Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『甘いお菓子は食べません』


 『Them』一号も良かったし二号もパッと見でいいなって思えた。レディ・ガガアラーキー撮ってたりしてて、どこの出版社だ?とみたら月刊EXILE別冊でLDH(ラブドリームハピネス)だった。
 儲かってるからできることって大事やねと思った。いい紙だろうし、写真もいいしこういうの作るにはやはりマネーがいるよね。『スヌーザー』もあの判型で写真もたくさんあってすごく好きだった。だけどやっぱり費用がかかっちゃうんだよなあ。



【記者ノート】連作短編が増えた理由
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20140430-OYT8T50333.html?from=tw
↑最後の方の「実はこの連作短編の流行は、重厚な長編を読み通す力やキレを味わう感度を、私たち読者が失いつつあることも遠因なのかもしれない。ならばなおのこと、読者に「読む力」を取り戻させるきっかけとなるような力ある作品を期待したい。有無を言わさず、その世界に引きずり込むような。」ってえ?っていうか。


 映画でオリジナルの企画が通りづらいのと小説で連作短編増えてるのは理由は近いんじゃないかなあ、それは経済的な理由がデカいと思う。
 連作短編大好きだしシェアワールドもの好物だけど、メガノベルとかを時間かけて味わう良さとかを読者に与えれなくて読者を育てることのできなかった出版社のツケがまわってんだろうな、ジャンルとしても思わなくもないけど。今そっちに読み手の身体性は惹かれないのだろう。僕の考えはネットの普及と関係しているということ。


 ゼロ年代メフィスト賞(大長編)の時代があって、今のこのディケイドはR-18文学賞(連作短編)の時代だろう。
 次の十年代を纏う流れはさやわかさんの新書『一〇年代文化論』的に言えば二〇一七年辺りに萌芽の時期や次のタームになるなにかが出てくる。もっと細分化(掌編×百とか)するか真逆に大長編になるのか小説というジャンルの滅亡か。と言いつつ今読んでるR-18文学賞受賞の田中兆子著『甘いお菓子は食べません』はめちゃめちゃ面白いしエグってくるし巧いよ!な小説で。
 連作短編みたいな形だけど次の読んでたらとある一行で前の作品と圧縮で繋げて素知らぬ顔して物語が進んでく。やっぱり連作短編は巧い人が書くと素晴らしく突き刺さってくるのになる。


 ネットが当たり前になると身体性のある自分とネットでのいくつかのわたしが同時に存在している。フィリップ・K・ディック作品の構造を僕らはまさに生きているから連作短編で主人公が変わり視点が変わるほうが至って普通なことであるから連作短編のほうが受け入れられてる気はする。そういう時代のそういう身体性で僕らは生きているから。
 ディックの『スキャナー・ダークリー』なんて麻薬捜査官がマークしてるのおとり捜査でドラッグの売人になってドラッグまみれな自分だからね。で、どちらが自分なのか不明瞭になるみたいな自我が分裂して同時に存在みたいなのはまさしくネットのある今の生活に通じてる。『ブレードランナー』のレプリカントがいい例だけど。


 連作短編とは違うけど岡崎京子著『チワワちゃん』で死んだある女の子について生前の知り合いとかが彼女について話すんだけど言うことがみんな違うし彼女の印象も違くて、初めて読んだときに自分って他人から見たらこんなもんだよなあ、つまり僕が他人に感じてることもこんな断片の連なりなんだなって。


百年の想像力を持たない人間は、二十年と生きられないと古川さんも書いてたにゃ的なチャシーさん。

Them magazine 2014年 04月号 [雑誌]

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Them magazine 2014年 06月号 [雑誌]

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一〇年代文化論 (星海社新書)

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ふがいない僕は空を見た (新潮文庫)

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甘いお菓子は食べません

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スキャナー・ダークリー (ハヤカワ文庫SF)

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チワワちゃん (単行本コミックス)

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