Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

『この世界の片隅に』


 『この世界の片隅に』鑑賞。そうなんだよなあ、人ってふいにフッと目の前からいなくなってしまうから。そして、どんな非日常も日常も生活していかないといけないのだ。
 祖母が実家近くの山から広島方面にたくさん飛行機が飛んでいき、光ったのを戦争中に見たと昔聞いたけど、それは呉でも広島でもなく福山市のエリアなんだと思う。そういう日々がかつてあった。言葉により僕にそれは繋げられている。
 我慢しても幾度か泣いてしまったけど、泣いてスッキリとか気持ちいいみたいなことではなく、そんな日々が僕らの現在という時間軸の層のしたにあったことを強く感じてしまったから。
 馴染みのある方言はやはり感情が入りやすい。
 かつて『火垂るの墓』が夏休みによくテレビで放映されていたように、この作品もそうやって映画館で観て欲しいけど、語り継がれるように観続けられる作品になるといい。でも、テレビではきっと放映はできないだろう、事務所問題とかありそうだし。
 作品でも描かれているが戦時中でも笑い声はあったし、ということも大事なこと、生活はずっとあるのだから。観ながら最後の方は泣いてたけど、中盤まではかなり笑い声が上がっていたように思える。生活はそれでも続いていく、この作品に描かれたことの先に今の僕らがいるのだから。