーなので秋田出身なのかなって思って今wiki見たら東京出身だった。そういうところはもうこだわらないのね。
これは「踊る大捜査線」シリーズファンが求めていたものかと言われるとたぶん違うし批判や否定もたくさん出るだろうけど、「父」になれるかということを描こうとしていることを僕は評価したい。
昼ごはんを買って帰った。ご飯を食べてから一息したらライティング作業をしようと思っていた。メガネの目尻のところにある金属パーツがちょっと前からゆるんでるなって思っていたので小さなマイナスドライバーで金具とフレームを繋いでる部分を締め直そうとしたらもう締まりきっていた。これはどうなってるんだと思ってよく見てみたら左側のフレーム側の金属パーツが金属疲労なのかほぼ折れかけていて触っていたら折れてしまった。
前使っていたメガネは度数が違うし、コンタクトレンズは使っていないのでこのメガネがないと色々と支障が出てしまう。買ったのはミッドタウン日比谷の中にあるEYEVANのショップだったけど、今から日比谷は遠いなって思っていたらそういえば前に青山の骨董通りを歩いていたらEYEVANのお店があったような気がするなと思い出して、ウェブで検索するとお店はあったので一度電話して修理できそうか聞いた。実際に見てみないとわからないとは言われたのだけど、すぐに持っていくことにした。
TOHOシネマズ渋谷まで歩いて行って帰ってきたばかりだったけど、骨董通りなら歩いて片道一時間もかからないし、日曜日の電車とかあんまり乗りたくないから歩いていくことにした。昨日の永野さんのYouTubeチャンネルを見ていたのでradioheadの『Kid A Mnesia』をSpotifyで聴きながら向かった。
対応してくれたスタッフさんが折れたパーツを一旦取り外してフレーム自体は破れたりしていないので、目尻の金属パーツを変えるだけで大丈夫と判断してくれた。一つは折れたものを修理に出して金属加工で繋げてもらうもの、二つ目は新品の同じフレームパーツと取り替えるというもの。一つ目は時間もかかりそうだし折れているものを修復してもすぐにダメになりそうだから二つ目にしてもらった。
前にも片方のフレームが割れてしまって交換してもらったことがあったが、その時同様に一つのパーツ交換だと定価の20%かかる。取り替える前に持ってきてもらった新品のフレームについていた値段を見て、この値段だったんだって思い出した。一万円は超えなかったけど、フレーム本体が十万とかしたらパーツ交換だけで二万とかするんだなって。
このブランドはミッドタウン日比谷もそうだし、今回対応してもらったスタッフさんも対応がすごく丁寧だから、次のメガネもここにしたいと思う。そういうことがブランドの価値だったりするんだろうな。
帰っていると大家さんからユニットバスの改修工事をやることにしましたとメッセージが来た。業者さんから連絡が行くように連絡先を教えてもいいですかとのことだったので承諾した。今月の後半ぐらいからちょっと僕の生活は変化することになるっぽい。
家に帰ってからようやくご飯を食べたけど、15時を過ぎた昼ごはんはなんか早めの夕ご飯みたいな気もするし、なんかこの後の晩御飯をいつ食べればいいか微妙になる。
「タイパ」という言葉が大嫌いだと書いた。何故なら、私の作家生活は、それとは対極にあるものだと思うから。
私は、一貫して、美しい無駄が文化を創ると信じている。美しくて、役に立たないと思われるものに、あえて、手間をかけること。そういった行為こそが文化だと思うし、贅沢だと感じる。そのはしっこに文学というものが存在しても良いのではないか。世界を動かす読み物とは、また別の位置で。
そんなふうに思って、自分の書いたものを読み返してみると、尊敬する先人たちの手による「美しい無駄」が、驚くほど私に染み込んでいて、そして、多大な影響を与えているのが解る。それを自覚し、理解し、後の人たちに伝えようとすること。美しい無駄という伝統の火を消さずに、先人に敬意を払いつつ前に進むこと。
「文学をやる」とは、そのことに他ならないのではないか、と小説家デビュー四十周年の節目を前に痛感している。
山田詠美著『もの想う時、ものを書く』P410より
ライティング作業をradikoで『川島明のねごと』と『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』を聴きつつ進めて、寝る前に『もの想う時、ものを書く』が最後まで辿り着いた。
芥川賞の選考委員でもある山田詠美さんの毎回の選評も載っていてそれを通して読んでみるのもおもしろかった。最後まで今までのエッセイをまとめたものを読んでみると、最後のあとがきに書かれた「美しい無駄」というものが山田作品を読めばわかるし、「文学をやる」という姿勢だからこそ、彼女の影響を受けた作家たちが多くいるし、山田詠美という小説家はこれからも次世代に読まれていくのだと思える。
11月11日
日付が変わってすぐに寝たはずだが、トイレに行きたくて目が覚める。二時過ぎだった。そのまま可燃ごみを出しに行く。地面が雨で濡れていて風も冷たい。喉はほとんど治ってきたが、昨日から上はTシャツだけではなくユニクロで前に買ったパーカーを寝巻きに追加した。
