Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「エンピツ」meets「Under Age’s Song」punk.ver

Thom Yorke - The Hollow Earth


 radiohaedのトム・ヨークのシングルをiTunesで購入。二曲目の「The Hollow Earth」がかなり踊れるダンスナンバーみたいで気持ちいい。以前に「Kid A」が出た時にこのレコードは踊るためのモノだみたいな事を言っていた気がする。その感じに近い。


 「Idioteque」の歌詞の内容は「氷河期がくるぞ、女子供からさきに逃げろ」みたいなものだったが死生観みたいなものが漂うナンバーだけど実際のradioheadのライブを観ればわかるが彼らの音楽はもの凄く踊れる。


 10日11日と下北で東京に来て最初のバイトのゲーセンで友達になったうっちー(内山さん)が所属しているコントユニット・スペースラジオの第五回単独ライブを観に行った。
 バイトを辞めたり引越しをしたりとうっちーと連絡をしなくなって、いつもの前のバイトの友人と飲んでる時にうっちー何してんだ?となってその時に電話したら芸人やってるという話になりちょうど第一回の単独ライブの少し前でみんな観に行ってからまた飲んだりするようになった。


 人の縁というものはどういう感じで繋がったり切れたりするのかってやっぱり個人同士の合う合わないということの波長とかタイミングが大きい。


 それから単独ライブがあると毎回観に行っている。今年はもう二回目だったと思う。僕はお笑い好きだけどそんなにテレビとかで爆笑することはあんまりない、まあごっつ(松本人志)シンドロームのせいだと思うんだけど。でも、ツボに入れば爆笑する。生で観ても一滴も水を零さない位に笑えなかったお笑いライブもかつてはあった。


 そういう彼らはレッドカーペットに出てもしょうもない歌(フォーク的)を歌って笑いでもなんでもない感じのネタをしててやっぱりつまんない。生で見て爆笑とか手を叩いて笑うってのは実は難しいことだと思う。


 スペースラジオはうっちーが知り合いっていう少し身内的な事があるのに笑える、手も自然と叩いてしまうぐらいにネタと構成が単独ではしっかりしているので面白いと勧められる。


 なのになんでテレビ出てないのとか聞かれたら、そりゃあ事務所とか政治力の問題ですよねとしか言えない。テレビ出ている芸人がみんな面白いわけではない事なんかみんなもう知っているしわかりきってる。
 僕自身も映画の専門出ているので同級生から現場の話も聞くしなんらかの出版社の話も聞く機会もある、圧倒的な他をひれ伏すような才能でもない限りはタイミングと政治力(コネとかもろもろ)が実力を度外視する位に重要な事としてある。


 僕が生でネタ観て本当に面白いなって思ったのはフットボールアワーの漫才だったけど、本当に完璧なぐらいに笑いの波状攻撃だった。M-1でチャンピオンになるよなって。だけども漫才が巧くて面白いのと芸人・タレントとしてテレビで使うやすいかどうかはまるで違う。


 同じくチャンピオンになったブラマヨはいじりやすいから看板番組を持てなくてもゲストとして充分に機能してくれる。最終兵器として芸能伝統はげ踊りがある限り小杉さんは活きるし、哀愁が出てくるとさらにブラマヨのネガティブな部分は面白くなってくる。


 フットボールは漫才は面白いけどそういう機能がなかなか果たせないからあんまり出れない感じ。それは岩尾さんのある種のプライドが邪魔してて小杉さんみたいまでにはなれないような。
 吉本は集団芸というか先輩・同期・後輩の連帯感が強いので他事務所が中々絡み辛い、それが上手くいってるのは「アメトーーク」で好きなものが被ってるから事務所枠越えて繋がってる時ぐらいじゃないかな。



 スペースラジオは四人組のコントユニット、昨日今日と事務所の先輩のエレキコミックの二人が日替わりで観に来てた。
 事務所で一番売れてて独自の路線で完全に世界観を作り上げて熱狂的なファンがいるのがラーメンズなのでテレビ的に強いわけでもない。昔は出てたけど今はまったく出ないのはたぶん舞台でやっていけるってことの自信とテレビにどこかしら不信感があるからだろうとか思う。ラーメンズのチケは争奪戦のプレミアものという価値がある、その強さはやっぱり凄いとしか言えない。それは圧倒的な自信になる。


 テレビがつまんないと思う人も劇場や小屋に足を運んでみたらいいのになって思う。お笑いも劇場で観てハマればリピーターどんどん増えるし、問題はいかに女子の客を捕まえるかっていうことで。女性客が増えれば人気出るし、バンドもお笑いも客の大半は女性だったりする、やってるのが男性が多いってのがデカイんだろうけど。


