眼鏡を失くした。というかたぶん昨日友達たちと行った友達カップルが経営している焼き肉屋に忘れてきたのだと思う、いつか見つかるだろう。ガチャ目だから右目がぼんやりしている。
このところ考えていることがあってそれは期間としたら一ヶ月半ぐらいのことだけど、うちの近所にいる猫の事だ。猫は二匹いてチャシーとマクロという名は体を表すまんまんの名前だけど隣の家の飼い猫(ほとんど放し飼い)なので隣の家では本当の名前で呼ばれているんだと思う。まずは僕が今のアパートに越してきた時には彼女たちの母猫である強欲がいた。この猫はガメついからだったからこんな名前をつけた。やがてどこかの雄猫に孕まされて二匹の子猫が生まれたのがチャシーとマクロだった。
子猫の頃から餌で釣って遊んでいたからずっとこの二匹は餌をもらいにくるようになった。母の強欲は道路を挟んだ向こうの猫がたくさんいるマンションに移動した。
僕は元々猫とかに興味はなかったのだけど付き合った彼女が猫好きだったからという理由で餌をやってそれを写メに撮ってメールしていた、それが年月が流れてラインになった。
猫たちは、マクロは最近あまり来ない。チャシーは帰って来るとご飯だとばかりドアを開けようとするとやってくる。魚肉ソーセージを与え続けてもう五年とか六年近く経ったのだと思う。
餌をやりながら食べている仕草や普段の猫らしさを携帯で、今はスマフォになったけど撮っては送っていた。そういう行為がそれなりに二人の間を繋いでいた。僕にとって猫という存在はそういう気持ちのある種の具現化みたいなもんだった。
で、彼女と別れても帰って来るとチャシーはやってくる。まあ、魚肉はあげるんだけどもうインスタグラムとか画像を撮って送ることもないわけで、なんだか宙ぶらりんな気もする。かといって猫を邪見にもできない。
結婚して子供がいて離婚した時の子供の存在ってチャシーみたいなものにもしかしたら似ているのかななんて最近は思ってしまう。関係性の中で、個と個とを結ぶ存在は個と個が離れていくとどうなってしまうんだろう。気まぐれな猫は存在しているけどもう繋ぐものではなくなってしまった。
乙一さんの小説に『しあわせは子猫のかたち』っていうのがあったけど僕らの間の子猫はどこかに行ったんだろうなって。それぞれ違う子猫みたいなものを違う誰かと探すのに時間はかかるのかもしれないけどそれぞれが新しいものを見つけれたいいなと思う。
- 作者: 乙一,羽住都
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2000/12/26
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