休憩中に大崎善生著『アジアンタムブルー』を読みながらiPodシャッフル。ドラムス『Me And The Moon』がわりと本と真逆のテンションなのに合った。
『パイロットフィッシュ』『アジアンタムブルー』の二冊は何度も読み返してしまう。この二作品は繋がっている時間軸でいうと『アジアンタムブルー』で『パイロットフィッシュ』の流れ。
Me And The Moon - The Drums @ The Flowerpot, Kentish Town, London
『君を思い出すのかな』2006年06月11日
雨が降ってる、窓ガラスに当たる音で目が覚める。
起きてから、昨日から読み始めた大崎善生『ドナウよ、静かに流れよ』をKEANEセカンドアルバム『UNDER THE IRON SEA』をかけながら読破した。
Keane - Somewhere Only We Know
『邦人男女、ドナウで心中 33歳指揮者と19歳女子大生』
その小さな新聞記事が頭から離れなくなった著者は2人の足跡を追ってウィーンへ向かった。もはやこの世にはいない19歳の少女、日実(カミ)は異国の地でどんな恋をし、何を思い、そして何ゆえに追いつめられていったのか?悲劇的な愛の軌跡を辿る、哀切さにみちたノンフィクション。
『ドナウ〜』ってノンフィクションなんです。 日実さんの写真も最後に載ってるし、彼女のお父さんとお母さんや友人の発言やメール、著者が取材で家をたびたび訪れているし、海外で日実と恋人千葉に関わった人達も出てくる。
彼女がどうして最後は恋人とドナウ川に身を投じたのか、それを想像する。本当の所は彼女しか知る由もないけど。
彼女は1982年3月23日生まれ、この本は文庫として出たばかりだが、ハードカバーとして出たのは03年だ。
彼女が死んだ19歳の時、僕も19歳なのである。彼女と僕の誕生日はたった一日しか違わない!!
僕が19歳の時はなにをしてたのかと言えば、大学を辞めて実家でバイトをしながら東京に行く金を貯めていた。
当時19歳の彼女が精神状態が極めてあやふやで不安定な恋人のためにできることが死ぬことだけだった。それが愛する人のためにできる唯一のことだったと考えるとやるせない。
なぜ彼女が両親に頼らなかったのか、とか色々思う人もいるだろうが、読んだ感想で言えば、全てが微妙にほんのわずか、擦れ違っていったのだ。
両親は彼女を愛し、指揮者と名乗る恋人によって確実に変わっていく娘をなんとか解放しようとし、そして人生で最初に見つけた愛を献身的に恋人に捧いだ彼女は恋人を守るため両親を拒んだ。ほんの少しのボタンの掛け違いがドナウ川に浮かぶ二つの人生の終演となった。
日実は恋人千葉の死体から30キロも流された下流で死体として発見されている。
彼女の関係者は一様に後悔している、あの時、『もし』こうしていれば、『もし』あの時強引に連れて帰っていれば、『もし』あのファックスが彼女に届いていれば、『もし』あの時日本大使館に彼女を保護してもらっておけば、『もし』あの時送金を止めてなかったら、『もし』『もし」』『もし』『もし』『もし』『もし』『もし』止めどない『もし』が彼等を襲い、後悔の念が広がって苦しめる。日実と千葉に関わった全ての人はそれを引きずって生きていかなければならない。
川の流れのようにもう止めることはできない、きっと誰も悪くはないのだろうけど、ただ何かがうまく噛み合なくなってしまった。それは全ての要因でもあるし、全ての要因でもないと言える。
『もし』を言い出すとキリがない。『もし』両親が出会って恋をしなければ、彼女は生まれなかったし、『もし』留学をしなければ千葉には出会わなかったし。
目には見えない、肌で感じない、耳には入らない、鼻では嗅ぎ取れない、心から擦り抜けて行く想い、僕らにはどうしようもない流れに翻弄され、交差し、出会い別れ、想い、憎み、喜び、悲しみ、止めどなく溢れる感情の行く末に何があるのかなんてきっと誰も知ることはできないんだろう。
きっと彼女はそれを探していたんだと思う。己の感情のままに恋人を受け入れて、そして死を選んだ。
想いは人を強く、弱くし、関係をより強固に、逆に崩壊させ、重なり擦れ違わす。それを感じさせてくれる小説だった。
雨は地上へ降り注ぎ、植物たちの光合成で空に上り、冷やされ雲になり、繰り返し、繰り返し。
想いも繰り返されるのか?
