Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「空気人形」






 この作品が公開されると聞いた時はあまり興味がなかった。是枝さんは好きな監督でもなかったし、どちらかというと苦手だ。
 でも作品に興味が沸いたのは高月靖著「南極1号伝説―ダッチワイフの戦後史」という文庫を先月頭に読んでラブドール(ダッチワイフ)というモノに興味を持って、そのモノに心が宿ったらどういう物語になるのかと思い始めたから。


 監督/是枝裕和/主演/ペ・ドゥナARATA板尾創路、高橋昌也、余貴美子岩松了星野真里丸山智己、奈良木未羽、柄本佑寺島進オダギリジョー富司純子


 あらすじ
 古びたアパートで持ち主である秀雄(板尾創路)と暮らす空気人形(ペ・ドゥナ)。ある朝、本来持ってはいけない“心”を持ってしまう。秀雄が仕事に出かけると、洋服を着て、靴を履いて、街へと歩き出す。初めて見る外の世界で、いろいろな人間とすれ違い、つながっていく空気人形。ある日、レンタルビデオ店で働く純一(ARATA)と出会い、その店でアルバイトをすることに。密かに純一に想いを抱く空気人形だったが…。


 この間、「ノーボーイズ ノークライ」を観たシネマライズにお昼に行くと列が出来ていた。毎度チケ屋で前売りチケを買っていくんだがライズは火曜は千円のサービスデーらしく人が多かった。六割以上は埋まっていたかな、平日の昼間にしては多いと思う。「ノーボーイズ ノークライ」は公開二日目の日曜の昼間に二十人いなかったからなあ。


「ノーボーイズ ノークライ BLUE ver.」
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20090824


 「空気人形」はあらすじにあるようにモノであった空気人形に魂が宿ってしまい、そして主人/持ち主である秀雄の元から少しずつ離れて家の中から家の外の世界を知り始める。


 出てくる登場人物は空気人形のように「からっぽ」だ。「からっぽ」な心だったり、大事な人がいなくなり「からっぽ」な空間に一人で佇む。
 そして誰もが「からっぽ」な心を埋めるために代用品を求め、代用品を傍らに置いて一時的な安息を求めるがその穴が空いてしまった心はすぐに寂しさや空虚さ孤独に支配されてしまう。


 作品の趣としてはファンタジーだと思う。ファンタジーで包む事で現実世界をさまざまなメタファーで満たし独自の世界観で説得力を出す。ツッコむ所はかなりあるがファンタジーだと思うと「まあ、いいや」と感じた。


 ペ・ドゥナが人形から次第に人間に近づいていく過程で顔の表情が豊かになっていく、これがこの作品の説得力にかかわっていた。普通にセミヌードというかダッチワイフである彼女は「性処理道具」である故に裸でいる箇所が多々ある。その顔とさらけ出した胸などを観ていると高校の時に好きだった葉月里緒菜を思い出した。


 観ていて僕にとってはファンタジーである好きな作品「ジョゼと虎と魚たち」でのジョゼ役の池脇千鶴が初めて脱いで絡みのシーンをやったことと何か重なった。


 なんだろうなあ、是枝さんと犬童さんは趣向が似ているのか、ファンタジー的な空気感の作品では生身である女優が脱いで絡みのシーンをしてもいい意味でその女優は汚れない、ように監督が撮ってるような気がする。そこに女性の性はあんまり感じられない。
 男性監督故の女性への妄想とかが現れている感じもする。女性監督ならかなり違う表現になるはずだろうが女性監督ならこういうファンタジーを作ることもないだろうとも思う。


 板尾さん扮する空気人形の持ち主に関しては観る前に「キモい」と聞いていたが特にそんなこともなく。何かに依存する人間なんて他者から見れば「キモい」かもしれない、あとは女性から見ればダッチワイフをまるで彼女のように扱う男性が「キモい」だけかもしれない。


 ミッキーやその手のぬいぐるみとダッチワイフは違わないし違う部分もある。それは「性処理道具」かどうかという部分。でも幼い子にとっての「ライナスの毛布」みたいなものとしては同じ在り方をしている。


 板尾さんの演技は良い意味でコントに見える。僕はずっと板尾さんがダッチワイフとのシーン、一人でひたすら話かけるシーンや性行為シーン、ダッチワイフがペ・ドゥナに変わっても同じようにしているシーンでかなり笑いそうになったし、何度か笑った。


 是枝さんは狙ってるのか狙ってないのか知らないが板尾さんと空気人形のシーンは笑える。板尾さんの空気感ゆえだろうが。
 最後の方で新しい空気人形と一緒にいるのを心を持ってしまった空気人形であるペ・ドゥナが見て始まる二人のやりとりは秀逸なコントでありながらも心を持ち「誰かの代用品でしかない自分」という痛みを知ってしまった人形の哀しさと愛用していたダッチワイフが動き出してしまい、それに驚きながらも彼女を普通の人間のように扱ってしまう自分にさらに戸惑うという感情が全面的に漂う。


 これはまるで「ごっつええ感じ」でのコントを映画化したかのような気がした。例えば松本さんがおかあさんロボットで捕まって、連行される時に子供(普通のおもちゃのロボット)に語りかけるコントなどに近い。「トカゲのおっさん」とかの哀愁とかにも通じる。


