Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』

 昨日は新木場の夢の島に行き『ワールドハピネス』(高橋幸宏信藤三雄がキュレーターをつとめる。チケットはブロック制で、指定されたブロック内で配布されたレジャーシートを広げる形となる。レフトステージとセンターステージで交互に演奏が行われ、演奏と演奏の間の空き時間が少ないこと、ステージ間の移動の必要がないこと、開催期間が1日とコンパクトであることなどが特徴として挙げられる。)というフェスに行ってきました。


 新木場に来たのも去年のスマパンのライブ観にコーストに来た以来のような。まあ十時半ぐらいに着いて夢の島公園?だっけなを目指して列に並んでまあそれなりの時間をかけて入場しレフトステージ側のBブロックにレジャーシートを敷いてのんびりと。


 タームテーブルはレフトにセンターと交互に待ち時間もほぼなく進みました。OKAMOTO'S→宮沢和史 as GANGA ZUMBAコトリンゴFennesz+Sakamoto→高野寛スチャダラパー→KIMONOS→LITTLE CREATURES星野源THE BEATNIKS神聖かまってちゃんサカナクションsalyu×salyuYUKITOWA TEIYMOですね。


 OKAMOTO'Sはまあバカっぽいっていうかバカな感じが楽しい。ボーカルの子はキースやミックを真似ようとしている感じなのかな。ダウンタウンの浜田さんの息子のベース・ハマ・オカモトは巨大モニターに映った時にやっぱり浜ちゃんだって思った。


 宮沢和史 as GANGA ZUMBAは南米っぽい感じのリズムだった。高野寛さんがフライイングVでギター参加してた。コトリンゴは癒し的な声でフリッパーズギターのカバーもやってた。Fennesz+Sakamotoは穏やかな感じであんまり覚えてません。高野寛の曲はまったく知らないのだけど渋谷系とか好きそうな人は好きだろうなって曲だったな。


 スチャダラパーはいきなり『今夜はブギーバッグ』からでけっこう反原発というか放射能が振ってんだみたいなリリックの歌詞をやってて想定外想定内っていうリリックの曲をやってて『いったい誰のせいなんだ?』ってフリから夏のせいな『サマージャム '11』に。しかしアニのマイクの音が悪かった。


 アニの音もだけどレフトステージでやってるとなんか音が急に小さくなったりとか音響がイマイチな部分があったりはした。
 KIMONOSなんてそういう事何度かあったしそういうのはもったいないなって、ノッてる気持ちが萎えちゃうからね。KIMONOSは最強のバッグがZEZEN BOYSverを体験してるのでやはりあれを越えれないがやはりKIMONOSだった。『SPORTS MEN』のカバーするかと思ったけどしなかった。


 LITTLE CREATURESは渋くてカッコ良かったけど途中から雷と雨が降り出してあんまり集中して聴けなかった。星野源の歌も初めてだけど温かい感じでした。ASUKAの曲を少しだけ冒頭でやってみたり雨が降ってたから。


 THE BEATNIKSは高橋さんとムーンライダーズ鈴木慶一さんとのユニット。ビール飲んでたりしてあんまり覚えてません。ここにも高野さん参加してた。


 次も初見の神聖かまってちゃんは正直スゲエなって思った。ボーカルの彼を観た時に一瞬少しだけカート・コバーンを生で観た時の衝撃ってもしかしたらこんな感じだったんじゃないかって疑った僕がいた。なんか自分の中の既存の枠からはみ出しちゃってる人を観ると怖いけどワクワクするような感じがして。
 過剰すぎて苦手だけどもでもこういう奴らじゃないと届かないロックンロールはあるんだと思うしあのエネルギーはやっぱり衝動としてのロックとしては今しかできないと思うから余計に観てる側に何かを残せるんだろう。


神聖かまってちゃん - ロックンロールは鳴り止まないっ

↑ボーカルの子が三つ編みしててちょいと引いたけど似合ってなくて、でもライブで観るとさすがにすげえわと思う。映画『劇場版 神聖かまってちゃん』はレンタル始まったら観ようかな。園子温監督『ヒミズ』のヒロインの二階堂ふみも出てるしね。


 銀杏BOYZが新作をアルバムをまったく出さないで数年経ってるんだけど、彼らがあるいは峯田君のようなアイコンに惹きよせられる新しい世代が彼らがアルバムを出さない間に現れた神聖かまってちゃんにその辺りの支持層を一気に持って行かれたんじゃないかって僕は少しだけ思ってる、まあ違っててもいいけど。