寒くなってくると実家にいた時から電気毛布を使っていたのだけど、去年ぐらいに電源の部分かにかが壊れてしまって使えなくなってしまってるはずだ。買おうと思いつつ去年はエアコンの暖房とかを使ったはずだけど、今年はどうしようか。
TVerで『有良クイズ』を見ながら寝ようとしたができずに、『夜明けのラヴィット!』を流しながら目を閉じた。やっぱり電気毛布あった方がいいかなあ。
7時過ぎに起きた。今日は11月11日と1が並ぶ日、たぶんポッキーの日とかそういう感じの日になっている。寝る前に読書をしっかりしたし朝の読書はしないでリモートワークの準備をしながら8時半ぐらいまでのんびり。
radikoでは日曜日の分は聴いてしまっているので、Spotifyでアップされた先週のラジオのポッドキャストをいくつか聴きながらリモートワークをする。一度聴いているから既視感ではなく、既聴感(という言葉もあるらしい)的なものがあって、Aさんがこう話したらBさんがこう返してみたいなことがわかる。何度も好きなラジオの同じ放送回を繰り返して聴いている人はもう内容ではなく会話のリズムとか声質の変化とかを楽しんでいるのかもしれない。
午前中に一件、仕事とは別件で個人的なことの連絡をしたが、ダメだった。仕方ないので返信をもらったらなんかスッキリした。返信が返ってくるまでちょっと心配というか嫌なドキドキ感もあったりしたが、こちらが勝手に思って考えたことを伝えても先方的にはNOみたいなことは当然起きるし、そうなったらという考えも一応していた。
しかし、人間というのは自分が可愛いのでいい返事をもらったパターンの方で脳が想像していく。で、ダメだったらそれが急激に萎んで消えていく。その可能性が潰えたら別のことを考えて行動するしかなくなる。
本当は夜に友達とネパール料理屋でご飯をする予定だったけど、ご家族が風邪を引いてしまって行けそうにないと前日言われたのでお店に予約のキャンセルをしていた。もちろん、家族の体調が大事だしそういう時に家を出て友達とご飯とかしてたら恨まれるというか捨てられてしまうかもしれない。そうなっては僕も困るというか、申し訳がない。
ちょっとだけ今日のことを飲みながら聞いてほしかったと思ったりしていたらお昼になった。
休憩時間中に池尻大橋駅方面のスーパーに行ったついでに駅のところにあるあおい書店に寄ったら、光文社古典新訳文庫からガブリエル・ガルシア・マルケス著/寺尾隆吉訳『悪い時 』が出ていた。寺尾さんはバルガス・ジョサ著『街と犬たち』などいろんなラテンアメリカ文学を訳されているし、一度古川日出男さんとのトークイベントに出演されていた時に話を聞きに行ったこともある。
『百年の孤独』文庫化ヒットによってガブリエル・ガルシア=マルケスブームが再びきたらいいのだけど、彼の名前を知っている年長の人たちが懐かしくてまた手に取っていたりすることのほうが若い人が読むよりは明らかに多いのだろう。しかし、こうやって他の作品も新しく出たりするのはありがたい。
夕方過ぎてからリモートワークもそろそろ終わるかなって思っていたら、この前退職した人から引き継いだ作業がどうも僕のところで途中で止まっていることがわかり、なんとか進めてみたものの、諸々の問題があって思ったよりも進まなかった。それでも20時まえぐらいまで珍しく作業をしていた。よかった家での仕事で。これで出社していたら家に帰ったら21時とか過ぎていたかもしれない。ありがとうリモートワーク。
その仕事中に前にユニットバスの工事の下見にきた業者さんから電話がかかってきた。まだユニットバスが届いてから出ないと正確な工事日程が出ないらしいが、早ければ11月末に遅くても年内には終わる工事が始まるらしい。
引っ越しして空いた隣の部屋でリモートワークをする時間は使わせてもらって仕事をして、工事が終わってから夜は自分の部屋を使えるということになっている。だけど、机も椅子も隣に動かせないし、ベッドも冷蔵庫もそのまま。作業用のノートパソコンは持っていけるが他の生活用品は動かせないのでかなり不便になる。
大家さんが費用を全部持ってくれるので文句は言えないが、これから寒くなるけど、家具も何もない部屋で座布団ぐらいは持っていってダンボールか何かで簡易的な机で作業すると思うとなかなか大変になるだろうな、と思う。
Spotifyで最新回が配信された『83 Lightning Catapult』をお風呂に上がってから聴いた。ユニットバス交換するまで普通にこの風呂に入り続けてやる、と決めているわけではないけど、寒くなってきたら湯船に浸かりたい。
11月12日
朝起きてからradikoで『空気階段の踊り場』『JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』を聴きながらルーティンの読書を開始。小林秀雄著『作家の顔』がようやく最後まで読み終わった。正直後半の方は読んでいても僕がわからないのもあるけど、おもしろみを感じなかった。
そのままブコウスキー著『詩人と女たち』の続きを。タイプライターを前カノに路上に投げられたりするチナスキー、女性が去っては新しい女性との関係が始まっていくのがずっと繰り返されている。やっぱり女性たちが能動的だけど、時代もあるのかもしれないが詩人ってそこまでモテるのかという不思議な気持ちに。まあ、盛っていてもいいんだけど、ある種の私小説だからそういうものに書かれたいという欲望を持っている人も少なからずいたのかもしれない。
