Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『ムーンライズ・キングダム』

 シネマライズにて金曜日から公開のウェス・アンダーソン監督最新作『ムーンライズ・キングダム』を観に。シネマライズで最初に観たのは二十歳の時に上京して観た『アメリ』だったか?どうも記憶が曖昧だが田舎から上京した僕には東京の単館系の中でも行きたかった映画館であり『ピンポン』を初日に観た時は僕たちの日本映画が始まったと興奮したものだけども映画の興行不振やなんやかんやで老舗(?)な単館系のシネマライズも地下はライブハウスなwwwになって寂しい気もするのは三十代過ぎの連中なのだろう、たぶんね。
 だけどここで観た好きな映画もいっぱいあるし、なんでこの映画館はこの監督押すのかと疑問もあるわけで、でもそういう好みがはっきりしちゃってる方が個性は出てていい。でもそれじゃあシネコンに勝てないし、まあこんな状況ですよね。



監督/ウェス・アンダーソン
出演/ジャレッド・ギルマン/サム・シャカスキー、カーラ・ヘイワード/スージー・ビショップ、ブルース・ウィリス/シャープ警部、エドワード・ノートン/ウォード隊長、ビル・マーレイ/ウォルト(スージーの父)など



ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」「ダージリン急行」のウェス・アンダーソン監督が、1960年代の米東海岸ニューイングランド島を舞台に、12歳の少年と少女が駆け落ちしたことから始まる騒動を、独特のユーモアとカラフルな色彩で描いたドラマ。周囲の環境になじめない12歳の少年サムと少女スージーは、ある日、駆け落ちすることを決意。島をひとりで守っているシャープ警部や、ボーイスカウトのウォード隊長、スージーの両親ら、周囲の大人たちは2人を追いかけ、小さな島に起こった波紋は瞬く間に島中に広がっていく。ウェス・アンダーソン作品常連のビル・マーレイジェイソン・シュワルツマンをはじめ、ブルース・ウィリスエドワード・ノートンフランシス・マクドーマンドティルダ・スウィントンら豪華キャストが出演。(映画.comより)



 友人の只石にお勧めされてつい最近ウェス・アンダーソン監督『ライフ・アクアティック』『ダージリン急行』を観て「面白いじゃん!」って、で最新作するから観に行こうと思って。客席は15時40分の回で半分ぐらいなのかな、観た感じだと。
 冒頭でサムが脱走してからスージーと駆け落ちした後ぐらいで少し眠気が。冒頭で『ライフ・アクアティック』とかでも多様されていた部屋とかカメラが横にズレて隣りの部屋や上の階を横から撮って移動していく感じ。あれでスージーの家の家族の関係とかを見せていく。
 サムといいスージーといい子役の顔の感じがふてぶてしいというかガキな感じがとてもいい意味でいい。




 ブルース・ウィリスビル・マーレイといったベテラン勢のおっさんどもの哀愁出てる感じがすごくいい。
 子供の対比としてのおっさんの現在というかくたびれ感。おっさんとはやはり哀愁があってなんぼなのだ。日本でこの哀愁が笑いに変わったのは松本人志のコントによって僕らぐらいの世代では受け止められた気はしている。
 『とかげのおっさん』は中学ぐらいでリアルタイムで見てる時にまったく笑えなかった、まったくは大げさだが笑いどころがわからなかったが次第に年を重ねておっさんに近づいて来るとあの哀愁をいかに笑うかというもの、おっさん≒かわいいものとしてもはや愛でるしかない(半分嘘)な状態になってくる。


 サムやボーイスカウトの仲間達やスージーという子供達のキラキラした時間がやがてはそうなっていくのだとしてもその瞬間の輝きやサムとスージーが駆け落ちするその速度はまさしくボーイミーツガールであり青春の輝きであって二人が恋に落ちて突っ走る感じは年を取りやがて恐れを知ると崖から飛び降りるような一線の先にあり、彼らはそれすら知らないから飛び込めるわけだが。
 その時間が1960年代を舞台にしながらも色鮮やかに、しかしながらもウェス・アンダーソン監督の視線が伺えるようなコミカルなテンションとテンポで物語が進んでいく。



 ウェス・アンダーソン監督の作品を全部観てないし彼がプロデュースな『イカとクジラ』も未見だが彼が描いているのは世界。その世界とは家族のいるコミュニティだ。しかもその家族はわりと変な(普通っていったいなんだろうかという疑問はあるものの、たいていの普通に見える家だって問題は抱えてるのは百も承知だけど)アンバランスな家族をコミカルにちょっと面白く描いている。
 家族間の問題を深くさぐって絆をもとめるようなウェットさはあまり感じられない。ドライにその自分のいる世界を捉えているようなだからこそそれすらもネタとしてとらえるような視線が彼にはあって、確か彼の母親が超デきる人でそういうのも彼の作品の中に反映されているような感じはある。ビル・マーレイ演じる父親はなんだかダメな感じがするのはしっかりしている母親の対比もあるのかしら。


 しかしビル・マーレイはおっさんの哀愁が増すほどになんだか好きになっていく俳優さんだな。エドワード・ノートンも『ファイト・クラブ』でブラピと殴り合っていたのになんだかベテランに。この作品に出ている少年少女はまあ時間軸的に現在生命のほとばしる中を現在進行形のteenなわけだから眩しくそしてなにか残酷なわけだ。
 ベテランの俳優たちの佇まいはどこか楽しんでいる気がしてしまう。こういう作品に出れるのはやっぱり役者として嬉しいのではないかと思える。それが醸し出されていて子供たち(≒映画自身)への優しい視線になっているように観ていて感じられた。


 観ていて僕が少年時代に観て大好きだった『グーニーズ』みたいなワクワク感もありつつ、こういうのを子供の時代に観れたらいいのにって思って。でもR-12なんだよ。なんだガキがフレンチ・キスして舌を絡ますのがいけないのか! 
 子供に冒険させないでどうすんだ。危険だからダメなのか、大人になったって世界は不確定で安定なんかないぞ。映画は人生の予行練習なんだからさ。