 で一緒に観に行った彼女さん大好きなサカナクションになってまあレジャーシートに座ってた人もけっこう立ち上がって楽しんでる光景を見てサカナクションってやっぱりデカくなってるんだなって再確認。コーラスから『東風』をかましてから『ルーキー』かな。曲順あんまり覚えてないけど。ルーキーにバッハにアルクアラウンドにホーリーダンスにアイデンティティかな、たぶん。まあフェス仕様のシングル曲な、『ホーリーダンス』はカップリングだけど。三日月とか白波、インナーやナイトフィッシングとか聴きたかったなあと思いつつ、次のニューアルバムがどうなるのか期待してみよう、前のアルバムは全然僕には響かなかったので。


 salyu×salyuはまあ言う事ないよね。僕にとってはベストアクト。中野サンプラザでのツアーファイナルで観たけどもやはり素晴らしい。後ろのおっさんがsalyuブサイクだなとか始まった頃に言ってたけど一曲目終わったら『スゲエええ!!』ってなってたわ。オープニングのイントロはiidaフォンだっけなのCMの曲だった、あれ初めて聴いた。
 曲数が進むにつれて周りから驚嘆の声が聞こえて、お前らおせえんだよと思ったわけであります。salyuがロフトに出てる時から追いかけてるんでね。しっかしsalyu×salyu sistersがいる事でsalyuの声に磨きがかかって歌という楽器をどう意識的に表現するかを体現してるアーティストになってる。一度は生で聴いたらビビるよ。


 YUKIちゃんは高音が出てなかったのか、声が伸びきってなかったかな。でも超絶可愛かった。ジュディマリOver Drive』が中一だからなあ、どんだけ若いんだろう、YUKIは。YUKIを初めて観れたのは嬉しかったけど格別ほどではなくCDJ東京事変椎名林檎初めて観たときみたいな。つまりは僕はジュディマリYUKIにソロ時代の椎名林檎という全盛期に遅れたという事なんだけどさ。今が全盛期っていう意見もあるだろうけどたぶんその頃に観なきゃいけない時代ってのはいろんなミュージシャンにはあると思う。音楽は特に生ものだと思うので。


 TOWA TEIのDJはカッコいいわ、でもクラブとかで踊りたいかな。野外フェスよりは酒飲みながら踊りたい。で大トリのYMOね。すでに疲れ果てた。『The City of Light』聴き終わった後ぐらいで帰り支度を初めて動きました。疲れが二人ともかなりきてたので混む前に電車に乗ろうと。歩いて新木場の駅に向かってる時もYMOの曲が聴こえてきてた。



 朝起きて実家からの支援物資と言う名の米をクロネコから受け取って連休にしてたから映画でも行こうと思ってシネマライズで公開中の『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』を観に渋谷に。

James Blake - The Wilhelm Scream

タワレコでいい加減に気になっていたので買ってしまった。


世界のグラフィティ・アーティストを撮影し続けた男(ティエリー・グエッタ)が誰も接触する事ができなかったバンクシーを偶然撮影できるようになったところから始まる。ティエリーの映画は完成するも、バンクシーの発した一言でバンクシー自身も想像しなかった事態に発展。ティエリーは、アーティスト“ミスター・ブレイン・ウォッシュ”としてロサンゼル最大の新聞LA Weeklyの表紙を飾りエキシビションを開催するのだった。
全ては仕組まれたことなのか、偶然なのか、あるいはバンクシーの言うようにこれが100%リアルな事なのか!?アート業界を痛烈に皮肉り、最高にユーモアの溢れたドキュメンタリー!

ストーリー:ストリート・アートについてのドキュメンタリーを制作し始めたロサンゼルス在住のフランス人映像作家ティエリー・グエッタ。ティエリーは覆面アーティスト、バンクシーの存在にたどり着き、取材を始めるが、ティエリーに映像の才能がないことに気付いたバンクシーは、逆にティエリーのドキュメンタリーを自分が監督し始める。

いつもはみんなが僕のことを信じるかどうかは気にしないけど、この映画のパワーは100%真実である事実からきている。最前線の事実だし、目の前で炎上しているアート業界についての話だ。そしてリアルタイムで、その事実に関わっている人たちによって語られている。この映画は「リアル」であり続けるための、真にリアルな映画だ。 Banksy

世界をより良い場所にしたくて警察官になる人がいるように、世界をよりカッコいい場所にしたくて、壁にラクガキする人もいるんだ。  BANKSY(作品集『WALL AND PIECE』より)


 二週間前ほどに『シネマハスラー』でやってたのを聴いてて観たいなって思っていた作品。http://podcast.tbsradio.jp/utamaru/files/20110730_hustler.mp3


 フランス人映像作家ティエリー・グエッタがずっとカメラを回してる男でそこから物語は始まる。彼は古着屋をやっている。古着にデザイナーだとか様々な価値をつけて売る商売だ。この事が最初に示唆的に挿入されていることからアートもそういうものであると暗に提示しているとしか思えない。


