Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『ヒーローショー』

 水曜日が基本的には休みで、朝はポルトガルとスペイン戦を観てから寝てしまったので本来起きる予定だった十時に起きれずに起きたら十四時だった。銀行行ってもろもろ支払いとかしてから渋谷へ歩いていく。桜丘町のシアターNに。


 井筒和幸『ヒーローショー』


監督・井筒和幸、主演・後藤淳平ジャルジャル)、福徳秀介ジャルジャル)、ちすん


STORY/バイトも専門学校も中途半端な日々を送る気弱なユウキ(福徳秀介)の新しいアルバイトは、ヒーローショーの悪役だった。ある日、バイト仲間のノボルが、ユウキの先輩である剛志の彼女を寝とってしまったことから、彼らはショーの最中に激しい殴り合いを繰り広げる。それだけでは収まらず、剛志はユウキも含め悪友たちを招集しノボルらを強請ろうとするが、ノボルたちも、自衛隊上がりの勇気(後藤淳平)を引き入れ報復にでる。次第に彼らの暴走はエスカレートし、ついには決定的な犯罪が起きてしまう…。


 この作品については事前に松谷さんのブログを読んでて『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』での『ザ・シネマ・ハスラー』を聴いていた。


 主演のジャルジャルは、テレビで観て面白いと思ったことがなかったんだけど、この作品においての二人はめちゃめちゃいい。同じ名前を持つが極めて対照的なキャラクターで、弱いユウキを演じた福徳の空虚な感じ、いろんな事に中途半端なことなど彼に共感できる人は多いと思う。反対に強い勇気を演じた後藤はお笑いやっている時の顔と違い凛々しく観ていて自然な感じだった。


 この主人公の二人のユウキは共に事件に巻き込まれてしまう。事件はとても陰惨で最悪な事態を向かえてしまう。この作品ではそれが丁寧に描かれていて、物事が最悪な結末を向かえてしまうということはどういうことなのかをきちんと観せているだけに後味は決してよくはなく、嫌な読了感のような観賞感は余韻としてどうしても残ってしまう。


 彼女を寝取られたことによる報復から事件は始まる。そこにまったく関係のない鬼丸兄弟という見るからに関わりたくない人物にユウキの先輩が頼って強請ろうとする。兄貴は見るからにタチの悪いかなり極悪な須藤元気さん的な風貌である。そして今作ではあまり出番がないのだが、弟の方がどうみても死を連れてくる非常にやばい雰囲気を醸し出している。この作品の教訓の一つは彼らだ。


 起きた出来事、特にマイナス要因の出来事にまったく関係のない人物を絡ませると、絡んでくると物事はたいていおかしい方向に転がりだして歯止めが利かなくなる。そして救いようのないところまで行ってしまう。


 元・自衛官の勇気も鬼丸らに強請られている二人の一人の兄・拓也の友人という事で彼に頼まれて、ある種の憂さ晴らしでこの事件に関わってしまう。勇気の母親は勇気とほぼ同年代の恋人がいて一緒に暮らしている。など彼のバッググランドも明かされる。
 拓也兄弟は父が地元の市長でありその家庭にある嫌なリアルな雰囲気が劇中で映し出される。
 

 報復が報復が呼んでしまう、そのためにこの流れを誰も止めないし、仲間の前でのメンツを気にしていたりするために止めるべき所で止めれない。だから結末は最悪なものになってしまう。


 二人のユウキは巻き込まれてしまった故にこの事件から完全に逃れる術を失う。結末としては二人はまるで反対の結末を向かえるが、そこにハッピーエンドを見出す事はできなかった。一人は復讐されるし、一人は復讐もされないがただ絶望と挫折感と孤独の中でただ生きていることを実感する。


 人にとって運がいいとか運が悪いということは人生でどうしようもない差を生んでしまう。彼らは単純に知り合い(先輩や地元の仲間)の中にあった不穏な空気に絡めとられてしまった。なぜ絡めとられてしまったのだろうか。

 
 現状の自分に対しての嘆きのような不満や空っぽで後先の事を考えていないからできる隙間、にそれらが入り込んでしまったように見える。だからこそ、この悲惨な結末、元々は『東大阪集団暴行殺人事件』が元ネタのようなのだが僕らにも起こりうる可能性のものとしてあるとこの作品は教えてくれる。それが何よりも怖いことだと思う。


 僕らは不幸の散乱銃が至る所で撃たれていてそれにたまたま当たっていないだけで、もしその弾に撃たれてしまったらその後の対処の仕方次第では解決不可能なぐらいに落ちて行ってしまう。
 あとは僕らを取り巻く人間関係は大丈夫だと思っていても何かが起こってしまう波乱の種を僕も君も全ての人が持ちあわせてしまっている。


People In The Box - レントゲン


 今月観た『告白』『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』『アウトレイジ』『ヒーローショー』のうち『アウトレイジ』はヤクザ映画というジャンル映画だけども、この作品で死ぬのはヤクザでドンパチが見物になっている、そこにあるのはあるヤクザの組織のポケットの中の戦争だ。
 しかし、娘が殺された教師の復讐を描いた『告白』や、養護施設で育ち労働環境が悪い中で働きそこで耐えれなくなった二人がここではない何処かへ旅立つ、あるいは逃げ出した『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』、今日観た『ヒーローショー』はそれはまるで今もどこかで起きているようなとても現実感のある作品で観た後に心にざわめきが残る。


 そんな中で『告白』は大ヒットしている。きっと泣ける映画やテレビ局主導のドラマの映画化にはみんな飽きてきている中でそういうゼロ年代的な映画に対する姿勢をきちんと打ち出して作品としても圧倒的な感じがする。
 アンチテーゼでもあるしカウンターとしても機能している感じ、このディケイドの映画の流れを作るんだろうなって思うし、映画とか作品を観たり読んだり聴いたり感じた後に残ってしまう消化不良な感じ、なんかわからないものが残ってしまう作品をみんな本能的に求めだしてきているんじゃないかな。


 考えなくてもいいそんなものよりも感じてどうしても考えてしまう、残ってしまうものに。僕らは単純に泣けるとかじゃなくて考える事を放棄しない作品を求めているんじゃないだろうか。
 いろんなことを考えずに周りの空気に敏感になって空気を読むことに意識して自分の意見を殺したり言わなかったりして考える事をしなかった。空気を読むことで周りに同調したことで小泉政権なんなりいろんなものが空気を読む中で考えられずに選ばれてそのためにいろんなものが崩壊してしまったような。


 僕らはきっと感じて、その事について考える事を本能的に求めているんじゃないだろうかってこの一ヶ月で観た映画の事を考えるとそう思える。