 CDが売れなくなってどんどん売り上げも下がっているのにライブの観客動員数が伸びているのはTBSラジオ「文化系トークラジオ Life」で津田さんがその事について語っていたけどフェス文化が日本に芽生えた事でライブのよさが生で体験することの価値が上がってきたということだと思う。

 CD買わなくてもYou Tubeとかで新曲だけチェックしていく人も増えてるっぽいし。ライブ感の価値観が確率されて土台が広がったんだろう、だから音楽だけじゃなくてその価値観は他の所でも共有されるはず。


 フェスの場合は各地で乱立しすぎて互いに潰し合いの淘汰の時代に入っているのは仕方ない。どの地方でも客呼べる大物はだいたいかぶるからたいした差がないとなるとRIJとか巨大なフェスに勝てようもない。地方でフェスやるなら差別化していくしかないんだろう。


 生で何かを体験する事の価値が大きく、価値観としてデカクなったのがゼロ年代なのかな。フェス文化が一般化したのはこの十年だろうし。
 お笑いもテレビで若手が出まくっていとも簡単に消費されていくスピードがどんどん速くなっている。売れるのが遅くても劇場やコントライブで地道にやってた芸人さんは最終的には強い感じがテレビを観てもする。


 だからスペースラジオも小屋(劇場)からブレイクしていってほしいと個人的には思う。テレビに出た方が売れるのは速いだろうけどそこで力が付かないと速攻で流れから落とされてしまうだろうから。


 今回の単独ライブ「エンピツ」は初日よりも日曜の方がテンポいい感じだった。昨日は暗転(照明落とす)の回数が多く感じてしまった、今日はその間に音楽が鳴っていて昨日よりもだいぶ感じが違う。前回とかだと映像が出てて暗転が多い感じがしなかったと思う。


 「エンピツ」とかあるネタや言葉を最初から最後まで絡めてネタ同士にリンクさせていく感じの構成はスペースラジオの単独ではけっこう巧くていいんだけど、今回は少し薄かった感じだった。
 ネタがブツ切れな感じで終わってしまってもったいない感じだったりしたのが何個かあって、けっこう笑いが起きているのでそこが残念だった。前回「C」の方が終わった後に面白かったと思ったのはその辺りがブツ切れになってなかったからだと思う。連続性が続くと笑いやすい空気感になるから波状攻撃になりやすいんだろう。


 路上でバンドやってる四人のネタでの「迷い」みたいなものが計算なのか自然と出たのかわからないが単独の中にいろんな彼らの「迷い」みたいものが出てしまっていた感じが強くした。


 僕自身もある種の停滞感を今凄く感じていて、三十路も近づくと嫌でも人生を考えてしまう時期だからその「迷い」感が共感というか伝わりやすかったのかもしれない。だからそこを吹っ切れたらもの凄く連続的に笑いが起きるのかもしれないない、今でも充分に笑わせれるスキルがあるけどもっと大きいキャパでやりたいだろうしもっとお客さんが来て売れて欲しい。


 今の「迷い」みたいなのがやりきって、過ぎ去ってしまえば次のフェイズに突入すると思う。絶対に彼らは売れると思うし笑わせれるスキルもある。大きなキャパでたくさんの人を笑わせて欲しいと思う。その時は関係者で入れてもらいたい、チケが取れなくなって関係者でっていう手を。


 「迷い」感は勝手に僕が深読みとか感じてしまっただけかもしれないけど絶対にやりたいことをしていたらいつかはぶつかる。
 僕も今停滞感とか壁にぶつかってるから、Dragon Ash「Under Age's Song」の歌詞「すべてさえぎる壁になるなら 壁画を描いて笑い飛ばせばいい」って状態になれたらいいなって。


[LIVE]Under Ages Songs punk ver. / Dragon Ash


 最後に↑観たのが『Devolop the music』ファイナルだった。二年三ヶ月前、もうそんなにか。


 人の創作物の刺激は思ったよりダメージが大きいし、昨日終わった後に友達が経営手伝ってる焼き肉屋で飲みながら友達と話すといろいろと考える事があって刺激としてこっちには入ってくるから、まだ大丈夫だって思った。その刺激とかなくなったらたぶんもう無理だろうから。
 十代のガキの頃とか二十代になったばっかりの頃よりも現実が重くのしかかってくる今の方がこの歌詞が揺るぎなく優しくて温かい。
 来月のDA出るイベントでやったら速攻でダイブしちゃうなあ、でもこの曲やらないだろうけど。今年のファイナルで「Smells Like Teen Spirit」フルでやったのがレアだった。


 Dragon Ashツアー『Devolop the music』ファイナルのmixi日記読むとその頃のポジティブ感を再度持たないと今ある繋がりさえも切れてしまうと思った。繋がりがないとどうにもなんないし、人と人の間にいるから人間だし、こんなどうしようもない世界がときどき素晴らしく思うのはそれを感じる時だから。