 モノの価値は誰が決めるのか?アートなどの表現につけられる価値は本当に本当に価値があるのか?誰かが評価した事でついてしまう価値、それに煽られる一般消費者?いろんな意図がこの作品に込められている。


 古着屋で鏡に映るのはBECKだったと思う、たぶんあれはBECKだしいつもカメラを回しているティエリーは元NBA選手シャックや元オアシスのノエルを無断で撮影してる映像等も挿入される。彼が親戚のストリート・アーティストを映していくうちに彼は世界のグラフィティ・アーティストたちを追いかけて撮影していく。


 グラフィティ・アーティストは次の日には消されてしまう可能性が高い一過性のアートだ。しかも犯罪でもある。そのパンク性とスリルを撮影者である彼も麻薬のようにハマり出してしまう。そしてバンクシーに出会い彼を撮影していく。


 彼ら(グラフィティ・アーティスト)もティエリーのような人物を必要としていた。一過性のアートを撮影して残すもの、そのアートを観た人の反応を撮れるもの、彼らの制作においてのヘルプや見張りとして口の堅い人物を。


 お互いの利害が一致する。


 だが、この作品はそのティエリーが被写体を映す人物から彼自身が被写体になっていくという構造で、彼の成功すらもバンクシーが仕掛けたアートに関するアイロニーではないかと勘ぐる事も出来る。が真相はわからない。


 バンクシーたちグラフィティ・アーティストがティエリーことアーティスト“ミスター・ブレイン・ウォッシュ”に推薦文を寄せるとNYweeklyが取材に来たり多くの人がそのエキシビションに殺到し彼のコピーのコピーであるアートが高値をつけて売れていってしまう。バンクシーが「アーティストは時間をかけて苦労するべきだ」と発言するがそのブレイン・ウォッシュはそれらをすっ飛ばしスキップしてしまうのだ。


 この経緯については↑の『シネマハスラー』において宇多丸さんが日本のヒップホップに置き換えて話している。それが面白い。


確かに作家の置き換え可能性みたいなことは、記号論的な言い方としては成り立つと思うし、批評家のぼくはそううそぶくよ。でも、そう簡単に作家Aと作家Bは置き換え可能じゃないんだよね。(リアルのゆくえp134)


オリジナリティの捉え方として、ある商品が優れているのはオリジナリティがあるからではなくて、市場に対してどこまで誠実に対応しているかというところに自分の価値観を置いていこうと思ったわけね。(リアルのゆくえp146)


まあ、オリジナル版からパチもんまで全部自前で用意するっていう悪質さがぼくのスタンスであるのだけど。(多重人格探偵サイコチョ1巻 あとがき)


人の記憶に残ろうとする書物なんてぼくにはさもしい気がするから、消費される速度と同じ速度で本もことばも消滅していくことが作者にとって幸福だ、といつも思う。(ロリータ°Cの素敵な冒険p246)


コピーを繰り返すことで洗練され、出現する美というものがある。(「おたく」の精神史p144)


本物=オリジナルはもはやそれ自体としては何ら価値をもっておらず、<複製>と参照されその差異を確認するためにのみ、存在している。しかも、困ったことに<複製>の方がとりあえずはリアルだ。(定本 物語消費論p87)


よく人はオリジナリティとか今までにない作品をつくりたいといいますが、意外とものを描くということは、実は僕たち人間が共通に持っている何かを繰り返しそれぞれのやり方で掘り返していって、その共通のものを掘り起こしたのが、いわば作家の力であるといえると思います。(atプラス05号p81)


 ↑は僕がずっと影響を受けている大塚英志さんの発言や文などからだけどこの作品『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』にも通じる部分がたくさん。


 オリジナルとフェイク(コピー)という問題。僕らが現在生きているこの世界は宇野常寛氏が『リトル・ピープルの時代』で語ったような<拡張現実><ハッキング>の時代である。そこには現実から半歩ズレた現実や僕ら自身も様々な名前や関係性を現実やネットで積み重ねている。


 何がオリジナルでフェイクなのか境界線は不明瞭になっている。だからこそできることもあるし、考え続けて考えないと見失う事も増えてくる。この映画はとてもそういう示唆を持ったドキュメンタリーだった。



 帰ったらチャシロがダルダルな感じで寝そべってた。触っても逃げる気すらもしないほどのダルダル感を醸し出していた。

Kimonos

Kimonos

s(o)un(d)beams

s(o)un(d)beams

ジェイムス・ブレイク

ジェイムス・ブレイク

Wall and Piece

Wall and Piece