Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語』


総監督/新房昭之
監督/宮本幸裕
原作/Magica Quartet
脚本/虚淵玄
キャラクター原案/蒼樹うめ


悠木碧鹿目まどか
斎藤千和暁美ほむら
水橋かおり_巴マミ
喜多村英梨_美樹さやか
野中藍佐倉杏子





2011年1〜4月にテレビ放送され、第15回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞を受賞するなど高い評価と人気を獲得した「魔法少女まどか☆マギカ」の劇場版シリーズ第3作。全12話のTVシリーズを再構成した「前編 始まりの物語」「後編 永遠の物語」に続くストーリーで、脚本、作画も新たに描き起こされた完全新作の長編。鹿目まどかによって魔法少女たちが残酷な運命の連鎖から解き放たれた新たな世界で、まどかへの思いを果たせぬままに取り残された暁美ほむらは、ただひとり、再びまどかにめぐり合えることを信じて戦い続けていた。まどか、ほむららに続く新たな魔法少女百江なぎさが新キャラクターとして登場。(映画.comより)




26日初日の18時半の回をTOHOシネマズ渋谷にて。前の二作もここで観ていたので。最速上映会午前一時とかもあったり昼間とかに観ている人もいたのだろう、ハロウィンで浮かれる渋谷では若干の空席はあった、満席ではなかった。が祭り感は漂っていた。


アニメシリーズのまどかが魔法少女になりすべての連鎖(魔法少女がやがて魔女になってしまう)を無効化しほむらによって繰り返されていた彼女たちの魔女との戦いは消え去って魔獣との戦いに移行し、誰もまどかの事を覚えていない世界で唯一覚えていてまどかの意志を継いだほむらが魔獣たちと戦う場面で終わる。
もう、完璧なエンディングであり、押井守監督『うるせえやつら ビューティフルドリーマー』やゼロ年代で言えば『ひぐらしのなく頃に』シリーズの繰り返される日常≒平凡な戦場で生き抜く僕らの日々を、おそらくは新劇場版のエヴァンゲリオンも繰り返しをやっているはず(序破Q制作前の庵野さんの言葉に「エヴァは繰り返しの物語ですという一文があったはず」)だ。




まどマギの僕にとっての一番の面白さはその繰り返しでなんとかまどかを殺さないためにワルプルギスの夜に破れては時間を戻し再度、ほむらはまどかたちと再会しなんとかまどかを生き残すために彼女を魔法少女にしないようにしようと画策するがやはり魔法少女になって、ならずともワルプルギスの夜を生きては越えれない。しかし、まどかは魔法少女になることと引き換えにすべての魔法少女がそれにならずに魔女にならない世界を望むことでまどか自身が円環の理としてこの世界を再構築してしてまう、システムを書き換えてしまうという点だった。


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評論家の宇野常寛が本作には「戦闘美少女」の要素、「セカイ系」の要素、「バトルロイヤル系」の要素、「空気系」の擬似同性愛(百合)的なホモソーシャル空間(異性を排除した同性のみの空間)の要素、「ループもの」の要素、といったゼロ年代までに日本のサブカルチャー領域で流行した諸要素が劇中に効果的に散りばめられており、ゼロ年代の総決算といえる作品だと評し
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つまりこの十年代はそこから発展するか違うベクトルからなのかもしれない。『キルラキル』に永井豪的な80年代感とかがあったりするのはどういう流れに連なっていくのだろうかとか思いつつ。


僕は基本的に萌えとかないので、物語の終着地点(オチ)をとりあえず聞いてから見てみようと思ってテレビシリーズを見て面白いなって思ったので、新編でいかにあの完全にケリをつけた物語の続きを作れるのかだけの一点が観たい理由でもあった。以下は完全にネタバレ。





『叛逆の物語』ではアニメシリーズの最後では魔獣と戦っていたはずの魔法少女達が戦っているのはナイトメアになっている。
転校してきたほむらは他の四人の魔法少女達とナイトメアと戦う。まどかももう魔法少女になっている。しかし、前の記憶を持っているほむらはなにかが違うことを感じ、杏子に色々と聞いてみると杏子の口からは魔獣という言葉が出る。そして杏子がこの町に来る前に住んでいた町に二人はバスに乗って向かおうとするがバスは彼女たちのいる町から出る事はできない。マミと一緒にいるペペはオリジナルストーリーではあの三話のマミの首を持っていった魔女だったものだが、ペット並みに一緒にいてナイトメアを最後に始末するというか食べる役目がある。
ほむらはこの閉じられた世界はペペ(魔女)の作り出したものだと思い、ペペを殺そうとするがマミと一戦を交えることになる。
だが、ペペでもないことがわかり、さやかはどうやらこの世界の事を知っているような事がわかる。
そして、ほむらはこの閉じられた世界を作り出している魔女がやがて自分だったことに気付く。一番知ってはならないことを知る。
インキュベーターとのやりとりの中でこの状況がなぜ生み出されたのかが告げられるが、円環の理であるまどかはこの世界ではいわゆる神であり、ナイトメアを倒すために一緒に戦っていたまどかはほむらが作り出した世界でのまどかで彼女を自分が知っているはずのあのまどかとは違う。まどかを求める故に、神であるまどかを愛するほむらの想いが膨張し爆発して魔女ですらなくなっていく。彼女は神であるまどかと対等の存在である悪魔になっていく。


最後の方は正直に言葉にはし辛いというか説明はしずらい、映像が全てだし圧倒的なものが展開されていく。
まどかに対してのほむらが対の存在になって物語が終わる。もう、それはオリジナルストーリーで世界の理になって世界を再構築させたまどかに対して自身も世界の理になって神ではなく悪魔にすらなってまどかをもとめるほむらの存在によってまどマギは続編はもうないだろうなと、思わせるある意味では完全な終わりだと思う。
賛否両論はもちろん出るだろうが、僕はこの終わり方は創り手がきちんとまどマギを終わらすために必要なエンディングだったと思う。


この『新編 叛逆の物語』観ながら思い出したよ『摩陀羅』シリーズを。ほむらがユダヤでまどかがマダラじゃん!って。
『摩陀羅』シリーズは最初の始まりの大陸だけはマダラが主役で転生してマダラを追いかけるユダヤ、カオス、キリンが主人公になっていく。神≒魔王マダラを殺せるのは13番目の使徒であり青の眷属のユダヤだけという設定だった。ほむらはユダヤとは違うけどさあ、なんか近いものは感じたんだよね。まあ、もう誰も『摩陀羅』知らないか。

僕は天使の羽根を踏まない (徳間デュアル文庫)

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