Spiral Fiction Note’s diary

物書き&Webサイト編集スタッフ。

「moka」

 先々日、ツタヤの近所にある巨大看板、たぶん首都高から見える場所にあるやつがメンノンの広告なのに、「UNO」のFOG BARの宣伝モデルの妻夫木聡小栗旬瑛太三浦春馬の四人が出てて、これはコラボったのかと思って朝帰る時にコンビニでメンノン最新号見たらおもいっきり四人が表紙だった。
 さすが資生堂とも思ったし、広告モデルの契約時にメンノンとのコラボのことも入ってたりするのかなって思ったり。


 雑誌が売れなくなっていて、不景気の煽りをもろに受けて広告料が入らない雑誌は休刊・廃刊しまくっている。売れなくても広告料でなんとか維持していたものが潰れている。
 まあ、内容がなくて売れない雑誌が広告料入らないで潰れるのは仕方ない。という時代にこの思いっきり広告料積みましたぜってこのコラボ。凄いとは思うけど、どっちの会社も大丈夫なのかと心配になる。


 ツタヤに行った時に持田香織のソロアルバム「moka」をつい借りてしまった。まあ人生で初めて行ったライブがELTだったし、Dragon Ashとのコラボもしてるし。しかし、老けねえなあ〜、ビックリするぐらい。


 モッチーは森ガールなのか、雰囲気的には。森ガール的な人って胸ないよねってことで僕の中で結論を出しているのだが、胸あるとたぶん森ガールな格好が似合わないのと、あればあるとある程度強調したりする格好とかするんだよね。
 レジで接客してるとなんとなく女性のタイプって身体的なものでファッションがある程度決まってる感じがする。たまにそれはっていう人もいるけど。


 胸って女性の象徴でもあるからそれを出すか出せないかっていう自意識問題でけっこうファッションって決まってるんじゃないかと思ったみたり、思ってもどうでもいいやって思ったり。


 そんなわけでアルバムを借りてそういえば中の曲が西原理恵子原作の映画「女の子ものがたり」主題歌だったなって思って観に行こうかなって思ったりした。
 西原さんの著書は「この世で一番大事な「カネ」の話」というのしか読んでいないのだが、これは本当に幼少期からの家の事とかおお金に関することが書いてある。この辺りのことがどうやら漫画で書かれてそれが映画化されたみたいだ。


 西原さんは車で送り迎えしてもらう状態の時もあったりという家が金持ちだった時期もあったり、お父さんが亡くなったかなんかで、お父さん借金かなりしてて貧乏になったりと両方を体験しているはず。高校を退学になって、美大受けて落ちて、上京して予備校に通いながらすでに出版社に売り込みに行ってて、大学時代には仕事をしながら通っていたというのをそれで読んだ。


 西原さんが若かった時から今言われるような格差ってのはモロにあって、金がないとやりたいことや大学に行けなかったりと両親と同じような家庭環境を繰り返す状況になるという。
 格差ってのは両親の経済状態で受けれる教育が違ってくる、だからいい大学とかに行っている両親の子供はそうなるし、そうじゃなかった家の子供はそれが難しくなるから、さらに格差が広がるという悪循環、すべてがそうなるわけでもないけど。


 でも、ホリエモンひろゆき対談本の冒頭で二人は実際のところ世界格差ランキングで言えば日本はまだ格差がないほうだよねとは言っていたが。社会とか報道が格差とか煽っているってのも実際問題あるだろうし。

 
 映画館で女性がわりと泣いているという。観に行ったら浮きそうだ。小中学校の女友達のことを思い出して泣いたりするのかな、やっぱり。逆にこんな友達欲しかったって泣く人もいそうだ。


 「持田香織 / 静かな夜」の動画を置こうとしたらリクエストにより無効だった。エイベックスが画像管理してるみたいだけど、勝手に宣伝してくれるのも無効化するのはどうだろう、もったいないと思う。


持田香織 / 静かな夜」
http://www.youtube.com/watch?v=oOkS9vMMZp0


moka

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この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)


 家に帰るとポストに作・演出/ケラリーノ・サンドロヴィッチ、主演/瑛太の「東京月光魔曲」っていうBunkamuraでの舞台の特別先行予約・販売の葉書が来てた。


 共演は松雪泰子橋本さとし大倉孝二犬山イヌコ長谷川朝晴伊藤蘭山崎一ユースケ・サンタマリアほか。顔と名前が一致する人だけ書いてみた。少し観たいけどシアターコクーンはチケ代が高いんだよなあ、S席9500円だし。


