Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』

 TOHOシネマズ渋谷で『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』初観賞。レディースデイなので女性多めだった。


 ネタバレはもちろんですが僕は映画館でポップコーンを食べるやつが嫌いだ。隣の女子三人組が各自ポップコーンを装備してやがる。
 鼻がいいから匂いに敏感だからいや、ポップコーンはいやあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜(アスカ風)。
 本当に匂いは邪魔なんだよね、何かを観るのには。


ストーリー


 「ニアサードインパクト」から14年後。葛城ミサトをはじめ旧ネルフ職員らは、反ネルフ組織「ヴィレ」を結成し、ネルフエヴァを殲滅すべく活動していた。ヴィレはエヴァ改2号機(搭乗者:式波・アスカ・ラングレー)と8号機(搭乗者:真希波・マリ・イラストリアス)によって、衛星軌道上にネルフが封印していた初号機を強奪する作戦を実行する。改2号機は自動防衛システム「コード4-A」の妨害を受けるが、8号機の援護射撃でそれを突破。さらに初号機とともに格納されていた「コード4-B」の迎撃により窮地に陥るも、一時的に覚醒した初号機の光線によって助けられ、2号機は初号機とともに地球へと帰還する。



 ヴィレの艦艇「AAA ヴンダー」で目覚めたシンジは、ヴィレのメンバー、14年経ったミサトやリツコらと再会するが、「ニアサードインパクト」を引き起こした罪人として扱われ、もうエヴァには乗らないように警告される。ヴンダーは「ネーメシスシリーズ」4機の襲撃を受けるが、空中戦を展開しそれらを殲滅する。その戦闘後、リツコはシンジに、初号機から保護されたのは彼のみで、第10使徒から助けたはずの綾波レイは発見されなかったこと、そしてシンジが今後エヴァに乗りそれを覚醒させた場合、装着された首輪「DSSチョーカー」が発動し死ぬことになると告げる。そこに、ネルフエヴァMark.09がヴンダーを襲撃し、シンジを連れ戻そうとする。搭乗者・レイの声を聞いたシンジは、ミサトたちの警告を無視してネルフへと向かう。




 地表にあった第3新東京市が消滅し、荒廃したネルフ本部へ戻ったシンジは、碇ゲンドウから渚カヲルとともにエヴァ第13号機に乗るよう命じられる。シンジはレイが生きていたことを知り、さらにピアノの連弾を通してカヲルと親しくなり次第に元気を取り戻す。しかし、自分が14年前に起こした「ニアサードインパクト」が原因で一面真っ赤な荒廃した世界になったこと、そしてレイが自分の母ユイの複製体であり、自分の知るレイは助けられなかったことを知り、絶望する。第13号機完成後も、シンジは「首輪があるからエヴァには乗れない」「乗っても何も良いことはない」「誰も信じられない」とカヲルを拒むが、カヲルがシンジの首輪を外して自分の首に移し、さらに「第13号機がロンギヌスの槍とカシウスの槍を手にすれば世界をやり直せる」と説得したことで、第13号機へと乗り込むことを決める。(wikiより)




 そしてセントラルドグマ最深部に、フォースインパクトが。


 もうなにかぐっちゃぐちゃな展開で説明不足ふそ〜く、でも伏線バリバリに突っ込んでくるけど世界があれ????14年経っている?謎謎?これ次の『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』で回収できるの?絶対にできないだろ〜って思いながら観てた。
 冒頭は特撮短編映画『巨神兵東京に現わる 劇場版』から始まるけど巨神兵が最後たくさんいる辺りもなんか最後ら辺でできそこないのエヴァみたいなのが宙に舞ってるのを匂わすかのような。で『巨神兵東京に現わる 劇場版』の台詞というか言語担当が小説家の舞城王太郎氏だったりとかそういえばやってるって聞いたことあったけどなんで舞城さん?


