Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『ゼロからはじめる』

 決戦は金曜日というわけでもないけど、朝から仕事に行って五時に終わって渋谷まで東横線。で歩いて宮益坂越えて骨董通りを終わりまで行って寺がある地域を通ったら六本木ヒルズと赤い輝きの東京タワーが見えた。


 スイッチ・パブリッシングという出版社に。まあ有名なのは『SWITCH』ですね。今号の表紙は最高ですね。



 麿赤児×大森立嗣×大森南朋「血族の肖像」 子どもは親を選んで生まれてくる、というのであれば、大森立嗣、大森南朋兄弟は、なぜ舞踏家・麿赤兒のもとを選んだのか。それを紐解くことは、なぜ二人が、映画監督、俳優を目指したか、父と同じく、表現者になることを決めたのかを知ることになる 。


 帰って『SPEC』観たら来週予告に南朋さんが出てた。南朋さんとPUFFY由美と付き合ってる時に何度かバイト先で観た事あるけど、カッコいいんだよねえ。
 女性人気も出てきてるけど男がカッコいいと思う俳優さんだよね。『殺し屋1』映画館で観た時には主役なのに浅野忠信さんに目が行って魅力に気付けなかったけど。


 そんな出版社なので入り口とか見える室内には雑誌がいっぱい置かれてたりした。南麻布にあるって儲かってんのかなとか。そこから出ている『Coyote』という雑誌のNo.45「メキシコが変えた二人の男」発売記念 古川日出男 トーク・朗読・スライドショー『ゼロからはじめる』というイベントに。



 ラテンアメリカ小説家の中でも代表格でありマジックリアリズムな作品『百年の孤独』などで知られるガブリエル ガルシア=マルケス特集と古川さんがメキシコに滞在した一ヶ月を書いた『やあガブリエル、と僕は言った。ゼロからはじめるよ。』が掲載されている。


 僕もたまに買う。前に買ったのはレイモンド・カーヴァー特集のオレゴンのやつだったかな。海外の作家あんまり読まないんだけどカーヴァーとチャールズ・ブコウスキーフィリップ・K・ディックは好き。『百年の孤独』は積読したまま放置プレイ中です。


 イベントだけどスイッチの本社の地下にあるカフェで、入っても三十人とか。古川さんの作品や「メキシコ」「歩く」「ラテンアメリカ」というテーマで選書したものが棚に並んでいたりメキシコの人形とか普段から置かれているいろんな小説や絵本等が棚に並んでいた。



 で、古川さん一人でやることになってて螺旋階段のような所にメキシコで撮った写真がスライドショーみたいに映されていた。
 客の椅子は古川さんの正面にあってその後ろのカフェのドリンク作るとかとかあったんだけど、古川さんの真横から見える席があったのでそこに移動した。真横から朗読観たらどういう感じかなって。


 『MUSIC』刊行時にABC六本木で『古川日出男ナイト』で朗読観た以来だから 半年振りぐらい。普通に螺旋階段降りてきて椅子に座って古川さんが話しだした。


 メキシコに行った事、そこで感じた事。小説の書き方。人前に出たくないけど届けるためには出ないといけないと思うとか。
 スライドショーで犬が写ってすごい野犬というか地域犬みたいなのがたくさんいたってメキシコ。で、キリスト文化圏だから至る所にマリア像とか十字架とか置いてあって、日本でいう地蔵だから地蔵って呼んでたらしい、盗人の神様なんかもいてそれを写真で撮ってたら現地の人にひかれたとか。


 小説を書く事は凄く苦しいと。そして今まであまりプライベートな事は話さなかったけど自分は色盲で、他の人に見える色とかが見えなかったり、見えないものが色合いで見えてしまう事。
 旅行とか旅って感じが感覚としてない、ただの移動でしかない。昔からどこかにずっと居るという意識が薄くて二度と故郷も戻れなくなっても問題はない。そういう色盲な部分と移動することは関係してると思うと。


 メキシコに行くと十六ぐらいの女の子はだいたい腹が出ててTシャツの下から肉がはみ出てる。最初は違和感があったけど、現地ではそれが可愛いって感じらしくてすぐにそれも可愛いなって思うようになった。