 前にシアターコクーンで観た時にアンケート出したから来たと思うんだが、なんだったっけなと思い出したら去年の八月に大人計画舞台、作・演出:松尾スズキの「女教師は二度抱かれた」と一月にNODA・MAP第13回公演「キル」 /作・演出 野田秀樹/主演・妻夫木聡広末涼子を観てた。
 ケラさんは一度舞台でKERA・MAP#003「砂の上の植物群」を観たぐらい。すごく好きなわけでも嫌いなわけでもない劇作家さんなんだよなあ、奥さんが緒川たまきさんってのが解せねえ、いや羨ましい。


 で、さっきテレビ見たら瑛太カエラ熱愛とか、瑛太すげえな。山崎真美はどうした・・・。しかし、チケ代が高い。大人計画の舞台すら今年行ってないしなあ。


女教師は二度抱かれた
http://d.hatena.ne.jp/likeaswimmingangel/20080812


NODA・MAP 第13回公演『キル』2008年01月11日


 5日の新年会でcharlieと仲俣さんに読んだ方がいいと言われた楳図かずおわたしは真悟」の文庫コミックをようやく見つけたのであっただけ4巻まで購入し読んだ。3巻でタイトルの意味がわかった。
 そして、飲み会で言われていた岡崎京子作品の中で言及されていた「333のテッペンカラトビウツレ」も確認できた、そうそれは誕生の瞬間。


 「奇跡は誰にでも一度おきる だがおきたことには誰も気がつかない」


 このメッセージが第一話の扉画に書かれている。


 楳図作品は読んだことがなくて彼の絵も好きではなかったし、言われなければ読まなかったと思う、でも出会ったよ。


 縁というものはつくづく不思議なものだ。


 それもそのはずこの作品が連載されたのは82年。僕の生まれた年に連載が始まったもの、つまり僕と同年齢である。
 それにしてもこんな作品が生まれた年に連載されてたんだと思うとなんだか複雑。これは当時読んだ人にイヤでも衝撃を与えるよなあ、確かにでてくるロボットとかは今読むと古くさく感じるデザインだとしても作品のクオリティの高さといい、ストーリー展開といいなんていう壮大なテーマなんだと、とりあえず早く最後まで読みたいと思う。でも、5〜7巻探さないと。
 

 読み終わり後、渋谷にのんびりと歩いていく。


 東急Bunkamuraシアターコクーンにて
 NODA・MAP第13回公演「キル」



 を観る。作・演出 野田秀樹


〜STORY〜
 羊の国(モンゴル)の洋服屋の息子テムジンは、父の憎しみを受け成長するが、父はファッション戦争に敗れ命を奪われてしまう。
 そんな父の遺志を受け継ぎ、祖先の名を冠したブランド「蒼き狼」による世界制覇の野望を抱き、羊毛の服で大草原のファッション界を制していく。
 そして、腹心・結髪の仲介で絹の国(中国)から来た娘シルクと恋に落ちるが、シルクは絹の国に連れ去られてしまう。怒ったテムジンは、祖国の羊を焼き捨て、敵国に攻め入りシルクを奪い返す。
 やがて、妻となったシルクに息子バンリが誕生し、父と同じ宿命を背負ったテムジンは、今度は自分が息子にとって代わられる恐怖に襲われるようになる。しかし、その後も外征を続け、ついに世界制覇の夢が達成するかに見えた時、西の羊(西洋)の地から、「蒼い狼」という偽ブランドが出現し、「蒼き狼」の行く手を阻む。
 その制圧に遣わしたはずのバンリは消息を絶ち、新たなデザインさえも「蒼い狼」に盗まれ追い詰められるテムジン。
 果たして「蒼い狼」は一体誰なのか? バンリなのか? 腹心の裏切りなのか? 
 愛憎が渦巻く果てに、ついに「蒼い狼」が姿を現わし、「蒼き狼」との最後の戦いが始まる・・・・・。


 この作品はNODA・MAP第1回公演が初演、第4回公演が再演、今回は10年振りの3回目になる。


 主要人物となるテムジン、シルク、結髪の三人は、
 第01回/テムジン=堤真一、シルク=羽野昌紀、結髪=渡辺いっけい
 第04回/テムジン=堤真一、シルク=深津絵里、結髪=古田新太
 第13回/テムジンー妻夫木聡、シルクー広末涼子、結髪=勝村政信


 で、妻夫木聡は今回初舞台。僕らの年代にとっては MK5(MajiでKoiする5秒前)でおなじみ、ちなみにこれは当時コギャルで流行っていたMK5(マジでキレる5秒前)のパロディとして歌手デビューもした広末涼子
 僕らと同年代だと広末涼子が完全なるアイドルだったんだよね、で僕らの少し上の兄ちゃんぐらいの人だと内田有紀がアイドルだった。