9時前に家を出て歩いて10分ほどの歯科クリニックへ。上の左一番奥の歯がかけたのが舌で触るとわかるほどだったので、これはただ欠けただけなのか虫歯なのかを診てもらおうと日曜日夜に予約をしていた。
先生に診てもらったら前に詰め物をしていたらしく、その記憶がなかったけど欠けた部分のところから虫歯になっているとのことだった。とりあえず詰め物を取ってみて神経まで虫歯が進行していたら神経を取ってとかしないといけない。そもそも親知らずだから抜くという判断もありえるのだけど、削ってもらったら神経に届いていなかったようで新しく詰め物をしてもらってこの一日だけで大丈夫ということになった。
歯をチェックしてもらったら歯石をとったほうがいいよ、と言われたので近いうちに行くことにした。いやあ、ナイス判断だった。これを放置しておいて虫歯が進行していたら歯を抜くか神経取ってからの対応になっていた。
元々今日は10時15分から駅前の皮膚科クリニックの予約を入れていたので、その前の時間に歯科クリニックを入れていた。虫歯の治療がすぐに終わったので一旦家に帰ってから時間潰して駅前へ。
予約していても混んでいるみたいで30分過ぎたぐらいに呼ばれた。胸近くにできているできものというかニキビみたいなものがなかなか治らないのだけど、もうええでしょ、と言いたくなるぐらい治っていかない。薬を塗り忘れていることも多いけど、普通治るよねって思う。塗り薬も同じやつを出してもらって次の予約は来年一月初旬になった。吹き出物は潰したほうが早く治るんじゃないかなって思うけど、そこは悩む。
15時半から虎ノ門ヒルズにあるオズワルドシアターで映画の試写があったので、13時ぐらいに家を出た。月替わりで11月担当の『ロングコートダディのオールナイトニッポン0』を聴いて歩き出したけど、そこまで乗れない。声が自分に馴染んでいないからなんだろうけど。
オズワルドシアターまでは約二時間、その間に聴くものをどうしようかなって思ったけど、今日夜にSpotifyで配信される『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』『あのと粗品の電電電話』『ランジャタイ国崎の伝説のひとりぼっち集団』の前回配信分をおさらいがてら聴きながら歩く。着く前に終わってしまったので、そこからは音楽を選んで聴いていた。
ジェシー・アイゼンバーグが監督『リアル・ペイン~心の旅~』をオズワルドシアターで試写鑑賞。ジェシー・アイゼンバーグが監督だけでなく、脚本、制作、そしてマコーレー・カルキンの弟のキーラン・カルキンとのダブル主演作。
ニューヨークに住むユダヤ人のデヴィッド(ジェシー・アイゼンバーグ)とベンジー(キーラン・カルキン)は、亡くなった最愛の祖母の遺言で、ポーランドでのツアー旅行に参加する。従兄弟同士でありながら正反対の性格な二人は、時に騒動を起こしながらも、ツアーに参加したユニークな人々との交流、そして祖母に縁あるポーランドの地を巡る中で、40代を迎えた彼ら自身の“生きるシンドさ”に向き合う力を得ていく。
という内容だが、ジェシー・アイゼンバーグ自身がユダヤ人系アメリカ人で自らのルーツに触れる旅路がインスピレーションの源となっているらしく、実際の祖母がポーランドに住んでいたのかはわからないがよくポーランドを訪れていてポーランド語も堪能らしい。
同じ年生まれのいとこのデヴィッドとベンジーが祖母の生まれ育ったポーランドを訪れてツアーに参加する。そのツアーではユダヤ人の悲しい歴史である強制収容所を訪れることになる。
正反対の性格の兄弟のように育った二人、しかし現在の生活も真反対であり、誰にでも好かれる社交的なベンジー、しかし問題もよく起こしてしまう。彼の影に隠れるような大人しい性格のデヴィッドはこの旅の中でそれまでベンジーに抱えていた気持ちを吐き出すことになる。祖母、ユダヤ人の歴史を知ることで彼ら自身の痛みとも向き合おうとする物語になっていた。
ジェシー・アイゼンバーグとキーラン・カルキンは41歳と43歳と僕の下と上の年齢であり、この世代の祖父祖母世代は第二次世界大戦の時代に生まれていて、戦争を体験している人もそれなりにいる。祖父母と孫は隔世遺伝的に仲良かったりするようなもので、戦争の話を聞かされていたりする。
ちょうど祖父母世代が第二次世界大戦経験者というのも僕らぐらい40代までぐらいだろうから、彼や彼女が味わったこと思い出したくないこと、墓まで持って行こうとしたこと、そういう痛みを知ろうとするのも僕もわかるし、ジェシー・アイゼンバーグが描いていることにすごく共感できた。
全編作中でかかっているのはポーランド出身のショパンだった。それが作品のムードを作っているのもよかった。
日本でやるとしたら日系移民の子孫の人がアメリカとかから広島や長崎にやってきて原爆ドームや旧浦上天主堂を訪れたりするような物語になるだろうか。
実際に強制収容所のシーンではそこにいた人たちの靴が一箇所に集まっているところも映されていたが、『関心領域』にも同じようなシーンがあった記憶がある。