 路上には乞食も様々な障害を持ってる人もたくさん普通にいる。そういう景色の中でおつりが余ったら乞食が恵んでと言ったらあげるかあげないかのジャッジは自分がすればいい、だけどあげるのが当たり前だという風になるとするとそれは違う。日本だとそれを隠すから、差別なんかなくならないだろうし余計に差別をしているように思えると。
 だから自分がそういう光景を書く事でそういうのが当たり前な世界があるという事も知らない人に伝える事も大事な事なんだと。


 東京に帰るとみんな浜崎か?と思うほど同じような感じで違和感があったらしい。古川さんはたしかに人物の特徴を詳しくは書かない。顔の眉とか鼻とかそういうパーツを描かないのは、それを書いたらそれが可愛いと思う人と嫌いな人がいるんだから、褐色の可愛い子と書けば読者が自分の中でイメージしてくれる方がいいと思うと。


 三位一体のキリスト教の話をしながら、「世界文学」を書きたい。とすれば「世界」「文学」とは何か自分で定義しないといけない。「世界文学」と呼ばれるものがなぜ強固なのか? 音楽も絵画も宗教と深く結びついて、宗教がある種のスポンサーとなっていたから発展したというバックグランドがあり、日本だって仏教がそういうものの発展に大きく関わっている。


 「世界文学」や海外の作品の強さは宗教と言うものと結びついている。日本にはそれがない。その時考えないといけないのはやはり日本にはある「天皇制」になってくる。この問題は避けては通れないからいずれそういう事をもっと深く掘り下げて書いて行く事になると。


 『ゴッドスター』という今日新潮文庫で出た作品には「明治天皇」と彼の飼い犬の「伊藤博文」が出てきていた。その話を聴きながらすでに出ていたけどそういう明確な意志があったのかと。


 来月からまた一ヶ月ぐらい誰とも連絡取らずに一月とかに出る『新潮』用の作品に取りかかるって。『ゴッドスター』『冬』に続く作品かも、すげえ楽しみ。


 朗読は『やあガブリエル、と僕は言った。ゼロからはじめるよ。』と『百年の孤独』を。『百年の孤独』はマルケスの朗読CDと古川さんの朗読がコラボレーションしてた。
 どちらも僕は二、三メートル離れた横から観てたんだけど朗読してる時に古川さんの周りに透明な砂のような、透明な粒子が体の周りを舞っていたのが見えた。錯覚だと思って眼鏡を外したり目薬をしてけどそれでも見えてた。


 終わった後に書籍買ったらサイン会ですと、いやあほぼ持ってますもんと思いながら『LOVE』の文庫を。持ってるから家にあるのは誰かにあげようと思って。『LOVE』も繋がってる『MUSIC』もすごく好きだし。


 読書会でも僕の周りでもそんなに古川さん好きな人はわりといない。好き嫌いは分かれるし、独特な文体のリズムとか物語の雰囲気とか。僕がなんでこんなにも惹かれたのかなって思うとたぶん僕にはほとんどない要素だと思ってて。


 自分が持ってる要素とか資質に近いものは安心したり好きになったりするけど、すごく何かを刺激されたりすることはあんまりないような気がする。
 雑種的な要素っていうか自分にないものを受け入れて変化する事でハイブリッドになれたらいろんな環境でも戦えるんじゃないかと。


Letting Up Despite Great Faults: "Our Younger Noise"


 サインの時に粒子が見えた事を伝えると「いい粒子だといいんだけどねえ、どうだろう」と。あと前のイベントの時に僕が古川さんにあげたCD聴いてくれたらしく、あれよかったよと、少し話して書いてるのって話になって「足掻いてます」って言ったら「俺も足掻いているよ」と。


 最近精神的にきつかったのでこういうタイミングで古川さんの話とか朗読聴けてよかった。


 さっき、サブウェイ行って朝食を食べて本屋行ったら『ゴッドスター』の文庫の新刊出るし、昨日用意してくれてもいいじゃないかと思ったり。


古川日出男 朗読『ゴッドスター』(1/3)@丸善丸の内本店 2007/12/13


古川日出男 朗読『ゴッドスター』(2/3)@丸善丸の内本店 2007/12/13


古川日出男 朗読『ゴッドスター』(3/3)@丸善丸の内本店 2007/12/13

SWITCH Vol.28 No.11(2010年11月号)

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Coyote No.45 特集:メキシコが変えた二人の男 ガルシア=マルケス 古川日出男

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LOVE (新潮文庫)

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MUSIC

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ゴッドスター (新潮文庫)

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