 観ながら思ったのはこれは映画にしたシュールなコントだなって。この前に観た映画が松本人志監督「しんぼる」だっただけにこれを松本さんが撮ってたらすごく評価されただろうし作家性を認められただろうと。なんせメインの一人が板尾創路さんなのだから。


 「しんぼる」は確かに面白くない。何カ所か笑える箇所はあるが作品としてはきつい、それは期待値が高いだけに観終わった後の残念感が普通の作品よりも何割も増すから余計に。


 宇多丸さんも「ザ・シネマ・ハスラー」で言っていたように松本人志という人は「いわゆる「お話」、ハリウッド映画的な娯楽映画の持っているお話を語ることに興味がない」「アイディアとディテールの人」「言葉の人から、意味の人から離れられない」という理由から映画向きではない。


ザ・シネマ・ハスラー「しんぼる」
http://redirect.tbsradio.jp/redirect0/utamaru/20090919_hustler.mp3


 でも、「空気人形」みたいな作品をシュールなコントとして作れたら新境地だったろうなあと思うが彼が「お話」を語ることに興味がなく周りの参謀もそちらに移行させる事はできずにいる。


 「空気人形」の終わり方としてはこういう感じだよなあって。終盤に起こる事がシュールさに磨きをかけていた。挿入される「ハッピーバースデイ」的なシーンがなくて終わった方がよかったと僕個人は思う。


 空気人形と関わる人たちは何一つ「からっぽ」な心を満たせずに同じような日々を過ごしている。あるいは満たすために何かの代わりの「代用品」に変えては一瞬満たされるを繰り返す。


 この辺りの登場人物に関しては解決もないし、展開もさほどないのが残念と言えば残念だけど。彼らや彼女たちが住んでいる町は聖路加病院の近くで空襲を受けずに焼け残った区画で周りは開発が進みながらも地上げが途中で終わってしまっているので東京においてのエアポケットのような「ぽっかり」としている場所でこの地域が画的にはものすごくいいロケーション。


 オダギリジョーがダッチワイフを作った会社の職人的な感じで出てくる。ペ・ドゥナにとっては彼はこの世界に自分を産み落とした人物でありある種の「神」でもある。「君が見た世界はどうだった?」と聞いたりする。そこでペ・ドゥナが答える言葉は人形だけども人が思う事とたいして変わらないような気がした。


 板尾さんが一緒に風呂に入って「お前の難点は肌が冷たい事やな」とか言いながらお湯をかけるシーンとか性行為(まあ、人形相手なので基本的にはオナニー)後に人形からオナホールを取り出して板尾さんが洗っているシーン等がきちんと描かれている所が現実的だった。
 「南極1号伝説―ダッチワイフの戦後史」に書かれていたユーザーの声としてそれらはメーカーとしていろんな対処を考えている部分。


 本に書かれているラブドールは「空気人形」というよりはシリコン等の高級な素材でダッチワイフの中でもかなり高価なもの。


 一体60万円前後するらしく、オダギリジョー扮する職人がいる会社にペ・ドゥナが入った時にベッドのようなものに寝ていたり置かれているのはシリコン等で作られた高級ダッチワイフ=ラブドール


 実際の所は「空気人形」である彼女の顔はそこで作られたっぽいけど本当の体はビニール製だよなあとか思ったり、バイクの後ろに二ケツしたら風で飛ばされるんじゃないかって思ったりもしたけどあまり気にしないでおこう。


 主人公は「空気人形」である彼女なので観客は彼女の視線で世界を見る。


 「南極一号伝説」にも書かれているがダッチワイフの愛用者は中高年男性が多く。浮気によらず性欲を発散させるため、伴侶と死別した寂しさを紛らわせるため、という理由が主な購入動機になっているという点、また交際相手に恵まれない障害者のためにも使われているし購入されている点。


 実際の製造メーカーの中には、障害者福祉のため障害者手帳の提示があれば、価格を割り引いて販売しているところも少なくない、これに関しても販売会社の人が答えていた。


 という部分を盛り込むと板尾さん演じる秀雄も彼女と別れたかなんらかの失意を寂しさを紛らわすために「空気人形」を愛用しているんだが、そこの苦しみはあまり描かれていない。そこを描くと生々しくなるのかもしれないけどそっちの方が感情移入ができたのかなって。


 ARATA扮するビデオショップの店員に恋し、転倒する時に穴が空いてしまい空気が抜けていくシーンでARATAがへそにある空気栓から空気を入れると少しずつペ・ドゥナの体が膨らんでいくシーンが命を吹き込まれていくように見える。


 彼女の「からっぽ」の体の中が彼女が好きな彼の息によって満たされるという辺りのメタファーっぽい感じのエロスが描きたかったんだろうなって見ながら思った。


 山本直樹さんの短編集「明日また電話するよ」「夕方のおともだち」みたいな日常の中にエロさを過分に含んだ作品みたいな生々しさがあるといいな。「空気人形」でエロさを感じなかった僕は是枝さんとは趣向が違うんだろう、直感的なエロさだったり生々しさが作品にある方が僕は好き。


 でも、ファンタジーで包まれたシュールなコントとして観るとかなり秀逸な作品。聖路加病院の近くで空襲を受けずに焼け残った区画で周りは開発が進みながらも地上げが途中で終わってしまっている場所という画はかなりいい。

南極1号伝説―ダッチワイフの戦後史 (文春文庫)

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明日また電話するよ

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夕方のおともだち (CUE COMICS)

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