アメリカのロサンゼルスのリトルトーキョー近くにある全米日系人博物館に行った時にも強制移民させられた人々のものだった鞄や靴がたくさん展示されていた。その膨大な靴の数、どれだけ多くの人たちが命を奪われたのか、そのメッセージだけでも強く奥の方に響いて何かを鳴らし続けることになる。
ジェシー・アイゼンバーグが監督をするのは今作が二作目、前作である監督デビュー作『僕らの世界が交わるまで』は母と息子の関係性を描いていた(父も出てくるけどほぼいないに等しい)し、『リアル・ペイン~心の旅~』は祖母と孫(男子)という関係性であり、どうもジェシー・アイゼンバーグの作品は息子と母(あるいはグレートマザー)との関係性を描こうとしているっぽい。まあ、まだ二作品だからわからないじゃんということになりそうなものだけど、デビュー作にすべてが詰まっていると言われるけど、作家性の主軸はそこに出ていると思うので、このパターンで彼が物語を作っていく、語っていくんじゃないかな。
キーラン・カルキンがとてもよかった。ベンジーという人間の魅力と弱さ、ある種のトリックスター感も含めて素晴らしい演技だった。
帰りは電車でもいいかなって思ったけど、上映が終わったのが17時でこれから電車に乗って渋谷方面に向かうと混みそうだなって思ってまた歩いて帰ることにした。
帰る時に『アルコ&ピースのしくじり学園放送室P』(ゲスト:東出昌大後編)がいいタイミングでアップされていたので、それを聴きながら帰る。不倫とかがあってから山での生活を始めた東出さんの狩猟生活とかの話になっていった。
臭いが強いからビジエが苦手だという人がいるけど、それは仕留めてすぐに処理をしていない肉だとそうなってしまうとか、本当にいろんなことを勉強もしているし、その上での実際の狩猟経験があるのですごく聞いていておもしろいし、この人の魅力がより伝わる内容になっていた。
聴き終えたぐらいで『あのと粗品の電電電話』がアップされていたので聴いて、『ランジャタイ国崎の伝説のひとりぼっち集団』を待っていたけど、家に着くまでは更新されなかったのでCreepy Nutsとか星野源さんとかの音楽を聴きつつ、やってきた道を引き返すように戻って行った。
日が暮れるのは早いけど、まだ夕方になっても寒くはなかった。汗も出てるなって感じるほどでもなかったのでこのくらいが歩くのにはちょうどいい。
「ひとりぼっち集団」は千鳥の大悟さんとの飲み会の話をしていて、やっぱり国崎さんは一人で充分話せちゃってるし、トーク能力も高い。伊藤さん本当に帰ってくるのだろうか、あとダウンタウンチルドレンと言える影響下にある世代の千鳥さんや国崎さん辺りは松本さんが復帰するかどうかをどう思っているのだろう。特に同じ事務所の千鳥は否定できないだろうし、芸人にとって彼の復帰問題は踏み絵になってしまっているように見えてしまう。
『デデデデ』18話構成のアニメシリーズOP曲、
— 浅野いにお/Inio Asano (@asano_inio) 2024年11月12日
ano×幾田りら「SHINSEKAIより」が11/15に配信リリースされます!作詞作曲は僕が担当しました。↓のイラストもこの曲のための描き下ろし。配信開始までしばし待て。 pic.twitter.com/oHBqsroYHQ
浅野いにおさん作詞・作曲でanoと幾田りらが歌う新曲『SHINSEKAIより』がリリースされるらしい。ほう、二部構成の映画を18話のアニメシリーズに再構築したものがボックスに入るという話だったが、そのための新曲。なんだか『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』は終わらないみたい。「デデデデ」ファンにはうれしい一年だった。
寝る前に何冊か併読しているものの中に、中上健次著『鳳仙花』を加えた。少し読んでからwikiで中上健次のページを見て刊行された年などを見ると『鳳仙花』は1980年で僕が生まれるよりも前だった。この前読み終わった『地の果て 至上の時』は1983年で生まれてはいた。たった3年の違いだけど、『鳳仙花』の方が読みやすいと僕には感じられた。
『群像』でのいとうせいこうさんと古川日出男さんの対談の中で、
古川 僕の中では中上の重要な作品の系譜は、『紀州 木の国・根の国物語』があって、『千年の愉楽』があって、『奇蹟』がある。一方で『宇津保物語』とか、『南総里見八犬伝』を踏まえて大失敗した『異族』とか、読者からもこれは無惨な失敗だと思えるさくひんに対して、どう向き合うか。自分がやっても失敗するかもしれないという恐怖を持ってやることが、読者としてのお返しかなと思ったんです。
いとう なるほど、それは面白いですね。つまり、バトンを勝手に渡されていくということですよね。勝手に渡されていくことにすごく意味がある。
というやりとりがあった。それで『千年の愉楽』も並行して読んでみることにした。中上健次の作品はある程度は揃えているが、読もうと思えるタイミングとかもあるし、実際に読んでみようとチャレンジしてもその時には読めなかったものもあったりする。今は読める時期に入ってきているはず。
『異族』は執筆中に亡くなっているので未完の作品だけど、やはり漫画原作として書かれていた『南回帰船』同様に紀州からもっと広くアジアに目を向けようとしているし、それまでの彼自身のドラマツルギーを更新しようと企んだけど失敗したと言われても不思議ではない内容だったし、実際に読んでみて傑作だとは言えるものではなかった。
