Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『冷たい熱帯魚』@ビルボードライブ東京

 木曜日。それはフリーターになってから僕にとっての休日。である事が多い曜日。シフトが自由だったりすれば僕は木曜日を休みにしているのでこの七年近く木曜日は僕にとっての安息日


 だから映画を観に行く日は木曜日が多くなるのは必然。昼間は渡辺あや脚本『その街のこども』を東京都写真美術館ホールに観に行った。渋谷でAtlas Soundのライブを観に来た地元から来た竹原といつものsomaで飯を食ってタワレコでParadesというバンドのアルバムと来月ライブを観に行くTwo Door Cinema Clubのライブアルバムを買う。


TWO DOOR CINEMA CLUB | THIS IS THE LIFE (LIVE)


  一度家に帰って夕方になってから乃木坂に向かう。「第二回 三池崇史監督 presents 大人だけの空間」というイベントに当ったので東京ミッドタウン内にあるビルボードライブ東京に。



監督・脚本: 園子温 脚本: 高橋ヨシキ
キャスト:吹越満黒沢あすか神楽坂恵、でんでん、梶原ひかり、渡辺哲、他


あらすじ: 熱帯魚店を営んでいる社本(吹越満)と妻の関係はすでに冷え切っており、家庭は不協和音を奏でていた。ある日、彼は人当たりが良く面倒見のいい同業者の村田と知り合い、やがて親しく付き合うようになる。だが、実は村田こそが周りの人間の命を奪う連続殺人犯だと社本が気付いたときはすでに遅く、取り返しのつかない状況に陥っていた。






 上映される映画は園子温監督最新作『冷たい熱帯魚』で上映前には三池崇史×園子温×吹越満トーク
 『冷たい熱帯魚』自体は去年の東京フィルメックスで観ているので内容は知っているのだが三池さんと園さんのトークは魅力的だったし映画はまだ公開してないのでまた観たいなって思ってた。


 ビルボードライブ東京はまあ高級感がすごくある所で店員さんの対応とかが高い店って教育が行き届いてるなあって感じで。普通に行く事はほぼ皆無なのでよい経験かなあ。


 誘った友達の澤田君が来る頃にはトークが開始。とりあえずTwitterでTsudaろうとがんばりましたが、いかんせん僕の携帯さんはスマートフォンではないのであまりTsudaれませんでした。Tsudaるというのは『Twitter社会論』の著者の津田大介さんがトークイベントとかでその内容をツイートしてた所から来てるんだけど、やはりあれはねiPhoneだからできるよね。とTsudaりながら思いました。


 以下なんとかやってみたツイート。


三池崇史×園子温×吹越満という3ショット!
園子温『愛犬家殺人事件をリサーチして作った。事実は起承転結の起承転まではいいが結がひどい。だから結はフィクションに。』
三池崇史忍たま乱太郎やったし』
園子温『サイヨウイチの映画はつまんねえ!』
園子温三池崇史がVシネから商業出たときのやり方は尊敬に値する』
園子温『三池(呼び捨て)』
園子温『僕らのよりも「ヤマト」のほうが羽毛布団(羽毛布団売る詐欺師の意味)みたいに優しい』
園子温『クランクイン前には警官に捕まえてと言っていた。人を殺してしまう前に』
三池崇史『狂人が作るべきなんですよ映画は』
三池崇史『穏やかな老後を迎えたい』

 
 三池さんの次回作が子供店長の加藤清史郎主演『忍たま乱太郎』な話とか三池さんが園さんの一個上だったり、彼らと仕事しているスシタイフーンのプロデューサーさんの話とか。オヤジでもない年齢なのに自販機のとこでオヤジ狩りにあって逆にそこあったブロックで若者の頭をかち割って捕まったりする人らしい。
 あとは園さんが三池さんと清(黒沢)はいいよって感じの話してたけど黒沢清監督は園さんより年上なんだけどなあ。園さんの出るイベントではよくある酒飲んで次第に酔い出す辺りは懐かしいなあと。


 この作品を書いた頃は恋人が家から出て行ってかなりボロボロで新宿でホストにケンカ売ってわざと殴られたり上記の警官にそういうことを言ってしまうぐらいに落ちていて一緒に脚本を書いた高橋ヨシキさんにも同じようなことをしようとしても彼の方が大人で「一緒に映画やろう」と言われたらしい。


 雑誌『CUT』の園さんのインタビューではこの映画を作ることで自分自身が救われたと。ラース・フォン・トリアー監督『アンチクライスト』でラースも同じような事を言っていたらしい。
 そのインタビューではみんなが『愛のむきだし』ばっかり言うから嫌になったと。だから新しいスタートを切る『冷たい熱帯魚』は第二のデビュー作のようなものでジョン・レノンでいうとソロになった『ジョンの魂』だと言う事を園さんは述べている。


 作品としては巻き込まれ型である。主人公・社本の家庭は崩壊している。後妻と娘の関係は最悪、その妻と自分の関係も冷えている。それがギリギリのラインで保たれながら日々が過ぎている。そして出会ってしまった男・村田により彼はその平穏な人生から転がり堕ちていく。


 村田は殺人の後始末に社本を連れて行く。村田の妻(黒沢あすか)と彼は手慣れたやり方で殺した相手をどんどん解体していく。社本は泣きながら吐く事しかできない。しかしこの時点で彼は車で死体を運んでいる、彼は知らぬ間に巻き込まれ共犯者になっていく。


