Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『その街のこども 劇場版』


ストーリー:阪神・淡路大震災で子どものころに被災するも、現在は東京で暮らす勇治(森山未來)と美夏(佐藤江梨子)は、追悼の集いが行われる前日に神戸で偶然知り合う。震災が残した心の傷に向き合うため、今年こそ集いに参加する決意をした美夏に対して、勇治は出張の途中に何となく神戸に降り立っただけだと言い張るのだが……。




2010年1月17日にNHKで放送されたドラマに新たな映像を加え、再編集バージョンとしてスクリーンに登場する。主役を務めるのは、森山未來佐藤江梨子。実際に震災を体験しているという彼らの切なくリアルな演技が観る者の心を揺さぶる感動作。




以上 シネマトゥディよりコピペ。


 朝起きて諸々の用事を済まして恵比寿へ。渡辺あや脚本『その街のこども』を観るために東京都写真美術館ホールに。ここには以前友人の只石に連れられて来た事がある。ここで映画を観るのは初めてだった。


 ここで観てはないがかつてここで庵野秀明監督『式日』がしていたはずだ。実際にその作品を観たのはシネマヴェーラでの「映画監督 岩井俊二の全貌」でだった。


 この関わりのないような二作は実は関係がある。渡辺あやさんは映像作家である岩井俊二氏主催の「しな丼」(現在は「プレイワークス」)に応募してそこからの繋がりや参加していたプロデューサーに実力を見出され『ジョゼと虎と魚たち』の脚本を書いてデビューした人だ。


 渡辺あや脚本作品と言えば『ジョゼと虎と魚たち』『メゾン・ド・ヒミコ』『天然コケッコー』『ノーボーイズ、ノークライ』などの映画作品に、NHKで放送され『火の魚』とこの『その街のこども』で、今年の秋から始まるNHK朝の連続ドラマ小説『カーネーション』(デザイナーコシノ三姉妹の母親が主人公の作品)で脚本を書く事が発表された。


 批評家の宇野常寛さんが編集長で作っている『PLANETS』のvol.7でのNHKドラマ特集の中での『火の魚』のレビューを僕が書いてます。それを宇野さんと編集部がもっと掘り下げて読ませる文章にしたレビューが掲載されている。で、僕もプレイワークスメンバーだったりと実は関係なさそうで微妙にあったりなかったりする。


 『ジョゼと虎と魚たち』『メゾン・ド・ヒミコ』『天然コケッコー』『ノーボーイズ、ノークライ』『火の魚』『その街のこども』にある渡辺あや脚本で描かれる人と人の間にある距離。人間というものが最小単位である個と個が触れ合う事を丁寧に描いている。だからこそ観終わった後の余韻が振るわせる。


 わかりあえるかもしれないという可能性あるいは希望が人の間にはある。だけども僕らは100%わかりあえるはずもない。
 溶け合う心が君を僕を壊すように、『エヴァ』(旧劇場版)でシンジがその世界を拒否したように君と僕が溶け合う、同じ意識の集合体になれば個は消えて全体が大きな個の中に閉じられる。


 触れ合って同じ時間を共有しても全てはわかりあえない。わかりあえたような気はするけども最終的な部分は個と個とだから。彼女の作品は主要の登場人物の二人の触れ合いと許有する時間の中でのわかりあえるかもしれない希望ととそこからはみ出してしまうディスコミュニケーションという他者であるという事を描く。


 観ている僕らには立場や環境が違えども彼らや彼女たちに感情移入する、それは僕らがずっと生きてきた中で感じていた、体験してきた事だから。


 『ジョゼと虎と魚たち』において恒夫(妻夫木聡)とジョゼ(池脇千鶴)の関係性で恒夫は若い男性にありがちな今を見ていて未来を見据えれなかった。だからこそ彼は彼女の元を去っていく。それをジョゼは受け入れるのは付き合い出した当初からこの人はいずれ私の元を去っていくだろうと哀しい達観をしていた。その事に気付けない男とそれについてずっと一緒にいてとは言えない女。


