Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

上野

 上野動物園に行ってみた。ペンギンを見てたらケツをコンコンとされたので子供が見えないのでコンコンしてるのかと思ったら友人だった。ことのほか世界は狭いのか僕らの行動範囲が狭いのか、世界は無限に思えるほど広くても僕らがいける範囲はけっこう狭いのかも。


 あるジャンルというか輪の中に入れば人と人の繋がりはわりかし狭いんだという事を知った数年前のような気持ち。子供の頃は隣りの町に自転車で行くだけでも大冒険みたいな世界の広さだったのに年齢を重ねて行動範囲も広がったのに世界は狭くなったような感じだ。


 時折まったく関わりのない場所に行ったらけっこう孤独で気楽だろうと思うけど、居ればそのうち何かの繋がりができて同じような気持ちになるのかな。

























 編集者の小西さんがオススメしてくれたので先週の土曜日はオイスケールの舞台を下北の駅前劇場に観る。病院の一室だけで展開されていた。小説にしても面白そうだなって思ったが、なんだろう? なぜあんな暑い中で汗をかきながらみないといけないのか。空調がさあ。それで集中力切れた。
 時折空調が寒すぎたり暑すぎたりする劇場(映画館とか舞台の劇場)とかあるけど集中力が切れてしまうのでそこは配慮して欲しい。
 一人称や三人称が混ざる小説にしても面白そうだし、阿部和重『I.P』の分裂症や多重人格的な感じもあって好きな感じ。確かにギャグも薄かった。偽看護士のアバター読書は面白かった。


 先週の『Q10』はネットの陰口悪口が一人歩きして勝手に違う嘘の「私」が作られていくことに対して、『声出して笑えよ。声出してなじれよ、ふざけんな。でも届かない。名前もないやつに、顔もないやつにどうやって言えばいいんだろう』と。わりと赤髪の蓮佛に木皿さんはメッセージを台詞で言わせてる感じがする。あと屋上からの展開はメタ構造(メタフィクション)になってんのか。これどう物語を終結させるんだろう。ちょっと末恐ろしいというか本当に凄い事になるかもと思った。


 主人公の平太がたまたま自分がQ10のスイッチを押して誰でもよかったんじゃなかと思うシーンがあるが、たまたまそこにいたという事が後々でかい意味を持つというのは人生で多々あると思う。ただそこに居たということが運だといえるし、でもそれがないと行けない辿り着けない場所はあると思う。じゃあ、人生は運かと言われたらけっこうそれが左右するとは思う、でもそれすらも覆す事もできたりすると思う。ただ、そのためにはいろんな機会を掴める視力のような未来を見据えれる考えとか能力が鍛えれていないと難しいんだろう。


 村上春樹神の子どもたちはみな踊る』読んでて非常に村上春樹作品の中では僕に合っていると思った。『1Q84』シリーズって清涼院流水のトップラン&ランドシリーズみたいに過去やって未来(現在)やったりしないかな。大吾と青豆の子どもが主役の『2O12』とか構想としてはあるだと思うが。というかそこまでやったらBOOK3での最後の台無し感をなんとかいい方に浮上できそうな気もしなくもない、近過去よりも近未来が読みたいと思うのは少数派なのだろうか。

 
 Mr.Childrenのニューアルバムのタイトルやジャケが発表にならないのでツイッター上でcharlieにリプライしたが返ってこなかった質問。
 深海に潜ってボレロを発見して問いに悩んで世界は素晴らしいとシフクノオトとアイラブユーという名のホームからスーパーで家族で買い物する幻想の果てに来るミスチルのニューアルバムのタイトルはなんですか?

 
 charlieに以前本谷有希子の舞台を観に行った帰りにキリンシティで飲んだ時にMr.Children『UFO』が不倫の歌だよと言われるまで気付かなかった。 『UFO』から『隔たり』を経て『HOME』だと浮気して子ども出来て家庭になったという桜井さんの過程と同じ家庭なんだよね、前の家族は?的な疑問とかあったりした。


 『SPEC』(六話)の当麻(戸田恵梨香)の『ここにないものなあんだ?』が可愛すぎた件が誰にも伝わらない、伝えたい。


 シャワー浴びてるときに目を閉じたら、開けた瞬間に鏡に映る自分の後ろに巨大なゴキブリがいそうな気がたまにする。ドライアイなので月にロートジーファイを三本使うけど、いまだに目薬がアロンファルファになってしまって目が開けれなくなるイメージが拭えない。。


