Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『おじいちゃん、死んじゃったって。』『ビジランテ』


 メルマ旬報TVの収録に行ってからの『おじいちゃん、死んじゃったって。』からの〜『ビジランテ』先行上映なテアトル新宿dayだった。水道橋博士さんと原さんとお話をする。年に一回ぐらい順番が来るという感じですかね。今回は大塚英志+西川聖蘭『クウデタア』を博士さんにご紹介した。オンエアは来年の1月みたいです。




 家に一度帰ってから新宿三丁目に行ってテアトル新宿に。『おじいちゃん、死んじゃったって。』はおもしろかったなあ、役者さんたちの面構えも素敵だし家族つうか血の繋がりとか愛しくてめんどくせえ、を描いてて。いい映画でした。『おじいちゃん、死んじゃったって。』と『ビジランテ』は同じく父が死んだあとの息子たちの物語と言えるが内容は真逆なものだった。
 葬式における家族のバラバラさと気持ちのズレをある種コメディちっくに笑えるものとしても描いていた『おじいちゃん〜』と父性(権力・暴力)の象徴である父が死んだことで三兄弟が深谷を舞台に巻き込まれていくバイオレンス・ノワールが『ビジランテ』という感じでした。どっちも映画として楽しめました。この2作で対照的なのは女性の存在かもしれない。


 『おじいちゃん、死んじゃったって。』の女性たちはしっかりしているしタバコを吸っている。おじいちゃんの息子である兄弟はぐうたらでダメだ、彼らの息子たちもどちらかというとダメだ。嫁や娘たちがしっかりしているというわけではないが、彼らのダメっぷりによりすごくしっかりしているように見える。
 『ビジランテ』は家父長的な土着的な舞台なので男性性中心世界になっているので、暴力と性が嫌でも出てくる。そこでの女性は性の対象として彼らの性的なものへ奉仕させられる存在として出てくると言える。三男の三郎はキャバクラの店長だが、まあ出張デリヘルの店みたいなものだろう。そこで働いている彼女たちは体で稼いでいるがそこが疑似家族的なコミュニティである。三郎はそこでは父であり兄でもある。二郎の妻(篠田麻里子が演じている)は県議会院である夫を出世させるために役職につけるためにその自らの体を性的に利用して夫を上のステップにあげようとしているのが少しながらも描かれていて、実は彼女が一番強いかもしれない、母であり女としての武器を使い夫に権力のような力を持たせようとしている。ここではヒエラルキーではないが、性的なものを使っている女性にも対比が見られる。





 朝バイトを早上がりしてメルマ旬報TVの収録で水道橋博士さんと原さんとお話をする。その後テアトル新宿で『おじいちゃん、死んじゃったって。』を観て引き続き『ビジランテ』先行上映を、司会がメルマ旬報チームなコトブキツカサさんだった。たまたまがすぎる(笑)。