中上健次自身も50歳になる前に死んでしまうとは思っていなかっただろうし、それらの失敗を踏まえて辿り着くであろう小説や物語がたぶんあったはずで、そういうものを古川さんやいとうせいこうさんたちが引き継いでいるのだというのはわかる。読者として彼らの小説を読んでいるから。
11月13日
6時半に目覚ましで起きる。寒い。トイレに行ってから布団に戻ってから朝活がてらライティングモードに移行したいが無理。radikoで[『アルコ&ピース D.C.GARAGE』を聴きながらもう少し惰眠を貪る。平子さんが『ラヴィット!』で買った絵の話とか関西弁の話をしていた。
8時前に布団から出て、とりあえず朝のルーティンとしてトマトジュースやサプリを飲んだり、仕事前の一連のことをやってから机に向かってリモートワーク開始。作業用 BGMがてらradikoで『JUNK 爆笑問題カーボーイ』『星野源のオールナイトニッポン』『あののオールナイトニッポン0』を流していた。
先週お休みだった「あのANN0」は藤田ニコルの結婚式には行けなかったが二次会に行った話とか、仕事が多忙な中プライベートなトークがあったりした。端っこにいて華やかなモデルたちと絡むこともせずにメイプル超合金の安藤なつさんとずっと一緒にいたというあのちゃんらしいエピソードもあるけど、交流がある藤田ニコルをお祝いしたいという気持ちはちゃんとあるし、あのちゃん自身も成長なのか変わってきている印象を受ける。
リモートでは引き継ぎで教えてもらったことの続きをやっていたらすぐに時間が過ぎていった。ZOOMで手順とかは見せてもらったけど、実際に自分でやるとなると合ってるのかどうかわからないし、問題はやり方の流れを書いてもらったものを見ていてもそれにリンクしてあるサイトというかページに自分に権限がなかったりして入れなかったりして進まないとかがちょこちょこある。
親会社が変わってからレンタルしているPCも変わったり、組織が変わったりしていくと前は使えたものや権限があったものが使用すると費用が発生するとかで、あまり使わなくなったりしているといつの間にか僕のアドレスでは使えなくなっていたりしていた。そのことを知るためにはその作業をしないといけないので気づかない。
経理関係とかのことだったり、支払関係のことをしばらく外部発注していなかったのもあって、使えなくなっていることにまったく気づかなかった。で、引き継ぎで今回やることになった作業でそれらが必要だと知る。また、申請して承認を待つみたいな感じになる。
今までいた人がいなくなって、その仕事をやっていなかった人たちが引き継いでいく。慣れるまでの時間もあるし、すぐできる人も何回説明されてもできない人もいたりする。
一人の人がある作業を重点的にしていて、他の人がまったく関わっていなかったり、作業の流れを認識していないとその人がいなくなってからこんな風に困ったことになる。
辞めて転職して行った人とこの前会社に行った時にちょっと話していたらだいぶ前に辞めることは伝えていたけど、人件費とかの問題ですぐに引き継ぎの人を入れたりしなかったことで今回混乱しているのもわかった。
まあ、どこだってそんなもんだと思うけど、正社員が少なくて派遣が多くてちょっとアルバイトだったりすると派遣の人が長年やっている仕事ってその人しかできないものが多かったりするし、ただ別の人が派遣されたからなんとかなるわけでもない。わかっているはずなのにね、企業ってやつは。まあ、僕はバイトなんで特に発言権もないし、やることが増えても労働時間がちょっと増えるだけなのでさほど問題はない。他の人がしんどくなったりすると働きにくくなったりするからそれだけが心配。
A24の公式オンラインショップで購入していた『Everything Everywhere All At Once Screenplay Book』が作業中に届いた。先月末にアメリカから発送されていて、なぜか先週ぐらいから成田空港で止まっていた。連絡先を教えてくれって輸入配送手続きをする業者さんからメールが来て伝えていたけど、その後連絡がなくて急に届いた。
思ったよりも大きい! あとタイトルと監督名(ダニエルズ)の書体がいい(他のScreenplay Bookはこういう書体ではない)。発送用の段ボールケースもA24仕様なのもいい。
購入手続きした時は本体が$60で発送料が$24で、一ドルが140円だったから約12000円いかないぐらい。朝ニュースを見ていたら一ドルが155円台になっていた。そのレートだと13000円をわずかに越えるぐらいになる。
個人でアメリカから商品を買ってもそれだけの差は大きいなと思うと、海外から輸入したらこの円安によってどんどん厳しくなっているだろうし、日本自体が貧しくなっているから昔だったら普通に海外輸入していたものも他の国に買い負けるとか起きてくる。
いいものだけじゃなくて、中ぐらいの食品とかが買い負けるとどんどん普通の家庭や大きな企業じゃない飲食店なんかはもろに影響を受けてしまう。給料は上がらないのだから余計に外で買い物したり食事をするのも減っていくなど、結局不景気が長引くという悪循環に陥っていく。こんな景気にした人たちに責任を選挙で取らせないのだから、どうにもならないのだけど。