 恒夫は彼女との家を出て他の女(上野樹里)と歩き出すが歩いている途中に別れたら一生会う事ができない女の元から逃げ出した自分についての嫌悪感とこれまでの彼女との想い出がごっちゃになり泣きながら嗚咽する。ジョゼは車いすを押してくれた恒夫がいなくなり電動車いすで町に出て行くという対比が強さと弱さとどうにもならないものを感じさせた。


 シネクイントで観た後に僕は一人で落ち込んでしまった。その時は恒夫に感情移入してしまって、でも何度も観る度に彼らの関係性と諦める事でしか人生を生きてこれなかったジョゼの哀しみ故の強さを描いてしまったこの作品に増々惹かれてしまった。



 『その街のこども』は勇治(森山未來)と美夏(佐藤江梨子)の震災15年目の前の日からの出会いとその追悼の時間までを描く。震災にあった当時子供だったひとの絵や当時の映像も使われているが、この二人が話す事で震災からどう生きて来たのか、価値観の違う二人がたまたま出会い、巻き込まれるように同じ時間を共有し共感し反発する。そこにはやはりわかりあえるかもしれない事とわかりあえない事が描かれている。


 モキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー)風に撮られているので彼らの息づかいもリアルなものに感じられる。どこまで台詞でどこからかアドリブなのかわからない。二人の役者は実際に震災にあっているだけに役と本人の境界線が薄れている。それを編集し一つの物語に構築している。


 震災という同じ体験をしているというある種の共有。しかしそれは当然ながら個人個人で細部は異なり抱く感情も違う。共通の友人がいてその人がいない時にさほど仲の良くない者同士がその人を語ることはできる。
 共有している話題や体験、しかしその人に抱いている思いや感情は二人の中で同じ部分もあるが細部は当然異なる。そういうものが一つの対象について語られる、そこから見えてくるもの。


 映画では神戸という街が彼らには違って見えるだろうし、僕のような関係のないものにもその場所は「物語」のある風景として刻まれる。


 彼らの息づかいが伝わるような感じがする。何気ないシーンや光景でも僕は涙ぐんでしまった。僕ら個人がどうしようもできない巨大な出来事に対して僕らの内面とそれを繋げる想像力や装置が必要なのかもしれない。


 まあ、4回ほど泣きましたけどね。当時僕らは中二で岡山と広島の県境の僕らの家の方でも震度4ぐらい揺れて目が覚めた。でも、大きな被害がなかった僕らの地域は何事もなかったように時間は進んでいった。


 前に観た『ソーシャル・ネットワーク』に95点付けてしまったので97点ぐらいにしないとなあという感じです。『キック・アス』低くつけすぎちゃったなあ、やっぱ80点ぐらいに訂正しとこう。



 帰りに渋谷で古川日出男最新作『TYOゴシック』を買いました。



「TYO(TOKYO)」と怪物の物語。古川さんらしい偽史から見えるもう一つの東京。『モンキービジネス』で連載してる時から読んでたけど久しぶりに『ベルカ、吠えないのか?』とかのラインの古川式偽史が組み込まれて古川日出男という作家の真骨頂を見せている作品。


 夜はビルボードライブ東京に行って三池崇史プレゼンツの園子温監督『冷たい熱帯魚』を観に行って来ます。まさかの三池崇史×園子温トークっていう凄さ。フィルメックスで一度観ているので内容はわかってるけどでんでんさんを堪能してこようと思います。


 朝は渡辺あや脚本『その街のこども』を観て、古川日出男新刊『TYOゴシック』を発売日に買って、夜は園子温監督『冷たい熱帯魚』を観賞という、脚本、小説、映画でリスペクトしている人達ばっかりでかなり最高な休日。

TYOゴシック (モンキーブックス)

TYOゴシック (モンキーブックス)