 14年後の物語、眠りから目覚めたシンジ。しかし時間は経過している。ミサトたちは反ネルフ組織「ヴィレ」を結成しネルフと敵対し撲滅しようとしていた。しかしネルフを倒すための組織はどこから資金がバックには誰が?ゼーレの別回路としてのなにかなのだろうか。
 アスカもマリも変化はないがミサトたちは14歳経っている。エヴァパイロット、チルドレンの呪い、呪縛として彼らはシンジたちは十四歳から年を取らないという恐ろしすぎる設定が明かされる。


 英雄神話構造でいくとシンジが眠ってた時間は生の世界から死の世界へな感じかなあっと。帰還したら世界むちゃくちゃで理解できないし自分の贖罪のみ増えている。 終わらない夏だったアニメ版、十四歳の呪縛を設定でやるのは皮肉すぎていいなと思った。
 僕らよりも二十近く上な五十前後のクリエイターが作った九十年代が思春期だった三十代前後からしたらいつまで経っても十四歳が終わらない、九十年代が終わらない呪縛。本来なら僕らが彼らの時代を終わらせないと殺さないといけないのに。シンジたちチルドレンの呪縛は僕たちの呪縛みたい。


 で、冬月がシンジと話すシーンでシンジの母のユイとレイがユイのクローンであることとか話すんだけど、君が助けたのはお母さんのクローンよ、で今いるのは何番かめよみたいな。
 『破』の最後で「ニアサードインパクト」起きたのはミサトも後押ししたようなシンジ君あなたの願いのために行きなさい!みたいな世界の果ては大半の人々が死んでしまった世界だった。
 トウジの妹も出てきたりして、でヴィレの乗組員もシンジ嫌ってるし。まあ君のせいで彼らの家族や友達は死んでるだろうから仕方ないけど、ミサトが超冷たいし。シンジ居場所がどこにもないっ!


 問題なのは冬月がユイの旧姓が綾波だとか言い出して。????あれ?
 碇ユイと六分儀ゲンドウが結婚してゲンドウが婿入りして碇ゲンドウになった設定はどこに? つうことは碇ゲンドウ綾波ユイが結婚して碇ユイになったってことだよね。
 エヴァは繰り返しの物語です。と庵野さんは言っていたがこの『新劇場版』はどの時間軸なんだろう。『旧劇場』との時間軸とかわかりづらいな。
 碇ゲンドウが「碇」姓で最初からいるとすると旧劇場版世界ではない。繰り返すうちに変化しているもの。生き残ったシンジがやがてゲンドウを名乗りパターンなら碇姓はありだろうけども。時間軸がよくわからんね。


 カヲルとシンジの連弾。予告編でやってたピアノのシーンがマジで中盤の見所だったっていう・・・。アスカとマリ、シンジとカヲルのコンビ、同性愛的なもののコンビが今回は展開されていく。
 つうか加持はどこよ? 14年経ってたらミサト子ども生んでて加持が育児してるとかできるやん〜って思ったりして、まあないけども。


 伏線を回収しないで、すべてを語らない事によってファンが語り謎は謎のままだからこそ時間が経っても消費できるのがエヴァ、だから『Q』であれだけ????になっても問題なしだって伏線回収ほとんどしないでしょ、次作でと思ってしまった。
 『Q』は時間軸的に「序」→「破」→「Q」→『:||前半』→『序』→『破』→『Q』→『:||後半』説がネットで出てるけど前半バッドエンド、後半ハッピーエンドでいい気もするなあ。つうかとりあえず終わらせくれればそれでいい。
 あとマリの存在というか彼女はなんのキーなのか綾波ユイがシンジを抱いていた写真の中に写ってた人物に似ているわけだし、彼女はエヴァの呪縛とは違う呪縛によってあの格好のままでいる? でもパッと見はアスカのおかん+マリ的眼鏡と思ってしまった僕がいるのだが。だとしたらアスカが気付かないわけないし、でもマリの口元のあの感じはカヲルだし双子か?とか。アスカの母親は自殺してるはずだけど今回の新劇場版ってその設定はあるのかないのか。ユイが綾波と旧姓が変わってしまってる世界だからそこに変更か?
 マリとカヲルは『まどマギ』のほむら的ポジションなのかな。ゲンドウ君と呼んだりとかユイと関わりがあるのは間違いないわけだが。
 シンジが支給されたトウジのワイシャツ、彼が唯一着ていたのは旧劇場版な世界で一回だけだっけ? 確かに旧劇場版のあとの連なりだと加持さんもう殺されてるから出れないわあなあとか。


 僕が思い浮かべた第四部『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』のハッピーエンドの予想&妄想。
 シンジたちの十四歳の呪縛は次作でシンジとアスカが生き残ってセックスしたら子供できんのか? 生まれても子供は老いてくけど二人はあのまま? 完璧に神話じゃね?と思いつつ。
 シンジの母はユイ(唯)、ユイのクローンはレイ(零)、シンジとアスカ(明日の香り)の子供、アをつけたらアイ。神の児(シンジ) の子は愛。キリスト教の三位一体、精霊という名のクローンもいるし。


ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」テーマソングは宇多田ヒカルの「桜流し」、YouTubeにて公開中
http://gigazine.net/news/20121117-evaq-sakuranagashi/?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
↑歌詞の最後「どんなに怖くたって目を逸らさないよ 全ての終りに愛があるなら」でこのPVでしょ、生まれるんじゃないかなあアイが。前編がバッドエンドだとすると人類全滅ならハッピーエンドは絶望の中にある希望だろうし。果たして『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』公開はいつなのか。


『ぼくたちの時代を終わらせるために』 2007年09月15日 mixi日記


 まあ、話は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』になりますが新劇場版が作られる前までは『エヴァンゲリオン碇シンジの碇って漢字に・・・』という自己紹介をしていたこともありました。だって名字言ってもわかんねえんだもん。伝わらねえんだもん。


 同世代かエヴァを見てる人には碇が読めるんだけど、すっげえおっさんとか年いってそうな年配の人には碇って読めない、まあ習わないし常用漢字じゃないから仕方ないんだけど。
 

 碇泊って読めますか?ちなみに『ていはく』です。
 使わない漢字なんです、イカリってどっちかというと錨の金のほうを使うから石のほうの碇って使わない。
 この漢字が付いてる名字だとどう考えても農作業をしていた家系ではなく、海関係の仕事をしていたから付いた名字なわけです。
 碇は英語だとアンカーってことだから、川を渡る舟には碇はいらないし、やっぱり海ってことになる。


 碇シンジに付けられた碇という変わった名字はやっぱり総監督の庵野さんからの意味があって、船の碇というのと友達の碇さんって人からきてるらしいんだが、船は碇がないとそこに止まっていられずに流されてしまう、人類補完計画という大きな流れに巻きこまれる主人公の名字が碇っていう時点で意味がないわけがない、とても意図的なものに感じる。
 僕の感覚としては中学ぐらいの時にリアルタイムで見て、劇場版を高校で見た世代なのですが、エヴァが社会現象だったことがわかるのは同世代の人には碇が読めるということです。
 そんな中いきなり発表された新劇場版ですが、いろんな人からのネタバレやポッドキャストなどで聞いた内容などわかったつもりで観に行ったらやられた。


 庵野さんそこに行くのかって。


 確かにテレビ版のヤシマ作戦までなぞっている。
 序・破・急と続くシリーズの初っぱなの『序』は確かに『破』を期待させる創りだし、スタッフロール終了後の『破』の予告編もこれはどうなるんだと観に行かせる気にさせる。
 『破』は物語が一気に加速していきそうだし新キャラも出てくるとかいろいろと期待させる。


 『エヴァ』は90年代を代表するアニメで、その頃だと援交やオウム事件とか失われた10年とかなんかそんなことが結びついて、この作品は時代を現すものになったんだと思うけど、あの頃ってなんだったんだろうという感覚があって。うん、世紀末だったしなにかがカオスってたような気もする。
 気が付いたら僕らは『ロストジェネレーション』とか呼ばれていたり名付けられたりしていたりする。


 あの頃の閉塞感とか日本の状況とかでシンジが『逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ』と言いつつ世界のせいにして自分を守り他人を拒絶する態度は届いてしまったし、自我でもあるATフィールドを全開にして他人から逃げるように引きこもってしまった人もたくさんいるだろう、それは現在進行形で続いている。
 でも00年代の今、あの頃の僕達と同じ年代の中高生にはもう同じことをしても届かないだろうし、届かなければきっと庵野さんも創る意味がないだろうから、いやでもテレビ版のシンジとは変わってくると思う。


 届けるには速度が必要で、誰にも届かない速度の創作物はさして意味がないはずだ。


 10年前なら援交してブランドもん買って着飾って虚無を満たそうとして逆に虚無と心の傷を増やしながらも現実に生きていた女子高生や部屋の片隅でバタフライナイフを握りしめて世界を呪詛していた少年に届けるべき速度がこの作品にはあったはずだ。
 だけど今の中高生に同じものは届かない、彼らはかつての彼らと同じではないから、あの頃とは違う速度が必要なはずだ。
 それをわかった上で庵野監督はこのシリーズを再構築し創作していると思うし、思いたい。