 リリイシュシュ復活より。リリイホリックで公開時のポスターに「十四歳の、リアル。」ってあって今の十四歳は96年生まれか。だとすると胎児だったのは95年とかで阪神地震、オウム地下鉄、エヴァアニメの頃に孕まれているんだな。これは何か使えそうだ。


 月曜日(15日)は池袋で『悪魔のしるしグレートハンティング』を観た。メタ演劇かなあって思ったんだけどそこには意味はないのかなあ。マジメにふざけてる感じはすごく楽しいし羨ましいしいい意味でバカバカしくてそれが平坦な戦場から祝祭性の時代に変化した今を生き延びるために大事だなって感じた。
 でも、僕の中の祝祭性はけっこう曖昧な気もするけど。


 大塚英志『物語の命題』を読んでて「エーリクの命題」での章でヘッセ『車輪の下』は「外」からやってきた少年「内」側の価値に押しつぶされていくが萩尾望都トーマの心臓』は逆に成長する物語だと。『トーマの心臓』漫画読んでないけど森博嗣の小説というかノベライズ読んでた。森さん大ファンなんだよね。


 ブコウスキーBOTから『自分の気が狂ってしまわないようにとわたしは今も書き続けていたし、このとんでもない人生とやらを自分自身に何とか説明しようと、わたしは今も書き続けている』 - 『死をポケットに入れて』より。いやあ、ブコウスキーはカッコ良すぎ。


 友人の内山さんが所属してた四人組コントユニット「スペースラジオ」が解散しメンバーのオニーさんとのコンビになりました。新コンビ名は彼らの先輩「ラーメンズ」の小林賢太郎さんが名付け親で「アウェイ部」 になったそうです。皆様よろしくお願いします。コンビでどうなるのか楽しみです。


 星海社の太田さんのツイート『キューバカストロ革命の始まりなんて、あとになって考えてみたらなぜそれが成功したのかが皆目わからないような「始まり」にしかすぎない。北方謙三さんが「史上最もロマンチックな革命」と評していたけれど、僕も同感だ。』と。いつも何かが始まっているが形になるような成果が見えるような状態までになるのが難しい。ただそれを信じてやるしかないのかもしれない。途中で朽ち果てても。


 古川日出男デビュー作『13』の冒頭を読み返した。主人公の響一と古川さんの共通項はスイッチでのイベントで古川さんが話した色覚障害という部分だ。読み返して初めて気付いた。デビュー作にはやはり自分のプライベートな部分、根底にあるアイデンティティが現れるんだろう。


 『AKIRA』全六巻を数年振りに再読した。連載が始まったのは僕が生まれた年だった、僕がこの世界に生まれたのとほぼ同じ年月が過ぎてても古くならないというかその物語の存在感はやはり後に影響を与えた作品が持つある種の普遍性なのかもしれないなあ。金田が一度姿を消して再び帰って来るのは英雄神話での主人公は冥界あるいはあちら側に行ってこちら側に元いた世界に帰って来る構図と一緒だと思ったり。


 『ヒックとドラゴン』は今年観た映画の中では圧倒的にシナリオが素晴らしかったのは父親たち上の世代が解決できなかった問題を違う観点から捉えて問題を解決する柔軟さと自由な発想が新世代にはあり、それが世界を変革する可能性だというとこ。キャラクターが可愛ければ日本でもヒットしただろうけど。キャラクターが可愛かったらなあと本当に思う。そこだけが日本でヒットしなかった問題じゃないかな。


 『ゼロからの脚本術』という本で園子温監督は『愛のむきだし』の話をしていて団体名は統一協会だと言っている。兄は肉体による妹の強奪を、宮台真司氏は数人を理論で脱会させた。宮台氏が関わった女子高生が何人か園さんの東京ガガガにサルベージされた渋谷90's。どこでもいいから出版社は園子温×宮台真司の90's渋谷本を本当に出した方がいいと思う。


 今週の土曜日はフィルメックスで『冷たい熱帯魚』を観る。劇場公開は来年の二月。