Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「ONCE AGAIN」

 朝、空は暗いと言うよりも深い空がもくもくと連なって黒と青と紺色と灰色を巻き込んでしたたかに緩やかに、しだいにそれらがゆっくりと融解していって淡い、あわい色の連なりになりながら変化していく模様、そんな風景を見ながら走った。考える事はたくさんだし、考えなきゃいけない事は確実にあるし、そいつらが僕を浸食してくる、ゆるやかに確かに。


 だけどもそういう浸食を食い止めないといけないし、あるいはその浸食のスピードを逆に侵して僕の眷属にしてしまうのがもっともだろう。不安や倦怠や不純や怠惰とかそんなものたちを、闇の眷属たる力を取り込んで自らの側に、光の眷属に転化できればその力は元の力を充分にしのいで僕はネクストフェイズに突入するだろう。だからとりあえずたるみきった肉体と精神を一気に目覚めさせないといけない。


 ストイックさ、健全な肉体に宿る狂気、それらをぶつけて何もならないならそれまでだ。だけどそこに行けるように今の不健全な肉体はストイックさとはまるで逆で、だから精神的な強さもないしストイックさが足りてない。
 足りないのなら補うか奪うか、奪えないものは補うしかない。補うためにすることなんか前からわかってた。でも甘えとかズルさとか日々に埋没するものがそれらをさせないで、できないでそこからは遠く離れてしまう。どのくらいの期間が必要かはいまいちわからないけど、長期間で考えるとダレる、ダレてしまうからあんまり長いよりはできるだけ短期間でモードのスイッチを変えるしかない。


 変えれたら長期スパンで物事が考えれるようになるし、ダレない。


 ぶっちゃけ今ある、考えているネタでどのくらいの勝負ができるのかは疑問。でも書き上げれれば最低限の出てるレベルにはいけるはず、と思うしかない。二月、三月の締め切りがあるものに一気に書き上げれるように今から書き上げる力を付けて増していくしかない。諦めずに最後まで書くということは、精神力がいる。長距離ランナーの孤独じゃないけどたぶん必要なのは短距離ランナーみたいな瞬発力じゃなくて長距離ランナーの忍耐強さといつ勝負にでるかゲームを支配するかという経験。


 久しぶりに朝走ると驚くほどの体力のなさに笑えてくる。でも体が動いている、使ってなかった部分が反応して稼動し始めている、時間はかかるだろうけど継続して鍛えて体力をつけないといけない。三十分走ると息が切れる、朝はもう寒さが支配していて汗ばんだ体も歩いていると少しずつ熱さが低下していく、運動するにはいい時期ではないけど、そこは逆らってやるしかない。
 

 歩きながらPodcastにして「ライムスター宇多丸のウイークエンドシャッフル」を聞きながら家路を目指す。体が動いたという疲労感がある、この感じが大事。耳に聞こえてくるのは宇多丸さんが話す「ちょこっとラボ『ライムスター新曲「ONCE AGAIN」のできるまで』」で、曲自体は聞いたことなかったけどクリエイティブな姿勢が伝わる。「ONCE AGAIN」って単語が耳に残って、入ってきて考える。歩きながら何かを考えるのは好きだ。走ってる時はまた違うから、いい。


RHYMESTER - ONCE AGAIN


 もう一度って意味だよな、だからもう一度ってことは、時は巻き戻せないけど、状態をその時に近づけることはできるかもしれないし、可能性はあるから。スタイルってことを考える。二、三年前とかの自分とかを思い出す。


 ライフスタイルってのは仕事で決まるって何で読んだんだっけ?


 二、三年前だったらまだ服に少しは興味あったし、ジョージコックスが重いけど、厚底ブーツだとか言われてたけど履いてた。履かなくなってどんくらいだろう? そう言う事を考えたら履いたのは永瀬正敏さんが履いててかっこいいなって思って、買って履いて最初はラバーソール重いからかかとがすぐに靴擦れで血まみれだったけどそれでも履いて薄い皮膚も、しだいに厚くなって慣れてジョージコックスも僕の一部になって、だって血が染み込んだ靴で。それはまるで昔見てた「聖闘士星矢」でクロスを修復する時に血を与える事で生き返らせたような感じにも似て嬉しくもあった。


 だから歩きながらビジョンを描いて、大事なのは想像して現実を理想に近づけるシミュレーションの訓練。想像にやがて追いついていくように、現実がいつか想像に追いついたら想像も理想ももはや現実の一部で、そこに自分が立っている。


 歩きながら通勤や通学の人と逆方向に向かった。半年もすれば28の誕生日がくる。そん時に四代目ジョージコックス買ってやる。きちんと体重も落としてやる、作品だって書き上げて今よりも応募していくし、ストックだって作ってやる、もうそんぐらいでいく、たぶんポジティブにやっていって周りを巻き込むための力をつけるために自分のスタイルとか必要だし。

 
 想いが形になって、世界に現れる。だからその想いが念が具現化するためには、あとは動くしかない、当たり前すぎること。これは単なる決意表明。