 ただ、庵野さんの「所信表明」での言葉。
 『エヴァ』はくり返しの物語です。
 これは意味深だよなあ、観た人はわかると思うけど。
 たぶんこの作品を再構築することで新しい表現をすると共に庵野監督は自分にとっての90年代を終わらそうとしてるのかもしれない。


 このイメージは僕が好きだった作品『摩陀羅』からによるものだ。僕はそのシリーズが好きだったし、あるいはライナスの毛布のようなものとして『エヴァ』より以前から僕の側にあった。
 原作者・大塚英志氏が『摩陀羅』シリーズの完結編として書き出した小説『MADARA MILLENNIUM 転生編1』の後書きにはこう示してある。


 世紀末が近いというのにぼくは80年代を終らすことが未だに出来ていない、という思いにかられることがある。若い君たちには理解し難い感覚かもしれないけど、90年代に起きたことは全て80年代の反復というか出来の悪いパロディでしかなく、つまりそれは10年前のー89年の夏をぼくたちが終らせそこねたからじゃないのか、という気がしてならない。
 メディアミックスに翻弄されその意味で終わりそこねていた無惨な物語としての『摩陀羅』を1999年に終らせよう、終らせるために書き始めよう、と思ったのは多分、そんな理由だ。『摩陀羅』もまた「あの夏」に終わりそこねた物語の一つとして、いわば80年代の残滓として僕の中にある。「転生編」が十年前の夏の日から始まるのはそれ故だ。
 あの夏の日。
 彼女たちは海辺に横たわり、本当はどこに行こうとしていたのか。
 ぼくたちはどこに行きそこなってしまったのか。
 多分、書かなくてはならないことがあるとすればそのことだ。
 だからこれはとても個人的な小説だ。
 けれどもこの個人的な問題は多分、君たちにも共有されるはずだ。
 何故なら君たちも終わりそこねた時代の中にあるからだ。


 まあ、なんだかんだ言ってもこの人は出版社とケンカしては作品が途中終わりになることはお家芸とも言える人で、結局この作品も角川から1巻出ただけで、のちに徳間書店から『僕は天使の羽根を踏まない』として加筆修正して『摩陀羅』の名前さえ消して完結した。
 小説としては駄作というかずっと付いてきたファンにとってはなんやねん、この終わりはという感じなのでファンの中では終ってない状態になっている。
 何がいいたかったというと庵野さんにこの後書きに近いことを考えて再構築をしたのではないかという気がしているから。
 それにしてもテレビ版では最後の方に出てきた渚カヲルが早々と登場するが彼の放つ一言はどう考えてもタチが悪い。
 庵野さんの『所信表明』を具現化してるようでもある。 庵野さんはこの作品をどう終らす気なんだろうか、『破』『急』が楽しみではあるけど不安です。


 渚カヲルの名前の由来は、映画監督の大島渚から(渚は海関係の言葉である)。または姓は偏と旁を分けると「シ者」、すなわち使者(→使徒)であり死者、名前は「オワリ」をアイウエオ順で1字後にずらしたものから「カヲル」、姓と合わせると「シ者オワリ」→「渚カヲル」となる言葉遊び。らしいよ。


 碇と渚とか海関係が多いってのはやっぱり生命の源である海=母性がキーワードの物語だからなのかな。
 母親からこの世に生み出された時に全ての生命は孤独になり他者との境界線ができる。
 生きることは触れ合いを避けれない、触れ合いは温かくてそして怖い、きっとそういうことを表現する物語が『ヱヴァンゲリヲン』シリーズなんだろう。
 それにしても渚カヲルの発言はタチが悪い。
 ほんとに終らせられるんだろうか、この新劇場版シリーズは。


ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」+「文化系トークラジオLife
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20090629


庵野秀明式日
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20081117


真希波・マリ・イラストリアス 2009-04-26
 朝から大雨、観に行こうと思っていた「鴨川ホルモー」は延期にした。今日から「交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい」が公開、モーニーングとレイトショーしかないので行くタイミングが難しい。


ヱヴァンゲリヲン>新ヒロイン「マリ」は“メガネっこ” 詳細イラスト公開
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090425-00000001-maiall-ent


 ヤフーニュースのトップニュースに「エヴァ」の事が。関心が高いってことなんだな、ヒロイン三人に「波」が付く名字に。由来wikより。


綾波レイ
苗字の由来は、大日本帝國海軍特型駆逐艦II型一番艦「綾波」から。名前の由来は『美少女戦士セーラームーン』のセーラーマーズ=火野レイから[5]で、同シリーズに関わった幾原邦彦をスタッフに引き込もうという狙いもあった(この試みは成功しなかった)ようである。また「零(れい)」との掛詞でもある。