 野田作品を生で観るのは初めて、あとは映画の専門の時に授業で「半神」のビデオを見せられたぐらいかな、途中で寝てしまったけど。


 野田作品というか野田秀樹の作品の特徴は「言葉遊び」であり、タイトルからしてもそうだけど「キル」「着る」「切る」「KILL」と意味が何個もあり、解釈できる。


 観やすい席だったので舞台全体がよくわかった。
 妻夫木・広末は役者って感じがしたし、まあ一番おいしいのは勝村さんではあるのだけど、キャラといい台詞といいポジションといい。
 最初は声小さいなとか思ったりもしたけど引き込まれていったからあんまり気にならなかったな。
 最後の方の妻夫木君の演技はなんかわかんないけどちょっと泣きそうになりました。なんかすごく濃厚な空気だったなあ。
 話の最後の終り方も好きだし、すげえなあ伏線と言葉遊びの意味。
 終わった後に演者さんみんなで頭下げるんだけど、舞台からいなくなっても拍手が鳴り止まなくて、出てきて頭下げるのを4回もしたからなあ。


 だけど、これが初めての舞台で観るんだとどうだ?
 意味わかんなくてこれから先舞台観ないかもな、あるいは舞台ってこんなに自由なんだって思いっきりハマるかなあ。
 まあ、9500円のチケ代も観る前は高けえって思ってたけど観終わった後ではその価値は充分すぎる以上にあったと思う。よかったあ、直感だけでぴあのプレリザーブで取って。


 なんせ想像力を思いっきり刺激されたから、こういうのがクリエイティブな作品だと思うんです、僕は。


 舞台が映画とドラマと違うのは空間を役者と観客が同時的に共有するってことだと思う。
 静まり返るシーンでは誰もが息を殺し、唾を飲む「ゴクッ」という音さえも会場内に響いてしまう気がする。
 そして観客は想像力を持たななければならない。 
 今回で言うと1人二役とかメイン以外の人はしてて野田秀樹さんも役者として出ているのだけど、後半は子供役だからね。テムジン(妻夫木)の。
 おっさんじゃん!とはツッコミたくてもしたら成り立たないのであって、そこに観客のイメージや想像力が一緒に空間を創り上げる。


 この舞台の想像力には正直感服です。
 全てが理解はできないしわかってない部分も多いけれど今まで観た舞台では一番好きだと言える。
 僕も言葉遊びが好きってのもデカイけどね。



 空は蒼い、その蒼さに対するように僕たちの中に流れる血は紅い。
 それは紅き海がこの体にあるということ。
 蒼と紅の狭間には羊水が溢れている。
 紅き血が止まる時、人は羊水に戻りまた蒼き空に産み落とされ、
 空は雨を降らせ、羊水の中で夢を見る、
 そしてまた地上に産み堕とされる。


 それを生命は繰返して「生きる」のだ。


 「生きる」=「衣着る」ということ。


 誰もが裸で生まれ衣服を纏い、死にゆく時には裸になって消えていく。
 その「衣」はもちろん服だけじゃない、「感情」や「思想」もだ。
 人はそれらを着ることで以前と違う自分になる、変化する、
 変幻自在な雲のように形を変える、ゆるやかにしなやかに。
 しかし強く頑固に変わろうとしないものもある。
 だが時の流れはすべてをゆっくりと飲み込んでいく。


 変わらないものなんて何ひとつとしてない。
 だから「永遠」を夢見る、羊水の中の夢だ。
 ブカブカと浮かんでいるあの感じだ、羊を数える。
 瞬間という「刹那」を積み上げる。
 積み上げるほどに「生命」は擦り減る。


 「永遠」と「刹那」の間で惑う、揺れる、踊る。


 流行りでその「衣」も衣替えするだろう、
 あるいは懐古主義になり古きものを纏うかもしれない。
 流行と衰退、様々な情報の氾濫、
 自分の価値観と資本主義の思惑、想像力を止めるな。


 耳でその景色観よう、鼻でその味を確かめよう、
 目でその音を聴こう、この肌であなたの感情を読みとろう、
 腸を引っ張りだしてその迷路を探索しよう。
 言葉は雲だ、脈略がなくても意味をなさなくても存在させれる。
 言葉は雲だ、言葉は羊水に満たされている、言葉は想像する。
 言葉が産声をあげる、そう言葉が誕生する。



 刺激的な一日だった。想像力は生きるための「衣」(ころも)だ。
 だから僕は想像する、ことをやめない、
 それを脱ぎさるのはもちろん・・・。
 

 
 でも、今日は元渋谷公会堂、現C.C.LEMONホールZAZEN BOYS×立川志らくマツリセッションがあるので楽しみ。舞台も行きたいけどなあ。