ヒロ・ムライとA24がサムライ映画『Bushido』製作へ ─ 『ミッドサマー』アリ・アスターもプロデュースに
『アトランタ』シリーズやその主演のドナルド・グローヴァーが音楽活動する際に名乗っているチャイルディッシュ・ガンビーノのMVなども作っているヒロ・ムライさんがA24と組んでサムライ映画を撮るらしい。なんか実写版『サムライ・チャンプルー』みたいになりそうな、なってもいいんだけど。日本で撮影するのかもしれないし、日本人俳優も出るかもしれない。そう考えるといろんな役者さんがヒロ・ムライ作品に出れる可能性もあるし、そこからアメリカへ、世界へのチャンスを掴めるかもしれない。
最近『アトランタ』シリーズを見直していて、シーズン3の4話でアーン(ドナルド・グローヴァー)たちメインキャラが誰も出ず、ある白人男性と娘が住んでいる家に黒人女性がやってきて、自分のひいひいひいお爺さんたちはあなたの祖先に奴隷として使われていたからその金を、賠償金を払えと抗議しにくる。そのムーブメントはどんどん広がっているようで白人系の人たちは自分たちの先祖が行った奴隷を搾取したことを償わされていくという内容で、かなりインパクトがある。
白人からすれば先祖が行ったことを言われても、ということなのだけど彼らがある程度豊かな生活をしていい大学に行っているのもそういう歴史の連なりにあるのだから、責任はあるだろうという皮肉であり、このドラマは時折メインキャラが出てこないがこういう世相を反映したエピソードを入れてくるのがシーズン毎に増すようになった。
そういう作品の監督がヒロ・ムライさんなので、『Bushido』がどうなるのか怖くもあるが観たい。
11月14日
目覚めが悪い、何か夢を見ていような気がするがまったく思い出せない。今日は休みでお昼から予定を入れているのですぐに起きなくてもいい日。横になってradikoで『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』を聴く。
佐久間さんがYouTubeの案件で『グラディエーターⅡ』に出演しているポール・メスカルとデンゼル・ワシントンのインタビューをすることになった話をしていて、ちょうど土曜日にIMAXで観るつもりでチケットを取っていたのでナイスタイミングな話題だった。
どういうことをインタビューで二人に聞いたのかはラジオで聞けばいいのだけど、終わった後にデンゼル・ワシントンが好きらしい寿司について、オススメのお店を聞かれた佐久間さんがいくつかお店を伝えてその場にいたスタッフさんがメモをしていたらしいのだけど、佐久間さんみたいにいろんなお店に通っていて、さらには食通の人と知り合いで教えてもらっている情報から先に出したお店は予約がおそらく取れないから人聞きではあるが聞いた情報をデンゼル・ワシントンに伝えると大喜びだったらしい。
トークの中で10年ぶりとかに日本に来たらしいデンゼル・ワシントンについて、日本の食事が好きじゃないと来るわけがない(トム・クルーズは別として)と言っていた。実際に円安で洋画がヒットしなくなっている日本に海外のスター俳優が来るメリットはもはやない。あるとしたら本当に日本が好きだったり、食事で好きなものがあるかだけ、というのもそこまで大袈裟ではないのだろう。
佐久間さんはここで情報としてデンゼル・ワシントンにある寿司屋のことを伝えた。もちろんインタビュー自体がうまく行っていて、二人がかなりテンションを上げて話してくれたことも大きいだろうが、トドメというか食という武器が最後に出た。食というツールでデンゼル・ワシントンは完全に機嫌をよくしている。
仕事ができる人だから食にも詳しいとは限らないけど、こういうことを聞くとやっぱり知識だけではなく実際に足を運んでいるとか、そのことで知り合った人からのネットとかには出ていない情報を知っていることが大きいんだなってわかる。
12時半ぐらいに外苑前駅近くのGAGA試写室に着くイメージで11時半前に家を出る。「佐久間ANN0」でも曲をかけていたとんねるずの『一番偉い人へ』を聴いたり、Creepy Nutsや星野源さんの曲で好きなものを選択して聴きながら初冬の散歩を。渋谷の宮益坂を上って青山方面に向かって歩く。青山通り沿いで行列が出ているなって思ったら「I'm donut ?」だった。やっぱり今でも並んでるんだなあ。
GAGAの前に着いた時にはまだ試写の受付も始まっていなかったので、青山墓地をぶらぶらと歩く。僕が好きな『アンダー・ザ・シルバーレイク』という映画には墓地が出てくる。そこからインスピレーションを受けて日本を舞台にする赤坂と青山メインで墓地なら青山墓地だなと思っているし、日比谷とかに行く際にはここを抜けて乃木坂に出たりするので知っている人のお墓があるわけではないけどちょくちょく足を運んでいる。
GAGA横の通りをまっすぐに歩いていくと僕が日比谷に抜ける時に歩いている十字路に出る。そんな風に地図というよりも歩いて位置を体で把握している。『アンダー・ザ・シルバーレイク』はGAGAが配給していたから冒頭では「GAGA」のロゴが出る。そういうことが僕の中では繋がっている。