式波・アスカ・ラングレー
名前の由来は、大日本帝国海軍航空母艦「蒼龍(そうりゅう)」とアメリカ合衆国海軍航空母艦ラングレイ(CV-1)、ラングレー(CVL-27)(ただし、前者は沈没時は水上機母艦)、および、和田慎二の漫画『超少女明日香』の主人公・砂姫明日香から。
新劇場版の「式波」については、大日本帝国海軍駆逐艦に敷波型の敷波(初代)、綾波型とも呼ばれる吹雪型駆逐艦特II型の敷波(2代目)、海上自衛隊護衛艦にあやなみ型護衛艦のしきなみが存在する。


真希波・マリ・イラストリアス
日本姓の「真希波」については、大日本帝国海軍駆逐艦に夕雲型駆逐艦の5番艦「巻波」、海上自衛隊護衛艦にあやなみ型護衛艦の7番艦「まきなみ(初代)」、たかなみ型護衛艦の3番艦「まきなみ(2代)」が存在する。ファミリーネームの「イラストリアス」については、英国海軍の艦艇に歴史上5隻存在する。


 「エヴァ」のフリーペーパーが普通にツタヤに置いてあって持って帰ったばっかりだったので何か新鮮。最後に載っていたパイロットは真希波みたいだ。ネット上ではパチンコかパチスロ渚カヲルが「双子がいる」とか言うらしく、真希波のカヲルの双子説を言っている人もいた。
 月からの「エヴァ」に乗ってくるのが彼女ならば、「序」の最後に出てきておそらくは月で目覚めたカヲルと関係があってもおかしくはないんだろう。


 公開前からこうやって色々と推測をできるという所も「エヴァ」の楽しみだし、アニメシリーズを見て、前回の劇場版シリーズを高校の時に観た前からのファンもそうだし。あの時の祭りに参加できなかった人たちや、その時はまだ「エヴァ」を知らなかったり、意味がわからなかった連中もまた祭りに参加できるという気持ちがあるんだろうとは思う。だからさらにその「エヴァ」の「祭り」の感じは増している。


 文化系トークラジオLife スピンオフ

ヱヴァンゲリヲン新劇場版公開記念 深夜の緊急対談:序


ヱヴァンゲリヲン新劇場版公開記念 深夜の緊急対談:破


ヱヴァンゲリヲン新劇場版公開記念 深夜の緊急対談:急
↑出演 宮台真司社会学者)、竹熊健太郎(編集家)、新井麻希(TBSアナウンサー)
↓上記の宮台さんの弟子であるcharlieこと社会学者で「Life」のパーソナリティー鈴木謙介氏が語るエヴァ論。


charlieの「新・エヴァ論〜ゼロ年代のシンジ君


 charlieが「序」の初日に渋谷の映画館に行った時に僕はシネマライズの前で青山真治監督「サッドヴァケーション」の初日舞台挨拶付き観賞権を買う為に朝一でライズ前に並んでいた記憶がある。
 以前に西島大介さんのホームページに五月から連載する作品の前口上みたいな文が載っていて西島さんらしい文章だった、そこには庵野さんの名前も出てきていた。その文を再録。


ゼロ年代最後の年に。まえがきにかえて」


神様はいない。けど、いた。'90年代の終わり頃に。
もちろん麻原彰晃じゃなくて。
リチャード・D・ジェームス、庵野秀明、そしてYOSHIKI
これが僕の神さま。なんてことだ、三人もいる。
'90年代の話を書こうと思う。本当のお話、本当の物語を。
神さまに、置いてきぼりにされた瞬間を。
'90年代のどんな事件より、どんな災害より、
もっと決定的に世界を終わらせてしまった出来事を。
彼がステージに姿を現してくれなかったあの日のことを。
あのテレ東のアニメの最終話を。解散と突然の悲劇を。
ほんのちょっと遅れてやってきた、本当の結末。
三人の神さまに、この物語を捧げる。
アイ・ケア・ビコーズ・ユー・ドゥー。


そろそろ夕方のテレビが始まる。
急いで帰らなくちゃ。


相対性理論/「テレ東」)の歌詞


ゼロ年代最後の年に。まえがきにかえて。(西島大介

式日 [DVD]

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I Care Because You Do

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