循環はしないだろうから受け止めた人の中で昇華していくしかないのかもしれない。
『タペストリーホワイト』2006年10月26日
かつて、学生が世界を変えようと社会に牙を剥き、紛争が起きていた時代の話。
紛争に巻き込まれた姉、姉を追うように東京の大学に行った洋子。
失ってしまった姉、なぜ姉は巻き込まれたのか、彼女の死に意味はあったのか? そこで出逢う初めての友人であり恋人。
姉と恋人、そして洋子を繋ぐキャロル・キングの調べが一つの時代をその時代の青春を描く。
最近多いね、映画『初恋』とかもそうだったけど、学生が反抗し世界を変えようと戦い、権力に潰され、そして行き場を失ったエネルギーは悲しいことに、内部へと、仲間へと向かい、同胞を、同じ意志を持った同世代の頭を鉄パイプでかち割り、血と脳症を飛び散らかせただけだった。
そして、彼等は時代と共に、終焉と共に、忌み嫌った社会と言う世界へ転向し、社会の一部へとなり、嫌ったはずの資本主義の中で生き、新しい資本主義を増長させていくだけだった。
かつて、そう想い、戦った世代が読むとどう感じるのだろうか?
懐かしく読めるのか?
あんな頃もあったなあなんて、そういえばあいつも死んじゃったなあ感じなのかな。
僕らが育った90年代はなんだったのかな?
失われた10年とのちに呼ばれた時代に思春期を過ごした僕等のわけわからない息苦しさ、閉塞感はここに起因しているのかもしれない。
失われた10年を作り上げた世代達の青春物語。
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以前に文庫で出ていた『冬の教室』とSF JAPANに掲載された『夏の教室』と『海辺の教室』の『教室』シリーズの完全版で、世界観は統一され、『冬の教室』と『海辺の教室』は繋がる話として。 全体的には大塚英志原作漫画『東京ミカエル』にも繋がっている作品。
通過儀礼とかそういうことを民俗学で学んで漫画原作者になった大塚氏が、『17歳』になれるか『16歳』を乗り越えれるかどうかということを書いたお話でもある。
と考えれば、同じく徳間書店から出されたかつては『摩陀羅』シリーズと呼ばれた輪廻転生の物語(モチーフというか元ネタはは三島由紀夫「豊穣の海」シリーズ×手塚治虫「どろろ」)の終わりとして出された『僕は天使の羽根を踏まない』も少年と少女が通過儀礼を超えてそこから先に生きていく話として完結された。
まあ『摩陀羅』シリーズのファンには納得のいかない終わり方だったが。
大塚氏の世界観というよりは一緒に話を作ってる白倉由美の世界観だろうか、思春期の寓話であるところが。
帯より
僕達に、生まれてからの記憶はない。
左眼のバーコード、ドッグタグ、十六歳。
それだけが、僕達のアイデンティティ。
何をしても自由、モノに溢れたこの街では
十七歳になると、みんな消えてしまう。
一花の十七歳のバースデイまで、あと一週間。
壁に囲まれた永遠に真夏のこの世界から、
僕は彼女を連れて逃げられるだろうか。
まあ、これ読む前に『東京ミカエル』読んだ方が十六歳しかいないこの世界を想像しやすくなるのかなとか思う。
痛みと祈りとかそういう壁の中の物語。
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