1974年に映画化作品が全世界を熱狂で包んだ官能文学の傑作「エマニエル夫人」を、ヴェネチア映画祭金獅子賞を受賞した新鋭監督オードレイ・ディヴァンが、新たな解釈で現代に甦らせた作品。主演は、『燃ゆる女の肖像』(20)、『TAR/ター』(23)のノエミ・メルラン。2024年、スペインのサン・セバスティアン国際映画祭にて、オープニング作品としてワールドプレミアを迎えた話題作。エマニュエルは仕事でオーナーからの査察依頼を受け、香港の高級ホテルに滞在しながらその裏側を調べ始めるが、ホテル関係者や妖しげな宿泊客たちとの交流は、彼女を「禁断の快感」へといざない――。
オードレイ・ディヴァン監督『エマニュエル』試写で鑑賞。『エマニエル夫人』を観たことがない実はない。だが、今作は『エマニエル夫人』のリメイクではないとのこと、元々は小説があってそれを1974年も映像化している。今回も原作を元にオードレイ・ディヴァン監督が現在の香港に舞台を移して描いているのが今作ということらしい。
主演のノエミ・メルランは魅力的なのだけど、なんだろうな裸のシーンや性行為のシーンもあるけど官能的っぽいとは思うけど官能的ではない、というか。エロティックさが感じられない。
監督があえてそういう作りにしているのかもしれない、フェミニズム的な解釈でそういう演出になっているのかもしれない。だとしてもジェンダーで違いがあるのかもわからないけど、これって女性は観て官能的でエロティックだなって思えるのだろうか。
僕はまったく思えなかったし、香港を舞台にしているけど前半はずっと高級ホテルの中でのシーンが続いて、最後の方でようやく香港らしい場所が景色になっている。ヨーロッパから来た白人であるフランス人女性が仕事でホテルのことを調べている、働いているのはアジア人がほとんどで、見方によっては白人に支配されているアジア、というか、昔の香港そのもの感もあるのでその辺りはエキゾチックな雰囲気を出したかったのだろうけど、もう少し撮り方はあったのかもしれない。
一番気になる存在がケイ・シノハラというホテルにずっと滞在しているけど謎の人物であり、観ている間ずっと最近どこかで見たばかりの人だなって思いつつ思い出せずにいた。帰ってからネットで調べたら二日前に試写で観た『リアル・ペイン』にも出演していたウィル・シャープさんという俳優だった。二作品で受ける印象がまったく違うから同じ人だとすぐにはわからなかった。
もちろん、昔の『エマニエル夫人』のような官能的なエロティックなものを現在でやるとしたらという挑戦なんだろうけど、もっと踏み込んでもいいような気がした。単純にこの監督と僕の考える官能的なものやエロティックというものが違いすぎるだけかもしれない。
歩いて帰っている時に池尻大橋駅にあるあおい書店に寄ったら明日発売の講談社文庫がすでに出ていて、書こうと思っていた長嶋有著『ルーティンズ』を購入した。
長嶋さんの小説は誰かを好きになったり、思いたいなという気持ちだったり、家庭とかを持って誰かと一緒に生活をしたいなと思わせるものが多い。そういう気持ちにさせられる小説家だと僕は長嶋さんぐらいしか思い浮かばない。
夕方過ぎてからニコラに行って、アルヴァーブレンドと黒いちじくとマスカルポーネのタルトをいただく。タバコを三本ぐらい吸って一服して曽根さんたちと少し話をする。一週間のうちでのんびりしていて落ち着く時間。
11月15日
SHINSEKAIより / ano × 幾田りら
日付が変わってから浅野いにおさんが作詞作曲した『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』のアニメ用の主題歌が配信でリリースされた。
凛として時雨のTKが作曲した『絶絶絶絶対聖域』と比べるとインパクトはあまりないけど、幾田りらとanoがそれぞれアーティストというより声を当てた門出と凰蘭として歌っているような楽曲だった。
世界初のコンピュータのバグは一九四七年、ハーバード大学のテストコンピュータに紛れ込んだ一匹の蛾によってもたらされた、とされる。ここにも別種の、二つの異なる位相にあるレベルの、他方から他方への侵入、言い換えれば異なる二つのレベルの〈交流〉が見られる。コンピュータからすれば、蛾とは思考不可能な、語り得ない対象だ。一匹の蛾(バグ)、それはコンピュータに不可逆な全的変容をもたらすかもしれない、予測不可能な外的要因、すなわちコンピュータにとっての〈外部〉に他ならない。
木澤佐登志著『終わるまではすべてが永遠:崩壊を巡るいくつかの欠片』P298-299より
シミュレーション世界を変容させるバグ、それはもしかしたら霊や怪異のような存在としてこの世界に現象するのかもしれない。この視点を一九九八年の時点で取り入れていた瞠目すべき小説作品こそが鈴木光司の『ループ』に他ならない。『リング』三部作の掉尾を飾るこの作品は、コンピュータで再現された三次元の仮想世界が重要な役割を果たす。そこでは、『リング』と『らせん』の舞台であった世界が実はシミュレーションの世界であったことが明かされる。この、『ループ』 と名付けられた仮想世界を律するのも、メタレベルとオブジェクトレベルという存在論的に異なる相容れない二つの秩序と、それら秩序の間の断絶である。作中、シミュレーション世界を制作した研究所のスタッフが次のように発言する場面がある。