 死体を細切れのからあげサイズにそして焼いて骨を粉になるまで、肉は途中の川に。そうやってその死体は透明になる。村田は社本を殴りつけたりしながら殴ってこいよと言うが社本にそれはできず、昔の俺みたいだなと言う。


 村田はこの作品における象徴的な父である。そしてこの作品はオイディプスコンプレックスを扱っている作品になってしまっている。フィルメックスでは無意識にそうなってしまったと園さんは言っていた。


 園子温作品を何作か観ればわかるが園さんは家族というものを否応なく描いてしまうし題材というか大きな軸として展開する。それは大抵崩壊した家庭だったりするのだが。それが顕著なのは吉高由里子が世に出る事になった『紀子の食卓』だろう。『愛のむきだし』での主要キャラの三人の若者の家庭には問題があった。


 時にはそれらを置き去りにし、崩壊しかかっているものを完全にぶち壊す。家族という最も最小単位の社会。それが壊れている時点でそこにいる子供はそこから出て行くかそれを破壊し進むことでしか自分を殺さないですむのかもしれない。


 この作品は『愛犬家殺人事件』をリサーチしその他何種類かの殺人事件から発想を得ながらも園さんの個人的なものをつぎ込んで作られた実話を基にしたフィクションだ。とても過剰な狂気に満ちあふれながらも極限状態の人間が放つ言葉や行動は不謹慎ながらも笑いを誘ってしまう。


 例えば絶対に笑ってはいけない葬式でふいに目に入った事で笑ってしまいそうになるのを堪えながらも耐え切れずに吹き出すようなある種の不謹慎。
 それはなんというか見えている現実が自分の中の平凡さを突き抜けて過剰過ぎてタガが外れてしまうような、コメディと悲劇が紙一重だというそういうもの。


 社本が転がり堕ちていく悲劇は他者であるからこそ笑えるのだが、当事者だったらとてもじゃないが耐え切れない。


 そういう堕ちていく彼はオイディプスコンプレックスの先に何をするのか。そして最後の終わり方。彼の最後の行動は僕にとっては彼が唯一娘にできる事を父親としてしたんだと思う。彼女に語りかける言葉と彼がする行動は娘をある意味では孤独にそして自由にする。それ以外に彼には方法がなかったとも言えるし、彼が選べた最良の事かもしれない。それを娘がどう思うかはまた違う問題だとしても。


 園子温作品というか園子温という人物が放つ作品は驚喜=狂気=凶器だ、しかもそれを一度でも自分の中に受け入れてしまえば麻薬だ。この魅力からはもはや逃れる事はできない。この驚喜=狂気=凶器はその人の中にあるラインを踏み越えさせてしまう、いいかい、これは簡単な話だ。

 踏み越えると同時に踏みとどまるのだから。この意味は難しいようで易しい。君が死まで抱えていくこの生きるという時間と生命の宿命である生殖=性が園子温作品にはあり、あなたがもしどうしようもなく誰かを殺したいのならばそれを踏み留める、救ってくれる可能性だ。


 人を殺したいと思っている人の全てがこれで救われるわけではないが、届く作品というものにはその作用とやはりそこから飛び越えてしまうものが出てしまう問題は絶えず存在する。
 

 日本が誇る映画、宮崎駿作品もといジブリの作品を観ていれば人を殺さなくてすむのだろうか? もちろんそんな事はない。
 連続幼女殺害犯として死刑になった宮崎勤の六千のビデオテープの山の中でラベルに唯一「さん」付けさけていたのは宮崎駿だったのは有名な話だし、『魔女の宅急便』を観た後に睡眠薬を飲んで数人の少女が自殺未遂を起こした事だってある。


 表現が届くというのはそのプラスもマイナスも起きる。その表現が表現としての強度や精度、スピードがあれば。単純な消費だけの表現ではそこには辿り着けない何かが潜んでしまう。


 僕はそれを園子温という才能に出会って身にしみてわかったんだ。園さんという人に実際に会って話をして酒を飲んで感じた事はこの人は映画を撮らなきゃダメな人なんだ。そしてそれをわかり支える人がいる。だからこそ映画は世の中に出て行くのだけども。


 どうしようもなく選ばれてしまった側の人だと寂しくもなる。三池崇史さんが『狂人が作るべきなんですよ映画は』と言うのはわかる。どこかが欠落しているのだ、それを埋めようと作り続けて壊しては作る。園さんの作るペースはかなり速い、『冷たい熱帯魚』の次の作品もクランクアップして待機している。


 『ゼロからの脚本術』で園さんが語っている「やっちゃいけないことは、ひとつもない。これは映画に限らずだけど、そういうものを破っていくのが快感だし、破るべきだと思う」と。


 僕の二十代後半に入ってから影響を受けたのは園子温監督とcharlieこと社会学者の鈴木謙介氏に小説家の古川日出男さんというのは間違いない。


 そういう人たちの影響なんかをきちんと僕なりの形に出していく事、僕なりのアウトプットし書いていく。そしたらいつかは届くものができるのかもしれない。それができずに僕が壊れても僕を終わらせてもそれは僕にとって不幸な事ではないんだ。だって僕の優先順位と他の人のそれは違うんだから。僕が僕であるための核はそれだから。


 それが無くなる事の方が自分が死ぬのよりも大事な人を失うのよりも怖い。その事をわかってくれる友人はごくわずかだ。

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