Spiral Fiction Note’s diary

ライター&Webサイト編集スタッフ。「水道橋博士のメルマ旬報」で「碇のむきだし」、「BOOKSTAND」で「月刊予告編妄想かわら版」、「PLANETS」で「ユートピアの終焉ーーあだち充と戦後日本の青春」を連載中です。

『ゴジラ 60周年記念 デジタルリマスター版』


監督・本多猪四郎
出演・宝田明(尾形秀人)、河内桃子(山根恵美子)、平田昭彦(芹沢大助)、志村喬(山根恭平)、村上冬樹(田辺博士)ほか




1954年に東宝が製作・公開した特撮怪獣映画の金字塔。太平洋の沖合いで船舶が次々に沈没する事件が発生。数少ない生存者が、巨大な怪獣の目撃談をもたらす。古生物学者の山根博士や助手で娘の恵美子、その恋人でサルベージ機関の所長・尾形らで結成された調査団が事件現場近くに浮かぶ大戸島に派遣され、やがて彼らの前に怪獣が姿を現す。島の古い言い伝えから「ゴジラ」と命名された怪獣は、密かに生き残っていた太古の生物が、繰り返される水爆実験の放射能の影響で目を覚ましたものであるとされ、対応策が練られる。しかし、その強大な力に人間たちは成すすべもなく、東京に上陸したゴジラは街を火の海に変えていく。その頃、山根博士の愛弟子である科学者の芹沢は、ゴジラにも有効な恐るべき発明を実現させていた。その技術がいつか悪用されることを恐れ、使用をためらっていた芹沢だったが……。本作を皮切りに、50周年を迎えた2004年の最終作「ゴジラ FINAL WARS」までシリーズ計28作品が製作。98年にはローランド・エメリッヒ監督がハリウッドリメイク版を手がけた。60周年を迎えた14年、2度目のハリウッド版「GODZILLA」(ギャレス・エドワーズ監督)の製作・公開を記念し、原点である本作が「ゴジラ 60周年記念デジタルリマスター版」としてリバイバル公開。(映画.comより)




 窪美澄さん(a.k.a 窪ミッシェルガンエレファント)にあんた絶対観た方がいいからと激推しされた『ゴジラ 60周年記念 デジタルリマスター版』を観に錦糸町にやってきたらスカイツリーが向こう側に見えた。
 『ゴジラ』一作目を観て思うこと、去年園さんの『ラブ&ピース』のお手伝いに行った時に読ませてもらったシナリオに書かれていたこと。『ラブ&ピース』が公開された時に僕は『ゴジラ』を嫌でも思い出すだろうな。


 繰り返されてしまう出来事、原爆が落とされて原発が爆発したこの国に僕らが生きていること。いやでも福島の原発のことが浮かんでしまう。同時にこの国はダメなことを繰り返し不都合なことは隠し続けるのだろうと。水俣病やいろんな公害を国が認めるまでに何十年かかったか、それまでに多くの人が亡くなり多くの家族の時間や喜びが奪われたことを国や政府は反省などしない。
 戦後の特撮を作っていた人たちは日米関係や社会に起きている事を内包して物語に落とし込んでいた。社会や国に対しての怒りや憤りが作品に染み出していた。
 僕らが物心ついた時にはその意識は失われたのか作り手の意志から失われた時代だったのかもしれない。だから、今でもウルトラマンの初期シリーズで描かれているものはまったく子供に向けられていない故に強度があり今ですら驚く内容であり続けている。
 特撮にハマった事のなかった僕は宇野常寛著『リトル・ピープルの時代』を読んで初めてウルトラマン仮面ライダーの成り立ちやそこで描かれていた作り手の意志を知った。
 平成仮面ライダーシリーズの『龍騎』は9.11以後の正義と悪がなくすべての正義(意志)が戦い勝った者が正義である世界を描いていた。
 物語とは世界を理解するモデルであると大塚英志さんは言っていた。語るべきことはあるがそれをいかに届けるかあるいは届けようとする時に物語という装置は深く深く届けることができるのだと思う。姿や形、手触りやなにもかもが奪われても意志のみは引き継がれていく、物語という乗り物によって。