Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『クロニクル』

朝、土曜日の『タマフル』のコーナーである「週刊映画時評 ムービーウォッチメン」の『マン・オブ・スティール』のポッドキャストを聴きながらバイトに向かっていた。だいたい最後まで聴くとバイト先に着くのだが時間的に。
で、来週は『地獄でなぜ悪い』かなっと思っていると都内で二週間限定な『クロニクル』やりたいなって宇多丸さんが言っていて二度目で当てた。
そういえば『クロニクル』って町山さんがラジオで『AKIRA』の影響を受けている作品だって言ってた作品かなってバイト先で準備をしながら検索したらわりと近くのTOHOシネマズ六本木でやっていたのでネットでチケットを取った。


仕事が終わってチャリで六本木ヒルズに向かうと近くのABC六本木のある通りの警察署で警官がたくさんいたのだけど刑務所とかに輸送とかするのかけっこうな人だった。あれなんだったんだろう?
時間が一時間ぐらいあったのでツイッターとかで時間を潰していると水道橋博士さんのツイートで堀江貴文さんが『水道橋博士のメルマ旬報』(http://www.webdoku.jp/premium/merumaga/page/s_hakase.html)に電撃参戦というものだった。マジか、本当にスーパノヴァだなあと思いながら、ここヒルズだし、『パシフィック・リム』の公開初日で隣りで爆笑してたのは岡村靖幸さんについて前号から緊急寄稿が始まった大根仁監督だった(たぶん、たぶんですけどね)からなんかメルマ旬報の執筆者と縁があるなと思っていたり。


水道橋博士のメルマ旬報』−編集者の自腹ワンコイン広告
http://honz.jp/32956
↑編集の原さんが書いてくださったもの。
で、『クロニクル』を。小さめの劇場だったし日曜日の20時手前の時間だったけどそれなりに入っている感じだった。



監督・ジョシュ・トランク
脚本・ジョシュ・トランクマックス・ランディス
キャスト・デイン・デハーン/アンドリュー、アレックス・ラッセル/マット、マイケル・B・ジョーダン/スティーブ、マイケル・ケリー/リチャード・デトマー、アシュレイ・ヒンショウ/ケイシー等


超能力を手にした高校生たちが、その力に翻弄されていく姿をドキュメンタリータッチで描いたSFアクション。平凡で退屈な日常生活を送る3人の高校生アンドリュー、マット、スティーブは、ある日、特殊な能力に目覚める。手を触れずに女子のスカートをめくったり、雲の上まで飛んでアメフトをしたり、3人は手に入れた力を使って刺激的な遊びに夢中になっていく。しかし、そんなある時、あおってきた後続車両にいら立ったアンドリューが力を使って事故にあわせたことから、3人は次第に自らの力に翻弄され、事態は予期せぬ方向へと発展していく。(映画.comより)





新鋭ジョシュ・トランクが語るデビュー作「クロニクル」までの道のり
http://eiga.com/news/20130927/12/


ブルーバレンタイン』のデレク・シアンフランス監督『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ 宿命』(http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20130525)にも出ていたデイン・デハーンが主人公(アンドリュー)なのだが『AKIRA』的にいうと鉄雄。というか鉄雄じゃんって最後の方まで観てると思わざるえない。
彼は若き頃の『バスケットボール・ダイアリーズ』ぐらいのディカプリオみたいな顔なんだが、実際はそれなりに年いってると思うのだがなにか屈折したものが表情にあってそれが非常にいいと思う。
で、カメラを回して日常を撮っている。ネクラというか社交的ではないし友達もいとこのマットぐらいだし学校でもいじめっ子みたいなのにからかわれている感じの気の弱い少年。マットはまあそれなりにパーティにも行くし女の子にも積極的にいくし正義感のある感じで、スティーブは黒人で生徒会長みたいなのにも立候補してて社交的な感じ。




パーティにマットに連れていかれるが外にいるとスティーブに声をかけられてマットと三人でなにか地面に穴が空いている所に連れていかれてそれをビデオカメラで撮るように言われ降りて中に入って撮影をする。そこに潜んでいた謎の鉱物のような光る物体にスティーブが触った所光りだして、なんとか逃げだすと三人には不思議な超能力のようなものが備わっていた。
前半はその力をうまく使おうと小さなものを動かしたりとか青春映画的に三人が楽しくその力を使ってふざけたりしている。
その事でアンドリューは二人と仲良くなって三人でつるむようになって明るくなっていく。ただ、彼の家では元消防士の父は酒浸りで母は病気でかなりヤバい状態にである。この事が後半に明るくなっていた彼に影を落としていく。


アンドリューはその力を三人の中でもうまく使いこなせるようになっていく。母の薬代のためにだったりとか負の連鎖もあり、彼が周りに対する劣等感や怒りが爆発してその力を他者に使うようになってしまう。そこからは『AKIRA』の鉄雄のようだと言ってしまえるだろう。暴れる彼を止めれるのは同じ能力を身につけた彼らだったりするのだけど……。
暴走してしまう力、負の側の意識からそれが発せられると本当に止めるのは難しい。三人は中頃で飛行能力をも身につけるがチベットに行きたいとアンドリューが言うのも話上重要な部分であると思うんだけど、それって『AKIRA』の宗教団体的なものの代理なのかなって終わった後に思ったり。


壮大な自主映画という感じがする。監督がやりたいことをやりまくったぞという達成感が感じられるような映画だった。彼らが超能力に目覚めるきっかけになったあの謎の物体については何も語られないし、そこには言及はされない。作ろうと思えばそれについての続編の物語も作れるのかもしれない。
AKIRA』が好きな人は本当に観てみたらいいと思う。なにか特殊な能力が、秀でたものを身につけてもその力や能力を怒りやマイナスの感情に任せてしまうとやはり不幸なことにしかならないし自分を過信してしまうのは危険だ。


ビデオカメラで撮るというある種のドキュメンタリー要素を入れているがビデオカメラに映る映像は極めて客観的だ。しかし、それがバリアのように外部という他者とのコミュニケーションの間にそれを入れていたアンドリューはやがて超能力で手で持たずにカメラを浮かして撮影するようになる。
画面を見ながらでも見なくてもたまに何が映っているかと観るだけでも客観視は失われなかっただろう、浮かしながら撮るようになってから彼は感情がコントロールできなくなっていくように見える。だから、彼が超能力を得てその力をうまく使いこなせるようになっても手持ちで撮影をしていたらあの終わり方にはならなかったのだろう。
なにかを映す事と映される事という行為の間にあるものについてなんだか考えてしまう。