研究所のスタッフにとって、この仮想世界「ループ」は認知可能です。でも、「ループ」に生きている知的生命が、創造主であるわれわれを認知するのは、絶対に不可能なのです。彼ら にとって、われわれはまさに神そのものでしょうねえ。ループの内部にいる限り、彼らは世界 の仕組みまでは理解できない。唯一可能になるとしたら、外部に出ること。ほかにはあり得ません。
木澤佐登志著『終わるまではすべてが永遠:崩壊を巡るいくつかの欠片』P311より
寝る前に併読していた小説を読んでいる時にふと目に入ったこちら。残り四分の一ぐらいになったまま放置していて、寝るまでに読み終わろうと何故か思えて最後まで読んでいたら深夜一時半ぐらいになっていた。
木澤さんが最後のあとがきで書いていることは「外部」が消えてしまった世界のことなんかを考察しているのだけど、その中に鈴木光司さんの『ループ』を引き合いに出している。以前に僕も『ループ』のことをもう少し考えたら「平成」というものがもう少しわかるんじゃないかなって思ったことがあった。そもそも書こうと思った作品のことを考えていくと構造的には「リング」シリーズにおける『ループ』みたいな設定になるなって感じたのだった。その頃にはマーク・フィッシャーの著作も読み始めていたし、「幽霊」という概念のことを考えていた。
貞子(リングウイルス)がビデオテープを再生して見てしまうと一週間後になくなってしまうという呪いだったのに、映画シリーズのヒットによって本当にコンピューターウイルスの方に拡散されていく存在となってしまった。映画シリーズにおける「貞子(リングウイルス)」と鈴木光司さんによる「リングシリーズ」の貞子はまったく同じではないというのが実は大きなことだけど、ほとんどの人がイメージする貞子は映画の井戸やテレビから出てくる存在になってしまっている。
小説の方ではネタバレしているが引用したように『リング』『らせん』の物語はシミュレーション世界での出来事であり、それを作った世界が現実世界になっている。『リング』の映画を観たり、小説を読むとホラーなのだけど、シリーズを読んでいくとSF 作品だった、SF的な構造で作られていることがわかる。僕はそれがすごく面白く感じたし、ちゃんと語られていないけれど「平成」という時代を表象する作品の一つだと思っている。
『終わるまではすべてが永遠:崩壊を巡るいくつかの欠片』の装幀はいいなと思っていたが、蝶ではなく蛾(バグ)が描かれているのもとてもこの書籍をしっかりと表している。小説でもいいし、映画でもいいけど、舞台となっている世界以外の別の時間軸の世界や可能性世界も描く際に蛾を出してみるというのは最初のコンピュータバグ的な意味合いとしていい。蛾を潰してしまったあとに手で触ってみたりするとわずかに残ってしまう鱗粉、それが他の世界や可能性世界を仄めかすのはいい入り口だなって。
8時前に起きてからちょっと朝のルーティン。来週頭に健康診断があるので検便のためにトイレで設置して二回のうち一回を取ろうとしたが、難しい。なんだろうなあ、毎回検便のやつって取れたなと思ってもケースに入れると思ったよりも取れてない気がしてしまう。便が柔らかい人や下痢気味の人にとっては難し過ぎないか、検便で取るの。
リモートワークを開始。昨日寝る前の読書タイムで『四千頭身 都築拓紀のサクラバシ919』を聴いていたので、『ハライチのターン!』から開始し、『JUNK おぎやはぎのメガネびいき』『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0』といつもの金曜日の作業用BGMを作業のお供に。
引き継ぎされた作業を流れを書いてもらっている資料を見ながらやっていたらあっという間に時間が過ぎていく。お昼になって休憩がてら駅前のスーパーの惣菜を買いに行った時に書店を覗いたが、昨日『ルーティンズ』文庫版を買っていたのでめぼしいものはなかった。
夕方から引き継ぎ関連の作業をオンラインで繋いでやっていたが、思ったよりも時間がかかってしまった。でも、人に伝える時に再確認できていることで多少は自分の中で固まってくる感じもする。ただ、本当に合っているのかという疑問は頭から離れない、自信は回数をこなしてOKが続かないと出てこない。
リモートワークが終わってからSpotifyのポッドキャスト『トム・ブラウンのニッポン放送圧縮計画』最新回を聴きながら小休憩。得意なものが一番トークとかでも話せるし語れるということから、ロン毛の方の布川さんが「風俗」にはメチャクチャ行ってるからって話出してから何故か「風俗」を「風(ふう)」と言い出すくだりはなんかよかった。
風俗関係のお仕事をしている人からのメールとか多かったりするのは、二人が「風俗」とかに行くのも普通に話していることで親近感があったりするのかな。
自分の作品用のライティング作業をするが、『終わるまではすべてが永遠:崩壊を巡るいくつかの欠片』を読み終わったこともあって、「蛾(バグ)」が出てくるシーンと蛾が潰れて手についた鱗粉というエピソードを入れることにした。〆切まで一ヶ月を切っているけど、そういうネタも入れつつ進めていく。
今回はこの曲でおわかれです。
千葉雄喜 (Yuki Chiba) ー 誰だ? (Dareda?) [Official Music Video]